司にはこれまで口に出すことがなかった欲望がある。
それは女を泣かせること。
それを訊いた人間は、なんだ。そんなことかと笑うだろう。何しろ司は道明寺財閥の跡取りであり、女を惹き付ける外見のみならず地位や名誉や金をいくらでも持っている。だから自分が望めばどんな女でも泣かせることが出来ることは知っている。
だが司はただ泣かせたいのではない。
それに女なら誰でもいいという訳ではない。
何故なら司の容姿や道明寺の財産に寄ってくる女は、悔しがることはあっても、この世の終わりのように泣くことはないからだ。
それならどんな姿が見たいのか。
司は自分に歯向かう気の強い女が本気で泣く姿が見たかった。
それは生意気で威勢のいい女が恐怖で頬を濡らし助けてと言って自分に縋りつく姿。
そこにいるのは司だけで彼に助けて欲しいと懇願している女の姿だ。
司はそんな女を強く抱きしめたい。
泣いた後でかき抱いて大丈夫だ。心配はいらない。もう泣く必要はないと言って優しく髪を撫でたい。
しかしこれまで司がそうしたいと思える女はいなかった。
何しろ司の周りにいる女たちは外見こそ美しいが頭の中は打算で一杯だ。
そんな女たちとの繋がりは所詮肉と肉との繋がりでしかなく、司の外見と道明寺という名が欲しいだけの女たちを泣かせても、その涙に価値などない。
司が望むのは外見や地位など求めない生意気で威勢のいい女。その生意気さが生意気であればあるほど、威勢がよければよいほど泣かせる価値があるというものだ。
そしてそう思う司の前にひとりの女が現れた。
司が乗ったリムジンは邸を出て数百メートル走った後、急ブレーキをかけ止まった。
書類を見ていた男は顏を上げた。
運転手は後部座席に座っている司に、「お怪我はございませんか。お急ぎのところ申し訳ございませんが少しお待ち下さい」と声をかけてから車を降りた。すると車のすぐ傍から女の声が聞こえた。
「ちょっと!危ないじゃない!」
車のすぐ傍から聞こえて来たのは女の声。
女は司の車が自分の乗っている自転車とぶつかりそうになったことを責めていた。
「大きな車だからこそ普通の車以上に運転に気を付けるべきでしょ!それにスピードの出し過ぎだと思いますけど!?」
ここは邸に近い一般道で幹線道路ではないことから交通量は少ない。
それに高級と言われる住宅地にある道はスピードを上げて走るような道ではない。
そして運転手は法定速度を守ることを絶対としている。だから女が言うようなスピードは出ていないはずだ。
と、なると女はわざと車に当って金を取ることを目的としている当たり屋か。
もしそうならこの女は因縁をつける相手を間違えている。この界隈でリムジンを見れば誰もが道明寺の車だと思う。だから避けることはあっても近づいてくることはない。だからこの女はいい根性をしていると思った。
司は運転手に文句を言う女をじっと見ていた。
スモークガラスの向こうにいる女は、パンツスーツ姿で髪は後ろでひとくくりにしてリュックを背負っていた。足元は自転車を漕ぐのに相応しくヒールのない靴を履いている。そんな女の顏は色付きのガラス越しで化粧の具合は分からないが、大きな目の周りに派手な色が塗られているようには思えなかった。
やがて女は喋り終えると今度は司が座っている後部座席に目を向けた。
それは思いがけず真っ直ぐな視線。
その視線が司の目を射抜いた。だが外から車内は見えない。だから女の目に自分は映っていない。だが司の目は女の姿を捉えていた。
「あの。キツイ言い方をしましたが、どなたか乗っていらっしゃるのなら驚かせてすみませんでした」
そう言って女は中の見えない車に向かって頭を下げた。
司はその態度に説明のできない感情に包まれた。
そして女が去ったあとに気付いた。待っていたのだ。自分は気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ女を。そしてその女がたった今、目の前に現れた。
自転車に乗っていた女の名前は牧野つくし。
運転手は何かあった時のためにと自転車に貼られていた防犯登録シールに書かれた番号を記憶していた。だから女を調べるのは簡単だった。

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それは女を泣かせること。
それを訊いた人間は、なんだ。そんなことかと笑うだろう。何しろ司は道明寺財閥の跡取りであり、女を惹き付ける外見のみならず地位や名誉や金をいくらでも持っている。だから自分が望めばどんな女でも泣かせることが出来ることは知っている。
だが司はただ泣かせたいのではない。
それに女なら誰でもいいという訳ではない。
何故なら司の容姿や道明寺の財産に寄ってくる女は、悔しがることはあっても、この世の終わりのように泣くことはないからだ。
それならどんな姿が見たいのか。
司は自分に歯向かう気の強い女が本気で泣く姿が見たかった。
それは生意気で威勢のいい女が恐怖で頬を濡らし助けてと言って自分に縋りつく姿。
そこにいるのは司だけで彼に助けて欲しいと懇願している女の姿だ。
司はそんな女を強く抱きしめたい。
泣いた後でかき抱いて大丈夫だ。心配はいらない。もう泣く必要はないと言って優しく髪を撫でたい。
しかしこれまで司がそうしたいと思える女はいなかった。
何しろ司の周りにいる女たちは外見こそ美しいが頭の中は打算で一杯だ。
そんな女たちとの繋がりは所詮肉と肉との繋がりでしかなく、司の外見と道明寺という名が欲しいだけの女たちを泣かせても、その涙に価値などない。
司が望むのは外見や地位など求めない生意気で威勢のいい女。その生意気さが生意気であればあるほど、威勢がよければよいほど泣かせる価値があるというものだ。
そしてそう思う司の前にひとりの女が現れた。
司が乗ったリムジンは邸を出て数百メートル走った後、急ブレーキをかけ止まった。
書類を見ていた男は顏を上げた。
運転手は後部座席に座っている司に、「お怪我はございませんか。お急ぎのところ申し訳ございませんが少しお待ち下さい」と声をかけてから車を降りた。すると車のすぐ傍から女の声が聞こえた。
「ちょっと!危ないじゃない!」
車のすぐ傍から聞こえて来たのは女の声。
女は司の車が自分の乗っている自転車とぶつかりそうになったことを責めていた。
「大きな車だからこそ普通の車以上に運転に気を付けるべきでしょ!それにスピードの出し過ぎだと思いますけど!?」
ここは邸に近い一般道で幹線道路ではないことから交通量は少ない。
それに高級と言われる住宅地にある道はスピードを上げて走るような道ではない。
そして運転手は法定速度を守ることを絶対としている。だから女が言うようなスピードは出ていないはずだ。
と、なると女はわざと車に当って金を取ることを目的としている当たり屋か。
もしそうならこの女は因縁をつける相手を間違えている。この界隈でリムジンを見れば誰もが道明寺の車だと思う。だから避けることはあっても近づいてくることはない。だからこの女はいい根性をしていると思った。
司は運転手に文句を言う女をじっと見ていた。
スモークガラスの向こうにいる女は、パンツスーツ姿で髪は後ろでひとくくりにしてリュックを背負っていた。足元は自転車を漕ぐのに相応しくヒールのない靴を履いている。そんな女の顏は色付きのガラス越しで化粧の具合は分からないが、大きな目の周りに派手な色が塗られているようには思えなかった。
やがて女は喋り終えると今度は司が座っている後部座席に目を向けた。
それは思いがけず真っ直ぐな視線。
その視線が司の目を射抜いた。だが外から車内は見えない。だから女の目に自分は映っていない。だが司の目は女の姿を捉えていた。
「あの。キツイ言い方をしましたが、どなたか乗っていらっしゃるのなら驚かせてすみませんでした」
そう言って女は中の見えない車に向かって頭を下げた。
司はその態度に説明のできない感情に包まれた。
そして女が去ったあとに気付いた。待っていたのだ。自分は気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ女を。そしてその女がたった今、目の前に現れた。
自転車に乗っていた女の名前は牧野つくし。
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