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2020
12.13

グランパ <中編>

昭和の父親は子供に対して厳しいのが当たり前だった。
それは道明寺の家に生まれた自分の父親も同じ。だから自分が子供を授かったときも同じように接してしまった。だが今ではそれを深く後悔していた。

息子の司は幼い頃こそ可愛らしい子供だった。しかし祐と楓が揃ってニューヨークで暮らし始めると、日本に残された息子の世話は娘の椿と使用人の手に託された。
やがて反抗期を迎えた息子は冷え冷えとした表情を浮かべるようになり、平気で他人に暴力を振るようになった。
そんなときは父親の祐が息子の頬を張るべきだった。だが祐は仕事を理由に息子を顧みることはなかった。
それは子供の教育は母親任せになり、本来なら父親である自分の責任になることも全てが母親の責任になったということ。
だから母親は自分の責任を果たすため、息子に対して厳しく接した。
そして息子は母親を憎むようになったが、それは息子の教育に係わろうとしなかった祐のせいだ。
だがそんな息子にも守りたい人が出来ると、荒れていた少年時代は終わりを迎えたが、丁度その頃、祐は病を患い生死の境を彷徨った。

やがて息子は病に伏した父親のために道明寺を継ぐことを決め、心に決めた少女を東京に残しニューヨークに渡り、自分がなすべきことをやり遂げ結果を残した。
後で知ったことだが、毅然とした態度で道明寺の跡取りとして家を継ぐことをテレビで宣言した息子は、少女を迎えに行くと言った。
息子の母親は、その時の我が子は未来を見据えていた。息子の瞳には、それまでとは違い強い意思が感じられたと言った。
祐はそんな息子を誇らしく思った。だが家族という言葉から遠すぎる場所で暮らしてきた男は、病から回復しても父親として何をすればいいかが分からなかった。

祐は執務室の書棚の中から一冊の本を手にすると腰を下ろした。
それは『お父さんとお母さんとボク』という絵本。孫に会い行った楓から、巧が気に入っている絵本なのよと言って渡されだが、開くとそこには父親と母親の姿が描かれていて、その間に彼らと手を繋いだ男の子の姿があった。
家族は遊園地にいた。そして父親は男の子に何に乗りたいのかと訊いているが、男の子は考えた後、全部に乗りたいと答えた。すると父親は分かったと言って男の子の目を見て笑った。
それから父親と男の子は、母親が「怖いから無理!」といったジェットコースターに乗った。
だが母親はメリーゴーラウンドなら大丈夫と言った。だから男の子は母親と木馬に乗ってカメラを構えている父親に手を振った。
男の子の顏は笑顔。父親と母親の顏も笑顔。三人は遊園地の中で持参した弁当を食べ、アイスクリームを食べポップコーンを食べると再び様々なアトラクションを楽しんだ。

祐は息子と遊園地へ行くどころか、そういった時間を持ったことがない。
だから彼らの笑顔がどこから来るのか分からなかった。
そして祐が息子と遊園地へ行ったとしても、かつて子供が苦手な父親が頑張ってあやしていると思われていたように、無理をしているようにしか見えないはずだ。
それに小学生の息子との会話は、祐が「元気にしているのか」「学校には行っているのか」と訊けば、息子から返されたのは「うん」でありそれだけで終わっていた。
だが親なのだからもっと会話をするべきだった。しかし祐は滅多に会わない我が子に何を言えばいいのかが分からなかった。
やがて、ふたりの間に沈黙が流れると、姉の椿と一緒に息子の世話をしていたタマが話しを引き取って始めた。

「坊ちゃんは元気にしていらっしゃいます。学校も真面目に行っていらっしゃいます。背の高さは4年生の中で一番高いんですよ」

決して自らのことを自分の口から話そうとはしなかった息子。
だが息子は父親と会って何かを感じ、何かを思っていたはずだ。
だが親の祐が滅多に会わない我が子に何を言えばいいのか分からなかったのと同じで、息子にすれば、同じように年に数回しか会わない親に向かって何を話せばいいのか分からなかったのだろう。
だから、この絵本の中の子供とは違い、あの時の息子の顏に笑顔が浮かぶことも無ければ、口から笑い声が漏れることも無かった。




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コメント
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dot 2020.12.13 16:45 | 編集
ふ*様
短いお話でしたが、司の父の話。楽しんでいただけたなら幸いです。
お返事が遅くなりましたが、コメントありがとうございました^^
アカシアdot 2020.12.19 20:11 | 編集
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