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2020
09.23

Saudade <後編>

Category: Saudade(完)
「それにしても今日はいい天気ですね?海もキラキラと輝いてまるで夏のようです」

ここ数日は雨が続き、気温も下がり肌寒さも感じられたが、今日は嘘のようないい天気だ。
そして、都会では秋が深まり紅葉が進み冬支度をするようになっても西伊豆は比較的まだ暖かかいと言えた。

「ああ。そうだね。それで返事を聞かせてくれるんだよね?」

ふたりはテラスにいて女性は椿の車椅子を押しているが、徹の言う返事というのは女性が徹の愛人になることを承諾するかどうかの返事だ。

「ええ……」

「どうしたんだい?ここに来てまだ考えが纏まらないって言うんじゃないよね?今日返事をしたいって言うからわざわざスケジュールに都合をつけて戻って来たんだよ?それに僕たちが寝る条件は話した通りだ」

徹は女性が自分の愛人になるなら不自由はさせない。それ相応の金を払うと言った。
それにブランドもののバッグでも宝石でも与えてやることが出来ると言った。
何しろ今の徹は椿と結婚したことで、ただの会社員ではなく道明寺グループの会社の役員だ。だから自由になる金はいくらでもある。

「ええ。分かっています。だから私、あなたの愛人になることに決めました」

承諾の意を伝えられた徹は、女性の腕を掴むと車椅子を押すのを止めさせ、頭を下げてキスをした。
それは椿の背後で行われていること。
だから椿の目には映ってはいない。

「ねえ。徹さん。私あなたにプレゼントを用意したの。受け取ってくれない?」

女性はそう言って車椅子のハンドルから手を離すと、車輪が動かないようにストッパーで固定した。そして、「今取って来るから、ここで待っていてもらえない?椿様を見ていて下さいね」と言って椿と徹を残して建物の中に入って行った。







「まいったよな。ホント」

二人だけになって思わず出たその言葉。
徹その言葉には今の生活がうんざりしているという思いが込められていた。
徹は椿の夫だ。周りにいる人間は徹のことを障害を負った妻を気遣う優しい夫だと思っている。それに障害を負った妻と結婚することを決めた徹を愛情深い男だと思っている。

だが彼女のことが好きだと言ったのは嘘だ。
徹は椿など愛してはいなかったが、椿と結婚するためにはそう言うしかなかった。
何しろ道明寺椿と結婚すれば、生活に困ることがないのはわかっているのだから。
それに、もし椿が先に死ねば遺産は彼のものになる。

徹が椿と再会をしたのは本当に偶然だった。
初めは懐かしさから食事に誘った。そして彼女がそれを受け入れたとき、夫と死別したことを知った。と、同時に今でも自分に気があるように思えた。だがそれが自惚れだとしても、徹は自分が男っぷりがいいと言われていることを知っている。
だからこの状況は使えると思った。
そしてあのとき徹は会社の金を流用していたが、それが発覚する恐れがあった。
だから金を早々に返す必要があったが、徹が流用した金はどこに流れたのか。
それは株式投資の失敗によるもので1億近くにまで膨れ上がっていた。だから椿と結婚した徹は、その金を椿から引き出し返済に充てると道明寺の会社へ移った。

そして椿と西伊豆で暮らし始めたが、ここでの生活には刺激がない。
何が悲しくて東京から遠くはなれた田舎の山奥、断崖に立つ別荘で暮らさなければならないのか。
道明寺家には都内にいくらでも住まいがある。だから徹は都内で暮らすことを望んだが椿はここがいいと言い、周りの人間もここで暮らすことに賛成をした。

「あ……」

それは車椅子に座っている妻から発せられた言葉。
徹は車椅子の前に回り込んで椿を見た。

「どうした?」

「トンボ玉が….」

「トンボ玉?ああ、あれか。僕が高校生の頃、君にプレゼントしたというガラス玉か…」

徹は付き添いの女性から椿がそれをいつもポケットに入れていることを訊いていたが、見たことはない。だがテラスの端に緑色のガラス玉が落ちているのを見つけた。

「おねがい…..拾って….」

妻の口から出たその言葉に徹は腰を屈めてガラス玉に手を伸ばそうとした。
そのとき背中に何かが当たった。
それは暖かく弾力のある何か。だが振り向くことが出来なかった。
そして何か大きな力が働いたように自分の身体が持ち上がるのを感じた。その瞬間、身体をひねりなんとか背後を見たが、そこには空になった車椅子だけがあった。
そして再び身体に何かが当たるとバランスを崩した。
テラスの端には柵がある。その柵の高さは1メートル。だが徹の目の前に柵はない。
そこは夏の台風で壊れ修理のため取り外されていて、徹の身体はそこから海の上の中空に放り出された。
















椿は緑色のトンボ玉を拾った。そして太陽に透かして見たが、それは空の色と混ざりターコイズブルーに変わり伊豆の海の色と同じに思えた。

椿はそれを海に投げた。
そして車椅子に戻り深く腰掛けると徹が落ちた柵の間を見ていた。
椿は足が不自由になったのではない。それに脳に障害を負ったのでもない。
それなら何故そんなフリをしていたのか。
それは及川徹の本心を知るためだった。

再会したのは偶然だ。そして初恋の人に心がときめいた。だが交通事故に遭ってから及川徹の態度に何かを感じた。それはただの勘だとしても、椿は自分が道明寺家の人間であることが理由で人の態度が変わることを知っている。それに相手がたとえ初恋の人だとしても、今のその人を知る必要があった。
だから調べた。すると及川徹が会社の金を流用していることを知った。
椿は及川の会社の人間を知っている。だから発覚することがないように手を回した。
それは20年前に及川を傷つけて別れなければならなかったことへの贖罪の気持からしたこと。
そしてプロポーズを受けたのは、道を踏み外してしまった初恋の人に立ち直って欲しいという思いがあったから。それに好きだという思いが確かにあった。だから夫となった徹が1億近い金を使うことに目を瞑った。

自分を心から必要としてくれる人なら良かった。
だが及川はそうではない。その証拠に椿の世話をする女性に手を出そうとしている。
及川徹という男は、もう椿が知っていた男ではなかった。
そして椿は自分の背後で交わされた会話も、唇を重ねていたこともトンボ玉を手に身体全体で感じていた。

トンボの目は蜂の巣のような六角形の小さな眼球が1万から3万集まって出来ていて、40メートル先で動く昆虫を見逃すことがないというが、椿はトンボがどんなに小さなことも見逃すことがない千里眼の目を持つのと同じで、彼女の目も道明寺の家に生まれた女として見逃すことが出来ないものをしっかりとこの目で見ていた。つまり不実を働こうとしている男を、及川徹を許すことが出来なかった。

そして今思うのは若い頃の恋は思い出として心の中に留めておくことが望ましいということ。
何故なら大人になれば知りたくないことまで知ってしまうことがあるから。だから過去は思い出のままにしておくのがいい。一度手放した恋心はそのまま手放している方がいいのだ。
だがそれが出来なかった。あの頃の恋に懐かしさを感じた。夢を見たいと思った。
けれど、それはつらい現実だった。
それに道明寺の家に生まれた人間は、弟を除いてだが、純粋な恋をすることは難しいのかもしれない。
















「椿様?徹様は?」

徹にプレゼントがあると言って建物に中に行った女は戻って来ると椿に訊いた。
だから椿は柵の間を指差した。

「…..え?」

「…….トンボ玉が落ちたの。だから………」

女性は柵がある場所に駆け寄った。
そして下を見たが、そこは海が見えるだけで誰の姿も無かった。








及川が海に落ちたのは不慮の事故として処理された。
そして椿は夫が目の前で海に転落する場面を目撃した。それが彼女の脳を刺激したのか。
それまではっきりとしなかった言葉や失われていた記憶能力が戻った。そして立ち上って歩くことが出来るようになった。
その光景に椿の担当医は、「これはショック療法です。椿様はご主人が海へ転落する場面を目の当たりにして脳と神経が覚醒されたのです」と言った。














「失礼します。椿様。東京へ戻るお車のご用意が出来ました」

テラスにいる椿を呼びに来たのは、これまで彼女の世話をしていた女性だ。

「分かったわ。でももう少し待つように伝えてくれるかしら?暫くはここからの眺めを見ることがないからもう少し見ていたの」

「かしこまりました。では運転手に伝えてまいりますが、ニューヨークはこちらよりも寒いそうですからお身体にお気をつけ下さいませ」

「ええ。ありがとう。あなたも気を付けてね。それから今回のことは本当に助かったわ。三条さん」

「椿様。わたしは恩がある牧野先輩のお義姉さまのお力になれて大変光栄です」

桜子が敬愛する牧野つくしは椿の弟の司と結婚してニューヨークで子育てに追われ暮らしている。
だから椿が事故に遭ったとき一番に駆け付けたのは桜子だ。そして椿から及川徹のことを訊いた桜子は椿に協力することにした。

「それからここの柵だけど修繕を急ぐように言ってね。また誰かが落ちたら大変だもの」

「ご安心下さい。業者は明日来るそうです。頑丈な柵を作るように言っておきますから」と言って桜子は背を向けた。

そして椿が見ていたのは、日本一の夕陽を見ることが出来る場所で燃えるような真っ赤な太陽が海と空を赤く染め上げ海に沈んでいく光景だった。





< 完 > *Saudade=郷愁・思慕・憧憬*
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コメント
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dot 2020.09.23 07:54 | 編集
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dot 2020.09.23 16:42 | 編集
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dot 2020.09.23 20:47 | 編集
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dot 2020.09.24 15:09 | 編集
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dot 2020.09.26 17:29 | 編集
司*****E様
椿の演技は完璧でした。
初恋の人。及川は昔の及川ではなかった。
思い出は思い出として心の中に留めておく方がよかった。
そして及川が桜子に手を出そうとしていることを知ったとき椿は.....
ブラックな椿でした(笑)

ポルトガル語であるsaudadeの意味ですが、この言葉は翻訳しにくい言葉だそうです。
過去に起こったことの記憶についてや、楽しかった過去の経験をもう一度経験したいときに使われるようですが、追い求めても叶わないものといった意味もあるようで懐かしい感情を表現する言葉のようです。

椿お姉さんのお話。楽しんで頂けて良かったです!
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2020.09.26 17:31 | 編集
s**p様
なるほど。
あのグループの曲を連想していたら火曜サスペンスになったんですね?(≧▽≦)
舞台は西伊豆です。駿河湾に面しています。
そして駿河湾は深海ザメが多い場所です。
ブラック司は池の鯉でしたが、椿は.....
姉弟そろってブラックでした(笑)
アカシアdot 2020.09.26 20:42 | 編集
ゆ**丸様
こんにちは^^お久しぶりです。
椿はやはり道明寺家の人間だった....
何しろ母は楓ですからねえ。
冷酷さは他の人間の比ではないでしょうね。
そんな椿に桜子!適任でしたか?(笑)
彼女も敵にはとことん冷たい女になれますからねえ。
そして椿さん、もう男はこりごりかもしれませんよ(笑)
アカシアdot 2020.09.26 20:49 | 編集
と****マ様
及川徹。とんでもない男でしたね。
え?男を見る目がないかもですか?(笑)
そして椿の演技は完璧でしたが、お医者様もグルだったような気がします(笑)
そうです。刑事物でいう「およがせていた」状態だったんです。
そして桜子の役どころは、彼女にぴったりだったと思います(笑)
それにしても椿お姉さん、やはり道明寺家の人間ですね。
やる時はやる!(笑)そんなお姉さんでした^^
アカシアdot 2020.09.26 21:02 | 編集
ふ**ん様
山荘の木村。椿に頼まれて山荘から断崖に立つ別荘にやって来た‼(≧▽≦)
そして及川の身体を持ち上げて落とした?!
火事場の馬鹿力、という言葉がありますが、それは誰にもあると言われています。
木村の力を借りなくても椿が......
いえ。これは不慮の事故ですからね。それに徹が見た空っぽの車椅子の存在は誰も知らないことですから。
そして今回の椿がしたことを船越英一郎は問い詰めない!(≧▽≦)
そうです。ここは道明寺家の敷地。彼が呼ばれることはありませんから!(笑)

タイトル講座ですね?(;^ω^)
Saudadeはポルトガル語ですが訳するのが難しいと言われる言葉です。
ポルトガルに「ファド」というジャンルの歌があります。日本で言えば演歌というところでしょうか。
そのファドは演歌と同じで哀愁を込めて歌われるのですが、そのファドに感じられるのがSaudadeだと言われています。
椿は昔の恋人と再会してあの頃の恋ごころを思い出した。
でも彼のことを知れば知るほどあの頃の恋はあの頃の気持のままにしておけばよかったと思う。でも気持ちは裏腹であの頃の恋を求めてしまう。その気持がこのタイトルになりました。
説明するといつもごちゃごちゃになってしまいますが、こんな感じでお許し下さい(^^ゞ
アカシアdot 2020.09.26 21:51 | 編集
ふ*******マ様
椿はどんな思いで及川徹を.....
大金持ちのお家に生まれた娘は、いえこれは司にも言えますが、本当の恋を見つけるのは大変なのでしょうねえ。
何しろ後ろにあるものが大き過ぎますからねえ。
そしてケリをつける時は自分の手で....
及川徹が海へ落ちたのは不慮の事故。
しかし椿と桜子は真実を知っている。そして司も知っていることでしょう。
でもつくしは知りません。だから3人は演者でいることを当然と考えているはずです。
それにしてもやはり道明寺家の人間は怖い。そして椿さんはやはり楓さんの娘です(;^ω^)
アカシアdot 2020.09.26 22:16 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2020.09.28 22:04 | 編集
ふ**ん様
いえいえ、どういたしまして(*'▽')
ポルトガルの演歌と訊いて思い浮かんだ楓の「津軽海峡冬景色」(≧▽≦)
楓ママ。残念ですが今年は歌合戦は中止になりました。
また来年是非出場をお願いします!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2020.09.30 23:14 | 編集
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