私は大学から戻ると母の姿を探した。
すると母は父の部屋にいた。だが母は自分の背後で開け放たれた扉の傍にいる私に気付いてはいなかった。
四十九日を終えたとはいえ父が亡くなってからさほど時間は経っていない。それなのに母は父の部屋で片付けをしていた。
通信社の特派員として長年外国で働いてきた父は、病を罹っていることが分かると赴任先から日本に帰国した。そんな父の部屋には沢山の本やCDや古いレコードが残されているが、語学に堪能だった父は特にスペイン語で歌われた曲が好きだった。
それは日本の伝統的な料理を提供する寿司屋を目指した父からは想像できない歌の選択だったが、メキシコにいた頃の父は、マリアッチ(楽団)がいるレストランに家族で出掛けると、いつもお気に入りの曲をリクエストしていた。
そして母の前にあるのは真新しい段ボール箱。
その中に父が気に入っていると言っていたセーターやマフラー。愛用していた万年筆や櫛といった身の周りの物が収められようとしていた。
私は、それらを手に取った母がひとつひとつ箱に詰めていく様子を見つめていたが、その背中に哀しみの姿を見つけることは出来なかった。つまり母の心は、もうとっくに父から離れてしまっているように思えた。そして父との思い出を箱に詰めると捨ててしまうのではないかとさえ思われた。
だがそれが私の思い過ごしだとしても、表面上何も変わらないように見える母の心はすでに道明寺司に向いていて、父には向けられてはいないと思えた。
私はわざと大きな音を出して自分の存在を母に伝えた。
そして母に訊かなければならない言葉を口にすることにした。
「ただいま!」
「澪(みお)?何?どうしたの?大きな声でびっくりするじゃない。お帰り。早かったのね?」
母は私の声に片付けをする手を止め振り向いた。
「うん。最後の講義は先生が病気で休講になったの。だから今日はこんな時間に帰れたの」
「そう….じゃあ今日の夕食は少し早めにする?ちなみに今夜は煮込みハンバーグの予定なんだけど、それでいい?」
母は、娘がいつもよりも早い時間に帰ったことを驚かなかった。
そして夕食の時間について少し考えていたが、母の態度はいつもと変わらない。
そんな母の作る煮込みハンバーグは私の好物だが、今は夕食の献立よりも母に訊きたいことがある。
「ねえお母さん。訊きたいことがあるの」
「何?」
「それお父さんの持ち物よね?箱に詰めてどうするの?ここお父さんの部屋だし、お父さんが亡くなったからって片付ける必要ないんじゃない?」
私の口を突いたのは、訊きたいと思っていた道明寺司と母の関係ではなく、母が父の身の周りの物を箱に詰めていることで、今は目の前のその光景の方が気になっていた。
「ん?これは送ってあげようと思って箱に詰めてたの」
「送る?送るってどこに?」
父は生家から勘当されたと言ったが、それでも葬儀に参列した年老いた父の両親に形見として送るのか。
「お父さんが最後に住んでいた国よ」
私は母が言っていることの意味が分からなかった。
父が最後に住んでいた国はメキシコだが、何故メキシコに送るのか。
それにメキシコの誰に送るというのか。
「ねえ、お母さん。お父さんが最後に住んでいた国ってメキシコでしょ?そのメキシコに送るっていったいどういうこと?」
と、私は怪訝な態度で訊いたが、それに対し母は落ち着いた様子で答えた。
「お父さんから頼まれていたの。自分が死んだらここにあるものを元の持ち主に返して欲しいってね」
「元の持ち主?」
やはり私には意味が分からなかった。
すると母は「そうよ。元の持ち主のこの人にね。この人が元の持ち主。いいえ。そうじゃないわ。お父さんは持ち主だなんて言い方をしたけど、この箱の中にあるものはこの人がお父さんに贈ったものなの」
と言って母は既に箱の中に収められていた写真立てを私に見せたが、そこには父が母以外の女性の腰に腕を回し笑っている姿があった。

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すると母は父の部屋にいた。だが母は自分の背後で開け放たれた扉の傍にいる私に気付いてはいなかった。
四十九日を終えたとはいえ父が亡くなってからさほど時間は経っていない。それなのに母は父の部屋で片付けをしていた。
通信社の特派員として長年外国で働いてきた父は、病を罹っていることが分かると赴任先から日本に帰国した。そんな父の部屋には沢山の本やCDや古いレコードが残されているが、語学に堪能だった父は特にスペイン語で歌われた曲が好きだった。
それは日本の伝統的な料理を提供する寿司屋を目指した父からは想像できない歌の選択だったが、メキシコにいた頃の父は、マリアッチ(楽団)がいるレストランに家族で出掛けると、いつもお気に入りの曲をリクエストしていた。
そして母の前にあるのは真新しい段ボール箱。
その中に父が気に入っていると言っていたセーターやマフラー。愛用していた万年筆や櫛といった身の周りの物が収められようとしていた。
私は、それらを手に取った母がひとつひとつ箱に詰めていく様子を見つめていたが、その背中に哀しみの姿を見つけることは出来なかった。つまり母の心は、もうとっくに父から離れてしまっているように思えた。そして父との思い出を箱に詰めると捨ててしまうのではないかとさえ思われた。
だがそれが私の思い過ごしだとしても、表面上何も変わらないように見える母の心はすでに道明寺司に向いていて、父には向けられてはいないと思えた。
私はわざと大きな音を出して自分の存在を母に伝えた。
そして母に訊かなければならない言葉を口にすることにした。
「ただいま!」
「澪(みお)?何?どうしたの?大きな声でびっくりするじゃない。お帰り。早かったのね?」
母は私の声に片付けをする手を止め振り向いた。
「うん。最後の講義は先生が病気で休講になったの。だから今日はこんな時間に帰れたの」
「そう….じゃあ今日の夕食は少し早めにする?ちなみに今夜は煮込みハンバーグの予定なんだけど、それでいい?」
母は、娘がいつもよりも早い時間に帰ったことを驚かなかった。
そして夕食の時間について少し考えていたが、母の態度はいつもと変わらない。
そんな母の作る煮込みハンバーグは私の好物だが、今は夕食の献立よりも母に訊きたいことがある。
「ねえお母さん。訊きたいことがあるの」
「何?」
「それお父さんの持ち物よね?箱に詰めてどうするの?ここお父さんの部屋だし、お父さんが亡くなったからって片付ける必要ないんじゃない?」
私の口を突いたのは、訊きたいと思っていた道明寺司と母の関係ではなく、母が父の身の周りの物を箱に詰めていることで、今は目の前のその光景の方が気になっていた。
「ん?これは送ってあげようと思って箱に詰めてたの」
「送る?送るってどこに?」
父は生家から勘当されたと言ったが、それでも葬儀に参列した年老いた父の両親に形見として送るのか。
「お父さんが最後に住んでいた国よ」
私は母が言っていることの意味が分からなかった。
父が最後に住んでいた国はメキシコだが、何故メキシコに送るのか。
それにメキシコの誰に送るというのか。
「ねえ、お母さん。お父さんが最後に住んでいた国ってメキシコでしょ?そのメキシコに送るっていったいどういうこと?」
と、私は怪訝な態度で訊いたが、それに対し母は落ち着いた様子で答えた。
「お父さんから頼まれていたの。自分が死んだらここにあるものを元の持ち主に返して欲しいってね」
「元の持ち主?」
やはり私には意味が分からなかった。
すると母は「そうよ。元の持ち主のこの人にね。この人が元の持ち主。いいえ。そうじゃないわ。お父さんは持ち主だなんて言い方をしたけど、この箱の中にあるものはこの人がお父さんに贈ったものなの」
と言って母は既に箱の中に収められていた写真立てを私に見せたが、そこには父が母以外の女性の腰に腕を回し笑っている姿があった。

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コメント
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司*****E様
おはようございます^^
思わぬ展開にびっくりですか?
澪は自分の両親は一体何をして何を考えていたのか。
きっと混乱しているでしょうねえ....もう少しだけお付き合い下さいませ^^
おはようございます^^
思わぬ展開にびっくりですか?
澪は自分の両親は一体何をして何を考えていたのか。
きっと混乱しているでしょうねえ....もう少しだけお付き合い下さいませ^^
アカシア
2020.08.05 22:40 | 編集

ふ*******マ様
おはようございます!
お嬢さんの名前は澪ちゃんです。
さてお母さんは、どんな話をするのでしょう。
18歳。大人に近いけど、まだ子供。
どうなるのでしょうねぇ^^
おはようございます!
お嬢さんの名前は澪ちゃんです。
さてお母さんは、どんな話をするのでしょう。
18歳。大人に近いけど、まだ子供。
どうなるのでしょうねぇ^^
アカシア
2020.08.05 22:45 | 編集

ま**ん様
こんにちは^^
予想外の展開でしたか?
夫婦には夫婦にしか分からない事がある。
まさに今はその状況かもしれません。
そして娘はそのことを理解できるでしょうかねえ。
18歳と言えば大人のようでまた子供ですからねぇ。
こんにちは^^
予想外の展開でしたか?
夫婦には夫婦にしか分からない事がある。
まさに今はその状況かもしれません。
そして娘はそのことを理解できるでしょうかねえ。
18歳と言えば大人のようでまた子供ですからねぇ。
アカシア
2020.08.05 22:50 | 編集

ふ**ん様
え?こういうことです(笑)
大人には色々とあるのです(^^ゞ
え?こういうことです(笑)
大人には色々とあるのです(^^ゞ
アカシア
2020.08.05 22:52 | 編集
