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2020
06.13

夜の終わりに 12

外に出たが昨夜の雨はすっかり上がっていた。
地面から立ち上ってくる匂いは都会のコンクリートジャングルでは嗅ぐことのない湿った土の匂い。何もないままラブホテルに一泊した男と女が雨上がりの朝に見たのは、かげろうのように揺らめく風景。
その中にあるのは新緑の季節とはいえ薄ら寒い山の中で、まだいくらか花を咲かせているヤマザクラの巨木と、かつては水の流れがあったであろう築山のある日本庭園らしき庭だが、今は荒れ果てた姿でそこにあった。

そして今、目の前の大きな木と背後に広がる山の景色は時間と共に姿を変え、やがて揺らめいていた風景に突き刺すような5月の陽射しが降り注ぎ始めると、空には透き通るような青が広がった。


「やっぱりここはこうした使われ方をされる前は旅館だったか」

「旅館?」

「ああ。ここは初めからラブホテルとして建てられたんじゃないってことだ」

ここに足を踏み入れたとき運転手の後藤も口にしたが、敷地の広さと和風建築の平屋が点在している様子からそうではないかという思いがあった。だが暗闇の中では、はっきりとしたことは分からなかった。けれど、こうして朝の光りの中で見る建物は明らかに旅館だ。

「そうだったんですね。確かにこんなに広い敷地に離れが点在する旅館は隠れ家的な宿としては素敵だと思います。でも今はこんな使われ方をしてなんだかもったいないですね。それにこの桜も」

女の言葉から感じられるのは、がっかりとした気持。
そして継がれたのは自分の名前について。

「実は私の名前は…..本当の名前は春に芽吹く植物の名前なんです。でも植物と言っても花を咲かせることのない地味な雑草です。桜はそんな私の上でピンク色の雨を降らせてくれる。地味な私でも春の色を纏わせてくれる花です。
そんな花だから私は桜が大好きなんです。だからこんなに大きくて立派な桜なのに、この桜を見る人がいないのがもったいなく思えます。それに夜はライトアップすれば幻想的な桜になると思いませんか?」

そう言った女は枝を大きく広げたヤマザクラを見上げているが、花など愛でたことがない司もこの桜はライトアップされれば美しく幻想的な桜になると思えた。

「そうだな。この桜は立派だ。満開なら迫力のある姿を見せるはずだ。恐らくこの木はここのシンボルツリーだったはずだ」

ここも出来た頃はそれなりに客も多かったはずだが、時間が経ち客室の稼働率が上がらなくなったのか。それとも、ここの経営者はここを本業としていなかったのか。だから旅館の経営以外に金を使い経営が成り立たなくなったのか。だがどちらにしても言えるのは経営者には経営の才能がなかったと言うことだ。

そして、少し前なら木の下には桜色の絨毯があったはずだが、雨上がりの今は散らされた数枚の花びらが落ちているだけ。
それに旅館からラブホテルに変われば、その絨毯を眺める者もいないが、それをもったいないと思うのか。女は落ちている花びらを一枚拾い上げた。

そんな女は司に興味を持たない。
女は司が会社を経営していることが明らかなのに、そのことについて触れることはない。
女がこれまで司に語った言葉の中には誇張もなければ、司によく思われたいという思いもない。大概の女が男に聞かせたいと用意している話もない。
それに司に向けた視線の中に媚びを含んだ目線は一切なく、そういった態度はこれまで司の周りになかったものだ。

だが司に興味を示さない女が見せる態度が新鮮な驚きだとしても、見知らぬ男の前で下着を着けることなく寝るという大胆な行動を取る女は、セクハラ上司に頭を悩ませながらも職場の調和を気にかけ性善説を信じる典型的な日本人で桜の花が好きだという。
そんな女を表現する言葉があるとすれば、それは気が強いのではなく芯が強いという言葉。
つまり牧野つくしは男らしい女ということになるが、司はそんなアンバランスな牧野つくしに不思議な魅力を感じるようになっていた。

それは単なる週末の戯れや気まぐれではない。
桜前線はとっくに通り過ぎたというのに、まだ山の中でひっそりと花を咲かせているヤマザクラのような女の小さな顏を両手で包み込み、まじまじと見つめたい思いに駆られているということ。そして女のことをもっと知りたいという気持になっていた。


「まき…」

司は女の本当の名前を言いかけ慌てて口を噤んだが、そのとき運転手の後藤が車の準備が出来たと言ってきた。

「落石による通行止めは解除されたようです。それから中央道の事故による通行止めも解除されましたので近くのインターから乗りたいと思います」

運転手の後藤は、そう言うと後ろのドアを開けてふたりが車に乗るのを待っていた。
司は空白のひとときの後で時計を見た。

「邸までの時間は?」

「はい。1時間もあれば到着できます。ですがそちらのお嬢様を目的地までお送りする必要があると思われますが」

と言って後藤は司の指示を仰いだ。
だから司は「家の近くまで送ろう。住まいはどこだ?」と女に訊いたが、女は首を横に振り丁寧な口調で答えた。

「お申し出は大変ありがたいのですが、これ以上ご迷惑をおかけすることは出来ません。
ですから通り道にある駅…..可能であれば中央線の駅で降ろしていただければ助かります」

夜が明けた今。女は自分を助けてくれた男に感謝の言葉を述べたが、司の連絡先を聞こうとはしなかった。
そしてその言葉から感じられるのは、見知らぬ男とラブホテルで過ごした偶然の一夜は終わりを迎えたということ。
それにその態度は男に甘えることのない潔さがある。と同時に司に住まいを知られたくないという思いが覗えた。
だがそれは別として牧野つくしという女は男に甘えることが下手なようだ。だから遠慮するな。駅ではなく自宅近くまで送ると言っても返事はノーだ。

だから司は「分かった。中央線の駅だな?そうしよう」と答えたが、いつも時間に余裕を持たせる運転手の言葉通りだとすれば牧野つくしと過ごす時間は長く見積もっても45分ということになる。
だがそれだけでも十分だ。何しろ司は女の名前も勤務先も知っている。だから会いに行くことは出来る。
それに知りたいことはもう分かった。
それは、牧野つくしという女は自分に添う女だということ。
そして気付いた。
夜の終わりに大切なものを見つけたことに。
つまり司は牧野つくしに惚れていた。



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コメント
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dot 2020.06.13 08:08 | 編集
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dot 2020.06.13 09:30 | 編集
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dot 2020.06.13 13:18 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
つくしに惹かれている男は、いや、惚れてしまった男は彼女と話せる時間を計算しましたが45分!
さてこの時間でふたりの距離を縮めることが出来るのでしょうかねえ。

今年の梅雨はマスクをして過ごすことになり、いつもよりも蒸し暑さが増すことは間違いありません。
密にならない場所では外していいと言われてはいますが、仰る通りマスクをしていないと嫌な顏をされそうですねえ。
自衛しながら過ごす梅雨。そして夏となりそうですね。
それに加えて熱中症にも注意ですから、気が抜けない夏となりそうですが、司*****E様もご自愛下さいませ^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2020.06.14 23:02 | 編集
ふ**ん様
自分を雑草だという女ですが、そんな女はヤマザクラ。
そしてT男とT子の時間は45分!
惚れた男はこれからどうするのでしょう。
>「雨降って司惚れる」(≧▽≦)
思いもしなかったことでしょうが、劇的な出会いで恋におちる男。
それがT男です(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2020.06.14 23:09 | 編集
イ**マ様
こんにちは。お久しぶりです^^
え?|д゚)そうだったんですか?(>_<)
アカシア、お話を訊いて驚いています。
でもイ**マ様の傍には愛と勇気がある。アカシアにはそう思えていますので大丈夫です。
そしてやっと落ち着いたということは、これから先はひらすら前を向くだけです。
そんな中でアカシアのお話を楽しんでいただけるなら、これほど嬉しいことはありません。
どうぞご自愛なさってくださいね。
そしてこの司がどうするのか。ふたりがどうなるのかを見守ってやって下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2020.06.14 23:20 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2020.08.01 20:25 | 編集
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