『ここに来たのは緊急避難だ』
女の耳にその言葉はどう響いたのか。
大きな目をした女は、司が何故ここに来たのかを話している間、彼を凝視していたが、訊き終えると奇妙なまでにその話に納得していた。
司は性善説に基づいた行動を取り、男に媚びを売るような態度を取らない女に興味を持った。話をしたいという思いに駆られた。そのためには時間が必要だった。だからずぶ濡れになった女を風呂に入れることと、道路状況のこともありこの場所で休むことに決めた。
だがまさか自分が駅前でタクシーと間違えて窓をノックしてきた女に興味を持つとは思わなかった。
それにしても、やはり女は典型的な日本人で何でも性善説で考えるようだ。
司に身体が冷えたままでは風邪をひくから風呂に入れと言われて躊躇ったものの、自分でもこのままでは良くないと思ったのか。「ありがとうございます。実は背中がゾクゾクして寒いんです」と言って浴室へ向かったが、もし司が口の上手い犯罪者だったら、あの女は間違いなく酷い目に遭っているだろう。
司は、これまで付き合った女とはホテルで寝る以外はせいぜい食事をするだけで、どこかへ出かけることはなかった。
つまり恋愛とは言えない関係を保ってきたが、それでも女が芝居をしているなら分かる。
それは男に媚びを売り騙そうとする女の顏には「いつでもいいわよ」とでも言いたげな欲望の色が浮かんでいるからだ。
そして漂わせているのは、胸糞が悪くなるほど付け過ぎた香水。
そんな女ばかり見てきた男だから、アダルトビデオにギョッとした女が、こういったところに場慣れしているようには思えなかった。
浴室で水音が聞こえ始めると、女の鞄を手に取り中を確かめたが、そこにあったのは、首からかける形の顔写真入りの社員証。
そこに記されているのは、『東邦電気。エンタープライズ事業部。牧野つくし』
確かに女は本人が口にした通りどこにでもいる会社員だが、東邦電気は電気メーカーで新宿に本社がある。そして道明寺のグループ会社だ。
そんな女の鞄もだが、中にある財布もノーブランド。男の司には女の鞄の中に何が必要なのか分からないが、他にあるのは携帯電話と小さなポーチとカバーがかけられた文庫本が一冊。
何を読んでいるのか。表紙を開いてみれば、『体にいいごはん』と書かれていた。
「あの女。もしかして健康おたくか?」
思わず独りごちた司は、女が読んでいる本のタイトルに笑ったが、抱き上げたときの身体の軽さは、この本に書かれている食生活を実践しているからなのか。
だがそんな女でも電車を乗り過ごすほど深酒をしたい夜もあったということか。
そして女は、ここまで迎えに来てくれる知り合いはいないと言った。つまり男はいないということ。
そして風呂に入り化粧を落とした女の顏は、風呂に入る前よりマシなはずだ。
それは、雨で流れたマスカラが目の下を黒く染めていたからだが、女は鏡を見てギョッとしたはずだ。
それにしても、牧野つくしという女はうるさいほどよく喋る。
いや、あれは恐怖心がそうさせたのだろう。自分の身を守るために饒舌になったのだろう。
そして本人は気付いていないのかもしれないが、頭の中で考えていることが漏れている。それが面白かった。
さあ。風呂から上がった女と何を話そう。
いつもは女が風呂から上がるのが待ち遠しいなど思いもしない。
いや。待つことなどない。それどころか司がホテルの部屋を訪れたとき女は既にシャワーを浴びてベッドの上で待っている。
それに司も女の匂いをシャワーで洗い流すとホテルを出る。長居はしない。
そんな男が山中のラブホテルで風呂から上がってくる女と話をすることを楽しみに待つなど誰が想像するだろうか。
それに何があっても表情を変えることがない秘書も、今のこの状況を知ればメガネの奥にある目をしばたたかせてもおかしくない。
だがどちらにしても、ここにいるのは司だけなのだから誰が何を思うこともない。
それに女は、いや、牧野つくしは、これから一緒に過ごす男が誰だか知らないのだから、司は緊急避難をしたただの男として過ごすつもりだ。

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女の耳にその言葉はどう響いたのか。
大きな目をした女は、司が何故ここに来たのかを話している間、彼を凝視していたが、訊き終えると奇妙なまでにその話に納得していた。
司は性善説に基づいた行動を取り、男に媚びを売るような態度を取らない女に興味を持った。話をしたいという思いに駆られた。そのためには時間が必要だった。だからずぶ濡れになった女を風呂に入れることと、道路状況のこともありこの場所で休むことに決めた。
だがまさか自分が駅前でタクシーと間違えて窓をノックしてきた女に興味を持つとは思わなかった。
それにしても、やはり女は典型的な日本人で何でも性善説で考えるようだ。
司に身体が冷えたままでは風邪をひくから風呂に入れと言われて躊躇ったものの、自分でもこのままでは良くないと思ったのか。「ありがとうございます。実は背中がゾクゾクして寒いんです」と言って浴室へ向かったが、もし司が口の上手い犯罪者だったら、あの女は間違いなく酷い目に遭っているだろう。
司は、これまで付き合った女とはホテルで寝る以外はせいぜい食事をするだけで、どこかへ出かけることはなかった。
つまり恋愛とは言えない関係を保ってきたが、それでも女が芝居をしているなら分かる。
それは男に媚びを売り騙そうとする女の顏には「いつでもいいわよ」とでも言いたげな欲望の色が浮かんでいるからだ。
そして漂わせているのは、胸糞が悪くなるほど付け過ぎた香水。
そんな女ばかり見てきた男だから、アダルトビデオにギョッとした女が、こういったところに場慣れしているようには思えなかった。
浴室で水音が聞こえ始めると、女の鞄を手に取り中を確かめたが、そこにあったのは、首からかける形の顔写真入りの社員証。
そこに記されているのは、『東邦電気。エンタープライズ事業部。牧野つくし』
確かに女は本人が口にした通りどこにでもいる会社員だが、東邦電気は電気メーカーで新宿に本社がある。そして道明寺のグループ会社だ。
そんな女の鞄もだが、中にある財布もノーブランド。男の司には女の鞄の中に何が必要なのか分からないが、他にあるのは携帯電話と小さなポーチとカバーがかけられた文庫本が一冊。
何を読んでいるのか。表紙を開いてみれば、『体にいいごはん』と書かれていた。
「あの女。もしかして健康おたくか?」
思わず独りごちた司は、女が読んでいる本のタイトルに笑ったが、抱き上げたときの身体の軽さは、この本に書かれている食生活を実践しているからなのか。
だがそんな女でも電車を乗り過ごすほど深酒をしたい夜もあったということか。
そして女は、ここまで迎えに来てくれる知り合いはいないと言った。つまり男はいないということ。
そして風呂に入り化粧を落とした女の顏は、風呂に入る前よりマシなはずだ。
それは、雨で流れたマスカラが目の下を黒く染めていたからだが、女は鏡を見てギョッとしたはずだ。
それにしても、牧野つくしという女はうるさいほどよく喋る。
いや、あれは恐怖心がそうさせたのだろう。自分の身を守るために饒舌になったのだろう。
そして本人は気付いていないのかもしれないが、頭の中で考えていることが漏れている。それが面白かった。
さあ。風呂から上がった女と何を話そう。
いつもは女が風呂から上がるのが待ち遠しいなど思いもしない。
いや。待つことなどない。それどころか司がホテルの部屋を訪れたとき女は既にシャワーを浴びてベッドの上で待っている。
それに司も女の匂いをシャワーで洗い流すとホテルを出る。長居はしない。
そんな男が山中のラブホテルで風呂から上がってくる女と話をすることを楽しみに待つなど誰が想像するだろうか。
それに何があっても表情を変えることがない秘書も、今のこの状況を知ればメガネの奥にある目をしばたたかせてもおかしくない。
だがどちらにしても、ここにいるのは司だけなのだから誰が何を思うこともない。
それに女は、いや、牧野つくしは、これから一緒に過ごす男が誰だか知らないのだから、司は緊急避難をしたただの男として過ごすつもりだ。

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コメント
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司*****E様
おはようございます^^
性善説を信じる女と話したいと思う男。
これまで自分の周りにいなかったタイプに興味津々です(笑)
道明寺司が女性に興味を抱くということは....
偶然の出会いは運命の出会いに変わるのでしょうか。
それにしても何を話すのでしょうねえ(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
性善説を信じる女と話したいと思う男。
これまで自分の周りにいなかったタイプに興味津々です(笑)
道明寺司が女性に興味を抱くということは....
偶然の出会いは運命の出会いに変わるのでしょうか。
それにしても何を話すのでしょうねえ(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2020.06.04 22:52 | 編集
