閉ざされていた扉が開き、司が失われていた記憶を取り戻したのは春を迎えた頃。
彼は1月に誕生日を迎え34歳になっていた。
記憶を取り戻した男がまず一番始めにしたのは、忘れてしまっていた女性の元を訪ねること。
だが、あれから干支はひと回り以上していて、彼女はもう自分のことなど忘れてしまったかもしれない。だがそれでも司は彼女の行方を探した。
だがいくら探しても彼女は見つからなかった。
だが男は、どうにか彼女が暮らす場所を見つけたが、そこは日本ではなかった。
それなら彼女は何処にいたのか。
そこはヨーロッパとアジアを合わせた大陸であるユーラシア大陸の中央。
司の最愛の人は中央アジアにあるカザフスタンの日本語学校で日本語の教師をしていた。
彼女が日本語教師としてその国に渡ったのは5年前。
外国語大学を卒業して就職した会社を辞め、その国の国立大学に設けられている日本語学科に任期付ネイティブ教師として赴き、日本企業に就職を目指す学生たちに実践的な日本語を教えていた。
やがて大学での任期が終わった彼女は、その国に残ることを望み、今は大学ではなく民間の日本語学校で日本語を教えていた。
道明寺ホールディングスは、その国に駐在事務所を置いている。
それはカザフスタンが石油や天然ガスといった燃料資源が豊富な資源大国であることが日本の産業に欠かせない国であるからだが、それと同時に新規ビジネスの発掘が見込める国だからだ。
司はすぐに彼女が教師として働いている日本語学校について調べさせた。
そして分かったのは、そこは経営がやっとという小さな学校であり、教師の給料は高いとは言えなかった。
それなら彼女はどうやって日々の暮らしの糧を得ているのか。
「はい。この国はロシア語とカザフ語が公用語で通じるのですが、牧野様はロシア語だけでなくカザフ語もマスターされており、どちらも話すことが出来る日本人は大変貴重です。
何しろこの街の人間の英語を話す割合は大変低いので。
ですから日本からの旅行者やビジネスでこの国を訪れる人間の通訳をして収入を得ておられます。我社も何度か通訳をお願いしたことがあります」
司は駐在員からその話を訊いたとき彼女らしいと思った。
生活能力の高い彼女は高校生の頃からアルバイトで家計を支えてきた。
それに自分のことを雑草だと言った彼女は、どんな環境でも生きていくことが出来ると言ったが、世界で第9位という広大な面積を持つ国は、冬になれば場所によってはマイナス30度以下になるが、そんな国でもたくましく生きているようだ。
だが、もし自分が彼女のことを忘れなければ、司はふたりの前にあった問題を解決し、今頃は彼女と結婚していたはずだ。
そうだ。司が彼女の事だけを忘れたがために、他の女を大切な人だと間違え、彼女を深く傷付けた。
だから己が取った行動に彼女が自分の前から去っても当然だと言えた。
そして、彼女がさよならを告げ、悲しそうに自分を見つめたあの日のことを思い出すと、こうして時間が経った今でもあの日の彼女の顏に目に浮かび心が痛んだ。
だが司は、いつまでも心を痛めているだけの男ではない。
司は中央アジアに飛ぶことを決めると、通訳として彼女を雇うように指示を出した。
ただし、彼女が通訳として同行する相手の名前は伝えるなと言った。
そんな司の手元には川に捨てたはずのネックレスがあった。
それは一度別れを決めた司が捨てたはずのネックレスだったが、今ここにこうしてあるのは彼女が川から拾い上げたから。
そして彼女を忘れ他の女を傍に置いた男にさよならを告げにきた彼女は、後ろを振り返ることなく司の前から去った。
あのとき涙に膨らんだ瞳を逸らしたことに気付かなかった。
だがよく見れば分かったはずだ。
彼女の瞳の中にあったその哀しみを。
もしあのとき彼女のことを思い出せば毎日会えた。
明日も、明後日も、その次も……。
だが、幾ら「もし」を繰り返しても過去を取り戻すことは出来ない。
だから司は前だけを向くことを決めるとタラップを上がった。

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彼は1月に誕生日を迎え34歳になっていた。
記憶を取り戻した男がまず一番始めにしたのは、忘れてしまっていた女性の元を訪ねること。
だが、あれから干支はひと回り以上していて、彼女はもう自分のことなど忘れてしまったかもしれない。だがそれでも司は彼女の行方を探した。
だがいくら探しても彼女は見つからなかった。
だが男は、どうにか彼女が暮らす場所を見つけたが、そこは日本ではなかった。
それなら彼女は何処にいたのか。
そこはヨーロッパとアジアを合わせた大陸であるユーラシア大陸の中央。
司の最愛の人は中央アジアにあるカザフスタンの日本語学校で日本語の教師をしていた。
彼女が日本語教師としてその国に渡ったのは5年前。
外国語大学を卒業して就職した会社を辞め、その国の国立大学に設けられている日本語学科に任期付ネイティブ教師として赴き、日本企業に就職を目指す学生たちに実践的な日本語を教えていた。
やがて大学での任期が終わった彼女は、その国に残ることを望み、今は大学ではなく民間の日本語学校で日本語を教えていた。
道明寺ホールディングスは、その国に駐在事務所を置いている。
それはカザフスタンが石油や天然ガスといった燃料資源が豊富な資源大国であることが日本の産業に欠かせない国であるからだが、それと同時に新規ビジネスの発掘が見込める国だからだ。
司はすぐに彼女が教師として働いている日本語学校について調べさせた。
そして分かったのは、そこは経営がやっとという小さな学校であり、教師の給料は高いとは言えなかった。
それなら彼女はどうやって日々の暮らしの糧を得ているのか。
「はい。この国はロシア語とカザフ語が公用語で通じるのですが、牧野様はロシア語だけでなくカザフ語もマスターされており、どちらも話すことが出来る日本人は大変貴重です。
何しろこの街の人間の英語を話す割合は大変低いので。
ですから日本からの旅行者やビジネスでこの国を訪れる人間の通訳をして収入を得ておられます。我社も何度か通訳をお願いしたことがあります」
司は駐在員からその話を訊いたとき彼女らしいと思った。
生活能力の高い彼女は高校生の頃からアルバイトで家計を支えてきた。
それに自分のことを雑草だと言った彼女は、どんな環境でも生きていくことが出来ると言ったが、世界で第9位という広大な面積を持つ国は、冬になれば場所によってはマイナス30度以下になるが、そんな国でもたくましく生きているようだ。
だが、もし自分が彼女のことを忘れなければ、司はふたりの前にあった問題を解決し、今頃は彼女と結婚していたはずだ。
そうだ。司が彼女の事だけを忘れたがために、他の女を大切な人だと間違え、彼女を深く傷付けた。
だから己が取った行動に彼女が自分の前から去っても当然だと言えた。
そして、彼女がさよならを告げ、悲しそうに自分を見つめたあの日のことを思い出すと、こうして時間が経った今でもあの日の彼女の顏に目に浮かび心が痛んだ。
だが司は、いつまでも心を痛めているだけの男ではない。
司は中央アジアに飛ぶことを決めると、通訳として彼女を雇うように指示を出した。
ただし、彼女が通訳として同行する相手の名前は伝えるなと言った。
そんな司の手元には川に捨てたはずのネックレスがあった。
それは一度別れを決めた司が捨てたはずのネックレスだったが、今ここにこうしてあるのは彼女が川から拾い上げたから。
そして彼女を忘れ他の女を傍に置いた男にさよならを告げにきた彼女は、後ろを振り返ることなく司の前から去った。
あのとき涙に膨らんだ瞳を逸らしたことに気付かなかった。
だがよく見れば分かったはずだ。
彼女の瞳の中にあったその哀しみを。
もしあのとき彼女のことを思い出せば毎日会えた。
明日も、明後日も、その次も……。
だが、幾ら「もし」を繰り返しても過去を取り戻すことは出来ない。
だから司は前だけを向くことを決めるとタラップを上がった。

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コメント
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司*****E様
こんにちは^^
こちらのお話は短く終わる予定ですので短編カテゴリーに入れました。
そうですねえ。16年くらい忘れていたことになりますが再会はいかに!
明後日の行事。無事行われるといいですねえ。
日々状況は変化しているので、突然の中止もあり得ないことではないですよね?
早く終息してくれることを祈るしかないのですが、自分で予防出来ることはしなければ!と思っていますが、やはり人混みは怖いですね。アカシアも気を付けたいと思います。
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
こちらのお話は短く終わる予定ですので短編カテゴリーに入れました。
そうですねえ。16年くらい忘れていたことになりますが再会はいかに!
明後日の行事。無事行われるといいですねえ。
日々状況は変化しているので、突然の中止もあり得ないことではないですよね?
早く終息してくれることを祈るしかないのですが、自分で予防出来ることはしなければ!と思っていますが、やはり人混みは怖いですね。アカシアも気を付けたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2020.02.22 22:45 | 編集

s**p様
こんにちは^^
怖いですよねえ。
自分で予防できることはしているつもりですが、それでも心配は尽きません。
こちらのお話は短いお話の予定ですが、楽しんで頂けると幸いです^^
拍手コメント有難うございました^^
こんにちは^^
怖いですよねえ。
自分で予防できることはしているつもりですが、それでも心配は尽きません。
こちらのお話は短いお話の予定ですが、楽しんで頂けると幸いです^^
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2020.02.22 22:56 | 編集
