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2019
08.03

60年目の子守歌 <後編>

時代は変わる。
世の中の仕組みも変わる。
だが変わらなかったのはタマの心。
何十年経っても夫のことは色褪せることなくタマの記憶の中に鮮明に残されていた。
そして時々する昔ばなしは、戦争とは無縁の時代に生まれた僕に伝えておきたかったことがあったからなのか。8月6日の朝。呉の街から15キロ離れた広島の街に落とされた一発の爆弾が戦争の終わりを決めたと言われていた。

僕は呉からの帰り、その街の資料館で当時の光景を見たが、あれから6年が経った。
今思えば父と母がタマと一緒に僕を送り出したのは、教科書では学ぶことが出来ないことを学ばせたかったからだ。

父によればタマは自分には戦争のことは語らなかったと言った。
それは父が荒れた少年時代を送っていたことから、戦争の話などしても訊いてはもらえないと思ったのか。だが僕には話をしてくれた。そして話の間に口ずさまれるのは、『ゴンドラの唄』。生きることについて歌っているというその歌は、野菊と同じでタマにとっては思い出の歌であることはよく分かった。

それにしても、タマは邸で働いている間に何人の道明寺の男達のために子守歌を歌ったのか。
祖父、父。そして僕。
子供のいないタマにとって道明寺の男達は息子であり孫であったはずだ。

「坊ちゃん。お年玉だよ。お父さんとお母さんには内緒だ。好きなものを買いなさい。ただし無駄遣いはダメだよ」

と言ってお正月にはお年玉をくれたタマ。
だが呉から戻って1年後の夏の日の朝。
離れに暮らすタマを訊ねると布団に横になった姿で亡くなっていた。
96歳。老衰だった。








今日はそんなタマの7回忌だった。
窓の外は夏の暮色。少し前に夕立が来て窓には雨粒が流れていた。

「あれからもう6年が経ったか。時の流れは早いモンだな。それにしてもタマは最後まで元気な婆さんだった。俺は何度婆さんの杖で尻を叩かれたことか。巧。お前も叩かれたんじゃねぇのか?」

父はそう言ったが、僕はタマの杖に叩かれたことはなかった。
ちょっと性格がキツイと思うところもあったが、とにかくタマは僕には優しい人だった。

「司。巧は司とは違ってタマさんの杖に叩かれるようなことはしない子よ?それにタマさん言ってたでしょ?巧は司のお祖父さんに似てるって。だから敬いこそすれ足蹴にするなんてとんでもないってね?」

母が口にした通り、僕が曽祖父に似ているという話は、祖母の楓にも言われたことがあった。
帝国大学を出た曽祖父は道明寺財閥の中興の祖と言われる人物。
写真の中にいるその人は背が高く日本人離れしたハンサムな男性だ。

「ああ。そうだな。タマは巧のことは、まるで自分のひ孫のように可愛がってたな」

「そうよ。タマさんにとって司が孫なら巧はひ孫よ。それは薫(かおる)も同じだけど、薫とはまた違うのよね?」

薫は4歳下の僕の妹で祖母の楓に似ていると言われていた。
だからタマは、「薫ちゃんは楓奥様にそっくりだねえ。美人になるよ、遺伝ってのは凄いねえ」とニコニコと上機嫌な笑顔で言った。

かつて僕の父は、タマにとっては孫のようだと言われた。
だからその父の息子である僕は、ひ孫ということになるが、孫とひ孫の違いは杖で叩かれるか叩かれないかの違いなのか。
だが、とにかく働き者だったと言われるタマ。
戦争で夫を亡くし、路頭に迷っていたタマを雇い入れた曽祖父のため、道明寺の家のため、再婚もせず懸命に働いてきた。
そして最後の最後まで沢山の記憶を失うこともなく、足腰も弱ることなく過ごせたことは、タマにとっては良かったはずだ。

そんなタマも今は天国でゆっくり休んでいるはずだが、最愛人と会うことが出来ただろうか。
その人に甘えることが出来ているだろうか。
産むことがなかった我が子に歌って聞かせたい子守歌があったはずだが、それがあの歌だとしたら、今頃タマは天国であの歌を子守歌として歌っているはずだ。

その時、ふいに父が口ずさんだ。

『いのち短し 恋せよ乙女 
 紅き唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の明日は 無いものを』

「タマはこの歌が好きだった。俺が子供の頃にもこの歌を子守歌として歌ってたらしいが、記憶にはない。けど巧が寝てる時にタマがこの歌を歌ってるのを訊いたことがある」

「そうね。あたしも訊いたことがあるわ。きっとタマさんは天国でもこの歌を歌っているはずよ?」

と言って父と母はタマに思いを馳せたが、あの歌が子守歌として最後に歌われたのは、僕が生まれた時だとすれば、僕の祖父が生まれた時に歌われてから60年目のこと。
タマはどんな気持ちであの歌を歌ったのか。
そしてタマは亡くなる数日前に言った。

『人生には避けられない雨があるんだよ』

それはタマにとっては戦争のことだったかもしれない。
そして父と母にとっては別れを決めた日のこと。
それなら僕にとっての避けられない雨とは?
幸か不幸か僕はまだその雨を経験したことがない。

「そう言えば巧。お前タマから貰ったものがあるそうだな?それもお前が17歳になったら渡してくれの遺言付きだったらしいな」

「え?ああ。うん。手紙だけどね」

先日17歳になった僕に弁護士から届けられたのはタマからの手紙。
書かれていたのは、あの歌の4番の歌詞。

『いのち短し 恋せよ乙女
 黒髪の色 あせぬ間に
 心のほのお 消えぬ間に
 今日はふたたび 来ぬものを』

『いいかい?巧坊ちゃん。坊ちゃんがこの手紙を受け取ったということは17歳だ。
つまり坊ちゃんのお父さんとお母さんが恋におちたのと同じ年だ。
あの二人の間には色々とあって一緒になるまで時間がかかった。
まあ一番の問題はつくしの意地っ張りなところが問題だったと言えばそうなんだけどね。
だから坊ちゃん。
恋をしたら素直におなり。迷うんじゃないよ。明日があるかどうか分からないと同じで今日という日は二度と来ない。だから今日という日を後悔することがないように生きとくれ。
坊ちゃんはお父さんの司坊ちゃんと違って真面目な人間だけど、少しくらいは羽目を外してもいいんだからね?好きな人が出来たらちゃんと気持ちを伝えて、自分のことを理解してもらう努力をするんだよ?

あたしは坊っちゃんが生まれたとき思った。
ああ。これで道明寺家の繁栄は続くんだって。あたしはその一端を見ることが出来て、携わることが出来て嬉しかったよ。巧坊ちゃんに子守歌を歌ってあげることが出来て本当に嬉しかったんだよ。それにしてもまさか夫に先立たれて60年目に子守歌を歌うことが出来るとは思わなかったよ。あたしも長生きしたもんだよ、本当にねえ。
でもさすがにもうこれ以上長生きするのは無理だろうねえ。だから坊っちゃんの子供に子守歌を歌ってやることは出来ないが、坊っちゃんが好きな人と結婚して可愛い子供が生まれるところをあの世で見守ってるからね。
それから、坊っちゃんと呉の街を訪ねたことであの人に会えたような気がするんだよ。だからそろそろお迎えが来るんじゃないかって気がしてこの手紙を書いておこうと思ったんだよ』

手紙には90歳を過ぎたタマに迎えが来ると思わせる何かがあったと書いてあったが、僕に言わせれば呉から戻ったタマはどこか若返ったような気がした。

『それから坊ちゃん。最後まであたしのことを家族のように慕ってくれて嬉しかったよ。
あたしの場所はここだって言ってくれた司坊ちゃんやつくしの言葉も嬉しかったけど、やっぱりあたしには巧坊ちゃんの言葉が一番嬉しかったよ。ひ孫のような坊ちゃんと一緒に過ごすことが出来て本当に嬉しかった。ありがとう、巧坊ちゃん』

僕はタマからの手紙を読みながら思った。
家族の歴史を一番知っていたのはタマだったのかもしれないと。
いや。実際そうだったはずだ。なにしろ祖父。父。そして僕の成長を見守ったのだから。
それに道明寺では「代」という言葉が使われることがあるが、曽祖父の代。祖父の代、父の代。そしていずれ訪れる僕の代。タマはその全てに係わって来たのだから、タマが道明寺家の歴史の生き証人だったはずだ。


「巧。タマからの手紙にはなんて書いてあったんだ?」

「うん。恋をしたら素直になって迷うなって」

「そうか。そんなことが書いてあったか」

と言って笑った父は、隣にいる母の顏を見た。

「タマはお前のことを書いたんだな?ウジウジと悩んでいたお前の心を一番理解してたのはタマだったんだろ?」

そう問われた母は、「そうね。あたしが迷っていた時、背中を押してくれたのはタマさんだった」と言った。

僕は暮れた窓の外に視線を向けた。
すると、そこに二つの小さな光が点って動いているのが見えた。
邸には小川が流れる日本庭園があるが、夏になるとホタルが舞う姿を見ることが出来る。
だがホタルには少し季節が進んでいた。
だが、あれはホタルだ。まるで自分たちの姿を僕に見せつけるように窓の傍まで来ると、近くに植えられている木の葉の上に止まって光りを放った。

僕はホタルが点す光に、ふとタマの魂が重なって見えた。
今日はタマの7回忌。きっと魂がホタルに姿を変え戻って来たのだ。
そしてもうひとつの光はタマの夫の魂。
だから僕は胸の中で合掌したが、暫くすると二つの光は夏の闇の中に消えた。

「巧、どうしたの?」

「え?うん_」

と言いかけた僕は母に、「ううん。何でもない」と答えると、「僕たちは戦争のない時代に生まれて幸せだよね?」と言って窓の傍を離れたが、しわくちゃになった顏で笑うタマの姿がそこに見えたような気がした。




< 完 > *60年目の子守歌*
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コメント
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dot 2019.08.03 08:07 | 編集
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dot 2019.08.03 08:20 | 編集
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dot 2019.08.03 11:18 | 編集
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dot 2019.08.03 12:32 | 編集
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dot 2019.08.03 16:57 | 編集
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dot 2019.08.03 18:35 | 編集
ふ*******マ様
おはようございます^^
8月15日の朝は哀しいくらい良い天気だった。
戦争の記憶を持つ方が少なくなってきましたが、伝えていかなければならないことだと思います。
そして決して昔に戻ることがないようにと願いたいと思っています。
はい。タイトルの60年の意味は、タマさんが三代に渡って歌った子守歌の時間でした。
道明寺家にとってはいなくてはならない人。
そんなタマさんが仕えてきた道明寺家はこれからも続いて行きますが、空の上から家族の幸せを願っているはずです。
それにしても暑いですねえ。ふ*******マ様もお身体ご自愛下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 21:39 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
道明寺家に仕えてきたタマさん。
タマさんの時代はお見合い結婚が多かったと思いますが、タマさんはどうだったんでしょうね?
8月になると戦争に関連する報道が多くなりますが、あの時代を忘れないためにも必要なことだと思います。
そしてタマさんは今頃旦那さんと会っていると思いますが、どんな話をしているんでしょうねえ。
きっと空の上から巧くんのこともですが、道明寺ファミリーを見守っていることでしょう。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 21:46 | 編集
ま**ん様
タマさんは最後の最後まで道明寺家に尽くした人だったと思います。
そんなタマさんに沢山の思いを書いて下さったら大幅に文字数オーバーでしたか?(笑)
わー、ありがとうございます。読めないことが残念ですが、お気持ちはしっかりと受取りました!ありがとうございます。
大和撫子タマさん。今は天国で旦那様と過ごしていることと思いますが、巧坊ちゃんのこれからの恋については、空の上から見守ってくれることでしょう。
タマさんから見た巧坊ちゃんは、つくしに似て奥手な所があるのかもしれませんね?
沢山の思いをありがとうございます。
そしてコメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 21:51 | 編集
イ**マ様
日々の小さな世界。その世界を大切に生きることをしたい。
分かります!世の中は日々色々なことがありますが、自分の周りの世界は平和であって欲しいですよね?
欲を出せばきりがないのですが、健康であれば何でも出来る!そう思うことがアカシアの基本です^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 21:53 | 編集
ふ**ん様
「ゴンドラの唄」を歌う司。
幼い頃、訊いたであろうタマの子守歌を何気に口にした男もタマには感謝しているはずです。
そうですねえ。歌を訊くだけで、記憶がその時代に戻ることが出来ます。
そして多感と言われる若い頃に耳にした歌というのは、心に残っているものが多いですねぇ。
戦争で夫や家族を亡くしたタマにとって道明寺の男達は息子であり孫だったことは間違いないでしょう。
ホタルになって会いに来たタマ。17歳になった巧の姿に成長を感じたはずです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 22:00 | 編集
切*椒様
こんにちは^^
4周年のお祝いありがとうございます。
はい。こちらのお話の主役はタマさん。道明寺家を支えたメイド頭は大往生でこの世を去りましたが、空の上から道明寺家の人々を見守っているようです。
そしてホタルになって戻ってきたタマさん。巧にだけそっと姿を見せたのでしょうねえ。

あちらの坊ちゃんのお話にドキドキ(;^ω^)
そしてクワガタ航くんの無邪気さを楽しんでいただきありがとうございます!
あちらとこちらと、どちらも楽しんでいただければと思いますが、あちらの坊ちゃん黒いですからねえ。
それにしても失った記憶を取り戻した時、彼どうなるんでしょう。
暑い日が続きますが切*椒様もご自愛下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 22:07 | 編集
s**p様
こんにちは!夏風邪大丈夫ですか?
お大事になさって下さいね。
そしてお祝いありがとうございますm(__)m
黒い司も楽しんでいただけているとのことですが、あちらの男。本当に真っ黒です(;^ω^)
記憶を取り戻した時どうなるのでしょう!それを心配しているアカシアです。
それにしても暑いですねえ。暑くて干からびそうです(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.08.05 22:21 | 編集
このコメントは管理者の承認待ちです
dot 2019.10.25 06:04 | 編集
み***ん様
はじめまして。こんにちは^^
こちらのお話はタマさんに焦点を当てたものですが、旦那さんを早くに亡くされたタマさんの一生は道明寺家と共にありました。
自分の子供や孫を持つことのなかったタマさんですが、道明寺家が彼女にとっての家族でした。
み***ん様も色々なご経験をされて来たことと思いますが、これからは笑顔で過ごせる日が沢山ありますように。
季節の変わり目ですのでご自愛なさってくださいませ。
こちらのお話を楽しんでいたたき、ありがとうございました^^
アカシアdot 2019.10.26 22:31 | 編集
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