唐突に語り始められた男性の話はこうだった。
男性の家は都内に広大な土地を持ち、先祖から受け継いだ事業と莫大な資産があった。
彼はその家の唯一の跡取りで幼い頃から厳しく育てられたと言う。
そんな男性の周りにいたのは、媚びへつらう人間ばかりで誰も本心を見せることはなかった。本気で彼の心に触れようとする人間はいなかった。
男性は荒れた青春時代を送り、人は彼を人間凶器と呼んだ。
当時の男性は満たされない何かを抱えていたが、その時は分からなかったと言った。
そんな男性の前にひとりの女性が現れた。
当時17歳の少年だった男性の前に現れたのは、ひとつ年下の16歳の少女。
その少女は男性を恐れも怖がりもしなかった。それどころか立ち向かってきた。
やがて男性はその少女に恋をし、二人は恋におちた。
そして男性は少女と出会ったことで自分が満たされなかったものが何であるかを知った。
「私は家を捨ててもいいと言った。彼女と一緒にいれるなら全てを捨てると言った」と男性は言った。そして少し間を置き言葉を継いだ。
「だから彼女は姿を消した。私が自分の立場を捨て、家を捨てるなど言ったから彼女は私の前から姿を消した。それは私が資産を失うからじゃない。貧しいことが嫌だからじゃない。
私の将来と会社のために彼女は自ら身を引いたんだよ。何しろ私の会社には大勢の従業員がいる。従業員が大勢いるということは家族も大勢いる。私が全てを捨てるということは彼らに対する責任を放棄するということになる。それに会社というのは大きくなればなるほど経営者のものではなくなる。社会に対する義務というものが発生する。私が家を捨てるということは、それらすべてを捨てるということになる。あの当時私の周りはそれを許さなかった。だから駆け落ちしようとした。そして私たちはそうするつもりでいた。だが彼女は姿を消したんだよ。継ぐべきして生まれてきた男に会社を継がせるためにね」
「捜したんですよね?」
僕がそう訊くと海を見つめていた男性は頷いた。
「ああ捜した。それこそ持てる力の全てを利用して捜した。だがどこをどう捜しても彼女は見つからなかった。だがやっと足取りを掴んだ。それがここだ。魚津だ。この町に彼女はいたんだよ。だが結局見つけることは出来なかった。それこそ蜃気楼のように消えてしまった」
男性の視線の先に見えるのは海だが、その先に見ているのは海ではない。
それは見つけることが出来なかったという女性の姿だ。
そして僕は消えてしまった女性というのはどんな女性だろうと想像し、今の自分には恋人と呼べる女性はいないことから、男性の苦悩がどれほどのものか量ることは難しかったが、自分が同じ立場に置かれた時、どうするだろうかという思いが頭を過った。
「彼女を失ってからの私は形をなぞるだけの毎日で生きる目的を失ってしまった。それからの私は見事に会社の奴隷と化して仕事をした。日本に居る事はほとんどなく、海外暮らしが日常となった。だが時にこの国に戻ってくることがあれば、時間を作りこの場所に出向くようにした」
僕は男性の横顔をじっと見つめていたが、彼と同じように海に視線を向けた。
そして、ただ静かな青い海の向こうを見つめた。
「女は薄情な生き物で別れたら別の男に鞍替えするのが当たり前のようなものだと言われている。だが彼女は違う。たとえ私の前からいなくなったとしても、他の男の傍にいるとは考えられなかった。きっとひとりで生きている。何しろ自分でも逞しい女だと言っていたくらいだからね。それに私の心に彼女以外別の女が宿ることはなかった。生気溢れる澄んだ声。その声を今でもはっきりと思い出すことが出来る。そして彼女の姿もね。
だが私は守りたい人がいたのに守ることは出来なかった。私がここへ来たのは時をこえた今でも彼女のために出来ることがあるんじゃないか。そう思うからだ。あの時と同じ風を感じることは二度となくても、それでもこの場所に来ることが私にとって意味があるんだ」
そこまで言った男性は海を見つめながら言葉を継いだ。
「いいかね。予見できないのが未来だ。人生は何が起こるか分からない。だから今を大切に生きろ。好きな女が出来たらその人の傍を離れるな。自分を幸福にしてくれる女を見つけたら何があっても手放すな。好きな女を何かと秤にかけることをするな。人生は一度しかない。生きていく上で本当に大切なものが何であるかを見極める力を持て」
それらの言葉は静かに語られたが強さが感じられた。
それは絶え間なく流れる時に逆らえと言っているように思えた。そして何かを伝えようとしていると感じた。
「…..あの。どうして僕にそんな話をするんですか?」
「それは君が私のことを知らないからだ。そうだろ?」
「はい。僕はあなたを知りません。それともあなたは僕が知っていてもおかしくないほど有名人なんですか?もしそうだとすればすみません。僕はあまりテレビを見ません。それに映画も見ることがありません。だからあなたが有名な方だとしても僕は分からないんです」
僕はテレビを見ることは殆どない。
だから彼が有名な俳優であったとしても分からない。それを正直に言った。
「そうか。いいんだ。気にしないでくれ。私が誰であろうと気にしないでくれ。それに君にとって私の存在がどうでもいい。無意味であるほど話しやすいんだ」
その言葉に僕は思った。
やはりこの男性は僕が知らないだけで名の知れた人物なのだろうか。
だが男性は僕が彼のことを知らないことが望ましいと言った。だから僕はそれ以上その人について訊かなかった。そして男性もそれ以上自分のことを語ることはなかった。
「わぁ~!見て!蜃気楼よ!蜃気楼!凄い!まさか見れるとは思わなかったけどラッキー!」
その時、近くにいた女性から上がった声に僕はそちらに視線を向けた。
そこに見えた景色は霞んだ街の風景。
揺らめくそれは富山の市街地が反転しているのだと声が聞こえた。
そしてその時隣にいた男性は、「すまない。つまらない話を訊かせてしまったが、訊いてもらえてよかったよ。それにここに来てよかった。この景色を見ることは出来ないと思っていたからね。嬉しいよ。最後に見ることが出来て」と言った。

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男性の家は都内に広大な土地を持ち、先祖から受け継いだ事業と莫大な資産があった。
彼はその家の唯一の跡取りで幼い頃から厳しく育てられたと言う。
そんな男性の周りにいたのは、媚びへつらう人間ばかりで誰も本心を見せることはなかった。本気で彼の心に触れようとする人間はいなかった。
男性は荒れた青春時代を送り、人は彼を人間凶器と呼んだ。
当時の男性は満たされない何かを抱えていたが、その時は分からなかったと言った。
そんな男性の前にひとりの女性が現れた。
当時17歳の少年だった男性の前に現れたのは、ひとつ年下の16歳の少女。
その少女は男性を恐れも怖がりもしなかった。それどころか立ち向かってきた。
やがて男性はその少女に恋をし、二人は恋におちた。
そして男性は少女と出会ったことで自分が満たされなかったものが何であるかを知った。
「私は家を捨ててもいいと言った。彼女と一緒にいれるなら全てを捨てると言った」と男性は言った。そして少し間を置き言葉を継いだ。
「だから彼女は姿を消した。私が自分の立場を捨て、家を捨てるなど言ったから彼女は私の前から姿を消した。それは私が資産を失うからじゃない。貧しいことが嫌だからじゃない。
私の将来と会社のために彼女は自ら身を引いたんだよ。何しろ私の会社には大勢の従業員がいる。従業員が大勢いるということは家族も大勢いる。私が全てを捨てるということは彼らに対する責任を放棄するということになる。それに会社というのは大きくなればなるほど経営者のものではなくなる。社会に対する義務というものが発生する。私が家を捨てるということは、それらすべてを捨てるということになる。あの当時私の周りはそれを許さなかった。だから駆け落ちしようとした。そして私たちはそうするつもりでいた。だが彼女は姿を消したんだよ。継ぐべきして生まれてきた男に会社を継がせるためにね」
「捜したんですよね?」
僕がそう訊くと海を見つめていた男性は頷いた。
「ああ捜した。それこそ持てる力の全てを利用して捜した。だがどこをどう捜しても彼女は見つからなかった。だがやっと足取りを掴んだ。それがここだ。魚津だ。この町に彼女はいたんだよ。だが結局見つけることは出来なかった。それこそ蜃気楼のように消えてしまった」
男性の視線の先に見えるのは海だが、その先に見ているのは海ではない。
それは見つけることが出来なかったという女性の姿だ。
そして僕は消えてしまった女性というのはどんな女性だろうと想像し、今の自分には恋人と呼べる女性はいないことから、男性の苦悩がどれほどのものか量ることは難しかったが、自分が同じ立場に置かれた時、どうするだろうかという思いが頭を過った。
「彼女を失ってからの私は形をなぞるだけの毎日で生きる目的を失ってしまった。それからの私は見事に会社の奴隷と化して仕事をした。日本に居る事はほとんどなく、海外暮らしが日常となった。だが時にこの国に戻ってくることがあれば、時間を作りこの場所に出向くようにした」
僕は男性の横顔をじっと見つめていたが、彼と同じように海に視線を向けた。
そして、ただ静かな青い海の向こうを見つめた。
「女は薄情な生き物で別れたら別の男に鞍替えするのが当たり前のようなものだと言われている。だが彼女は違う。たとえ私の前からいなくなったとしても、他の男の傍にいるとは考えられなかった。きっとひとりで生きている。何しろ自分でも逞しい女だと言っていたくらいだからね。それに私の心に彼女以外別の女が宿ることはなかった。生気溢れる澄んだ声。その声を今でもはっきりと思い出すことが出来る。そして彼女の姿もね。
だが私は守りたい人がいたのに守ることは出来なかった。私がここへ来たのは時をこえた今でも彼女のために出来ることがあるんじゃないか。そう思うからだ。あの時と同じ風を感じることは二度となくても、それでもこの場所に来ることが私にとって意味があるんだ」
そこまで言った男性は海を見つめながら言葉を継いだ。
「いいかね。予見できないのが未来だ。人生は何が起こるか分からない。だから今を大切に生きろ。好きな女が出来たらその人の傍を離れるな。自分を幸福にしてくれる女を見つけたら何があっても手放すな。好きな女を何かと秤にかけることをするな。人生は一度しかない。生きていく上で本当に大切なものが何であるかを見極める力を持て」
それらの言葉は静かに語られたが強さが感じられた。
それは絶え間なく流れる時に逆らえと言っているように思えた。そして何かを伝えようとしていると感じた。
「…..あの。どうして僕にそんな話をするんですか?」
「それは君が私のことを知らないからだ。そうだろ?」
「はい。僕はあなたを知りません。それともあなたは僕が知っていてもおかしくないほど有名人なんですか?もしそうだとすればすみません。僕はあまりテレビを見ません。それに映画も見ることがありません。だからあなたが有名な方だとしても僕は分からないんです」
僕はテレビを見ることは殆どない。
だから彼が有名な俳優であったとしても分からない。それを正直に言った。
「そうか。いいんだ。気にしないでくれ。私が誰であろうと気にしないでくれ。それに君にとって私の存在がどうでもいい。無意味であるほど話しやすいんだ」
その言葉に僕は思った。
やはりこの男性は僕が知らないだけで名の知れた人物なのだろうか。
だが男性は僕が彼のことを知らないことが望ましいと言った。だから僕はそれ以上その人について訊かなかった。そして男性もそれ以上自分のことを語ることはなかった。
「わぁ~!見て!蜃気楼よ!蜃気楼!凄い!まさか見れるとは思わなかったけどラッキー!」
その時、近くにいた女性から上がった声に僕はそちらに視線を向けた。
そこに見えた景色は霞んだ街の風景。
揺らめくそれは富山の市街地が反転しているのだと声が聞こえた。
そしてその時隣にいた男性は、「すまない。つまらない話を訊かせてしまったが、訊いてもらえてよかったよ。それにここに来てよかった。この景色を見ることは出来ないと思っていたからね。嬉しいよ。最後に見ることが出来て」と言った。

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コメント
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司*****E様
見知らぬ他人になら話せることがある。
二度と会うことのない人にだから、素直に話せることもあると思います。
そしてこれから何かが起こるのでしょうかねぇ(笑)
コメント有難うございました。
見知らぬ他人になら話せることがある。
二度と会うことのない人にだから、素直に話せることもあると思います。
そしてこれから何かが起こるのでしょうかねぇ(笑)
コメント有難うございました。
アカシア
2019.04.29 23:42 | 編集
