司は牧野つくしからの電話を待っていた。
だがそれは司宛ではなく彼が名乗った杉村宛の電話であり、牧野つくしはその男が司だとは思いもしないはずだ。
司は部下のミスに頭を悩ます男ではない。
だが今は自分自身がミスをしたような気持でいた。
今まで人生に於いて女の知性や抱く夢や興味といったものに関心はなかった。
何しろ司が女と付き合ったのは相手のことを知りたいからではなく、ただ性的なものを満足させるためだけだったのだから。
けれど今は違う。
牧野つくしのことをもっと知りたかった。
若い頃、誰の世話にもなりたくないと暴力に明け暮れた頃があった。傷の手当など必要ないと突っぱねた事があった。道明寺の跡取りとして、ただ時の流れに身を委ねていた頃があった。
そして社会に出て近づいてくるのは将来道明寺の名を名乗りたいという女ばかりで、そんな女に対してどんな愛情も感じることはなかった。それに司自身も愛という感情など自分には関係ないと思っていた。
だがもしかするとあれが愛ではないかと思ったことがあった。
それは遠い昔。まだ司が幼かった頃。猛禽類に襲われたのか。灰色の毛の一部が無残にむしられ傷ついた野鳩が邸の庭の片隅にうずくまっているのを見つけた。
あの頃両親は既にアメリカ暮らしで邸には姉と司の世話をする使用人の老婆がいたが、その老婆は司が物心ついた時からずっと傍にいて、他の使用人が休暇を取ることがあったとしても老婆だけは違いいつも邸の中にいた。だが何故老婆がこの邸にいるのか。それは彼の祖父と言われた男が老婆に与えた住まいがこの邸の中にあったからだ。
司はいずれ道明寺の当主となる人間で、幼い頃からそれを言われ続け厳しく育てられたが、老婆はそんな司に対し優しく、祖母という存在がいない司にしてみれば、老婆が祖母のような存在で姉が母親のようなものだった。
「可哀想に。この鳩は空を飛んでいる時ほかの鳥に上から襲われたのでしょう。でも傷の手当をしてあげれば良くなりますよ」
そう言った老婆は鳩を布で包むと、邸の離れとも言える自分の部屋へと連れて行き介抱した。
初めは人の手から餌を貰うことを躊躇っていた鳩。
しかし、やがて老婆が与える餌を食べるようになり司にも懐いた。だがある日、老婆の部屋の鳥かごの中に鳩がいないことに気付いた。
「タマ!鳩は?鳩がいないよ!」
「鳩ですか?」
「そうだよ。鳥かごの中が空っぽだよ!鳩どこに行ったの?」
「怪我をしたあの鳩ですか?」
「そうだよ!あの鳩だよ!」
「逃げました」
と、タマが言ったとき司はその言葉に泣いた。
何が悲しいといって鳩がいなくなったことが悲しかった。鳥に関わらず動物を飼ったことがなかった司にとって、つぶらな赤い目をした鳩は彼が差し出す餌を食べ彼に慣れ始めていた。そんな鳩は司にとってペットのような存在だった。だから突然いなくなったことが悲しかった。
「坊ちゃんいいですか?傷が良くなって飛べるようになれば鳥は飛ぶのが当たり前です。だから鳩は飛んで行きました。野性の鳥は野性にいるのが幸せなんですよ。だからもし坊ちゃんがあの鳩を飼おうと思っていても飼う事は出来ないんですよ」
司の望みはいつも当たり前のように叶えられてきた。
そして、それまでの老婆は幼い司の望みを叶えていてくれた。けれど、その時の老婆は涙を流す司に、慈しみのある顏を向け言った。
「坊ちゃん。鳩の気持ちになって考えて下さい。鳩には鳩の世界があります。空を飛ぶ生き物には広い場所が必要です。それに鳩は空を飛んでいる方が幸せなんです。もしまた傷付いたとしても鳩はその方がいいんです。生きる道はそれぞれ違うんですから」
しゃくり上げる司に対し生きる道はそれぞれ違うと言った老婆。
そして零れる涙を指で掬ってくれた。
「それに大丈夫ですよ。傷はいつか癒えます。あの鳩の傷も大丈夫ですよ」
傷はいつか癒える。
だが、心の傷が癒えない女がいる。
しかし、傷跡が偏見を持って見られると思っているなら、それは大きな間違いだ。
司にも傷跡がある。それは若かりし頃の暴力が作った傷跡で自慢できるものではない。そしてその傷跡は消えることはない。
だがもしも自分の顔に大きな傷跡があったとすれば女たちはどうしただろうか。
きっと恐ろしいと近づいてくることはなかったはずだ。
だが所詮人の外見など骸骨の上に張られた皮であり、生きる上では取るに足らないこと。
それでも人はそれを気にする。そして牧野つくしが当時付き合っていた男に言われたという言葉が何であったとしても、男の言葉と態度に傷付き男と付き合うことをしなくなった。
外見で人を判断する。付き合っている女が怪我をしたことを哀れと思う。
三条桜子はそんな男をろくでなしだと言ったが、司に言わせればそんな男はつまらない男だ。クソくらえだ。
司は今まで女を好きになったことはなかったが今は違う。
彼女が、牧野つくしがあの時の傷ついた鳩ではないにしても、司がふくらはぎの傷を見た時の牧野つくしは、あの日、邸の庭の片隅にうずくまっていた鳩と同じで怯えていた。
『あなたは女性にとって男性には見られたくないものを見られた女性に対してどう言葉をかけるおつもりですか?』と、三条桜子に言われたが、かける言葉は決まっていて、いつかその言葉をかけるつもりだ。
そしてそろそろ牧野つくしから長谷川という名前で電話がかかって来る。そんな思いでいたが、いずれかの段階で杉村と司が同一人物であることを告げるべきか。それとも言わないままでいくのか。それにしても初めの頃こそ意識して声を変えていたが、前回の電話では意識して変えなかったが、分からないものなのか。
そしてそんなことを考えているとき、かかって来た電話は5回コール音を鳴らしてから出た。

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だがそれは司宛ではなく彼が名乗った杉村宛の電話であり、牧野つくしはその男が司だとは思いもしないはずだ。
司は部下のミスに頭を悩ます男ではない。
だが今は自分自身がミスをしたような気持でいた。
今まで人生に於いて女の知性や抱く夢や興味といったものに関心はなかった。
何しろ司が女と付き合ったのは相手のことを知りたいからではなく、ただ性的なものを満足させるためだけだったのだから。
けれど今は違う。
牧野つくしのことをもっと知りたかった。
若い頃、誰の世話にもなりたくないと暴力に明け暮れた頃があった。傷の手当など必要ないと突っぱねた事があった。道明寺の跡取りとして、ただ時の流れに身を委ねていた頃があった。
そして社会に出て近づいてくるのは将来道明寺の名を名乗りたいという女ばかりで、そんな女に対してどんな愛情も感じることはなかった。それに司自身も愛という感情など自分には関係ないと思っていた。
だがもしかするとあれが愛ではないかと思ったことがあった。
それは遠い昔。まだ司が幼かった頃。猛禽類に襲われたのか。灰色の毛の一部が無残にむしられ傷ついた野鳩が邸の庭の片隅にうずくまっているのを見つけた。
あの頃両親は既にアメリカ暮らしで邸には姉と司の世話をする使用人の老婆がいたが、その老婆は司が物心ついた時からずっと傍にいて、他の使用人が休暇を取ることがあったとしても老婆だけは違いいつも邸の中にいた。だが何故老婆がこの邸にいるのか。それは彼の祖父と言われた男が老婆に与えた住まいがこの邸の中にあったからだ。
司はいずれ道明寺の当主となる人間で、幼い頃からそれを言われ続け厳しく育てられたが、老婆はそんな司に対し優しく、祖母という存在がいない司にしてみれば、老婆が祖母のような存在で姉が母親のようなものだった。
「可哀想に。この鳩は空を飛んでいる時ほかの鳥に上から襲われたのでしょう。でも傷の手当をしてあげれば良くなりますよ」
そう言った老婆は鳩を布で包むと、邸の離れとも言える自分の部屋へと連れて行き介抱した。
初めは人の手から餌を貰うことを躊躇っていた鳩。
しかし、やがて老婆が与える餌を食べるようになり司にも懐いた。だがある日、老婆の部屋の鳥かごの中に鳩がいないことに気付いた。
「タマ!鳩は?鳩がいないよ!」
「鳩ですか?」
「そうだよ。鳥かごの中が空っぽだよ!鳩どこに行ったの?」
「怪我をしたあの鳩ですか?」
「そうだよ!あの鳩だよ!」
「逃げました」
と、タマが言ったとき司はその言葉に泣いた。
何が悲しいといって鳩がいなくなったことが悲しかった。鳥に関わらず動物を飼ったことがなかった司にとって、つぶらな赤い目をした鳩は彼が差し出す餌を食べ彼に慣れ始めていた。そんな鳩は司にとってペットのような存在だった。だから突然いなくなったことが悲しかった。
「坊ちゃんいいですか?傷が良くなって飛べるようになれば鳥は飛ぶのが当たり前です。だから鳩は飛んで行きました。野性の鳥は野性にいるのが幸せなんですよ。だからもし坊ちゃんがあの鳩を飼おうと思っていても飼う事は出来ないんですよ」
司の望みはいつも当たり前のように叶えられてきた。
そして、それまでの老婆は幼い司の望みを叶えていてくれた。けれど、その時の老婆は涙を流す司に、慈しみのある顏を向け言った。
「坊ちゃん。鳩の気持ちになって考えて下さい。鳩には鳩の世界があります。空を飛ぶ生き物には広い場所が必要です。それに鳩は空を飛んでいる方が幸せなんです。もしまた傷付いたとしても鳩はその方がいいんです。生きる道はそれぞれ違うんですから」
しゃくり上げる司に対し生きる道はそれぞれ違うと言った老婆。
そして零れる涙を指で掬ってくれた。
「それに大丈夫ですよ。傷はいつか癒えます。あの鳩の傷も大丈夫ですよ」
傷はいつか癒える。
だが、心の傷が癒えない女がいる。
しかし、傷跡が偏見を持って見られると思っているなら、それは大きな間違いだ。
司にも傷跡がある。それは若かりし頃の暴力が作った傷跡で自慢できるものではない。そしてその傷跡は消えることはない。
だがもしも自分の顔に大きな傷跡があったとすれば女たちはどうしただろうか。
きっと恐ろしいと近づいてくることはなかったはずだ。
だが所詮人の外見など骸骨の上に張られた皮であり、生きる上では取るに足らないこと。
それでも人はそれを気にする。そして牧野つくしが当時付き合っていた男に言われたという言葉が何であったとしても、男の言葉と態度に傷付き男と付き合うことをしなくなった。
外見で人を判断する。付き合っている女が怪我をしたことを哀れと思う。
三条桜子はそんな男をろくでなしだと言ったが、司に言わせればそんな男はつまらない男だ。クソくらえだ。
司は今まで女を好きになったことはなかったが今は違う。
彼女が、牧野つくしがあの時の傷ついた鳩ではないにしても、司がふくらはぎの傷を見た時の牧野つくしは、あの日、邸の庭の片隅にうずくまっていた鳩と同じで怯えていた。
『あなたは女性にとって男性には見られたくないものを見られた女性に対してどう言葉をかけるおつもりですか?』と、三条桜子に言われたが、かける言葉は決まっていて、いつかその言葉をかけるつもりだ。
そしてそろそろ牧野つくしから長谷川という名前で電話がかかって来る。そんな思いでいたが、いずれかの段階で杉村と司が同一人物であることを告げるべきか。それとも言わないままでいくのか。それにしても初めの頃こそ意識して声を変えていたが、前回の電話では意識して変えなかったが、分からないものなのか。
そしてそんなことを考えているとき、かかって来た電話は5回コール音を鳴らしてから出た。

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コメント
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司*****E様
おはようございます^^
そうなんです。司は傷付いたつくしにかける言葉を決めているようです。
でもその前に自分が杉村であることを告げるのか、告げないのかを考えているようですが、どうするのでしょうね?
深海に棲むシーラカンスのような女は傷を負った鳩でした。司は鳩の介抱は得意?(笑)
タマさん役の佐々木さん。
90歳で現役の女優だった。生涯女優。凄いですよね。
沢山のドラマで拝見して来ましたが、とても存在感のある女優さんでした。
そしてタマさんと言えば、あのお屋敷で唯一坊ちゃんを窘めることが出来る人間ですが、佐々木さんは素敵なタマさんを演じて下さいました。ありがとうございました。
おはようございます^^
そうなんです。司は傷付いたつくしにかける言葉を決めているようです。
でもその前に自分が杉村であることを告げるのか、告げないのかを考えているようですが、どうするのでしょうね?
深海に棲むシーラカンスのような女は傷を負った鳩でした。司は鳩の介抱は得意?(笑)
タマさん役の佐々木さん。
90歳で現役の女優だった。生涯女優。凄いですよね。
沢山のドラマで拝見して来ましたが、とても存在感のある女優さんでした。
そしてタマさんと言えば、あのお屋敷で唯一坊ちゃんを窘めることが出来る人間ですが、佐々木さんは素敵なタマさんを演じて下さいました。ありがとうございました。
アカシア
2019.02.20 22:40 | 編集
