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2019
02.17

銀色の雪 <後編>

与えられた時間は30分。
だがそれでもわざわざ日本からニューヨークまで取材に来たのは、彼だけのためではないと分かっていた。

経済的に誰かに頼ることはしない。精神的にも依存しない。付き合うなら対等じゃなきゃダメと高校生の頃から言っていた女は、自分の仕事に誇りを持ち海外出張も日常的なものとなっている。だから与えられた時間を有効に使うことを知っていて、司に向けられる質問も回りくどい言い方は一切なかった。

『結婚に対する考えを訊かせて欲しい』

かつて結婚を約束していた女の口から訊かされるその言葉は、あなたにとって幸福とはなんですか?そう言われているのと同じだと感じられた。
それならと自分の気持ちを正直に告げようとしたが彼女は司の言葉を遮った。
しかしそれはインタビュアーとしては、してはいけないこと。
聞き手はあくまでも相手の喋ることを聞くことが仕事だが、今回の司に対しての取材申し込みも彼を評価するのではなく、彼の情報を得ることが目的のはず。
だが彼女は相手の言葉を遮った。つまり裏を返せばそうしてまで自分の意見を言いに来たということ。二人の交際を俺自身の問題だと言い、電話だけで別れてしまったことを気にしないでと言った女は、それからは覚悟を決めたとばかりに生きて来た。だからこうしてニューヨークまで足を運んで司に会おうことを決めたのは、あの時彼女を寄せ付けようとしなかった男に文句を言いに来たということだ。それに7年半頑張り続けた自分を見せたいという思いもあったはずだ。

司の心は軋んだ。
今目の前で背筋をピンと伸ばし座る女は、きっと記憶を淘汰することなく生きて来たはずだ。だから司が牧野つくしからの取材なら受けると言っていると訊いたとき迷うことはなかったはずだ。

だが記憶を淘汰することがなかったのは司も同じだ。
そしてやり直したいという気持ちはずっと心の中にあった。
だから司は彼女がテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばしたとき、同じようにカップに手を伸ばし、いくらか身体を彼女に近づけ「訊かせて欲しい」と言った。

司がテーブル越しに見るのは牧野つくしの黒い瞳。
そして彼女が見たのは司の黒い瞳。だがその視線はスッと外れネクタイの結び目あたりに落とされた。

「何を訊かせて欲しいの?…..ねえ道明寺。私たちは別れて7年半が経ったの。私もあなたも今はそれぞれの分野で頑張っているわ。それ以上相手の事を知ってどうするの?」

静かに言われたその言葉は、今日こうして会ったのは仕事だからであり他意はないと言いたいのか。それでも司はこのチャンスを逃す訳にはいかなかった。

「牧野。俺はお前とやり直したい。あの時は自分を見失ってた。いや。これは言い訳か。だが取り返しのつかないことをしたと後悔した。それにあの後あきらからお前が大学を1週間休んだと訊かされた。三条がお前のアパートを訪ねたが応答がない。だが携帯に電話をしてみれば旅に出ていると言われた」

日本を離れている司に変わって牧野つくしを気に掛けていたのは、美作あきらと彼と付き合い始めた三条桜子だった。そして桜子は親友が突然旅に出たと訊き何かあったのだと司に電話をしてきた。そして彼らが別れたことを知った。

「その時思った。俺がもっとちゃんと言葉を言えば良かったんだと。言葉が足らなかったんだと。それからお前は旅から戻って来たが、あきらや三条がどこへ行ってたと訊いても答えなかった。なあ。あの時どこへ行ってたんだ?」

司は桜子から牧野つくしが大学に現れないと訊いたとき、すぐにでも東京に向かいたかった。だが出来なかった実状があった。

「千葉よ。太平洋が見たくて九十九里浜に行ったわ。そこで日がな一日海を眺めてたわ。
冬の太平洋からの風は冷たかったけど空は澄み渡っていて太陽の光りが当たればそれなりに暖かかったし心が洗われた感じがしたわ。だから今更だけど心配しないで。私は道明寺が思うほど弱くないから」

そう言った女はコーヒーを口に運んでひと口飲んだ。そして言葉を継いだ。

「ねえ道明寺。『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである』って言葉を知ってる?」

「ああ。サン=テグジュペリの言葉だろ?」

出版社で働く女は月に25万部を売る女性雑誌の副編集長の地位まで自分を高めるため誰とも付き合うことがなく努力を惜しまなかったが、フランス人作家サン=テグジュペリの言葉を引用したのは自分と同じ方向を見つめることが出来ない男とは付き合いたくないという意味なのか。

「私はあのとき道明寺が見つめている同じ方向を見ることが出来なかった。私はあなたが社会に出て大変な思いをしていることを理解していると思ったけどまだ学生だった私は理解出来ていなかった。だからふさわしくないと思えたの。社会を知らない私は邪魔になると思った」

「牧野_」

司は言いかけたが言葉を継ぐ前に遮られた。

「訊いて道明寺。今日こうしてあなたに会えて良かったと思ってる。取材の申し込みをしたのは私じゃなかったけど、私じゃなきゃ取材を受けないと言ってくれて良かったと思ってる。だってそうじゃなきゃ二人だけで会えることはないと思ったから。だってあなたはいつも大勢の人に囲まれて、周りには沢山の靴音があってあなたの傍に近づくことは出来ないもの。だから見ることが出来たのはあなたの背中だけよ」

司は彼女の口から出た意外な言葉に即座に訊いた。

「俺に会いに来たのか?」

「仕事で何度かこの街に来たことがあるの。もちろんファッションの取材でね。その時偶然あなたの背中を見たことがあるの」

司の問い掛けにはイエスともノーとも答えなかった。そしてファッションの取材だと言ったが司はファッションに興味はない。だからニューヨークで有名デザイナーのコレクション発表があったとしても訪れたことはない。
つまり彼の背中を見たのはファッションに関係ない場所でということになり、可能性として高いのはこのビルの中だということになる。何故ならここに来れば確実とまでは言えないが会えるからだ。

牧野つくしが会いに来た。
理不尽な言葉をぶつけ別れてしまったが、今二人の間に漂う沈黙は司に与えられた許しの時間なのではないかと思った。それは7年半振りの再会は初めこそ道明寺副社長と呼ばれはしたが、今は道明寺と呼び捨てにされていて、その呼び方に不自然さは感じられないからだ。だから司はこの7年半の間、本当なら7年半前彼女が司に向かって言いたかった事ならどんな非難も受けるつもりだ。いや。受けなければならなかった。
だが彼が口を開こうとした時、目の前の女は立ち上り腰を下ろしたままの男に言った。

「道明寺。いえ…..道明寺副社長。そろそろ約束のお時間が終るようです。本日は我社の雑誌の為にこうしてお時間をいただけたことは大変光栄です。原稿は出来上がり次第お送りしますので目を通していただければと思います。それから写真については広報の方からいただいた物を使わせていただきます」


約束の30分が終わり彼女は出て行った。
そしてその間。取り付く島もないと言えばいいのか。自分に非があることを認めている男は強引に事を運ぶことが出来ずにいた。
それは彼女のことを思ってなのか。それとも自身の不甲斐なさなのか。強気な男と言われる男でもひとつだけ弱点があるとすれば、それは彼女だ。
彼女のためならどんな事も出来る。全てを捨てることが出来るといった少年がいたが、その少年は我慢をすることを知らなかった。自分が幸せになるためには彼女が必要だと言った。だが大人になった男は自分の幸せよりも彼女の幸せを考えた。


自分がいない方が彼女のためになるのではないかと。


その時ノックの音がして秘書が扉を開けて入って来た。

「司様。こちらが廊下に落ちておりました」

目を上げた司に秘書が手渡して来たのは女性物の革手袋。
色はマホガニーで内側にシルクが張られた手袋は見覚えがあった。だが似た様な物はどこにでもある。しかしその革手袋には決定的な違いがあった。それは手首の内側に『T.M』とイニシャルが入れられていること。

「今ならまだ間に合います」と秘書は言った。

司は立ち上ると執務デスクへ向かい、引き出しの中からスノードームを掴むとエレベーターに向かった。だが既にエレベーターは降下を始めていた。それは、ほんの僅かな時間で彼女は地上に着きこのビルから出て行ってしまうということ。

「西田!受付けに連絡しろ!コートの色は黒。髪は黒髪で肩までの長さの東洋人の女を見かけたら引き留めろと言え!」

強がりを言わせたと分かっている。
それは昔からだった。だからたった今までここにいた女の言葉も強がりだ。
ドライな女を装ってはいるが、そうではない。若かった二人は心がすれ違っただけで彼女はまだ自分を愛しているはずだ。

司の乗ったエレベーターは役員専用であり地上まで止まることはない。
だから例え彼女がこのビルから出たとしても捕まえるチャンスはある。
そして捕まえたら一生離さないと誓う。そして彼女が望む物ならどんな物でも与えたい。
だが彼女が欲しがるのは物ではない。
それを知る男は地上に降りたエレベーターの扉が開くと駆け出していた。














胸を張って生きる。
それは誰もが望む生き方。
だが誰もがそれが出来るかと言えばそうではない。
それでもつくしはそうして来た。
自分には仕事がある。だから大丈夫だ。
そして今日こうして7年半振りにかつての恋人に再会して思った。
あの別れは無駄になっていなかったと。
それはかつての恋人があの頃よりも大人になったこともだが、副社長として人として立派になったと感じていたからだ。
だが自分はいったい何をしに来たのか。それは雑誌の取材のためだが、そうではないことは分かっている。
それはケジメとして会いたかったから。
会って話がしたかったから。
いつかチャンスがあるならと思っていた。そしてそれが正直な気持ちだが、まさか自分がここまでセンチメンタルだとは思いもしなかった。
だが会えたのだし、話すことも出来たのだからこれでいい。
やり直したいと言われたが、彼には彼の生きるべき道がある。
だからこれでいいと思っていた。

つくしは混雑したエレベーターの中で鞄を握り直し英語の会話を訊きながらそんなことを考えていたが、やがて扉が静かに開くと前に立っていた人間がロビーに吐き出されて行くのを見ていた。そして最後に箱の中から降りたが、真正面に立つ人物に気付いた。
そこにいたのは黒いスーツを着た男。その男がつくしに向かって近づいて来ると彼女の前で跪いた。

「Will you please be my wife?」

『妻になってくれないか?』

そしてポケットの中から見覚えがある球体を取り出したが、それはつくしがかつて恋人にクリスマスプレゼントとして贈ったスノードーム。その中は微笑みを浮かべた男女が今にも口づけを交そうとしている姿があった。そして二人の上には雪に見立てた銀色のラメが舞っていた。

「この中の二人は永遠にこのままだ。だが俺たちはこの二人よりも幸せになる。だから俺と結婚してくれ」

それは大勢の人間が行き交うビルのロビーでのプロポーズ。
公開プロポーズはアメリカでは驚くことではないが、それでもここにいる人間は誰もが驚いた顔で立ち止まっていた。それはその男がこのビルの持ち主である道明寺財閥の後継者だからだ。そして彼が差し出しているのが指輪ではなくスノードームだということに不思議そうな顔をした。

だが仮に彼が道明寺司でなくても人は足を止めたはずだ。
何故ならアメリカ人はこういったことが大好きだからだ。
そして彼らはそうすることが礼儀だというようにプロポーズした男を応援するが、今回ばかりは、しんと静まり返ったロビーは誰もが女が何と答えるのかを待っていたが、日本語が理解出来ない彼らは二人の行動で理解するしかなかった。




「一人でいることに飽きたの?」

「ああ。そうだ。一人でいることに飽きた。いやそうじゃない。お前と結婚したい」

「ビジネスがしたいの間違いじゃないの?」

「いやそうじゃない。ビジネスも大切だがお前の方がもっと大切だ。それに俺と結婚すると付録も色々付いてくるが得もする。だから結婚してくれ」

「どんな得なのかによるわね?」

「どんな得が知りたいか?」

「ええ。出来れば今すぐにね」

どこか憮然としながらそう答えた女は鞄を床に落とし男の手からスノードームを受け取った。
すると目の前の男はニヤッと笑って立ち上ると女を抱きしめ、「そうか。じゃあ教えてやるよ」と言って唇を重ねた。

口づけは周りの拍手と共に続けられたが、やがて男は息が絶え絶えになった女を抱上げビルの正面玄関に横付けされた車に乗り込んだ。
そして女の手にしっかりと握り締められたスノードームをスーツのポケットの中に仕舞うと、今度は彼女の左手の指にダイヤモンドの指輪を嵌めた。




その男の唯一絶対のカッコ良さを知る人間は世の中に沢山いる。
だが逆に唯一絶対のカッコ悪さを知る人間はひとりだけ。
それはたった今彼の指輪を嵌めた女。だが彼女は司のカッコ良さも悪さも関係ない人間。
司が結婚したい女は仕事が出来て少し生意気で情に弱く涙もろい。
だから彼が指輪を嵌めた瞬間泣いていたが、それが彼女の心からの涙であることを男は知っていた。



車窓の向こうは雪が降っている。
その雪は晴れているのに降る雪。
スノードームの中を舞うラメのように光りを放って消えてゆく銀色の雪。
その光りが冬のニューヨークの街を薄っすらと覆い始めていた。




< 完 > *銀色の雪*
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dot 2019.02.17 06:54 | 編集
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dot 2019.02.17 10:03 | 編集
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dot 2019.02.17 11:27 | 編集
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dot 2019.02.17 11:52 | 編集
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dot 2019.02.17 16:41 | 編集
た***ん様
司は後悔しながらの7年半。
つくしは、がむしゃらに仕事をして副編集長になったこともあり、この二人が大人になっての7年半は、あっという間の7年半だったと思います。
番外編をご希望ですか?(≧▽≦)ご希望される方がいらっしゃって嬉しいです。
実は書いてありますので、そちらもお楽しみいただければ幸いです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.17 21:13 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
取材とはいえ司に会うことが出来ることが嬉しいと思った女は、素直じゃないところもありますが、心の奥では司のことを思っていたようです。
そして司も彼女が落とした手袋に思いを感じ取ったようですが、そこからの行動は早いですね~(笑)
どこか心の中にストッパーをかけていた男でしたが迷いませんでした。
若い頃の7年半はお互い仕事を頑張りました。
しかしここからは、二人の時間となることでしょうね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.17 21:23 | 編集
R***o様
久し振りにキュンキュン!(≧▽≦)
そう言っていただけて嬉しいです。
大人になった二人はこれからどんな人生を歩んで行くのでしょうねぇ。
司のことですから、これから先は片時も離れたくないと思うはずです(笑)
そして甘い夫になる。そんな気がします。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.17 21:31 | 編集
ま**ん様
こんにちは^^
強がりつくしに手袋がちょっぴり手助けをした。
本当ですね。司からプレゼントされた手袋を愛用している女。
もうそうなると彼女の思いを知ったようなものです。
司がストッパーを外すと早い!(≧▽≦)
この二人は7年半経って大人になりましたので、これからは自分の言いたいことは、きちんと伝え合うことが出来るはずです。
今後は二人で幸せに過ごして欲しいものです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.17 21:37 | 編集
s**p様
スノードームと革の手袋が二人の思いを繋げた。ハイ。そうなんです!^^
互いの想いを繋げるものは、他人から見ればどうでもいい物かもしれませんが、二人にとっては想い出のある物です。
え?悲しい結末だったらどうしようと心配になったんですね?
こちら一応バレンタインのお話ですので、悲しい結末は考えていませんでした。
坊ちゃん英語でプロポーズ!(≧▽≦)成功したので良し!
と、言う訳で無事終わりました^^

季節は春に向けて動き出したようですが、早く暖かくなって欲しいですねぇ。
でも油断は禁物ですよね。風邪ひかないように注意します^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.17 21:48 | 編集
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dot 2019.02.17 23:41 | 編集
イ**マ様
え?司がカッコ良すぎですか?(笑)
強がりつくしのyesの返事は直接的ではありませんが、この司はそれで充分のようです。
二人とも大人になりました。きっとこれからは言いたいことは率直に言えるはずです。
サン=テグジュペリの言葉。うんうん。そうよね。と思うのはアカシアも同じですよ!(笑)
そしてこちらのお話は続編へと続きましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.02.18 20:58 | 編集
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