夜の電話の男性の本当の名前は分からない。
だが男性は『杉村』と名乗り、つくしは『長谷川』という名前を名乗ることになったが、そこにあるのは、それまでつくしの中になかった感情だ。現実の世界で会ったことはなくても、信頼がおける男性だと感じていた。
事実。インフルエンザで寝込み、食事もままならなかった時、有名中華料理店から料理が届けられたが、料理の配達以外何もなかった。ただあの日から以前よりも互いのことを少しずつだが話し始めたことで距離が近くなったように感じていた。
今夜は電話をかけよう。
そう思いながら大学を後にすると、道明寺副社長が手配した車で自宅に送られていたが、右足を捻挫し敏捷さを失った身体は松葉杖をついている以上車の乗り降りにも運転手の手を借りなければならなかったが、運転手は毎回同じ男性で田中と言い、初めて顔を合わせた時、「わたくしが責任を持って牧野様をご自宅までお送りいたします」と言った。
見た感じは40歳から50歳といったところで体格はガッチリとしていて運転手というよりもボディーガードといった風体だったが、もしボディーガードなら何故つくしにボディーガードが付くのか。そう思ったが訊ねる理由が思い当たらなかったから訊かなかったが、運転手がつくしに話しかけて来たのは、年度末となれば恒例とも言える首都高の工事に伴う渋滞にかかった時だった。
「牧野様。わたくしは長年道明寺家の運転手を務めてまいりましたが、副社長が今のように落ち着いた男性になられたのは社会に出てからでございます」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、後部座席に座るつくしは黙って運転手の話を訊くしかなかった。そして運転手はバックミラーでつくしの顔を見たはずだ。
「若い頃の司様は研ぎ澄まされた刃のような少年でした。例えるならジャックナイフです。牧野様はジャックナイフがどのようなナイフかご存知ですか?折り畳み式の大型ナイフで手首を振れば鋭い刃が飛び出します。とても危険なナイフですが少年の頃の司様は危険な刃物そのものでした。肩が触れたと言って同級生を殴り怪我を負わせ、時に瀕死の重傷を負わせたこともございました。あの頃の司様は他人のことなど何も考えることのない方でした。喧嘩をしても負けることが無くまさに怖いもの知らずという少年でした。ですが一度だけ深い傷を負われたことがあります。わたくしはその時、司様を病院までお運び致しました」
それは捻挫の治療をしてくれた女医の話と同じだと思った。
『私は副社長がまだ少年の頃喧嘩をしてここに運ばれて来た頃のことを知ってるの。今は大人で立派な男性だけど若い頃はやんちゃでねぇ。喧嘩をしても負けることがなかったの。でも一度だけ深い傷を負って病院に来たことがあるのよ?』
あの女医も50代に思えたが、この運転手も同年齢だとすれば女医の言っている怪我と運転手の話は同じことだということになる。
だが何故こうも彼の過去を知る人間は、つくしにそんな話をしたがるのか。
それは彼らにとって道明寺司という人物が仕えるべき人間であり、彼の意向に沿いたいという思いがあるからだろう。つまりそれは、大人になった道明寺司は少年の頃のやんちゃはなくても、また別の怖さがあるということなのか。経済界のサメと呼ばれる所以はビジネスとはまた別の一面にあるのかもしれない。
「牧野様は司様のことをどうお思いですか?あの方の立場は副社長です。世間はそれを当たり前だと思っていますが、それは違います」
何が違うというのか。
ふとその時思い浮かんだのは、道明寺財閥の後継者であり道明寺ホールディングスの副社長がビジネスバッグを抱え満員の山手線に乗り、丸の内のビルに出社する姿。もしその姿が目の前にあれば笑ったかもしれない。だがそれは絶対にないと言える。それは彼にとっては当たり前ではないからだ。
だがつくしにとっては満員電車も山手線も当たり前の日常。それを大企業の経営に携わる人間と比べる方が間違っていたとしても、その姿を想像すると笑えた。
そうだ。あの風貌からすればイタリア製のスーツを着た外資系投資銀行のマネージャーといったイメージだ。
だがその姿はエリートビジネスマンであることに変わりはなく、銀行員になった男は莫大な資金を動かすことを生業としている。
「牧野様?」
「え?」
「いえ。何か楽しそうにしていらっしゃいますが、それは司様のことをお考えということですか?」
「ま、まさか。違います」
そう答えたが実の所は道明寺司がごく普通とは言えないがビジネスマンとして丸の内のオフィス街を歩いている姿を想像していた。
しかし道明寺司の場合エグゼクティブといったイメージであり、車の送迎付きで満員電車に乗ることは無いだろう。だがそれ以前に電車に乗ったことがあるのかと思った。
「そうですか?わたくしはあの方の立場は十分承知しておりますが、それだけが司様ではございません。牧野様は司様に興味がないかもしれませんが、あの方がここまで女性を気にされたことはございません。司様がこうしてわたくしを運転手にしているのは、あなたのことを心配しているからです。司様は強引な所もあります。何も今すぐあの方のことを理解して欲しいとは申しません。それでも、少しずつでもいいですからあの方のことを知っていただければと思っております」
つくしはその時バックミラー越しに自分を見つめる視線に出会った。
だが丁度運転手がそこまで言ったとき、渋滞していた車は再び流れ始め、会話はそこで終わった。やがて車がマンションに着くと運転手は部屋の入口までつくしを送り届け、それでは失礼致しますと言って帰って行った。
それにしても、道明寺司の周囲にいる人間は彼のことを知って欲しいと言うが、一体何を知ればいいのか。だが今夜はあの人に電話をしなければ。
あの人と話がしたかった。
杉村と名乗る男性と。

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だが男性は『杉村』と名乗り、つくしは『長谷川』という名前を名乗ることになったが、そこにあるのは、それまでつくしの中になかった感情だ。現実の世界で会ったことはなくても、信頼がおける男性だと感じていた。
事実。インフルエンザで寝込み、食事もままならなかった時、有名中華料理店から料理が届けられたが、料理の配達以外何もなかった。ただあの日から以前よりも互いのことを少しずつだが話し始めたことで距離が近くなったように感じていた。
今夜は電話をかけよう。
そう思いながら大学を後にすると、道明寺副社長が手配した車で自宅に送られていたが、右足を捻挫し敏捷さを失った身体は松葉杖をついている以上車の乗り降りにも運転手の手を借りなければならなかったが、運転手は毎回同じ男性で田中と言い、初めて顔を合わせた時、「わたくしが責任を持って牧野様をご自宅までお送りいたします」と言った。
見た感じは40歳から50歳といったところで体格はガッチリとしていて運転手というよりもボディーガードといった風体だったが、もしボディーガードなら何故つくしにボディーガードが付くのか。そう思ったが訊ねる理由が思い当たらなかったから訊かなかったが、運転手がつくしに話しかけて来たのは、年度末となれば恒例とも言える首都高の工事に伴う渋滞にかかった時だった。
「牧野様。わたくしは長年道明寺家の運転手を務めてまいりましたが、副社長が今のように落ち着いた男性になられたのは社会に出てからでございます」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、後部座席に座るつくしは黙って運転手の話を訊くしかなかった。そして運転手はバックミラーでつくしの顔を見たはずだ。
「若い頃の司様は研ぎ澄まされた刃のような少年でした。例えるならジャックナイフです。牧野様はジャックナイフがどのようなナイフかご存知ですか?折り畳み式の大型ナイフで手首を振れば鋭い刃が飛び出します。とても危険なナイフですが少年の頃の司様は危険な刃物そのものでした。肩が触れたと言って同級生を殴り怪我を負わせ、時に瀕死の重傷を負わせたこともございました。あの頃の司様は他人のことなど何も考えることのない方でした。喧嘩をしても負けることが無くまさに怖いもの知らずという少年でした。ですが一度だけ深い傷を負われたことがあります。わたくしはその時、司様を病院までお運び致しました」
それは捻挫の治療をしてくれた女医の話と同じだと思った。
『私は副社長がまだ少年の頃喧嘩をしてここに運ばれて来た頃のことを知ってるの。今は大人で立派な男性だけど若い頃はやんちゃでねぇ。喧嘩をしても負けることがなかったの。でも一度だけ深い傷を負って病院に来たことがあるのよ?』
あの女医も50代に思えたが、この運転手も同年齢だとすれば女医の言っている怪我と運転手の話は同じことだということになる。
だが何故こうも彼の過去を知る人間は、つくしにそんな話をしたがるのか。
それは彼らにとって道明寺司という人物が仕えるべき人間であり、彼の意向に沿いたいという思いがあるからだろう。つまりそれは、大人になった道明寺司は少年の頃のやんちゃはなくても、また別の怖さがあるということなのか。経済界のサメと呼ばれる所以はビジネスとはまた別の一面にあるのかもしれない。
「牧野様は司様のことをどうお思いですか?あの方の立場は副社長です。世間はそれを当たり前だと思っていますが、それは違います」
何が違うというのか。
ふとその時思い浮かんだのは、道明寺財閥の後継者であり道明寺ホールディングスの副社長がビジネスバッグを抱え満員の山手線に乗り、丸の内のビルに出社する姿。もしその姿が目の前にあれば笑ったかもしれない。だがそれは絶対にないと言える。それは彼にとっては当たり前ではないからだ。
だがつくしにとっては満員電車も山手線も当たり前の日常。それを大企業の経営に携わる人間と比べる方が間違っていたとしても、その姿を想像すると笑えた。
そうだ。あの風貌からすればイタリア製のスーツを着た外資系投資銀行のマネージャーといったイメージだ。
だがその姿はエリートビジネスマンであることに変わりはなく、銀行員になった男は莫大な資金を動かすことを生業としている。
「牧野様?」
「え?」
「いえ。何か楽しそうにしていらっしゃいますが、それは司様のことをお考えということですか?」
「ま、まさか。違います」
そう答えたが実の所は道明寺司がごく普通とは言えないがビジネスマンとして丸の内のオフィス街を歩いている姿を想像していた。
しかし道明寺司の場合エグゼクティブといったイメージであり、車の送迎付きで満員電車に乗ることは無いだろう。だがそれ以前に電車に乗ったことがあるのかと思った。
「そうですか?わたくしはあの方の立場は十分承知しておりますが、それだけが司様ではございません。牧野様は司様に興味がないかもしれませんが、あの方がここまで女性を気にされたことはございません。司様がこうしてわたくしを運転手にしているのは、あなたのことを心配しているからです。司様は強引な所もあります。何も今すぐあの方のことを理解して欲しいとは申しません。それでも、少しずつでもいいですからあの方のことを知っていただければと思っております」
つくしはその時バックミラー越しに自分を見つめる視線に出会った。
だが丁度運転手がそこまで言ったとき、渋滞していた車は再び流れ始め、会話はそこで終わった。やがて車がマンションに着くと運転手は部屋の入口までつくしを送り届け、それでは失礼致しますと言って帰って行った。
それにしても、道明寺司の周囲にいる人間は彼のことを知って欲しいと言うが、一体何を知ればいいのか。だが今夜はあの人に電話をしなければ。
あの人と話がしたかった。
杉村と名乗る男性と。

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コメント
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司*****E様
おはようございます^^
女医も運転手もどちらも司のことを推して来ます(笑)
そうですね~。司の若い頃を知る彼らは司のことを年の離れたやんちゃな弟と思っているのでしょうか。
寂しい少年だった部分を知る彼らは、司の想いを汲み取っているようです。
しかし、つくしの頭の中にあるのは杉村。
いよいよ電話をするのでしょうか?
捻挫をしたことや司のことも話すのでしょうねぇ~(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
女医も運転手もどちらも司のことを推して来ます(笑)
そうですね~。司の若い頃を知る彼らは司のことを年の離れたやんちゃな弟と思っているのでしょうか。
寂しい少年だった部分を知る彼らは、司の想いを汲み取っているようです。
しかし、つくしの頭の中にあるのは杉村。
いよいよ電話をするのでしょうか?
捻挫をしたことや司のことも話すのでしょうねぇ~(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2019.02.13 22:06 | 編集
