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2019
01.17

理想の恋の見つけ方 61

ビジネスに於いては相手の心を読み、瞬時に物事を判断する能力が高い人間が成功すると言われている。だから自分のことは名字で呼んだ方がいいと言った和彦は、目の前に現れた司に敬意を払ったということになる。そして残された男はつくしの前に腰を下ろすと、テーブルの中央、司の目の前に置かれた銀色のペンを手に取り背広の内側の胸ポケットに入れた。それから彼の方をじっと見つめる女の顔を見たが、ふたりの間にある距離は短かった。

「どうして….。どうしてあんなこと言ったんですか?」

「あんなことって?」

「私とキスしたってことです!いえ、言葉を間違えました。副社長が私にキスをしたってことです!」

「言ったら悪かったか?」

「悪いも何も和彦君に….若林君が誤解します!いえ。もう誤解したようですが。それに私は言いましたよね?副社長のお気持は嬉しいですが私は誰かと付き合いたいという気がないと」

牧野つくしは教育者という職業柄真面目でいることを求められる。
だからという訳ではないが倫理観が人一倍強い。そしてそれが性格的なものであることは、夜の電話の男としての会話で知っていた。
そして注目を浴びることが苦手だということも知っている。そしてここにいる何人かの学生が司の存在に気付き、こちらに注目していることにも気付いていた。だから牧野つくしが大学構内のカフェテリアという公共の場所で騒ぎ立てることはないと分かっている。

だが司に向かって放たれたその声は明らかに怒っていて、その態度は財団の研究助成事業の面接に訪れた時、エレベーターの前まで追いかけて来たあの日を彷彿させたが、学生たちの手前なのか冷静に徹しようとしている姿が感じられた。
だから司はその態度を貫こうとしている女に言った。

「ああ訊いた。だが牧野先生。あなたは若林和彦のことも付き合うつもりはないと言った。だから俺が代わりに言ってやった。牧野つくしとキスしたと。そうすればあの男は牧野つくしが自分に興味がないことを理解する」

だが今日この場所を訪れたのは、夜の電話の男として司の話を訊いてみてはどうかと勧めたこともあり、会って話をすることで頑なな態度を崩せると思ったからだ。
そして、キスしたと言ったのは、まさかここにいるとは思わなかった若林和彦を追い払うため取った策略だ。
そしてそれは副社長応接室で、はっきりと自分を否定する声に、女性から拒否されたことがない男のプライドがそうさせたとも言えた。と同時に若林和彦が笑っているということは、背中を向けていたとしても牧野つくしも笑っている。つまりふたりが笑い合っているということに嫉妬の感情があった。


「仮にそうだとしても、そんなことあなた….副社長には関係ないですよね?それなのにあんなことを言うなんてどういうつもりですか?」

「俺の気持は伝えたはずだが?」

「ええ。お伺いしました。でも先程も言ったようにお受けできないと言いました。それは若林君に対しても同じで彼にも言いました。彼のことは弟とのようにしか思えないと言ったんです。それなのにあんなことを言うなんて….」

若林和彦の感情を憂慮する女は、司のことを「副社長」とも「あなた」とも呼び、ふたりの間のどこで線を引こうか迷っていることが感じられた。

「そうか。それは悪かったな。だがな。男って生き物は自分が惚れた女が自分以外の男と笑っているのが、特にその相手も女のことが好きだというなら許せないところがある」

「そうですか。でも私は誰とも付き合いたいとは思わないんです。友人も色々と世話を焼いてくれます。でも…….すみません」

それは毅然と拒絶するような言い方だった。

「道明寺副社長。本当にすみません。私はひとりでいたいんです」

その時司の頭を過ったのは、夜の電話の男である彼に放たれた『私にとって男性と親しくすることは勇気がいること』
だがその時は何故かということを訊かなかった。それは互いにプライバシーは尊重しよう。話したくないことは話す必要はないと彼自身が言ったからだが、あの時の司が訊いていれば多分答えていたはずで、今は何故だと訊かなかったことを後悔していた。







***








「先輩?道明寺副社長とお会いになられましたか?先輩はすぐ戻るとお伝えしたんですが会いに行くからいいとおっしゃられて向かわれたんですけど?」

「え?うん…..会ったわ。でももうお帰りになられたわ」

「そうですか….お忙しい方ですし突然いらっしゃったので急用だったと思ったんですが、もう用は済んだということですか?」

「え?うん。ほらこの前、副社長に呼ばれて会社に行ったでしょ?あの時忘れ物をしたみたいでそれを届けてくれたの」

「え?そうなんですか?道明寺副社長がわざわざですか?何か怪しいですね?」

「あ、怪しくないわよ」

研究室に戻って来たつくしに桜子は興味津々といった顔で訊いたが、訊ねた以上に返って来る言葉が少ないことに不満を持っていることは明らかで催促の眼を向けていた。

「私の言いたいこと分かりますよね?だっておかしいじゃないですか。お忙しい道明寺副社長がわざわざ忘れ物を届けてくれること事態がです。もしかして先輩道明寺副社長と何かあったんですか?だから道明寺副社長がここに来られたとか?」

桜子は知りたいことに近づけると思ったのか。具体的な話をといった風に言うと、可能な限り真実を訊くとばかり、にんまりと笑う。

「何もないわよ。あるわけないじゃない!何があるのよ?ないない。ないわよ。それよりも桜子。広島から牡蠣が届いてたわよね?私ひとりじゃ無理だから適当に持って帰ってね」

研究室のつくし宛に届いたトロ箱に入った殻付きの牡蠣は、広島にいるかつての教え子から送られて来たもので、桜子の執拗な追及をかわし、話を逸らす材料として丁度いいと思えた。だからつくしは牡蠣が好きな桜子に持って帰るように勧めていた。

「なんだか怪しい雰囲気がありますけど、本当に何もないんですか?先輩がそこまで否定するならそういうことにしておきますけど。ところでこの牡蠣は島崎君の実家の島崎水産さんからですよね?私牡蠣大好きなんです。でも先輩、殻付きの牡蠣をひとりで食べるの悲しいですよ。そうだ。今晩予定ないですよね?それなら一緒に鍋しましょうよ、牡蠣鍋!あ、でも生でレモンをかけて食べるのもいいですよね?それに牡蠣に白ワインって合うんですよ。うちに牡蠣にピッタリのワインがありますからうちで牡蠣パーティーしましょうよ。ね、先輩?」

桜子は牡蠣に気を取られたという態度を取ったが、そうではないことは明らかだ。
だが桜子がいくら道明寺司のことを訊ねたとしても、何もなかったと答えることにしていた。そうしなければ、桜子がいそいそと世話を焼くことが分かっていたからだ。
それは今でもあのことを気にする桜子に、桜子のせいじゃないからといくら言っても無駄で、どうにかして男性を紹介しようとする。そして最後に必ずこう言う。
『私のせいなんです。だから先輩が結婚しない限りは私も結婚しません』と。



「ところでこのトロ箱。このまま持って帰りますか?それにしても他の先生が牡蠣が嫌いっていうのは本当に勿体ないですよね?今夜はふたりで牡蠣三昧ですね!でも島崎君の実家って凄いですよね?広島では有名な水産会社らしいですよ?先輩くれぐれもよろしくお伝え下さいね」

「そうね!本当に島崎君にはお礼言わなきゃね。じゃあ早速電話してくるわ」

そう言ってつくしは学生部屋から自分の部屋へ向かった。



つくしの心境は、和彦から僕のことは弟だと思ってもらっていいと言われた時点でホッとしていた。そして道明寺司のことについては、夜の電話の男性から話を訊いてみてはと言われただけに、次に会う機会があれば、という思いもあった。
けれど、和彦がいる場所に現れた男性は、物事をゆっくり運ぶということが性に合わないのか。全てに於いて精力的だと言われ、女達の憧れの的である男性は、自分を拒否し否定するつくしの態度が理解出来ないのだろう。

男性と付き合ったことがないのではない。
キスしたこともあった。
だがそれも遠い昔の話だ。そしてこれから先キスしないからといって死ぬわけではない。
それに道明寺司の惚れた女という言葉に感情を静止させて自分を見つめれば、気持ちは海で見かける沖に流されたビーチボールではないが、波間を漂っていると言えた。
そして沖のビーチボールは、いずれ空気が抜ければ海の底に沈む。だがポリ塩化ビニルで出来たボールはプラスチックであり溶けて無くなることはない。ボロボロに破れても形が変わるだけで永遠に波間を漂うか、ゴミとなり海底の泥に埋もれる。そして深海ザメのように深海に棲む生物の生態に影響を及ぼすことになる。
それに道明寺司のような自信家の男性に沖に流されたビーチボールは似合わない。

つくしは仕事が出来れば満足だ。
朝が来て、夜が来て、晴れて、曇って、雨が降って、風が吹いて時が流れていくのを受け入れる。
それに夜の電話の男性と話が出来れば、それで良かった。




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コメント
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dot 2019.01.17 08:50 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
女に対してはシニカルである男が心を奪われた女は手強いですね(笑)
そしてつくしに何があったのか。
桜子は知っていますが、それは....。まだ言えません(笑)
そしてつくしにとっての癒しは夜の電話の男性のようですが、その男性は司。
もし相手が司だと知った時はどうするのでしょうねぇ。司の行動を悪意と取るのかそれとも?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2019.01.17 21:39 | 編集
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