「ねえ、この話ってパパとママのことでしょ?道明寺版赤ずきんちゃんとオオカミの話。このあとオオカミは女性と結婚して森の中に大きな家を建てて幸せな生活を送るのよね?」
「ああ。孤独な少年時代を送った父さんが可愛い赤ずきんちゃんに恋をして、間一髪のところを助けてストーカーになって、献身的な態度を示して結婚してもらって子供を3人儲けた話だ。父さんにかかったら自分達の出会いも好き勝手に創作される。それを絵本にして子供に話すのはどうかと思うけどな」
道明寺家には3人の子供がいるが、上の二人が男の子で三番目が女の子。そして子供たちがパパ、父さんと呼ぶ男は世界経済の中心にいて、動物の世界で言えばまさに巨大な群れのリーダーだった。
そんな父親は子供たちが幼い頃この話しをよく聞かせていた。
つまり子供たちにとって赤ずきんちゃんの話とは、女の子が悪いオオカミに騙されて食べられるのではなく、赤ずきんちゃんに惚れたオオカミがストーカーになり赤ずきんちゃんを守る話で、本来の赤ずきんちゃんとは似ても似つかぬ話に脚色されていた。
そして当然だがそんな話を絵本にして子供たちに訊かせていた父親は母親にひどく叱られていたが、そんな懐かしい絵本が末っ子の部屋の本棚から出てきたことから、兄弟たちは色褪せたその本の表紙を懐かしそうに見ていたが、そこには確かに『赤ずきんちゃんのお話』と書かれていた。
「それにしても何が赤ずきんちゃんとオオカミの恋だ。俺はかなりの年齢まで赤ずきんちゃんと言えば、オオカミの恋物語だと思ってたんだぜ?それが全くのデタラメだと知った時恥ずかしいったらなかったぜ?だいたい恋物語だなんて言うが父さんの一方通行から始まった恋だろ?」
大学4年の長男はそう言いながらも、母親が父親を見る瞳の中に大きな愛があることを知っていた。
「まあな…子供の頃の父さんはかなり屈折した子供だったし、オオカミのような凶暴さがあったて花沢のおじさんだって言ってただろ?父さんはキレると何をするか分かんねぇ男だったって。そんな獰猛なオオカミを飼いならしたのが母さんだろ?それにオオカミは群れを大切にする動物だ。だからあの4人は今でも固い友情で結ばれていて花の4人組って呼ばれる仲だろ?まあそんな友情も母さんの存在が大きいってのもあるよな?何しろ花沢のおじさん今でも母さんのことが好きだって言うくらいだからさ、案外父さんも気が気じゃないかもな」
次男は父親が母親に寄り添って立つ時、常に妻を守る姿勢でいることを知っていた。
その姿が親友で今も独身でいる花沢物産の社長から妻を守っているとすれば笑うしかないのだが、考えてみれば、そんな父親の態度は驚くことではなかった。
『類がね_』と母親が言い始めると過剰に反応する父親の態度は幼い頃から見慣れていたからだ。
だが鋭いと言われる父親の視線も、母親を見る時だけは柔らかな光を帯びていた。それは妻を愛する視線であり、妻の傍に立つ姿は男としての所有欲の表れだ。
父親の母親に対する愛は純粋で、それは子供たちから見ても時に熱っぽく秘めた欲望を示していた。そして妻に対してずっと献身的で情熱的な父親の姿は、深く愛し愛される男の姿であり、それは子供たちに対しても同じだった。
つまり子供たちから見ても親バカと言える父親の態度は、時に止めてくれと言いたくなるほど過保護なこともあった。
例えばそれは末の娘が初めてデートに出掛けたとき、眉間に皺を寄せた父親は、可愛い娘が無事に帰って来るまでイライラとして部屋の中を歩き回っていた。そしてデートの場所まで迎えに行くと言った夫に、そんなことしたらあの子に嫌われるわよ、と面白そうに笑う母親だったが、娘可愛さに夫の過保護が過剰になることを止める力を持っていた。
つまり父親はどんなに威圧的な態度を取っても、自分の妻だけには頭が上がらないところがあった。
そして両親は人目がない場所ではいつもイチャイチャしていた。
兄弟がまだ幼かった頃見たのだ。それは邸で開かれたパーティーの夜。
子供たちが寝たのを確かめに来た両親に頬を枕につけ眠っているフリをしたことがあった。
それは真夜中なのに両親がパーティーで着ていた服装のままでいたからだ。
だから兄弟は両親が何をするのか気になり自分達の部屋を抜け出し後をつけた。
すると誰もいなくなった大広間で、身体を寄せ互いの手をしっかりと握り、音楽に合わせて身体を揺らしている姿を見た。それは連れて行ってもらったばかりのミュージカルの中で、恐ろしい獣だった男が人間の姿に変わり美しい女の人を優しく抱きしめて踊っている姿と重なった。
そして道明寺家の習慣として、クリスマスイブは家族で過ごすことが決められていて、家ではかなり本格的にクリスマスを祝っていた。と言っても宗教的なことは抜きにだが、それは父親の希望であり母親の希望なのだが、子供たちがクリスマスを喜ぶ年齢ではなくなっても母親は部屋の飾りつけを張り切っていた。
そんなクリスマスイブが開けた翌日。子供たちは母親が飾り付けた部屋を見ていた。
モミの木のツリー。
ヒイラギのリース。
赤いポインセチア。
プレゼントを入れる靴下。
だが今はもうその靴下にプレゼントが入れられることはないが母親はそれでも飾った。
貧しい家に育った母親は手作りが当然だと言い、毎年料理も家族で食べるものだからと言って自ら邸の厨房に立ちローストビーフやドライフルーツの入ったケーキ。ジンジャービスケットを焼いていたが、何故かいつもその中に父親の顔を模したものがあり、それを手に取った父親の眼はいつも笑っていた。
そして部屋の入口に飾られているクリスマスイブの誕生花であるヤドリギ。
クリスマスイブの日、ヤドリギの下で出会った未婚の男女はキスをしていいという習慣があるが、とっくの昔に結婚して子供が3人もいる夫婦がキスをするのは、ほとんど父親の希望なのだが、妻を真摯な様子で見つめる父親の姿というのは、子供たちにとっては理想の夫の姿だった。
「それで?あのふたり。今日はどこへ行ったんだっけ?」
「決まってるじゃない。パパとママにとって大切な場所よ」
「ああ。あの教会か」
父親が母親にプロポーズをしたのはクリスマスの日。
場所は教会。その日が休みなら日中二人そろってその教会へ行く。
そして両親は神に感謝の祈りを捧げていた。
あの時、巡り合わせてくれたことの感謝を。
あの時、命を奪わなかったことを。
あの時、その時を与えてくれたことを。
子供たちは両親の恋の話を知っていた。
何故ならそれは『赤ずきんちゃんのお話』に書かれているのだから。
世間を冷やかに見つめていた男が出会った最愛の人は、神が男の元に遣わしてくれた天使だから夫となった男はそのことに感謝をしていた。
司の前に用意されていた運命の扉はひとつ。その扉を開けた先にいた女性が彼の人生を変えた。目の前には暗闇だけが広がり色のない世界に生きていた男の前に沢山の色の世界を見せてくれた。孤独なプライドを抱え喜怒哀楽の中で失われていた歓びと楽しみを与えてくれた。声に穏やかさを与え力とは何のためにあるかを教えてくれた。
だから男の人生哲学は、最愛の人と何時までも一緒に過ごすことで、そのためならどんなことでもするし、神や仏に祈りを捧げることも厭わない。
そして男にとって申し分のない人生とは妻と子供たちと幸せに暮らすこと。つまり男にとって一番大切なのは家族の存在だ。そして愛してるという言葉が素直に言え、素敵なことが素敵だと素直に言えるようになった男は、最高の夫と呼ばれることが嬉しかった。
人は年を取れば、やがて来るべき時を待つようになる。
そして祈りの場である静寂に包まれた教会は、多くの思いが溢れている場所だが、ここに集まる人間はその思いをひとりの男に向けていた。
司もその中の人間のひとりだが、クリスマスにしかここに現れない男にこの場所の主は何を思うのか。だがそんなことを思う男の手をそっと握る手があった。
司もその手を同じ強さで握り返したが、この手を離さないと誓ったこの場所で、こうして再び手を取ることが出来るのは、やはりこの場所の主のおかげだ。
そして司は、自分の手を握る女に訊いてみたいことがあった。
それはずっと訊きたかったが、今まで言えずにいた言葉。
その言葉を初めて口にした。
「つくし。お前は幸せか?」
その先に続く言葉は、俺と一緒になってお前は幸せか。
だが言わなくても妻は分かっているはずだ。そして24年間という過ぎ去った日々が走馬灯のように頭を巡った。
道明寺という家に嫁ぎ苦労もあったはずだ。
子育てに協力したつもりでも彼女に任せきりになったこともあったはずだ。
だが苦労を苦労だと思わない女は、いつも彼の隣で笑っていた。だがこうして答えを待つ間、隣に座る妻の顔を見ることが出来なかった。ふと口にした言葉に妻がなんと答えようかと考えている顔が見たくなかったからだ。
そして少しの間を置き妻の口から答えは出た。
「ええ。幸せよ」
静寂に包まれたこの場所が夫婦のスタート地点だった。
その答えは17歳の少年の手を取ってくれた16歳の少女の変わらぬ思いを今に伝えていた。
『俺は絶対にお前を幸せにするから』
『何があってもあんたについていくから』
プロポーズをしたこの教会で誓った言葉に嘘はなく、どんな時も支えてくれた妻。
そしてその妻から囁かれた幸せという言葉が司にとって最高のクリスマスの贈り物。
静寂が二人を包むこの場所こそが二人の愛の出発点。
だから、この場所に来年も必ず二人で来よう。
1年間が幸せに過ごせたことを感謝するために。
そして次の1年も家族が幸せに過ごすことが出来るようにと祈るために。
< 完 > *愛の静寂に*

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「ああ。孤独な少年時代を送った父さんが可愛い赤ずきんちゃんに恋をして、間一髪のところを助けてストーカーになって、献身的な態度を示して結婚してもらって子供を3人儲けた話だ。父さんにかかったら自分達の出会いも好き勝手に創作される。それを絵本にして子供に話すのはどうかと思うけどな」
道明寺家には3人の子供がいるが、上の二人が男の子で三番目が女の子。そして子供たちがパパ、父さんと呼ぶ男は世界経済の中心にいて、動物の世界で言えばまさに巨大な群れのリーダーだった。
そんな父親は子供たちが幼い頃この話しをよく聞かせていた。
つまり子供たちにとって赤ずきんちゃんの話とは、女の子が悪いオオカミに騙されて食べられるのではなく、赤ずきんちゃんに惚れたオオカミがストーカーになり赤ずきんちゃんを守る話で、本来の赤ずきんちゃんとは似ても似つかぬ話に脚色されていた。
そして当然だがそんな話を絵本にして子供たちに訊かせていた父親は母親にひどく叱られていたが、そんな懐かしい絵本が末っ子の部屋の本棚から出てきたことから、兄弟たちは色褪せたその本の表紙を懐かしそうに見ていたが、そこには確かに『赤ずきんちゃんのお話』と書かれていた。
「それにしても何が赤ずきんちゃんとオオカミの恋だ。俺はかなりの年齢まで赤ずきんちゃんと言えば、オオカミの恋物語だと思ってたんだぜ?それが全くのデタラメだと知った時恥ずかしいったらなかったぜ?だいたい恋物語だなんて言うが父さんの一方通行から始まった恋だろ?」
大学4年の長男はそう言いながらも、母親が父親を見る瞳の中に大きな愛があることを知っていた。
「まあな…子供の頃の父さんはかなり屈折した子供だったし、オオカミのような凶暴さがあったて花沢のおじさんだって言ってただろ?父さんはキレると何をするか分かんねぇ男だったって。そんな獰猛なオオカミを飼いならしたのが母さんだろ?それにオオカミは群れを大切にする動物だ。だからあの4人は今でも固い友情で結ばれていて花の4人組って呼ばれる仲だろ?まあそんな友情も母さんの存在が大きいってのもあるよな?何しろ花沢のおじさん今でも母さんのことが好きだって言うくらいだからさ、案外父さんも気が気じゃないかもな」
次男は父親が母親に寄り添って立つ時、常に妻を守る姿勢でいることを知っていた。
その姿が親友で今も独身でいる花沢物産の社長から妻を守っているとすれば笑うしかないのだが、考えてみれば、そんな父親の態度は驚くことではなかった。
『類がね_』と母親が言い始めると過剰に反応する父親の態度は幼い頃から見慣れていたからだ。
だが鋭いと言われる父親の視線も、母親を見る時だけは柔らかな光を帯びていた。それは妻を愛する視線であり、妻の傍に立つ姿は男としての所有欲の表れだ。
父親の母親に対する愛は純粋で、それは子供たちから見ても時に熱っぽく秘めた欲望を示していた。そして妻に対してずっと献身的で情熱的な父親の姿は、深く愛し愛される男の姿であり、それは子供たちに対しても同じだった。
つまり子供たちから見ても親バカと言える父親の態度は、時に止めてくれと言いたくなるほど過保護なこともあった。
例えばそれは末の娘が初めてデートに出掛けたとき、眉間に皺を寄せた父親は、可愛い娘が無事に帰って来るまでイライラとして部屋の中を歩き回っていた。そしてデートの場所まで迎えに行くと言った夫に、そんなことしたらあの子に嫌われるわよ、と面白そうに笑う母親だったが、娘可愛さに夫の過保護が過剰になることを止める力を持っていた。
つまり父親はどんなに威圧的な態度を取っても、自分の妻だけには頭が上がらないところがあった。
そして両親は人目がない場所ではいつもイチャイチャしていた。
兄弟がまだ幼かった頃見たのだ。それは邸で開かれたパーティーの夜。
子供たちが寝たのを確かめに来た両親に頬を枕につけ眠っているフリをしたことがあった。
それは真夜中なのに両親がパーティーで着ていた服装のままでいたからだ。
だから兄弟は両親が何をするのか気になり自分達の部屋を抜け出し後をつけた。
すると誰もいなくなった大広間で、身体を寄せ互いの手をしっかりと握り、音楽に合わせて身体を揺らしている姿を見た。それは連れて行ってもらったばかりのミュージカルの中で、恐ろしい獣だった男が人間の姿に変わり美しい女の人を優しく抱きしめて踊っている姿と重なった。
そして道明寺家の習慣として、クリスマスイブは家族で過ごすことが決められていて、家ではかなり本格的にクリスマスを祝っていた。と言っても宗教的なことは抜きにだが、それは父親の希望であり母親の希望なのだが、子供たちがクリスマスを喜ぶ年齢ではなくなっても母親は部屋の飾りつけを張り切っていた。
そんなクリスマスイブが開けた翌日。子供たちは母親が飾り付けた部屋を見ていた。
モミの木のツリー。
ヒイラギのリース。
赤いポインセチア。
プレゼントを入れる靴下。
だが今はもうその靴下にプレゼントが入れられることはないが母親はそれでも飾った。
貧しい家に育った母親は手作りが当然だと言い、毎年料理も家族で食べるものだからと言って自ら邸の厨房に立ちローストビーフやドライフルーツの入ったケーキ。ジンジャービスケットを焼いていたが、何故かいつもその中に父親の顔を模したものがあり、それを手に取った父親の眼はいつも笑っていた。
そして部屋の入口に飾られているクリスマスイブの誕生花であるヤドリギ。
クリスマスイブの日、ヤドリギの下で出会った未婚の男女はキスをしていいという習慣があるが、とっくの昔に結婚して子供が3人もいる夫婦がキスをするのは、ほとんど父親の希望なのだが、妻を真摯な様子で見つめる父親の姿というのは、子供たちにとっては理想の夫の姿だった。
「それで?あのふたり。今日はどこへ行ったんだっけ?」
「決まってるじゃない。パパとママにとって大切な場所よ」
「ああ。あの教会か」
父親が母親にプロポーズをしたのはクリスマスの日。
場所は教会。その日が休みなら日中二人そろってその教会へ行く。
そして両親は神に感謝の祈りを捧げていた。
あの時、巡り合わせてくれたことの感謝を。
あの時、命を奪わなかったことを。
あの時、その時を与えてくれたことを。
子供たちは両親の恋の話を知っていた。
何故ならそれは『赤ずきんちゃんのお話』に書かれているのだから。
世間を冷やかに見つめていた男が出会った最愛の人は、神が男の元に遣わしてくれた天使だから夫となった男はそのことに感謝をしていた。
司の前に用意されていた運命の扉はひとつ。その扉を開けた先にいた女性が彼の人生を変えた。目の前には暗闇だけが広がり色のない世界に生きていた男の前に沢山の色の世界を見せてくれた。孤独なプライドを抱え喜怒哀楽の中で失われていた歓びと楽しみを与えてくれた。声に穏やかさを与え力とは何のためにあるかを教えてくれた。
だから男の人生哲学は、最愛の人と何時までも一緒に過ごすことで、そのためならどんなことでもするし、神や仏に祈りを捧げることも厭わない。
そして男にとって申し分のない人生とは妻と子供たちと幸せに暮らすこと。つまり男にとって一番大切なのは家族の存在だ。そして愛してるという言葉が素直に言え、素敵なことが素敵だと素直に言えるようになった男は、最高の夫と呼ばれることが嬉しかった。
人は年を取れば、やがて来るべき時を待つようになる。
そして祈りの場である静寂に包まれた教会は、多くの思いが溢れている場所だが、ここに集まる人間はその思いをひとりの男に向けていた。
司もその中の人間のひとりだが、クリスマスにしかここに現れない男にこの場所の主は何を思うのか。だがそんなことを思う男の手をそっと握る手があった。
司もその手を同じ強さで握り返したが、この手を離さないと誓ったこの場所で、こうして再び手を取ることが出来るのは、やはりこの場所の主のおかげだ。
そして司は、自分の手を握る女に訊いてみたいことがあった。
それはずっと訊きたかったが、今まで言えずにいた言葉。
その言葉を初めて口にした。
「つくし。お前は幸せか?」
その先に続く言葉は、俺と一緒になってお前は幸せか。
だが言わなくても妻は分かっているはずだ。そして24年間という過ぎ去った日々が走馬灯のように頭を巡った。
道明寺という家に嫁ぎ苦労もあったはずだ。
子育てに協力したつもりでも彼女に任せきりになったこともあったはずだ。
だが苦労を苦労だと思わない女は、いつも彼の隣で笑っていた。だがこうして答えを待つ間、隣に座る妻の顔を見ることが出来なかった。ふと口にした言葉に妻がなんと答えようかと考えている顔が見たくなかったからだ。
そして少しの間を置き妻の口から答えは出た。
「ええ。幸せよ」
静寂に包まれたこの場所が夫婦のスタート地点だった。
その答えは17歳の少年の手を取ってくれた16歳の少女の変わらぬ思いを今に伝えていた。
『俺は絶対にお前を幸せにするから』
『何があってもあんたについていくから』
プロポーズをしたこの教会で誓った言葉に嘘はなく、どんな時も支えてくれた妻。
そしてその妻から囁かれた幸せという言葉が司にとって最高のクリスマスの贈り物。
静寂が二人を包むこの場所こそが二人の愛の出発点。
だから、この場所に来年も必ず二人で来よう。
1年間が幸せに過ごせたことを感謝するために。
そして次の1年も家族が幸せに過ごすことが出来るようにと祈るために。
< 完 > *愛の静寂に*

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- 愛の静寂に <後編>
- 愛の静寂に <中編>
- 愛の静寂に <前編>
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司*****E様
おはようございます^^
そうなんです。司が赤ずきんちゃんを勝手に改ざんして仕上げた絵本でした!
そしてこの話が赤ずきんちゃんだと子供たちに教えていた司パパ。本当に何をするんでしょうね!
3人の子供を儲けても妻を溺愛。そして頭が上がらない男。
そんな男も幸せを噛みしめながらも、お前は幸せか、と思わず口にしましたが、神の前では嘘はつけません。
きっとその思いは心の中に常にあったのでしょうね。
サンタさん。無事任務終了されたとのこと。
お疲れ様でしたm(__)m
来年からはサンタさんは来ない....う~ん。それも少し寂しいですが、いずれ恋人がサンタクロースになる日が来るんでしょうね~(´艸`*)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
そうなんです。司が赤ずきんちゃんを勝手に改ざんして仕上げた絵本でした!
そしてこの話が赤ずきんちゃんだと子供たちに教えていた司パパ。本当に何をするんでしょうね!
3人の子供を儲けても妻を溺愛。そして頭が上がらない男。
そんな男も幸せを噛みしめながらも、お前は幸せか、と思わず口にしましたが、神の前では嘘はつけません。
きっとその思いは心の中に常にあったのでしょうね。
サンタさん。無事任務終了されたとのこと。
お疲れ様でしたm(__)m
来年からはサンタさんは来ない....う~ん。それも少し寂しいですが、いずれ恋人がサンタクロースになる日が来るんでしょうね~(´艸`*)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.12.27 20:56 | 編集

ふ*******マ様
寒さが到来ですねぇ。
こちらのお話、オオカミのお話だと思っていましたか?
それが、なんと司が作り上げた道明寺版赤ずきんちゃんでした。
もちろん装丁もされていて、挿絵もあります。それはもう本格的な絵本です。
きっと我が子に自分達の恋の話を訊かせたかったんです(笑)
でも嘘を教えてはいけませんよね?子供たちは本当の赤ずきんちゃんのお話を訊き、恥ずかしい思いをしたことでしょう。
それでも司パパ。子煩悩です。きっと自分が与えられなかった沢山の思いを子供たちに与えてきたはずです。
大人の2人のクリスマスを楽しんでいただき、ありがとうございました^^
寒さが到来ですねぇ。
こちらのお話、オオカミのお話だと思っていましたか?
それが、なんと司が作り上げた道明寺版赤ずきんちゃんでした。
もちろん装丁もされていて、挿絵もあります。それはもう本格的な絵本です。
きっと我が子に自分達の恋の話を訊かせたかったんです(笑)
でも嘘を教えてはいけませんよね?子供たちは本当の赤ずきんちゃんのお話を訊き、恥ずかしい思いをしたことでしょう。
それでも司パパ。子煩悩です。きっと自分が与えられなかった沢山の思いを子供たちに与えてきたはずです。
大人の2人のクリスマスを楽しんでいただき、ありがとうございました^^
アカシア
2018.12.27 21:07 | 編集

ま**ん様
こんにちは^^
悲しい始まりのオオカミのお話だと思ったら、司パパの作った物語だったんですねぇ(笑)
そうです。この物語は、ま**ん様のおっしゃる通り脚色していますが、ふたりの間に起こったことを物語にしています。
それにしても、ふたりのことを絵本にして我が子に伝えていたとは....(*^^*)随分と大胆な男ですねぇ。
そして、そこにあるのは賑やかで温かい家族の風景。
ふたりの未来がこうであれば、クリスマスは優しい気持ちで迎えていた司ファミリーでしたが、楽しんでいただけて幸いです。
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
悲しい始まりのオオカミのお話だと思ったら、司パパの作った物語だったんですねぇ(笑)
そうです。この物語は、ま**ん様のおっしゃる通り脚色していますが、ふたりの間に起こったことを物語にしています。
それにしても、ふたりのことを絵本にして我が子に伝えていたとは....(*^^*)随分と大胆な男ですねぇ。
そして、そこにあるのは賑やかで温かい家族の風景。
ふたりの未来がこうであれば、クリスマスは優しい気持ちで迎えていた司ファミリーでしたが、楽しんでいただけて幸いです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.12.27 21:21 | 編集

s**p様
風邪のウィルスが胃腸に?大丈夫ですか?お大事になさって下さいね。
アカシアも昔同じ症状に見舞われたことがありましたが、その時は嘔吐が酷く点滴をしてもらいました。
アカシアサンタ。アカシヤサンマ!(≧▽≦)似てますねぇ(笑)ええっと以前コメントで何人かの方から「アカシヤ様」と頂いたことがありました。 間違い易いですよね~本当に似てますよね?(笑)
それにしても赤ずきんちゃんを大胆に改ざんして、これが赤ずきんちゃんだと子供たちに教えるパパもどうかと思うのですが、楽しんでいただけて幸いです^^
拍手コメント有難うございました^^
風邪のウィルスが胃腸に?大丈夫ですか?お大事になさって下さいね。
アカシアも昔同じ症状に見舞われたことがありましたが、その時は嘔吐が酷く点滴をしてもらいました。
アカシアサンタ。アカシヤサンマ!(≧▽≦)似てますねぇ(笑)ええっと以前コメントで何人かの方から「アカシヤ様」と頂いたことがありました。 間違い易いですよね~本当に似てますよね?(笑)
それにしても赤ずきんちゃんを大胆に改ざんして、これが赤ずきんちゃんだと子供たちに教えるパパもどうかと思うのですが、楽しんでいただけて幸いです^^
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.12.27 21:38 | 編集
