「お願いですか?」
『はい。早速で申し訳ございません。ただ牧野先生の都合もあると思いますが、是非お願いしたいことがございます』
5千万円の振込が完了したということは、桜子が口にしたように、つくしが貸し出されることが可能になったということになるが、まさかもう?といった思いと共に、つい先ほどまで海洋生態学が専門の人間に、世界的ビジネスマンがそうそう訊きたいことなどないはずだと根拠のない自信のようなものを持っていたが、どうやらその思いは外れたようだ。
そしてグルグルと頭の中で回転するクエスチョンマークは何を言われるのかと答えを求めていてその思いを口にした。
「あの。お願いとはいったい何でしょうか?」
さっそく深海の環境について訊きたいというのだろうか。
だとすればどの資料を持参すればいいかと考え始めたが、5千メートルの深海までレジ袋のようなプラスチックごみが見受けられ、貴重な深海の生態系に悪影響を与えている状況を説明するのがいいのか。それとも深海の底に眠るニッケルやコバルト、レアアースといったハイテク製品に欠かせない金属鉱物資源を自動機械で掬い取り、不要な堆積物を海底に放棄する採掘活動が海の生物に及ぼす影響について述べればいいのか。頭の中に浮かんだのはその二つだったが、海底資源の開発をするなら後者の方を求められるはずだと思い、それなら資料としては、あれとあれをと思ったが電話の向こうから返された言葉は違った。
『はい。大変急で申し訳ございません。来週の週末ですが牧野先生はお忙しいでしょうか?』
「は?来週の週末ですか?」
『はい。来週の週末ですがご予定はございますか?』
「いえ。別に何もありませんが」
『では大変恐れ入りますが、来週末は副社長にお付き合いをいただいてよろしいでしょうか?』
「あの。お付き合いとは一体何でしょうか?」
秘書が電話をしてくるということは、ビジネス絡みということだと理解していた。だから環境についてのビジネスフォーラムに同行しろとでも言われるのかと思った。だが次に語られたのは思いもよらないことだった。
『実は来週末ですが、あるパーティーへご招待を頂いております。そちらのパーティーに副社長の同伴者として出席していただきたいのです。こういったことをお願いすることは今までございませんでしたが、今回は事情がありどうしても同伴者が必要となり、牧野先生にお願いすることに致しました』
淡々として語られる言葉は決定事項のように言われノーとは言わせない雰囲気を感じさせた。だが何故つくしが道明寺司の同伴者としてパーティーに参加しなければならないのか。
道明寺司と言えば女性に不自由はしないはずだ。それなのに何故大学准教授の自分が道明寺副社長の同伴者に選ばれるのか。全くの他人同士と言っていいほど相手のことを知らないのに、どうしてそんなことを頼んで来るのか。
「あの。申し訳ございませんが、お話の意味がよく分からないのですが」
『ええ。分かっております。何故牧野先生が副社長の同伴者として求められたかということですね?ご存知かと思いますが副社長は女性から大変人気がございます。ですが副社長ご本人はそれほど女性に興味を持たれておりません。時に熱心な女性が必要以上に近づいて来ることがあります。それでも副社長は大変クールな方でそういった女性は相手にいたしません。しかし諦めない方もいらっしゃいます。今回牧野先生にお願いしたいのは、そういった女性からの盾になっていただきたいということです。いえ決して何かして欲しいというのではございません。ただ傍にいていただけるだけでいいのです』
「は、はあ……」
『つまり副社長の周りに集まって来られる女性はパーティーで何らかのきっかけを掴みたいと考えている方が殆どです。ビジネス的に申し上げれば短期的な利益ではなく、長期的なスパンでの利益を求められている。つまり結婚を目的として近づいてこられるということです』
つくしは副社長の私生活には興味がない。
だが秘書が言っている意味は理解出来た。
それに道明寺司がお金持ちでカッコいいと言われる人間であることは理解していた。
そして女性にモテるということも知っている。だがやはり何故自分がそんな男性が女性から身を守るための盾にならなければならないのか。今までもそんな場面はあったはずだ。それなのに何故今回に限りそういった存在が必要になるのか。
「あの。西田さん。お話は分かりました。でも私じゃなくてもそういった女性は他にいらっしゃると思うのですが?」
『牧野先生。そう思われますか?ですが副社長に興味を持たない女性を探す方が難しいのが実情です。お願いした女性が勘違いされては困るのです。ですが失礼ですが牧野先生は副社長には興味がない。そう思えるのです。だからこそあなたにお願いしたいのです』
大企業のトップに仕える秘書というのは、恐ろしいほど簡単に人の気持を見透かすことが出来るのだろうか。秘書が仕える人物は驚くほど整った顔とスタイルの良さを持つ。そしてその財力は桁外れでビジネスに関する手腕も認めよう。けれどつくしは秘書が言うように道明寺副社長には興味がない。だから勘違いをすることはないと言える。
だがだからと言って副社長の同伴者をつくしに頼むのはどうかと思う。それにパーティーと言えば華やかなものであり、学会で行われる参加者の交流が目的のレセプションとは趣きが違うはずだ。
学会のレセプション。所謂懇親会は、それまでの研究の成果を語り合い、親睦を深めることが目的だが、道明寺副社長が出席するパーティーともなれば会話も学術的なことなど一切ない華やかなものであり、深く暗い海の底の話などしないはずだ。それにそんな華やかな場所へ出席をしたことがない人間には無理だ。しゃれた会話など出来はしない。
『牧野先生。何もそんなに深く考える必要はございません。先生は今まで学会でのレセプションには参加されたはずです。その延長線上にあるものだとお考えいただければ大丈夫です。どのようなパーティーも応用が効きます。周りの方とごく普通にお話下されば結構ですので何もご心配はいりません』
そう言われても無理だ。
それは道明寺副社長のブレーンになること以上に無理だ。
「あの西田さん。私には荷が重すぎます。それに私は副社長のブレーンになることは承知いたしましたが、パーティーのお供は_」
『牧野先生。分かっております。これはお願いであり強制ではございません。ただご配慮いただければ大変助かるという事です』
秘書は決して威圧的な物言いはしない。
相手の気持ちを逆なでするようなことは言わない。
そして絶妙な言葉遣いとニュアンスで5千万円の重みを感じさせる。
人は返報性の原理により困った時に助けてもらえば恩義を感じ相手にお返しをしようと考えるが、秘書はその心理を巧みに突いてくる。それは頼まれれば嫌とは言えないつくしの性格まで知っているように思えた。
「あの。本当に傍にいるだけでいいんでしょうか?私は洒落たお喋りは出来ませんがそれでもいいんですか?」
『ええ。問題ありません。そこにいて下さるだけで結構です』
「それでこの件は副社長からのご依頼ということで_」
『いえ。この件は副社長ではありません。社長からのご依頼です。今まで副社長は同伴者が必要となるパーティーに出席されることはありませんでした。ですが今回は是非出席していただかなければならないのです。そしていくらご子息であっても社長の命令は絶対です。仕事上どうしても必要なパーティーなのです。ですからどなたかに同伴者を務めていただかなければならないのです。そこで牧野先生にお願いすることに致しました』
と、いうことは、副社長はまだ知らないということなのか。
つくしはその思いを口にした。
「あのでは副社長はこのことをご存知ないということでしょうか?」
『はい。そうです。ですがこれは仕事です。業務命令です』
いや。そういった問題ではないはずだ。
5千万という大金を寄付してくれた人の頼みなら訊かない訳にはいかないが、これは本人からの依頼ではなく、社長からの業務命令で秘書が動いたということだが、副社長本人が知った時、何を言うのか考えていないはずがない。
『牧野先生。先生が何を考えていらっしゃるか十分伝わってまいります。ですが今回のことについて副社長は従うしかございません。ですから牧野先生に対して何か言われる。また何かあるといったご心配はございません。それではこの件はご了承いただけたということで宜しくお願いいたします』
秘書は礼儀正しく用件を伝えると電話を切った。
だからつくしも受話器を置くしかなかった。

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『はい。早速で申し訳ございません。ただ牧野先生の都合もあると思いますが、是非お願いしたいことがございます』
5千万円の振込が完了したということは、桜子が口にしたように、つくしが貸し出されることが可能になったということになるが、まさかもう?といった思いと共に、つい先ほどまで海洋生態学が専門の人間に、世界的ビジネスマンがそうそう訊きたいことなどないはずだと根拠のない自信のようなものを持っていたが、どうやらその思いは外れたようだ。
そしてグルグルと頭の中で回転するクエスチョンマークは何を言われるのかと答えを求めていてその思いを口にした。
「あの。お願いとはいったい何でしょうか?」
さっそく深海の環境について訊きたいというのだろうか。
だとすればどの資料を持参すればいいかと考え始めたが、5千メートルの深海までレジ袋のようなプラスチックごみが見受けられ、貴重な深海の生態系に悪影響を与えている状況を説明するのがいいのか。それとも深海の底に眠るニッケルやコバルト、レアアースといったハイテク製品に欠かせない金属鉱物資源を自動機械で掬い取り、不要な堆積物を海底に放棄する採掘活動が海の生物に及ぼす影響について述べればいいのか。頭の中に浮かんだのはその二つだったが、海底資源の開発をするなら後者の方を求められるはずだと思い、それなら資料としては、あれとあれをと思ったが電話の向こうから返された言葉は違った。
『はい。大変急で申し訳ございません。来週の週末ですが牧野先生はお忙しいでしょうか?』
「は?来週の週末ですか?」
『はい。来週の週末ですがご予定はございますか?』
「いえ。別に何もありませんが」
『では大変恐れ入りますが、来週末は副社長にお付き合いをいただいてよろしいでしょうか?』
「あの。お付き合いとは一体何でしょうか?」
秘書が電話をしてくるということは、ビジネス絡みということだと理解していた。だから環境についてのビジネスフォーラムに同行しろとでも言われるのかと思った。だが次に語られたのは思いもよらないことだった。
『実は来週末ですが、あるパーティーへご招待を頂いております。そちらのパーティーに副社長の同伴者として出席していただきたいのです。こういったことをお願いすることは今までございませんでしたが、今回は事情がありどうしても同伴者が必要となり、牧野先生にお願いすることに致しました』
淡々として語られる言葉は決定事項のように言われノーとは言わせない雰囲気を感じさせた。だが何故つくしが道明寺司の同伴者としてパーティーに参加しなければならないのか。
道明寺司と言えば女性に不自由はしないはずだ。それなのに何故大学准教授の自分が道明寺副社長の同伴者に選ばれるのか。全くの他人同士と言っていいほど相手のことを知らないのに、どうしてそんなことを頼んで来るのか。
「あの。申し訳ございませんが、お話の意味がよく分からないのですが」
『ええ。分かっております。何故牧野先生が副社長の同伴者として求められたかということですね?ご存知かと思いますが副社長は女性から大変人気がございます。ですが副社長ご本人はそれほど女性に興味を持たれておりません。時に熱心な女性が必要以上に近づいて来ることがあります。それでも副社長は大変クールな方でそういった女性は相手にいたしません。しかし諦めない方もいらっしゃいます。今回牧野先生にお願いしたいのは、そういった女性からの盾になっていただきたいということです。いえ決して何かして欲しいというのではございません。ただ傍にいていただけるだけでいいのです』
「は、はあ……」
『つまり副社長の周りに集まって来られる女性はパーティーで何らかのきっかけを掴みたいと考えている方が殆どです。ビジネス的に申し上げれば短期的な利益ではなく、長期的なスパンでの利益を求められている。つまり結婚を目的として近づいてこられるということです』
つくしは副社長の私生活には興味がない。
だが秘書が言っている意味は理解出来た。
それに道明寺司がお金持ちでカッコいいと言われる人間であることは理解していた。
そして女性にモテるということも知っている。だがやはり何故自分がそんな男性が女性から身を守るための盾にならなければならないのか。今までもそんな場面はあったはずだ。それなのに何故今回に限りそういった存在が必要になるのか。
「あの。西田さん。お話は分かりました。でも私じゃなくてもそういった女性は他にいらっしゃると思うのですが?」
『牧野先生。そう思われますか?ですが副社長に興味を持たない女性を探す方が難しいのが実情です。お願いした女性が勘違いされては困るのです。ですが失礼ですが牧野先生は副社長には興味がない。そう思えるのです。だからこそあなたにお願いしたいのです』
大企業のトップに仕える秘書というのは、恐ろしいほど簡単に人の気持を見透かすことが出来るのだろうか。秘書が仕える人物は驚くほど整った顔とスタイルの良さを持つ。そしてその財力は桁外れでビジネスに関する手腕も認めよう。けれどつくしは秘書が言うように道明寺副社長には興味がない。だから勘違いをすることはないと言える。
だがだからと言って副社長の同伴者をつくしに頼むのはどうかと思う。それにパーティーと言えば華やかなものであり、学会で行われる参加者の交流が目的のレセプションとは趣きが違うはずだ。
学会のレセプション。所謂懇親会は、それまでの研究の成果を語り合い、親睦を深めることが目的だが、道明寺副社長が出席するパーティーともなれば会話も学術的なことなど一切ない華やかなものであり、深く暗い海の底の話などしないはずだ。それにそんな華やかな場所へ出席をしたことがない人間には無理だ。しゃれた会話など出来はしない。
『牧野先生。何もそんなに深く考える必要はございません。先生は今まで学会でのレセプションには参加されたはずです。その延長線上にあるものだとお考えいただければ大丈夫です。どのようなパーティーも応用が効きます。周りの方とごく普通にお話下されば結構ですので何もご心配はいりません』
そう言われても無理だ。
それは道明寺副社長のブレーンになること以上に無理だ。
「あの西田さん。私には荷が重すぎます。それに私は副社長のブレーンになることは承知いたしましたが、パーティーのお供は_」
『牧野先生。分かっております。これはお願いであり強制ではございません。ただご配慮いただければ大変助かるという事です』
秘書は決して威圧的な物言いはしない。
相手の気持ちを逆なでするようなことは言わない。
そして絶妙な言葉遣いとニュアンスで5千万円の重みを感じさせる。
人は返報性の原理により困った時に助けてもらえば恩義を感じ相手にお返しをしようと考えるが、秘書はその心理を巧みに突いてくる。それは頼まれれば嫌とは言えないつくしの性格まで知っているように思えた。
「あの。本当に傍にいるだけでいいんでしょうか?私は洒落たお喋りは出来ませんがそれでもいいんですか?」
『ええ。問題ありません。そこにいて下さるだけで結構です』
「それでこの件は副社長からのご依頼ということで_」
『いえ。この件は副社長ではありません。社長からのご依頼です。今まで副社長は同伴者が必要となるパーティーに出席されることはありませんでした。ですが今回は是非出席していただかなければならないのです。そしていくらご子息であっても社長の命令は絶対です。仕事上どうしても必要なパーティーなのです。ですからどなたかに同伴者を務めていただかなければならないのです。そこで牧野先生にお願いすることに致しました』
と、いうことは、副社長はまだ知らないということなのか。
つくしはその思いを口にした。
「あのでは副社長はこのことをご存知ないということでしょうか?」
『はい。そうです。ですがこれは仕事です。業務命令です』
いや。そういった問題ではないはずだ。
5千万という大金を寄付してくれた人の頼みなら訊かない訳にはいかないが、これは本人からの依頼ではなく、社長からの業務命令で秘書が動いたということだが、副社長本人が知った時、何を言うのか考えていないはずがない。
『牧野先生。先生が何を考えていらっしゃるか十分伝わってまいります。ですが今回のことについて副社長は従うしかございません。ですから牧野先生に対して何か言われる。また何かあるといったご心配はございません。それではこの件はご了承いただけたということで宜しくお願いいたします』
秘書は礼儀正しく用件を伝えると電話を切った。
だからつくしも受話器を置くしかなかった。

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司*****E様
おはようございます^^
全く畑違いの依頼をされた女。
そして恋におちたことも恋をしたこともない男がいます。
結婚しない息子に策略を巡らせる母がいます。
う~ん。誰が何を思い何をするのでしょうねぇ(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
全く畑違いの依頼をされた女。
そして恋におちたことも恋をしたこともない男がいます。
結婚しない息子に策略を巡らせる母がいます。
う~ん。誰が何を思い何をするのでしょうねぇ(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.11.29 22:25 | 編集
