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2018
11.15

優しい雨 <後編>

『こうすることがつくしさんのため』

楓はそう言ってコーヒーを口に運んだが、千恵子には意味が分からなかった。
自分が大切にしていた花瓶を割られただけで、結婚してまだ1年の娘を実家に帰すということのどこがつくしのためなのか。
娘は夫の母親を尊敬こそすれ憎みなどしていなかった。
嫁いだ以上夫を支え道明寺の家と会社を支えることが自分の役割だと言っていた。それが結婚を認めてくれた夫の母親への感謝の表れであると同時に、自分が選んだ人生だからと言っていた。
そしてそのことを姑も分っているはずだ。それなのに何故娘を傷つけるようなことをするのか。


「お母さん。私にはやはりおっしゃっている意味が分かりません。私はつくしの母親です。不甲斐ない父親に変わりあの子を育ててきました。貧乏な暮らしの中で育った子ですが、ご存知の通りあの子は清貧に甘んずる子で、家計を助けるためアルバイトをしながら学校に通う真面目な子でした。だから花瓶を割ったことは、それは大変申し訳ないことをしたと思っています。弁償出来るなら弁償したいと思うでしょう。でも弁償できるようなものでないことは、あの子が一番よく知っています。こちらのお家にあるものは、世界にひとつしかないといったものばかりでしょうから」

楓は千恵子の言葉に頷き、カップをソーサーと共にテーブルに置くと言った。

「そうね。世界にひとつしかないもの。世の中にはひとつだけしかないものが存在するわ。でもそれは花瓶などではないわ。ここにある花瓶がいくつ割れてもわたくしは気にしないわ。だってわたくしにとって一番大切なものは我が子。自分のお腹を痛めて産んだ子供は何があってもどんなことがあっても守りたい唯一の存在よ。だからお義母さんも我が子が傷つけられたことが許せなかった。傷ついた我が子を守るためにここに来た。つくしさんの幸せが何よりも大切だからここに来たはず。そうですわよね?」

千恵子の目には道明寺楓という人物は、母親であることより経営者としての道を選んだ女性として映っていた。だがたった今放たれた言葉は千恵子が思う道明寺楓の姿ではなかった。

「そこまで分かっていらっしゃるなら何故こんな_」

と、つっかかるように言いかけた千恵子がそこで口を閉ざしたのは、能面のようだった楓の顔にすうーっと影が過った気がしたからだ。そして切れ長の目が閉じられ再び開かれたとき、その表情はどこにでもいる母親の顔をしていた。そして意を決したように口を開いた。

「訊いていただけるかしら?」

楓のその言葉に千恵子は頷いた。










「男の子は母親に似た人と結婚するといいます。つくしさんはどこか私に似ているところがあります。強い意思と信念というものを持っています。こうと決めたら梃子でも動かない。それが彼女の性格です。わたくしもつくしさんと同じ物の考え方をします。だから司はつくしさんを選んだのでしょう」

そう言うと楓は軽く笑って言葉を継いだ。

「司もそんなつくしさんと結婚を決めるまで彼女の心に迷いがあってはいけないと待ちました。だから結婚が遅くなったということではないでしょうけど、今となってはその方が良かったのかもしれません。だってまだ結婚して1年。ふたりに子供はいません。つまりつくしさんは、あの子がいなくなれば、この家から出て行くことが出来る。自由になれます。でも彼女はそうはしない。だからそうしてあげるのがわたくしの役目です」

「お母さん?」

それまで家族という言葉と切り離されたところで生きていると思っていた女性は、息子の嫁として娘を迎え入れると、その性格を深く理解していると感じた。
それはかつて憎しみの対象だった娘が我が子の成長を助けたことを知っているから。
道明寺の家などどうでもいい。自分の代で無くなってしまえばいいと言っていたという息子が、娘と結婚出来るならどんなことも厭わないと言い、道明寺という家と会社を継ぐことを決めたのは、娘がいたからだということを知っているから。
だが千恵子は楓の口から出た『あの子がいなくなれば』の意味を図りかねていた。


「わたくしは息子がつくしさんと結婚してくれて本当に良かったと思っています。嬉しかったわ。何があってもあの子について行く。そんな意志を持って結婚してくれたつくしさんには感謝してもしきれないくらいだわ。でもそんな彼女だからこうするしかなかった。だって司がいなくなっても、つくしさんはこの家に残ると言うでしょう。そしてあの子の代わりになると言うはずです。わたくしを支える。そのために自分の人生を捨ててしまうはずです。でもわたくしはそんなことは望みません。つくしさんには幸せになって欲しい。だから彼女をこの家から追い出すことにしたんです。その為には理由が必要です。だからつくしさんが花瓶を割るように仕向けました。わたくしがつくしさんに花瓶を渡すとき、わざと早く手を離したんです」

「…..あのお母さん?」

千恵子は自分の声が緊張するのが感じられ背中に緊張が走った。
そして返された声はかすかに震えがあった。

「息子は….司は癌です」
















しんと静まり返り物音ひとつしない部屋に流れる空気。
部屋は完璧な空調が保たれているが逆にそのことに息苦しさを感じた。
そして時は確実に時間を刻むが、ふたりがこうして話はじめた頃、窓の外は晩秋の晴れ渡った空が広がっていたが、いつの間にか雨が降り出していた。
だが雨の音が中まで届くことはなく、ただ雨粒が窓を流れ落ちていく様子が見て取れたが、時折ザァーっと雨脚が強まっているのが感じられ、それはまるでふたりの母親たちの心の裡を表しているようだった。



「ロシアに行く2週間前、司は健康診断を受けました。その時医師からその疑いがあると言われました。でもそれは本人には伝えていません。古い付き合いがある医師はわたくしだけに連絡をしてきたのです。それからすぐに精密検査を受けさせました。それはデータがきちんと取れてなかった。採取した3本の血液のうち1本を紛失してしまったと言って再検査を受けさせたのです。役員の健康診断については、会社の経営に関わることから細心の注意を払う必要があります。ですから詳しく調べるのは当然のことで過去にもそういったことがあり息子も再検査を疑わなかったはずです」

千恵子は楓の話を黙って訊いていた。
そしてすぐに理解することが出来た。
楓が息子の嫁をこの家から追い出したのは、自分と似ているところがあると言うつくしなら、夫が亡くなったあと再婚もせずこの家に留まり、夫の母親の傍にいて仕事を手伝うと言うこと分かっているからだが、それは夫に操を立てるではないが、運命の恋人と呼ばれたふたりは死さえも超越する。たとえ肉体が滅びても魂がここにある限り、娘はこの家に残り、亡き夫の代わりに母親を支えると道明寺楓は知っているのだ。つまり娘はこの家に縛られることになってしまう。だから楓は自分が悪者になりつくしをこの家から追い出したのだ。

「医師からはまだ早期だから大丈夫だと言われました。ですから帰国次第手術を受けさせます。でもあの時のわたくしは一瞬何を言われたのか分かりませんでした。頭の中が真っ白になり、何も考えられなかったのです。でもぼんやりなどしていられません。まず考えたのは、つくしさんのことです。お義母様の前でこんなことを言うのは大変失礼かと思いますが、先ほど申し上げたように、つくしさんはわたくしに似ているところがあります。1本芯が通ったものの考え方。信念をもっているところ。夫を深く愛していること。だからつくしさんは__」

楓はそこまで言うと言葉に詰まった。
それは千恵子が初めて見た楓の動揺。
だが楓の言葉に母親としてのぬくもりを感じた。
目の前の女性も年を取ったと感じられた。
子供同士が結婚して義理の家族になったふたり。だがひとりは自分の生涯を家に捧げ、会社に捧げた。そんな女性とは価値観が違うと思っていた。だがこんな風に話し合うことで、今では同じ母親として子供たちを思う心は変わらないのだと知った。そして母親の道明寺楓が、まだ若い我が子の生命が断たれることよりも、残される義理の娘の未来を心配をしていることに怒った声が出た。

「お母さん。まだそうと決まった訳ではありません。早期だと言われたんですよね?何事も臆測だけで物を言うのはよくありません。私の娘があなたに似ているなら、あの子は既にお母さんの心を受け継いでいるはずです。あの子は弱くありません。それに司さんも同じです。それに覚えていらっしゃいますよね?司さんが生まれた時のことを。赤ちゃんは幸せな匂いがしたはずです。子供の誕生はお母さんにとって大変な歓びだったはずです。私たちが命を削るほど苦しい思いをして分け与えた命がそんなに簡単になくなるはずがありません。それにつくしは、何があっても司さんと一緒にいることを望みます。夫の傍を離れることは、あの子にとっては考えられないことです。それにつくしは、娘は、今頃お母さんのことを心配しているはずです。あの子は賢い子です。だから口ではお母様が大切にしていた花瓶を割ったことでこの家を追い出されたと言いましたが、本当はそんなことは思っていません。何かあったのだと感じています。それにあの子がお母さんに似たところがあるとおっしゃるなら、理由もなくお母さんがそんなことをするはずがないと分かっているはずです」

ふたりの母親の会話は決して諍いではない。
顔は平静を保ちながら話をしているが、心は絶え間なく揺れていて、それが年老いた母親たちの本当の姿だ。そしてどんな親もいつも子供のことを思う。親でいる限り死ぬまでそれは続く。それにたとえ我が子が罪を犯しても、何も聞かずに庇うことが出来るのは母親だけだ。
我が子を無条件で愛するのが母親だ。

「お母さん。大丈夫です。司さんも。つくしも。もしかすると、ふたりはもう知っているかもしれません。司さんは勘が鋭い人です。そして妻であるつくしは、そんな夫と一緒にいるんです。夫婦は互いの顔を見れば分かります。心に何かあればそれを感じることが出来ます。つくしは司さんといることが幸せなんです。お母さん。これからは闘いです。ふたりが闘うのを私たち母親が支え応援すればいいんです。いえ。しなければいけないんです。それに司さんは強い人間です。それに人間は良すぎると早く死ぬといいます。でも過去の司さんはそうではなかったと訊いています。だからあなたの息子さんは生きます。それに娘がそうさせます。絶対にね」









ふたりの母親は涙を流すことはなかった。
だがその代わりを果たしたのは窓を伝う雨だ。
気付けばいつの間にか降り出した雨は時折雨脚が強くなったこともあった。
だが今はその雨も細い雨に変わり、やがてポツポツと降る優しい雨となり、銀色の玉となってキラキラと輝きを放ち始めたが、それは空を覆っていた雨雲が去ったからだ。

「お母さん。あのふたりは夫婦です。夫婦には夫婦のルールがあります。越冬するため北の国から飛んで来た鶴の夫婦だって、どちらかが病に倒れて渡りが出来なくなると、夫婦で残ると言います。パートナーの病が治るまでずっと傍についていると言います。
それはあのふたりも同じです。一緒だから乗り越えられることがあります。ふたりが一緒にいることに意味があるんです。つくしの幸せはあの子が決めます。だからお母さん。私たちは、どんなことがあってもふたり応援するしかないんです」

そしてふたりの女性が窓越しに見たのは、雨上がりの晩秋の陽光がもたらした、たそがれの風景。
その風景を見ながら千恵子は楓が出来ることなら息子と変わってやりたいと思っていることは分かっていた。そしてふたりは、その風景の中で太陽が作り出した荘厳さを見た。

それは広大な敷地を持つ屋敷の庭に舞い降りた大きな二羽の鳥が羽根を休めている姿。
日の光りはまるでスポットライトのように鳥たちを照らしていたが、彼らは北から渡って来たつがいの鳥たちなのか。
雨で濡れた羽根がキラキラと輝いて見えたが、その姿が気高く尊いものに思え、彼らが来年の春、共に北帰行してくれることを願わずにはいられなかった。
そしてふたりは、その鳥たちに我が子の姿を重ね静に祈りを捧げていた。





< 完 >*優しい雨*

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dot 2018.11.15 05:13 | 編集
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dot 2018.11.15 07:07 | 編集
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dot 2018.11.15 07:09 | 編集
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dot 2018.11.15 07:18 | 編集
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dot 2018.11.15 10:07 | 編集
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dot 2018.11.15 12:34 | 編集
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dot 2018.11.15 15:46 | 編集
つ***ぼ様
愛とは何か。
ふたりの母親は表現の仕方は違ったとしても、それぞれに深い愛情を持っていました。
楓さんは逃げ道を作ることをしましたが、千恵子は娘の性格からして愛を貫くだろうと言いました。
姑に愛される嫁はきっと夫を支えていくはずです。
コメント有難うございました^^
お書きいただいた件ですが、拙宅でよろしければどうぞ^^
アカシアdot 2018.11.16 21:14 | 編集
ふ*******マ様
おはようございます^^
ブッた切った結果がこのようになりました。
楓ママはまだ嫁に来て1年しか経ってないつくしに逃げ道を作り、千恵子はふたりのことは、ふたりが決めること。親は応援してあげることが仕事だと言いました。
ふたりはきっと乗り越えるはずです。
え?こんなアカシアに付いて来て下さるんですか!(≧▽≦)
ありがとうございます!
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:17 | 編集
ま**ん様
おはようございます^^
それぞれ母親たちの心は違ったようですが、ふたりとも子供たち夫婦のことを考えていることに間違いはありません。
ふたりの絆は病を乗り越える。
そう信じることを決めた母親たちの前に舞い降りたつがいの鳥。これは何かの暗示なのでしょうか。
はい。余韻をたっぷり残して終わりました(笑)
そしてその後のふたりは暗示された通りとなったのでしょうかねぇ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:23 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
こちらのお話の主役は千恵子でありながら、楓でもありました。
それぞれに子供を思う気持ちはあるでしょう。
楓としては、結婚してまだ1年の嫁に対しての思いがあったようです。
そして千恵子はつくしという娘は、いざという時こそ力を発揮する娘だと分かっています。
ふたりはこの困難も乗り越えてくれるはずです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:31 | 編集
s**p様
今週は忙しくお話に対する思考能力が著しく低下していました(笑)
こちらのお話は脱稿済みのお話で、ふたりの母親のお話でした。
楓さん。ひとりで考えるよりもふたりで考える方がいいに決まってますよ。悲しみや苦しみは分け合う事で軽減されるはずです。
え?この後の司とつくしのお話ですか?余裕が出来たらですね?(笑)頑張ってみます。
なんだか急に寒くなりましたねぇ。s**p様もお身体ご自愛下さいね。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:38 | 編集
澪**ん様
こんにちは^^
司もつくしも殆ど出てない(笑)
そうですよね?つくしも少しだけ。司に至っては全く出ていませんよね?(笑)
こちらはふたりの母親が主役でした。楓さんと千恵子は全くタイプが異なる母親ですが、子供を思う気持ちは同じです。
え?この後の展開ですか?頑張ってみます(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:49 | 編集
悠*様
ふたりが結婚して1年。どのような結婚生活なのか。
そちらはご想像にお任せして、病魔に侵された息子を思う母とその義母のお話となりました。
お楽しみいただけて良かったです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:52 | 編集
コ**リ様
わざと花瓶を割り嫁を追い出した。そこには楓なりの嫁を思う気持ちがありました。
鶴はパートナーが飛べないとなると、その場に残るそうです。
テレビ番組でその様子を見ましたが。北帰行をしない鶴のつがい。仲間は飛び立ちましたが、彼らは春を迎えても暫く水田に残り、やっと飛べるようになると二羽は北の空へ向けて飛び立って行きました。
言葉を話さなくても愛情深い生き物は沢山いますね。
そして千恵子は言いました。
夫婦になったふたりには、ふたりだけのルールがある。
親でも口出ししてはならないことがある。それを楓に伝えました。
花*愛の劇場!懐かしいですねぇ(笑)
そしてこちらは「見守りシリーズ」ありがとうございます!
「優しい雨」の雨はふたりの母親の心に流れた涙です。
心の中で流す涙は初めてかもしれませんが、哀しみの涙ではあって欲しくない。未来があると思える涙ではないでしょうか。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.11.16 21:58 | 編集
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