「あなた、そんなことも知らないの?」
義理の母は厳しい人で何も知らない私は叱られっぱなしだった。
「駄目ね。行儀作法がなってない」
と言った義理の母の目は笑うことがなかった。
「その服はなに?下品ね。着替えてきなさい」
品のいいスーツを着たその人は隙の無い物腰で言った。
「気持を声や顏に出すのは頭の悪い人間のすること。あなたは少なくとも頭はいいはずでしょ?」
きつい言葉。
冷やかな声。
表情が変わらない無情このうえない顏つき。
これらのことから言えるのは、その女性が冷酷な性格だということ。
それにその女性は、他人が何を言おうが目的に向かって突き進むことを止めない人間であり、人の心の中に生まれる曖昧な感情というものが嫌いだ。
そして、上流階級の女性の言葉に本音と建て前というものはない。
つまりすべてが本音であるということ。
だから冷やかな声で話される言葉は、鋭い刃物となって私に斬りかかった。
女性の息子が交際相手として私を母親の前に連れて行ったのは、彼の誕生パーテイー。
会場は彼の自宅だが、招待状がなければ入れることが出来ない煌びやかな場所。
私はそんな所に着ていくような華々しい洋服を持っておらず、友人の姉から借りたドレスを着て行った。
そして母親に会わせるという彼の言葉に、私は慌てて髪の乱れを直しドレスの裾を整えた。
「あなた、どちらのお嬢さん?」
私とまったく違う世界に身を置いている女性は自分達とは違う匂いに敏感だ。
「間違った場所に間違った人がいてはお互いに楽しくないわね」
私は言われなくても自分が場違いな場所にいることは感じていた。
家柄の差というものは、彼と出会った時から感じていた。
何しろ彼の家は、都内に広大な土地を所有する資産家であり企業をいくつも経営している。
そして母親の家は華族の家柄だ。
だが彼は「お母さん。彼女は私が選んだ人です。どの世界に住んでいるかは関係ありません」と言って眉根を寄せた母親と私の間に立った。
しかし母親はふたりの交際に反対した。
そして私は彼と別れた。
それはそうしなければならない理由が生じたからだが、彼はその理由を一蹴した。
そしてポケットの中から手を出せない私の腕をつかみ、左手の薬指に指輪を嵌めた。
「結婚して欲しい」
驚いて指輪を見つめる私に彼は言った。
だが彼は私のような女にプロポーズしなくても、他にいくらでも結婚相手を見つけられる人間。しかし、私は彼を愛していたからその言葉に頷いた。
そして彼は「後悔はしないか?」と訊いた。
それは自分と結婚するということは、この家のために人生の全てをかけることになるがいいかという意味だ。
私は彼と交際を始めたとき覚悟を決めていた。
だから「後悔しない」と答えた。
そして私たちは紆余曲折を経て結婚した。
それからの私は彼の母親に認められるように努力した。
この家に相応しい人間になるように努めた。
だが夫には見逃せる欠点も、勝気な義理の母には見逃せないものなのか。
唇を噛んだことがあった。
瞳が涙で膨らんだこともあった。
不合格のスタンプをいくつも押された私は、くじけそうになった。
それでも私は負けなかった。義理の母に認めてもらうため努力を続けた。
だがある日。夫の出張中に事件が起きた。
「いったいどういうことなの?この花瓶はこの家に代々伝わる物で金銭的価値は国宝クラスよ」
私は邸の入口に飾られていた花瓶を真っ二つに割ってしまった。
それは義母から生けられている花を変えるように言われた時だった。
濡れた手で花瓶を持ち上げてしまった私は手を滑らせた。
「まったく….花を変える。こんな簡単なことも出来ないならこの家から出て行きなさい。あなたはこの家には必要のない人間よ」
義理の母に言われた、あなたはこの家には必要のない人間という言葉。
だが私は出て行かなかった。
そして言った。
「お母様。申し訳ございません。濡れた手で花瓶を持った私が至りませんでした。もし今後私が花瓶だけではなく何かを割るようなことがあれば私の手を叩いて下さい。いえ。使いものにならないこの手を切り落としていただいても構いません」
私は今、ソファに座ってアルバムを捲っていた。
貼られている写真に写っているのは結婚式の私。
白いドレスを着た私は晴れやかな笑顔を浮かべてはいるが緊張していた。
そして私たち夫婦の両隣に立っているのは義理の両親だ。
新婚旅行はヨーロッパ。
王女が新聞記者と恋に落ちた映画の舞台になった街の階段で、同じようにアイスクリームを食べた。泉に背を向けコインを投げ、また二人で来ようと誓った。
パリで一番高い丘に登ったとき、夫に勧められ名もない絵描きに似顔絵を描いてもらった。
そして夫は帰国すると、描いてもらった絵を額に入れ寝室に飾ろうとした。だが恥ずかしいから止めて欲しいと言った。
ロンドンで世界最大級と言われる大きさのダイヤモンドを見ているとき、「このクラスのダイヤならうちにもある。英国王室もたいしたことないな」と笑い「うちも博物館を作って展示するか」と言った。
ページを捲るたびに懐かしい記憶が甦る。
次に捲って出てきたのは南フランスにいるふたり。
世界一おいしいブイヤベースを食べに行こうと言ってコートダジュールの小さな村へ行った。そこは地中海に面した断崖に立つホテルのレストラン。
「ここのシーフードは生きているだろ」
と言った夫は、実は今日はこのホテルの料理長をパリのうちのホテルの料理長にスカウトしに来た。と言って笑った。
そして最後に捲って出てきたのは10代後半の私と夫の姿。
それはふたりが出逢った頃に写されたもの。
私はじっと写真の自分の顏を見つめる。
そこに写る私は派手な化粧と髪型に当時流行の最先端と言われたミニスカートを履き、踵の高い靴を履いていた。
長い睫毛に囲まれた黒い瞳はしっかりと前を見ていた。
私は勉強ができた。
そして見映えもよかった。
そんな私の家は戦後、父が事業を起こし成功した所謂成金。
だが9歳のとき父が亡くなり破産した。
それでも母は、当時私が通っていた私立のミッションスクールを辞めさせることなく通わせた。そこは、小学1年の頃から外国人教師から英語を習うような学校。だから小学校を卒業し公立の中学に入学して手にした教科書は、すでに小学生の頃に終えた内容のものでつまらなかった。
そんな私は世間に対し斜に構えていた。
やがて高校生になり、踊りに出かけた私は、そこで道明寺家の御曹司に見初められ恋に落ちた。
そして結婚しようと言われたが、彼の母親は落ちぶれた家の娘との結婚に反対した。
だから私は裕福な親戚の家に養女として入り、大学を卒業し、世界に名だたる道明寺財閥の次の当主に嫁いだ。
財閥の後継者だった彼は結婚するとき私のことを全力で守ると言った。
だが世間では、プロポーズの言葉は政治家の公約と同じだと言う。
つまり守られないということ。だがそんなことはなかった。
彼はその言葉通り私のことを守ってくれた。
そして、ふたりの息子も妻となる女性に同じ言葉を言った。
だが彼女は人生の厄介事の数々を笑い飛ばす力を持っている。
それに、ありのままの自分を受け入れ、前に進む力がある。
だから守られる必要はないと言う。
それに彼女は私と同じで芯が通っている。
だからこそ彼女は息子のいい伴侶になるはずだ。
それにしても、歴史は繰り返すのかもしれない。
何しろこの家の当主となる男は自分にはなびかない。
一筋縄ではいかない少し生意気な女が好みなのだから。
「ねえあなた。血は争えないわね」
私は写真の中の夫に語りかけた。
そのとき、ノックの音がして扉が開いた。
「楓。時間だ。そろそろ行こう。遅れたら大変だ」
今日は息子の結婚式。
「おや?随分と懐かしいものを見ていたんだね?」
「ええ。昔のアルバムよ」
「そうか。あの頃の私たちは若いな」
夫は視線を下に落として微笑んだ。
「あら、あなた。わたくしはまだ若いつもりでいます」
私は自信を持って言った。
すると夫は「そうだな。楓は若い。あの頃と変わらないよ。それに私は楓の若い頃を忘れていない」と言った。
あのとき、パリで描かれた似顔絵は立派な額に入れられ夫の執務室に置かれていた。
私はアルバムを閉じると立ち上がったが、いつかこのアルバムを息子の妻に見せるつもりだ。その時、あの子がどんな顏をするのか楽しみだ。
「さあ、行きましょうか。この家の次の当主夫妻の結婚式に」
< 完 > *思い出をつないで*

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義理の母は厳しい人で何も知らない私は叱られっぱなしだった。
「駄目ね。行儀作法がなってない」
と言った義理の母の目は笑うことがなかった。
「その服はなに?下品ね。着替えてきなさい」
品のいいスーツを着たその人は隙の無い物腰で言った。
「気持を声や顏に出すのは頭の悪い人間のすること。あなたは少なくとも頭はいいはずでしょ?」
きつい言葉。
冷やかな声。
表情が変わらない無情このうえない顏つき。
これらのことから言えるのは、その女性が冷酷な性格だということ。
それにその女性は、他人が何を言おうが目的に向かって突き進むことを止めない人間であり、人の心の中に生まれる曖昧な感情というものが嫌いだ。
そして、上流階級の女性の言葉に本音と建て前というものはない。
つまりすべてが本音であるということ。
だから冷やかな声で話される言葉は、鋭い刃物となって私に斬りかかった。
女性の息子が交際相手として私を母親の前に連れて行ったのは、彼の誕生パーテイー。
会場は彼の自宅だが、招待状がなければ入れることが出来ない煌びやかな場所。
私はそんな所に着ていくような華々しい洋服を持っておらず、友人の姉から借りたドレスを着て行った。
そして母親に会わせるという彼の言葉に、私は慌てて髪の乱れを直しドレスの裾を整えた。
「あなた、どちらのお嬢さん?」
私とまったく違う世界に身を置いている女性は自分達とは違う匂いに敏感だ。
「間違った場所に間違った人がいてはお互いに楽しくないわね」
私は言われなくても自分が場違いな場所にいることは感じていた。
家柄の差というものは、彼と出会った時から感じていた。
何しろ彼の家は、都内に広大な土地を所有する資産家であり企業をいくつも経営している。
そして母親の家は華族の家柄だ。
だが彼は「お母さん。彼女は私が選んだ人です。どの世界に住んでいるかは関係ありません」と言って眉根を寄せた母親と私の間に立った。
しかし母親はふたりの交際に反対した。
そして私は彼と別れた。
それはそうしなければならない理由が生じたからだが、彼はその理由を一蹴した。
そしてポケットの中から手を出せない私の腕をつかみ、左手の薬指に指輪を嵌めた。
「結婚して欲しい」
驚いて指輪を見つめる私に彼は言った。
だが彼は私のような女にプロポーズしなくても、他にいくらでも結婚相手を見つけられる人間。しかし、私は彼を愛していたからその言葉に頷いた。
そして彼は「後悔はしないか?」と訊いた。
それは自分と結婚するということは、この家のために人生の全てをかけることになるがいいかという意味だ。
私は彼と交際を始めたとき覚悟を決めていた。
だから「後悔しない」と答えた。
そして私たちは紆余曲折を経て結婚した。
それからの私は彼の母親に認められるように努力した。
この家に相応しい人間になるように努めた。
だが夫には見逃せる欠点も、勝気な義理の母には見逃せないものなのか。
唇を噛んだことがあった。
瞳が涙で膨らんだこともあった。
不合格のスタンプをいくつも押された私は、くじけそうになった。
それでも私は負けなかった。義理の母に認めてもらうため努力を続けた。
だがある日。夫の出張中に事件が起きた。
「いったいどういうことなの?この花瓶はこの家に代々伝わる物で金銭的価値は国宝クラスよ」
私は邸の入口に飾られていた花瓶を真っ二つに割ってしまった。
それは義母から生けられている花を変えるように言われた時だった。
濡れた手で花瓶を持ち上げてしまった私は手を滑らせた。
「まったく….花を変える。こんな簡単なことも出来ないならこの家から出て行きなさい。あなたはこの家には必要のない人間よ」
義理の母に言われた、あなたはこの家には必要のない人間という言葉。
だが私は出て行かなかった。
そして言った。
「お母様。申し訳ございません。濡れた手で花瓶を持った私が至りませんでした。もし今後私が花瓶だけではなく何かを割るようなことがあれば私の手を叩いて下さい。いえ。使いものにならないこの手を切り落としていただいても構いません」
私は今、ソファに座ってアルバムを捲っていた。
貼られている写真に写っているのは結婚式の私。
白いドレスを着た私は晴れやかな笑顔を浮かべてはいるが緊張していた。
そして私たち夫婦の両隣に立っているのは義理の両親だ。
新婚旅行はヨーロッパ。
王女が新聞記者と恋に落ちた映画の舞台になった街の階段で、同じようにアイスクリームを食べた。泉に背を向けコインを投げ、また二人で来ようと誓った。
パリで一番高い丘に登ったとき、夫に勧められ名もない絵描きに似顔絵を描いてもらった。
そして夫は帰国すると、描いてもらった絵を額に入れ寝室に飾ろうとした。だが恥ずかしいから止めて欲しいと言った。
ロンドンで世界最大級と言われる大きさのダイヤモンドを見ているとき、「このクラスのダイヤならうちにもある。英国王室もたいしたことないな」と笑い「うちも博物館を作って展示するか」と言った。
ページを捲るたびに懐かしい記憶が甦る。
次に捲って出てきたのは南フランスにいるふたり。
世界一おいしいブイヤベースを食べに行こうと言ってコートダジュールの小さな村へ行った。そこは地中海に面した断崖に立つホテルのレストラン。
「ここのシーフードは生きているだろ」
と言った夫は、実は今日はこのホテルの料理長をパリのうちのホテルの料理長にスカウトしに来た。と言って笑った。
そして最後に捲って出てきたのは10代後半の私と夫の姿。
それはふたりが出逢った頃に写されたもの。
私はじっと写真の自分の顏を見つめる。
そこに写る私は派手な化粧と髪型に当時流行の最先端と言われたミニスカートを履き、踵の高い靴を履いていた。
長い睫毛に囲まれた黒い瞳はしっかりと前を見ていた。
私は勉強ができた。
そして見映えもよかった。
そんな私の家は戦後、父が事業を起こし成功した所謂成金。
だが9歳のとき父が亡くなり破産した。
それでも母は、当時私が通っていた私立のミッションスクールを辞めさせることなく通わせた。そこは、小学1年の頃から外国人教師から英語を習うような学校。だから小学校を卒業し公立の中学に入学して手にした教科書は、すでに小学生の頃に終えた内容のものでつまらなかった。
そんな私は世間に対し斜に構えていた。
やがて高校生になり、踊りに出かけた私は、そこで道明寺家の御曹司に見初められ恋に落ちた。
そして結婚しようと言われたが、彼の母親は落ちぶれた家の娘との結婚に反対した。
だから私は裕福な親戚の家に養女として入り、大学を卒業し、世界に名だたる道明寺財閥の次の当主に嫁いだ。
財閥の後継者だった彼は結婚するとき私のことを全力で守ると言った。
だが世間では、プロポーズの言葉は政治家の公約と同じだと言う。
つまり守られないということ。だがそんなことはなかった。
彼はその言葉通り私のことを守ってくれた。
そして、ふたりの息子も妻となる女性に同じ言葉を言った。
だが彼女は人生の厄介事の数々を笑い飛ばす力を持っている。
それに、ありのままの自分を受け入れ、前に進む力がある。
だから守られる必要はないと言う。
それに彼女は私と同じで芯が通っている。
だからこそ彼女は息子のいい伴侶になるはずだ。
それにしても、歴史は繰り返すのかもしれない。
何しろこの家の当主となる男は自分にはなびかない。
一筋縄ではいかない少し生意気な女が好みなのだから。
「ねえあなた。血は争えないわね」
私は写真の中の夫に語りかけた。
そのとき、ノックの音がして扉が開いた。
「楓。時間だ。そろそろ行こう。遅れたら大変だ」
今日は息子の結婚式。
「おや?随分と懐かしいものを見ていたんだね?」
「ええ。昔のアルバムよ」
「そうか。あの頃の私たちは若いな」
夫は視線を下に落として微笑んだ。
「あら、あなた。わたくしはまだ若いつもりでいます」
私は自信を持って言った。
すると夫は「そうだな。楓は若い。あの頃と変わらないよ。それに私は楓の若い頃を忘れていない」と言った。
あのとき、パリで描かれた似顔絵は立派な額に入れられ夫の執務室に置かれていた。
私はアルバムを閉じると立ち上がったが、いつかこのアルバムを息子の妻に見せるつもりだ。その時、あの子がどんな顏をするのか楽しみだ。
「さあ、行きましょうか。この家の次の当主夫妻の結婚式に」
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