「クリスマスイブ。何か予定がありますか?」
クリスマスが近づいてきた。
私はいつものように私が作った料理を食べている彼女に言った。
「え?」
「ですからクリスマスイブです」
「いいえ。別に予定はないわ」
「そうですか。では私と一緒に外出してくれませんか。何しろ私はひとりでこの部屋から出る事が出来ません。ですが壺の持ち主であるあなたと一緒なら外に出ることができる。だから私を外へ連れ出して欲しいのです」
彼女は私の言葉に箸を手に持ったまま考えていた。
そして暫くすると「いいわ。クリスマスイブ。一緒に出掛けましょう。いつも家の中にいたら退屈だものね」と言った。
「それでヤマモトさん。どこか行きたいところがあるの?」
彼女は私の「外へ連れ出して欲しい」の言葉に訊いた。
「いえ。特にありません」
「そう。分かったわ」
今年のクリスマスイブは、土曜日ということもあり、街はとても混んでいた。
私は行きたいところは特にないと答えたが、こうしてクリスマスの街を彼女と一緒に街を歩きたかった。何しろここには、ふたりで見ることが出来なかったクリスマスの景色がある。遠くに見えるタワーはクリスマスカラーに染まり、ショーウィンドウは赤と緑と金色が溢れ、耳に響くのはクリスマスソング。だから頬を刺す風の冷たさも気にならなかった。
「ねえヤマモトさん」
「はい」
彼女は私の腕を取って立ち止まった。
そして「ここに入りましょう」と言って小さな店を指さした。
もし、私が生きていたらクリスマスには、あらかじめレストランを予約して、洒落たプレゼントを用意したはずだ。だが今の私にはそれが出来ない。
何故、私は彼女を忘れてしまったのか。
そして何故、彼女を思い出さなかったのか。
私は自分自身に腹が立った。
過行く青春時代を一緒に過ごすことが出来なかったことに悔しさが込み上げた。
「ねえ。ヤマモトさん。今夜は思いっきり飲みましょう」
私たちが入ったのは小さなワインバー。
彼女は赤ワインをボトルで頼んだ。
そして「赤ワインってクリスマスに合うと思わない?ほらサンタさんの衣裳も赤だし、ポインセチアも赤だし、信号も赤色だし!」と言ってグラスに注がれたワインをぐびぐびと飲んだ。
そして頬を赤く染めた彼女は「赤ワインって美味しいわねぇ。これがブドウから出来てるって知ってる?ワインを作った昔の人!凄いわねぇ」と言ってケラケラと笑ったが、大人になった彼女はアルコールに弱いようだ。
しかし、私はどんなに飲んでも酔うことはない。
すると彼女は自分が酔っているのに私が酔っていないことが不満なのか。
「ちょっとぉ、もっとぉ、飲みなさいよぉ」と言った。だから私はグラスを口に運んだが、やはり酔うことはなかった。
私は若い頃から酒が強かった。
だから酔わないのか。
それとも生きてないからなのか。
どちらにしても、今の私は酒を美味いとは思わなかった。
そして私には「クリスマスかぁ。クリスマスねぇ……」と呟く彼女は、飲めない酒を無理に飲もうとしているように思えた。
私は酔っぱらった彼女と一緒に家に帰った。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した彼女は「今日は楽しかったわ。ありがとう」と言った。
私も「楽しかったです」と答えたが、それは心からの思い。
そして彼女は「おやすみなさい」と言って壺を擦った。
だから私は壺の中に吸い込まれた。
だが暫くすると声が聞こえてきた。
それは彼女が壺に向かって呟いている声だ。
「あなた。声が似ているの。あなたの顏は知らない顏だけど声が似ているの。その人はね、ワガママで口が悪い男だったのに箸の持ち方がキレイだった。髪の毛がバカみたいにクルクルしていた。それに男のくせに無駄に睫毛が長かった…..」
沈んだ声で語られているのは私のこと。
そしてときどき「ねえ、聞いてる?」と、まるで会話をしているように確かめる。
「それでね。その人は美味しい物を沢山食べさせてやるって言ったの。きれいな景色を沢山見せてやるって言ったの」
彼女に食べさせたい物が沢山あった。
見せたい景色が沢山あった。
そこにいつか一緒に行こう。
そんな約束をしたが、それらは全て空約束となった。
やがて聞こえてきたのは嗚咽。
その嗚咽混じりに聞こえてきたのは、「私ね、その人に恋をしたの。うんうん、違う。恋をしたんじゃない。恋におちたの。それでその人も私のことを好きだって言ってくれた。それなのに、事件に巻き込まれて私のことだけ忘れて他の女性と結婚しちゃった。よりにもよって私だけを忘れてね」
その言葉に刺された傷痕がヒリヒリと傷んだ。
ひとりで何も出来ない女じゃないと言った彼女。
だがしっかり者のようで、おっちょこちょいな所があった彼女。
それに物怖じすることはなかったが、傍目を気にすることがあった。
だから、きっと彼女を好きだと言った私が背負うべきだった彼女の苦労というものがあったはずだ。そう思う私は彼女の言葉を噛みしめていた。
「だけどね、人間は忘れる生き物でしょ?それに私もその人以外の人と結婚した。だから私を忘れたことも、先に死んじゃったことも許すわ。それにあの人は今、地球の裏側で生きている。そう思うことにしたの」

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クリスマスが近づいてきた。
私はいつものように私が作った料理を食べている彼女に言った。
「え?」
「ですからクリスマスイブです」
「いいえ。別に予定はないわ」
「そうですか。では私と一緒に外出してくれませんか。何しろ私はひとりでこの部屋から出る事が出来ません。ですが壺の持ち主であるあなたと一緒なら外に出ることができる。だから私を外へ連れ出して欲しいのです」
彼女は私の言葉に箸を手に持ったまま考えていた。
そして暫くすると「いいわ。クリスマスイブ。一緒に出掛けましょう。いつも家の中にいたら退屈だものね」と言った。
「それでヤマモトさん。どこか行きたいところがあるの?」
彼女は私の「外へ連れ出して欲しい」の言葉に訊いた。
「いえ。特にありません」
「そう。分かったわ」
今年のクリスマスイブは、土曜日ということもあり、街はとても混んでいた。
私は行きたいところは特にないと答えたが、こうしてクリスマスの街を彼女と一緒に街を歩きたかった。何しろここには、ふたりで見ることが出来なかったクリスマスの景色がある。遠くに見えるタワーはクリスマスカラーに染まり、ショーウィンドウは赤と緑と金色が溢れ、耳に響くのはクリスマスソング。だから頬を刺す風の冷たさも気にならなかった。
「ねえヤマモトさん」
「はい」
彼女は私の腕を取って立ち止まった。
そして「ここに入りましょう」と言って小さな店を指さした。
もし、私が生きていたらクリスマスには、あらかじめレストランを予約して、洒落たプレゼントを用意したはずだ。だが今の私にはそれが出来ない。
何故、私は彼女を忘れてしまったのか。
そして何故、彼女を思い出さなかったのか。
私は自分自身に腹が立った。
過行く青春時代を一緒に過ごすことが出来なかったことに悔しさが込み上げた。
「ねえ。ヤマモトさん。今夜は思いっきり飲みましょう」
私たちが入ったのは小さなワインバー。
彼女は赤ワインをボトルで頼んだ。
そして「赤ワインってクリスマスに合うと思わない?ほらサンタさんの衣裳も赤だし、ポインセチアも赤だし、信号も赤色だし!」と言ってグラスに注がれたワインをぐびぐびと飲んだ。
そして頬を赤く染めた彼女は「赤ワインって美味しいわねぇ。これがブドウから出来てるって知ってる?ワインを作った昔の人!凄いわねぇ」と言ってケラケラと笑ったが、大人になった彼女はアルコールに弱いようだ。
しかし、私はどんなに飲んでも酔うことはない。
すると彼女は自分が酔っているのに私が酔っていないことが不満なのか。
「ちょっとぉ、もっとぉ、飲みなさいよぉ」と言った。だから私はグラスを口に運んだが、やはり酔うことはなかった。
私は若い頃から酒が強かった。
だから酔わないのか。
それとも生きてないからなのか。
どちらにしても、今の私は酒を美味いとは思わなかった。
そして私には「クリスマスかぁ。クリスマスねぇ……」と呟く彼女は、飲めない酒を無理に飲もうとしているように思えた。
私は酔っぱらった彼女と一緒に家に帰った。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した彼女は「今日は楽しかったわ。ありがとう」と言った。
私も「楽しかったです」と答えたが、それは心からの思い。
そして彼女は「おやすみなさい」と言って壺を擦った。
だから私は壺の中に吸い込まれた。
だが暫くすると声が聞こえてきた。
それは彼女が壺に向かって呟いている声だ。
「あなた。声が似ているの。あなたの顏は知らない顏だけど声が似ているの。その人はね、ワガママで口が悪い男だったのに箸の持ち方がキレイだった。髪の毛がバカみたいにクルクルしていた。それに男のくせに無駄に睫毛が長かった…..」
沈んだ声で語られているのは私のこと。
そしてときどき「ねえ、聞いてる?」と、まるで会話をしているように確かめる。
「それでね。その人は美味しい物を沢山食べさせてやるって言ったの。きれいな景色を沢山見せてやるって言ったの」
彼女に食べさせたい物が沢山あった。
見せたい景色が沢山あった。
そこにいつか一緒に行こう。
そんな約束をしたが、それらは全て空約束となった。
やがて聞こえてきたのは嗚咽。
その嗚咽混じりに聞こえてきたのは、「私ね、その人に恋をしたの。うんうん、違う。恋をしたんじゃない。恋におちたの。それでその人も私のことを好きだって言ってくれた。それなのに、事件に巻き込まれて私のことだけ忘れて他の女性と結婚しちゃった。よりにもよって私だけを忘れてね」
その言葉に刺された傷痕がヒリヒリと傷んだ。
ひとりで何も出来ない女じゃないと言った彼女。
だがしっかり者のようで、おっちょこちょいな所があった彼女。
それに物怖じすることはなかったが、傍目を気にすることがあった。
だから、きっと彼女を好きだと言った私が背負うべきだった彼女の苦労というものがあったはずだ。そう思う私は彼女の言葉を噛みしめていた。
「だけどね、人間は忘れる生き物でしょ?それに私もその人以外の人と結婚した。だから私を忘れたことも、先に死んじゃったことも許すわ。それにあの人は今、地球の裏側で生きている。そう思うことにしたの」

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私の記憶はあるところで止っていた。
だから私は彼女が誰なのか分からなかった。
だが私の周りにいる人間は口を揃えて言った。
「思い出せ。そうしなければお前は一生を暗闇の中で過ごすことになる」と。
だが私は彼らの言葉に耳を貸さなかった。
そして彼女を思い出さなかった。
だから私の人生は彼らの言う通り暗闇の中で終った。
「ご主人様。ご用ですか?」
「ええ。悪いけど、あそこの電球を取り替えて欲しいの。私じゃ手が届かないから」
「かしこまりました」
私は女性から電球を受け取ると、天井近くにある照明器具に手を伸ばした。
「ありがとう。家の中に背の高い人がいると助かるわ」
と女性は私に礼を言った。
そして「ねえ。せっかく壺から出て来てもらったことだし、お茶でも飲まない?」と言った。
だから私は「ではご一緒させていただきます」と答えた。
この世での人生を終えた私は壺の中に入り込んだ。
だが何故、壺の中に入ることになったのかは分からなかった。
そして今の私は背が高いことは別として、以前とは全く違う別の容姿をしていた。
壺の持ち主の女性の名前は牧野つくし。
そう。私が思い出すことが出来なかった女性だ。
彼女は私が彼女を思い出さなかったことで数年後に他の男と結婚した。
しかし5年後に離婚した。
そしてそれから独身のまま会社勤めを続けたが、来年の春に20年勤めた会社を辞め地方に移住する。
そんな彼女が休暇を取って旅に出た。そして旅先の骨とう品が並ぶ店で、ひとつの小さな壺に興味を持った。
「お客さん。この壺にご興味があるようですね?この壺は、ある旧家の蔵に眠っていたもので立ち姿が美しい逸品です。こういった物は出会いです。一期一会です」
店主はそう言って壺を勧めたが、ただ安定感があるだけの古い飾壺だ。
その壺を彼女は見つめていた。
「いかがですか?お安くしておきますよ?」
そう言われて彼女はその壺を買った。
そして、彼女は家に帰ると壺の汚れを取るため布で擦った。その瞬間、私は煙と共に壺の中から外へ出た。すると彼女は悲鳴を上げた。そして壺から離れ「あなた誰よ!いったい何なのよ!」と言った。だから私は「ヤマモトモトヤです」と咄嗟に呪文のように答え、お辞儀をした。
すると彼女は少しだけ間を置いたが、壺の中から男が現れるという怪奇と呼べる事態に動じることなく「ええっと、ヤマモトさんね…..ところであなたどうして壺から出てきたの?」と言った。
私はそう言われても何故自分が壺の中に……こういった境遇におかれているのか分からなかった。だから彼女の質問に答えることが出来なかった。
すると彼女は「ま、いいわ」と言って会話はそれで終わった。
そして1週間が過ぎ、2週間が経った。
始めこそ質問する者と、それに答える者だったが、あまりにも私が彼女の質問に答えることが出来ないことが分かると、彼女は何も聞かなくなった。
そんな私は壺を擦られると壺から出ることができるが、また壺を擦られると壺に吸い込まれる。だから夜になると彼女は壺を擦って私を壺の中に戻す。
だが人がいないときに限り、勝手に壺から出ることができる。
だから彼女が部屋を出て仕事に向かうと壺から出たが、この部屋から外に出ることは出来なかった。
そんな私の役目は壺の持ち主に仕えることのようだ。
そして私は家事が得意らしく、することがないので部屋の掃除をして料理をした。ただ洗濯は止めて欲しいと言われた。
「ねえ、ヤマモトさん。今晩の御飯はなに?」
彼女は私と視線を合わせて訊いた。
「クリームシチューを作りました」
私がそう言うと、「わあ。シチューなのね!嬉しい!私の大好物よ!」と言って「一緒に食べましょうよ」と言った。
彼女はおいしい、おいしいと言って私が作った料理を口にしてくれる。
今の私はそれが嬉しかった。そして私たちは一緒に夕食を食べることが当たり前のようになった。
しかし、私は何故彼女が会社を辞めてこの街を去るのかが知りたかった。
だからある夜、私は彼女に訊いた。
「私が勤めている中堅どころの化学素材の会社が買収されることになったの。そこで起こったのが事業縮小。私のいる部署は派手な部署じゃなくて早期退職者を募ったの。だから応募したの」
会社を辞める理由は分かった。
だが何故東京から離れることにしたのか。
私が知る限り彼女は生まれも育ちも東京で地方で暮らしたことがない。
それなのに何故?
「東京を離れる理由?なんとなく......かな?」
彼女はそう言って小さく笑い、私はそれ以上聞かなかった。

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だから私は彼女が誰なのか分からなかった。
だが私の周りにいる人間は口を揃えて言った。
「思い出せ。そうしなければお前は一生を暗闇の中で過ごすことになる」と。
だが私は彼らの言葉に耳を貸さなかった。
そして彼女を思い出さなかった。
だから私の人生は彼らの言う通り暗闇の中で終った。
「ご主人様。ご用ですか?」
「ええ。悪いけど、あそこの電球を取り替えて欲しいの。私じゃ手が届かないから」
「かしこまりました」
私は女性から電球を受け取ると、天井近くにある照明器具に手を伸ばした。
「ありがとう。家の中に背の高い人がいると助かるわ」
と女性は私に礼を言った。
そして「ねえ。せっかく壺から出て来てもらったことだし、お茶でも飲まない?」と言った。
だから私は「ではご一緒させていただきます」と答えた。
この世での人生を終えた私は壺の中に入り込んだ。
だが何故、壺の中に入ることになったのかは分からなかった。
そして今の私は背が高いことは別として、以前とは全く違う別の容姿をしていた。
壺の持ち主の女性の名前は牧野つくし。
そう。私が思い出すことが出来なかった女性だ。
彼女は私が彼女を思い出さなかったことで数年後に他の男と結婚した。
しかし5年後に離婚した。
そしてそれから独身のまま会社勤めを続けたが、来年の春に20年勤めた会社を辞め地方に移住する。
そんな彼女が休暇を取って旅に出た。そして旅先の骨とう品が並ぶ店で、ひとつの小さな壺に興味を持った。
「お客さん。この壺にご興味があるようですね?この壺は、ある旧家の蔵に眠っていたもので立ち姿が美しい逸品です。こういった物は出会いです。一期一会です」
店主はそう言って壺を勧めたが、ただ安定感があるだけの古い飾壺だ。
その壺を彼女は見つめていた。
「いかがですか?お安くしておきますよ?」
そう言われて彼女はその壺を買った。
そして、彼女は家に帰ると壺の汚れを取るため布で擦った。その瞬間、私は煙と共に壺の中から外へ出た。すると彼女は悲鳴を上げた。そして壺から離れ「あなた誰よ!いったい何なのよ!」と言った。だから私は「ヤマモトモトヤです」と咄嗟に呪文のように答え、お辞儀をした。
すると彼女は少しだけ間を置いたが、壺の中から男が現れるという怪奇と呼べる事態に動じることなく「ええっと、ヤマモトさんね…..ところであなたどうして壺から出てきたの?」と言った。
私はそう言われても何故自分が壺の中に……こういった境遇におかれているのか分からなかった。だから彼女の質問に答えることが出来なかった。
すると彼女は「ま、いいわ」と言って会話はそれで終わった。
そして1週間が過ぎ、2週間が経った。
始めこそ質問する者と、それに答える者だったが、あまりにも私が彼女の質問に答えることが出来ないことが分かると、彼女は何も聞かなくなった。
そんな私は壺を擦られると壺から出ることができるが、また壺を擦られると壺に吸い込まれる。だから夜になると彼女は壺を擦って私を壺の中に戻す。
だが人がいないときに限り、勝手に壺から出ることができる。
だから彼女が部屋を出て仕事に向かうと壺から出たが、この部屋から外に出ることは出来なかった。
そんな私の役目は壺の持ち主に仕えることのようだ。
そして私は家事が得意らしく、することがないので部屋の掃除をして料理をした。ただ洗濯は止めて欲しいと言われた。
「ねえ、ヤマモトさん。今晩の御飯はなに?」
彼女は私と視線を合わせて訊いた。
「クリームシチューを作りました」
私がそう言うと、「わあ。シチューなのね!嬉しい!私の大好物よ!」と言って「一緒に食べましょうよ」と言った。
彼女はおいしい、おいしいと言って私が作った料理を口にしてくれる。
今の私はそれが嬉しかった。そして私たちは一緒に夕食を食べることが当たり前のようになった。
しかし、私は何故彼女が会社を辞めてこの街を去るのかが知りたかった。
だからある夜、私は彼女に訊いた。
「私が勤めている中堅どころの化学素材の会社が買収されることになったの。そこで起こったのが事業縮小。私のいる部署は派手な部署じゃなくて早期退職者を募ったの。だから応募したの」
会社を辞める理由は分かった。
だが何故東京から離れることにしたのか。
私が知る限り彼女は生まれも育ちも東京で地方で暮らしたことがない。
それなのに何故?
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