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2022
02.28

金持ちの御曹司~業務命令~<中編>

「道明寺店長。本日はご同行、ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ」

「それにしてもその変装。よくお似合いです」

「そうですか。どうもありがとうございます」

司はエリアマネージャーである彼女と近隣のライバル店のリサーチに出掛けていた。
だが眉目秀麗と言われる司の面はライバル店に割れている。それにその容貌はひと目を惹く。
実際店長の司は女性客に人気があり、店内を巡回すれば、「あの…おすすめ商品買いました」と声をかけられるほどで、『バイヤーおすすめの品』よりも『店長おすすめの品』というPOPが書かれている商品が飛ぶように売れていた。
だからライバル店のリサーチに出掛ける時は関係者に気付かれないように必ず変装をしていた。
そして今回の司は、うっすらとだが口髭を生やし、黒色のスーツに光沢のある紫がかったペールブルーのシャツを合わせ、茶色のアビエーターサングラスをかけ黒のコートを着ていたが、その姿はどう見ても関わりたくない人物。だからすれ違う人々は、一瞬司を見るが、すぐに視線を逸らし逃げるように去る。

そして彼女もいつものビジネススーツではなく、ラベンダー色のボーダーニットに上品な淡いピンクのパンツ。そしてベージュのコートを着ていたが、司は彼女のその姿を見たとき眩暈を覚えた。

かわいい__

そして唇には、いつもとは違う色が塗られていて、司の目はその唇に釘付けになった。
それに彼女のすぐ傍に立つと、彼女の匂いが鼻孔をくすぐった。
だからリサーチの間じゅう、その香りに頭がクラクラしていた。

「道明寺店長?どうかされましたか?もしかしてご気分でも悪いのでは?」

「いえ…..」

司の気分は上々だ。
そして気分と同じでズボンの中のモノも今にも勃ち上がりそうだった。

「そうですか?それならいいのですが少しお顔が赤いので熱があるのではないかと思いまして」

と言った彼女は「それでは今日のリサーチの報告書は後日お持ちします」と言って司の前から立ち去ろうとした。
だから司は「牧野さん。遅くなりましたね。もしよろしければこれからお食事でもいかがですか?」と食事に誘った。

時計の針は午後6時を回っていた。
すると彼女は司をじっと見て、「店長。お店に戻らなくてもいいのですか?」と言った。
店は夜9時まで営業している。だから彼女は司が店に戻ると思っているようだ。
だが司は、「今日は午後から休みを取っているので戻る必要はありません」と答えた。
すると彼女は一瞬だけ困惑した表情を浮かべ、司に向けていた視線を外した。
それは司の誘いを受けるかどうか考えているということ。何しろ今まで一緒に他店のリサーチに出掛けても、食事に誘われたことなどなかった。それに彼女が司の店の担当になって二年が経つが食事に誘われるのは初めてのこと。
だから余計に食事に誘った司の真意をはかっているのだろう。
だが彼女は視線を司に戻すと「居酒屋…….駅前の居酒屋に行きませんか?」と言った。





「山田!あの男!アラスカに転勤になればいいのよ!」

彼女は空腹が苦手で、お腹が減ると不機嫌になりやすい。だがお腹が満たされると機嫌が直ると言った。そう言った彼女は、だから自分は分かりやすい人間で単純だと言ったが、アルコールに対しては単純とは言えないようだ。

「道明寺店長、どう思います?あの部長あたしの仕事の仕方が気に入らないなら面と向かって言えばいいのに、社内メールでネチネチ言って来るの!本当にムカつく!あんな男アラスカの海でシャチに食べられればいいのよ!」

彼女が言った山田とは、彼女の上司で髪の毛がチリチリとうねっている小柄な男。
司もその男のことは知っているが、趣味は座布団運びとやらで、どうやら彼女とは反りが合わないようだ。だからアラスカに転勤になればいいと言ったが、生憎D&Yホールディングスはアラスカに店舗を構えてはいない。

そして彼女は不満げに鼻を鳴らしたが、まさか真面目だと思われていた彼女の口からシャチに食べられればいいという過激な言葉が訊けるとは思ってもみなかった。それにこれまでどちらかと言えば他人行儀だった彼女が、鼻と鼻がくっつきそうになるくらい顏を近づけてくるとは思いもしなかった。
そして、「ねえ、道明寺店長。今日はとことん飲みましょうよ!」と言うと手を挙げて、
「すみませーん!」と店員を呼ぶと「焼き鳥とジャーマンポテト下さい。あ、それからビールのおかわりもお願いします!」と言った。

司は酒に強い。
だからどんなに空のジョッキがテーブルに並んでも表情は変わらない。
だが彼女は運ばれてきたビールジョッキを口に運ぶと司に絡んできた。

「ちょっと!もっと飲みなさいよ!アンタ男でしょ?それともあたしのお酒が飲めないっていうの?あたし、エリアマネージャーですけど?」

漆黒の瞳は大胆不敵に輝きハラスメントまがいの言葉を口にした。
だが司は彼女にならハラスメントを受けてもいいと思った。
特にセクシャルなハラスメントは大歓迎。
鼻と鼻がくっつきそうになる以上に、もっと彼女に近づきたい。
だが目の前の女性は注文した焼き鳥とジャーマンポテトを口に運び、ビールのおかわりを飲み干すとテーブルの上に突っ伏した。



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2022
02.20

金持ちの御曹司~業務命令~<前編>

「ねえ里美。美味しいパンケーキを出すお店が新しくオープンしたらしいんだけど、食べにいかない?」

「パンケーキ?」

「うん。パンケーキ」

「マリトッツォじゃなくて?」

「うん。マリトッツォじゃなくてパンケーキ!」

「ねえ、なんか今更感があるんだけどパンケーキの流行はもう終わってるんじゃないの?」

「里美。今更も何も好きな物に流行は関係ないわ。あたしはただパンケーキが好きなだけ。だから一緒に…..ね?」

「そうねえ……最近食べてないし……」

「そうでしょ?最近食べてないでしょ?」

「うん。じゃあ久し振りに食べに行こうかな」

「ホント?じゃあ今度の土曜日。どう?」

「土曜?あ、ゴメン。土曜は用事があるの」

「じゃあ日曜は?」

「日曜だったらOKよ!それで場所はどこなの?」

「表参道よ」

「了解。表参道ね。じゃあ待ち合わせは….」







司は女性社員が立ち去った後の休憩室に足を踏み入れた。
そこにはいくつかの自販機が置かれていて、社員たちはここで飲み物を買っていた。
司は時々社内を巡ったあと、ここに来る。
何故ならここは彼女のフロアであり、もしかすると彼女がいるかもしれないからだ。
そして彼女がお気に入りのミルクティーを買っているかもしれないからだ。
だが、彼女はいなかった。
だから執務室に戻ったが、椅子に腰を下ろすと女性社員たちの会話を思い出していた。

司は甘いものが苦手だ。
だがパンケーキは食べたことがある。
それは恋人から「パンケーキが食べたいな」と呟かれたからだ。
だから邸のコックに作るように言ったことがある。
するとコックは恋人のために張り切ってパンケーキを焼いたが、そのとき恋人に「これフワフワで本当に美味しい。ほら。あんたもひと口食べてみて」と言われ、蜂蜜がかかっていない部分を、ひと口だけ食べたが、リコッタチーズがふんだんに使われたそれは、昔口にしたキャラメルパフェに比べれば甘さは感じられなかった。
そして司は、その時のことを思い出しながら目を閉じた。









司は10代で凄みを身に着けていた。
そして荒い声を立てずとも相手を射すくめる能力がある。
だから司が人前に立つと、そこにいる誰もが全集中で彼の言葉を訊く。

「我社はお客様第一主義に徹し、地域の皆様に愛されるスーパーを目指す。そのことをいつも心に止めて仕事をして欲しい」

司は紺色のジャケットを着て胸に名札を付けていた。
それはD&Yホールディングスと呼ばれる持ち株会社が、日本中に店舗を展開する総合スーパーの店長の制服。
司は30代前半の若さで全国一の床面積を持つ店の店長になった。
そして司が店長を務める店は、全店舗の中で一番の売り上げを誇る超優良店だが、彼は閉店後の店内で棚に並んだある商品を見つめていた。
それは醤油。その容器は司の鋭い視線に怯えることもなければ、後ろに下がることもなく静かにそこにあった。

司は最近ある問題を抱えていた。
それは空目、つまり見間違えをすることがあるということ。
何を見間違えてしまうのかといえば、醤油の容器に書かれた『しぼりたて生しょうゆ』の文字が『しばりたて生しょうゆ』に見えてしまうこと。
すると脳内に思い浮ぶのは縄で縛られた醤油の容器。
そして何故かその醤油の容器が、ある女性の姿に置き換わってしまうのだ。

そう。
司には好きな人がいる。
思いを寄せる人がいる。
その人はエリアマネージャーの牧野つくし。
彼女の仕事は本社の意向を店長である司に伝え、店の運営についてのアドバイスや業績管理をすることこと。それにライバル店の調査をするのも彼女の仕事だ。
そして彼女は司よりも年下だが立場は店長の司よりも上だ。

そんな彼女のルックスで司が一番好きなのは大きな黒い瞳。
話すとき、彼女はいつも真っ黒なその瞳で司を真正面から見つめるが、その瞳は美しい。
そして司はビジネススーツ姿の彼女しか見たことがないから、その下に隠された身体については、ひたすら妄想するしかないが、『しぼりたて生しょうゆ』の容器を見るたび、裸の彼女が縄で縛られた姿が脳内に浮かんでいた。




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2022
02.14

花束に添えて 最終話

花束を手に教会の通路を歩くウエディングドレス姿の四十路の花嫁。
その姿を誰にはばかることなく、可愛らしいと言う人間がいるとすれば、それは司くらいなものだ。
何しろ花嫁はこの年で恥ずかしいと言い、息子の駿は母親のウエディングドレス姿に一瞬ぽかんとした表情になったが、その奥にあるのは、まさかその年でその恰好?といったところだろう。

だが司は彼女が純白のドレスを着ることを望んだ。
何故なら本来20年前に行わなければならなかった結婚式は、ふたりにとって最初で最後になる神聖なもの。そして神聖なるものに相応しい色は白。だからタキシード姿の司の隣に立つ彼女は純白のドレス姿でなければならなかった。

それに司はどうしても彼女のウエディングドレス姿が見たかった。
一生に一度だからこそ、その姿を写真に収めたいという思いがあった。
そして彼女を司の隣へとエスコートするのは、イタリア製のスーツを着た息子。
このふたりが司にとっての家族であり、これから司が守るべきものだ。

司は近づいてくる彼女を見ながら病室で結婚を申し込んだ日のことを思い出していた。
司は彼女に好きな人がいると言われ鉄の塊でも呑み込んだような気がした。
だがそれは嘘だと言われた。だから再び結婚を申し込んだ。
すると彼女は「いいわ」と言った。
だからその言葉に司はホッと胸を撫で下ろした。
だが、彼女はひと呼吸おくと「でも本当にいいの?アンタはあたしのことを思い出して愛が甦ったみたいに言うけど、本当にあたしでいいの?それにあたしスーパーの総菜売り場で働くおばさんよ?」と言葉を継いだ。
そして好きな人がいるから結婚出来ないと嘘をついたのは、そんな自分は司の愛を受け入れる資格があるかを自問したからだと言った。

司も社会には目に見えない壁というものが存在することは知っている。
それに決して豊かとはいえない家庭で育った彼女が、息子を育てる過程で多くの困難と、いくつもの苦労の壁を乗り越えてきたことは想像に難くない。
そして、彼女がそれを意識していることも知っている。
だから尚更、彼女には豊かになる権利がある。幸せになる権利がある。
そして、彼女がその権利を行使するため司は彼女を幸せにする義務がある。
それに司は心に忠実であることがモットー。だから己の心臓の上に手を置くと、「愛は甦ったんじゃない。お前に対する愛はずっとここにあった。ただ俺がそのことに気付くのに時間がかかっただけだ。それにお前がどこで何をしていようと関係ない。お前は俺の愛を受け入れる資格は充分ある。お前には俺と一緒に幸せになる権利がある」と言った。

そんな司に彼女は「愛するというのは、その人の幸せを願うことだと思うの。
だからあたしはアンタの幸せを願った。それはアンタが誰かと結婚して海の向こうで暮らしていたとしても関係なかった。だってそれはアンタが選択したことだもの。
それに愛する人と暮らすことが人の幸せだと思うから、あたしはアンタが幸せになることを願った」と言った。

それは彼女のことを忘れた司が他の女性と結婚したとしても、司の人生の選択を祝福するという言葉だが、20年近く彼女の存在を忘れていた男に向けられた勿体ないほどの思い。
だが彼女も司と同じで人の幸福は惚れた相手と一緒になるという考えを持っていた。
だからこそ、彼女は司と一緒にならなければならない。
それに口にこそ出さないが、その目は司のことを愛してると言っていた。
だが彼女は昔から愛しているという言葉を口にすることが苦手だった。だがその代わり大きな黒い瞳は口よりも雄弁に気持を伝えていた。

そんな彼女は再び口を開くと辛いことを言うように、「あたしがアンタにあげられるのは小さな幸せで大きな幸せはあげられない。それでも本当にいいの?」と言った。だから司は「幸せに小さにも大きいもない。それに何が幸せかは俺自身が決めることだ。俺の幸せはお前と一緒にいることであってそれ以外にない」と答えると彼女の手を取った。
そして「牧野。俺と一緒に幸せになろう。それに俺はお前なしで生きていくことは出来ない。だからお前は自分自身が幸せになることもだが、俺を受け入れて俺を幸せにする義務がある」と言った。
すると彼女は俯いた。
そして暫くそのままでいたが、顏を上げると目から涙を溢れさせながら、「分かった。あたしがアンタを幸せにしてあげる」と細い顎を縦に振った。




20年近くの時の空白を簡単に埋めることは出来ない。
それでも同じだけの時間を共に過ごす自信はある。
そしてその時間の中でどうすれば彼女を幸せに出来るかを考えることが出来るが、スタートが遅いことから悠長に年を取っている暇はない。
だが幸いなことに、ふたりの間に出来た子供は手を離れている。
だから司は、これまで父親がいないことで苦労した息子に青春を謳歌しろと言った。
すると花嫁をエスコートしてきた息子は祭壇の前に立つと司に言った。
「父さん、母さんをよろしくね。僕は言われた通り青春を謳歌するよ」

花嫁が手にしている花束を用意したのは司。
その花束にはカードを添えていた。
書かれていたのは、
『苦しみは分かち合い楽しみは倍にしよう。最後の一瞬まで一緒にいてくれ』
彼女は司を見て笑いかけてきた。
そしてえくぼを浮べて言った。

「大丈夫。約束は守るから」




< 完 > *花束に添えて*
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2022
02.07

花束に添えて 10

人の幸福は惚れた相手と一緒になること。
だから司は本来なら20年前に彼女に告げるはずだった言葉を言った。
そしてそれは思いの全てを込めた言葉。
だが彼女は黙って首を横に振った。

「アンタとは結婚できない」

司は彼女の言葉にハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
それは二人の息子である駿は椿から司が彼女のことを忘れても、彼女は司のことがずっと好きだったと訊いていたから。だから司もその言葉を信じていただけに、彼女に受け入れられないことがショックだった。
それに彼女は息子に父親が誰であるか告げることはなかったが、それでも小学生の我が子に笑いながら父親は宇宙人だと話した件は司を悪いように言っていないと思えた。

だがそれは司の思い違いであって本当は違うのか。
それに本人の言葉として司のことを怒ってもいなければ、怨んでもないという言葉があったが、その時の態度も司を否定していないように思えた。だがそれは司の勘違いなのか。
だが思い違いだろうが、勘違いだろうが、そんなことは関係なかった。
司は牧野つくしと結婚したい。
だから何故自分と結婚できないのか。その理由を訊いた。

「何故だ?」

「何故?」

「そうだ。何故俺と結婚できない?お前は俺のことを怒ってもいなければ怨んでもいないと言った。つまりそれは俺のことが嫌いじゃないということだ。だから俺と結婚できない理由を教えてくれ」

司のその言葉に彼女は、あの頃と変わらない大きな黒い瞳で見つめながら言った。

「理由?」

「ああ。理由だ。俺と結婚できない理由だ」

司はオウム返しする彼女に思った。
結婚できない理由は昔母親が言ったように家柄が違うといったところだろう。
だが、司にしてみれば、そういったことは取るに足らないこと。
それに婚外子がいても保身を図るつもりはない。
本当なら結婚していたはずの男女が、離れ離れになったのには理由があるのだから。
だから、たとえ銃口を突き付けられても彼女を諦めるつもりはない。
しかし次に彼女の口から出たのは予想とは全く違う言葉であり、ハンマーで頭を殴られた以上の衝撃を受け目の前が暗くなるのを感じた。

「理由は好きな人がいるからよ」

「……….好きな…….?」

「そうよ。好きな人がいるの」

司はこれまで自分を拒否する人間に会ったことがなかった。
だから高校生の頃、交際を申し込んだ彼女に拒否されたのが初めて。
そしてたった今、彼女の口から出た言葉は人生で二度目の拒否。
それも司よりも好きな人がいるから結婚できないというが、まさか相手は_____類。
もしかして類が彼女の孤独を癒していたのか。

「違うわ。類じゃない」

彼女は司の言わんとするその先を正確に予測した。
そして「それに類とは、もう何年も会ったことがないもの」と言って首を振った。

「それなら_」

「ねえ。あたしが誰を好きでもアンタには関係ないでしょ」

司の言葉を遮った彼女はきっぱりと言った。
だが司は即座に彼女の言葉を否定した。

「いや。関係ある。それも大いに関係がある。お前はその男のことが好きだとう言うが、その男はお前のことを愛しているのか?経済力はあるのか?年はいくつだ?駿はその男のことを知っているのか?」

司は知りたいことを選りすぐって訊くことは出来なかった。
だから頭に浮かんだ事をそのまま口にしていたが、言いながら胸は潰れてしまうほど痛かった。そして彼女が言う好きな男に対し嫉妬の気持がこみ上げた。
だが彼女はそんな気持を抱えた司を見てクスッと笑った。

「嘘よ。好きな人なんていないわ」

「嘘?」

「ええ。嘘よ」

それなら何故、彼女は好きな人がいるなどと言ったのか。
だがそれが自分を忘れてしまった男に精神的な苦しみを与えるためだとすれば、それは見事なまでのダメージ。じわじわと効くボディーブローではなく、即効性のあるパンチだ。
だがそれはさておき、好きな男はいないと言うなら司には彼女と結婚できる望みがある。
だから、どんなに断られても引き下がるつもりはない。

「それなら俺と結婚してくれ。俺をお前の夫にしてくれ」

司は再び言った。
すると彼女は瞼を閉じた。
そして考えるふうをしているが、被った瞼の内側にあるのは、かつての司の姿か。それとも今の姿か。やがて閉じられていた瞼が開かれると、かしこまっている司に言った。

「いいわ。結婚するわ。アンタをあたしの夫にしてあげる」




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2022
02.01

幸せな瞬間

「司!早く!遅れるわ!」

「心配するな。時間は充分ある」

司はネクタイを締めながら答えた。

「充分って言うけど、あの子の学校まで車で30分かかるのよ?それなのにあと35分しかないのよ!道が混んでたら間に合わないわ!」

妻は慌てていた。
そして司を急かしていた。

「安心しろ。ヘリで行けば5分だ」

「ヘリって….まさか学校までヘリで行くつもりなの?」

「ああ。そうだ」

「そうだって…..」

「英徳には俺が寄附したヘリポートがある。管理はうちの会社がしている。そこを利用して何が悪い?それにあのヘリポートは緊急事態に備えて作ったものだ。だからこの状況で利用するのは理にかなっているはずだ」

ネクタイを締め終えた司は、呆れた顏をしている妻を横目に真新しいスーツの上着に袖を通した。


司と妻の間には子供が三人いる。
上の二人は大学生の男の子で背丈は司と同じくらいある。
そして成長を続けている息子たちは、もしかすると自分を抜くのではないかと思うほどだが、息子に背丈を抜かれる父親の気持は、嬉しいようで寂しいとも言えた。

そして末の子供は妻によく似た女の子で初等部の5年生。
その子の授業参観に遅刻しそうになった司はヘリで妻と共に英徳へ向かったが、ヘリで子供の参観日に行く親が司くらいなものだとしても、それが許されるのが道明寺司という男だ。

そして司が英徳に寄附したのはヘリポートだけではない。
他にも体育館、屋内プール、図書館、パイプオルガンがある音楽ホール。それに生徒たちの休憩スペースであるラウンジを寄附してきたが、それは自分の母校であると同時に息子や娘が通っている学園だから。子供たちが学び舎としている場所は最高であって欲しいという思いから、最新の施設を寄附してきた。そしてこれから先も寄附をするつもりだが、次は娘が好きなプラネタリウムでも寄附するかと考えていた。

そんな司は先日、誕生日を迎えひとつ年を重ねた。
若い頃は盛大に行われた司の誕生パーティー。
だがいい年をした男は他人に誕生日を祝ってもらおうとは思わない。
その代わり家族だけでテーブルを囲み妻の手料理を食べることを楽しみにしていた。
だがその席で娘から言われたのは、

「ねえパパ。パパの誕生日が終ったら節分だけど今年も鬼はパパがするの?」

司の誕生日は1月31日。
その3日後の2月3日は節分の日。
鬼は外―っ!
福は内-っ!
その掛け声と同時に撒かれるのは大量の豆。
いや。撒くというよりは、ぶつけると言った方が正しい。
そして司は妻が用意した鬼の面を被り、子供たちから遠慮なく豆を投げられると、部屋の中を逃げ回り大袈裟に痛いと言って庭に逃げ出していた。
だがそれは息子たちが小さな頃の昔の話で、大学生の息子たちは豆まきに興味はない。
けれどまだ小学生の娘は豆まきを必要な行事だと考えている。
だから今でも節分の豆まきは道明寺家の恒例行事だ。
だが流石に女の子が投げる豆は男の子が投げる豆とは違って優しい。
それに女の子は執拗に鬼を追いかけ回すことはしない。
だから楽と言えば楽なのだが、司は今年、鬼の役を大学生の息子たちにさせようと思った。
すると二番目の息子は言った。

「え?節分の日?俺、その日からオーストラリアにいる楓さんの所に行くんだけど」

そうだった。
二番目の息子はホテル経営に興味を持っていて、その日から司の母親であり子供たちの祖母である楓に会いに行くことになっていた。そして楓と一緒に道明寺が計画をしているリゾートホテルの建設予定地の島を訪れることになっていた。

それならと一番目の息子に鬼の役をして欲しいと言った。
すると息子は言った。

「残念だけど父さん。僕は明日ニューヨークに戻らなきゃならない。試験前だからね」

そうだった。
一番上の息子はニューヨークの大学に通っていて、司の誕生日だからと試験前にもかかわらず日本に帰国していたのだ。
と、なると鬼の役をするのは____
「だから父さん。諦めて鬼になるんだね。それが父親の役目なんだからさ」





そして迎えた節分の日。
夕食を終えると妻は、「じゃあ、そろそろ…」と言って、福豆を入れた升を用意すると司を見た。
だから司はテーブルから離れると、輪ゴムを耳にかけ、紙で出来た鬼の面をかぶって振り向いた。
そして言った。

「悪い子はいねえか!」

「あのねぇ司。毎年そう言うけど、それは秋田のなまはげよ!それに悪いのは子供じゃなくて鬼の方でしょ?」

クスクス笑う妻の言葉は今更だ。
司は鬼のセリフなど考えたことはない。
だからこれまでの豆まきでも口にしてきたのは、秋田の男鹿半島出身の秘書に教えられた「悪い子はいねえか!」
すると娘は司に向かって「鬼は外―っ!」と言って豆を投げ始めたが、ぶつけられる豆が痛いと感じたのは気のせいではないはずだ。

去年は初等部4年生だった娘。
今年は5年生だが4月になれば6年生になる。
だから豆を投げる力が強くなっていたとしても不思議ではない。
そして父親である司が娘の成長を実感するのは、こうした些細なことから。
だから司の頬は鬼の面の下で自然と緩んでいた。
そして緩んだ顏で豆をぶつけてくる娘に「悪い子はいねえか!」と言ったが、妻も豆を投げ始めると、「悪い妻はいねえか!」と言って、「ガオーッ!」と両手を上げて襲いかかるふりをした。
すると娘と妻は「キャーッ!」と言って豆を大量にぶつけてきた。

いくら面をかぶっているとはいえ、それは紙の面。
ましてや顏全体を覆ってはおらず、直接顏にあたると痛い。
だから鬼の面をかぶった司は「降参だ」と言って部屋を出た。
すると部屋の中から娘の「やった!鬼退治成功!今度は福は内!」という声が聞えた。

昔、この家にも鬼がいた。
それは司のこと。
我儘な餓鬼は人を貶めて楽しんでいた。
だが今、この家に鬼はいない。
だから豆まきは「福は内」だけでいい。福を招き入れるだけでいい。
そう思う司は、これまでの自分の人生を8勝2敗だと思っているが、2敗の中にあるのは、男親は娘と妻に弱いということ。
だから2敗とは言っても本当の負けだとは思っていない。

「司…..」

妻に呼ばれた司は振り向いた。
するとそこにいる妻は、「ちょっと話があるんだけど」と言った。
だから鬼の面を外すと夫婦の寝室へ向かった。
そして妻から、「今年のバレンタインだけどね。あの子。パパ以外にもチョコレートを贈りたい男の子がいるそうなの。やっとあの子もバレンタインデビューよ!」と訊かされた司の顏はもしかすると鬼の形相をしているかもしれない。

娘に好きな男がいる。
娘に彼氏が出来る。
そのことを知った父親の顏というのは、皆同じはずだ。
司は道明寺の跡を継ぎ、結婚して子供をもうけた。
そして妻から女の子が生まれると訊いたとき、自分が将来どんな父親になるか全く想像がつかなかった。だが今は分かる。それは男親というのは、こと娘のことになると、ただひたすら心配性になるということ。
だから問題はそこなのだ。胃薬を飲むようなことはないとしても、もし娘が彼氏を連れてきたとき、司は冷静に対処出来るか自信がなかった。
たとえばその男が耳に穴を開けていたり、髪を金髪に染めていたり、未成年なのに堂々とタバコをふかし、大酒を喰らう男だったら、司の手はこぶしを握っているはずだ。そして握ったそのこぶしで男を殴っているはずだ。
だが妻は言った。

「ねえ、何を妄想しているか知らないいけど、司も大概悪いことしてたんだからね。
それにあの子はまだ小学生よ。それからあたしに似て奥手だから、好きな男の子がいても付き合うとかそんなことは考えてないわ。
それにあの子が連れてくる男の子は、きっと父親に似た優しい男の子。だから心配しなくても大丈夫よ。それよりほら、口開けて」

そう言われた司は言われるまま口を開けた。
すると放り込まれたのは豆。
そして「年の数だけ食べると幸せが訪れる福豆よ」と言われた司は次々に口に放り込まれる豆を噛みしめながら己の過去を振り返っていた。

司がかつていたのは色のない灰色の世界。
世界に色は無くモノトーンだった。
だが今の司が目にする世界には色が付いている。
それもカラフルな色が。
だからこの世界が楽しいと思えるようになった。
退屈でつまらないと思っていた人生が賑やかになった。
そうなったのは、ひとりの女性に出会ったから。
そして、これまでの自分の生き方が見栄っぱりであり、ただ強がっていただけだったと知ったのは、その女性を失いそうになったとき。交通事故にあった彼女は生死の境を彷徨った。
そのとき司は初めてひと前で泣いた。

今は司の妻になった彼女。ふたりは一生互いの傍に居ることを誓い合った。
そして今の司は、世界には楽しいことが沢山あることを知っている。
それは家族が出来たことから始まった。
だから家族みんなが幸せならそれでいいのだ。
たとえ娘に彼氏が出来ても………
だから眉間に寄せていた皺を緩め言った。

「あの子が父親の俺に似た優しい男を連れて来るだと?
ま、世界のどこを探しても俺よりあの子に優しい男がいるとは思えねえが、それなら楽しみに待つとするか」

と妻には言ったが、娘の彼氏になる男は世界最強の鬼と対峙する覚悟が必要だ。
だから司は再び眉根を思いっきり寄せ目を細めた。
その表情は彼女と知り合う前の司で、そんな司を見た人間は誰もが目を逸らしていた。
果たして娘の彼氏になる男は司のこの表情に耐えれるのか。目を逸らすことなく司を見ることが出来るのか。

「もう司ったら。そんな顏して…..いい?あの子はこれから色々難しい年ごろになるんだから、そんな顏してたら嫌われるわよ!それとも嫌われてもいいの?」

司は妻のその言葉にびっくりした顏になった。
そして娘に嫌われるなどとんでもないとばかり、おどけたすまし顔をして、「よし。それならこれはどうだ?」と言って司最高の笑顔を妻に向けた。



坊っちゃんお誕生日おめでとうございます!一日遅れとなりましたが、こちらはお誕生日記念のお話です。
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