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2021
03.29

Just a Man in Love~恋に落ちた、ただの男の物語~

私が恋に落ちた相手は強敵だった。
彼女は世の中の誰もが羨む立場にいる私に興味がなかった。
私立の名門と言われる学園の中で形成されたヒエラルキーの頂点にいた私に見向きもしなかった。それどころか私に刃向かってきた。

初めて会った彼女は、これまで自分の周りにいた女とは違い冴えない外見で地味だった。
だが地味だと思われていた彼女の大きな瞳は黒曜石と同じ色をしていて空の色と同じ輝きを持っていた。今になって思えば、そのとき私は彼女の瞳に囚われてしまったのだと思う。

だがあのとき親の庇護の下にいるに過ぎない男が偉そうにするな。
自分で金を稼いだことがないのにたいそうなことを言うなと言われた。
私はそれが事実であることは頭の片隅で理解していた。
だから真実を言われた私は腹が立った。そしてこれまで誰も口にしなかったことを言った彼女が憎らしかった。
だが私に対して愛想もなければ、おもねることもしない彼女の態度は新鮮だった。

ある日、彼女が私めがけて走ってきたことがあった。
私はその勢いを止めることが出来なかった。だから黒髪をなびかせて走って来た彼女に頭を足蹴りされた。あれはそれまで生きてきた人生の中で最も衝撃的な出来事。
今までだれにも手を挙げられたことがなかった私にとって屈辱とも言える場面だったが、あのとき例えきれない思いが心の中に湧き上がった。だが、その思いが何であるか気付くことがなかった。何しろ私は女という生き物が嫌いだった。私の中では女という生き物はすぐ泣く薄汚い生き物に過ぎなかった。
だから私は自分に刃向かって来た彼女を馬鹿げた苛めの対象にした。それは実に子供じみた行動。そうだ。今なら分かるが、それはまるで小学生が好きになった女の子に構って欲しいと苛めるのと同じ屈折した愛情表現だ。

やがて私は自分が徐々に彼女に惹かれていくことに気付いた。
学園の中で刃向かう者がいないと言われる私を無視する彼女が気になって仕方がなかった。
彼女の空の色と同じ輝きを持つ黒い瞳の中に映る自分の姿を見たいと思うようになった。
だから私は彼女の気を引くために自分の優越性を示した。それは金があることや権力があることだが、彼女はそれらに興味はないと言った。しかし私はその時点で完全に彼女に恋をしていた。

だがそれまで恋をしたことがない私は、どうすればその恋を実らせることが出来るのかが分からなかった。
だからただひたすら彼女に纏わりついた。だが彼女は嫌がった。そして私から逃げた。
だから追いかけた。追いかけて抱きしめて好きだと言った。
だが自分本位で他人を理解しようとしない私に彼女は厳しかった。

そんな彼女は貧乏な家庭で育ったがそれを苦にしたことはない。むしろ隠すものなどないとばかりあっけらかんとしていた。つまり後ろは振り向かない。生きることに前向きな人間だ。それに大股で歩いて大きな口でゲラゲラと笑う天性の明るさというものがある。
そして人一倍、情に厚い。だから困っている人間を見ると放っておくことが出来ずトラブルに巻き込まれることがあった。だがそのトラブルの殆どは私を起因としていた。

そんな彼女は肉付きの悪いほっそりとした身体をしていて、私が知る女たちの中で一番貧弱な胸の持ち主でもある。だが彼女はそんなことを気にすることなくベランダに立って胸をはる。
そして彼女が私の傍から逃げる時の足の速さは褒めるに値する。
だから私は逃げる彼女をひたすら追いかけた。
まさに地獄の果てまで付いていく勢いで追いかけ続けた。
だが、私は簡単には彼女を捕まえることが出来なかった。
しかし時が経ち彼女が私との交際をイエスと言ってくれたとき、二度とこの小さな身体を離すまいと思った。

だが私たちの交際に反対する人間がいた。
それは私の母親。母親は彼女が自分達の水準に合わないと言った。だが彼女は、それならと母親に言った。
「私に教えて下さい。私は彼と一緒にいたいんです。だから彼の、いえ、この家に見合うように私を鍛えて下さい。私のことで彼がうしろ指をさされないように私を鍛えて下さい」

そして迎えた離れ離れの4年間。私は高校を卒業するとアメリカの大学に進学したが、そこでは学ばなければならないことは山ほどあった。だが私は彼女と一緒になるためにありとあらゆることを学ぶつもりでいた。だから覚悟はあった。それにどんなに辛くても我慢できる自信があった。それは彼女との未来があるから。
だから私は自分に要求される以上のことを成し遂げようと努力した。
そして実際、求められた要求以上の成果を挙げると、会えない寂しさよりも夢で彼女に逢えることを願い枕に頭を横たえた。

そして私の前に現れた光へと続く道。
それはふたりが結婚した日。
運命はふたりの人生を重ね合わることに同意した。
結婚式の日。教会の中央を歩いて来る彼女の美しさに招待されていた人々は息を呑んだ。
だが私は彼女のその美しさを出会った時から知っていた。
何故なら私は彼女と出会った日に瞳の中に空の色と同じ輝きを見たから。それに彼女が努力家であることを知っている。だからその美しさは彼女の内面から滲み出たものだ。
そして私は結婚披露宴の最中、互いにケーキを食べさせ合うときケーキを運ぶより先に彼女の唇にキスをしていた。





彼女の制服を泥だらけにした。
ローファーの中を水浸にした。
それは懐かしい青春時代の思い出。
だがあの頃の思いは決して消えることはない。
だから私は彼女が妻となり母親となり、子供たちが成人し独立した今でも彼女に恋をし続けている。

それに経営者は孤独な職業だ。
何しろ周りが気遣って何も言わなくなる。だから妻である自分が言わなければと、手厳しい言葉が返ってくることがある。
そして今も、こうして私の隣にいる妻は真面目な顏をして言った。

「ねえ。こっちの方がいいと思うんだけど?」

「そうか?」

「うん。だってこっちの方が疲れにくいんでしょ?」

「ああ。確かにこっちの方が疲れにくいだろう。だがもう少し派手な方がいい。これは俺には地味過ぎる」

「地味過ぎるって….ねえ、私たちが選んでいるのはウォーキングを目的としているスニーカーでしょ?それなのに派手な方がいいって….もう….」

私は昔、妻が口にした話を思い出すと、健康のためウォーキングをしないかと妻を誘った。
だからスニーカーを選ぶために一緒に店に来たが、妻が選んだのは、ブランドのロゴがさり気なく入った白いスニーカー。
そして私も自分の個性に合ったスニーカーを選ぼうとしていた。だが妻は機能を重視しろと言った。けれど本当はスニーカーの種類などどうでもいい。私が叶えなければならないのは妻と手を繋いで街中を歩くことだ。
そう。結婚した頃、妻は言った。

「子供の頃。テレビのコマーシャルでおじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いで音楽に合わせてステップを踏んで笑っている姿を見て、私も年をとったらあんな風になりたいって思ったの」

私はそのコマーシャルを知らない。
だから秘書に調べさせた。するとそれは食器洗い用洗剤のコマーシャルであることが分かった。

キャッチコピーは、その洗剤を使うと手を繋ぎたくなるというもの。
コマーシャルのコンセプトは、この洗剤を使えば幸せになれると言っているのだが、まず若い夫婦のうちの妻がその洗剤を使う。すると夫は妻の手を取り、ふたりはキャッチコピーが流れる中を軽いステップで楽しそうに踊りながら去って行く。
そしてその様子を見ていた白髪の年老いた夫婦も、じゃあ私たちもとばかり手を繋ぎスキップをするといった微笑ましいコマーシャルなのだが、そんな老夫婦の姿は妻にとって憧れだったそうだ。

だから私は、これから妻の憧れを叶えるつもりでいる。
そう、私は彼女の前では恋に落ちた、ただの男で彼女の夫だ。だからこそ妻の夢はどんな些細なことでも叶えてやるのが私の務めだ。
それに年を重ね今は互いの笑顔の意味が理解できる年齢になった。
だから妻は派手なスニーカーを選んだ還暦を前にした私に機能がどうのと言ってはいるが、決してヒョウ柄のスニーカーを履くことを反対しているのではない。
ただ、子供たちに笑われるわよと言っているのだ。

今日は天気がいい。
それに気温も高い。
だから私はスニーカーに履き替え、妻と手を繋いで桜色の景色を見に行こうと思う。
何しろの私の右手は彼女と手を繋ぐためにあるのだから、あのコマーシャルのように手を繋ぎ軽くスキップをするのもいいと思っている。

「よし。決めた。やっぱり俺はこのスニーカーにする」

私は靴を履き替えた。
そして、いつもの年より早く咲いた桜を見るため隣に立つ妻の左手をしっかりと握ると歩きだした。





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Comment:7
2021
03.25

Transit 最終話

Category: Transit(完)
私は他人の秘密を覗き見ているような気持になりながら、ふたりが見つめ合っている姿を見ていた。
男性が笑うと女性も笑うが、女性が嬉しいと男性も嬉しいようだ。
今ふたりは記憶の糸を引き寄せ、共に過ごした過去を思い出していた。
それにしても何故女性は私にここに居て欲しいと言ったのだろう。それに何故このふたりは私の前でこんな話をしたのだろう。いくら誰かに訊いて欲しかったとしても、赤の他人に自分達のプライバシーを赤裸々に語ることはいいとは言えないはずだ。
それに男性が会社を経営する立場にいるなら尚更のこと自分のプライバシーには気を遣うはずだが、ふたりは気にしていなかった。

「ねえ。あなたは恋人がいるの?」

「え?」

それは聞き役だった私に向けられた問い掛け。
まさかついさっきまでレポーターよろしく訊いていた自分が、今度は訊かれる立場になるとは思いもしなかった。

「あなたは古本の間に挟まれて使われなかった切符の行先が気になってここに来たと言ったわね?それに広告のデザインの仕事をしているあなたは気分転換が必要だったと言った。でも本当はそれだけじゃない。違う?」

私に向けられているのはふたりの人間の視線。
ひとりは私と同じ年頃の女性。
そしてもうひとりは彼女よりひとつ年上の男性。
そんなふたりの視線は優しく問い掛けていた。

そうだ。本当はそれだけではない。
まず私に恋人がいるかについてだが2ヶ月前にはいた。
相手は私が広告のデザインを手掛けている老舗醤油会社で広告を担当している同じ年齢の男。5年付き合った。
その男は私がデザインした広告が個性的過ぎるから色を抑えろと言った。
そしてその男はその会社の一人息子。会社は老舗という名に相応しく長い歴史を持つが、今では醤油だけではなく和風醸造調味料の販売に力を入れている一部上場の大手企業で、男はいずれ社長になると言われていた。

「恋人はいました。でも2ヶ月前に別れたんです」

「そう…..何が原因なの?」

「考え方が古いんです。分からず屋なんです」

「考え方が古い?分からず屋?」

「ええ。その人。私が仕事を続けることが嫌なんです。私、その人から結婚して欲しいって言われたんです。でも結婚したら仕事は辞めて欲しいって言ったんです。だけど私は仕事が好きなんです。だから辞めたくないんです。それに結婚したら奥さんは家庭に入れだなんて時代遅れ過ぎて言葉が出ませんでした」

私は男からマンションの部屋の鍵を渡されていた。だがその鍵は別れを決めた日に宅配便で送った。それにしても恋人があそこまで頭の古い男だとは思いもしなかったが、あの時のことを思い浮べると今でも頭に来る。

「そう……..結婚したら仕事を辞めて家庭に入って欲しいって言われたのね?でもあなたはそれが嫌だった」

「はい。だからその人と別れたんです」

「話し合いはしなかったの?」

「しませんでした。だって価値観が違い過ぎます。だから話し合いをしても解決できないと思ったんです」

「でも5年付き合った彼でしょ?何か理由があるから仕事を辞めて家庭に入って欲しいって言ったんじゃない?だから少し話し合えば?」

女性はそう言って話し合いをすることを提案した。
だが男性はそうは言わなかった。

「俺は別れて良かったと思う。好きな女に好きなことをさせない男は度量が狭い。そんな男とは別れた方が正解だ。なにしろ人生は長いようで短い。この先また別の誰かと出会う事を考えた方がいい。それに地球は自分のために回っていると考えるような男とは別れた方がいい」

その言葉に私は笑いそうになった。
それはこの男性こそ、地球は自分の周りを回っていると考えるタイプに見えるからだ。
だが、男性はそうではなかった。すぐ傍で訊いていた男性の好きな人を大切に思う気持は別れた恋人とは比べものにならない。
しかし女性は「そう?」と疑問を呈した。
だが男性は女性の言葉を否定した。

「ああ。そんな男は捨てて正解だ」

「あのねえ。アンタは捨てて正解だなんて簡単に言うけど妥協点を見つけることも必要だと思うけど?一歩でもいいから立ち止まって考えることも必要だと思うわ」

と、言ったところで女性は言葉を途切らせた。
そしてふたりとも私の顏をじっと見ると、女性が口を開いて、「ねえ。他人の足りないものはよく見えるけど、自分の足りないものは見えないって言うわ。それにあなたはまだその人のことを気にしているんじゃない?私にはそう思えるの」と言うと微笑んだが、次の瞬間、私の目の前は白くなった。
そして訊こえて来たのは女性の声だ。

「杏子!聞こえる?杏子?ねえ分かる?しっかりして!」

その声はやけに大きく頭に響いた。

「杏子!ねえお願い目を開けて」

だから私は目を開けた。
するとそこにいるのは母親で心配そうに私を見ていた。

「良かった!もう目が覚めないんじゃないかと思ったわ」

私は、ぼんやりとし頭で母親の顏を見ていた。
そんな私に母親は躊躇ないながら訊いた。

「ねえ。杏子。私が誰だか分かる?」

「分かるわよ。お母さんでしょ?」

「ああ、良かった。そんな顏してるから私のことを忘れたのかと思ったじゃない」

と母親は言ったが私は今のこの状況が呑み込めずにいた。
だが、白い壁に囲まれたここが病院であることに気付いた。
しかし何故自分がここにいるのか分からなかった。
だから、「お母さん、私?」と不思議そうに訊いた。
すると母親はそんな私に状況を説明した。

「直哉さんから連絡があったの。あなたが階段から落ちて意識を失って目を覚まさないって。だからお母さんもお父さんもすぐに帰国したのよ。私たちは今朝アメリカから着いたばかりなの。あ、お父さんは今先生の話を訊きに行ってるわ。
それから私たちが帰ってくるまであなたの傍にいたのは直哉さんよ。会社を休んでずっと傍に居て下さったの。ついさっき会社から呼び出されて会社に行ったけど、あなたたち喧嘩をしたそうね?直哉さん、そのせいであなたが階段を踏み外したと思っているのよ?だから自分のせいだって自分を責めていたわ。それにしても、どんな喧嘩をしたのか知らないけれどあなたはパパに似て…..つまりあなたはおじい様に似て頑固で一度言い出したら訊かない子だから、直哉さんの言葉を突っぱねたんでしょ?いい杏子?ちゃんと話をして仲直りしなさい。分かった?ねえ、杏子?訊いてるの?」

母は今だに自分の両親のことをパパとママと呼ぶ。
そして直哉とは杏子の恋人だ。
いや。喧嘩をして杏子の方から別れると言った恋人だ。
その喧嘩をした場所は会社の非常階段の踊り場。
そして頭に血が上った私は階段を降りていて足を滑らせた。
だから、私は旅になど出ていない。
どこかの駅前商店街の下着屋でお茶を飲んではいない。
自分と同じ年頃の女性と会ってもいない。そして彼女の恋愛話とそこに現れた男性のやりとりも見ていない。
つまり私は、これまで夢を見ていたことになる。
だがそれを夢で片付けるにはリアルな気がした。

「ねえ。お母さん。私の鞄ある?」

「え?あなたの鞄?あるわよ。ここに」

そう言った母親は近くの椅子の上に置かれている鞄を見やった。

「お母さん。鞄の中に本があるの。カバーがかけられた単行本。その本を取ってくれない?」

「いいわよ?でもまさか今読むつもりじゃないわよね?」

「違うの。ちょっと気になることがあって」

私は母親から単行本を手渡された。
それは古本屋で買ったあの本だ。そしてその中に買った時と同じように挟んである切符を見た。
すると母親は言った。

「あら。懐かしい地名ね?この場所。パパとママ….杏子のおじい様とおばあ様がよく旅行で行っていた場所なのよ?」

「おじい様とおばあ様が?」

「そうよ。パパとママは紆余曲折の末に結ばれたんだけど、ママ。昔そこに住んでたことがあるの。だから時々思い出したようにふたりでその場所に行ってたわ。でもパパもママもあなたが小さい頃に亡くなったから、あなた自身ふたりの記憶が殆どないから話したことがなかったの。あなたのおじい様とおばあ様は若い頃ジェットコースターのような恋をしたの。でも私も直接聞いたわけじゃないの。だけど、お兄ちゃんはパパの友達から散々聞かされたそうよ。お前の父親はストーカーだった。ママに相手にされなくても諦めなかったってね?一歩間違えば犯罪者だって言ってたそうよ」

私の母親は祖母と祖父の三番目の子供。
祖母は33歳で長男。35歳で次男。そして38歳で母を産んだ。
そして母親は29歳で二番目の子供の私を生んだ。だから私が生まれたとき祖母は67歳で祖父は68歳。
そして祖父は72歳で亡くなった。だから当時4歳の私に祖父の記憶は殆どなく、祖父は写真でしか顏を知らない人。そして祖母が亡くなったのは75歳で私が6歳の時だが、そんな私が覚えている祖母は、「杏子はお祖父ちゃんに似てるわね」とよく言っていたこと。
そして庭の片隅で育てた野菜を持って帰りなさいと母に持たせていたことだ。
そんな母の実家は世田谷の大豪邸。父親は道明寺ホールディングスの社長と会長を務めた人で若い頃から非常に女性にモテたと言う話だが、私は仏壇の傍に飾られている写真の祖父を思い出した。するとその顏は夢に出て来た男性に似ていた。そして夢に出てきた女性の名前が牧野つくしだったことを思い出した。

「ねえ。お母さん。おばあ様の名前って、つくしだったけど名字は?」

夢の中ではその名前を変わった名前だとは思わなかったが、それは祖母と同じような名前の人もいるのだ程度だったからかもしれない。

「ママの旧姓?」

「そう。おばあ様の旧姓って?」

「牧野。牧野よ。ママの旧姓は牧野よ」














そんなことがありえるだろうか。
だが世の中には不思議なことがあるという。
だから私の手の中にある使われなかった切符は、祖父と祖母が人生の通過点を間違えるな。
祖母にも私と同じような時代があった。つまり一緒に人生を歩む人との色々はどの時代にもある。だから一歩立ち止まって考えろ。自分の行く道を間違えるなと末っ子の母が産んだ一番末の孫である私に自分達の若い頃の姿を見せようと用意したのかもしれない。

それにしても、三人の子供がいる祖母がかつて妊娠しにくいと言われていたのは驚きだ。
それにあのふたりが若い頃に床を掃除するロボットはいなかったはずだが、そこは夢だからのご愛嬌なのかもしれない。
そして、祖母の言う通りで他人の足りないものはよく見えるが、自分の足りないものは見えないものだ。
だから、私は鞄の中から携帯電話を取り出し恋人ともう一度ちゃんと話をすることにした。


「もしもし直哉?今いい?__うん。意識が戻ったの。___うん。大丈夫。心配かけてゴメン。___え?うん。それから話し。ちゃんとしたいの」





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Comment:11
2021
03.22

Transit 8

Category: Transit(完)
「ここに居てちょうだい」と言われた私は腰掛けていた場所から少し離れた場所で立っていた。
そしてかつて恋人同士だったふたりは目を合わせ、男性は女性が口を開くのを待っていた。



「ある日、生理がこないことに気付いたの」

「お前…..もしかして…..」

「訊いて。違うから。アンタが考えているようなことじゃないから」と、女性は男性の言いかけた言葉を遮ると言った。
「アンタに会うため最後にニューヨークに行った後、ちゃんと生理は来た。だけどその後、3ヶ月たっても生理が来なかった。でも元々不順で前にもそんなことがあったし、またそうなんだろうって気にしてなかった。仕事が忙しくてホルモンのバランスが乱れてるだけだと思った。だけど流石に半年になると心配になって病院に行った。そこで検査を受けて言われたの」

女性はそこで言葉を切ってから、意を決した調子で、こう言った。

「結論から言うわね。私は妊娠しにくい身体だそうよ。ねえ。分かったでしょ?だから私はアンタと結婚できない。一緒に人生を歩むことは出来ないの」

私は、これまでの話の内容から、男性の母親が自分の家に相応しくないと彼女の事を認めないこともだが、男性の家が大きな会社を経営していることも知った。
そしてそういう家は後継者が必要とされるが、男性はその立場にある。
だから女性は、妊娠しにくい身体だと言われ男性との子供を持つことが出来ないと考えた。だからそんな女は男性に相応しくないと身を引くことを決めた。そしてちょうどその頃、アメリカ人女性との結婚話が持ち上がったが、それは会社の存続をかけた結婚。だから女性は男性を遠ざけた。別れた。
そして今も、妊娠しにくい女性は男性に相応しくない。ふたりが別々の道を行くことが男性のためになると言っていた。
だが男性は女性のそんな思いを断ち切るように言った。

「牧野。お前はバカだ」

そして怒った。

「一緒に人生を歩むことが出来ない?お前は俺のお前に対する思いを分かってない。何が俺にとって本当の幸せかお前には分かってない」

男性はそこまで言うと、一緒に人生を歩むことは出来ないと言った女性の本心を覗き込もうとするように彼女の目を見つめた。

「それに昔、言ったはずだ。地獄の底まで追いかけてやるってな。いいか?あのとき俺は人生の果てまでお前の傍にいると決めた。俺はお前に会って自分の生きる道を決めた。雨が降ろうが槍が降ろうが嵐が来ようが俺はお前を放さないと決めた。
だから俺たちの間に別れるって言葉は無かった。あの女と結婚していた時も心はいつもお前の元へ飛んでいた。俺は牧野つくしとの絆を握り続けていた。それにお前は俺と別れたつもりでいただろうが、お前は俺の中にいた。俺の身体には牧野つくしの影が染み付いていた。つまり俺の心も身体も牧野つくしのものだった。だからお前以外の女と結婚していたとしても、端から抱くつもりなんぞなかった。
そんなお前は俺が帰国すると東京を離れてこの町で暮らし始めた。だがな。俺は同じ国にいるなら、どんなに遠い場所で暮らしていても自分の思いを届け続けることを止めないと決めた。だから何度同じ返事を聞かされてもここに来ることを止めるつもりはなかった。
それからよく訊け。俺たちの間に子供が出来ようが出来まいが、周りが何を言おうが俺とお前の人生は家のものでも会社のものでもない。俺たちの人生は俺たちふたりのもので俺とお前の人生に損得勘定が入る余地はない」

私は、男性の真摯な言葉を聞きながら女性の顏を見ていたが、彼女の視線は男性の表情と言葉を反論することなく訊いていた。
だが男性は、「俺はお前が頑固な女だってことは十分理解している。だから俺がこうして話しても、ああだ、こうだと言って反論するんだろうよ」と言って女性が素直な性格ではないと言っていた。
だから私は女性が男性に対して口にする言葉を待っていた。
すると、彼女は、「…..傲慢なのよ」とポツリと言った。
そしてそこから先は靴下の話の時とは打って変わって静かな口調で語られた。

「アンタは昔からそうだけど傲慢なのよ。俺たちの人生はふたりのものだって言うけど、そうじゃないことはアンタが一番よく知ってるはずよ?いい?よく訊いて。さっきも言った通り私は妊娠しにくい身体なの。先生は直接的な言葉は使わなかったけど私は子供を産むことが出来ない。それはアンタにとって重要なことなの。だってアンタはあの家の後継者だもの。それに社会人として生活し始めてはっきり分かった。人には持ち場があって、その持ち場を守る必要があるってことをね。
それからアンタはそうじゃないって言うけど、アンタの人生はアンタだけのものじゃない。それはアンタも分ってる。大勢の人間の人生がアンタの肩にかかってるってことを。それに大勢の人間がアンタを頼りにしてる。だから自分の立場を投げ出しちゃダメなのよ……だから帰って。もう二度とここには来ないで。それに私はもうアンタのことは好きじゃない」

そう言うと、女性は男性に背中を向けたが、目元に光るものが見えたような気がした。
そんな女性に男性は語りかけた。

「牧野……大勢の人間の人生が俺の肩にかかってる。俺を頼りにしてるって言うが、それなら俺は誰を頼りにすればいい?俺だってひとりの人間だ。誰かに頼りたくなることもある。
それにどんな人間も誰かに支えられて生きていく。助けられ愛されて生きていく。俺がここまで生きてこれたのは、心の中にいつもお前の姿があったからだ。
それにガキの頃、俺の周りにいた人間は誰ひとりとして俺をひとりの人間として見ることはなかった。だがそんな中で出会ったお前は俺のことをただの男として見た。それ以来、俺の頭はお前のことしか考えられなくなった。そんなお前は俺の前から消えたことがあった。あの時は傷ついたのは俺だと思っていた。だがお前は誰よりも一番自分を傷つけて俺の前から消えた。そして今もそうだ。お前は傷ついている。俺にはそれが分かる。何しろ俺は昔お前に犬みたいだって言われた。だから犬並の嗅覚でお前の気持ちを感じとっているつもりだ。それに俺はお前との絆を握り続けている。だからお前の本心は違うはずだ。まだ俺のことが好きなはずだ」

その言葉に後に暫く沈黙が流れた。
そして振り向き口を開いた女性は言った。

「アンタが握り続けている私との絆って何よ?」

「知りたいか?」

「ええ」

「それなら今もここにある。俺の財布の中にはいつもそれが入ってる」

そう言って男性は上着の札入れから小さな紙を取り出した。

「覚えてるか?北海道に旅行したお前が俺にくれた愛国から幸福行きと書かれた切符だ」

男性の手のひらの上にあるのは紙の切符。
だがそれは本物の切符ではない。何故なら愛国も幸福も今は存在しない駅なのだから。
だからそれは土産物として売られている切符だ。

かつて北海道には帯広から十勝平野を南下して広尾へと至る広尾線という鉄道路線があった。
そしてその路線に愛国という名前の駅と幸福という名前の駅があり、駅名の縁起の良さから乗車券や入場券が有名になり日本中から注目されるようになった。と、同時に恋人たちの聖地として全国にその名が知られるようになった。
そして線路が廃線となった今も幸福という名の駅は、願いを叶えたいと多くの観光客が訪れる帯広観光には欠かせない場所となっていた。

「いいか?この切符にはこう書かれている。下車前途無効。つまり改札を出た後は目的地に着いていなくても切符は無効になるってな。俺は幸福になりたいから改札を出るつもりはない。それに出た覚えもなければ他の列車に乗り換えるつもりもない。だからこの切符は無効になってない。今も有効で俺はお前と幸せになりたいからこの切符を大切にしてきた。
それにこれは遠い場所にいる俺とお前を繋ぐ絆だ。だからたとえどんなに小さな紙切れだとしても、これは俺にとって命の次に大切なものだ」

私は最近紙の切符を手にしたばかりだから知っているが、その切符には下車前途無効以外に発売当日限り有効の文字もあるはずだ。だが男性はそれについては無視しているようだ。
そしてそんな男性の思考の中にあるのは、ただただひたすら女性を思う気持だ。
そして女性の方はと言えば、遠い昔に自分が送った小さな切符を大切にしていた男性に心を動かされたようで、男性の目をしっかりと見て言った。

「諦めの悪い男ね」

すると男性は、「諦めもなにも初めから諦めるつもりはなかった。何しろ俺たちは同じ人生を歩くって決まってる」と感慨を込めて答えた。
そして女性が、「それに切符が命の次に大切だなんて大袈裟ね」と言えば男性は、「大袈裟と言われるのは心外だ。この切符が命の次に大切ってのは嘘偽りのない俺の気持ちだから仕方がない。こう見えて俺は信心深い人間だ」と言って笑みを浮べた。




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2021
03.19

Transit 7

Category: Transit(完)
「….アンタは分かってない…….アンタは知らないのよ」

さっきまで威勢が良かった女性の声はトーンが落とされ呟くような声になっていた。

「何が分かってない?何を知らない?」

男性は下を向いた女性に言った。

「牧野。いいか?俺は好きでアメリカ女と結婚したんじゃない。
それに俺とあの女との結婚話が持ち上がったとき、あの女と結婚しろといったのはお前だ。そう言ったお前は俺と会うことを拒んだ。…….牧野。何で俺と別れると言った?10年経っても結婚できなかったからか?俺が待たせ過ぎたからか?いや。お前は結婚に拘る女じゃない。だから牧野。何故俺から逃げたか理由を教えてくれ」

その問いかけに女性は顏を上げた。
そして男性の顏を見つめ、「ねえ」と言ってから話し始めた。

「私がアンタと別れた理由は言ったでしょ?私たちの出会いは運命じゃなくてただの腐れ縁だったって。それによく言うでしょ?10代の頃の恋愛なんて麻疹みたいなものだって。つまり私たちが10年も付き合ったのは麻疹の治りが遅かったからよ。だからアンタにあの女性との結婚の話が出て丁度よかったのよ。
それにアンタは自分の家が世の中に与える影響を知ってるわよね?うんうん、私が言うまでもなくアンタは自分の会社が大変なことになれば大勢の従業員の生活が立ち行かなくなることを知っている。でもアンタがあの女性と結婚すれば会社は存続される。だからアンタは私と別れてあの女性と結婚した方が良かったの」

「何がいいものか。あんな派手なアメリカ女のどこが良いって言うんだ。
だがな。うちの会社が粉飾決算で帳簿が真っ赤だと知ったときは正直頭を抱えた。何しろあのとき莫大な額の特別損失が明るみになって株価が暴落して自力では立っていられないほどになった。だがな。俺はあの女と結婚しなくても自分の力で会社を立て直す自信があった。
けど、お前が俺から離れたとき、母親はこれ幸いと、あの女の父親と結婚の話を進めた。
何しろあの女の父親は弱ったうちを買収しようとした。だから母親はうちの会社が買収されるくらいなら対等な関係でいられる姻戚関係を結ぶ方を選んだ。だが結局大した時間もかからず俺はあの女の父親から借りた金は利子も付けて全額返済した。うちの会社はあの女の父親の会社に呑み込まれることはなかった。逆に金を返すと同時に呑み込んでやった。今じゃあの女の父親の会社はうちの子会社のひとつに過ぎない。それにあの女も自分を抱かない亭主に興味はなかった。他に男を作っていた。だから別れるのは簡単だった」

女性は男性が裕福な家の息子だと言っていたが、どうやら男性の家が経営する会社は経営危機を迎えた頃があったようだ。だから男性の母親は会社を救うために息子に別の女性と結婚することを迫った。そして男性も一時とは言え母親の言葉に従わざるを得ない状況にあったのだろう。耐えるしかない時間があったのだろう。だが男性は苦境を脱する力を持っていたようだ。

「それからよく訊け。俺たちの出会いは運命以外の何ものでもない。
だから俺はその運命を断ち切ることは絶対にしない。お前がどこにいたとしても俺はお前を諦めないことに決めた。だから俺と結婚してくれ」

私は女性と一緒に男性の思いを聞いていた。だが、赤の他人の私がこのままここで非常にプライベートな話を訊いているのは如何なものかと思った。
だから静かに立ち上ると店の外に出ようとした。すると「いいの。ここに居てちょうだい」と女性から言われた。だが男性はどうなのか。だから私は男性を見た。すると「こいつがいいと言うなら構わない」と言われた。
とは言え私の方が困る。何しろふたりの間に流れる空気は、いや、流れるというようにも漂う空気はピリピリとしているからだ。

「何度も言うけど私はアンタと結婚しない」

「だから何でだ?」

「何でって理由はこれまでも言った通り。私とアンタは結ばれる運命にないからよ」

「違う。お前はアンタは分かってない。アンタは知らないって言った。それがお前の得意なひとり言だったとしても俺は確かに訊いた。なあ、牧野。俺が知らない何かがあるなら教えてくれ。どうして俺と結婚できないか教えてくれ」



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2021
03.16

Transit 6

Category: Transit(完)
「その通りだ。俺はアメリカ女と結婚してからも牧野つくしが好きだった。それに俺は好きであの女と結婚したんじゃない。それなのにお前は俺とのことを腐れ縁だと言って切り捨てた。だから俺は好きな女に捨てられた哀れな男だ」

私は話に割って入った声がした方を見た。
するとそこには背の高い男が立っていた。
しかし、声の主である男の顏は逆光中の黒い影になっていてよく分からなかった。
だが男が店の中に入って近づいてくると、その容貌がはっきりした。
背の高い男は、日本人離れしたハッキリとした顔立ちで癖のある髪をしていた。
その顏に浮かんでいるのは厳しさで、ほかの表情を想像することは出来なかった。
つまりそれは、笑顔を想像するのが難しい顏をしているということ。
そして、ひと目見て分かる仕立てのいいスーツを着ていた。

「それに誰が三足千円の靴下を履かない男だって?いいか。俺が今日履いている靴下はこの店で売られている三足千円の靴下だ。それに俺がどれだけこの店の売り上げに貢献しているか、お前も分ってるはずだ。何しろうちにはここで買った靴下が山のようにある。だから俺は毎日この店で買った三足千円の靴下を履いている。だが毎日履いたとしても、俺の人生が終わった後には履かれなかった靴下が大量に残っているはずだ」

私は男性のその言葉に女性がスッと目を細めたのを見た。
そして女性は臨戦態勢に入ったように立ち上った。

「何よ?アンタまた来たの?こんな田舎まで来る時間があるなら仕事したら?それともよっぽど暇なのかしらね?」

「暇だろうが暇じゃなかろうがお前に関係ない。それにお前に言われなくても仕事はちゃんとしている」

「へえ。そう……ま、アンタが仕事をしようがしまいが私には関係ない。それに三足千円の靴下をバカにしないでくれる?うちの靴下は丈夫なの!長持ちするの!だからここに買い物に来てくれる主婦は喜んで買ってくれる靴下なの!誰もがアンタみたいにシルクの靴下を履けると思わないでよね!」

「ああ。はっきり言って俺はシルクの靴下の方が好きだ。それは履き心地がいいからだ。だが言っただろ?今の俺はこの店で買った靴下を履いてるってな」

「あ、そうですか。それはありがとうございます。でもね。アンタの癖はうちの靴下を履いたからって治らないわよ。そうよ。アンタは脱いだ靴下を洗濯籠に入れるんじゃなくてカタツムリみたいに丸まったままソファの下に隠すのよ!」

「おい、言っとくがあれは隠したんじゃない!」

「じゃあなんでいつもソファの下に靴下があったのよ?」

「そりゃあソファに座って靴下を脱ぐからだろうが」

「じゃあ脱いだらすぐに洗濯籠まで持って行けばいいでしょ?」

「リラックスしてたら忘れるんだ。それにソファの下に靴下があるのは、床を掃除するロボットが押し込んだんだ!」

「へぇ….ロボットが靴下をソファの下に押し込んだんですか。そうですか。そうですか」

「牧野……」

「何よ!」

「俺と結婚してくれ」

私は言い合いが始まった途端、男性が女性の昔の男、つまり遠距離恋愛の末に別れた元恋人であることを理解した。
そして、目の前で交わされている反論合戦に耳を傾けていた。
その反論合戦の内容は三足千円の靴下の話だが、どちらが有利な戦いをしているのかと言えば女性の方だ。
だが、その女性も男性が唐突に口にした「結婚してくれ」の言葉に口を閉ざすと下を向いた。




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2021
03.14

Transit 5

Category: Transit(完)
かつて道明寺の広告会社で働いていた女性は、今は下着屋の店長。
そして彼女は昔の男がアメリカから帰国してくるから、会社を辞めて東京を離れることにしたのだと言った。
その言葉から彼女と男の間に何かがあって顏を合わせたくないからと察することが出来る。
だがいくら昔の男が東京に戻って来るからといって、何故会社を辞める必要があるのか。
しかし、彼女とその男が同じ会社に在籍しているなら、そしてとんでもなく気まずい別れ方をしたなら、顏を合わせたくないというのも分からないでもない。
たとえばそれは、男が社内で他の女に手を出して修羅場を演じたとかだが、それでも、ふたりともいい年をした大人なのだから、分別をつけてそういったことは飲み込んで仕事をしてもいいはずだ。
いや、だがそれは他人がそう思うだけで、彼女にすれば耐えられる状況ではなかったのかもしれない。

「あの。昔の男ってことは昔の恋人ってことですよね?でもその人が海外から戻って来るからって何故会社まで辞める必要があったんですか?」

私は芸能レポーターよろしく訊いていた。

「あったの。だってその男。私と結婚したいって言うんだもの」

女性は昔付き合っていた男から求婚された。
だが彼女はそれを拒否して東京を離れてここにいる。
そうしたのは彼女がもう男を愛しておらず、男の行動が迷惑だからで、つまり男はストーカーで結婚したくないと言う元恋人を追い回しているのか。

「嘘みたいな話だけどこれから話すことは本当のことだから」

そう言った女性は、「まずね、その男は三足千円の靴下は履かない男なの」と前置きをして男との関係を話し始めた。

彼女と男は同じ高校に通っていた。高校2年のとき、ひとつ年上の男が彼女に告白をして付き合い始めた。だが二人の恋は波乱万丈の恋。男は裕福な家の息子で彼女はそうではない家の娘。だから男の母親は価値観が違うとふたりの交際を反対して別れるように仕向けた。
そして母親は高校生だった彼女に容赦がなかった。彼女の父親の仕事を邪魔し、彼女の友人の家族までも巻き込みふたりの仲を裂こうとした。
だが、ふたりはそんな母親の反対を押し切って付き合いを続けた。男はこの恋は運命の恋だと言った。
だが、交際途中で男は暴漢に刺され、目が覚めた時には彼女のことを忘れていた。
しかし男は思い出した。そして男は高校を卒業するとニューヨークの大学へ進学をした。
それからふたりは太平洋とアメリカ大陸を挟んで付き合いを続けた。男は大学を卒業したら日本に帰国するつもりでいた。
だが、男はそのままニューヨークに残った。それは男の母親が、息子が日本に帰国するのを許さなかったから。けれど男は大学を卒業するとき、彼女をニューヨークに呼んでふたりで祝った。
これから先もずっと一緒だ。時間はかかるかもしれないが、必ずお前を迎えに行くから待っていて欲しいと言った。だから、ふたりは1万キロ離れた場所で愛を育んだ。次に会えるまでの長い月日を指折り数えて過ごした。しかし8年前。彼女と男の恋は唐突に終わりを告げた。

「その男がアメリカ人と結婚するって噂が流れたの」

「アメリカ人と結婚?でもその人は牧野さんと付き合っていたんですよね?」

「ええそうよ。でも周りは言ったわ。それは私たちが付き合い始めた時から散々言われていたことだけど、どんなにあの男と付き合ってもあなたは彼とは結婚出来ない。人生を共にすることは出来ない。たとえ結婚出来たとしてもすぐに別れる。だってあなたは彼とは不釣り合いだってね。もちろん私も分かってた。恋愛と結婚は違うってことはね」

「それで、男性はどうしたんですか?」

「彼?アメリカ人と結婚したわ」

それは裕福な家の息子と、そうでもない家の娘の恋は10年目で終わりを迎えたということ。だが何故男がアメリカ人と結婚したのかは話されなかった。

「でも確かに10年も付き合っても結婚出来ない男と女は運命じゃなくてただの腐れ縁だったのよ。だから私もスパッと忘れることにしたの」

それから彼女は仕事に没頭したと言った。
好きで入社した会社だ。だから倒れる寸前まで仕事をしたと言った。
そして月日が流れ、アメリカで暮らしている元恋人が離婚したことを訊いた。
そしてある日。男と別れた後に変えた電話番号に「結婚してくれ」と男から電話がかかってきた。
だから早く会社を辞めて東京を離れようとした。
電話がかかって来た翌日、会社に辞意を伝えた。だが引き留められすぐに辞めることは出来なかった。そして退職出来るのは2ヶ月後になった。
だからそうこうしているうちに、帰国して来た男は花束を持って彼女の前に現れると再び「結婚してくれ」と言った。
だが彼女はそんな男に「今度こんなことをしたら警察に通報する」と言った。
すると今度は頻繁に電話がかかってくるようになった。だが無視した。
すると今度はメールが届くようになった。見慣れぬアドレスからの送信に誰かと思って開けば男からで、それ以来そのアドレスを登録すると迷惑メールに振り分けることでメールを開くことなく無視した。すると男は送信者が自分だと分かると開いてもらえないことを悟り、会社名で送って来るようになった。
そしてその会社は仕事の関係先の名前だったから、開かないわけにはいかなかった。
だが開いたが返信は一切しなかった。

そして彼女は、アメリカ帰りの元恋人と縁を切るために東京を離れることにしたと言うが、彼女のその頑なさの裏には何かがあるように思えた。
それに10年間付き合ったのは腐れ縁だったと言ったが、私には彼女が裕福な家の息子である男の立場を気遣って身を引いたように思えた。

「あの。その男性は他の女性と結婚しましたけど、結婚してからもずっと牧野さんのことが好きだったんじゃないですか?男性もそう言ったんじゃないですか?」





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2021
03.12

Transit 4

Category: Transit(完)
私は親近感を覚えた下着屋の店長が、かつて道明寺の広告会社で働いていたことに驚いた。
何しろ道明寺は多種多様な事業を傘下に持つ財閥企業だ。
だから専属の広告会社も親会社と同じ多種多様な広告事業を扱う。それは大きな仕事を幾つも手掛けるということであり、デザイナーの私にすれば羨ましいと思える状況だ。
それに、先日も道明寺不動産が手掛けた都内に新しく出来る商業施設のポスターを羨ましく眺めたばかりだ。
そして、あの会社に入るのは業界最大手と呼ばれる総合広告代理店と同じくらい難しいと言われている。一流という言葉が頭の中に浮かぶ会社だ。それなのに何故辞めたのか。

「あの。牧野さん。どうして会社を辞めたんですか?」

それは自分には手の届かなかった会社を辞めた人間に対して出た勿体ないという思い。
だからどんな理由で辞めたのか知りたくなった。
だが初対面の人間に何故会社を辞めたかなど本来なら訊くべきではない。
それに他人のプライバシーを詮索してはならないと分かっている。だが、思わず訊いていた。
すると彼女は屈託のない笑顔を浮べて言った。

「東京に居たくなかったから」

「え?」

「東京から離れたかったの。だからあの会社を辞めて転職することにしたの。
それで、なんだかんだで気付いたらこの町にいたの。それから、この店のシャッターに社員募集中って張り紙がしてあるのを見てここで働くことにしたの。だって食べて行かなきゃならないでしょ?」

と言った彼女は、それは自分でも信じられないほど突拍子もない行動だったと言った。
そして、おかしいでしょ?という風に笑ったが、私は会社を辞めた理由が東京から離れるためだということに、彼女は何故そんなに東京を離れたかったのか訊いてみたいと思った。
だから他人のプライバシーを詮索してはならないと思いつつも再び訊いていた。

「あの…..どうして東京から離れたかったんですか?いえ、言いたくなかったらいいんです。でも私にしてみれば、あなたが辞めた会社は私の憧れの会社だったんです。入りたかった会社なんです。だから東京を離れるために辞めたのは勿体ないという思いがして….」

すると私の質問に彼女は、ほんの少しだけ間を置いて、「昔の男が帰国してくることが決まったから」と言った。

「…..昔の男?」

「そう。昔、私と付き合ってた男。その男がアメリカから帰国することが決まったから東京を離れたの」



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2021
03.10

Transit 3

Category: Transit(完)
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?すみません。うちの店は御覧の通りごちゃごちゃしていて目的の物を探すのに時間がかかるので、よろしければお伺いしますが?」

私は女性の明るい声に誘われるように店の中に足を踏み入れていた。
そして、この店の店長だという女性からそう声をかけられ振り向いたが、私は何か欲しいものがあってこの店に入ったのではない。だから、「いえ。大丈夫です。見ているだけですから」と答えたが、確かにこの店は整然と下着が並ぶ都会のおしゃれな店とは違い、狭い空間に高密度で品物が置かれていた。いや。置かれているというよりも、入り乱れていると言った方が正しいのかもしれない。
だから本当に欲しい物があったとき、探すのは大変なような気がした。だが、それでも大量の商品と、こうした陳列の仕方は何か掘り出し物があるかどうか自分で探す楽しみというものがある。現に大手のディスカウントストアはこうした陳列と、いたるところにある派手なPOP広告で売り上げを伸ばしている。そしてこの店にもそういったPOP広告が沢山あった。

「そうですか?それではお手伝いが必要な時はおっしゃって下さいね」

女性はそう言うと店の奥へ入って行こうとしていたが、足を止めて振り向いた。

「お客様。失礼ですが、もしかして東京の方ですか?いえ。この辺りの人間とイントネーションが違うのでそう思ったんですが…..」

だが、そう言った女性もこの辺りの人間ではないように思えた。
そんな私の思考が伝わったのか。女性は自分のことを口にした。

「私は東京出身なんです。だからそうじゃないかと思って。それにこの辺りは観光地ではないので東京の方がいらっしゃるのが珍しくて」

私は女性がそう言って話しかけて来たことに嫌な思いはしなかった。
むしろ東京出身の女性が田舎でも過疎地でもないとはいえ、地方の小さな町の駅前商店街の下着屋で働いていることに興味を抱いた。だが東京出身の女性が地方の町で暮らすことはそれほど珍しいことではない。けれど、溌剌とした女性の態度に人間的な魅力を感じた。
そして私の頭に思い浮かんだ、この女性がここで働いている理由は、彼女がこの町に暮らす男性と結婚したから。だから女性の左手にその証を探した。だがそこに銀色に光る指輪は無かった。

女性はにっこりと笑って、「私。この店の店長をしている牧野つくしと言います」と名前を名乗ったが、その愛想のよさが職業柄ではないように思え、私も「脇本杏子です」と名前を名乗っていた。





***





「このお茶ね。さっきのおばあちゃんから頂いたお茶なんです。娘さんが静岡に嫁いだから毎年お茶が沢山送られて来るらしくてそれを分けて下さるんですよ」

牧野つくしと名乗った女性は、「よかったらお茶でも飲んで行きませんか?」と言った。
だが私が遠慮すると、「いいから。いいから。うちの店はおばあちゃんたちの井戸端会議場になることもあるから」と言って私を店の奥の小さなテーブルに座らせると、紫色のブラジャーを買って帰った女性がくれたお茶を煎れてくれた。
そして「この町に来たのはお仕事ですか?」と訊かれたが、違うと言ってこの町に来た訳を話した。

「そうですか…..古本の間に挟まれて使われなかった切符の目的地がここだったんですね」

「ええ。本を読み終えたとき切符が使われなかった理由も気になったんですけど、切符を買った人物が訪れるはずだったその場所へ行ってみたいという気になって。だからこの町を訪れることに決めたんです」

そして全く知らないこの町を訪れることで気分転換しようと思ったと言った。

「お仕事。大変なんですか?」

気分転換が必要になると言えば、生活に何かがあって変化を求めていたり、仕事が煮詰まっていると思うのが一般的だ。
だから彼女はふたつのうち、比較的当たり障りのない後者の方を口にした。
そして私はそうだと答え、商品広告のデザインの仕事をしていると言った。
すると彼女は「そうなの?実は私も昔のことだけど広告会社で働いていたのよ?でも御覧の通り今は商品を売るための状況を作る仕事じゃなくて直接商品を売る仕事をしているの」と言った。

「じゃあこのお店のPOPは牧野さんが?」

私はそう言って店内を見渡した。

「ええ。そうなの」

「そうでしたか….私。お店の中を見たとき、ごちゃごちゃとしているけど魅力的な店内だって思ったんです」

そうか。そうだったのか。彼女は広告会社で働いていたのか。
だから私はこの店の商品の陳列と広告が気になったのだ。
そして好奇心から同じ業界にいた彼女がどこの会社で働いていたのかを訊いた。

「私?」

「ええ。差し支えなければ教えていただけませんか?」

その問いかけに彼女は少し間を置いて答えた。

「……ハウスエージェンシーなの」

ハウスエージェンシーとは、特定の企業を広告主として専属で広告事業をおこなっている会社のことだ。そしてそれは大企業の広告宣伝部が独立分社化しているケースが殆どだ。
だから牧野つくしという女性は、日本人の誰もが知る企業の広告を専属で手掛ける会社で働いていたということになるが果たしてその会社は__

「私が働いていたのはエー・ディ・ディなの」

「エー・ディ・ディ?牧野さん凄いですね。だってその会社_」

「ええ。道明寺の広告会社よ」



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2021
03.08

Transit 2

Category: Transit(完)
寒さから解放された季節。
柔らかな春の日差しが降り注ぐ駅を降りた先にあるのは商店街。
駅前通り商店街という名前がついているそこは、小さな町の割りには人通りが多かった。

この町の冬は冷たい風が吹き、足先まで凍えるような寒さが感じられる場所で観光地ではない。
だから商店街は、ここに住む住人が買い物をする場所で観光客とおぼしき人はいない。
そして、田舎でも過疎地でもないこの町の洋菓子店の入口には数人の若い女性の姿があった。
だが私がこの町に来るには東京駅で新幹線に乗り、それから特急に乗り換え、在来線を乗り継ぐ必要があった。そしてやっと切符に印字されている出発地の駅に着くと、そこから目的地であるこの町に向かったが、ここに来るには小旅行以上の距離と時間がかかった。

そして私が古本屋で買った本の間に挟まっていた切符の行先に行こうと思ったのは、この町のことを全く知らなかったから。だから私は全く知らない場所で気分転換することを決めた。旅することで仕事で煮詰まった頭を解放しようとした。

そんな私の仕事はデザイナーだ。
だがデザイナーと言っても洋服のデザイナーではない。私の仕事は商品広告のデザイン。
そして今、手掛けているのは、老舗の醤油会社から新しく発売される醤油の広告だが、広告のデザインとはクライアントが売りたい商品をいかに際立たせるかを考えることであり、商品よりデザイナーの個性が際立ってはダメなのだ。

だが派手な図柄や色合いは消費者の目を惹くこともある。だがそうなると商品への印象が薄くなる。派手なCMを流しても商品が消費者の心に残ることはなく置き去りにされてしまう。
そして私がデザインした広告は、余りにも個性的過ぎてクライアントの担当者から、「もう少し色を抑えてもらえませんか?これでは醤油の容器の存在感が消えてしまいます」と変更を求められた。
だから私は少し時間をいただけませんか。と言ったが考えが纏まらなかった。
そんな私の頭の中に飛び込んできたのは、ひときわ明るい女性の声。

「その色。素敵でしょ?それにこれ。今日値下げされたばかりでお買い得ですよ」

私はその声にそれまでの思考を止めた。
そして声が聞こえて来た方を見た。
するとその声の持ち主は私の左前方にある店先にいた。

「そうかねぇ?でもあたしには派手じゃないかい?」

「うんうん。全然派手じゃない。それに好きな色を身に付けると心が元気になれるって言うでしょ?それに杉本さんはまだまだ若いんだから攻めなきゃ!」

そう言った女性の服装はブルーのストライプのチュニックシャツにブルーのニットのロングジレ。そして白いパンツを履いていて年は35歳の私と同じ位に見えた。

「そうだねぇ….年寄りだから地味な色じゃなきゃダメだなんてことないものねぇ。それに来週は大学病院まで行って偉い先生に見てもらうんだもの。ちょっとおしゃれした方がいいかもしれないねぇ…..だってその先生、背が高くてイケメンでねぇ。あたしがもう30歳若かったらアタックするんだけどねぇ」

と、言って笑っている女性は私の祖母ほどの年齢に見えた。

「そうなの?それじゃあますますこれを勧めなきゃ!杉本さん。見えないおしゃれも大切よ」

「ふふふ。そうだよねぇ。それはそうと、そう言うつくしちゃんはどうなんだい?見えないおしゃれを楽しんでるのかい?」

その店は商店街の下着屋。いや。店頭には下着だけではなく靴下やパジャマも並んでいる。
それにちょっとしたアウターも置いているようだ。
そして、つくしちゃんと呼ばれた女性は、「やだ。杉本さんたら。楽しんでるに決まってるじゃないですか。だって私はこの店の店長ですよ。お客さんに勧める前に自分が楽しまなきゃ売れないもの」と言うと「じゃあ。これ包んできますね」と言って紫色のブラジャーを手に店の奥へ入って行った。




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2021
03.07

Transit 1

Category: Transit(完)
私は古本屋で買った文庫本の間に使われていない電車の切符を見つけた。
それは在来線で必要な切符で印字されている日付はおよそ1ヶ月前。
出発地は訊いたことのない地名で、恐らく私が住んでいる場所からは遠く離れた街。
その切符で行ける場所は、金額が示す区間までであり地名は書かれてない。
そして、切符には『発売当日限り有効』と『途中下車無効』と書かれている。
だから、およそ1ヶ月前に購入されたこの切符は、ただの紙きれとしてここにあった。

それにしても、何故この切符がこの本の間にあるのか。
まず思い浮かんだのは、本当は使うつもりでいたが、栞として使っていたことから、いざ乗ろうとしたところで切符が行方不明になり探し出すことが出来ず、そのままになったのではないかということ。
だから、この本の持ち主は目的地に行くために、もう一度切符を購入することになったはずだ。
そして見つけられなかった切符は、この本に挟まれたまま売られてしまったのではないか。

そして次に思い浮かんだのは、この人物は切符を買ったものの、敢えて使わなかったのではないかということ。そしてやはり切符を栞代わりに使っていて、その切符を挟んだまま本を売ってしまったのではないか。
だが、そうなると何故この切符を使わなかったのかが気になった。
だから、この切符を捨てることなく持っていた。
だがどちらにしても、この本は売られる運命にあったのだが、この切符がここにある理由は、二番目に頭の中に浮かんだ理由の方ではないかと思った。

そして私は切符をこの本の元の持ち主もそうしたように栞として使っていた。
だが、本を読み終えた今、この切符が使われなかった理由もだが目的地も気になり始めた。
だから出発地となった駅から、切符に書かれている金額で行ける場所はどこかを調べた。
すると、切符を買った人物が訪れるはずだったその場所へ行ってみたいという気になっていた。



こちらのお話は短編です。
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