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2020
07.30

『Love and Tenderness』更新のお知らせ

『Deception 79話』をUPしました。



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2020
07.28

夜の終わりに 31

癖のある漆黒の髪は男の個性のひとつで、黒曜石の黒さを持つ瞳は刃物に例えられるとしても、つくしに向けられるのは鋭さではなく柔らかさ。
そんな男と過ごすニューヨークは、これまで写真でしか見たことがなかった場所を巡ったが、背が高くて日本人ばなれをした男はマンハッタンの街に馴染んでいた。

夜になれば学生時代よく通ったというジャズクラブに案内されたが、そこは細い路地を通り抜けた場所にある古めかしいビル。知る人ぞ知るといった場所で、「ここは名の知れたジャズの演奏家がこっそりと訪れる場所だ。運がよければ彼らの演奏を聴くことが出来る」と言われたが、もしかするとその夜は店の名前の通り『幸運な夜』だったのかもしれない。
カウンターの端に腰を据えて聴いたのは、アメリカでは有名な女性ジャズピアニストの演奏だった。

そして次の日。
少し困った様子の彼女の隣に座る男が「それを貰おう。包む必要はない。嵌めていく」と言うと白い手袋を嵌めた店員が「かしこまりました」と言って『それ』をつくしの前に置いたが、置かれた女は受け取ることを躊躇っていた。

「ねえ。この時計幾らするの?高いんでしょ?私、高い時計は必要ないから。もっと安いのでいいから」

この店のステータスが高いことは、ひと目で分かるが、並べられている時計には値札がついていない。
つまりここに来る客は値段を気にすることなく買っていくということ。
そしてそれは男も同じで財布から黒いカードを出すとサインをした。

「値段は関係ない。この店の時計は一流の職人が最高の技術で仕上げたもので簡単に壊れることはない」

と言われたが、つくしが時計を贈られることになったのは、朝食のとき呟いた何気ない一言から始まった。

つくしの腕時計は国産のどこにでも売られているもので、就職してからずっと使ってきた。その時計の針が止まっていることに気付くと「あ、どうしよう時計。止まってる」と呟いた。
だがそれを壊れたからだとは思わなかった。
これまでも何度か電池の交換をしてきたが、前回の交換から考えれば、そろそろ寿命が尽きてもおかしくない頃だからだ。
だが自動巻きの高級腕時計を使ってきた男にとって時計の針が止まるのは故障したという考えらしい。それに修理をするという考えはないようだ。
だから「よし。今日はまず時計を買いに行く」と言われ連れて来られた。

全く別の人生を歩んで来た人間の価値観が違うのは当たり前だ。
だからそれについて議論するつもりはない。
それに、つくしのことをからかうと言った男に言葉で対抗できるとは思ってない。
だから素直に「ありがとう」と言ったが。そんなつくしに対し「それに俺はお前にここの時計を贈りたかった」と言葉を継ぎ、自分の左手首に嵌めている時計を見せた。

文字盤にはこの店の名が刻まれていた。
だから「もしかしてお揃い?」と訊くと「ああ。そうだ。だからその時計で俺と一緒の時を刻んで欲しい」と言われれば、心に溢れてくるのは嬉しいという感情。
だから「腕を出してくれ」と言われ左腕を差し出すと、恋人は彼女の手首に時計を嵌めた。



つくしは人に対して甘えるのが苦手で恋に関しては昔から奥手と言われている。
それに頑固なところがあると自分でも分かっている。
だから気持を素直に言葉にすることが苦手だ。
けれど恋人は自分の気持を口に出すことに躊躇いがない。
そしてそれはどんなに角度を変えて眺めてみても同じで思いにブレがない。自分を誤魔化すということをしない。つまり率直だということになるが、もしかするとつくしが道明寺司という男と結婚を前提とした付き合いを始めたのは、その率直さ、言い換えるなら自分にはない自信に満ちた強引さに心惹かれたのかもしれない。
と、同時にふたりで過ごす時間が増えれば、そこに生まれるのは不思議な吸引力で、つくしの心の流れは確かに道明寺司に向かっている。
そして男もそれに気付いているはずだ。




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2020
07.26

夜の終わりに 30

マスターベッドルーム…..
俺の部屋と言われたそこにつくしの荷物が置かれている。
それが意味するのはニューヨークに滞在する間つくしが寝るのはこの部屋ということ。
だが展開が早すぎる。けれど、まだキスしかしたことがないとはいえ男は交際相手。その男と同じ部屋に寝る意味は推測する必要がないほどはっきりとしていて、あの雨の夜のように、ただ隣に寝るという意味ではない。だが、セックスを強要されることはないと思えた。けれど、まだ同じ部屋に寝るための心の準備が出来ていない。だからそのことについてどう切り出したらよいか思案していた。

それは部屋を別にして欲しいということだが、言えばあからさまな拒絶と捉えられるだろうか。
いや。拒絶しようとしているのではない。交際を始めればいつかはそういった関係になることは理解しているが、今はまだ早いとしか言えなかった。
だがそれをそのまま相手に伝えるよりも他に言い方はないかと考えた結果こう言った。


「とても素敵な部屋ね。ほんとシンプルで素敵ね?夜中に起きてトイレに行く時に足元の何かにつまずくこともなさそうだし、ベッドも大きいから4人くらい寝れそうだし、どんなに寝相が悪くてもベッドから落ちることもなさそうだし、それにカーテンも素敵!でもね、私マニュキア塗り直さないといけないから同じ部屋じゃなくて別の部屋にしてもらえない?ほらマニュキアって臭うでしょ?だからこんな素敵な部屋に臭いが染み付いたら申し訳なくて。それに気分が悪くなるといけないから私が泊まるのはゲストルームのひとつにしてもらえると助かるんだけど」

つくしはそう言ってから爪を隠した。
それは旅に出る前に身だしなみを整える意味でマニキュアを塗ったが、塗り直さなければならないほど酷い状況ではなかったからだ。
それにしても何が助かるというのか。自分で口にしておきながら言葉の意味が分からなかった。

そんなつくしに向けられている男の顏が、したり顔に見えた。
その瞬間頭を過ったのは、もしかしてこの男は、つくしが慌てる姿が見たくてわざと荷物を自分の部屋に運ばせたのではないかということ。
すると男はこう言った。

「そんな見え透いた嘘をつかなくてもいい。爪は綺麗なままだろ?それに安心しろ。俺のベッドで寝ないための長ったらしい言い訳を用意しなくても、お前のここでの滞在は別に部屋を用意している。荷物がここにあるのはメイドが間違えたんだろうよ」と言われ、つくしは少し、ほっとしたがマニュキュアの事は嘘だと気付いていたようだ。

そして、「いいか牧野つくし。俺は無理矢理女を抱くような男じゃない。それにお前にその気がないのに抱いたところで俺は嬉しくもなければ楽しくない」と言われた。

それにしても、この男は表情にこそ出さなかったが、別の部屋に泊まりたいと願うつくしがなんとか捻り出した言い訳を笑っていたのだ。だから自分の思考を読まれていたことに気恥ずかしい思いがした。
だが交際相手をからかってどうするというのか。
すると今度は、ゆっくりと笑いながら面白そうに言った。

「俺はお前の知恵がどこまで回るか楽しみにしていた。それにしてもマニュキュアを塗り直したいとは咄嗟とはいえよく考え付いたな」

と、褒められたが嬉しくない。
それは、その言葉からやはり思ったとおり交際相手がつくしの荷物を自分の部屋に運ぶように指示をしていたことが分かったからだ。

「あのね。人をからかうのもいい加減にしてくれない?私たちは恋人同士でしょ?その恋人をからかってどうするのよ?」

その言い方は憤懣とまでは言わないがムッとしていた。
だが相手はそんなつくしに対して嬉しそうに言った。

「恋人同士か。俺はお前の口からその言葉が訊けてうれしい」

「え?」

「俺は初めに言った。たとえお前が俺に惚れてなくても惚れさせてみせるってな。
つまり俺たちの付き合いは俺の気持を押し付けているところが大きい。そんな付き合いの中でお前の口から恋人同士って言葉が訊けたことが嬉しいんだ」

つくしの口から出た恋人という言葉。
そしてふたりの交際の中で、どちらの気持が大きかと言えば、それは自分だといった顏は時々つくしに見せる笑顔だ。

「それに俺は牧野つくしという女が自分の気持を口に出すことが苦手な女だってことは知っている。それから緊張するとやたらと喋ることも。だが俺はお前が喋るところを見ていると楽しいと思える。それは他の女に対しては絶対に抱くことがない感情だ。
だが言葉だけじゃ満足できない。好きな女を抱きたい気持がある。それは欲望という言葉とは違う。男と女の間には触れ合ってみなきゃ分からないことがある。引っかき合って撫で合ってみなきゃ分からないことがある。だから俺はそうすることでもっとお前を知りたいと思う。だが俺はお前がその気になるまで待つ。まあそれが惚れた弱みだな」

つくしの隣に立つ男は、そう言うと彼女の髪に手を触れた。

「それから俺はこれからもお前をからかう。だからお前はそんな俺を怒ればいい。何しろお前の本音は怒りの中に含まれていることがほとんどだ。それに俺を怒ることが出来るのはお前だけだ。牧野つくし」




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2020
07.24

夜の終わりに 29

「ゆっくりしてくれ」

「うん…」

と答えたものの、ゆっくり出来るかどうか分からない。
それは、この街での滞在先が交際相手のペントハウスだからだ。
玄関の扉が開かれると、そこはエントランスで黒光りする床が広がっていた。黒は埃が目立つ。だがそこに埃はない。
そして案内されたのは、長い廊下の先にあるリビングと思われる場所。
置かれているのはモカブラウンの上品なソファやモダンな家具で、独身男性ならではのシンプルさが感じられるが、つくしの交際相手は普通の人間からすれば非現実の世界に住む人間だ。
だからきっとここにある全てが高価なものだ。そして壁に飾られている絵画が本物なら数億円の価値があるはずだ。







「そ、それにしても今日は暑いわよね?この季節のニューヨークっていつもこんな感じなの?」

つくしは尻が吸い込まれるほど柔らかなソファに腰を下ろしたが落ち着かなかった。
それに言葉を発する前に大きく息を吸っていた。

「今日はいい天気だが、この街は日本と違い湿度が低い分だけ過ごしやすいと思うがお前が暑いなら温度を下げるが?」

「え?そこまでしなくても大丈夫だから。本当に大丈夫。平気だから」

と、慌ただしい調子で返事をしたのは、完璧な室温が保たれているであろう部屋の温度が急に上昇するはずがないからだ。
それにいくら部屋が高層にあるからといって空気が薄くなったのではない。
ただこの部屋の持ち主の存在がつくしの体温を上げ、空気の流れを変えているだけだ。

ニューヨークにある交際相手のペントハウスの入り口にはセキュリティがいて、ロビーにはコンシェルジュがいた。
直通のエレベーターに乗ると、これから泊まる部屋のことより交際相手とどう過ごせばいいかが頭の中を巡っていた。そしてこうして部屋の中に入り、ゆっくりしてくれと言われたが緊張していた。
なにしろ今日は雨の降る夜、緊急避難だと言われ一過ごした山奥のラブホテルの一夜とは違う。あの時の男と女は交際することになり今は曲がりなりにも恋人同士だ。
それなら当然あってもおかしくはない関係を求められるのではないか。それも相手の部屋に泊まるとなれば、そういったことになってもおかしくはない。

それにしても、ゆっくり進むはずの交際が道明寺夫妻の登場でそうもいかなくなった。
それは結婚を前提に付き合うことを決めたつくしを一歩一歩追いつめるのではなく、階段を二段飛ばしで上るほどの勢いに思えた。いや。男性の脚の長さから三段飛ばしかもしれない。
何しろ母親から妊娠していないことを残念がられ、父親から早く孫が見たいと気持を打ち明けられた。だから息子は父親の願いを叶えたいと思うのではないか。
つまり今夜、そういった可能性がある。

だがまだふたりはキスしかしたことがない。
それも、男性の方から一方的にだ。それにつくしは仕事が出来るが恋は下手だ。
過去に付き合った男性はいたが、欲望に満ちた目を向けられると逃げ出していた。

つくしは一旦ソファに座ったものの、緊張から口の中がカラカラに渇いていた。
だから落ち着かない気持ちのまま立ち上がると、「ねえ何か飲まない?そうよ、何か飲みましょうよ。コーヒーとか紅茶とか。私が淹れるからキッチンの場所を教えて」と言ったが、「そうか。それならその前にペントハウスの中を案内する」と言われ内心の狼狽を隠しながらリビングを出た。






自分の性格からいって気になり始めると、そのことばかり考える。
そして今がまさにその状態で、部屋をひとつひとつ案内される度に今夜自分が寝る部屋はどこなのかと思考を巡らせていた。





「ダイニングルームだ」

と言われたが広い部屋に長方形の大きなテーブルが置かれていて、いくつもの椅子が並んでいる。一体何人で食事をと思ったが、「ここはフォーマル用だ」と言われた。

「キッチンだ」

台所は広く、流しや調理台やレンジといった設備はピカピカで一見したところ使用された形跡はない。

「ここもダイニングだがここはファミリー用だ」

台所の隣にある家族で食事をするための場所は、フォーマル用ダイニングルームとは違い置かれているのは小さなテーブルだ。

「書斎だ」

広い書斎には大きなデスクと書棚があり、沢山の本が並んでいるのが見て取れた。

「トレーニングルームだ」

裕福な男性のペントハウスにトレーニングルームがあることは驚くことではないが、ジムにあるのと同じ様々な器具が並んだ部屋はひとりで使うには勿体ない広さだ。

「ゲストルームだ。これと同じ部屋があと三つある」

そうですか。それは大変結構です。
それにしても一体いくつ部屋があるのか。
そしてそのあと三つある部屋のうちのひとつがつくしの部屋だろうと期待した。だがあの部屋がお前の部屋だとは言われなかった。

そして「マスターベッドルーム。俺の部屋だ」と言われて扉が開かれると、そこには大きなベッドがあったが、その部屋につくしの荷物が置かれていた。




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2020
07.22

夜の終わりに 28

「嘘をついたことは謝る」

交際相手は父親が余命一年だと嘘をつていたことを謝った。
そして父親は、「このことは私が息子にさせたことです」と謝ったが、息子の交際相手に会い息子と結婚して欲しいと伝えるため取った行動は病を装うこと。
たが、いつまでもそれを続ければ、つくしの心に負担を掛ける。
それに、いずれバレる嘘だ。だから早々に告白したと言った。
そして晴れやかな表情を浮かべた父親はこう言った。

「ニューヨーク滞在を楽しんで下さい。行きたいところがあれば息子に言えばどこでも連れて行ってくれるはずです。それからマンハッタンのペントハウスはセントラルパークに近いが五番街もすぐ傍です。私はあなたを騙したことの償いがしたい。だから何か贈り物がしたい。もし欲しい物があれば言って下さい。すぐに用意しましょう」

と、言われたが高級ショッピングエリアの五番街に欲しい物などない。
だから「いえ。欲しい物はありません」と答えた。すると父親は、「つくしさんは炭素原子の配列で出来た硬い石はお好きですか?」という質問をしてきたが、それはつくしの知識を試しているのか。
だからつくしは、「いいえ。石には興味がありません。それにダイヤモンドはこの指輪だけで充分です」と答えたが、ダイヤモンドは炭素原子が結合して出来た石だ。
すると父親は片眉を上げ、「そうですか。石はお嫌いですか。それなら他に何か欲しい物があれば司に言って下さい。息子はあなたのためならどんな物でも手に入れるでしょう」と言ったものの、その口振りは、つくしが高価なものを欲しがる女ではないことを分かった上で言っていた。


それにしても息子が息子なら父親も父親だ。
嘘だと告白する前に、自分たちが出来なかった、真新しい学生服を着た男の子が英徳の校門の前で我が子の脇に立って写真を撮られている光景を実現させて欲しいと言った。
それは一日でも早く孫が見たいということだが、その言葉の裏にあるのは、自分が校門の前に立ち孫と一緒に写真を撮りたいという思い。と、同時にここにきて更にはっきりしたのは、道明寺家の人間は望みを叶えるためなら手段を選ばないということ。
だからつくしは自分が贅沢な追いつめられ方をされていることを実感した。

そして邸を後にするとき「これを受け取ってちょうだい。お土産よ」と言って道明寺楓から手渡されたのは平たい箱。車の後部座席で隣に座っている男に「ねえ。これクッキーか何か?」と訊いたが「さあな。開けてみろよ」と言われたことから開けた。

「何これ….」

「何これって見ての通りだろ?」

「でもどうして?」

「お前が石に興味はないと言ったからそれにしたんだろ」

「石に興味がないからって…..」

「気にするな。大したものじゃない。受け取れ」

大したものではないから受け取れと言われたが、箱に入っていたのは真珠のチョーカーとイヤリング。石に興味はない、の言葉を受けた父親は、それならと真珠にしたと言うのか。
だが、どちらも宝石であることに変わりはない。
それに真珠のチョーカーは冠婚葬祭に付けるシンプルなものとは違い大玉の3連だ。
そして真珠だけではなくダイヤモンドも散りばめられた豪華さだ。

「そんな…受け取れと言われても受け取れないわよ」

「何故だ?」

「何故だって….こんな高価なもの頂くわけにはいかないわよ。それに、婚約者って言っても私たちの付き合いはまだ短くて本当に婚約した訳じゃないでしょ?」

交際相手の父親が癌であり余命を告げられたことから、婚約者として会うことにしたが、ふたりの関係はまだ深くない。

「いいや。父親はお前が気に入った。俺の婚約者だと認めている。それに本人も口にしたが俺とお前が結婚することを望んでいる。だから息子の婚約者に贈り物をするのは当たり前だ。返せば気に入らなかったのかと思うだろうよ。つまり贈り物をした相手を傷つけることになる。それにうちの親は他人から物を突き返された経験はないはずだ。と、なるとどうなるか。そうだな。まず気分を損ねることは間違いないが、お前も義理の親の気持を損ねたくはないはずだ。だから受け取ればいい」

義理の親の気持。
結婚すれば道明寺夫妻が義理の両親になる。
世間によくある嫁姑問題を今から起こしたくはない。
出来れば夫の両親との関係を損ねることはしたくない…….

いや、そうではない。
この男と話すと論点がズレていく。
今している話は道明寺夫妻が義理の両親になる話ではなく、こんなに高そうな贈り物を受け取ることは出来ないことを言いたいのだ。

「あのね。さっきも言ったけど、私たちは付き合い始めたばかりで、いくら結婚を前提とした付き合いだからっていきなりご両親に会わされた私の身にもなってよ?それにこんな見るからに高価ものを受け取ることは出来ないわよ….」

そう言ったつくしに対し、「いいか。牧野つくし。俺と付き合うなら、こういったものを身に付ける機会が増えることになる。だから受け取れ」と言って箱の蓋を閉めた。

つくしはその言葉に黙った。それは男性の言葉に納得せざるを得ないからだ。
道明寺ホールディングスの副社長と付き合うということは、プライベートジェットもだがニューヨークの広大な敷地を持つ邸も然りで、これまで自分が知らなかった世界に足を踏み入れることを意味する。
だが交際することを決めた時は、相手がどんな立場でも関係ないと思っていた。
けれどこうしてニューヨークまで足を運び、相手が育った環境を知れば、その環境に、つまり道明寺家の習慣に身体が馴染むだろうかという思いがある。

そしてマンハッタンの中心部は酷く渋滞していたが、これはいつものことだと言われた。
車が向かっているのは交際相手のペントハウス。
よく考えなかったが、宿泊先はホテルではなくそこだ。
つまりここで一気にふたりの関係が進むことになるのか。
つくしは隣にいる男の顏をチラリと見た。
すると「どうした?」と訊かれ「え?うんうん。何でもない」と答えたが、形のいい眉と鋭い目元がやわらいだ顏は魅力的な笑顔をしていた。




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2020
07.19

夜の終わりに 27

付き合い始めた男性の父親が余命一年。
息子のことを生きた証だと言い、息子が独身でいることが心残りだと言う。
そんな父親に幸せな最期を過ごさせたい。人生の残り1年を意義のあるものにしたい。
だから婚約者として父親に会って欲しいと言われれば嫌だとは言えなかった。
そしてプライベートジェットに乗り込むと、用意されていたダイヤモンドの指輪を左手に嵌めた。












「あなたが牧野つくしさんですか。写真で見るよりも素敵なお嬢さんだ」

ニューヨークの道明寺邸の応接室で会った白髪交じりの初老の男性は、穏やかな表情でそう言って笑ったが、つくしはお嬢さんと言われる年齢はとっくに過ぎている。だが男性からすれば自分の年齢の半分ほどの年の女性は誰でもお嬢さんなのだろう。

男性の名前は道明寺匡(ただし)。
妻の楓より5歳年上の匡の立場は会長だと言った。
それにしても父と子はよく似ている。
母親に会った時は、母親に似ていると思ったが、こうして父親に会えば癖のある髪と骨格は母系ではなく父系の血筋だと思った。

「それにしても司と結婚の約束をしてくれた女性が現れて嬉しいよ。つくしさん。司のことをよろしくお願いします」

父親は笑顔でそう言ったが、過去に息子と結婚することを望んだ女性が大勢いたことは知っているはずだ。だが、いい年になっても当の本人にその気がなく、かつて母親が縁談話を用意したように無理矢理という訳にもいかず、余命を告げられた道明寺匡は道明寺ホールディングスの会長以前に親として気を揉んだのだろう。

「司は我儘な男です。物事は何でも自分の思い通りに行くと思っている。それは自分の意見が通ることが当たり前の環境で育ったからです。それに挫折というものを知らない。だから一度くらい挫折を味合わせたかったが、どういう訳か息子は強運の持ち主だ。
それにノーという言葉を知らない。だからつくしさんとの婚約も強引だったように思えるが違いますか?」

その問いかけを曖昧に答えるのは難しい。
それは父親が言った通りで交際相手は公正な人格者とは言えないからだ。
それにノーという言葉を知らない。
だがさすが父親だ。我が子の性格をよく分かっている。

だから、「はい。その通りです」と、答えたかったが病気の父親を安心させたいという交際相手の思いを汲み「いいえ。強引だなんて、そんなことはありませんでした。司さんとのお付き合いはまだ短いですが私は婚約したことに迷いはありませんでした」と答えた。

すると父親は、「そうですか。司はつくしさんには我を通すことはなかった、ということですか?」と言った。だから「はい。他の方に対しては存じませんが私に対してはそういったことは一切ありませんでした」と、答え隣に座っている男に向けて微笑みを浮べた。


「そうか。それは良かった、と言いたいところだが、あなたは嘘をついていますね?」

「え?」

「私は司の性格がつくしさんに対してだけ変わるとは思えない。
私はこの子の父親だから分かります。つくしさんは強引で我儘な息子に振り回されている。
違いますか?それにあなたは、本当はまだ結婚など考えていないのではありませんか?」

父親は微笑を消さずにそこまで言うと、今度は真面目な表情で言った。

「それからあなたと司の記事は司が書かせたものだ。レストランで食事をしている写真を撮らせたもの司だ。そうでなければあの週刊誌に記事は載らない。何しろあの週刊誌を発行している出版社を経営しているのは佐山一族だ。佐山家と道明寺家とは縁戚です。道明寺に関しての記事を載せるなら、その前に連絡がある。つまり都合が悪ければ握り潰すことが出来るが、そんな週刊誌に記事を載せるくらいだ。司があなたに対して本気だということにはすぐに気付いた。つまりつくしさんを他の男に取られたくないという独占欲は勿論のこと、自分には交際している女性がいるということを世間に示したかったのだろう。それに私たち親にも自分の思いを伝えたかったようだが、その思いは見事に伝わりました。ここニューヨークまでね」

父親はひと息つくと、つくしの隣に座っている我が子を見た。
そして、つくしに視線を戻すと再び真面目な表情で話を続けた。

「どこの親もそうだと思うが子供の結婚には気を揉むものです。私は司の結婚相手には自分をしっかり持つ女性がいいと思っていました。何しろ道明寺家の女性は、私の母親もそうだったが、妻の楓も自立した女性だ。訊かされたかもしれないが、そんな妻は司がまだ高校生の頃、私が病に倒れたことで道明寺の将来を案じて縁談を用意したが、それが結婚とはビジネスの先にあるものだという息子の結婚に対する価値観を決めてしまった。だから女性と付き合いはするが結婚する気配など皆無です。
だから妻は責任を感じていましたが、元はと言えば子供たちと過ごす時間よりも事業に重きを置いていた私たちふたりの責任です。そんな私たちだが司の行動に思い描いたのは、真新しい学生服を着た男の子が英徳の校門の前で息子の脇に立って写真を撮られている光景です。それは私が息子と出来なかったことですが、年を取るにつれてその姿が見たいという思いが膨れ上がりました」

父親は、そこで一旦言葉を切り、「失礼」と断りテーブルの上の紅茶が淹れられたカップを手に取り口に運んだ。そして息をつくと再び話し始めた。

「つくしさん。司と必ず結婚して下さい。まだ司との関係を深めるつもりはないとしても、息子を知ればきっと結婚したいと思うはずです。
それからあなたのことは調べさせてもらいました。あなたは子供の頃から努力家で家族思いのしっかりした方だ。それに真面目だ。そして現実的だ。あなたのような女性なら司を支えてやることが出来るはずだ。だから司と結婚して私と妻が与えてやることが出来なかった暖かい家庭を作って下さい」

そう言った交際相手の父親は深々と頭を下げたが、言葉には息子に対する思いがこもっていた。
だが、ここに来て道明寺匡は本当に肺癌なのかという疑問が浮かんだ。
細長いと言える身体は病を患っているようにも見える。
だが肌には色艶があり病人のようには思えなかった。
それに、頭を下げた交際相手の父親の後方にクリスタルの灰皿と思しき物が置かれているのが目に入ったからだ。

そこは少し離れた場所にある意匠を凝らしたコンソールテーブルの上。
肺癌ならタバコはもってのほかだ。だから灰皿は必要ない。それにそれがかつて来客用として使われていたとしても、今はもうこの邸にタバコの煙が漂うことはないはずだ。それなのに置かれている灰皿と思しき物の存在をどう捉えるべきか。
それにしても、もし父親の肺癌が嘘なら交際相手も母親も、そして父親までがグルになってつくしを騙しているということになるが、そこまでする必要があるのか?
そして頭を上げた父親の顏には、先ほどまでの真面目な顏とは打って変わり晴れやかな表情が浮かんでいた。

「それから私の病気のことですが、肺癌というのは嘘です。つくしさんの視線がコンソールに向けられていることに気付いたとき、私としたことが、しまったと思いました。
そうです。あそこにあるのは灰皿です。肺癌患者の生活に灰皿など必要ありません。それを片付け忘れたのは私のミスですが、こうでもしなければあなたに会えそうになかったのでね」




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2020
07.16

夜の終わりに 26

人生はドラマや映画のように予定調和でないとしても、今日の食事は交際相手とふたりでするものだと思っていた。
だが、そこに加わったのは母親であり道明寺ホールディングス社長の道明寺楓だが、その人は謎だ。それは息子の交際相手であるつくしに対して好意的なのか。そうでないのか分からないからだ。
そしてそんな女性から言われたのは、口直しのソルベについてではなくニューヨークへ行くこと。


「食事が終わったらニューヨークって、一体どういうことですか?私と彼..….司さんとはまだ付き合い始めたばかりで、これから親睦を深める….いえ、お互いを知ることを始めたばかりです。今夜のこの食事も司さんとふたりの交際の方向性について話そうと思っていました。それに今夜お母さまにお会いすることも訊いていませんでした。だから今夜の食事が意味のある食事だとは考えずに来ました。つまり何の心構えもなくお母さまにお会いしています。それなのにいきなりニューヨークに行けと言われても意味が分かりません。もしかしておふたりだけで何か決めたことがあるなら教えていただけませんか?第一これからニューヨークと言われてもどうやって行くんですか?それに明日は日曜だとしても私は月曜から仕事があります」

つくしは早口に一気にそう言い、それから隣に座っている交際相手の顏を見た。

「ねえ、ちょっと。何でも勝手に決めないでくれる?私はあなたと付き合い始めたけど、あなたの言いなりになる女じゃない。それに不動産会社の会議にあなたが居たことも驚いたけど、皆の前で結婚するつもりだとか、どんな所に住みたいとか話すから会社にバレたじゃない。私だってコソコソするのは嫌いよ。でもあなたは親会社の副社長よ?そんなあなたと付き合ってることが会社にバレたらどうなるか、あなたは気に留めなかったかもしれないけど、ただの社員の私は本当に大変なんだから!ジロジロ見られるし、ヒソヒソ言われるし、おまけに妊娠してるのって訊かれたのよ?」


つくしは交際を始めて間もない男とその母親の態度に腹を立てていた。
この親子は他人の話を訊かない。
この親子は物事を強引に進める。
だが、大会社の社長と副社長という立場にある人間はそんなものなのかもしれない。
それにこの親子の周りに、その強引さを指摘する人間がいないことは明らかで、今こうしてつくしが面と向かって自分の意見を言えば一体何を言っているといった顏をしている。
そして母親と息子はそろってつくしを見つめているが、この親子が何を考えているのか。腹の底は読めなかったが、もし読めたとして、意義を唱えても彼らが決めたことが覆されることはないだろう。
そして、どちらの目を見る方がいいかと問われれば息子の方がいい。何しろ母親の目は錐のような鋭を持つこともだが、魔女の瞳のようで吸い込まれそうに感じる。

「あら。牧野さん。あなた妊娠しているの?」

「妊娠なんてしていません!ただ司さんと付き合っていることを知られたとき、会社で言われたんです!」

「そう。妊娠していないの?残念だわ」

は?今、何と?
妊娠していなことが残念?

「わたくしはあなたに早く司の子供を生んで欲しいの」

「あの….?」

ますます分からないこの展開。
それにしても母親の言葉は真面目なのか。それとも冗談なのか。
いや。笑みを浮かべることなく言われたその言葉を冗談と捉えることは出来ない。


「わたくしはニューヨークであなたと司のことが載った週刊誌を見たわ。
その記事を夫に見せたの。すると夫….司の父親は大変喜んだの。何しろいい年をした息子は結婚する気がない。つまりこのままでは孫が出来る見込みはないと思っていたの。
でも司が女性と一緒にいる写真を見た夫は喜んだわ。それからあなたのことを調べたの。
あなたはごく普通のどこにでもいる平凡な女性だったけど夫はそれを喜んだわ。
その理由は、夫が司の結婚相手に望むのは男性に頼って生きない自立している女性。きちんと仕事の出来る女性。反骨精神とまでは言わないけれど、自分をしっかりと持っている女性よ。何しろ夫の母親はそういった女性だったから」

母親はそこで何かを考え、少し間を置いてから言葉を継いだ。

「それからこの子から訊いているかしら?わたくしは事業を拡大するために高校生だった息子に婚約者を用意したわ。あの頃は夫が病に倒れ、わたくしは必死だったの。なんとか道明寺の家を守ろうとした。事業を存続させるためにはどんなことでもするつもりでいた。
そんなわたくしに司は酷く反発したわ。でも今思えばそれは当然だと思えるわ。
そのことがあったからかしらね。司は結婚に拒否反応を示すようになったわ。
今よりもずっと若い頃、跡継ぎが必要なら養子を取ればいい。試験管の中で作ればいいとも言ったわ。だからわたくしたちは息子の子供。つまり孫を抱くことは出来ないとあきらめていたわ。そんな司が結婚を前提に付き合いを始めた女性がいることを知って夫もわたくしも喜んだわ。特に夫はね」

道明寺楓はそこで話すのを止めた。
そして静かな表情でつくしを見ていたが、その目からは錐のような鋭さは消えていた。
それに見る人を吸い込むと言われる魔女の瞳でもなかった。
そんな母親の話を引き継ぐように息子が口を開いた。

「俺はお前が言った通り時間をかけて俺のことを分かってもらうつもりだった。だが時間をかけることが出来なくなった。その理由だが俺の父親はもう長くない。肺癌であと1年と言われた」

父親の命があと1年。
そう言った男の顏には、かつて母親のことを敵対者と見ていたとは思えない表情が浮かんでいたが、それは親を思う心だ。
かつては親子とは言えない間柄だったとしても、今そこにあるのは道明寺楓を自分の母親として敬っている気持だ。

「死を宣告された父親は俺のことを生きた証だと言った。道明寺の跡取りとして生まれた父親がビジネス以外で得たもので一番嬉しかったのは姉と俺だと言った。
そんな俺が結婚もせずにひとりでいることが心残りだと言った。だからこれから俺とニューヨークへ行って婚約者として父親に会って欲しい」




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2020
07.14

夜の終わりに 25

「おふくろ。彼女が牧野つくしだ」

驚いた、というのがつくしの最初の反応だ。
それは、ふたりだけの食事だと思っていた場所に女性がいて、交際を始めてまだ間もない相手の口から、『おふくろ』という言葉が飛び出したからだが、席についている女性は洗練された服装に貫録を感じさせた。淡いグリーンのスーツを着ているが、性格は淡くないことは容易に見て取れた。
そして息子の瞳がナイフのような鋭さなら、母親はさしずめ錐(きり)か。
女性の目は無言の目だが鋭く、視線は突き刺さすように息子の隣に立つ女を見ていた。


いや…….
ちょっと待って!
何故ここに交際相手の母親がいる?
もしかしてこの食事は息子が母親に交際相手を紹介するため設けた場ということか?
だがそれならそれでひとこと言って欲しかった。

それにしても母親に紹介するということは、既につくしとの交際は結婚を前提にしたものだと伝えているのか?
ふたりの交際のスピードを落として欲しいと言うつもりでいたところのこの展開は、正直まるで予想もしなかったことだ。

そして本人の口から訊かされていた母親は、事業拡大のため高校生の息子を結婚させようとした女性だ。そして息子は母親の当然のようなその態度に反発した。
それは荒れていたという少年の頃の話だが、そんなことをされた息子が母親に抱いた感情はいいものではないはずだ。

つまり親子関係が良好とはいえない状況だった母と息子。だが、たった今『おふくろ』と呼んだ声に刺々しさは感じられなかった。
それは、あれから随分と時が流れたことにより、親子の関係は修復されているということなのか。何しろ女性が道明寺司の母親なら、その立場は道明寺ホールディングスの社長だ。
親子でトップの地位にいるふたりの関係が悪ければ社内に派閥が作られ揉め事の元になる。
つまりそういったことは経営に不安材料を与えることになる。だから表面上のことだとしても今は親子の仲違いは無いのかもしれない。

それにしても、この状況はあまりにも突然すぎる。
そして交際相手の母親の突き刺すような視線を受け止めた後…..口にしたのは「はじめまして。牧野つくしです」であり、それ以上何を言えばいいのか分からなかった。

すると、「そう。あなたが牧野つくしさんなのね?」と言われ「はい」と答えたが、女性の視線の鋭さは変わらず好意的な態度は感じられなかった。

そして息子が「おふくろ。そんなにジロジロ見るな」と言うと、母親は「ジロジロ見て何が悪いの?わたくしは逃げることを止めたあなたが選んだ女性がどんな人か知りたいの。
だってそうでしょう?これまでのあなたは女性とまともに交際をしたことがなかったんですもの」と言った。

「フン。逃げることを止めただと?」

「そうよ。それにあなたもそろそろ中年の危機かしらね?いつまでもひとりでいることがつまらなくなったのかしら?」

中年の危機と言われた息子はムッとした表情をしたが、さすがだ。道明寺司にそんな言葉が言えるのは母親だけだろう。

「それに知りたいと言ったが調べたんだろ?」

「ええ。ひと通りのことは調べたわ。牧野さんは頭の軽い浮ついた女性ではなかったわ」

「そうだ。それなら牧野つくしがごく普通の女だってことは分かったはずだ」

と、母親に向かって言った男は、その視線を無言でいるつくしの方へ向け「こんな母親だが気にするな。座れ。食事をしよう」と言って唇の端に笑みを浮かべたが、何故かその笑みに説明のつかない何かがあるように思えたのは気のせいか。











運ばれてくるコース料理は、どれも素晴らしく美味しいはずだ。
だがつくしはその美味しさを堪能することは出来なかった。
何しろテーブルを挟んで正面に座っているのは、交際相手の母親で道明寺ホールディングスの社長、道明寺楓だ。
しかし母親は息子とビジネスの話をしていて、つくしを無視しているのではないが、何かを問われることも言われることもなかった。 
だからスプーンを手にすると目の前に置かれた口直しのソルベをひとさじ口に運んだ。すると治療中の歯にしみた。
そのとき突然道明寺楓がつくしに視線を向けると言った。

「ところで牧野さん。パスポートはお持ちよね?」

「え?はい。持っています」

と言ってつくしは頷いたが、1年前、有効期限が切れそうだったことから新しく取り直していた。

「そう。では食事が終ったらニューヨークへ行っていただくわ」




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2020
07.12

夜の終わりに 24

道明寺不動産での会議から数日後。
それは週が変わった火曜の朝。
会社に一歩足を踏み入れた途端、感じたのは突き刺さる視線と、聞こえるヒソヒソとした話し声。
ロビーでは立ち止まって、つくしを見る女性もいれば、遠巻きに驚いた顏をする男性もいる。
それまで注目されることがなかった女は後ろ指こそ指されないが、ある意味それに近い状況に置かれていた。

エレベーターに最後に乗り込んだが背中に視線を感じる。
それはいつもなら階数表示を見上げているはずの男女の視線が、一番前にいるつくしに向けられているからだ。
そして目的のフロアで扉が開き降りると、駆け寄って来た同期入社の友人に廊下の隅に連れて行かれた。

「ちょっとつくし!道明寺副社長と付き合ってたの!?ねえ、どうして教えてくれなかったのよ?週刊誌のあの女性はつくしだったのね?」

「え?」

「もう!とぼけないでよ!」

知られている。
バレている。
そして、ここに来るまでに感じた視線や話し声や態度はこれで説明がついた。
だがいつかこうなることは、あの男の行動から分かっていた。

「ねえ。そうなんでしょ?」

「え?う、うん….」

「え、うん。じゃないわよ!同期のシングルとして教えてくれてもいいでしょ?」

いや。教えたら誰かに話すでしょ?の言葉を呑み込み笑ったが、友人は少し間を置き考えてから「ねえ。もしかして、つくし妊娠してるの?だから秘密にしてたの?」と小さな声で訊いてきた。
だからその問いには「ま、まさか!妊娠なんてしてないわよ!」 と、大急ぎで否定したが、もしかしてそんな噂が社内に広がっているのか。

きっと、あの男とつくしの事を社内でバラしたのは新しい課長だ。
いや、バラしたのではない。うっかり口を滑らせたのだ。そして慌てて火消しに走ったはずだ。
けれど一旦口から零れ出た言葉が広がるのは早い。その話には尾ひれが付き、どんどん大きくなる。やがて巡り巡って本人の耳に入った時には、全く別の話になっていることもある。

だが課長を責めることは出来ない。それは、親会社の副社長が口止めをしなかったからだ。
いや、それどころか、つくしに向かって「俺は隠しだてすることが嫌いだ。それにこの男が前任者のようにお前に対して変な気を起こさないためにもハッキリ言っておく方がいい」と言って新米課長にきっぱりと言った。

「いいか?お前の前任者が飛ばされたのは、俺の恋人に手を出そうとしたからだ。
だからお前も牧野つくしに手を出そうなど思うな。退職金をもらうまで働きたいと思うなら牧野つくしに手を出すな」

考えるまでもなく、そんな脅しのような言葉を口にされれば、「はい」と言うしかないのは勿論のことだが、きっとこれからは、男性社員の誰もがつくしの背後に道明寺司の姿を見るはずだ。

交際相手は堂々と付き合いたいと言った。
つくしも相手が親会社の副社長という理由で交際を隠すつもりはないが、だからといって自ら二人の関係を明かす必要はないと考えていた。
何しろ会社に知られると色々と面倒なことになることは目に見えているからだ。

そして金曜日は歯医者に行くから会えないと断ったが、その日、道明寺不動産での会議が終った後で言われたのは、来週の土曜日の夕食の誘い。ちょうどいい。その時にふたりの交際、つまり方向性について話し合おうと思った。結婚を前提にと言われた付き合いだが展開が早すぎて付いていけないからだ。
だが、そう思ったつくしが不動産会社を後にするとき、「牧野様。ぜひ我社の物件もご検討下さいませ」と、渡されそうになったのは新築マンションの豪華なパンフレット。「いえ。結構です」と断ったが押し付けるように手渡された。













「ねえ。ここで食事するの?」

「ああ。ここだ。うちのホテルのレストランは嫌か?」

「別に嫌いじゃないけど…..」

連れて来られたのはメープルのフレンチレストラン。
ゆっくりと落ち着いた状態で話が出来るならどこでもいいが、食事の場所のグレードを落としてもらえないかと思った。
例えばそれは街の洋食屋といったレベルだが、道明寺の副社長にそれを望むのは無理だろう。
しかし、テーマパークでフレンチを食べて間もない状況で、再びフレンチとなると胃はその贅沢さに驚くはずだ。

それにしても、ふたりの交際は何をするのも相手のペースで進んでいる。
土曜の夜のレストランは満席に近い状態で、ディナーを楽しんでいるのは、いかにも。といった人々だが、彼らが持つナイフとフォークの手が止まったのは、そこに現れた男があまりにも目立つ存在だからだ。
そして聞こえてくる囁き声は、「あの方。道明寺さんじゃない?」

「そうよ。間違いないわ。でもまさか今夜ここでお会いできるなんて思いもしなかったわ。
それにしても素敵だわ…..本当に素敵。財閥の後継者としてもご立派におなりになられて….わたくしも20歳若ければお付き合いして欲しいと申し込むところですわ」

「あら。奥様。それでしたらわたくしもですわ。わたくしだって若ければ道明寺様に交際を申し込んでいましたわよ?」

「まあ奥様も?考えることは同じですわね?でもあちらの女性はどなたかしら?」

「さあ…..見たことのないお嬢様ですけど、もしかしてお付き合いしている方かしら?それとも婚約者の方かしら」

「あらそうなの?ついにあの方も身を固めることになさったのね!」

それにしても一緒にいるだけで何故そんな話になる?
それに、この男は付き合い始めるとき、徐々に俺を知ってくれと言った。
それは時間をかけての交際だと思った。だが実際は時間をかけるどころかその真逆を行っている。だからもう少しペースを落として欲しいと言うつもりだ。
そして案内されたのは奥にある個室。
扉が開かれたそこには、ひとりの女性がいた。





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2020
07.10

夜の終わりに 23

午後から始まった会議は2時間を予定していたが、時間通り終りを迎えようとしていた。
質問するのは担当者だけで、社長やオブザーバーのように座っていた役員クラスの人間からは何もなかった。
それは、会社で使われる新しいソフトウェアのことなど担当者以外分かるはずもないからだが、それとは別にここにいるはずのない人間がいることで彼らは緊張を強いられていた。

だがそれも間もなく終わる。だから緊張していた会議室の空気も弛緩し始めていたが、テーブルの中央に座っている男が、「君の説明はよく分かった。だがひとつ訊きたいことがある」と言った。
すると、その場の空気は再び緊張感に包まれ、そこにいる人間は姿勢を正した。

そしてパソコンを見ていた彼らの視線がつくしに注がれた。
何しろ親会社の副社長の質問だ。それに会議の時間は2時間だったが、これまで何も言わなかった男が訊きたい事があるという。だから誰もが固唾を飲んで言葉を待っていた。そしてつくしにも、その緊張が伝わった。

それにしても交際相手は、つくしがパソコンを使って説明している間も、ずっと彼女を見ていたが説明を理解しているのだろうか。
だが、相手は道明寺の副社長だ。だからパソコンの画面など見なくても、訊くだけで理解することが出来るのか。
そして、道明寺司はつくしが付き合い始めた相手だがビジネスはビジネスであり、公私混同をすることはないはずだ。そうだ。今日のこの会議に出席したのはたまたま….だと思いたい。
だから構えて相手の言葉を待った。

「牧野くん」

「はい」

「君はマンションが好きか?それとも庭付きの戸建が好きか?」

「は?」

「住むならペントハウスがいいか?それとも広い敷地に建てられた邸がいいのか?」

「え?」

つくしの交際相手は何を言っているのか。
今のこの状況は道明寺不動産で使われる新しいソフトウェアの説明をしているのであって、つくしの住居に対する見解はどうでもいいはずだ。だから質問の意味が分からなかった。

「牧野くん!牧野くん!道明寺副社長の質問に答えなさい」

慌てた様子で、しかも声を震わせながら、そう言ったのは隣に座っている課長だ。

「え?でも課長___」

「いいからお答えして!ここは不動産会社だ。道明寺副社長が住まいに関心を持たれるのは当然のことだ。君に対して訊いてはいらっしゃるが、ごく一般的な質問だ。だからお答えして!」

「は、はあ….」と意思もなく答えたが、「牧野くん!」と促され言葉を継いだ。

「私はアパートで育ちました。ですから広い庭がある一軒家に憧れがありますが、都心でそれを望むのは贅沢なことです。でも都心では無理でも郊外の田舎に行けば_」

「そうか。広い庭のある家か。心配するな。田舎に行かなくても願いは叶えられる」

「え?」

「俺はいくつか家を持っている。お前が広い庭のある家がいいなら世田谷にちょうどいい物件がある。敷地の広さは50万平方メートルほどだったか。広い庭で花を育てるのも野菜を育てるのもいい。好きに使ってくれ。それからテニスコートもある。プールは屋内にあるが屋外がいいなら外に作ることも出来るがどうする?」

「どうする…..?」

この人は何を言っているのか。
それに何をどうするのか?だからつくしは訊いた。

「あの。道明寺副社長。おっしゃっている意味が分からないんですが?」

「牧野つくし」

と、つくしの名前を呼んだ男は立ち上った。
そしてテーブルを回ってつくしに近づいて来た。

「お前。俺が言ったことをもう忘れたのか?俺はお前と結婚するつもりでいる。だからお前がどこに住みたいか訊いている。ペントハウスにするか。それとも戸建てにするか。
世田谷が嫌なら松濤にも邸がある。あそこも庭は広い。だがあそこは総檜造りの日本家屋だがどうだ?」

「ど、どうだって…..」

「そうか。日本家屋が嫌ならぶっ壊して新しく建てるか?設計は隈研吾に頼めばいい。それとも他の建築家がよければ名前をあげてくれ。すぐに手配する」

隈研吾?それとも他の建築家?

「ちょっと待って!何言ってるのよ?」

つくしは、すぐ傍に立った男を見上げながら尋ねた。

「だからさっきから言ってるだろ?俺はお前と結婚するつもりでいる。だから新居はどこがいいか訊いたまでだ。それに丁度いい。ここはうちの不動産部門だ。その中の物件から好きなのを選んでもいいぞ」

いや、丁度いいと言われても困るし、選べと言われても困る。
それに今は仕事中だ。それにここに居並ぶのは、ふたりの交際など全く知らない人間だ。
それなのにいきなりプライベートな話を始めた男は何を考えているのか。
それに週刊誌の記事のこともある。それについても訊かなければならないが、それこそ今ここで話すことではない。だから取りあえず今のこの状況を何とかしなければという思いで声を上げた。

「あのね!今は仕事中でしょ?だから今その話は__」

「道明寺副社長大変光栄です!我社の物件の中に牧野様が気に入られた物件があれば、我々にとっても喜ばしいことです」

と、唐突に声を上げたのは道明寺不動産の社長。
すると、それをきっかけに役員たちは次々に声を上げた。

「おお。それは素晴らしい。うちには数多くの高級物件があります。牧野様は戸建をご希望のようですが白金台に出来た新築のタワーマンションなどいかがですかな?」

「いや。それよりも広尾の方がよろしいのでは?」

「ですが虎ノ門も捨てがたい」



つくしは彼らの話を訊きながら気付いた。
それは男性には強引な所があることは分かってはいたが、今はその男性に贅沢な追いつめられ方をされているということを。
そして、男性には力があることは分かってはいたが、その男性がストーカー体質だったことを......知った。





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