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04.30

『Love and Tenderness』更新のお知らせ

『Deception 74話』をUPしました。


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2020
04.28

思いは家庭に始まる

滅多にないことだが司は時間が出来た。
だから古いアルバムを開き過去に撮った写真を見ていたが、その中の一枚に目を止めた。
それは背の低い女が台の上に立ち、背の高い男を見下ろしている姿。
とはいえ、二人の高さの違いはあまりない。それは、女が立っている台に高さがないからだが、どうやらその様子から女は男よりも背が高くなったことを自慢している様子が見て取れた。そして女は男の髪に手をやり、男はそんな女を見上げているが、いつ撮られたものか日付を確認した。すると写真の片隅に小さな文字で記されている日付は25年前だ。


写真を見ると幸せな気持になれることを知ったのは、結婚して家族が増えてから。
何故ならそこには幸せな風景が切り取られているからだが、そんな中でも男が特に好きなのは被写体がカメラを意識していない姿。
つまりレンズを見つめるのではなく、何かをしているところをこっそり写した姿。
そこに写し出されているのは見せるつもりのないふとした表情。それを捉えたものが好きだ。
だが何故そんな写真が好きなのか。
それは、男の仕事に理由があった。男の仕事は世界的な企業の最高経営責任者。
だから男の周りにいる人間が見せるのは緊張した顏。
誰もが男の前では首を垂れるが、上げた顔に笑みはなく、稀にあったとしても、それは心からの笑みではなく媚びへつらいの笑み。そんな笑みは幼い頃から見て来たから、彼らが頭の中で何を考えているかすぐに分かる。
だからこそ男は心からの笑みが見たいと思う。
それに、いくらビジネスに厳しい男でも現実社会では心が疲れることがある。辛い顏や苦しい顏を見たくないと思うのは、人間だれでも同じはずだ。
だから、笑顏が沢山収まったアルバムを見るのが好きだ。それに、笑みを浮かべた顔は心を和ましてくれる。

それに日記をつける習慣がない男にとって写真は日記のようなもの。
写真を見ればその日が甦る。時が戻る。あの頃こんなことがあったと過去を振り返ることが出来るが特にこれはそうだ。

25年前に撮られた写真。
それはふたりが結婚したばかりの頃だが、あの頃、写真といえばフィルムカメラで撮るものであり、今のようにデジタルカメラは一般的ではなく、携帯電話も写真を撮る機能は無かった。
つまり、撮った写真をその場で確認することは出来ず、フィルムを現像して初めてどんな写真が撮れているかが分かる。だから撮られた人間は、自分がどんな表情で写っているか写真が現像されるまで知ることはない。
そして表情が気に入らないからといって取り直すことが出来ない。それは、まさに切り取られた一瞬の時。つまりポートレート的なものではない本当の姿がそこに写し出されているからこそ、その姿が愛おしい。

そして写真の女があのとき行おうとしていたのは、キッチンの高い場所にある戸棚に収められている鍋を取り出すこと。その鍋は嫁に行く娘に母親が持たせた嫁入り道具のひとつ。母親から、『これ。亡くなったお祖母ちゃんが昔くれたものなんだけど一度も使ってないからね』と渡されたらしいが、女はその鍋が広いキッチンのどこかにあると言って探しているところだ。
その時、カメラを手にしていた友人が言った。

「牧野。お前が司よりも背が高くなることはない。だからそこから見える景色を楽しんどけ。それに司を見下ろすことが出来る女はお前だけだからな」

司の前にひれ伏す人間は大勢いても、彼の上に立つ人間はいない。
友人はそう言って笑ったが、実際にその通りで司の上に立つ人間はいない。
だがひとりだけいる。それが司と結婚した女だ。
司がビジネスに力を入れることが出来たのは、家庭を守ってくれる女がいたから。
子供たちの父親が遠い国へ出かけて帰らなくても、その寂しさを紛らわせることをしてくれたのも彼女だ。だから司は彼女には感謝していた。
そんな女が戸棚から取り出した鍋の使い道は___









「司?ねえ司?どこにいるの?」

司は妻の呼ぶ声に「ここだ!」と大きな声を上げた。
すると部屋に入って来た妻が「ねえ。お鍋、取るの手伝ってくれない?」と言ったが、今はあの頃と違い鍋を探して回ることはない。それは、あの鍋が収められる場所があの場所と決まっているから。
そして、これだけは自分でするからと言って使用人の手を借りることのない妻は、まるで儀式のように鍋を取るのも夫に頼むが、その鍋が使われるのは年に一度だけ。それは若葉の芽吹く春。

「そろそろその季節か?」

「そうよ。今年も元気に育ってるから沢山作るからね!」

と嬉しそうに言ったが、育っているという言葉は正しくない。
何しろ本来ならそれは雑草であり、庭師によって駆除されてもおかしくはない草。
それを庭の一画に残すことになったのは妻が嫁いできてからで、あの時交わした会話は今でも思い出すことが出来る。









「沢山育ってるって言うが、あれは勝手に生えてる雑草だ」

「あのねえ。雑草だって言うけど、あの草はおひたしや天ぷらにして食べることも出来るし、煎じて飲むことも出来るし、昔から口にされてる草なの。あの苦みが身体にいいのよ?それにフランスじゃリキュールにするくらいなんだから、まさにヨモギは日本のハーブよ!」

司は、そう言った妻に連れられ広い庭の片隅に出向き、一緒にしゃがみ込んでヨモギを取るのを手伝ったが、あのとき司の後ろ姿を見た庭師は、「司様が草むしりをなさっている!」と驚いた。

そしてむしった草。いやヨモギの葉で作られたのは草餅。
司は妻と結婚するまで草で作られた餅など訊いたことも無ければ食べたこともなかった。
だが、妻が口にした通り淡い緑色をしたアブサンというフランスのリキュールは、ニガヨモギの葉から作られていた。

「あのね、これは毎年春になると田舎のお祖母ちゃんがよく作ってくれたの。お祖母ちゃんが庭からヨモギを取ってきてキレイに洗って、茹でて、それからすり潰して、炊いたもち米に混ぜて緑色のお餅を作ってくれたの。もちろん私も手伝ったわよ?それでね。その中にあんこが入っててね。本当に美味しかった」

いつもは高い場所に仕舞われているその鍋の使い道はヨモギの葉を茹でるためで、それは言うなれば妻にとって祖母との思い出の行事。
そして司は妻が作ったヨモギで作られた緑色の餅を食べたが、アルコール度数が高く、特殊な味と香りを持つアブサンを想像していた男にとっての草餅は、緑色の見た目とは違い胸につかえるほど甘かった。










「おまたせ!出来たわよ!」

と言ってアルバムを捲っていた夫のところに運ばれて来た草餅は、一枚の写真から思い出されたあの日の餅と同じだ。
それにしても、甘いものが苦手な司がひとつ食べるのがやっとだと言うのに、妻は美味そうに次から次へと手を伸ばす。
だがそれは、いつもの光景であり、その変わらない光景が大切だと思えた。

「わあ。懐かしい写真!これいつの写真?」

「25年前だ」

「25年前?どうりで司も私も若いはずよね?」

草餅を食べる妻はそう言って笑った。












家にいる時間が増えたら出来る範囲のことをして過ごす。
だから過去に撮った写真を見返してみるのもいいかもしれない。
もしかすると、その時は感じなかった何かを見付けることが出来るかもしれない。
それに今は昔と違い、写真は小さな機械の中に保存されているが、それを整理してアルバムに貼り、形として残すことで大切な人とも思い出を共有することが出来る。

それに人は年を重ねると自分の過去を素直に受け入れることが出来るようになる。
だから写真を通して過去の自分を知ることも面白いはずだ。
そう思う男は遠い昔。まだ自分が幼かった頃の写真を見て生意気な子供だと思った。
それは姉と一緒に写った一枚。
姉の隣に立つ子供はタキシード姿で中指を立て、舌を出し、鋭い視線でこちらを見据えている。
やがてその子供は手のつけられない少年になった。
人の心なんぞ金で買える。そう思う少年の周りには媚びへつらう者ばかりがいて、誰もが少年の機嫌を窺っていた。すれ違った相手が気に入らなければ殴った。殴って倒れた相手の腹を生意気だと蹴りつけ瀕死の重傷を負わせた。

そしてあの頃少年はいつも思っていた。
いつ死んでもいい。人生なんぞクソくらえだ、と。
だがそんな少年も一人の女性と知り合い恋をして変わった。
その人の存在が愛おしかった。だがその人は少年の方を振り向いてはくれなかった。けれど少年は懸命に思いを伝え自分を変えた。やがて時を経てその女性と結婚して家庭を持った。子供が生まれ幸せを感じた。

だから中指を立てている子供に言った。
お前は暫くバカをやった後で運命の女性に出会う。それまでは生きてろよ。命を粗末にするな。それから刺されても死ぬな。絶対にその女性のことを忘れるな。忘れたとしたら何がなんでも思い出せ。思い出せなかったらお前の人生に賑やかな笑いはないぞ。
そんなことを思った男は別のアルバムに手を伸ばし開いた。すると男の頬は自然に緩んでいた。それは生意気な態度の自分と同じ年頃の子供が満面の笑顔でこちらを見ていたからだ。
その子はあの頃の自分のように人を見下した態度を取らなかった。
自由闊達な育て方をされた子供はその言葉通り心が広い。大らかだ。それは正に妻の性格を受け継いでいた。


写真には物語がある。
それは撮影した人間にしか分からないことだが、こうして時間が持てた今。自分だけが知っている物語のページを読み返してみるのも悪くない。
そうだ。あの頃の生意気だった自分に会うのも悪くない。
だがクソ生意気なクルクル頭の子供は司に会って何と言うだろうか。
多分こう言うはずだ。
『おっさん。俺と同じ髪型してんじゃねえよ!生意気なんだよ!』
司は笑みを浮かべ、妻が作った草餅に手を伸ばしていた。





< 完 > *思いは家庭に始まる*
ステイホームをしている皆様。そうした中で少しでもこちらのお話を楽しんでいただければ幸いです。アカシアもステイホームを心掛けています。
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2020
04.25

『Love and Tenderness』更新のお知らせ

『Deception 73話』をUPしました。


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04.22

『Love and Tenderness』更新のお知らせ

『Deception 72話』をUPしました。


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『Deception 71話』をUPしました。


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04.16

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『Deception 70話』をUPしました。


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04.12

『Love and Tenderness』更新のお知らせ

『Deception 69話』をUPしました。


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2020
04.08

Sometime It Snows in April

負けられない闘いがそこにある。
そう言ったのは誰か。
だが同時にこうも言った。
こんな時だから優しさが必要になると。
互いに思いやる気持ちが必要になると。

そして一騎当千と言われ、敵が多いほど燃える男がいる。
だが今回の敵は目に見えない敵。それはウイルス。
だからどんなに男が強くてもその敵と闘うことは出来ない。
そしてそのことを男も十分理解している。
だから今この状況で男が選んだのは、好きだから会わないという愛のカタチ。


「牧野。お前に確認したいことがある」

男はパソコンのモニターに映る恋人に話しかけた。

「うん?なに?」

「お前。手洗い、うがいはちゃんとしてるか?」

「大丈夫。ちゃんとしてるわよ?」

「それからしっかり寝てるか?」

「もちろんよ」

「常識の範囲内の行動を心掛けてるか?」

「うん。外出は生活必需品や食料品を買いに行くだけ。それに買い物を済ませたら真っ直ぐ帰ってるわ」

「誰かに誘われてもノーと答えてるか?」

「当然よ。それに誰に誘わるって言うのよ?」

モニターの中にいる恋人は笑った。

「類だ。あの男のことだ。お前のことが心配だ。うちに来ないかって誘ってんじゃねえのか?」

「もう…..何?この状況でやきもち焼かないでよね?」

「分かってる。冗談だ。それよりも距離を保ってるか?」

「ソーシャルディスタンスなら気を付けてるわ」

「そうか。俺はお前が元気でいてくれたらそれでいい」

司は恋人の言葉を訊いて安心した。
愛する人が健やかでいることが男の幸せ。
恋人とは、また会えばいい。
健康なデートが出来るようになれば、しっかりと触れ合えばいい。
その時に顏を寄せて思いっきりキスをすればいい。
密閉した空間で密接なコトをすればいい。
だからいつか来るその日まではパソコンのモニター上でしか会えないが、今はそれで充分だ。
だが、先の見えないこの状況に不安で気分が沈みがちになっていることは間違いない。
だから彼女の気持を和ませる話をすることにした。

「牧野。安心しろ。俺はウイルスに強い男を知ってる。その男はウイルスを倒した実績を数多く持っている。だからその男がこの状況を変えてくれるかもしれねえ」

「え?誰?そんな人がいるの?道明寺の知り合いなの?」

「ビル・ゲイツだ」

「ビル・ゲイツってあのビル・ゲイツ?」

その人物は誰もが一度は使ったことがあるソフトウェアを開発した会社の創業者で世界的な億万長者の慈善家。

「そうだ。あの男はこれまでずっとウイルスと闘ってきた。だからあの男ならウイルスを倒すことが出来るはずだ。と言ってもコンピューターウイルスだがな」

「もう!冗談ばっかり言うんだから!」

と、恋人は言ったが、司の話はあながち冗談とは言えなかった。
事実、あの男は自身が持つ財団がウイルスを撃退するワクチン工場建設に資金を投じていると言った。
そして道明寺財閥もグループの製薬会社が開発した抗インフルエンザウイルス薬が、問題のウイルスに効果があると言われていることから、増産するため設備投資を行うことを決めた。






「ねえ、道明寺」

「なんだ?」

「道明寺も気を付けてね?」

「ああ。もちろんだ」


ニューヨークにいる男は暫く帰国することはない。
それは愛する人のため。
愛する人を守るために今、自分が取らなければならない行動。

「牧野」

「うん?」

「もう寝ろ」

パソコンの向こう側にいる恋人は眠そうだった。
だから司はそう言って通信を終ろうとしたが、恋人はまだ何か言いたそうだった。
だから待った。

「どうした?俺に何か言いたいことがあるのか?」

「えっ?….うん、あのね、道明寺。あ….愛してるからね!それからあんたも早く寝てね?あ、今そっちは朝だったわね?ええっと….じゃあ今日も一日頑張ってね!」

言い終わると同時に切断された通信。

「__ったく勝手に切りやがって。俺の愛してるが言えなかっただろうが」

司の恋人は面と向かって愛という言葉を口にするのが苦手だ。
だから、そんな恋人の口から聞かされた愛してるの意味は大きい。

司はパソコンの隣に飾られている彼女の写真を手に取った。
その写真は今年の1月。司の誕生日に東京で写したもの。
笑いかけるその顏は夜空に輝く何千、何万の星よりも美しい輝き。
その笑顔があるから司は頑張れる。
その笑顔が自分に向けられるから生きていられる。
今はその笑顔に会うことに我慢が強いられたとしても、それは彼女のためであり、司のためでもある。
それに司はこの街で、ニューヨークで、社員の安全と生活を守る義務がある。

そしてペントハウスの窓の外に広がる青空がいつもよりも澄んで見えるのは、車の往来がないから。
それは折しも4月にあるユダヤ教の祭日である過越祭(すぎこしさい)の史実と言われるモーセの導きによってエジプトを脱出するイスラエルの民が疫病を過ぎ越すために家にいることを求められ出歩かなかったのと同じようだ。
だがここは世界のビジネスの中心ニューヨーク。
どんな状況にあっても経済は常に動いている。
だから司は頭を休めることは出来なかった。








4月に東京で雪が降ることはない。
だから恋人と会えないこの状況は東京に大雪が降ったと思えばいい。
いや。世界中に大雪が降ったと思えばいい。
だが4月の雪もいずれは溶けてなくなる日が来る。
いつかこの雪は溶けて、また暖かい太陽が顔を覗かせるはずだ。
そして司はそれを、いや、司だけでなく世界中の誰もがそれを願っているはずだ。
だからその日が来るまで健康でいれば、また会える。
明けない夜はないのだから。





< 完 > * Sometime It Snows in April  四月に雪が降ることもある*
色々と厳しい状況になってきました。憂鬱なことや表情が歪むこともあると思いますが、いつかこの状況は収束する。そう願っています。そしてその日が一日でも早く訪れますように。   アカシア
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2020
04.06

愛を胸に抱きしめて~続・春を往け~

「ねえ。梓に彼氏が出来たみたい」

「…..今、なんて言った?」

どんなに仕事が忙しくて遅くなっても会食がある以外は家で食事を取ると決めている男は、食後のコーヒーを飲みながら訊かされた妻の言葉に眉をひそめた。

「ん?だから梓に彼氏が出来たって言ったわ」

「つくし。梓ってのは、うちの梓のことか?」

「そうよ。あたしと司の間に生まれた娘のことよ?あたしたちの娘も年頃よ?恋をする年齢になったの」

それは聞き間違いでなければ司のひとり娘に男が出来たということ。
1年前に英徳の高等部を卒業し大学生になった息子には付き合っている女性がいるが、卒業式当日に妻から言われたのは、息子に好きな女の子が出来たということ。
そして、母親の勘からして想いは伝えてないだろうということ。
だが卒業式を終えた息子が帰宅したとき、制服のネクタイがなければ、それは好きな子から思い出の品としてネクタイが欲しいと言われ手渡したということ。
それが意味するのは共に思いは同じだということ。
つまり相思相愛ということになるが、あの日。息子はネクタイをしていなかった。そしてプロムに出掛けたが、会場まで息子を送った車の運転手は途中花屋に寄ったと言った。

司はあのとき息子が意中の女性の心を掴んだことを知った。
それは大学生になった息子に恋人が出来たことを意味するが、息子の母親は我が子に恋人が出来たことを喜んだ。

「ねえ。司。彼女ってどんな女の子なのかしらね?それに巧は私たちに紹介してくれるのかしらね?それとも恥ずかしくて紹介してくれないのかしら?でも相手のご両親にはちゃんとご挨拶しているわよね?だってよそ様のお嬢様とお付き合いするんですもの。ちゃんとご挨拶しないとご両親も心配するわよね?あ、もしかするとご両親は巧と付き合うことを許して下さらなかったのかしら。そうなるとちょっと辛いわよね。でもまさかあたしと司の時のように派手な妨害をされることはないわよね?」

と言って妻は笑ったが、あのとき司は妻の言葉を鼻で笑った。
それは、どこの親が道明寺財閥の後継者と付き合うことを反対するかということだが、今は息子のことはどうでもいい。
それに息子の交際は順調だという話は妻から訊いていた。

それよりも今、問題にしなければならないのは、ひとり娘の梓に彼氏が出来たこと。
それにしても17歳の娘に彼氏が出来たことに気付かなかった。
それは司が男親だからなのか。
だが確かに司は娘が普段どんな風に過ごしているか詳しくは知らない。
それに娘が髪型や服装にこだわりを見せるようになっているとしても、やはりそれは男親だから正直気付かなかったし分からなかった。
だから妻の話を訊きながらムッとしていたが、そんなしかめっ面をした夫に、

「ねえ、司。梓の彼氏ってどんな男の子なのかしらね?同級生からしら。それとも年上からしら?もしかして年下?でもあの子は年下って感じじゃないから同級生か年上だと思うわ。
でもまだ付き合い始めたばかりみたいだから、そのうち紹介してくれると思うんだけど、楽しみよね?」と嬉しそうに言ったが何が楽しみなものか。

だが司は当時16歳の妻に恋をした。
荒んだ目をして、荒んだ毎日を送っていた男の前に現れた少女。
はじめは生意気で、どうってことのないただの平凡な女だと思った。
いや、それ以下だと思った。
だがそんな女に気持が高まった。彼女の顏を見ると胸の鼓動が高まり落ち着かなくなった。
そして心の芯を絡め取られ、彼女の大きな黒い瞳に自分の姿だけを映して欲しいと思うようになった。彼女に会いたい、傍にいたいという思いを抑えきれなくなると彼女を追いかけたが、友人達はそのことを相当な圧をかけて彼女に交際を迫ったと言った。
だがそんな男は彼女の両親に対して早い段階で自分の思いを伝えた。
だから、妻が言った息子は付き合う相手の両親に挨拶をすべきだという言葉が正しいなら、娘の彼氏は司に挨拶をしに来なければならないということになるが、その男はまだ司の前に現れない。

男親にとっての娘とは娘であって娘ではない存在。
それは妻とも違う。だからと言って恋人ではない。
それならなんなのかと問われれば、それはまさに目の中に入れても痛くない存在であり、自分の血を分け与えた分身であり、自分のDNAを受け継ぐこの世界の中でただひとりの娘。
形容しようにもしようが無いかけがえのない存在。だからそんな大切な娘の彼氏という男がどんな男なのか気にならないはずがない。
そう思う夫の気持を察した妻は、

「ちょっと、司。まさかとは思うけど、その男の子のことを調べたりしないでしょうね?
分からないなら言うけど、そんなことをしたら梓に嫌われるからね?
それに心配しなくても大丈夫。そのうち紹介してくれるはずよ?だからそれまで待つの。いい?知らんぷりするの」

そう言われたが、司は父親という立場から譲れないものがあった。
というよりも譲りたくないものがある。
古い人間だと言われてもいい。それに司は昭和生まれだ。だから古くて結構。
そんな男が譲れないもの。それは娘には本当に好きな人と初めてを迎えて欲しいということ。つまり無駄な通過儀礼など必要ないということ。傷付いて欲しくないということ。

司はモテる男だった。
少年時代から彼の周りには大勢の女が自分を見て欲しいと秋波を送っていた。
だがあの頃の司は、女は薄汚い生き物で触れたいと思う存在ではなかった。
だから初めての相手は妻で、それは妻も同じ。
そして二人が初めての夜を迎えるまで相当な時間要したが、奥手といわれた女のことを思った司は、いくらでも待つと言った。そして実際に待った。相手の気持をどこまでも尊重した。
だからこそ、娘の彼氏もそういった男でいて欲しいと思った。いや、思うではない、そういった男であって欲しいと願っている。だから相手がどんな男が知りたいと思うのが男親だ。
それになにより娘はまだ17歳。つまり未成年であり親の保護下にある。
だから親が守ってやらなくてどうするというのだ。
それにしても放熱した「あの時」は、人生で一、二を争うほど幸せな瞬間だったが___

「司?いい?今は梓のことはそっとしておくのよ?まだ恋は始まったばかりで微妙な時期なんだからね?親が口を出して別れちゃったりしたらあの子から口を利いてもらえなくなるわよ?」












司は風呂に浸かりながら考えた。
妻からはそっとしておけと言われたが、司にすれば娘が交際を始めた男が誰であるかを調べることなど造作無い。
だが娘が口を利いてくれなくなることは怖い。まだ娘がベビーベッドの中にいた頃、帰宅した司の顏を見上げて見てニッコリ笑う様子は、まさに天使の微笑みで、絶対にこの子と離れるものかと思った。嫁になどやるものかと思った。だがそうはいかないことは分かっている。
そんな司に同調したのは司と同じように娘を持つあきらで、「娘を持つ男親の気持ってのは複雑だからな」と言った。

それにしても、気になるのは相手の男は本当に梓のことが好きなのかということ。
つまり相手の男が梓と交際を始めたのは、道明寺という名前に惹かれているからではないかということだが、梓の父親がどんな男か知っていれば軽率な行動はとらないはずだ。

道明寺ホールディングスと言えば日本経済をけん引する企業を幾つも所有するコングロマリットだ。つまり男の態度次第では、どんな圧力がかかるか分かったものじゃない。
だがそれをすれば、かつて自分の母親が妻の家族や周囲に対して行ったことと同じ。
もっとも、司はかつて自分たちが経験したようなことをするつもりはない、
だが、仮にそんなことをしたとして、相手の男が簡単に梓を諦めるようなら、そんな男は娘には相応しくない。娘をそんな根性無しの男と付き合わせるわけにはいかない。
そうだ。司は妻と交際をすることを決めたとき、全てを捨てるつもりでいた。
そして何があっても彼女を守ると決めると、そのために前を向いたが、今思えば必死だった。
だが若さに必死は付随するものであり、この年になれば若いとき必死にならなくてどうするという思いがある。
だから相手の男が本当に娘のことが好きなら、どんな困難が前にあろうと立ち向かう男であることが望ましい。
そんなことを思いながら風呂から上がった。







数日後の夜。
司は自宅で家族と食事を済ませ執務室で仕事をしていたが、扉をノックする音に読んでいた書類から顏を上げ「入れ」と答えたが、開かれた扉の向こうから顏を覗かせたのは娘の梓だ。

「パパ。今いい?話したいことがあるの」

司には3人の子供がいる。上ふたりの男の子は司のことを父さんと呼び、末の娘はパパと呼ぶがその声は、どこか緊張していた。
そして司は話したいことがある。その言葉に妻が言った彼氏のことだと思い、「ああ。いいぞ」と答えたが、そこにあるのは妙な緊張感。
だがその緊張感を見せる訳にはいかなかった。だから平常心で娘が話し始めるのを待った。

「あのねパパ。私、付き合い始めた人がいるの。それでね。彼がパパとママに挨拶したいって言うから……それでそのことをママに言ったら直接パパにも話しなさいって言われたの。だから今度ママと一緒にその人に会って欲しいの」

来た。
ついに来た。
娘から彼氏に会って欲しいと言われる日が。
そして心配していた相手の男についてだが、交際相手の両親に挨拶をしたいと望むということは、どうやらまともな男のようだ。だから受けて立つつもりだ。

「そうか」

「うん」

「それでいつだ?」

「え?」

「だからいつ会って欲しいんだ?」

「うん。自分は学生だからいつでも大丈夫だって。だからパパの都合のいい日でいいからって言ってるの」

娘はそこまで言うと少し間をおいて、「だからパパ。都合のいい日が決まったら教え欲しいの」と言葉を継ぐと部屋を後にした。






娘の彼氏に会う。
まさか自分にそんな日が来ようとは。
だがそれは娘が生まれた瞬間から分かっていたはずだ。
そして司が親になって初めて知った親が子を思う気持。
例えばよく言われることだが、親は我が子が罪を犯せばその罪を庇う。
子の代わりに罪を被ろうとまでする。どんなことをしても我が子を守ろうとするそれは血を分けた我が子に対する無償の愛というもの。
司が少年だった頃、親は司の素行の悪さを金で揉み消し解決したが、そのことを何とも思わなかった。そしてそんな親を親と考えたことはなく冷やかに見ていた。
親のすることは、なんでもムカついて腹が立った。
だからそんな態度を取り続けた自分の子供は、いずれあの頃の自分と同じように親となった自分を見るのではないかという思いがあった。
だがそれは違う。妻のおかげでそうなることはなかった。

妻は大きな愛で子供たちを育てた。それは水鳥が羽毛の暖かさで雛たちを育てるように、子供たちを自分の胸にしっかりと抱き込み、暖かさと守られているという愛を与え続けることをした。
そして司は、水鳥が安全に暮らせるように大空の上で大きな翼を広げ守った。
だから子供たちは自分が愛されていることを知っていて、あの頃の司のようにはならなかった。
だが子育ては数学のようにひとつの答えに行き着くものではない。突然泣き出したり駆け出したりして思い通りに行かないのか子育てだ。

だが、つがいの鳥は間もなく子育てを終える。
そして、春に道端で見られるタンポポの綿毛に息を吹きかければ、ふわふわと空へと舞い上がるように、子供たちはいずれ親の元を離れ大きな空へと飛び立つが、春に舞い上がる綿毛はどこを目指して飛んで行くのか。
子供たちがまだ小さかった頃、庭の片隅に生えていたタンポポの綿毛を吹いて飛ばして遊んだのはつい最近のことのように思えたが、そんなタンポポの花言葉のひとつが「別離」だと知ったのは、つい最近のこと。
あのとき妻は司に言った。

「タンポポはアスファルトの割れ目からでも芽を生やすことが出来る強い雑草よ。どんなに厳しい環境でも育つことが出来るのよ?だからこの綿毛もどんなに酷い環境に飛ばされても力強い根を張って育つわよ?」

かつて自分のことを雑草だと言った妻。
あのとき妻は、自分の子供たちを綿毛のように遠い地に飛ばすことも厭わないと言った。
その言葉には、子供たちに自分の人生を自由に生きて欲しいという思いが込められていた。
そして司もそのつもりだった。だから子供たちが選ぶ人生を否定することはしないつもりだ。

それにしても、男の子と女の子ではこうも違うのか。
それは男の子の場合は同性ということもありサバサバと接することが出来る。
だが女の子の場合そうはいかない。異性ということもあり親子なのに意外と気を遣う。
けれど、司は娘を信頼している。
それに我が娘は司が思っている以上にしっかりしている。
だから、そんな娘が選んだ彼氏という立場を勝ち得た男はどんな男なのか。
会うのが楽しみだった。




< 完 > *愛を胸に抱きしめて~続・春を往け~*
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2020
04.03

幸福の黄色い絨毯

<幸福(しあわせ)の黄色い絨毯>









「それで?司の様子はどうなんだ?」

「あの子は大丈夫。ちょっと驚いただけよ」

「そうか。それにしても司が親になるとはな。何か信じられんような気もするが君はどう思う?」

「あなた。司は結婚したんですもの。それに妻となった女性を愛しているんですもの。
だから子供が出来ることに不思議はありませんわ。それにあなたもご存知の通り司はつくしさんに出会ってから変わりました。大学生の頃から早く結婚したいと口にしていたくらいですもの。それにしてもあの子が早く家庭を持ちたいと願うとは…昔のことを思えば信じられませんでしたわ」

「そうだな。司は道明寺の家など自分の代で潰してやる。どうなってもいいと言ったことがあったそうだが今の司はそうではない。それに今の司の顏は立派な男の顏だ。自分の立場を理解し家族を守ることを決めた男の顏だ。だから司がどんな親になるのか楽しみにしている。
だが私は司が子供の頃に傍にいることはなかった。親として何をしたかと言われれば何もしていない。そんな父親だがあの子は私を子供の祖父として受け入れてくれるだろうか?」

「あなた。受け入れるもなにも司は自分の父親のことを尊敬しています。それにあの子に拒否されると心配しているならそれは杞憂ですわ。あの子はつくしさんと出会ってから変わりました。つくしさんがいるから今のあの子がいるんです。だから司は父親であるあなたの事を迷惑だなんて思わないわ。喜んで祖父として受け入れてくれるはずです」

「そうか….そうだといいんだが….。
それにしても司の少年時代はわんぱく小僧だったが、今は副社長として立派に仕事をしている。それもこれもつくしさんに出会ったからだな。きっと司は彼女のためなら素手でライオンと戦うことも厭わんだろう」




楓は夫とジェットで太平洋の上を移動していた。
それは東京にいる息子の秘書からつくし奥様が破水して入院したという連絡を受けたから。
その連絡にすぐにジェットを用意しろと言ったのは夫だった。
道明寺財閥の総帥であり楓の夫である道明寺祐は病で命が危ぶまれたことがあった。
そのとき息子は財閥の跡取りとして渡米することを決めたが、我が子がひとりの女性のために自分を変えようとしたことを知った夫は、息子を変えた牧野つくしという少女に興味を持った。そして少女のことを調べ、彼女の人となりを気に入った。
それにしても、我が子の手に負えなかった少年時代をわんぱく小僧だと言って笑った夫は、自分の若かりし頃のことを息子に重ねているのか。
そう思う楓の脳裡にはまだ結婚する前の夫の姿が思い出された。










楓は美しさと聡明さを備えた娘だと言われていたが、自分の生き方を自由に選ぶことは出来ないと知っていた。
それは楓の家が旧家であり資産家だったから。だからその家柄に合う家へ嫁ぐことは分かっていた。そして女子大の卒業を間近に控えたある日。父親から道明寺家の長男と結婚することになったと告げられた。

親の決めた結婚相手に否とは言わなかった。
それに相手のことを知ろうとも思わなかった。
それは、これまで楓が誰かを好きになる。恋をするという経験をしてこなかったことから、結婚相手などどうでもいいと思っていたからだ。
だが道明寺家と言えば知らぬ者はいないと言われる資産家であり日本を代表する企業をいくつも所有する大財閥。その家の長男と結婚するということは、跡取りを生むという役目がある。つまり役目が果たせなければ、嫁としての立場が失われることも知っている。
夫になる男は楓に子供が出来なければ愛人を作るか。それとも楓とは縁を切ることを選び他の女性を妻として迎え入れることになるのか。どちらにしてもそれは旧家や資産家ではよくある話だ。

そしてその男と会う日。待ち合わせの料亭に現れたのは、ポマードでリーゼントを決めた頭に、鋲が打たれた黒い革ジャンとジーパン姿で大型バイクに跨った2メートル近い大きな男。
楓は思った。結婚する相手との顔合わせに砕けた服装で現れた人物は本当に道明寺家の跡取りなのかと。
だがその男の後ろに現れた黒縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男性が慌てた様子で「専務。着替えをなさって下さい」と言ったことから、目の前の男が楓と結婚することになる道明寺祐だと知ったが、その風貌から街中を騒々しい音を立て走り回る暴走族だと思われてもおかしくはなかった。
それにバイクに現を抜かし、結婚相手との顔合わせの場で常識外れの格好をする男が道明寺家の跡取りだとすれば財閥の将来は見えたと思った。
だが男は言った。

「あなたが私と結婚する人ですか?申し訳ない。私はあなたと結婚するつもりはありません。いや失礼。あなたが嫌だと言うのではありません。いずれ私は誰かと結婚しなければならないことは分かっている。だが私はまだ自由でいたい。誰かに縛られるのはまだ早いと思う。だから今回のことは両親が決めたこととは言え無かったことにして欲しい。そのことを謝ろうと思いここに来ました。大変申し訳ない」

と言った男は頭を下げた。

「それにあなたもせっかくの休日を私のような男との会食に費やすよりもっと有意義なことにお使い下さい」

と言った男は楓に背を向けると立ち去ろうとした。
そのとき楓は咄嗟に男の革ジャンに手を伸ばし掴んでいた。
そして振り向いた男に言った。

「あの……バイク。後ろに乗せてくれませんか?」

少し沈黙があった。
男は「その恰好で?」と言った。
だから楓は「はい。この恰好ではダメですか?」と言ったが男は再び沈黙してから「いいよ」と言って笑った。







楓は男から、これを着てと革ジャンを渡されたことからワンピースの上に羽織ると、ハイヒールで大型バイクの後ろに乗ったが、初めて乗る大型バイクの後ろは、エンジンがかかると大きな音を立て、それと同時に振動が身体に伝わった。

「じゃあ行くよ。しっかり掴まって」

そう言われた楓はどこに掴まればいいのか分からなかった。
するとその躊躇いを感じ取った男は、「私の腰にだ」と言って楓の手を取り自分の腰に回させた。

初めて乗った大型のバイク。
いや、それ以前にバイクに乗ったことはない。だから風を切って走るのは初めてだ。
それに男の腰に腕を回し、しがみついたのも初めてだった。
そして大きな背中から伝わる温もりは、これまで感じたことのない温もりだった。

咄嗟に掴んだ男の革ジャン。
何故そうしたのか。
楓は自分が旧家の因習と保守。義務と責務に囚われているのに対し、道明寺祐は同じような家柄に有りながら、それらに反抗するようにリーゼント姿で大型バイクに乗っている。
だからその姿に自分に無い何かを感じた。

男がどこに向かうのか分からなかったが、バイクの後ろから黒塗りの車が追尾しているのは分かっていた。だから不安はなかった。
そしてバイクの後部座席から見る景色は、これまで幾度となく見た景色であり見慣れた景色。
けれど車の中から見える景色には色が付いてなかった。だが今こうして風を切って走るバイクの後部座席から見る景色には色があった。それは芽吹く木々の色。空の青さ。太陽の光りが反射するビルの窓。そして風の音と排気ガスの匂いだ。

やがてエンジン音を高鳴らせるバイクは混雑する都内を抜け、交通量の少ないどこかの街の中を通り抜け、くねくねと曲がる山道を通って行くと見晴らしのいい場所に出た。
そして男はバイクのエンジンを止めると後部座席から楓を降ろした。

「ここは?」

楓は隣に立つ道明寺祐に訊いた。

「ここは私のお気に入りの場所だ。ひとりになりたい時にここに来る。とは言っても厳密に言って私がひとりになれることはない」

振り向いたそこに見たのは黒塗りの車が2台。
それは道明寺家の車と楓の家の車。だが楓は車のことなどどうでもよかった。
それよりも目の前に広がるパノラマに心を奪われた。だから楓は静かに目に映る景色を眺めていたが、やがて訊いた。

「あの。ここにはいつもバイクで?」

「いや。車で来ることもある」

そう言った道明寺祐の視線が楓の横顔を見た。

「ここもいいけど、もっといい場所もあるが見るかい?」

「ええ」

楓は迷うことなく答えたが、連れて行かれたのは、そこから少し離れた日当たりのいい平坦な場所。目の前にあるのは三角定規の斜辺のような斜面。そこに見たのは黄色い花が絨毯のように広がる光景。

「この花はフクジュソウ。フクジュソウはスプリング・エフェメラル。春を告げる花と言うが、この花は一株に一輪しか花を付けない小さな花だ。それにスプリング・エフェメラルの名の通り花は初春に咲いて枯れる。春の短い命だ。だがまた来年には花を咲かせる。ここでね」

「きれいね」

楓は呟いた。

「それに可愛い花だわ」

「そう思うか?」

「ええ。でも可愛いだけじゃないわ。寒かった冬が終わって春が来る。そのとき一番に咲く黄色の花は力強いパワーを感じるわ。それに明るい未来を感じさせるわ。命の息吹を感じる。そう思わない?」

と言った楓は祐を見た。








あの日以来、楓は祐に誘われると、彼のバイクの後部座席に乗って出掛けるようになった。
それは、自分でも思いもしなかったことだが、祐にとっても同じだったようだ。
初めて会ったあの日。髪をリーゼントにしていたのは、その風貌を見た楓が彼との結婚話を断るようにするためだと言った。それに祐の髪は癖がある髪だったことから、ポマードを付けることでその癖を隠すことが出来るからだと言った。
そして女神アフロディーテに愛されたと言われるアドニスのような美しさを持つ男は、「私の髪は私と同じで扱いにくい髪なんだよ」と笑ったが、ポマードを付けない祐の髪は確かに癖の強い巻き髪だった。

そんな道明寺祐は頭のいい男性だった。
だがただ頭のいい男性ではなかった。
気骨のある、それでいて平気で冗談も言う男性は楓の心を掴んだ。

だがある晴れた日。祐は楓と一緒に出掛けた帰りに事故に遭った。
それは伊豆半島の道沿いにある駐車場から出ようとしたとき、楓が風で飛ばされたスカーフを追いかけ車道に出たことで起きた。
そのとき訊いたのは怒鳴り声。そして車の急ブレーキの音。
楓は気付けば車道の端にいたが、目の前には血を流した男性が倒れていて、それが祐であることに気付いたとき叫んでいた。

祐は走って来た車から楓を守ってはねられた。
幸い命は助かった。骨折はしたが折れた骨はいずれ繋がると言われた。
そして楓は見舞いのため何度も病院を訪れた。だが何度行っても会えなかった。
だから手紙を書いたが返事はなかった。
何故会えないのか。何故手紙の返事がこないのか。
やがて交通事故で入院していた道明寺祐が仕事に復帰したことが記事になった。
だから自宅にも会社にも電話をかけた。だが不在だと言われ繋いではもらえなかった。
そしてある日、父親から告げられたのは、道明寺祐との縁談は破談になったということ。
父親は理由を言わなかったが何かが起きたことだけは分かった。
そしてある日、楓はなんとかツテを頼って祐に会ったが、ホテルの部屋にいる彼はスーツ姿で窓辺に立っていた。

「祐さん。良かった。ご退院おめでとうございます。お身体が回復して本当に良かった」

楓は離れた場所でそう言葉をかけたが、本当はもっと近くへ行きたかった。
だが、そこにあるのはこれまでになかった遠慮。それは自分のせいで怪我をさせてしまった人への申し訳なさだ。

「楓さん。ご心配をおかけしました。お蔭様でこの通り元気になりました」

と答えた祐の態度はこれまでと変わらなかった。だがどこか違和感があった。
それは部屋の中にいるというのに祐の左手には革の手袋が嵌められていたからだ。

「ああ。これかい?バイクに乗ってきたからね」

楓の視線を感じた祐はそう言ったが、祐がスーツ姿で大型バイクに乗るとは考えられなかった。それに手袋はバイク用の手袋ではなく、しなやかで上品なブラウンの革手袋。それを片方だけ嵌めている。
楓は祐の傍に行くと、初めて会ったとき自分に背中を向けた男の革ジャンを咄嗟に掴んだのと同じように彼の左手を掴んだ。
するとその手には違和感があった。

「祐さん…….」

楓は言葉に詰まった。

「あなた…….」

「楓さん。そんな顏をしないでくれないか。これは君のせいじゃない。ただ私が上手く車をよけきれなかっただけの話だ。それにしても失敗したな。バイクに乗って来たなら片方だけの手袋じゃダメだ。両方嵌めるべきだった」と言った祐は笑みを浮かべた。

楓が祐の手袋が嵌められた左手に感じた違和感。
それは5本あるはずの指のうち小指の部分の指が感じられなかったこと。

「楓さん」

祐は楓の名前を呼ぶとひと呼吸おいてから言った。

「私の指が失われたからと言って、そのことで自分を責めないで欲しい。それに左手の指全部が無くなったんじゃない。無くなったのは小指の一部分だよ。
そんな指をあなたの目に触れさせたくなかった。だからこうして手袋を嵌めていたんだが、勘のいいあなたは部屋の中で手袋を嵌めている男をおかしいと思ったんだね」

楓は泣きたくなった。
祐は失ったのは小指の一部分と言ったが、楓を助けたことで失った指は第二関節から上の指。
自分のせいで好きになった人の大切な身体が傷つき、そして失われてしまった指を思えばどんなに謝っても許してはもらえないと思った。
そして結婚が破談になったのは、指を失うことになった女が許せないからだと思った。

「楓さん。泣かないで下さい。これは本当にあなたのせいじゃない」

「それなら!」

楓は思わず大きな声を上げていた。

「どうして私との結婚を止めたの?」

と言ったが祐に言われるまで自分が泣いていたことに気づかなかった。

「楓さん。私はあなたに私の怪我のことを悔いながら人生を送って欲しくない。
所詮私とあなたは親同士が決めた結婚相手だ。そんな私と無理に結婚する必要はない。それにもし罪の意識にかられて私と結婚するというなら、それは自分を犠牲にしているということになる。私は自分を犠牲にして結婚するような人とは結婚したくない」

と言った祐は左手を楓の手から引き離し、「何故なら私はあなたのことが好きだから。好きな人が私を見るたび辛い思をするなら結婚することは出来ないよ」と言葉を継いだが、その言葉に楓は涙が止まらなくなっていた。

「私は親が決めたからあなたと会っていたのではありません。それに罪の意識で結婚するんじゃありません。それにあなたにバイクで出掛けようと誘われて嬉しかった。だからいつも喜んで出掛けたわ。そんな私の気持をあなたは分かっていると思っていたわ」

楓は引き離された祐の左手を再び手に取った。

「私はあなたのことが好きだから結婚するんです。私はあなたと結婚したいんです!」










「楓。そろそろ東京に着くぞ」

「あら。もうそんなに時間が経ったの?」

楓は夫の声に瞳を開けたが、身体には毛布がかけられていた。

「ああ。君は目を閉じたと思ったら、そのまま寝てしまったようだが、微笑んでいたから何か楽しい夢でも見たのかね?」

そう言われた楓は笑みを浮かべて答えた。

「ええ。楽しい夢を見ました。私とあなたが出会った頃が夢に出てきたんです」

「そうか。懐かしい話だな」

「ええ。そうですわね。随分と懐かしい話ですわ。黄色いフクジュソウが沢山咲いていたあの場所。あの場所は今でもあるのかしら。もしそうなら今頃あの斜面には沢山の花が咲いているはずね?」

「そうだな。君と初めてあの場所に行ったのは丁度今頃の季節だったな。そう言えば、『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』という映画があったが、あそこは私たちにとっては幸せの黄色い絨毯だ。何しろフクジュソウの花言葉は幸せを招くと言うじゃないか。まさにその通りで私は君とあの場所を訪れて恋におちたんだからな。よし!孫に会った後、あの場所に行ってみるか?」

「ええ。いいわね。そうしましょう」

と言うと楓は自分の右側にいる夫の左手を握った。













暖かい風に乗って様々な匂いが香るようになった。
そして、世の中がどんなに殺伐としていても季節が廻れば花が咲く。
それはスイセンだったり桜だったりするが、このふたりの前に間もなく咲くのは小さな命の花。
いや。こうしている間に新しい命はもう咲いているかもしれないが、その命がこれから先どんなふうに花開くのか。
だがどんな花を咲かせようと、その命は尊いものであり、ふたりの命を受け継ぐかけがえのない命。そんな命の輝きは美しいはずだ。
だから、ふたりは会う前から小さな命の成長を心から楽しみにしていた。





< 完 > *幸福(しあわせ)の黄色い絨毯*
こちらのお話が、先が見通せない現在のこの状況に於いて癒しのひとつになれば幸いです。
そして皆様。張り詰めた毎日をお過ごしのことと存じますが、体調を崩されませんよう、どうぞご自愛下さい。   アカシア
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