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2019
04.30

穏やかな風 最終話

僕は翌日魚津で話をした男性を見た。
それはホテルのロビーで彼はフロントにいた。そして足元には荷物がひとつ置かれていたが、その状況からチェックアウトすることが分かった。

これから東京に、いやアメリカに帰るのだろうか。
僕が出会ったその人はアメリカでの永住権を取得していて、余生はニューヨーク郊外で暮らすと言った。そしてもう二度とこの場所に来ることはないと言った。
つまり男性は人生を回顧する。決着をつけるためにあの場所に来た。
それはかつて愛した人の面影を追う旅を終えるということ。
あの場所は、あの男性にとっての終活の場所だったのかもしれない。

蜃気楼は吉兆の印だと男性は言った。
それなら昨日の蜃気楼は男性にとっての祝福だったはずだ。
二度と来ることがない場所で最後に見ることが出来た幻想的な景色は、大切な人への思いと共に瞼の裏に焼き付けられたはずだから。



時をこえて人を愛するとはあの男性のようなことを言うのだと思った。
そして人の気持ちは時が経っても変わることはないということを知った。
だが時間は確実に時を刻み、どんな人間も時の流れを止めることは出来ない。

僕は男性に声を掛けることをしなかった。だが男性が振り向いた時、頭を下げた。
すると男性が微かだが頷いたのが分かった。
そして僕は少し遅めの朝食を食べるためレストランに足を向けた。













「父さんお帰り。出張どうだった?」

僕が帰宅した時リビングのソファで新聞を広げていた父は顔を上げ、
「ヨーロッパの市場はややこしいことになっているがそのうち解決すると見ている。何しろ国同士のことだ。なるようにしかならんだろ」と言って新聞を置いた。

「ところで母さんから訊いたがお前富山に行って来たそうだな?土産を貰ったって嬉しそうだったぞ?」

父は、母が見せてくれた富山名物ホタルイカの沖漬けに「これは小さな宇宙人か?」と言ったが、「何バカなこと言ってるのよ?これ炊きたてのご飯と一緒に食べたら美味しいのよ」の言葉に夜の食卓に並ぶのを楽しみにしていた。

「うん。思いつきで行ったんだけどいい出会いがあったから気分転換になったよ」

「出会いか?」

「うん。ある男性と出会ってその人の話を訊いた。年は父さんと同じくらいで背格好も似てたな。それにどことなく父さんに似てた。雰囲気とか、ファッションセンスとか。だからかな。僕がその男性に興味を持ったのは。でも話してくれたのはビジネスじゃなくて自分の恋についてだけどね」

「恋か?」

僕の父は海外出張が多いビジネスマンだ。
そんな父に向かって恋愛について話すのはどうかと思ったが言葉を継ぐことにした。

「そうだよ。その人。何十年も前に自分の前からいなくなった恋人のことを今でも思ってるってね。それに恋人が自分の前からいなくなったのは自分のためだって言った。その人の家は由緒ある家柄でお金持ちで将来は家の事業を継ぐことが決まってる。恋人だった女性は、そんな男性の未来とその男性の周りにいる人のことを考えて自分の前から去ったんだって言った」

「そうか。恋人もいないお前に恋愛話か。それでお前はその話しを訊いてどう思ったんだ?」

「うん。幸せを求めることはそんなにも難しいことなのかって思った」

僕は父の左手薬指にはまった銀色の指輪を見つめた。
そして今まで面と向かって訊いたことがなかった両親の恋の話を訊くことにした。

「父さんと母さんが結婚するまではどうだった?だって父さんの母さんは、つまりおばあちゃんは二人の交際に大反対したんだよね?」

80代の僕の祖母は我が子の交際に反対していたということを、祖母本人から訊いたことがあった。だからそれを確かめようと思った。
そんな僕の問い掛けに父はフッと笑った。

「ああ。反対も反対。大反対をした。それこそ母さんの家族を根絶やしにしてぇんじゃねぇかってくらいに反対した。だがな。母さんは負けなかったぞ。自分は雑草だからって何を言われようが、何をされようが負けなかった。そうだ。思い出すのは母さんを初めて婆さんに紹介した時だ。あれは俺の誕生日パーティーだったが、あいつはかしこまって挨拶するどころか料理が並んだテーブルの上にぶっ倒れて台無しにした。それから婆さんがごちゃごちゃうるせぇから俺はあいつの手を掴んでパーティーから逃げ出した」

父が母と出会ってからどんな人生を歩んだのか。
男の僕が面と向かって訊いたことはない。そして初めて訊かされる話は、富山で出会った男性の話と似ていた。
だがひとつだけ違ったのは母が父の元を離れることはなかったということ。
それは、どんなことも逃げることなく全力投球で人事を尽くすという母らしい選択だと思った。

そして父は僕が大学を卒業し就職するにあたり、落ち着かない気持ちでいることを知っていた。
会社の創業は百年以上前。三千人の社員が高層ビルのフロアに別れて働く会社は、日本を代表する名門企業だと言われていた。そしてその会社には自分の名字が付けられていて、父親の名前は道明寺司で僕の名前は道明寺巧だ。

父は我が子が父親の経営する会社に就職することで、自分の未来が束縛されたものになると考えていると思っていた。
だが父は、僕に自分の後を継ぐことを強制したのではない。僕は自ら選択して父の会社に入社することを決めた。
そして、富山であの男性と話をしてから、どこか落ち着かない気持ちでいた自分はもういなかった。
それは、あの男性が言った人生は一度しかない。生きていく上で本当に大切なものが何であるかを見極める力を持てという言葉に自分なら出来るという勇気を貰えたからだ。

「それからその人が言った言葉がとても印象深かった」

「それで?お前の心に残った言葉はどんな言葉だ?」

「『心はあの時のままで年を取った男というのは実にやっかいだ』」

父はその言葉に笑った。
それはまるで自分のことを言われていると思ったからだ。

「そうか。その男はそう言ったか。いいか巧。男の恋というのは積み重なるもので、重苦しさをもって心の奥に思いを溜め込むものだ。だが世の中にはそうじゃない男も大勢いるがその男にとっての恋は人生で一度だけ。他の女は必要ないということだ」

僕はその言葉に頷いた。
父の言葉はあの男性の思いを表していると思ったからだ。

「巧。お前がどんな人生を歩もうと俺は応援する。お前が選んだ人生だ。それに対して何か言うことはない。それにどんな女を連れて来ても反対はしない。だがな。ひとつだけ言うなら、人生は自分の知らない誰かに支えられている。社に入ったらそれを肝に銘じろ。自分の力だけで何かが出来ると思うな。それに社内ではお前のことを我が子だと思って接することはないからそう思え」

僕の父親の道明寺司は、家では良き父親であり良き夫だ。
子供の自由な意思を尊重してくれる父親で、学校の成績が下がっても叱ることはなかった。
だが世間に見せる姿は世界的なビジネスマンであり、日本経済を動かす男だと言われていた。現にテーブルに置かれた経済新聞の一面を飾る写真の中にいる男は、巨大な楕円形のテーブルの正面中央に着席し両側には財務大臣と日銀総裁が座っていた。
そしてその写真の中に富山で出会った男性が写っていることに気付いた。

「父さん。この人誰?」

「この男か?」

「うん」

「この男は橘だ。確か俺より五つか六つ年上でうちと同じニューヨークを拠点にしている橘コンツェルンの会長だ。だがこの春で退任して田舎に引っ込むって話だが昨日訊いた話じゃ何でも昔の恋人と再会してその女と結婚するって話だ」
















今は穏やかな風のような人生を送る父と母。
結婚して二十数年経つ夫婦の会話の中身は、僕が富山から持ち帰ったホタルイカの沖漬けと白えびの煎餅と、ます寿司になっているが、この二人の間にも心を揺らす風があった、子供には分からない人生があったはずで、そんな人生を我が子に話すことは容易いことだとは言えないはずだ。






春の陽射しがリビングルームを優しく包んでいる。
暖かな日の光りはやがて月の光に取って変わられるが、夫婦の間に流れる風は、これから先も穏やかに流れるはずだ。
とにかく、この二人は周りが何と言おうと幸せになることを諦めなかった。
僕の前にいる夫婦は愛した人とは何があっても離れないという誓いを今でも忘れることはない。
そして、父と母のドラマは新たな時代を迎えても死が互いを分かつまで続いていくはずだ。





< 完 > *穏やかな風* 
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2019
04.29

穏やかな風 4

唐突に語り始められた男性の話はこうだった。

男性の家は都内に広大な土地を持ち、先祖から受け継いだ事業と莫大な資産があった。
彼はその家の唯一の跡取りで幼い頃から厳しく育てられたと言う。
そんな男性の周りにいたのは、媚びへつらう人間ばかりで誰も本心を見せることはなかった。本気で彼の心に触れようとする人間はいなかった。
男性は荒れた青春時代を送り、人は彼を人間凶器と呼んだ。
当時の男性は満たされない何かを抱えていたが、その時は分からなかったと言った。

そんな男性の前にひとりの女性が現れた。
当時17歳の少年だった男性の前に現れたのは、ひとつ年下の16歳の少女。
その少女は男性を恐れも怖がりもしなかった。それどころか立ち向かってきた。
やがて男性はその少女に恋をし、二人は恋におちた。
そして男性は少女と出会ったことで自分が満たされなかったものが何であるかを知った。



「私は家を捨ててもいいと言った。彼女と一緒にいれるなら全てを捨てると言った」と男性は言った。そして少し間を置き言葉を継いだ。

「だから彼女は姿を消した。私が自分の立場を捨て、家を捨てるなど言ったから彼女は私の前から姿を消した。それは私が資産を失うからじゃない。貧しいことが嫌だからじゃない。
私の将来と会社のために彼女は自ら身を引いたんだよ。何しろ私の会社には大勢の従業員がいる。従業員が大勢いるということは家族も大勢いる。私が全てを捨てるということは彼らに対する責任を放棄するということになる。それに会社というのは大きくなればなるほど経営者のものではなくなる。社会に対する義務というものが発生する。私が家を捨てるということは、それらすべてを捨てるということになる。あの当時私の周りはそれを許さなかった。だから駆け落ちしようとした。そして私たちはそうするつもりでいた。だが彼女は姿を消したんだよ。継ぐべきして生まれてきた男に会社を継がせるためにね」

「捜したんですよね?」

僕がそう訊くと海を見つめていた男性は頷いた。

「ああ捜した。それこそ持てる力の全てを利用して捜した。だがどこをどう捜しても彼女は見つからなかった。だがやっと足取りを掴んだ。それがここだ。魚津だ。この町に彼女はいたんだよ。だが結局見つけることは出来なかった。それこそ蜃気楼のように消えてしまった」

男性の視線の先に見えるのは海だが、その先に見ているのは海ではない。
それは見つけることが出来なかったという女性の姿だ。
そして僕は消えてしまった女性というのはどんな女性だろうと想像し、今の自分には恋人と呼べる女性はいないことから、男性の苦悩がどれほどのものか量ることは難しかったが、自分が同じ立場に置かれた時、どうするだろうかという思いが頭を過った。

「彼女を失ってからの私は形をなぞるだけの毎日で生きる目的を失ってしまった。それからの私は見事に会社の奴隷と化して仕事をした。日本に居る事はほとんどなく、海外暮らしが日常となった。だが時にこの国に戻ってくることがあれば、時間を作りこの場所に出向くようにした」

僕は男性の横顔をじっと見つめていたが、彼と同じように海に視線を向けた。
そして、ただ静かな青い海の向こうを見つめた。

「女は薄情な生き物で別れたら別の男に鞍替えするのが当たり前のようなものだと言われている。だが彼女は違う。たとえ私の前からいなくなったとしても、他の男の傍にいるとは考えられなかった。きっとひとりで生きている。何しろ自分でも逞しい女だと言っていたくらいだからね。それに私の心に彼女以外別の女が宿ることはなかった。生気溢れる澄んだ声。その声を今でもはっきりと思い出すことが出来る。そして彼女の姿もね。
だが私は守りたい人がいたのに守ることは出来なかった。私がここへ来たのは時をこえた今でも彼女のために出来ることがあるんじゃないか。そう思うからだ。あの時と同じ風を感じることは二度となくても、それでもこの場所に来ることが私にとって意味があるんだ」

そこまで言った男性は海を見つめながら言葉を継いだ。

「いいかね。予見できないのが未来だ。人生は何が起こるか分からない。だから今を大切に生きろ。好きな女が出来たらその人の傍を離れるな。自分を幸福にしてくれる女を見つけたら何があっても手放すな。好きな女を何かと秤にかけることをするな。人生は一度しかない。生きていく上で本当に大切なものが何であるかを見極める力を持て」

それらの言葉は静かに語られたが強さが感じられた。
それは絶え間なく流れる時に逆らえと言っているように思えた。そして何かを伝えようとしていると感じた。

「…..あの。どうして僕にそんな話をするんですか?」

「それは君が私のことを知らないからだ。そうだろ?」

「はい。僕はあなたを知りません。それともあなたは僕が知っていてもおかしくないほど有名人なんですか?もしそうだとすればすみません。僕はあまりテレビを見ません。それに映画も見ることがありません。だからあなたが有名な方だとしても僕は分からないんです」

僕はテレビを見ることは殆どない。
だから彼が有名な俳優であったとしても分からない。それを正直に言った。

「そうか。いいんだ。気にしないでくれ。私が誰であろうと気にしないでくれ。それに君にとって私の存在がどうでもいい。無意味であるほど話しやすいんだ」

その言葉に僕は思った。
やはりこの男性は僕が知らないだけで名の知れた人物なのだろうか。
だが男性は僕が彼のことを知らないことが望ましいと言った。だから僕はそれ以上その人について訊かなかった。そして男性もそれ以上自分のことを語ることはなかった。







「わぁ~!見て!蜃気楼よ!蜃気楼!凄い!まさか見れるとは思わなかったけどラッキー!」

その時、近くにいた女性から上がった声に僕はそちらに視線を向けた。
そこに見えた景色は霞んだ街の風景。
揺らめくそれは富山の市街地が反転しているのだと声が聞こえた。
そしてその時隣にいた男性は、「すまない。つまらない話を訊かせてしまったが、訊いてもらえてよかったよ。それにここに来てよかった。この景色を見ることは出来ないと思っていたからね。嬉しいよ。最後に見ることが出来て」と言った。



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2019
04.28

穏やかな風 3

前を走るタクシーは運転手の言った通り魚津に入ったが、魚津市は富山県東部に位置し富山湾に面した街で蜃気楼の見える街として有名だった。
タクシーは海岸近くで停車すると男性を降ろした。だから僕も、「ここで止めて下さい」と言って支払いを済ませたが、その時「蜃気楼。見えるといいですね?」と運転手が言った。

天気は良かった。風も弱く気温も高くなってきた。
蜃気楼が見える条件は様々なことが要因だと言われるが、すっきりとした青空が広がる海は蜃気楼が見えるかもしれない。僕はそんな思いと共にタクシーを降りると、先にタクシーを降りた男性の姿を探した。するとその男性は防波堤の傍にいて海を眺めていた。
だからさり気なく男性の近くに行き、少し距離を置き隣に並んだ。
そしてそこにいる誰もがするように海を見つめた。

「ミラージュか」

誰ともなしに男性の口から出た言葉の意味は蜃気楼。
そして、「君も蜃気楼を見に来たのか?」と、男性は言ったが、その言葉は明らかに僕に向けられていた。何故なら継がれた話の内容は僕のことだからだ。

「どうした?違うのか?ここにいる人間は皆蜃気楼目当てだ。だが君は蜃気楼より私に用がある。そうだろ?君は羽田空港にいた。それから同じ機内もいた。そして同じホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら私のことを気にしていた。私がタクシーに乗ると同じようにタクシーに乗り後を付けてきた。そして私がここで降りると君も降りた。偶然にしてはあまりにも出来すぎだ。君は探偵か?だが探偵だとすれば新米探偵か?下っ端か?そんな尾行じゃ相手にまるわかりだ」

矢継ぎ早に言われ気圧された僕は、「違います。僕は探偵ではありません」と即答したが、男性が信用していないのは明らかだった。だから「それに探偵ならもっと探偵らしい格好をしているはずです」と言葉を継いだ。すると男性はジーンズ姿の僕を見ながら、「それなら君は何者だ?身分は何だ?」と言った。
だから「僕の肩書は大学生です。あ、いえ。今は卒業したので無職です。でも4月から社会人です。会社員になる予定です」と答えた。
すると男性はその答えに、「社会人1年生か」と言い視線を海に戻した。


間を置かずの会話は、そこで途切れた。
それから僕はその男性の隣で同じように海を眺めていたが、暫くして口を開いた男性は、「いい天気だな」と言って微笑んだ。
それから「君は探偵じゃないと言った。それなら君は何をしにここに来た?4月から社会人になる君はどういった理由でここにいる?」と言った。

だから僕は大学を卒業し働き始める前に旅がしたかったからと言った。
そして富山湾の春の風物詩と言われる蜃気楼が見たいと思いここに来たと話した。
すると、「学生生活の最後。自由になる時間を過ごす場所としてここを選んだという訳か?」と言われるとそうだと答えたが、本当は新たな人生のスタートラインに立つ自分が、どこか落ち着かない気持ちでいることは話さなかった。それは僕の話が嘘か本当かなど男性に分かるはずがないと思っていたからだが、男性は僕より少しだけ高い背丈から見下ろしながら言った。

「それで。本当は何を求めてここに来たんだね?人は何か考え事があると海を見たくなると言う。海を見てその向うにある何かを感じたいと思う。もしかするとこの海の向こうには自分が求めている何かがあるのではないかと考える。自分の力ではどうすることも出来ない自然に向かい合うことで心にあるものを納得させようとする。波が全てを運び去り海を浄化しようとするように君も何かを浄化させようとしているんじゃないのか。それに君は一人旅なんだろ?それなら何か考えることがあったからここに来た。そうじゃないのか?」

男性の言葉はまるで僕の心の中を読んだように思えた。
そして、「女にフラれたか?それでここに来たんじゃないのか?」と言ったが、「恋人はいません」と答えると笑った。

「そうか。恋人がいないのか。それならフラれる心配はないな。それにしても君の年で恋人がいないとは残念だな。私が君の頃には付き合っている人がいた。だがその人とは遠距離恋愛だった。私は海外で彼女は日本。眠りを知らない街での生活は大変だった」と言った。

そして男性は海に視線を向けると暫く黙っていた。そしてふいに「いなくなったんだよ」と言ったが、何の話をしているのか直ぐには分からなかった。だがその男性が言いたかったのは、僕の年齢の頃に付き合っていた女性の話だと気付いた。

「いなくなったんだよ。私の前から。ある日突然だ。久し振りに日本に帰国して彼女が住んでいるアパートを訪ねたがいなかった。それっきりだ。彼女は私の前から姿を消したんだよ」



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2019
04.27

穏やかな風 2

僕はその男性のことが気になった。
だからコーヒーを飲み終えると後を追った。
もし僕がベージュのトレンチコートを着ていたら、探偵と思われるかもしれない。だが僕は探偵ではない。だから僕の行為はストーカーだと言われてもおかしくはない。それも旅先で出会った年を重ねた男性の後を追うことを両親が知れば、ついに我が子はそちらの世界に足を踏み入れたかと思うはずだ。

だが何故その男性の後を追うのか。
単純なことだがその人を見て思った。それはただ純粋にカッコいいという言葉が当てはまるからだ。
そんなことを父親ほどの年齢の男性に感じるとは思いもしなかったが、人が人に惹かれる理由を考えたところで惹かれたのだから仕方がないとしか言えなかった。
だから僕はその人の後を追った。
するとその男性はホテルを出て正面で客待ちをしているタクシーに乗った。

「すみません。前のタクシーを追って下さい」

僕は次のタクシーに乗り込み座席に身体を預けると、そう言って前を走るタクシーの後部を見つめた。








富山を旅することに決めたのは、大学を卒業し働き始める前に旅がしたかったから。
それはこれからスタートする新たな人生を考えた時、どこか落ち着かない自分がいたからだ。そんなとき旅に出ることを決めたが、旅行代理店の前を通りかかった時、目に留まった『富山で休もう』というパンフレット。手に取りパラパラとめくっていたが、ひとつの記事に気持ちが奪われた。そして実際自分の目で見て見たいという気にさせられた。
だからそのまま店に入り飛行機とホテルを予約した。

それにしても何故自分はこんなにも落ち着かない気持ちでいるのか。
就職先が決まりこれから新しいことにチャレンジすることが怖いのではない。
むしろ新しいことに挑戦するのは好きだ。目標を定め、そのことをクリアして行くのは楽しい。それに目標は高ければ高いほどやる気が出る。
だからこれから先の見えない未来に不安があるのではない。何故なら未来は見えないものだと決まっているからだ。だがもし未来が見えたとすれば自分の人生はつまらないものになる。だから見えないに越したことはない。

そして旅に出たところでこの落ち着かない気持ちが無くなるとは思ってない。
けれど、見知らぬ街で一人過ごすことで何かが見つかるような気がしていた。
だが見つけたのが自分の父親程の年齢の男性だとすれば、それは滑稽なことだと思えた。


「……さん?お客さん?本当にいいんですか?」

考え事をしていた僕は運転手の言葉を聞き逃していた。
だからバックミラー越しに運転手と目が合ったとき「え?」と言った。
すると「お客さん。本当に前のタクシーを追うんですか?」と訊かれ、そうだと答えたが運転手は、「この道を通るってことは前の車、魚津まで行くと思いますが本当にいいんですか?」と言った。

「魚津?」

「ええ。魚津です。まだ少し早いかもしれませんが魚津から眺める海には蜃気楼が見えるんです。ただどうでしょう。今日は見えるかどうか….。ですがこの季節になると気象条件さえよければ見えるんですよ。魚津は」と言ったが、僕が富山を訪れた理由は蜃気楼が見たかったから。
だから運転手の言葉に、「ええ。いいんです。とにかく前の車を追って下さい」と答えた。



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2019
04.26

穏やかな風 1

陽射しが暖かく感じられるようになり、春が近づいて来るのが感じられる時期。
冬が終わりを告げ全てがふたたび息を吹き返す季節が来た。
そんな季節。僕がその人を見かけたのは、3000メートル級の山々の雄大な眺めが街の風景となっている富山市内のホテルだ。
だがその人を見かけたのは、そこが初めてではない。羽田空港のターミナルでその人を見かけ、同じ飛行機に乗っているところを見た。だから今日その人を見たのは3度目だった。

それにしてもどうして僕はその人が気になるのか。
理由など分からなかったが僕はその人に惹き付けられた。
その人は50代後半から60代といったところに見えたが、まだ20代の僕が齢を重ねた男性に見るのは、自分の父親の年の取り方でしかないのだが、もしかするともう少し若いかもしれない。いや、逆にもっと年上なのかもしれないが、その姿を父親に重ねることが出来るということは、やはりその人は自分の父親と同年齢だと言えた。

そしてひと目見て分かるのは、どこか独特な雰囲気を持つ人だということ。
顔立ちは端正で背が高く髪の毛に幾らか白いものが混じっているその人の立ち姿は堂々としていて隙がなかった。
服装はスーツだが普通のビジネスマンが着るスーツとは明らかに違っていた。つまり高級な生地で仕立てられていることは一目瞭然で、それなら黒く艶やかな輝きを放っている靴も然りで職人の手縫いだということが想像できた。

そしてその男性は1階のラウンジでコーヒーを飲んでいたが、誰かを待っている様子が見て取れた。
何故ならその男性が時刻を気にするように何度か左腕に目を落としていたからだ。

ホテルで待ち合わせる人物は誰なのか。
僕は興味があった。それは単なる好奇心なのだが、自分の父親と同世代のその男性の行動に何故か興味を抱いた。

スーツ姿だということは、ビジネス絡みの相手と会うのか。
だがそれにしては鞄もなければ、これから商談をしようといった雰囲気も感じられず、その落ち着いた態度は服装と同じで東京から来たビジネスマンのそれとは明らかに違っていた。
そして僕は視線の端にその人を捉えながら同じようにコーヒーを飲んでいたが、男性はおもむろに席を立ち右手で伝票を掴むとカウンターに向かった。

待ち人来たらずだったのか。
それともただの時間潰しだったのか。
だがその男性が誰かを待っていたように思えて仕方がなかった。
そしてコーヒーを飲み終えた僕は立ち上りその人の後を追った。




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2019
04.25

理想の恋の見つけ方 123

結局昨日の夜はブローチを返すことが出来なかった。
化粧室から戻ると覚悟を決めテーブルに着いたが、コーヒーを飲みデザートに出されたアイスクリームを掬いながらの会話は、言い過ぎたと慎みを覚えたとは思えないが、足の傷については、あれ以上何も言わなかった。

だが何か言われるのではないかという気持ちはあった。
だから食事を終えホテルまで戻る途中で何か言われるのではないかと構えていたが、男は大人しくつくしを部屋まで送り届けると、「ゆっくり休め」とだけ言って直ぐに背を向けた。

その時、張りつめていた神経が緩みホッとした気持ちになった。
そして、返すつもりで持ち出したブローチが鞄の中に入れられたままになっていることに気付いた。
だから、あれほど強い決意をもって返そうとしたブローチは今朝になってもまだつくしの手元にあった。

つくしは自分に言い聞かせた。
道明寺司という男は長い間恋愛という感情から遠ざかっていた自分にとって脅威だ。
あの男の言葉と行動には気を付けなければ、道明寺司という大波に呑み込まれてしまう。
そして、つくしの感情の隙を突いて来る男は大胆で危険な男だ。
現にこのアメリカの旅を考えてみれば、大きな波となってつくしをアメリカ東海岸のこの地まで連れ去ったようなものだ。それに権力があり様々な方面に力のある男は、つくしを好きなように弄ぶことが出来る。
そんな男を相手に闘って勝てるのか。だが自分は何と闘おうとしているのか。
そう思った瞬間ドアチャイムが鳴る音がした。

つくしは資料を詰めたブリーフケースを持ちドアへと向かったが、予定の時刻より早くウッズホールへ行く迎えの車の運転手が呼びに来たのだと思った。
それは、車は好きなように使えばいいと道明寺司が言った通り、海洋生物学の研究所があるウッズホールとホテルとの送迎をしてくれるということだが、ドアを開けたそこにいたのは運転手ではなかった。










「お忙しい道明寺副社長がウッズホールにご用があるとは知りませんでした」

司は開かれたドアの向こうから現れた女が、既に出掛ける準備を終えていることを知ると笑みを浮かべた。
それは女という生き物は大概約束の時間を守らないと決まっているからだ。
だがそれはかつて付き合った女たちを基準としていて、こうして早い時間に尋ねた牧野つくしについては当てはまらなかった。
そんな女にウッズホールに一緒に行くと伝えると眉間に皺が寄った。
そしてどうしてですかと理由を尋ねられ、「迷惑か?」と言った。
すると、「迷惑です」ときっぱりとした声で返された。
だが車の持ち主である司が行くということに断ることは出来なかった。







二人は後部座席に並んで座り、司はのんびりとした姿勢でくつろいでいたが、牧野つくしは鞄の中から取り出した箱を司に突き付けた。

「これ。昨日お返しする予定でしたけどお返しするのを忘れていました」

女は司がドアの外に立っているのを見つけると、すぐに部屋の中に取って返ったが、それはブローチの箱を取りに戻っていたということ。そして司に箱を突き付けたまま、受け取ろうとしない男を睨んだ。

「早く受け取って下さい」

「それはお前に贈ったものだ。所有権はお前にある。だから俺は受け取るつもりはない」

「それなら私はその所有権を放棄します。所有権は元の持ち主に戻りました」

と言った女は、自分と司の間にその箱を置いた。
司はその箱を見つめると手に取った。

「そうか。気に入らなかったか。残念だ」

その声を耳だけで訊いていたつくしは、男の方から風が流れて来るのを感じた。
だから顔をそちらに向けた。すると開けられた窓から男が箱を投げ捨てようとしている所を見た。

「ちょっと!何するんですか!」

「何ってお前が気に入らないならこの箱の中身に用はない。だから捨てるんだ」

「捨てるのは構いません。でも走っている車から物を捨てて後ろの車に当たって事故を起こしたらどうするつもりですか?フロントガラスに当たってドライバーがハンドル操作を誤って事故を起こしたらどう責任を取るつもりですか?それにアメリカではどうか知りませんが日本では車の窓から物を捨てることは道路交通法違反になりますから」

そこまで言った女は、短く息を継いでプイっと前を向いて呟いた。

「まったくお金持ちは常識に欠けたところがあるって訊いたけど、窓から物を捨てることの善悪がつかないってどうかしてるわよ」

司は、その言葉に笑った。
そして、牧野つくしがブローチ惜しさに何とか理由を付けて投げ捨てるのを止めさせたとは思ってない。

「それで?私と一緒にウッズホールに行く理由は何ですか?」

牧野つくしは努めたという落ち着いた声で司に訊いた。

「ああ。仕事は昨日で終わった。だから少し休暇を取ろうと思ってな。丁度俺の傍にはサメの研究者がいて、向かう場所が世界的な海洋生物学の研究所だ。教養を深めるには悪くないと思ってな」

司は牧野つくしにそう言って笑みを浮かべた。




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2019
04.24

理想の恋の見つけ方 122

男の口から出たのは、お前は足の傷跡に囚われている。
漆黒の瞳は大胆不敵でつくしのことを知り尽くしているといった表情を見せた。

大学生の頃、自分の不注意から負った傷は右の骨盤から膝の辺りにかけてあった。
そしてその傷を見るのが辛いと言われ当時付き合っていた恋人と別れたが、傷を負った場所が場所だけに安易に他人の目に晒されることはない。
だからそこに傷跡があることを知る人間は多くはない。今のつくしの周りで知っているのは三条桜子と教授の副島だけだ。
だが道明寺司は、図書館の書庫で怪我をしたつくしを病院に運ぶ時に知った。
その傷がどうして出来たかも知っている。
そして男は醜い傷跡を持つ女に好きだと言った。傷跡を気にすることは無いと言った。

そして今つくしに向けられた視線は真っ直ぐで彼女の言葉を待っていた。 
だが、つくしは何も言わなかった。
つくしのことを硬い殻で身を包んだロブスターのように言い、傷跡はつまらないことであり気にすることではないと言うが、完璧な容姿をして完璧な家柄を持つ男に何が分かるというのか。だから男の言葉を無視しようと思った。けれど、そんなつくしに対し男は言葉を継いだ。

「牧野つくしは頭が良くて人柄もいい。人に対する思いやりも備えた出来た大人だ。けど恋愛に向き合えないのが傷跡のせいなら随分と勿体ないことをしている。俺はお前の身体にどんな傷があろうと関係ない。それに三条って秘書はお前の傷が出来たのは自分のせいだと今でも責任を感じているようだが、お前がいつまでもそんな態度でいるならあの女もずっとあのままだ。それに昔、付き合っていた男がお前の傷跡を醜いと嫌悪したらしいが、それならその男を見返してやるほど幸せになればいい」

自分が嘘をついていたことを既に終わったこととして片付けている男が開き直っているとは思わない。道明寺司は本人の言う通り謝罪した。そしてつくしも男が言う通り、いつまでも人を恨んだり憎んだりすることはしない。それに人を憎んだところで何かが変わるとは思わないし恨んだところで疲れるだけだ。

そして道明寺司という男は、つくしの傷跡を見るのが辛いと言って去っていった恋人とは全く違うタイプの男性で強引だ。だが強引とはいえ人を顧みないという訳ではない。時に見せる思いがけない優しさというものがあった。
けれど、人を勝手に不幸だと決めつけないで欲しい。
そんな思いから口を開いたが、怒りの混じった声が出た。

「私が不幸だと言いたいんですか?それならあなたは自分なら私を幸せに出来るとでも言うんですか?」

「ああ。言える。俺は今まで女に惚れたことがなかったが他の男がお前にしたようなことは絶対にしない。それに惚れた女を幸せに出来ない男だと思われてるならそれは心外だ。だから俺のことを批判的な目で見ることは止めてくれ」

男はそこまで言うと、「変わる勇気が持てないほど牧野つくしは臆病な女じゃないはずだ。それに牧野つくしは変化を求めているはずだ。だから夜の電話の男と電話をすることを決めたはずだ」と言葉を継いだ。

つくしは反論しようとした。
だが男の指摘は正しいと悟っている自分がいた。
潜在意識の中にあった自分を変えたいという思いから夜の電話の男性との会話を続けた。だが相手が道明寺司だったことに傷付いた。
それなら相手が道明寺司ではなく、全く別の、つまり電話の男性が話した通りの男性だったとすれば、自分はどうしただろうか。
その人のために変わろうとしたのか。
それとも何もしなかっただろうか。
だが会うと決めたということは、変わりたいと思える自分がいたということだ。
そしてその男性となら心の奥にある思いというものを話すことが出来ると思ったから会う約束をした。

つまり道明寺司が言った、つくしが変化を求めているということは正しいということになる。
だが今目の前にいる男性を受け入れることは出来なかった。
だがそれは、今とういう時が受け入れることが出来ないのか。
それとも、時が経てば変わるのか。この旅で日常的な自分を知って欲しいと言ったが、それを知れば男に対する想いも変わるとでもいうのか。
だが二人にはそんな時間はない。
つくしは明日から帰国までの予定を頭の中で確認した。それに道明寺司はビジネスで忙しいはずだ。だからこれ以上道明寺司を知りようがない。
だが不信感だけを抱いていた男に、僅かだが信頼という言葉を与えたのは、川上真理子に拉致されたつくしを救い出してくれたからだ。
あれは巻き込まれたような事件だったが、道明寺司は間違いなく命の恩人だ。

つくしは喉が詰まった訳ではないが、グラスを掴むと中身を飲み干し、
「とにかく、私はあなたとお付き合いするつもりはありません」とだけ言って「すみません。化粧室に行きたいんです」と言うと、「連れ去られるなよ?」と笑いながら嫌味を言われたが、その言葉は無視して席を立った。




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2019
04.22

理想の恋の見つけ方 121

食事を楽しむことを決めたが、相手はつくしのことを好きだと公言した男だ。
そんな男を前に食事を楽しむためには、ただひたすら料理のことだけを話せばいい。
だが会話を弾ませる必要なない。ただ言えるのは棘のある言葉を発しないこと。
そうすれば必要以上に個人的なことを口走ることはなく、礼儀正しく食事が出来るはずだ。

だからつくしは務めて料理に関してだけ話をした。
ロブスターはぷりぷりとした歯ごたえがあって絶品だとか、リゾットはお米の炊き加減が丁度いいとか、グリル野菜のホワイトアスパラガスは甘いとか、クラムチャウダーは、しっかりとアサリの旨味が感じられ美味しかったと言ったが、ニューヨークのクラムチャウダーは赤いと訊かされた。

赤いクラムチャウダー?と言われ思い浮かんだのはミネストローネだが、ミネストローネはイタリアの野菜スープでありクラムが意味するアサリやハマグリといった貝は入らない。
けれどニューヨークはイタリア系住民が多いことからトマトソースが使われるようになったのではないかと想像することが出来た。そんなトマトスープに鶏肉やベーコンが入っていて、それがマンハッタン風だと言われた。

「道明寺副社長は、どちらがお好きですか?」

それは会話の流れからして訊いたに過ぎず、目の前の男がどちらのチャウダーを好きだろうと関係なかったが、料理のこと以外の話をしないために必要な会話だった。
つくしはウッズホールを訪問するためボストンには来たことがあったが、ニューヨークを訪れたことはなかった。
だから教授の副島からボストンもいいがニューヨークのアメリカンミュージアムも行く価値があると言われその気になりもしたが、ボストンからニューヨークまで飛行機で1時間半はかかる。つまり行って戻って来る時間を考えた時、近場のハーバード大学の博物館へ行くことに決めた。

「そうだな。特にこだわりがあるって訳じゃないが、ニューヨークにいればマンハッタン風を口にすることが多い。それにニューヨークで暮らしていた頃、通いの料理人がよく作ったのはマンハッタン風だ。だから食べ慣れていると言えばそっちだが、俺は牛乳をベースにしたボストンスタイルの方が好きだ」

そう言って男は、つくしが量の多さから注文することを躊躇っていたロブスターと魚介の鍋というトマトスープで仕上げた料理を口に運んでいるが、それはつまりひとつの料理をシェアして食べているということ。
そしてその様子は特段気取ったこともなく、周りにいるアメリカ人と同じように食事をしていた。

それにしても、ロブスターのさばき方は慣れていると思ったが、ここで改めて思うのは、仕事にしても女性の扱い方にしても同じように手慣れているのだろうということ。
だがそれは年齢からして当たり前のことだと思える。それに道明寺司のように社会経験が豊か過ぎる男は場数を踏んでいるから当然だ。
そして、こうした食事の場面での流れるような仕草は生まれ持っての品を感じさせた。

つくしは男性のことをここまで真剣に観察したことはない。
それは、付き合っている男性がいないこともあるが、過去の経験から男性を受け入れることが出来なかったからだ。だが電話の男性に対しては、その人はどこか違うと思えた。
そしてその男性は、今こうして一緒に食事をしている道明寺司だが、杉村と名乗り電話で語られていたことは嘘であり、その動機は、つくしを自分の女性に対しての価値観を認識するためだった。

だがそんな男は、自分の嘘を侘び好きだと自分の気持ちを伝えてきた。
そして諦めないから、そのつもりでいてくれと言った。
つまり、つくしは諦めない男を相手に自分の意志を通さなければならなかった。

「どうした?」

「え?」

「ムール貝に何かあったか?」

そう言われたつくしは皿のムール貝に目を落とした。
だがムール貝には何もない。
いや。あるはずがない。ムール貝の黒い殻からはオレンジ色の身がのぞいていて、美味しそうだということを別にすれば何もなかった。

「べ、別に何も」

「それなら食え。良く喋ると思ったら急に無口になる。それも料理について必死に喋ろうとしているが、そんなに俺と話すのが嫌か?」

見透かされていた。
だが考えてみれば相手は人の心を読むことが得意な男だ。
そしてつくしは、男の方から俺と話すことが嫌かと言ったのだから、今なら言いたいことが言えると思った。
それは、あなたと付き合うつもりはないということ。

「あの道明寺副社長。私はあなたと__」

「いや。答える必要はない。俺が嘘をついたことが許せない。そんな男を好きになれないと言いたいんだろ?だがな。お前が許せないと言ってるのは本当に俺か?牧野つくしという人間は、否を認めた人間をいつまでも恨んだり憎んだりする女じゃない。そうだろ?何しろ川上真理子のことをどうしたいと訊いたとき、お前は法の裁きに任せると言った。
そんなお前が俺に対してだけいつまでも頑なな態度を取る理由は俺が許せないからじゃない。それに俺は少なくとも嘘をついていたことをお前に詫びた。殴られても蹴られてもいいと言った。お前が許せないのは、傷跡っていう殻を脱することが出来ない自分じゃないのか?お前は自分で自分の心に足枷を作ってそこから抜け出せないだけだ。それに俺は言ったはずだ。俺はお前の傷跡なんぞ気にしてねぇってな」



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2019
04.21

理想の恋の見つけ方 120

『言いたいことがあるなら言えばいい』

つくしはその言葉通り言いたいことは言わせてもらうつもりでいた。
それは、あなたと付き合うつもりはありませんと自分の意志をはっきりと伝えること。
そしてこの旅は彼の飛行機に同乗させてもらいはしたが、ふたりの行動は別のものであり、私のことは気にしないで欲しいということ。
そして食事に出かける前、急いで部屋に戻りブローチを鞄に入れてきたが、それを返すことがこの食事の目的だった。だからこの食事を済ませれば帰国する飛行機に乗るまで顔を合わせる必要はないはずだ。

夕食はホテルのレストランではなくシーフード料理の店へ連れて行かれた。
ボストンと言えばロブスターや牡蠣やクラムチャウダーが有名だが、ドレスコードを気にする必要はないと言われる店は賑わっていた。
だがここは道明寺司のような人物が普段利用する店とは明らかに違うと思えた。
つまりここは、おしゃれで洗練されたというにはほど遠く、趣きが感じられる古い建物の中にあり、気の合う仲間や家族が楽しくおしゃべりしながら食事をするという、いかにも居心地のよさそうな店で、上等なスーツ姿の男性が食事をするような店ではないからだ。
そしてそういった店は二人の間の距離が近いということを表していた。



「どうした?何か問題でも?」

店内を見渡したつくしにそう言った男は上着を脱ぐとネクタイを外した。
つくしの研究仲間はネクタイをしない人間が多く、そういった動作をすることはない。
だから男性がそういった動作をすることを間近で見ることはなかったが、その様子がごく自然の流れ中での動作に思えた。つまりその行動は、つくしのピリピリとした精神状態とは逆にリラックスをした状態でいるということだ。

「この店は俺がこの街で暮らしていた時によく通った店だ。長い歴史を持つ店で外観からは想像出来ないほど美味いシーフードを食わせてくれる。だから安心していい」

そういえば、道明寺司はハーバード・ビジネススクールでMBAを取得していた。
つまりこの街は荒れた青春時代を終えた男がアメリカに渡り、やがてビジネスに目覚め、経済界のサメと呼ばれるようになる基礎を作った街ということだ。
そして道明寺財閥の御曹司が通ったという店が、高級なレストランではなく、居心地のいい店だったということに意外性を感じていた。

「どうする?食べたいものがあるなら注文すればいい。特に無いっていうなら俺に任せてくれ」

ウェイトレスから渡されたメニューを眺めていたつくしは、グリルされたロブスターも美味しそうだと思った。だが半身に割られグリルされた伊勢海老なら日本でも食べることが出来る。だから少し迷った末、クラムチャウダーとボイルしたロブスター。それにグリル野菜とロブスターのリゾットを頼んだが、他にも食べたいと思える料理があった。
それはトマトスープで仕上げたロブスターと魚介の鍋という料理。
大きなロブスターがまるまる一匹入り、エビ、あさり、ムール貝、イカが入っていて一人で食べるには多すぎる量だ。つまり鍋という名からしても、それはシェアして食べる料理ということだ。

「どうした?他に食べたいものがあるなら頼め」

「え?」

「どれが食いたいんだ?遠慮するな。量が多いなら分ければいい。大体アメリカの料理は日本に比べれば量が多いのが当たり前だ。多けりゃ俺が食ってやる」

そう言って一旦閉じられたメニューを開いた男は、つくしが口を開くのを待った。
研究仲間となら料理をシェアして食べたことがある。
だが道明寺司と料理をシェアするなど考えたこともなければ、思いもしなかったが、何も思い詰めるほどのことではないはずだ。それにこうしてこの男と食事をするのは今夜だけで、ブローチを返せば明日からは一緒にいることはない。だから何も気にすることはないと思えた。
けれど、同じ料理を分けて食べるという行為は親密さを連想させる。
だが結局「それで?」とメニュー越しに促されたつくしは料理の名前を口にした。








『言いたいことがあるなら言えばいい』

つくしは、その言葉通りのことをしたかった。
けれど、先に口を開いたのは道明寺司の方で「エプロンを着けろ」と言ってテーブルに用意されている紙で出来たエプロンをつくしに着けさせた。

「ロブスターを食う時は汁が飛び散るからな」

確かにその通りで、茹で上がったロブスターをさばく過程では汁が飛び散る。
そして、つくしと同じボイルされたロブスターを注文した男は、同じようにエプロンを着け、ナイフとフォークと一緒に出されたロブスタークラッカーで運ばれてきたロブスターの硬い爪を割った。

食べることにさして興味がなかったと言った男だったが、その手つきは慣れたもので、つくしは思わず長い指先が身を取り出す様子を見つめていた。
そして、殻が外されたロブスターの白い身が皿に置かれとき、男の手が伸びつくしの前に置かれていた皿を取った。思わず「えっ」と言って顔を上げた瞬間、引き替えに男は自分の皿を彼女の前に置いた。

「食えよ。この店のロブスターは大きさもデカいが身もよく締まって美味いぞ」

それは淡々とした言い方で、押しつけがましいとは言えず、だからと言って冷たくもなかった。

「どうした?」

キョトンとしているつくしに対し、「お前がさばくより俺がさばいた方が早い。ただそれだけのことだ」と言って新たに自分の前に置いたロブスターをさばき始めた。
だが向けられた視線に「ジロジロ見る暇があるなら食え」と返されると、フォークを取り、添えられていたガーリックバターソースにロブスターの身を漬け口に運んだ。

「美味しい」

「だろ?それにしてもお前のそんな顏を見てると人生一番の幸福は食べることだって感じだな」

「そんなことありません。それに仮に人生の一番の幸福が食べることだとしても、道明寺副社長には関係ないはずです」

ムキになって言い返した訳ではないが、つい口調が厳しくなってしまった。
だが、本来なら道明寺司がつくしの為にロブスターの殻をむいてくれたことに礼を言わなければならないのだが、何故か言葉が出なかった。
そんなつくしに対し、道明寺司は殻をむくことを止め、つくしから目を離さずに言った。

「へえ、そうか。だがな。俺の前でお前が見せる顏は強張った顔ばかりだ。その中で唯一嬉しそうな顔をしたのは中華料理屋でメシを食った時だ。それ以外でお前が楽しそうな顔をしたのを見たことがないからな」

「それは道明寺副社長が私に厳しい顔をさせるようなことをしたからじゃないですか?そうでなければ私はそんな顏をしません」

それは杉村という別の男に成りすましたこと。
つくしが自分の周りにいる女性たちと同じであることを騙すことで証明しようとしたこと。
だが今はロブスターの殻をむいてくれたことに対して礼を言わなければと手にしていたフォークを置いた。

「…..ありがとう」

唐突につくしが口にした感謝の言葉に、彼女を見つめる男の表情は変わらなかった。
それは何に対しての感謝なのか分からなかったからだが、「ロブスターの殻をむいてくれたことです」つくしがそう付け加えると口元に微笑みを浮かべた。
その笑みに勝利感がこめられていると感じたのは思い違いではないはずだ。
そしてつくしは、この奇妙な時間ともいえる食事に戸惑いながらも、この食事を乗り切りブローチを返せば明日からは放っておいてもらえるはずだという思いから、今は食事を楽しもうと思った。



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2019
04.20

理想の恋の見つけ方 119

司はロビーのソファに座る牧野つくしを見つけ近づいた。
だが目の前に立った男に気付かない女は考え事をしているのか。その顔は真剣そのもので正面をじっと睨みつけていた。
そんな女に声をかけたが、余程頭の中の問題に気を取られているのか。黒目の勝った大きな目をしばたたいた後、ハッとして司を見あげた顔は驚いていた。

「どうした?こんなところでぼんやりして?」

と司は言って「ああ、そうか…..そういうことか。悪かったな。俺を待ってたのか?」と喉の奥に笑みを込めながら付け加えたが、女は立ち上ると「違います!」と強く否定するように言った。
だがすぐに「いえ…..待ってたと言えば待ってたんですけど、ただ待ってたんじゃありません。理由があるから待ってたんです」と口調を押さえ言葉を継いだが、その顔は仏頂面とも取れる表情をしていた。

「いったいどういうつもりですか?」

「何がだ?」

と、訊いたが牧野つくしの言いたいことは分かっていた。
それに強い反発を見せることも分かっていた。

「あのブローチです。あんな高価なものを届けさせていったいどういうつもりですか?」
と思っていた通りのことを言われ、「ああ、鳩か?可愛いだろ?目なんかお前にそっくりだ。とは言ってもお前の目は鳩みたいに赤くはないがな」と言って唇だけで笑った。


司が届けさせた鳩のブローチの身体にはダイヤが散りばめられていて、目にはルビーがはめ込まれていた。それは、世界中のどんな高級な宝石も手に入れることが出来る男にしてみればデザインも値段も控えめだと思えたが、司が惚れた学者先生は華美なものを好まない。だからその性格に敬意を表し控えめな物で妥協したつもりだったが、相手はそう思わなかったようだ。

「あの道明寺副社長、私が言いたいのは可愛いとか可愛いくないと言う問題ではなく、あのように高価なものを受け取る理由がないということです。だからお返ししたいんです」

それも思っていた通りの言葉で驚くことではない。
だから司は平然とした顔で答えた。

「返す必要はない。それに惚れた女に何か贈りたいと思うことに理由が必要か?言っとくが惚れたはれたは金の問題じゃない。高価なものと言ったが金額が高いかどうかは俺には関係ない。あの鳩がお前に似合うと思ったから贈った。けどな。返しに来ることは目に見えていた」

その言葉に目の前の女は顔を強張らせた。
表情はメープルのラウンジで司の顔を平手打ちした時と同じだったが、彼は女が何を考えているかは分っていた。
それは、バカにしないで欲しいという思い。

「試したんですか?あの時と同じで私を試したんですか?自分の周りにいた女性があなたのお金に興味を抱いていたように私に高価なものを贈ればどうなるか見ようとしたんですか?あのブローチを喜んで受け取るかどうか__」

司は牧野つくしがあの時と同じように感情を爆発させるとは思わなかったが、言葉を遮るように口を開いた。

「お前を試すためにあのブローチを届けさせたんじゃない。あれは俺の気持ちだ。話したろ?お前は傷付いて庭にいた鳩に似てるってな。それに牧野つくしは金に釣られる女じゃない。実直で公明正大。犯罪者にも心を寄せる。分相応な暮らしが好きで派手なことを嫌う。そんな女に俺は心を奪われた。白い鳩じゃない。灰色の鳩にだ。鳩と同じチャコールグレーのパンツスーツが好きな女にな」

それは目の前の女の服装だが、地味な服装が悪いと言っているのではない。
司は好きになった女がどんな格好をしていても文句はない。
グレーの鳩だとしても一向に構わなかった。

意地悪くからかわれたとは思わないが、つくしは司を睨みつけ、彼の前から立ち去ろうとした。
だが司はそんな女に言った。
「食事に行こう」司は厳しい顔をして自分を見つめる女に平然とした顔で言った。
「昼食は付き合えなかったが、夕食には喜んで付き合おう。そこで言いたいことがあれば言えばいい」

司は牧野つくしを手に入れるために、じっくりいくことを決めたが、自分の流儀を変えるつもりはなかった。
牧野つくしがウッズホールに行くことを望んでいることは知っていた。だからそれを利用した。そして牧野つくしには仕事の旅だと言ったが仕事は終えた。
だからこれから日常的な自分を知って欲しいと言った通り、この1週間は牧野つくしと過ごすつもりだ。それはこの旅を計画した時点で決めていたことだが、その計画を次の段階へ移すことにしたが、手始めが一緒に食事をすること。
だが、牧野つくしの瞳に浮かんだのは拒絶を示す表情。
だから司は牧野つくしがもっと拒絶をすることを言うことにした。
それはビジネスでも言えることだが、相手の態度を逆手に取ってフルに活用すること。


「それとも俺の部屋にブローチを返しに来るか?」

司はからかうように眉を上げたが、案の定牧野つくしは口もとを引き締め、さらに拒絶の表情を強くした。そしてブローチを返したいと思う女は、レストランで食事をするか。それとも司の部屋を訪ねるかを迷った末、仕方なくといった風に食事をすることに同意をした。




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