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2019
02.27

理想の恋の見つけ方 87

「理恵ちゃん!こっちこっち!ここに座って。ほらここだよ俺の隣だよ」

理恵と名前を呼ばれた女は、この店で働き始めてまだ日が浅い。
だが自分を呼んだ男の隣に座り、テーブルの上に置かれたアイスペールの氷をトングで掴むとグラスに入れ、そこに琥珀色の液体を注いだが、その手つきは馴れたものだった。

「石田さん。お久しぶりですわね?」

「やだな、理恵ちゃん。お久ぶりだなんてたった1週間だろ?」

「あら。そうだったかしら?」

「そうだよ。俺がここに来たのは1週間前でそのとき理恵ちゃんは着物姿だった。そうだ!茄子紺の着物だった」

「茄子紺のお着物だったら…..そうね加賀友禅かしら?」

「いや。俺は着物のことは詳しくないから分らないけど、加賀友禅って名前くらいなら知ってる。いい着物なんだろうな。それに理恵ちゃんによく似合ってたよ」

と言うと理恵が隣に座ったことが嬉しいのか男は相好を崩した。
男は石田と言い33歳の独身で地方の大きな建設会社の跡取りだが、たまに東京に出て来ては銀座で飲むのが好きだと言ったが飲み方も女の扱いも田舎者丸出しだった。
顔は見惚れてしまう顔とは程遠く、のっぺりとした顔で理恵の好みではなかった。だが石田には金がある。それは今の理恵にとって必要なもの。そして石田は理恵を指名すると、好きなボトルを入れていいよ、と言った。

この店では理恵と呼ばれる真理子が石田と知り合ったのは、夫である高森隆三と離婚し働き始めてから直ぐのこと。
夫の会社であり真理子が大株主を務めていた不動産投資とリースが専門の高森開発は、今はもう存在しない。そして真理子が持っていた株は価値を失い、自由に使えた金色のカードは意味を成さないものに変わり、手元に残ったのはダイヤで縁取られた悪趣味と言われる時計と大きなダイヤの指輪がいくつか。そして数枚の着物と数百万の現金だった。

だが真理子には他にも財産があった。
それは若い頃から変わらないと言われる美貌だ。
真理子は大学生の頃働いていた銀座に戻った。当時はアルバイトだったが、水商売は嫌いではなく、自分には客あしらいの才能があると思っている。
それに当時、店でナンバーワンを狙える立場にいて高森隆三の愛人だった。そして大学を卒業すると高森の会社に秘書として入り、それから秘書兼愛人として働き30歳で二回り以上離れた高森と結婚したが、妻として贅沢な暮らしが出来たのはたった4年。
全てを失った高森隆三に用はなく、別れは真理子の方から切り出した。
そしてこうなったのは道明寺司のせいだ。高森開発から現役大臣への金の流れを暴き、真理子が会社の人事に口を出し会社を私物化していると週刊誌に取り上げるように仕向けた。
あの男が、道明寺司が高森開発を潰し真理子の財産を奪った。

そして道明寺司は真理子がアルバイトをしていた銀座の店に来たことがあった。
まだ若かった道明寺司は傲慢で女に対し無関心に見えた。
だがあの時、隣に座った真理子を外し、まだ入店して間もない田舎から出て来た女を隣に座らせたが、売れっ子と呼ばれる真理子が外されたことに、店にいた他のホステスも黒服も驚いていた。
そして高森隆三の妻となって道明寺司に再会したが、連れていた女は准教授の牧野つくしという女。あのとき道明寺司の隣に座った女によく似ていた。

「それで、理恵ちゃんは加賀友禅の他にどんな着物が好きなの?」

「……あんな女のどこがいいのよ」

「え?理恵ちゃん何?あんな女って誰のこと?」

真理子は石田の話など聞いてなかった。
だが、自分がこうしてどうでもいい男の相手をしなければいけないことを思い出すと、唇の両端をキュッと持ち上げ笑顔を作って見せた。

「うんうん。ごめんなさい何でもないわ。ひとり言よ。それより私がどんな着物が好きなのかでしょ?そうね….加賀友禅も好きだけど京友禅も好きよ」

と、真理子は甘えた声で謝ると石田の手を取った。
そして石田の顔を見たが真理子に首ったけといった表情が彼女に余裕を与えた。

「ねえ石田さん。アフターもお付き合いして下さるかしら?」

ホステスがパトロンを持つことは当たり前だが、真理子がそう言うと石田は嬉しそうに真理子の手をギュッと握り返した。










人の顔をジロジロ見ることは失礼にあたる。
だが相手に話しかけている時だけは、堂々と相手の顔を見ることが出来る。
あきらは、取引先の接待で連れていかれたバーで遠目ながら見覚えがある女の姿を見かけた。

「あの女….高森真理子か?いやあの夫婦は離婚したはずだったな…..名前はなんて言ったか?……そうだ!川上だ。川上真理子だ」




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2019
02.26

理想の恋の見つけ方 86

「牧野先輩おはようございます。今朝で道明寺副社長との出勤も終わりましたね。それにしても毎朝高級車がマンションまでお迎えに来るなんて、重役出勤以外の何ものでもないですけど、楽な移動に馴れた身体で明日から満員電車での出勤大丈夫ですか?」

と、桜子から言われたが、今まで全く足を使わなかったという訳ではない。
それにもうとっくに治っているのだから今まで通り電車に乗ることに問題はない。

「大丈夫よ。捻挫をする前まで毎日満員電車だったのよ?もう平気よ」

「そうですか?でも気を付けて下さいね。だって質の悪い捻挫は骨折よりも治りが遅いと言われるくらいなんですから。だから先輩の捻挫も長引いたじゃないですか。あ、それから研究会から新しい会報が届いていましたが出てましたよ。先輩も参加した去年の海洋調査についての記事」

と言って桜子が渡してくれた板鰓類(ばんさんるい:サメやエイといった軟骨魚類)研究者のための研究会報に掲載されているのは、去年の夏から秋への季節の変わり目に参加した海洋調査の記録だが、あれから半年以上経ったとは信じられないが、思えば船を降り疲れ果ててマンションに戻った頃はまだ暑かった。そして馴染みの中華料理店丸源に出前を頼のみ、やっぱりもう一品と追加注文した先が杉村と名乗る男性の電話だったが、あの時のメニューは忘れもしない、豚肉とニラともやしの春雨炒め卵乗せだった。

そして今、頭の中を過るのは四日後に迫った杉村との対面のこと。
だが杉村のことは桜子に話していない。何しろ桜子は道明寺司との関係を勧める。それに桜子に間違い電話から始まった杉村との関係を話せば、返される言葉は容易に想像出来た。

「先輩、電話だけの相手に会うなんてどうかしてます!その人が本当に先輩の思うような人だと言えますか?きっとそうやって電話で相手を油断させて自分を好きになるように仕向けてお金を巻き上げる詐欺ですよ!詐欺!今はお年寄りだけを狙うオレオレ詐欺だけじゃなく独身の女性を狙う国際ロマンス詐欺なんてのもあるんですから!もしくは宗教の勧誘とか!だいたい先輩は常識の範囲内で生活をする人間ですよね?それなのに間違い電話で知り合った人と会うなんて先輩の常識は何処かへ置き忘れてきたんですか? 」
と言われることは目に見えていた。
だから言わないつもりだ。

それにもしそんな話をすれば、桜子のことだ。私も一緒に行きますと言うに決まっている。
だが昨日の夜、日曜日の待ち合わせについて杉村と話をしたとき言われたことがある。
それは、『私はまともな暮らしは似合わないと言われたことがあります』だったが、その言葉の意味は一体どういう意味なのか。

「まともな暮らしが似合わないか…」

「なんですか先輩。まともな暮らしが似合わないって?」

「え?」

つくしは桜子の言葉にハッと我に返り視線を落としていた会報から桜子へ移したが、自分が何と言ったか分からなかったが、もしかして杉村の名前でも口走っただろうか。

「ひとり言ですよ、ひとり言。口から漏れてますよ。まともな暮らしが似合わないって言ってましたけど、確かに娯楽も何もない海の上での生活はまともな暮らしとは言えませんよね?」

「…う、うん」

「それにしても受験生は今が一番の正念場です。あとひと頑張りで結果が出ますが、今が踏ん張り時です。出来ればすべての受験生を合格させてあげたい思いですが、そうはいかないんですよね…..」

桜子のいう正念場とは、国公立大学2次試験前期日程のことで、今はそれが終ったばかりだが、受験生にとっては人生に一番関わると言われる試験。その試験につくしは監督官を務め、桜子は補助スタッフとして監督官を務めたが、近年つくしが准教授を務める大学の倍率は高い。つまり人気があるということだが、それは就職率がいいからだ。
だが言葉を変えれば就職することを念頭に入学をし、大学に残って研究をする人間は少ないということになるが、それは教育の現場に身を置く者としては少しだけ寂しいものがあったが、その思いはどうやら秘書の桜子も同じだった。

「今年も優秀で学ぶことに意欲的な学生が入学してくれることを祈るしかありませんが、入試シーズンの仕事は激務ですよね?今日は副島教授はお休みされています。もしかするとインフルエンザかもしれないっておっしゃってました。季節の変わり目です。牧野先輩も一度なったからといって油断しないで下さいね?学生たちは休みでも先生方にはやるべきことが幾らでもあるんですからね?」

「分かってるわよ」

桜子のいう通りで、試験が終わったということは採点作業が待っている。そして入試業務というものは、教員にとっては大変手間のかかる業務だ。だが今のつくしは、日曜日に杉村と待ち合わせするメープルの1階ラウンジのことを考えていた。
時間は12時と決まっていたが、昨日目印になるものについて話をした。
すると杉村は身長が180センチ以上あること。そして赤いバラの花を胸のポケットに挿して行くと言った。
今まで何度か桜子に男性を紹介されたが、尻ごみとまでは言わないが乗り気ではなかった。
けれど、杉村と会うと自分で決めたことは、どこかで自分を変えようとする気持ちがあるということ。つくしは杉村がどんな姿をしていたとしても気にしない。それは自分自身の身体にある傷跡がそう思わせるのだが、相手はつくしに会ってどう思うか。だが会いたいと言い出したのは彼の方だ。そして会うことで二人の関係に変化が訪れるはずだが、今は会う事を考える楽しみというものを味わっている自分が楽しかった。




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2019
02.25

理想の恋の見つけ方 85

「ええ。そうです。メープルの1階ラウンジです。そこで待ち合わせるためには何か目印が必要だと思います。何を目印にするか。まだ時間はありますからゆっくり考えましょう。それにその頃には、あなたの捻挫も治っているはずだ」



杉村がその言葉を口にしたのが3週間前。
それからも約束通り週に一度の電話の関係は続いたが、杉村に対しての思いは今までと変わらず好感の持てる男性ということ。けれど、あと4日で運命の日曜日を迎えることになる。
それは、今まで積極的に男性と会うことをしてこなかった女の挑戦なのかもしれない。

あの時、杉村と名乗る男性が「私はあなたと話すのが楽しい。だから会って話す時間が無駄だとは思わない。それにきっと直接会って話す方が楽しいに決まっている」と言ったとき、偽名に守られた関係よりも別の関係を望んだ。
だが、本人に直接会うということは、今までの電話での関係の終わりを示している。
つまり会った段階で二人の関係は変わるということ。
そしてその変化は、二人の間に進展があるのか。それとも会ったその日にどんな関係も続けることはないということか。そんな二つの想像に思いを巡らせていたが、どちらにしても会うことは自分で決めたのだから、どんな結果になったとしても受け止めるつもりだ。

間違い電話をかけたのは、まだ夏の余韻が残る秋だった。
それから3月上旬の日曜まで週に一度見知らぬ男性に電話をかける。それは今までのつくしにすれば勇気ある行動。所詮会うことがないのだから、嘘を、虚構を連ねても良かったはずだが、つくしはそれをしなかった。
それは、いつの間にか心の中に芽生えた思いがあったから。
名前の無かった男性から杉村と偽名とはいえ名前がついた頃から、いやそれ以前から心を寄せはじめていた。

そして今日で道明寺副社長の車で大学へ行くのが終る。
だからつくしは車が大学に近づいてくると隣に座る男に言った。

「あの道明寺副社長。今日まで送迎をしていただき本当にありがとうございました」

「俺は好きな女の世話がしたかっただけだ。だから気にするな」

お前が好きだと言われ、足を捻挫した女を1ヶ月近く送ることをした男性は、時に海外出張でいないこともあったが、それ以外毎朝迎えの車の中に道明寺副社長はいた。
だが足もすっかり良くなった今、本来ならもっと早くに送迎は終えてもらうつもりでいたが、彼がいいと言うまで止めることはなかった。

つくしは、想像の杉村に思いを馳せた。
夜の電話の男性である杉村とは話すことは幾らでもあった。だがそれとは逆に道明寺副社長とは会話らしい会話が殆ど無かった。
例えば、「今日の調子はどうだ?」と訊かれれば、「おかげさまで随分と良くなってきました」と返すと、「そうか。それは良かったな」で会話が終わった日もあった。また別の日は、挨拶を交わしたが、それ以外無言ということもあったが、それは車の中で書類に目を通していたからだが、そんな時つくしは窓の外を流れていく景色を眺めていた。

同時期に同じ年齢の二人の男性と過ごしたことはなかったが、つくしにすれば道明寺司という人間は生々しいほど男性を感じさせる。そしてそんな男性は今までつくしの傍にはいなかった。
それにつくしのことを好きだと言っておきながら、黙殺したような態度を取る男はよく分からなかった。そして何故自分がそんなことを気にしているのかが、つくしには分からなかった。

だが電話という限られた世界での杉村は、そうではない。
つくしの主観だが、杉村の喋る言葉には品格があり知性を隠している。そしてそれは身体が丈夫ではないと言った彼の言葉から想像するしかないのだが、全てに於いて上手な語り手だと思った。
そして、あまり外出をすることが無いと言っていた杉村の職業は、法に触れることがないと言われたが、その時彼の仕事は在宅でも勤務可能なIT関連で黙々と仕事をしているといったイメージがあった。だがそんな人間が弁が立つということが、不思議だと思うのは考え過ぎなのか。

だがあと4日。あと4日で実際の杉村に会うことになる。だが今思えば果たしてこれで良かったのだろうか。という気持ちが胸にゆらめいていた。

そして今では足もすっかり良くなったのだから、道明寺副社長が車を降り、つくしを抱えることもない。そして今日が最後だというのに意外とあっさりとした返事が返されたことに妙に拍子抜けした気持ちになったが、車を降り改めて副社長に頭を下げたが、毎日送迎して貰えたことは正直助かったと言えた。












「副社長。若林和彦の件ですが彼は牧野様が書庫に閉じ込められた日はミャンマーにいたようです。それからホームで後ろから押されたという日も国内にはいませんでしたが、今現在も国内にはいません。それに若林和彦が牧野様の周りをうろつくといった怪しい行動は見られません」

運転席の隣に座る男がそう声をかけて来たのは、司が調査を命じたからだ。
駅のホームで後ろから誰かに押される。
書庫に閉じ込められる。
そのどちらも偶然だと言えばそうかもしれない。
だが世の中で起こることには、必ず理由があると思う人間もいる。
そして言えることは、司と近しい関係である人間は、何かとターゲットにされることがあるということ。だから司は、牧野つくしが司と知り合ってから彼絡みで出会った人間について調べることにしたが、それは彼女に好意を寄せていたがフラれた男である若林和彦。
そしてもう一人。高森開発の社長だった高森隆三の妻である高森真理子。人妻だが司に色目を使う女。

「それから高森真理子の方ですが、どうやら夫と離婚したようですが所在不明です」



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2019
02.24

理想の恋の見つけ方 84

『え?』

「もし私が会おうと言えばあなたは私と会いますか?そう訊きました」

『あの….でも….』

「ええ。分かっています。私はあなたとこうして電話を始めたとき会おうとは決して言わないと言いました。ですが今の私はあなたと会いたいと思っています」

と司はきっぱりと言ったが、牧野つくしは短い無言を挟み、やや沈んだ口調で言った。

『あの。…..どうしてですか?どうして私と会いたいんですか?』

「長谷川さん。先ほどもお話ししたように私も初めはそのつもりは全くありませんでした。でもあなたとこうして話をするうちに、あなたのことがもっと知りたくなりました。だから会ってみたいと思うようになったんです」

実を言うと私は杉村ではなく道明寺だ。
そう言ったとすればどうするのか。牧野つくしが杉村に対して抱いている親しみや気持ちといったものは無意味なものに変わってしまうのか。
だがしかし確実に言えるのは、夜の電話の男の正体が司であると言えば、それを隠していたことに驚くことだけは目に見えていた。

『でも私たちは会わないはずでしたよね』

「そうです。ですが心の中に目を向けた時、あなたに会うべきだと思ったんです」

司のその言葉に電話の向こうは沈黙した。だから司が言葉を継いだ。

「私は周りの人間によく言われるんです。お前は女性に対してシビアだと。相手の心の裡を全く見ようとしないとね」

『………….』

「プライドが高いとも言われます。だからと言ってナルシシズムが強いとは思っていません」

『………….』

「それに決して軽い気持ちであなたに会いたいと言っているのではありません」

司は牧野つくしが言葉を返してこないことから、これまで以上に自分のことを話すことに決め話しかけたが、会うつもりがないと言われた男から会いたいと言われたことは、予想外だったのか。そして電話だけで繋がっている相手に会うことに用心をすることは当たり前であり、今のその態度は臆病ということではない。
そして沈黙が返されるのは、どうすればいいのか断わりの言葉を探しているはずだ。

『あの……杉村さん。私と会ってもあなたは何も感じないと思います。私はあなたが感心するような人間ではありません。会っても時間を持て余してしまうはずです』

と、返された言葉は思った通り直接的ではないが断りの言葉であり会いたいという言葉ではなかった。

『それに電話ならこうして話せても実際に会った私は楽しい人間ではないと思われるはずです。以前お伝えしたと思いますが、私は教育関係の仕事をしています。はっきり言って自分自身を固い人間だと思っています。だからつまらない人間と思われるはずです』

司は、牧野つくしが言う楽しい人間ではない。つまらない人間だの意味が顔かたちや外見といったものを指しているのか。それとも自分の性格のことを指しているのか。
どちらにしても人は目の前にいない人間に対して抱くイメージは、声と話の内容から判断することになるが、司は牧野つくしを知っている。けれど、牧野つくしは杉村と名乗る男がどんな人間なのかを知らない。だが二人の間には、少しずつだが築いて来た親密さの基盤というものがあるはずだ。しかしそれは司の身体が丈夫ではない。新しい人間関係を築くチャンスがない。だから話し相手になって欲しいという嘘から始まったことであり、二人の関係は嘘の基盤の上に築かれたもの。だがその基盤を一度壊してもいいから牧野つくしに司と会うと言わせたかった。
そして司は今まで女を懐柔することなど必要がなかった。
けれど今はその必要に駆られ言葉を途切れさせることをしなかった。

「長谷川さん。あなたは自分が楽しい人間ではない。つまらない人間だと言うが、それは違うはずだ。あなたの話は面白い。それにつまらない人間なら私はあなたと話をしたいと思いもしなかったはずだ」

とは言え、電話の関係を始めたのは、牧野つくしの本性を知るためであり、電話がかかってこなければそれまでのことだと思っていた。

『あの杉村さん…..でもはっきり言って私は男性が関心を持つような容姿ではありません。つまり外見上魅力的ではないということです』

司はその言葉が自分の足にある傷跡のことを言っているのだと思った。

『だから会って話をする時間が無駄に思えると思います』

と、牧野つくしは言ったが、今まで付き合った女で未練が残るような女にはひとりも出会ったことがなかった。
だが今は違う。牧野つくしとかかわるまでは。
そして牧野つくしの足の傷跡を知る司は、敢えて訊いた。

「何かあったんですか?あなたと会って話をする時間が無駄だと言った男性がいたんですか?」

すると電話口の向こうの牧野つくしは黙り込んだが、司は言葉を継いだ。

「私はあなたと話すのが楽しい。だから会って話す時間が無駄だとは思わない。それにきっと直接会って話す方が楽しいに決まっている」

司はそこまで言って牧野つくしがどう答えるか賭けに出ることにした。

「長谷川さん。あなたの不安は分かります。何もすぐ会おうというのではありません。これから1ヶ月後に会う。そうしませんか。ですから考える時間はあります。もしどうしても会いたくないと思うならそれで結構です。でも考えてみてくれませんか」

本当はこれから1ヶ月以内に自分が道明寺司であると言うつもりでいたが、それが1ヶ月後というのなら日にちを決めることが出来る。だから司はその日を決めた。

「これから1ヶ月後の日曜日。時間は12時。場所はホテルメープルの1階にあるラウンジでいかがですか?」

言葉は返されることはなく無言が続いたが司は待った。
電話は相手の顔が見えない分、何を考えているか読み取ることは難しい。
けれど、暫くの沈黙後返事が返ってきた。

『わかりました。1ヶ月後の日曜日ですね?時間は12時。場所はホテルメープルの1階ラウンジですね?』



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2019
02.21

理想の恋の見つけ方 83

「もしもし?杉村さんですか?あの長谷川です。今いいですか?」

「ええ。もちろんいいですよ」

夜10時の電話は、暫くかかって来ることはなかったが、司が心待ちしていた電話。
だが牧野つくしは、わざと電話をするのを控えていたのではない。何しろ彼女は捻挫をし、松葉杖を使うという馴れない生活をしているからだ。

毎朝大学まで司の車で送り、帰りはボディガード兼運転手の田中から状況を聞いているが、買い物は三条桜子がしていることは知っていて、杖を着いて買い物にいく必要はない。
だから自宅に戻る以外行き先を言われたことがない。

そして司は、自分が彼女が親しみを抱いている杉村だということを告げるべきか。それとも告げないままでいくのかを考えていたが、告げるなら電話ではなく、直接会って話すことが望ましいはずだ。
だが告げずにいるなら、二人の関係はこのまま終わらせる方がいい。決して会うことはないと始めた電話だけの関係なのだから。それにこの関係を止めるのは簡単だ。それは電話がかかってきても出なければいいだけの話。そうすればこの関係は終わる。
だが司が杉村を装っている以上、彼女の心の動きを知ることが出来る。何しろ今までも、司という男をどう感じているかを杉村に対しては話しているからだ。

つまり今の彼女の心を開かせることが出来るのは、杉村という男であり司ではないということ。
だが今思えば、彼女が杉村に対して自分の思いを正直に言えるのは、会わないと言ったからで、それは人の心理として匿名や顔を出さないことで喋りやすくなるということだが、牧野つくしが杉村に対し感じている親しみやすさも、そういった感情から来ていると言ってもいいはずだ。




『……杉村さん?聞こえてますか?』

「ええ。聞こえてます。足を捻挫したそうですね?大丈夫ですか?」

『はい。暗がりで着ていたコートを何かにひっかけてしまったようで、倒れてしまったんですが、そこで右足を捻ったんです』

「それは大変でしたね?かなり痛いのでは?」

『はい。まだ痛くて今は足に負担を与えないように松葉杖の生活をしています』

「そうですか。松葉杖を使うなら、かなり不便な生活をされているということですね?」

『そうなんです。でも2週間経てば杖は要らないと言われています。だからあと10日もすれば杖なしで歩けるようになるはずです』

そこまでは司も知っていて、怪我をした状況も知っていた。
それは鍵が掛けられた図書館の中の書庫での出来事。あの状況は閉じ込められたとしか言えなかったが、それが故意なのか偶然なのか。調べたところ、あの時図書館にいた人間は誰も4階にある書庫を開けた覚えはなかった。
だが杉村はそのことを知らない。だから心配そうに訊ねた。

「そうでしたか。それは良かった。あなたはインフルエンザから回復したばかりですよね?それなのに今度は捻挫ですか。それで電話がかけられなかったということですね?」

『ええ。そうなんです。本当はもっと早くかけたかったんですが、怪我をしたことで不便を心配した友人が泊まりに来ていたので電話が出来ませんでした』

「でも良かったですね?今回はインフルエンザの時とは違いお友達が世話をして下さっているなら安心だ」

二人の関係が進展したのは、司がインフルエンザに罹った女にメープルから中華料理を配達させてからだ。
その時杉村と名前を決め、牧野つくしは長谷川という名前になった。
だがやはり偽名でいる限り二人の関係は進展しない。
司はたった今決めた。これから1ヶ月以内に司が杉村だと話すことを。
だがどう切り出すか。杉村は精神的レベルで牧野つくしから求められているが、司は求められてはおらず、向けられるその態度は私に構わないでという態度。
それは、かつて付き合っていた男に植え付けられた男という生き物は女の外見を気にする。そして傷跡がある女は男に受け入れられないという思いがそうさせている。
司は傷跡について触れることはなかったが、司が何も言わないのは足の傷を気付かないふりをしたのではない。白い足に刻まれた傷跡がどんなものだとしても、気にしていないことを伝えたかった。

そして数分もたたないうちに、二人は打ち解けた話を始めたが、それは松葉杖を使うのは初めてで意外と難しいという話。家の中では杖を使うことは殆どなく、片足でぴょんぴょん飛び跳ねることがあるということ。だがこの前、ソファから立ち上がろうとしてバランスを崩し、転びそうになったことを訊かされれば心配した。

「大丈夫ですか?今度は転んで骨折でもしたら大変ですよ?」

『ええ。気を付けます。でも今ここで骨折をして助けを呼ぶとすれば杉村さんになりますね?』

今まで二人の会話の中に相手に会うという言葉はなかった。だが牧野つくしの口から漏れた助けを呼ぶとすれば杉村という言葉は、杉村に会いたいという思いなのか。
それなら司が、いや杉村が会おうと言えば、強く言い含めれば会うというのか。

「長谷川さん。もし私が会おうと言えばあなたは私と会いますか?」




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2019
02.20

理想の恋の見つけ方 82

司は牧野つくしからの電話を待っていた。
だがそれは司宛ではなく彼が名乗った杉村宛の電話であり、牧野つくしはその男が司だとは思いもしないはずだ。

司は部下のミスに頭を悩ます男ではない。
だが今は自分自身がミスをしたような気持でいた。
今まで人生に於いて女の知性や抱く夢や興味といったものに関心はなかった。
何しろ司が女と付き合ったのは相手のことを知りたいからではなく、ただ性的なものを満足させるためだけだったのだから。
けれど今は違う。
牧野つくしのことをもっと知りたかった。

若い頃、誰の世話にもなりたくないと暴力に明け暮れた頃があった。傷の手当など必要ないと突っぱねた事があった。道明寺の跡取りとして、ただ時の流れに身を委ねていた頃があった。
そして社会に出て近づいてくるのは将来道明寺の名を名乗りたいという女ばかりで、そんな女に対してどんな愛情も感じることはなかった。それに司自身も愛という感情など自分には関係ないと思っていた。

だがもしかするとあれが愛ではないかと思ったことがあった。
それは遠い昔。まだ司が幼かった頃。猛禽類に襲われたのか。灰色の毛の一部が無残にむしられ傷ついた野鳩が邸の庭の片隅にうずくまっているのを見つけた。

あの頃両親は既にアメリカ暮らしで邸には姉と司の世話をする使用人の老婆がいたが、その老婆は司が物心ついた時からずっと傍にいて、他の使用人が休暇を取ることがあったとしても老婆だけは違いいつも邸の中にいた。だが何故老婆がこの邸にいるのか。それは彼の祖父と言われた男が老婆に与えた住まいがこの邸の中にあったからだ。

司はいずれ道明寺の当主となる人間で、幼い頃からそれを言われ続け厳しく育てられたが、老婆はそんな司に対し優しく、祖母という存在がいない司にしてみれば、老婆が祖母のような存在で姉が母親のようなものだった。

「可哀想に。この鳩は空を飛んでいる時ほかの鳥に上から襲われたのでしょう。でも傷の手当をしてあげれば良くなりますよ」

そう言った老婆は鳩を布で包むと、邸の離れとも言える自分の部屋へと連れて行き介抱した。
初めは人の手から餌を貰うことを躊躇っていた鳩。
しかし、やがて老婆が与える餌を食べるようになり司にも懐いた。だがある日、老婆の部屋の鳥かごの中に鳩がいないことに気付いた。

「タマ!鳩は?鳩がいないよ!」

「鳩ですか?」

「そうだよ。鳥かごの中が空っぽだよ!鳩どこに行ったの?」

「怪我をしたあの鳩ですか?」

「そうだよ!あの鳩だよ!」

「逃げました」

と、タマが言ったとき司はその言葉に泣いた。
何が悲しいといって鳩がいなくなったことが悲しかった。鳥に関わらず動物を飼ったことがなかった司にとって、つぶらな赤い目をした鳩は彼が差し出す餌を食べ彼に慣れ始めていた。そんな鳩は司にとってペットのような存在だった。だから突然いなくなったことが悲しかった。

「坊ちゃんいいですか?傷が良くなって飛べるようになれば鳥は飛ぶのが当たり前です。だから鳩は飛んで行きました。野性の鳥は野性にいるのが幸せなんですよ。だからもし坊ちゃんがあの鳩を飼おうと思っていても飼う事は出来ないんですよ」

司の望みはいつも当たり前のように叶えられてきた。
そして、それまでの老婆は幼い司の望みを叶えていてくれた。けれど、その時の老婆は涙を流す司に、慈しみのある顏を向け言った。

「坊ちゃん。鳩の気持ちになって考えて下さい。鳩には鳩の世界があります。空を飛ぶ生き物には広い場所が必要です。それに鳩は空を飛んでいる方が幸せなんです。もしまた傷付いたとしても鳩はその方がいいんです。生きる道はそれぞれ違うんですから」

しゃくり上げる司に対し生きる道はそれぞれ違うと言った老婆。
そして零れる涙を指で掬ってくれた。

「それに大丈夫ですよ。傷はいつか癒えます。あの鳩の傷も大丈夫ですよ」


傷はいつか癒える。

だが、心の傷が癒えない女がいる。
しかし、傷跡が偏見を持って見られると思っているなら、それは大きな間違いだ。
司にも傷跡がある。それは若かりし頃の暴力が作った傷跡で自慢できるものではない。そしてその傷跡は消えることはない。
だがもしも自分の顔に大きな傷跡があったとすれば女たちはどうしただろうか。
きっと恐ろしいと近づいてくることはなかったはずだ。
だが所詮人の外見など骸骨の上に張られた皮であり、生きる上では取るに足らないこと。
それでも人はそれを気にする。そして牧野つくしが当時付き合っていた男に言われたという言葉が何であったとしても、男の言葉と態度に傷付き男と付き合うことをしなくなった。

外見で人を判断する。付き合っている女が怪我をしたことを哀れと思う。
三条桜子はそんな男をろくでなしだと言ったが、司に言わせればそんな男はつまらない男だ。クソくらえだ。
司は今まで女を好きになったことはなかったが今は違う。
彼女が、牧野つくしがあの時の傷ついた鳩ではないにしても、司がふくらはぎの傷を見た時の牧野つくしは、あの日、邸の庭の片隅にうずくまっていた鳩と同じで怯えていた。

『あなたは女性にとって男性には見られたくないものを見られた女性に対してどう言葉をかけるおつもりですか?』と、三条桜子に言われたが、かける言葉は決まっていて、いつかその言葉をかけるつもりだ。

そしてそろそろ牧野つくしから長谷川という名前で電話がかかって来る。そんな思いでいたが、いずれかの段階で杉村と司が同一人物であることを告げるべきか。それとも言わないままでいくのか。それにしても初めの頃こそ意識して声を変えていたが、前回の電話では意識して変えなかったが、分からないものなのか。
そしてそんなことを考えているとき、かかって来た電話は5回コール音を鳴らしてから出た。




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2019
02.18

こんな素敵な日は世界が美しい~続・銀色の雪~

牧野つくしが副編集長を務める女性雑誌のバレンタイン特集。
その記事の中に道明寺司のインタビュー記事が載る。
それは今までどこの雑誌も成し得ることが出来なかったこと。だから多くの女性が雑誌の発売日を待った。そして月に25万部を売る雑誌の売り上げはどれくらいになるのか。
出版社としては数字が読めない訳ではなかった。だがそれは読者が心待ちにしていたものとは遥かにかけ離れた内容のものであり、果たしてどれくらい売れるのか全く予想がつかなかった。

そして発売された雑誌の表紙を飾った文字。
それは『道明寺ホールディングス副社長道明寺司氏結婚!7年半の時を経て初恋の人と結ばれる』
そんな見出しで綴られたストーリーは当雑誌の副編集長である牧野つくしとの恋について書かれていて、記事の写真はローマで過ごす二人の写真がふんだんに使われていた。


『胸を焦がすような思いは彼女に出会うまで経験したことがなかった。そしてそれが恋だと知った時、心は彼女だけに向けられていた』

今まで自分の私生活について語ることがなかった男のその言葉は多くの女性の心を打った。
そして向けられた視線はカメラではなく妻となった女性を見つめていたが、その瞳は経済誌では見たことがない優しさを湛えていた。

ボルゲーゼ公園近くにあり、スペイン広場・階段までも近いホテルは道明寺グループのホテルメープル。そこで撮影された写真はタキシードにウエディングドレスを着た二人の姿。
スペイン広場からスペイン階段を登った場所にあるトリニタ・ディ・モンティ教会の前に佇む二人の姿はセピア色で撮られていて、それはまるで映画『ローマの休日』のような雰囲気があった。
夕暮れ時、テヴェレ川右岸にあるサンタンジェロ城をバックに橋の上で撮られた写真は、手を繋いだ後ろ姿だったが、それだけで絵になった。
トレビの泉の前でジェラートを食べる二人は、その甘さを確かめるよりも互いの唇の甘さの方を求めていた。
そして芸術の神と呼ばれるミケランジェロが作った十字架から降ろされた我が子の遺体を抱く母の彫像の前にいる二人は、祈りを捧げていた。

シャッターが切られるたび変わる表情。
雑誌に載ったどの写真も見ている方が照れるような顔をした男が写っているが、その男は世間からの称賛を求めているのではない。
そこにあるのは地位や名誉や美貌といったものは関係ない。経営者でもなければ世界有数の資産家でもない。ただ妻となった女性を見つめるひとりの男の姿だけがあった。

そしてサン・ピエトロ大聖堂のクーポラと呼ばれる円いドーム状の天井の下での二人の姿。
ドームの中央から降り注ぐ冬の光は神の慈愛のように柔らかな光で夫妻となった男女を祝福していた。

二人がローマの街で式を挙げたのは、
『いつか一緒にローマの街を歩こう。美味いジェラートの店を見つけた。』
そう言葉を添え贈った手袋があったからで、その手袋があったおかげで司は彼女がまだ自分のことを思っていてくれたことを知った。
そして共にこの街を訪れたが、今度は彼女が『T.D』とイニシャルが入った黒い革の手袋をプレゼントしてくれた。
だから司も妻に新しい手袋をプレゼントしたが、そこでひと言言われたのは、
「あの手袋まだ使えるのに。もったいない」

司の妻になった女の職業はファッションが売りの女性雑誌の副編集長。
だが高価なブランド物をとっかえひっかえする女ではない。
それよりも、愛着のある物を長く使いたいという女。
だから司は言った。

「分かってる。物を大切にするお前にしてみれば、まだ使える手袋があるのに新しい手袋は必要ねえってことだろうが俺は新しいイニシャルが入った手袋をお前に贈りたいんだ」

世界中のどんな高級な物も買える男が拘る手袋のイニシャル。
だがそれは誰が見るというものではない。それでも司は妻となった女に新しいイニシャルが入った手袋を使って欲しかった。
何故なら彼女のイニシャルも司と同じ『T.D』となったから。
そしてそれが男の独占欲の表れだと分かっている妻は笑って言った。

「分かったわよ。新しい手袋を使うから。でもこの手袋は捨てないからね?」

そんな女を後ろからつつみ込むように抱く男の写真には、特別な言葉が添えられていた。

『こんな素敵な日は世界が美しい。だが人生は美しいものではないかもしれない。楽しいものではないかもしれない。それでもどうすれば楽しく生きることが出来るか。彼女に再会して考える事が出来た』






今までの二人の人生は間違いではない。
彼女のためならどんなことでも出来るというあの頃の思いは嘘じゃない。
だが約束の未来というのは無いかもしれない。
明日は今日の延長ではなく、何が起こるか分からないのが人生だからだ。
けれど、二人がこれから一緒に過ごす時間は永遠であることを願いたい。
そして男の言葉に込められているのは、あの頃にときめいていた心は変わらないということ。








「ねえ。司」

「なんだ?」

「司のこと。愛してる」

ローマの街では、いたるところでキスをする男女を見かける。
だから二人がキスをしても、男が女を抱きしめても、誰も気に留めることはない。
だがグローブショップの店員は、真新しい指輪を嵌めた二人が買った手袋を、微笑みを浮かべながら丁寧に包んでいた。




< 完 > *こんな素敵な日は世界が美しい*
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2019
02.17

銀色の雪 <後編>

与えられた時間は30分。
だがそれでもわざわざ日本からニューヨークまで取材に来たのは、彼だけのためではないと分かっていた。

経済的に誰かに頼ることはしない。精神的にも依存しない。付き合うなら対等じゃなきゃダメと高校生の頃から言っていた女は、自分の仕事に誇りを持ち海外出張も日常的なものとなっている。だから与えられた時間を有効に使うことを知っていて、司に向けられる質問も回りくどい言い方は一切なかった。

『結婚に対する考えを訊かせて欲しい』

かつて結婚を約束していた女の口から訊かされるその言葉は、あなたにとって幸福とはなんですか?そう言われているのと同じだと感じられた。
それならと自分の気持ちを正直に告げようとしたが彼女は司の言葉を遮った。
しかしそれはインタビュアーとしては、してはいけないこと。
聞き手はあくまでも相手の喋ることを聞くことが仕事だが、今回の司に対しての取材申し込みも彼を評価するのではなく、彼の情報を得ることが目的のはず。
だが彼女は相手の言葉を遮った。つまり裏を返せばそうしてまで自分の意見を言いに来たということ。二人の交際を俺自身の問題だと言い、電話だけで別れてしまったことを気にしないでと言った女は、それからは覚悟を決めたとばかりに生きて来た。だからこうしてニューヨークまで足を運んで司に会おうことを決めたのは、あの時彼女を寄せ付けようとしなかった男に文句を言いに来たということだ。それに7年半頑張り続けた自分を見せたいという思いもあったはずだ。

司の心は軋んだ。
今目の前で背筋をピンと伸ばし座る女は、きっと記憶を淘汰することなく生きて来たはずだ。だから司が牧野つくしからの取材なら受けると言っていると訊いたとき迷うことはなかったはずだ。

だが記憶を淘汰することがなかったのは司も同じだ。
そしてやり直したいという気持ちはずっと心の中にあった。
だから司は彼女がテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばしたとき、同じようにカップに手を伸ばし、いくらか身体を彼女に近づけ「訊かせて欲しい」と言った。

司がテーブル越しに見るのは牧野つくしの黒い瞳。
そして彼女が見たのは司の黒い瞳。だがその視線はスッと外れネクタイの結び目あたりに落とされた。

「何を訊かせて欲しいの?…..ねえ道明寺。私たちは別れて7年半が経ったの。私もあなたも今はそれぞれの分野で頑張っているわ。それ以上相手の事を知ってどうするの?」

静かに言われたその言葉は、今日こうして会ったのは仕事だからであり他意はないと言いたいのか。それでも司はこのチャンスを逃す訳にはいかなかった。

「牧野。俺はお前とやり直したい。あの時は自分を見失ってた。いや。これは言い訳か。だが取り返しのつかないことをしたと後悔した。それにあの後あきらからお前が大学を1週間休んだと訊かされた。三条がお前のアパートを訪ねたが応答がない。だが携帯に電話をしてみれば旅に出ていると言われた」

日本を離れている司に変わって牧野つくしを気に掛けていたのは、美作あきらと彼と付き合い始めた三条桜子だった。そして桜子は親友が突然旅に出たと訊き何かあったのだと司に電話をしてきた。そして彼らが別れたことを知った。

「その時思った。俺がもっとちゃんと言葉を言えば良かったんだと。言葉が足らなかったんだと。それからお前は旅から戻って来たが、あきらや三条がどこへ行ってたと訊いても答えなかった。なあ。あの時どこへ行ってたんだ?」

司は桜子から牧野つくしが大学に現れないと訊いたとき、すぐにでも東京に向かいたかった。だが出来なかった実状があった。

「千葉よ。太平洋が見たくて九十九里浜に行ったわ。そこで日がな一日海を眺めてたわ。
冬の太平洋からの風は冷たかったけど空は澄み渡っていて太陽の光りが当たればそれなりに暖かかったし心が洗われた感じがしたわ。だから今更だけど心配しないで。私は道明寺が思うほど弱くないから」

そう言った女はコーヒーを口に運んでひと口飲んだ。そして言葉を継いだ。

「ねえ道明寺。『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである』って言葉を知ってる?」

「ああ。サン=テグジュペリの言葉だろ?」

出版社で働く女は月に25万部を売る女性雑誌の副編集長の地位まで自分を高めるため誰とも付き合うことがなく努力を惜しまなかったが、フランス人作家サン=テグジュペリの言葉を引用したのは自分と同じ方向を見つめることが出来ない男とは付き合いたくないという意味なのか。

「私はあのとき道明寺が見つめている同じ方向を見ることが出来なかった。私はあなたが社会に出て大変な思いをしていることを理解していると思ったけどまだ学生だった私は理解出来ていなかった。だからふさわしくないと思えたの。社会を知らない私は邪魔になると思った」

「牧野_」

司は言いかけたが言葉を継ぐ前に遮られた。

「訊いて道明寺。今日こうしてあなたに会えて良かったと思ってる。取材の申し込みをしたのは私じゃなかったけど、私じゃなきゃ取材を受けないと言ってくれて良かったと思ってる。だってそうじゃなきゃ二人だけで会えることはないと思ったから。だってあなたはいつも大勢の人に囲まれて、周りには沢山の靴音があってあなたの傍に近づくことは出来ないもの。だから見ることが出来たのはあなたの背中だけよ」

司は彼女の口から出た意外な言葉に即座に訊いた。

「俺に会いに来たのか?」

「仕事で何度かこの街に来たことがあるの。もちろんファッションの取材でね。その時偶然あなたの背中を見たことがあるの」

司の問い掛けにはイエスともノーとも答えなかった。そしてファッションの取材だと言ったが司はファッションに興味はない。だからニューヨークで有名デザイナーのコレクション発表があったとしても訪れたことはない。
つまり彼の背中を見たのはファッションに関係ない場所でということになり、可能性として高いのはこのビルの中だということになる。何故ならここに来れば確実とまでは言えないが会えるからだ。

牧野つくしが会いに来た。
理不尽な言葉をぶつけ別れてしまったが、今二人の間に漂う沈黙は司に与えられた許しの時間なのではないかと思った。それは7年半振りの再会は初めこそ道明寺副社長と呼ばれはしたが、今は道明寺と呼び捨てにされていて、その呼び方に不自然さは感じられないからだ。だから司はこの7年半の間、本当なら7年半前彼女が司に向かって言いたかった事ならどんな非難も受けるつもりだ。いや。受けなければならなかった。
だが彼が口を開こうとした時、目の前の女は立ち上り腰を下ろしたままの男に言った。

「道明寺。いえ…..道明寺副社長。そろそろ約束のお時間が終るようです。本日は我社の雑誌の為にこうしてお時間をいただけたことは大変光栄です。原稿は出来上がり次第お送りしますので目を通していただければと思います。それから写真については広報の方からいただいた物を使わせていただきます」


約束の30分が終わり彼女は出て行った。
そしてその間。取り付く島もないと言えばいいのか。自分に非があることを認めている男は強引に事を運ぶことが出来ずにいた。
それは彼女のことを思ってなのか。それとも自身の不甲斐なさなのか。強気な男と言われる男でもひとつだけ弱点があるとすれば、それは彼女だ。
彼女のためならどんな事も出来る。全てを捨てることが出来るといった少年がいたが、その少年は我慢をすることを知らなかった。自分が幸せになるためには彼女が必要だと言った。だが大人になった男は自分の幸せよりも彼女の幸せを考えた。


自分がいない方が彼女のためになるのではないかと。


その時ノックの音がして秘書が扉を開けて入って来た。

「司様。こちらが廊下に落ちておりました」

目を上げた司に秘書が手渡して来たのは女性物の革手袋。
色はマホガニーで内側にシルクが張られた手袋は見覚えがあった。だが似た様な物はどこにでもある。しかしその革手袋には決定的な違いがあった。それは手首の内側に『T.M』とイニシャルが入れられていること。

「今ならまだ間に合います」と秘書は言った。

司は立ち上ると執務デスクへ向かい、引き出しの中からスノードームを掴むとエレベーターに向かった。だが既にエレベーターは降下を始めていた。それは、ほんの僅かな時間で彼女は地上に着きこのビルから出て行ってしまうということ。

「西田!受付けに連絡しろ!コートの色は黒。髪は黒髪で肩までの長さの東洋人の女を見かけたら引き留めろと言え!」

強がりを言わせたと分かっている。
それは昔からだった。だからたった今までここにいた女の言葉も強がりだ。
ドライな女を装ってはいるが、そうではない。若かった二人は心がすれ違っただけで彼女はまだ自分を愛しているはずだ。

司の乗ったエレベーターは役員専用であり地上まで止まることはない。
だから例え彼女がこのビルから出たとしても捕まえるチャンスはある。
そして捕まえたら一生離さないと誓う。そして彼女が望む物ならどんな物でも与えたい。
だが彼女が欲しがるのは物ではない。
それを知る男は地上に降りたエレベーターの扉が開くと駆け出していた。














胸を張って生きる。
それは誰もが望む生き方。
だが誰もがそれが出来るかと言えばそうではない。
それでもつくしはそうして来た。
自分には仕事がある。だから大丈夫だ。
そして今日こうして7年半振りにかつての恋人に再会して思った。
あの別れは無駄になっていなかったと。
それはかつての恋人があの頃よりも大人になったこともだが、副社長として人として立派になったと感じていたからだ。
だが自分はいったい何をしに来たのか。それは雑誌の取材のためだが、そうではないことは分かっている。
それはケジメとして会いたかったから。
会って話がしたかったから。
いつかチャンスがあるならと思っていた。そしてそれが正直な気持ちだが、まさか自分がここまでセンチメンタルだとは思いもしなかった。
だが会えたのだし、話すことも出来たのだからこれでいい。
やり直したいと言われたが、彼には彼の生きるべき道がある。
だからこれでいいと思っていた。

つくしは混雑したエレベーターの中で鞄を握り直し英語の会話を訊きながらそんなことを考えていたが、やがて扉が静かに開くと前に立っていた人間がロビーに吐き出されて行くのを見ていた。そして最後に箱の中から降りたが、真正面に立つ人物に気付いた。
そこにいたのは黒いスーツを着た男。その男がつくしに向かって近づいて来ると彼女の前で跪いた。

「Will you please be my wife?」

『妻になってくれないか?』

そしてポケットの中から見覚えがある球体を取り出したが、それはつくしがかつて恋人にクリスマスプレゼントとして贈ったスノードーム。その中は微笑みを浮かべた男女が今にも口づけを交そうとしている姿があった。そして二人の上には雪に見立てた銀色のラメが舞っていた。

「この中の二人は永遠にこのままだ。だが俺たちはこの二人よりも幸せになる。だから俺と結婚してくれ」

それは大勢の人間が行き交うビルのロビーでのプロポーズ。
公開プロポーズはアメリカでは驚くことではないが、それでもここにいる人間は誰もが驚いた顔で立ち止まっていた。それはその男がこのビルの持ち主である道明寺財閥の後継者だからだ。そして彼が差し出しているのが指輪ではなくスノードームだということに不思議そうな顔をした。

だが仮に彼が道明寺司でなくても人は足を止めたはずだ。
何故ならアメリカ人はこういったことが大好きだからだ。
そして彼らはそうすることが礼儀だというようにプロポーズした男を応援するが、今回ばかりは、しんと静まり返ったロビーは誰もが女が何と答えるのかを待っていたが、日本語が理解出来ない彼らは二人の行動で理解するしかなかった。




「一人でいることに飽きたの?」

「ああ。そうだ。一人でいることに飽きた。いやそうじゃない。お前と結婚したい」

「ビジネスがしたいの間違いじゃないの?」

「いやそうじゃない。ビジネスも大切だがお前の方がもっと大切だ。それに俺と結婚すると付録も色々付いてくるが得もする。だから結婚してくれ」

「どんな得なのかによるわね?」

「どんな得が知りたいか?」

「ええ。出来れば今すぐにね」

どこか憮然としながらそう答えた女は鞄を床に落とし男の手からスノードームを受け取った。
すると目の前の男はニヤッと笑って立ち上ると女を抱きしめ、「そうか。じゃあ教えてやるよ」と言って唇を重ねた。

口づけは周りの拍手と共に続けられたが、やがて男は息が絶え絶えになった女を抱上げビルの正面玄関に横付けされた車に乗り込んだ。
そして女の手にしっかりと握り締められたスノードームをスーツのポケットの中に仕舞うと、今度は彼女の左手の指にダイヤモンドの指輪を嵌めた。




その男の唯一絶対のカッコ良さを知る人間は世の中に沢山いる。
だが逆に唯一絶対のカッコ悪さを知る人間はひとりだけ。
それはたった今彼の指輪を嵌めた女。だが彼女は司のカッコ良さも悪さも関係ない人間。
司が結婚したい女は仕事が出来て少し生意気で情に弱く涙もろい。
だから彼が指輪を嵌めた瞬間泣いていたが、それが彼女の心からの涙であることを男は知っていた。



車窓の向こうは雪が降っている。
その雪は晴れているのに降る雪。
スノードームの中を舞うラメのように光りを放って消えてゆく銀色の雪。
その光りが冬のニューヨークの街を薄っすらと覆い始めていた。




< 完 > *銀色の雪*
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2019
02.16

銀色の雪 <中編>

「7年振りか?」

「違うわ。7年半振りよ」

秘書に案内され執務室に入って来た女は感じのいい微笑みを浮かべ、パリッとした服装に右手はブリーフケースを持っていて、髪は肩口で切り揃えられメークは薄かったがきちんと紅が引かれていた。
洋服も鞄もこれみよがしのブランドではないが上質なものだった。
司は、そういったものを瞬時に見て取ったが、二人が付き合い始めた高校生の頃、彼女はブランドには興味を示さなかったが、今のそれは女性雑誌の副編集長としての装いなのか。

司は牧野つくしが副編集長を務める雑誌を見た。
若い女性がターゲットの雑誌の中身はブランド品で溢れ、今年の色はこれだと流行りを作り出すことが彼女の仕事だ。
そしてその中にはパリやミラノやニューヨークといった最先端のファッションを生み出す街へ旅する特集記事も組まれていて、牧野つくしも海外出張を当然のようにこなしているはずだ。

司がニューヨークで大学生だった頃。牧野つくしが彼の元を訪れたのは一度だけ。
まだあの頃は頬を赤らめどぎまぎとした態度が多かったが、こうして再会した牧野つくしは、物怖じしない大人の女性になっていた。

「変わってないな」

長い間記憶の奥にしまっていた言葉は、そんな言葉ではなかったはずだが、開口一番出たのはその言葉。

「そう?でも道明寺副社長も変わっていませんね?」

彼女はそう言ったが人は司を変わったと言う。
かつて問題児の御曹司と呼ばれた男は確かに変わった。
18歳で日本を離れニューヨークで暮らし始めたが、今もこの街で暮らし任された事業を景気の浮き沈みに関係なく成功させてきたのは、血筋と鉄の女と呼ばれる母親から受け継いだ手腕だと言われているが、それには努力という言葉もあった。

彼女と別れた時、がむしゃらという言葉だけで突っ走ろうとした。そして自分自身を見失い幾つかの選択肢の前で最悪の状況を選んでしまった20代前半があった。
それは実に愚かな己の姿。あの頃の司は心が淀みぐらついていた。そして7年、いや7年半前彼女と別れた後ずっと申し訳ないと思いながら生きてきた。そして彼女が幸福であることを祈り持てる力の全てを使い彼女を見守り続け、そこにあったかもしれない二人の人生について思いを巡らせたこともあった。

そして司が30歳となり副社長になった今。
かつての恋人がニューヨークまで取材に訪れることは、凍えついていた運命の歯車が再び回り始めたということか。
司は17歳で彼女と巡り合ったことを運命だと思っていた。率直な言葉で頑なだった司の心を解かすことが出来たのは彼女だけ。だから二人の人生がまたどこかで交差することを心のどこかで願っていた。
そして出会った年齢のことを考えれば、30歳の自分など遥か彼方の年であり、その頃には二人はとっくに結婚していると考えていた。

あの時、司の迷いが「私がいると邪魔になる?」と言わせたが、司は二人の恋は終った恋ではないと思っている。
それは彼女が司と別れてから誰とも付き合おうとしないこと。
そしてその事が、彼女がまだ司の事を思っているからという司の自惚れだとしても、司も彼女以外の女性を欲しいとは思わなかった。






司は執務デスクの下でスノードームを手にしていたが、引き出しを開けそれを入れると立ち上がった。
「いや。俺は変わった。少なくともあの頃より体重が2キロ増えた」と言って応接ソファに座るように促した。






***






秘書はコーヒーをテーブルに置くと出て行った。

「道明寺副社長。お忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、うちの雑誌の取材を受けて下さってありがとうございます。秘書の方からお約束のお時間は30分とお伺いしていますので、早速ですが始めさせていただきたいと思いますがよろしくお願いいたします。今回のインタビューの内容はバレンタインデー特集のひとつですが、世界有数の企業である道明寺ホールディングスの副社長の結婚に対するお考えをお聞かせいただきたいと思います」

まるで過去のことに拘りはないといった様子で話す女は出版社に入社した同期の中では出世頭と言われていて、販売部数が落ち目と言われる出版業界に於いて月に25万部を売り上げる。
だから周りは彼女の意見を訊きたがり、彼女の意向が記事に反映されていく。今は副編集長だがいずれ編集長になることは間違いないと言われていた。
前もって取材したい内容は知らされていたが、今こうして改めて彼女の口から出た結婚に対する考えを訊かせてくれ。それはまさに司が7年半前に牧野つくしに言いたかったことだ。



『少しの間だが待っていて欲しいと。時間がかかるかもしれないが待っていて欲しいと』

本当ならあの時はそう言うべきだった。だが口を突いた言葉はそうではなかった。
だが今なら言える。

「結婚に対する考えか?」

「ええ。世の中の女性はあなたのような有名人の結婚に対する考えを知りたいと思っています。あなたはうちの雑誌の読者にとっては結婚対象となる年齢です。世の中にはあなたと結婚するとどんな人生を歩むのかと考える女性は多いです。ですからお聞かせいただきたいんです。あなたは結婚についてどうお考えなのかをです」

司の真正面に座る女は、真っ直ぐ彼を見つめ視線を外すことは無かった。
だから司も彼女の眼をしっかりと見つめて答えた。

「結婚は未熟な二人が結ばれて成長する関係だ。もし男の方が未熟ならその男より未熟じゃない女と一緒にいることで人として成熟していく関係だ。馴れ合いになって相手に嫌な所が見えても一生その人と共に過ごす。それが結婚だと思う。いや。俺の場合は俺の嫌な部分に馴れてもらうことになる。傲慢な所があるかもしれない。それを叱ってくれる女と結婚したいと思っている」

司はそこまで言って一旦口を閉じた。そして再び口を開くと今の自分の思いを伝えた。

「牧野。俺は取り返しが付かないことを言った。あの時お前に言った言葉はお前を傷付けた。
顔も見えない相手に冷たい言葉を言った。俺はあの時のことを忘れたことがない。牧野俺は_」

「お前のせいじゃない。これは俺自身の問題だ。あなたはそう言ったわ」

司の話は牧野つくしの放ったかつて司が口にした言葉で遮られた。

「いいのよ。気にしないで。あなたは道明寺司で、その名前が求めることをするためにこの街に来たんですもの。ビジネスが優先されるのは当たり前のこと。だから悪いとは思わないで。私とあなたは元々別の世界の人間だったんですもの。それに社会に出て間もない年齢の頃にはよくある話でしょ?社会人になると学生時代に付き合っていた相手が幼稚に感じてしまうって。それに社会に出て自分の置かれる立場を認識してみれば、それまでと違った何かが見えて来る。……だから私も同じ。大学を卒業して社会に出れば視野が広がって色々な事が見えて来たの。だから気にしないで。きっと私たちは同じ人生を歩む人間じゃなかったのよ」

牧野つくしの口から出た言葉は司にとって何の慰めにもならなかった。
司と同じように年齢を重ねた女はかしこい。それは彼女の仕事ぶりを見れば、元来の頭の良さが発揮されていることは十分理解出来るのだが、司にしてみれば若かった二人のじゃれ合いが懐かしかった。
それに達観したような言葉を言われるよりも罵ってもらえるほうが良かった。
ビジネスの世界では当たり前のように見る取り澄ました表情ではなく感情をあらわに言って欲しかった。
そうすればすぐにでも土下座をしてあの時のことを許して欲しいと言えた。
だが今司の前にいる女は、10代でもなければ20代前半の女でもない。出版社でバリバリと仕事をこなす副編集長だ。
だが彼女がここにいるのは、仕事だからここに来た。それだけだとは思いたくない男がいた。




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2019
02.15

銀色の雪 <前編>

Valentine's Day Story 2019
****************







丸くて重いもの。
その中は透明な液体で満たされ、小さな人形や建物が置かれ、雪に見立てた白いものがキラキラと舞っていた。

見る者に夢を与えるその形は球体。
日本ではスノードームと呼ばれ、海外ではスノーグローブと呼ばれる置物は、スノーと名が付く通り冬になるとよく見かけるようになるが、何も冬の風物詩といった訳ではない。
それは南の島が再現されたものや、桜の木がピンクの花びらを散らすものもあったりするのだが、男が手に取った球体には雪景色の中に男女の人形が幸せそうに微笑んでいる姿があった。

男は女を抱きしめ、抱きしめられた女は幸せそうな微笑みを浮かべている。
そして二人は今にも口づけを交そうとしているが、それは二人だけの完成された世界で永遠に変わることがない瞬間。球体を揺らせば雪に見立てたものがふわりと舞い二人の頭上に降り注ぎ、見る景色は人生にはラメが舞う瞬間がいつか訪れると約束されていた。

このスノードームは遠く離れた場所に住む恋人からの贈り物。
何でも持っている男に手作りのスノードームを贈ることを思い付いた女はクリスマスのプレゼントよと言ってニューヨークに住む男に送って来た。

だがそれはもう何年も前の話。胸の中で指を折り数えた年数は7年。
司が大学を卒業し重役として道明寺の経営に携わり始めた頃のこと。
そしてそれは長い間記憶の奥にしまったままでいた遠い日の想い出。
執務室のデスクの引き出しの奥深くに仕舞われ、長い間手を触れずにいたスノードームと同じで触れたくもあり触れずにいたいと思った記憶。
何故ならあの後、二人は別れることになったからだ。


司がその年のクリスマスプレゼントに恋人に贈ったのは革の手袋。
高価なジュエリーやバッグは要らないという恋人が喜んで身に着けてくれるものは何かと考えた時、頭に浮かんだのが革の手袋だった。
だが気に入った手袋はニューヨークの街にはなかった。
司が欲しいのは柔らかな革の手袋。デザインは飾りなどなくシンプルなもの。色は不自然に色が付けられたものではなくごく自然な色合い。そしてそれを手に入れたのは仕事で訪れたイタリアのローマ。小さな店で手に入れた革の手袋は、マホガニー色をしていて内側にはシルクが張られていた。


『いつか一緒にローマの街を歩こう。美味いジェラートの店を見つけた。』

そう言葉を添え贈った手袋。
だがその翌年の冬、二人は別れた。
理由は司自身の問題だった。それは実社会に出て間もない若者なら誰でも思うことだが、ビジネスだけに集中したい。それを成功させたい。
そんな思いが口を突いた。だがそれは二人の未来のため果たさなければならなかった母親であり社長との約束。
だが言葉を重ねれば重ねるだけ彼女を傷つけることを言ったはずだ。
そして電話口で言われたのは、「私がいると邪魔になる?」の言葉。
好きで好きでたまらなかった人の口からその言葉を言わせた自分は愚かだったとしか言えなかった。
離れた場所にいる彼女が邪魔になることなどなかった。
それなのにそう言わせてしまったのは、彼女が司の心の裡を察したと言える。

そして司はその時こう答えた。

「お前のせいじゃない。これは俺自身の問題だ」

それがこの世の中で一番大切に思っていた人と交わした最後の言葉だった。

そして彼女は大学を卒業し大手の出版社に就職した。今では月刊女性雑誌の副編集長をしているが、その雑誌から取材の申し込みが来た。
司は今まで女性雑誌のインタビューに応じたことはなかったが、今回は受けることにした。
それはかつてないことであり、彼の記事が載れば売れることは間違いなかった。
だが受けるに当たり条件を付けた。
インタビューは副編集長である牧野つくしがすること。
そして司は7年振りに牧野つくしに会うことを心待ちにしていた。




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