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2018
08.31

夏の終わりのハーモニー

しんと静まり返った離れの縁側に座った二人は小さな光の花を見つめていた。
それは自分を見つめ直す時間を持つことがない人間にとって貴重な時間。
火を点けたそれは大空に上がる大輪の花とは異なり撚られた紐の先に僅かな火薬がついている一番簡単な花火。
手元でパチパチと火花を散らす線香花火は、夏の終わりを飾るに相応しいと思えた。







「きれいね。でも線香花火って夏が終わる感じでなんだか物悲しいわね」

「そうか?こいつは小さな花火だが最後まで精一杯自分の花を咲かそうとしている。打ち上げ花火とは違って地味だが地面に近いところで綺麗な花を咲かしてるじゃねぇか」

「うん。でも線香花火って人生の最後の一瞬のように例えられるでしょ?最後にぱあっと燃えて終わる。私たちの人生の終わりもこの花火みたいに最後に輝きを放って終わるのかな?」

「どうだろうな。俺たちの人生は色々あっても最後は穏やかに終わりたいと思うがな」

「そうね。本当に色々あった。出会いからそうだったもの。ストーカーだし厭な男に目をつけられたって思ったわ」

「厭な男か…..確かにあの頃の俺はお前のことが気になり過ぎてどうしようもなかった。お前のすることが気になってどうしようもなかった。お前が欲しくて気持ちを抑えることが出来なかった。お前を手に入れる為ならどんなことでもするつもりでいた。だからお前と結婚出来たとき夢が叶ったと同時に未来を考えた。二人の未来をな。苦労させることもある。そう思った」



道明寺財閥の後継者とごく普通の女性の結婚は真っ直ぐな並木道を歩くように簡単にはいかなかった。道が曲がりくねったこともあった。色々なことがあった。だが時が過ぎたふたりは結婚して家庭を手に入れた。

そして2ヶ月に渡った海外生活から戻った夫は妻の言葉に苦笑いしていた。
彼が過ごした場所は季節が逆転した地球の裏側にある日本から一番遠い場所。
世田谷の土地を掘れば行くことが出来ると言われる国は冬でコートが必要だったが、地球を半周して戻ってきた場所は季節が移ろい夏が終ろうとしていた。


「それで?子供たちの夏休みはどうだった?」

夫が共に過ごすことが出来なかった夏休み。
二人の間には男の子がふたりいて、子供たちにとっては父親が出張で不在になることはしょっちゅうだったが、夏休みの2ヶ月まるまる居ないことは初めてだった。
そして今夜戻って来た夫は、久し振りに会った子供たちの寝顔を見ると、嬉しそうに目を細めた。

「夏休みはいつもと同じ。朝起きたら朝顔の水やりをして、それからラジオ体操をして朝食を食べる。その繰り返しの後に野菜の収穫をしたり、虫取りをしたり、プールで泳いだり、ひまわりの絵を描いたり、シアタールームで映画を見たり。そんな毎日を過ごしたわ。
あ、それから北軽井沢の別荘で星空を眺めたり川で魚を取ったりしたわね」

「そうか。相変らず金をかけずに過ごしたって訳か」

「当たり前じゃない。あの子たちはまだ幼稚舎よ。元気一杯で夜になれば一日にあったことを最初から最後まで話してママ明日は何をする?って眠る子供たちだもの。太陽の下で走り回ることが楽しいに決まってるでしょ?それに小さな頃は外で遊ぶことがあの子たちの仕事。それにあの子たちあたしに似て頭がいいから勉強はまだ先で充分。今は外で遊ぶことがあの子たちのすべきことよ」

父親が不在になれば母親が子供たちを楽しませることになるが、退屈な夏休みだなんて言わせなかった。それにお金をかけずに遊ぶことについては自信があった。
何しろ彼女自身がそうやって育ったのだから遊び方は幾らでも思いついた。
それに勉強するにはまだ早い。幼い子どもに英才教育だといっていた時代は夫だけで充分だと思っていた。そして好奇心旺盛な子供たちは、虫にしても植物にしても、目にしたもの手に触れたもの全てに興味をいだき、これは何?あれは何?と言って母親を質問攻めにする。
そして知り得たことをグングン吸収していき、子供の将来を期待して言われる『末は博士か大臣か』で言えば博士だと感じていた。


「それに今年の夏は蝉が多くてね。まるで庭にある木すべてに蝉がいるみたいに合唱するから煩いくらい。だから子供たちは蝉取りに夢中。かごの中が蝉だらけになったことがあったのよ?」

「蝉か?」

「そうよ。ミーンミーンって鳴くあの蝉よ。あ、ジージーっても鳴くわね?種類によって違うけどね?」

司は子供の頃、蝉取りをしたことがなかった。
庭で鳴く蝉という昆虫に興味がなかった。いや。興味がなかったというよりも、子供の頃の彼の夏休みと言えば毎日勉強をさせられていた。
細かく区切られたスケジュールで英語や算数、国語は勿論のことフランス語やドイツ語の勉強もさせられた。そしてピアノや絵画といったものを学び外で遊ぶ時間などなかった。外に出ると言えば夕方日が暮れた時間、バスケットゴールのバックボードに向かう時だけだった。それが幼かった彼に唯一許された自由時間。そこで無心になって球を投げ入れていた。

「それで?」

「ん?それでって何が?」

「お腹の中の子供はどうしてる?順調か?」

「もちろん。この子も早く出て来たいってお腹を蹴るから大変。多分お兄ちゃんたちの声が聞こえてるのよ。だから一緒に遊んでる気分なのよ。本当に凄い動くんだから」

「そうか。でも女の子なんだろ?」

「うん。女の子よ。とっても元気な女の子よ」

司が地球の裏側にいる間に大きさを増した妻のお腹にいるのは三番目の子供。
二人の男の子の親である彼が妻に似た女の子が欲しいと願ったからなのか。
赤ん坊が女の子だと分かると、思わず妻を抱き上げ回っていた。

「そうか。赤ん坊は元気か。それを訊いて安心した」

「安心したっていつもネット経由で見てたでしょ?」

「ああ。まあな」

地球の裏側とも簡単に繋がることが出来るのは、離れ離れになった夫婦にとって嬉しいことだが、毎晩服を脱ぎ大きなお腹をパソコンに向かって見せる女は恥ずかしかった。
けれど我が子から遠く離れた場所にいる夫のことを考えれば恥ずかしいとは言えなかった。
そして、離れていて寂しくない?と訊いたとき、

「家族がいるから強くなれる。離れた場所にいても家族が待っていると思えば寂しさは感じねぇな」

そう言って異国の地で頑張る夫の姿に早く帰って来て。会いたいと言う言葉は言えなかった。
実はつくしは寂しかった。子供たちがいても夫とは違うのだ。
だが2ヶ月振りに会った夫はいつもの夫で優しさが感じられた。
結婚して子供を持つまで夫が子煩悩だとは知らなかったが、新しい生命を産みだす瞬間。まさか立ち会いたいと言うとは思わなかった。だが男の子二人の時はその願いは叶わなかった。
そして間もなく生まれる我が子の誕生を待ちわびる男は、妻の三度目の出産に立ち会うつもりでいた。だから帰国するために無理をしたことは知っていた。



「おい、花火。終わるぞ」

「あ…….」

その声と同時に小さな赤い火の玉は消え地面に落ちた。


だが最後の輝きを放った線香花火がひと際の明るさが感じられたのは、傍に愛する人がいるからだろうか。
そして消えてしまった後の闇に残った火薬臭い煙は8月の終わりに相応しいと感じられたが、その臭いもすぐに消えた。

「風がひんやりして来た。中に入ろう」

空気が入れ替わって秋の気配を感じたのは、花火が消え風がひんやりと感じたからなのか。
いや。そうではない。季節は確実に移ろい夏の終わりはすぐそこまで来ているはずだ。
そして本格的な秋が訪れる頃、ふたりは新しい命が誕生するのを指折り数えて待つはずだ。

「立てるか?掴まれ」

「うん。ありがと」

縁側の椅子に腰を降ろしていた女は差し出された夫の手を取った。
その手から感じられる温もりはひとりでは味わえなかった暖かさ。
一度は離れた手を繋ぎ合わせた瞬間からもう二度と離さないと誓った優しい手。
離れた場所にいたとしても、その手はずっと繋がっていると分かっていたが、それでもこうして直接感じられる手のひらの温もりは、何も考えず感じることだけを信じればいいと言っていた。

「つくし。明日は俺とお前と子供たちだけで過ごそう。仕事はなんとでもなる。けどあいつらの夏休みはあと二日だ。一緒に蝉取りは出来なかったが、二日間はあいつらがやりたいことに付き合ってやるつもりだ」

静かに語られた言葉と大きなお腹に置かれた優しい手は我が子の誕生を待ちわびる父親の手。
その手の下で寝ている我が子はどんな夢を見ているのか。
きっと今日起きた事を思い出しているはずだ。パパが地球の裏側から戻って来てくれたことを歓びながら。











無機質な都会の明かりの中ではじける小さな光があるとすれば、それは夏の置き土産の線香花火。
夏の夜空を彩る花火とは違い手元を照らすその光は、すぐに消えることはなく二人の前でかわいらしい花を咲かせてくれたが、お腹にいる新しい命はどんな花を咲かせてくれるのか。
二人が奏でた愛のハーモニーが誕生するのはもう間もなくのこと。

そして、二人が去ったその場所では昼間は感じられなかった秋の虫が鳴いていた。






< 完 > *夏の終わりのハーモニー*

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2018
08.30

ご挨拶とお知らせ

皆様こんにちは。
大変ご無沙汰しております。前回のご挨拶は4月5日でしたので約5ヶ月振りのご挨拶となりますが、いかがお過ごしでしょうか。
そしていつも当ブログへお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

さて間もなく8月も終わりますが、皆様にとって今年の夏はどのような夏でしたでしょうか?
アカシアにとって今年の夏は例年以上に暑かったと感じております。外を歩いていると目眩がしそうになるほどの厳しい暑さでした。そして突然の雨や台風の多さに驚いた夏でした。
また、大きな災害に見舞われた地域にお住まいの方もいらっしゃると思います。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。


さて連載中は、いつも沢山の拍手。コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。
そして当ブログは8月1日で3周年を迎え4年目に入りましたが、ここまで続けることが出来たのも、ご訪問して下さる皆様のおかげです。どうもありがとうございました。

そして連載が終るといつも思うのは今後のことですが、暫くは連載ではなく短編や番外編をと考えております。
え?短編?シリアスですか?とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、う~ん(笑)なんとも申し上げにくいところですが、過去の短編の傾向からお察し下さい。
そしてお話しですが、趣味趣向に合わないと思われましたらお控え下さい。

早速ですが、明日は一話読み切りのお話しです。
8月の終わりにと思い書いてあったお話しですが、ご興味のある方はよろしければお読み下さいませ。
それでは皆様、まだまだ残暑が厳しいようです。お身体ご自愛下さいませ。
最後になりましたが、いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日が皆様にとって素敵な一日となりますように。



andante*アンダンテ*
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2018
08.29

出逢いは嵐のように 最終話

司は夜明け間近の時間に目が覚めた。
そして広いベッドの上で無意識に伸ばした手は、そこにいてもおかしくない人を探していたが、触れることは出来なかった。

邸に越してきた婚約者であるつくしは、ケジメだと言って正式に結婚するまで同じ部屋で寝ないと別の部屋で寝ているからだ。
司は目覚めている間傍にいて欲しいのは勿論だが、寝る時も隣にいて欲しかった。
だが彼女の堅い決心は、彼が何度言っても変わることがなく、こうして夜明け前に目覚め、シャワーを浴び着替えをすると、時間を持て余したように書斎に向かい書類に目を通していた。
本当なら書類を放り出して彼女の部屋へ向かいたいのだが、それが許されないのは、明日二人は結婚式を挙げるからだ。
つまりそんな理由から彼女の身体のあちこちに唇が散らされた状況では困るのだ。
だが離れ離れで寝る状況も今日で終わる。
そしてその日のうちに婚姻届けを提出し、晴れてふたりは夫婦となるのだが、仕事はどうするんだ?と訊いたとき、仕事はきちんとこなす。出向が終るまで道明寺で働くと言った。
つまり暫くは同じ会社で働く共働きということになるのだが、名前は旧姓を使うと言われたことは気に入らなかった。


「仕事と私生活は別だから」

と、言われたが、司は仕事と私生活が混同されても構わなかった。
だが彼女は違うようだ。職場に同じ名字の人がいたら困るでしょ?と言うのだが、どう考えても二人を間違える人間がいるとは思えず、ましてや二人が『別室』と呼ばれる「エネルギー事業部石油・ガス開発部」でそう一緒に過ごすことはないのだが、それでも旧姓の方がいいと譲らなかった。

確かに、仕事上旧姓を使う女性は増えていると言われるが、妻になった以上、同じ名字を名乗って欲しいのが本心だが、出向ははじめから1年と決められていて、すでに半年は過ぎたのだから牧野の名前で仕事をするのも僅かとなった。だからあと半年くらいならと彼女の意思を無視することは出来なかった。
それに名字が道明寺になると目立つということが一番頭にあるようだ。
別室のメンバーは別だが、他の部署。または外部とのやり取りでは牧野姓の方が仕事がしやすいと言う。

そしてこれから先の話になるが、夫となる司と時間と感情を共有して行く上で、道明寺一族のひとりになるということを強く意識している彼女は、これから学ぶべき事があるから、出向が終れば元の職場である滝川産業へ戻ることはなく仕事は辞めると言った。

それを訊いた社長の楓は、

「息子を支えてやって頂戴。30年後のあなたがどんな女性になっているか、わたくしは見る事はないけれど、司と生きていくことは色々なことがあると思うわ。当然今まで経験したことがないことを経験するはずよ。覚悟はいいかしら?もちろんわたしくしは全面的に協力をするわ。だから頑張りなさい」

と財閥後継者の妻として歩むことを決めた女に言った。
そして広大な邸の舵取りを任される女は、執事長に教えを乞うているようだ。



司は書類を読み終えると、書斎を出てダイニングルームへ向かった。
すると既にそこにはつくしがいて、窓際の小さな丸テーブルでコーヒーを飲んでいた。

「随分と早いな。何時に起きたんだ?」

「5時よ」

「そうか。眠れなかったのか?」

司は向かい側の席に腰を下ろした。

「うんうん….そんなことないんだけど、いよいよ明日かと思ったら色々考えちゃって…」

結婚を前にした女の気持を考える。
それは男にとって難しいことだが、司は彼なりに思っていることを伝えることにした。

「つくし。結婚は女にとっては一生の問題だろ?美奈は若いから勢いで結婚したようなものだが、俺達の場合は二人ともいい歳だ。だから俺たちは例え付き合った時間が短くても美奈のようにはならないはずだ。
俺はこれからの人生をお前と過ごしたい。一生お前を大切にする。
いいか。俺たちはこれから同じプールの中で泳ぐことになる。水が愛情だとすれば、俺はその水を常にいっぱい湛えていたい。もし何かの拍子に水が濁ればその水を素早く交換する。
愛情のプールの水は常に透き通った青い水で満たされていて、互いの想いが直ぐに伝わるようにする」

そこで司が一旦言葉を切ったのは、メイドが彼のためのコーヒーを運んで来たからだ。
司のお気に入りのコーヒーは、柔らかな口当たりがするブルーマウンテンだが今ではつくしも好きだと言っていた。

「ただそうは言っても新しい事を始める事に不安がないとは言えないはずだ。
それは俺でも感じることがある。いや、ビジネスに於いてはなかったが、結婚や家庭という言葉は俺の今までの人生では考えられなかった言葉だ。だが今はどっちの言葉も重要だ。
俺は牧野つくしと結婚して家庭を持ってお前を幸せにしてみせる。まあ、俺も時々子供みてぇなこともある。そんな男だがお前を絶対に幸せにするから安心しろ」

結婚式を翌日に控えた男から女への言葉は、どのように伝わったのか。
形として夫婦を始める準備を終えてはいたが、心はどうなのか。見えない心を探るではないが、思いを言葉にして欲しいと思うも言ってくれとは言えなかった。
だが思いは伝わった。つくしがテーブルの向うから手を伸ばしてきたのだ。
司は喜んでその手を握り返した。

「ありがとう。司」

短いその言葉と伸ばされた手に込められた意味は、それ以上の言葉を口にしなくても彼に伝わっていた。













結婚式はメープルのチャペルで親族と親しい友人たちが参列して執り行われたが、すでに両親が他界しているつくしの父親代わりを務めたのは、別室のメンバーの中で一番年上の財務担当の小島だった。


「まさか私のような人間が牧野さんのお父様の代わりを申し付かるとは思いませんでしたが、本当によろしいのでしょうか?」

つくしが小島に頼んだのは、ふたりの交際を温かく見守ってくれた別室のメンバーに対しての感謝の思いがあったからだ。
技術の田中。法務の沢田。そして紅一点経理の佐々木純子は二人の結婚を心から喜んでくれた。
そして副社長の意図を確実に汲み取り動くことが出来るメンバーは、プロジェクトが終れば元の部署に戻るが、いずれ優秀な部下として引き上げられ、あと10年経てば役員に昇格している人間もいるはずだ。
そうなるとその頃には副社長は社長としての辣腕を振るっているはずだ。だから今後は社長の右腕として働く人間もいるはずだ。

そしてつくしの弟は、姉から会って欲しい人がいる。結婚すると連絡を受け、義理の兄になるのがあの道明寺司だと知ったとき、まさかの思いと共に「ふつつかな姉ですが、よろしくお願いいたします」と言って頭を下げた。
そして再び長野から上京して来た弟は、今は亡き両親の写真を胸に抱き参列した。


司の姉の椿と娘の美奈は、二人の結婚で邸が賑やかになることを期待しているようだ。
特に美奈は、つくしのお腹に子供がいるか、いないのか。といったことに興味があるようだが、まだなの。と言えば「今夜から頑張って下さいね。叔父様なら一晩中でも大丈夫ですから」と言ったが、その言葉に頬が染まったのは言うまでもない。



後に行われた披露宴も親族と親しい友人たちが集まって世田谷の道明寺邸で行われたが、そろそろ終わりという時間になると、テーブルを離れた人々が三々五々かたまって話し始めていた。

マンションの隣の部屋に暮らしていた岡村恵子はレオンを連れて来ていいかと言ったが「もちろん」と答えた。するといつもの首輪の代わりに蝶ネクタイを付けたチワワのレオンは、久し振りに会うつくしに懸命に尻尾を振り、披露宴の間はゲージの中で大人しくしていた。

そして今は広い庭に放され、そこで同じように放されていたドーベルマンのゼウスに出会うと驚いた様子だったが、ドーベルマンが命令もなくいきない動物を襲うことはない。
そして、ゼウスも恐らく今まで見たことがない小さな動物に興味津々といった様子で近づくと、互いに鼻先を付け挨拶をしていた。

つくしはガラス越しに見えるその様子にくすりと笑った。
ドーベルマンとチワワは体格こそ違うが、年齢はレオンが上だ。
だからレオンは小さいながら僕の方が先輩だぞ、と堂々とした態度でゼウスに向き合っていた。

「あの二匹。まるで先輩と道明寺さんみたいですね?」

そう言ったのは桜子だ。

「ゼウスは大きな身体だけどチワワの小ささが可愛いと思ってますよ?それに対してチワワは小さいけどゼウスに対して対等と思ってますね。ほら見て下さいよ。チワワの後ろをついて歩くドーベルマンの姿を。あんなドーベルマンいませんよ?あれじゃあまるでゼウスも愛玩犬ですね?」

元来ドーベルマンは獰猛な番犬で、唇をめくりあげると恐ろしい顔になる。
鋭い牙で人に噛みつけば大怪我をさせることが出来る。相手が動物なら息の根を止めることが出来る。それほど凶暴さを持つ犬だが、今のゼウスは芝の上を意気揚々と歩くレオンの後を付いて行く育ち過ぎた愛玩犬のように見えた。
だがその姿は、ゼウスはレオンを守っている。そして広い庭で迷子にならないようにガードしているということだ。

「本当ね。でもレオンはゼウスよりうんと小さいけど、どちらが犬としても先輩か言ったのね?それにゼウスはレオンを守ってるのよ」

「だからそれが先輩と道明寺副社長なんですよ。道明寺副社長にすれば、先輩はチワワみたいなものですよ。ウルウルした黒い大きな瞳で見つめれば何でも願いを叶えてくれますよ。だって式の時の道明寺副社長の顔。引き締まって見えましたけど心の中じゃデレデレですよ」

「誰がデレデレだって?」

後ろから聞こえた低い声は、噂されていた張本人だ。

「誰ってお前の事だろ。司」

もうひとりの声はあきらだ。
そして総二郎も傍に来ると口を開いた。

「あきらの言う通りだ。式の間のお前の顔は、間違いなく感動してた。それに心の中は愛で溢れてますって顔をしてた。ま、それだけ幸せってことだろうが、副社長たるものひと前で甘い顔を見せるのは止めろよ。でないと大勢の女たちが勘違いするからな」

道明寺司結婚というニュースは広報から発表があった。
そして相手は同じ会社の社員でひとつ年下ということしか明らかにされなかったが、どこかの週刊誌が記事を載せるはずだ。だがそれは一社独占という形で取材を許した。そうすることが過剰な取材を牽制することになるからだ。

「いいんじゃない?司が奥さん以外に甘い顔を見せても。その時は俺が奥さんを慰めるから」

総二郎に続いて口を開いたのは類だ。

「類…..お前は何言ってんだよ!まったく変なところで口の減らない男だな」

あきらは、この場に及んで類は何を言い出すのかという思いでいた。
そして、まさかやめてくれ。ここで一触即発かといった思いだった。

「嘘だよ。冗談に決まってるだろ。結婚式当日に夫が花嫁に甘い顔するのは当然だ。そうじゃなかったら男として変だろ?でもどうせ二人っきりの時は甘い顔どころじゃないと思うけどね」

と言った類は顔を赤く染めた花嫁のつくしに視線を向けたが、それだけでそこにいる誰もが、やっぱりな。といった思いを抱いたのは言うまでもない。

「当たり前だろうが。それにな。二人だけの時間は誰にも邪魔させねぇ。お前らも休みだからって気軽に来るな。遠慮しろ」

その言葉に一番に反応したのは類だ。

「分かってるよ。俺だってせっかくかわいい人を見つけたと思ったらもう結婚しちゃったんだからね。失恋だよ、失恋。ま、でも二人が幸せになることを祈ってるよ」

冗談が冗談に聞こえにくいのが類の言葉だ。
だからいつも揉めるのは、類の言葉が発端だ。だがどうやら類は彼なりの言葉で祝福をしているようだ。
そして司と類のやりとりは、いつもこんな調子なのだから、あきらも慌てる必要はないのだが、悲しいかな。それがあきらの性格なのだから仕方なかった。






やがてそこにいた全員が帰れば、これからは本当に二人だけの時間。
同じ名字になり、同じ家で暮らす。
結婚すればごく当たり前にすることだが、はじめは戸惑うものだ。
二人は新たな人生のスタートラインに立っていたが、これから二人が踏み出す一歩はどんな一歩になるのか。
そしてそこは、司がひとり寝の身体を持て余していた東の角部屋の前。
その扉の前で「奥さんよろしくな。心の底から愛してる」と言って頭を寄せ唇にキスをした男は妻になった女性の手を取ったが、全てを見透かすような目でつくしが司を見た。
「こちらこそよろしくね。旦那様。私も愛してるわ」
ふたりは微笑みを交し、目には見えない扉の向うにある新たな未来に向かって歩きはじめていた。




< 完 >

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本日で完結となります。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
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2018
08.27

出逢いは嵐のように 99

かつてF4と呼ばれ、つるんでいることが多かった4人の男たちも、大人になると全員揃うことは滅多になく、中でも司と類と総二郎の3人が一同に顔を揃えるのは1年振りで、こうして集まったのは、司の婚約を祝うためで、相手の女性を紹介してもらうためだった。



「よう。司!お前いつの間に結婚することに決めたんだよ?俺には一言も相談なしじゃ寂しいだろ?」

「寂しいも何もお前に相談する必要があるか?」

司にしてみれば誰と結婚しようが相談するもなにもないのだが、総二郎は我が身のことはさておき、この日の主役に訊いた。

「いや。あるとは言えねぇが、いきなりってのはどうなんだ?それにあきらが知ってて俺が後になるってのが不平等を感じる。俺らは仲間だろ?幼馴染みだろ?色んなものを分け合ってきた仲だ。もっと早く知らせてくれての良かったんじゃねぇの?でもまあ仕方ねぇか。俺は殆ど日本に居なかったんだし、今の俺たちはそれぞれに置かれた立場が違う。昔のようにいかねぇのは理解してるつもりだ。それに仲間の中で俺だけが一般的な社会とは違う立ち位置にいるってことは分かってるつもりだ」

総二郎はそう言ってから司の隣に腰を下ろしたつくしに挨拶をした。

「はじめまして。俺は西門総二郎。茶道西門流の次期家元。つまり只今家元修行中の身。趣味はお茶を点てる事と言いたいが、女性と旨い酒を飲むこと。それからたまにだが野生動物の観察。司とは物心ついた頃からずっと一緒にいたから兄弟みたいなモンかな?ま、そんなことでよろしく」

と楽しそうに喋った。
そして次に口を開いた類は、「君が牧野さん?」と、司の隣にいるのだから改めて問いかける必要もないはずだが、そう言ってつくしをじっと見つめ、「俺たちどこかで会ったことがある?」とまるで知り合いのような口を利くのだから司がムッとした顔をしたのは言うまでもない。

「類。いい加減にしろ。司の顔を見ろ。青筋立ってんぞ。彼女は司が遊びで付き合ってる女じゃない。婚約者だ。そんな口を利くな。失礼だろ」

あきらは、ほら見ろ。類は司の事となるといつもこの調子だ。といった表情を浮かべ総二郎を見た。
そしてムッとした表情を浮かべた司は、つくしの肩に腕を回し警戒心丸出した。

「だってさ、アフリカから戻ったばっかりなのに呼び出されてさ。おまけに訊けば俺が日本を離れる半年前。司の会社と争ってた入札の件。取られてるしさ。そのうえ司にはもったいないようなかわいい人が婚約者だなんて不公平だよ」

もったいないようなかわいい人。
35歳の女に対しそんな言葉を平気で口にすることが出来る類は、限りなく天然なところがあるが、話す言葉が率直な分だけ嘘がない男だと言われていた。
だからあきらも総二郎も類の言葉には一目を置いていたが、まさか自分達と同世代の女に対しそんな言葉が使えるとは思わなかった。何しろ二人が知る類は女に対しストイックな考えを持ち、そんじょそこらの女に気持ちが動かされることはなく好みが煩い。
それが司の婚約者に対して、やけに親しげに接する様子は今までの類には見られなかった態度だ。

そして、親友だからこそそれに気づいた司は、類の顔を見据えた。

「類。言っとくがな。つくしは俺のものだ。こいつは俺が見つけた女だ。お前、人のものを欲しがる前に悔しかったらつくしのようなかわいい女を手に入れてみろ」

司は類に言葉を返したが、その言い方は幼い子どもの「悔しかったらここまでおいで」と言わんばかりの言い方だ。
そして「人のものを欲しがる」のパターンになると必ず持ち出される昔ばなしがあった。

「司。言わせてもらうけど幼稚舎の頃。お前俺のテディベア隠したろ。あれはお前が俺のものを取ったんだぞ?あの時俺がどれだけ悲しかったかお前分かってんのか?」

あきらも総二郎も知るその事件。
類の熊が姿を消したのは、随分と昔の話だ。

「そんなもん知らねぇよ!だいたい男のくせに熊のぬいぐるみを友達にしてる方がおかしいんだよ!友達なら俺らがいただろうが。それなのにお前は熊の__なんて名前だが忘れたがその熊に話しかけてたろうが。熊に話す前に俺らに話せばいいだろうが!」

「テディだよ。あの熊の名前はテディ」

類は小さな声で熊の名前を呟くと、ここで言わなくていつ言えばいいんだとばかりに口を開いた。

「司。お前がそこまで言うなら言わせてもらうよ。お前だってウサギのぬいぐるみ持ってたよな?白いウサギのぬいぐるみ。あれはなんだよ?俺知ってるよ。いつだったがお前の家に遊びに行ったとき、ベッドの上。枕元に置かれてたのを見たからね。司だってあのウサギに名前付けてたんだろ?話しかけてたんだろ?」

「あ、あれは姉ちゃんのだ。姉ちゃんが俺の部屋に忘れてったんだ!」

実は司も母親からもらったウサギのぬいぐるみを大切にしていた事があった。
類はそれを見たのだ。

「ふぅん。あのウサギ姉ちゃんのウサギ?それなら俺これから姉ちゃんに電話して聞いてやるよ。司の部屋のベッドの上に白いウサギを忘れましたかって。姉ちゃんは記憶力がいいから絶対に覚えてるはずだ。それに大体姉ちゃんは白いウサギのぬいぐるみを持つようなタイプじゃないし、アレは絶対に司のだよ」

「うるせぇな….違うって言ってんだろうが!」

「何そんなにムキになってんだよ。違うなら俺が姉ちゃんに電話しても問題ないよな?」

類はそう言うと携帯電話を取り出しおもむろに電話をかけようとした。

「おい。お前らいい加減にしろ!遠い昔の話を蒸し返すのは止めろ。だいたい類もしつこいぞ。熊のぬいぐるみの件はとっくの昔に話しがついてるだろ?司も謝ったんだし類も許しただろ?それを今更何大人げないことやってんだよ。ごめんな。つくしちゃん。こいつら本当はすげぇ仲がいいんだが、ちょっとした弾みで時にこんな状況に陥ることがあるが気にしないでくれ。兄弟喧嘩だと思ってくれ。こいつら仲がいいほど喧嘩するってパターンだ」

あきらは、やっぱり仲介役は俺だといった思いと、この役回りは総二郎では無理だといった思いを持っていたが、いい年をした大人の男のどうでもいい喧嘩を見ることになった女はこれから先もずっとこの状況に付き合うことになるとは思いもしないはずだ。
だがそれは別として、牧野つくしが類から好意を持たれた状況を確認出来たことは好ましいことだと感じていた。
何故なら類の洞察力と直感力の鋭さは誰もが知ることで、類が認めた女なら悪い女じゃない。
それにあきらも認めた。そして総二郎も認めているのが分かった。

そして当のつくしは、この状況に「子供の喧嘩みたい」と呟いたがまさしくそうだ。

「あの皆さん。今日は私たちのためにお忙しいところを集まって下さってありがとうございます。花沢さんアフリカから帰国したばかりでお疲れですよね。それなにありがとうございます」

と、つくしが頭を下げると、

「いいんだ。俺は君に会う前から気が合いそうな気がしてた。本当楽しみにしてたんだ。だから気にしないで。ただこの日を選んだ司に文句が言いたいけどね」

「類!止めろって。司を煽るな!」

あきらの言葉に類は何食わぬ顔をしているが、司は明らかに怒りを抑えている表情をしていた。
そしてそんな男を尻目に言葉を継いだのはつくしだ。

「皆さんが仲がいいことは分かりました。子供の頃から今まで仲がいいということは、とても貴重なことだと思います。友情は短い期間で成り立つものではありません。皆さんのように率直な言葉が言える関係は大切だと思います」

「そうだよな。つくしちゃん。俺もそう思う。だから今後も俺ら4人のこと、よろしく頼むわな。こう見えて俺ら結構子供だからな」

「総二郎!それにあきらもお前らどさくさに紛れてこいつのことつくしちゃんって呼んだよな?いいか?人の嫁を軽々しく名前で呼ぶんじゃねぇよ!」

「いいじゃん。名前を呼ぶくらい。それにまだ結婚してないんだから嫁じゃないよね?全く司はひと前では大人ぶってるけど、そういったところは子供だよ。クールで通ってる男も好きな女の前じゃ簡単に子供に戻るんだからその姿を世間に見せてやりたいよ」

そんな類の言葉に笑ったのはつくしだ。
4人の男たちは、予想外の彼女の反応に驚いた。
なぜなら大抵の女は男どもが揉めることを嫌がる。止めてと言う。
だが彼女は笑っていた。
そして彼女の笑いにつられたのは、あきら。そして総二郎。
二人は道明寺司という男が愛する女のために自分のライフスタイルを変えた理由を知った。
それは牧野つくしと一緒にいる司が、まだ彼らがF4と呼ばれる前の少年の心を持つ男に戻るからだ。
負けず嫌いで、意地っ張りで、それでいてひとりでいることが厭だった子供に。
そしてそれは、誰にも見せたことがない心の奥を彼女に見せているということだが、そこに行き着くまでの一歩を踏み出すまでは、何かがあったはずだが、それは他人が知る必要はない。
そして牧野つくしの笑いはやがて類の顔に笑みを浮かべさせ、司の頬が緩むのを許していた。

「つくし。類は冗談がキツイ男だが、言ってることは正しい。人とは違った観点で物事を見る男だ。だから信頼していいぞ」

「そうだ。俺たちのことも信頼してくれ。それに俺たちの友情ってのは硬い絆で結ばれてる。絶対に切れることはねぇな。そうだろ総二郎」

「そうだ。俺たちの絆は鋼の絆って感じだ」

「でも俺」類がいたずらっぽく笑った。
「どうせなら司と出会う前の牧野つくしと赤い絆で結ばれたかった」














あれからつくしは、司の親友たちから訊かれるままに、自分のことを語っていたような気がしていた。
そして楽しかった時間はあっという間に過ぎたが、つくしが彼女への興味を隠そうとしない花沢類と話し始めると、司の機嫌が悪くなるのは、これからもきっとそうだと分かった。
つまりそれはつくしが花沢類に取れるかもしれないと考えているからだ。

「何笑ってんだ?」

「え?」

「だから何をひとりで笑ってる?」

「別に」

「いや。絶対何か考えてる。それも俺以外のことを」

車の中で隣に座った男は、そう言ってつくしの考えていることを読もうとしていた。
そして司の熱い眼差しは、じっと彼女を見つめるが、つくしはほほ笑みでその視線を受け止めた。
そんな女の手を取って引き寄せながら、司は言った。

「愛してる。つくし」

そして熱いキスをした。





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2018
08.26

出逢いは嵐のように 98

六本木の街は人で溢れていたが、彼らが若い頃から足を運んでいた会員制のバーは大通りの喧騒から離れた場所にあり静かだった。
だがそれもそのはずだ。今夜のそこは貸し切りだったのだから。








「それにしても司が結婚を決めるとはな」

「そうだろ?アイツ。ミイラ取りがミイラになったってパターンだぞ?姪の美奈ちゃん絡みで女を落としにかかったら、逆にアイツが落とされた。って言うか自ら落ちたっていった方が正しいな。それにはじめの頃彼女は司に興味がなかった。それどころか迷惑だったらしいからな」

「なるほどな。それにしてもそんな面白い話、どうして教えてくれなかった?女に不自由したことがない男が自分に振り向かない女に苦悩する姿っての。見たかったな」

「いや。俺もお前に教えてやろうと思ったんだぞ?けどお前は殆ど日本に居ねぇし、ここんとこ忙しいってのが口癖だったろ?茶の湯を世界に広めるのは文化交流の一環だ。日本のわびさびを一番理解出来るのは茶の湯だって張り切って行ったじゃねぇか。南米に」

「まあな。それにしてもブラジルは遠かった」

しみじみと言った総二郎は、この半年の間に南米各国での茶道普及のため出たり入ったりを繰り返していた。
そしてついでとは言っては何だが南アメリカ大陸のほぼ中央に位置し、ブラジル、パラグアイ、ボリビアの3国にまたがる世界最大の湿地帯パンタナール大湿原へと足を運んでいた。

実は総二郎は野生動物を見るのが好きだ。
ゆったりとした自然環境の中で何の制約もなく過ごす彼らの姿が好きだ。それは自分が古いしきたりがある世界に身を置くことから、その反動なのかもしれないが、とにかく時に大自然の中に身を置くことでリフレッシュすることが出来た。そして南米のグラマラスな美女とのアバンチュールも楽しんでいた。

「それで相手の牧野つくしってどんな女性だ?」

「俺たちよりひとつ下。背はうちの妹たちより低い。目がデカくて黒々とした髪。胸は小さめか?今まで司が付き合ってた女とは全く違うタイプの人間だ。基本真面目人間だが面白いところもあるぞ。他に言えば.......そうだな…..そうだ!犬に好かれるな。犬好きがする顔って女だ。だから司も好きになったんじゃねぇかって思う。何しろアイツ犬みてぇな所があったからな」

あきらはひとしきり喋った後、喉を潤すようにウィスキーの入ったグラスを傾けた。

「言うなあきら。でもアイツ確かにそんな所があったよな。アイツはガキの頃、姉ちゃんの後ばかり追いかけていたな。だからいつだったかシスコン司って言ったらアイツ。俺のこと殴りやがった」

幼馴染みの男達は、兄弟同然に育ったこともあって、気心が知れていた。
だから彼らの間では言いたいことをそのまま口に出したところで誰も怒りはしない。
それに諍いがあったとしても、それは終われば水に流すことが出来た。


「でもさ。司の相手をするくらいだから芯が通った女性なんじゃない?」

「類?お前起きてたのか?」

「起きてるよ。惰眠を貪ってたのは遠い昔の話だ。時差にやられてるけどね」

「だよな。お前はアフリカから戻って来たんだよな?」

「ナイロビにいた。ケニアだよ。キリマンジャロから北に200キロほどの所にね」

「ナイロビ支店か?けど物産はエジプトと南アフリカにも支店があったよな?それなのにナイロビにも支店か?お前の所もコーヒー豆を扱うのか?」

アフリカ最高峰のキリマンジャロの名はコーヒーで有名だが、美作商事は食品輸入の分野では秀でていると言われ、最近ではスコットランドからスコッチウィスキーの輸入を始めていたが、コーヒー豆の買い付けを社命とする部門も持っていた。

「違うよ。ナイロビは東アフリカの中心都市だし国際機関の本部もあるしカイロ、ヨハネスブルグに次ぐアフリカ第三の都会だからね。拠点が必要なんだ」

「そうか。物産はアフリカに力を入れるってことか?」

「まあね。あんまり詳しく言えないけどね。あの街で物産の新しい支店を開設することが俺の役目。でもそれも無事終わった」

類はそう言って横たわっていたソファから身体を起し、テーブルの上に置かれていたアイスペールを引き寄せ自ら水割りを作り始めた。

「詳しく言えないか….分かってるって。俺たちは友達だがビジネスではライバルな面もある。協力することもあれば、そうでもないこともあるからな」

あきらは類がグラスを口に運ぶ姿を見ながら昔を思い出していた。
類は仲間以外の人間とは口を利かない、透明な瞳で静かに他人を見つめるような子供だった。だが今は違う。花沢物産の後継者としてビジネスをこなし、時にあきらが気圧されることもあった。その類はアフリカから帰国して来たばかりで、日に焼けて精悍な顔つきになりワイルドさが感じられる男になっていたが、それでも品の良さは身体から滲み出ていた。

「ねえ。それでその牧野って女性。あの司が好きになったんだよね?俺さ。アフリカから戻ったばかりだから想像するのは猛獣使いなんだけど?やっぱり彼女は猛獣使い?」

「ああ。言われてみればそうかもな。何しろ彼女は司の家の番犬のドーベルマンに懐かれてる。
今じゃ司とその犬で彼女を取り合ってる感がある。ま、そうは言っても相手は犬だ。司は言うなればライオンで犬に負けることはないがな。それにしてもあの二人は面白れぇぞ。
世田谷の邸で集まったことがあったんだが彼女、いきなり走り出してそれを司が追いかけて、その二人に犬が絡んだことがあった。司はな、犬を使って彼女を追いかけさせた。
それにはじめこそ司の方が偉そうだったが、今じゃ対等だ。まあ、そんな女じゃなきゃ司も好きにならなかっただろうよ。けどあの二人は全くタイプが違う。彼女は石橋を叩くように考えるが、司は行動派だ。おそらく趣味も全く違うはずだがそれがちょっと心配だな。夫婦が同じ趣味ってのが楽といやぁ楽だからな」

あきらは、3人の中では一番気遣いが出来る男だと言われていた。
そしてあきらは3人の中で一番司のことを理解しているという自負がある。
だから自分なりの考えを述べたが他の二人は違う意見のようだ。

「ふぅん。でもさ。司も相手がイエスマンじゃ嫌だろ。
もし仮に見合いでもして結婚相手が司の言うことに逆らわない従順なお嬢様だったら家庭内別居になると思うな。それに趣味が全く違う二人なら趣味が倍になったと思えばいいんじゃない?だって司も彼女が今までのタイプとは全く違うから惹かれたんだろ?」

「あ。俺もそう思う。アイツは水瓶座の男だ。大胆な恋をする星座だ。少しくらい波風が立ったとしても、どうせ最後に折れるのはアイツだろ?」

類や総二郎の言うことがもっとものように聞こえるのは、もし自分たちの相手が意志を持たないお飾り人形のような女ならつまらない人生になることは間違いないと思うからだ。

「それにしても面白そうだ。早く会ってみたいけど、今夜来るのは司だけだよね?俺さ。彼女に会ったことはないけど、なんだか気が合いそうな気がする」

「いや。彼女も来るそうだ。それから類。お前司の前でそんなこと言うなよ。アイツは彼女のことになればそれこそドーベルマン並に鼻が利くから噛みつかれるぞ?」

「平気だよ。司に噛みつかれるのは慣れてるし」

「おい類。冗談はさておき、マジでそんなこと言うなよな。この年になって女のことで揉めるのは勘弁してくれ」

昔から仲間内で何かあれば、あきらが仲介役として間に入っていたが、さすがに大人になってからそういったこともなかっただけに、まさか30過ぎてのその状況だけは勘弁して欲しかった。

「あきら。心配するな。類は冗談を言っただけだ。マジで司の婚約者に手を出すわけねぇだろ?それに噂をすればだぞ!おい司!ここだ!」





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2018
08.25

出逢いは嵐のように 97

「それにしても恋愛についてはマイペースだった先輩が早々に結婚を決めたなんて、何かあったんですか?もしかして妊娠したんですか?」

「ま、まさか。違うわよ」

「え?違うんですか?私はてっきりそうだとばかり思っていました。だって道明寺副社長のことですから野性味溢れる愛し方をされるはずです。あの肉体を浴びせかけられたらひとたまりもありません。でも私は道明寺副社長の裸を見たことがありませんから細かいことまで分かりませんが、それでも服の上からでも十分分かります。凄いんでしょね、きっと」

桜子の頭の中に描かれている道明寺司の裸がどんなものか分からなかったが、つくしは知っている。だから桜子の言葉に思い出したように顔が赤くなるのは今更だ。
そして桜子は、そんなつくしの態度にやはり今更といった表情を浮かべ部屋の片づけを手伝っていた。

「それにしても本当にいいんですか?このマンション手放しちゃって。ここを手放すってことは退路を断つってことですよ?それにローンが残っていても道明寺さんに言えば払ってくれますよ。ここはいざという時の為に持っておけばいいんじゃないですか?道明寺さんにすればここのローンなんて小遣い程度の金額ですよね?それともいっそのことこのマンションごと買ってもらったらどうですか?ここを先輩の名義にして家賃収入を自分の小遣いにする。マンションのオーナーって憧れますよね?」

桜子の話を訊きながら部屋の片づけをする女は笑ったが、このマンションを棟ごと買い取ろうという話しは実際に出ていた。
だがつくしは断った。
そして住所を一緒にしようという言葉に、どこに住むのと問えば、ペントハウスではなく世田谷のお邸だと訊かされた。

長い間、主が不在だったお邸に人の暮らしが戻る。
大勢いる使用人たちは主が花嫁を連れて移り住むことを喜んだ。
そしてそのことを一番喜んだのはドーベルマン犬のゼウスだ。
少しずつ荷物を運んではゼウスの頭を撫でて帰るつくしが引っ越して来ることを話すと、まるで人間の言葉が分かるのか。嬉しそうに吠えた。
そしてある日、荷物を運び終えいつものようにゼウスに会って帰ろうとした時、ワンと吠える声がして視線をそちらに向ければ、前方からゼウスがつくしに向かってまっしぐらに走って来て飛びついたのだ。

「牧野様!大丈夫ですか?申し訳ございません!リードを付けようとしたんですが、いきなり走り出してしまいました」

ゼウスと同じ方向から慌てて走って来た男性は、邸の警備員で犬の世話をしている。
そしてその男性はゼウスを引き離そうとしたが、芝の上に倒れたつくしの上ではしゃぐ犬は、彼女の顔を舐め回していた。ゼウスに顔を舐められるのは、バーベキューパーティーの時以来だが、今もあの時と同じで顔をべちょべちょにされていた。

「ゼウス!離れるんだ!」

男性が命令しても離れようとしない犬はまだ子供だと言われるが、身体の大きさは成犬のドーベルマンで、チワワに飛びかかられても倒れはしないが、さすがに大きなドーベルマンに飛びかかられればひとたまりもなかった。それにゼウスにしてみれば嬉しさの表現なのだろう。だから少しの間ゼウスの気持を受け止めたがさすがに重かった。

「ほらゼウス!そろそろ降りて!重いのよ、ゼウス!」

つくしの言葉を理解出来るなら降りてもよさそうなものだが、ゼウスはつくしの上から降りようとはしなかった。

「お前ら何やってんだ?って言うかお前らまたか?」

「司!?」

後方の頭の上から聞こえた声はこの邸の主でつくしの婚約者だ。

「ゼウス止めろ。離れるんだ。この女はお前の女じゃない。こいつを舐め回していいのは俺だけだ。それにしてもこいつは自分を人間だと勘違いしてる節がある」

ゼウスは飼い主が誰であるか分かっていて、司の命令に従うとつくしの上から降り、彼女のすぐ傍に座った。そして司の手を借り立ち上ったつくしはゼウスの頭を撫でた。

「おい。ゼウスを連れて行け。それからちゃんと繋いでおけ。まったくこいつはつくしの事になると目の色が変わるな」

だがそう言ったが司もつくしの事となると目の色が変わると言われるほど彼女のことが気になっていた。
そして首輪に革のリードを付けられたゼウスは警備員に引っ張られたが、その場を動こうとはしなかった。

それを見ていたつくしは、ゼウスがチワワのレオンのように上目遣いに見つめる姿に甘えたところと切なさを感じた。と同時に頑固で一筋縄ではいかない犬だと思った。
だがドーベルマンは使役犬で人の為に働く犬だがゼウスはつくしの為だけに働くつもりなのか。いつも世話をしてくれている警備員が何度リードを引っ張っても頑として動こうとはしなかった。


そして司と付き合い始めて分かったのだが、彼は頑固でゼウスに似ているところがある。
それにゼウスがやたらと鼻を押し付けてくるのと同じで彼もやたらとつくしに触れたがる。
だがそれは愛する者同士なら許されることなのだが、過剰な愛情表現といったものに慣れていない女は戸惑いを通り越して恥ずかしい思いがしていた。


たとえば、二人でパーテイーへ参加する。

「こちらの女性は私の婚約者です」といって紹介するのはいいのだが、その後つくしの手を取って甲にキスをする。その行為は知り合った頃にされたことがあったが、あれは美奈に頼まれたことを実行するためにしていたと思ったが、ごく自然に出る行為に照れてしまう。
それに、愛を語り合うのに場所は関係ないと言ってキスをしようとするが、ここではちょっと、と言うと不機嫌な顔になり、いい年をした大人が子供のようだと感じることもあるが、それがつくしの前だけに見せる顔なら、心を許した今ではごく当たり前に受け止めることが出来た。


「司。ゼウスももう少しここにいていいでしょ?この子は私のことを守るつもりでいるんだもの。そうよね?ゼウス?」

つくしのその言葉に嬉しそうに尻尾を振るゼウスは口を開け、笑ったような顔をした。

「ああ。分かった。分かった。こいつはお前と出会ってから自分の仕事は俺じゃなくてお前を守ることだと決めたようだな」

犬の嬉しそうな顔に呆れたように言う男は、警備員に手を差し出しリードを受け取った。

「仕方ねぇな。ま、いいか。こいつは一応俺を飼い主だと認識してる。それに守るべき相手がひとりからふたりに増えたところでゼウスはやってくれるだろうよ」

その言葉にドーベルマンはワンと吠えたが、それは勿論といった意味が込められているはずだ。

そして司の手に握られたリードはピンと張られるほど前を歩くドーベルマンに繋がっているが、結婚を承諾してもらえた男は自分の首に首輪が嵌められても構わないと考えていることに苦笑していた。





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2018
08.24

出逢いは嵐のように 96

楓の背後の大きな窓の向うに広がるのは東京の空。
地上55階からの眺めはひしめくビルしか見えなかったが、その景色はニューヨークとさして変わらず、巨大都市というものはどの国も同じだ。
日本は祖国だが多国籍企業である道明寺ホールディングスはニューヨークに本社を置くことから、生活の基盤はアメリカにあった。そして息子もつい数年前までニューヨークで暮らしていたが、二人は親子である以前に社長と副社長という立場に徹していたことから必要以上の会話もなく、息子がニューヨーク郊外の道明寺邸を訪れることは殆ど無かった。

楓の仕事は企業を経営することであってゴシップに耳を傾けることではない。
だが息子がニューヨークで暮らしていた頃、女性問題でタブロイド紙を賑わせたことがあった。企業経営に携わる人間にすれば、後継者である息子がビジネス以外のことで世間を騒がせることをスキャンダラスと思うのはどの親も同じはずで、楓もそういった類の記事はいい気がしなかった。だが日本に居を移してから、そんな話しを訊くこともなかった。
そしてそのことを喜ばしいと思うと同時に、ここ数年は結婚への道は遠のいたのではないかと感じていた。

楓は目的とヴィジョンを描き病に倒れ亡くなった夫から受け継いだ道明寺を発展させてきた。
そしてそれは息子に受け継がれようとしているが、30を過ぎても結婚しようとしない我が子の将来を考える親は世の中に多いはずだ。
もしかすると一生独身でいるのか。だがそれでは困るのだ。会社を継ぐ人間が欲しいのは経営者なら誰もが思うこと。だから息子が結婚を前提に真剣に付き合っている女性がいると訊かされその女性に会いたくなった。息子が選んだ女性はどんな女性なのか。提出された調査書に並んだ文字だけでは分からないことを知ることを楽しみにしていた。
そして我が子と一緒に楓の前に現れた女性は、扉の前で頭を下げたが、隣にいる息子は表情を変えずに楓を見ていた。





「牧野さん。そんなに緊張しなくてもいいのよ。あなたの事は椿や美奈から訊いているわ。孫夫婦の家庭の問題に巻き込んでしまったことは大変申し訳なく思っています。それから美奈のことを許してくれたこと。あなたは心が広いのね?それに司が関係していたことも訊いたわ」

椿と美奈がどこまで話したか分からなかったが、そう言われた司は一瞬きまりが悪そうな顔をしていた。
そして「どうぞ。こちらへ」と楓に促されたつくしは、部屋の中央に置かれた応接セットのソファに腰を下ろし、隣には司が座った。


つくしは恋人の母親に会うことに躊躇いはなかった。
何しろ隣に座った男性は目の前にいる女性の子供だ。
好きな人を産んでくれた女性に敬意を払うことはあっても嫌いになる理由はなかった。
だがその女性は恋人の母親であると同時に、道明寺ホールディングスの社長でただの母親ではない。
何しろ笑ったことがない鉄の女と言われ、人に頭を下げたことがないと言われる女性は企業の経営者として厳しい人だと訊いている。そしてこの対面が息子の恋人が我が子に相応しいかどうか見極めるためだということを理解しているが、結婚を前提に付き合いをしている男女が、いい年をしていたとしても、親にとってはいつまでも子供であることに変わりなく、いくら自分達の判断で結婚出来る年齢だとしても家族になる以上勝手なことをするつもりはなかった。
それに恋人の母親に認められたいという思いがあった。
だが目の前の女性は物腰には迫力が備わっていて、母親というよりも社長然とした態度の方が強く出ているのだから緊張していた。
そしてその緊張は伝わっているはずだと思いながら呼ばれた立場のつくしは相手が口を開くのを待っていた。


「牧野さん。あなたは結婚を前提に息子と付き合っていると訊きました。
でもそれは息子の思いであなたはそうではないかもしれないわね?」

楓はつくしを見ていたが、言葉はつくしに向けられたものではなく司に向けられたものだ。
だがつくしは決してそうではない。自分も彼と結婚したいのだと口を開こうとしたが、つくしが口を開く前に楓が言った。

「司。結婚は自分が変わらなければ誰としても同じよ。あなたはそれを分かっているのかしら?今まで自分の思い通りに生きて来たあなたが自分を変えることが出来るのかしら?
それに結婚はビジネスと違って相手を自分の思い通りに動かすことではないわ。ある意味違う自分を見つけることよ。あなたはそれを見つけることが出来たのかしら?」

楓が我が子に言ったその言葉は、自分自身に言っているようにも思えたのは気のせいか。
だが司は椿が言った『今の私たちの母親は昔とは少し違うわね。あの人も年を取ったもの』の言葉を思い出していた。

そして司は口に出す言葉で母親に自分の思いを伝えた。

「人間にはどんなに後悔しても後悔しきれないこともある。もしあの時こうしていたら。そんなことを思う瞬間もあるはずだ。今の俺はそうならないために彼女と結婚したいと思っている。社長は俺の過去をご存知のはずだ。女に対して興味がなかったとは言わないが、真剣な付き合いをしてこなかった。だが彼女は違う。牧野つくしは今まで俺が感じることがなかった感覚を教えてくれる。今まで知ることのなかった世界を教えてくれた。彼女が背伸びをすることなく等身大でいることが俺にとっては心地いいと感じられる。そんな女性と出会えたことに感謝している。そう思うことが俺が変わったと言えることだと思うが違うか?」

自分の望みをはっきりと自覚している男は、率直かつ正直に話し、道明寺司という男に偏見を持たない女と生涯を過ごしたいという思いを伝えた。
自分は変わったのだ。家族を持ちたいと思うようになった。そしてその思いを母親に話すことが躊躇うことなく口に出来るようになったのは彼女に会えたからだ。

「そうね。あなたの口から女性と出会えたことに感謝するといいう言葉を訊くとは思わなかったわ。でもそれは今だけかもしれないとは思わない?」

「いったいそれはどういう意味ですか?」

母親の言葉に含まれた棘に司の言葉は怒気を含んでいた。
そして姉が言ったお母様は昔と違う、の言葉は間違いだと思った。
もしかすると何かを仕掛けようとしているのではないか。そんな思いがしていた。

「わたくしは意地悪をするつもりはないわ。本当に決めてしまっていいのか。それを確かめたいの。あなたたちは知り合って短いわ。まだ二人は恋に熱を上げている状態だと言ってもいい。それに男は魅力を感じた女に徐々に惹かれていく。でも時が経てばやがて女の容姿は衰え魅力を感じなくなればその気持ちも薄れてくるわ。今までのあなたの女性との付き合いは何が基準だったか分からない訳でもない。女に飽きる。その言葉が当てはまらないこともないわね?でもあなたは牧野さんと結婚したいと思うのね?それから牧野さん。あなたの気持も司と同じと訊いているわ。でもそれは本当なのかしら?
分かっていると思うけれど結婚して苦労するのは女性よ。この子は次期社長よ。大勢の従業員に対しての責任があるわ。そんな男と人生を歩むのはいい事だけとは限らないわ。それ相応の覚悟が必要になるけど理解しているのかしら?」

息子に問いかけた楓の言葉は、やがてつくしに対して向けられ、答えを求められている女は今の気持を正直に話すことにした。

「私の容姿は今まで副社長の周りにいた女性とは比べものにならないほど劣っています。それに私は若くはありません。ご存知かと思いますが私は35歳です。ですから容姿は衰える一方です。でもそれは仕方がないことです。そんな私に対して副社長はこれから素敵に年を取るはずです。男性は年を取れば取るほど魅力が増すといいますから。でも私は副社長の外見に魅力を感じた訳でも地位に惹かれた訳でもありません。この人と恋をしたいと感じたんです。いつの間にか惹かれていたんです。でも初めはそうではありませんでした。言い寄られた時は、はっきり言って迷惑だと思いました」

つくしはそこで息をついた。
そして楓の目がつくしの放った言葉に笑ったのを感じた。

「副社長がどんな立場だろうと私には関係ありません。
もし結婚をお許しいただけるのでしたら、副社長が歩いて行く道を、夫が生きて行く道を共に歩むのが夫婦だと思っています」

楓はその言葉を受けてじっと考えるような顔つきになった。

「そう…..。そう考えることが出来るあなたは自分の考えをしっかりと持っているようね?わたくしは子育てに熱心な母親ではなかったわ。家庭を顧みなかった。だからこの子との接し方は社長と副社長という立場の方が接しやすいの。でもそんなわたくしたちの関係もあなたが変えてくれるような気がするわ。それにあなたならどんなことでもこの子と二人で乗り越えていくことが出来そうね?」

その言葉には親としての思いが込められていて、全てを承知したといった意味が込められていた。

「それから牧野さん。私はいつも思うことがあるの。化粧の濃い女性はツラの皮が厚いということよ。それに第一印象がその人のイメージを決めると言う言葉は本当よ。
それから綺麗なことを鼻にかけている女性は駄目ね。自惚れが強い女性はいつかその自惚れで身を滅ぼすわ。だからあなたくらいがちょうどいいの。外見は気にする必要はないわ」

楓の言葉はつくしを慰めているのか。
それとも貶しているのか。
だがどちらにしても次に放たれた言葉で楓の言葉が彼女流の誉め言葉であると気付くに遅くなかった。

「二人ともいい歳よ。結婚する気なら早くなさい。年を取れば時間の流れはあっという間よ。あなた達の人生が長いか短いか分からないけど一分一秒も無駄に出来ないと思えるようになるわ。牧野さん。この子のことをお願いするわ。我儘な子だけど自分がすべきことはきちんとする子だから。それから司、好きな人のために色々なことが出来ることが一番幸せなのよ。昔のわたくしがそうだったようにね」

楓はそう言ってソファから立ち上がると、次の予定があるからと部屋を出て行ったが、最後に言った言葉は司の父親に向けられた言葉だったと気付くまでに時間はかからなかった。
母親にとっては亡くなった司の父親と過ごした時間は貴重な時間だった。その人のために会社に生涯を捧げたがそれは夫のためであり道明寺という家のためだ。
その生き方を顧みれば後悔もあるのだろう。だから司のこれからの人生を祝福することに決めたのだろう。そして母親らしいことをしなかった自分の代わりにつくしに我が子を託したと言っては違うかもしれないが、それに近いものがあるはずだ。
親子だが親子とは言えなかった母親と息子は今ここでやっと互いの心が見えたような気がしていた。
そしてお願いするわ、の言葉は今まで人に頭を下げたことがない女が他人に見せた精一杯の人に物を頼む態度だった。












「つくし。社長…いや、お袋は結婚を認めてくれた。これでいつでも結婚出来るぞ」

結婚を前提に付き合ってはいたが、家族の了承なしでは結婚出来ないと言った女は彼の言葉に頷いた。そして司は隣に座っていた女の手を握ったが、これまで社長としか呼ばなかった女性に対しお袋という言葉を口にしたのは初めてで、何十年も前に母親を呼んだ時は母さんだった。
そして今、それは遠く小さな想い出に変わっていたが、その時の小さな想い出を思い出していた。姉の手に引かれ歩いていたと思っていたのは、実は母親の手だったかもしれないと。


「司?どうしたの?」

つくしは黙って彼女の手を見る男に訊いた。

「いや….何でもねぇ。ちょっと昔を思い出してた」

「お母様とのこと?」

「ああ。まあな」

司はそこまで言って女の手をただ握っている場合ではないことに気付いた。
家族の祝福なしでは結婚出来ないと言っていた女の思いはクリアしたのだから伝えたい言葉があった。

「一緒に住もう。俺と一緒に暮らしてくれ。住所を一緒にしよう」

そして上着のポケットから取り出した箱を開けてみせた。
そこにあったのはダイヤモンドの指輪。

「いいだろ?」

短い言葉に込められた思いは十分伝わっていたはずだが黙ったままの女に何か言い間違えたことがあったかと司は焦った。

「つくし?」

「….一緒に住むだけでいいの?名字は一緒じゃなくていいの?」

微笑みを浮かべ言ったその言葉に司は改めて思いは同じだと知り嬉しくなった。

「いや。名字も一緒だ。道明寺つくしになってくれ」





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2018
08.22

出逢いは嵐のように 95

『司。つくしちゃんと結婚するつもりなら筋を通す人は分かっているわよね?』

ロスにいる姉からかかってきた電話を取ったとき、執務室の時計は午後10時を指していた。そしてその内容は、ふたりの母親についてだった。
椿は母親がいい年をした息子の恋愛に口出しをすることはなくても、過去の自分の経験から、いざ結婚となれば黙ってはいないはずだと言いたかったはずだ。
そんな姉の思いは、結婚を前提とした付き合いをしている弟のため、地ならしではないが二人のことを母親に話していた。

『あのね、司。お母様にはあんたがつくしちゃんと真剣に付き合っていることは伝えているわ。だからそろそろそのことで連絡があるはずよ?』

「ああ。連絡はあった。けど電話には出なかった」

恋人と過ごす時間は誰にも邪魔されたくない思いから、夜遅くに鳴るプライベートな携帯に出ることはない。
だが後で着信履歴を確かめれば母親からの電話だったことを知った。

『そう….。でも放っておくことは出来ないわよ。結婚はひとりだけでするものじゃないわ。ましてやあんたは道明寺家の跡取りですもの。筋だけは通さないとつくしちゃんが困ることになるわ。それにいくら今のあんたに力があるといっても押し切ることは出来ないことくらい分っているわよね?』

「ああ。分かってる。つくしを社長に会わせろと西田に言われた」

西田は副社長の司の秘書だが、若い頃から司のお目付け役を果たしていた。
そして秘書の鏡と言われる男の忠誠心は道明寺親子に向けられていて、浮かれているところなど見たことがない男だった。

『そう。それでそれはいつ?』

「明後日だ。社長が東京へ来る。その時会いたいそうだ」

電話に着信があった翌日西田から社長が司とつくしに会いたいと言っていると告げられスケジュールが調整されたが、社長命令は絶対で全てに優先するのだから嫌だとは言えなかった。そしてそれが私的なことであっても、そうさせないのが楓という人間だ。だがいずれ会わなければならないなら早い方がいい。

だが楓という人間は、自分の眼鏡に敵わない人間に対して限りなく酷薄に振る舞う人物だ。そしてそれがビジネスに於いてだけではないことを姉も弟も知っていた。
そして道明寺家の跡取りである司の結婚相手ともなれば尚更のこと。どんな女性を連れて来たとしても母親が認めるとは思えず厳し目が向けられるはずだ。
だがどんな目を向けられようが、司は牧野つくしと結婚するつもりだ。いや。つもりではない。すると決めた。

そして会社では社長と副社長という立場を崩さない二人が親子としての会話を交わすことは殆どないが、だがそれでもここ数年の母親は年を取ったと感じていた。
圧倒的な専制君主と言われていた母親だが、司が年を取るのだから親も年を取るのが当たり前だが、老い感じさせないと思っていた女から書類を渡されたとき、手が痩せたと感じたことがあった。

『ねえ、司。今更こんな話をしても何だけど、あんたが中等部の頃同級生を殴って大怪我をさせたことがあったでしょ?覚えてるわよね?』

椿が言った同級生を殴り大怪我をさせたのは、中等部3年の時の話だ。
内臓破裂という怪我を負わされた生徒は重傷で、本来なら司は少年院へ送致されていたとしてもおかしくはなかった。だが金で揉み消された。
そしてあの当時の司はとにかく酷かった。荒れていた。
世の中の全てが無意味に思え、自分の存在価値は道明寺という家のためだけにあるのだと。
進む道はひとつしかなく、その為にこの世に生まれて来たのだと思っていた。何を見ても何をしても心が動かなかった。だから人を殴ることで、殴られた相手の顔が恐怖に歪む様子を見ることで憂さを晴らしていた。

「ああ。覚えてる。あの頃の俺は酷かった。けど姉ちゃんがいてくれたからなんとか立ち直ったようなモンだ」

『そうね。あんたはいつもそれを口にするけど、私は姉だから。あんたの姉だから見捨てることなんて絶対出来なかった。だから手を上げることもあった。母親は傍にいなかったんだから私があんたのことを見るのは当たり前でしょ?でもね、私たちの母親も全く我が子の事を顧みなかったわけじゃないのよ?あんたがもしあれ以上のことをするならお母様はきっとあんたのことを許さなかった。それからお金で解決したのは、そうする以外方法がなかったからよ。最高の治療を受けてもらって、将来にも不安が残らないよう、不便がないようにしたのよ。だって子供のしたことは親の責任ですもの』

椿は一度そこで言葉を切った。
そして司が何も言わないことから言葉を継いだ。

『この際だから話しておくわ。多分あんたは記憶にないと思うわ。何しろ2歳だったんですもの』

そこから語られた話しは司が初めて訊く話だった。

『子供ってちょっと目を離した隙に何をするか分からないって言うけど、あんたはまさにそうだった。あの時お母様は外出していてあんたを見ていたのはメイドだったの。
そのメイドがほんの少し目を離したとき、あんたは消えた。それで大騒ぎになって邸中探したわ。そうしたらあんたは池に落ちてた。鯉が泳いでいるのが見たかったのか。それとも鯉に触れようとしたのか。水面に映る自分の姿に触れようとしたのか。とにかく池に落ちてたの。大人にとっては深い池じゃないかもしれないけど、小さな子供にしてみれば深いわよね?すぐに引き上げられたけど意識がなかった。それからすぐに病院に運ばれて助かったけど、お母様はご自分を責めたわ。道明寺家の跡取り息子のあなたをこんな目に遭わせたと自分を責めた。あんな姿は後にも先にも見たことがないわ』

司は池に落ちたという記憶はない。
そして母親が自分自身を責めた姿など見たこともない。

『あの時の私は幼いながらも思ったわ。お母様は私たちの傍にいない人だけど我が子のことを愛していると。でもあんたは信じられなかったわよね?何しろあの人はそんなことは決して表に出さない人だから。でもそれは愛情の表し方が分からないだけなのよ。私たちの母親は不器用なの。ビジネスには秀でているけど親としては不器用な生き方しかできないの。それからこんなことを言ったらあんたは嫌がるかもしれないけど、あんたの性格や外見は間違いなく母親譲り。それにあんたが池に落ちるまでのお母様は、それはあんたに甘かったの。それこそ我が子の歩いた後を崇めるじゃないけど、とにかくあんたのことが可愛くて仕方が無かった。だって言うじゃない?母親にとって息子は恋人のようなものだって…..。
でも道明寺を継ぐ人間は全てに於いて秀でていなければいけない。強い人間でなければ道明寺を引っ張っていくことはできない。だからお母様は鉄の女と呼ばれる人間になった。自分にも厳しい人だけど、他人にも厳しい。それが私たちの母親の道明寺楓よ』

椿の口から語られたのは、幼い頃の司が知らなかった母親の姿。
それはどこの親でも我が子に対してなら取る態度だが、司がもの心ついた頃、母親は傍にいなかった。そしていたとしてもすぐにどこかへ出かけていった。

『司。今私たちの母親がどれだけあんたを頼りにしてるか知ってる?あんたが立派な経営者になってくれたことをどれだけ喜んでくれているか。言わないけどそれはあんたの想像を遥かに超える程よ。今の私たちの母親は昔とは少し違うわね。あの人も年を取ったもの。それに私も親になってみれば見えてくるものがあったわ。女は弱し、されど母は強しって言葉があるけど、私たちの母親は母は弱し、されど経営者は強しってことなのよ』












司は電話を切ると着信履歴にある『社長』という表示を眺めていた。
姉の話は司にとって驚かされる内容だった。
我が子が死ぬかもしれない。そんな状況に置かれた母親の気持はいかばかりのものであっただろうかと想像した。
世間では鉄の女と言われていた母親も、親としての自覚がなかったのではない。
そして親が親になるためには、ただ子供を産めばなれるというものではない。親は子によって親の立場を与えられ親として育つ。だが姉の言葉通りだとすれば、自分達の母親は親になるチャンスを逸したということだ。だが今では孫に対しては優しいという。
つまりそれは、祖母になる過程を経たということだが、道明寺という枠の中で生きて来た母親は、道明寺百年の計を考える女だが息子が選んだ人をどう思うのか。
そう思いながらネクタイを緩めて椅子に深くもたれかかった。





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2018
08.21

出逢いは嵐のように 94

その日の夜遅く司のプライベート携帯に着信があったが司は出なかった。
それは相手が誰であろうとその時間は愛する人と過ごす時間であり、誰にも邪魔されたくなかったからだ。
そして相手もそのことを分かっているはずだが、それでも電話を鳴らすことが出来るのは、相手が男の母親だからだ。









「それで?あの子が付き合っている牧野さんという女性はあの子との結婚を考えているのかしら?」

『はい。お二人とも結婚を前提にしたお付き合いをされていらっしゃいます。特に副社長の牧野様への思い入れは相当です』

「そう….。やっとあの子も結婚しようという気になったのね。いいわ。近いうちに東京に行くから彼女と会いましょう。西田。司に言って頂戴。その女性との未来を真剣に考えているなら、母親に会わせなさいとね」

楓はそう言って電話を切ると、再び書類に目を通し始めたが、頭の片隅には我が子のことがあった。
司の母親は息子が真剣に付き合っている女性がいるという話を椿から訊いていた。
そして椿の娘であり楓の孫である美奈から二人の馴れ初めも訊いていたが、ほんの数ヶ月前秘書見習いという名目でこの街に連れてきた女性は、美奈の別れた夫の浮気がきっかけで知り合ったと言い、美奈はその女性に迷惑をかけたと言った。そしてその女性がいい人で好きだと言った。

そんな孫の離婚理由には驚かされたが、今の世の中、愛の形は様々なものがあることは知っている。だが正直な話まさか孫の夫がという思いがあった。
だが離婚した張本人の美奈は案外あっけらかんとしていた。そして今は大学生として学業に専念しているが、将来はロスを拠点に高級ホテルを展開する父親を助けたいと言っていた。

そして我が子が結婚を考えている牧野つくしという女性についてすぐに調べさせた。
会社員だった両親は既に亡くなっていて、長野で暮らす弟がひとり。姉も弟も真面目な性格だと言われ、取り立てて何か指摘することもないごく普通の女性だった。

楓は息子が幼い頃から世界中を飛び回り、家にいることがなかった。
その理由をビジネスだからと言う言葉で一括りにしていたが、風邪をひいて高熱を出した息子を顧みる余裕がなかったこともあった。

何故なら世界を相手にビジネスをする人間の生活は、個人的な感情よりも利益が優先された。
あの頃の楓は母である前に道明寺財閥を率いる立場でいることに重きを置いた。
そして目的のためなら手段を選ばないと言われた。
そんな女を見て育てば、いや。実際に身近で目にしたのではないとしても、霊廟のような邸で育った我が子が手の付けられない状態にいたこともあった。
誰も信じることなく、誰も求めることなく、人生に目的などないといった生き方をしていた少年時代があった。

だが今では立派な後継者として財閥を牽引する人物となったが、大人になってからの親子関係というものは、あけすけに言えない部分がある。
むしろ他人の方が言いたいことを言える。

しかしそうは言っても、会社では社長と副社長という立場から、ビジネスに関しては、はっきりと物を言うのが当然のこと。だが成人した男に向かって放つ言葉は、私生活で世間を騒がせることがないようにとしか言えなかったが、女の問題というものは、それなりの地位にいる男なら避けられないと言われている。だが我が子は女に対してはシニカルな部分もあり、本物の恋というものはしてこなかっただけに、まさかごく普通の女性を伴侶に選ぶとは思いもしなかった。

そして楓は自分の性格上、物事を曖昧なまま長引かせることは嫌いだった。
だから息子が結婚相手として選んだ女性に会ってみたいのだ。
だが息子が母親に真剣に結婚を考えている女性のことを話そうとしないのは、これまでの自分の態度が関係しているはずだ。
そして電話で話した椿は司のことを変わったと言ったが、その変化をもたらしたのが牧野つくしなのか。もしかすると牧野つくしという人物は、我が子の優しい面を引き出すことが出来る女性なのか。

楓は、去来する思考を整理しようとしていた。
だが扉をノックする音が聞え意識を現実に戻すと、失礼致しますと近づいて来た秘書が机の上に書類を置く様子を見ていた。





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2018
08.20

出逢いは嵐のように 93

性描写を含みます。
未成年の方、またはそういったお話がお嫌いな方はご遠慮下さい。
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目を覚ました司が最初に気付いたのは、すでに朝を迎えていること。
そして二つ目に気付いたことは、彼の懐に収まっていた暖かな身体が、腕の中からなんとかして抜け出そうとしているところだった。

真夜中に目覚めたとき、静かな吐息を司の胸に吐きながら眠っていた女の顔に少女のようなあどけなさを感じ、身体はひな鳥が親鳥の羽根の下に顔を埋めているように丸くなっていた。
たが今は何が恥ずかしいのか司の腕をそっと持ち上げると、頭を身体から離そうとしていた。

司のペントハウスから眺める景色は最高だ。
だが今の彼にとって最高の眺めは、やわらかい裸の女の姿だ。
その身体が己から勝手に離れていくことは許されないことだ。だから司はわざとらしく寝返りを打って女の身体の上にどかされた腕とは反対側の腕を覆い被さるように投げ出した。
そして枕に頭を横向きに乗せ、そこから感じることが出来る女の動揺に、口許が緩むのを押さえながら眠っているフリをしていたが、女が再び腕の中から抜け出そうとしている様子に、薄目を開けてみれば、もしかしてトイレに行きたいのかといった思いから「どうした手洗いか?」と言った。

その瞬間ぱっと大きく見開かれた目は、司の態度に、起きていたのに、もしかしてわざとやったんでしょ?と言いたげに訊いていたが、白い頬がじわじわとバラ色に染まり、そわそわとした視線を司に向け自然の摂理に逆らうことは出来ないとばかり、うんと頷いたが、それは当惑した愛らしさを感じさせた。

だから腕を持ち上げたが、その瞬間裸の身体を隠すようにして床に落ちていたバスローブを羽織ると慌ててバスルームへと向かっていたが、身体を起した司はヘッドボードに背をあずけ、ぼんやりとしていた。

彼は今まで女に心を搔き乱されたことがなかった。
だが唯一欲しいと思った女を手に入れた以上、二人でいる時は一秒たりとも離れたくないと思う自分が滑稽だと感じた。そして自分がこんなにも独占欲が強い男だとは思わなかった。
だがそれは彼女だからであって他の女とでは、今のようなことを考えることはないと断言できた。

幼い頃の司には『すべきこと』と『しなければならないこと』ばかりだったが、大人になってからの彼の人生は決められた道ではなく、『したいことをする』に変わっていた。
だがその代わりビジネスに於いて自分が背負うべき責任は果たしてきた。
だから、すべきことをしてやりたいことをやる。そのことを誰かが邪魔をすることもなく、人生を生きて来た。

そして今したいことは、夜が明けたことを理由に愛することを躊躇う女に理性を失わせること。
だが暫くして戻って来た女は勝手にシャワーを浴び服を着ていたが、それは司の白いシャツを着た姿だった。
そしてその手から淹れたてのコーヒーを受け取り、口許へ運んだがすぐにサイドテーブルの上に置いた。

「なんで勝手に服着てんだよ?」

「な、なんでって…」

ムッとしたように言った司だったが、以前彼女が司のシャツを着て袖をまくり上げた姿に鼓動が高まった。
だから司は彼女が自分のシャツを着た姿が見たいと言った。
つまり彼女が司のシャツを着たのは、彼が着て欲しいと言ったから着たにすぎない事は分かっていた。

そしてつくしの言葉が途切れたのは、司が彼女の手を掴むと引き寄せ、胡坐をかいた膝の上に彼に背をもたせかけるようにして乗せたからだ。だが裸の司に対し彼のシャツを着たつくしは、ブラもショーツも付けていて、素肌に彼のシャツ一枚の姿が好ましいと思う男はそのことが不満だった。

二人が付き合うようになり、愛し合う男と女が裸で過ごすことの何が恥ずかしいのかと訊いたことがあった。その時の答えは、「だって恥ずかしいんだから仕方がないでしょ?」
司はその羞恥が愛らしいと思うも、こうして抱いていれば、彼女を欲しがる気持ちを抑えることは出来なかった。

だから司は両手でつくしの身体をいじり始めた。
まず肩越しにシャツのボタンを外した。
そしてボタンを外したシャツはそのままに、ブラの背中のホックを外し、左手で柔らかな胸を包み揉みしだけば喘ぎの途中で駄目という言葉が漏れ、小さな手が司の二の腕を掴んだが、それが本気でないことは分かっていた。

抵抗の層をひとつずつ取り除く楽しみを知っている男は、胸に置いた左手はそのままに、腰に回した右腕をゆっくりと慎重な手つきで下に滑らせ新しく履いたショーツの上から秘めやかな部分に指を当て擦った。

「あっ...ん」

決して性急ではなく、ゆっくりと楽しみたいといった思いから始まったその行為。
指の動きに応えるように漏れた声に、普段決して口にすることがない禁断の言葉を囁けば、すでに湿り気を帯びていたそこは、ますます潤うのが感じられ、1本だった指を2本にして勢いをつけた。
すると華奢な身体が腕の中で跳ね喘ぎ声が漏れたが、その声に右手の指はショーツの下に潜り込み、しっとりと潤った中を長く固い指で掻き回せば切ない声が上がり、司の指を締め付けた。

「すげぇ濡れてる」

と言った司は、うなじに唇をあて吸った。その途端ビクンと動いた身体。
言葉に、愛撫に、反応する柔らかな身体が愛おしと感じ、彼女から漏れる吐息や喘ぎの全てを呑み込んでしまいたかった。

司は彼女が欲しかった。
身体を絡ませ合いたかった。
もう一度愛し合いたかった。
司のまっすぐな欲望は手や指で感じるよりも、身体の中心で熱い感触を感じたかった。
くしゃくしゃになったシーツの上で何も考えられなくなるまで愛し合いたい思いが湧きあがり、昨夜の興奮を呼び覚ますように手を動かしていた。

誘惑に簡単に落ちる女に興味はないが、司の手で誘惑されることを時に拒もうとする華奢な身体を持つ女には多いに興味があった。いや。あるどころではない。何度求めても彼女の全てが永遠に欲しくて我慢が出来なくなるのだから、いい年をして恋にトチ狂った男だと笑われてもよかった。
だから司はどこか自制心を働かせている女に理性を失わせるために無駄な動きをしなかった。

着ていたワイシャツを脱がせ、ホックが外された状態で身体にかかっていたブラを取った。
そして腕の中でつくしの身体の向きを変えシーツの上に押し倒した。
残っていたショーツを脱がし終えると上から見下ろしながら彼女の意志を確かめた。
女に無理強いはしない。無理矢理抱いたところで、二人とも楽しめるはずはないのだから、それだけは昔からルールとして司の中にあった。
だが今は昔以上にその思いが強かったが、それは好きな人は大切にしたいといった思い。

そんな司の顔に伸ばされた手の感触は柔らかく、その様子から彼の思いを汲み取っていた。
言わなくても分かるというのではないが、顔を見れば思いは伝わった。
だが時にやり過ぎることもあった。その時のつくしは視線の定まらない状態でぼんやりと中空を見ていることもあった。

「愛してる…つくし」

司は手の甲で彼女の頬に触れ、指で唇に触れた。

「….あっ…」

頭を下げると、唇で胸を愛撫した。
その瞬間、彼女の身体が息づきはじめたのが分かった。
司は女の身体がどんなものか知っている。
だが牧野つくしの身体については、見えるものは全て見て、見えないものは探し出しも見たいと思う。声にならない言葉があるなら、その声を訊かせて欲しいと思う。

そして司が触れるたび漏れる声は、激しく求めて欲しいのか。それとも甘く愛して欲しいのか。だが司は燃えるような欲望があることだけは確かで、その欲望に身を任せ華奢な身体をむさぼっていいなら情熱の全てで愛を注ぎ込みたいと思う。
だから唇や舌や手を使い、あらゆるところを愛撫した。
そして時に歯を使い甘噛みをしたが、その度に漏れる声や喘ぐ息遣い。そして鼓動の早さは司の誘惑を喜んでいて、小さな手が司の髪の毛を掴み、背中に回されれば、燃え尽きたいといった思いを伝えてきていた。

やがて唇から始まったキスは、喉、胸、腹へと下がり、下ばえに隠され潤いを湛えた場所へと移り、ひっそりと隠されていた小さな蕾を舐め、唇に挟みキツク吸った。

「….あっ!あっ…ん、はっぁ…」

司が唇を、舌を動かすたび漏れる喘ぎは感じている証拠。
だがもっと興奮して欲しいと舌を動かし指を挿し入れ襞をなぞった。

「あっ、だ、だめッ!ああっん、ああああっ!」

「何が駄目だ?これか?それともこっちか?」

いやらしい水音を立て抜き差しされていた長い指を抜くと、両脚を抱え白い太腿を大きく広げた。
そして膝を曲げ胸に押し付けた状態で女の全てをさらけ出せば、濡れて光るピンク色の襞が震える様子も、そこからトロトロとした愛液が溢れる様子も司が欲しいと言っていた。だが恥ずかしがり屋の恋人は、欲しいという言葉を口にすることはないが、愛しはじめれば理性は飛び頭の中は真っ白になり、身体が本能を裏切ることはない。

「....ヤダ、そんなに見ないで..」

「嫌だ。見たい。ここは俺だけの場所で生命の源だ。男には理解できない場所だ。愛しい女の大切な場所を愛でて何が悪い?」

だがジロジロと見られ恥ずかしさの余り両手で顔を覆う女の姿を、快感に震える姿に変え、長い間埋もれていた女としての欲求と歓びを与えることが出来るのが司だ。

充分に濡れた入口に唇を寄せ舌を奥深くまで入れ愛液を啜った。
その途端跳ね上がる身体は血の流れの全てがその場所に集中してしまったかのように熱を持っていたが、それは興奮している証拠だ。
そして初めは顔を覆っていた両手もシーツを掴み、やがて下半身で動く司の頭に手を伸ばし、髪の毛を掴むのがセオリー。そして司は彼女の降服を知るとさらに激しく舌を動かし嬌声を上げさせた。

「あああっ!…はぁあっ…!ああっ!」

「….どうして欲しい?….言ってくれ?何が欲しい?」

だがそう言っても言葉にすることが無いのが殆どだ。
だが駆け抜けていく時間が同じなら思いも同じだと分かっている。だから溶けてひとつになる瞬間がどのタイミングで訪れるか知っていた。そして今がそのタイミングであることは分かっていた。

司は女の腰を持ち上げると、熱い感触が待ち受ける場所へ入った。
それは全く異なる二人の人間が結ばれた瞬間。
司は過去の女に対し無防備に自分をさらけ出すことはなかった。だがつくしと愛を交す行為は、男が男でいることを、女が女でいることを知らしめてくれるほど素直になれた。性の歓びは身体の絶頂感だが心の歓びは、思いが同じであるから味わえること。そのふたつが同時に訪れた瞬間が性愛そのものであると知ったのは、彼女と愛し合うようになってから。
そして何もしなくてもいいから、ただ抱き合って眠りにつきたい夜もあった。

「つくし…」

「…つ、かさ」

完璧な男と言われる司の愛し方は、言葉だけではなく身体でも愛を語る。
愛し合うたび濃密度を深めて来たが、攻め立てる瞬間も引く瞬間も全てが完璧。
そして彼女がイク瞬間、全身が痙攣すると、やがて司を掴んでいた手の力が抜ける。その瞬間を追いかけるように身体を叩きつけるが、司に組み敷かれた姿勢でフッと微笑みを浮かべれば、その微笑みは充足の笑み。そして司自身の身震いが終れば、広い背中に細い腕を回し、彼の全てを受け入れる姿勢で抱きしめる。

司は愛し合う行為も好きだが、それ以上にこうして抱きしめられることが好きだった。
何故なら過去に女との行為を終えたあと、抱きしめられることもなければ抱きしめた事もなかった。だからそうすることは未知の領域だったが、今は一番心が休まる瞬間だ。
そして出来ることなら、このままずっと重なり合っていたかったが、大きな身体が彼女を押し潰してしまうことは本意ではない。

「このままもう一度眠ろう」

司は少しして彼女の上から身体をずらし隣に横たわると、つくしを抱きしめ上掛けを引き寄せ二人の上に掛けた。
たとえ朝の光りが空高く昇って世の中が動きだしていたとしても、今は二人だけでいたかった。だから愛しい女を抱きしめた男は、胸に彼女の頭の重さと吐息を感じながら再び眠りに落ちて行こうとしていたが、それは心が満ち足りているからなのか。
だが実際には日を追うごとに彼女を求める気持ちは強くなるのだが、その気持ちこそが愛という言葉で表されることは、かつての司なら理解出来なかった事だが今は知っていた。
そして女も男の言葉に同意したのか。いつの間にか深い眠りに落ちていた。







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