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2017
12.31

ご挨拶とお知らせ

皆様こんにちは。
いつも当ブログをご訪問いただき、有難うございます。
約2ヶ月振りのご挨拶となりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
季節が進むにつれ、吹く風も冷たく一段と寒さが増してまいりましたが、風邪など召されてはいませんでしょうか?
また雪の多い地方にお住まいの皆様は、雪に慣れているとはいえ、今年の雪は平年より早いと言われておりますが、いかがでしょうか?
『雪は天からの手紙』といいますが、あまり沢山の雪は有難くないですね?
そして年末のお忙しい中、ご訪問をいただき有難うございます。

さて本日は一年最後の日となりましたので、お礼とお知らせをと思い書かせて頂いております。拙いお話ではございますが、いつも暖かいご声援を有難うございます。
皆様の応援を執筆の励みとさせて頂きましたが、お話の中には、黒い坊ちゃんや高齢でつくしのお迎えに喜んで旅立った坊ちゃんもあり、「え?」と驚くお話もあったと思いますが、いかがでしたでしょうか?

そして当ブログ、大人の二人の物語ですので、今後も年齢が高めの二人も出て来るかと思います。そのような事から、現在頭の中にいる二人は短編なのですが、かなり大人になった二人がおります。
そんな二人のお話も来年はご披露出来ればと思いますが、黒い坊ちゃんも不穏な動きを見せており、皆様の坊ちゃんに対するイメージを著しく損なう場合もあると思いますので、ご趣味に合わない場合はどうぞページをお閉じ下さいませ。

そしてお知らせですが、明日からお正月ということもあり、お休みをいたします。
更新再開は1月9日を予定しておりますので、よろしければ、お立ち寄り下さいませ。

それでは皆様。今年一年大変お世話になりました。
そして来年もどうぞよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、来年が皆様にとって幸多からんことをお祈り申し上げます。
どうぞよいお年をお迎え下さいませ。


andante*アンダンテ*
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2017
12.30

恋におちる確率 37

第三者がいる前で二人の男が角を突き合わせる姿はこれが二度目だ。
一度目は会員制高級バーだったが、その場にいた男達は見て見ぬ振りを決めていた。
だが今二人の男に向けられている視線は、男たちだけではなく、姦しいと言われる女たちの視線も向けられていた。

何しろ、クリスマスパーティーといった社交の場に道明寺司が現れること自体が珍しいことであり、ましてや女性をエスコートするといった姿に目を見開くのは当然で、そしてそこに、道明寺司と容姿も財力も差異が無いと言われる菱信興産専務の新堂巧が現れ、一波乱ありそうな会話を始めたのだから興味を抱くなと言う方が無理な話だ。
そして二人の男の間に流れる一時の沈黙と無表情さに周りは息を呑んでいた。









新堂巧は司が選んだと言ったドレスに目を細めた。

「・・そうでしたか。道明寺副社長がお選びになられた。・・まるで秘書というよりもあなたの恋人のような待遇ですね?」

巧のその言葉は何もかも承知しているような口振りだ。

「そう思われますか?」

返した司の思いは巧の言葉通りで間違ってはいない。
秘書として連れて来てはいるが、ただの秘書が1000万もするようなドレスに身を包んでいることの意味が分かる相手と巧を見ての行動だ。

「ええ。そう感じます。先日バーに現れたあなたの牧野さんへの態度といい、まるで好きな人を取られまいとしている男のように見えますが違いますか?」

司は、巧が牧野つくしからの素っ気ないメールの返事もだが、司の態度に焦りを感じ始めたのだと感じていた。
気分が悪くなった女を抱え、化粧室へ向かった司を見送る羽目になった男は馬鹿ではない。恋のライバルとなる男の存在に気付いたのは、巧の方が早く、司は己の気持ちに気付くのが遅れた。
だが今の司は、自分の気持ちをはっきりと認めており、牧野つくしを他の男。つまり新堂巧に取られたくない思いに嘘はない。

「もしそうだとしてそれを新堂専務にお話する必要がありますか?」

「いいえ。その必要はないでしょう。ただ、私はそう感じただけですから。それに牧野さんもあなたから好きだと言われても困るでしょうから」


低い声で交わされる男二人の会話は、道明寺HD副社長と菱信興産専務の会話だが、すぐ傍で聞いている人間がいたとすれば、ひとりの女を巡り静かな闘いといった雰囲気が感じられるはずだ。
だが幸いにも彼ら二人の傍に誰も近づこうとしないのは、男たちの周りに流れる空気に近寄りがたいものが感じられるからだ。

そしてそれは、神が二人に向かって意地悪く微笑みかけ、ひとりの女を取り合えと言った結果だとしてもおかしくない。
そんな二人のうちのひとりは、恋をしたことがない男で、女に対してシニカルとも言える考えの持ち主だった。そしてもうひとりは、恋に対して真面目な男。
そんな男が眩しく感じられたこともある司だったが、気付いた時には自身も恋におちていた。


「道明寺副社長。あなたは既得権を振りかざしているように感じられます。私が思っていることが正しいとすれば、私たちはライバルということになります。それについて牧野さんがご存知かどうか分かりませんが、こうしてあなたが選んだ・・用意されたというドレスは、どう考えても秘書が業務上必要とされる服装以上の装いのように感じられますね?」

巧はそう言うと、道明寺司は秘書が好きだと聞かされ驚いた表情を浮かべているつくしを見て意外そうな表情を浮かべた。

そんな新堂巧の目に宿っているのは、一条の執拗さ。しぶとさ。そして粘り強さ。
そして今の二人の男達の間にあるのは際どさ。
二人の男は、同じ年であり、どちらもそれぞれの家が経営する大きな企業の後継者であり、似ているようで似ていない二人の男だが、その立ち姿は、高貴な動物が首をすくっと立てたように睨みあっている。それはひとつ間違えば、一触即発、まさにすれすれの状態とも言えた。

「新堂専務。既得権とは面白い言い方をされますね?まるで私があなたの欲しいものを初めから所有しているような言い方だ。だがもしそうだとしても、それがあなたに関係ありますか?彼女は私の秘書だ。こうして彼女を連れていることが不満だとしても、あなたに何か言われる筋合いはないはずだが?」

司の言い方は、はっきりと己の意思を伝えていた。
そして新堂巧も司の言葉の意味をはっきりと理解した上で、静かな言葉だが互いの考えといったものを闘わせていた。

「ええ。彼女があなたの気持ちを知っているとすればですが、牧野さんの顔を見ればどうやら知らなかったようですね?それにしてもあなたは十分に自分の権利といったものを主張しているように思えますね」

男が好きな女に対しての権利といえば、愛情表現といったものがあるが、今の巧が言いたいのは相手を美しい姿で着飾りたいという思いだ。

「新堂専務。私の気持ちがどうだとしても、それもあなたには関係ない話だ」

司のはっきりとした物言いに、新堂巧は気色ばんだ様子を見せたが、すぐに平然とした口調で言い返した。

「道明寺副社長。おっしゃいますね。私は私の気持ちを初めにお伝えしたはずですから、あなたがライバルならそのお気持ちをお伺したいと思いましてね。ですがどうやら私の前ではおっしゃっては頂けないようですね?・・・まあいいでしょう。どちらにしてもあなたは私のライバルのようだ。それがはっきりした今、牧野さんの気持ちがあなたに向かわないように祈りたい思いです。・・ですが、彼女はどう考えているのか知りたいと思いませんか?」

と言って巧はつくしに視線を向けた。







丁々発止とは言わないが男二人の会話はそれに違いものが感じられた。
そして今まで黙って聞いていたつくしにやっと口を挟む隙間が出来たが、彼女に突き付けられた質問は、あなたは道明寺副社長をどう思っているかという質問であり、求められているのは、上司とその秘書としての答えではなく男と女としての質問だ。

『あなたから好きだと言われても困るでしょうから』

副社長である道明寺司が自分のことが好き?

つくしはまさかといった思いもあるが、久美子からも言われ、新堂巧からも言われ二人の男性・・特に当の本人を前に何と言えばいいのか、まさに答えに窮していた。
だがその前に新堂巧に関して言えば、男性として付き合いたいといった思いはない。
だが今ここでその言葉を口にするのは、差し控えたい思いがある。誰だってそうだが、他人の前で自分の気持ちを否定されることは恥ずかしいことであり、知られたくないことだからだ。

「あの・・。新堂専務。そう言ったお話はここでは・・」

つくしは口を開いたが、言葉に詰まる。
仕事をする上で言葉を濁すことはないが、個人的な思いについては、話しづらさを感じていた。特に恋愛には縁の薄いと思われる女は、プライベートなこと、男女関係になると優柔不断なところが現れる。それは過去の恋愛経験の少なさがそうさせるのか。性格的に恋愛に対して臆病といったことがそうさせるのか。どちらにしても、自分の思いといったものを開けっ広げには出来ない性格だということは分かっている。

けれど、いつかは新堂巧に自分の思いをはっきりと伝えなければならないのだ。
それも直接会って話すことを望んでいたのだから、今がチャンスと言われればそうなのかもしれない。だがそのチャンスが今だとしても、相手の自尊心を傷つけないようにしなければならないといった気が働くのがつくしの優しさだ。

だがこれ以上返事を曖昧にしておくことが、期待を持たせることになるとすれば、それは決していいとは言えないはずだ。
そして、その時思った。新堂巧から思いを伝えられたのは、副社長の前だった。それなら、副社長の前で自分の思いを伝えたとしても、平等なはずだ。
そうだ。副社長には立ち会い人になってもらえばいい。そんな思いからつくしは、ここで巧に断ろうと決めた。
あなたの思いは大変嬉しいのですが、お付き合いは出来ませんと。
だが巧の自尊心だけは、尊重しなければならないと申し訳なさそうな顔をした。

「あの、新堂さん・・私は_」

「新堂専務。そこまでお気づきなら仕方がありません。ここではっきりと申し上げておきます。私と牧野つくしは上司と秘書以上の関係です。ですからこれ以上彼女に思いを寄せるのはお止め頂きたい」

司は言うと、つくしの腰に腕を回しその身体を引き寄せた。





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2017
12.29

恋におちる確率 36

司がこうしたパーティーに女性を伴い現れたことに多くの人間が驚きを隠せなかった。
なぜなら、チャリティーというその趣旨からすれば、配偶者や家族が同伴者に選ばれることが多い。しかし一緒に現れた人物は、家族でもなければ、ましてや配偶者でもない。

だが何より驚かれたのは、彼がクリスマスパーティーといったものに参加することだ。
今よりも若い頃、何度か参加したことがあったが、近年ではその姿を見かけることは殆どなかったこともあり、どういう風の吹き回しかと思うはずだ。

そして、今まで彼にエスコートされパーティーに現れた女性は限られた人数しかおらず、この場にいる女性たちにすれば、今日のお相手がどこの誰であるかといったことが重要になる。
だが、それをあからさまな態度で示す者はいない。だがチラチラと向けられる女性たちの視線は好奇心を隠せず、交わされる会話の中身は、司の隣にいる女性のことになっているはずだ。

『誰よ?あの女?』
『まさか。あの女が道明寺様の新しい恋人なの?』
『嘘!やだ。信じられない。背が低いしスタイルなんて全然よくないわよ?』
『・・・でもあのドレス。凄い豪華よね?』
『あれ、きっとNYブランドのドレスよ?500万はするわね?』
『違うわよ。1000万はするわ』


そんな会話が交わされているとしてもその言葉は正しいはずで、彼女が着ているドレスはシンプルだが一流品であることは一目瞭然だ。
ブルーの生地で作られた腰のラインをなだらかに見せる仕立ては、一流のデザイナーならではのテクニックが施され、小柄な彼女のほっそりとしたウエストラインをより際立たせていた。そして胸元は大胆にカットされ、デコルテにはダイヤのネックレスが輝いている。
黒い髪はカールされ、卵型の顔に華やかさを添える髪型にアレンジされ、唇は赤く塗られていた。そしてその装いは、いつもの彼女とは違い落ち着いて見えた。

つくしは、道明寺HD副社長の秘書に抜擢されたとき、相応しい身なりが必要だと西田から指示をされ、向かった先の店でそれ相応のドレスを用意していたが、もっとゴージャスなものをとNYから取り寄せられたのがこのドレスだ。そしてこのパーティーで彼女に着るように言ったのは、専務秘書の野上だ。


「牧野さん。副社長の秘書としてパーティーに参加するならこれくらいのドレスじゃなきゃ駄目よ。副社長の立場もあるけど何しろクリスマスパーティーよ?それにこのドレスは副社長がNYから取り寄せたドレスよ。着なくてどうするの?」

言い張る先輩秘書に歯向かうことなど出来ず、大人しく身に纏ったが、慣れないドレスをハイヒールの先で踏みつけそうになり、さりげなく裾を持ち上げることを繰り返したが、その都度隣で支えてくれる腕があった。

つくしは自然のまま、在りのままの自分で過ごそうと考える人間だ。
身構えるということはよくないと分かっている。
だが、最近どうしても副社長が傍に近づいてくると、構えてしまう自分がいた。

それは久美子から言われた
『副社長は、あんたのことが好きなのよ』
その言葉が頭を離れず、
『恋なんてものはある日突然なの』
の言葉が時に頭を過り、副社長を観察している自分がいた。

だが秘書という立場からすぐ傍にいるのが当たり前であり、観察するもなにも、目の前にいることが当たり前の人間をじっくりと見ること自体がおかしいのではないかと思われるはずだ。そして目が合うことがあるが、逸らすのはつくしの方だ。
そして今もあるはずのないドレスの皺を伸ばすといったことをしていた。


「どうした?緊張しているのか?」

「いえ・・はい。少しだけ」

つくしは副社長から緊張しているのかと訊かれ、正直に答えていた。
豪華なドレスを身に纏い、高価な装身具といったもの身に付ければ、誰だってそうなるはずだと思うが、副社長である男の世界ではそうでないことを知っている。
そして、実際に目にする華やかな世界は初めてであり、秘書である自分が果たして豪華なドレス姿でここにいることが正しいのかとさえ思うが、仕事の一環だと自分自身を納得させていた。

「お前でも緊張することがあるんだな?」

タキシードを着た男から、そんな言葉をかけられ、私はこんなパーティーに参加したことはありませんので、と口を開こうとしたが、そんな言葉を口にすれば、こんなパーティーじゃないなら他にどんなパーティーに参加したのかと訊かれても答えられないのだからその言葉を呑み込んだ。

仕事だけに突っ走り続けた女は、地味な人生を送っているのだから、隣にいる男が知りたいと思うようなことはないからだ。
だが仕事だけが生きがいという訳でもない。
それに肩肘を張って生きてきた訳でもない。
だが久美子は、男っ気がないのは、男を敬遠していると思われているからよ。だから誰もつくしには近寄らなかったのよ、と言う。

それなら、そんな女の態度の何が新堂巧の目に止まったのかが不思議だが、つくしは、新堂巧と付き合おうという気にはなれなかった。もちろん、いい人だと思う。だが何かが違う。
そしてそれを言葉にしろと言われても、言葉では言えない。ただ、違うとしか言葉が出なかった。だが毎日のように送られてくるメールに対しての返事も、同じ言葉の繰り返しであり、いつかはっきりと言わなければならない言葉があるのだが、どういう訳か言えずにいた。

そしてそれは、文字だけのやり取りではなく、直接会って言わなければならないと考えていた。
文字だけのやり取りといったものは、相手の顔が言えない、言葉のニュアンスが感じられないことから誤解を招くこともあり、言葉を選ばなければ今後の仕事に差し障ることにもなる。
何しろ相手は、業務提携先企業の専務であり、迂闊な態度を取れないことも関係していた。

それにしても、何故自分がこのパーティーに連れて来られたのか聞きたい気もするが、秘書であるつくしが聞ける立場にはない。
だから挨拶を受ける男の隣に立つ以外何もすることがないのだが、目の前に現れた新堂巧に気まずさを感じたのは、心にどこかやましい思いがあったからなのかもしれない。



「道明寺副社長。まさかここで道明寺副社長にお会いするとは思いもしませんでした。何しろあなたはパーティーがお嫌いだという噂がありますので、珍しいですね?」

「これは新堂専務。先日はどうも。その節はうちの牧野が大変お世話になりました」

形式的な挨拶を交わすのは、社交の場ではよく見られる姿であり、新堂巧の言葉は親しみが込められていた。だが、それに対し司は無表情で淡々とした口ぶりだ。
そして今の会話に棘を感じるのは、当人同士のはずだ。
だが巧は、司の隣に控えめに立つ女性が誰であるかに気付くと、着飾った姿にまぶしいものを見るように目を細めた。そして感慨を込めた調子で言った。

「牧野さん・・・。今日は一段とお美しいですね。私の誘いを断わられましたが、来るなら来るとおっしゃってくれてもよかったのに」

「ええ・・いえ・・」

つくしは、新堂巧からこのパーティーへ行かないかと誘われていたが断った。
そして理由をただ忙しいといった言葉で片づけていた。
それは断る理由を探すことが面倒だったからの返事であり、こうしてこのパーティーに来ることが決まる前の話だ。あの時、副社長のお供で来ることが分かっていれば、もっと別の言葉で断ることが出来たという思いが歯切れの悪い返事になっていた。

「それにしても牧野さん。そちらのドレスはあなたがお選びになられたのですか?ブルーはあなたにお似合いですね?もしかしてあなたはブルーがお好きですか?それでそのドレスをお選びになられたということですか?」

巧はつくしが着ているドレスを褒めた。
その口調は称賛であり、視線はにこやかで真っ直ぐに彼女を見つめ、司を見ることはない。
それは、あのバーで巧を無視するようにつくしを抱上げた司に対しての意趣返しとも言える返礼なのか。爽やかで邪気のないように見えても新堂巧も男だ。一瞬真顔になった男は、目の前の女性の口から語られる言葉を待っていた。

「あの、このドレスは_」

と、つくしが口を開いたとき、司が追手をかけるように口を開いた。

「このドレスは私が彼女のために選んだドレスです」





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2017
12.28

恋におちる確率 35

副社長と秘書の関係というのは、どこまで親しくすることが許されるのか。
ペントハウスで一緒に朝食を取ってから二人の距離は確実に縮まったはずだが、それを言葉にすればどう言えばいいのか。大人の男が心を奪われた相手は、男に対しどこか鈍感なところがあるようだ。

手を怪我したとき、執務室に用意されたデスクは、あれからもずっとそこに置かれていた。
そしてそこに座った秘書に、わざわざ長身を屈め二人の距離を縮めることをする男は、必要以上の近さで秘書に聞いていた。

「牧野。ドイツの支社からの連絡はあったか?」

「はい。詳細は後ほどメールで送るとのことでした」

たった今交わされた会話は、買収したドイツの電子機器メーカーについての話だ。
買収したとは言え、社長の首を挿げ替えることはなく今も任せているが、ドイツ人の勤勉さは日本人に通じるところがあり、頑固な国民性と一度決めた約束は守り、時間を守るといったところも似ている。
そして性格的に細かいところがある国民性が、確かな技術を生み出す元になっていることは間違いない。そんな国民性を持つ国の企業を近いうちに訪問する予定があった。

「そうか。分かった」

司はそう言って彼女の傍から離れたが、わざわざ席を立ってまで聞くことではないはずだが、今度は西田を強力なウィルスに感染したと偽り休ませたのだから、このチャンスを生かすことを考えていた。だが、司が西田のことを考えた途端、彼女の口からその名前が出たことに疚しさを感じないとは言えなかった。

「西田室長。早くよくなるといいですね?」

「ああ。インフルエンザらしい。けどあいつのことだ。すぐにでも出社してくるはずだ」

何しろ偽りの病なのだから、間違いなく明日にでも出社するはずだ。
そして前回、いきなり母親の見舞いに行けと言って休ませたが、西田の母親は既に亡くなっており、そのことに対し酷く文句を言われたからだ。
そして次にこう言った。

『彼女は真面目な女性です。嘘が分かったとき、大変なことにならなければいいのですが』

今の司は気に入った女を遊びで落すことを目的としているのではない。
そして司は、恋を楽しんだことがない。
それは今まで恋をしたことがない男なのだから当然だが、今は違う。
いつの間にか二人の間に出来た雰囲気は、それまで司が感じたことがない、思いがけない突風が巻き起こした恋の嵐といったところだ。

そして今までの司は、ビジネスと女はきっちりと分けていた。だが今はビジネスを理由にしても、牧野つくしを自分のものにしたいと考えているが、その為にはある程度の策を弄することが必要なのだが、丁度いいチャンスが巡って来たことに感謝した。

それは、クリスマスパーティーという今までの司にとってはどうでもいい社交上の付き合い。NY時代から毎年数多くの招待状が届くが、パートナー同伴ということから参加したことはない。何故ならパートナーに選ばれた女が勘違いするからだ。

だが過去に仕方なく女を同伴したことがあったが、恰好のゴシップネタとしてタブロイド紙に取り上げられるといったこともあり、騒がれることに辟易した。
そして適齢期の娘を持つタヌキ親父たちからの招待にうんざりしていた頃があった。
そういった事もあり、適当に女と付き合いはしたが、長続きすることはなく、帰国すると同時に当時の女とも別れた。

そんな男が今年はクリスマスパーティーへ参加しようとしていた。
そしてパートナーとして同伴するのは勿論牧野つくし。
業務命令として参加を命令すれば、絶対に断ることは出来ないと知っている。何しろ彼女は真面目なのだから。

それにあの男を牽制する必要がある。
いくら本人が新堂巧と付き合うつもりはないと言っても、相手にそれを伝えなければ意味がない。だが既に伝えているようには思えなかった。
どちらにしても、あの男はそう簡単に諦めるような男には見えなかった。

司が他人に対し抱く第一印象というのは、外れたことがない。
新堂巧に対し感じたのは爽やかな男といった印象だが、それでもどこか気に入らない所があった。そうだ。何かが引っかかる男だった。だが相手も大企業の後継者だ。人に強いとまでは言わないが、何らかのインパクトを与えることがあるのは当たり前だ。そうでなければ、後継者としての影が薄いと言われてしまうからだ。

それに彼女が席を立ち執務室を出たとき、例によってメールを覗いたが、<菱信興産 新堂巧>からのメールはやはり届いていた。そしてその内容は、以前と同じような食事の誘い。
諦めないという言葉はビジネスに於いて重要な言葉だが、この場合は諦めて欲しい思いがある。そして先日のバーでのことを謝っているメールも届いていた。

それは、巧がウォッカの分量が多いスクリュードライバーに注意を怠ったため、彼女が酔う羽目になったことへの謝罪だ。そしてその返事は「気になさらないで下さい」といった内容だった。
業務提携先企業の専務からの誘いを無下に断れない女と誘いを諦めない男。
どちらの質が悪いのかと言われれば、諦めの悪い男の方だ。

司は執務デスクまで戻ると椅子に腰かけ脚を組んだ。
そしてきちんと積まれた書類のひとつを取り、書かれた数字をいくつか確認すると視線を書類から外し、彼女を見た。

「牧野。出席したいパーティーがある」

「・・パーティーですか?」

「ああ。クリスマスパーティーだ。いくつか招待状が届いていたが、そのひとつに参加する。お前はパートナーとして同伴してくれ」

司は、彼女がパソコンのキーボードを打つ手を止め、自分を見つめる目と唇とその口から返される言葉を待った。そして一瞬考えたがすんなりと出た言葉は秘書の仕事のひとつとして男の言葉を理解しているようだ。

「あの。どちらのパーティーでしょうか?」

つくしは、すぐに郵便物のデータをパソコンの画面上に呼び出した。
秘書である彼女は、司宛に届く全ての郵便物を開封する作業をしている。
そして業務として司宛に届いた郵便物は、どんな些細なものでも受信簿に記録している。
だから当然だが招待状といったものの管理も彼女の仕事であり、返事が必要となるものについては返信をしていた。だがつくしが秘書になってからパーティーに出席すると返事を出したことがない。どれも丁寧な断りの文言と共に欠席と書かれたものばかりだった。

「ああ。慈善団体が主催するパーティーだがそこに出席する」

名の知れた慈善団体が毎年主催するパーティー。
それは、すなわちチャリティーパーティー。
恵まれない子供たちへの支援活動といったものが目的になるが、招待状が送られているのは、大口の寄付を目的としていることもあり、日本を代表する大企業ばかりだ。

道明寺HDは多額の寄付を済ませているが司は参加する予定はなかった。
だが気が変わった。なぜならそのパーティーには新堂巧が来ることを知ったからだ。

日本を代表する大手総合化学メーカーである菱信興産の専務は誰かを同伴するとすれば、牧野つくしを同伴したいと思うはずだ。
そして事実、誘いのメールが届いていた。
だが彼女は賢明だ。新堂巧宛に出されたメールの中身は、丁寧な断りの文言が並んでいた。

「23日の夜ですね?」

「ああ。それだ」

いくらクリスマスのパーティーだからといって、クリスマスは家族や恋人と過ごしたいと考えるのが普通であり、イブの夜にこういった類のパーティーを開くことはない。
司は返事をしながら新堂巧の前で彼女と並んでいる姿を想像していた。

「あの・・副社長。私を同伴されるとおっしゃいましたが、本当に私でいいんでしょうか?」

戸惑いの表情を浮かべているが、仕事として考えている女は真剣な顔つきだ。

「ああ。俺の秘書だろ?それならそれは仕事だ」

司は牧野つくしの反応をさぐるように見た。
彼の言葉の半分は、上司が秘書に対していう言葉だが、それを差し引いた残り半分はそうではない。
そして司は彼女を自分の方へ振り向かせることに自信がある。
今はまだ自分の本心に向き合うことが出来ないとしても、新堂巧という男が彼女にとって恋の対象外だと知っているからには、自分だけに目を向けてもらうことをするまでだと分かっていた。





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2017
12.27

金持ちの御曹司~Crazy For You~ 

神よりも金を持つという男がいる。
そしてそんな男は肉体的な美貌も持ち、コンプレックスという言葉の意味を知らないのではないかと言われている。

「おい、司。お前コンプレックスの意味が解るか?」
「なんだよ?あきら。いきなり」
「だからコンプレックスの意味だ」
「コンプレックス?コンプライアンスじゃねぇんだな?」

どこの会社もだが、不祥事を防ぐ目的もありコンプライアンス教育には重きを置いている。
何故ならコンプライアンス意識の向上は、業績向上にも繋がると考えているからだ。
だがあきらが司に訊いたのはコンプレックスの意味だ。

「ああ。コンプレックスだ。司、お前、この意味が分かるか?」
「・・ンなモン簡単だ。優越感とか劣等感とかって意味だろうが。なんでそんなことを聞く?」
「いや。ちょっと聞いてみただけだ。大した意味はない。けどお前には関係ない言葉だよな?何しろお前は人が羨むほどの金を持ち、見た目もすこぶるいい男だ。お前にはコンプレックスなんて言葉は意味がねぇよな?それにお前はコンプレックスよりコンプリートって言葉の方が似合ってるからな」

司はお疲れと言って執務室を訪れたあきらの話を黙って聞いていた。
バカ坊ちゃんと言われたのは遠い昔の話。18の時、父親の跡を継ぐことを決め過去は捨てた。今では無口でハンサムで冷酷で非情。ビジネスに於いては容赦がないと言われている。
そんな男は誰の手にも落ちない一筋縄ではいかない男と言われ、頭数だけで生きている大多数の人間には及ばないと言われている。
そして当然だがそんな男と同じ土俵で戦おうという男はおらず、男の前にはビジネス戦争で敗れた人間たちの屍だけが残されていた。

しかし、そんな司がひとつだけコンプリートしてないものがある。
ちなみにコンプリートの意味には、完全な。完成した。という意味があり、それはまさに男として完全な彼に相応しい言葉だが、高校生の頃、追いかけ回し、やっとの思いで振り向いてもらえた牧野つくしに対してはコンプリート出来ないでいる。
つまり制覇出来ないでいるということだ。

そんな男は愛しい女に対しては純情過ぎるほどの思いを持ち、深過ぎる愛情といったものを持つ。
だからあきらは時にそんな男の暴走を止めてやることも必要だと思っている。


「司、お前もう少し気をつけてやれよ?」
「何をだよ?」
「いや。だから・・・アレだ」
「アレ?アレってなんだよ?」
「だからお前あいつと愛し合う時は色々気を付けろってことだ」
「・・なんだよ、あきら。お前人のセックスに口を出すつもりか?」

司は言葉の語尾が上がり、表情は遠い昔、人ひとり殺しかねないと言われた頃の顔をしている。あきらはそんな司を恐れる訳ではないが、自分の身は大切だ。余計なことを口に出したばかりに、とばっちりを受けることだけは避けたい思いがある。だから慌てて否定した。

「誰がお前らのセックスに口なんか出すかよ!俺が言いたいのはな、キスするんなら気を付けろって言う意味だ」
「気を付けろ?・・意味が分かんねぇな。何を気を付けるってんだよ?お前、俺があいつとキスすることに反対するのか?・・・まさかお前・・牧野のことが好きなのか?!冗談じゃねぇぞ!お前親友面して実はあいつのことが好きなのか!?」
「あのな・・なんでそう話が飛躍するんだ?司。俺が言いたいのは、キスする時はもっと見えねぇ場所にしろって意味だ!」
「・・見えねぇ場所?」
「そうだ。お前、いくらあいつのうなじが綺麗だからって吸い付くのは止めろ」

うなじに吸い付く。
確かに吸い付いた。
つい先日のパーティーで髪をアップにしたアイツのうなじが艶めかしく、思わずキスをした。
そうしたらあいつの身体がブルッと震えたのを感じ、その場で欲情しそうになるところをグッと抑えなんとか堪えた。
だが会場がメープルだったことをこれ幸いに、パーティー終了後すぐに上の階にある部屋で散々貪ったが、見えるところにキスするなと言われたが止まらなかった。
その結果、酷く怒られた。

『もうどうするのよ・・こんなところに・・』

こんなところに。
の、ひとつがうなじだが、別に誰かに迷惑をかける訳じゃあるまいし。
と、思うのだが顏を真っ赤にした牧野はこう言った。

『は、恥ずかしいのよ。だって身体中に痕があるのよ?』

別にいいじゃねぇか。
それとも身体中に愛しい男からの口づけの痕があることが嫌だって言うのかよ。
・・ったくあいつはいつまでたっても男の愛情を受け取るのが下手だ。
まあそこがあいつの可愛らしいところだが。
けど、なんであきらがあいつのうなじに情熱の痕を見つけたのかが気になる。

「あきら。なんでお前あいつのうなじにキスマークがあることを知った?」
「知るもなにも髪をアップにすりゃ誰でもわかるだろ?パーティーでそんな髪型にしてりゃ丸見えだそ?いいか。司。牧野はそういった愛情表現は苦手だ。気を付けてやれ。まあ、とにかく、お前の持ち馬が勝ったのは嬉しいことだ。司、良かったな。ブラックの引退記念パーティーも盛況だったしあの馬もやっとのんびり出来るって喜んでいるはずだ。・・ってことで俺帰るわ。邪魔したな」

そんな言葉と共にあきらは執務室を後にした。


あきらの言うとおり、持ち馬が最近レースから引退した。
それはクリスマスイブの日。今年最後のG1レースである有馬記念。
馬の名前は「ツカサブラック」牡5歳。黒鹿毛の美しく雄大な馬体を持ち、スピードとスタミナのどちらも並外れた身体能力を持つ馬の引退レースは、優勝という有終の美を飾るに相応しいもの。芝2500メートル、10万人の大観衆のなか、最後の直線はぶっちぎりの早さで駆け抜け、影を踏ませることもなかった。

そんなツカサブラックは、すでにG1で6勝していたが、今回でG1最多タイの7勝目を勝ち取った。それは感動的なフィナーレ。引退の花道としては最高の舞台。
日本一になった馬は、まさに日本一の男に相応しいと言える。

そしてその馬主である司は、優勝馬であるツカサブラックとの記念写真が新聞紙面を飾っていることに笑顔を浮かべていた。
何故なら、そこには控えめだが一緒に牧野つくしも写っているからだ。

元々ツカサブラックは、つくしが飼おうといった馬。
すでにいたツクシハニーという牝馬に惚れた黒鹿毛の馬を見たつくしが、傍にいさせてやりたいといった思いで司に強請った馬だ。
その時、彼女に言われたのが「あんたに似てる」の言葉。そんなことから名前はツカサブラックに決まったという経緯がある。

だが確かにツカサブラックは司に似ていた。
心臓が強く、何があっても折れない心を持ち、メンタルが強い。
それは司が高校時代、どんなにアプローチしても、つくしに逃げられていたことを思い出させた。

そんなツカサブラックの引退後の生活は北海道の牧場で悠々自適の暮らし。そして傍にはツクシハニーがいるが、その名の通りハニーは牧野に似ている。
初めの頃、ツクシハニーにちょっかいを出すツカサブラックは彼女に嫌われていた。だがブラックの熱心な求愛にハニーも心を許し、受け入れた。
そしてその関係は、まさに自分達と同じだと司は常々思っていた。

「ツカサブラックも引退か・・。ちょっと残念な気もするがあいつの余生を考えればそれでいいのかもしれねぇな・・・それにしてもあいつはこれからツクシハニーとヤリ放題か」

司はそんなことを口にし、執務デスクの椅子で目を閉じ腕組みをすると、愛しい女との夢の中へ堕ちていた。









「・・もうこうなったらパイプカットするしかないわね・・」

司の耳に飛び込んで来たのは信じられない言葉。
そして彼の目の前に立つ女は司を見つめていた。

「お前・・な、なんだよ、その物騒な発言は!い、いきなり何を言い出すんだ!なんで俺がパイプカットしなきゃなんねぇんだよ!それに俺がパイプカットなんかしたらお前との子供が出来ねぇじゃねえかっ!」

「司は女にモテるものね・・ちやほやされていい気になって、その気になったら困るもの」

「アホか!俺がお前以外の女に興味があると思うのか!お前はどうかしてるぞ!俺が今まで他の女に目をくれたことがあったか?それとも何か?お前は俺が他の女とイチャついているところでも見たっていうのか!?」

「やっぱり心配なのよね。この前だって可愛い子に声をかけられて鼻の下が伸びてたもの」

「バカなことを言うな!俺は可愛い子は相手になんかしねぇ!それにいつも言ってるだろうが!俺はお前以外の女に興味はねぇんだよ!」

司は突然つくしの口から出たパイプカットという言葉に衝撃が走り総毛立っていた。
女は彼女だけで、彼女以外目もくれたことがない男に対してのその言葉に自分の愛情が足りなかったのかと、今までの毎日どんな態度を取ったのかと振り返ったが、身も心も全てを彼女に捧げている男としては、これ以上どんな態度を取ればいいのかと思わずにはいられなかった。
そしてつくしの真意を確かめようと、恐る恐る口を開く。

「なあ牧野・・お前マジで俺にパイプカットして欲しいのか?そんなことしたら俺たちの子供が出来ねぇだろ?」

司はじっとつくしを見つめるが彼女の目は真剣だ。
だが司も真剣だ。何故なら司は彼女を愛しているからだ。
彼女だけを愛していて他の女など全く興味がない。だから必死で訴える。

「なあ俺はお前以外の女に目を向けたことはねぇぞ?お前しか愛してない。一目会ったその日からお前だけだ。お前以外目に入らねぇ。それにお前と仕事で離れ離れになった時は辛くてメシも喉を通らねぇくらいだ。それでもなんとか口にして仕事に出て駆けずり回ってる有り様だぞ?そんな男が他の女に目をくれるはずがねぇだろ?お前は他の女と比べものにならないほどいい女だ。牧野。俺の目を見ろ。この真剣な目を!一点の曇もないこの澄んだ瞳を!」

「司はカッコいいし、お金持ちだしモテるから・・」

「牧野。いつも言ってるだろ?俺は外見や金に惹かれる女には興味がねぇ・・。俺はお前の何に惚れたか知ってるだろ?その飾り気の無さと誰に対しても態度が変わらないところだ。お前のその凛とした態度が俺の心を捉えたんだぞ?」

「それに、司はこの世の中で最高の男って呼ばれてるから、女性が放っておかないでしょ?だから心配なの」

司は自分が最高の男と呼ばれていることは知っている。
生まれ持った美貌は神の采配であり、家が金持ちなのはたまたまに過ぎない。
そして女性が放っておかないというのは、その言葉通りで司はどんな女からもモテる。だがそれは仕方がないことだ。しかし司は放っておいて欲しいと望んでいる。だからつくし以外の女が傍に寄ると途端に機嫌が悪くなることを彼の周りの人間は知っている。

「牧野。俺は他の女がどうだろうと、お前だけだ。お前以外何もいらない男だ。俺が跪くのはお前の前だけだ。もしそれでも足んねぇって言うなら五体投地も厭わねぇ・・。身体の全てをお前の為に投げ出すつもりでいる。それなのにそんな男の何を疑うっていうんだ。な、牧野?俺を信じろ。俺は他の女には目もくれない男だ」

「でもね、司。あんたが相手にしなくても、無理矢理ってこともあるでしょ?」

「む、無理矢理ってなんだよ?俺が女に襲われるとでも言うのか?そんなことある訳ねぇだろうが!」

馬鹿力と言われる司の自由を奪い無理矢理ヤルことが出来る女などこの世の中にいるはずがない。

「・・あたし、他の女があんたの子供を産むなんてことを考えたら悔しくて眠れないの。・・・だから手術を受けて。それに私、失敗しないので。私に切らせて?」

まるでどこかの女医のような事を言う牧野。
だが見れば白衣姿だ。
お前いつの間に医師免許を取ったんだ?

「ほら。大人しくして。痛くないようにするからね?まず麻酔をかけなきゃね?」

司は注射器を手に近づいて来るつくしから逃げようとしたが、身体の自由が全く利かず身動きが取れず何故か逃げられなかった。

そして・・・

司は自身の身体を見て驚いた。
その身が総毛立った理由も分かった。
事実、司の全身は毛に覆われていたからだ。
そして身体の自由が利かない理由も分かった。
何故なら司は馬の姿で顏にはホルターが付けられ、リードはしっかりと柱に繋がれ、どんなに暴れたとしても逃げることが出来ないような状態にされていた。
そんな状況に注射器を手にじりじりと迫ってくる牧野。
そしてまさに今、その手にしっかりと握られた注射器は司の首に突き立てられようとしていた。

「ツカサブラック。すぐ終わるからね?大丈夫よ?」

「や、止めろ!ま、牧野・・・止めてくれ・・俺はお前以外の女に興味はねぇって言ってるだろうが!た、頼む!パイプカットなんてことは止めてくれ!!」









厭な汗をかくというのは、こういうことを言うのだろう。
司は注射を打たれる寸前で目が覚めハアハアと荒い呼吸を繰り返していた。
そして思わず腰かけた姿勢で下半身を見たが、ファスナーが閉められていることにホッとした。何故ならもう少しで獣医師になったつくしにパイプカットをされるところだったからだ。

司はすぐに気を取り直すと立ち上がり、スーツの乱れを直し足早に執務室を出た。
それはまるで注射器を持ったつくしが迫ってくる夢の続きを見たくないからなのか。
それとも早く彼女に会いたいからか。
とにかくエレベーターの前に辿り着くと、ひとつしかない下ボタンを押し扉が開くと急いで足を踏み入れた。







世界一の女だけが道明寺司の傍にいることが出来ると言われているが、その世界一の女は、今日も仕事に邁進していた。
時計は夜8時半。残業中の女は、恋人の姿に驚いた顔をしたが、嫌な顏はしなかった。
それもそのはずだ。そのフロアにいる社員は彼女だけだからだ。

「あれ?どうしたの?もう終わったの?早いね?あたしももう終わったから支度するね」

一緒に帰ろうといった約束をしていたふたり。
今夜は珍しく司の方が早く仕事が終わり、執務室でつくしからの連絡を待っていたところだった。そしてそんな暇な時間が自身を愛馬ツカサブラックの姿に変え、パイプカットをされるという恐ろしい夢を見させた。

だが司はその時思った。
これはもしかするとツクシハニーの嫉妬ではないかと。
そうだ。競馬界のレジェンドとなったツカサブラックが種牡馬として利用されることを阻止するため、自分の男が他の女との間に子供を作ることを嫌がってあんな夢を見させたのだと感じていた。

しかし、女の嫉妬は恐ろしいと聞いてはいるが、まさか馬にまでそんな嫉妬があるとは思いもしなかった。
司は、ツクシハニーの気持ちもツカサブラックの気持ちも分っているつもりだ。
やっと愛しい女の元で過ごすことが出来るブラックを、種牡馬として他の女に種を提供する仕事をさせるつもりはない。それに司から見たあの馬は自分と同じで1人の女を幸せにする為だけに仕事をして来たと思えるからだ。そうだ。愛する女の為に身を粉にして働く男の見本のようなものだ。あいつは生涯獲得賞金もかなりの額であり、種牡馬として生計を立てる必要などない。

もし仮にだが司に他の女との間に子供が出来たとする。
いや。絶対にそんなことは無いが、もしそうなったとしたら、牧野はどうするのか?
勿論、激しく嫉妬をするはずだ。
いや。そうであって欲しい。
だから今こうして呑気に帰り支度をしている女が嫉妬に狂う姿を見たい気もするが、もしそうなれば自分より他人の幸せを願う女は笑顔でこう言うはずだ。

『道明寺、幸せになってね。それから奥さんと子供を大切にしてあげてね』

だがそんな言葉など聞きたくない。
司が妻にしたいのは、牧野つくしだけ。
子供を作りたいのも彼女とだけ。
そして幸せになりたいのも彼女とだけ。
他の女は誰も要らない。
そしてもちろん、他の女に興味はない。
だがそれは彼女も同じ。
二人はこれからもずっと一緒にいると決まっている。

「牧野。早く帰ろうぜ。・・・それから腹減っただろ?メシ食いに行こうぜ」

その言葉に嬉しそうに目を輝かす女は、今夜は何をご所望か?
ラーメンなら駅のガード下の来々軒。
カレーなら本格的なナンを出すインド人が経営するタージマハル。
ナンプラーの効いたタイ料理が食べたいならバンコク。
あの店のトムヤムクンとナマズ料理は本国にも負けない美味さがある。
そしてどの店も庶民的な味が売り物の店だ。

昔の司なら現地まで連れて行くのが当たり前だったが、今はどんな場所でも付き合う男は、随分と庶民の食べ物にも詳しくなり、彼女と食べる物ならどんなものでも美味いと思えるようになった。
そしてそれが、普段仕事が忙しい男の楽しみであり、ギスギスとしていた心が柔らかくなる瞬間だ。
そして彼女が美味そうに食べる姿を見るのが好きだ。
「美味いか?」と訊けば「うん。美味しいよ。アンタも食べる?」と言われれば喜んで彼女の箸を口に入れることが出来る。そして潔癖だと言われていた男の変わりように友人たちは驚くが、それが愛というものだ。


「お待たせ、道明寺」
「おう。じゃあ行くか?」
「うん!今日は何食べる?」
「お前の好きなものなら何でも」
「そう?じゃあねぇ・・・」

そう言って何を食べるか考え始めた女とは別に、司はその後のことを考えていた。
だが、がっつくのはみっともないといった思いから猛獣モードになるのはもう少し先だと我慢した。

そして近づいてきた女の肩に腕を回し、顔を傾けると優しくキスをした。





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今年の『金持ちの御曹司』は本日が最後です。
いつもお付き合いありがとうございます。(低頭)
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2017
12.25

追憶のクリスマス ~遅れてきたプロローグ~

クリスマスイブの10日前に目覚めた司。
簡単には利かなかった身体の自由。
それでもどうしてもクリスマスイブに二人に逢いたかった。
そしてその思いが司の身体に奇跡を起こした。


椿から息子がいると聞かされたとき、まさかといった思いと同時に湧き上がった歓びがあった。それは、何が起ころうと、誰に何かを言われようと、自分の意思を貫き通すことを決めた彼女が二人の間に出来た子供を産み育てることを決断したことだが、その決断は司にとっては嬉しいものだった。

だが、椿からの援助の申し出を断り、シングルマザーとして仕事と育児をこなす女の苦労は並大抵ではなかったはずだと思う。
しかし彼女は昔から苦労を苦労と思うことがなかった。そして苦しいといった素振りを見せたこともなかった。守ってもらわなきゃ幸せになれない女じゃないと言ったこともあったが、司には分っていた。それが健気な強がりであることを。

そして息子に駿(しゅん)という名前をつけた理由を教えられたが、どんな困難にも怯むことなく立ち向かう馬のようになって欲しいといった意味があると。
そして活発で活動的。行動力のある人間になって欲しいといった願いを込めたと訊かされたが、まさに活発な男の子はパパの存在を心から喜んでいた。




「ママ!パパが来たよ!パパはお船に乗って海の上にいたけど、来てくれたよ!きっとサンタさんのソリに乗せてもらったんだね!パパいいな~。サンタさんのソリに乗るなんて!いつか僕も乗りたいな」

幼児らしく頬を赤く染めた我が子の話は、サンタクロースの存在を信じているからだが、司がその存在を否定することは出来なかったし、もちろんそのつもりはない。

「ああ。駿も乗せてやる。今年のサンタは帰っちまったが、来年は必ず乗せてやる」

「ほんと?僕サンタさんに会いたいよ!だって今年はパパを連れてきてくれたんだもん。僕サンタさんにお礼を言わなきゃね。でもママはサンタさんはいい子でいて、早く寝る子のところにしか来てくれないって言うんだ。それじゃあ僕永遠にサンタさんに会えないよね?だから来年からは夜更かししてもいいよね?」

「駿ダメでしょ?子供は早く寝るって決まってるの。遅くまで起きてたら、サンタさん来てくれないわよ?それでもいいの?」

駿は母親からそう言われ、哀しそうな顔をした。
母は嘘を言ったことはなく、いつも正しいことしか言わなかったからだ。だから母の言うことは絶対だ。そして親子揃って真面目なのだから駿は母の言葉を疑うことはない。

「・・それは困るよ。だってサンタさんには来年もパパを連れて来てもらわなきゃならないもん・・・」

来年もパパを連れて来てもらわなきゃならない_

その言葉に司は胸の奥から突き上げるものを感じていた。
この年頃の子供は素直だ。そして正直だ。自分の思ったことをそのまま口にする。
今我が子が口にしたその言葉は、パパはまた海の上の生活に戻ってしまうと思っているようだ。

「・・駿。いいか。パパはもう船には乗らねぇし海の上に戻ることはもうねぇぞ。これからはずっとお前の傍にいてやる。それにな。心配するな。パパがサンタのプレゼントよりもっといいものをプレゼントしてやる」

そう言って司は息子の髪に手を差し入れ、くしゃりと掴んだ。癖のある髪の感触は自分の髪の毛と同じだが、見つめる瞳の輝きは母であるつくしのものだ。そしてその母親は司の言葉に鋭く反応を示した。

「ちょっと!な、なに言ってるのよ!子供の夢を壊すようなこと言わないでよ!クリスマスのプレゼントはサンタクロースが持って来ることに決まってるんだからね!勝手なこと言わないでよね?」

「あぁ?なんでサンタじゃなきゃなんねぇんだよ!今までだってお前がサンタやってたんだろうが。それに俺がサンタなんかに負けるわけねぇだろうが!それに子供にプレゼントをやるのはサンタじゃなくて父親の役目だろうが!」

だが司は親からクリスマスプレゼントといったものを贈られた記憶がない。
世間から見れば、裕福な家の子供で、当然のように沢山のプレゼントが贈られては来た。
だが心から欲しかったものが何かと言えば、物ではない。それにどんなに高価な物が贈られても、子供には不相応と言えるものばかりであり、心に響くような物はひとつもなく、サンタクロースという人物がプレゼントを配達してくれるリストからは漏れたのだと感じていた。
だから枕元にそっと置かれるプレゼントといった物はなく寂しい思いをした。司は、そんな思いもあり自分が経験したような子供に無関心な親になるつもりはない。

「ちょ・・子供の前でそんなこと言わないでよ!こ、子供には夢ってものがあるの。それを親のアンタが壊してどうするのよ!」

「・・パパ・・サンタさん・・本当はいないの?」

司は我が子のしょんぼりした声に慌てていた。
今まで寂しい思いをさせてきた我が子が悲しむ顔など見たくない。
それに父親である自分が傍にいなかったことを考えれば、息子をここまで育ててきた女の言葉に同調しなくてどうするのかといった思いが沸き上がった。

「いや。駿。サンタはいる。サンタクロースはいるぞ。だからパパはそのサンタのソリに乗せてもらって海の上を飛んでここまで来た。とにかくサンタはいる。いつも忙しい男だが確実にいる。絶対にいる。けど来年はサンタからソリを借りてやるからな。それにあの男はソリを沢山持ってるから心配するな?・・な、つくし?」

「えっ?う、うん」

司は話をつくしに振り、これ以上サンタクロースの件で話をするのは止めたとばかり部屋の片隅に置かれたプラスチックで出来た小さな緑の木に目を止めた。

「それにしてもチンケなツリーだな」

「ちょっと!今度はなによ!うちのツリーに文句つけるつもり?」

「ああ悪りぃ。つい本音が出ちまった。まあいい。それより行くぞ」

司は、本当はそんなことを言うためここに来たのではない。
離れ離れになっていた家族をひとつにするためここに来た。

「・・?行くってどこに行くのよ?」

「決まってるだろうが。うちだ。邸にはデカいクリスマスツリー飾ってある。それを駿に見せる」

司は我が子の存在を知り、大きなツリーを用意し、豪勢な料理と大きなクリスマスケーキも用意した。そしてクリスマスプレゼントも準備した。だが自分によく似た息子とその母親が真剣な顔で自分を見つめている姿に気付いた。

「あのね、あたしと駿はこれからケーキを食べて、ハンバーグを食べるの。だから_」

司は言葉に詰まった女の思いを理解した。
毎年親子二人。小さなツリーを前に、丸く白い小さなケーキと、手作りハンバーグを食べるのがこの家の大切な行事。これが年の瀬の息子の楽しみであり、この親子にとって小さな部屋の中で過ごすこのスタイルが彼らのクリスマスであることを。
そして願い事を叶えて欲しいとサンタクロースに祈り、翌朝になればパパがいることを願っていた我が子。だが叶えられることはなかったその願いの代わりに、枕元に置かれた母親からのプレゼントを開けていた我が子の姿が見え、司はその思いを受け止めた。

「・・ケーキもハンバーグも持って行けばいい・・それにお前が用意したプレゼントもだ。駿、支度しろ。ママのハンバーグを持って出掛けるぞ。勿論ケーキもだ。パパの家にはデカいツリーが飾ってある。それを見に行くぞ」









クリスマスキャンドルが揺らめく部屋は、赤や緑。銀や金の飾りが施され、中央にある大きなモミの木は本物だ。
そしてその木に飾られているのは、小さなプレゼントボックスや、靴下。雪の結晶や、赤と白のストライプの杖、金色に輝くベル。天使やキラキラと輝くボールといった色とりどりのオーナメント。
そしてキリスト誕生を告げたベツレヘムの星と呼ばれる煌めきは、高い木の頂上で輝きを放っていた。

そんなクリスマスツリーの根元に置かれたリボンが掛けられた沢山の箱は、我が子と愛しい人への贈り物。
本来なら毎年贈るはずだったが、逢えなかった6年という長い年月の思いを込めた贈り物の数々。たとえそれが贅沢だ。こんなに沢山勿体ないと言われようと、どのプレゼントにも思いが込められている。

「駿。あれは全部お前へのプレゼントだ。パパが今までお前に逢えなかった分だ」

駿は突然連れて来られた大きな邸と大勢の使用人の出迎えに戸惑っていたが、活発な子供らしさと、好奇心に満ちた眼差しで色とりどりの紙で包まれた箱に目を向けていた。

「わぁ~!パパ!本当にいいの?あれ全部僕が貰っていいの?こんなに沢山プレゼントを貰うなんて初めてだ!ありがとう、パパ!」

駿はそれまで握っていた司の手を離し、プレゼントの箱が詰まれたツリーの元へ走って行くと、床に座り込んだ。そして、リボンが掛けられた大きな箱の包み紙を剥がし始めた。

「駿!今日はまだイブよ?プレゼントを開けるのは明日でしょ?」

「別にいいじゃねぇか。今日だろうが明日だろうが。それに沢山あるんだ。少しくらい開けても構わねぇだろ?いいぞ、駿。沢山あるんだ。ちょっとくらい開けても構わねぇからな」

中から出てくるのは、5歳の男の子が喜びそうなもの。だがそれは司が見たことがないようなおもちゃが入っていた。もっと高価なものをと考えたが姉に言われたことを思い出していた。

『子供は値段なんか関係ないの。それよりも手にして遊べるおもちゃが一番いいの』

そう聞いた司は、それならと考えたが結局分からず邸の中で5歳児がいる使用人を集め、聞いていた。その結果選ばれたおもちゃの数々が用意されたが、その中に多少現実離れしたものがあったとしても、それは仕方がない話だ。何故なら司が幼い頃、貰ったプレゼントもそういったものだったのだから。

例えばそれが高級外車をそのまま小さくしたレーシングカートだとしてもいいではないかという気でいた。何しろ、息子がいると知り、行動を調べたが、車にいたく興味があることを知った。だから息子が好きだというものなら与えてやりたいと思うのが親だ。そして当然、邸の庭に走行コースも作らせたが安全面も考慮されている。
だがもし息子が鉄道を好きだというなら、どこかの鉄道会社を買収してもいい。
それに鉄道模型が走る部屋も作ってやるつもりだ。
たとえ親バカと言われようが一向に構わない。これから今まで出来なかったことをもっとするつもりでいるのだから親バカ上等といった思いだ。

そして、自分をそんな親バカにしてくれる女にも渡したいものがある。

「それからつくし・・お前にも6年分のプレゼントだ」

司が用意したプレゼンとは、オニキスのように曇のない漆黒の瞳に似合う宝石たち。
だが彼女が持つ人としての輝きには負けることは分かっている。そしてそんな宝石は要らないと断られることも分っている。しかしそれでも好きな女を美しい宝石で飾りたいといった思いを持つのが男だ。最上の女には、これ以上ないと言われる最上のものを贈りたい。

だが司が本当に渡したいプレゼントは、6年前のクリスマスイブに渡すつもりでいた指輪。
これまでずっと彼女の家にあったが、嵌められたことがないという指輪だ。
だから今夜その指輪を彼女の指に嵌めるつもりでいた。

「メリークリスマス。つくし。今まで哀しい思いをさせて悪かった。それから長い間ひとりにさせて悪かった。・・・それと、駿を産んでくたことに感謝する」

司は小さく頷いた女の左手を取り指輪を嵌めた。

「・・あたし、この指輪をアンタに嵌めてもらう日を待ってた。でもね、もしアンタが目を覚ましてまたあたしのことを忘れてたらどうしようと思った。あたしを忘れて駿のことなんてどうでもいいって思われたらどうしようって・・」

高校生の頃、司は彼女のことを忘れたことがある。
そして彼女に対し酷い言葉を吐いた。

「_んな訳ねぇだろ?俺が二度もお前のことを忘れるなんてこと許されるか?もしそんなことになるようなら俺は神を恨んでやる。それこそ、サンタのソリに乗って神のいる天まで飛んでって文句を言ってやる」

「バカ。サンタの存在なんて信じてないくせに何言ってるのよ」

「いや。俺は信じてる。駿が信じるものは俺も信じる。子供のいうことを信じてやれねぇ親は親じゃねぇだろ?」

親は何があっても子供のことを信じてやる。
世界でただ一人、無償の愛を与えることが出来るのは親だけなのだから。
今の司は息子の言うことならどんな望みでも叶えてやるし、信じてやることが出来る。

「・・でも突然親になって驚いたでしょ?」

「ああ。驚いたかって言われれば驚いたがすぐに驚きよりも嬉しさの方が上回った。それに俺にそっくりだってことにも驚いたが、我が子ってのは可愛いモンだってことに気付くに時間は掛からなかったな。けど性格はお前に似てるな?頑固そうだし、それに見ろよアレ」

そう言われ、ツリーの下でプレゼントが包まれた紙を丁寧に剥がす我が子の姿につくしは笑った。

「ああ、アレね?包装紙は再利用できるから丁寧に剥がすのよっていつも言ってるから」

勿体ないと言うのが口癖の女の教育は、ちゃんと我が子に伝えられているようだ。
だがそんな我が子の姿も愛おしいと感じる父親は、息子の母であるつくしを抱きしめた。
そしてただひと言言った。

「・・つくし。ありがとな」

「・・うん・・」

そう言って笑顔で流す涙は美しかった。












二人にはクリスマスツリーの下に置かれているプレゼントなどどうでもいい。
欲しかったのは、たった一人の人。
そして神が与えた宝物である男の子が司にとっては最高のプレゼント。

光が溢れる部屋の外は真っ白な雪が降り続いている。
それは冷たい雨ではなく、真っ白な雪。
そしてそれは、50年以上前のクリスマスイブに降った雪と同じ雪かもしれない。

いつだったか雪のように冷たい雨に打たれ、心が張り裂けそうな思いをしたことがあった。
だが、今降る雪は沢山の雪の結晶が作り出した柔らかな雪。
その雪は、街のざわめきを呑み込み、灰色の景色を真っ白に変える。
そして、今始まる二人の物語。
物語の始まりは遅れてきたが終わりが良ければそれでいい。
そう思う男は、今この瞬間の幸せを噛みしめながら、共に過ごせなかった時をどうやって取り戻そうかと考えていた。





*追憶のクリスマス ~遅れてきたプロローグ~*

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2017
12.24

追憶のクリスマス ~空からの手紙~ 後編

『雨は夜更け過ぎに雪へと変わる』

そんな歌がある。
だがクリスマスイブの夜、東京に雪が降ったのは、50年以上も前の話で降れば奇跡と呼ばれている。そして今年のクリスマスイブも雪は降ることはないはずだ。
つまり奇跡は起きないということだ。

そしてその歌の続きは_

『きっと君は来ない』

またいつか逢えるはずだと願う人間には辛い歌詞。
だがもし、今夜降る雨が雪に変われば奇跡が起きるはずだ。
だから毎年願う。この日に雨が降り雪へと変わりますようにと。
だがビロードのような空には星が瞬いているのだから落ちてくるものなど何もないはずだ。

息子が生まれてからずっと二人で生きてきた。
彼の姉である椿は世田谷の邸で暮らしましょうと言ったが、結婚していない女がそんなことは出来ないと断った。

彼の子供は椿にとって甥だが、父親である弟は目を覚ますことなく眠り続けており、認知されていない子供だ。もし、彼が永遠に覚めなければ誰が財閥の跡を継ぐのかといった問題が浮上するが、そのことに我が子を巻き込みたくはなかった。だからシングルマザーとして働きながら子育てをしている。

そして嗚咽を漏らしながら渡された指輪は、一度も嵌められたことはない。
いつか彼が目覚めて嵌めてくれることを願うからだ。
きっといつかまた逢えると、逢える日を願っている。








「ママ!雨だ!雨が降り始めたよ?サンタさん雨だけど来てくれるかな?大丈夫かな?」

「・・ん?」

つくしは窓の傍にいる息子の声に気のない返事をした。

「だから、ママ雨が降って来たよ・・あ、でも雪だ!雪だよ!」

「本当に?雨じゃないの?」

息子が窓の外を見て言った言葉は本当なのだろうか?
もしそうなら降る雨が雪へ変わることを願わずにはいられない。何故なら東京の街に50年振りに降る雪は奇跡を連れてくるはずだから。

「違うよ!本当に雪だよ。白くてふわふわしてる!ねえママ雪だってば!見に来てよ!」

「うん。わかった。わかったから。でも待って。ママ今手が離せないの」

二人だけのクリスマス。
彼によく似た我が子と過ごす日に奇跡が起こることを願う。
今までもずっとそうして来た。そしてこれから何年経とうが、ずっとそうするつもりでいる。

用意したケーキは、イチゴが乗った真っ白で小さな丸い形。
ハンバーグが大好きだという我が子のため焼く楕円形の上にはチーズが乗るが、その焼き具合を確かめ、ベランダに面した窓に張り付いている我が子の傍へ行った。

「どこ?本当に雪が降ってるの?雨じゃないの?」

「違うよ!本当に雪だから!」

我が子の言った言葉は正しかった。
降り出した雨が雪に変わったのだろう。
窓から見上げた空から降り始めたのは確かに雪だ。そして真っ白な雪の結晶は、ベランダの手すりに薄っすらとだが積り始めていた。

「ね。ママ、雪だよね?」

「うん。そうだね・・・。今年のクリスマスイブは雪になったね?」

イブに雪が降る。
50年以上降ったことがない東京のイブの夜。
あの日、どこかのビルの窓一面に大きなクリスマスツリーの形をした明かりが灯されていた。
あの日、二人は会う約束をしていたがその約束は・・・まだ果たされていない。
だがその約束を今夜果たして欲しいと願うことは、無理な願いだと分かっている。
それでも、もし奇跡が起こるなら今夜起きて欲しいと願う。
真っ白な部屋のなか、静にベッドへ横たわっている彼が目を覚ましてくれることを。

「・・・道明寺・・」

「・・ママ?どうしたのママ?」

つくしはたまらなくなった。
下から見上げる我が子が一瞬寂しそうな表情を浮かべたのを母は見逃さなかった。
そしてそんな表情をさせてしまった自分は母親失格だと感じていた。ひとりで育てると決めたとき、我が子の前では決して寂しい表情を見せないと決めたはずだ。

「うんうん。何でもないわよ。さあ、ハンバーグ食べなきゃね?今日もママのハンバーグは美味しく焼けたはずよ?」

「うん!早く食べようよ!」

5歳の男の子は母親の手を取り、窓の傍を離れた。
そのとき、玄関のチャイムが鳴る音がした。
だがこんな夜、誰がチャイムを鳴らすのかといった思いがある。
つくしの家は都心から離れた郊外にある賃貸マンションの2階だがオートロックではない。
頭を過ったのは宅配便かという思い。我が子を残し玄関に向かった。

「・・はい?どなたですか?」

扉の向うから返って来る声は聞こえない。

「あの?・・どなたですか?」

再び問いかけたがやはり返事はなかった。
仕方なく恐る恐るだが扉に近づき、そっと魚眼レンズに目を近づけた。
するとそこに見えたのは黒いコートを着た男の後姿。
大きな背中に広い肩幅。
その後ろ姿にはどこか見覚えがあった。だが少し痩せて見える。
そしてまさか。という思いがして自分自身に問いかける。

あの人なの、と。

もしそうなら椿から連絡があるはずだ。だがその後ろ姿は紛れもなくあの人のものだ。
間違えるはずがない。どんなに遠くにいてもあの人の姿なら見つけることが出来る。
つくしは、防犯のため用意してあるバットの位地を確かめ、大丈夫だと思い切って扉を開けた。
その瞬間男が振り向いたが、頭には薄っすらとだが白いものがあり、肩にも白い雪の結晶がついていた。
そしてその男の姿が視界いっぱいに広がった。

「・・・どうみょうじ?」

そこにいたのはずっと逢いたかった人。

「・・牧野・・」

名前を呼ばれたがつくしは言葉が出なかった。
そして目の前の男を見つめたまま動かなかった。
もしこれが幻なら、夢なら、彼の姿はすぐに消えてしまうからだ。
だがしっかりと確認したい思いを持っていた。

「・・・どうみょうじ・・・道明寺なの?」

口を開いたが声は哀しいのか嬉しいのか分からないほど震えていた。
少し痩せた身体に似合いのコート着た男は、顔色はよく、長い間眠りについていたとは思えない。そして自分の足で立っている。だからこれは夢でもなければ、幻でもない。現実だ。マンションの廊下に佇む男の姿だ。

「・・ああ。・・牧野・・俺だ。道明寺司だ」

信じられない思いがしていた。
1ヶ月前、病院を訪ねたとき彼は特別室で静かに眠っていた。
その姿は本当にただ寝ているだけで、少し痩せていたとしても、6年前と変わらない姿は今にも起き出して来そうだった。
だがつくしが年を取るように、彼も少しずつ年を重ねていく姿があったはずだ。そして今は真剣な顔をしてつくしを見つめていた。
だがそのときだった。パタパタと小さな足音がして玄関に現れたのは、息子の駿だ。

「ママ、この人誰?宅急便の人?・・・それとも、もしかしておじさんがサンタさん?でも赤い服も着てないし白いお鬚もないよね?でもプレゼント、持って来てくれたんだよね?僕ママにお願いしたんだ。パパに会いたいって!僕パパに会ったことがないんだけど、パパは外国に行く船に乗る船長さんなんだって!だから日本に帰って来ることが出来ないんだって!僕のパパはね、ずっと海の上で暮らしているんだ。・・だからクリスマスも帰って来ることが出来ないんだ。・・・でも今年は帰って来てくれそうな気がしてたんだ!ねえサンタさん、パパを連れてきてくれたんだよね?ねえ、パパはどこ?」

つくしは我が子がパパと言う男性の存在を意識し始めると話をした。
パパは、外国航路の船に乗っていて長い航海へ出ていると。
そしてその船は滅多に港に立ち寄ることはなく、1年のうちの殆どを海の上で過ごすのだと。丁度その頃、駿を連れ港の傍を通ったことがあるが、その時見た船はとてつもなく大きな船。
それを彼の会社に例えるとすれば、まさにその通りと言える大きさだ。だから息子には、パパはああいったお船の船長さんで大変なお仕事をしているの。だから帰ってくることが出来ないのと話をした。

まだ高校生だった頃、彼に言われたことがある。
『俺の夢は叶った。欲しかったものを手に入れることが出来た。それがお前だ』
今のつくしも同じことが言える。

いつも心の中で祈っていた願いは叶えられた。

クリスマスイブ。

やっと会えた。

東京の夜に降れば奇跡だという雪とともに_。










司は屈みこんで我が子と同じ目線の高さに視線を合わせ、癖のある髪に手を置いた。

一目でわかる我が子。
姉からあなたには5歳の息子がいると訊かされた時は驚いた。
そしてすぐにつくしちゃんに連絡をするからと言った姉を自らが会いに行くからいいと言って止めた。そしてあの時出来なかったことをすると言った。


父親は海の上で暮らしていると我が子に言った彼女。
それは的確な表現だと司は思った。

まさに司は大海原の底にいた。何も見えず何も感じず真っ暗な海の底に沈んでいた難破船の中にいたようなものだった。そしてその船は海中の景色に同化したように動くことはなかった。だが何かがその船を動かした。そして波間に揺蕩う小船のように船は浮上した。

すると長い間なんの反応も示さなかった身体が動き、意識が水面を漂い始めた。
そしてある日突然目が覚めたが、何故白い部屋に横たわっているのか分からなかった。
そして記憶は冬の夜、交差点で信号が変わるのを待っていたところで止っていたが、事故に遭ったことを思い出した。その日は生涯の相手に大切な話をしに行く途中だった。

そしてその事故がいつのことだと訊かれれば、ついこの前のことだと思う。だが目覚めた男に告げられたのは、その日から6年の歳月が流れているということ。そして季節はあの頃と同じ冬だということを告げられた。

そしてそれはクリスマスイブの10日前に起きた奇跡。
深い闇の中に沈んでいた彼に生きたいという意志が働いた。
彼女に会いたいという意志が。
そして今、司は彼女と我が子の前にいた。

今、司がすべきことは決まっている。
あの時出来なかったプロポーズの指輪を渡すことをする。だがその指輪は彼女の元にあると椿から聞かされた。言葉はなくても彼女はその指輪を受け取ってくれた。そして自分の子供を産み育てていた。今の司には天からの二つの大きな贈り物が目の前にある。

司は立ち上がり、大きな瞳で自分を見つめる女に言った。

「牧野、もう一度俺と始めてくれないか?あの日からもう一度。俺はお前じゃなきゃ駄目だってことは知ってるだろ?お前がいなきゃ駄目だってな」

司の記憶は6年前のあの日で止っている。
一度は駄目になりそうになった二人の絆を結び直そうとしたあの日の夜で。
だからあの日に彼女に言いたかった言葉を言った。

「・・牧野・・」

初めて互いの肌を寄せたとき、背中に回された指が震えたのを覚えている。
裸で互いの体温を感じ合い求め合った。
そしてあの日から何年経とうとも、変わることがない想いがある。
互いが互いでなければならないといった想い。
それでも一度は二人の間に見えない力が働いたことがあった。
けれど、その力に打ち勝つ努力をした。そしてその力に打ち勝った。

「・・牧野?」

神は乗り越えられない試練を与えない。
だが時を巻き戻すことは出来ない。
そして、二度と帰らない日があっても今はそれを語らなくていい。
今は過ぎてしまった過去を語る必要はない。
今が目の前にあればそれでいい。
二人がここにいることが生きている歓びであり、過去など必要ない。
今の二人には過去など無力だから。
だからその手をゆだねて欲しい。

「どうみょうじ・・」

司は泣いている女を見つめていた。
唇が、頤(おとがい)が震えていた。
だが泣かないで欲しい。
あの頃の愛しさは今も変わらないから。
哀しみよりも、6年の歳月よりも長いキスをすればいい。
心が求める人はただ一人。一瞬閉じられた瞼が開かれたとき流れた涙に“お願い”という言葉を聞いた。

「・・牧野・・」

司はしゃがみ、事情が呑み込めずキョトンとしている我が子を抱き立ち上り、女を優しく抱き寄せた。そして女が彼の背中に両手を回し、少し痩せてしまった体躯に必死でしがみついてくるのを感じた。

「・・道明寺・・・」

二人が今叶えようとしているのは、6年前成し遂げることが出来なかった想い。
そして今、互いの腕の中に永遠の愛を見つけていた。
それは、司にそっくりな我が子の存在だ。

「・・牧野。この子の名前は_」

司は姉から息子の名前を聞いている。それでも彼女の口から訊きたい思いでいたが、答えようとしていた母親の言葉を遮ったのは彼の腕に抱かれている男の子だ。

「僕、駿って言うんだ!5歳だよ!」

真っ直ぐな瞳で自分を抱いている男に嬉しそうに言った。
司は自分に似た幼子の精一杯の自己主張に胸を衝かれていた。初めて会う幼子だがどうしてこうも愛おしいのかと。

「そうか。駿か。いい名前だな。おじさんは司って言う名前だ。・・・駿のパパだ。やっと船を降りることが出来た」














クリスマスイブの夜、50年以上前に東京に降った雪が今年降った。
それは奇跡。
だからこそこんな夜には愛する人と一緒に過ごしたい。
そしてこの雪が誰の上に降ろうが、東京の景色を白く変えてくれるはずだ。

長い間たったひとつの愛だけを待っていた女に神が与えたのは、奇跡という贈り物。
そして長い眠りについていた男の元にも神は奇跡を持って現れた。
そんな男と女には、互いに言えなかった言葉と言い尽くせなかった言葉は沢山あるが、それをこれからの人生で告げていくつもりだ。






中谷宇吉郎という世界で初となる人工雪の制作に成功した物理学者が言った有名な言葉がある。それは『雪は天から送られた手紙である』という言葉。
雪の結晶は様々な形があるが、愛にも人それぞれに形がある。
二人がこれまで経験したことは二人の愛の形。
そんな二人の元に降る雪の結晶は果たしてどんな形なのか。
だが、どんな形をしていたとしても、それが二人の元へ送られてきた天からの手紙。
今日こうしてイブの夜、50年を超える時を経て東京に降る雪は、奇跡はきっと起きるからと神が知らせてくれた手紙。
その手紙が一人の男と一人の女に奇跡をもたらしてくれ、司は彼女から大切な贈り物を受け取った。
自分が命を分け与えた我が子という宝物を。


これからは、今夜降る雪のように真っ白なカンバスに家族3人の人生を描く。
そしてここに3人の心を包む夜があるように、これから始まる新たな人生は、男が一生包み守っていく。

あの頃の愛しさ以上に強く抱き、決して離さないと誓って。





< 完 > *追憶のクリスマス ~空からの手紙~*
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2017
12.23

追憶のクリスマス ~空からの手紙~ 中編

あれから6年の歳月が流れた。

あのとき26歳と27歳だった二人は、先の見通せない世界にいた。
出会ってから10年近くの時間が流れ、肌を寄せ愛を確かめ合う回数は増えた。
好きだ。愛してる。俺から離れないでくれ。
そう言って抱きしめ合う二人がいたが、心の中には目に見えない不安というものがあった。

4年という別離を経て帰国した彼との交際は5年になっていたが、その間、全てが順調といった訳には行かなかった。人生には波があると言われるが、二人の間にも波が押し寄せた。
それは道明寺HD財務担当者による不正経理の発覚。子会社による製品の品質データ改ざん。
どちらも企業としての信頼を著しく裏切る行為であり、強い不信感を巻き起こす。そしてそういった行為がひとつでも見つかれば、他にもあると思ってしまうのが社会であり、あの会社は内部統制、コンプライアンス体制が欠如しているとのレッテルを貼られる。

そしてどちらの問題も業績に大きく関わることであり、財務体質の見直し、新たなる検査体制の構築を早急に求められた。だが問題となったどちらの部門も、会社が大きくなればなるほど経営トップが直接関わることがないことだが、それでも責任が問われることは間違いない。

そして、現実社会の波といったものは、寄せては返す波とは違い、その場にとどまり続け、企業の土台を侵食していく。それはしっかりと固められていたコンクリート作りの土台であっても、原材料の一部が砂であることを思い出させるような出来事だった。
一度土台が崩れ始めるとそう簡単には修復できない。だが彼はそれを修復するために力を尽くしていた。

彼と出会って、彼を好きになり、永遠に一緒にいたいと彼と生きていこうと決めていたが、彼は今でもそうなのだろうか。時にそんな思いを抱くようになっていた。何故そう思ったのか。その時は分からなかった。

そして結婚の約束は果たされないまま、時間が流れた。
仕事が忙しいのは分かっている。それは十分理解しているつもりでいた。
昼も夜も働き続ける彼の力になりたいといった思いで傍にいたが、本当に自分が力になっているのだろうかといった思いがあった。もしかすると自分の存在は、彼にとって重荷になっているのではないだろうか。そう感じたのは、財閥の危機に救済の手を差し伸べた企業が彼との婚姻を念頭に置いていることを知ったからだ。

だからあの日、会う約束をしたが、どんな話になるか分からないと思った。
もしかすると__
と、二人の別れが頭の中を過った。だがそれはそれで仕方がないことなのかもしれない。
どこかでそう自分自身に言い聞かせていた。彼は大きな責任を担う仕事をしているのだから仕方がないのだと。ちっぽけな小さな世界に生きる自分とは違い、多くの従業員とその家族。系列と呼ばれる多くの企業に働く大勢の人間とその家族。彼らを守るのが経営に携わる者の仕事のひとつだから。

だがそんなことを考えたのが悪かったのかもしれない。
だからあんなことになったのだ。
それに彼が知れば『ばかやろう。お前は何を考えてるんだ。俺はお前とじゃねぇと幸せになんかなれねぇんだ』と怒鳴ったはずだ。

それは永遠の不在となったかもしれないあの日。

道明寺財閥の一人息子が交通事故に遭い重傷を負った。
一時は生命の危険も囁かれた。だが彼はその危機を乗り切った。
それは医学の力と本人の精神力の強さ、体力といったものがあったからだろうと言われていた。

その翌年、息子が生まれた。
彼そっくりの息子が。そして母親を見つめる瞳は純粋な眼差し。
自分を愛してくれる人をただ一心に見つめるその瞳は、彼と同じ瞳。
だがそれは恋人が愛する女性を見つめる瞳ではない。自分を無条件で愛してくれる人に向けられる無垢な視線。
そしてその視線に既視感が感じられるようになった。それもそのはずだ。
息子と彼が親子であることを考えれば、当たり前のことなのだから。
だが彼は息子の存在を知らない。

事故に遭った日。
手術を受け、集中治療室で治療を受け、生命の危機は乗り切った。
だが目を覚ますことはなかった。
死からは逃れたが、彼はあの日以来硬く目を閉じ眠ったままで、生からは見放されたのではないかと言われている。

そしてあれから時間だけが流れて行く日々が過ぎた。

今では何故あの日、彼が別れたいと思っているといったことを考えたのかが分る。
あの時はまだ分からなかったが、子供が出来たことがそんな思いを抱かせたのだ。
妊娠したことが、感情の揺れを呼び起こし、精神的に不安定になった。
そんな心を抱え普段なら思いもしないようなことが頭を過った。
そして丁度あの頃、二人の未来がどうなるのか分からない時だったことが、彼が別れたいと望んでいるのではないかといったことを考えてしまった。



『赤ちゃんが出来たの』

もし、もっと早く気づいていれば。
もっと早く分っていれば。
あの日、彼が事故に遭わなければ。
彼に嬉しい知らせを伝えることが出来たはずだ。

その時の彼の顏が目に浮かぶ。
少し照れた様子で、それでも次の瞬間には本当に嬉しそうな表情を浮かべたはずだ。

『俺たちの子供か。楽しみだな』

そう言って抱きしめてくれたはずだ。そしてその時の顔は、既に父親の顔をしていたはずだ。
と、同時にやはり嬉しさを隠しきれず、どこの父親でもまず一番初めにすると言われる行為をしたはずだ。それは、しゃがみこんでまだ何の気配も感じることのないお腹に耳をつけることだ。そして顔を上げて言うはずだ。

『元気な子供を産んでくれ』





たとえ結婚できなくても良かった。
ただ、大きく迫り出してくるお腹を愛おしそうに撫でてくれる。それだけで良かった。

そしてあの日。
彼のコートのポケットには小さな箱が入っていた。
それは白いリボンが掛けられた青い箱。

『つくしちゃん、司はこれをあなたに渡そうと思っていたのね。きっと言うつもりだったのよ。遅くなって悪かったってね』

嗚咽を漏らす椿から渡されたその箱の中にはダイヤの指輪が輝いていた。





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2017
12.22

追憶のクリスマス ~空からの手紙~ 前編

Christmas Story 2017
**************




『あなたはお伽話を信じますか?』

そう聞かれたとき、あなたは信じますと答えますか?

それがもし我が子からの質問だとすれば、あなたは何と答えますか?

東京の夜空にそびえ立つ高いタワーの色が変わる頃、あなたは何をしていますか?

世界中の恋人たちが肩を寄せ合い楽しそうに歩く姿に何を思いますか?

クリスマスの過ごし方といった本があるとすれば、あなたはその本を買いますか?








あなたはクリスマスの日、何をしていますか?











冬の夜空に冷たい風が吹き、街に赤や緑が目立つようになり、クリスマスツリーが飾られる頃になるといつも聞かれることがある。

「ねえ、ママ。サンタさんて本当にいるの?」

「うん。いるわよ」

「ホント?本当にいるの?」」

「本当にいるの。でもね、遅くまで起きてる子と悪い子の所には来ないの。だから駿が早く寝ていい子にしてたら来てくれるわよ?」

「そっか。じゃあ僕が早く寝ていい子にしてたら絶対に来てくれるんだよね?」

「そうよ?駿はいい子だもの。きっとサンタさんは来てくれるわ」

「本当?じゃあ僕が欲しいものを持って来てくれるかな?」

「大丈夫。だってサンタさんは早く寝ていい子の願いは絶対に聞いてくれるもの」

「そうだよね?僕、今年もいい子だったよね?だから大丈夫だよね?サンタさん絶対に家にも来てくれるよね?」

「うん。絶対大丈夫よ!サンタさん、駿のこと忘れる訳ないじゃない。だからね、もう寝なさい」


街がクリスマスイルミネーションに彩られるようになった頃から何度も繰り返される言葉。

『サンタさん本当にいるの?』

だが母であるつくしは、早く寝ていい子だったら必ず来てくれるとしか言えなかった。






つくしは笑顔を作ると、眠りについた我が子の髪をそっと撫でた。
ここのところ息子の顔を見るたび感じることがある。
よく似ているのだ。癖のある髪も、細い眉も、黒く長い睫毛も、そして切れ長の瞳も。
眠っている顔も、笑っている顔も、怒った顔も、くしゃみをした顔も。
どんな表情をしても似ているのだ。
移り行く季節と共に成長していく息子の顔立ちは、父親譲りの綺麗な顔立ちをしていた。
そしていつも思う。自分がお腹を痛め産んだ子なのにどうして母親である自分に似たところはないのかと。
そしてまるであの人のミニチュアのような我が子は、まだ幼いせいか母親の言うことを素直に信じる。だが果たしてそれがいつまで続くのかと思う。


『サンタさん。絶対に来てくれるよね?』

『大丈夫。きっと来てくれるわ』

つくしもその言葉を信じていた。
言葉は口をついた途端、魂を持つ。
だからその言葉通りきっと来てくれる。
だが息子とはまた別の意味で『来てくれる』という言葉を信じていた。
何年経ってもいい。必ず戻って来るはずだと信じていた。
いや信じたかった。
だがそれは『いつかまた逢える』と言った方が正しいのかもしれない。


人は縁がない人とは一生出会うことはない。
逆にどんなに抗ったとしても、縁があれば出会ってしまう。
だからどんなに住む世界が違っていた人だとしても、縁があるから出会ったのだ。
そしてその縁というのは、何かが始まるきっかけになるはずだ。
それは一生切れない何かを生み出していくものだと知った。
だが息子の父親は、自分の子供が存在することを知らない。


あれは冬だった。
今夜のように寒い冬の夜。
吐く息が白く、指の先が凍りそうになるほどの冷たさを感じる夜。
仕事を終えた二人はサンタクロースの格好をした人間が溢れる街の中にある公園で待ち合わせをした。

彼は普段から海外と日本を行き来する生活が続いていた。だからあの日は久し振りに会える日だった。
だが1時間ほど待ったが彼はこなかった。手にした携帯電話が鳴ることもなかった。
自分からかけることは躊躇われた。もし、仕事中なら迷惑になると思ったからだ。
それにこんなことはいつものことだと慣れていた。今までだってそうだった。だから落胆はしなかった。それでもあと30分待とうと思った。そして待った。だが彼は来なかった。

それから暫くしてベンチから立ち上がり歩き出したが立ち止まった。そして顔を上げ真正面に見える高層ビルの窓の灯りの場所を確かめたかったが、不規則に並んだ窓の灯りはどの場所が彼のいる部屋か分からなかった。だが知ったところでどうなるというものでもない。
ただ、あの窓のひとつに彼がいる。それだけは間違いがないのだから。
そうだ。別に今日会えなくてもいい。何も今日でなくてもいい。
だが会いたいと言ったのは彼のほうだ。それでも腹を立てるつもりはない。
会えない日がまた再び始まるとしても。



つくしは気を取り直すと再び足を踏み出した。
ちょうどその時、手にしていた携帯電話が鳴った。
相手は彼の秘書だ。今まで秘書が電話をして来たことはない。
だから何かあったのだといった思いが頭を過った。
そしてその思いは当たっていた。
彼が交通事故にあった。その言葉が一瞬理解出来ずにいた。

「こ、交通事故?」

「はい。牧野様、今すぐ病院へ来て下さい。病院は__」


それからはよく覚えていなかった。
すぐに走り出し、大通りに出るとタクシーを拾った。そして秘書から教えられた病院の名前を告げるとシートにもたれかかり目を閉じた。そして祈った。どうぞ無事でいて下さいと。それと同時に高校生だった頃のことが甦った。彼が刺された日の事が。
そして病院に駆け付けたとき、目にしたのはあの時と同じ沢山のチューブに繋がれた身体だった。
そこで隣に立った秘書から聞かされた言葉。
事故に遭ったのは横断歩道を渡ろうとしたとき、信号無視をした車にはねられたと訊いた。
運転手はまだ免許を取ったばかりの大学生の若者。ぼんやりとしていたのか信号を見ていなかったと言う。

そういえばあのとき、救急車のサイレンの音が響いていた。
そしてそこは、つくしが待っていた公園の入口。
彼女が座っていたベンチまで僅かな距離を残しての場所だった。




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2017
12.21

恋におちる確率 34

昼休み、つくしは珍しく久美子と社員食堂にいた。
副社長の第二秘書の仕事に勤怠管理は関係ないものになっているとは言え、時間がくればお腹が空くのは当たり前で、メープル仕込みの社員食堂での食事はコーヒー三課にいた頃からの楽しみだった。

そしてそんなつくしの目の前に座る久美子の興味は、三日前の夜の一点に絞られていた。
それは、久美子と食事をし、新堂巧に出会い、副社長に介抱されペントハウスに連れて行かれたあの日の夜のことだ。久美子は突然現れた副社長の指示で黒服の男たちによって連れ出され、車に乗せられるとあっという間に自宅まで送り届けられていた。
そんな久美子にしてみれば、あの後つくしがどうなったのか気にならないはずがない。

「ねえ。つくし。あの日だけど、あんた副社長にお姫様抱っこされて化粧室まで連れいかれたわよね?それでその先どうなったのよ?」

お姫様抱っこ。

その響きは女性にすれば憧れの響き。
たとえ50歳だろうが60歳だろうが、若い男性に横抱きに抱きかかえられれば胸がときめくと言われているスタイル。
だが実際にそれをされた女は、胸がときめくどころか、むかつき、早く吐きたい思いに囚われていたのだから、あの夜のあの光景はつくしにしてみれば、失態以外の何ものでもない。
だが、その場にいた久美子からすれば羨ましいとしか言えなかったようだ。
そしてそんな久美子の反応は予想出来た。

「ちょっと。つくし。あれから副社長に送ってもらったんでしょ?」

久美子は自分を車に乗せた背広の男に聞いた。
すると、ご心配には及びませんとのひと言を返されたが、携帯電話から無事を確認するためのメールを送ったが返事は無かった。だが次の日には、昨日は心配かけてゴメン、大丈夫だから。と返信があった。だから無事送られて帰ったことだけは知っていた。だがあの副社長の行動に目を見張ったことは間違いない。

何しろクールな男と呼ばれる道明寺副社長の素早い反応。
それも新堂巧というつくしに恋心を寄せる男がいる傍でのあの行動は、ただの秘書に対する対応にしては過剰ではないかと感じていたが、久美子はつくしが口を開くのを待っていた。

その日、つくしが選んだ昼のメニューは、サバの味噌煮定食。
甘味のある味噌が優しさを感じられる味付けで、ご飯が進む一品。それに季節の野菜の炊き合わせとみそ汁と漬物が付いているが、今まさにその定食のメインであるサバを口に入れ、咀嚼している最中だったが終わると口を開いた。

「・・え?うん・・」

「ちょっと何よその歯切れの悪さは。つくし、あんたあの道明寺副社長の秘書をやってるだけでも羨ましがられることなのに、副社長にお姫様抱っこをされるなんてどれだけ凄いことか分ってる?そりゃあんたは気分が悪くてその凄さを味わうどころじゃなかったかもしれないけど、あの事がここにいる女子社員にバレたら暴動が起きるわよ?」

「・・・久美子が言わなきゃ暴動は起きないわよ」

久美子の言葉はいつも大袈裟だ。
だが暴動が起きないにしても、つくしに対して激しい嫉妬の視線が注がれることは間違いない。

「あんたねぇ・・。そりゃあたしは言うつもりはないけど、アレははっきり言って大ニュースよ?もしかするとあたしの中にある今年の道明寺副社長に関するニュースの中で一番のニュースかもしれないわ」

今年一年もあとわずかで終わるが、今年は思わぬ異動で秘書課勤務になったとつくしは今年を振り返った。
そしてあの夜、実は自宅に送られてのではなく、副社長のペントハウスに泊まったことを話せば久美子のことだ。二人はそういった関係だったのかと言われることは間違いない。
だから黙っていた。

「そんなの大袈裟過ぎるわよ。それに副社長はあたしを抱えたことなんて、何とも思ってないわよ」

「つくし・・あんた本当に副社長の傍にいる幸せが全然わかってないのね?」

副社長の傍にいる幸せ。
恐らく他の女性社員も皆つくしのことをそう思っているはずだ。
多くの女性の憧れの存在である男との始まりは険悪なものからだったが、徐々に二人の関係は良くなった実感がある。そして仕事の関係性は向上していると思っていた。

朝食を食べないと言われる男と差し向かいで朝食を食べた。
それも、つくしがお気に入りのクロワッサンが用意されていた。そしてコーヒーはいつものブルーマウンテン。
そのカップを持ち上げている仕草はいつも副社長室で見る姿だが、思わず見とれたのは、あの状況がそうさせたのだろう。指先まで綺麗な男性というのは、そういるものではない。

そんな一握りの男と言われる人物が、黒を基調としたダイニングルームの中、その黒と見事なコントラストを描く白いシャツを纏い、ゆったりと優雅に朝食を摂る姿が絵にならないはずがない。そして彼の前には美しい女性がいてほほ笑みを浮かべている。
だがつくしは、頭の中に浮かんだその姿を慌てて打ち消した。それに美しい女性というのは自分ではない。それはどこかのご令嬢かモデルだ。

「久美子・・あたしは仕事をしに来てるの。だから自分が任された仕事はきちんとやりたい気持ちが大きいの。だから新堂さんとも付き合うつもりはないの」

「ああ。新堂さんね?あれからどうなったの?あの日、あたしはあんたが化粧室に運ばれてから、あたしも行こうとしたら止められて車に乗せられて帰ったけど、新堂さんはどうしたのかしらね?鳶に油揚げをさらわれるじゃないけど、あたしから見ればそんな感じだったわよ?それにさ、あんた今夜は楽しかったなんてこと言うから、彼勘違いしてるかもよ?ま、あたしはその言葉が社交辞令だってことは分かったけどね」

久美子はそこで一旦言葉を切り、目の前に置かれている甘酸っぱい南蛮ソースとタルタルソースがかかったチキン南蛮定食に箸を伸ばしていた。

「でもねぇ・・男に向かってのあの発言は誤解を招くって言うの?余計な気遣いが仇にならなきゃいいけど、気を付けなさいよ?新堂さんって自分に自信がありそうだし、なんて言うのかな?高い山があれば、それを登ることを苦とは思わないタイプ?それに道明寺副社長のあの態度。なんだか新堂さんに喧嘩売ってるって感じだったわよ?」

新堂巧。
業務提携先である菱信興産専務であり次期社長の男。
毎日のように送られてくるメールに、押しの強さを感じ始めていたが、両社の関係を考え無下には断れずにいた。

「・・ねえつくし。もしかして副社長ってつくしのこと好きなんじゃない?新堂巧が自分の秘書に好意を抱いてることを知ってるのよね?それなのに、その男の前であんたを抱きかかえるなんて、これどう考えても副社長はあんたを新堂巧に渡したくないからの行動じゃない?あたし、最初につくしが副社長の秘書に抜擢されたとき、もしかして副社長がつくしを見初めたからじゃないって言ったけど、やっぱりそうなんじゃない?うんうん。もし初めはそうじゃなかったとしても、今は絶対そうよ?そうよ!あの行動は新堂巧にあんたを取られたくないって態度の表れとしか思えないわ!」

つくしは久美子の言葉にサバの小骨が喉に詰まったようにゲホゲホと咳をした。

「ま、まさか!何言ってるのよ?そんなことあるはずないじゃない。副社長がどんな女性が好みだか知ってるでしょ?」

「あのね、つくし。女の好みなんて変わるの!・・もしかすると、新堂巧がつくしにアプローチし始めて急にあんたの良さに気付いたのかもよ?うんうん。違う・・副社長はあんたのことが好きなのよ!」










久美子とそんな会話を交わしたからか。
昼食を終え、秘書室に戻ったが、副社長の態度を思い出していた。
今まで深く考えたことはなかったが、思えば副社長の態度が変わったのは、新堂巧から告白をされてからだ。だが久美子の考えは飛躍し過ぎている。
あの副社長が、あの道明寺司が一介の秘書を好きになることは考えにくい。
今でこそつくしの前での態度は変わったが、それでも彫像のように冷やかで完璧な美貌を持つ男のことはよく分からない。

道明寺財閥。道明寺HD。副社長。
この3つの言葉を並べただけでも男の立場は誰の目にも分る。そんな男がつくしのような女を好きになることは考えられない。
だが久美子は言った。

『つくし。恋なんてものはある日突然なの。何がきっかけだったなんて後からいくらでも思いつくものなの』

つくしは目を閉じ、あの日一緒に朝食を食べた時のことを思い出していた。
食事をしたのがあの時が二度目。食事をすれば相手の生い立ちが分ると言われるが、優雅な食べ方はまさに育ちを表している。
そして語られた言葉の中に、どこか甘い気持ちが付き纏うように感じられ、気持ちが揺らぐのを感じた。そんな自分を勘違いするなと戒めたが、あの朝のことが繰り返し思い出され、落ち着かない気持ちになっていた。



「牧野さん。副社長がお帰りよ?」

「あ、はい。ありがとうございます」

専務秘書の野上から声をかけられ、つくしは目を開け、秘書室を出ると外出先から戻った男にお帰りなさいませ、と声をかけ後に着いた。そして同行していた西田からこれに目を通しておいて下さいと言われ、書類を受け取った。

「牧野。コーヒーを淹れてくれ。あの会社のコーヒーはどこの豆だか知らねぇが不味い。うちの豆をあの会社に売りつけてやるか。食品事業部に営業をかけるように言ってやれ」

コーヒーにうるさい男の舌は、今はどんな豆だろうと、彼の惚れた女の手で淹れられたものなら文句はないはずだ。そしてつくしは、自分の中に沸き起こった訳のわからない気持ちを落ち着けるため、給湯室へ行くことがこれ幸いだと感じていた。





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