2017
04.30

時をこえて 3

何気ない毎日が手の届かない思い出になる。
飛ぶように駆け抜けたあの日々は色のない思い出となってしまう。

この世界が続くかぎり乗り越えなければならないことがあるとすれば、あの人と過ごした日々なのかもしれない。

生まれてきてから一番大切だと思った人。
はじめて自分から幸せにしてあげたいと思った人だったが、その思いを叶えることは出来なかった。

月日は人生に彩りを添えてくれると言うが、私の人生には感じられなかった。
出会いも別れも運命で決まっているというが、もしそれが本当なら私と彼の運命はあの日決まってしまったのだろうか。

あの人と恋に落ちてから自分が変わっていくのを知った。
初めてあの人のため涙を流したのは、あの人を傷つけたあの雨の日だった。
今思えばあの人と過ごした日は私にとって貴重な日々。
恐らくそれは人生が終わる日までそう感じるはずだ。そしてこうして毎日ありふれた日々を過ごしているが、こんな日もいつか思い出に変わって行くはずだ。


小さな出来事まで鮮やかに思い出し、忘れかけていたことも再び思い出し、面影を追うように日々をやり過ごすことしか出来なかった私の元に現れた猫。


今の私は、流れる時を私の猫と共に過ごしています。
あなたの名前をつけた猫と一緒に。

今を生きるために。




道明寺、今日の東京の空はあなたがいなくなったあの日と同じで雨が降っています。

一度私たちが別れを経験した時と同じような雨が__

でもこの街にあなたの面影はありません。
あの笑顔はもう二度と見ることはないのでしょう。

私の日常は相変わらず会社と自宅の往復で猫との暮らしは変わらなかった。
だが変わらない日々と思うのは私だけだったのかもしれない。

そしてある日。電話がかかって来た。
もしもし。と言ったが相手は応えない。沈黙だけが横たわり再びもしもし、と言ったがやはり応えはない。だが私は感じた。この電話は彼からだと。道明寺だと感じた。いや感じたのではない。分かったのだ。息遣いもなにも感じられなかったが感じるものがあった。

「道明寺でしょう?・・ねえ?道明寺なんでしょ!?」

何度も何度も名前を呼んだ。でも返事はなかった。それでも私は言った。

「道明寺!!ねえ、道明寺なんでしょう?お願い何か言って!!道明寺!!」

返事はない。
だが私は語りかけた。そうしなければ電話が切れてしまうような気がしたからだ。
言葉を紡ぐことで繋がっているような気がした。だから話続けた。

「ねえ、道明寺聞いて!あたし猫を飼いはじめたの。黒い猫でね、とってもきれいな子なの!赤い首輪をつけててね、道明寺が好きだった赤い色の首輪なの!それがとてもよく似合ってるの!道明寺は動物が苦手かもしれないけど、この子ならきっと好きになるから。道明寺もきっと好きになるから会わせたいの!」


何も言葉は返ってこなかった。
電話の向うは空気の流れだけが感じられるだけだ。音は何もしなかった。
それでも私はあなただと思った。この携帯電話は彼と私との間の専用電話だからだ。
番号は表示されていない。それでもあなただと思った。
でももしそうならどうして声を聞かせてくれないのですか?あれから7年経ち、会社はあなたのお姉さんのご主人が社長になり、道明寺が自らを犠牲としたあの頃と違い繁栄を続けています。

あなたの消息が途絶えたと連絡をくれたのはお姉さんでした。あなたと私が再び愛し合うようになったとき、影から見守ってくれたのはお姉さんでしたね。
ある日お姉さんは私に言ったのです。

「つくしちゃんの笑顔が見れなくなって淋しいわ」

大切な人を失った人は誰もがそうではないでしょうか?
でも私から笑顔を奪ったなどと考えないで下さい。
私の笑顔はあなただけのものだったのですから。
あなたが私の笑顔を覚えていてくれたらそれでいい。
そう思っています。






篠突く雨が降る日、奥様は、あなたがいないいまま葬儀を行った。
彼の立場に相応しい会場での立派な葬儀だった。けれど、大勢の参列者に見送られ、亡骸のない空の棺が黒い車で運ばれて行く様子は耐えられなかった。黒い傘を持つ私は信じられない思いでその光景を見つめていた。
そして形だけとは言え、何故そんなことが出来るのかと思った。
それでもそうしなければならなかった理由があったとしても、その理由を私は知る由もない。

その日の雨は私たちが別れを経験したあの日の雨だ。
あの雨はどうしていつまでも私たちに付き纏うのか。
それでも思った。
雨はあなたが流した涙なのではないかと。
この世に未練があったと思う私の勝手な思いかもしれないが、そう感じられた。
そしてその未練が私のことだといいと思った。

暫くして、葬儀が行われたのは、奥様の申し立てにより裁判所から失踪宣告がされたからだと知った。不在者が生死不明になってから7年が満了したとき、死亡したとみなされ、不在者についての相続が開始され、婚姻関係が解消すると知った。

あの人は永遠に戻ってくることは無い。
道明寺司という人間は、もうこの世には存在しない。
今までは、あの人はどこかで生きているのではないかと思っていた。だがそうではない。
そうすると、本物の絶望が私の前に広がり、何もする気がしなくなり、仕事に行くことが嫌になると、体調を崩したといって休暇をとり、部屋でぼんやり過ごすだけの日々が続いた。何もする気がないというのは食欲も無くなるものなのだと知った。食べることも寝ることもどうでもいいと思えるようになる。そんな時、いっそあの人の傍へ行こうかと考えた。
でも、そんなことをすればあの人が怒るのではないかと思った。
きっとあの人は怒鳴っていたはずだ。
そんな哀しみの中、私の傍にいてくれたのはあの黒い猫だった。







この街にも焼け付くような夏が来るのだろうか?
海辺に降る雨は穏やかに感じられ、傘を打つ雨音も優しく感じられた。
道明寺。あなたのお墓は鎌倉にある道明寺家の菩提寺にあります。そこは立派な山門がある歴史のあるお寺で、風の音だけが聞こえ、緑の木々が茂った山が迫ってくるように感じられる場所です。でもあなたはその場所にはいません。空の骨壺が置かれているだけですから。

それでも私はあなたのお墓に花を供えに行きます。

あなたの名前をつけた黒い猫と一緒に。




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2017
04.29

時をこえて 2


木々の青葉が茂り、バラの香りが微かに感じられるこの季節。
雨と共に悲しみだけが降り注ぐ。そんな日々が続いていた。

悲しみだけが世界を包んでいるが、ありふれた日々にありふれた日常が過ぎていた。
それは二人の間にあった約束が果たされることがないということだ。
雨に濡れたまま立ち尽くしたあの日と同じように。

涙に震える声が、何度あの人の名前を呟いたことだろう。

『道明寺HD副社長の乗った軽飛行機が消息を絶つ』

そのニュースが流れたとき、あの人が生きているか死んでいるか不明だと言った。
彼はアメリカで軽飛行機の免許を取り、アマゾンの上空を一人で飛んでいた。
緑が深い森の上空を飛んでいた理由は、はっきりしなかった。
テレビのニュースキャスターは淡々とあの人の事故を伝えていた。道明寺司は見つからないと。それはまるで飛行機ごとどこかへ消えてしまったようで、神隠しにあったようだと言っていた。

私はもちろん生きていると思った。
彼は強い男だ。
だから生きているはずだと自分の中ではどこか確信めいたところがあった。
だが私は祈った。
私はただ祈るしかなかった。生きていて欲しいと。無事でいて欲しいと。
本当はそんなことを考えたくなかったが、私は全ての神に祈った。
そしてこれはただの夢ですぐに覚めると思っていた。いや。思おうとしていた。これは何かの間違いだと。そんなはずはないと思おうとした。夜中に目が覚めるたび、何度も深呼吸しては自分に言い聞かせていた。
これは夢だと。
悪い夢だと。

だがどれだけ待ってもあの人は現れなかった。
鳴らなくなった携帯電話と届かなくなったメールが意味することは歴然としていた。







私たちが知り合ったのは、まだ高校生の頃。
あの頃、憂鬱な影を纏い、仏頂面ではなく冷たく無表情な顔をしたあの人と恋に落ちるとは思いもしなかった。
私が青春時代を過ごした高校は、裕福な家庭の子供が多く通った学園。母親の強い薦めで入った高校だったが、華やかな人間ばかりで賑やかな会話についていけるはずもなく、殆どの時間ひとりで過ごしていた。だからといって寂しいというわけもなく、淡々とやり過ごすと決めていた。決して目立つことのないようにと、クラスメートの口に名前が挙がることがないようにと、控えめに過ごしていた。

――あの人に出会いうまで。

怯むことなく見返した視線が絡んだのは、ほんの短い時間だった。
初めは恋愛感情なんて全くなかった。むしろ嫌悪していたほどだ。
だが、どこかの段階で恋に変わって、それから愛に変わった。

短い時間で恋に落ちた二人は、愛を重ねていく時間が惜しいと生き急いでいた。何故そんなに生き急がなければならなかったのか。その理由は今になって分かるような気がした。

思えば二人が出会ったことは、長い人生の中にある一瞬の瞬きだったのかもしれなかった。
それは私たちが生きてきた環境が、あまりにも違い過ぎたからだ。
そんな二人に間にありふれた毎日を願うことが出来ないと知っていた。

私たちは、ほどなく、別れた。
あれは永遠のさよならになる別れのはずだった。
あの頃、大学を出て社会人二年目だった私は彼との別れを選択した。
決して無理矢理別れさせられた訳ではない。

別れた理由は彼が結婚することになったからだ。
それはある日、突然持ち上がった結婚話だった。体調が優れなかった彼の父親が倒れ、急遽彼が跡を継ぐことになった。だが引き継いだ時点で経営が悪化していたこともあり、抜き差しならない状況に追い込まれていた会社を救うことが彼に課された使命だった。

その時の私は彼からの別れを黙って頷き受け入れた。
いつかはそんな日が来るのではないかと、心のどこかで感じていたからだ。
彼の魅力は私の前では決して嘘をつかないこと。
だから正直に話してくれた。見知らぬ人間と結婚しなければならなくなったと。
彫刻のように整った唇から放たれた言葉は、私にとっては辛い別れの言葉となった。
そして彼は決められたように結婚した。


その日から私は出来るだけ何かに没頭しようとした。
だが気づけばぼんやりと空を眺めていることが多かった。決して届かない手紙を待ち、何度もポストを覗き、鳴らない電話を待っている自分がいた。

与えられた以上のものを望んでも手に入らないと本能的に知っている私は、望んでも決して手に入らないものをこれ以上求めても仕方がないと思った。
だから諦めた。私は自分の思いにブレーキをかけた。

そう。あの日を境に。
彼の妻が妊娠をしたと知ったあの日に。

だが私と彼は再び出会った。
それは年が明けて間もなくのころ。10年ぶりの偶然の再会。
私が勤める商社が彼の会社との合弁事業を立ち上げた。
そのとき現れたのが彼だった。ロビーをこちらへ向かって来る集団の先頭に立つ彼。
私はそのとき意識が遠のくのではないかと思った。息が止るのではないかと思った。
10年ぶりに会う彼はあの頃より大人になっていた。そして何事にも動じない決然とした表情で真っ直ぐ前を見ていた。
私は動けなかった。動けば彼の視線がこちらを向くのではないかと思ったから。だが彼は気付いた。彼の目が私をとらえたとき、私たちは周囲にそれと気づかれぬよう挨拶を交わした。

ただ目を伏せるだけの短い挨拶を。


今はアメリカ人の妻と子供を持つ道明寺司。
失敗も成功も全てを自分のものとし、すべきことを成し遂げて来た一人の男。もう充分大人の男と言える彼は・・まだ私のことを愛していると言った。


そんな男と再び愛し合うようになった私。
今まで会えなかった時間を補うよう愛を重ねるようになった二人。
決して離れたくないと、あの時と同じ時を歩いているように二人は愛し合った。
あの人は大真面目な顔で、離れるつもりはないと言った。
だが既婚者であることを承知で付き合いはじめた私が、大っぴらに彼の傍に立つことはない。


そんな矢先での出来事だった。
世界中でたったひとりのあの人を失った悲しみは癒えるのだろうか。
もしかすると私が道明寺と愛し合わなければ、あんなことにならなかったのかもしれない。他人のものを盗むとバチがあたると言うが、これがそうなのだろうか?そんなことを思う私は、やはり彼と愛し合うべきではなかったのかもしれない。
そして好きだった人に永遠に会えなくなった悲しみは、まるで無間地獄にいるように思えた。


そんなとき、私の元を訪れるようになった黒い猫。
彼の生まれ変わりではないだろうか。そう考えてしまうのはどうかしているのだろうか。
もし人が生まれ変わるとしたら、それもこんなに短い時間で生まれ変わるなら猫になったとしてもおかしくはないはずだ。

だから私はその猫に名前をつけた。
愛しい人と同じ名前を・・
『 司 』と。

そして私はその日、久し振りに食事らしい食事をしたような気がした。





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2017
04.28

時をこえて 1


ベランダのサッシの網戸をカリカリと軽く擦る音がした。
それは夜11時と決まっていた。風の吹く日も、雨の日も、天気に関係なくまるで判を押したように同じ時間だった。

二階建てのアパートに住む私の元へ猫が現れるようになったのは3ヶ月前からだ。
はじめはその音が何の音であるかわからなかったが、窓を開けたとき、その猫と目が合った。
それはまさにこれから小さな右手が網戸を引っかこうとしていた時だった。

濡れたような漆黒の毛を持ち、目は黄金色の猫。子猫ではなく大人の猫だとわかった。
美し毛並みでどこかで飼われていたのではないかと思ったが、首輪はなかった。
もしかするとどこかから逃げ出してきたのだろうか。
だが猫に聞くわけにもいかず、確かめようがなく、私は迷うことなくその猫を部屋の中へ入れていた。


やがて毎晩決まった時間に現れるようになった黒い猫に愛情が芽生えた。
もし飼い主がいないなら飼おうかと思った。だがアパートで動物を飼うのは禁止されている。それに私は動物を飼ったことはない。どうやって世話をすればいいのかと思った。そして動物は人を見るという。本能的にその人が自分のことが好きなのか、それとも嫌いなのかを嗅ぎ分けると言われていた。私は猫が好きか嫌いかと聞かれてもわからない。
幼いころから動物を飼う余裕などあるはずもなく過ごしていた。
だからこの猫が人生ではじめて触れ合う猫だ。

もしかすると猫は私のことが嫌いかもしれないと思った。
だがそれは杞憂だったようだ。猫は嫌がることなく、大人しく私の腕に抱かれるようになっていた。

黒い猫はどこか高貴な雰囲気を感じさせた。
細く引きしまった身体をくねらせるようなことはなく、スッとした歩みで部屋のなかを横切っていく姿は草原の野生動物に似て優雅だ。
そしてその姿からは言葉に出来ない何かを感じることが出来る。
人間ならそれをオーラと言うのかもしれない。だが、猫にそんなものがあるのかと思ったが、恐らくそうなのだろう。しなやかな身体とその目がそう感じさせるのかもしれなかった。
じっと見つめる黄金色の目は他人に媚びることをしない目だ。気高く何者も寄せ付けようとしない冷たい目をしていた。

この猫は大人しいと思った。
鳴かないのだ。猫ならにゃあと鳴くものだと思っていたが、鳴かなかった。そして私の部屋に現れるといつも決まった場所に座る。それは殺風景な部屋の中に色を添えるクッションの上。パステルカラーの花柄のクッションの上に座る鳴かない黒猫。どこかミスマッチに思えるが、猫が気に入っているならそれでいい。
後で知ったのだが、猫は仕切られた狭いスペースを好むという。だから猫は本能でその場所を選んだのだろう。

動物など飼ったことのなかった私は猫がどんな習性を持つのか知らなかったが、世間で聞く話しとはどこか違うと思った。黒猫は遊んでくれとは言わない。カーテンをよじ登ったり、何かを齧ったりもしない。ただじっとクッションの上で寛いでいた。

そして猫は自由だと聞いていた。だがこの猫は夜、アパートに現れると朝まで私の傍で過ごすようになった。同じベッドに横になり、布団の中に入る。そして朝食にミルクと餌を与えると、今度は窓の内側をカリカリと掻いて外へ出せと言う。それはまるで食事が終ると出勤する私に合わせ外へ出て行くように思えた。

黒猫にはどこか住まいがあるのだろうか。
それとも野良なのだろうか。だとすれば私のアパートが猫の住まいになったということなのだろうか。もしあの猫が野良なら自分の猫にしていいはずだと思った。

そう思った私は首輪を買って来ると猫につけた。
黒い猫に赤い革の首輪を。もし飼い主がいるならつけられた首輪を外すだろう。そして何らかの方法で自分の猫だといった主張をするはずだ。猫に新しい首輪をつけ、もしかすると家から出さなくなるかもしれない。そうすると猫に会えなくなるが仕方がない。だが初めから私の猫ではない。もし猫が現れなくなったとしても仕方がないと、心のどこかに諦めなければならない気持ちを置くことに決めた。

11時前になった。窓を少し開け猫が来るのを待っていた。
今夜は首輪を付けた猫は現れるだろうか。もし来なければ猫にはやはり飼い主がいて、自由を奪ってしまったのかと考えてしまうだろう。
だが猫は現れた。いつもと同じ時間に窓の外のベランダに。
そして当然のように開けられていた窓から細い身体を部屋の中へと滑らせていた。

その日から猫は私の飼い猫になった。
それなら名前をつけなければと思った。
今までその猫に名前はなかった。自分の猫ではない。だから名前をつけることをしなかった。
でも今夜からこの猫は私の猫だ。

_私の猫。

だが猫は犬と違い人ではなく家につくと言う。それならこの猫は私にではなく、家に、この部屋についたということだろうか。
この部屋に猫を引き寄せるなにか特別なものがあると言うのだろうか。

引き寄せる特別なもの。
考えてみても思いつかないが、猫は気まぐれだ。
たまたまベランダの場所が猫の過ごす場所として適していたのかもしれない。
出会いなんて偶然の賜物だ。猫との出会いもそんなものなのかもしれない。
それでも構わないと思った。猫の帰る場所がこの部屋だとすれば、それでいい。
帰る場所があるということは、猫でも人でも安心してそれまでの時間を過ごすことが出来るからだ。

猫の寿命は何年くらいなのだろう。10年くらいだろうか?
でも私はこの猫が今何歳なのか知る由もない。それに猫に聞いたところで答えてくれるはずもなく、猫はじっと私を見つめるだけだった。この猫は何年生きるのだろう。あと何年こうして私と過ごすのだろう。もともとふらりと現れた猫だ。もしかすると気まぐれにどこかへ行ってしまうかもしれない。もしそうなら猫の自由にさせてやるつもりだ。動物は自由でいるのが一番いいはずだから。檻に閉じ込められるような生き方はさせたくなかった。


猫もそうだが人の命にも限りがある。
それは勿論生まれてきた人間なら誰もが知っている。
だが、その命にある日突然終わる日が訪れたとき、残された人間はどうすればいいのだろう。





ある日予期せぬ電話を受けた。
それは雨の降る夜、息が止るのではないかと思った。
あの人が乗った飛行機が消息を絶ったと聞かされたとき、目の前が真っ暗になった。
東京は春が過ぎ、雨が降り始めた季節、地球の裏側での出来事だった。
南米アマゾンの上空を飛行中の軽飛行機の機影が消えた。

そして着陸する予定の空港にあの人の姿はなかった。





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2017
04.27

Collector 48

Category: Collector(完)
太陽の在りかがわからないほどの暗闇に包まれていた男にとって、一筋の光りだった彼女の存在。周りにいる者を明るくすることが出来るその微笑みが欲しくて追いかけた。
強い意志が感じられる真っ直ぐな瞳を自分に、自分だけに向けて欲しかった。
自分を取り巻く暗闇ではなく、自分を照らしてくれる光りを求めもがいていた。
そしてやっと手に入れた女性、牧野つくし。
善良で自分にとって眩しいほどの輝きを持っていた女性。
そんな女性を地獄に引きずりこんだことを謝れと言った類の言葉は正しい。


『あたりまえのように思っていたあいつの笑顔がどんなに価値があるかおまえになら分かるはずだ。あいつの笑顔を消さないようにしてやるのがおまえの役目だ。』

類の放つ言葉は胸を刺されたほど痛かった。
類の愛は優しく包み込むことが出来るだろう。
好きな人の思いを受け止めることが愛。
傍にいて見守ることが愛だと言いたいはずだ。
だが自分の愛は見守ることではない。
心の底から、魂の底からぶつかり合うことが愛だ。

雨の日のあの瞬間までたとえ傷つくことがあってもそうして来た。
あの日、身体にしみついた雨の匂いは今でも覚えていた。
アスファルトを激しく叩く雨が二人の声をかき消すほど強かったことも。
喉が詰まるような声と雨に流されていたが、涙に濡れた頬があったことも。

あの別れを自分のせいとは思わず、彼女ばかり責めてしまった男は、己の後ろにあった暗闇に気がつくことはなかった。

生きるのに必要なのは愛ではなく金だと。
愛は人を惑わす。そして生きていくための防御といったものを壊すと言い放った男は己の父親。あの男は生きいく上で愛など必要ないと言った。生きるのに必要なのは愛ではなく金だと言い放った。この命はあの男に与えられた命だが、生まれてきた意味は道明寺家の為であり、他の何でもないと言った。
たとえ生まれて来た訳がそうだとしても、生きていく意味はわかっている。
生きる意味は彼女のため、大切な人のため生きるからこその人生。
彼女がいなければ生きている意味がない。

人は愛なくして生きる意味があるのか。
あの男に生きる意味があるのかと、問うてみたい。
だが問うだけ無駄というものだ。あの男に愛などわかるはずもないのだから。
ろくでなしだった男のろくでなしの人生は彼女に出会った瞬間から変わった。
それを分かれと言う方が土台無理だ。



人は生きるうえで辛いことがあれば、それを誰かのせいにする。
本当は原因が自分にあるとしても、それを他人のせいにしたがる。
そしてそうして自分を慰める。

だが牧野つくしはそうではない。
責任は自分にある。人生の責任は全て自分にあると考える。
だからこそあの日の別れは自分のせいだと考えている。
そして選ばざるを得なかった選択をしたことを後悔し、今まで生きて来た。

時が過ぎ、全てが忘れられていってもいいはずの10年は、自分にとって忘れられなかった10年だったが、牧野つくしにとっても同じだったことを改めて知った。

牧野つくしのような女はどこを探してもいるわけがない。
だから類もあいつのことを気にかけている。いや気にかけている以前の問題だ。
彼女の口からして特別な存在と言わしめる類の存在。
あの二人にはあの二人だけの世界があった。
自分もその立場になりたくて、彼女がいてくれるならどんなことでもするつもりでいたあの頃があった。

あれから10年経ったが、つまらない嫉妬は未だ健在か。









司は特別室の扉の前にいた。
扉の向うに牧野つくしがいる。
手が届かなかった女はすぐ傍にいる。
自分たちの愛が忌まわしいものに変わった日々があったが、それを許してもらうにはどんな言葉を口にすればいい?
復讐の動機は捨てられたことに対する冷酷で執念深い恨み。その行動は性の奴隷のような扱い。その事に対し何を口にすれば許してもらえる?

今さらながらどんな言葉を口にすればいいのかと躊躇う男は、真面目腐った口元で目の前の扉を開けた。

「道明寺?」

「・・ああ。牧野具合はどうだ?変わりはないか?」

ベッドのヘッドボードに立てかけた枕とクッションを背につくしは司を見た。
備え付けのテーブルには空になったプリンの容器が置かれ、手元には雑誌があった。
司は部屋に入るとベッドの傍に椅子に腰を降ろす
どこか気まずさが感じられるは自分だけだとわかっているが、その思いが伝わったのか、つくしは怪訝な顔で司を見た。

「なに?なにかあったの?あ、さっきね、類が来たの。このプリンも類のお土産でね、まだ冷蔵庫に沢山あるから道明寺にも食べさせろって。でも甘い物が苦手な人にこのプリンは無理だと思うけど食べてみる?」

柔らかく微笑みを浮かべた女は、病院の寝間着から司が用意させたパジャマに着替えていた。自分一人で着替えをすることは無理だが、看護師の手によって着替えたのだろう。

傷口を見ることはなかったが、手術の痕が残ることは確実で、以前のつくしの身体を知る男は、その傷口を見ればどれほど彼女の命が危うかったのかと思うはずだ。
司は顔には出さなかったが己の心臓が止まるかと思ったあの瞬間を思い出していた。
心が強くなければ、どうにかなっていたかもしれない。
だが自分は傷を負ってはいない。傷を負ったのは牧野つくしだ。

そして心にも傷を負っている。恐かったはずだ。
捕えられ、男の本気の力に勝てるはずがないと知った時の恐怖は如何ばかりのものだったか。かつて愛していた男の暴力的行為は死ぬほど怖かったはずだ。
だが彼女に対する激しい思いが、己の性格の一面である激しさがそんなことをさせたと言えばそれは言い訳になる。

「・・?道明寺?どうしたの?」

「あ・・ああ。牧野、少し話しをしてもいいか?」

「えっ?うん。もちろん・・」

男の改まった口調がつくしの居住まいを正し、開かれていた雑誌を閉じる。

もしキスだけで思いを伝えることが出来るなら、何度でもそうするだろう。
だが男としてのけじめをつけろと類に言われた。類に言われたからそうするわけではない。
自分でもつくしの心と身体を傷つけてしまったと認識がある。だからこそ、今のままでは許されないのだ。だがどんな言葉を口にすればいいのか。

「まきの・・これからも俺の傍にいてくれるのか?」

「どうしたの?いきなりそんな_」

「牧野、聞いてくれ。俺はおまえに酷いことをした。男として最低のことだ。嫌がる女を無理矢理自分のものにした」

改めて面と向かって話すことが、嫌な思いをさせはしないかと気になっていた。
司はつくしの表情に移ろうものを探し、緊張しながら言葉を継ぐ。

「俺はひとりの男として見て欲しくて、おまえに向き合ってきた俺を金のために捨てたおまえが憎かった。あの時のおまえの行動が理解できなかった。どうしてあの日だったのか、どうして俺のことを簡単に捨てることができたのか。何故とどうしてばかりが頭にあった」

一瞬その場があの日に戻る。
目を閉じれば瞼の裏に見えるのは雨に濡れたあの日の景色だ。
あの夜は永遠に脳裏に刻まれるのではないかとさえ感じられた。
司は息を深く吸って吐き出す。

「だが俺はどうしておまえが離れていったのか、その理由を深くは知ろうとしなかった」

いつもより低い声が出るのは緊張のためか。それともばつが悪く、声が掠れるのを誤魔化すためか。
今は多くを語らないが、二人ともその理由を知っている。
そして類の邸で暮らしていた理由も。

傍にいると言ったつくしの言葉が信じられないわけではない。
こんな男を愛してくれていることが信じられないわけではないが、それでもどこか信じられない思いがある。もしかすると己の身に起きたことは、幻ではなかったのか。
狂気に憑りつかれていた男は、幻聴を、幻を見たのではなかったのか。
だからこそ、どうしても彼女の口からきちんとした言葉で聞きたかった。

「・・まきの・・頼む・・いや。こんなことは頼めることじゃねぇ。・・けど許して欲しい。俺はおまえとのことを・・無理矢理おまえを抱いたことを許して欲しいなんてことは言えねぇけど、俺はおまえとの関係を台無しにはしたくない。おまえは俺を愛してるって言ってくれたよな?あれは夢で、やっぱあの言葉を取り消すっていうなら、その言葉を受け入れなければならねぇっていうなら受け入れる」

言いたくはないが、言わなければならなかった。
こんな話はしたくはない。だが覚悟を決めて言わなければならないならと言葉を継ぐ。

「・・なあ、牧野・・このネックレスは・・よかったらこのネックレスを持っていてくれないか?」

司が差し出したのは、囚われて間もなく彼女の首から持ち去られていたあのネックレス。
少年と少女が恥ずかし気に星を眺めていたあのとき、つくしのために特別に作らせたと言って自らの手で首にかけてくれたネックレス。大きな手からつくしの手にするりと落とされた小さく硬質なそれは、本来なら温かみなど感じることがない塊だが、温もりが感じられるということは、ずっと握りしめていたということか。

「もしこんなもん見たくもねぇと思うなら売れば金にはなる」

司は類の話を聞き、つくしがこのネックレスを大切にしてくれていたと知った。
だからこそ、このネックレスを受け取ってもらうことに意味がある。
試す訳ではないが、彼女の反応が気になった。
だが拒絶されるのではないかと思うと表情を窺うことが怖く、顔を見ることが出来なかった。





「・・・素敵なネックレスね・・」

まるで初めて見たように答えていた。
土星の形をした宝石の輝きは失われてはおらず、むしろあの当時より輝いて見える。
つくしの声は優しく耳に聞こえ、その言葉に微かな期待を感じ、司はネックレスから視線を彼女の顔に移す。

「まきの・・本当に俺の傍にいてくれるのか?」
喉から絞り出すような声。
「俺はおまえのことが・・おまえのことが好きだった・・10年一度も忘れたことはなかった。酷い男だと、世間から何を言われても気になんかならなかった」

誰に何を言われようが、自分にとって意味をなさない人間の言葉など、どうでもいい。

「今の思いは10年前よりも強い。いやあの時も強かったが、今は抑えきれなくなっちまってる。・・だからおまえを抱くことが止められなかった。おまえが俺の前から消えて10年。その間に経験したことは、人として最悪だった。そんな俺は他人に悪夢を見させることが楽しくてならなかった。自分の不幸を他人にも味合わせることが楽しかった」

不幸をばら撒くことが楽しい。
自らの不幸を他人に味合わせることが楽しい。
愛する人に捨てられた男の歪んだ思い。


「俺はずっと一人だった。あの日から、あの雨の日からずっと。誰か傍にいたとしても、それは心なんか無いただの人形だった。俺はあの日から自分を殻に閉じ込め、あの日を忘れるため、あの短くも楽しかった日を忘れるため、自分の心を殺した。なあ、牧野・・俺は今でもおまえが好きだ。好きで好きでたまんねぇ。愛してる。だから_」

行かないでくれ。

それは司が心の中に自らが築いていた壁が崩れた瞬間だった。
彼が誰も受け入れることが無かった心に築かれた壁は10年という長い年月の間に厚みを増し、そして強度を増していた。今まで誰も崩せなかった壁。

あの日、あの雨の日に口にした言葉と同じ。
行くな。
行かないでくれ。
まさか自分の口からまたその言葉が出るとは思いもしなかったはずだ。
だが、それが彼の心の中に、心の奥深くにあった本心。誰も触れることがなかった心の奥底にあった生々しい感情。
それなのに、どうしてその感情を今まで抑えることが出来たのか。
いつの日からか全てを受け入れていた女を前に、どうして今まで言えなかったのか。
道明寺司と言う男は、プライドが高い。もしプライドのせいだとすれば、それは愚かなプライドだ。

そんな男が一生に一度見せるかどうかの態度をたったひとりの女性の前で見せた。


「・・・最悪の状態の道明寺はもういないのよね?」

つくしの意外にさばさばした様子に司は驚いていた。
いくら人を簡単に許すことが出来るとはいえ、口を開いたつくしの瞳は輝いていた。
あの頃と同じ黒い瞳がきらきらと輝き、司を見た。

「道明寺ひとりが悪いわけじゃない・・あたしも悪かったの。あたしが知ってる道明寺は10年前の優しかった道明寺だけなの。・・最悪の状態の道明寺は・・あたしに出会う前の道明寺で、あたしはそんな男は知らないわ。だから許すも許さないもないわ」

罪悪感を引きずって生きる男は見たくない。
そんな男は道明寺司じゃない。
つくしの言葉は司の心に灯りをともしていた。どんな言葉を言われたとしても、甘んじて受けるつもりでいた男にとって情けないほど嬉しい言葉。

「あたしは雑草だから、どんなことをされても平気。それに撃たれたけど大丈夫だから・・アタタ・・あ、でもやっぱりこれはちょっと痛い・・それより道明寺、このネックレスね、チェーンが切れちゃったことがあるの・・。それで類がローマまで持って行ってくれたことがあってね、類の力で早く修理できたからよかったの。だってこのネックレスは_」

司は椅子から立ち上がると、ベッドに座るつくしを抱きしめていた。
まだ点滴の繋がれた腕を気遣い、優しく、そっと包み込む。

「知ってる。肌身離さず付けてたって聞いた」

そして心の拠り所だったとも聞かされた。
どんな言葉を聞かされるより、一番嬉しかったのは10年前に贈ったネックレスが大切に扱われていたことだ。言葉では言い表せないほど嬉しく、そして彼女が、牧野つくしが愛おしい。今はまだ愛し合うことは出来ない。
だがキスはいくらでもすることが出来る。

未だに頬をバラ色に染める女は、あの頃の牧野つくしと同じ。
司は唇を寄せながら囁いた。

「愛してる、牧野つくし」

プリンの味がするキスは、本物のプリンを食べたよりも甘いはずだ。
司は甘いものが苦手だが、それでもこのプリンなら食べてもいいかと思っていた。


愛は哀しいものだった10年があった。
だが今は互いに愛おしさだけが膨れ上がっていた。





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2017
04.25

Collector 47

Category: Collector(完)
あの男が二人の間に入りこまなければ決定的な別れを、雨の日の別れを経験することがなかったということを改めて知った。
それとも元々二人は一度別れることが決まっていたのか。
だが過去を遡ったところで、過去を変えることはできない。
10年間の妄執と彼女を思うたび掻き立てられた劣情。
正気の沙汰ではなかった10年。
彼女に別れを告げられた言葉が頭に浮かぶたび、同じように脳裏に浮かぶあの日の風景を消し去ろうとした。

だがやっと、どれだけ手を伸ばしても掴めなかったものを掴むことが出来た。
雨の降るあの夜別れてからずっと欲しかったものをこの手に掴むことが出来た。
あの頃、愛した人に対しただ真っ直ぐな心だけを向けた少年の心は___
今もここにある。

あの日降り注いだのは激しい雨。
だが今もし降るならやさしい雨。
振り返ればこの10年、雨が降る夜は雨音を聞きたくないと耳を塞ぐようにしていた。



二人の関係はあの日、確かに変わった。
あの山荘で最後に彼女を抱いたとき憎しみが愛に変わった。
何も責めず、何も咎めることなく黙って全てを飲み込むことが出来る女は昔と同じだ。
あの頃、全てを自分ひとりで抱え込むことが得意だったが、今でもそれは変わらないようだ。

愛してるの言葉だけを繰り返す女はまるで何も無かったように接してくるが、USBの件についてもだが、きちんと話しをした方がいいと思っていた。
彼女を閉じ込め監禁し、身体の自由を奪った。
激しい欲望と憎しみで処女を奪った瞬間が甦り目を閉じた。
口をつぐんだまま何から話せばいいのかと言葉を選んでいた。
悪かった、そのひと言で済むようならこんなにも考えないはずだ。
身体が完全に回復するまでは話さなくてもいいと思ったが、話さなければならない。
それは自己満足のためかもしれないが、詫びなければならない。
大切な人を二度と失うことがないように。
そして許しを得なければならない。
哀れな男の告白だとしても彼女の前ではただの一人の男だ。

あの雨の日に口にしたように、ただの男だ。







司は病院の廊下をいつものように歩いていた。普段ひと気の無い廊下だが今のこの病院は警備に万全を尽くすよう手配していた。特別室のある最上階に立ち入ることが出来る人間は司と親友たち以外いなかった。そして部屋の前に立つ警護の人間は4人いた。

午後のうちに手配して贈らせた花が届いているはずだが喜んでくれただろうか。
淡いピンクのバラにカラーとカスミソウのアレンジメント。花など贈ったことがない男が選んだのは、まるで結婚式のブーケにでも出来そうな花。自らが抱え歩く姿を親友たちにでも見られれば失笑を買うかもしれないが、そうしても良かったかとも思う。

醜い嫉妬に取りつかれ、捨てられたと恨みを抱いていた男は罪悪感を抱き、つくしの部屋の前まで来ると今さらながら入ることを躊躇していた。するとちょうど中から出て来たのは類だった。

「あれ?司。今から見舞い?」
「あ?ああ・・。類・・来てたのか?それに見舞いって俺の部屋はこの隣だ」
「ああ、そうだったね?」
類はつくしの病室の隣、司の部屋のドアをちらっと見やった。
「そうだ司・・時間ある?話したいことがあるんだけどいい?」

早くつくしに会いたいが類の話を断る理由はない。
ハンサムな好青年といった印象がある類は、牧野つくしの心に寄り添う事が得意な男だ。
いや、実際司がつくしのことを好きだと告白したころ、彼女の心には類がいたことがあった。
そしてこの10年、いつも彼女を見守っていたのは類だった。

二人は隣の特別室、今は司が自室として使っている部屋へ足を向けた。
隣の部屋と同じ間取りではあるが、今は司のため仕事用のデスクが備え付けられていた。
類は部屋の中を見るとデスクの傍まで行き、回転椅子をくるりと回し、振り返ると司を見た。

「司、牧野はあのUSBのこと、随分前から中身知ってたってさ。おまえ、まだこの話しは牧野としてないんだろ?」

「ああ。これから話そうと思ってたところだ」

まさに今夜その話をしようとしていたところで類に言われた司はむっとし、その言葉の意味を探るように親友の表情を眺めた。そして二人の男の視線はがっちりと絡みあった。
まるでつくしを巡って二人が争っていた頃のように。

「それからおまえの親父さんが牧野を狙ってることも知ってた。俺はあいつが気付いてないって思ってた。だけど俺たちが思うよりあいつは頭がいいから・・あの当時自分なりに色々と考えて結論を導き出したんだと思う。それから、あいつがUSBを貸金庫に預けていた理由だけど、おまえの為、道明寺財閥の為だ。あの情報が公になればおまえの所が大変な目に合うって分かったからだ」

井坂と内容を確認したとき、恐らくそうであろうと考えた。
頭のいい彼女ならそのくらいのことは気付いて当然だ。

「・・・それから司、おまえは牧野に謝ったのか?おまえがあいつの自由を奪って監禁したことをだ」

類の口から出た憤りの言葉。
非情な態度で残酷さだけが目立った男の行動が許されるものではないと言いたいのだ。
男が取った異常とも言える行動は、一度は許しを請う必要があると。
それが例え愛してるのひと言で許されるとしても、類はけじめをつけろと言っていた。

類がこんなことを話すには理由があるはずだ。つくしと二人っきりで何を話したのか気になっていた。彼女と共に過ごした時間は短く、それに比べれば類は10年一緒にいた。
事実、牧野つくしのことを類ほど詳しく知る人間はいないかもしれない。


「いや。俺はあいつに・・」

「牧野はおまえを捨てるような別れ方をしたことをもうとっくに謝ってるよな? それからあいつはおまえにされたことを気にしてないはずだ。あいつは何でも簡単に許すところがある。あいつの性格からしてそうだってのは、おまえもよく知ってるだろ?」

自分が犠牲になることを厭わない女。
他人を簡単に許すことが出来る女。
騙されても相手を信じる女。性善説を信じる女。
自分の目で確かめ、自分が信じること以外信じないといった女だった。

「俺はおまえとあいつの関係に口を出すつもりはない。でもけじめだけはきちんとつけろ。何でも愛してるって言葉だけで許されると思うならそれはおまえのおごりだ」

一瞬、茶色い瞳を過ったのは怒りだったのか、だが眉がひそめられはしなかったが強い口調で言われ、頷くわけでもないが、今は責められて当然だと思っていた司は黙って聞いていた。
そして最後に人に謝ったのはいつだったかと思考を巡らせていた。

「おまえはこの10年おまえを捨てた牧野が許せなかったんだろ?だけど、もう許したんだろ?あいつが選らばなければならなかった、仕方がなかった選択だったことを理解したんだろ?それならおまえも牧野に詫びろ。きちんと言葉にしろ。牧野はおまえに謝ってもらおうなんて考えてないだろうけど、けじめだ。男としての」

すると類はふっと表情を和らげた。
そしていつもの調子の静かな声で語り始めた。

「司、人は許し合って生きる動物だ。許し合わなければ殺し合うことになる。相手を許すことが出来るのは人間だけだ。もしそれが出来ないならおまえは人間じゃない」

類の言葉は胸にしみた。
鏡を見たとき、自分の顔が人ではないと思ったことがある。
それはあの男、父親と同じ顏をして冷酷非道と言われたビジネスを行って来たからだ。
相手の息の根を止めることがビジネスの基本だった。

「司。牧野はおまえに謝って欲しいなんてひと言も言ってない。これは俺が言いたかったから言った。おまえが後悔してるのは分かってる。でも言わせてくれ・・」

その言葉はどれほど類がつくしのことを心配していたのかを感じさせた。

「それからおまえの親父さんのこともそうだけど、財閥の方向性も少しは考えろ。おまえが昔のおまえと変わってきたことは分かる。でも今のまんまのやり方じゃ親父さんと同じだ。司。俺はおまえたちの力になるつもりだ。何かあればと思ってる。だけどその前にきちんとあいつに謝って来い。俺が言いたいのはそれだけだ。・・それから司、牧野は・・砂みたいな女だけど、黄金より価値がある女だと思う」

司は黙って類の話を聞いていた。
黄金より価値がある。類の言葉を貧乏人が口にすれば嘘臭く感じられるが、なまじ金のある人間がそんな言葉を口にすれば、それは意味のある言葉だと感じられる。
もちろん司にとって牧野つくしは黄金より価値のある女だ。その言葉に異議を唱えることはない。だが相変わらず類の話はいつも抽象的で捉えどころがない。

「海岸の砂ってサラサラして気持ちいいよね?裸足になって歩いても足の裏が気持ちいいしさ、くつろげるっていうのかな?でも黄金の砂なんて落ち着いて歩けないし、なんか痛そうだろ?」

司の知らなかったつくしを知る類の言葉。それは類にとってはどれだけの意味を持つのか。
10年間何もなかったとは言え、身近で暮らした人間だからこその言葉のように思えた。
滑らかに口から出るその言葉は、友人以上の関係ではないから言える言葉だと司も分かっている。だがどこか心の中では、つくしといると落ち着けると言ったその言葉に嫉妬していた。

「・・それから司。あのネックレスはどうした?あれはおまえがプレゼントしたんだろ?あいつ、俺には言わなかったけど大切にしてたぞ?事故にあったときも・・身に付けてた。でもどうして俺があのネックレスのことを知ってるか不思議に思ってる?」

つくしを監禁したとき取り上げた土星を模したネックレスは今、司の手元にあるが、あのネックレスを贈ったことを知る人間はいないはずだと考えていた。

「牧野があんな高価なネックレスを自分で買うはずがないよね?だからおまえがプレゼントしたものだってすぐに分かったよ。それから一度チェーンが切れたことがあって修理に出すことになったけど、あれブルガリだろ?だからローマの本店まで送り返すことになるけど俺がフィレンツェに行く途中で直接本店に持ってた。俺の名前でね?その方が修理も早い。それにローマなら物産の支店も近いし、付き合いもあって3ヶ月待ちのところを急いでもらった。司、急いでもらった理由を知りたい?あいつあのネックレスが手元を離れるとき、哀しそうな顔をしてた。牧野にとってあれは、あのネックレスはおまえと離れてしまってもおまえのことを思うあいつの心の拠り所だった」






司は類が帰った部屋の中にひとり佇んでいた。

嬉しいときも、哀しいときも、共にあったというあのネックレス。
わかっている。
ただどんな顔をして返せばいいのかと躊躇していた。
そしてつくしにきちんと言葉にして詫びろと言った類は・・正しい。
大切な人を見失わないためにも、言葉にすることは必要だ。
あの頃、どんなことも言葉にしてきた。
それなのに・・ここで戸惑っている自分が滑稽だった。

司はデスクにしまってあった箱を取り出し類の言葉を反芻していた。
心の拠り所だったと言われた土星を模したネックレスが入った箱。
凡庸ではなく、彼女のためだけに作らせたネックレスはあの頃と変わらない輝きがあった。

そしてつくしの部屋の冷蔵庫のプリンを食べろと言われたことは、類が甘いものが苦手な自分に与えた罰のひとつではないかと思っていた。






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2017
04.23

Collector 46

Category: Collector(完)
司と牧野つくしの未来はこれを機に変化するはずだ。
司の揺るぎない牧野に対する思いと、10年離れていたにもかかわらず自分の事を思っていた彼女の愛情を知った男は、その思いに答えることが出来るはずだ。
そしてその手助けが出来るのは自分たちだと類は思っていた。
あの頃を知る3人なら出来ると_

窓から差し込む朝の光りの中にいる二人の仲睦まじい様子を目にしたとき、あの頃の男が、牧野つくしに対し真っ直ぐだった男がそこにいるのを知った。
その姿は互いを許し合った二人だった。どんな会話も必要ないと思えるほど自然な二人の姿。二人の間にあった降り続く雨は上がり、あの日、窓の外に見える朝の青空が二人の間にはあった。

東京の空には珍しく澄み切った空気の朝の空が。







「まだ痛いんだ?」
「あのね、類。痛いに決まってるでしょ?撃たれたんだから・・イタッ・・」
「そうだよね?どてっ腹に風穴開けられたんだから当然か?」

つくしは類の言葉に微笑んだが、痛みを遠ざけようとするかのように深呼吸した。
狙撃による弾は貫通していた。弾が貫通している貫通銃創は弾を取り出すことがないため、組織を傷付けることなく治療がしやすいと言われ、血管や神経の破損を接合処理し、傷を縫合するといった外科治療と同じだが傷口は痛む。だがある程度日数が経てば、傷口も自然に塞がれてくる。

意識が回復し、枕を背にベッドに起き上がることが出来るようになったつくしは、類が見舞いに持って来たプリンを食べていた。食べないと体力が回復しないと言われたこともあり、差し入れは大歓迎だった。初め頃、食べることが出来なかったが食欲は少しずつ回復していた。

仕事帰りに立ち寄った類は、今では花沢物産の専務となり厳しい表情も見せるが、つくしの前では穏やかな雰囲気の中に知的な眼差しを持つ男だ。
顏に似合わないどてっ腹に風穴を開けられた、と物騒な物言いをしたが、やはりその口調は落ち着いていた。

誰もが心配したつくしの身体。
まさに彼女は九死に一生を得たと言っていいはずだ。たった一発の弾丸で確実に死に至らしめることが出来る銃犯罪。それは運命がもたらした悲劇とでもいうのだろうか。金持ちの少年が貧しい少女を愛したばかりに起きた悲劇。だが、類はそれだけではないことは知っていた。

だがつくしは自分が何故こんな目にあったのか口にしなかった。
普通の人間なら必ず口にするはずの疑問を口にしないことが不思議だが、その理由を知っているからだと類は思った。

追突して来た車の運転手が見つからなかった自動車事故。
父親が口にした『生きようが死のうが金に困ることはない。今後も道明寺から継続的に金が手に入る』の言葉とUSBメモリの内容。
類は司から記録されていた内容を聞いたとき、頷くしかなかった。

両親が亡くなった事故のあと、あのUSBを見つけ、そしてその内容を理解し、そこに父親の言葉を重ね、どうして自分たちが事故にあったのか分かったのだろう。
類はつくしが単なる自動車事故だと考えていると思っていたが、それは類が勝手に思っていただけで、ただの事故ではないとつくしは分かっていた。
そしてそれが道明寺財閥に関係していることから口を閉ざした。
司のために。


つくしが貸金庫に保管していたUSBは、長い歴史を有する名門企業と言われる道明寺財閥の根幹を揺るがす事態になりかねない代物だ。情報漏洩は企業の根幹を揺るがすと言われるが、この情報が漏れたのは、道明寺の株式を発行する主幹事である大日証券からだ。

道明寺と大日証券が手を組み政治家に未公開株という名の賄賂を贈ったとされる記録。
もしそれが本当なら道明寺だけではなく、世界でも有数と言われる大日証券も大きな責任を問われることになる。
しかし記録だけでは証拠にはならない。犯罪事実がはっきりしなければ罪を問うことは出来ないが、どちらにしても金融犯罪、企業犯罪の時効と言われる年月は過ぎていた。
だがもしこれが公のものとなっていれば、当時の内閣が崩壊するような疑獄事件になっていたはずだ。

経済は一流だが政治は二流と言われる日本の政治体制ではあり得ない話ではない。
裏ルールと言われるものが蔓延する日本の政治。戦前から財閥は政党に資金提供をし、自らの利益になる政策を推し進めることをして来た。そして現在それは形を変え、別の方法で行われていたというわけだ。

そして牧野つくしは、当時の道明寺財閥の運命を左右する大きな情報を手にしていた。
時の政権の屋台骨を揺るがすような情報を。

「ねえ牧野?あのUSBの中身、知ってた?」
つくしには貸金庫を開けさせてもらったことを伝えていた。
類が紹介した貸金庫だ。理由は言わなかったが、つくしも文句は言わなかった。
「・・・」
「どうなの?」
「・・うん。知ってた」
プリンを掬っていたつくしの手が止る。
「大学で政治や経済について勉強してたし、初めはなんだろうこれって思ったけど、わかったの・・道明寺の会社のことだって・・」
と、言ったがつくしは黙った。

道明寺貴も親から経営を引き継いだ世襲経営者だ。代々道明寺家の長男が受け継いできた財閥の経営。だが世襲経営トップにありがちな苦労知らずではなかった。
経営を引き継いだ頃の世界経済は右肩上がりではなく、イスラエルとアラブ諸国の間に発生した中東戦争の影響もあり、石油関連事業は思うようにはいかなかった。元々石油事業に弱いと言われた財閥は、その時、世界の石油ビジネスのほぼ全てを支配する石油メジャーと手を組むことにより、業績悪化を免れることが出来た。
だがあの当時、財閥は経営危機に見舞われ司の父親の貴も奔走した。

株式の殆どを有する道明寺家の当主。
傍から見れば教養あふれる紳士に見え、超一流の経営者と言われ経済団体の代表を務めた男。

そんな男が、まさか息子が愛した人を、彼女が財閥にとって不利益となるような情報を持っていることに脅威を抱き殺そうとした。
初めは道明寺家に相応しくない、息子に相応しくないと言った理由から牧野つくしを排除しようとしただけだったはずだ。だが父親の牧野浩が何らかの拍子に財閥にとって不利な情報を手に入れたことによって流れが思わぬ方向へと変わったのかもしれなかった。

もし、牧野つくしがその情報を誰かに渡していたらどうなった?
それを考えたとき、そうしなかったつくしの気持ちを類は考えた。

「牧野。いつ知った?このUSBの存在は?」

「・・あの事故でパパとママが亡くなって・・あたしと進も入院してるとき、類がうちの面倒を見てくれたでしょ?アパートからの引っ越しとか、色々・・。類の家に引っ越してから色々片づけているとき、パパの荷物の中から見つけたの・・・」

退院をし、引っ越し先の類の邸に落ち着いたが、暫く手つかず状態だった両親の遺品ともいえる荷物の中から出てきたUSBメモリ。当時、牧野家にパソコンは無かったが、父親の浩が仕事で使用しているものかと思っていた。

「そっか・・で、誰にも言わず持ってた?」

「うん。類の家にいれば誰かに盗まれたりするはずないし、お世話になってるうちはあたしが持ってても問題ないと思った。でも一人暮らしを決めたとき、やっぱり心配になっちゃって類が教えてくれた貸金庫を借りることにしたの。あの銀行の支店の貸金庫って旧式の手動式でよかったと思ってる。だって本人と委任状を持った代理人以外開けることが出来ないでしょ?あたしの代理人は進になってるから進以外誰も開けることは出来ないし、あの子も銀行員だから貸金庫がどんなものか知ってるから説明しなくても大切なものが入ってるって気付くはずだから・・」

「そうだね、進は気付くだろうね。彼も頭がいいから」

「・・でも進には関係ないことだから・・それにあの子も事を荒立てるようなことは嫌いな子だし、今の立場もあるでしょ?」

類は一人っ子だ。兄弟姉妹はいない。だから進と暮らし始めたとき、正直な話どう接すればいいのか分からなかった。だがつくしが姉の立場で弟にどんな態度を取るのか興味はあった。
牧野つくしの姉としての態度。それは弟には知らせたいことだけを伝えるといった態度だった。つまりそれは弟には余計な心配はかけたくないといった態度。

銀行員となった弟の立場。
弟には弟の人生がある。
出る杭は打たれる傾向にある日本社会では、目立つこと注目されることは嫌われる。
大人しく仕事の流れに身を任せている方がいい。弟の人生まで波立てることはしたくない。
下手に道明寺財閥と関わり、弟の人生を狂わせたくない。そんな思いが感じられた。姉であるつくしは家族が弟と二人だけになったとき、姉として弟を守ると決めたのだろう。

もしかするとつくしが自分の邸に身を寄せたのは、弟の幸せのためだったのかもしれない。
他人に迷惑をかけることが嫌いな少女は、持ち前の頑固さが頭をもたげる前に、弟のため決意したのだろう。どこまでも自分を犠牲にするその性格は、類が見たこの10年も変わることはなかった。だからこそ、そんな少女に向けられた司の父親の行為は許せるものではない。

「酷い親を持った司には同情するけど、牧野に銃を向けたことは許せない。俺が司の父親を撃ち殺したらどうする?」

あの狙撃は司の父親の仕業だと分かっているはずだ。
類は冗談めかして言ったが、この言葉の裏にはいくら言っても言い足りない言葉が隠れていた。

司もそうだったが類も学生重役からスタートした男だ。
オーナー経営者の息子として、将来の社長候補として自他ともに認める立場にいれば、ビジネスについては充分と言えるほど理解している。
どこの会社にも汚い部分があるということも。だが司の父親ほど酷い男は見たことがない。

「でも司のことだから、俺が何かするより先に、あの親にしてこの子ありってことをするんじゃないかな?」

その言葉もあながち嘘ではないだろう。
混じりっ気のない傲慢とも言える道明寺司と言う男もかつて好きな女のため、感情を露にし、暴力事件を起こしたことがあった。
だがそんな男が法に触れるような事件を起し、つくしを悲しませるようなことは避けたい思いがある。

「俺のこれからの役目は、あいつが暴走し過ぎないように監視することかな?」

類は、つと立ち上った。

「牧野、そのプリン。冷蔵庫に沢山買っといたから司にも食べさせてやりなよ?いくら牧野が食いしん坊だからってさすがに全部食べると太るよ?あ、でも司はもう少し胸がある女の方が好きかもね?でもあいつの好みってよくわかんないけど、そう言えばNYにいる頃、胸は別として黒い髪と黒い瞳の女が好きだったな」

類はつくしの眉間に皺が寄ったのを見て笑った。
こうしてあの頃と同じような軽口が言えることが嬉しかった。
牧野は司の過去の女関係は納得済みだ。
司も変に誤魔化したり隠したりしない方がいい。過去は過去として受け入れればいい。
それに牧野つくしと言う女は、今さら変えることが出来ないことに拘るような女ではない。

どこか間の抜けた顔つきになることもあるが、それが牧野の魅力のひとつ。
これから二人にどんな事態が待ち受けているにしても、今度は間違っても二人だけにするつもりはない。
誰かが二人の幸せを気にかけてやるとすれば、それは自分だ。
類は恋愛感情を交えなかった女性に純粋な気持ちで幸せになって欲しいと思っていた。





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2017
04.22

Collector 45

Category: Collector(完)
牧野・・・
やっと彼女が自分の元へ戻ってきた。
人間が生きる世界へ、彼のいる世界へ戻って来てくれた。
手を伸ばし髪に触れ、手を握りその肌にそっと唇を落し、彼女の存在を確かめることが出来た。

牧野・・・
自分の中では圧倒的な存在感を持つ女性。
この10年目を閉じればいつも心に浮かぶのは彼女の面影。
出会ったあのころは、ほとんど毎日が待ちきれない日々。
朝が来ることが楽しみで、ベッドから飛び起きると駆け出していた。

束の間、思い出すのは初めてキスをした日。そして彼女を自分の腕に抱いた日。
その時の感触を思い出しながら過去を振り返った。短かった二人だけの時間。
だがあの雨の日からは、忘れられなかった記憶を蘇らせ、何度も反芻しながら暗い闇だけを見つめ生きていた。冷たい闇の空気を貪りながら過ごした日々。狂暴な男となって生きて来た人生があった。

司は冷たい笑みを浮かべ思った。
もう過去へは戻らない。

自分とつくし・・・
二人はやり直し、二度と再び離れることはないはずだ。
彼女を心ゆくまで感じることが幸せだと感じられた。
そう思う気持ちは随分久しぶりのことだ・・・・

だが話さなければならないことがある。
司は一瞬ためらいの表情を浮かべたが、すぐにそれを打ち消した。
今はまだ話さなくてもいいはずだ。

今はまだ_







意識を取り戻したがまたすぐ瞼を閉じてしまったつくし。
医者は聴診器をあて心拍音を聴き、瞳孔の反射を調べ、繋がれたモニターをチェックした。

「意識が戻ったがまたすぐ眠ってしまわれたんですね?」

「ああ。喉が・・乾いてるって言ったがそれからまた眠った。どうなんだ?牧野は・・彼女の容態は?」

司は心配そうに聞いたが医者は問題ないと言う。
だが神と命のやり取りをするような手術をしたのだ。心配するなと言う方が無理だ。

「道明寺さん、そんなにご心配なさらなくても大丈夫です。手術後、ましてや長い間昏睡状態にいた患者さんは意識が回復しても意識の混濁といったものが見られます。それは殆どの患者さんに起こることです。自分がどうしてここにいるのか理解出来ないこともありますから。しかしまたすぐ目が覚めますから無理に起こすようなことはせず暫くこのまま眠らせてあげて下さい」

司はその返事が気に入らなかった。
一時意識を取り戻したとはいえまた深い眠りについてしまったような呼吸に、唇をぎゅっと引き結んだ男は、胸の前で腕を組むと医者を睨んでいた。

意識の混濁は、長時間に及ぶ麻酔や昏睡状態に置かれた患者にはよくある話しだと言うが、その状態のつくしが再び目覚めることがないのではないかと不安が過る。
しかし今は医者の言う言葉を信じるしかない。つくしの顔を見たがその寝顔に苦痛は感じられず穏やかに眠っていた。

「喉が渇いたってのはどうすればいいんだ?」

「そうですね。まず唇が乾燥しているでしょうから、そちらを湿らせることから始めて下さい。滅菌処理された綿棒をお持ちしますから、そちらを唇にあて、口の中を潤しましょう。お水はそれから少しずつ差し上げて下さい」



司はそのまま朝までつくしの傍に付き添い、彼女が目を開くのを待った。
自分の願いが叶うようにと祈った。夜明けの最初の光りが射しこむとき、目が覚めるようにと。
そして夜明け前、ゆっくりと開かれた黒い瞳は、自分を見つめる司と視線を合わせた。
完全に目を覚ましたつくしは、この場所がどこか分からないとしても、自分の置かれた状況を理解していた。意識はしっかりしており、小さく呟くように名前を呼び、そして言った。

「どうみょうじ・・・あたしは大丈夫だから・・それより道明寺は大丈夫なの?怪我はない?」

それから暫く、ただ見つめ合うだけの二人だったが、やがてつくしが手を差し出して来ると、司はその手を取った。まだ点滴の針が刺さったままの腕に力はないが、それでもその手には温もりがあった。その温もりを手放したくないと掴んだ司の手は大きくやはり温かかった。
かつて冷たいものが流れていると思われていた男の手は力強くつくしの手を握ると、彼は泣いていた。

頬を伝う涙に気付かないとしても、零れた涙がポタポタと音を立て上掛けの上へと落ちていた。
目の前で撃たれ、倒れ込んで来る身体を受け止めたが、まるで死んだようにぐったりとし、動かなかった。それは心臓の動きが止り、呼吸が止まり、時が止った瞬間だった。
手術をし、それから続いた意識のない状態は、まるで宙ぶらりんの状態。
それまでの人生の中で最悪の状況。悪夢を見ていると言ってもいいほどだった。
頭を過るのはこのまま帰らぬ人となるのではないか。
はかない息遣いはこのまま途絶えてしまうのではないか。

そんな時、人は信心深くなくとも神に祈ることがある。
司もつくしが早く目を覚ますようにと祈った。
自分が代われるものなら代わりたかった。
あれほどの心の痛みといったものを経験したことなどなく、まるで自分の心臓が撃ち抜かれてしまったかのような痛みを感じていた。

頭を過ったのは、もし置いて行かれてしまったらどうしようと。
置いて行く方と置いて行かれる方ではどちらが辛いのか。
そんなことを考えたこともあった。

「・・まきの・・よかった・・」

ひたむきとも言える目で見つめる司。
その目は遠い昔見た事がある目。
あの頃、二人が心を通わすことが出来たとき、世界中で一番大切な人に出会えたと思えたとき交わした視線と同じ。
つくしは暫く視線を外さなかった。だが握られている自分の手を見た。
そして再び司の目を見ると言った。

『愛してる』と。

世界中のどの言語で言っても一番美しいと感じるその言葉。
家族であっても、恋人であっても愛してもらえることは幸せなことだ。

世の中の多くの人間はそれをあたり前の事と捉えるかもしれない。
だが司は違った。愛を知らずに育った男にとって初めて人を愛することを知ったのだから。

そんな男が好きになった少女は高校に通いながら、家計を助けるためアルバイトに精を出す少女。赤貧ともいえる経済状態の家庭に暮らす少女。
振り返るたび香る何かを感じたくて、その香りで包んで欲しくて、その髪に触れたいと、その声が聴きたいと彼女を追いかけた。

そんな息子に因習的とも言える考えを持つ両親が眉をひそめ、まず母親が二人の交際を反対した。そして母親では埒が明かないと父親が出て来た。
今では殺したいほど憎んでいる父親。
いや。父親ではない。あの男は赤の他人だ。



哀しみの喘ぎばかりだった10年。

10年の歳月を経て戻って来た男は、心の奥底に閉じ込めていた気持ちを解き放つと再び彼女を愛し始めた。
彼にとっては間違いなくその愛を与えたい人が世界中で一番大切な人であることを疑問に思う方が間違いだ。そしてその人の口から聞かされた言葉は、彼を殺すことも生かすことが出来るのだから。









特別室に集まった三人の男たちは、つくしの意識が戻ったと連絡受け、病院へ駆けつけた。
三人が揃ってつくしと会うのは久しぶりだ。類は一緒に暮らしていたこともあり、久しぶりとは言わないかもしれないが、あきらと総二郎は久しぶりの再会となった。

銃で狙撃され命が助かったのは、まさに運がいいとしか言えない。
三人が見たつくしは、カーテンが開かれ、窓から差し込む光の中、ベッドに横になった姿勢で司の手から水を与えられていた。
〝吸い飲み″からあらかた水を飲み干したつくしは、深呼吸しひと息つくと三人に目を向けた。

友だちとしてほぼ10年一緒に暮らしてきた類。
類を介さなければ会わなかったあきらと総二郎。
異性として意識などしてこなかった三人の男性は、心配そうにつくしを見つめていた。



四人の男性が顔を揃えたのは何年ぶりなのだろう。
かつてF4と呼ばれた男たち。
学園の支配者と言われた道明寺司。
茫洋としてつかみどころのない人物と言われた花沢類。
いつも陽気だがどこか淋しさを感じさせた西門総二郎。
面倒見のいい男と呼ばれた美作あきら。

彼らが心配そうに見つめるなか、つくしは微笑んでみせた。
それはかつて見たことのある微笑み。
夏に咲くひまわりのような明るさを感じさせる微笑み。
そこに言葉がなくても、感じられることはある。
牧野つくしは、昔と変わらず道明寺司を愛していると、三人は疑うことはなかった。





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2017
04.21

Collector 44

Category: Collector(完)
守るべき人のために戦わなければならない日が来る。
それは暗く沈んだ歳月を越え再び掴んだ光りのため。
遅きに失していると言われるかもしれないが、再び人を愛することに遅いも早いも無いはずだ。愛の代わりに憎しみを抱き、安らぎの代わりに苛立ちを感じ、全てのことが無意味に思える日々は終わりを迎えた。
今、ここにいるのは生涯でたった一度の恋のため、全てを投げ出すことも構わないと思う男だ。

あの頃、彼女を思う気持ちが大きく、身を焦がすほどで自分の人生にとって全てのことだと感じたため、決定的な言葉が心を打ち砕いた。

あの女は金目当てだ。だからおまえは捨てられた。
あの男から聞かされたその言葉は、信じていた女に裏切られたといった思いしか心の中に残らなかった。そして若かった二人は、大人たちの思惑に乗せられ別れてしまった。

間違った方向指示器によって進むべき道を違えてしまっていた。
だが今、進むべき方向は見つかった。
自分にとって進むべき方向にある価値があるものを見つけた。
それは物や人ではなく・・愛。
彼女の愛。
あの時感じた。そう確かに感じた。
温もりを言葉に宿し、愛してると言った。








静まり返った司の執務室にいるのは、司と井坂の二人。
牧野つくしが貸金庫に保管していたUSBの中身はいったい何なのか。
その中を確認することに躊躇いはない。


「これは・・当時の有力政治家の名前がずらりと並んでいますね?アンダー・ザ・テーブル、まさに賄賂を贈った相手の名前でしょう。しかし、なぜこんなものがこのUSBに保存されていたかが不思議ですが・・・今となってはどうしてと言っても結果として受け止める以外ないでしょう」

USBメモリの中のデータは、司の父親が社長だった当時、政治家と官僚に贈ったとされる道明寺の子会社の未公開株の譲渡先の記録。
上場していない企業は株式を公開していない。そしてその株式を未公開株と呼ぶ。
当時学生だった司は知るはずもなかったが、今ではその意味が分かる。

非上場企業の株式が新規に証券取引所で公開される前、つまり新規上場の前、一般に向け販売されるが、殆どの企業の株式は、公開直後は販売価格より値上がりすることが多いため、売って利ざや(利益)を稼ぐことが出来る。司の父親が贈った子会社の株式は公開直後、販売価格を大きく上回る値がついていた。

株式の譲渡数はそれぞれだったが、無償で譲り受けたものだ。それを売り抜ければかなりの金額になる。

受け取った政治家は保守系ばかり。その当時の首相、官房長官、大臣数名、そして党三役と呼ばれ党の重要な意思決定を行う幹事長、政調会長、総務会長の名前もあり、もしこの名簿が公開されれば政治問題化することは避けられず、大規模な贈収賄事件で企業犯罪となることは目に見えていた。

政財官が一体となり、鉄のトライアングルと呼ばれ事業を推し進めて行く上で関係を深めて行くための賄賂。

牧野浩は道明寺HDの株式発行の主幹事である大日証券の支店長付運転手だった。
だが小さな支店であり、個人のディール(売買)がメインであり、ましてや法人部ではない。しかしどこからか情報が漏れ、牧野浩はその情報を手に入れた。そしてあの男を脅したということだろう。

どこの会社でもそうだが、会社の情報システムと繋がる端末に記憶媒体を繋ぐことは禁止されている場合が多い。それは当然情報が持ち出される恐れがあるからだ。
金融関連の会社となれば、パソコン一台立ち上げるにも鍵が必要となる昨今。電源が入れられた時点で利用者の使用状況がすべて記録されるはずだが・・その当時はそこまで管理されてなかったということか。
牧野浩が支店長付運転手だったことから考えられるのは、支店長がその情報を持ち出したということになるが・・・


どちらにしろデータ管理は人間が行う行為。
金のため重要情報を持ち出すこともあれば、意図せずミスや取りこぼしをすることもある。
そのひとつがこのUSBなのか。

牧野浩はこの情報のため命を狙われたということか?
娘の牧野つくしはこの情報を知っていてUSBを貸金庫に預けていたということか?
だから・・あいつはあの男に命を狙われていたということか?
あの男は時の政権を揺るがす企業犯罪が暴かれることがないようにと命まで狙っていたということか?

リストの中にはかつてのエリート官僚もいた。
その中の何人かは退官後、道明寺へと天下っている人間もいる。
悠々自適に第二の人生を過ごすことが出来ると言われる高級官僚の再就職先として人気が高いと言われる道明寺。
こちらとしても、顏の広い経済官僚は求める人材だ。持ちつ持たれつの関係を維持してきたが、その関係が失われることになるのは避けたいといった意識が働いたのは間違いない。


「社長。このリストは10年前のものです。もし賄賂を渡していたとしても企業犯罪や経済犯罪といったものは5年から7年で公訴時効が成立します。インサイダー取引も5年で時効が成立します。賄賂だとしても贈賄は3年、収賄は5年で時効です。それに収賄側の立証は難しいと言われています。何しろ相手は大物政治家ばかりです。簡単に行く相手ではありません。それにリストに名前がある方の中にはすでにお亡くなりになっている方もいらっしゃいます」

確かに時効は成立している。
だがこの問題が表沙汰になれば、企業イメージは悪くなる。そして保守政党である現政権との繋がりについて、探られることは間違いない。道明寺は現政権とも太いパイプを持つ。もしこの件が公になれば、政権側はいい顔はしないだろう。既得権益が損なわれ、業績が悪化すると考えても不思議ではない。

「もし、当時このリストが公表されていたらどうなっていた?」

「・・・そうですね。総理は退陣に追い込まれることは間違いないでしょう。内閣総辞職。そして解散総選挙となるでしょう。当然このような内閣を生み出した保守政党に票が入るはずもなく、野党が政権を取ることになるでしょう。と、なると道明寺にとってはいいことはありません。公共工事は減る、それにより経済が回らない。親米政権が別の方向へ向かうのもアメリカに本社がある道明寺にとっては不利になることもあるでしょう。内閣が保守から野党に変わるということは、いいことはひとつもありません。自由主義経済の中では理想主義者といった人間は所詮愚か者ですから。お父様はその点を危惧されていたのでしょう。それに政治と金は切っても切れないものですから」




牧野つくしが姿を消し、類の邸で長らく暮らしていた理由を知った。
ひとつは彼女が道明寺の家に合わない、身分が違うと言った理由。
そこに金が絡み、親が絡んだ。
そしてもうひとつは財閥の運命に関わる理由。
会社の利益を一番に考える男は、道明寺が不利益を被ることが許せない。たったそれだけの理由。自らが築いた世界を揺るぎないものとするため、牧野浩が掴んだ情報を取り返そうとした。
それは命を奪っても・・・そして浩がいなくなり、その娘が持っている情報を取り返そうとした。

なぜ彼女が貸金庫にUSBを預けることにしたのか。それは中を確かめたからだろう。
だが当時の牧野家にパソコンなどあるはずもなく、ましてやパソコンなど得意ではなかったはずの父親の死後見つけたUSBを不思議に思ったはずだ。

だが父親はどこかで中身を見たはずだ。
だからあの男を脅すようなことをしたのではないか。
・・もしかすると、牧野浩は本当の意味でのこのデータの内容を理解していなかったのかもしれない。だが彼女は知った。大学を卒業した人間である程度経済の知識があれば、そしてその当時の世の中の経済状況を知っていれば理解したはずだ。

この情報が世間に出れば財閥は大きなダメージを受ける。
それを知っていたからこそ、貸金庫なら誰にも手は出せないと保管することにした。
既に時効を迎えているとは言え、企業犯罪の証拠が世の中に出ることがないようにと隠したと言った方が正しいだろう。

だが何のため?

誰のため?

頭の中では理解していた。
それが俺のためだと。
道明寺財閥のためだと。
だが牧野はそのせいで命を狙われたと知っていたのか?

『牧野は立ち直れないほど傷ついているから。だから元気になるまで俺が見守ってやらなければならないんだ。』

類の言葉は、かつて恋人同士だった男の父親から狙われたことがショックだったと言いたかったのか?

巨大企業の跡継ぎという役割は、新たな跡継ぎを作り、道明寺を繁栄させること。
それだけのため生かされて来たようなもの。そんな男と付き合ったため、人生が狂ったということか?もし、自分と出会わなければ、どこかで幸せに暮らしていたということか?





***






空調システムが管理する空気の流れは、ここが病院の特別室であることを忘れさせるが、彼女を心配する男の気持ちをやわらげることはない。
今日はかなり遅い時間になったが、今の司の住まいはつくしの部屋の隣だ。時間に関係なく様子を見ることが出来る。
ベッドの傍に置かれた椅子に腰を降ろし、ペタンとおでこに張り付いた髪に手を触れ、その前髪をかき分けた。そして温もりを感じられる手を両手で握り唇を寄せた。

まだ意識を取り戻してはいなかった。
だが意識がないとしても、意識下で聞こえているはずだ。
誰もが口にしたがる言葉がある。
司も口にした。誰もが口にするから、まるで手垢がついたとでも言えるような言葉だったが、それでもその言葉が自分の気持ちを伝えるためには一番相応しいことも知っていた。

「愛してる・・牧野・・」

握った手を離したくない。
なんとか目を覚まさせる方法はないのか。だが医者は同じことを繰り返すだけだ。
『人間の身体は医師でも分からないことがある』と。
その言葉はもう聞き飽きた。
見る限り安定している容態。
だが司は心配になり、胸の上へ屈み込み、鼓動を確かめた。
規則正しくトクン、トクンと安定したリズムを刻む心音。
と、その時だった。

「・・・ん・・うん・・」
司の頭の後ろから声がした。
「牧野?!」

つくしの身体が、動かなかった彫像が命を吹き込まれたようにピクリと動いたのだ。
瞼が痙攣したように震え、やがてゆっくりと開かれた大きな黒い瞳。
二人は互いを見つめ合っていた。
だが焦点が合わないのか、ぼんやりと不思議そうに司の顔を見ていた。

「牧野!?わかるか?俺が誰か分かるか?」

「・・・」
頼りなさげな目は上から見下ろす男の声に反応を示さない。

「どうした?牧野?何か言ってくれ!俺が誰かわかるか?まき__」

少し痩せた顔は相変わらずぼんやりとした視線を司に向けていたが、唾を呑み込もうとし、やっと口を開くと言った。

「ど・・みょうじ・・・喉が・・・カラカラなの・・」

と、弱々しい声が言ったが、つくしはたゆたう眠りに誘われたのか再び瞼を閉じた。





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2017
04.19

Collector 43

Category: Collector(完)
正体を偽っている悪魔は誰だと言われれば自らの父親だと答える。
だが偽るもなにもない。司には自分の父親の偽りのない姿が見えていた。
既に一線を退いた男だが、それでもまだ権力の座にあり影で財閥を牛耳っていると言われている。未だ強い影響力を持つ男はこの先いったい何をしようというのか。

狡猾で残酷な性格な男。
そんな男に似ていると言われ久しいが、事実似ているのだから仕方ない。
子供の頃よく言われたのは、ひと前で感情を表に出すなということだ。確かに感情を表に出すことはビジネスでは決してプラスにならない、むしろマイナス要素が大きいのは周知の事実。その言葉通りと言っては語弊があるが、この10年感情が動くことはなく、虚無感だけを抱き生きて来た。

金と力があれば不可能はないと。
世の中の全ては金だと。
容赦のないビジネス手法で根性が腐りきってしまった男に成り下がってしまっていた。

それは__あいつに出会う前の自分の姿だ。

鏡に映る己の顔を変えることは出来ない。あの男に似たこの顔は自分自身。
片眉を上げ威圧的に相手を見る目も、酷薄な口元もあの男そっくりだ。
世間は美の定義以上の顔だと言うが、この10年が刻まれた顔は・・人だと言えなかった。

己の顔に興味などない。だがこの顔は_あの男によく似ていると言われるこの顔は自分の一部として受け入れなければ前に進むことは出来ない。
だがあの男の息子に生まれたことを今ほど悔やんだことはない。
あの男は本物の息子が欲しかったわけではない。ただ自分の跡を継ぐコピーが欲しかっただけだ。だから自分の意に沿わない女を認めなかった。
親の役割といったものはいったい何なのか?
物心ついた頃から親の存在が希薄だった子供には親の役割が分からない。
だが父親がどんな役割を果たす人間だとしても、人を殺せと命じるような男は父親ではない。


牧野つくしの意識はまだ戻ってはいない。
意識のない顔は青ざめたように見えた。だが表情は穏やかに感じられた。
手を握ったとき、その手は柔らかく体温が感じられた。今はただ眠っているだけだ。そう感じられた。大丈夫だ。きっと大丈夫だ。命は助かった。生きている。ただ意識が戻らないだけだ。今は彼女が生きていることに感謝しなければ。

だがこうなってしまった責任は自分にある。




10代の頃、学園の頂点に君臨していた男の傍にはいつも仲間がいた。
その頃はまだ子供で、裕福な親に守られていたに過ぎなかった。
それはひとりぽつねんと佇むことが好きだった男にしてもそうだ。
その男が大切な人を10年もの間守ってくれていた。

_だが自分は守れなかった。
彼女の身に危険があることは分かっていた。
それなのに守れなかった。





首都高速が混むのはいつものこと。
自然渋滞か、それとも年がら年中どこか工事をしている関係か。
どちらにしても動かないことはよくある話しだ。司の乗ったリムジンの前にいるのは、大型の貨物車で前方は見えなかった。

ノロノロと進む車の窓を少し開け、煙草の煙を外へと逃す。
隣に座る井坂が視線を向けたが司は黙っていた。
言いたいことがあれば、はっきり口にする男だ。何も言わないということは、さして用はないということだろう。銀行の外で待つ車に控えさせていたのは秘書ではなく井坂だった。

井坂からの報告で知った牧野つくしの父親、浩が大日証券の支店長付運転手をしていた話し。そこから動き出した疑惑。どうして牧野浩が自動車事故で亡くなり、その犯人が捕まらないのか。
そして牧野つくしの日記に書かれていた『生きようが死のうが金に困ることはない。今後も道明寺から継続的に金が入る』の言葉。父親が口にしたこの言葉の意味を知っていたのだろうか?あきらも口にしたが、その言葉が意味するのは牧野浩が道明寺に対する何らかの弱みを握ったとしか考えられなかった。

企業が大きくなればなるほど色々なことが起きるのは当然だ。
脅迫めいたメールが届くこともあれば、誹謗中傷もあるがその殆どは無視してもいいものだ。だが牧野浩は自分の娘が息子に近い立場にいたことから、あの男と接点を持った。

思考の流れは、あの事故はあの男が仕組んだと考えている。
小さな綻びも大きくなれば取返しのつかないことになることもある。
悪い芽はさっさと掻きとるに限る。
あの男はそう考えたはずだ。

牧野浩が握った情報を取り返そうとし、追突事故を起こした。だが取り返そうとした情報は見つからず、娘が持っているはずだと思ったあの男は次に娘を狙おうとした。それに類が気付いたことで類の邸にいた。類が守っていた。

皮肉なことだが、勘がいいのもあの男に似ていると言われていた。
恐らく間違いない。
ただ証拠はない。

司は思った。
もし、自分の父親が本当に彼女の両親が亡くなった事故に関係しているなら話さなくてはならない。
いつか本当の話をつくしにしなければならないと。
そしてつくしがこんな目に合ったのは全て自分のせいなのだと。
だがどう話しをすればいいのか。
心の中で、頭の中で考えるが話すことが出来るかと。
真実を告げることが出来るだろうかと。
だが躊躇いがあっては物事は前に進みはしない。



牧野つくしが借りた貸金庫にはいったい何が収められているのか。
彼女が大切にしているものは何なのか興味もあった。
大きな自然災害を経験したこの国は、あれ以降貸金庫の利用者が増え、金庫が足りず断ることもあると言う。確かにあそこなら火災や災害から大切な守ることが出来るはずだ。そして盗難からも守ることが出来る。銀行に強盗に入ったとしても、貸金庫を開けろと言った話しはこの日本では今まで耳にしたことがない。

あの支店は昔ながらの古い建物だが、銀行という特殊性から強固な作りになっていた。
彼女が借りた金庫が手動式だったのは良かったのかもしれない。全自動式の場合、カードさえあれば行員と顔を合わることなく金庫室の中に入ることが出来るが、手動式の場合、行員と顔を合わせなければならず、届出印との印鑑照合もあり筆跡も確認される。旧態依然のやり方ではあるが、今回の場合手動式であったことがある意味良かったのだ。つまり、あの金庫の存在を誰かが知ったとしても、本人以外は安易に近づくことができないということだ。

引き出された銀色の箱の中には、いくつかの封筒が収められていた。
そのひとつひとつの中を確認していった。
貸金庫によくある金銭や通帳、土地家屋の権利書、貴金属といったものは当然だがない。厚みのない貸金庫に保管できるものは限られている。最近では位牌が収められるといったことも聞くが、封筒の中から出て来たのは、家族の写真が数枚。まだ子供達が幼いころ写したものから高校の制服を着た姿のものまであった。牧野つくしの両親が若い頃の写真もあり、そこから感じられるのはごく普通の親としての姿だ。もう二度と撮影することが出来ない家族の写真を貸金庫に収めていたのか?他にあるのはやはり思い出の品と言えるようなものばかり。その中には成績表もあった。

そしてひとつの封筒の中から出て来たのは、USB。
それが今、手の中にある。
恐らくこの中にあの男が外部に知られたくない情報が隠されている。
ビジネス絡みには間違いないが、余程知られたくなかったということだろう。
牧野つくしは、この中身を知っているのだろうか?知っているからこそ、金庫に保管したのだろうか。そうでなければ、何故こんなものを金庫に預ける?
だがもう10年も前の情報だ。今さらどうだと思うが、あの男にとってそんな情報が他人の手元に眠っていることが気に入らないのか。

どちらにしても生半可な事実を求めてない。
知りたいのは真実。

もし、本当に自分の父親が口に出せないようなことをしていたとすれば・・・

牧野つくしと対峙しなければならない。
そして犯罪者は罰せられなければならないはずだ。しかし自分がそんなことを言える立場ではないことも知っていた。
皮肉な思いが頭に浮かぶ。
過去の自分は何をした?
もし牧野浩があの男を脅迫するような情報を握り、それを実行したとしよう。
それに対しあの男が何かしたとしても、自分も同じようなことをして来たではないか。事実銀行の頭取相手に弱みを握り、脅したではないか。
策略を巡らせ、会社を乗っ取っては潰して行く。そんなことを繰り返し巨大化していく財閥。
過去、刑罰を受けることはなかったとしても、人としての行いは褒められたものではない。
自分の人生は月並みのものではない。
自分があの男を告発出来る立場と言えるのだろうか。

だが躊躇はないはずだ。
過去10年にわたって自分の人生そのものになっていた牧野つくしに対する復讐、自分を捨てたことに対する憎しみ、そして心の中に巣食った彼女に対する狂気も今はもう無い。
自分にとって大切なものである彼女の心を得たいま、それ以外の事がどうでもいいとさえ思えるようになっていた。今まであった執着は別のものに取って変わっていた。


だが彼女と新しい人生を始めるなら、片づけなければならないことがある。
それと同時に思うことは、早く目を覚まして欲しいということだ。
いつ目が覚めるかわからない不確かな時間が流れているが、必ず目を覚ますと信じている。
二人の間に嘘は必要ない。愛してると言ってくれた言葉に嘘はないと今なら分かっている。だから早く目を覚まし、あの大きな瞳で見つめて欲しい。
それが生きていく上での一番の望み。
この先生きていくためにはどうしても彼女が必要だ。
あてどもない闇を彷徨っていた自分にとっての光りなのだから。





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2017
04.17

金持ちの御曹司~首飾りの女 後編~

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