皆様こんにちは。
いつも当ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
そして、また大変ご無沙汰しております。
前回、御礼とお知らせを書かせて頂いたのは、昨年の10月末でしたので、あれから4ヶ月が経ち、季節は巡り暦の上ではすでに春ですね。とは言え、まだまだ寒い日が続いております。朝と日中の寒暖差に身体が付いて行かず・・といった日々です(笑)。皆様も、くれぐれも体調管理にはお気を付け下さいませ。
さて、この度は「エンドロールはあなたと」の連載におつき合い頂き、ありがとうございました。沢山の拍手、そしてコメントをお寄せいただき、大変励みになりました。いつも、温かい応援に感謝しておりますが、皆様にはお楽しみいただけたでしょうか?
ところで、3月は人生のひとつの節目となる月ですね。
ご家族様のご卒業やご進学、そして就職、転勤、転職など忙しくされていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
アカシアも月末、そして3月年度末で少し頭の中が疲れております(笑)
これから3月に入りますと、何かと忙しくなることが予想されております。
そんなことから「エンドロールはあなたと」の連載は、途切れることなく終わらせなければと思い、なんとか途中で止まらず終わることができ、ホッとしております。
そのような事情から3月は、連日の投稿は無理だと思われますので、不定期更新となります。当面は、殺伐としたお話しの「collector」、妄想エロ坊ちゃんの「金持ちの御曹司」、「番外編」そして「短編」の投稿となる予定です。
いつも拙宅をお読みの皆様はご存知のこととは思われますが、アカシアの書く短編はどうしてもシリアスなテイストを持ちます。そうは言っても、短いお話しですので決着は早いです。
そして新連載は、やはり大人の二人のラブストーリーの予定です。
開始日は未定ですが、司、つくしに対するイメージといったものは、皆様それぞれお持ちだと思いますので、お読みになり、ご趣味に合わないと思われるようでしたらお控え下さいませ。ちなみに特段の事件、事故は無い予定です(笑)。事件、事故は「collector」で十分です(笑)。
本日、週明け月末最終週(2月は短いですが)、そして水曜から3月のスタートです。
皆様の週の始まりが、晴れやかな気持ちでのスタートとなりますように。
最後になりましたが、いつもお読みいただき、ありがとうございます。
andante*アンダンテ*
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いつも当ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
そして、また大変ご無沙汰しております。
前回、御礼とお知らせを書かせて頂いたのは、昨年の10月末でしたので、あれから4ヶ月が経ち、季節は巡り暦の上ではすでに春ですね。とは言え、まだまだ寒い日が続いております。朝と日中の寒暖差に身体が付いて行かず・・といった日々です(笑)。皆様も、くれぐれも体調管理にはお気を付け下さいませ。
さて、この度は「エンドロールはあなたと」の連載におつき合い頂き、ありがとうございました。沢山の拍手、そしてコメントをお寄せいただき、大変励みになりました。いつも、温かい応援に感謝しておりますが、皆様にはお楽しみいただけたでしょうか?
ところで、3月は人生のひとつの節目となる月ですね。
ご家族様のご卒業やご進学、そして就職、転勤、転職など忙しくされていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
アカシアも月末、そして3月年度末で少し頭の中が疲れております(笑)
これから3月に入りますと、何かと忙しくなることが予想されております。
そんなことから「エンドロールはあなたと」の連載は、途切れることなく終わらせなければと思い、なんとか途中で止まらず終わることができ、ホッとしております。
そのような事情から3月は、連日の投稿は無理だと思われますので、不定期更新となります。当面は、殺伐としたお話しの「collector」、妄想エロ坊ちゃんの「金持ちの御曹司」、「番外編」そして「短編」の投稿となる予定です。
いつも拙宅をお読みの皆様はご存知のこととは思われますが、アカシアの書く短編はどうしてもシリアスなテイストを持ちます。そうは言っても、短いお話しですので決着は早いです。
そして新連載は、やはり大人の二人のラブストーリーの予定です。
開始日は未定ですが、司、つくしに対するイメージといったものは、皆様それぞれお持ちだと思いますので、お読みになり、ご趣味に合わないと思われるようでしたらお控え下さいませ。ちなみに特段の事件、事故は無い予定です(笑)。事件、事故は「collector」で十分です(笑)。
本日、週明け月末最終週(2月は短いですが)、そして水曜から3月のスタートです。
皆様の週の始まりが、晴れやかな気持ちでのスタートとなりますように。
最後になりましたが、いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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二人は今、まさにこれから結婚式を挙げようとしていた。
ニュージャージーにある道明寺邸の庭で行われるガーデンウェディングは、澄み切った青空の下で行われた。
オルガニストが演奏を始めたとき、それが式の始まりの合図。
結婚式に演奏される定番の曲を聴きながら、芝の上に敷かれた白い絨毯の上を歩いて行くのは、父親と腕を組む女性。自分の年齢を気にしながら、どこか遠慮がちに纏った真っ白なウェディングドレスは、すっきりとしたマーメイドスタイル。夫が準備したが、手直しするところがないほど身体によくあっていた。そして大人の女性ならではの落ち着きが感じられた。
牧師の前で待つのは夫となった男性。
彼も白の礼装に身を包んでいた。
その隣に立ったのは妻となった女性。
キリスト教徒ではない二人は、神の名のもとに結婚の誓いに立ち合いましょう、と言ってくれた人物の前に立った。そしてそんな二人を見守るのは互いの家族と友人たち。
既に入籍を済ませ夫婦としての生活を始めている二人は、この式を人生のけじめとして行うことにした。だがこの結婚式は考え抜かれた末の結果かといえば、そうではなかった。
夫となった男性は、妻と違い衝動的なことがある。妻に対しては短慮ともいえるほどの男は、彼女のためなら一度決めたことは徹底すると言っていいほど真っ直ぐな心を持っていた。
そんな心を持つ男は、妻が口にした地味でひっそり家族だけの式を挙げるため、時に友人たちの手を借り短期間で準備を成し遂げていた。
その男は若かった頃は反抗的だった。
今ではカリスマ的ともいえる魅力を発散する男だが、大財閥の家に生まれ、どこか息苦しさを感じながら成長した子供時代があった。そして迎えた少年時代に反抗的でひねくれた男になった。ただし、それは一時のことで、子供なら誰もが通る反抗期という道だったのかもしれない。今の司に言わせれば、あの頃は成長と飛躍のための過渡期だったそうだ。そんなことを大真面目な顔で妻に話しをする男。だが、それを聞いた友人たちは皆一様に首を傾げる仕草をした。そんな友人たちを睨む司だが、生来持っていたと言われた凶暴さも今はなかった。
対し、女は真面目な少女時代を過ごしていた。
そんな少女も成長すれば、それなりに人生を楽しもうとした。だが物事を深く考えるあまり恋をしても、その進展を見ることなく実ることがなかった。そんな二人がめぐり会い恋に落ちたことを、不思議だと思う人間もいるかもしれないが、世の中には思いもしないことがあるということだ。
二人が並んだ姿は身長差がある。
男は、敏捷な動きを見せる美しい野生動物だと言われるが、そんな彼の傍に寄り添うのは、少しどん臭い所があると言われた女。華奢で大きな瞳が印象的な女は、どこか幼さを感じさせるところもあり、33歳にはとても見えなかった。そしてその女は高い靴を履き、急ぐあまり躓き、転んだ先にいた男と恋に落ちた。
だから夫になった男は妻をからかうとき、必ず口にする言葉がある。
「いくら背が低いことが気になるからって踵の高い靴を履けばいいってもんじゃねぇぞ?おまえはとにかくよく躓く。頭のいい人間は脳みそが詰まって重いのかもしんねぇけど、よく前を見て歩け?」
形のよい眉を片方だけ吊り上げ言う姿は今では見慣れた姿。
だが、今日のつくしは背の高い司に合わせるよう、いつもより踵が高い靴を履いているが、それでもまだ二人の身長差は20センチもあった。
「おまえはそのままが一番いい。何も無理して背を高く見せる必要なんてねぇからな。なにしろ俺の腕の中にすっぽり収まるくらいが一番抱き心地がいい」
妻のことは腕の中どころか、出来れば上着のポケットに入れて持ち運びたいほど愛していた。友人達も、もうここまでくると呆れて物が言えない状態だ。
「俺が正しくて、おまえが間違ってると思わねぇか?」
それぞれの思いがそれぞれの頭の中にある。だが、言いたいのは意地をはることなく素直でいろ。ということだ。意地っ張りが得意だと言っていた女は、司が好きだという気持ちを素直に認めようとしなかった経緯があったからだ。司は妻を見ながら自分がどんな返事を待っているのか分かっていた。
すると、小さく息をついた妻。
「・・・いつも間違ってるのはあたし。あたしが間違っていて、司が正しい・・これでご満足でしょ?」
つくしは夫が求めている答えを知っていた。
だからこの答えは自分の気持ちを認めるのに時間がかかった女の精一杯の譲歩。
靴については、踵の高いものを履くことはない。
以前、恥ずかし話しだが歩道を歩いているとき、グレーチング(鋼材を格子状に組み込んだ溝の蓋)に細い踵がすっぽりと嵌り、踵ごと取れてしまったという事態に遭遇したことがあった。そんな話しを夫にすれば、
「つくし、おまえは道端で転んで俺以外の男にパンツを見せたンか!」
と怒られた。何しろ初めて夫と出会ったとき、彼の目の前で転び、やはり白い下着が見えたからだ。だが、溝の蓋に踵が嵌ったとき、パンツスーツだったからその心配はなかった。
つくしはあたしが間違っていて司が正しい、と言ったが何が間違っていて何が正しい。そんなことは今の二人には関係ない。小型犬が大型犬に文句を言った。確かにそんな頃があった。だが今では夫が何を考えているのか分かっているかのようなその返事。夫は妻には優しい男だが、そこはやはり男だ。プライドといったものがある。そのプライドを傷つけることは決してしないつもりだ。
そんな妻の腰に腕を回した司。
「だろ?おまえがそうやって間違いを認める日をどれだけ長い間待ったか」
「な、なにが間違いなのよ?全然意味がわからないわよ。それに長い間だなんて、何がそんなに長い間なのか・・」
「・・つくし?」
「つくし?どうした?何ひとりで笑ってんだ?おまえ聞いてるのか?」
「えっ?あ、うん」
入籍を済ませているとはいえ、こうして夫と並んで式を挙げていることで、今までの二人のやりとりを懐かしく思い出していた。
「うん。ごめん。なんか色々思い出しちゃって・・」
「もういいから黙れ。これから誓いのキスするんだろ?」
優しく低い声は妻となったつくしだけのもの。
司はつくしの腰に腕を回し、抱き寄せ、ゆっくりと顔を近づけた。
そして降りて来た唇は、優しくつくしの唇に重なった。
それは神聖な誓いのキス。
やがて、そっと頬に添えられた大きな手が彼女の顔を傾け角度を変え、より深く唇を合わせた。力強く変わった口づけに呼吸と鼓動が重なり、時が止まったかのような二人だけの空間がそこにあった。
太陽のやわらかな陽射しを浴び、静寂に包まれた大豪邸の庭に設えられた誓いの場。
そこかしこに咲き誇る大輪のバラ。そこから香る甘い香り。そしてその香りを二人の元へと運ぶ空気は暖かい。招待客は誰もいない、身内と親しい友人たちだけの式。
そんななか、やがて二人のキスは新郎が新婦の息が切れそうになるほど激しいものになっていた。
まるで今日のこの光景は外国映画のワンシーンのようだ。
それは過去につくしが見ていた映画のラストシーン。エンドロールが流れ始めるその直前、幸せな二人が映る映画そのものだと思った。
『人生は舞台である。人は皆役者。』
シェイクスピア劇の中にそんな台詞があった。
でも、これは映画でもなければ、舞台でもない。
二人がこれから歩む新しい人生のはじまりだ。
「司!!!」
「つくし!」
「先輩!」
「支社長!奥様!」
それぞれ皆呼び名が違うがその声は皆嬉しそうだ。
「結婚おめでとう!」
男の友人たちは笑いながらはやし立て、女の友人たちは目に涙を浮かべ、喜んでいた。
かつて、滋が桜子に言ったことがあった。
『あの司がつくしに振り回されるところ。あの男が、女に振り回されるなんて信じられないでしょ?でもそんな姿を見て見たいわよね?』
今、その言葉は現実として二人の前にあった。
「・・それにしてもまさか先輩にアドバンテージがあるとは思いもしませんでした」
あの道明寺司が女に振り回される。そんな姿を見ることが出来るなんて!
桜子は未だに二人の間の優位性が、つくしにあることが信じられないという思いがある。
かつて見たことがある司の冷やかな笑みというものは、他人に向けられるものであり、妻のつくしに向けられることは絶対ないと分かっていたとしても。
二人は今、ファーストバイト(First Bite)と呼ばれるケーキ入刀後の最初の一切れを互いに食べさせ合っていた。
新郎側からのファーストバイトは、一生食べ物に困らせないという意味。
そして新婦からの意味は、一生美味しい料理を食べさせてあげるの意味。
「それにしてもあの道明寺さんが、先輩からケーキを食べさせてもらってるなんて信じられます?道明寺さんって甘いのもお嫌いでしたよね?それなのにあんな大きなスプーンで!」
ウェディングプランナーの話によれば、大きなスプーンでいっぱいケーキを取り、新郎の口いっぱいにケーキを入れることを勧めているそうだ。大の男が口の周りにクリームを付けている姿が笑いを誘うからだ。実際男の友人たちは皆、大笑いしていた。
「いいじゃない!あの司だから出来るのよ?好きな人のことならとことん本気になれるなんて、いい男になったわぁ・・あのとき、司と結婚出来ないなんて言ったのがなんだか少し勿体ない気がしてきた」
滋は遠い昔の日を懐かしんだ。
あの頃の道明寺司と言えば、女嫌いで有名だったが、そんな男が好きな人の前では、こんなにもやわらかく笑えるものなのかと信じられない思いで見ていた。
「滋さん。今私たちの前にいる道明寺さんは先輩の前だけですから。間違っても滋さんにはあんなことさせません。見て下さいよ?あの顔。嬉しそうに先輩からのスプーンを口に入れてるじゃないですか」
185センチあると言われる男が腰を屈め、つくしの前で口を開けていた。
それも楽しそうに、そして嬉しそうに。
「げっ。信じられない。猛獣がバニーちゃんからケーキ食べさせてもらってる・・なんか見ちゃいけないようなものを見たような気がする。司のイメージってこんな男じゃなかったよね?」
滋の言いたいことはわかる。大の男が餌を待つひな鳥のように口を開け、つくしからのケーキを嬉しそうに食べている。愛の強さは砂糖の甘さを凌駕するのだろうか。
「滋さん。こんなことで驚いていたらダメですよ。まだガータートスもあることですし。・・あ、でもあのドレスの下に潜り込んでなんて絶対無理ですね。それに道明寺さんがひと前で先輩の脚を見せるなんてこと絶対ないですよね?やっぱりガータートスはしませんね?」
花嫁の太腿に嵌められたガーダーを花婿がドレスの中に頭を入れ、口で取り、未婚の男性に向かって投げる。独身女性に向かって行われるブーケトスの男性版だ。
「ふふふ・・桜子。それは2人きっきりのお楽しみよ?それにあのプレゼントもあることだし、今夜は二人だけのハーレムナイトってことなんじゃない?」
「えっ!ガータートスしないんですか?僕楽しみにしてたのに!」
滋と桜子の会話に加わったのは紺野。
今は司の秘書として道明寺HDで働き始めたつくしの元部下は、東京で司とつくしを見送ったのち、民間機で西田とNYへとやって来た。元上司であり、今は自分が仕える男の妻となったつくしの晴れ姿に『主任!良かったですね!ついにルビコン川を渡り切ったんですね!馬子にも衣装です!』と、若干失礼なことを言いながらも感極まって泣いていたというのに、この変わりようはいったい何なのか。
「紺野くん。あのね、君も曲がりなりにも道明寺さんの秘書になったんだからわかるわよね?道明寺さんが先輩の太腿にあったガーターを投げると思う?そんなことする訳ないでしょ?」
「でも、ガータートスは男性参列者の楽しみなんですよ?アレを取ることが出来たら次に結婚出来るって言われてるんですよ?」
「なに紺野くん、あなたまだ若いのにもう結婚したいの?それにね、ガーターは滋さんとあたしから道明寺さんへのプレゼントのひとつなの。だから諦めなさい!それにあなた道明寺さんの秘書なのにトスに参加しようなんて考えてたの?」
「いいじゃないですか!僕だってお二人の幸せを祈ってるんです。そのお裾分けを頂きたいんです!」
「ダメよ!絶対ダメ!あのガーターは道明寺さんのものなの!あなた自分の上司に歯向かうつもりなの?」
紺野と桜子の賑やかな会話が聞こえたのか、夫は妻に聞いた。
「なんだよ?あのプレゼントって?」
「・・うん。今夜・・開けてみてって・・」
つくしは渡されていた箱のことを思い出していた。
「へぇ。そうか。けど滋と三条からのプレゼントなんてロクなもんじゃねぇような気がするが。ま、今はそんなことはどうでもいいか。つくし、ほらデカい口開けろ。おまえは腹が減ったらイライラするからな」
司にケーキを食べさせたつくしは、今度は司からケーキを食べさせてもらう番だ。目の前にはケーキが乗ったスプーンが差し出されていた。だが、つくしの口は開かれなかった。
「・・つかさ、話があるの」
「どうした?このスプーンじゃ小さいのか?なんならもっとデカいスプーンを持ってこさせるか?」
司は表情こそ変えなかったが一瞬慌てた。
世間でよくある話しを思い出していた。世の夫となった男どもの話だが、妻から〝話しがあるの″と言われればろくな話しではないと相場が決まっていると耳にしたことがある。別れたいとか、離婚してくれとか、出て行ってくれとか・・。だが自分たちは結婚式の最中だ。そんなことがあるはずがない。それにもし仮にそんなことを言われたとしても、どの項目も問答無用で却下だ。司は妻の口からどんな言葉が出るのかと、自分でも無意識に息を呑んでいた。
そして妻の口から語られたのは、
「・・あのね・・もしかしたら赤ちゃんが出来たかもしれないの」
自分が妊娠していることに何週間も気づいていな女がいたとすれば、それはつくしかもしれない。この前からなんとなく身体がだるい。吐き気はしないが胃がどうも気持ち悪いと感じていた。それはもしかして食べ過ぎたのではと考えていた。それからトイレに頻繁に行くようになった。もしかして膀胱炎になったのではと思いもした。働く女性にはよくある話しだが、忙し過ぎてトイレに行く時間がないということが実際にある。何しろ大きな会社はトイレの場所が遠いと相場が決まっている。
そんな調子で決定的なことはなく、妊娠など思いもしなかった。
しかし、最近はっきりとしたことがある。乳房が張って来たのだ。敏感になったようでブラジャーを着けても痛みを感じるようになっていた。それに夫に口に含まれたとき、痛みを感じた。そして前回の生理がいつあったのか思い出していた。
驚いたのは司だ。
今この状況での妻からの告白に驚くなという方が無理だ。
「・・つくし。本当か?」
司は思えば古いタイプの人間だ。
結婚したならぜひ子供が欲しいと思っていた。
勿論それはつくしとの間にだから言えることだ。
そして自分の気持ちに正直な男。
歓びを隠せるはずがない。
まだ膨らんでもいない妻のおなかに手を添えた。
「うん・・。ちょっと歳とった母親だけど、あたし頑張るから」
「アホか。・・ンなこと言うなら俺の方だって同じだろ?」
「どうする?今皆に言った方がいい?」
「・・子供か。俺たちの・・」
と一旦言葉を切ると、少し考えた。
「いや。少しの間、二人だけの秘密にしねぇか?俺は少しの間、この子を自分だけの大切な宝だと思いたい。親父やお袋なんかに知られたら大騒ぎだろ?それに病院できちんと調べてもらってから言った方がいい」
「・・司。一緒に・・来てくれる?」
少し不安そうに司を見上げる黒い瞳。
「ああ。明日でもすぐ行こう。NYにもいい病院は沢山ある」
つくしは頷くと、司の胸に顔を寄せた。
ちょっと歳をとった母親だけど、と言った妻。
だが、時間はこれから先まだいくらでもある。
そんな時間と共にやがて二人の元に訪れるのは大きな愛。
優しさと愛だけが感じられるこの瞬間、まるで二人の新しい門出を祝福するかのような大きな贈り物が届けられた。
今日のこのセレモニーは二人にとって心のセレモニーとなったはずだ。そんななか、新たな命が宿ったことを知り、司は妻の身体をきつく、だが気遣いながら抱きしめていた。
そして愛しい唇にキスをした。
芽生えたばかりの小さな命の誕生を待ちわびながら。
< 完 > *エンドロールはあなたと*

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本日にて完結でございます。長らくおつき合い頂きありがとうございました(低頭)。
今後の予定については改めてお知らせいたします。
ニュージャージーにある道明寺邸の庭で行われるガーデンウェディングは、澄み切った青空の下で行われた。
オルガニストが演奏を始めたとき、それが式の始まりの合図。
結婚式に演奏される定番の曲を聴きながら、芝の上に敷かれた白い絨毯の上を歩いて行くのは、父親と腕を組む女性。自分の年齢を気にしながら、どこか遠慮がちに纏った真っ白なウェディングドレスは、すっきりとしたマーメイドスタイル。夫が準備したが、手直しするところがないほど身体によくあっていた。そして大人の女性ならではの落ち着きが感じられた。
牧師の前で待つのは夫となった男性。
彼も白の礼装に身を包んでいた。
その隣に立ったのは妻となった女性。
キリスト教徒ではない二人は、神の名のもとに結婚の誓いに立ち合いましょう、と言ってくれた人物の前に立った。そしてそんな二人を見守るのは互いの家族と友人たち。
既に入籍を済ませ夫婦としての生活を始めている二人は、この式を人生のけじめとして行うことにした。だがこの結婚式は考え抜かれた末の結果かといえば、そうではなかった。
夫となった男性は、妻と違い衝動的なことがある。妻に対しては短慮ともいえるほどの男は、彼女のためなら一度決めたことは徹底すると言っていいほど真っ直ぐな心を持っていた。
そんな心を持つ男は、妻が口にした地味でひっそり家族だけの式を挙げるため、時に友人たちの手を借り短期間で準備を成し遂げていた。
その男は若かった頃は反抗的だった。
今ではカリスマ的ともいえる魅力を発散する男だが、大財閥の家に生まれ、どこか息苦しさを感じながら成長した子供時代があった。そして迎えた少年時代に反抗的でひねくれた男になった。ただし、それは一時のことで、子供なら誰もが通る反抗期という道だったのかもしれない。今の司に言わせれば、あの頃は成長と飛躍のための過渡期だったそうだ。そんなことを大真面目な顔で妻に話しをする男。だが、それを聞いた友人たちは皆一様に首を傾げる仕草をした。そんな友人たちを睨む司だが、生来持っていたと言われた凶暴さも今はなかった。
対し、女は真面目な少女時代を過ごしていた。
そんな少女も成長すれば、それなりに人生を楽しもうとした。だが物事を深く考えるあまり恋をしても、その進展を見ることなく実ることがなかった。そんな二人がめぐり会い恋に落ちたことを、不思議だと思う人間もいるかもしれないが、世の中には思いもしないことがあるということだ。
二人が並んだ姿は身長差がある。
男は、敏捷な動きを見せる美しい野生動物だと言われるが、そんな彼の傍に寄り添うのは、少しどん臭い所があると言われた女。華奢で大きな瞳が印象的な女は、どこか幼さを感じさせるところもあり、33歳にはとても見えなかった。そしてその女は高い靴を履き、急ぐあまり躓き、転んだ先にいた男と恋に落ちた。
だから夫になった男は妻をからかうとき、必ず口にする言葉がある。
「いくら背が低いことが気になるからって踵の高い靴を履けばいいってもんじゃねぇぞ?おまえはとにかくよく躓く。頭のいい人間は脳みそが詰まって重いのかもしんねぇけど、よく前を見て歩け?」
形のよい眉を片方だけ吊り上げ言う姿は今では見慣れた姿。
だが、今日のつくしは背の高い司に合わせるよう、いつもより踵が高い靴を履いているが、それでもまだ二人の身長差は20センチもあった。
「おまえはそのままが一番いい。何も無理して背を高く見せる必要なんてねぇからな。なにしろ俺の腕の中にすっぽり収まるくらいが一番抱き心地がいい」
妻のことは腕の中どころか、出来れば上着のポケットに入れて持ち運びたいほど愛していた。友人達も、もうここまでくると呆れて物が言えない状態だ。
「俺が正しくて、おまえが間違ってると思わねぇか?」
それぞれの思いがそれぞれの頭の中にある。だが、言いたいのは意地をはることなく素直でいろ。ということだ。意地っ張りが得意だと言っていた女は、司が好きだという気持ちを素直に認めようとしなかった経緯があったからだ。司は妻を見ながら自分がどんな返事を待っているのか分かっていた。
すると、小さく息をついた妻。
「・・・いつも間違ってるのはあたし。あたしが間違っていて、司が正しい・・これでご満足でしょ?」
つくしは夫が求めている答えを知っていた。
だからこの答えは自分の気持ちを認めるのに時間がかかった女の精一杯の譲歩。
靴については、踵の高いものを履くことはない。
以前、恥ずかし話しだが歩道を歩いているとき、グレーチング(鋼材を格子状に組み込んだ溝の蓋)に細い踵がすっぽりと嵌り、踵ごと取れてしまったという事態に遭遇したことがあった。そんな話しを夫にすれば、
「つくし、おまえは道端で転んで俺以外の男にパンツを見せたンか!」
と怒られた。何しろ初めて夫と出会ったとき、彼の目の前で転び、やはり白い下着が見えたからだ。だが、溝の蓋に踵が嵌ったとき、パンツスーツだったからその心配はなかった。
つくしはあたしが間違っていて司が正しい、と言ったが何が間違っていて何が正しい。そんなことは今の二人には関係ない。小型犬が大型犬に文句を言った。確かにそんな頃があった。だが今では夫が何を考えているのか分かっているかのようなその返事。夫は妻には優しい男だが、そこはやはり男だ。プライドといったものがある。そのプライドを傷つけることは決してしないつもりだ。
そんな妻の腰に腕を回した司。
「だろ?おまえがそうやって間違いを認める日をどれだけ長い間待ったか」
「な、なにが間違いなのよ?全然意味がわからないわよ。それに長い間だなんて、何がそんなに長い間なのか・・」
「・・つくし?」
「つくし?どうした?何ひとりで笑ってんだ?おまえ聞いてるのか?」
「えっ?あ、うん」
入籍を済ませているとはいえ、こうして夫と並んで式を挙げていることで、今までの二人のやりとりを懐かしく思い出していた。
「うん。ごめん。なんか色々思い出しちゃって・・」
「もういいから黙れ。これから誓いのキスするんだろ?」
優しく低い声は妻となったつくしだけのもの。
司はつくしの腰に腕を回し、抱き寄せ、ゆっくりと顔を近づけた。
そして降りて来た唇は、優しくつくしの唇に重なった。
それは神聖な誓いのキス。
やがて、そっと頬に添えられた大きな手が彼女の顔を傾け角度を変え、より深く唇を合わせた。力強く変わった口づけに呼吸と鼓動が重なり、時が止まったかのような二人だけの空間がそこにあった。
太陽のやわらかな陽射しを浴び、静寂に包まれた大豪邸の庭に設えられた誓いの場。
そこかしこに咲き誇る大輪のバラ。そこから香る甘い香り。そしてその香りを二人の元へと運ぶ空気は暖かい。招待客は誰もいない、身内と親しい友人たちだけの式。
そんななか、やがて二人のキスは新郎が新婦の息が切れそうになるほど激しいものになっていた。
まるで今日のこの光景は外国映画のワンシーンのようだ。
それは過去につくしが見ていた映画のラストシーン。エンドロールが流れ始めるその直前、幸せな二人が映る映画そのものだと思った。
『人生は舞台である。人は皆役者。』
シェイクスピア劇の中にそんな台詞があった。
でも、これは映画でもなければ、舞台でもない。
二人がこれから歩む新しい人生のはじまりだ。
「司!!!」
「つくし!」
「先輩!」
「支社長!奥様!」
それぞれ皆呼び名が違うがその声は皆嬉しそうだ。
「結婚おめでとう!」
男の友人たちは笑いながらはやし立て、女の友人たちは目に涙を浮かべ、喜んでいた。
かつて、滋が桜子に言ったことがあった。
『あの司がつくしに振り回されるところ。あの男が、女に振り回されるなんて信じられないでしょ?でもそんな姿を見て見たいわよね?』
今、その言葉は現実として二人の前にあった。
「・・それにしてもまさか先輩にアドバンテージがあるとは思いもしませんでした」
あの道明寺司が女に振り回される。そんな姿を見ることが出来るなんて!
桜子は未だに二人の間の優位性が、つくしにあることが信じられないという思いがある。
かつて見たことがある司の冷やかな笑みというものは、他人に向けられるものであり、妻のつくしに向けられることは絶対ないと分かっていたとしても。
二人は今、ファーストバイト(First Bite)と呼ばれるケーキ入刀後の最初の一切れを互いに食べさせ合っていた。
新郎側からのファーストバイトは、一生食べ物に困らせないという意味。
そして新婦からの意味は、一生美味しい料理を食べさせてあげるの意味。
「それにしてもあの道明寺さんが、先輩からケーキを食べさせてもらってるなんて信じられます?道明寺さんって甘いのもお嫌いでしたよね?それなのにあんな大きなスプーンで!」
ウェディングプランナーの話によれば、大きなスプーンでいっぱいケーキを取り、新郎の口いっぱいにケーキを入れることを勧めているそうだ。大の男が口の周りにクリームを付けている姿が笑いを誘うからだ。実際男の友人たちは皆、大笑いしていた。
「いいじゃない!あの司だから出来るのよ?好きな人のことならとことん本気になれるなんて、いい男になったわぁ・・あのとき、司と結婚出来ないなんて言ったのがなんだか少し勿体ない気がしてきた」
滋は遠い昔の日を懐かしんだ。
あの頃の道明寺司と言えば、女嫌いで有名だったが、そんな男が好きな人の前では、こんなにもやわらかく笑えるものなのかと信じられない思いで見ていた。
「滋さん。今私たちの前にいる道明寺さんは先輩の前だけですから。間違っても滋さんにはあんなことさせません。見て下さいよ?あの顔。嬉しそうに先輩からのスプーンを口に入れてるじゃないですか」
185センチあると言われる男が腰を屈め、つくしの前で口を開けていた。
それも楽しそうに、そして嬉しそうに。
「げっ。信じられない。猛獣がバニーちゃんからケーキ食べさせてもらってる・・なんか見ちゃいけないようなものを見たような気がする。司のイメージってこんな男じゃなかったよね?」
滋の言いたいことはわかる。大の男が餌を待つひな鳥のように口を開け、つくしからのケーキを嬉しそうに食べている。愛の強さは砂糖の甘さを凌駕するのだろうか。
「滋さん。こんなことで驚いていたらダメですよ。まだガータートスもあることですし。・・あ、でもあのドレスの下に潜り込んでなんて絶対無理ですね。それに道明寺さんがひと前で先輩の脚を見せるなんてこと絶対ないですよね?やっぱりガータートスはしませんね?」
花嫁の太腿に嵌められたガーダーを花婿がドレスの中に頭を入れ、口で取り、未婚の男性に向かって投げる。独身女性に向かって行われるブーケトスの男性版だ。
「ふふふ・・桜子。それは2人きっきりのお楽しみよ?それにあのプレゼントもあることだし、今夜は二人だけのハーレムナイトってことなんじゃない?」
「えっ!ガータートスしないんですか?僕楽しみにしてたのに!」
滋と桜子の会話に加わったのは紺野。
今は司の秘書として道明寺HDで働き始めたつくしの元部下は、東京で司とつくしを見送ったのち、民間機で西田とNYへとやって来た。元上司であり、今は自分が仕える男の妻となったつくしの晴れ姿に『主任!良かったですね!ついにルビコン川を渡り切ったんですね!馬子にも衣装です!』と、若干失礼なことを言いながらも感極まって泣いていたというのに、この変わりようはいったい何なのか。
「紺野くん。あのね、君も曲がりなりにも道明寺さんの秘書になったんだからわかるわよね?道明寺さんが先輩の太腿にあったガーターを投げると思う?そんなことする訳ないでしょ?」
「でも、ガータートスは男性参列者の楽しみなんですよ?アレを取ることが出来たら次に結婚出来るって言われてるんですよ?」
「なに紺野くん、あなたまだ若いのにもう結婚したいの?それにね、ガーターは滋さんとあたしから道明寺さんへのプレゼントのひとつなの。だから諦めなさい!それにあなた道明寺さんの秘書なのにトスに参加しようなんて考えてたの?」
「いいじゃないですか!僕だってお二人の幸せを祈ってるんです。そのお裾分けを頂きたいんです!」
「ダメよ!絶対ダメ!あのガーターは道明寺さんのものなの!あなた自分の上司に歯向かうつもりなの?」
紺野と桜子の賑やかな会話が聞こえたのか、夫は妻に聞いた。
「なんだよ?あのプレゼントって?」
「・・うん。今夜・・開けてみてって・・」
つくしは渡されていた箱のことを思い出していた。
「へぇ。そうか。けど滋と三条からのプレゼントなんてロクなもんじゃねぇような気がするが。ま、今はそんなことはどうでもいいか。つくし、ほらデカい口開けろ。おまえは腹が減ったらイライラするからな」
司にケーキを食べさせたつくしは、今度は司からケーキを食べさせてもらう番だ。目の前にはケーキが乗ったスプーンが差し出されていた。だが、つくしの口は開かれなかった。
「・・つかさ、話があるの」
「どうした?このスプーンじゃ小さいのか?なんならもっとデカいスプーンを持ってこさせるか?」
司は表情こそ変えなかったが一瞬慌てた。
世間でよくある話しを思い出していた。世の夫となった男どもの話だが、妻から〝話しがあるの″と言われればろくな話しではないと相場が決まっていると耳にしたことがある。別れたいとか、離婚してくれとか、出て行ってくれとか・・。だが自分たちは結婚式の最中だ。そんなことがあるはずがない。それにもし仮にそんなことを言われたとしても、どの項目も問答無用で却下だ。司は妻の口からどんな言葉が出るのかと、自分でも無意識に息を呑んでいた。
そして妻の口から語られたのは、
「・・あのね・・もしかしたら赤ちゃんが出来たかもしれないの」
自分が妊娠していることに何週間も気づいていな女がいたとすれば、それはつくしかもしれない。この前からなんとなく身体がだるい。吐き気はしないが胃がどうも気持ち悪いと感じていた。それはもしかして食べ過ぎたのではと考えていた。それからトイレに頻繁に行くようになった。もしかして膀胱炎になったのではと思いもした。働く女性にはよくある話しだが、忙し過ぎてトイレに行く時間がないということが実際にある。何しろ大きな会社はトイレの場所が遠いと相場が決まっている。
そんな調子で決定的なことはなく、妊娠など思いもしなかった。
しかし、最近はっきりとしたことがある。乳房が張って来たのだ。敏感になったようでブラジャーを着けても痛みを感じるようになっていた。それに夫に口に含まれたとき、痛みを感じた。そして前回の生理がいつあったのか思い出していた。
驚いたのは司だ。
今この状況での妻からの告白に驚くなという方が無理だ。
「・・つくし。本当か?」
司は思えば古いタイプの人間だ。
結婚したならぜひ子供が欲しいと思っていた。
勿論それはつくしとの間にだから言えることだ。
そして自分の気持ちに正直な男。
歓びを隠せるはずがない。
まだ膨らんでもいない妻のおなかに手を添えた。
「うん・・。ちょっと歳とった母親だけど、あたし頑張るから」
「アホか。・・ンなこと言うなら俺の方だって同じだろ?」
「どうする?今皆に言った方がいい?」
「・・子供か。俺たちの・・」
と一旦言葉を切ると、少し考えた。
「いや。少しの間、二人だけの秘密にしねぇか?俺は少しの間、この子を自分だけの大切な宝だと思いたい。親父やお袋なんかに知られたら大騒ぎだろ?それに病院できちんと調べてもらってから言った方がいい」
「・・司。一緒に・・来てくれる?」
少し不安そうに司を見上げる黒い瞳。
「ああ。明日でもすぐ行こう。NYにもいい病院は沢山ある」
つくしは頷くと、司の胸に顔を寄せた。
ちょっと歳をとった母親だけど、と言った妻。
だが、時間はこれから先まだいくらでもある。
そんな時間と共にやがて二人の元に訪れるのは大きな愛。
優しさと愛だけが感じられるこの瞬間、まるで二人の新しい門出を祝福するかのような大きな贈り物が届けられた。
今日のこのセレモニーは二人にとって心のセレモニーとなったはずだ。そんななか、新たな命が宿ったことを知り、司は妻の身体をきつく、だが気遣いながら抱きしめていた。
そして愛しい唇にキスをした。
芽生えたばかりの小さな命の誕生を待ちわびながら。
< 完 > *エンドロールはあなたと*

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本日にて完結でございます。長らくおつき合い頂きありがとうございました(低頭)。
今後の予定については改めてお知らせいたします。
Comment:26
「ま、待って!!そんなのあたしに似合うと思う?ねえ・・あたし33歳よ?もっと地味でいいんだけど・・」
「先輩なに言ってるんですかっ!歳なんて関係ありませんから!早く試着して下さい!手直しが必要なところがあるはずですからね?道明寺さんって先輩のことに関しては思い立ったら即行動の方ですから、結婚式をここでやるって決めたら手配も早かったんですけど、ドレスなんて本人がいないのにここまで仕上げるって、本当にお針子さんの腕は大したものです」
感心した様子で言う桜子の腕に抱えられているのは、ウェディングドレスだ。
どちらかと言えばセクシーに見えるかもしれないタイプのドレス。
オフショルダーですっきりと開いた胸元が美しいデコルテを強調し、全体のボディラインを美しく見せるドレス。まさに大人の女性が着るにふさわしいマーメイドスタイルだ。
「でもさすが道明寺さん。夫だけのことはありますね。先輩の体型をしっかり把握されているところは流石です。先輩は鎖骨がきちんとあってデコルテも綺麗ですからこのドレスはまさに先輩のいいところを引き立ててくれるはずです。外国では女性の美しさの条件のひとつに鎖骨の美しさがありますけど、このドレスなら間違いなくその美しさを際立てるはずです」
そう言った桜子は、自分の胸の大きさをつくしと比べていた。
「小柄で細身、小胸・・こちらの女性には絶対に見られない体型ですけどね」
司はつくしと式を挙げることを決め、全ての手配をNYのウェディングプランナーに任せていた。そしてそのプランナーとの打ち合わせは、つくしの親友である桜子と、NYに滞在している滋が行っていた。必要なことは何でもするから!そんな気持ちでいた二人は、司とつくしが入籍だけで済ませてしまっていたことを少し寂しく思っていただけに、司からの連絡に喜んだ。
それにしても、つくしは自分の年齢を気にするが、それは気にし過ぎというものだ。
花嫁が結婚式に着ることが出来る白いドレスは生涯に一度だけ。
主役が幾つだろうが、ウェディングドレス姿の女性は美しいものだ。その身体から溢れんばかりの幸せを感じることが出来る。
「つくし。あんた絶対に似合うから。これこそNYスタイルってものよ?でもこんなの着たつくしを見たら司はどうするんだろうね?あの野獣男、よだれ垂らして飛び掛かってくるわよ?」
滋は笑いながらハンガーに掛けられたドレスを見やって言った。
野獣男と称されるのは、これ以上の結婚相手は世界中どこを探しても、いるはずがないと言われている男。何しろ、″世界で最も結婚したい独身男性″トップ10に選ばれた男だ。
ただし、本人はつい最近まで結婚する気など全くなかった。そしてそんな男と結婚したのは、かつて桜子から、一般庶民選手権で代表者に選ばれること確実と言われたような女。
「そうですよ、先輩。これでまた道明寺さんの先輩を愛する気持ちは一段と高まりますからね?あ、そうそう。滋さんとあたしから先輩にプレゼントがありますから受け取って下さいね?」
「プレゼント?」
「はい。いくらもう入籍を済ませて夫婦として暮らしているとはいえ、結婚式はひとつのけじめですから。それに式を挙げた二人にとっての夜は初夜ですからね。そんな夜に夫を楽しませるのは妻の務めですから。あたしと滋さんとでじっくり選びましたからね?きっと道明寺さんも気に入ってくれますから!それより先輩、早く脱いで下さい?」
「・・うん」
手直しするところがあるはずだと言った桜子の言葉につくしは頷き、ジャケットの上着を脱ぎ、スカートを下ろし、ブラウスを脱いでスリップ姿になると、自分の目の前にある鏡をしげしげと見つめた。女友達の前とはいえ、下着姿になるのは、はやり恥ずかしいものがある。
「じゃあ、着てみましょうか?」
桜子が言いながら、ハンガーから降ろしたドレスを手に近寄った。
「あっ!」
驚いた声を上げた桜子。
「・・先輩!どうしてこんなところにキスマークなんて付けてるんですか!」
キスマーク?
「あっ!・・こんなところにも!こんなんじゃドレス着たら丸見えですよ!・・まったく道明寺さんも先のこと考えなさすぎです!」
鏡を見つめていたつくしは、身体を数歩前に進めると、まじまじと自分の姿を見た。
遠目ではよくわからなかったが、鏡に近寄って見れば、夫によってつけられた愛の証に気付いた。それはまさに散らされたと言っていい赤い痕が、肩から胸のあたりに幾つもあった。
「あ~!ホントだ!つくし。ねぇ、ちょっと!あんたたち、もしかして昨日、ジェットの中でヤッちゃった?」
滋は興味津々だ。
「さすが司だわ。我慢できなかったのね?あの男、なにしろ野獣だから目の前に可愛らしいバニーちゃんがいたら食べずにはいられなかったってことよね?」
近づいて来た滋は面白そうに茶化していた。
図星だけに、滋の言葉につくしは全身が赤くなるのがわかった。
それはまさにゆで蛸状態。耳まで真っ赤になっていた。
「滋さん!そんなこと言ってる場合じゃないですよ?道明寺さんのご両親も先輩のご両親も参列されるんですよ?こんな恥ずかしい姿皆さんの前にご披露出来ません!どうするんです?先輩の肌は白いから目立つし、色白の人はなかなか痕が消えないんですから!」
桜子は、呆然と鏡の中の自分を見つめているつくしの隣で思案に暮れた。
恐らく全身キスマークだらけの女は、鏡の中の桜子に目の表情で訴えかけ、どうしたらいいの?と言っていた。そんなつくしの訴えに気付いた桜子は、ひとつ息を吐くと諦めたような口調で言った。
「・・でも、別にいいですよね?これは道明寺さんの愛の証ですから。先輩のご両親も先輩がこんなに愛されてるってお知になればご安心ですよね?」
「そうよ。つくしが愛されてる証拠なんだから、キスマークくらい別にいいじゃない?」
「滋さん?言っておきますが、キスマークくらいじゃありません!花嫁って言うのは純真無垢なイメージですよ?それなのにこんなにキスマークつけてたらイメージからかけ離れるじゃないですか!」
と、言いながら背中に回った桜子は、つくしの髪の毛を束ねると持ち上げた。
そしてまた息を呑んだ。
「ちょっと先輩!髪の毛アップにするのに襟足にまでキスマークがあるなんてどうするんです?!まったくもう信じられない人たちですね!お二人とも何しにNYに来たか分かってるんですかっ?・・もうこうなったら身体はファンデーションで隠すしかないです。幸いカバー力が強いのがありますから、それを使いましょう。・・ったくいい年した大人が分別なさすぎです!遠足の前の小学生じゃあるまいし、もう少し落ち着いて欲しいですね!」
呆れた口調で話す桜子。
その傍で楽しそうに笑う滋の声。
「それよりさぁ、桜子の口から純真無垢だなんて言葉が聞けるとは思いもしなかったわ。もしかして、桜子って縁起とか担ぐ?」
「ええ!こう見えてもわたし、夢だけは見てますから!いつか純白のウェディングドレスを着てみせます!それより今は先輩のことです!本当にもう、こんなことなら道明寺さんに釘をさしておくべきでした!」
やがて背後に立った桜子の声がだんだんと咎める口調になったとき、つくしは黙って目を閉じた。
そんなつくしは、あたしのせいじゃないわ、と言いたかったが、言えなかった。
***
生まれた時からタキシードを着ていたような男たちが揃えば、その姿は圧巻だ。
「本当におまえらに任せて大丈夫だったんだろうな?」
「司。心配するな。俺たちに任せとけば何も心配することはない」
「そうそう。余裕でクリアしたぜ?なあ、類?」
あきらと総二郎、そして類の3人は、司とつくしの結婚式に参列するためNYにいた。
そして3人は、つくしの家族を空港で出迎えてきたところだ。
「しかし、つくしちゃんの両親も弟も本当に普通の人間だったな」
「ああ。でも弟は大学の研究室で働いてるって言ってたから、頭良さそうだよな?」
「確かにそれは言える。まだ助手だって言ってたけど、そのうちノーベル賞が取れるような人間になるかもしれねぇな」
「そうだな。ねーちゃんが仕事の出来る女ってところを考えてみれば、弟もその道のスペシャリストになる可能性があるってことだ。なあ、類はどう思った?」
あきらと総二郎は、カウチに座って雑誌をめくっている男に声をかけた。
「・・玉ねぎが益々白くなったみたいだった・・あ、でも司は玉ねぎの皮を剥くのが趣味みたいなものだからいいんだね・・」
「類、なに訳のわかんねぇこと言ってんだよ?玉ねぎって何のことだ?」
「うん、司の玉ねぎを見てきたんだ」
以前、つくしのことを玉ねぎみたいだと言った類。
「おい、類。それってつくしちゃんのことか?」
そのことを覚えていたのはあきらだ。
「おい類!おまえつくしのドレス姿を見たのか?!」
あきらの言葉にすぐさま反応した司は類を睨んだ。
「うん。さっきトイレに行ったとき覗いてみたんだ」
類は嬉しそうに言うと「すごくきれいだったよ」と言葉を継ぐ。
「類。てめぇ、なに考えてんだ!」
「あのな、類。花婿より先に花嫁見てどうすんだよ!」
あきらが類を咎めた。
「いいじゃん別に。だって花婿は式の前に花嫁姿を見たらダメだっていうし。それに司とつくしさんってもう結婚して一緒に暮らしてるんだから俺が先に見たっていいと思うけど。それに滅多に会えないんだから挨拶してきただけだよ」
「そりゃそうだけどな、やっぱ結婚式は違うだろ?司の嫁に会いたいならアポ取って行け!」
総二郎が言うと、あきらが話しを継いだ。
「類、花嫁が白いドレスを着て夫の前に姿を現す瞬間ってのは感動もんだぞ?それをおまえが先に感じてどうすんだよ!司の顔見てみろよ?極悪だぞ?」
だが司は、憮然とした表情で類を見ているが、何も言わなかった。
それはまさに結婚した男の余裕の表れなのかもしれない。
そんな司に類は言った。
「・・俺、思ったんだけど、女性は自然体が一番いいと思う。だから司は彼女を選んだんだろ?飾り気がなくて、自然なところがよかったんだと思うよ。あのドレスって司が選んだんだろ?彼女のイメージに合ってると思う。つくしって名前に似合う派手なドレスじゃないところが司のセンスの良さだよね?まあ、30代の女があまりごちゃごちゃしたドレス着てもどうかと思うけどさ」
類の言葉の直球さ加減は昔と変わることはないようだ。
昔からあまり喋らない男だったが、ひとたび口を開けば皮肉も言えば、嫌味も言う。
そして言葉を飾ることはない。ずばり核心を突く眼識の鋭さを持つ男だ。
「類。おまえはいつもひと言多いがよくわかってるじゃねぇか。俺は自分を飾り立てるような女は嫌いだ。それに俺とあいつの結婚は価値のある結婚だと思ってる。何しろ昔の俺の周りにいた女と違って正直だからな。俺たちは互いに隠し事はしないことにしてる。まあ、今回のNYでの式は内緒にしてたが、驚かしてやろうと思ったんだからこのくらいの嘘なら嘘じゃねぇだろ?」
アンニュイ雰囲気を感じさせる男と、片やかつて鋭い刃物のようだと言われていた男。
どちらも完璧な容姿を持つ男だが、より強い存在感を放つのはいつも司の方だった。
そんな全くタイプが違うと言われる二人だが、こうして幼い頃からの友人達と揃って式に参列してくれることが、司には何よりの祝いだ。
「司。改めて言わせてもらうよ。結婚おめでとう」

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感心した様子で言う桜子の腕に抱えられているのは、ウェディングドレスだ。
どちらかと言えばセクシーに見えるかもしれないタイプのドレス。
オフショルダーですっきりと開いた胸元が美しいデコルテを強調し、全体のボディラインを美しく見せるドレス。まさに大人の女性が着るにふさわしいマーメイドスタイルだ。
「でもさすが道明寺さん。夫だけのことはありますね。先輩の体型をしっかり把握されているところは流石です。先輩は鎖骨がきちんとあってデコルテも綺麗ですからこのドレスはまさに先輩のいいところを引き立ててくれるはずです。外国では女性の美しさの条件のひとつに鎖骨の美しさがありますけど、このドレスなら間違いなくその美しさを際立てるはずです」
そう言った桜子は、自分の胸の大きさをつくしと比べていた。
「小柄で細身、小胸・・こちらの女性には絶対に見られない体型ですけどね」
司はつくしと式を挙げることを決め、全ての手配をNYのウェディングプランナーに任せていた。そしてそのプランナーとの打ち合わせは、つくしの親友である桜子と、NYに滞在している滋が行っていた。必要なことは何でもするから!そんな気持ちでいた二人は、司とつくしが入籍だけで済ませてしまっていたことを少し寂しく思っていただけに、司からの連絡に喜んだ。
それにしても、つくしは自分の年齢を気にするが、それは気にし過ぎというものだ。
花嫁が結婚式に着ることが出来る白いドレスは生涯に一度だけ。
主役が幾つだろうが、ウェディングドレス姿の女性は美しいものだ。その身体から溢れんばかりの幸せを感じることが出来る。
「つくし。あんた絶対に似合うから。これこそNYスタイルってものよ?でもこんなの着たつくしを見たら司はどうするんだろうね?あの野獣男、よだれ垂らして飛び掛かってくるわよ?」
滋は笑いながらハンガーに掛けられたドレスを見やって言った。
野獣男と称されるのは、これ以上の結婚相手は世界中どこを探しても、いるはずがないと言われている男。何しろ、″世界で最も結婚したい独身男性″トップ10に選ばれた男だ。
ただし、本人はつい最近まで結婚する気など全くなかった。そしてそんな男と結婚したのは、かつて桜子から、一般庶民選手権で代表者に選ばれること確実と言われたような女。
「そうですよ、先輩。これでまた道明寺さんの先輩を愛する気持ちは一段と高まりますからね?あ、そうそう。滋さんとあたしから先輩にプレゼントがありますから受け取って下さいね?」
「プレゼント?」
「はい。いくらもう入籍を済ませて夫婦として暮らしているとはいえ、結婚式はひとつのけじめですから。それに式を挙げた二人にとっての夜は初夜ですからね。そんな夜に夫を楽しませるのは妻の務めですから。あたしと滋さんとでじっくり選びましたからね?きっと道明寺さんも気に入ってくれますから!それより先輩、早く脱いで下さい?」
「・・うん」
手直しするところがあるはずだと言った桜子の言葉につくしは頷き、ジャケットの上着を脱ぎ、スカートを下ろし、ブラウスを脱いでスリップ姿になると、自分の目の前にある鏡をしげしげと見つめた。女友達の前とはいえ、下着姿になるのは、はやり恥ずかしいものがある。
「じゃあ、着てみましょうか?」
桜子が言いながら、ハンガーから降ろしたドレスを手に近寄った。
「あっ!」
驚いた声を上げた桜子。
「・・先輩!どうしてこんなところにキスマークなんて付けてるんですか!」
キスマーク?
「あっ!・・こんなところにも!こんなんじゃドレス着たら丸見えですよ!・・まったく道明寺さんも先のこと考えなさすぎです!」
鏡を見つめていたつくしは、身体を数歩前に進めると、まじまじと自分の姿を見た。
遠目ではよくわからなかったが、鏡に近寄って見れば、夫によってつけられた愛の証に気付いた。それはまさに散らされたと言っていい赤い痕が、肩から胸のあたりに幾つもあった。
「あ~!ホントだ!つくし。ねぇ、ちょっと!あんたたち、もしかして昨日、ジェットの中でヤッちゃった?」
滋は興味津々だ。
「さすが司だわ。我慢できなかったのね?あの男、なにしろ野獣だから目の前に可愛らしいバニーちゃんがいたら食べずにはいられなかったってことよね?」
近づいて来た滋は面白そうに茶化していた。
図星だけに、滋の言葉につくしは全身が赤くなるのがわかった。
それはまさにゆで蛸状態。耳まで真っ赤になっていた。
「滋さん!そんなこと言ってる場合じゃないですよ?道明寺さんのご両親も先輩のご両親も参列されるんですよ?こんな恥ずかしい姿皆さんの前にご披露出来ません!どうするんです?先輩の肌は白いから目立つし、色白の人はなかなか痕が消えないんですから!」
桜子は、呆然と鏡の中の自分を見つめているつくしの隣で思案に暮れた。
恐らく全身キスマークだらけの女は、鏡の中の桜子に目の表情で訴えかけ、どうしたらいいの?と言っていた。そんなつくしの訴えに気付いた桜子は、ひとつ息を吐くと諦めたような口調で言った。
「・・でも、別にいいですよね?これは道明寺さんの愛の証ですから。先輩のご両親も先輩がこんなに愛されてるってお知になればご安心ですよね?」
「そうよ。つくしが愛されてる証拠なんだから、キスマークくらい別にいいじゃない?」
「滋さん?言っておきますが、キスマークくらいじゃありません!花嫁って言うのは純真無垢なイメージですよ?それなのにこんなにキスマークつけてたらイメージからかけ離れるじゃないですか!」
と、言いながら背中に回った桜子は、つくしの髪の毛を束ねると持ち上げた。
そしてまた息を呑んだ。
「ちょっと先輩!髪の毛アップにするのに襟足にまでキスマークがあるなんてどうするんです?!まったくもう信じられない人たちですね!お二人とも何しにNYに来たか分かってるんですかっ?・・もうこうなったら身体はファンデーションで隠すしかないです。幸いカバー力が強いのがありますから、それを使いましょう。・・ったくいい年した大人が分別なさすぎです!遠足の前の小学生じゃあるまいし、もう少し落ち着いて欲しいですね!」
呆れた口調で話す桜子。
その傍で楽しそうに笑う滋の声。
「それよりさぁ、桜子の口から純真無垢だなんて言葉が聞けるとは思いもしなかったわ。もしかして、桜子って縁起とか担ぐ?」
「ええ!こう見えてもわたし、夢だけは見てますから!いつか純白のウェディングドレスを着てみせます!それより今は先輩のことです!本当にもう、こんなことなら道明寺さんに釘をさしておくべきでした!」
やがて背後に立った桜子の声がだんだんと咎める口調になったとき、つくしは黙って目を閉じた。
そんなつくしは、あたしのせいじゃないわ、と言いたかったが、言えなかった。
***
生まれた時からタキシードを着ていたような男たちが揃えば、その姿は圧巻だ。
「本当におまえらに任せて大丈夫だったんだろうな?」
「司。心配するな。俺たちに任せとけば何も心配することはない」
「そうそう。余裕でクリアしたぜ?なあ、類?」
あきらと総二郎、そして類の3人は、司とつくしの結婚式に参列するためNYにいた。
そして3人は、つくしの家族を空港で出迎えてきたところだ。
「しかし、つくしちゃんの両親も弟も本当に普通の人間だったな」
「ああ。でも弟は大学の研究室で働いてるって言ってたから、頭良さそうだよな?」
「確かにそれは言える。まだ助手だって言ってたけど、そのうちノーベル賞が取れるような人間になるかもしれねぇな」
「そうだな。ねーちゃんが仕事の出来る女ってところを考えてみれば、弟もその道のスペシャリストになる可能性があるってことだ。なあ、類はどう思った?」
あきらと総二郎は、カウチに座って雑誌をめくっている男に声をかけた。
「・・玉ねぎが益々白くなったみたいだった・・あ、でも司は玉ねぎの皮を剥くのが趣味みたいなものだからいいんだね・・」
「類、なに訳のわかんねぇこと言ってんだよ?玉ねぎって何のことだ?」
「うん、司の玉ねぎを見てきたんだ」
以前、つくしのことを玉ねぎみたいだと言った類。
「おい、類。それってつくしちゃんのことか?」
そのことを覚えていたのはあきらだ。
「おい類!おまえつくしのドレス姿を見たのか?!」
あきらの言葉にすぐさま反応した司は類を睨んだ。
「うん。さっきトイレに行ったとき覗いてみたんだ」
類は嬉しそうに言うと「すごくきれいだったよ」と言葉を継ぐ。
「類。てめぇ、なに考えてんだ!」
「あのな、類。花婿より先に花嫁見てどうすんだよ!」
あきらが類を咎めた。
「いいじゃん別に。だって花婿は式の前に花嫁姿を見たらダメだっていうし。それに司とつくしさんってもう結婚して一緒に暮らしてるんだから俺が先に見たっていいと思うけど。それに滅多に会えないんだから挨拶してきただけだよ」
「そりゃそうだけどな、やっぱ結婚式は違うだろ?司の嫁に会いたいならアポ取って行け!」
総二郎が言うと、あきらが話しを継いだ。
「類、花嫁が白いドレスを着て夫の前に姿を現す瞬間ってのは感動もんだぞ?それをおまえが先に感じてどうすんだよ!司の顔見てみろよ?極悪だぞ?」
だが司は、憮然とした表情で類を見ているが、何も言わなかった。
それはまさに結婚した男の余裕の表れなのかもしれない。
そんな司に類は言った。
「・・俺、思ったんだけど、女性は自然体が一番いいと思う。だから司は彼女を選んだんだろ?飾り気がなくて、自然なところがよかったんだと思うよ。あのドレスって司が選んだんだろ?彼女のイメージに合ってると思う。つくしって名前に似合う派手なドレスじゃないところが司のセンスの良さだよね?まあ、30代の女があまりごちゃごちゃしたドレス着てもどうかと思うけどさ」
類の言葉の直球さ加減は昔と変わることはないようだ。
昔からあまり喋らない男だったが、ひとたび口を開けば皮肉も言えば、嫌味も言う。
そして言葉を飾ることはない。ずばり核心を突く眼識の鋭さを持つ男だ。
「類。おまえはいつもひと言多いがよくわかってるじゃねぇか。俺は自分を飾り立てるような女は嫌いだ。それに俺とあいつの結婚は価値のある結婚だと思ってる。何しろ昔の俺の周りにいた女と違って正直だからな。俺たちは互いに隠し事はしないことにしてる。まあ、今回のNYでの式は内緒にしてたが、驚かしてやろうと思ったんだからこのくらいの嘘なら嘘じゃねぇだろ?」
アンニュイ雰囲気を感じさせる男と、片やかつて鋭い刃物のようだと言われていた男。
どちらも完璧な容姿を持つ男だが、より強い存在感を放つのはいつも司の方だった。
そんな全くタイプが違うと言われる二人だが、こうして幼い頃からの友人達と揃って式に参列してくれることが、司には何よりの祝いだ。
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Comment:5
嘘でしょう?
紺野に行ってらっしゃいませ、と見送られ、拉致されるようにジェットに乗せられた。
だが、機内で夫の口から語られた内容に、緩んでいた涙腺から再び涙が溢れ出しそうになっていた。
「なあ。俺たちは入籍しかしてねぇから、やっぱりケジメがついてないってのが悪かったのかもしれねぇな。大々的じゃないにしろ、やっぱ式は挙げるべきだと思う」
司の唇にかすかな笑みが浮かんだ。
「そうすればおまえが俺の妻だって世間に堂々と公表出来るだろ?」
入籍だけで結婚式を挙げなかった二人。
どうしても早く一緒になりたかった男は、区役所で入籍だけを済ませ、式を挙げてはいなかった。そのことは妻も了承した。だが、司はあの時のつくしの言葉を覚えていた。
あのとき、30過ぎて派手な式なんてしたくない。でも地味にひっそり、出来れば家族だけが理想だと言った妻。だからその願いを叶えてやろうと思った。
それに、司は姉の椿が結婚したとき、ウェディングドレスを着た姉が幸せに輝いていたのを思い出していた。女性にとっては特別な思い入れがあるという結婚式。それを味合わせてやりたい思いがあった。
だが、つくしは歳若き妻でない自分が、式を挙げることに躊躇いがあった。ウェディングドレスなんて20代の女性が着るから輝いて見えるのであって、自分には似合わないと思っていた。司はそんな妻に向かって首を横に振った。
「歳なんか関係ねぇ。結婚式は俺とおまえにとって一生に一度しかない。それに子供が大きくなって俺たちの結婚式の写真が見たいなんて言い出したらどうするつもりだ?父親が母親欲しさに焦ってフライングしました。式は挙げてませんとでも言うつもりか?」
司は少し考え込んだ妻に再び言った。
「何も考えることなんてないはずだ。おまえはあのとき、地味にひっそり家族だけって言っただろ?だからこれからNYでそれをするつもりだ」
機内で隣の席に座る男はつくしの手を握った。
「・・つくし、愛してる。分かってんだろ?俺がどれくらいおまえのことを愛しているか。いいか?この気持ちはこれからもずっと変わることはない」
じっと見つめられ、つくしは、機内の空気が急に薄くなったような気がしていた。
夫の纏う濃厚な雰囲気といったものは、空気までコンロトールしていた。それにしても、抗おうにも抗えない魅力を持つ男は妻を相手にフェロモンを振り撒いてどうしようというのか。そんな夫からの申し出を断るなんてことは絶対に無理だ。それに夫の自分に対する愛を感じ、今の気持ちを言葉にすることが難しかった。
つくしは深く息を吸った。
「つかさ・・」
つくしは名前を呼んだものの、息が詰まってしまったかのように言葉が出なかった。
「うん?どうした?」
「ありがとう・・あたしがあのとき言ったこと、覚えていてくれたのね?」
「あたり前だ。好きな女の言うことを聞き逃すわけねぇだろ?それにこんなに優しい夫なんて他にはいねぇぞ?」
自慢げに言う男はニヤッと笑った。
「なあ、つくし。なんとか言え?」
愛情表現豊かな男は困ったことに妻にも常にそれを求める。
「えっ・・うん。・・あたしも愛してる、つかさ」
「なんだよ?その取ってつけたみてぇな言い方は?それにおまえは本当に俺のこと愛してるのか?」
そのうえかなり疑り深い。
「べ、別に取ってつけてなんてないわよ!それにあたしは司のこと・・愛してるから・・」
「へぇー。そうか。ならその証拠ってのを見せてくれ」
それに嫉妬深い。
「しょ、証拠?」
「そうだ。証拠だ」
と、言った司は立ち上ると、つくしの前に膝まずく。そしていつかのように、つくしの脚から靴を脱がせていた。それは二人でカリフォルニアのワイナリーまで見学へ出かけたとき、機内で眠り込んだつくしの靴を脱がせた行為と同じだ。
あのとき、つくしは気づかなかったが目覚めたとき、履いていたのはスリッパだった。しかし、今日は何も履かせてはくれなかった。つくしは怪訝そうな顔で夫の行為を見ている。だが、司が顔をあげ、自分の顔を見つめた瞬間、夫が求める彼を愛している証拠が何であるか気づいた。
「今、ここで愛し合いたい」
二人は結婚して以来、毎晩のように愛し合っていた。
それは、司がつくしを求めて止まないからだ。初めて愛し合ってから幾夜も過ぎたが、機内で愛し合う行為はもちろん初めてだ。
抱きかかえられたつくしが運ばれたのは、後方にあるベッドルーム。
前回乗ったとき、その存在に気付かなかった。あのとき、上質の革の座席で眠っただけでも十分疲れは取れた。だが、今夜は結婚した二人にとって始めての夜間飛行となる。
深い闇を切り裂きながら飛んで行くジェットの翼に愛を乗せて。
つくしをベッドの上にそっと押し倒し、司が服を脱がせはじめた。
その手が決して他の女に触れることはない。だが、優雅な指先が妻を求めるあまり、野蛮になりそうになるのを必死で抑えた。なにも急がなくとも、これから先のフライトは二人だけの世界だ。本来ならもっと時間をかけ、大切な贈り物の包みを剥がすように脱がせたい。
だがそう想う、己の中の愛の全てを早く注ぎ込みたい思いがある。
今でこそ愛し合う行為に慣れたとはいえ、いつまでたっても恥ずかしさが抜けない妻。
いい加減、その恥ずかしがるのを止めろと言いたいが、その羞恥とも言える態度が、司の欲望を煽った。男が女を征服したいという思いと、守りたいという思い。それは、自分のものになった大切な人に対し湧き上がる愛しいという感情。
そんな男は、妻の考えていることは、全てお見通しだと言わんばかりの眼差しで見る。
漆黒の瞳が、妻の瞳の奥を覗き込み、問いかけた。
「おまえは俺の妻だ。俺が欲しいだろ?」
返事を聞かないうちは怖くて手を出すことができない。
そんなことを思う己を滑稽だと思うが、好きだからこそ手が出せない。そんな子供じみた思いまで湧き上がる。
だが、すべての思考能力を奪って、互いが互いの全てを欲しいと思うまで時間をかけて愛し合いたい。
その思いが、司を淫らな思いへと誘った。
例え、司が経験豊かだとしても、そんなことは関係ない。
二人は夫婦となった以上、対等だ。
崇拝とも言える司の愛撫と口づけ。
やがて薄明りのなか、ひとつひとつ自由を奪っていくように、唇を身体へと這わせながら思っていた。恋愛感情の伴わないセックスをしていた自分はなんと愚かな男だったかと。
今は肉体以上のものが欲しい。それは妻が与えてくれる愛情。
そして、その愛情を手に入れたと思った瞬間を、これから先、忘れることなく過ごしていきたい。
目の前にあり、落ちていく俺を受け止めてくれる細い身体が愛おしいと思える。
欲しいと自分に向かって伸ばされた華奢な腕。そして肩を掴む細い指先。
今ではその手をかたときも離したくないという思いがある。
その身体ごと、抱え込んで離したくない。
俺の思いに応えて欲しい。
瞳をそらさず、しっかりと掴んだ華奢な身体に己の全てを沈め、柔らかな胸が揺蕩う様子を見ながら、ゆっくりとした一定の律動を繰り返し、全身全霊で愛を伝えていた。
「俺を見ろ。つくし・・」
静かに命じれば、閉じた瞳が開かれ司を見た。
決して視線を外すことなく、深く突きを繰り返し、最後の一瞬まで見つめていたい。
絶頂に達する瞬間を見逃すことなく、全てをこの目に焼き付け、そして記憶の中に閉じ込めたい。司は気づいていた。口には出さなくとも、妻の瞳はお願い、全て頂戴と言っていると。
そして、黒く、大きな瞳が伝えて来る″愛してる″の言葉を受け取った。
素直な感情のまま、上がった声と共に。
腕の中で柔らかく弛緩していく小さな身体。
落ちていく意識のなか、司は妻をしっかりと抱き寄せ、こめかみに唇を押し当てた。
「・・つくし。結婚式は、俺からのプレゼントだ」
「・・ん・・ありがとう・・つかさ・・」
と小さな声が呟き、司の胸に顔を埋めていた。

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紺野に行ってらっしゃいませ、と見送られ、拉致されるようにジェットに乗せられた。
だが、機内で夫の口から語られた内容に、緩んでいた涙腺から再び涙が溢れ出しそうになっていた。
「なあ。俺たちは入籍しかしてねぇから、やっぱりケジメがついてないってのが悪かったのかもしれねぇな。大々的じゃないにしろ、やっぱ式は挙げるべきだと思う」
司の唇にかすかな笑みが浮かんだ。
「そうすればおまえが俺の妻だって世間に堂々と公表出来るだろ?」
入籍だけで結婚式を挙げなかった二人。
どうしても早く一緒になりたかった男は、区役所で入籍だけを済ませ、式を挙げてはいなかった。そのことは妻も了承した。だが、司はあの時のつくしの言葉を覚えていた。
あのとき、30過ぎて派手な式なんてしたくない。でも地味にひっそり、出来れば家族だけが理想だと言った妻。だからその願いを叶えてやろうと思った。
それに、司は姉の椿が結婚したとき、ウェディングドレスを着た姉が幸せに輝いていたのを思い出していた。女性にとっては特別な思い入れがあるという結婚式。それを味合わせてやりたい思いがあった。
だが、つくしは歳若き妻でない自分が、式を挙げることに躊躇いがあった。ウェディングドレスなんて20代の女性が着るから輝いて見えるのであって、自分には似合わないと思っていた。司はそんな妻に向かって首を横に振った。
「歳なんか関係ねぇ。結婚式は俺とおまえにとって一生に一度しかない。それに子供が大きくなって俺たちの結婚式の写真が見たいなんて言い出したらどうするつもりだ?父親が母親欲しさに焦ってフライングしました。式は挙げてませんとでも言うつもりか?」
司は少し考え込んだ妻に再び言った。
「何も考えることなんてないはずだ。おまえはあのとき、地味にひっそり家族だけって言っただろ?だからこれからNYでそれをするつもりだ」
機内で隣の席に座る男はつくしの手を握った。
「・・つくし、愛してる。分かってんだろ?俺がどれくらいおまえのことを愛しているか。いいか?この気持ちはこれからもずっと変わることはない」
じっと見つめられ、つくしは、機内の空気が急に薄くなったような気がしていた。
夫の纏う濃厚な雰囲気といったものは、空気までコンロトールしていた。それにしても、抗おうにも抗えない魅力を持つ男は妻を相手にフェロモンを振り撒いてどうしようというのか。そんな夫からの申し出を断るなんてことは絶対に無理だ。それに夫の自分に対する愛を感じ、今の気持ちを言葉にすることが難しかった。
つくしは深く息を吸った。
「つかさ・・」
つくしは名前を呼んだものの、息が詰まってしまったかのように言葉が出なかった。
「うん?どうした?」
「ありがとう・・あたしがあのとき言ったこと、覚えていてくれたのね?」
「あたり前だ。好きな女の言うことを聞き逃すわけねぇだろ?それにこんなに優しい夫なんて他にはいねぇぞ?」
自慢げに言う男はニヤッと笑った。
「なあ、つくし。なんとか言え?」
愛情表現豊かな男は困ったことに妻にも常にそれを求める。
「えっ・・うん。・・あたしも愛してる、つかさ」
「なんだよ?その取ってつけたみてぇな言い方は?それにおまえは本当に俺のこと愛してるのか?」
そのうえかなり疑り深い。
「べ、別に取ってつけてなんてないわよ!それにあたしは司のこと・・愛してるから・・」
「へぇー。そうか。ならその証拠ってのを見せてくれ」
それに嫉妬深い。
「しょ、証拠?」
「そうだ。証拠だ」
と、言った司は立ち上ると、つくしの前に膝まずく。そしていつかのように、つくしの脚から靴を脱がせていた。それは二人でカリフォルニアのワイナリーまで見学へ出かけたとき、機内で眠り込んだつくしの靴を脱がせた行為と同じだ。
あのとき、つくしは気づかなかったが目覚めたとき、履いていたのはスリッパだった。しかし、今日は何も履かせてはくれなかった。つくしは怪訝そうな顔で夫の行為を見ている。だが、司が顔をあげ、自分の顔を見つめた瞬間、夫が求める彼を愛している証拠が何であるか気づいた。
「今、ここで愛し合いたい」
二人は結婚して以来、毎晩のように愛し合っていた。
それは、司がつくしを求めて止まないからだ。初めて愛し合ってから幾夜も過ぎたが、機内で愛し合う行為はもちろん初めてだ。
抱きかかえられたつくしが運ばれたのは、後方にあるベッドルーム。
前回乗ったとき、その存在に気付かなかった。あのとき、上質の革の座席で眠っただけでも十分疲れは取れた。だが、今夜は結婚した二人にとって始めての夜間飛行となる。
深い闇を切り裂きながら飛んで行くジェットの翼に愛を乗せて。
つくしをベッドの上にそっと押し倒し、司が服を脱がせはじめた。
その手が決して他の女に触れることはない。だが、優雅な指先が妻を求めるあまり、野蛮になりそうになるのを必死で抑えた。なにも急がなくとも、これから先のフライトは二人だけの世界だ。本来ならもっと時間をかけ、大切な贈り物の包みを剥がすように脱がせたい。
だがそう想う、己の中の愛の全てを早く注ぎ込みたい思いがある。
今でこそ愛し合う行為に慣れたとはいえ、いつまでたっても恥ずかしさが抜けない妻。
いい加減、その恥ずかしがるのを止めろと言いたいが、その羞恥とも言える態度が、司の欲望を煽った。男が女を征服したいという思いと、守りたいという思い。それは、自分のものになった大切な人に対し湧き上がる愛しいという感情。
そんな男は、妻の考えていることは、全てお見通しだと言わんばかりの眼差しで見る。
漆黒の瞳が、妻の瞳の奥を覗き込み、問いかけた。
「おまえは俺の妻だ。俺が欲しいだろ?」
返事を聞かないうちは怖くて手を出すことができない。
そんなことを思う己を滑稽だと思うが、好きだからこそ手が出せない。そんな子供じみた思いまで湧き上がる。
だが、すべての思考能力を奪って、互いが互いの全てを欲しいと思うまで時間をかけて愛し合いたい。
その思いが、司を淫らな思いへと誘った。
例え、司が経験豊かだとしても、そんなことは関係ない。
二人は夫婦となった以上、対等だ。
崇拝とも言える司の愛撫と口づけ。
やがて薄明りのなか、ひとつひとつ自由を奪っていくように、唇を身体へと這わせながら思っていた。恋愛感情の伴わないセックスをしていた自分はなんと愚かな男だったかと。
今は肉体以上のものが欲しい。それは妻が与えてくれる愛情。
そして、その愛情を手に入れたと思った瞬間を、これから先、忘れることなく過ごしていきたい。
目の前にあり、落ちていく俺を受け止めてくれる細い身体が愛おしいと思える。
欲しいと自分に向かって伸ばされた華奢な腕。そして肩を掴む細い指先。
今ではその手をかたときも離したくないという思いがある。
その身体ごと、抱え込んで離したくない。
俺の思いに応えて欲しい。
瞳をそらさず、しっかりと掴んだ華奢な身体に己の全てを沈め、柔らかな胸が揺蕩う様子を見ながら、ゆっくりとした一定の律動を繰り返し、全身全霊で愛を伝えていた。
「俺を見ろ。つくし・・」
静かに命じれば、閉じた瞳が開かれ司を見た。
決して視線を外すことなく、深く突きを繰り返し、最後の一瞬まで見つめていたい。
絶頂に達する瞬間を見逃すことなく、全てをこの目に焼き付け、そして記憶の中に閉じ込めたい。司は気づいていた。口には出さなくとも、妻の瞳はお願い、全て頂戴と言っていると。
そして、黒く、大きな瞳が伝えて来る″愛してる″の言葉を受け取った。
素直な感情のまま、上がった声と共に。
腕の中で柔らかく弛緩していく小さな身体。
落ちていく意識のなか、司は妻をしっかりと抱き寄せ、こめかみに唇を押し当てた。
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Comment:7
つくしは笑顔を浮かべたまま、1階ロビーで経済誌の記者を見送った。
取材に来たのは女性記者。″道明寺HDの女性広報の活躍″、と題した取材をしたいと、彼女の元を訪れていた。他にも女性社員はいるのだが、何故か取材を受けてくれと頼まれたのはつくし。広報は記者の質問にきちんと答え、曖昧な言葉を返すのは厳禁だ。それだけに勉強もしなければと思う。それに相手がおやっと思うくらいの知識を持つことが必要だ。
まだ転籍して間もないというのに、本当にいいのだろうかといった思いがあった。だが、上司からの命令なら受けない訳にはいかなかった。
広告代理店勤務だったこともあり、マスコミ四媒体と呼ばれるテレビ、新聞、雑誌、ラジオとの接触に抵抗を感じることはない。今までのつくしは、企業から広告を貰うことを仕事にしていたが、今では立場が逆だ。出来ればうちの新聞に公告を出して欲しいと言われる立場になっていた。だが広報の仕事も広告代理店の仕事も、社会に対し情報を発信するといった点では同じだ。そんなことからやはり、自分にはこの仕事は向いていると感じていた。
つくしは記者と別れると社内報の内容について考え始めていた。
広報には社外広報と社内広報があるが、つくしはどちらの仕事も学んでいた。
それは、今までのキャリアを見込んでやらせてみようとのことなのか、それとも義理の母親である女性から、なんらかの指示があったのか。もし、後者なら広報の仕事のスペシャリストを目指せということだろう。
先ほどの取材は社外広報の担当となる。社内広報が社内への情報発信だとすれば、社外広報は、自社について世間の評判を知り、そしてその情報を収集する。プレスリリースとして報道各社への対応、投資家や金融機関、行政、従業員などと言ったステークホルダー(利害関係者)と良好な関係を築くことも仕事のひとつだ。
これから考えようとしている社内報は、支社長である司の経営に関する考えをまとめ、社員に伝える内容となる予定だ。社内報は社員がそれぞれ広報課のサイトへアクセスし、見ることになっているが、今日は支社長直々のメッセージがあると言われ、指定された時間、余程のことがない限り見るようにとメールが飛んできていた。普段社内でのこうした役割は広報課の担当だが、今回に限り秘書課がその役割を果たしていた。
司はまだNYにいる。
いつの間にそんなメッセージを収録したのかと思っていたが、NYでの撮影だと聞いた。
夫である司の顔が眼に浮かんだが、これは仕事だと気を引き締めた。だが夫の姿を見るのは久しぶりだと実は楽しみにしていた。
左腕の時計を見た。間もなく時間だ。広報室まで戻ろうかと思ったが、どうやら間に合いそうにない。つくしはロビーの片隅へ移動すると、手にしていたノートパソコンをその場で立ち上げた。
それと同時に、ロビーにある普段は道明寺HDの華々しいロゴが映し出されている大型スクリーンの画像が変わった。すると、その場にいた社員も来客も、そちらへと視線を向けた。その先に映し出されたのは支社長である夫の姿。時間通り始まった支社長メッセージに、その場にいた人間は立ち止り、襟を正し、支社長の言葉に耳を傾けた。つくしも、自分のパソコンより大型スクリーンへ目をやった。
「諸君。支社長の道明寺司だ。今日は特別に社員の皆さんにお知らせしたいことがあってこの場を借りることにした。これは所謂ひとつの緊急動議だと思って欲しい」
株主総会でも会議でもないのに緊急動議発令?
ロビーにいた数人の男性は、ただならぬ言葉にいったい何事かと言った表情でスクリーンに見入った。
「いつも社員の皆さんの仕事ぶりには感謝している。先日発表された四半期決算は皆さんも御覧になったと思うが、最終的な損益を示す連結純利益は前年同期に比べ55%増益だ。売上高と純利益は3年連続、営業利益は2年連続の過去最高を更新した。これもひとえに社員の皆さんの努力の賜物だと思っている。ぜひ今後も今期同様に業績が好調に推移することを希望する」
司はそこまで言うと、ひと呼吸置き、言葉を継いだ。
「ここからわたくし事になるが、皆さんにお知らせしたいことがある。わたくし、道明寺司は先日ある女性と結婚した。今日まで公にしなかったが、社員の皆さんには知っておいてもらおうと思う。まず結婚していることを隠す必要がどこにあるか考えたが、何も不利益になるようなことは無いと判断した。ではなぜこれまで結婚を伏せていたかについてだが、ひと言で言えば妻が公表することを望まなかったからだ。わたしも当初はそれでいいと思った。秘密にしておくことで妻の安全が守れるなら話す必要がないと考えた。だがわたしには企業の代表者として社員のみなさんに説明する責任がある。それが例えプライベートな結婚についてだとしてもだ」
そこまでは、真面目に話をしていた司だが、スクリーンの中の男はまるで気の置けない楽しいお喋りでもするかのように砕けた態度になった。
「皆さんは自分の理想の恋を見つけようとしたことがあるだろうか?俺に言わせれば、そんなモンこの世の中には無い。正直恋だの愛だのと騒いでいる人間に仕事の出来る人間はいない。・・・と、俺も今まではそんなことを考えていたわけだが・・・まあいい。過去の話はいいな。話しを現在に戻そう」
司は一番重要なことに話しを戻すことにした。
そしてその口調は愛情に満ちていた。
「俺は一人の女性に出会ってからその考えも変わった。その女性ってのが真面目な女で仕事熱心。融通が利かないってのか、とにかく真面目だな。おまけに恥ずかしがり屋。目立つことは嫌いってタイプ。けど仕事はバリバリこなす女だ。まさか俺も自分がそんな女と恋に落ちるなんてことは思いもしなかったが恋ってのはある日突然始まるもんだ。・・気づいた時には恋に落ちてた」
大型スクリーンの中に映し出されている男の社内向けメッセージとは全社員に向かっての結婚報告。この状況をどう説明すればいいのか・・・。おそらく殆どの社員は表情を失っているはずだ。何しろ、今まで雲の上の存在と思われていた道明寺支社長が社内とは言え、自らの言葉で結婚報告をしているといった状況。そして自分の恋愛について語る。社員は困惑を隠せないと言った方が正しいだろう。
それにしても、眉目秀麗、クールビューティーと言われる男が自らの恋愛について話しをする。
・・いったい何があったのか?
やがてスクリーンの中の司のハンサムな顔は、ゆるやかな笑顔に変わった。
まさに見ている者がうっとりと見惚れてしまうその表情。恐らくそんな彼の表情は今まで世間に向けられたことはないはずだ。
「つくし!!おい、見てるか?おまえがうちで働くのは全然構わねぇけど、おまえが会社で道明寺つくしと名乗らねぇってならクビにしてやるからな!!よし。俺の話は以上だ。社員の諸君。これからも我社のため、社会のため、今後もよろしく頼む」
最期に意味ありげに片方の眉を上げた男の話は終わった。
と、スクリーンはいつもの道明寺HDのロゴに変わっていた。
・・これはいったいなんの話しがしたかったのか?
ロビーにいた人間はあ然とした表情で暫くその場に佇んでいた。
そして囁かれるのは、道明寺つくし?そんな社員がうちにいるのか?
どこの部署だ?おまえ知ってるか?・・・
「おい!なにぼんやりしてるんだ!」
背後から夫の声が聞えてきて、つくしは振り返った。
「つ、つか・・?な、なに?どうしたの?」
まだNYにいるはずの夫の出現に驚くと同時に、何が何だかさっぱり状況が掴めなかった。
何しろ社内向け支社長メッセージは自分たちの結婚報告。
そして今この場にいないはずの男がここに居ることが。
「どうもこうもねぇ。俺のメッセージは受け取ったか?」
「はぁ?」
「このメッセージの為にNYから帰ってきた」
と、いうことは、あれは収録ではなく生放送だったということだ。
「・・あの・・」
と、口を開いたつくしと同時に喋り出した夫。
「俺は今日を機におまえとの結婚を秘密にすることは止めた。いいか。もしこれから広く世間に知られることになったとして、なぜ今まで言わなかったんだってことになったとき、隠してたと思われることは、おまえとの結婚が後ろめたいからだと思われるはずだ。俺に言わせればそんなことを思われる事が問題だ。それにこれからは夫婦での公式行事の出番が増える。だからおまえとの結婚を秘密にしとくのは今日で終わりだ。つくし、おまえは無用な気遣いをされるだ、仕事がやりにくいだなんて言ったけど、違うだろ?」
司は指摘する。
「だいだいいい年して何が恥ずかしだかしらねぇけど、おまえはもっと堂々としてればいい。それにおまえは賢い。仕事は出来る。おまえは俺がこの目で選んだいい女だ!俺の妻だってことに自信を持て。俺はおまえが好きなんだ。おまえじゃねぇと駄目だ」
つくしの考えはやはり読まれていた。
結婚したものの、自分の様に平凡な女が道明寺司の妻でいていいのだろうかと言った思いがまだどこかにあった。
「なあ。俺はおまえを自分の妻だって知らせたい。出来れば世間に向かって大きく公表したいくらいだ。まあ、そんなことされたらおまえは困るって顔すんだろうけど」
つくしはその言葉に少し罪悪感を覚えた。
確かに会社では結婚していることを言わないで欲しいと言ったが、永遠にというつもりはない。司の言いたいことは理解出来る。これから彼の妻として、道明寺財閥の後継者の妻として、もっと広い世界へと足を踏み入れることはわかっている。それに司がどんな存在であるかを思えば、いつまでも秘密にしておくわけにはいかないとわかっている。
「よし、行くぞ」
「は?」
「はじゃねぇ。行くぞ!そのパソコン貸せ」
司はつくしからパソコンを取り上げた。
「い、行くってどこに?」
つくしは司に手を取られ歩き始めたが慌てた。
「おい!紺野!こいつの荷物取って来たか?」
つくしの背後から現れたのは、今は夫の秘書のひとりで元部下の紺野。
その紺野がつくしの鞄を手にしていた。
「はい。奥様の机から取ってきました」
「こ、紺野くん?ちょっと、あたしの鞄どうやって・・」
「よし。戻るぞ!」
「えっ?なに?戻る?ど、どこに戻るのよ?」
「おまえをひとり残してNYに戻れるか?せっかくここまで来たのになに寝ぼけたこと言ってんだ?一緒にあっちへ戻るんだ」
「えっ?だってあたしまだ仕事が残ってるのよ?そ、それに司は本当にこの為だけに帰国したの?」
このメッセージだけのために帰って来た。その言葉に嘘はないだろう。
NYと東京を頻繁に行き来することが、日常茶飯事だという夫の世界。
そんな男は世界が狭いはずだ。
「ねえ、司、本当にあたし、仕事が残ってるの!次回の社内報を任されてるの!司の・・支社長の経営に関する考えをまとめる作業があるの!」
何を言おうが無視する夫。ならばとつくしは相手を変えた。
「紺野くん、あたし仕事が残ってるのよ!」
紺野はつくしの鞄を手に司の後ろを歩いていた。
司はチラッと紺野に視線を向け、つくしのパソコンを手渡す。
「奥様、大丈夫です。広報課長は問題ないそうです。何しろ広報課長をはじめとする広報室の皆さんは支社長と奥様のことはご存知ですからご心配なさらないで下さい」
なるほど。
親切丁寧に仕事を教えてくれると思えば、既に二人の関係は知られていたということか。
とはいえ、つくしは夫が突然現れ、NYへ連れて行くといった意味が分からない。
「・・それにもう俺は指輪を外したままだなんてごめんだ!これからは堂々とつけてやる。いいか?俺たちは夫婦だ。これ以上秘密にするつもりはねぇからな!」
二人は指輪をネックレスにして、身に着けていた。
まるで二人だけの秘密だと言えるその行為。
司はつくしの身体を抱き寄せ、次の瞬間、身体を両腕に抱きかかえていた。
それは、はじめて二人が出会ったあの時と同じお姫様だっこと呼ばれるものだ。
「俺と結婚してくれて感謝してる。つくし」
司は腕の中の女を抱きしめ、さらりと言ってのけたが、つくしはふい胸が一杯になり、強い愛情を感じ、思わず涙が溢れそうになり、慌てて目をしばたたいていた。そして、ロビーには大勢の人間が二人のそんな様子を遠巻きに見ていたが、つくしは、そんなことはもうどうでもいいと思っていた。

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まだ転籍して間もないというのに、本当にいいのだろうかといった思いがあった。だが、上司からの命令なら受けない訳にはいかなかった。
広告代理店勤務だったこともあり、マスコミ四媒体と呼ばれるテレビ、新聞、雑誌、ラジオとの接触に抵抗を感じることはない。今までのつくしは、企業から広告を貰うことを仕事にしていたが、今では立場が逆だ。出来ればうちの新聞に公告を出して欲しいと言われる立場になっていた。だが広報の仕事も広告代理店の仕事も、社会に対し情報を発信するといった点では同じだ。そんなことからやはり、自分にはこの仕事は向いていると感じていた。
つくしは記者と別れると社内報の内容について考え始めていた。
広報には社外広報と社内広報があるが、つくしはどちらの仕事も学んでいた。
それは、今までのキャリアを見込んでやらせてみようとのことなのか、それとも義理の母親である女性から、なんらかの指示があったのか。もし、後者なら広報の仕事のスペシャリストを目指せということだろう。
先ほどの取材は社外広報の担当となる。社内広報が社内への情報発信だとすれば、社外広報は、自社について世間の評判を知り、そしてその情報を収集する。プレスリリースとして報道各社への対応、投資家や金融機関、行政、従業員などと言ったステークホルダー(利害関係者)と良好な関係を築くことも仕事のひとつだ。
これから考えようとしている社内報は、支社長である司の経営に関する考えをまとめ、社員に伝える内容となる予定だ。社内報は社員がそれぞれ広報課のサイトへアクセスし、見ることになっているが、今日は支社長直々のメッセージがあると言われ、指定された時間、余程のことがない限り見るようにとメールが飛んできていた。普段社内でのこうした役割は広報課の担当だが、今回に限り秘書課がその役割を果たしていた。
司はまだNYにいる。
いつの間にそんなメッセージを収録したのかと思っていたが、NYでの撮影だと聞いた。
夫である司の顔が眼に浮かんだが、これは仕事だと気を引き締めた。だが夫の姿を見るのは久しぶりだと実は楽しみにしていた。
左腕の時計を見た。間もなく時間だ。広報室まで戻ろうかと思ったが、どうやら間に合いそうにない。つくしはロビーの片隅へ移動すると、手にしていたノートパソコンをその場で立ち上げた。
それと同時に、ロビーにある普段は道明寺HDの華々しいロゴが映し出されている大型スクリーンの画像が変わった。すると、その場にいた社員も来客も、そちらへと視線を向けた。その先に映し出されたのは支社長である夫の姿。時間通り始まった支社長メッセージに、その場にいた人間は立ち止り、襟を正し、支社長の言葉に耳を傾けた。つくしも、自分のパソコンより大型スクリーンへ目をやった。
「諸君。支社長の道明寺司だ。今日は特別に社員の皆さんにお知らせしたいことがあってこの場を借りることにした。これは所謂ひとつの緊急動議だと思って欲しい」
株主総会でも会議でもないのに緊急動議発令?
ロビーにいた数人の男性は、ただならぬ言葉にいったい何事かと言った表情でスクリーンに見入った。
「いつも社員の皆さんの仕事ぶりには感謝している。先日発表された四半期決算は皆さんも御覧になったと思うが、最終的な損益を示す連結純利益は前年同期に比べ55%増益だ。売上高と純利益は3年連続、営業利益は2年連続の過去最高を更新した。これもひとえに社員の皆さんの努力の賜物だと思っている。ぜひ今後も今期同様に業績が好調に推移することを希望する」
司はそこまで言うと、ひと呼吸置き、言葉を継いだ。
「ここからわたくし事になるが、皆さんにお知らせしたいことがある。わたくし、道明寺司は先日ある女性と結婚した。今日まで公にしなかったが、社員の皆さんには知っておいてもらおうと思う。まず結婚していることを隠す必要がどこにあるか考えたが、何も不利益になるようなことは無いと判断した。ではなぜこれまで結婚を伏せていたかについてだが、ひと言で言えば妻が公表することを望まなかったからだ。わたしも当初はそれでいいと思った。秘密にしておくことで妻の安全が守れるなら話す必要がないと考えた。だがわたしには企業の代表者として社員のみなさんに説明する責任がある。それが例えプライベートな結婚についてだとしてもだ」
そこまでは、真面目に話をしていた司だが、スクリーンの中の男はまるで気の置けない楽しいお喋りでもするかのように砕けた態度になった。
「皆さんは自分の理想の恋を見つけようとしたことがあるだろうか?俺に言わせれば、そんなモンこの世の中には無い。正直恋だの愛だのと騒いでいる人間に仕事の出来る人間はいない。・・・と、俺も今まではそんなことを考えていたわけだが・・・まあいい。過去の話はいいな。話しを現在に戻そう」
司は一番重要なことに話しを戻すことにした。
そしてその口調は愛情に満ちていた。
「俺は一人の女性に出会ってからその考えも変わった。その女性ってのが真面目な女で仕事熱心。融通が利かないってのか、とにかく真面目だな。おまけに恥ずかしがり屋。目立つことは嫌いってタイプ。けど仕事はバリバリこなす女だ。まさか俺も自分がそんな女と恋に落ちるなんてことは思いもしなかったが恋ってのはある日突然始まるもんだ。・・気づいた時には恋に落ちてた」
大型スクリーンの中に映し出されている男の社内向けメッセージとは全社員に向かっての結婚報告。この状況をどう説明すればいいのか・・・。おそらく殆どの社員は表情を失っているはずだ。何しろ、今まで雲の上の存在と思われていた道明寺支社長が社内とは言え、自らの言葉で結婚報告をしているといった状況。そして自分の恋愛について語る。社員は困惑を隠せないと言った方が正しいだろう。
それにしても、眉目秀麗、クールビューティーと言われる男が自らの恋愛について話しをする。
・・いったい何があったのか?
やがてスクリーンの中の司のハンサムな顔は、ゆるやかな笑顔に変わった。
まさに見ている者がうっとりと見惚れてしまうその表情。恐らくそんな彼の表情は今まで世間に向けられたことはないはずだ。
「つくし!!おい、見てるか?おまえがうちで働くのは全然構わねぇけど、おまえが会社で道明寺つくしと名乗らねぇってならクビにしてやるからな!!よし。俺の話は以上だ。社員の諸君。これからも我社のため、社会のため、今後もよろしく頼む」
最期に意味ありげに片方の眉を上げた男の話は終わった。
と、スクリーンはいつもの道明寺HDのロゴに変わっていた。
・・これはいったいなんの話しがしたかったのか?
ロビーにいた人間はあ然とした表情で暫くその場に佇んでいた。
そして囁かれるのは、道明寺つくし?そんな社員がうちにいるのか?
どこの部署だ?おまえ知ってるか?・・・
「おい!なにぼんやりしてるんだ!」
背後から夫の声が聞えてきて、つくしは振り返った。
「つ、つか・・?な、なに?どうしたの?」
まだNYにいるはずの夫の出現に驚くと同時に、何が何だかさっぱり状況が掴めなかった。
何しろ社内向け支社長メッセージは自分たちの結婚報告。
そして今この場にいないはずの男がここに居ることが。
「どうもこうもねぇ。俺のメッセージは受け取ったか?」
「はぁ?」
「このメッセージの為にNYから帰ってきた」
と、いうことは、あれは収録ではなく生放送だったということだ。
「・・あの・・」
と、口を開いたつくしと同時に喋り出した夫。
「俺は今日を機におまえとの結婚を秘密にすることは止めた。いいか。もしこれから広く世間に知られることになったとして、なぜ今まで言わなかったんだってことになったとき、隠してたと思われることは、おまえとの結婚が後ろめたいからだと思われるはずだ。俺に言わせればそんなことを思われる事が問題だ。それにこれからは夫婦での公式行事の出番が増える。だからおまえとの結婚を秘密にしとくのは今日で終わりだ。つくし、おまえは無用な気遣いをされるだ、仕事がやりにくいだなんて言ったけど、違うだろ?」
司は指摘する。
「だいだいいい年して何が恥ずかしだかしらねぇけど、おまえはもっと堂々としてればいい。それにおまえは賢い。仕事は出来る。おまえは俺がこの目で選んだいい女だ!俺の妻だってことに自信を持て。俺はおまえが好きなんだ。おまえじゃねぇと駄目だ」
つくしの考えはやはり読まれていた。
結婚したものの、自分の様に平凡な女が道明寺司の妻でいていいのだろうかと言った思いがまだどこかにあった。
「なあ。俺はおまえを自分の妻だって知らせたい。出来れば世間に向かって大きく公表したいくらいだ。まあ、そんなことされたらおまえは困るって顔すんだろうけど」
つくしはその言葉に少し罪悪感を覚えた。
確かに会社では結婚していることを言わないで欲しいと言ったが、永遠にというつもりはない。司の言いたいことは理解出来る。これから彼の妻として、道明寺財閥の後継者の妻として、もっと広い世界へと足を踏み入れることはわかっている。それに司がどんな存在であるかを思えば、いつまでも秘密にしておくわけにはいかないとわかっている。
「よし、行くぞ」
「は?」
「はじゃねぇ。行くぞ!そのパソコン貸せ」
司はつくしからパソコンを取り上げた。
「い、行くってどこに?」
つくしは司に手を取られ歩き始めたが慌てた。
「おい!紺野!こいつの荷物取って来たか?」
つくしの背後から現れたのは、今は夫の秘書のひとりで元部下の紺野。
その紺野がつくしの鞄を手にしていた。
「はい。奥様の机から取ってきました」
「こ、紺野くん?ちょっと、あたしの鞄どうやって・・」
「よし。戻るぞ!」
「えっ?なに?戻る?ど、どこに戻るのよ?」
「おまえをひとり残してNYに戻れるか?せっかくここまで来たのになに寝ぼけたこと言ってんだ?一緒にあっちへ戻るんだ」
「えっ?だってあたしまだ仕事が残ってるのよ?そ、それに司は本当にこの為だけに帰国したの?」
このメッセージだけのために帰って来た。その言葉に嘘はないだろう。
NYと東京を頻繁に行き来することが、日常茶飯事だという夫の世界。
そんな男は世界が狭いはずだ。
「ねえ、司、本当にあたし、仕事が残ってるの!次回の社内報を任されてるの!司の・・支社長の経営に関する考えをまとめる作業があるの!」
何を言おうが無視する夫。ならばとつくしは相手を変えた。
「紺野くん、あたし仕事が残ってるのよ!」
紺野はつくしの鞄を手に司の後ろを歩いていた。
司はチラッと紺野に視線を向け、つくしのパソコンを手渡す。
「奥様、大丈夫です。広報課長は問題ないそうです。何しろ広報課長をはじめとする広報室の皆さんは支社長と奥様のことはご存知ですからご心配なさらないで下さい」
なるほど。
親切丁寧に仕事を教えてくれると思えば、既に二人の関係は知られていたということか。
とはいえ、つくしは夫が突然現れ、NYへ連れて行くといった意味が分からない。
「・・それにもう俺は指輪を外したままだなんてごめんだ!これからは堂々とつけてやる。いいか?俺たちは夫婦だ。これ以上秘密にするつもりはねぇからな!」
二人は指輪をネックレスにして、身に着けていた。
まるで二人だけの秘密だと言えるその行為。
司はつくしの身体を抱き寄せ、次の瞬間、身体を両腕に抱きかかえていた。
それは、はじめて二人が出会ったあの時と同じお姫様だっこと呼ばれるものだ。
「俺と結婚してくれて感謝してる。つくし」
司は腕の中の女を抱きしめ、さらりと言ってのけたが、つくしはふい胸が一杯になり、強い愛情を感じ、思わず涙が溢れそうになり、慌てて目をしばたたいていた。そして、ロビーには大勢の人間が二人のそんな様子を遠巻きに見ていたが、つくしは、そんなことはもうどうでもいいと思っていた。

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本人たちは公になっていないと思っている二人の結婚。
社員には全く気付かれてないと思っているようだが、実はなんとなく周りは気づいていた。
所謂大人の対応というもので、周りが逆に気を遣っていると言った方がいい。それに以前司自らが担当となり、つくしと一緒にテレビ広告を作成したことを知っている一部の社員にしてみれば、何を今さら隠す必要があると思っていた。
それより、つくしの仕事に対する姿勢に広報課の人間は一目置いていた。
広告代理店出身と言えば、一見すると、華やかなイメージを持たれがちだが、まったく違っていた。派手なところはなく、逆に地味ではないかと思えるほどだ。仕事が出来る営業というのは案外地味で、細かい気遣いの出来る人間が多いということだ。
実は広報の仕事も細かい気遣いが必要になる仕事だ。広報の人間の態度がぞんざいでは困る。社内と世の中を繋ぐ仕事であると考えれば、誠実で努力家の人間でないと出来ないからだ。
それは、まさに紺野がつくしのことを評した言葉だ。
司が結婚した相手はそんな仕事の出来る女。
でもどこか可愛げがある女。そんなアンバランスさが魅力ではあるが、最近の妻は仕事に気を取られることが多い。仕事が好きなのは十分理解している。司も妻が仕事をすることに対し、異論はない。だがこんなバカなことはない。どうして自分とあいつが結婚していることを秘密にしなくてはならない?司の唯一不満な点はそれだ。
昨夜、司は深夜のマンションに帰宅した。
すでに眠っていてもおかしくない時間帯だというのに、廊下からリビングまで続く明かりがあった。そっと扉を開けばソファで寝入っていた妻を見つけた。ソファで寝るくらいならベッドに行けばいいものを。そんなことを思い近寄ったとき、リビングの明かりの下、黒い髪が頬にかかり、少しだけ開いた唇にかかった髪をそっと払おうとしたとき、気配を感じた妻が目を覚ました。
「・・おかえり、司」
と言って甘い微笑みが浮かんだその瞬間、司は気持ちが抑えられなくなりそうだった。
妻は華奢でどちらかと言えば線の細い外見だが、内側には女らしい一面と仕事に対しての判断力と決断力を秘めた女性だ。それはまさに司の母親に似た一面かもしれなかった。
「疲れてるんだろ?先に休んでいてもいいんだぞ?」
「・・でも、司が疲れて帰って来るのに先に寝ちゃうってのもね?やっぱりお帰りの挨拶はしたいじゃない?」
毎日忙しくしていても、家事を疎かにすることなく俺が帰るまで起きているが、こいつも仕事がある身だ。
「おまえも仕事してんだから、俺を待たずに先に休め。そんなんじゃ身体が持たねぇぞ?」
前職である広告代理店の営業の仕事は確かに大変だ。クライアント第一主義ならクライアントからの呼び出しは絶対だ。断ることは出来ない。今までのそんな仕事と広報の仕事を比べれば、どちらが大変かと言えば、代理店の仕事の方だ。
「大丈夫よ。・・・それに今の仕事は以前に比べれば随分楽だから」
とは言え、働き過ぎる傾向にある。まさに司と同等な働きぶりかもしれない。
司はつくしと一緒に仕事をしたことがあると言っても、つくしの他の仕事については知らなかった。紺野に聞けば、働き蜂気質と言ってもいいほど仕事熱心だったと知った。
広報室の担当は支社長である司だ。支社長直轄の部署だから顔を出したい気持ちがある。
だがやはり止めて欲しいと言われた夫。
司はそんな妻に説得を試みた。
「目立たないように会えばいい」
「最初から目立たないようにしてるつもりなんだけど、司が用もないのに広報室へ顔を出すのはどうかと思うの」
それは確かにそうだろう。
いくら広報室が支社長管轄の部署だからと言って、今まで支社長が頻繁に顔を出すことはなかった。それなのに牧野つくしという女性が入社した途端、ここまで頻繁に立ち寄ることになれば、誰がどう考えても支社長の目当てはその女性だということになる。そうなると、つくしとしては非情にまずいと思っていた。
だが司は妻に会いたいと思っているのだから、会いたい時に会いに行って何が悪い?
それを止める権利が誰にある?
そんな思いとは裏腹に、実は司とつくし以外、二人が結婚した夫婦であることは周知の事実。
なんとなくそうではないかと思っていたところに、秘書室の西田室長から正式な連絡があった。
「広報室の皆様にお願いがあります。今後支社長がこちらへ頻繁にお顔をお出しになると思いますが、お気遣いは無用です。支社長の目的は奥様となられたつくし様にお会いになりたいだけですので」
と、あっさりと言われ、納得していた。
だが司はそんなことは知らなかった。
彼は自分のデスクで無意識にペンを弄びながら考えていた。
どうすれば自分とつくしの関係をさり気なく社内に伝えることが出来るかを。
***
桜子は、新婚夫婦のことを気にかけていた。夫婦と言っても心配しているのは、仕事をするつくしが妻としての役割をきちんとこなしているのかだ。
「先輩、相変らず仕事熱心ですね?」
「えっ?」
つくしはいつもと変わらないと感じていた。
「ちゃんと道明寺さんのこと面倒みてますか?」
桜子の面倒みると言った意味がわからなかった。
「桜子。なに言ってるのよ?いい年した大人の男なのに面倒みるなんて言葉は司に失礼よ」
二人は道明寺ビルの向かいにある建物の1階にあるカフェでランチを取っていた。
夫である司はNY出張中だ。弁当のおかずがどうのと呼び出されることは絶対ない。
「なに言ってるんです?道明寺さんはああ見えてロマンチストなんですよ?」
桜子が諭すように言う。
「まあ、道明寺さんに限らず男性はどこかロマンチックなところがありますからね?それに道明寺さんみたいに男臭い男こそ、ロマンチストなんですよ?逆に女性の方がリアリストですからね?それに先輩のことですからロマンチックにはほど遠いような気がするんですが、違いますか?」
何を持ってロマンチストと言うのか?
そんなことはないと否定したいが、桜子の話に口を挟むと話しがどんどん大きくなる。
つくしは反論せず黙って聞いていた。
「いいですか?先輩は自分の置かれた状況の有り難みが分かってないんです。女がひとりの男と生きるってことは、ある意味博打みたいなものなんですよ?それなのに、先輩は博打どころか、大金星を掴んでいるんですから、勿体ないことしないで下さいね?」
「な、なによ?勿体ないことって?」
つくしの夫となった司が、妻にメロメロだというのは仲間内では周知の事実だ。
世界中の女性の憧れ、並外れた美貌を持つ道明寺司と結婚したことが、どれだけ凄いことか分かってない女には、何を言っても無駄なのかもしれない。だが桜子は話し続けた。
「勿体ないって、決まってるじゃないですか。宝の持ち腐れになんかなったら世の中の女性が怒りますからね?」
桜子は顔をつくしに近づけ、声を落としていった。
「まさか、ベッドでの相性が悪いなんてそんなこと、無いですよね?あの道明寺さんが相手なんですからまさかとは思いますが、閨房術(けいぼうじゅつ)か房中術(ぼうちゅうじゅつ)でもお教えしましょうか?」
「な、なによその閨房術とか房中術って?」
つくしには全くピンとこない言葉だ。
だが桜子が声を落としたというところが気になる。
「先輩、性行為の技ですよ?それとも古代インドの愛の教科書と言われているカーマ・スートラでもお貸ししましょうか?あれなら挿絵も綺麗ですし、勉強になると思いますよ。よかったら道明寺さんと一緒にご覧になってはいかがです?夜の営みも夫婦の大切なコミュニケーション手段ですからね?」
閨房術も房中術もどちらもセックスの指南書だ。
ベッドの中で相手の男性を虜にするために学ぶ術だと言われている。女性が積極的に男性を喜ばせるための技の数々が挿絵と共に描かれているという本を貸すだけではなく、司と一緒に見ろというのだ。つくしは頬が赤くなるのを感じていた。
「いいですか?先輩。先輩はもう結婚したんですから、いちいちそんなことで顔を赤らめないで下さい。恥ずかしいことなんて、何もないんですからね。それに道明寺さんの最高の精子を頂けるのは先輩だけなんですからね?いつまでも子供みたいに顔を赤らめないで下さいね」
つくしは黙っていた。
桜子が興奮すると、何を言ったところで、聞き入れてもらえないからだ。
それに何と言えばいいのか言葉を探したが、見つけられずにいた。
「先輩?まさかとは思いますが仕事し過ぎて疲れてるから今夜はダメなんてこと言ってないですよね?道明寺さんからの求めを断るなんてこと、断じて許される行為じゃないですよ?」
その口調があまりにも真面目過ぎ、つくしはランチで頼んだパスタを口の中に押し込んだ状態のまま、トマトソースの酸味にむせそうになっていた。そんな状態のつくしに桜子は、今度は冷静に聞いてきた。
「先輩。もしかして、セックス・ノイローゼだとかじゃないですよね?求められ過ぎて困ってるなんてこと・・。先輩羨まし過ぎます!」
桜子に好奇心に満ちた眼差しを向けられたまま、つくしはひたすら胸を叩いていた。

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それより、つくしの仕事に対する姿勢に広報課の人間は一目置いていた。
広告代理店出身と言えば、一見すると、華やかなイメージを持たれがちだが、まったく違っていた。派手なところはなく、逆に地味ではないかと思えるほどだ。仕事が出来る営業というのは案外地味で、細かい気遣いの出来る人間が多いということだ。
実は広報の仕事も細かい気遣いが必要になる仕事だ。広報の人間の態度がぞんざいでは困る。社内と世の中を繋ぐ仕事であると考えれば、誠実で努力家の人間でないと出来ないからだ。
それは、まさに紺野がつくしのことを評した言葉だ。
司が結婚した相手はそんな仕事の出来る女。
でもどこか可愛げがある女。そんなアンバランスさが魅力ではあるが、最近の妻は仕事に気を取られることが多い。仕事が好きなのは十分理解している。司も妻が仕事をすることに対し、異論はない。だがこんなバカなことはない。どうして自分とあいつが結婚していることを秘密にしなくてはならない?司の唯一不満な点はそれだ。
昨夜、司は深夜のマンションに帰宅した。
すでに眠っていてもおかしくない時間帯だというのに、廊下からリビングまで続く明かりがあった。そっと扉を開けばソファで寝入っていた妻を見つけた。ソファで寝るくらいならベッドに行けばいいものを。そんなことを思い近寄ったとき、リビングの明かりの下、黒い髪が頬にかかり、少しだけ開いた唇にかかった髪をそっと払おうとしたとき、気配を感じた妻が目を覚ました。
「・・おかえり、司」
と言って甘い微笑みが浮かんだその瞬間、司は気持ちが抑えられなくなりそうだった。
妻は華奢でどちらかと言えば線の細い外見だが、内側には女らしい一面と仕事に対しての判断力と決断力を秘めた女性だ。それはまさに司の母親に似た一面かもしれなかった。
「疲れてるんだろ?先に休んでいてもいいんだぞ?」
「・・でも、司が疲れて帰って来るのに先に寝ちゃうってのもね?やっぱりお帰りの挨拶はしたいじゃない?」
毎日忙しくしていても、家事を疎かにすることなく俺が帰るまで起きているが、こいつも仕事がある身だ。
「おまえも仕事してんだから、俺を待たずに先に休め。そんなんじゃ身体が持たねぇぞ?」
前職である広告代理店の営業の仕事は確かに大変だ。クライアント第一主義ならクライアントからの呼び出しは絶対だ。断ることは出来ない。今までのそんな仕事と広報の仕事を比べれば、どちらが大変かと言えば、代理店の仕事の方だ。
「大丈夫よ。・・・それに今の仕事は以前に比べれば随分楽だから」
とは言え、働き過ぎる傾向にある。まさに司と同等な働きぶりかもしれない。
司はつくしと一緒に仕事をしたことがあると言っても、つくしの他の仕事については知らなかった。紺野に聞けば、働き蜂気質と言ってもいいほど仕事熱心だったと知った。
広報室の担当は支社長である司だ。支社長直轄の部署だから顔を出したい気持ちがある。
だがやはり止めて欲しいと言われた夫。
司はそんな妻に説得を試みた。
「目立たないように会えばいい」
「最初から目立たないようにしてるつもりなんだけど、司が用もないのに広報室へ顔を出すのはどうかと思うの」
それは確かにそうだろう。
いくら広報室が支社長管轄の部署だからと言って、今まで支社長が頻繁に顔を出すことはなかった。それなのに牧野つくしという女性が入社した途端、ここまで頻繁に立ち寄ることになれば、誰がどう考えても支社長の目当てはその女性だということになる。そうなると、つくしとしては非情にまずいと思っていた。
だが司は妻に会いたいと思っているのだから、会いたい時に会いに行って何が悪い?
それを止める権利が誰にある?
そんな思いとは裏腹に、実は司とつくし以外、二人が結婚した夫婦であることは周知の事実。
なんとなくそうではないかと思っていたところに、秘書室の西田室長から正式な連絡があった。
「広報室の皆様にお願いがあります。今後支社長がこちらへ頻繁にお顔をお出しになると思いますが、お気遣いは無用です。支社長の目的は奥様となられたつくし様にお会いになりたいだけですので」
と、あっさりと言われ、納得していた。
だが司はそんなことは知らなかった。
彼は自分のデスクで無意識にペンを弄びながら考えていた。
どうすれば自分とつくしの関係をさり気なく社内に伝えることが出来るかを。
***
桜子は、新婚夫婦のことを気にかけていた。夫婦と言っても心配しているのは、仕事をするつくしが妻としての役割をきちんとこなしているのかだ。
「先輩、相変らず仕事熱心ですね?」
「えっ?」
つくしはいつもと変わらないと感じていた。
「ちゃんと道明寺さんのこと面倒みてますか?」
桜子の面倒みると言った意味がわからなかった。
「桜子。なに言ってるのよ?いい年した大人の男なのに面倒みるなんて言葉は司に失礼よ」
二人は道明寺ビルの向かいにある建物の1階にあるカフェでランチを取っていた。
夫である司はNY出張中だ。弁当のおかずがどうのと呼び出されることは絶対ない。
「なに言ってるんです?道明寺さんはああ見えてロマンチストなんですよ?」
桜子が諭すように言う。
「まあ、道明寺さんに限らず男性はどこかロマンチックなところがありますからね?それに道明寺さんみたいに男臭い男こそ、ロマンチストなんですよ?逆に女性の方がリアリストですからね?それに先輩のことですからロマンチックにはほど遠いような気がするんですが、違いますか?」
何を持ってロマンチストと言うのか?
そんなことはないと否定したいが、桜子の話に口を挟むと話しがどんどん大きくなる。
つくしは反論せず黙って聞いていた。
「いいですか?先輩は自分の置かれた状況の有り難みが分かってないんです。女がひとりの男と生きるってことは、ある意味博打みたいなものなんですよ?それなのに、先輩は博打どころか、大金星を掴んでいるんですから、勿体ないことしないで下さいね?」
「な、なによ?勿体ないことって?」
つくしの夫となった司が、妻にメロメロだというのは仲間内では周知の事実だ。
世界中の女性の憧れ、並外れた美貌を持つ道明寺司と結婚したことが、どれだけ凄いことか分かってない女には、何を言っても無駄なのかもしれない。だが桜子は話し続けた。
「勿体ないって、決まってるじゃないですか。宝の持ち腐れになんかなったら世の中の女性が怒りますからね?」
桜子は顔をつくしに近づけ、声を落としていった。
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だが桜子が声を落としたというところが気になる。
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閨房術も房中術もどちらもセックスの指南書だ。
ベッドの中で相手の男性を虜にするために学ぶ術だと言われている。女性が積極的に男性を喜ばせるための技の数々が挿絵と共に描かれているという本を貸すだけではなく、司と一緒に見ろというのだ。つくしは頬が赤くなるのを感じていた。
「いいですか?先輩。先輩はもう結婚したんですから、いちいちそんなことで顔を赤らめないで下さい。恥ずかしいことなんて、何もないんですからね。それに道明寺さんの最高の精子を頂けるのは先輩だけなんですからね?いつまでも子供みたいに顔を赤らめないで下さいね」
つくしは黙っていた。
桜子が興奮すると、何を言ったところで、聞き入れてもらえないからだ。
それに何と言えばいいのか言葉を探したが、見つけられずにいた。
「先輩?まさかとは思いますが仕事し過ぎて疲れてるから今夜はダメなんてこと言ってないですよね?道明寺さんからの求めを断るなんてこと、断じて許される行為じゃないですよ?」
その口調があまりにも真面目過ぎ、つくしはランチで頼んだパスタを口の中に押し込んだ状態のまま、トマトソースの酸味にむせそうになっていた。そんな状態のつくしに桜子は、今度は冷静に聞いてきた。
「先輩。もしかして、セックス・ノイローゼだとかじゃないですよね?求められ過ぎて困ってるなんてこと・・。先輩羨まし過ぎます!」
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司は椅子の肘掛けに両肘をつき、左右の手の指を合わせた姿勢でパソコンを見ていた。
くっきりとした顔立ちは冷たさだけが感じられ、指一本どころか目線すら動かさずに感情を表現できる男は、いつもに増して誰も近づけることがないような空気がある。
17歳あの日以来ニヒルスティックな笑いを浮かべることがあったとしても、心から笑ったことがない。その顔に陰影を刻むとすれば、心の奥にあるひとりの女性に対しての感情が湧き上がる瞬間だろう。
融資を頼むと言ってきた会社がある。
銀行からの融資を断られ金の算段をしたが、にっちもさっちも行かなくなり、司のところに泣きついていた。貸してもどうせ返せるはずもないと分かっている。
そうなれば、計画的に欲しいと思った会社でなくとも、結果的に倒産に追い込む。
つなぎ資金を融資し、債務保証をし、株を取得する。
買い叩き、事業収益率の高い事業だけを手元に置き、あとはバラバラにして売り払う。結果、融資した金額より大きな利益を手に入れることになる。いつもと同じビジネスのやり方。
司の元に残るのは金。そして自分に向けられる恨みと憎しみ。若くして冷酷非情な多国籍企業の総帥と言われるまでになった男は父親によく似ているとも言われていた。
どんな大きな企業でも世襲といったものがある。
世の中には箸にも棒にも掛からない二代目、三代目の話は掃いて捨てるほどある。
融資を頼むと言って来た会社もそんな三代目が経営する企業のひとつ。
実際司の周りにもそういったドラ息子もいる。女に現を抜かすか、毎日ゴルフ三昧かといった輩だ。下手に仕事をやらせてしくじるくらいなら、遊ばせておいた方がマシというやつだ。
司もあの頃、道明寺の家など潰れてしまっても構わないと思っていた。
牧野つくしの為なら、家など捨ててやるとさえ言った。
金も権力もどうでもよかったあの頃。
自分と一緒に生きてくれる人がいれば、それでいいと思っていた。
だがあのとき、結果的にあいつは金を選んだ。そしてそのことをはっきりと口にした。
しかし類が言った牧野があのとき選ばなければいけなかったのは仕方がない人生の選択。家族のための選択。それは真実であることに変わりはない。そしてそうせざるを得なかったということも。その結果、心がすれ違ってしまった。
だが類の言った通り、当時高校生だった女に何が出来る?
類に言われなくとも人間にはどうしようもなく避けられないことがあるってことも、追い込まれれば、どうしようもないことがあるってこともわかっている。あのとき選ばなければならなかった仕方のない人生も今なら理解できる。
どちらにしろ、あれから俺は変わった。金が好きだといった女に見せつけるように金を稼いでいた。事実、世の中金があれば何でも出来る。この世の中、金を持っている者が勝ちだ。
人の身体も、魂も、良心さえも全てを手に入れることが出来た。
――本当に欲しかった女の心以外は。
あのとき、16歳だった少女は人を疑わず信頼する少女。
ただ頼る人間はおらず、全てを自分で決めなければならなかった少女。
貧しい家庭の尻ぬぐいをし、困難に直面すればそれを乗り越えてきた。
そんな少女は今も変わっていないのかもしれない。
司がそんな少女を苦しめ、心に大きな傷をつけたとしても、昔の少女はそのまま、自分を愛していると言った。
″道明寺・・愛してる・・″
あいつの言葉が頭の中を巡る。
あのとき、そんな言葉を耳にし、がむしゃらにあいつの中につき進んでいた。
荒々しい感情と、そして苦悶ともいえる表情が浮かんでいたに違いない。
司は現実を見たいと思った。事実を知りたいと思った。
過去の記憶に狂わされることなく知りたいことがある。
焼き付いた記憶を拭い去り、遠ざけ、類の放った自分の父親が関与したという言葉の意味を。
決して正気とは言えない自分がいるというのに、どこか醒めた自分がいたのは分かっていた。身体の中の一部が目覚めたような気がしていた。自分の気持ちや態度、物事の受け取り方に変化が生じて来たことは認めよう。あいつの言葉など、なんの影響もないと、17歳のあの日以来、二度と女の言葉に心を動かされることなどないと考えていた。だが、今の司は人間性の無いと言われたこの10年の自分とは違うと感じていた。
雪の降る夜。あいつを抱いたとき、互いが互いの一部になったような気持ちがした。
それは自分の心の中にある紛れもない事実としてある。
あいつだけが許された俺を呼ぶときのその名前。道明寺というこの名前に人生を狂わされたと言ってもいい名前だというのに、その名前で呼ばれて嬉しいと感じていた。
あいつが俺の傍にいることは正しいことだ、抱き合うことが真っ当な行為だ、それこそが二人が行き着く先だと疑う余地などないはずだ。
司は目を閉じ、その時の光景を瞼に宿した。
自分にとっての無垢な場所である牧野つくしの身体。
何度抱いてもその身体は自分にとっては無垢で穢れを知らない女の身体だ。
だが一度傷ついた互いの心をどうしたら癒していけるのか。
司はおもむろに正気に戻った。
パソコンの画面に点滅する数字の羅列は株価の変動を刻々と映し出していたが、目がいったのは壁に掛かったハデスとペルセフォネの絵。
司は静かに笑った。
17歳のあの日以来今まで笑ったことがない。
そうだ。自分を冷酷非情な男にしたのは牧野つくしだというのに、その女の言葉でまたこうして感情を取り戻すことが我ながら滑稽だ。世間に決して見せない本当の自分。何にも動じないと言われている男の心の奥底には、情熱の炎が赤々と燃えていることを知る人間はいない。17歳のあの頃でさえ、あいつはそこまで知らなかったはずだ。その感情が噴き出そうとした瞬間、蓋をし、秘めた思をそのままに生きてきた己がいた。
司は思った。
全てがもっと単純な人生ならよかったのに。
過去の苦しみや、傷あとがこれほど深くなければよかったのに。
何故、こんなにも自分の人生は歪んでしまったのか。
井坂の話の中にあった牧野つくしの両親が亡くなった事故。
牧野つくしの父親牧野浩が大日証券支店長の運転手をしていたという話し。
そしてその男の身元保証をした自分の父親。何故自分の父親が牧野浩の身元を保証するようなことをしたのか。金を貰ったあの父親は仕事の世話まで頼んだということか。
大日証券は道明寺HDの株式発行の幹事を務めている。
道明寺も同族経営とはいえ、株式を公開していた。企業が発展していくためには資本市場から資金の調達が不可欠だからだ。
株式会社が株式や社債を売り出す際、会社に代わり証券会社がその業務を引き受けるが、その中心になる証券会社を<幹事証券>と呼ぶ。幹事証券は1社ではなく、複数あるときその代表を選ぶがその代表を<主幹事>という。
道明寺HDほどの大きな会社になれば、扱う金額も大きく、当然手数料収入は相当なものとなる。幹事を引き受けたい証券会社は多い。
道明寺HDの場合は大日証券が単独主幹事。他2社が副幹事を引き受けていた。
そんな繋がりを生かせば、幹事会社の小さな支店の運転手にと、ひとりやふたり雇えと押し付けることは簡単だ。恐らくそんなことからあいつの父親を派遣ドライバーとして採用させたということだろう。支店長付き運転手となればタクシーの乗務員より見栄えがいい。それに手に入れる給料も安定している。
いくら司の父親からほいほいと5千万を受け取ったとはいえ、そんなはした金などすぐになくなるはずだと分かっていたということだ。安定した生活を送る気があったとは、とても思えないが、それでも掴んだチャンスを利用しようと考えたのか。
真面目に働く気になったということか?
だがいくら考えても既に死んだ人間が考えていることなどわかるはずがない。
牧野の父親は、もう10年も前に亡くなり、存在しない人物だがその父親が亡くなった事故により類の邸に住む事になったことに繋がっていた。
そんな話しの内容から知ったことがある。司は莫迦ではない。
それは自分の父親があいつに危害を加えようとしたということだ。
井坂の報告にもあったが、牧野の父親が亡くなった事故の詳細は不明だ。
犯人は捕まらず、事故を起こした車も見当たらない。あのとき、井坂が言外に匂わせたが、あれは事故ではないかもしれないということだ。車はバラバラにされ今はその存在すらない。ならば犯人も恐らく聖体拝領となって魚たちと海の底を彷徨っているはずだ。キリストが自分の血と肉を信者に与える意味の聖体拝領。つまり事故を起こした人間は生贄としての魚の餌となったということだ。
***
司が、NYの父親の元を訪れたのは、それから2週間後。
父と子とはいえ、気持ちが通い合ったことがない親子が日頃から疎遠であることに変わりはない。類から父親が自分と牧野つくしと間にいたことを聞かされ確かめておきたいことがある。
自分の親でありながら、親ではない男。
親子と言えど直接電話をかけ話しをすることもなく、秘書を通じアポイントを取らなければ会うことはない二人の関係。前回会いに来たとき、コンソールテーブルに飾られていた中国清王朝時代に作られた花瓶を叩き割ったことがある。まさに感情がおもむくままの行動をとっていた。
司は父親の元を訪れたが50分近く待たされていた。
指定された時間に訪れたとしても、相手に30分以上も待たされる法はない。司を待たせることが出来る人間などいるはずもなく、そんなことが出来るのはこれから会う男だけだ。
父親のいる部屋へ入るなり、その男の目を睨みつけた。
広い部屋のなか、椅子に腰かけこちらを見る男は司の顔を見ても笑顔は一切ない。
ソファに腰かけろと言われたとしてもそのつもりはない。立ったままで結構だ。司は自分と同じ酷薄な顔に浮かぶ表情を読もうとした。
「珍しいな。呼びもしないのにおまえの方からわたしに会いたいとは、いったいどういう風の吹き回しだ?」
「風がどこから吹こうがそんなことは問題じゃない。俺はあんたに聞きたいことがあって来た」
「本社機能をNYから東京に移す話しなら終わったはずだ。それにわたしは忙しい。用があるならさっさと済ませてくれ」
「忙しいのはあんただけじゃない。俺だってわざわざこの街まであんたの顔を見たくて来たわけじゃない」
「そうか。それならさっさと用件を言って欲しいものだな。その方がお互い時間を無駄にすることはない」
面会は1時間の約束だが、既に50分は経過している。だが司は残り10分で充分だと感じていた。必要以上話をすれば、気分が悪くなるだけだ。言いたいこと、確かめたいことだけを言えばそれで充分だ。
「あんた、牧野つくしに何をした?」
司は単刀直入に言った。
「何のことかね?」
「10年前、牧野つくしに何をした?あんたあいつの家族に5千万渡して追い払ったんだろ?」
「司。おまえは何が言いたいんだ?」
否定も肯定もしない父親に司はゆっくりと近づいた。
「先日花沢物産の専務が訪ねて来た」
「そうか。花沢が文句でも言ってきたか?あそこが系列化を目論んでいた会社はうちの物になったからな。あの仕事はなかなか鮮やかだったぞ。子飼いの議員を使ったのも良かったのかもしれないな」
司もだが父親も目的のためには手段を選ばないような非情と凄みがある人間だと言われている。会社を大きくすることに固執してきた男は息子にもそれを求めた。
利益が上がれば上がるほど、気分が高揚するような男。それと共に権力もその手に握るようになり、世の中を面白いように動かすことが出来るようになっていった。
「類が訪ねてきたのはそんなことのためじゃない。どうして牧野つくしが自分の所で暮らしていたかを話すために来た」
「そうか。それが何か?そんなことは私には関係ない話しだ」
父親は言い捨てた。
司は気色ばんだ。
「そうですか。あなたには関係ない話しでしたか。でも類はそうは言ってなかったんですがね?あいつが言うには、あんたから守るために自分の邸で暮らしていたと言ったんですよ」
「花沢の専務がそんなことを?それは何かの思い違いじゃないか?どうして私から守る必要がある?」
父親はおかしそうに唇を歪めた。
「それをあんたに聞きたいと思ってね?」
司は父親を睨み返し反論した。
「それから牧野浩のことも聞かせてくれ」
「牧野・・ひろし・・。・・さて。そんな男がいたか?どこかの潰れそうな中小企業の経営者か?」
「言ってくれるじゃねぇか。どっかの潰れそうな会社の経営者だったとしたらとっくの昔に潰してんだろ?」
司の言葉に皮肉はない。
自分の父親なら絶対そうするだろうという事実だけを淡々と言った。
「いいかね、司。おまえは何故そんなに牧野つくしに固執する?女など他にいくらでもいる。おまえに抱かれたいと思う女など掃いて捨てるほどいる。どんな女もおまえの思うままになる。それなのになぜあんな女がいい?」
「固執してはいけませんか?あいつは俺が初めて好きになった女だ。あの女以外好きになった女はいない。初めて会った時からあいつが好きだ。あんたには分かんねぇかもしれねぇな。人を本気で愛したことがない男には」
息子の恋を打ち砕き、自分の操り人形にすることが父親の望みなら、まさに今までの司はそうだったはずだ。
「司。低次元の話をしないでくれ。女の話をするためにわざわざNYまで来るとは、情けない男だな。いいか。おまえは道明寺家の跡取りだ。おまえの運命は生まれたときに決められている。おまえは非凡な人間だ。自分の立場をわきまえろ」
自分の息子が愛する人を低次元だという父親。
言外の意味を正確に汲み取った。
どんな状況だろうと牧野つくしの話などしたくない。認めないという態度がそこにある。
「あんたが牧野に対しそれほど神経を使うとは思いもしませんでしたよ。何がそんなに気に入らないんですか?」
「道明寺家に相応しい女じゃない。それだけ言えばわかるはずだ。司。おまえに与えられた時間はもう終わったはずだ」
司に与えられた1時間は終わった。それが例え10分しか会っていなくても彼の時間は終わったという父親。司は目の前にいる男の表情を見つめ、そこに感情の欠片を探したが、はやり自分の父親だ。そこにはただ酷薄な口があるだけで、他に何も見つけることはできなかった。
司自身吠える必要がない人間だ。
今まで何か必要とすることがあれば、すべて周りの人間に指示するだけで済んだ。
だが、自分の父親のこととなると、他人の手に任せるわけにはいかない。
「・・井坂、おまえはどう思う?」
今回のNYへの旅は井坂も同行していた。
井坂は頭がよく、勘の鋭い男だ。司のつくしに対する思いを汲み取っていた。
なぜ司が牧野浩の調査をするように言ってきたかも知っていた。
父親に会うことによって司は肝が据わった。
会ってよかったのかもしれない。空港に向かうリムジンの中でそう思った。
はっきりとしたことがある。あの男は過去、牧野つくしを消そうとしたはずだ。そして今もまたそう考えていると確信した。山荘近くでの銃の発砲も間違いなく父親の仕業だ。
今では父親の中に自分に似たものを見出しているが、あの男の目の中に自分自身の姿が見えることがある。同じ目をした男は冷やかな目をし、幼い司を見ていたことがある。感情が高ぶる姿を目にしたことはなく、狩に出たときも、いつも冷静さを保っていたはずだ。それは今後、何があっても変わることはないはずだ。
「お父様は第一線から退いていますが、権力をお持ちです。あの方の怖さは誰もが知っています」
井坂の言葉に司は巧に表情を隠したままだ。
いつものことだがビジネス上の取引話のような対応で、感情を表すことがない。だが一瞬、切れ長の瞳を伏せ、考える顔になると指の間でくすぶる煙草の灰を灰皿へ落とし、言った。
「俺が他人の思惑に左右されると思うか?」
「・・いえ」
井坂は少し間を置いて言った。
父親を他人という男。
常に感情に流されることなく冷静な男を間近に見ていた。
確かに他人の思惑などどうでもよく、自分が恐れられることを気にしているとは思えない。
感情を感じさせない冷たい仮面のようにいつも表情が変わることなく過ごす男が自分の上司であるとわかっていても、実の父親相手に何をするつもりなのか。
黒い眼にほんの一瞬過るのはいったいなんなのか。
司は斬り込むようにすぐさま用件に入った。
「牧野浩のことをもっと詳しく調べろ」

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いつもお立ち寄り下さりありがとうございます。
年度末のため、実生活多忙となってまいりました。
更新は不定期となることもありますが、よろしくお願いします。
くっきりとした顔立ちは冷たさだけが感じられ、指一本どころか目線すら動かさずに感情を表現できる男は、いつもに増して誰も近づけることがないような空気がある。
17歳あの日以来ニヒルスティックな笑いを浮かべることがあったとしても、心から笑ったことがない。その顔に陰影を刻むとすれば、心の奥にあるひとりの女性に対しての感情が湧き上がる瞬間だろう。
融資を頼むと言ってきた会社がある。
銀行からの融資を断られ金の算段をしたが、にっちもさっちも行かなくなり、司のところに泣きついていた。貸してもどうせ返せるはずもないと分かっている。
そうなれば、計画的に欲しいと思った会社でなくとも、結果的に倒産に追い込む。
つなぎ資金を融資し、債務保証をし、株を取得する。
買い叩き、事業収益率の高い事業だけを手元に置き、あとはバラバラにして売り払う。結果、融資した金額より大きな利益を手に入れることになる。いつもと同じビジネスのやり方。
司の元に残るのは金。そして自分に向けられる恨みと憎しみ。若くして冷酷非情な多国籍企業の総帥と言われるまでになった男は父親によく似ているとも言われていた。
どんな大きな企業でも世襲といったものがある。
世の中には箸にも棒にも掛からない二代目、三代目の話は掃いて捨てるほどある。
融資を頼むと言って来た会社もそんな三代目が経営する企業のひとつ。
実際司の周りにもそういったドラ息子もいる。女に現を抜かすか、毎日ゴルフ三昧かといった輩だ。下手に仕事をやらせてしくじるくらいなら、遊ばせておいた方がマシというやつだ。
司もあの頃、道明寺の家など潰れてしまっても構わないと思っていた。
牧野つくしの為なら、家など捨ててやるとさえ言った。
金も権力もどうでもよかったあの頃。
自分と一緒に生きてくれる人がいれば、それでいいと思っていた。
だがあのとき、結果的にあいつは金を選んだ。そしてそのことをはっきりと口にした。
しかし類が言った牧野があのとき選ばなければいけなかったのは仕方がない人生の選択。家族のための選択。それは真実であることに変わりはない。そしてそうせざるを得なかったということも。その結果、心がすれ違ってしまった。
だが類の言った通り、当時高校生だった女に何が出来る?
類に言われなくとも人間にはどうしようもなく避けられないことがあるってことも、追い込まれれば、どうしようもないことがあるってこともわかっている。あのとき選ばなければならなかった仕方のない人生も今なら理解できる。
どちらにしろ、あれから俺は変わった。金が好きだといった女に見せつけるように金を稼いでいた。事実、世の中金があれば何でも出来る。この世の中、金を持っている者が勝ちだ。
人の身体も、魂も、良心さえも全てを手に入れることが出来た。
――本当に欲しかった女の心以外は。
あのとき、16歳だった少女は人を疑わず信頼する少女。
ただ頼る人間はおらず、全てを自分で決めなければならなかった少女。
貧しい家庭の尻ぬぐいをし、困難に直面すればそれを乗り越えてきた。
そんな少女は今も変わっていないのかもしれない。
司がそんな少女を苦しめ、心に大きな傷をつけたとしても、昔の少女はそのまま、自分を愛していると言った。
″道明寺・・愛してる・・″
あいつの言葉が頭の中を巡る。
あのとき、そんな言葉を耳にし、がむしゃらにあいつの中につき進んでいた。
荒々しい感情と、そして苦悶ともいえる表情が浮かんでいたに違いない。
司は現実を見たいと思った。事実を知りたいと思った。
過去の記憶に狂わされることなく知りたいことがある。
焼き付いた記憶を拭い去り、遠ざけ、類の放った自分の父親が関与したという言葉の意味を。
決して正気とは言えない自分がいるというのに、どこか醒めた自分がいたのは分かっていた。身体の中の一部が目覚めたような気がしていた。自分の気持ちや態度、物事の受け取り方に変化が生じて来たことは認めよう。あいつの言葉など、なんの影響もないと、17歳のあの日以来、二度と女の言葉に心を動かされることなどないと考えていた。だが、今の司は人間性の無いと言われたこの10年の自分とは違うと感じていた。
雪の降る夜。あいつを抱いたとき、互いが互いの一部になったような気持ちがした。
それは自分の心の中にある紛れもない事実としてある。
あいつだけが許された俺を呼ぶときのその名前。道明寺というこの名前に人生を狂わされたと言ってもいい名前だというのに、その名前で呼ばれて嬉しいと感じていた。
あいつが俺の傍にいることは正しいことだ、抱き合うことが真っ当な行為だ、それこそが二人が行き着く先だと疑う余地などないはずだ。
司は目を閉じ、その時の光景を瞼に宿した。
自分にとっての無垢な場所である牧野つくしの身体。
何度抱いてもその身体は自分にとっては無垢で穢れを知らない女の身体だ。
だが一度傷ついた互いの心をどうしたら癒していけるのか。
司はおもむろに正気に戻った。
パソコンの画面に点滅する数字の羅列は株価の変動を刻々と映し出していたが、目がいったのは壁に掛かったハデスとペルセフォネの絵。
司は静かに笑った。
17歳のあの日以来今まで笑ったことがない。
そうだ。自分を冷酷非情な男にしたのは牧野つくしだというのに、その女の言葉でまたこうして感情を取り戻すことが我ながら滑稽だ。世間に決して見せない本当の自分。何にも動じないと言われている男の心の奥底には、情熱の炎が赤々と燃えていることを知る人間はいない。17歳のあの頃でさえ、あいつはそこまで知らなかったはずだ。その感情が噴き出そうとした瞬間、蓋をし、秘めた思をそのままに生きてきた己がいた。
司は思った。
全てがもっと単純な人生ならよかったのに。
過去の苦しみや、傷あとがこれほど深くなければよかったのに。
何故、こんなにも自分の人生は歪んでしまったのか。
井坂の話の中にあった牧野つくしの両親が亡くなった事故。
牧野つくしの父親牧野浩が大日証券支店長の運転手をしていたという話し。
そしてその男の身元保証をした自分の父親。何故自分の父親が牧野浩の身元を保証するようなことをしたのか。金を貰ったあの父親は仕事の世話まで頼んだということか。
大日証券は道明寺HDの株式発行の幹事を務めている。
道明寺も同族経営とはいえ、株式を公開していた。企業が発展していくためには資本市場から資金の調達が不可欠だからだ。
株式会社が株式や社債を売り出す際、会社に代わり証券会社がその業務を引き受けるが、その中心になる証券会社を<幹事証券>と呼ぶ。幹事証券は1社ではなく、複数あるときその代表を選ぶがその代表を<主幹事>という。
道明寺HDほどの大きな会社になれば、扱う金額も大きく、当然手数料収入は相当なものとなる。幹事を引き受けたい証券会社は多い。
道明寺HDの場合は大日証券が単独主幹事。他2社が副幹事を引き受けていた。
そんな繋がりを生かせば、幹事会社の小さな支店の運転手にと、ひとりやふたり雇えと押し付けることは簡単だ。恐らくそんなことからあいつの父親を派遣ドライバーとして採用させたということだろう。支店長付き運転手となればタクシーの乗務員より見栄えがいい。それに手に入れる給料も安定している。
いくら司の父親からほいほいと5千万を受け取ったとはいえ、そんなはした金などすぐになくなるはずだと分かっていたということだ。安定した生活を送る気があったとは、とても思えないが、それでも掴んだチャンスを利用しようと考えたのか。
真面目に働く気になったということか?
だがいくら考えても既に死んだ人間が考えていることなどわかるはずがない。
牧野の父親は、もう10年も前に亡くなり、存在しない人物だがその父親が亡くなった事故により類の邸に住む事になったことに繋がっていた。
そんな話しの内容から知ったことがある。司は莫迦ではない。
それは自分の父親があいつに危害を加えようとしたということだ。
井坂の報告にもあったが、牧野の父親が亡くなった事故の詳細は不明だ。
犯人は捕まらず、事故を起こした車も見当たらない。あのとき、井坂が言外に匂わせたが、あれは事故ではないかもしれないということだ。車はバラバラにされ今はその存在すらない。ならば犯人も恐らく聖体拝領となって魚たちと海の底を彷徨っているはずだ。キリストが自分の血と肉を信者に与える意味の聖体拝領。つまり事故を起こした人間は生贄としての魚の餌となったということだ。
***
司が、NYの父親の元を訪れたのは、それから2週間後。
父と子とはいえ、気持ちが通い合ったことがない親子が日頃から疎遠であることに変わりはない。類から父親が自分と牧野つくしと間にいたことを聞かされ確かめておきたいことがある。
自分の親でありながら、親ではない男。
親子と言えど直接電話をかけ話しをすることもなく、秘書を通じアポイントを取らなければ会うことはない二人の関係。前回会いに来たとき、コンソールテーブルに飾られていた中国清王朝時代に作られた花瓶を叩き割ったことがある。まさに感情がおもむくままの行動をとっていた。
司は父親の元を訪れたが50分近く待たされていた。
指定された時間に訪れたとしても、相手に30分以上も待たされる法はない。司を待たせることが出来る人間などいるはずもなく、そんなことが出来るのはこれから会う男だけだ。
父親のいる部屋へ入るなり、その男の目を睨みつけた。
広い部屋のなか、椅子に腰かけこちらを見る男は司の顔を見ても笑顔は一切ない。
ソファに腰かけろと言われたとしてもそのつもりはない。立ったままで結構だ。司は自分と同じ酷薄な顔に浮かぶ表情を読もうとした。
「珍しいな。呼びもしないのにおまえの方からわたしに会いたいとは、いったいどういう風の吹き回しだ?」
「風がどこから吹こうがそんなことは問題じゃない。俺はあんたに聞きたいことがあって来た」
「本社機能をNYから東京に移す話しなら終わったはずだ。それにわたしは忙しい。用があるならさっさと済ませてくれ」
「忙しいのはあんただけじゃない。俺だってわざわざこの街まであんたの顔を見たくて来たわけじゃない」
「そうか。それならさっさと用件を言って欲しいものだな。その方がお互い時間を無駄にすることはない」
面会は1時間の約束だが、既に50分は経過している。だが司は残り10分で充分だと感じていた。必要以上話をすれば、気分が悪くなるだけだ。言いたいこと、確かめたいことだけを言えばそれで充分だ。
「あんた、牧野つくしに何をした?」
司は単刀直入に言った。
「何のことかね?」
「10年前、牧野つくしに何をした?あんたあいつの家族に5千万渡して追い払ったんだろ?」
「司。おまえは何が言いたいんだ?」
否定も肯定もしない父親に司はゆっくりと近づいた。
「先日花沢物産の専務が訪ねて来た」
「そうか。花沢が文句でも言ってきたか?あそこが系列化を目論んでいた会社はうちの物になったからな。あの仕事はなかなか鮮やかだったぞ。子飼いの議員を使ったのも良かったのかもしれないな」
司もだが父親も目的のためには手段を選ばないような非情と凄みがある人間だと言われている。会社を大きくすることに固執してきた男は息子にもそれを求めた。
利益が上がれば上がるほど、気分が高揚するような男。それと共に権力もその手に握るようになり、世の中を面白いように動かすことが出来るようになっていった。
「類が訪ねてきたのはそんなことのためじゃない。どうして牧野つくしが自分の所で暮らしていたかを話すために来た」
「そうか。それが何か?そんなことは私には関係ない話しだ」
父親は言い捨てた。
司は気色ばんだ。
「そうですか。あなたには関係ない話しでしたか。でも類はそうは言ってなかったんですがね?あいつが言うには、あんたから守るために自分の邸で暮らしていたと言ったんですよ」
「花沢の専務がそんなことを?それは何かの思い違いじゃないか?どうして私から守る必要がある?」
父親はおかしそうに唇を歪めた。
「それをあんたに聞きたいと思ってね?」
司は父親を睨み返し反論した。
「それから牧野浩のことも聞かせてくれ」
「牧野・・ひろし・・。・・さて。そんな男がいたか?どこかの潰れそうな中小企業の経営者か?」
「言ってくれるじゃねぇか。どっかの潰れそうな会社の経営者だったとしたらとっくの昔に潰してんだろ?」
司の言葉に皮肉はない。
自分の父親なら絶対そうするだろうという事実だけを淡々と言った。
「いいかね、司。おまえは何故そんなに牧野つくしに固執する?女など他にいくらでもいる。おまえに抱かれたいと思う女など掃いて捨てるほどいる。どんな女もおまえの思うままになる。それなのになぜあんな女がいい?」
「固執してはいけませんか?あいつは俺が初めて好きになった女だ。あの女以外好きになった女はいない。初めて会った時からあいつが好きだ。あんたには分かんねぇかもしれねぇな。人を本気で愛したことがない男には」
息子の恋を打ち砕き、自分の操り人形にすることが父親の望みなら、まさに今までの司はそうだったはずだ。
「司。低次元の話をしないでくれ。女の話をするためにわざわざNYまで来るとは、情けない男だな。いいか。おまえは道明寺家の跡取りだ。おまえの運命は生まれたときに決められている。おまえは非凡な人間だ。自分の立場をわきまえろ」
自分の息子が愛する人を低次元だという父親。
言外の意味を正確に汲み取った。
どんな状況だろうと牧野つくしの話などしたくない。認めないという態度がそこにある。
「あんたが牧野に対しそれほど神経を使うとは思いもしませんでしたよ。何がそんなに気に入らないんですか?」
「道明寺家に相応しい女じゃない。それだけ言えばわかるはずだ。司。おまえに与えられた時間はもう終わったはずだ」
司に与えられた1時間は終わった。それが例え10分しか会っていなくても彼の時間は終わったという父親。司は目の前にいる男の表情を見つめ、そこに感情の欠片を探したが、はやり自分の父親だ。そこにはただ酷薄な口があるだけで、他に何も見つけることはできなかった。
司自身吠える必要がない人間だ。
今まで何か必要とすることがあれば、すべて周りの人間に指示するだけで済んだ。
だが、自分の父親のこととなると、他人の手に任せるわけにはいかない。
「・・井坂、おまえはどう思う?」
今回のNYへの旅は井坂も同行していた。
井坂は頭がよく、勘の鋭い男だ。司のつくしに対する思いを汲み取っていた。
なぜ司が牧野浩の調査をするように言ってきたかも知っていた。
父親に会うことによって司は肝が据わった。
会ってよかったのかもしれない。空港に向かうリムジンの中でそう思った。
はっきりとしたことがある。あの男は過去、牧野つくしを消そうとしたはずだ。そして今もまたそう考えていると確信した。山荘近くでの銃の発砲も間違いなく父親の仕業だ。
今では父親の中に自分に似たものを見出しているが、あの男の目の中に自分自身の姿が見えることがある。同じ目をした男は冷やかな目をし、幼い司を見ていたことがある。感情が高ぶる姿を目にしたことはなく、狩に出たときも、いつも冷静さを保っていたはずだ。それは今後、何があっても変わることはないはずだ。
「お父様は第一線から退いていますが、権力をお持ちです。あの方の怖さは誰もが知っています」
井坂の言葉に司は巧に表情を隠したままだ。
いつものことだがビジネス上の取引話のような対応で、感情を表すことがない。だが一瞬、切れ長の瞳を伏せ、考える顔になると指の間でくすぶる煙草の灰を灰皿へ落とし、言った。
「俺が他人の思惑に左右されると思うか?」
「・・いえ」
井坂は少し間を置いて言った。
父親を他人という男。
常に感情に流されることなく冷静な男を間近に見ていた。
確かに他人の思惑などどうでもよく、自分が恐れられることを気にしているとは思えない。
感情を感じさせない冷たい仮面のようにいつも表情が変わることなく過ごす男が自分の上司であるとわかっていても、実の父親相手に何をするつもりなのか。
黒い眼にほんの一瞬過るのはいったいなんなのか。
司は斬り込むようにすぐさま用件に入った。
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年度末のため、実生活多忙となってまいりました。
更新は不定期となることもありますが、よろしくお願いします。
Comment:10
司とつくしの暮らしには、いつしか一定のパターンが出来上がっていた。
ふたりは早起きし、つくしが作った朝食を食べ、仕事へと出かけて行く。
出勤するときは、ひとりは迎えのリムジン。もうひとりは地下鉄・・と言い張っていたが、そんなことが許されるはずがない。つくしは司の妻だ。いくら会社で結婚していることは秘密だからと言っても、通勤を別々にするなんて許されるはずがない。
「絶対ダメだ!どこに別々に出勤する必要がある?俺とおまえは同じ会社に勤務してるってのに俺の車で出社することに何をそんなに躊躇う必要がある?」
どう考えても大ありだ。
広報課の牧野さんが支社長と一緒にリムジンで通勤していたらどう考えてもおかしい。黒い大きな車がビルの正面玄関に横付けされ、磨き抜かれたイタリア製の革靴を履いた男が颯爽と降り立つ。それに続いて降りて来た女は誰?なんて目で見られること間違いないからだ。そしていつも決まって口にするのはこの言葉。
「ほら。だってあたしは司とは違って、ただの社員だし・・」
「アホなこと言うな!おまえは俺の妻だろ?地下鉄に乗って通勤なんて考える方がおかしいだろうが!それに俺はおまえが心配だ。いいか?物事は1分であらゆることが起こり得る。おまえも経験したんだからわかるよな?例え短い時間でも問題が起きる時は起きる。俺はおまえが傷つくのは見たくない」
例え警護を付けていたとしても、起こるときは起こるものだ。
以前ライバル会社の男に襲われそうになったのは、ほんの短い時間だ。
司は妻に甘い夫であると同時に心配性になっていた。
司はつくしの髪に触れ、真剣な表情で言った。
「いいか?俺は心配してるんだぞ!世の中には気づかないうちに事件に巻き込まれてるってこともある。・・ちくしょう。だいたいなんで俺とおまえの結婚を社内で公にしたらダメなんだ?」
司は息を吸って苛立ちを呑み込んだ。
これ以上、言ってもどうにもならない。とはいえ、どうしても妻のこととなると取り乱してしまう。
二人の結婚はスキャンダルでも何でもないというのに秘密にしろという妻。
自分の妻が同じ社内で働いていて何が悪い?それを社員に知らしめて何が悪いと言っても、仕事がやりにくいと言うばかり。仕事をするのが好きだという妻と母親の意見もあり、道明寺で働き始めた妻だが、司の心配をよそに、新しい職場でもバリバリと仕事をこなしていた。
結婚した相手が、財閥の御曹司であっても全く関係ないといった態度で仕事をこなす妻。
それは別に司は気にしていない。相手を地位や名誉で見ていないことは知っていた。
だが、パソコンを睨み、眉間に皺がより、ぶつぶつ呟く女。
おまえは俺と結婚した自覚はあんのか?思わずそう言いたくなるほど仕事熱心な妻がいた。
***
「支社長、コーヒーのお代わりをお持ちしました」
紺野はデスクの上にコーヒーを置いた。
「おい、紺野」
「はい、支社長」
「あいつは、前の会社にいた時もああだったのか?」
司は自分と出会う前のつくしの仕事ぶりについて知りたいと紺野に聞いた。
察することは出来るが、それでもいつも一緒に仕事をこなしてきた男なら知っているはずだ。
「まきの・・いえ。奥様でいらっしゃいますか?」
「そうだ」
司がコーヒーに口をつけることなく質問すると、紺野は真面目な顔で話し始めた。
「はい。仕事について、それはもう熱心でいらっしゃいました。ですから営業成績もよかったですし、クライアント様からの信頼も厚く、奥様に仕事を任せておけば、責任を持って間違いなく終らせてくれると言われていました。何しろクライアント様第一主義でしたから」
司もそれは十分承知していた。自分とつくしの始まりもまさにそれだったのだから。
だが仕事に熱心なあまり、自分のことが蔑ろにされているのではないかと感じていた。
いや。そんなことはないと分かっていても、惚れた弱みというのか、互いの気持ちが50:50でない場合、思いが強い方が何某か心配になるものだ。
紺野はかすかに眉をひそめ、思案顔になっていた。
話すか話さないか迷っているようだが、思い切って口を開いた。
「・・あの、支社長。今さらですが、牧野、いえ奥様は一度取り組んだことは、最後までやり抜く真面目な方です。こうして新しい仕事につかれた今、仕事を覚えることもですが、周りの皆さんに迷惑を掛けまいと頑張っているんだと思います。奥様は人に迷惑をかけることを嫌がる方です。ですから、人一倍努力の方でもあるんです」
紺野は、支社長の妻となった元上司について、ぺらぺらと喋っていいものか迷った。
だが、自分が仕えている支社長は元上司の夫でもあり、尊敬できる人物だ。
紺野にとっては、司もつくしもどちらも尊敬できる存在であることに変わりはない。
迷ったが話しを継いだ。
「今はまだ入社して間がなく、色々と覚えることも多いです。そんなとき、支社長の奥様だなんてことが知られたら、周りの人間は遠慮します。恐らく教えるなんてことは出来なくなるはずです。それに聞いてもそんなことはしなくてもいいと言われると思います。でも、それじゃあ奥様は嫌だと思います。自分に遠慮なんかせず対等に扱って欲しいと思われるはずです。それに奥様は何事も一度吸収すれば、そこから先は上手にこなしていくはずです。何しろまきの・・いえ、奥様は優秀ですから。僕もいい勉強をさせてもらいました」
司も紺野が言いたいことはよくわかっている。
仕事の定評というものは、一日やそこらでは貰えない。
何年もかけて実績と信頼を勝ち取ってこそ、定評といったものを作り上げるからだ。
今、彼の妻はその礎を自ら築く努力をしているということだ。
有能で知性があると言われる女性も努力なくしてはないということだ。司の母親である楓は、つくしのそんなところを見抜いたのだろう。だからこそ、司の伴侶として相応しいと思ったはずだ。何しろ社会の第一線で働く女だ。恐らく自分と似た何かをつくしの中に見たのだろう。
広報の仕事のひとつは会社のイメージアップだ。
そうなると、当然支社長のバックアップをすることにもなる。
夫のサポートは妻として当然なのだが、会社で支社長のサポートをなると、また勝手が違う。
司は会社で自分をサポートしてくれるつくしの姿が見たいと思っていた。

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ふたりは早起きし、つくしが作った朝食を食べ、仕事へと出かけて行く。
出勤するときは、ひとりは迎えのリムジン。もうひとりは地下鉄・・と言い張っていたが、そんなことが許されるはずがない。つくしは司の妻だ。いくら会社で結婚していることは秘密だからと言っても、通勤を別々にするなんて許されるはずがない。
「絶対ダメだ!どこに別々に出勤する必要がある?俺とおまえは同じ会社に勤務してるってのに俺の車で出社することに何をそんなに躊躇う必要がある?」
どう考えても大ありだ。
広報課の牧野さんが支社長と一緒にリムジンで通勤していたらどう考えてもおかしい。黒い大きな車がビルの正面玄関に横付けされ、磨き抜かれたイタリア製の革靴を履いた男が颯爽と降り立つ。それに続いて降りて来た女は誰?なんて目で見られること間違いないからだ。そしていつも決まって口にするのはこの言葉。
「ほら。だってあたしは司とは違って、ただの社員だし・・」
「アホなこと言うな!おまえは俺の妻だろ?地下鉄に乗って通勤なんて考える方がおかしいだろうが!それに俺はおまえが心配だ。いいか?物事は1分であらゆることが起こり得る。おまえも経験したんだからわかるよな?例え短い時間でも問題が起きる時は起きる。俺はおまえが傷つくのは見たくない」
例え警護を付けていたとしても、起こるときは起こるものだ。
以前ライバル会社の男に襲われそうになったのは、ほんの短い時間だ。
司は妻に甘い夫であると同時に心配性になっていた。
司はつくしの髪に触れ、真剣な表情で言った。
「いいか?俺は心配してるんだぞ!世の中には気づかないうちに事件に巻き込まれてるってこともある。・・ちくしょう。だいたいなんで俺とおまえの結婚を社内で公にしたらダメなんだ?」
司は息を吸って苛立ちを呑み込んだ。
これ以上、言ってもどうにもならない。とはいえ、どうしても妻のこととなると取り乱してしまう。
二人の結婚はスキャンダルでも何でもないというのに秘密にしろという妻。
自分の妻が同じ社内で働いていて何が悪い?それを社員に知らしめて何が悪いと言っても、仕事がやりにくいと言うばかり。仕事をするのが好きだという妻と母親の意見もあり、道明寺で働き始めた妻だが、司の心配をよそに、新しい職場でもバリバリと仕事をこなしていた。
結婚した相手が、財閥の御曹司であっても全く関係ないといった態度で仕事をこなす妻。
それは別に司は気にしていない。相手を地位や名誉で見ていないことは知っていた。
だが、パソコンを睨み、眉間に皺がより、ぶつぶつ呟く女。
おまえは俺と結婚した自覚はあんのか?思わずそう言いたくなるほど仕事熱心な妻がいた。
***
「支社長、コーヒーのお代わりをお持ちしました」
紺野はデスクの上にコーヒーを置いた。
「おい、紺野」
「はい、支社長」
「あいつは、前の会社にいた時もああだったのか?」
司は自分と出会う前のつくしの仕事ぶりについて知りたいと紺野に聞いた。
察することは出来るが、それでもいつも一緒に仕事をこなしてきた男なら知っているはずだ。
「まきの・・いえ。奥様でいらっしゃいますか?」
「そうだ」
司がコーヒーに口をつけることなく質問すると、紺野は真面目な顔で話し始めた。
「はい。仕事について、それはもう熱心でいらっしゃいました。ですから営業成績もよかったですし、クライアント様からの信頼も厚く、奥様に仕事を任せておけば、責任を持って間違いなく終らせてくれると言われていました。何しろクライアント様第一主義でしたから」
司もそれは十分承知していた。自分とつくしの始まりもまさにそれだったのだから。
だが仕事に熱心なあまり、自分のことが蔑ろにされているのではないかと感じていた。
いや。そんなことはないと分かっていても、惚れた弱みというのか、互いの気持ちが50:50でない場合、思いが強い方が何某か心配になるものだ。
紺野はかすかに眉をひそめ、思案顔になっていた。
話すか話さないか迷っているようだが、思い切って口を開いた。
「・・あの、支社長。今さらですが、牧野、いえ奥様は一度取り組んだことは、最後までやり抜く真面目な方です。こうして新しい仕事につかれた今、仕事を覚えることもですが、周りの皆さんに迷惑を掛けまいと頑張っているんだと思います。奥様は人に迷惑をかけることを嫌がる方です。ですから、人一倍努力の方でもあるんです」
紺野は、支社長の妻となった元上司について、ぺらぺらと喋っていいものか迷った。
だが、自分が仕えている支社長は元上司の夫でもあり、尊敬できる人物だ。
紺野にとっては、司もつくしもどちらも尊敬できる存在であることに変わりはない。
迷ったが話しを継いだ。
「今はまだ入社して間がなく、色々と覚えることも多いです。そんなとき、支社長の奥様だなんてことが知られたら、周りの人間は遠慮します。恐らく教えるなんてことは出来なくなるはずです。それに聞いてもそんなことはしなくてもいいと言われると思います。でも、それじゃあ奥様は嫌だと思います。自分に遠慮なんかせず対等に扱って欲しいと思われるはずです。それに奥様は何事も一度吸収すれば、そこから先は上手にこなしていくはずです。何しろまきの・・いえ、奥様は優秀ですから。僕もいい勉強をさせてもらいました」
司も紺野が言いたいことはよくわかっている。
仕事の定評というものは、一日やそこらでは貰えない。
何年もかけて実績と信頼を勝ち取ってこそ、定評といったものを作り上げるからだ。
今、彼の妻はその礎を自ら築く努力をしているということだ。
有能で知性があると言われる女性も努力なくしてはないということだ。司の母親である楓は、つくしのそんなところを見抜いたのだろう。だからこそ、司の伴侶として相応しいと思ったはずだ。何しろ社会の第一線で働く女だ。恐らく自分と似た何かをつくしの中に見たのだろう。
広報の仕事のひとつは会社のイメージアップだ。
そうなると、当然支社長のバックアップをすることにもなる。
夫のサポートは妻として当然なのだが、会社で支社長のサポートをなると、また勝手が違う。
司は会社で自分をサポートしてくれるつくしの姿が見たいと思っていた。

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Comment:4
意外性に乏しいと思われていたつくしの人生。
平凡な家庭に生まれ、平凡な人生を歩んでいた。
それが突然変わることになった。
滋の楽しみね?の言葉と共に始まった新しい職場。
つくしは結婚を機に司によって買収された博創堂から転籍し、道明寺HD日本支社で働くことになった。部署は今まで広告代理店にいた経験を生かし広報課と決まった。
広報とは、社会と自社をつなぐ役割を担っており、企業イメージを作る仕事でコミュニケーション能力が必須だ。つくしは広告代理店で仕事をしていたこともあり、その点は問題ない。何しろ営業は、クライアントとの細かい折衝を必要としていたこともあり、コミュニケーション能力はあるつもりだ。
夫婦となって近くにいることになった二人。
だからこそ職業倫理はしっかりと持ちたいと思っていた。
どんな職業にもある倫理観。それは人によって捉え方が違うかもしれないが、二人が一緒に働くにあたってつくしが挙げた条件がある。職場に私生活を持ち込まない。ただそれだけで、他に何かあるかと言われても思いつかなかった。
つくしは旧姓の牧野として働くことを希望した。
理由は言わずもがな。社内での無用な気遣いを避けることが目的だ。
道明寺つくしなどと名乗れば、仕事がやりづらいことこの上ない。
そんなことから二人が夫婦であることを知るのは、社内でも限られた人間だけだ。
社内ですれ違えば無言の言葉のやり取りと言ったものを交わすことがある。
司お得意の片眉を上げる仕草で何かを問いかける。するとつくしは眉間に皺を寄せた。
二人の交わす秘密めいたやり取りとも言える表情。
それで会話になっているのかと、夫婦のそんな仕草に笑う人物がいる。司の傍にいるのは秘書の西田。そしてつくしと同じ博創堂から転籍してきた紺野がいた。
司の秘書は数名の男性がいる。
その中のひとりに空きが出たことにより、紺野がその席に収まっていた。
まだ若いが仕事は率なくこなし、つくしの部下であったこともあり、人間性はよくわかっていた。西田もそんな紺野のことを気に入っていた。つくしも、気心の知れた紺野がいることは、心強いところもあるかもしれない。司はいい人選だと思っていた。
本当なら司は秘書として妻となったつくしを傍に置きたい気持ちがあった。だが司は元々女の秘書は嫌いだと宣言している手前、つくしを秘書として傍に置くことは出来なかった。
「西田室長。支社長と奥様、またやってますね?」
「無言の会話ですね?」
「でも、支社長と奥様ってお互い何を言いたいのか理解出来てるんでしょうか?」
「想像力が欠如していなれば、奥様が何を言いたいのかわかることでしょう。何しろ、紺野くんもご存知のとおり、奥様はお考えが顔に現れ易いですから」
ふたりは幸せな結婚生活を送る夫婦だが、社内ではあくまでも他人のふり。
だがそれが司には耐えられないこともある。
これじゃあなんの為に同じ会社になったのか意味がわかんねぇ。
司はむっつりとした顔を決め込むと、誰も近寄るなと相手を睨みつけることもあった。
そんな男は露骨につくしに纏わりつくようになっていた。
だが司が広報室へ自ら足を運ぶ理由を探す方が難しい。と、なるとつくしを呼び出すしかないのが実情だ。
「奥様。西田です。恐れ入りますが支社長がお呼びです」
「すぐうかがいます」
つくしは周りにひと言言って部屋を出た。
広報課は、外部に自社の情報を発信するということもあり、秘書課と一緒に仕事をすることもある。そして呼び出されることも多かった。
広報室のあるフロアから、支社長室のある最上階でエレベーターを降りると、秘書の西田が待ち受けていた。メタルフレームの奥に見える目の表情が変わることはない。
まるでロボットではないかと思えるほど、いつも冷静な男西田。その西田がいつもに増して無表情につくしを見た。
「奥様、支社長はご機嫌斜めのようです」
「はぁ。そうですか・・」
つくしは秘書の西田には全幅の信頼を置いていた。
その西田のいたく真剣な顔にもしかすると、仕事でのミスがあったのかもしれないと考えて始めていた。
トントン
西田がノックした。
「支社長。奥様がお見えになりました」
西田が一礼をし、後ろへ下がると、つくしは一歩前へ出た。
背広を脱いだ男は、鋭い目で一瞬つくしを見た。
いつもなら呼び出されても、自分の顔を見れば破顔するはずの夫の鋭い視線。
こめかみに浮かんだ静脈がただ事ではないと伝えていた。そんな夫は大柄な身体を革張りの椅子にゆったりとあずけ、不満そうにつくしを見た。
「これはどういうことだ?」
「こ、これって・・?」
いつもなら優しいバリトンが冷たく地を這うように響く。
それに厳しい口調だ。
「これだよ?どういうつもりだ?」
支社長室に流れる冷たく緊迫した空気。
司は表情が失せ、視線も冷たい。
つくしは益々自分がなにか仕出かしたと思った。
もしかすると先日のプレスリリースに書かれていた文言に気に障ることがあったのだろうか。それとも・・
「・・・なんで俺の嫌いなモンが弁当に入ってるんだよ!」
いつも外食が多い夫が今日はつくしの弁当が食べたいと言った。
そんな夫のため、考えた弁当の中に嫌いなものが入っている。
ただそれだけのことで呼び出されたつくしはカチンと来た。
「もう!!いちいちそんなことで呼び出すのは止めてよね?」
「なんで止めなきゃなんねぇんだよ!俺は夫だろうが!」
「お、夫とか夫じゃないとかって言う問題じゃないでしょう?あたしたち社内では立場が違うでしょ?つ、司は支社長であたしはただの社員の牧野。だからただの社員の牧野がどうして支社長室に呼ばれるのよ?それっておかしいわよ!そ、それに・・」
つくしは、これ以上言っても仕方がない論議だと諦めた。
なぜなら、こんなことをいくら言っても夫は無視するからだ。
司はにやつくと、席を立ち、つくしの傍で立ち止まった。
「それになんだよ?別にいいじゃねぇか。俺とおまえは結婚したんだ。夫婦だろ?」
司は笑い、つくしを引き寄せた。
「だ、だからってお弁当に嫌いなものが入ってるからっていちいち呼び出さないでよね?」
司の声が甘い音色に変わった途端、むきになって反論したことがバカバカしく思えた。
ここまで来るとパターンが見えていた。
「・・ンなこと言ったら俺の食えるモンがねぇだろう?だからおまえを喰わせてくれ」
恐らく目的はそれ。
弁当がどうのこうのはこじつけ。
単に妻と一緒にいたいだけ。
やっぱりこうなるんだと諦めた。
「人生は生きていれば多少の逸脱くれぇあるだろ?なんでも決められた通りってわけにはいかないってこともあるってことだ」
ここでは二人で交わす無言のやりとりはない。
だがいいだろ?と言った意味なのか、片眉を上げることはいつものこと。
滋の言った『楽しみね?』の意味。
実は夫は我儘坊っちゃんだと言いたかったのだと、つくしは今さらながら気づかされた。

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平凡な家庭に生まれ、平凡な人生を歩んでいた。
それが突然変わることになった。
滋の楽しみね?の言葉と共に始まった新しい職場。
つくしは結婚を機に司によって買収された博創堂から転籍し、道明寺HD日本支社で働くことになった。部署は今まで広告代理店にいた経験を生かし広報課と決まった。
広報とは、社会と自社をつなぐ役割を担っており、企業イメージを作る仕事でコミュニケーション能力が必須だ。つくしは広告代理店で仕事をしていたこともあり、その点は問題ない。何しろ営業は、クライアントとの細かい折衝を必要としていたこともあり、コミュニケーション能力はあるつもりだ。
夫婦となって近くにいることになった二人。
だからこそ職業倫理はしっかりと持ちたいと思っていた。
どんな職業にもある倫理観。それは人によって捉え方が違うかもしれないが、二人が一緒に働くにあたってつくしが挙げた条件がある。職場に私生活を持ち込まない。ただそれだけで、他に何かあるかと言われても思いつかなかった。
つくしは旧姓の牧野として働くことを希望した。
理由は言わずもがな。社内での無用な気遣いを避けることが目的だ。
道明寺つくしなどと名乗れば、仕事がやりづらいことこの上ない。
そんなことから二人が夫婦であることを知るのは、社内でも限られた人間だけだ。
社内ですれ違えば無言の言葉のやり取りと言ったものを交わすことがある。
司お得意の片眉を上げる仕草で何かを問いかける。するとつくしは眉間に皺を寄せた。
二人の交わす秘密めいたやり取りとも言える表情。
それで会話になっているのかと、夫婦のそんな仕草に笑う人物がいる。司の傍にいるのは秘書の西田。そしてつくしと同じ博創堂から転籍してきた紺野がいた。
司の秘書は数名の男性がいる。
その中のひとりに空きが出たことにより、紺野がその席に収まっていた。
まだ若いが仕事は率なくこなし、つくしの部下であったこともあり、人間性はよくわかっていた。西田もそんな紺野のことを気に入っていた。つくしも、気心の知れた紺野がいることは、心強いところもあるかもしれない。司はいい人選だと思っていた。
本当なら司は秘書として妻となったつくしを傍に置きたい気持ちがあった。だが司は元々女の秘書は嫌いだと宣言している手前、つくしを秘書として傍に置くことは出来なかった。
「西田室長。支社長と奥様、またやってますね?」
「無言の会話ですね?」
「でも、支社長と奥様ってお互い何を言いたいのか理解出来てるんでしょうか?」
「想像力が欠如していなれば、奥様が何を言いたいのかわかることでしょう。何しろ、紺野くんもご存知のとおり、奥様はお考えが顔に現れ易いですから」
ふたりは幸せな結婚生活を送る夫婦だが、社内ではあくまでも他人のふり。
だがそれが司には耐えられないこともある。
これじゃあなんの為に同じ会社になったのか意味がわかんねぇ。
司はむっつりとした顔を決め込むと、誰も近寄るなと相手を睨みつけることもあった。
そんな男は露骨につくしに纏わりつくようになっていた。
だが司が広報室へ自ら足を運ぶ理由を探す方が難しい。と、なるとつくしを呼び出すしかないのが実情だ。
「奥様。西田です。恐れ入りますが支社長がお呼びです」
「すぐうかがいます」
つくしは周りにひと言言って部屋を出た。
広報課は、外部に自社の情報を発信するということもあり、秘書課と一緒に仕事をすることもある。そして呼び出されることも多かった。
広報室のあるフロアから、支社長室のある最上階でエレベーターを降りると、秘書の西田が待ち受けていた。メタルフレームの奥に見える目の表情が変わることはない。
まるでロボットではないかと思えるほど、いつも冷静な男西田。その西田がいつもに増して無表情につくしを見た。
「奥様、支社長はご機嫌斜めのようです」
「はぁ。そうですか・・」
つくしは秘書の西田には全幅の信頼を置いていた。
その西田のいたく真剣な顔にもしかすると、仕事でのミスがあったのかもしれないと考えて始めていた。
トントン
西田がノックした。
「支社長。奥様がお見えになりました」
西田が一礼をし、後ろへ下がると、つくしは一歩前へ出た。
背広を脱いだ男は、鋭い目で一瞬つくしを見た。
いつもなら呼び出されても、自分の顔を見れば破顔するはずの夫の鋭い視線。
こめかみに浮かんだ静脈がただ事ではないと伝えていた。そんな夫は大柄な身体を革張りの椅子にゆったりとあずけ、不満そうにつくしを見た。
「これはどういうことだ?」
「こ、これって・・?」
いつもなら優しいバリトンが冷たく地を這うように響く。
それに厳しい口調だ。
「これだよ?どういうつもりだ?」
支社長室に流れる冷たく緊迫した空気。
司は表情が失せ、視線も冷たい。
つくしは益々自分がなにか仕出かしたと思った。
もしかすると先日のプレスリリースに書かれていた文言に気に障ることがあったのだろうか。それとも・・
「・・・なんで俺の嫌いなモンが弁当に入ってるんだよ!」
いつも外食が多い夫が今日はつくしの弁当が食べたいと言った。
そんな夫のため、考えた弁当の中に嫌いなものが入っている。
ただそれだけのことで呼び出されたつくしはカチンと来た。
「もう!!いちいちそんなことで呼び出すのは止めてよね?」
「なんで止めなきゃなんねぇんだよ!俺は夫だろうが!」
「お、夫とか夫じゃないとかって言う問題じゃないでしょう?あたしたち社内では立場が違うでしょ?つ、司は支社長であたしはただの社員の牧野。だからただの社員の牧野がどうして支社長室に呼ばれるのよ?それっておかしいわよ!そ、それに・・」
つくしは、これ以上言っても仕方がない論議だと諦めた。
なぜなら、こんなことをいくら言っても夫は無視するからだ。
司はにやつくと、席を立ち、つくしの傍で立ち止まった。
「それになんだよ?別にいいじゃねぇか。俺とおまえは結婚したんだ。夫婦だろ?」
司は笑い、つくしを引き寄せた。
「だ、だからってお弁当に嫌いなものが入ってるからっていちいち呼び出さないでよね?」
司の声が甘い音色に変わった途端、むきになって反論したことがバカバカしく思えた。
ここまで来るとパターンが見えていた。
「・・ンなこと言ったら俺の食えるモンがねぇだろう?だからおまえを喰わせてくれ」
恐らく目的はそれ。
弁当がどうのこうのはこじつけ。
単に妻と一緒にいたいだけ。
やっぱりこうなるんだと諦めた。
「人生は生きていれば多少の逸脱くれぇあるだろ?なんでも決められた通りってわけにはいかないってこともあるってことだ」
ここでは二人で交わす無言のやりとりはない。
だがいいだろ?と言った意味なのか、片眉を上げることはいつものこと。
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春の香りとでもいうのだろうか。
空気が少しだけ柔らかく感じられるようになった。
いつものテーブルに座っていると隣に男性が座るのがわかった。
香りがしたからだ。少しスパイシーで温かみのある香りが。
その香りは人によってはセクシーだというかもしれない。
直接顔を上げ見ることはしない。
それがマナーであることは当然だが、もし目があったら困るからだ。
だが、一度だけそっと見たことがある。
若い男性だった。とてもハンサムな男性。もし道ですれ違うことがあれば、世の中の殆どの女性が振り向いてしまうほどの美貌を持つ男性だ。若いと言っても年の頃は30歳前後といったところだろう。恐らくだが、彼は年を重ねても今のままの美貌を保つはずだ。皺があっても、老人特有のシミが出来たとしても、その顔に人生の全てを表すかのように刻まれる何かがあるはずだ。それほどその男性には何かを感じさせることがあった。内面に深い大切なものを持っている。それが何かは分からないが、もしかするとこれから分かるかもしれない。
その男性はいつも同じ席に座る。
そして私がいつもこの席に座ってするのと同じように黙ってコーヒーを飲んでは帰っていく。それがその男性の日曜の日課なのだ。やはり私がそうしているように、男性はその席をリザーブしていた。
それからその男性を気にするようになった私は隣の男性が現れる時間になると顔を上げ、店の入り口を気にするようになっていた。なぜなら時間はいつも同じだったから。
背が高く、服の上からでもある程度察することが出来るが、身体には無駄な肉はついていないはずだ。幅の広い肩と逆三角形の身体は仕立てのいい服に包まれている。
カジュアルな服装だが、その男性が身に着けているものは一流の物だとわかる。どうしてそう思うか?それは彼が見るからに一流の男性だと思ったからだ。
__あくまでも私の思いだが。
すらりとした手脚は生まれ持ったもので、髪は癖があるが、そのうねりは柔らかそうだ。だがいつかその髪も色を変える日が来るだろう。しかしそうなったとしても、その男性の魅力は損なわれることはないはずだ。
人は年と共に、どんな人生を歩んで来たか顔に現れるものだ。それが人間の成熟度を表すものでもある。だから顔を見ればその人間が人としてどれだけの経験を積んできたかが分かる。
それは私にも言えることだろう。
それなら果たして私はどんな顔をしているのだろうか。
その男性が窓越しに誰かを探していると知ったのは、テーブルの上に置かれていた彼の伝票が床に落ち、私の足元へ来たのでそれを拾い、隣の男性へと視線を向けた時だった。
そのとき突然、隣の男性が立ち上がって窓の外を見た。
男性の視線の先にいたのは、ひとりの小柄な女性。
黒い髪が肩口で切りそろえられていた。
黒い瞳に黒い髪。年はおそらく彼と同じ位だろう。
その女性が私の隣にいる男性と視線を絡ませたのが分かった。
つかの間の視線の交差。ふたりが相手を認めたと私は感じた。
見えない何かで結ばれたふたりの人間。女性は一瞬目を伏せたが、再び開いた。大きな黒い双眸はまるで流す涙を堪えているかのように見えた。そして女性の顔に浮かんだ思慕の念とも言える表情。そのとき男性の顔に浮かんだのはいったいどんな表情だったのか。私には男性の背中越しに見える女性の表情から察するしかなかった。
だが、その男性がさっとこちらを振り向いたとき、見えたのはやはり彼女と同じ表情。
窓から差し込む光りが彼の背中で少しだけ遮られ、男性は一瞬私の顔を見たが、すぐに店を出て行った。
窓の外にいるその女性の所へと。
そしてその男性は窓の外に立つ女性を抱きしめ、唇を重ねていた。
私の胸に、十数年前の、この場所が鮮明に甦った。
戻りたくない、でもどこか懐かしい思い出。
当時の私は海外で生活していた。
生活の拠点はその国で、生まれ故郷であるこの国には仕事で訪れるような感覚だった。
つき合っていた女性がいたが、宙ぶらりんの形と言ってもいいような状況だった。
結婚の約束をしていたが、果たされないままだった。
仕事が忙しいと言ってしまえば、答えは簡単だがそれだけではなかった。
当時まだ若かった私にはどこか踏み切れないものがあった。
あの頃の私は引き継いだ仕事に対しての責任の重大さと、その現実が消化できず、その女性のことが頭の中から離れて行った時間があった。
そんな状況だったから、いっときその女性との関係が切れそうになったことがあった。
だが、努力はした。それはその女性も同じだったがすれ違い始めた気持ちは、そう簡単に元には戻らないような気がした。言い訳としか言えないが、仕事が忙しいことを理由にそのままほっておくしかなかった。そして一度別れた。はっきりとした別れの言葉を告げたわけでも、告げられたわけでもなかった。だが、距離と時間が二人の間を隔てていた。結局、二人の関係は曖昧なままに終わってしまっていた。
あれは別れだった。
私と彼女の二度目の別れ。
一度目は思い出したくないが、激しい雨が降った日だった。
次の年の12月、私は暫くこの国に滞在することになった。
それは仕事の為でもあったが目的は別にあった。彼女に会いたかった。
別れてしまった女性に。
私は彼女に電話をかけた。そして会いたいと言った。
暫くこの国に滞在するから会って欲しいと。だが断られた。
理由は聞かなかったが彼女がそう言ったなら受け入れるしかなかった。電話口から伝わる沈黙は、突然の電話にどう対応したらいいのか困惑しているのだとわかっていたから。
その時の私は彼女の誕生日の贈り物を用意していた。12月が誕生月の彼女に渡したいものがあった。だが無理矢理会いに行くことはしなかった。気後れがあったわけではないが、それは彼女からきつく言われていたからだ。いや。もしかするとどこかそんな気持ちもあったかもしれない。
その代わり彼女の方から会いに行くからと言われた。でも、はっきりとした日は決められないと。それなら毎週日曜の決められた時間、この場所で待つと伝えた。
そのときこの国に滞在する3ヶ月の間、全ての日曜日は彼女のために予定を入れることはしないと決めた。そしていつ会いに行くと連絡がなくても、私は日曜になるとこの場所で待っていた。
先ほどまで若い男性が腰かけていたその席で。
私には見えた。
あの時の、本物の人生の物語が始まる前の若かった二人の姿が。
初めは短かった物語もやがて長くなる。
少し遅れて彼女に渡した誕生日の贈り物を指にはめたとき、彼女の瞳から涙がこぼれていた。
あの日から一度断ち切った二人の絆を取り戻す努力をした。
かすかな香りが近づいて来たのがわかった。
それはこの世で私と同じ香りを纏うことが許されたただ一人の人。
あの日、再会してから永遠を約束した人。
短かった二人の物語をもっと長くしようと約束した。
「つかさ・・。どうしたの?」
「ああ。なんだか昔を思い出してた」
「そうよね。この場所は私たち二人にとって思い出の場所よね。でも、だからって滞在中に通わなくてもいいでしょ?そろそろ出発しなきゃ。そんなに飛行機を待たせることは出来ないでしょ?」
「あの二人だよ」
「・・え?」
「この前から気になってたんだ。男の方を・・。あの席に座りたいって言ったら毎週日曜日は予約席になってるって断られた」
二人は窓の外を見た。
そこにはしっかりと抱き合う男女の姿があった。
もう決して離さないと強く抱きしめる男とそんな男の腕の中に納まる小さな身体。
「・・あの二人、きっと幸せになれるわよ。だって今日は恋人たちの日だもの」
「・・そうだな。今日は2月14日か」
司は遠いあの日を思い出していた。
恋人たちの日と呼ばれるバレンタインデー。
そんな日に再会した二人。
司はその日、つくしにプロポーズをした。
長いあいだ待たせてすまなかったと。
あのとき、わだかまりがあったとしても、それは時が解決してくれる。そう思った。
そして実際そうなった。
窓の外に見える抱き合った二人。
恐らくあの二人も司とつくしと同じはずだ。
どんなに長い時間離れていたとしても、二人の絆は途切れてはいないだろう。
その姿はかつて司とつくしが再会したあの日の二人に見えた。
< 完 >*かそけし香り*
*かそけし=かすかな

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いつものテーブルに座っていると隣に男性が座るのがわかった。
香りがしたからだ。少しスパイシーで温かみのある香りが。
その香りは人によってはセクシーだというかもしれない。
直接顔を上げ見ることはしない。
それがマナーであることは当然だが、もし目があったら困るからだ。
だが、一度だけそっと見たことがある。
若い男性だった。とてもハンサムな男性。もし道ですれ違うことがあれば、世の中の殆どの女性が振り向いてしまうほどの美貌を持つ男性だ。若いと言っても年の頃は30歳前後といったところだろう。恐らくだが、彼は年を重ねても今のままの美貌を保つはずだ。皺があっても、老人特有のシミが出来たとしても、その顔に人生の全てを表すかのように刻まれる何かがあるはずだ。それほどその男性には何かを感じさせることがあった。内面に深い大切なものを持っている。それが何かは分からないが、もしかするとこれから分かるかもしれない。
その男性はいつも同じ席に座る。
そして私がいつもこの席に座ってするのと同じように黙ってコーヒーを飲んでは帰っていく。それがその男性の日曜の日課なのだ。やはり私がそうしているように、男性はその席をリザーブしていた。
それからその男性を気にするようになった私は隣の男性が現れる時間になると顔を上げ、店の入り口を気にするようになっていた。なぜなら時間はいつも同じだったから。
背が高く、服の上からでもある程度察することが出来るが、身体には無駄な肉はついていないはずだ。幅の広い肩と逆三角形の身体は仕立てのいい服に包まれている。
カジュアルな服装だが、その男性が身に着けているものは一流の物だとわかる。どうしてそう思うか?それは彼が見るからに一流の男性だと思ったからだ。
__あくまでも私の思いだが。
すらりとした手脚は生まれ持ったもので、髪は癖があるが、そのうねりは柔らかそうだ。だがいつかその髪も色を変える日が来るだろう。しかしそうなったとしても、その男性の魅力は損なわれることはないはずだ。
人は年と共に、どんな人生を歩んで来たか顔に現れるものだ。それが人間の成熟度を表すものでもある。だから顔を見ればその人間が人としてどれだけの経験を積んできたかが分かる。
それは私にも言えることだろう。
それなら果たして私はどんな顔をしているのだろうか。
その男性が窓越しに誰かを探していると知ったのは、テーブルの上に置かれていた彼の伝票が床に落ち、私の足元へ来たのでそれを拾い、隣の男性へと視線を向けた時だった。
そのとき突然、隣の男性が立ち上がって窓の外を見た。
男性の視線の先にいたのは、ひとりの小柄な女性。
黒い髪が肩口で切りそろえられていた。
黒い瞳に黒い髪。年はおそらく彼と同じ位だろう。
その女性が私の隣にいる男性と視線を絡ませたのが分かった。
つかの間の視線の交差。ふたりが相手を認めたと私は感じた。
見えない何かで結ばれたふたりの人間。女性は一瞬目を伏せたが、再び開いた。大きな黒い双眸はまるで流す涙を堪えているかのように見えた。そして女性の顔に浮かんだ思慕の念とも言える表情。そのとき男性の顔に浮かんだのはいったいどんな表情だったのか。私には男性の背中越しに見える女性の表情から察するしかなかった。
だが、その男性がさっとこちらを振り向いたとき、見えたのはやはり彼女と同じ表情。
窓から差し込む光りが彼の背中で少しだけ遮られ、男性は一瞬私の顔を見たが、すぐに店を出て行った。
窓の外にいるその女性の所へと。
そしてその男性は窓の外に立つ女性を抱きしめ、唇を重ねていた。
私の胸に、十数年前の、この場所が鮮明に甦った。
戻りたくない、でもどこか懐かしい思い出。
当時の私は海外で生活していた。
生活の拠点はその国で、生まれ故郷であるこの国には仕事で訪れるような感覚だった。
つき合っていた女性がいたが、宙ぶらりんの形と言ってもいいような状況だった。
結婚の約束をしていたが、果たされないままだった。
仕事が忙しいと言ってしまえば、答えは簡単だがそれだけではなかった。
当時まだ若かった私にはどこか踏み切れないものがあった。
あの頃の私は引き継いだ仕事に対しての責任の重大さと、その現実が消化できず、その女性のことが頭の中から離れて行った時間があった。
そんな状況だったから、いっときその女性との関係が切れそうになったことがあった。
だが、努力はした。それはその女性も同じだったがすれ違い始めた気持ちは、そう簡単に元には戻らないような気がした。言い訳としか言えないが、仕事が忙しいことを理由にそのままほっておくしかなかった。そして一度別れた。はっきりとした別れの言葉を告げたわけでも、告げられたわけでもなかった。だが、距離と時間が二人の間を隔てていた。結局、二人の関係は曖昧なままに終わってしまっていた。
あれは別れだった。
私と彼女の二度目の別れ。
一度目は思い出したくないが、激しい雨が降った日だった。
次の年の12月、私は暫くこの国に滞在することになった。
それは仕事の為でもあったが目的は別にあった。彼女に会いたかった。
別れてしまった女性に。
私は彼女に電話をかけた。そして会いたいと言った。
暫くこの国に滞在するから会って欲しいと。だが断られた。
理由は聞かなかったが彼女がそう言ったなら受け入れるしかなかった。電話口から伝わる沈黙は、突然の電話にどう対応したらいいのか困惑しているのだとわかっていたから。
その時の私は彼女の誕生日の贈り物を用意していた。12月が誕生月の彼女に渡したいものがあった。だが無理矢理会いに行くことはしなかった。気後れがあったわけではないが、それは彼女からきつく言われていたからだ。いや。もしかするとどこかそんな気持ちもあったかもしれない。
その代わり彼女の方から会いに行くからと言われた。でも、はっきりとした日は決められないと。それなら毎週日曜の決められた時間、この場所で待つと伝えた。
そのときこの国に滞在する3ヶ月の間、全ての日曜日は彼女のために予定を入れることはしないと決めた。そしていつ会いに行くと連絡がなくても、私は日曜になるとこの場所で待っていた。
先ほどまで若い男性が腰かけていたその席で。
私には見えた。
あの時の、本物の人生の物語が始まる前の若かった二人の姿が。
初めは短かった物語もやがて長くなる。
少し遅れて彼女に渡した誕生日の贈り物を指にはめたとき、彼女の瞳から涙がこぼれていた。
あの日から一度断ち切った二人の絆を取り戻す努力をした。
かすかな香りが近づいて来たのがわかった。
それはこの世で私と同じ香りを纏うことが許されたただ一人の人。
あの日、再会してから永遠を約束した人。
短かった二人の物語をもっと長くしようと約束した。
「つかさ・・。どうしたの?」
「ああ。なんだか昔を思い出してた」
「そうよね。この場所は私たち二人にとって思い出の場所よね。でも、だからって滞在中に通わなくてもいいでしょ?そろそろ出発しなきゃ。そんなに飛行機を待たせることは出来ないでしょ?」
「あの二人だよ」
「・・え?」
「この前から気になってたんだ。男の方を・・。あの席に座りたいって言ったら毎週日曜日は予約席になってるって断られた」
二人は窓の外を見た。
そこにはしっかりと抱き合う男女の姿があった。
もう決して離さないと強く抱きしめる男とそんな男の腕の中に納まる小さな身体。
「・・あの二人、きっと幸せになれるわよ。だって今日は恋人たちの日だもの」
「・・そうだな。今日は2月14日か」
司は遠いあの日を思い出していた。
恋人たちの日と呼ばれるバレンタインデー。
そんな日に再会した二人。
司はその日、つくしにプロポーズをした。
長いあいだ待たせてすまなかったと。
あのとき、わだかまりがあったとしても、それは時が解決してくれる。そう思った。
そして実際そうなった。
窓の外に見える抱き合った二人。
恐らくあの二人も司とつくしと同じはずだ。
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