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2017
01.31

Midnight Dreams 中編

荘厳な宮殿と言われる邸宅で行われた誕生パーティー。
今更だが、この年になっても執り行われるのは、ひとつのイベントとも言える恒例行事となっているからだ。

見知った顔から、見知らぬ顔まで、大勢の人間の顔が俺に向かって祝いの言葉を述べる。
上品な笑みを浮かべ、美辞麗句を述べるが、ひとつ間違えれば、あほらしく思えるほどの誉め言葉が並べられることがある。当然そんな言葉は耳に残ることはない。

祝ってもらいたいのはただ一人の女。
かつてこの邸の庭で開かれたパーティーで、場違いな人間としてそしりを受けた女は、今では俺の妻だ。

そんな無意味とも言えるパーティーから解放されたこの時間。
東の角部屋で、妻から美しく包装された箱を受け取った。


司が受け取った大きな箱。

彼は随分と昔を思い出していた。
やはり誕生日に大きな箱を貰ったが、中に入っていたのは一枚のカードだけだったことがある。そして、そのカードに書かれていた『お誕生日おめでとう』の文字。
裏を返し、歓びが溢れたときを思い出していた。
そこに書かれていたのは、『それで、あたしたちいつ結婚するの?』の文字。
それは、妻の誕生日にプロポーズをし、その返事として返された言葉だった。
その言葉が一番の贈り物だったことを思い出していた。


・・・こいつ。
まさかまたそんなこと考えてんじゃねぇのか?
ご丁寧に包装された箱の中身はカード一枚なんてことがまたあるのか?
司はそう思いながらも、あのときと同じように丁寧に包みを剥がした。

そして箱の中から出て来たのは一冊の本。
なんでこんな大きな箱に入れたんだ、と、聞けば、それしか見当たらなかったから。と返された。そうだ。そうだったな。あの時も大きな箱にカードが一枚だったからな。もったいないが口癖の妻のことだ。この箱もなんかの再利用なんだろ?

しかし本を贈る意味はいったいなんなのか?
もっと勉強しろ、本を読めといいたいのか?
それとも今流行りの本なのか?
どちらにしても目の前にいる贈り主に聞く必要がある。

「なんだ?これは?」

「えっ?本だけど?」

本には違いない。
しかもご丁寧にカバーまでかけられている。

「・・これがあたしからの誕生日プレゼント・・」


誕生日に本を貰う。

それは司が今までもらったことがない贈り物だ。
それにしても、どうして本をプレゼントしようと思った?
小学生の子供へのプレゼントか?
いや。最近の小学生が誕生日プレゼントに本なんかで満足するはずがない。
それともこの本はプレゼントの一部で他に何かあるのか?
司は訝しく思いながら手にした本を開いていた。



その本は今流行りの本でもなければ、ビジネスに関する本でもない。

本のタイトルは『千夜一夜物語』

別名『アラビアンナイト』と呼ばれるいわゆるひとつの説話の本。
今も世界中で読み続けられている民話、昔ばなし、伝説といった類の本だ。


妻はいったい何が言いたいのか?
ますます意味がわからなかった。

千夜一夜物語とはアラビア語で書かれ、主にペルシャ、今のイランやインド、エジプトあたりが舞台となった物語が収められている。その中でも有名な話というのは、『アリババと40人の盗賊』や『アラジンと魔法のランプ』など、まさに子供が喜びそうな話だ。そして取り上げられることが多いのは、娯楽的要素がある話しが多い。それを今更読めというのか?

だが、「おとぎ話って子供のものじゃないのね?」と、言った妻。
なぜそう感じたのか?
そう思った理由は、この物語が書かれた背景に因るはずだ。
その事を知った妻。

なぜ千夜にも渡り、物語が語られることになったのか。


それは、妻の不貞を見て女性不信となったペルシャの王が妻を処刑し、その後若い処女と一夜を共にしては殺していくことを止めさせるため、大臣の娘が自ら王に嫁ぎ、毎夜王に興味深い物語を語ったことが、この本の主軸として書かれている。つまり、その娘が王に語ったとされる物語が収められているのがこの本だ。だが、王が話に興味を抱かなければ、語り手となった娘も殺されていたはずだ。

千夜一夜物語というのは、残酷な一面を持った物語であるということだ。
そして、実は『アリババと40人の盗賊』も『アラジンと魔法のランプ』もどちらも千夜一夜物語の原本には収録されてないという事実がある。


物語の語り手の名はシェヘラザード。
彼女は話が佳境に入ると、続きはまた明日。と、言って話を打ち切っていた。王は次の話が聞きたいがため、毎夜シェヘラザードを寝所に呼び寄せ、殺すことなく多くの夜を過ごし、その間に子供をもうけ、彼女はやがて王妃となると言った話だ。そして王は、彼女の口から語られる話を聞き、人倫と寛容さを身に付けたと言われている。

千夜一夜物語の中には純愛もあれば、不倫、嫉妬の物語もある。
そして甘い官能的な話しも。
シェヘラザードは、自分が殺されないために、王の興味を損なわないような話を語っていた。

妻は、今夜はあたしがシェヘラザードになるからと言った。
ならば、妻は俺に興味深い話をしてくれるということか?

「・・あのね・・司の誕生日だから、色々プレゼントを考えたんだけど、司は何でも持ってるでしょ?だからあたしがこの本みたいに興味深い話をしてあげたいと思ったの。でも、結局、か、考えつかなかったから、あたし・・司の話す物語の通りのことをしてあげる・・・王様の指示に従って望み通りのことをしてあげるから・・・」

相変わらず何が言いたいのかよくわからない妻の話。
寝室で夫を前に何を照れてるんだか全く理解できねぇ。
恐らく言いたいのは、今日は俺の誕生日だから我儘を聞いてやると言いたいのだろう。
しかしコイツはシェヘラザードの立場を理解してるのか?シェヘラザードが毎晩物語を語ってたってことは、毎晩ヤッてるってことだぞ?おい、もしかして俺たちはこれから毎晩ヤルのか?それに千夜一夜物語は壮大なピロートークだってことを分かってるのか?それも1001夜だぞ?

・・・多分、分かってない。

まあ、

妻が言いたいのは、その王はかつての俺にどこか似ていると言いたいのかもしれない。確かに若い頃、この王のように人を信じることなく、蛮行を繰り返していたことがあった。
そんな俺とつき合い始めた頃、妻は周りから猛獣使いと言われていた。
そして今ではすっかり飼い慣らされてしまった男がいる。


だが、

『今夜は司の誕生日だから。望みを叶えてあげる』

シェヘラザードになると言った妻から聞かされたその言葉。
望みをと言われれば、今の世界そのものを遮断してしまうほど、欲しいものがある。
それをこの本の世界で味合わせてくれると言うのか?
それはこれから千の心躍る夜を過ごさせてくれるということか?


「なんでも言うことを聞くんだな?」

俺の目を見て頷いた女。

・・・こいつ。

男に性的な刺激を与えることが下手だと思っているなら大きな間違いだ。
無自覚だろうが、上目遣いに見るその顔が、どれだけ俺をそそっているかなんて知らないはずだ。昔からそうだ。そんな顔をされるたびに、欲望の波が押し寄せるのを感じ、どれだけその思いを抑えてきたことか。生意気さと、無邪気さをもってしても消し去ることが出来ない仕草ってのがあることを分かってない。今も昔も世慣れする事がない女がいったい何をするつもりだ?


それなら・・

――ちょっとイジメてやろうか?



司は口角を親指でさすった。
「今夜は楽しませてくれるのか?」
恥かしそうに小さく頷く妻。
「今から始めるということか?」

口の両端でゆっくりとひろがっていく微笑みは、楽し気に、そして司はわざとらしく眉を上げた。


「下着を脱いで俺に渡すんだ」





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2017
01.30

Midnight Dreams 前編

世の中の富は8人の富豪の手にあると言われるが、その中のひとりと言われてもおかしくないほどの富を持つ男がいる。彼は生まれたとき、銀のスプーンを咥え生まれたと言われていた。

ヨーロッパでは、銀のスプーンを咥え生まれた子とは、裕福な家に生まれたといった意味がある。コロンブスがアメリカ大陸を発見する以前は銀製品の価値が高く、貴重だったことから銀のスプーンと言われるが、今の時代なら、金のスプーンと言い換えてもいいほどだ。

大豪邸に住む男。
生まれつき社会の頂点に立つことを約束された男。
人生の全てが決められている男。

そんな男も昔は手の付けられないほど問題のある男だったとは、誰も想像しないだろう。
かつて、無意味な人生を生き、全身が鋭い刃物のようだと言われていた男が、黒い瞳と黒い髪をした一人の少女に出会ってから、彼女の顔が男の心の中にしっかりと押し付けられていた。それ以来、男はその少女の顔を心の中から消す事が出来なくなっていた。

それからの男は、心ここにあらずで、自分が歩き出す方向を見失ってしまったようになっていた。その様子は、大きな黒い瞳に男の魂が吸い取られたとしか言いようがなかった。


それはまさに一生のうちにあるかないかの恋。
なんの価値も見出すことがなかった男の人生に突然現れた少女。
それまで人の顔など波間を漂うゴミのようなものだと視線を定めることがなかった。
だが、その少女に出会ったその日から、彼は学園の中の人間の顔をひとりずつ見ては、彼女の姿を探していた。

そして見つければ、足を速めて追いかけていた。
何も考えずに待ち伏せしたこともあった。

そんなある日、ベンチに座る少女を見かけた男は、気付かれないように後ろへと近づき、肩に軽く手を触れ
「よう」
と声をかけた。
緊張のあまり、声が高すぎたが、その少女の顔に浮かんだのは、初めは驚き、そして次には恐怖の表情が浮かんでいた。そして走って逃げられていた。


そんな男は、
『 司は恋をしているに違いない 』
と、言われてから変わっていた。

思いを伝えたい一心で、走り去るバスを追いかけたこともあった。
あのとき、子供のように小さな女を抱きしめ、自分の胸に頭を押し付け、思いを伝えていた。

『 おまえじゃなきゃ駄目なんだ! 』

それから彼女の肩に触れても、逃げられることはなくなっていた。

それが17歳の頃の男の話だ。






今の彼の服装は、一分の隙のないピンストライプのスーツに金のカフス。
そして同じく金の薄い時計を嵌めたその男。
ネクタイは生まれた時からすでに絞められていたのではないかというほど良く似合っていた。
声は何度聞いても、ぞくりとしてしまうほど妖艶さがある。
指先に挟む煙草から上るその煙さえ、彼の姿を演出する小道具のようだ。
だが、悪魔めいた妖艶さにそんな小道具など必要ない。
気づかないうちに振りまく男としての魅力は、世の女性にとっては甘い毒だ。

そんな男の細部にわたるその美貌は全て妻のもの。
深みを感じさせる漆黒の瞳は、見つめれば人の心を一瞬にして奪い去ることが出来るが、その黒い瞳の奥に隠された優しさは妻だけのもの。耳元で囁く深みのある声も彼女だけのもの。
身に纏う微かに漂う香りと、その引き締まった体躯も。すべてが妻だけのものだ。

まるでひとつの美術品のような男。
それは恵まれた遺伝なのかもしれない。
何しろ彼は道明寺司なのだから。

男は自分が受け継いだその容姿も富にもさしたる興味はない。
彼は若い頃、道明寺の家など無くなってしまえばいいとほざいていたことがあった。だが、今の彼には少年の頃の想いとは違うものがあった。

あの頃、人として何の目的も持たなかった自分とは違う思いがある。
今は守りたいものがあり、自分の家を誇りに思っている。
そしてこの家で大切なものを守り、慈しむことが人生の喜びとなっていた。


巨大な権力を持ち、常に最上のものに取り囲まれていると言われる男だが、彼が最上とし、大切にしているのは妻だ。
自分自身を分け与えることが出来る唯一の女。
その女は自分が何者であるかを忘れさせてくれ、男が何者であっても、臆することなく意見が言えるただ一人の人間。それは少年と少女として出会った頃から変わらない妻の人間性だ。

世間がどれくらい男を褒めようと、男が褒められたいのはただ一人の女。
そんな女と結婚してもう随分と時間がたったように思うが、彼女を見つけてからの男の人生は、満ち足りたものになっていた。


男の瞳が映し出すのは、愛しい女の姿だけ。
他の女は必要ない。

これから先もずっと。





***






いつも夫の注目を一身に浴びる妻は、慌てていた。

その理由は・・夫へのプレゼントだ。

それは道明寺財閥当主の誕生パーティー。
世界各国の要人からの祝電と贈り物が届き、来賓はこの国のトップといえる政治家から文化人まで幅広い。
かつて誕生日に車が贈られたことがあった。世間一般では考えられないようなことがあるのが、特権を与えられた男の日常だった。

毎年だが1月のこの日が近づくと、周りは色々と騒がしくなってくる。

妻はこのパーティーのため毎年準備に追われるはめになる。
そしていつも頭を悩ませることがある。
なんでも持っている男にあげるプレゼントなんて考え付かない。
それにどうやったら夫に気づかれずに準備が出来る?
高校生の頃と違って今の男は隙がない。
内緒で準備したいのに内緒に出来ない。
それに男と闘って勝とうとするなんて無理な話だ。
何しろ夫は妻の行動に常に目を光らせている。
だが目を光らせているというより、気になって仕方がないのだ。

買い物に行くと言ったら必ず俺も一緒行くと言ってついて来たがる。
ついて来るのは構わないが、そんな男はデパートを貸し切りにするのは当然だが、なんなら店ごと買い取ってやろうか?などと言うのはほぼ口癖となっていた。
そんなとき、妻が必ず口にする言葉がある。

「無駄使いはやめて!」

その言葉を口にされるたび、司の口元がぴくりと動いていた。


分別は年と共にやって来るというが、こと、妻について男には関係ないようだ。





司はこの国の経済を背負って立つ幾つもの企業体のトップにいる男だ。
そして当然のように出向いた先で盛大な歓迎を受ける。
訪問先から贈られる品物も相当数にあたる。
どこかの国の国王から贈られる芸術品と呼ばれるサラブレッドから、油田の利権まである。
そんな男にいったい何を贈ればいいのか。
夫の目を盗んで買い物に出かける時間があるだろうか?
つくしは壁にかけられた時計を見た。

最高のプレゼントを用意しなきゃと思っても、何をあげればいいのか思いつかない。
なにかあげなきゃ、と必死で考えていた。
さすがにもうクッキーは、と、ため息をついた。
高校時代、魚臭いクッキーを焼いてプレゼントしたことがあった。それは当時妻が出来る精一杯の贈り物だった。
今ではその手はもう使えない。何しろ今まで何度もその手法を使ってしまっている。
それでも夫は喜ぶはずだ。妻が差し出すものなら何でも喜んで受け取るのだから。

それが例え街角で配られていたポケットティッシュでも・・・。

今の夫はそんな男だ。
なにしろ、物の価値は値段で決まるのではないと教えたのは妻だ。
それも17歳の頃の話だ。
でもまさか、本当にポケットティッシュを差し出すわけにはいかない。
まるで妻の歩いた跡を崇め歩くようになっている夫。
崇拝ともいえる妻へのその態度。

・・・今年は何か特別なものをプレゼントしたい。

司の喜ぶものをプレゼントしたい。

そんなとき、つくしはやっとあるものを思い付いた。





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2017
01.29

Collector 28

Category: Collector(完)
「社長。井坂が先日の調査結果を報告したいと見えております」

「そうか。わかった。通せ」

執務室で書類に目を通していた司に秘書が声をかけた。

現れたのは黒いスーツを着た背の高い男。
井坂は司お抱えの調査員とでも言えばいいだろうか。主に企業買収に掛かる情報の収集を任せていた。決して穢い仕事をすることを専門にする男ではない。元は日本を代表する巨大総合金融機関で為替ディーラーとして働いていた。そんな男は為替ディーラーの中でもインターバンクディーラーとしてはスペシャリストだった。

インターバンクディーラーと言えば銀行間の為替取引を行う仕事だ。銀行間の外貨取引の単位は100万通貨。1米ドルが100円とすると1億円となる。一瞬の判断で億単位の売買を成立させ、いかに利益を生み出すかを求められる仕事だ。給料は高いが常に極度の緊張感とストレスに見舞われる仕事でもある。そんな高給取りが、仕事を辞めた理由はただ単に疲れたからだというのだから、人生というのは、ある日突然なんの前触れもなく変わることがあることを体現したような男だ。ただ、その為替取引で鍛えられた精神力の強さと勘の良さは今でも健在だ。

井坂は手にしたアタッシュケースから書類を取り出し、司のデスクの上に置いた。

「社長、こちらが牧野浩(ひろし)、牧野つくしの父親に関する情報になります」

類の話から父親が牧野つくしと関係があると知った。
俺の父親から守るためあの女を邸に住まわせたといった類。その言葉が意味するものはいったい何なのか。類の言葉によって新しく回り始めた歯車がある。
当時高校生だったあの女になにかあるはずもなく、あるとすれば家族だろう。司が調べさせたのは一家の主である父親だ。

受け取った書類の表紙には何も書かれてはいない。
司はつくしの父親に何度か会ったことがある。
今思えば牧野つくしの両親は、彼女の悲劇的弱点と呼んでもいいほどの存在だろう。
上昇志向の強い母親と金にだらしのない父親。
娘の幸せより、自分たちの将来を優先するような親。
その男が娘の人生を変えたというのか?
だが金のために魂を売る人間は珍しくはない。

司の目にほんの一瞬、暗い影がよぎった。
それは自分自身が行って来た行為によって、甦った胸を刺す痛みのせいだろう。
司も金で買えるものはなんでも買ったことがある。人の命さえ金で買えるご時世だ。
人の気持ちが金に左右されることがあるのは当然だ。と。

牧野つくしが去り、虚無感が心の底にこびりつき、人を憎む気持ちだけが育ち、目覚めている間じゅう感じていた胸の痛みが年月とともに身体中を包んでしまった。
愛情を受けてくれる相手も、授けてくれる相手もいない人間が生きていくために作り上げた人間の姿が自分なのだろう。自分の生命を支えていたのは、牧野つくしに対する頑迷とも言える思いだったのか。


あの頃、牧野つくしのことが頭の中から身体の隅々まで、細胞のひとつひとつまで埋め尽くしていた。あの別れがなければ、二人はずっと一緒にいられたはずだ。
例え離れた時間があったとしても、その時間を乗り越えられる自信があった。考えれば考えるほど、あの頃の自分はいったい何をしていたのかといった思いが募ってくる。


牧野つくしについて何でも知っておきたいという気持ちが湧き上がったのは、自らの魂の奥深くにあった今でもあの女が好きだという気持ちに気づいたからだ。
あの日、牧野の命が狙われたことが、類の言った言葉と関係があるのではないかと考え始めていた。そして銃を撃った人間が、本気であいつを狙ったという思いから、両親が亡くなったという事故を調べさせた。


10年前、自分たちの仲の邪魔をしたのが母親であることはわかっていた。当時もNYで暮らしていた両親。滅多に帰国することがなく、年に一度会えばいい方だったあの頃。息子の凶暴さや残忍さを知ってはいたが、その言動に口を挟むことなく、事件を起こした時でさえ、母親が金を使ってもみ消していた。だが事業が多忙な父親までもが関与していたとは思いもしなかったが、今ならわかるような気がする。

「よろしいでしょうか?」
司の正面に立つ男は聞いた。
「ああ。始めてくれ」



井坂は手にした書類を捲った。

「牧野浩ですが、10年前に交通事故で亡くなっています。原因は後方から来た車に追突され、そのはずみでコンクリートの壁に激突したようです。父親は即死。助手席に乗っていた母親は意識不明で暫くは生きていましたがやはり亡くなりました。娘と息子、牧野つくしと進は大けがを負いましたが、命に別状はありませんでした」

井坂は歯切れのいい口調で説明をしていたが、何か質問があるのではと、言葉を切って司から声を掛けられるのを待った。

「いいから続けろ」

「車に作為的なことはなかったようです。現場は幹線道路でしたが、夜間であり田舎でしたので車通りも少なく、事故の状況を目撃した人間もいません。発見したのは通りかかった車でした。牧野家の車が壁にぶつかって止まっているのを見つけ警察に通報したようです」

「それで追突した車はどうなった?」

「はい。逃げたようです。警察は現場に残された塗膜片やタイヤ痕、落ちていた部品などから黒色のセダンタイプの乗用車を捜していたようですが、見つかっておりません。日本の警察は優秀ですからどんなことをしても犯人を捜しだそうとするはずですが、見つかりませんでした。あれから10年です。おそらく犯人が見つかる見込みは少ないのではないかと思われます」

司は椅子に深くもたれ、胸の前で指を付き合わせた。

「どうして見つからなかった?」

確かに日本の警察は優秀だ。職人ともいえる緻密さをもって、残された証拠から犯人の足取りを追うはずだ。だが、稀にではあるが犯人が見つからないこともある。

「なんとも言えませんが。一番単純なのはその車は他の車によって持ち去られたということでしょう。いくら田舎とはいえ、暫く行けば、コンビニくらいはあります。駐車場には防犯カメラも設置されています。道を走れば、どんなに暗くとも車体が映るはずです。ですがその姿もなかったようです」

「それならその車はどこにいった?」

「例えば大型トレーラーに運び入れ持ち去る。そして解体され処分されたということでしょう。もしくはどこかの海に沈んでいるということも考えられます」

「つまりその意味は故意に事故を起こした・・ということか?」

「わかりません。今申し上げたのは、あくまでもわたくしの頭を過ったことです。それにもう10年も前のことです。証拠となるようなものがありませんので調べようがないということでしょうか。警察の捜査も今は何の進展もないようです」

そこまで言った井坂は、再び言葉を切り、司の反応を待った。
だがじっと顔を見られているだけで、何も言われない。

暫くし、井坂は話しを継いだ。

「牧野夫妻の葬儀は花沢類様が執り行いました。子供二人は・・大けがをして入院中でしたので葬儀は斎場で至って簡素なものだったと。それから牧野家にはかなりの借金がありましたが、そちらの返済の件も花沢様がすべて処理されたようですね。・・お父様から受け取った金銭ですが、そちらは全てではありませんが、生きている間に借金の返済に充てられております」


父親が支払った金額は五千万だと知った。
司にしてみればたったの五千万。だが世間の常識から言えば一度に手にする金額としては、莫大な金額だ。ましてや牧野家のような貧しい家庭にすれば、恐らく一生見ることがない金だっただろう。交渉などすることなく決めたはずだ。

両親が交通事故で亡くなったとき、姉と弟も怪我をした。
ただでさえ最低限の暮らしをしていたが、それ以上に貧しさに襲われることになる。
そんなとき、類が手を差し伸べたということか。


類の言った言葉が頭の中を過った。
物の見方や考え方を変えることをしたらどうか。
視点を変えろ。ほんの少しずらしてみろ。そう言いたいのか?

だが人間関係など最終的には損をしたか得をしたか、結局最後はそうなると決まっている。
純粋に人との関係を築こうなど考える人間が今の世の中どこにいる?
自分に降りかかってくるすべてのことは金に関わることだと分かっている。


司は手元の書類を捲ってふと、目を止めた。

「・・牧野・・浩はドライバーだったのか?」
司が目をとめたのはある一文。

「はい。牧野浩は大日証券の支店長付き運転手をしておりました。小さな支店ですがやはり専属ドライバーは必要なようで。それに運転手といっても支店ですので社員ではございません。派遣ドライバーです」

井坂は一旦言葉を切った。

「いっとき、タクシーの乗務員をしていたこともあり、運転の方は覚えがあったのでしょう。
当然ですがドライバーは運転以外いたしません。とは言え、総務課の簡単な仕事はしていたようです。近くの金融機関へ現金の移動をするときなどは、社員に付き添ってということもあったようですが、基本支店長の予定に従って行動することになっております。しかし、支店が休みの日も急に呼び出されたりしますのでプライベートは約束出来ませんし、帰宅時間は運転手には決められません。それに当然ですが守秘義務があります」

牧野つくしの父親に会ったことがあるとはいえ、司にとって殆ど見ず知らずの人間で、その名前すら記憶にない。
それにつき合い始めた頃、父親は無職だったはずだ。
それなら俺があいつと別れたあと、仕事に着いたということか?
親父から金を受け取ったが、まだ働ける人間が昼間からふらふらしているのは体裁が悪いというところか?

「どういった経緯で支店長付のドライバーを?」


司は煙草へと手を伸ばした。
定職につかず失業中だった男が仕事を始めた。
牧野浩がどれほどの運転技術があるのか不明だが、金を受け取ったあと、仕事についていたのは意外だった。

それも派遣とはいえ、専属ドライバーとして。
そんな男には身元を保証する人間が必要だったはずだ。

「はい。派遣ドライバーですので、登録した会社からの紹介となっております」
「そうか・・・」

もっともな答えが返された。

司は煙草に火をつけ、ライターをしめ、煙を深く吸い込んだ。



井坂はしばらく無言で司を見ていた。
やがて口を開くと言った。

「ただ、身元保証についてはお父様がされたようです」






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2017
01.28

エンドロールはあなたと 55

なぜ道明寺ファミリーは一度に全員が揃わないのか?
つくしは落ち着かない気持ちでソファに腰を下ろしていた。
まず母親に会い、それから姉に会い、ついに最後は父親に会うことになった。
皆がそれぞれ忙しいのは理解出来る。それに、これだけ大きな会社を経営するということは、多忙であるということは充分理解できる。

取締役会長職を務める父親は、道明寺家3代目当主、道明寺 慶。ニューヨーク在住だ。
大学を卒業後、家業を継ぐため直ぐに道明寺に入社し、経営を引き継ぐと、世界経済の最前線で活躍してきた人物だ。その代わり母親と同じ、家庭を顧みることがなかったと言われていた。

例え親子でも、指定された時間に訪問しなければならないのは、仕方がないことだ。
大企業の会長ともなると、自由になる時間はない。
そんな父親に会いに来た二人。

父親は会長室に入ってくるなり、言った。
「待たせたな」

「ああ、待ったな」

「悪かった」

短い会話が交わされていた。
そんななか、つくしは立ち上って挨拶をしようとしたが、隣に座る司に腕をとられ、座らされた。慌てるな。紹介するまで待てと言われたようで、慌てた自分が恥ずかしくなっていた。

司は幼いころ、父親の仕事をバカにしていた。母親と同じで家にいることがなく、姉と自分を広大な邸に残し、海外で暮らしていた父親。具体的にどんな仕事をしているかなど、知りようがなく、不在の父親に対し反感を持っていた。

誇りに思うようになったのは、NYで学生時代を過ごすなか、仕事を手伝うようになってからだ。人生の形成期をNYの大学で過ごし、道明寺に入社した司。日本にいた頃の彼は傍若無人だったが、この街に来て学ぶことが多かった。

入社して間もなく、専務取締役に任命されたが、何も知らない若造と社内から見下されたこともあった。親の七光りと言われ、将来の会社経営者として試されていると思ったこともあった。今でこそ社長の器がある、と言われるようになったが、当時は悔しい思いも経験した。
今では、あの頃の父親が多忙だった理由も理解していた。

経営トップという仕事の性質を考えれば、ニューヨークから離れられなかったことを責められない。だが、自分は父親のようにはなるまいと決めていた。
決して家族を蔑ろにしないと心に決めている。

父親は二人が腰かけたソファに来ると、同じように腰を下ろした。
親子はよく似ていた。癖のある髪の毛。そして顔の輪郭。母親にも似ているが、父親の特徴を受け継いでいると感じられた。だが雰囲気は父親の方が紳士的だ。若い頃は今の司と同じように鋭い目をしていたかもしれないが、正面に座る人物の目元には皺があり、人生の経験を物語っているようだ。

「司。元気そうだな?気のせいか大きくなったように見えるが、それはそちらの女性のおかげかな?」

「だれが大きくなったって?俺の成長期はもう終わったぜ?」

ニヤッと笑って言った。

「ははは。違うよ、司。男としての器が大きくなったんじゃないかって意味だよ。・・牧野さんだったね。はじめまして。司の父親です。楓と椿からあなたのお話は伺っています。なかなか独立心が旺盛なお嬢さんだとお伺いしていますが、違いますか?」

少し強張った表情を浮かべたつくし。
なんと答えればいいかと考えていた。

「それにしも男親っていうのは、何でも最後に知らされることが多いが、司が好きな人がいるなんて話しも楓から聞くまで知らなかったよ」

「あたりめぇだろ?そんなこといちいち話すか?母親だって俺は伝えてねぇぞ?嗅ぎつけたって言ったほうが正しいな。とにかく俺とこいつは結婚することに決めたから、報告に来た。親父、紹介する。牧野つくしだ」

いつ紹介してくれるのかと、待っていたつくしは挨拶をした。
「はじめまして。牧野つくしと申します。司さんとは結婚のお約束をさせて頂きました」

「ああ。知ってるよ。うちの女性陣から聞いてるからね。それで、牧野さん、わたしは反対はしないが、うちの家のことは問題ないのかな?うちは事業を手広くやってる自営業みたいなものだが、問題はないかな?それに司の立場は色々とややこしいんだが・・」

大企業の重役から自営業と言われ、息子の立場は色々とややこしいと言われれば、想像していたような企業重役とはイメージがまったく違っていた。面白可笑しく言ったのは、相手がつくしだからだろう。恐らく他の人間に対しては違う一面も見せるはずだ。

「ああ。こいつなら心配いらねぇよ。第一俺が支社長だってことを忘れるくらい無関心なことがある。けど、細かいことを気にすることもあるが大丈夫だ。それにお袋が道明寺に転職しろなんて勧めてるけど、どうすんだか・・」

司は隣に座る女に目をやった。

「そうか。楓がスカウトするくらいなら優秀なお嬢さんだな。それに牧野さんはおまえが支社長であることを忘れることが出来るような女性か。・・さて、牧野さん。司ばかりと話しをしていても仕方がない。わたしはあなたと話しがしたい。いいかね?司?」
父親は司に言ったが、断られても無視するはずだ。

「駄目だなんて言っても無駄だろ?」
「そうだ。無駄だな」
父親はそこまで言ってつくしへと視線を移した。

「牧野さん。司のどこが気に入ったんですか?司は他人に対して厳しい目を持っている男ですが、そんな男のどこがよかったのか教えてくれませんか?」

真剣な眼差しだった。
息子が結婚したいと連れて来た女性は、どんな言葉を返してくるのかと、楽しみにしているようだ。相手は未来の義父とは言え大企業の会長だ。観察眼とも言える鋭い目で睨まれれば、たじたじとなるだろう。だが今、目の前にいる男性の目はただの父親の目だ。

「あの、司さんは仕事にかまけているわたしを気に入ってくれたんです。おかしいですよね?仕事一筋の女で、30過ぎた女を好きになってくれるなんて。こちらの方こそわたしのどこが良かったのか聞きたいくらいです」

つくしはひと呼吸置き、言った。

「どこがよかったかというお話ですが、具体的にと言われても困るんです。いつの間にか好きになっていたんです。彼の全てを」

いつ確信したかと言われても困るが、人を好きになるのに理由はいらないはずだ。
でも財産目当てだと思われていたとすれば、それは心外だ。
そんなつくしの心中を代弁するかのように司は言った。

「親父、言っとくが俺が先に好きになったんだ。それにこいつは金や外見に惑わされるような女じゃねぇよ。だから人の恋路を阻むような発言は止めてくれ」

不用意な発言はしないでくれと、鋭い瞳が父親を見た。

「ああ。わかってる。そんなに睨むな。別に牧野さんがどうのこうの言ってるんじゃない。ただおまえが好きになった人に会いたかっただけだ。わたしは反対などしないよ。おまえの人生だ。楓も椿もいいお嬢さんだと言ってるんだ。それに司には仕事の出来るパート―ナーのような女性が必要だ」

父親は力を込めて言った。
企業トップは孤独な立場だ。信頼し相談できる人物を得るには時間がかかる。
もし結婚相手が司の仕事を理解してくれるなら、それに越したことはない。

「それから牧野さん、楓から司の支えになって欲しいと言われてないかね?もし牧野さんさえよければすぐにでも、人事担当常務に言って博創堂さんの人事担当へ連絡しよう。どうだね?そうすればすぐにうちへ入社する手続きが取れるが?」

父親が、司からつくしへと視線を移した。
つくしは、即座に、
「申し訳ございません。まだそちらの件については考えが纏まらなくて」
と、答えたが、あわてて補足した。
「あの、きちんとしたお答えは司さんにさせて頂きます」

「そうか。楽しみだな、司。牧野さんが道明寺に移ってくれたらおまえも嬉しいだろ?いや。待てよ?司、そういえば、おまえ博創堂を買収すると聞いたが?もう終わったのか?もしそうなら牧野さんはうちのグループ会社の一員だな。なんだ、司、おまえ牧野さんが欲しくてあの会社を買ったのか?」

「ああ。こっちに来る前に買い取りは完了した」
司が一瞬ニヤリとしてつくしを見た。

えっ?と言った表情のつくしは思わず嘘でしょ?と呟いていた。
「そうか、これでつくしさんの悩みも消えたな。グループ会社内での転籍手続きを取れば済むことだ」

少し間を置いた父親は、穏やかな口調でつくしに話かけた。

「それからつくしさん。今日からつくしさんと呼ばせてもらうよ。司だが時々わざと強気なふりをして突っ張ってることがあるが、それは不安だからだ。その原因はわたしと楓にあることは、わかっている。子供の頃、傍にいてやれず親の愛情が足らなかったとしかいいようがない。まあ、そんなところを呑み込んでくれれば、単純な男だからね。上手に掌で転がしてやってくれ。それから司、おまえも結婚したら夫として、子供が生まれたら父親として時間を作ることを忘れるな。わたしも楓も忙しすぎておまえのことは、椿と使用人にまかせっきりだったからな」

そして、父親の顔に、申し訳なさそうな表情が一瞬だけ浮かんで見えた。
だが、唇の端に笑みを浮かべるその表情は、つくしがいつも見ている人と同じだと思った。
親子というのは、自分たちでは気づかないかもしれないが、知らぬ間に仕草は似て来るものだ。父親の言葉に込められた深い意味と眼差しは、親子らしいと感じていた。





***




ニューヨークの司のペントハウスはシンプルだ。
世界でも有数の超高級住宅地であるアッパーイーストサイドにある最上階の広い部屋。窓の外の景色は、眼下に暗闇のセントラルパークが広がっている。もちろんこの部屋に女性が足を踏み入れるのはつくしが初めてだ。そんなことを説明する必要もないのだが、司は思わず言いそうになっていた。いや、実際告げていた。
今まで本気でつき合った女なんていないというアピールも込めて。

「ねえ、つかさ・・本当にうちの会社を買ったの?」

ベッドに横たわる男の姿は腰から下をシーツに包み、頬杖をついていた。
信じられないくらいハンサムな男と結婚するとが、未だに信じられない。
いつも見入ってしまうが、その度、なにじろじろ見てんだ?俺が欲しいのか?欲しいならいくらでもやる。
と返され、言葉通りのことが繰り返されていた。


「ああ。買った。そうすりゃあおまえも好きな仕事が出来るだろ?まだ係長になったばかりのおまえが今の仕事を辞めてうちに来るって話しは嬉しいが、まだやりたいことがあるんだろ?」

「・・・うん」

実はそうだ。好きで選んだ仕事だけにやりがいも感じていた。
司はそんなつくしの気持ちを読み取っていた。好きな女のことなら、どんなことでも叶えてやりたいと思うのが愛だと今ならわかっている。もし、好きな女が問題を抱えているなら、それを解決してやりたいと思う気持ちもある。そしてそうするだけの力がある。

だいたい女はすぐ顔に出る。
隠したつもりでも悩みがあれば、額に今悩んでます、と書いてあるほどだ。

「いいか。俺とおまえが結婚したら、隠し事はなしだ。わかったか?言いたいことがあれば何でも俺に言え。俺に出来ないことはない」

少し前にそんなことを言われたら、そんなこと出来ないわよ。と言っていただろう。
だが、今はつくしの勤務先が道明寺HDに買収されたという事態に、この男には本当に、出来ないことはないのかもしれないと考え始めていた。

「わかったか?」

「・・・」

「返事は?」

「・・うん・・」

「返事は″はい″だ。日本語は正しく使わねぇとな」

「・・はい・・」

「それから、おまえに関係あることは俺にも関係することだ。何かあったら俺に必ず言うこと。いいな?」

「・・はい・・」
「なんだよ?今夜はやけに素直だな?」

司はこの会話を楽しみはじめていた。
素直にはいと繰り返す女は、可愛らしいと思える。
今夜の最終目的地は、女の腕の中と決めていたが、まだ物足りない。
素直になった女ともっと愛を確かめ合いたい。

「なあ、俺たち話ばかりしてるような気がするんだが。親父にも話したことだし、これから本格的に愛を確かめ合わないか?」

司はつくしの手をつかんでシーツの中へ、誘っていた。





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2017
01.27

エンドロールはあなたと 54

つくしの両親に会いたいと言った司に、うちの家族って最高なの。   
そう言ったつくしが紹介したのは両親と弟。
家族は彼女を入れ4人。その中でつくしだけが家を出てひとり暮らしをしていた。

母親は、娘は結婚しないのではないかと諦めていた、と目に涙をため、父親は呆然とした表情で司を見た。弟はめちゃくちゃ頭がいいの。と言って大学の研究室で働いている青年を紹介された。出されたコーヒーに手をつけたのは、その弟だけだ。


「あの、道明寺さん。大丈夫ですか?つくしは33歳ですよ?あなたみたいな人が何もうちの娘みたいな行き遅れを選ばなくても、他に若くて素敵なお嬢様がいらっしゃると思うんですが・・」
父親が真剣な表情で語りかけた。
そんな父親はごく普通の会社員。勿論国際的な経済人である道明寺司のことは知っている。

「いえ。結婚するのは彼女じゃないと困るんです」

つくしの父親が真剣なら司も真剣だ。
まるで、何か深刻な問題が持ち上がり、検討を重ねなければ大変なことになる、といった男の顔に父親は娘を見た。その目は本当にこの人と結婚するのか?と聞いていた。そんな父親に向かって黒い大きな瞳は頷いていた。

「道明寺さんがそれでいいならうちは一向に構いませんが、その・・でも何がそんなによかったんでしょうか?それにうちはご覧のとおり庶民的な家でして・・つくしもごく庶民としての考えしかないのですが・・」

やっぱり信じられないと半信半疑の顔で司を見る父親。
父親にしてみれば、まさに青天の霹靂ともいえることだろう。何しろあの道明寺財閥の後継者である男が、自分の娘と結婚したいと言って来たのだから。

娘は大学を卒業してからずっと一人暮らしだ。自力でマンションも買い、立派に自活していた。これからもずっと一人で生きて行くものだと思っていた。それが突然結婚したい人がいるから会って欲しいと連れてきた男性が道明寺司なのだから、驚くなという方が無理だ。
玄関先に黒塗りの車が横付けされ、磨き抜かれた革靴の男と共に降りて来た娘を見たとき、腰が抜けそうになっていた。

「彼女は運命の人ですから。それにもし女に若さを求めるようなら調達するのは簡単です。ですが、わたしはそんなものを求めてはいません。ましてや人生を粉飾するような女性はお断りです。人間には不器用さも必要ですから」
と、司は大真面目に言った。

調達だの粉飾だの企業家らしい言葉を返され、思わず苦笑しそうになった父親。
だがそのとき、娘の隣に座る男が、娘の手を取り、その手をそっと握った姿を見た。
その指には、結婚すると決めたとき受け取った指輪が嵌められている。そんな手を握る男の姿は、娘さんと結婚させて下さい、と言いに来た男の緊張の表れなのだろう。そしてそれは、どんなに立派な肩書を持つ男でも、こんな時はごく普通の男だということの表れだろう。そんな男の態度は、率直というのか、ブレがないというのか、とにかく娘に対しての気持ちは真剣で、自分たち両親に対しては真摯な態度で臨んでいると感じられた。

父親は娘の顔をじっと見た。
「つくし・・いいんだな?おまえがいいなら父さんも母さんも反対はしない」

反対はしないが、その代わり苦労することを心配した。
なにしろ生活のレベルが違い過ぎる。だが娘が自分で選んだ道なら反対する理由はない。
それならその道を進めばいい。だから幸せにしてもらえ、と言った。

父親は司へと視線を移した。

「道明寺さん・・どうぞ、娘を、つくしをよろしくお願いいたします」






つくしのことを不器用だと言った司の言葉。
上っ面を飾り立てるような人間はいらないと言った男が欲しかったのは、いっとき家庭や夫よりもキャリアを求めた女。それは今までまったく彼の周りにいなかった女だ。

係長に昇進してからも忙しくしていたが、担当していたクライアントが道明寺だっただけに、融通は利く。社内に打ち合わせにくれば、会えることもあった。
そして、この仕事が終れば司と結婚すると言ったつくし。

そんなつくしに声がかかるのは当然と言えば当然の話だろう。
未来の義母、道明寺楓がつくしの脳力に目をつけたのはあたり前だ。
仕事は能力があれば、どんな仕事でもすぐ覚えることが出来るわ、と言って道明寺に転職を勧めて来た。結婚しても働きたいならうちの会社で働きなさい。司はあなたの助けが必要になることがあるかもしれない。それにうちの事業を知っておくことも重要よ。
どんなに優秀な男でも、助けが必要になることが無いとは言い切れないわ。と言って。

この親子はその表情から、ビジネススタイルまで同じだが、そんな男の中身はかなり熱い。クールな外見に熱い中身という男は当然母親の提案に賛成した。

そこからの司の行動は早かった。




***




「愛し合う二人の行動は予測不可能なのよね」

コーヒーショップから広場を挟んで向かいにあるビルの入口で、車から降りてきた司が、女性と建物の中に入っていく姿を見かけた桜子と紺野。二人は偶然この場所で出会っていた。
そんな二人が見つめる先、大きな男が小さな女の後を追いかけている姿は微笑ましい。
でも営業から帰って来た女が、自分の彼氏が会社にいることを驚くのはあたり前だ。
恐らく昼メシでも喰いに行こうと誘いに来たのだろう。そしてその行動に慌てる女。
男の口が何を言って、女の口がどう返事をすのか容易に想像することが出来る。

「本当ですね・・三条さん。あの二人は予測不可能です」
紺野は小さくため息をついていた。
「なによ?紺野君?二人が幸せなことに不満があるの?言っておくけど、あたしこう見えてあの二人を応援してるの。だからそんなため息つかないでくれる?幸せが逃げるでしょ?」

「僕だってお二人が幸せになることは嬉しいです。それに牧野主任が係長に昇進したことは嬉しいんです。でも、うちの会社を辞めて道明寺に転職してしまうかもしれないんです」

紺野は寂しそうに言った。

「そんなのあたり前じゃない!あの道明寺さんがいつまでも自分の恋人を他人の会社に置いておくはずないでしょ?」

桜子の言い分は恐らくその通りだ。
司がいつまでも恋人を自分の管轄外に置いておくはずがない。

「他人の会社って・・そんな言い方しないで下さい。でも、ここだけの話ですが、もしかしたらうちの会社道明寺HDに買収されるかもしれないんです。ほら、道明寺グループの中には広告を扱うハウスエージェンシーがないんです。だから今まで外部発注だったんですけど、恋人が広告代理店に勤めてるなんてことになったら、会社ごと欲しくなったんでしょうね?それって係長へのプレゼントですかね?」

「道明寺さんのことだから、先輩のことを考えていらっしゃるのよ・・さずが道明寺さんだわ」

会社をまるごと買収して恋人に贈る男。
うっとりした桜子も熱弁をふるう紺野も妙に納得して頷き合っていた。

「でもお金って色んな使い方が出来ますけど、道明寺支社長の使いっぷりって本当に凄いですね?好きな人のために会社を買収しちゃうんですから。うわっ!でも本当にそうなったらうちの会社、道明寺グループの一員ですね?」

「何よ?紺野君はそんなに嬉しいわけ?」

何故か自分がのけ者にされたように感じた桜子の言葉には棘が感じられた。
あたしの方があの二人のことを詳しく知ってるわよ。と言いだけだ。

「あたり前じゃないですか!道明寺支社長は僕の憧れの人なんですから!牧野係長は僕の上司ですけど、道明寺支社長は僕のボスですから。僕、これからもお二人について行きます!」





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2017
01.26

エンドロールはあなたと 53

例えば、今こうして一緒に食事をしている恋人が、突然何か別のものが食べたいと言ったとすれば、彼はその食べ物を手に入れるため尽力を惜しまない。

司の目の前でスプーンいっぱいにアイスを掬い取る女は、係長に昇進してからも相変らず精力的に仕事をこなしていた。いや、以前よりも精力的かもしれない。
いくら食べても太らない体質だということは、知っている。それに、仕事が忙しいという理由から、カロリーを消費することもあるのだろうが全く太らない。
そんな女はスプーンを置き、テーブルの上にあるクリップボードを胸に抱え、司の方を見た。

実は新たに道明寺社の広告を手掛けることになった女。
だから、司になんと言われようと見てもらいたいものがある。きっと男のその口から文句が出るはずだと思っている。でも、口が悪いのは今更だ。けれど、つくしを見つめる黒い瞳は情熱的で全くブレることがない。目は口程に物を言う、と言うが、彼の場合目と口は別のものだ。

目は蕩けるようにつくしを見ることがあるが、口は厳しいことを平気で言うことがある。 

今では唇を押し付けることも、裸のどの部分を押し付けることも慣れて来たというのに、熱い想いが込められた視線を向けられるだけで、頬が燃えるように熱くなるのだから手に負えない。

つくしにとって道明寺司という男は、相変わらず危険な男だ。
突然抱きつく、キスをする。まともな頭を保っていくため、こうしてテーブルを挟んでいるのだが、そのテーブルでさえ愛の行為の場所に変えたがる。
そんなことが実際あったのだから、その時のことを思い出しただけで、赤面してしまうが、愛されていると実感できる時でもある。


だが仕事の相手としては手強い相手に変貌する。
確かに、二人の関係がはじまった頃、ビジネスに徹しましょうと宣言したことがあった。
それがいつの間にか二人の関係は恋人同士となっていた。


つくしは自分がこれまで経験したことから学んだことや、過去の失敗も含め、知恵を絞ってアイデアを出すのだが、厳しい目で拒否されることが多かった。でも、今回は大丈夫なはずだ。

「ねえ?これどう思う?感じたまま話してくれない?」
胸に抱えていたクリップボードを差し出した。

「なんだよこれ?」

「なんだって・・絵だけど・・・」

「おまえこれが絵か?下手くそ。おまえ絵の才能なんて全くねぇな。こんなんじゃ絵コンテなんて描けねぇよな?」

確かにつくしが絵コンテを描くことはない。
何しろ会社には、優秀なグラフィックデザイナーが大勢いるのだから、描く必要性がない。
それにしても、何もそんな言い方しなくてもいいでしょ?と、思ったが実際下手なのだから反論出来なかった。
それに反し、司は絵が上手い。ちょっとした絵コンテなら自ら描けるほどだ。そんなとき決まって優越感に浸った顔をしてつくしを見る。

仕事に対しては厳しい男と言われていたが、恋人として過ごしている時間でも言うことは辛辣だ。だが、仕事の話しを持ち出したのはつくしの方だ。プライベートに仕事は持ち込まないと決めている司にしてみれば、少し機嫌が悪いのかもしれなかった。

絵コンテと言えば思い出すのは、ワインのCMのとき、司が持ち出した絵コンテだ。
てっきりグラフィックデザイナーに描かせたものだと思っていたが、あれは司自身が描き上げたものだと知った。

あのとき、つくしは初めて道明寺社の広告の仕事を勝ち取った。
今思えばよくぞ勝ち取ったと自分自身でも思っていた。
でも、どうしてあのワインの広告案が採用されることになったのか未だに不思議だ。
選ばれた理由は説明されたが、もう一度聞いておきたい気になっていた。


「ねえ。改めて聞くけど、どうしてあのワインの広告案が採用されたの?うちの着眼点が良かったって話しだったけど、本当なのよね?」

「アホか。おまえと仕事したかったからに決まってるだろうが。あんな話を真に受けてるのはおまえだけだ。何が年齢層を上げた方がいいだ。勝手なことしやがって。おかげで俺はおまえの提案を通すために会議室で強権発動する羽目になったじゃねぇか」

・・やはり聞くんじゃなかった。

あのとき、公私混同なんてしてないと言ったのは、やはり嘘だったと知った。そんなことを言われたら仕事に対しての自信を失いそうだ。

「・・嘘だ。おまえの提案が良かったからだ」

つくしのシュンとした顔を見た男は、ニヤニヤしながら言った。

「酷い!どうしてそんな嘘つくのよ?あたしは何事にも本気で取り組んでるのにそんなこと言わないで!」

「それよりその服。いいな。よく似合ってる」

「あ?これ?桜子と滋さんとで買い物に行ったの。それでそのとき買ったの」

最近のつくしは色が明るい洋服を着るようになった。以前は暗い色の洋服が多く、桜子には色々と言われたことがあったが、司の勧めもありパステルカラーの洋服も好んで着ることが多くなっていた。


恋人同士となった二人の間に交わされる言葉は、互いに対しての純粋な思いだろう。
今では、心の中で言葉を置き換える必要がないほど素直な気持ちが出せるようになっていた。恋におちたとき、まさにそれは一瞬の変化で、ある日突然だ。
それまで何ともなかったというのに、相手のことを好きだと自覚した途端、態度も行動もぎこちなくなったという懐かしい日々があった。

「おい、それより俺たちの貴重な時間に仕事の話はしないって言ったよな?それこそ公私混同するなって話しだろ?」

「あ、うん。つい司の意見を聞きたくなって・・ごめん」

会話はそこで途切れ、つくしはトイレに立った。



司は自分とつくしのためにブラックコーヒーを注いだ。
そして、それをリビングのテーブルへと運んだ。
司が誰かのためにコーヒーを淹れるようになったのはつい最近。
つくしとつき合うようになってからだ。

そんな男の口をつくのは、″早く結婚してくれ″だ。
そんなとき決まってつくしが言うのは、″結婚する決心はあるけどもう少し待って″だ。
普通なら男の常套句であるその言葉を女の方から言われるとは。
司はそう思いながら、ちっとも嫌そうではない。

恋愛感情が同質で同量だと思いたいが、質は同じだが量は司の方がはるかに上だ。
実は司も気づかなかったが、恋愛=結婚と短絡的な考え方をするのは、自分の方だと最近気づいた。

それにしても、これまで何でも自分でする癖がついていたせいなのか、
『 自分でやるから大丈夫 』と言う癖が抜けきれない女。

司は思った。
いつまでも自分でやるからなんて言わず、何もかも俺に任せてくれないか。
そして、いい加減俺と結婚してくれ。
だが待つと言った以上、彼はつくしの意志を尊重するつもりだ。

ほどなくしてトイレから戻ったつくしは、司がリビングのソファに腰かけているのを見つけると、彼の傍へと近寄った。

テーブルから淹れ立てのコーヒーの芳しい香りがし、部屋中に満ちていた。司が好きな上等なコーヒーは、今ではつくしも好きになっていた。コーヒーを淹れる水も水道水ではなく、ペットボトルの水と、つくしには贅沢だと思えたが、今では自分に許した唯一の贅沢だ。

彼女は何を思ったのか、司が腰かけているその足元に腰を下ろした。
そして彼の膝に頭をもたせかけた。

「・・つかさ・・あのね・・」
「なんだ?」

司は自分の膝に乗せられたつくしの頭を撫でていた。
膝に広がった黒い艶のある髪を愛おしそうに、優しく、そっと。
つくしはその手を感じながら顔を上げ、言った。

「あたし、この仕事が終わったら司と結婚する。・・うんうん、違う結婚したいの」

つくしは司の目を見てどぎまぎとしたが、彼の言葉を待った。
もしかして、言うタイミングを間違えてしまっただろうかと心配しながら。

すると、司はつくしの脇に両手を差し入れ、身体を持ち上げると、膝の上へと腰かけさせた。
そして抱きしめるとキスをした。

絶対に後悔はさせない、と呟きながら。






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2017
01.25

エンドロールはあなたと 52

人生の大きな決断を前に、誰か女の人のアドバイスが欲しい。
そう考えたとき、つくしの前に現れた司の姉。姉も弟も並外れた美貌の持ち主でよく似ている。母親も背が高かったが、姉も背が高い。恐らく父親もそうだろう。もし、そんな中につくしが立てば、背の高い美貌の道明寺ファミリーに囲まれ、自分だけが別世界の人間のように思えるはずだ。

椿の口ぶりから自分が歓迎されていることは、充分伝わってきた。
だが、心の中に迷いがあった。そんなつくしの気持ちを読み取ったのか、椿は笑みを浮かべながら、ダイヤが散りばめられた腕時計に目を落すと言った。

「司、これからつくしちゃんときちんと話をしたいの。だからちょっと席を外してくれない?それにあんたまだ仕事中でしょ?ここはもういいから仕事に戻りなさい」

「でも姉ちゃん俺は・・」

司が異議を唱えると、椿が片眉を吊り上げ弟を睨んだ。
椿まで片眉を上げるのかと思うとおかしかった。これで父親もそうだとすれば、道明寺ファミリー全員が感情の起伏によって眉が上がるということだ。

「司うるさいわよ?あんたあたしに何て言って来た?つくしちゃんが自分との将来に不安があるみたいだから話をしてくれ、相談に乗ってやってくれって言ったわよね?まだあたしもつくしちゃんも話なんてしてないでしょ?それに男のあんたがいたら邪魔なのよ。女は女同士じゃなきゃ話せないことがあるの。だから行きなさい」

弟を野良犬のように邪険に扱うことが出来るのは姉だけだろう。
言われた司は、つくしに視線を移すと言った。

「おまえ、一人で大丈夫か?」

「司、大丈夫もなにもないでしょ?」
椿がやや厳しい口調で言った。
「あたしが妹になる女性に何をするっていうのよ?あんたはいいからさっさと仕事に戻りなさい」

彼女の視線は母親の楓に勝るとも劣らない迫力がある。これ以上口を挟むことは許さないわ、と言っている。

「つくしちゃん。さっきも言ったけど、うちにお金があるのはおまけだと思えばいいの。
世間じゃ伝統ある道明寺家だなんて言うけど、4代続いた家で何が伝統よね?司が4代目だけどヨーロッパなんてもっと歴史がある家は多いわよ?うちなんて成金よ?成金」

椿はつくしに微笑んでいたが、弟がまだいいることを強く叱った。

「司!あんたまだいたの?お姉ちゃん怒るわよ!あんたは会社に戻って仕事しなさい!」

「わかったよ!・・ったく・・姉ちゃんは相変わらず声がでけぇんだよ・・」

司は姉の態度に懐かしさを感じ、クッと笑って言った。何しろ椿に怒られるのは、随分と久しぶりのことだった。そして姉と弟だからこそのこの関係は、恐らく一生このままだろうと確信していた。

「牧野。・・気をつけろ?もうわかったと思うが、姉ちゃんは人の話は聞かねぇ女だからな。だからって黙って聞いてたらとんでもない目に合わされることに・・」

「司!あんたいつまでいるつもり?さっさと行きなさい!」

「わかったって!・・それより姉ちゃん、ちゃんと話を聞いてやってくれ?それから牧野。おまえもなんか聞きたいことがあるなら遠慮なく聞けばいい。色々考えるおまえのことだ。俺が将来を見据えた話だなんて言ったから慌てたんだろ?俺は別に急いでるわけじゃねぇからな。それから俺はおまえとのことは本気だ。それだけは疑わないでくれ」

将来を見据えた話と同時に持ち上がった昇進。
ひとりなら仕事に邁進できるが、結婚して今の仕事を続けていけるかどうか自信がない。それに大財閥の後継者の妻が、普通の会社員でいることが認められるのかどうか。そんな思いもあった。だからその不安が顔に出たのだろう。そして司が気づくことになったということだ。

「司。女同士膝を交えて話しをするから心配しなくても大丈夫よ」





女二人だけになった店内に新しく運ばれてきたコーヒー。
口に運んだところで先に口を開いたのは椿だ。

「ごめんね、つくしちゃん。これから話すことを本人を前に話すのはどうかと思ったの。司はひと前で褒められたことなんてない子だから、つくしちゃんの前で恥ずかしい顔なんて見せたくないと思うの」

外では常にポーカーフェイスの男にしてみれば、姉に褒められることは、どこか恥ずかしいのだろうか?

「司は外見がああだから、近寄ってくる女性も多いの。だけど誰でもいいって男じゃないわ。つくしちゃんと恋に落ちたのだって、さっきは司の手前バカみたいに落ちただなんて言ったけど、司は簡単に恋に落ちるような男じゃないの。それにあの子の性格だけど、司は温かい心の持ち主だし、ああ見えて細やかなのよ?知性もあるし、バカじゃないわ」

椿はどこか感慨深げに笑みを浮かべた。それは弟を愛しく思う姉の表情だ。

「あの子は好きな女性にはとことん尽くすと思うわ。結婚したら妻思いの夫になる。これは姉として自信を持って言えるわ」

確かにつき合い始めた頃、女性から積極的に振る舞われることに慣れた男が求めるものは何かと考えたことがある。奥手の女なんて早々に飽きられるのではないか。正直そんなことを考えたこともあった。だが、つき合ってみれば他愛もないことを嬉しがるということを知った。愛し合う行為も、緊張がほぐれるようにと心を配ってくれる。他人を気遣うという細やかさがあることも知った。椿が言った細やかさと言ったことは、そう言ったことに通じるのだろう。

「司はいっとき、人間としてレールを外れたことがあったけど自分自身の中に、別の何かを見つけたの。自分からこのままの人生じゃ駄目だって気づいたの。心根は優しい子だし、芯の強い男よ?だからつくしちゃんのことは一生守ってくれるはずよ?仕事だって応援してくれるはず。あの子は中途半端なことは嫌いだもの。それに自分を持った女性が好きなはず。何しろあの子の傍にいたのはこのあたしなんだもの。シスコンだとは言わないけど、男の子って、いつも近くにいた女性に似たタイプを求めるっていうじゃない?もしくは全く反対の女性。あたしが思うに、つくしちゃんの芯の強さはあたしに似てると思うの。
でも、色々と深く悩んじゃうのはあたしには無いものなのよね?そこがあたしとは正反対よね?」

椿はひとくちコーヒーを飲むと、つくしの仕事についていくつか質問をし始めた。
それから20分ばかり話しをした。

「とにかく、司については姉のあたしが保障する。弟はどんなことがあってもつくしちゃんを守るわ。それに絶対に裏切ったりはしないわ。もしあいつが何かしでかしたらいつでも連絡して。ロスから飛んで来るから」





***





ひとしきり愛し合ったあと、司の腕の中でまどろむ女は、彼が敵対的買収を仕掛ける会社のように簡単には落ちない。どんな女性とも長続きがしなかった男が本気の恋に落ち、結婚したい意志を漏らしているというのに、そのことを悩む女。

だが、恋愛に関し、家族や友達の影響力は相当なものだと知った。結婚を了承させるため、手段を選ばずという訳にはいかない。それなら、と、外堀を埋めることから始めていた。
そんな女に仕掛けた姉。

結果はどうだ?

「なあ。この前のことだが驚かせて悪かったな。姉貴はよく喋るだろ?昔っからああだから気にするな」

司はつくしを抱く腕に力を込め、髪の毛を撫でていた。
すると、真剣な眼差しで自分を見上げるつくしの瞳に出会った。

「あのね、あたし係長に昇進するでしょ?だから、今はまだ仕事を頑張りたいの。それで、少し時間が欲しいの。ここで仕事が中途半端なままだと後で後悔しそうで・・」

『だから待ってて欲しいの』

『でも、ダメだっていうなら・・』

そんな言葉は聞こえなかった。
だが、司にはつくしの心の中の声は聞こえていた。

「いいぜ?俺は待っててやる。おまえが俺と結婚する決心がつくまで待ってやるよ」


椿の話を聞いてからずっと思っていた。
道明寺の言うことは信じられる。
そう思わせるオーラが感じられた。
そしていつもよりひとまわり人間が大きく見えるような気がした。

「・・そう言えば、道明寺って偉い人だったのよね・・支社長だもんね・・」

つくしの呟かれた言葉に微笑みを浮かべた司。

「なんだよ?覚えててくれたのか?最近じゃ俺のことなんて紺野と同じレベルじゃねぇかって思ってたぞ?なんかそのへんの犬が鎖に繋がれて飼い主を待ってるって感じのな」

確かに司はつくしに対して遠慮をしていたところがある。
頭のいい男は時に記憶力の弱い男を演じることがあった。
女が困らないようにわざと忘れてみせる。
そして、悩みを与えないようにと言葉にしないこともあった。

今、この場に流れる空気は20代の二人なら恐らく感じることが出来なかった空気。
互いを思いやることが出来る大人の恋人同士ならではの気遣いなのかもしれない。
それは、二人の仲が近づくたびに感じることが出来る精神的な繋がりなのかもしれない。

「ありがとう・・道明寺・・気を遣わせてしまってごめんね」

その言葉に含まれているのは、司が求めていた答えがはいっていると分かっていた。
つい先日まで感じられていた戸惑いは感じられなくなっていた。あからさまな表現はなくても感じ取ることが出来た。彼の胸に頬を寄せたその仕草に、感じられることがあった。

司はつくしをしっかりと抱きしめていた。

息ができないほどに。





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2017
01.24

エンドロールはあなたと 51

歩道に横付けされた黒塗りの大きな車から降りて来たのは、司と髪の長い女性。
ガラス窓の向うに見える姿は30代半ばだろうか。いかにも金持ちそうであかぬけて見える。いくらファッションに疎いつくしでも、その女性が身に付けているものが一般女性向けにデザインされたものでないことくらいひと目でわかった。

すらりとした立ち姿で司の隣に立つ女性は、まるで女優のようにも見えるが、間違いなく彼と同じ階級に属する女性だとわかった。女優でないとしても、そんな女性に当たる陽射しはまるで彼女だけを照らすスポットライトのようだ。

そして傍から見れば、成熟した大人の男女に見える二人は、まるで恋人同士のように見えた。

あの女性はいったい誰?






司はロスに住む姉の椿が帰国するにあたり、つくしに会わせたいと思っていた。
将来を見据えた話をしたいと言ったとき、つくしの顔に不安が見て取れたからだ。
母親である楓と会い、二人の交際を認めてくれたのかと心配していたなら、当然その先の話もあるものだと理解していたが、どうやらつくしは少し違ったようだ。
勿論自分がつき合っている女が、仕事にやりがいを見出していたことは分かっていた。
だからこそ、自分の力で昇進したことも喜ばしいことだと思っていた。

かつて誰が見ても結婚に向かない男と思われていた司。
だが今は違う。牧野つくしと結婚したいと思っている。楓が言った司が優良物件という話。
今の司は自分ではまさにそうだと思っている。自分は優良物件だからお買い得だと言いたいほどで、そのお買い得優良物件を勧める人物として姉の椿を連れて来た。



二人は車を降り、目的地である場所に着いたこと確認した。

「司?本当にここでいいの?」
「ああ。間違いない。あいつに付けている人間から連絡が入った。ここでコーヒーを飲んでるってな」


浜野の一件以降、司はつくしに警護を付けていた。
当人は気づいていないと思うが、気づかれぬように行動するのが本来の警護の役割だ。

「そう。わかったわ。でもまさか司が結婚したい人がいるとお母様から聞いたときには驚いたわ」

母親の口から語られたことが未だに信じられないでいた。
何しろあの弟に結婚する気があったのかと驚いていた。椿はすでに結婚して道明寺家を離れているが、司のことは常に気にしていた。
そんな椿の指には結婚指輪がはめられており、耳にはダイヤのピアスが輝いていた。
長い黒髪は肩甲骨のあたりまであり、センターで分けられている。彼女はその長い髪を手で後ろへとはらった。

「いつまでも俺が昔と同じだと思われても困るんだがな」

「昔の司ね?そうよね、自己中心的で少年が大人の身体を借りていたような頃もあったものね?そんな司が一人の女性を幸せにしたいと思えるようになるとは思わなかったわ」

「俺だっていつまでも子供じゃねぇぞ?」

だが姉には頭が上がらない。
両親が共に海外暮らしともなれば、血がつながった家族のなかで唯一傍にいたのは姉の椿だ。そんな姉からすれば、司がどんなに大人になろうと、いつまでたってもやんちゃな弟と映るのだろう。

「わかってるわよ。でも、そのつくしちゃんはあんたが将来を見据えた話をしたいだなんて言ったら困った顔をしたんでしょ?それにしても、策を弄してその女性を手に入れたっていうのに肝心なところで何やってるのよ?いくら女あしらいが上手いからって本当に好きな女性の前では役に立たない男ね?」

どこか呆れたような言い方だが、あくまでも声は陽気だ。ようは楽しそうだということだ。
弟はいつまでたっても姉の手を煩わせると言いたいのだろう。だが頼られるのは椿も嬉しいはずだ。何しろ姉と弟は両親が不在の間、淋しい時を共に過ごした仲なのだから。

「姉ちゃん、自慢するわけじゃねぇけど本気な女には無茶出来ねぇところがあるんだ」

かつて反抗的なティーンエイジャーだった男は女には興味が無く、褒められたものではないが、女を虫けらの様な目で見ていたことがあった。だが今は全く違う。例え小言でも好きな女の口から出た言葉は脳裏から離れることはないほどになっていた。

「わかってるわよ。でもね、司。女性にとって結婚するってことは大きな意味があることなのよ?特にあんたみたいな男と結婚するとなると、何かを犠牲にしなきゃならないの。わかるでしょ?彼女は仕事が出来る人なんでしょ?それに昇進したのよね?それにうちの家族の一員になるってことは何某かの犠牲を払うことになるのよ?」

「・・ああ。わかってる。だから姉ちゃんに来てもらったんだ。あいつ、なんか悩んでるみてぇだから相談に乗ってやってくれ」

「わかってるわよ。それにそれだけじゃないんでしょ?あんたと結婚するメリットを話せばいいのよね?」





***





車から降りた司と女性がつくし達のいる店に入ってくると、店内がざわついた。
モデルと見まがうばかりの男と、女優かと思われる女の出現だ。店内の視線が二人に集中していた。

「つ、椿さん?!」桜子が言った。
「三条さんお知り合いなんですか?」
「し、知り合いもなにもあの方は_」

司はつくしの姿を認めると、決然とした様子でこちらへ歩いてきた。

「よう、牧野。休憩中か?」

いきなり現れた司になんと反応していいのか考えていた。何しろ紺野や桜子がいるのだから、楽しそうに話しをする場面ではないはずだ。一瞬ためらったが、この場に適切な言葉を返していた。

「し、仕事の打ち合わせをしてたところ・・その、紺野君と」
「そうか。紺野?本当か?」
「あっ、いえ、えっと・・そうです・・」

紺野はしどろもどろだが、つくしもどこか素っ気ない。そして先ほどまであれだけ喋っていた桜子は何故か黙っていた。三者三様流れる空気が微妙に違っているが、その沈黙がやけに重苦しく感じられ、つくしは司の背後を気にしていた。


しいんと静まり返ったなか、司は言った。

「おまえ、何か誤解してねぇか?」

満面の笑みを浮かべた男はにやにやしてつくしに言った。

「牧野。姉の椿だ」

「司。もういいわ。ここから先はわたしの出番でしょ?」

司の背後から声を上げた女性はひとつだけ空いた席に腰をおろした。

「はじめまして。司の姉の椿よ。よろしくね、つくしちゃん」

「あ、あの、牧野つくしです。はじめましてよろしくお願いいたします。先日はお邸の方にお伺いしまして、お母様にお会いして・・」

突然現れた司の姉に驚き、立ち上がると挨拶をした。
姉がいるとは聞いていたが、ロスに住んでいると聞いていただけに、この訪問をどう受けとればと戸惑ったが、女性の顔に笑顔が浮かんでいるのを見て何故か安堵した。

「いいのよ、つくしちゃん。そんなに硬くならなくても。座ってくれない?今日わたしがここにきたのはつくしちゃんに話しがあって来たの」

店の中の注目度は高い。
さすがに衆人環視とも言えるなか、話をするには躊躇いがあった。
すると、店内の客が席を立ち、ぞろぞろと出て行った。
いったいどんな手を使ったのかと思うが、さすが公私混同が出来る男の力は違う。例えここにいる人間が誰だかわからないとしても、これ以上話を聞かれることがないよう、何らかの手を打ったということだろう。店内にいた客は誰一人いなくなっていた。

椿は周りの様子を確認し、つくしの方へと向き直った。
「つくしちゃん。突然のことで驚いたと思うけど、今日はつくしちゃんと司の将来について話をしようと思って来たの」

「あの・・」

つくしは言いかけたが桜子と紺野がいることに戸惑っていた。
いつもの桜子ならこんなチャンスに飛びつかないはずがない。
何しろつくしと司との将来についての話だ。聞きたいに決まっている。
だが、流石に椿には敬意を抱いている。何しろ司の姉であると同時に英徳での大先輩。
そして母親の楓が社交界における重鎮だとすれば、椿はその跡を継ぐ存在だ。そんな判断が頭の中に過ったのかもしれない。

「あの、わたしたちも失礼します!紺野君、行くわよ!」

と宣言するなり、立ち上がり、紺野を連れて店の外へと向かった。
すると店内は、司と椿とつくしの三人だけになった。
椿は状況に満足すると、ひと息つき、話し始めた。

「司が将来を見据えた話をしたいって言ったのよね?でもつくしちゃん、何か悩んでいるみたいだって司から聞いたの。わたしは母からつくしちゃんのことは聞かされていたから勿論歓迎するわ。だから何が悩みなのか教えて欲しいの」

司はつくしの考えていることを知っていた。
何しろ何でも表情に出る女だ。それに昇進が決まったということが、これから二人の関係に新たな変化をもたらすのではないかと考えているとわかっていた。

そして、道明寺という家について考えていることもわかっていた。育った環境と全く違う新しい環境に飛び込むことは誰にでもあるが、司の家の場合、その環境の変化は一般家庭とは著しく異なったものだからだ。だが司はそんなことを気にして欲しくない。
裕福な家だ、職業面での立場だなど気にして欲しくはない。だからこそ、姉の椿を呼んで話をしてもらうことにした。


「司の性格に問題があるなら仕方がないんだけど、そうでないなら何が問題なのか教えて欲しいの。ええっと・・なんだっけ?お母様が話したのは、司がレールを外れるとかそんな話だったかしら?」

「あの道明寺が、いえ司さんがレールを外れるような人生を歩んだとかそんなことは気にしていません。逆に・・わたしの方が司さんに十分ではないのかと思ってしまって・・」

やはり考えるといえばそのことだろう。
つくしは考え過ぎる女だ。ましてや相手が大財閥の後継者。そして将来を見据えたといえば、結婚ということになる。それを考えるなと言うほうが到底無理な話だろう。


「あのね、つくしちゃん。司はどうしてもあなたを手に入れたいの。あなた達二人はお互いが必要なんじゃないの?理論的に物事を捉えるんじゃなくて、司に何を求めているか考えてくれたらいいのよ?だからと言って理性を失うなって言ってるんじゃないの。もし、つくしちゃんが司なんかじゃなくて、もっと理性的な人がいいなら司と別れてもいいわよ?」
椿の視線は司に向いた。

「姉ちゃん、そりゃ言い過ぎだ」

「いいからあんたは黙ってなさい」
椿は司を一喝した。
「つくしちゃん、司は情熱的な男なの。だから恋に落ちるときはバカみたいに落ちたんだと思うの。まあ、今までそんな経験もなかったから、恋に落ちたこと自体信じられなかったかもしれないわ。それこそ司が恋に落ちるなんてうちのビルの屋上から落ちるくらいの勢いだったんじゃない?でもね、恋なんて落ちてみないとわからないでしょ?そう思わない?つくしちゃん?」

椿の話しは確かに頷けると思った。
恋なんてどの瞬間で落ちたかどうかはわからない。いつの間にか始まるのが恋だから。
つくしにしても、司とつき合うことは、高層ビルの屋上から飛び降りたくらいの気持ちだったはずだ。それもパラシュートなしで。

「つくしちゃん、もしうちがお金持ちだなんてことを気にしてるなら、お金なんておまけみたいなものなの。司のことが好きなら、おまけのことなんて気にしなくていいからね。うちにお金があるのは、おまけよ、おまけ。それに司のことは生物学的興味があると思ってくれたらいいからね。そんなに悩むほどの家じゃないからね?どうせ司だって動物的本能でつくしちゃんのことを好きになったに決まってるわ?」



説得力があるのか、無いのかよくわからない話しだ。
それにしても、お金があることをおまけと言える司の姉、椿。
さすが道明寺家の長女だけのことはある。





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2017
01.23

エンドロールはあなたと 50

二人で歩道を歩くとき、つくしのヒールのコツコツという音が、隣を歩く男の靴音と重なることが増えて来た。

黒髪のハンサムな男性と、小柄な女性の組み合わせ。
想像力を働かせなくてもわかるほど仲がいいのが見て取れる。歩幅の小さい女性に合わせるように歩く大きな男性。そしてそんな男性を笑顔で見上げる女性の姿は、見ていて微笑ましいものがある。対し、愛情を表す一途な視線が、他の誰にも向けられることはなく、つくしだけを見つめてくれる。

自然のままが一番輝いている。
その言葉に、どこか気にしていた外見を気にする必要がないと知った。自分の人生に現れるとは思いもしなかった男性の存在が、慣れ親しんできた人生を少しずつ変えていた。

つくしにとって初めての男性。
道明寺司と恋人同士でいることに慣れて来たところだ。そんなとき、将来を見据えた話をしたいと言った男の態度に嬉さを隠せなかった。
だが、長年自分の面倒は自分で見てきた女は、この段階で昇進の話が持ち上がったことに悩んでいた。昇進すれば今以上に仕事が忙しくなることは、目に見えていたからだ。

道明寺社のワイン広告をライバルであった光永企画から勝ち取った功績は大きい。
そして光永が、今後道明寺社との仕事が出来なくなったことにより、博創堂への仕事の依頼が増えたのだ。きっかけはつくしが手掛けた今回の広告にあったと見たのは、博創堂の営業トップだ。もちろん、社内世論の多くは、道明寺司と牧野つくしが恋人関係にあると知ってはいるが、黙殺されていた。

道明寺社と光永企画の間に何があったのか。その経緯は不明だが、道明寺関連の事業全ての広告から、光永企画が外されたというニュースは、業界関係者の間で大きなニュースとなっていた。



「主任、おめでとうございます。係長昇進ですよ!」

営業からの帰り、つくしと紺野は喫茶店にいた。
仕事ぶりが評価され、係長への昇進が決まった。
それはまさに嬉しい知らせ。今まで懸命に仕事をしてきた甲斐があった。
主任と係長の何が違うのかと言われれば、どちらもさして変わりがないのだが、それでも嬉しいことに変わりない。自分の仕事ぶりが認められての昇進だとわかっているからこその嬉しさがある。

「え?うん、ありがとう」
「どうしたんですか?主任、あまり嬉しそうじゃないですね?」
「そんなことないわよ。嬉しいわよ?」
「そうですよね?嬉しいに決まってますよね?何しろ今回のテレビCMの反響も凄いですからね?」

テレビCMの反響。
確かにインパクトがあり、世間の注目を浴びていた。
ゴージャスで華麗な男女が過ごす一夜をイメージして作られたCM。
如何にも男女が愛し合った後だといったシーツの乱れと残されたワイングラスとボトル。
そこからジャグジーバスの中でのシーンへのカット。最期まで見なければ何のCMかわからないような流れとなっており、ハンサムな男性と若く美しい女性がジャグジーバスで軽く戯れるシーンまで、少しずつ商品の内容が明らかになっていく。それはまるで映画のワンシーンを見ているように美しく流れていた。
そして、CMは最後に次のような言葉で締めくくられていた。

低い男性の声が囁くように言った。

″至福の夜を愛する人と一緒に″

テレビで流れるたび、思わず見入ってしまうのはつくしだけだろうか。



「主任?どうしたんですか?」
「え?ど、どうもしないけど?」
「また何か悩んでますね?係長になるんですよ?何をそんなに悩むんですか?仕事は順調だし、道明寺さんとの仲も問題ないんですよね?それなのに何をそんなに悩むんですか?」

何を悩むんですか、と言われたからといって紺野に相談するようなことではない。
彼氏に将来を見据えた話をと言われれば、考えることはひとつしかないからだ。
誰か女の人のアドバイスが欲しい。決して友人たちが信頼出来ないわけではない。
ただ、もっと別の誰かの意見が聞きたいと思っていた。


「先輩、偶然ですね!」

そのとき、背後から声がかかった。
振り返ると、そこにいたのは三条桜子だ。
美しい人形のような顔の桜子は、襟ぐりの深いワインレッドのワンピースを着て、真っ赤な口紅を塗り、黒いマスカラをたっぷり塗った目でつくしの隣に腰を下ろした。

「桜子?どうしたのこんなところで?」
「先輩こそ、どうしたんです?」
「え?うん、営業からの帰り。ちょっと休憩かな?喉渇いちゃってね?桜子は?」
「わたしはこの近くのエステに行った帰りです」

なるほど。どうりで顔の艶がいつもよりもいいはずだ。
そんな桜子の視線はつくしの正面に座る紺野に移った。
四人掛けの席に座るつくしの正面には紺野。そして二人の間に腰を下ろしたのが桜子だ。

最近のつくしは、心の中で紺野のことを夢見る夢男と呼んでいた。
そんな夢男と毒舌家との対面にいやな予感がする。
男に対しては媚びるか高飛車な女は、紺野を前にどちらの態度で臨めばいいのか考えているようだ。そんな女は獲物のネズミを狙う猫のように目を細めて紺野を見た。

「先輩。このひと誰です?道明寺さんはご存知なんですか?」

ご存知も何もない。
司のことをボスとまで呼ぶ紺野は、いったい誰の部下かと思えるほど司を慕っている。

「え?ああ、あたしの部下の紺野君。紺野君、こちら三条桜子さん。あたしの親友なの」

桜子は紺野の顔から爪先まで視線を這わせると何やら納得したようだ。

「先輩。先輩の部下はまだ子供ですね?これなら道明寺さんも心配なんてしませんね」

桜子はとっておきの笑顔で紺野を見た。
この笑顔はどんな意味を持っているのだろうか?
男に媚びる笑顔ではなく、だからといって高飛車な態度でもない。

「三条さんはじめまして。牧野主任の部下の紺野です」

紺野もにこやかな笑顔で桜子に挨拶をした。
この二人にどこか通じ合うものがあるような気がするのは思い違いだろうか?
それにしても、紺野は見るからに称賛の眼差しで桜子を見ている。

「牧野主任、僕、こんなに綺麗な人を見たのは初めてです」
「そういうあなたも可愛らしいわね?」
と、にこやかに返す桜子。
・・やっぱり。
この二人はどこか似ていると思ったのは間違いではなさそうだ。



それにしてもコーヒー一杯でこんなにも盛り上がれるものなのだろうか?
桜子と紺野の話題はつくしの女としての魅力。どうしたらあんなに素敵な男性を射止めることが出来たのか?と言った話題に変わっていた。

「僕、牧野主任と道明寺支社長がまさか恋に落ちるとは思ってもみませんでした」

「そうよ。まさか先輩があの道明寺さんと恋に落ちるなんて思いもしなかったわよね?」

「三条さんもそう思いましたか?そうですよね?僕もまさかと思いました。だって主任なんてご覧のとおり、女としての武器が今ひとつ足りないんですよ。昔からそうだったんですか?」

「そうなのよ。先輩は昔っからそう。男に興味なしで勉強ばかり。おまけにいい年して女に磨きをかけようとか、そんなこと一切しない人なのよ。全く男っ気がない青春時代を過ごしてる人なのよ?それなのに彼氏はあの道明寺さんなのよ?信じられないでしょ?」

桜子のマシンガントークに口を挟むつもりはないが、そこに輪をかけて紺野の喋りが重なるのだから内心毒づきたくもなっていた。だが、ここで口を挟めば今以上何か言われることはわかっていた。この場は黙ってやり過ごすのが一番いいはずだ。

「三条さん。恋愛の段階で一番盛り上がるのはなんだか分かりますか?」
「決まってるじゃない。男と女が一番盛り上がると言えば、愛し合うまでの過程よ」
「そうですよね?僕もそう思うんです。僕も恋に落ちた女性が頭がぼーっとしてコーヒーを零す場面に遭遇したことがあるんです。何も考えられなくなってるって言うんでしょうね?」

つくしは黙って聞いていたが、内心興奮した紺野が何を言い出すかとヒヤヒヤしていた。
それに桜子もだ。そんな二人をもう止めた方がいいはずだ。

「ねえ、桜子も紺野君もいい加減・・」

そのとき、窓の向うに黒塗りの大きな車が止まるのが見えた。

「えっ!あれって道明寺さん?」
「本当だ。道明寺支社長ですね?」





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2017
01.21

エンドロールはあなたと 49

つくしはルビコン川を一気に渡り、対岸にたどり着いた気分だった。
武装したわけではなかったが、対岸にいる女性は好きな人の母親で、出来れば戦いたくはない人だ。それだけに無事渡り切ったと思えば、気持ちも軽やかになったと感じることが出来た。
そして、傍らには道明寺がいる。

『能力も力もある女性の交際相手にそれなりの力があるなら、それを使うべきよ?』

そんな言葉を道明寺の母親から聞かされるとは思いもしなかったが、さすが公私混同は当然だと思う男の母親だけのことはある。
ビジネスというものはシビアだと言いたいこともよくわかった。
大勢の社員を抱える企業のトップともなれば、受けるプレッシャーも桁外れのはずだ。そんな状況下、魔女だ、鉄の女だと言われるのも仕方がないことだと言いたいのも理解できる。外圧や重責を担うために、そうなる必要があったのだろう。

しかし、道明寺親子は胃に潰瘍が出来ることもないかのように仕事をこなしていく。それがつくしとは大きな違いだ。ときに胃が痛むことがある。仕事をしていればそれも当然だろう。
だが、仕事は忙しくても楽しいと思え、やりがいもある。それが今のつくしの正直な気持ちだ。そして、無事面談ともいえる対面を終えたが聞いておきたいことがあった。





「ええっと・・道明寺・・お母さんはあたし達がつき合うのを認めてくれたって理解していいのかな?」

ベッドの中で睦言を交わすのが苦手な女は司の胸から顔を離すと言った。

「は?おまえなに言ってんだよ?当然だろ?あの態度でわかんねぇって方がおかしいだろ?確かにうちの母親はサディストのような女だから、わかりにくって言えばそうかもしれねぇけどおまえのことは気に入ったようだぞ。心配するな。嫌われてなんてねぇよ。自分から手を差しだして握手を求めるなんて滅多にねぇからな」
司はつくしの身体を抱きしめ、額に口づけた。

「心配するな。なにかあったとしても俺がおまえを守ってやる」
唇に指を這わせ、それから同じ場所に唇に押し付けた。

つくしはひそかに胸を撫で下ろした。
だがそうは言われても二人の間には大きな社会的格差がある。

「でもいいのかな?あたしは滋さんのようにアンタになにかしてあげられるような家柄じゃないんだけど・・」

「いいも悪いもねぇだろ?俺はおまえに惚れてるんだ。それにおまえは俺のことが好きなんだろ?それともアレか?俺のことが嫌いになったのか?」
司の顔にムッとしたような表情が浮かぶ。

「バカ・・・。そんなことある訳ないじゃない。でも本当のことを言うと道明寺と恋人同士になるなんて、自分では考えられないことだったの。でも、アンタはそんなあたしの気持ちを一気に吹き飛ばしてくれた」
つくしの言葉にムッとしていた表情が消え去ると、司はつくしの手を握った。

「うちの母親について話してなかったのは悪かったが、前もって色々話すと先入観ってのが出来ちまうから話さなかった。世間からは冷たい女だと言われているが、そうでもねぇ」

司は誰かに母親に対しての気持ちを語ったことはなかった。
だがつくしには話しておきたいと思った。

「俺のことを道明寺家のレールから外れたなんてことを言ってたが、子供の頃は反抗期以上に荒れたことがあったのは事実だ。どこの世界にも階級だの社会的区分ってのがあるがうちの家は何しろあんな家だ。周りの人間は俺におもねるような奴らばかりだった」

司はいったん言葉を切り、自分の話が理解されるのを待って話しを継いだ。

「そんななか、親は殆ど海外暮らし。つまんねぇことで変な意識ってのが頭の中で育った時があってな、人生なんてどうでもいいなんてことを思うようになった頃があったんだ。滋と見合いさせられたのはちょうどその頃だったか?あの頃の俺は人生なんて道明寺家のためにあるようなものだと思ってた。けど社会に出てみれば、なんのことはない。バカなことを繰り返していたガキだった俺は自分の無力さを感じることになった。ようはバカな坊っちゃんだったってことに気づかされた。道明寺に入社したが、一人息子で財閥の跡取りだからってうちの親は甘くはなかったってことだ」

司は肩をすくめ、にやりと笑った。

「まあ、それまでは井の中の蛙大海を知らずの状態だったってことだ。あのときは男として悔しさを感じたな。なにしろ社会に出ても何の役にもたたねぇバカみてぇに見られたんだからな。それまでテメェーで好き勝手してたのがアホみてぇに感じられた。それからだ。俺が財閥の仕事に邁進したのは」

司のほほ笑みが消えた。
自分の腕の中で話しを聞く女が黙っていることに不安を覚えたからだ。

「それから誤解のないように言っとくが、ババァは俺が女と浮名を流したなんて言ったが、女に惚けてた訳じゃねぇぞ。あれは単なる言葉のあやだ。そりゃ俺も男だから誰もいなかっただなんてことは言えねぇ。それだけはわりぃけど、良いも悪いも過去は変えようがない」

司はそっけなく言ったが、内心では何を言われるかと心配していた。それに長らく口にしたことがないババァという言葉が口をついた。だが女はなにも言い返さない。案の定、やはり甘かったかと司は思った。昔の女の話なんかするもんじゃねぇなと後悔した。
暫く沈黙が続いたが、耐えられなくなった司は口を開いた。

「なんだよ?もう大昔のことじゃねぇかよ?そんなに気になるのか?」

「べ、別に気にしてなんかないわよ。今の道明寺があるのは過去があるからでしょ?それを否定したら今の道明寺を否定することになる。だから否定はしないし出来ない。過去は誰にでもあるんだから何もない方がおかしいでしょ?でも話てくれてありがとう。それに完璧な人なんてどこにもいない・・でもよく話そうと思ったわね?」

「いつか話そうと思ってたが、こんなタイミングになっちまったってことだ。それより、なんで俺たちはベッドの中にいるのにこんな話をしてるんだ?」
司は片方の眉をあげ、つくしをじっと見下ろした。
「え?それは・・」
「なんか時間を無駄にした感じがするんだがおまえはどう思う?」
と、司はからかうように言った。





男は何日間もつくしを味わっていなかった。
と、なると不適な笑みを浮かべた司がいた。
愛し合ったばかりだが一度だけでは物足りない。
最初に愛し合って以来、渇望感が止まらない。

「なあつくし・・」

声色が艶を含んで低く変わった。
愛する女とのセックスは過去のそれと全く違う。
どうして今まで出会えなかったのかと不思議に思った。

バスルームにわずかだが置かれた女らしい小物が不愉快に感じられない。
置いて帰ればいいものを、いつも遠慮がちに持ち帰る。
週末だけ泊まって行くが本当はもっと長く一緒にいたい。
そんな思いを抱え唇にキスをした。
舌を絡め、誘い出し、互いの口腔内を蹂躙するのに任せる。

牧野は求めている。

俺を。




ゆっくりとした息遣いも、やがて切れ切れとしたものに変わった。
つくしっと呼べば女の態度が変わったのがわかる。
その途端、激しい飢えが身体中を襲う。
胸にキスの雨を降らせば、喉の奥から漏れる声は甘く俺の名を呼んだ。
開いた口から漏れる声が何度もつかさ、と呼ぶ。
幸せな気分が胸に込み上げ、顔を上げた。
見下ろせば身体に熱い想いが広がり、胸がずきっと疼いた。

「おまえを紹介してくれた滋に感謝しねぇとな・・たとえ仕事で会うことになってたとしても。そっちは確実じゃなかったから俺はおまえと出会えなかったかもしれねぇ」

牧野がクスッと笑ってあたしも。と言った。
その言葉を何度でも言わせたい。
俺と会ったことを後悔なんてさせねぇ。
これから何十回でもキスしたい。

その夜、何度も愛し合った。
何度愛し合っても余裕などなく、つき動かされるように求めていた。
すでに露になり、何度も吸った双方の頂きは、硬く張りつめ濃い色に変わっていた。
唇で一方の頂きを弄び、もう片方を指で摘まんだ。
頬をすり寄せ、少しざらついて来た顎をその膨らみへと押し付けた。
普段はないその感触に女の身体が一瞬震えていた。


太腿の内側を撫で、開くように促す。
開いた脚の間で触れられることを待つ泉に顔を近づけた。
その場所でゆっくりと動く舌。
既に濡れている部分を唇で吸い、深く激しくキスを繰り返し、濡れ続ける場所を味わう。
息を呑む音と名前を呼ぶ声がしたが、決して止めることなく舌を躍らせ蜜を掬った。

大切なのは女を歓ばせることだ。
このうえない歓喜を与えてやりたい。

指で狭いクレバスをなぞって膨れた花芽を転がし、その奥へと差し入れた。
蜜壺の中で指を締め付けながら反り返る身体。
曲げた指先に触れた場所が中をひくつかせていた。

解放されたいと望んでいるのはわかるが、そんなに早くイカせねぇ。
そんなことしたら勿体ねぇだろ?
俺は俺を求めるおまえが欲しいんだから。
もっと求めて、疼いて、貪って欲しい。
追いつめれば追いつめるほど欲しがる解放。
限界までいかせたい。

・・だが、俺の方が無理か?

「・・おねがい・・っ・・」

身体を満たす指だけでは我慢が出来なくなったのか?
そんなに欲しいなら欲しいって言え。
俺に懇願しろ。
疼く深みに俺を受け入れてくれ。

顔を上げれば潤んだ目で恨めしそうに俺を見た。

・・ちくしょう・・

そんな目で見るんじゃねぇよ!

「欲しいんだろ?俺が欲しいって言えよ?」

「・・つ・・つかさ・・が欲しいっ・・おねがいっ」

こんなとき、素直になるこいつは世界一いい女。

「俺もおまえが欲しい・・」

おまえの要求ならなんでも聞いてやる・・

腰を持ち上げ、引き寄せ、脚の間の高まりを濡れた秘所に押し当てた。

「俺を感じてくれ・・」

ぐっと身体を押し付け、脈打つ分身を深く突き入れた。
先端で中を押し広げ、理性を麻痺させる最奥まで貫いた。

「俺を包んで・・」

掴んだ細い身体を壊さないようにと気遣うが、激しく律動する身体が止まることはない。
キツイ中に何度も突き入れ、絶頂に達する瞬間までずっと顔を見ていたい。
包みこまれ、締め付けられ、俺の方が奪われたと感じる。歯を食いしばるが、汗が白い肌に落ちるほどに求めることが止められない。


「つくし・・愛してるっ!」

「・・あ、あたしもっ・・あいしてるっ・・」

ぎゅっと締めつけられ、身体が張りつめた瞬間、イクのがわかった。
その瞬間、細胞が渇望し、求めるものを手に入れた。

・・だが、何度でも欲しい・・
けど今夜はもうこれ以上は無理か?

甘やかせて、慈しんでやりたい女。
おまえだけが欲しい。
小さな身体に両腕を回し、胸に引き寄せるとキスをした。

やがてシーツにくるまり、抱き合い、互いの腕の中で眠りに落ちていた。





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