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2016
12.29

In the Air Tonight

Category: In the Air Tonight
低い豊かな声が命令する。

俺を楽しませてくれないか?

ひと晩中。







この邸の使用人たちは、彼のことを恐れながらも、なんとか意に叶うようにと懸命に努力していた。彼は冷酷で驚くほど人間を寄せ付けない男。気に入らないことがあれば、黒い瞳でじっと見つめるだけで、相手はたちまち凍りつく。


残酷で冷たい男と呼ばれていても、女たちは彼の傍に近寄ってくる。
それは真夜中の蛾が一際輝く明かりの周りに集まることに似ていた。その明かりが燃え盛る恋の炎だとすれば、蛾は自らその炎の中に飛び込んで行く。たとえ自らの命がその炎で失うことになっても、身を焦がすような恋に憧れて近づいていた。

自らの体が焦げ、燃え尽きてしまったとしても、最後に彼の美しい微笑みを見ることが出来るなら、死んでもいいと思うのかもしれない。

暗示にかけられた動物は、自らの意思に関係なく行動してしまうが、男の視線はまさにそんな催眠作用があるのかもしれない。
若い女性の憧れの男と言われる男。
そんな男に引き寄せられる女たち。
いつか自分がその男の寵愛を受けて見せる。
そう願う女たち。だが彼の凍った心を溶かす女は誰一人いなかった。


彼は全ての人間を惹きつけるオーラがある。
その存在だけで人を惑わすことが出来る男。
誰も逆らえない、高貴な生まれの人間だけが持つ紛れもないオーラがある男。
漆黒の豊かな黒髪、相手を射抜くような黒い瞳。
いつも固く引き結ばれた唇。
誰もが憧れる男で、神の恩恵の全てを受けたのではないかと思われるほどの美貌を持つ男。
だが、そんな男も本能の部分は原始的な男。
欲しいものは、どんなことをしてでも手に入れたいと思う男だ。


そんな彼が求め、欲した女がいた。
女を欲しいと思ったのは、彼女がはじめて。
彼女の心が欲しい。
自分だけを見つめる優しい瞳が欲しい。
その唇から洩れる自分の名前を聞きたい。
そして自分を愛して欲しい。
いつもそう願っていた。


出会いは17歳の頃。
女はある日突然、凛とした立ち姿で彼の前に現れた。
情に厚く、嘘が嫌い。勇気と思いやりを持った少女。
勉強が好きで自立心が旺盛な少女。
いつの間にかそんな少女に惹きつけられた。

男の唇が緩やかなカーブを描くのは、愛しい女の前だけ。
傲慢だと言われるその態度も彼女の前だけでは格好を崩す。
広い肩幅も、引き締まったその体躯も、長い脚も、その力強さ全ては彼女だけのもの。
そんな男は大勢の人間の中にいても一際目立っていた。
その姿は、夜の暗闇でも自由に狩をすることが出来る黒豹のようだ。
タキシードを着こなす黒豹。
そんな男も今では誰もが知る愛妻家の男。


司の欲しかった女性は今、彼の隣でほほ笑みを絶やすことはない。
互いが互いを必要とし、生きていく上での糧となる愛しい人。
多くの困難を乗り越えて結婚した二人。
決して離れはしないと誓い合ってここにいる。

女性なら誰もが羨む宝石も、世界中から取り寄せる一流品も、女は受け取ろうとしない。
自分自身の価値を高めるのは、宝石ではないという女。
自分の身を飾り立てることに興味がなく、いつも自然体でいたいと思う女。
ただ、指に収まるひとつの指輪があれば十分だと言った女。
それこそが、誰もが羨む最高のステータスを持つ男の妻である印だということを知っているのか。

いや。違う。

あいつが欲しかったのは俺のステータスではない。


そんな女は、妻となった今でこそプレゼントを受け取るが、結婚するまでは決して受け取ろうとはしなかった。
どんな女もプレゼントだと言えば喜ぶはずだが、この女は違う。
未だに受け取ろうとしないこともある。


「俺はおまえに受け取って欲しい」

「受け取れないわ」

静かに答え、手を引っ込め背中に回す女。

「どうしてだ?」

「だって高級すぎるもの」

高級なものは要らないと言い、厳しい表情で彼を見る。
そしてひと言、

「また無駄遣いして!」

この女はわかってない。
夫が妻に買い物するのがどうして無駄遣いになる?
恥じるようなことなど何もない。
金なら唸るほどあるというのに、女は俺に妙な罪悪感を抱かせる。

「言っとくが返品できねぇぞ。ここにある物全てに、おまえの名前が彫ってある」

ジュエリーには全て名前を入れさせている。
あいつの名前のTsukushiと俺のTを。

俺のものである印。

時が果てるまで。

そして永遠に。




どんなに煌びやかな衣装を身に付けようと、本来彼女が持つ輝きを失うことはない。
それが、たとえ俺にしかわからないものだとしても、それでいい。
本来なら、誰の目にも触れさせることなく、大切にしまっておきたいと思える宝だから。
もし、おまえに何かあったらと思うと何も出来ないことがある。
だが、何かあっても世の中こんなものだと言って笑う女。

俺と一緒になって苦労してないか?
そう言えば、

『あんたと結婚してから賢くなった』という女。

一緒にいて、俺の世界を見て、そして学んだという女。
けど、俺もおまえと一緒にいて新しい世界を知った。
俺が感じることと、おまえが感じることが同じだと思える日が来るとは思わなかった。
そんな俺は疑うことなく言えることがある。


おまえがいないと生きられない。


優雅な眉を片方だけあげる仕草で妻を誘う男。
そんな男を甘い香りを漂わせ、誘うのは愛しい女。
互いが互いでいるために必要な人。
はじめて会ったときから、変わらぬ思い。
いや。変えることの出来ない不変の愛。
秘めた思いを胸に苦しみを乗り越えた夜もあった。
一度は別れを経験した男と女。
あの時は完全な愛などないと思ったことがあった。



夜というのは人を狂わせてしまうのか?
人はときどき自分でも訳の分からない行動を取ることがある。


「ドレスを脱げ」
命令口調の男。
女は従うしかない。
「俺を喜ばせてくれるんだろ?」

今、男の前にある大きなベッド。
白一色のシーツの上に広がる黒髪は、目もくらむようなコントラストを描いている。
白い身体に纏うのは、淡いブルーのシルクの下着だけ。
ベッドというフィールドは、抱き合うためだけにあると言ってもいい。
毎晩一夜も欠かすことなく、愛し合いたい思いがある。

なぜ俺がこんなにおまえの全てが好きなのか。
おまえは考えたことがあるか?
おまえの愛に救い上げられたからだ。
一度暗闇に堕ちた者は二度と這い上がれないというが、俺はそこから引き上げられた。
おまえが俺の扉をひらいて解放してくれた。
人を愛するという心を教えてくれた。
そして、何もかもが変わった。


そんな顔しないでくれ。おまえの前では俺はごく普通の男。
誰もそんなふうには考えねぇだろうが、俺はおまえを愛するただの男だ。
おまえが望めばいつでも俺の気を向けさせることが出来る。
いつも俺がどれだけおまえに気を向けてるかわかってねぇ。
そんなおまえが鈍感だなんてことは、わかってる。そんなの今さらだ。


唇は離れた。
だが、この手は決して離さないと誓った。
見つめ合う瞳に嘘はない。
たいていの男は簡単に、そして頻繁に他の女を愛する。
俺はただ一度の恋しか知らない。
一度だけ人を愛し、そしてその愛は永遠に続く。
互いの瞳に映り込むのは愛しい人の姿だけ。

つくし。

愛してるんだ、愛してる。

ずっと…永遠に。



黒い瞳で女の目をとらえ、わずかに頭をさげ、掴んだ手を唇に運ぶ。
手の甲にキスをし、それを裏返して掌の真ん中にキスをした。
これから12時間、寝かせてやることが出来そうにない。
こいつの傍を離れることが出来ない。
そして離してやることが出来ない。

理性の声なんてとっくの昔に何処かへ行った。
残るのは狂気に満ちた声。
10代の狂気が甦る。
どうしようもなく、おまえが欲しかったあの頃が。

もし、そんな俺を殺すなら愛をこめて殺して欲しい。

愛おしさに狂った男。

その名は道明寺司。



唇は永遠に妻の名前だけを囁いていた。





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***
今年の更新は本日が最後です。
いつもご訪問して下さる皆様、拙いお話しではございますが、お読み頂きありがとうございました。そして、暖かいご声援を有難うございます。皆様の応援が執筆の励みになりました。 年の瀬です。皆様もお忙しいと思いますが、どうぞお体にはお気をつけてお過ごし下さいませ。年明けは5日か6日を予定しておりますので、またお立ち寄り頂けると幸いです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
それでは皆様もよいお年をお迎え下さいませ。  アカシア拝


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Comment:22
2016
12.28

エンドロールはあなたと 38

会議用の広いテーブルに広げた書類は、前回道明寺社で行われた会議でのレジュメだ。
つくしは紺野の意味ありげな視線を受けながら仕事をしていた。
何か言いだけなその顔に、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。と言いたくなるくらいだ。だが何も言ってこない相手に、わざわざ何かと聞く必要もないとばかり黙っていた。しかし紺野の態度は分かりやすい。つくしが自分のことを気にしているとわかった途端、声をかけて来た。

「牧野主任。ちょっといいですか?」
「な、なに?」
「この前、道明寺支社長と一緒にランチに行かれましたよね?あのとき、僕が目撃したのは間違いなくキスでしたよね?」

つくしは答えなかった。
誰が見ても間違いなくキスだ。それをわざわざ言葉にする紺野。
赤の他人にキスを見られるならまだしも、よく知る人間にキスをしている場面を見られるということに、奇妙な決まり悪さがある。特に日本人なら尚更そう感じるはずだ。だがあの男はアメリカ暮らしが長く、ひと前でキスをすることに躊躇いがない。それにしても、今までもキスは何度もされた。
どうしてひと前でキスをするのかと聞いたが、相変らず好きな女にキスして何が悪いとしか返されなかった。

「主任、今さら隠さなくても、というよりも隠せませんからね?」

紺野は興奮気味に目を輝かせている。
隠すもなにも公然の事実なのだから、どうしようもない。

「もし隠すなら隠すで方法もあったんでしょうけど、あの男らしい道明寺支社長が柱の影とかでコソコソするなんてことは、間違ってもないでしょうね?僕もですが大勢の社員が目撃してるんですから・・・でも・・」

紺野は言葉を切ってつくしの様子を窺った。

「誰もその話をしようとしないんですよね・・。主任知ってますか?道明寺支社長と牧野主任のことは話題にするなって言われてるんです」
紺野は声をひそめ話しを続ける。

「どうやら・・ここだけの話ですが、圧力がかかったみたいですよ?道明寺支社長が主任を連れてこのフロアを去った途端、うちの社長が現れて緘口令が敷かれました。ご存知のようにうちの会社の社風は、長い物には巻かれろ的なところがありますからね。それに相手は大口クライアントの道明寺HDですからね?社長の気の使いようと言ったら、それはもう凄いですよ?それに今まで道明寺社の広告は、光永企画に取られてばかりだったのを、主任が奪い取ったんですから!その件も含めてなんだかよくわかりませんが、とにかく、道明寺支社長と牧野主任のことは社外秘どころか、社内でもマル秘扱いですよ!」

紺野はつくしの功績を興奮気味に褒めたたえた。
確かに道明寺社の広告は、今まで光永企画の取り扱いが多かった。だからこそ、つくしが勝ち取った広告の依頼は、その一角を切り崩したとでもいうのかもしれない。

「でも、ミステリーですよね?あれだけ大勢の人間がお二人のことを目撃していたのに、いくら緘口令が敷かれていても、誰もそのことを話題にしないんですから、まるでお二人のことに触れると罪にでもなるかのようなこの雰囲気・・今さらですよね?あれだけ大っぴらにキスなんかされたら隠しようなないですよ、お二人の関係は」

本人の前で堂々と話しをする紺野の言葉は間違っていない。
確かに誰もあの日のことについて、つくしに聞いて来る人間はいない。

「それよりも、僕、気になってることがあるんです」
紺野はひと呼吸おいてから言った。
「それです」
紺野はつくしの足元に目を留めた。
「主任そんな踵の低い靴、今まで履いてませんでしたよね?」

紺野がつくしの靴の変化に気づいていたとは意外だった。
つくしは足元に視線を落とした。確かに踵が低くなったことは確かだ。あの男から贈られたもので、ビジネス仕様につや消しの黒い靴。

「それに、その靴。ひと目でいいものだとわかるような靴ですね・・・もしかして道明寺支社長からのプレゼントですか?主任はいつも足元がおぼつかないから、支社長が見かねてプレゼントしてくれたんじゃないですか?」

完全に図星だ。当たっている。
これまではなんとか背を高く見せ、仕事が出来る人間に見られたいとばかり、虚勢を張るというわけではないが、どこかそんなところがあった。
だが、踵の低い靴を履き、少しだけ肩肘を張ることを止めてみれば、生き方も変わるのかもしれない。

あの日、つき合うと決め、初めて二人並んで歩いたが、つくしと歩調を合わせようとする男の顔を見上げたとき、それに気づいた男が立ち止まって身を屈めた。
そして、言った。

『おまえはつまらない女なんかじゃねぇ。』

考えていたことを見透かされたような気がした。
何しろ男性経験のない女だ。つまらない女だと早々に飽きられるのではないか。
そんな思いもあった。

見惚れるほどハンサムな男性に見つめられ、恥ずかしさのあまり歩調を速め歩く。
すると、長い脚であっという間に追いつかれる。

『おまえの短い脚なんかで俺から逃げられると思うなよ?』

からかう口調がどこか心地よく感じられ、つくしの歩幅に合わせて歩く男は、気取りも無く自然体だと感じられた。こういうのを大人の恋愛と言うのだろうか。どこか穏やかな空気が流れた。だが殆ど恋愛経験のないつくしにしてみれば、目新しいことばかりのはずだ。

「主任、今はまだ靴だけかもしれませんが、そのうち下着とか贈られるようになるんですよ?男性が下着を贈るのは、それを自分で脱がせたい願望があるからなんですよ。男の僕が言うんですから確かです」

年下の、それも男性の紺野にそこまでレクチャーされると、つくしも黙って頷いてしまう。
こうなると、まるで弟がもう一人いるかのようだ。
見るに見かねてというのかもしれないが、甲斐甲斐しいというのか、この男は世話焼きのところがある。仕事については他人を押しのけても勝ち取ろうとするところは、まだない。
でも今はそんなことを考えている場合じゃない。


問題なのは、これからだ。

男性との経験はキス止まり。決して神経質になっているつもりはないのだが、何しろ他の女性たちよりスタートが遅いことは認めなければいけない。
だから、なんの警告もなく、いきなり何かを始められそうになると、思わず相手の顔に視線を向けたまま硬直してしまうことになる。

『おまえはどうしてそんなに人の顔を直視して固まるんだ?』

そう言われ、人差し指でおでこを突かれた。
つくしはため息をついた。恋愛についての主導権はあの男にある。
何しろ、つくしはほぼ初心者。そして相手はベテラン。

『もう少し俺の存在に慣れろ。そんなにガチガチに固まらなくても、いきなり取って喰うなんてことはしねぇよ。』



そんな時間を過ごし、今、こうして道明寺社に出向いての会議に、先日の会議での恥ずかしさが甦った。だがつくしは目いっぱい頭を回転させていた。ワインの広告を考えているのに、男のことを考えている場合じゃない。
ワインの味を芳醇で贅沢な味わいと表現する言葉がある。道明寺司という男は、まさにそんな男なのかもしれない。

それは洗練された大人の男の味わい・・・

・・駄目だ。

この前はコーヒーを零し、あの男の腕に抱えられ医務室に運ばれるという事態になったではないか。仕事だというのに、何故かプライベートな雰囲気が感じられてしまうのは、自意識過剰なのかもしれないが、何しろ道明寺が意味ありげな視線を投げかけてくるのだから、動揺するなという方が無理だ。切れ長の黒い瞳に誘惑の色を浮かべるとでも言うのか。
そんな瞳で見つめられ、体の力が抜け落ちる以前に、手から書類が滑り落ちていた。

今度は前回の会議のレジュメをばら撒くという事態につくしは慌てた。
そうなると、反射的に道明寺を見てしまうのだからもう重症だ。
散乱した書類を拾い集めようと床に膝をついたつくしの元へ、同じように膝をつく男。

「牧野主任お手伝いしましょう」

と、笑顔で言われれば、もうノックアウト寸前になっていた。






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Comment:9
2016
12.27

エンドロールはあなたと 37

仕事ではどこか勝気な印象があった牧野。
だが司の予想通り、明らかにうろたえ、顔を赤く染めていた。
印象的な黒い瞳は大きく見開かれ、何か言いたげに司を見た。
だが司に握られていた手を引き抜くと、目を閉じ何か考えた末、また開いた。
司はそんな女をじっと見つめた。


・・バージンだと言ってしまった。

聞かれたとは言え、こんなことをこれからつき合う男性に言うことは利口なのだろうか?
もし、目を開いたとき、面白がっているような表情があれば、どうしようかと考えていた。
手を強く握られたが、道明寺司の表情は変わらない。何を考えているか分からないような表情でポーカーフェイスだ。

30歳をとっくに過ぎた女は、年季の入った壁の花のようだと思われているのではないか。 そんなふうに思っていたが、勇気を出して好きだと言えたのだ。恋に奥手だと開き直ったが、どこまで口にすればいいのかと考え、引き抜いた手を両膝につき、姿勢を正した。

「あの、その・・あなたには色々と面倒なことかもしれないんだけど・・その・・」
つくしは何故かはっきり言葉に出来ず、ぼそぼそと呟くように言った。
「それでも・・あたしとつき合いたいって思う?」

「冗談だろ?」

司の口から放たれた冗談だろ、の言葉につくしは軽くショックを受けた。
命がけとまでは言わないが、つくしは決死の思いで告白したというのに、初めての女の相手をするのは、やはり面倒だということなのだろうか。正直に告白したことに恥ずかしさが募った。もしかして嘘をついた方がよかったのだろうか?
手を両膝に置き、姿勢を正したままどう言葉を返したらいいのか考え、口を開いた。

「じょ、冗談って・・やっぱり・・そうよね?いい年した女が経験ないなんて、やっぱりどこかおかしと思うわよね?べ、別にかまわないのよ・・やっぱりそんな女は面倒だって思うなら、今の話はなかったことにして、聞かなかったことにしてくれたらいいから」

気にしないでいいからといった体で言ったが、男性と性的な話しをしていることに恥ずかしさが増すばかりだ。
それも相手は世界中のどんな美女でも、望みのままになるような男だというのに、あたしみたいな女が生意気な口を利くなと言われそうだ。

「経験のない女を相手にするのが嫌っていうのも仕方がない話しよね?いい年した女が経験がなくて、そんな女と・・その・・関係を持ったばっかりに責任を取れなんて言われたら困るものね・・お、重いわよね。そんな女なんて・・」

それ以上何を言ったらいいのか分からないつくしは黙った。
道明寺司みたいな男が何も好き好んで、セックスの楽しみ方も知らないような女を選ぶ必要なんてないもの。どう見ても男盛りの男だ。未経験者なんて物足りないはずだ。
つくしは自分の勇気もこれまでかと感じ、これ以上この場の空気が耐えられないものに変わる前に、なんとかしなければと考えた。礼儀正しく挨拶をして別れるか。それとも黙って席を立つか。

それとも――

「悪かった。俺の言い方がまずかったよな?冗談だろなんて言ったもんだから誤解させちまったけど、違うな。さっきの冗談だろってのは信じられねぇって意味だ」
つくしの言葉を司は否定した。
考え事をしていたつくしは慌てて我に返ったが、言葉に詰まった。
「ち、違うの?」
司がにやりとした。
「誰が初めての女が嫌だなんて結論を出した?おまえとセックスしたくない男がどこにいるって?俺はおまえと愛し合いたい。ただ俺は初めての女を相手にしたことはない。だからむしろおまえが初めてってのは嬉しい驚きだな」

つくしは予想外の言葉を言われ驚き、司をじっと見つめた。
男性と性的な会話をすること自体が初めてで、恥ずかしさばかりが先立つが、それでも大切なことだと思っていただけに気持ちが聞けて良かったと感じていた。

「そ、そう・・。道明寺・・さんがそれでいいなら」
「ああ。俺は問題なんて全くない。いや。ひとつ問題がある」
「な、なに?」
「俺を呼ぶとき道明寺さんってのはもう止めてくれ。俺の女になるってのに、いつまでも道明寺さんじゃおかしいだろ?」
「でも、あたしたちは仕事の関係で知り合って、それに実際一緒に仕事を始めてるんだし・・」
そこまで言ったところで、話を遮られた。
「なあ、牧野つくし」

道明寺司の持つ独特の低い声がゆったりと話しかけてきた。
ゆったりと椅子にもたれ、黒い瞳にどこか微笑みを浮かべ、余裕を感じさせる態度は彼らしいと思った。テーブルの向う側にいるとはいえ、その距離は殆どなく、手を伸ばせば触れられる距離だ。実際先ほどは手握られたほどだ。

「これから俺たちはつき合うことになった。それについて周りが色々と言ってくるかもしれないが、気にするな。おまえは自分の恋人が特別な誰かってことを考えるな。俺のことはどこにでもいる男だと思って欲しい。俺たちは互いに価値を認めあった人間としてつき合っていきたい」

ビジネスでは冷淡な眼差しを向けることが多いと言われる男からの優しい眼差し。

「それに俺は女に恥ずかしい思いをさせるのは嫌いだ。・・と、言っても俺が真剣につき合いたいって思えたのはおまえが初めてだ。だからおまえが俺と仕事をするにあたって何か言われるようなら、俺に言えばいい。公私混同なんて言ったが、おまえのことを、うちの会社の誰かが陰口を叩くなんてことはねぇ。それに、おまえを医務室まで抱えて運んだことが後を引くなんてことはしてねぇから心配するな」

司はひたすらつくしを見つめていた。
その視線はまさに、狙った獲物は逃さないと言っている。そして自分のものは大切に守るといった態度。つくしは椅子に座っていてよかったと思った。もしそうでなければ、その瞳の強さに目眩がしてしまうほどだ。

「とは言っても、さっきおまえの会社での俺の行為は、公然の事実だからな。今頃社内で広がってるんだろうよ。あの男、おまえの部下か?紺野ってやつ。あの男が呆然とした顔で俺たちを見送ったのが傑作だったけどな」

司は込み上げてくる笑いを押さえると、取り澄ましたような笑みを浮かべた。

そうだった!
つくしは司にエレベーターに連れ込まれる前に見た、紺野の顔を思い出していた。
今まで以上に色々と聞かれることは間違いない。

「・・それからおまえは心配しなくていい」

司の言葉はつくしの頭の中に入って来なかった。何しろこれから社に戻ってから繰り広げられるであろう事態を想像していた。社内でいきなりキスをされた女はどんな態度で戻ればいいのか。それに今頃社内は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていることは確かだ。
いきなり現れた男とキスをした女は社内の風紀を乱したとして処罰の対象になるのだろうか。
つくしはテーブルの上の水を飲んだ。
もしかして減給される?それとも・・まさか退職に追い込まれる?

「俺がじっくり教えてやるから」

つくしは頭の中が会社のことで一杯だ。
だから男が何かを教えてやると言っていることに気づくと、真顔で司の目を見て聞いた。

「なにを?」

「俺と愛し合うこと。つまりセックス」

司は自分が牧野つくしをからかうのが好きに違いないと感じた。
なぜなら、牧野つくしが顔を真っ赤にしている姿が、なんとも言えず可愛らしく感じてしまうのだから。






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応援有難うございます。

昨日はある方の訃報に接し、大変驚きました。
恐らく坊っちゃんも、つくしちゃんも、聞いたことがあるクリスマスの定番ともいえる1曲「Last Christmas」を歌われた Wham!のGeorge Michaelさんが25日にお亡くなりになりました。53歳という若さと、25日のクリスマスが、彼にとって本当に最後のクリスマスとなってしまったことに、心よりお悔やみ申し上げます。  
R.I.P. George Michael  
Comment:14
2016
12.26

金持ちの御曹司~幸運な一日~

ビジネスは戦争か?
と、言われればそうだと答える。
世界経済の中枢にいると言われる道明寺財閥。
そしてその重職にある男。
道明寺司。

遠い昔、そんな司と恋人同士になるなんて信じられないと言った女がいた。
それに対し、逃げ回る女をどうにか振り向かせようと必死で努力した男。
自分をよく見せようと、バカなこともした。
どうしたら自分のことをわかってもらえるかと考えると眠れないこともあった。
自分に注目されてもないのに、注目されたくてアプローチをし、相手にされなかったこともあった。そんなとき、司はその女を観察することにした。観察し、どうしたら彼女が自分を見てくれるかと考えた。

まず女を理解するところから始め、次に自分という商品をいかに評価してもらえるかということを考えた。司なりに自分の売り込み方法を考えた。
それは、まさにマーケティング戦略だ。今でこそ経営戦略については彼の得意分野で多方面に渡る戦略を練ることが彼の仕事。
だが当時ターゲットとなる女はなかなか司の思惑通りにならなかった。

それなら、と司が考えたのは釣りの考え方。
それはキャッチ・アンド・リリース。
何しろ牧野つくしは司にとっては希少性が高く、保護すべき対象。
だが、決して逃さないと決めた。

まず、エサを撒いて、慣れさせる。何度釣り針から離れても、また餌を付け、釣り針を投げ込む。やがて魚がその場所が居心地いいと思える環境を作り出すことをした。
そして、その後は誠意を持って接すればいい。当然だが釣った魚に餌は要らないなんて言葉は俺の頭の中にはない。そして最終的には彼女を自分だけの大海で泳がせてやる。
彼女に気づかれないよう、そっと見守る・・。
それも俺の愛のひとつだ。

司はそのとき思った。
人間誠意を持って接すれば、きっとわかってもらえるということを。
信用してくれという言葉があるが、俺もあいつの言葉を信用したから今がある。

「わたしを信じて・・・」

あの言葉を言われたのはいつだったか?

つくしは司の目をじっと見つめて言ったことがある。
「信じて・・」
・・クソッ!
あれはあいつが俺の指輪を返したときに言った言葉じゃねぇかよ!
だが、『 信じて 』この言葉にはめっぽう弱い俺。
あれ以来牧野は、ここぞって時にはこの言葉を言う。
わたしを信じて・・・恋人にそんなこと言われて信じない男がいるか?

過去、司の辞書に「謙虚」という文字はなかったが、今ではある。
だがそれは牧野つくしに対してだけだ。
それなのに、あいつは俺を溢れんばかりの愛で満たしておきながら・・・

俺の願いを叶えてくれねぇことがある。

昨日だってそうだ!

うちのツカサブラックが有馬記念・G1で優勝馬になった。
1枠1番人気のうちのブラック。大歓声を浴び、はずれ馬券が紙吹雪となって舞うスタンドを横目に、12月の芝を余裕で駆け抜けてのゴール。まさに期待通りの勝利。
ゴール直前のスピードは時速65キロくらいあるが、騎手と馬が一体化して駆け抜ける姿は実に美しい。馬はいいぞ、馬は!

俺の馬は大物演歌歌手の馬とよく似た名前だが、馬主に似てうちのブラックの方が男前だ。
あの美しい四肢を見ろ。
引き締まったあの腹にすらりとした脚。完璧な頭の形なんて芸術作品だ。それに、あいつにはツクシハニーって名前の恋人がいる。愛する女がいる男ってのは、頑張るものだ。馬に人参なんかじゃねぇ。恐らくゴール直前、あいつの視線の先にはツクシハニーの姿が見えていたはずだ。

あいつは実によく頑張った。
そうなると、頑張った男には褒美が必要だ。

俺も色々と頑張ってるのは認めてくれるか?
俺はおまえがいるから頑張れる。

馬主である俺はパドックに降り、トロフィーを授与され、記念行事を色々とこなすわけだが、あいつはロイヤルボックスに残るなんて言うんだから、しょうがねぇだろ?
俺の愛を伝えるためにはああするしか手段がなかった。演歌歌手用に用意されていたマイクを奪い取った俺。当然歌なんか歌わねぇ・・けど、言いたいことはあった。

「牧野つくし!俺はおまえを愛してる!」

あのとき、馬を見るために10万人以上の人間がいた。そのうちの何万という双眼鏡は俺に焦点があっていた、がすぐにロイヤルボックスにいる牧野に向けられた。その光景は圧巻だ。

競馬場の中心で愛を叫ぶ。どっかの映画にあったか?
それに別にいいだろ?クリスマスだったんだ。神はその日、人類に愛を伝える為に生まれた。だから俺がおまえを愛してるって叫んでもいいはずだ。言っとくが俺は全世界に向かって叫んでもいいくらいだ。
牧野は俺の突然の行動に驚いた顔をしてたらしいが、いつもあいつの瞳に映ってる感情は、紛れもなく俺が好きだって言っている。

それに、当然だがクリスマス当日のスペシャルプレゼントだなんてのを期待してた俺。
情けねぇ話だが、牧野がくれるっていう物は何でも欲しい俺。
牧野を前にすると反射的に犬になる俺。
気づけばいつの間にか、膝まづいている男。
そこで待てと言われれば、いつまでも待つ男。
思えば昔からそうだった。
けど、おまえの周りでクンクン言ってもいい犬は俺だけだ。
ま、俺の場合はクンクンよりハァハァ言ってる方だな。

だから・・・

今夜は俺をはぁはぁ言わせてくれないか?
クリスマスには熱いキスだけでいいなんて言ったがアレは嘘だ。

「まきの・・オレにプレゼントってなんだ?」

マンションに帰った俺に、プレゼントがあると言った牧野は、小さく頷くと別の部屋へと消えた。




***





「・・ど・・道明寺・・お待たせ・・・」

・・牧野

「ご、ごめん。あんたへのプレゼントって思いつかなくて・・その・・」

・・おまえ、そんな格好していいと思ってるのか?

司の目の前に現れた牧野はサンタガール。
赤と白の切り替えがあるベルベッドで作られたワンピースを神経質そうに撫でつけた。
それにしても何だか中途半端な格好だな?
どうせならもっとセクシーなサンタガールがいいんだが・・
・・まあいい。
なんちゃってでもいい。そこは牧野だからな。
こいつなりの努力ってことだろ?
付き合って随分と経つが、そんな格好をしたのは勿論はじめてだ。
・・けど、わかってたら俺がもっとセクシーなのを用意してやったんだが・・

「・・えっと、可笑しいかな?やっぱり着替えた方がいいかな・・・」

黙り込んだ俺に言う牧野。

・・ああ。そうだな、そうだ。

脳みその一部分は余計なことを言ったが、司は慌ててその思考を追い払った。
そして、その言葉が口から出なくてよかったと息を吐いた。

「・・いや。問題ねぇ。すげぇかわいい・・」









司の唇は、ゆっくりとつくしの唇に落とされる。
そしてそこから始まる二人の夜。
クリスマスが日曜だなんてこと自体が珍しい。
当然だが一日中、二人は一緒にいた。
昼間の喧騒を逃れ、二人だけで過ごす甘い夜。

クリスマスのようなイベントでなくても、甘い夜はあるが今夜は特別だ。
いつもは待つ男も今夜は待てなかった。

鋭く吸い込む息と、ゆっくりと吐き出される息。
男と女の違いを見せつけるのはいつも夜。
背中を向けた女を後ろからそっと抱きしめる男。

その耳元でいつも甘い言葉を囁くのは俺。
愛しい女の口から漏れる言葉は全て記憶している男。
そんな男は上目遣いに視線を向ける女が愛おしくてたまらない。
こいつは俺が好きなその表情を無意識に向けるのだから始末が悪い。
俺はいつまでたってもその表情に惹きつけられてしまう。

二人はいつも見えない糸で結ばれている。
それは17歳と16歳で結ばれた糸。
まだ互いが互いの存在を知らなかった頃に神が結んでくれた赤い糸。
今まで二人にとって困難もあったが、誰も切ることが出来なかった。

俺が持つ全てはこいつのもの。それは俺が望んでいることだ。
クリスマスだろうが、誕生日だろうが、そんなことなど関係なく贈り物をしたがる男。
だがそんな男が、クリスマスには何が欲しいかと聞いたが、何もいらないと答える女。
金持ちの彼氏がいるってのに、何一つ欲しがろうとしない女。

そのことも、俺がこいつに惹かれた理由。誰も彼もが財力と権力に群がったが、こいつはそんなことには気にも留めなかった。逆にあんたが金持ちじゃなかったらよかったのにね。
そんな言葉を返されたことがある。

そんな女が相手だったからこそ、愛はある日突然俺に襲いかかって来た。
だが、いくら人に自分を愛してくれと言っても愛してもらえないことがあるはずだ。
頑張って愛せるものではない。それに愛は努力してするものじゃない。
愛したと、あとで気づくものだってある。
いつの間にか、愛していたと・・・

俺と牧野の間がまさにそれ。
俺ははじめっから愛した。けど、牧野は違う。
だがいつの間にか俺を愛し始めた。
それでいい。始まった二人の愛は不変だから。
俺にとっての恋はこの一度だけ。焦るなって言っても無理。
だが簡単には手に入らなかった恋。だから待つことも学んだ。

どのくらい待てばいい?
どのくらい耐えればいい?
そしてやっと手に入れた甘い囁きと優しく抱きしめてくれる腕。

俺が一番好きな瞬間。
それは、こいつの身体の中でオレが締め付けられること。
そしてこいつの口から″好き″と言われること。
普段恥ずかしいのか、決してその言葉を口にしようとしない女。
いつまでたっても恥ずかしがる女。
そんな女の口から漏れるひとつひとつの言葉が俺にとって最高のプレゼントだ。
モノなんかじゃねぇ。俺が欲しいのは牧野の心だけ。

「んっ・・」

「・・・どうした?」

ゆっくりと、何度も繰り返される甘い口づけに応える女。

「・・すき・・」

小さく囁かれる言葉。

司はそんな女を抱きしめると熱いキスをした。
まるで何日も味わっていなかったかのようで、女の味に飢えているかのようなキス。
だが、どこか意地悪なキス。

「おまえなんで俺と一緒にブラックの表彰式に出なかったんだ?あいつがせっかく優勝したってのに、おまえに祝ってもらえなかったってショック受けてたぞ?」

最近の俺は馬の気持ちがわかる。何しろあいつも愛しい女のために頑張ってるんだ。
その女の馬主である女から祝福してもらいたいって思うだろ?

「だ、だって・・恥ずかしいじゃない・・10万人もいるんだし・・」

「おまえ、いい加減に慣れろ。俺と結婚したら10万人以上の人間の前にだって出ることがあるぞ」

「ご、ごめんね?」

素直にあやまる女。
・・いや。いつも頑固な女がそう素直にあやまれると逆に俺も困るんだが・・

「許してやんねぇ」

と強面に言う男。
だがその顔は笑っている。わざとらしく作られた厳めしい表情。
司の顔は牧野つくしの前だけでほほ笑む。

肉食獣の餌となる女。
その女は頑固なところもある女。
だから時に、謙虚なんて文字は司の頭の中から無くなることもある。
つまり恋愛は戦争ってことだ。何しろこいつの頑固さは昔っから変わらねぇ。

昔、まだ俺に振り向いてくれなかった頃、愛しい女のハートを勝ち取るためには、どんな手段でも用いなきゃなんねぇってことがあった。欲しいものを手に入れる為には努力を惜しまない。だが、何かをすごく欲しいと思ったら待つことも必要だと知った。
こいつと知り合わなければ、待つことを学ぶことはなかったはずだ。
だから俺は列に並んだ。
今まで列に並ぶ必要がなかった男が、おまえが欲しくて列に並んだ。
そして待った。
恋に焦りは禁物だというが、待てないこともあった。
だが待った。
おまえの気持ちが俺に向くようにと。
一人で生きて行くのは嫌だから。

俺の一番相応しい場所はおまえの傍だけだ。
それに俺はクリスマスじゃなくても年中こいつからプレゼントをもらってる。
それは俺だけに向けられる微笑み。
そして温かみと愛情。

・・まきの。


俺を選んでくれてサンキュー。

それが俺にとって一番大きな贈り物だ。




*G1有馬記念 中山競馬場にて12月25日開催
関連記事:悪魔のささやき

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2016
12.25

Against All Odds 後編

司は教会の扉を引いた。


空気はひんやりとしている。そして静かだ。
大きな教会によくある荘厳な雰囲気とは違い、そこはこじんまりとした教会。小さな教会の中に灯された明かりは、蝋燭の淡いオレンジ色のともしびだけ。ゆらゆらと揺れることなく、ぼんやりとした明かりでその場を照らしていた。薄暗く、くすんだ石の床、そして視線の先には磔にされた男の姿がある。

この家の主であるイエス・キリスト。

司は視線をまっすぐ前に向けていた。
もし奇跡が起こるなら、天からの贈り物があるとすれば、こんな場所ではない。神はもっと華やかな場所が好きなのではないか。彼は単純にそう思っていた。それはまさに祈りなど捧げたことのない男、信仰心がない男が考えることだ。

イエス・キリストと呼ばれる神の家へと足を踏み入れる。

そのこと自体が実に滑稽だと彼自身思う。だがどうしても、この場所へ足を踏み入れるべきだと感じていた。しかし彼は懺悔を聞いてくれる司祭を探しているわけではない。ここはある意味、孤独に生きることを選んだ男には似合いの場所なのかもしれない。心を壁で囲い、誰も寄せ付けないようにして来た男にとって。

イエスも孤独な男だったと聞く。

だが、イエスは言った。

「あなたは一人ではない」と。

決して人は一人ではない、孤独ではないと。
孤独でいることと、一人でいることは違うというが、何が違っているというのか。人は一人でいることから逃げようとする。そして一人でいることを嫌う。だが司は一人でいることを求めた。一人でいることを孤独とは思わなかった。むしろ物事を深く考えることが出来ると思った。

教会の薄暗さに目が慣れるまで、司はその場所に立ち尽くしていた。

やがてその暗さに目が慣れると、司の口から声にならぬ声が漏れた。


神よ_


信じられないという思いで佇む男。
神の名など口にしたことがない男の口から漏れた主の名。

たとえそれが幻影だったとしても、夢だとしても、そこに彼女がいた。この場所に足を踏み入れ、周囲を一瞥したが、他に人がいることに気づかずにいた。まるで背景に溶け込むかのような黒色のコートを着た女。青白い顔に相変わらず大きく黒い瞳が印象的な女。彼を見据えるその瞳は、大きな衝撃を受けたように見開かれている。

だが_

あの長い髪はどうした?
俺が当時知っていた少女はどこにいった?
あの頃輝いていた少女は・・・。
暗がりの中でもわかる、すこし痩せたような女。
沈黙の中であったが、どこか、なにか表情が現れはしないか。そう思って目を凝らしたが、何も見つからなかった。


かつて喉が渇いた人間が、水を求めるのと同じように彼は彼女を求めた。
欲しくて欲しくてたまらなかった女性が今、目の前にいる。
だが心臓の動きが、一瞬だが動きを止めてしまったかのようになり、身体が動かなくなった。満足に息をつくことが出来ない。
手を伸ばせばすぐそこにあの時の少女がいるというのに、脚が動かない。


ふたりは長いことお互いを見つめ合っていた。

いつも笑顔だった顔はそこにない。

あの明るさを奪ったのは誰なんだ?

それは恐らく自分だ。
決して自負があるわけではないが、彼はそう考えた。
いや、心のどこかでそう思った。


両手は抱きしめたい人を求め差し出そうとするが、震えていた。
まるで全身に震えが憑りついたように、心の奥底から湧き上がる思いが彼の身体を震わせた。目に涙が沁みるのがわかったが、涙は頬を伝うことはない。なぜなら瞬きをしたくないからだ。目を閉じた瞬間、目の前の女が消えてしまわないかと思った。
二度と会えない、会うべきではない女性、会ってはいけない。
そんな女性に会えた。それが頭の片隅で幻ではないとわかっているが、心の中の己はそれを信じていない。目で見る光景と心が感じる想いは違う。脳が、目が、ひとつになって彼の前に立つ女性を映し出しているというのに、心が追いついていかない。

足を踏み出せば、抱きしめることが出来るはずだ。

手を伸ばせば、触れることが出来るはずだ。

その髪に。

その頬に。

そして、その唇に。

触れたい。


だが、牧野は結婚している。
司が彼女の行方を調べたとき、彼女は牧野ではなかった。
だがどうしても抱きしめたい。
許されないことだとわかっていても彼女を抱きしめたい。

おまえは今幸せなのか?

想像の世界ではそう聞いたことがある。
頭の中で何度かそんな言葉が過ったことがあったはずだ。
そのとき、もし願いが叶うならと、どこか心の中で祈ったかもしれない。

会いたいと。


長い沈黙が支配する教会のなか、口を開いたのはどちらなのか?
薄暗い明かりしかないこの場所で、女の口が動き、聞き取れぬ言葉をつぶやいた。

道明寺、と。

司は確かにその声を聞いた。
自分の名を呼ぶ声はあの当時と変わらない優しい声。途端、彫像のように動けなかった身体が、命が吹き込まれたかのように、動き出す。
それまでは、まるでその場所から動いてはいけないと見えない力が働いていたが、彼女が彼の名前をつぶやいた途端、まるで呪縛が解けたように足が前へ出た。
彼女の温かい体温を感じたい。
その腕で抱きしめてもらいたい。

そのとき、薄暗い教会のなか、二人の上から一筋の光が差し込んだ。
雲の隙間を縫い、教会のステンドグラスから漏れる光の筋。
それはまさに神の国から彼らのもとへ下ろされた光の梯子。

雲の切れ間から差す梯子のような光。

それは、まさに 『 天使の梯子 』 と呼ばれる光。

旧約聖書に由来するが、天から地上を差す光を使い、天使が上り下りしている姿を見たという記述に由来していた。
その梯子が今、二人に向かって降ろされた。

暗がりに差し込む一筋の光。

司は60階の執務室から見た一筋の光はこの光だったのではないかと思った。
あのとき見た一筋の光が差し込んだ場所は、この教会だったと今、わかった。
それは司だけに示された神の啓示。
神の遣わした天使が、この場所を司にお示しになられた。

そして、今日がその時だと。


話したいことは山ほどある。だが今は何も話したくはない。
ただ、会いたかった人に会えた。それだけの思いで抱き合いたいだけだ。
今はただそれだけでいい。何もかも忘れて二人だけの世界で抱き合いたい。



もし、涙を流すなら一人になってからと、幼い頃一人で過ごす広大な邸の中で覚えた。
決してひと前で涙は流さないとそう決めた。

だが_

まきの・・

会いたかった!


頬が冷たく、何かで濡れているのが感じられた。

司はつくしをきつく抱きしめた。
ずっとこうしたかったはずだ。
心の中にはこうすることを望んだことがあったはずだ。
記憶が戻ってから、すぐにでも彼女の傍に行って抱きしめたかった。



「あたしを覚えてる?」
と、言った女。
「覚えてない」
と、言った男。
だがすぐに言った。

牧野、牧野、牧野、と。
バリトンの太さと有無を言わさぬ力強さが、愛しい人の名を耳元で囁いていた。
やがて少しして、落ち着ついたところで、女は言った。

「長い旅をして来たのね?」

決して責めるような言葉は口にしない女。

「ああ。長すぎたが会いたかった」

優しく抱くと低い声を耳元で囁く。
一番言いたかった言葉は会いたかった。
何度でも言える。
スッと細めた目は愛おしそうに腕の中に閉じ込めた女を見た。

「こんなふうにおまえを抱くことが出来るなんて思わなかった」

まるで欠けていた何かが手元に戻ったようだ。

会いに行こうと思えばいつでも会いにいける距離にいた。同じ街にいたが、会いに行くことが出来ずにいた。彼女がいない世界など想像できなかったはずだというのに、彼はこの街で15年、ひとり生きてきた。そして彼女も沢山の思いを抱え生きていた。司が記憶を回復し、彼女の行方を調べたとき、結婚してこの街にいた。だが、それから後、1年足らずで離婚したと聞かされた。司の目は彼女の左手へ動いた。結婚指輪はしていなかった。

同じ街で、ほんのわずかな距離にいながら、互いのことを知らずにいた。

司が記憶を回復したタイミングと、つくしが離婚したタイミングのずれは、たった1年だけだった。


不釣り合いだと言われた二人。
一枚の板の上に立つとすれば、つり合いがとれるはずもなく、片方はいつも沈んでいた。
だから二人が知り合ったのは、まさに偶然。神の悪戯か、気まぐれか。
そして離れ離れになった二人。

だがそんな二人がまたこうして同じ場所に立っている。
あの当時と同じで不釣り合いなままかもしれない。
だがそれでもいい。気持ちはあの頃と同じで変わってない。

偶然立ち寄っただけのこの教会。

神は二人を再び引き合わせた。

長い間、触れ合うことのなかった恋人同士がこうして再び神の家で会う事が出来た。

人はそれを運命というはずだ。

偶然という運命によって出会った若い頃の二人。
そして再び偶然によって引き合わされた今の二人。
だが、これは必然だと思いたい。
神の意志が働いたとしか言えない出会い。

大都会の片隅にある古い教会のなか。

目を閉じればあの頃が、若かった二人が甦るはずだ。

道明寺、と。呼ばれ、

牧野、と。呼んだ。

そう呼び合えた頃のあの日の二人の姿が。


今からでも決して遅くない。
はじまりはいつもある。
そう、物語のはじまりは。
今日、この場所からはじめればいい。

長い旅をしてきた二人。
それは、それぞれ別の道を別の列車で移動したようなもの。だがその軌道は今、再び交わった。幾つかの駅を通過し、そして止まり、別の列車に乗り換える。そんなこともあったかもしれない互いの人生。だがどの列車も乗客はただひとり。彼も彼女も乗った列車の乗客は自分だけ。ひとりだけだった。互いに孤独の旅だったはずだ。だがここがターミナル、終着駅だ。
ニューヨークにある神の家と呼ばれる教会。
二人の人生の再スタートには相応しいはずだ。

ひとりぼっちで生きる人生は長い。
だが二人でいれば、長い道のりも短く感じるはずだ。
例えどんな環境にいようと、二人が一緒なら。

司は言った。
これからのおまえの人生は俺に預けてくれないか?
人生はどこかで帳尻があうようになっているという。
いい事が長く続かないのと同じで、悪いことも長く続かない。
それなら俺たち二人は残りの人生を幸せに過ごせば、辻褄があう。
だってそうだろ?
今まで二人が過ごせなかった幸せな時間をこれから過ごせばいい。
神は二人が一緒に過ごせなかった幸せをこれから与えてくれるはずだ。
それが二人の人生のあるべき方向のはずだ。
過去を遡ることはしなくていい。
これからは未来だけを見て進めばいい。
二人の間に流れた長い時間はもう終わった。
司はつくしの両手を取ると、見下ろした。
そして言った。

「もう決して、この手は離さない」





*Against All Odds~困難を乗り越えて~ < 完 > 
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2016
12.24

Against All Odds 中編

世界中の誰よりも一番幸せになって欲しい。
毎年この季節になると、そんな思いを込め祈りを捧げていた。
あたしが出来ることは、ただ祈ることだけ。
ただひたすら、あの人が幸せに過ごせますようにと。

この場所に膝をつき、目を閉じ、祈りを捧げる。
そうすることで、日々の中で味わった喜びや悲しみの全てをあの人に伝えることが出来るのではないか。そう思っていた。


__道明寺、元気にしてる?

あんたの噂は色々聞くけど、大変だね?

でも仕事は順調そうだし、元気でよかった。

あたしも元気にしてるよ。



かつて愛し合った人がいた。
だが、今その人はここにいない。
例え全てを投げ出していたとしても、手に入らない人だった。
失った恋人は彼女の事を忘れてしまったが、つくしは自分を忘れた恋人のことを、忘れたことはなかった。どんな境遇にいようと、忘れられなかったということだ。


この街に暮らして6年が経つ。その間、何度か彼を見かけたことがある。
街の雑踏に紛れた女が彼を見ることが出来たのは、セレブリティの集うパーティー会場となったホテルエントランス。多くの有名人が集まるパーティー。誰が来るのかと入口で待つ人間たちがいるが、つくしもその中にいた。
ひと目でいいから会いたい。そう思って足を運んだ。
だが、彼の目につくしの姿は映らなかった。黒く冷たい瞳は誰の姿も映し出すことなく、ただカメラのレンズのように、目の前のモノを認識しているだけだった。

忘れられた恋人。
そんな言葉が繰り返し使われたこともあったが、もう随分と昔の話だ。今ではもう誰も彼女のことなど口にしなくなっていた。そんな女は恋人の親友たちとも縁を切っていた。
つくしは人に頼ることが苦手な女だ。小さい頃からなんでも自分で決めなければならない環境で育ったこともあり、自分ひとりでなんとかしようとする癖がついていた。だから、ひとりでいる方が楽だった。


いつもこの季節になると教会へと足を運ぶ。
この場所ならあの人の魂がある様な気がするからだ。あの時、失われてしまった彼の心がここにある。そんな気がしていた。
神様はあの時の道明寺の心を預かってくれている。だから、いつかその心を彼に返してくれるはずだ。それがいつになるかわからないが、それでもいい。5年だろうと、10年だろうと、あの人があの頃の心を取り戻してくれるなら。そして、神様が早くあの人に心を返してくれますようにと祈る。あたしにはそれくらいしか出来ないとわかっている。

思い出に形を与えることは出来ない。
いつまでも色褪せることがない思い出は、あたしの心の中にあればいい。
かつて二人が恋人同士として過ごした短い時間が確かにあった。

だが、あれからつくしの前には沈黙の時間しかなかった。
そんなとき、沈黙にむかって涙を流すことがあった。涙がひっそりと頬を流れて落ちる。幾千もの長い夜もひとりで過ごしてきた。涙を呑んで暮らす日々が何日も続いたことがあった。そんな日々が暫く続くと、やがて時の経過と共に思い出も少しずつ変わっていったのかもしれない。


時の流れは誰にも平等に訪れる。
そして人生は限られている。
人生の中に巻き起こった嵐とも言える恋。
それはひとときの一瞬とも言える時間だったのかもしれない。
余りにも短すぎた恋だった。
だが、彼を知り、愛することが出来た。
そして、もう誰も他の人を愛することは出来ないと知った。


離婚が成立したのは5年前。
つくしは年の離れた大学教授だった男と離婚した。
結婚したのは6年前。
たった1年の短い結婚生活だった。

相手は初婚で50代の男性。紹介され、請われ、形だけの結婚。それは始めから告げられていたことで、それならとつくしも了承した。夫婦となったが一緒に暮らしたことはない。まさに名前だけの結婚。連絡があるのは、夫婦として行事に参加しなければならない時だけで、あくまでも他人だった。

形だけの結婚を承諾したには理由がある。
それは結婚相手が、この街の大学で教鞭をとることになったと聞いたからだ。
不純な動機だとわかっていたが、道明寺が暮らすこの街に住む事が出来るならと承諾した。
恐らくその頃のあたしは、孤独感にうちひしがれていたのかもしれない。誰の心にもふっと忍び寄る哀しみと寂しさ、そして孤独に。だが、だからと言って結婚相手と一緒に暮らしたいとは思わなかった。

孤独感にうちひしがれる。
どうしてあの頃、そんなことを感じてしまったのか。それは、彼が、道明寺の婚約の話が出たからだ。誰かと婚約する。そして結婚する。あの頃、そんな話があったはずだ。その季節もちょうど今と同じ冬だった。だが、道明寺は結婚しなかった。理由は知らないが結果として彼は結婚しなかった。記憶を無くした男は相変わらず他人を受け付けることをしないようだ。

結局、あたしは1年も経たずに離婚した。
大学教授という立場がどんな立場か理解出来ないが、独身でいることよりも、結婚しているということが重要だったのかもしれない。だがどうして自分が選らばれたのかわからなかった。他人から結婚した理由を聞かれたとき、なんと答えたのか、もう覚えていなかった。
なにしろ、何の関係もない名ばかりの夫だったのだから。

人は一生に一度恋をするとは限らない。
何度も恋をして、自分に相応しい人を探し続ける人もいる。
だが、どうやらそれはあたしには当てはまらないようだ。

あたしの恋はあの時の一度だけでもう恋は出来ない。
だから求めに応じ、形だけの結婚を受け入れてしまったが、それすら無理だということがすぐにわかった。自分の気持ちに嘘はつけない。妥協なんてするべきじゃない。かつて優柔不断と言われた女だったが、別れを決めるのは早かった。

例え道明寺があたしのことを思い出さなくても、二人で一緒に生きることが出来なくても、あの人を愛し続ける。

道明寺以外愛せない。

あいつ以外に愛されたくなんてない。

あたしの心の中には、まだ道明寺への愛がある。
涙とともに去った日々も、今はもう過去だ。
また今日から、この祈りを捧げた日があたしにとって新たな一年のスタートだ。
どれほど二人の関係が離れていようと構わない。
あの頃だってそうだったはずだ。二人の周りにあったのは悪意と偏見と嫉妬。
だがそれすらバネにした。

もし、誰かに恋をしたことがあるか、と聞かれれば自信を持って言える。
一生に一度の恋をしたと言える。
そしてそれが最後の恋だと。

二人の思い出は少ない。だからどんな些細なことも、痛みを伴うことになった出来事も、全てが懐かしい思い出となって心の中にある。激しい雨に打たれることもあったが、二人が経験した雨のような雨はまだ経験したことがない。

ただ、あの日だけは思い出にしたくない。

あの日を思い出すたびに、離婚後一人旅で訪れた国の街を思い出す。


ローマにあるバチカン市国。
イタリアの中にあっても独立したひとつの国家として認められている世界最小の国家。
言わずと知れたキリスト教、カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ寺院がある。
大聖堂のなか、そこに聖母マリアに抱かれるイエス・キリストの姿を見ることが出来る。

死んで十字架から降ろされた息子であるキリストを抱く聖母マリア。
ひとりの女が息絶えた男を腕に抱く姿がある。聖母マリアの悲しみは、愛する者を永遠に失った悲しみの顔。もう二度と彼女の腕に抱かれた男が甦ることがないと伝えている。

十字架から降ろされた、キリストを抱くマリアの姿を描いた絵画や彫刻は、イタリア語でピエタと呼び、意味は慈悲、哀れみだ。多くの芸術家たちが作成して来たその姿。
なかでも、ミケランジェロが2年の歳月をかけ作り上げた大理石の薄衣を纏った二人の姿は、他を圧倒する。それは時を超越して、神話となった二人の姿。
この寺院を訪れた者全てが必ず見るといわれる彫刻は、静かな佇まいを持ってそこにある。

肉体が衰えるような劣情を抱いたことがない聖母マリアの姿は、自然の摂理に逆らっていると言われている。それは、聖母マリアは息子であるイエス・キリストの姿よりも若い姿をしていると言われているからだ。そのため、このマリアは不滅の純潔の象徴とも言われている。

つくしは以前その場所を訪れたとき、足をとめ、その彫刻の前で心に痛みを覚えた。
あのとき、血を流して倒れた道明寺と、聖母マリアの腕に抱かれた男の姿が重なって見えた。彼女の手の届かない場所へと旅立った男を胸に抱き、哀しみに暮れる女性。その女性に自分を重ねていた。

そして、原罪なく妊娠した女性と同じ、まだ誰のものにもなったことのない自らを重ねていた。

つくしの時間はあの日で止まってしまったようだ。
愛したひとりの男性を思ったまま。
だから、他の男性を愛することは出来ない。



扉が開かれ、背後で誰かが入って来たことがわかった。
外の光りがつくしの足元まで差し込んで来たが、扉はすぐに閉じられた。
次に祈りを捧げる人が待っている。その人のためにこの場所を明け渡さなければ。
つくしは立ち上って振り向いた。入口にいるのが男性だと気づいたが、光の届かないその場所で顔を見ることは出来なかった。だが背が高い男性がコート姿でその場に立っていることはわかった。

しかし、その場所から動こうとしない男性につくしは不安を覚えた。
だがここは小さな教会とはいえ、祈りの場所であり、神の家だ。
この場所で何かが起こるとは考えもしなかったが、それでも暗がりに立つ男性に、どこか不安が過り、呼吸が速まった。


そのとき、聞えるか、聞こえないかのような微かな呟き。


まきの_


と呼ばれたような気がした。

呟きだったのか、囁きだったのか。
どちらにしても、つくしの耳には確かにそう聞こえていた。






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2016
12.23

Against All Odds 前編

Against All Odds ~困難を乗り越えて~
Christmas Story 2016
********************





雨が大地を潤すなら、雪は何をもたらしてくれるのか。
最初に落ちて来たひとひらの雪もやがて形を変え大きな雪の粒へと変わっていく。
この地に降り始めた雪はこの世界を変えてくれるのか。
この腕に抱きしめる人がいないこの世界を。
温もりが消えてしまったこの世界を。


空から降る雪は、まるで延々と押し寄せてくる波のようだ。
白い波が空から押し寄せて来る。

決して途切れることなく。

こんな雪の中、かつて彼の手の中にあったあの小さな手の温もりが欲しい。
一度は掴んだと思ったその手を再び掴みたい。

もし、彼女が許してくれるなら。

雪雲が追い払ってしまった太陽の光を浴びたい。

暗くなってしまった空を再び照らす太陽を。









強い風に煽られたのか新聞が空を舞っていた。
それはまるで大きな羽根のある扇風機が回され、空高く押し上げようとしているように見えた。

高く、高く、空高く。

そのうち新聞も見えなくなるかもしれない。上空を流れる偏西風に乗って遠い旅に出るかもしれない。どこか遠く知らない場所へ。書かれた文字が読めない国まで旅をするかもしれない。だがそんなことが実際にあるとは思えなかった。

扇風機が掻き回した空気は渇いた冷たい風。
ひんやりとした冷たい風は街の匂いを変える。
ときおり突風となって地上のものを巻き上げる風。
夏場淀んだ空気によって悪臭を放っていた街の片隅にあるゴミ箱からも、散歩中の犬がもたらした、すえたような匂いも、冷たい風は取り去ってくれる。


そして、そこにあった誰かの思い出も一緒に。

冷たい北風を運ぶ扇風機はいつまでも回転を続けるはずだ。

この季節が終わるまで、ずっと。



地上60階の窓から見上げる空は濃いグレーの雲に覆われており、ときおり雲の隙間から陽の光りが射しこんでいる。それはまるでスポットライトのような一筋の光り。その光りはいったいどの場所を照らしているのか。その場所にあるものは何なのかと思わずにはいられないほど、ある一点を照らしている。彼は思った。その光の下には舞台があって、白いドレスを着た女が踊っているのではないか。そんな光景が頭に浮かんでいた。

雪の結晶を纏った女が。


寒さが厳しく感じられるようになり、街を歩く人々の服装も防寒仕様に変わっていた。
派手な紫色のダウンジャケットを着た若者がいたり、シックで上質なロングコートを纏った老婦人を見かけたりする。街を歩けば目にする光景は派手な装飾の店であったり、入口に銃を持つガードマンが目を光らせる高級店であったりする。一年の中で一番街が光り輝くこの季節。田舎の街ならひっそりと訪れる季節の変わり目も、この街では考えられない話しだ。

ある日、突然街にクリスマスのイルミネーションが輝き始める。

そんな中を誰もが幸せそうな顔をし、街を行き交っていた。
何か欲しいものがあるのか、それとも親しい誰かへの贈り物を探しているのか、わき目もふらず歩く人々。浮かれ騒ぐ街のなか、彼らを見ていると、自分がひとりだと感じられてしまうのは仕方がないことだろう。彼はひとりで生きることを決めたのだから。

この街は人種のるつぼ、メルティングポットと呼ばれている。
移民社会のアメリカでは、それぞれの文化が混じり合い同化する。それを象徴する言葉として有名だが最近では、混ぜても決して同化することがなく、溶け合わないという意味からサラダボウルと言われ、人種のサラダボウルと言われる方が多い。
そんな多民族国家のこの国で、彼のような東洋人は珍しくない。彼がこの街で暮らすようになって既に15年が過ぎていた。


毎年思う。
今年の冬はいったいどんな冬になるのだろうかと。
つい先日、例年より早い雪が降った。街は薄っすらとした雪景色に変わったが、その雪は間もなく顔を出した太陽によってあっという間に溶かされていた。

雪は好きだ。クチナシの花の白であり、アラバスターのような白。
女性の肌の白さの例えとして、アラバスターのような肌と形容されることがあるが、白く滑らかな肌触りは彼女のための言葉だと思った。

あの頃。
二人で永遠を語りあった。愛があれば全てのことを乗り越えられると。
互いが誰よりも大切な人だと感じていた。
だが彼らの永遠は長くは続かなかった。


司が愛した人は今この場所にいない。
今あるのは彼女の面影だけ。
そしてこの場所にいるのは抜け殻となった男。


知り合ったのは高校生の頃。
はじめは彼の周りの人間とは違う風変りな人間が、分不相応な人間が紛れ込んだと思っていた。そんなことを思う男は、あの頃自分が作った地獄に住んでいた。


学園における特権階級劇場最上段席に居た男。
彼はその場所でマリオネットたちが繰り広げる寸劇を眺めていた。
卑怯者が臆病者を苛めて楽しむ姿を。
男は眠れない夜、他人を傷つけながら街を歩く。
そんな毎日を過ごしていた。


救いようがない愚かな男がそこにいたはずだ。


イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが書いた「神曲」という散文詩がある。
イタリア文学最大の古典として、世界の文学界でも重きをなしている。
それは地獄、煉獄、天国の3部からなる物語でルネッサンス時代に書かれていた。

煉獄というのはキリスト教の中でもカトリックの教義だけにある。
天国と地獄の間にあって、どちらへも行くことの出来ない人間がいる場所とされている。煉獄にいる人間は苦罰を受けることによって罪を清められた後、天国へと入ることが許される。


物語は主人公のダンテが地獄から天国への道を辿る話し。
地獄にいた彼は煉獄を抜けなければ天国への階段を上ることは許されない。だが煉獄には高い山がある。その山を登ることで罪が清められていく。ダンテはその山を登りやがて天国に一番近いとされる煉獄山の山頂に立った。その場所で待っていたのはひとりの少女。その少女から差し伸べられた手を掴めば、天国へと引き上げられる。



司の人生にもそういったことがあった。

彼に差し伸べられた手。

それはまさにダンテの神曲の中に描かれた少女と同じ手だったはずだ。
物語の主人公のダンテはひとりの少女、ベアトリーチェによって天国へ引き上げられた。
男にとってその少女は女神であり、崇拝の対象だった。
ベアトリーチェとはこの物語の作者であるダンテが心惹かれた少女の名。
だが彼女は夭逝してしまい、それを知ったダンテは嘆き悲しんだと言われている。



司にも同じような少女がいた。

その少女の名前は牧野つくし。


物語の中と違って司はその手を掴むことを許されなかった。
あともう少しと手を伸ばしたが、少女の手を掴むことは出来なかった。
ある日、彼は一人の暴漢によって死の淵を彷徨うことになる。


神はその時、司を煉獄に留めることに決めたのだろう。
そしてそれまで犯した罪を償うための罰を与えたのかもしれない。司が煉獄で受けた苦罰は、少女の存在を忘れ去ってしまうことだった。彼が神の恵み、天国の喜びをあずかるためには、その苦罰が必要だったのだろう。そして、その罰は長い年月を必要としたということだ。


だが神の教えは、人が罪を犯した後に味わう苦しみは、神が罰として与えるものではなく、罪そのものがもたらすものだと説いている。
それなら司の失った記憶は彼自身の罪がそうさせたということだ。

運命は人の意思に関係なく紡がれていく。
やはりそこに働いているのは神の御意思と采配と言えるのかもしれない。

司の記憶が戻ったのは、ある寒い日。
ちょうど5年前の今日。
なにもかもが寸分の狂いもなく過ぎていく日常の朝。
記憶の想起というものは、まさにある日突然だった。

朝目覚めたとき、見える景色がいつもと違って見えた。
冬は太陽の位置が低い。
カーテンが開け放たれた窓から朝の太陽が、斜めに差し込む光が、司の目の奥に射しこんできた瞬間、涙が溢れた。それまで頭の中に痛みの塊のようなものがあったが消えて無くなっているのがわかった。
部分部分でしか理解できなかったことが、やがてひとつの形を作っていくのが感じられた。
聞えないはずの時計の秒針の音が、まるでメトロノームのように規則正しくリズムを刻むように聞こえた。一秒ごとに甦っていく過去への想い。
記憶は螺旋階段のように上へ上へと伸びていて、その階段を一段登る度にひとつ、またひとつと記憶の扉が開かれていった。

閉ざされていた過去の扉は今、彼の前で開かれた。

大きな扉が開き、過去が一気に彼の頭の中に溢れ、全世界が色を持った瞬間。


_ああ。

俺は思い出したんだ。

あの日のことを、そしてあの少女のことを。

煉獄山の頂上で掴めなかったあの少女の手。

掴みたかった。

あの手を。





地獄に落とされた死者は最後に見た光景を死後も忘れることがなく、その瞼に焼き付けるというが、もしそれが本当なら、彼の瞼に焼き付けられたのは、記憶がなくなる寸前の光景だったはずだ。だが古い記憶が浮上してくるものの、司の空白の時間は余りも長く、過去を辿るには遠すぎるほどだ。

彼の時間はどこで止まってしまったのか。
静寂のなか、時を刻む時計の針は止まることを知らない。たとえ誰かがその針を止めたとしても、また別の時計が時を刻む。時は止まることはないし、止めることも出来ない。

_誰にも。

何もなかった10年とは言えなかった。
だがなぜ、今なのか?
どうして今の季節なのか?
あのとき、そう思った。

太陽の光はいつも彼の頭上にあった。窓から差し込む光もいつもと変わらない。
だがあれはもしかすると、神の光りだったのかもしれない。

神はその日、彼をお許しになられたのだろう。



司は牧野つくしのことを思い出した。
鮮明に、はっきりと。
そして、そのとき感じた。
もう時間が経ち過ぎていると。
二人の愛はあの時点で一度終わったと。
だから記憶が戻っても会いに行くことはしなかった。

決して愛が甦らなかったわけではない。
だがもう時間が経ち過ぎている。
共に別の人生を歩んでいる。

もう終わった恋だと。
過ぎ去った恋だと。
忘れなければならない恋だと_


司は一度、牧野つくしの行方を捜した。
そのとき、彼女が同じ街に住んでいると知った。
だが、訪ねて行くことはしなかった。
会いに行くことはしなかった。

出来なかった。

彼には。



司は牧野つくしの人生に何の幸せも与えたことがなかったからだ。逆を言えば、不幸を与えたのかもしれない。彼女を忘れてしまうということで苦しめてしまった。
何度も彼に会いに来てくれた女性だというのに、追い返してしまったのだから。
そして、ついには、彼女の存在など虫けらのように見ていた。
忘却の彼方へと忘れ去ってしまった女性に記憶が戻ったからと言って会いにいけるはずがない。司も、かつて愛した女性も、すでに別の人生を歩んでいるのだから。


そして今日。5年前と同じような朝を迎えた。
低い位置から差し込む陽の光りを浴び、彼は目覚めた。
いつものようにシャワーを浴び、用意されている服を着る。
白いワイシャツにカフスを留め、黒のスーツにネクタイを絞める。
最後に薄い時計を腕にはめた。
朝食はコーヒーだけ。そして迎えの車に乗る。



この街には多くの教会がある。
彼の目に映る古い教会。
今まで毎日この教会の前を車で通り過ぎるだけだった。
だが今日は何故かこの場所に、ひとけのないこの場所に足を踏み入れたいと思った。
車を止めた男は、運転手がさしかける傘を遠ざけ、教会の扉の前に立った。


__不思議だ。


そして、この場所がなぜか特別な場所のような気がする。
まるで誰かに呼ばれているような気がした。

だが、こんな男を誰が呼ぶ?

キリスト教徒でもない男にここの神が何を語りかけてくるというのか?

愛した女を忘れ、過去を振り返ることなく、全てを捨てた男を。

だが、この世のすべての者たちに、人を愛することを伝えようと神になった男がそこにいる。
救いようもない愚かな男を救ってくれる神がいるなら、人生というパズルをもう一度やり直したいと考える男を救ってくれる神に会えるなら。




そんな思いを抱え、司は教会の扉を引いた。






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2016
12.22

エンドロールはあなたと 36

つくしは食後のコーヒーを飲みながら、司が何を言っているのか一生懸命理解しようとしていた。まだ昼休みにもなっていない時間にいきなり現れた男は、やはりいきなりキスをして口を塞ぎ、大混乱となったフロアから、熱に浮かされたようなつくしを連れ出していた。
そのとき感じたのは男の身体の硬さと、自分が女であることの柔らかさ。

「あの、道明寺さん・・何を・・言いたいのかよくわからないんだけど・・」

レストランでつくしの前に座り、じっと彼女を見据える男はいたく真剣な眼差しだ。

「何がわからないって?」
「だから、その・・」

つくしは言葉を切った。だがそれは切ったというよりも選んでいたと言った方がいい。
仕事なら言葉に詰まることなど無い。だが、こういった場面に遭遇すること自体が殆ど経験がないだけに、熱に浮かされたさっきまでの状態のようにならないようにと気を引き締めた。
しかし、キスされてレストランに連れて来られるまでの間に、現実が戻って来たことは有難かった。

「おまえはさっきから言葉を濁してるけど、そんなに言いたくないのか?」

「な、なにが・・」

「なにがって俺を好きだってこと。いい加減認めてくれてもいいんじゃねーの?」

司は牧野つくしの気持ちを確かめようと決めた。
いい加減認めろと言ったが、カリフォルニアから帰って来てからのつくしの態度が変わったことには気づいていた。
向うを出発する当日、コートを着せ、後ろから抱きしめたとき、短い間ではあったが身じろぎもせず大人しく彼の腕の中にいた女。だが、はっきりとした言葉が聞きたいと思った。

「俺はなんでも白黒はっきりとつける男だ。曖昧な態度ってのは性にあわねーからな。けど、おまえの言いたいことはわかってる。公私混同は嫌いだ。仕事と私生活は別だ。あと何がある?とにかく俺はおまえのことが好きだから、手段は選ばないつもりでおまえに近づいた。カリフォルニアの視察にしたってそうだ。おまえの会社がうちの広告を取り扱うことになったからいいチャンスだと思ったのも正直なところだが、前にも言ったとおり、俺を知ってもらう旅だった。で、どうだ?俺のこと少しはわかってくれたんだろ?」


わかってる。

つくしは心の中で呟いた。
この期に及んでいつまでも答えを出さないなんてことは出来ない。いつか言おうと、会えたら言うつもりでいたのだから、これがいい機会ではないか。
この男は自分の言いたいことは、いつもはっきりと言う男だ。仕事はバリバリ出来ると言われている女が恋には奥手だと知られた以上、開き直っていた。でもいい加減今度はあたしが行動に出なければいけないことはわかっている。今から、ここから前に進めばいいはずだ。

「・・ここのコーヒーおいしい・・やっぱりメープルは豆がちがうのかな・・」

勇気をかき集めての言葉がコーヒー豆の話になってしまうのは、この男の視線がそうさせる。蛇に睨まれたカエルではないが、真剣な表情の道明寺司の射る様な黒い瞳は正直言って迫力がある。

「おまえは話をそらそうとしてるな?」

そのとおりだ。
つくしの心を見通したように、力強く言われた。

「なあ、俺のことどう思ってるか、はっきり言ってくれ。1週間一緒にいたんだ。俺についてどんな感想を持ったんだ?」

まるっきり正反対の人間同士は惹かれないというが、それは本当の話なのだろうか?
つくしの前にいるのは、いまいましいほどセクシーな男で大財閥の御曹司。
片や女はどこにでもいそうな平凡な会社員。そして経験を積んだ女ではないことは分かっているはずだ。

つくしは姿勢を正すと、司の黒い瞳を見つめた。
そして覚悟を決めた。

「あの、あたしは、今さらだけど、あたしの周りにいる人からは恋に奥手で鈍感な女だって言われてるの。だから今までデートをしても続かなくていつの間にか、終わってるっていうか、始まらないうちに終わってた。だから、そのなんていうの?男性との付き合いがあまり得意じゃないって言うのか・・。でも、恋愛映画は好きで見るの。映画館で一人見ることも多くて・・」

つくしは目の前の男の表情を窺うようにしていたが、何も反応がないことに話しが反れたと軌道修正した。

「ご、ゴメン。今は映画の話は関係ないわよね?前にも言ったけど、あたしは仕事が忙しくて、とにかく男性とおつき合いしても上手くいったことがないの。でもそれは仕事が忙しいことに逃げていたかもしれない。仕事が忙しいから恋人なんか作ってもどうせまたすぐに別れることになるって思っていたの。それに何も人生は結婚だけが全てじゃないって考えるようになったの。それが詭弁だって言われたらそうかもしれないんだけど・・」

つくしは自分の話をするのが得意ではない。
それに男性から関心を向けられることもなかっただけに、自分のことを詳しく話したことがない。言葉を選びながらの話に司の顔を窺った。

「あの、聞いてもいい?」
「ああ。なんでも聞け。俺のことは閲覧自由だって言っただろ?文字に書かれていようが、なかろうが答えてやるよ」

文字に書かれていないこと。
その意味は噂も含めて答えてやると言っているようだ。ならば、とつくしは聞く事にした。

「どうして道明寺・・さんは今まで結婚しなかったの?自分の人生は自分で決めたいって言った話しは聞いたけど・・あなたみたいなお家だと、決められたことも多いし、将来のことを考えないわけにはいかないでしょ?も、もちろん答えたくなければ答えなくていいから」

つくしは、長々と司の表情を窺っていた。

「それにこんなことを聞いたら失礼になるかもしれないけど・・」

本当にこんなことを聞いてもいいのかと思ったが、今しかないと思った。
性的なことを聞くのは憚られるが、相手はセックスアピール溢れる男だ。事実、やたらとキスをしてくるということに、間違いなく男としての欲望が感じられる。

司は椅子の背に身体を預けたまま黙って聞いていた、が口を開いた。

「牧野。俺はおまえの口に舌を突っ込んだ男だぞ?そんな男に失礼もなにもないだろ?それにそんな男が他にいたか?」

つくしはごくりと唾を飲んだ。
そんな言い方をされて、思わずその時のことが頭に浮かんだ。さっきまで余計なことは考えなくてもよかったはずだが、そのひとことで益々意識しないわけにはいかなくなった。

「・・うんうん。いない」
「で、なんだよ?聞きたい失礼なことって?」
「・・あたしとつき合うなら、あの・・他の女の人とは付き合わないで欲しいの・・」
つくしは自分の頬が紅潮していると思ったが、言った。

「は?なんだよそれ?」
「だ、だって週刊誌とかに道明寺司はモテる男で・・えっと?世界で最も結婚したい独身男性トップ10に入ったとか言われてるし、あたしとは女性の格が違うっていうか、レベルが違い過ぎる女の人達がお相手で名前が挙がってるし・・でもあたしはこんなレベルだし・・胸も・・あの・・」

何しろ相手は全女性の憧れとまで言われる男だ。
意識しなかった頃はそんなことは関係なかったはずだというのに、今は相手がどんなにレベルの高い男かと認識していた。

司は椅子に背を預けたまま動かなかったが、頭を傾け、しげしげとつくしを見つめた。

「おまえは週刊誌のそんな記事を信じるのか?そんなのデタラメだ。どうせ三流週刊誌の書くことだろ?俺が何人もの女と同時に付き合ってるとか書かれることもあったが、羽目を外して行きずりの女とセックスするような男じゃねぇぞ?」

半ば呆れたように、強い口調で否定され、つくしはこれ以上性的な話をする必要がなくなったとホッとした。でも聞いておかなければ気になってしまったはずだ。

「それで?俺とこうして話しをしようと思えるようになったのはいつだ?」
片眉を上げ、答えを促す男。
「・・滋さんたちと会って話をしてから、自分らしくって言ったらおかしいかもしれないけど、自分の気持ちに正直になろうと思ったの」

相変わらず鋭い瞳で見つめられ、どうにか心を落ち着かせて答えたが、つくしはさっさと要点を言うべきだと思った。

「あたし、道明寺さんのことが好きなの。だから、おつき合いしたいと思ってる。だけどあたしは、こんなレベルだから色々気になって・・。それにあたしは男の人と遊びでつき合うなんてことが出来ない女だから、つき合うなら信頼できる人じゃないと駄目なの」

言えた。やっと。
だが上手く伝えられたかどうか自信がない。

「牧野。なんで俺がおまえと遊びでつき合うだなんて思ったんだ?言ってるだろ?おまえとは真剣につき合いたいってな」

司がテーブルの上のつくしの手を取った。
彼は暫くのあいだ黙ったままで、つくしをじっと見つめていた。

「いいか。物事はいい方向に考えろ。悪い方に考えるな。俺は真面目におまえとつき合いたいって考えてる。これは嘘じゃねぇ。けど男だからおまえに触れたいし、抱きしめたい。まあおまえには、わからねぇかもしれねぇけど・・」
司はつくしの手をとったまま言った。
「それからおまえに聞いておきたいことがある」

黒い瞳は心の奥を覗き込むようにつくしを見る。そんなふうに見つめられれば、ただでさえ紅潮した頬が益々赤くなるのがわかった。いい加減この癖をなんとかしたいが、こればかりは幾つになっても治りそうにない。

「な、なに?」
「おまえ、バージンか?」

薄々気づかれていたのはわかってはいたが、こうはっきりと口に出されると、恥ずかしさで、首まで赤くなっているのではないかと感じられた。初心者マークもまだの人間だというのに、いったいなんと答えればいいのか。

『 バージンなんて面倒くせぇ 』
そんな言葉を返されたらと思うと・・

「牧野?」

つくしは小さく頷くしかなかった。
瞬間、司が強く手を握った。






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Comment:7
2016
12.21

エンドロールはあなたと 35

司も、自分の目標を胸に秘めていた。
完全に攻めの誘惑に出るつもりでいた。しかしバージンの女を相手にするのは初めてだ。
だが許されるギリギリの範囲まで押し、ノーとは言わせない。
まず手始めとして、会議の場で参加者を前に二人の関係を見せつける。
あくまでもさり気なく。
だが確実に。

そんなとき、牧野がコーヒーを零したおかげで思わぬ結果をもたらしていた。
会議室にいた人間は確実に誤解したはずだ。いや、俺は誤解じゃなくてもいいんだが。
それに、バージンだと知ってからあいつに対しては細心の注意を払ってきたつもりだ。
たしかに、意識し始めたときから、あいつが欲しかった。だがとりあえず肉欲は抑えたつもりだ。

普通女に短気を起こされれば、世の中の男は困るはずだ。
だが、俺は全然困らねぇ。むしろ怒った顔にますます心をそそられる。あいつが困った顔にもそそられた。何カ月も女がいない男だとしても、とにかく牧野と出会ってから心が躍る。当然だが欲望も煽られる。

何事にも一生懸命という姿勢。出会った初めの頃の仕事一筋、男なんて関係ないわと言わんばかりの態度。背が低いことを気にしているのか、やたらと踵の高い靴ばかり履いている女。 
今ではそれも改善されたようだ。この前の会議は司が用意した靴を履いていた。

閉じていた唇に何度か軽くキスをし、そこから舌を入れてみたが、あの女は舌を突っ込まれるようなキスをされたことが、なかったようだ。
あの慌てっぷりが司を笑わせた。
つま先立ちしても司の肩まで届かない少女のような女。
そんな女が愛おしくて欲しくてたまらない。

司は秘書に繋がるインターフォンの番号を押した。




***





自分自身に嘘をつくことはやめよう。
今度会ったら気持ちを伝えようと思っていた。
そう思ったつくしだったが、あの男とはカリフォルニアから帰ってから、まだ一度しか会ってない。
理由は推し量ればわかる。一週間会社を留守にしていた男だ。忙しいのだろう。
手に軽い火傷とも言える痛みを負った日。
そしてそれに呼応するかのように、心にも熱い思いを感じさせられた。仕事に没頭しようとしてもあの男のことが気になって集中できずにいた。


つくしは司の態度に思いをめぐらせた。
追いかけて、ほほ笑んで、世話をやき、女性なら誰でも喜ぶようなことを、さり気なくすることが出来る男。そして照れるような台詞も平気で放ち、自分のやりたいように行動する男。
実際、道明寺と知り合ってから、初めての経験がいかに沢山あるかということにも気づかされた。何しろ今まで男性とのデートが2回以上続いたことがなかったのだから。

はじめて舌と舌が触れ合ったとき、どうしたらいいかわからなかった。
初めての感覚で、息をするタイミングを逃しそうだった。昔、誰かにキスをされたときは少しも胸がときめかなかったというのに、わけがわからなくなるほど舞い上がってしまった。

つくしは目を閉じ、心の中と頭で司を見た。
あの男は人を自由に操れる危険な魅力を持つ男だ。微笑みは全ての女性を虜にする。
心ならずも惹かれ、いつの間にか好きになっていた。今まで様々な人間関係を見て来た女は、自分の気持ちに忠実に突っ走ることが出来るのか?
恐らくそれは無理。
でも、出来ないことはないはずだ。


「牧野主任!聞いてますか?」
つくしはビクッとして、さっと紺野を見た。
「き、聞いてるわよ?なに?」
「なにってなんですか!主任、全然聞いてないでしょ?」

恐る恐る周りを見回せば、今回のCM制作のスタッフの視線が突き刺さるように痛い。
コピーライターの説明途中で、最終判断は担当者であるつくしに任されており、意見を求められていたところだった。だが紺野の言うとおり、うわの空とも言ってもいい状態で、全く頭に入っていなかった。
咳払いをすると、口を開いた。

「・・少し休憩しましょうか」

実際休憩したいのはつくしの方だ。

夜明けとともに目覚めたとき、コーヒーが2杯必要だと思った。
今まで道明寺司を主人公に妄想CMが思い浮かんでいた。それもR指定かと思われるような際どい妄想が浮かんでは消えていた。

だが、好きだと自覚した途端、そのCMはつくしの頭の中で別のものに変わっていた。
カリフォルニアでワイナリーの見学中に過った一場面があった。
それは、裸の道明寺司がベッドの上で、こっちへ来いよと女性を誘う場面だ。
本来ならここでストップという場面だというのに、後ろ姿だけだった女性が、いつの間にかつくしの姿に変わってしまっていた。
これまで沈黙してきた女としての部分が、急に目を覚ましたような気がした。

つくしは席を立ち、コーヒーを求め、自販機コーナーへと脚を運んでいた。








「牧野主任!」

降り向くと、紺野が慌てて走り寄って来た。

「牧野主任!大変ですよ!」
紺野の慌てぶりにつくしは何事かと聞いた。
「何が大変なの?」
「道明寺支社長が!いえ、道明寺支社長からお迎えの車が来てるそうです!」
つくしはきょとんとした。
「な、なにそれ?」
「主任、支社長とお昼の約束をしてたんですね?やっぱり二人はつき合ってるんですね?」

紺野の目がなぜか嬉しそうに輝く。
つくしはかぶりを振った。そんな約束はしていない。それにまだつき合うとか何も返事をしていない。でも、あの男は既にあたしとつき合い始めたつもりでいるということだろうか。

紺野はつくしが司に抱きかかえられ、医務室へと運ばれていく場面を目撃してから二人の関係を根掘り葉掘りと聞いて来る。

カリフォルニアで何があったんですか?
道明寺支社長って普段どんな服装なんですか?
プライベートジェットの中ってどんな感じですか?
もしかして・・お二人はもうそこで・・!
だが流石にそこまで立ち入ったことは聞いてこなかったが、興味津々と言ったところだ。

「主任ってば!聞いてますか?凄いですよ!でっかいリムジンが正面玄関で待ってるそうです。中は見えないそうですが、もしかしたら道明寺支社長が乗ってらっしゃるかもしれませんね?あ、でもお忙しい方で分刻みのスケジュールをこなす方ですから、お迎えだけかもしれませんね?」

リムジンと言えば、初めて食事に連れ出されたとき、車内でいきなりキスをされた。
あの時の光景が脳裏を過り、つくしの鼓動は一気に高まった。

「主任!男が食事に誘うってことは求愛儀式のひとつなんです。それにこの前、道明寺支社長が牧野主任を腕に抱えているところなんて、まさにそれですから。まるで自分の獲物を捕らえた豹みたいでしたよ?もうカッコいいのなんのって・・。あ、でも豹に囚われたら食べられちゃいますね?」

紺野は意味ありげにつくしを見た。

「食事と言えば、まさかとは思いますが、主任、割り勘だなんて言ってませんよね?あの道明寺支社長にそんなこと言う人はいませんからね!でも主任って真面目だからあり得るんですよねぇ?」

紺野はつくしの性格をよくわかっているようだ。
今まで経験した数少ないデートのとき、必ず割り勘でと言っていた。

「主任は独立心が大きすぎるんです。いいですか?食事をおごらせないのは、相手を拒んでいることなんです。心の深い部分で相手を拒んでることがその行動に出るんです。ま、主任は男性と二人っきりで食事をしたことがあまりないかもしれませんが、これからは道明寺支社長から食事に誘われても断ったら駄目ですからね?」

紺野はまるで桜子のようなことを言う。
でも、その言葉はあながち外れてはいないと思った。今まで男性と食事をしても、割り勘だったのは、やはり相手の男性を拒んでいたということだろう。深層心理を侮ることは出来ない。

「主任。楽しんで来て下さいね!少しくらい遅れても大丈夫。誰も怒りませんから。何しろ道明寺支社長は大切なクライアント様ですからね!」

そうだった。正面玄関に大きなリムジンが横付けされている様子が目に浮かんだ。
でも、どうしていきなり今日のなのか。それも会社に迎えを寄こす意味が・・・

その時、どこからか女性の悲鳴が聞こえた。
だがその悲鳴はどうやら喜びの悲鳴だったようだ。
つくしは目を瞬いた。
目の錯覚だろうか。
道明寺司が廊下の向うから近づいて来る姿が見えた。
一体なんのつもりなのかと聞こうとした。食事の約束はしていない。それに会社にまで足を運んで来たことに驚きを隠せない。

「牧野。いつまで俺を待たせるつもりだ?」
司はリムジンを降りてつくしのフロアまで上がってきた。
「俺は心配性の彼氏だからな。おまえが遅いと心配になるんだ」
司はつくしの瞳を見ながらいった。

「ど、道明寺支社長?主任、道明寺支社長ですよ?」
紺野は突然現れた司に舞い上がり、司の名前を連呼していた。
「ど、道明寺・・さんあの_」

つくしが言いかけたとき、その先を司がキスで封じた。
何故かキスされる予感はあった。だがまさかつくしの会社の社内、それも紺野の目の前、そしてその後ろに見える大勢の女子社員たち。話しをする間もなく、抱きしめられ唇を塞がれるという暴挙とも言える行為。

司の唇がつくしに触れた瞬間、まさに大混乱の事態となったフロア。
当然、つくしの精神も大混乱をきたし、眩暈がしそうになっていた。
だが、キスは深くなく、司はつくしの腰に腕をまわし、エレベーターまで案内していた。
つくしはまるで熱に浮かされたような状態で、ぼんやりとした表情で司を見ていた。
まさに青天の霹靂とも言える行動。
そして、司は振り返ると、

「おい、紺野。牧野は暫く帰らねぇからよろしく頼む」

と言った。

二人を乗せたエレベーターの扉がゆっくりと閉まると、紺野は呟いていた。

「・・牧野主任、いつか帰してもらえるのかな?」





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2016
12.20

エンドロールはあなたと 34

冷静で洗練された振る舞いをする男。
自分がそう言われていることはわかっていた。
司は優しく短いキスをすますと、自分の唇を舐めた。

「今、キスしておけば、今日一日キスのことを考えなくてもいいだろ?」

言うと司は、エレベーターの扉が開くのを待った。
自分の腕の中で、身体の力が抜けてしまったような女を抱えているのは、実に楽しいと感じていた。

「キスしても分別のある会話くらいは出来るから心配するな。愛し合うのは少し先になっも構わねぇけど、この状況でやっぱりキスしときゃよかった、そんな思いはしたくねぇからな」

「...そ、そう...」

つくしはごくりと唾を呑み込むと、そうとしか答えられなかった。
唇から感じたのは、コーヒーと煙草が混ざり合った味がした。
頬が紅潮するのが感じられたが、この状況では他に答えようがない。一瞬、頭の中が真っ白で何も考えられなくなるのはこのことだと思っていた。

火傷をした手の痛みは、さっきより鈍くなったような気がした。
男性と親密な関係になる。そのことを考えただけで首の付け根が脈打ち、分別のある会話どころか、普通の会話も出来そうにない。もし今ここで知的な会話を交わせと言われても、絶対に無理だ。他に何か言うべきかと思ったが、舌が上顎に張り付いてしまったかのようで、かろうじて笑みを浮かべることしかできなかった。

もし、これがこの男を好きになる前なら、思いつく限りの言葉で罵倒していたかもしれない。
それなのに、今はちょっとキスされたくらいで、この男に対する気持ちの動揺が隠せなかった。


「大丈夫か?」

司は腕の中の女が固まったままでいることに、苦笑いしそうになった。
大丈夫かと聞かれた女は大丈夫だと答えたが、司もいったい何が大丈夫なのかと自分でも考えた。
もっと冷静に誘惑し、牧野の心を自分に向けることを考えたが、抑えきれずにいた。
頭を起こし、改めて牧野を見下ろすと、抑えきれない気持ちのまま、再び唇を唇に押し付けていた。
軽く、押し付けながら、擦りつける動きを繰り返し、口を開かせ、舌を差し入れた。

司の顔には笑みが浮かんでいた。
ひとりの女にこんなに手間をかけたことがないだけに、やっとここまで来たかという思いだった。
暫くすると、司はつくしが身体を強張らせたことに気づき、動きを止めた。
舌を入れられた女が司の背広の襟元を掴んで必死に引っ張っていた。
いきなりやりすぎたか?
司が唇を離した途端、呼吸が出来ずにいたかのような女は大きく息を吸った。

「・・い、息が・・できなかった・・」

大きな目を潤ませた女は、言うと司の胸に頬を預けた。





***





指で顔にかかっていた髪を払う。その手つきは優しい。

『 俺とおまえは相性がいい 』

決して軽い口調ではなく、そんな言葉をすんなんり口にすることが出来る男。
ひと前で堂々と女性を抱き上げ、颯爽と会議室を後にする男。
医務室に運ばれ、赤くなった右手を診察されるときも、傍にいた男。

そんな男の腕の中であがくことなく、キスをされていた。
強引かと言えば強引なのかもしれない。だが、やはり以前とは違うと感じられた。
コーヒーをこぼした出来事が、まさかこんなことになるとは思わなかった。

どの場面の道明寺司も、まなざしは真剣だった。

だが、つくしはまだ自分の気持ちを伝えることが出来なかった。
何しろハンサムでお金持ちの男性から好きだと言われることに慣れてないのだから、戸惑うなという方が無理だ。
滋さんや桜子とつき合いがあっても、あたしはごく普通の会社員だ。
おかしな話だが、あの男はそんなあたしにひるむ様子がない。



「それで、つくし。教えてよ?」
滋はカリフォルニア土産のチョコレートに手をのばしていた。
「カリフォルニアはどうだったんですか?道明寺さんとはどうなったんですか?」
桜子が前のめりになって聞いた。

つくしは二人にサンフランシスコで買い求めたコースターを手渡すため、自宅に呼んだ。
だが二人の親友は土産どころの話ではないとばかりに、つくしに食い付いた。

「先輩、道明寺さんとまだ寝てないんですね?」

藪から棒に言う桜子。いきなり先制パンチを繰り出して来た。

「桜子あんた何言ってんのよ?つくしがいきなりそんなこと出来るわけないでしょ?まあ司が無理矢理なんてことになったらアレだけど。で、本当のところはどうなのよ?まさかとは思うけど、司が狼になったなんてことないわよね?」

勿論、滋だって負けてない。つくしの口を割らせようと目を輝かせながら聞く。

「ど、どうなのって別に何もないわよ・・」

しどろもどろになるつくしの口調には嘘がある。
それは友人達もわかっている。何かありましたと言っているようなものだ。

「嘘ばっかり!あんた達絶対なんかあったでしょ?この前司に電話したら、やたらと機嫌がいいからびっくりしたんだから」
「先輩、正直に言って下さい?何があったんですか?」
「な、なにって・・そんな特に無いわよ・・・ただ・・」
「ただ?ただなんですか?」

つくしはごくりと喉を動かした。

道明寺司を好きになった。
だがその言葉は呑み込んだ。

「あ、あのね。あっちでね、体調崩しちゃって・・吐いたの。それに熱も出ちゃって、風邪ひいたみたいで・・」
「・・・そうですか。それは大変でしたね?・・で?」

桜子は続きを待った。昔から勘のいい女は何かあると気づいたようだ。
何しろ恋愛についてはエキスパートだ。
恋に関しての嘘を見抜くことは得意中の得意だ。

「ど、道明寺・・さんに看病された・・」
つくしは二人の顔を窺いながら言った。
「か、看病?ちょっとつくし、あんたあの司に看病されたって、まさか・・吐いてるつくしを司が介抱したってこと?」
滋が素っ頓狂な声を上げた。
「あの道明寺さんが!?」
同じく桜子も。

「あの司がねぇ・・あいつ愛の虚無主義者だったけど、人生って分からないものよねぇ?つくしと出会って真実の愛に目覚めたって言うの?なんか司が他人の世話をするってことが信じられないんだけど・・」

「本当ですよ!確かに昔の道明寺さんは、何に対しても虚無感漂う感じの人でしたから。でも先輩と出会ったことで真実の愛に目覚めるなんて・・・」
滋同様に信じられないようだ。

「桜子、あんただって本当に好きな人が出来たら愛のエキスパートだなんて言ってられなくなるんだからね?だってあの司がこのつくしじゃなきゃ駄目だなんて、誰が思うのよ?」

滋はまくし立てるように言うとつくしの手を握った。

「つくし。あんたも良かったわね?いつか王子様がじゃないけど、本物の王子様・・司は王子様ってキャラじゃないわね?王様だわね?とにかく、心の準備だけはしときなさいよ?ほら、あんた初めてなんだから」

滋はつくしに言い聞かせるように話し始めた。

「つくしは、人生についてさんざん計画を立てて来たと思うけど、これから先は仕事ばかりじゃなくて、司のことも考えなさいよ?とにかく、これで問題解決ね!だってつくしも司の事が好きになったんだから、あたしの役目は終わったわ。つくしも素直になって司の胸に飛び込んで行きなさい!」

滋はきっぱりと言い切った。
優柔不断と言われる友人の背中を押したつもりだろう。

「いい?つくし。あいつがあんたの運命の男なんだから。つくしがいくら隠したって無駄だからね?もうサイン出まくってるんだから」

好きだというサイン。
確かに滋のいう通りだ。ただ、なかなか恥ずかしくて言えないだけで、つくしは司の事が好きだ。

「・・うん」

今は、そう頷くしか出来なかった。






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