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2016
08.21

金持ちの御曹司~公序と良俗に反しても~

大人向けのお話です。
未成年者の方、またはそのようなお話が苦手の方はお控え下さい。
*******************************




人は年齢を重ねると世界は白と黒だけじゃ済まなくなる。
つまり曖昧な立場ってのが必要になってくる。
司は物事を白と黒とにはっきり分けることを本分としている。

だが好きな女とつき合っていく上では曖昧さ加減を必要とすることも多い。

牧野が黒だと言えば黒だし、白だと言えば白だ。
灰色だと言えばそうだと返事をすることもやぶさかではない。
決してそのことに不満があるわけじゃない。
何しろ牧野はかわいい。牧野は賢い。牧野はいい匂いがする。
そんな牧野を目の前にすると未だに性的緊張ってのが起きちまう。
牧野があの当時俺のことを避けまくってたのは恐らく性的緊張の度合いが高かったってことだ。
それは出会って間もない頃の話しだ。
要するに、あまりの俺のスペックの高さにびびっちまったってことだ。
だから俺はその緊張度合を下げるために色々と努力はしてきたつもりだ。


『 金持ちは本当の金持ち以外のいうことは聞かない 』

これは日本のある財閥の男が呟いた言葉だ。
赤いひし形が三つある会社だったか?俗に言うスリーダイヤがシンボルの会社だ。
とにかくそんな言葉を残したヤツがいるが、俺の場合『道明寺司は牧野つくし以外のいうことは聞かない』とまで言われている。
それが俺と牧野との性的緊張度合を下げることに役立っていたはずだ。
それに経営戦略を練る時間とそんな事に全く関係のない空想に耽る時間というのは、俺にとっては仕事を円滑に進めるためにも欠かせなということだ。
これは今に始まったことではなかったが最近じゃ鉄仮面のような秘書に突っ込まれることも多い。
しかし今まで〝ごっこ″遊びなんてのを色々とやってきたがどれも甲乙つけがたい。

司はふと思った。
そう言えば自分の立場で一番可能性のあることを忘れていた。
そうだ!
どうして今までそのことに気づかなかったのか!
あの鉄仮面のような秘書の態度で思い浮かんだ・・

それは牧野が俺の秘書だったら・・・
これこそ身近で一番可能性のある部署じゃねぇか!
どうしてそのことに今まで触れなかったのか!
あまりにもありきたりの状況に思いつきもしなかったということか?
それとも西田の存在が俺の思考の中に余りにも深くあったから思いもつかなかったということか?

いいじゃねぇかよ。
牧野が俺の秘書だったら・・



こうして司の中の空想は妄想となって執務室の中を漂い始めた。
想像力が逞しい司は自分の体の傍に立つ牧野つくしの状況が目に浮かんでいた。


秘書の牧野。


だがそれは仮の姿で実は司の愛人。


愛人には見えないが常に司の欲望を満たすために執務室にいる女。
昼夜のべつまくなしに求めてしまうのは司を包み込むたおやかなその体。
柳のようにしなる腰と手の中にすっぽりと収まる柔らかな膨らみ。
形のよい小ぶりの乳房は常に司を満足させていた。
司の脳裏に刻まれたつくしの体は早く味わって欲しいとばかりにいつも乳首が突っ立っていた。

体がぶるっと震え、想像だけで洩らしそうになった。
期待にひくつくムスコは対ロケット追尾ミサイル並の角度で立ち上がっていた。
そうだ追尾するミサイルは目標が逃げても命中するまで追いかける。
まさにミサイル並に硬くなったムスコの痛いほどの興奮も牧野の中に入ると心地よい快感に変わってしまう。それを知っているからこそ命中するまで追いかけて逃がさない。
そんなことを知ってるのか知らねぇのか知んねえけど、牧野は無意識のうちの意識で俺を誘っている。

執務室の中を司の目の前で腰をくねらせるようにして歩く牧野。
愛人なんて関係は俺と牧野の間にはあり得ないことだがどこかの物語のシュチュエーションが頭の中を過っていた。
そうだ。愛人の役を演じさせるっていうなら問題ないはずだ。
やってもいいか?
やらせてくれるか?





「牧野、俺に抱かれたくなったら迷うんじゃねぇよ!」
司は女の腕を取ると執務室の壁に背中を押し付けた。
「し、支社長っ・・」
「わかったのか?」
「わ・・わかったわ・・」女は目を伏せた。
「ダメだそんなんじゃ!俺の顔を見て言え!」顎に手を当て上向けた。
「っ・・・わ、わかったわ・・約束するから・・おねがい・・」

壁に押し付けられた女は呼吸を速めて司を見ていた。
ブラウス越に見える胸の膨らみが息をするたびに動いて男を誘った。
司は体を上下に擦りつけるようにして欲望の高まりを伝えた。

「ああ・・まきの・・俺が欲しいんだろ?」
「し・・支社長っ!」
「つかさって呼べよ・・」

司はゆっくりと顔を近づけると唇と唇を重ね合わせた。
なまめかしく動くふたりの唇。互いの口腔内を舌で犯し唾液を送り合う行為。
唇だけが重ね合わされてはいたが、体は熱くまるで生きたまま炙られているようだ。

もっと欲しい。

いますぐここで深く奪いたい。

愛人は欲しいと思った時に抱いていい女だ。
正常位だろうが後背位だろうがどんな形で抱いてもいい女だ。
だが司の中ではどんなふうに抱いてやろうかなど考える余地もないほど女を求めていた。
唇を離した瞬間、司の全身に震えが走った。

女の手がせわしなく動いて司のシャツをスラックスから引き抜くと下からゆっくりとボタンを外し始めていた。欲望に曇った司の瞳はそんな女の仕草に我慢が出来なくなっていた。
やがて全てのボタンが外されると小さな両手が硬くなった男の乳首を撫でた。
司は屹立したものをつくしの体に押し付けながら、彼女の頭をつかんで自分の胸に押し付けていた。
「クソッ・・いい感じだ・・」
滑らかな女の舌が司の乳首を舐めていた。
「つくし、下着を・・脱げ・・」

女は司の胸から顔を離すとスーツのスカートの裾に手をかけ、ゆっくりと引き上げ始めた。
司の視線は女のする行為を見逃すまいとしていた。脱いだ下着は上着のポケットに入れておくつもりでいた。それは愛人である女の匂いを楽しむためだ。
だがスカートの裾が股のラインまで全て引き上げられると司は満足そうにほほ笑んだ。

「なんだよ。履いてねぇのか」
三角の形をした黒い毛が見えていた。
「たまらねぇな。おまえのその匂い」
立ち昇る濃厚な女の匂いに司は舌先で唇をなめた。
「おまえは一日中そうやって俺のこと考えてたのか?」
司の視線はつくしの陰部に注がれていた。それは淫らで視姦するような視線。
「なあ。何を想像してたんだ?」
1日中下着を着けることなく過ごす女の股の間からはぬめりが伝わり始めていた。
「なんだよ?見られただけでそんなんかよ。いやらしい女だなおまえは・・そうやって俺の傍でずっと濡らしてたのか?」
司は再び女を壁に押し付けると脚の間に手を差しいれた。
「あっ・・・」
「脚、開けよ。おまえ俺が欲しいんだろ?こんなにべとべとに濡らしやがって」
骨の髄まで男を感じさせる男はゆっくりとスラックスのジッパーを下ろしていた。









「ねえ・・」


「ど・・みょ・・じ?」

「どう・・うじ?」

「・・道明寺?」

「あっ?」
司は目を開けると咳払いをした。
寝転んでいる司を上から見下ろすつくし。
「なんだか顔が赤いけど・・大丈夫?日に当たり過ぎちゃった?」
「いや・・。問題・・ねぇ」

ふたりは軽井沢の道明寺家所有の別荘からピクニックに出かけていた。
司はだだっぴろい草原に敷かれたブランケットの上でまどろんでいた。
まどろんでいると言うよりも妄想に耽っていたと言った方が正しいはずだ。
執務室で行われる背徳の行為を楽しんでいる最中だった。
司は片手で目をこするとつくしの顔をじっと見た。

「本当に大丈夫?ここは高原だけどまだ暑いから・・」
心配そうな様子で司を覗き込むように見つめているつくし。

司は寝転んだ姿勢のままでそんなつくしを見返していた。
誰もいない高原にふたりきり。
都会の喧騒を逃れ、夏の暑さから逃れ、静かなふたりだけの世界。
朝夕に感じる風はすでに秋の気配を感じさせていた。
だが頭上に照りつけるのは夏の名残を感じさせる太陽。
そしてその光りを浴びながらまどろむ男。

そんな高原での野外活動。

野外活動・・実にいい響きだと思わないか?
ただし司が思いついたのは別の漢字だ。

屋外活動。

少し前に総二郎が牧野に託したエロDVDを見て思ったんだが、たまには大自然の中で戯れるってのも悪くはないだろうってことだ。あのDVDはまさに屋外の戯れだったからな。
要は穏やかな営みじゃなくて獣のように激しい欲望ってやつだ。
大自然の中でってのも悪くはない。
ワイルドだろ?
この草原は道明寺家の私有地で二人以外立ち入る者はいない。
司の壮大な誘惑計画は今始まったばかりだ。
それなのに寝入ってしまったのはやはり日頃の疲れが溜まっているせいか・・・

司は夢を中断されてむらむらしていた。

どうしていつも肝心なところで邪魔が入るんだ!
仮に夢だとしてもどうしていつも中途半端に終わっちまうんだ?
それによりにもよって牧野に突っ込まれるようじゃどうしようもねぇじゃねぇかよ!
こうなったら吹き矢の先に催淫剤でも塗って草原を走り回るこいつを仕留めるか?
ぐったりしたこいつを別荘まで連れて帰ったらゆっくり観察でもしてみるか?
そうすりゃ牧野がどんな行動に出るかわかるはずだ。

催淫剤で妖艶になった牧野・・・こいつが自ら俺を誘う・・
愛人関係の支社長とその秘書。
そうださっきの執務室での続きだ。

『 つかさっ・・・きて・・? 』
『 ま・・きのっ・・・ 』



次の瞬間、司は自分を上から見おろしている女の手を取り引き寄せるとブランケットの上へと優しく横たえた。見おろす司の息は荒く、空気を求めて呼吸が早まっていた。
「ど、どうみょうじ?」
「あぁ?なんだよ?」
「ちょっと、ど、道明寺?ね、寝ぼけてるの?」
「寝ぼけてなんてねぇよ」
司は手と頭は別行動とばかりにつくしの着ているものを脱がせ始めていた。
「ちょ、ちょっと、ど、どうみょうじ?こ、ここどこだと思ってるのよ!」
そんなモン言われなくてもわかってる。
だって俺たち屋外活動しに来てんだろ?
「ね?つ、つかさ?」
「あっ?だからなんだよ・・ここがどこだろうと関係ねぇだろ?」

切羽詰まった声と電光石火の早業とはまさにこのことだろう。
司はあっという間につくしの着ていたワンピースを脱がせると自らの服も脱ぎ捨てた。
女と違って男にはプライバシーなんてのは必要がない。
どこで裸になろうがそんなことは気になんてしていない。
まあ、俺の体で見せれねぇとこなんてねーからな。
それにここなら誰にも見られる心配なんてない。
降り注ぐ太陽の光りを浴び、緩やかに流れる風を感じると体中の感覚全てが研ぎ澄まされた。司は自分の中で眠っていた野生の本能が呼び覚まされたように感じていた。

「つくし・・」

体がいとしい女を求めて止まなかった。
妄想している場合ではない。今すぐ目の前に横たわる女を喰い尽くしてしまわなければ生きていけないような飢餓に襲われていた。
この場所がそうさせるのか人としての本能と野生の本能が合わさってしまったかのようだ。

「今すぐここで、この場所でおまえが欲しい・・」

いつになく湧き上がった荒々しい思い。征服欲とでもいうのだろうか。
太古の昔、男が女を求めたように裸になって太陽の下で愛し合う行為がしたい。

「なあ・・いいだろ・・?」

ダメだと言われても止めることは出来ないとわかっていた。
だが司は必ずつくしの気持を確かめる。
主導権は自分にあるはずだが、どうしても聞かずにはいられないのは何故なのか?
それは遠い昔、嫌がる女を無理矢理抱こうとしたことへの後悔からなのか?
今まで散々抱いて来たというのに愛し女を大切にしたいという気持ちはどれだけ時間が経とうが変わらなかった。

同意と思われる頷きが返されると互いの手を取り五本の指を絡め合いながら交わす口づけ。
長い時間をかけ、太陽の温もりを感じながら愛し合う行為。
陽だまりの中を浮遊するかのようでもあり、太陽の熱に焼かれるようでもあった。
だが肌を焦がすのは太陽の熱ではなく互いの情熱だ。
絡みつく互いの四肢は甘美な誘惑で非日常的なこの空間にあるのは、ただふたりの熱い思いだけで愛し合うふたりに言葉は必要がなかったはずだ。そこにあったのはただ相手を求め合う男と女の姿だけだったはずだ。

求めて奪って与え合う男と女・・・

体とともに唇を重ねあわせ、ふたり一緒にそのときを迎た。

瞬間、司はなんとも言えない愛おしさがこみ上げるのを感じていた。







「どうみょうじ?」
「ああ・・」
「ねえ。起きて?」

ふたりは一枚のブランケットに包まって眠っていた。
司の腕はつくしを守るように抱きかかえ、片手はけだるげに乳房に触れていた。
日は少しだけ傾いてはいるが、そこは静寂に包まれている。

「なんだかあたし達・・凄いことしたみたい・・」
「なんだよ凄いことって?」
甘いほほ笑みが返された。
「だって青空の下で・・あ、愛し合うなんて・・」
「嫌だったのか?」
司はつくしの顔にかかっていた髪をそっと払った。
「うんうん」つくしは首を振った。
「違うの・・なんだか大きなものに包まれているように感じたの・・」
「大きなものって俺のことだろうが」
司はつくしの手を取ると自らに触れさせようとした。
すでにそこは次の準備が整っていた。
「ば、ばかっ!違うわよ」
「じゃあ何だよ?俺より大きなものなんて・・」
「あ、愛よ。愛。・・つ、つかさの大きな愛に包まれているって感じたの」
「そんなもんいつも感じてるだろうが」
「そ、それはそうなんだけど・・なんだか少し違ったような気がしたの」

それは遠い昔、もしかしたらふたりがこの場所で愛し合っていたことがあったからなのかもしれない。

「ふん。俺はいつもおまえのことしか考えてねぇんだから愛は常にデカイに決まってるだろうが」
愛に大きさがあるなら司の愛はいったいどのくらいの大きさなのだろうか?
「わ、わかってるわよ・・」

つくしにだってそのくらいのことはわかっている。
いつも自分の傍を離れようとしない男がどれだけ愛してくれているかということを。

「おまえの彼氏は誰だと思ってんだ?世界の道明寺司様だぞ?俺の愛のデカさが知りたいって言うならデカいダイヤモンドでも買うか?」
司が言うことはすぐに実行に移されるのだから迂闊に返事は出来ない。
「まあ俺の愛の大きさに見合うだけのダイヤがこの世にあるとは思えねぇけどな」
それはまさに計り知れない愛。
俺は牧野つくしを愛してる。
牧野、おまえを死ぬほど愛してる。
「つくし、そろそろ・・別荘に帰るか?」
溺愛する女の髪を撫でながら司の瞳は輝いていた。
「・・うん」
「ねえ、つかさ・・また・・いつかこの場所に連れて来てね・・」
「ああ。わかった。来年また来よう」


いつかまたふたりで来たいこの場所。
それは司も同じ思いだった。
降り注ぐ太陽の光りと緩やかに流れる風を感じられるこの高原。
来年の今頃またふたりで訪れることが出来たらいいと願った。
その約束が永遠の約束へと変わる日はいったいいつのことなのか・・
司の悩みは尽きなかったが、つくしを追いかけていくのが彼の運命であり権利でもあった。
この権利は誰にも譲るつもりはない。
それに頭に浮かんだ牧野が愛人になるだなんて妄想はきっぱりと切り捨てた。
あいつが愛人?
冗談じゃねぇぞ!
あいつは俺にとっては一生愛する女であって日陰の身の女じゃねぇからな!

司の前を歩くつくしは後ろを気にしてチラリと振り返った。
途端、何を思ったのか駆け出して行った。

「つかさっ!別荘まで競争よ!」
「てめぇ、競争ならスタートラインは同じだろうが!」
叫んだ司の声に返されたつくしの言葉。
「だってつかさは脚が長いんだからいいじゃない?あたしを好きなら捕まえて・・」
風に乗って聞こえるつくしの声は軽やかだ。
もうとっくの昔に捕まえているはずの女だがそれでも司は心配していた。

「チッ・・あの女昔から逃げ足だけは早えからな・・けど俺から逃げれるなんて思うなよ?」

逃げるつくしを追う司。
それはいつも見る夢の中でも同じなのかもしれない。
だが牧野つくしを追いかけることは司の趣味なのだから文句はなかった。
恐らくこれから一生追いかけていくはずだ。
一生逃がさないと誓ったのは17歳のとき。
その思いは今も決して変わらなかった。







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2016
08.20

恋人までのディスタンス 13

「それで?いつ俺がおまえの親友を傷つけたっていうんだよ?」

それはつくしが道明寺司に言った共通の友人の話しに繋がっていた。
ふたりの間には共通の友人がいるはずだと言ったのは松岡優紀のことだ。
だが、どうやらつくしが考えていたことと話しの方向が異なって来ていることは分かっていた。

この男は優紀を傷つけてなんてなかった。

話しは実に簡単だ。
目の前に座る男は松岡優紀のことを全く知らなかった。当然だが優紀もそうだ。
この男は優紀の恋人でもなんでもない、正真正銘の道明寺司だ。
そう。優紀がつき合っていた男は道明寺司本人ではなかったということだ。

だが優紀がつき合っていたという相手は道明寺司の名前を語っていたと言うことに間違いはなかった。でもどうして優紀が自分の恋人だった道明寺と名乗った男を本物の道明寺司だと思ってしまったのか。
それは顔が似ていたからだ。世の中には自分に似た顔の人間が最低でも3人いると言われるが、優紀がつき合ったのはその中の一人なのかもしれない。
ドッペルゲンガーと呼ばれる現象がこの東京であったということだ。自分と同じ姿の自分を見るなんてことは気持ち悪いとしか言えないが、第三者が見かけた場合、その相手が自分のよく知っている人物の名前を名乗ればそうだと信じるはずだ。だから優紀がつき合った相手は自分よりも有名な男の名前を名乗って優紀を信じさせたということだろう。
確かにこの男は有名人で名前も顔も知られているが、今まで本物を見たことがない人間ならよく似た風貌の男が目の前に現れれば信じてしまうかもしれない。
ましてや自分が道明寺だと名乗った相手にまさか身分を証明しろとは言えなかったはずだ。



本当なら今のつくしが思い浮かべていたのは、優紀が自分の気持にケリをつけて前を向いて歩いて行く姿だったはずだ。

だがそれは目の前の道明寺が優紀の恋人でなかったことで泡と消えていた。

「それで?」司は聞いた。
「あんた誰だ?」
「ま、松岡優紀です・・」
「で、あんたがつき合ってた相手は俺の名前を名乗ってたってわけだよな?」
「そ、そうです。彼は自分の名前を道明寺司と名乗っていました。あ、あたし・・まさかあの有名な道明寺さんがあたしとつき合うことになるなんて・・」

優紀は言葉に詰まった。恋人だと思っていた相手は嘘の名前を名乗っていたうえに消えてしまったのだから自分が騙されて捨てられた女のように感じていたはずだ。

「で、どこで声をかけられたって?」
「ここです。メープルのラウンジでコーヒーを飲んでいる時に声をかけられたんです」
道明寺財閥が経営するホテルで道明寺司に似た男の大胆な行動には三人とも驚いたはずだ。

マンションでの一件からあの場所ではゆっくり話しも出来ないと道明寺司に連れてこられたのがメープルだ。
優紀は本物の道明寺司に事の成行きを話していた。
語られた話しはとてもではないが恋人同士の関係とは思えないような内容だ。

ふたりがつき合うにあたっては自分の立場もあるので秘密にして欲しい。週刊誌で色々と噂されることもあるがそんなことは信じないで欲しい。会う時は自分から連絡するので優紀からは連絡しないで欲しい。と、まあ言い方は悪いが日陰の女のような扱いだ。

つくしは目の前に出されていた料理を口にすることが出来ずにいた。
マンションを後にしたのは午後9時を回っていて夕食を食べ損ねたつくしは道明寺司の前で盛大に腹の虫を鳴らしていた。
テーブルに着いたとき、コーヒーだけで結構ですと言ったがそんなつくしの前に出された料理は道明寺司が用意させたものだ。余程食べ物に飢えていると思われたのだろうか。
普段ならよく知らない人間に食事をご馳走になることなどなかったが、今回の事で動揺を隠せないつくしは今の状況を黙って受け入れていた。

黙る以外なかった。
つくしの取った行動は間違いだったのだから何も言えなかった。
どうしてこんなことになっているのか、どういうわけだが知らないが要は他人の空似なのか、全く関係のない男に因縁をつけたようなものだった。

椅子に深く座りこんで下を向き道明寺司の顔を見ることが出来なかった。
優紀がマンションの部屋から出て来て中にいるのは自分の恋人だった道明寺司じゃないと言ったとき、自分の思いがどこに向かっているのかわからなかった。
それは心のどこかで道明寺司とのキスが忘れられない経験になることはわかっていたからだ。
親友を蔑ろにした男だと思っていたときは、そんなことなんて考えもしなかったのに優紀の話しを聞いた途端、心が揺れたのがわかった。

「あの、道明寺さん・・つくしが、つくしがあなたに・・あたしを会わせるために色々と手を尽くしてくれたんです」
優紀は悲しそうにほほ笑んだ。
「だから・・もしつくしがご迷惑をかけたとしたらあたしのせいなんです」

司はウェイトレスが運んで来たコーヒーを口にすると黙ってつくしの顔を見つめていた。
マンションでは上着を脱いでいたが、ここに来てまた着ていた。外してあったワイシャツの二番目のボタンもはめていた。

目の前でうつむき加減で皿を見つめている女が自分に近づいて来た理由は親友のためだったと聞かされたとき、心のどこかでこの女も他の女と変わらないと思っていた考えはなくなっていた。友人たちに仕掛けられたゲームの駒だと思っていたがそうではなかった。
それにしても酷く落ち込んだ様子でいるのは何故か。
腹を空かせているはずだが目の前の皿を見つめるばかりで手をつけようとはしない。

「牧野つくし。おまえは親友の望みを叶えたいのか?」
不意に話しかけられたつくしは視線を上げた。
「えっ?」
優紀と道明寺司の会話は頭の片隅で聞いてはいたが内容は頭に残ってはいなかった。
「聞いてねぇのか?おまえはこの松岡が昔の男に会うために手助けをするつもりなのかって聞いたんだ」
つくしが目にした光景は目の前の男のまつ毛がうらやましいほど長いということだ。
なぜそんなことに気を取られたのかわからないが、つくしは男の目をじっと見つめていた。
「そ・・・」
そうだと言いたかったが躊躇していた。
どうやったら優紀の恋人だった男を探し出すことが出来るのか考えつかなかったからだ。
それよりも自分がしでかした失態・・あのとき・・パーティーでこの男にパンチを食らわせてしまったことに対しての後悔が津波のようにつくしに襲いかかっていた。
責任感の強い人間というのは失敗に対しての罪の償いに重きを置く。その償い方も色々とあるが全く関係のなかった男を殴ったことに対しどう責任をとればいいのかそればかりが頭の中を過っていた。

「俺が手伝ってやろうか」
つくしは自分の耳を疑った。

司は自分がどこかおかしいのではないかと自問した。
今まで女といて自らが何かしてやろうという気になったことはなかったからだ。
そうだ。そんなことをした記憶はなかったしこんな経験は初めてだ。
だが、ここで大切なのは司には目論見があるという点だ。

「そ、そんなことしてもらう理由は・・」つくしはごくりと唾を飲んだ。
「俺の名前を語って女を喰い物にしてるなんて許せるわけねぇだろ?」
司は口の端をあげてにやりと笑った。
「これは俺の名誉にかかわる問題だ。そうだろ?それともおまえは俺がおまえに理由もなく殴られたことを黙って受け入れろって言うのか?」咎めるような目で見つめられた。
「俺を殴った理由ってのは松岡のことがあったからだろ?その原因を作ったのは俺の偽者だってことだろ?」


「いえ・・あの・・」
つくしは殴ったことを持ちだされると恥ずかしさにいたたまれなくなった。
あのときは侮辱されるようなことを言われカッとしてしまったこともあったし優紀のこともあったということで殴ったことを正当化しようとしていた。だが真実は別にあるとわかった今は何もなかったような顔は出来なかった。

友情に厚く、責任感の強い女は司の言葉に返す言葉が見つからないようだ。
司の目論みとは。ずばりこの状況を作り出すことだった。
自分の犯した罪・・とまで言わないがその行動に責任を取らせることを思い付いたからだ。
「牧野、おまえも俺の偽者を探すのを手伝え。それが俺を殴ったことに対しての責任の取り方だ」
つくしはそう言われた以上手伝わないなんてことは言えなかった。









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2016
08.19

恋人までのディスタンス 12

優紀に連絡をしたつくしは資料片手に淡々と部屋の説明をしていた。
自分の方を何か言いたげに見る男の視線は無視しているが頭の中ではこれから起こる事態を想像していた。優紀が来ればこの男だってこんな態度は取れないはずだ。
高額な物件だがローンを組む事なく買える男は黙ってつくしの説明を聞いている。
実用性を保つことだけが目的ではないこの部屋は細部にわたって細かい意匠が凝らされているがそんなことにはあまり興味がないようだ。庶民には考えられないほどの価格の物件を買おうというなら何か質問があってもいいと思うが何も聞いては来ない。
ここを購入しようとする目的はいったいなんなのか。住むわけではないとしたら投資目的と考えるのが一番なのかもしれない。
つくしにしてみればこの男がこの部屋をどう使おうと関係ないが、聞いてみずにはいられなかった。

「ど、道明寺さんがこちらの部屋をご購入されるのは投資が目的ですか?」
「知りたいのか?」司はにやりとした。
「当ててみろよ?」
「ですから、投資が目的かと」
司は首を振った。「違うな」
「では、こちらにお住まいになるおつもりですか?」
「最初の印象が変わらなければ・・」

司が何か言いかけたとき、つくしの携帯が鳴った。
表示された名前から優紀がマンションに着いたことがわかった。

「ちょっと失礼します。会社から電話がかかってきたようです。すぐ戻りますから御覧になっていて下さい」
つくしは断りを入れると電話に出るため部屋の外へ出た。

「もしもし?優紀?・・・うん。わかった・・すぐ行くから待っててね」

マンションの部屋を案内することおよそ一時間。なかなか電話が鳴らないことに焦っていたがようやく優紀が到着したようだ。今まであの男は優紀からの電話にも出ることなく最後の別れさえまともに取り合おうとはしなかったと聞いている。
優紀のためにも一刻も早く気持ちの整理をつけさせてあげたい。言いたいことがあるなら正面切って言えばいい。半年間鬱鬱とした気持ちを抱えたままでいた親友のためとはいえ、興味のないパーティーにも参加してきた。だがそれもこれからあの男と優紀が対峙することで終わろうとしていた。
つくしはエレベーターに飛び乗ると1階まで急いで下りた。
優紀はエントランスの外で心配そうな顔をしてつくしを待っていた。

「優紀!こっちよ!」
「つ、つくし・・本当に道明寺さんがここにいるの?」
つくしは優紀をエントランスロビーに招き入れた。
「いい、優紀?あの男は部屋の中にいるから、これから行って言いたいことをぶちまけてやればいいわ」

今日を境にきっと優紀はあの男のことを吹っ切れるはずだ。
心優しい親友がもうこれ以上悩むことがないようにしてあげたいと思うのは、つくし自身が今までどれだけ彼女に励まされて来たのかということがあったからだ。
つくしにとっては大切な友人だ。人生の多くの場面で励まし合って来た仲だ。そんな友人のために一肌脱ぐことなど大したことではなかった。
ふたりはエレベーターに乗り込んだ。

「ねえ、優紀?聞くけど、またあの男とのつき合いを続けたいだなんてことは思ってないのよね?」
優紀はつくしの目を見つめると首を振った。
「うんうん。もうないと思うし、今さらまたつき合いたいだなんて考えてない。でもね、どうしても最後にひと言だけ・・きちんとお別れの挨拶をしたいの」

つくしはその言葉を聞いて安心していた。
あんな男が優紀のように心優しい女性と永続的な関係が続けられるとは想像出来ない。あんな男恐らく死ぬまで女の尻を追い回しているはずだ。現によく知りもしない女にいきなりキスしてくるような男だ。

エレベーターが最上階へ着くと、つくしは優紀の顔を見た。
何か覚悟を決めたような表情が見て取れた。
いよいよだ。
優紀はあの男と会って言いたいことをぶちまければいい。
これであたしの今までの苦労も報われるはずだ。

部屋へと続く廊下を歩きながら、つくしは再び優紀の顔を見た。
唇を噛み締め、何かをこらえているのか、それとも久しぶりに会う男に対して言いたいことを考えているのか。どちらにしてもあたしも優紀も今夜で道明寺司とは縁が切れるはずだ。
あの男につき合う必要がなくなると思えばせいせいしていた。

ふたりは部屋の前に立った。
「いい?優紀。この部屋の中にあの男がいるから言いたいことははっきりと言ってやんなさいよ?」
「うん。そうするわ・・つくし・・色々とありがとう」

優紀は扉を開けると部屋の中へと入っていった。
中にはあの男がいるはずだ。これで優紀も気持ちがすっきりするはずだ。
つくしは扉の外で待っていた。さすがに中の話し声が聞こえるはずもなく、静かな空間がそこにあった。いったいどんな話し合いが持たれているのか知らないが、何かあればすぐにでも優紀を助けに飛び込んで行くつもりでいた。

程なくして扉が開くと優紀が不思議そうな顔をして現れた。
話しに大した時間は必要がなかったようだ。だがどこか様子が変だ。
まさかとは思うが何かされたのだろうか?何しろ手が早い男だ。つくしは心配した。

「優紀、どうだったの?言いたいことは言えたの?それとも一発殴ってやったの?」
優紀は扉を閉めるとつくしに向けている怪訝そうな表情を崩さなかった。

「ねえ、ちゃんと言いたいことは言えたんでしょ?優紀、こんな短い時間でいいの?なんならあたしも立ち会ってあげるから・・」
いざとなればと言う気持ちでつくしは言っていた。

「つくし・・」
「なに?」
「違うの・・」
「えっ?」
「だから違うの・・」
意味がわからない。
「だから・・あの人道明寺司じゃないわ」

ますます意味がわからない。道明寺司はあの男に間違いない。あれだけ有名な男を間違えるはずがない。つくしは確信を持って言った。

「なに言ってるのよ!あの男は道明寺司に決まってるじゃない!」
大きく見開かれたつくしの目は優紀の言葉に自分の耳を疑った。
「でも違うの・・別人なの・・」
「ど、どういうこと・・何が別人なの・・?」
「違うのよ・・中にいる人はあたしが知ってる道明寺司とは違う人なの」


つくしは優紀の言葉がすぐに理解出来ないでいた。
道明寺司が別人?
だが優紀がかつての恋人を間違えるはずがない。
それならいったいどういうことなのか。
つくしは混乱した頭を振った。

「ねえ、もっとちゃんと話してくれない?」
もし中にいる男が本当に優紀の恋人だった男と違うなら、本当の恋人はいったいどこにいるというのだろう。その答えは簡単だった。要するに優紀は道明寺司の名前を語った別人に、
道明寺司になりすました男に騙されたということになる。

つくしは頭を抱えた。
いったい今までの苦労はいったいなんだったのか。
なんとかしてあの男に近付こうと努力したのは無意味だったということなのか・・
そのことを確信したとき、部屋の扉が開くと本物の道明寺司が姿を現した。

「俺にもちゃんと説明しろ。いったいこの女は誰だ?」

男の顔に浮かんでいるのは見紛うことのない怒りの表情だった。









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2016
08.18

恋人までのディスタンス 11

司は気持ちが浮き立っていた。
次の段階へ進むのが待ちきれない思いだった。牧野つくしのことをもっと知るのが待ちきれなかった。唇にキスをしたがもっと色んなところにキスをしたい。

牧野つくしの後をついてマンションのエントランスロビーからエレベーターに乗り込んだが女はまるで司を避けるように箱の中の片隅に身を寄せて立っていた。
エレベーターは高層階直通で誰も乗ってはいなかった。そんな箱の中は空気が重苦しく感じられていた。

司はつくしの大きな瞳を見つめた。まるで挑むような視線が司の男としての狩猟本能を刺激するようだ。男は口元をゆるませるとにやりと笑った。

「牧野つくし。なにをそんなに緊張してんだ?」

壁に背中を預けるとエレベーターの隅で体を硬くしている女を見た。
その姿はまるでハリネズミが自らの体を守るように針を突き出しているかのようなトゲトゲしさが感じられた。

「今日は待たせて悪かったな。遅くなるつもりは無かったがどうしようもなかった」

つくしにしてみれば意外な言葉が返ってきた。さっきはいきなり抱きしめるとキスをしてきたと言うのに今度は手のひらを返したように遅くなったことを詫びる男がよくわからなかった。だがまともな会話が出来るならと口を開いた。

「お、遅れるなら連絡して来るのがマナーじゃないですか?」

つくしは精一杯胸をはって前を向いていたが、どうしても男の視線が感じられて顔が赤くなるのがわかった。

「仕事から解放されねぇことだってあるだろ?」

懸命に見ないふりをしていてもどうしても視界に入る男の姿。
その男がネクタイに指をかけると緩めているのがわかった。先ほどまで自分を抱きしめていた力強い指先が結び目を解くと、ネクタイはするりと引き抜かれ無造作に丸められて上着のポケットの中に押し込まれていた。
エレベーターという密室の中でいきなり始まった行為。
それは赤の他人とふたりっきりの場所で行われる行為ではないはずだ。

つくしは息を詰めるしかなかった。
やがて男はワイシャツの第一ボタンを外していた。
まさかとは思うがここで何かするなんてことはないはずだ。
だがさすがに聞かずにはいられない。

「な、なにをしているんですか?」
つくしは内心の動揺を表に出さないようにと落ち着いた口調で言った。
「なにって見りゃわかるだろ?」
第一ボタンを外したと思ったら今度は上着を脱いだ。
「服を脱いでるんだ」
まさに見ての通りの答えだ。
「ど、どうしてこんなところで服なんか脱ぐんですか!」

つくしは慌てた。
まさかエレベーターの中で女性を襲うなんてことを考えているはずはないと思うが信用出来ない。優紀のことがなかったら道明寺司になんて関わりたくはないのに・・さっきだっていきなりこの男に抱きしめられてキスをされた。
こんなことがあるから男性客一人の場合は男性社員が物件の案内をすることがルールとしてあったがもう遅い。

「なにじろじろ見てんだよ?」
「べ、別に見てません!」
司は脱いだ上着を腕に抱えると今度はワイシャツの第二ボタンを外した。
「そ、そんなことよりなにしてるんですか!」
「暑いから脱いでるだけだが?悪いか?」司はつくしを見てほほ笑んだ。

エレベーターの中の温度が一気に高くなったような気がしていた。

まさかとは思うがこれ以上何かを脱ごうだなんてことは考えていないわよね?
だがまるでつくしの思考を読んだかのような男の態度。
ワイシャツの胸元のボタンをふたつ開けた男は今度は無造作に髪をかき上げた。

わざとだ。
絶対にわざとやっている。
この男が自分に対してどういった感情を持っているのか理解が出来なかった。
あたしのことなんて何も知らないくせにおまえのことが気に入ったと平気で口にするような男が信じられるわけがない。それに簡単に女を捨てるような男の言うことを間に受けるほどつくしは馬鹿ではない。

頭の中では言いたい言葉が沢山あったが言い出せずにいた。
今この狭いエレベーターの中で迂闊な言葉をかければ物事がどういった方向に進むのかわからないからだ。まさに逃げ場のない状況でつくしの体は固まっていた。

つくしはエレベーターで上に上がりながら、早く優紀に連絡してここに来てもらうことを考えていた。




***





エレベーターが静かに最上階に着くとつくしは、はりつめていた息を吐いた。
何もなかったことに安堵したからだ。
隣に立つ男はネクタイを外し、上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚の姿でこれ見よがしに胸元のボタンを外してつくしの方を見つめていた。決して広くないエレベーターの中でまるでつくしに見せつけるようなその態度。いったいこの男は何がしたいのか。とにかく今は一刻でも早くこのエレベーターから降りることが先決だ。
あの道明寺司と同じエレベーターの中で過ごせるならと望む女性は世界中にどれだけいるのだろう。だがつくしは違う。今こうしてこの男と一緒にいるのは優紀のためだ。

つくしは背筋を伸ばすと道明寺司を案内すべくエレベーターホールから先に見える最上階の部屋へと続く廊下を歩いていた。
案内する客の前を歩くのは当然だが後ろからの視線が痛いほど感じられた。
つくしは足早に部屋の扉の前まで歩くと後ろを歩いて来る男を待たずに部屋を解錠した。
いつものことだが先に客を促し、部屋の中へと通すのが決まりだ。つくしはドアの内側に立って男が中へと入るのを待った。そんなつくしの傍をまるで体が触れ合わんとするほど近くを通る男の行動は確信的行為だ。つくしは思わず体を後ろに反らしたが後ろは壁でそれ以上逃れようがなかった。
部屋の中へと足を踏み入れた男はさして興味もなさそうに思えた。

「それで?説明してくれるんだろ?牧野?」

眩暈を感じそうなくらいの笑顔で振り向かれた。

つくしは振り向いた司を見つめた。
その笑顔がどんな女性でもうっとりさせる笑顔であることには間違いないはずだ。
息を呑むほどゴージャスだと言われる顔がほほ笑むとこんなにも素敵に見えることを初めて知った。世に言う優雅さとはこのことなのかと思った。生まれ持った気品というのは道明寺司のような人物のためにある言葉なのだろう。
エレベーターの中では感じられなかったがつくしの1メートルほど前で立つ男のワイシャツ姿は眩しかった。肩幅は広く、その肩を覆う白いシャツは体に見事に沿っている。
脱いだ上着は相変わらず腕に抱えられているが、シャツ一枚になるだけでこんなにも男っぽさが感じられるなんて・・

カリスマ性とはこのことを言うのだろうか。


「おい。牧野?」
つくしはまごついた。「え?あ。はい」

どういうわけか、はじめてこの男を見たパーティーのことを思い出していた。
タキシード姿の男の姿だ。
あのとき見たのは退屈極まりないような態度をした男の姿だけだったはずだ。
でもさっき振り向いたときに見せた笑顔は・・
そんなことを考えていたが道明寺司に怪訝な顔をされつくしは我に返った。
そうだ部屋の案内をしなければ・・

「あ、あのこんな時間で残念ですが、こ、この部屋からの眺めは最高です」

何もない部屋の大きなガラス窓からの眺めは都会の景色を一望できるはずだ。
だが昼間の明るい時間なら眼下に見えるはずの風景も、夜の帳が降りた状態では説得力に欠けていた。つくしは自分でも何を言っているのか分からなかった。ただ頭の中に浮かんだ言葉を放っただけだった。

「昼間じゃなくてもいい眺めだな」
ふたりが目にしたのは都会の街明かりが灯る風景。

つくしははっとした。
こんなことをしてる場合じゃない。優紀に電話してこの場所まで来てもらわなくては。
つくしはこの男がどんな男だったか思い出したように言った。

「あの、ちょっと会社に連絡をしてきますので」

この男はなんの躊躇いもなく女を捨てるような男だ。
見てなさいよ!道明寺司!捨てられた女の恨みは恐ろしいんだから!
つくしは部屋の外に出ると携帯電話で優紀に連絡をした。

「あ、もしもし?優紀?あのね、今あの男・・道明寺司とマンションにいるの。ほらあたしが前話していた超高級タワーマンション。あのマンションの最上階の部屋をあの男に案内してるところなの。だから・・うん・・・そう・・来れる?・・着いたら連絡して?うん・・迎えに行くから・・うん・・じゃあ待ってるから・・」

つくしは電話を切るとこれで優紀との約束が果たせると安堵していた。
この約束さえ果たせばもうこれ以上あの男と関わりになることはないはずだ。
40分もあれば来れるだろうか?それまではこの部屋に足止めしておく必要がある。
あの男、優紀の名前を覚えてないだなんて言わせないんだから!
いずれにせよあともう少しで道明寺司も痛い目に合うはずだ。
つくしは何故か妙な達成感を感じていた。









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2016
08.17

恋人までのディスタンス 10

『 ここにいる理由はこれだ 』

司はつくしを抱きしめると唇にキスをしていた。
腰をかがめ、つくしの唇に強引にキスをする。それは不意に込み上げた感情で自分に食ってかかる小さな女の生意気なことを言うく唇が欲しかったからだ。

自分の中に巻き起こった感情。それは明確で確かな事実。司は自ら女に興味を示すこと自体がなかっただけに自分をこんな思いにさせる女にますます興味を抱いていた。
唇を離した途端、自分の腕の中で狂ったように暴れる女を見下ろしていた。

「ちょっと、なにするのよ!は、放して!放しなさいよ!」

いきなり抱きしめられたのはあのパーティーの時と同じだ。
あの時はこの男を殴って呆然とした状態で何がなんだかわからないまま抱きしめられたが今は驚きに加えて恐怖を感じていた。
何しろ唇を奪われたのだ。
全く知らない男に抱きしめられ唇を奪われるということが女性にとってどれだけ恐ろしいかということだ。いや、全く知らないわけではない。優紀から聞かされていることもあった。
それは道明寺司が恋人としては最高だってことだ。そんな男はつくしの親友のことをどういうつもりで捨てたのか。女性を平気で弄んで捨てるような男なんて最低の男だ。

「は、放して!あたしに触らないでよ!」

二人の距離は全くないほどきつく抱きしめられていていたが、それでもつくしは懸命に体を押し返した。

「ちょっと!や、やめてよ!放してっ!」
つくしの手に伝わるダークスーツの体は硬く引き締まっているのがわかった。
「おまえ俺がここにいる理由が知りたいんだろ?」
「だ、だから、どんな理由があるって言うのよ!」つくしは身をよじって逃げようとした。
「さっきからうるせぇ女だな。だから俺がここにいる理由はこれだ」

つくしの言葉を遮ったかと思うと、再び男の唇が下りて来て彼女の唇を塞いだ。
司の唇は躊躇などしなかった。強引に奪った唇は女を窒息させるような激しさがあった。
司は女の体を抱きしめて自分の体に伝わる小さな熱を感じていた。
体の中を興奮が駆け巡り、このまま窒息死させてしまうのではないかと思うほど唇を貪った。自分の腕の中でウンウンと唸る声がしていたが、直立の姿勢で抱きしめられた女は身動きが取れずにいた。


「うぉほん!」

わざとらしく誰かが咳払いする声が司の意識の奥へと割って入った。
キスを邪魔した人間はふたりがエントランスへと通じる道で抱き合っているのを見て何か言いたかったのだろう。まったく今どきの若い者はとでも言いたいのだろうか。二人のすぐ傍をこれ見よがしに大きな足音を立てて通って行った。


司は腕の中にいたつくしを離した。
途端、女の手が司の頬をかすめた。

「おっと・・怖えぇ・・」
つくしにぶたれないように一歩後ろに下がると冗談めかして怖がってみせた。
「またぶん殴るつもりか?」
一度殴られただけでもう十分だ。
司は以前殴られた顎を撫でながら赤くなった女の顔を眺めていた。

「ど、どういうつもりなのよ!いくら自分が退屈だからってあ、あたしを遊び相手になんて出来るなんて思わないで!」

つくしは司が下がっただけのスペースでは心もとないと感じていた。また抱きしめられては大変だと自ら後ろへ飛びのいた。

「どういうつもりもなにも、おまえのことが気に入ったって言ってんだ」
「じょ、冗談はやめてくれない?」つくしは司を見据えた。
「冗談?冗談なんかじゃねぇぞ。それに俺はキスしたかったからキスしただけだ」
「ええ、そうでしょうね!」大胆で傲慢極まりない男だと思った。
「でもね。何でも自分の思い通りになると大きな間違いなんだから!」

つくしからすれば、どうしてこんな男と優紀がつき合ったのか信じられない思いでいっぱいだった。

「それよりおまえが言う共通の友人ってのは誰なんだ?」
司は合点がいかずにいた。この女と自分の友人の誰かが知り合いだとはにわかには信じられなかった。
「じ、自分の胸に手を当てて聞いてごらんなさいよ・・」
「なんだよ?今度はなぞなぞか?言いたいことがあるならはっきり言葉にして言ってくれ。ただし暴力じゃなくて口でな」
司はあのときのことを思い出すと口元を歪めた。
「ぼ、暴力ですって?」
「そうだろうが。あれが暴力じゃなくってなんだって言うんだ?まさかあれを戯れだなんて言うには激しすぎるだろうが」

それはパーティーで見事なアッパーカットを食らったことだ。
司はつくしを上から下までじっと見た。観察しているのを隠そうともしない。

「戯れたいっていうなら、体で説明してくれてもいいけどな」

体を舐め回すように見つめられ、つくしはあのときもっと上を狙ってやればよかったと後悔していた。いや、上なんかじゃなくて下を狙ってやればよかったのかもしれない。
そうすれば人生観が変わるはずだ。

「じょ、冗談でしょ?」

まったくなんて男なのよ!
つくしは右手が握り拳になるのがわかったが、思わぬ痛みに顔を歪めた。この男を殴ったことに対し罪の意識があったと申し訳なく思っていたのにつくしを見つめてくる目はずうずうしくも笑っているように思えた。

「おまえ、俺に対してどんな興味があるんだかしらねけど、その共通の友人ってのが本当にいるんなら誰だか教えてくれよ?」

まるでつくし自身が俺に興味があるから近づいて来たんだろと言わんばかりの態度。
共通の友人がいるだなんてのは出まかせだろうと言っているかのようだ。

「い、いるわよ。いるに決まってるでしょ?な、なによ?まさか嘘だっていいたいわけ?
じょ、冗談じゃないわ。いるに決まってるじゃない!そ、それにあたしはあなたに個人的な興味なんてないから!」
出来ればこんな男は無視したいが今のところは優紀とこの男とのごたごたからは逃れられない。

「ふん。そうか?」
「そ、そうよ!言っとくけどこれ以上あ、あたしに近付いたら・・」
「何だ?近付いたらどうするって?また殴り掛かるのか?」

なんていやな男!
つくしは司の顔を睨みつけたが、優紀のことを考えた。
なんとかしてこの男と優紀を合わせなくてはいけないのだからこれ以上問題を大きくしたくはなかった。
例えこの男に手錠をかけて引きずって行かなくてはいけないとしても、今はこれ以上道明寺司とやり合うわけにはいかない。
それにもしこの男が本当にこのマンションを購入する気があるなら、仕事に集中しなければと思った。今はこの男の癪にさわる態度は忘れていつもの冷静な自分に戻らなくては・・

つくしは時計に目をやった。
既に20時を過ぎていた。これからマンションを案内するとなると最低でも1時間半はかかる。田中様という年配の女性が現れるとばかり思っていたから念のための男性社員はいないがまた何かしようとするつもりなら、いざとなれば・・そうよ!ハイヒールを脱いで戦ってやる。女性が履く靴のヒールが尖っているのはいざとなれば武器として使えるからではないだろうか。つくしはその場にいない中村課長に不満をぶつけながら仕方なく言った。

「ど、道明寺さん。あなたこのマンションの中を本当に見たいんですか?」

「ああ。見たい。是非見せてくれ」

つくしは口をぴたりと閉じた。
道明寺司がこの物件にそんなに関心があるとは思えなかったからだ。
いくら好立地なところに立つ高層マンションの最上階だとしてもこんな男なら街の不動産屋なんか相手にしなくても、自分の会社にも不動産部門があるはずだ。

「おまえはさっきまでうるさかったかと思ったら今度はダンマリか?いいから早く部屋に案内しろ」

「なによ・・い、一時間も遅刻したくせに・・」つくしは呟いた。
司はつくしの呟きに答えた。
「こっちだって色々と都合ってものがある。客の要望に応えるのがおまえの仕事のはずだ」

その言葉につくしは背筋を伸ばすと司に対して堂々とした態度で向き合った。
先ほどまでの態度とは打って変わった態度で出られた。
ついさっきはつくしのことが気に入ったと言っていたが、どこまで本気なのか冗談なのかわからなかった。やはりからかわれているとしか思えなかった。
本当は道明寺司となんかかかわりたくないし、目の前に堂々と立つこの男を忌々しく感じているが、仕事となれば別だった。

「そうですか。でもこんな時間からこのマンションを案内するとなると随分と遅くなってしまいますがいいんですか?」

例え本意ではなくても仕事は仕事だ。
じろじろと自分を見られていたつくしは、今度は彼女が司をじっくりと観察した。

「ああ。俺は遅くなっても構わないが?」
司の目が挑戦的に光った。
「そうですか。ではご案内いたします」

つくしはこの男がこれ以上自分の方に手を伸ばしてこない限りは問題ないと思った。
ちょうどいいい機会だ。今からこの男を、道明寺司をマンションの部屋に閉じ込めて優紀をここに呼び出せばいい。優紀がどうしてこんな男に惹かれたのかわからないけど、最後にもう一度だけ会いたいというのだからこれは願ってもないチャンスが訪れたと思わずにはいられなかった。








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2016
08.16

「乾いた風」あとがき。

Category: 乾いた風 (完)
皆様こんにちは。
「乾いた風」をお読み頂きありがとうございました。
いつもあとがきを書くことはないのですが、今回は内容が内容だけに書かせて頂きました。

実は今回のイベントのお題が「愛人」でしたのでかなり悩みました。
まずどちらかが、どちらかの愛人になるということは考えられないと言うところが正直なところでしょうか。そのためひたすら切ないお話になりました。
何しろ拙宅は司至上主義ですので、彼が不幸な目に合うことだけは避けなければと思っています。(笑)
ある意味大人の純愛にしたつもりなのですが・・・いかがでしたでしょうか?
ドロドロしたものも考えはしたのですがそれでは坊ちゃん可哀想かと思い止めました。(笑)
途中の描写に驚いた方もいらしたかもしれませんが、最後についてはふたりが一緒にいることが幸せだと思いあのような結末となりました。
例え司が結婚していたとしても、全てを投げ打ってでも愛する人の元にいたい。そんな思いが書けたらと思いました。
もしこの先、このような二人の関係を書くとしても、最後は幸せになれるようにと思います。
アカシアの書く坊ちゃんは原作とはかなり異なっているかと思いますし、大人の二人ですから色々とあるとは思いますがどんな形でも最後は必ず幸せにしてあげたいと思っています。

タイトルにある「風」はアフリカ大陸から地中海を渡りイタリアへ吹き寄せる風をイメージとしました。その風はイタリアではシロッコと呼ばれる初夏に吹く暑い南風です。
北アフリカでは乾いたい風も地中海を渡ると湿度が高く熱を持った暑い風となってイタリアへと吹き寄せます。二人の関係は愛人関係となりましたので司とつくしの間には熱い風が吹いているはずですが、司が結婚している以上は不毛な関係だと思いますので愛し合っていたとしても間に吹く風は熱くは無かったと思い「乾いた風」をタイトルとしました。

アカシアの愛人イベントのお話しはこれで終了しましたが、今週末は類君のお話でお楽しみ頂けたらと思います。


さて、早いもので8月も半ばとなりましたね。お盆休みをこれから取られる方もいらっしゃるのではないかと思います。どうぞよいお休みをお過ごし下さいませ。
帰省中はPCが手元にありませんでしたのでスマホ片手に誤字脱字を修正しておりましたが、小さな画面で見るのは結構大変でした(笑)
アカシアはこれからまた頭を切り替えて日々の生活と共にお話が書ける・・ようにしたいと思っておりますのでまた宜しければ定時に覗いてみて下さいませ。


andante*アンダンテ*
   アカシア


コメントを下さった皆様へ。これから順次お返事を書かせて頂きたいと思いますので少々お時間を下さいませ。


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2016
08.15

乾いた風 後編

Category: 乾いた風 (完)
風は緑色の木々をさわさわと揺らし続けていた。

夜が明けたばかりの時間、海岸線を走る一台の車がいた。
ドライブをするには申し分のない朝だった。
時間が早いせいかカーブが続く山道の海岸線はまだ車も少ない。
司はこの時間にこの場所をドライブするのが好きだった。
幌は後ろへと取り払われ、風を感じて走れるこの車は男のお気に入りだ。

海の香りを深く吸い込み、風を受けて走る。朝の空気はひんやりとして穏やかで心地いい。
頭上に広がる空は、白み始めたばかりでまだいつもの碧い空ではなかった。
陽の光を受ければコバルトブルーに輝く深い海は、まだその色を見せてはくれない。
そこはまだ暗い水面が見えるだけだ。


つくしと過ごした遠い日々の記憶が脳裏をよぎる。
すでに人生の大半が過ぎてしまったが、それでも司にはまだやり残したことがあった。

自分の人生が今と違うものだったらどんな人生だったんだ?
どうしてこんな家に生まれて来てしまったのだろうか?
今さらながらそう思った。

二人のいた場所は、いつまでもこのままの風景で時を重ねて行くのだろう。
ギリシャ神話の神々がいた頃と変わらないまま永遠を刻み過行く場所。

もう二度とあの場所には戻れない。

だが、これから二人で生きて行く場所は誰にも邪魔はさせない。
そこは永遠という時が過ぎていくだけの場所で、もう決して二人が離れることがない場所だから・・・
長い間、胸を引き裂かれるような思いを抱えて生きてきたがそれも今日が最後だ。
見えない鎖につながれていた人生はもう終わったはずだ。
いつまでも誰かの飼い犬でいるつもりはない。
一度は彼女から顔をそむけることをした。遠ざかろうともした。
だが司はつくしと再会した。離れていたと思っていた間も、二人の間は見えない透明な糸で繋がれていて、一度結ばれた糸は決して切れることはなかった。
再会して失っていた心を取り戻したとき、愛があったあの頃がよみがえった。
彼女に出会うまでは夢も希望も見いだせなかったあの頃の思い。
生きる希望を手にした瞬間は今まで忘れたことはなかった。

人は思いがけないことに出会うものだが、司とつくしの出会いがまさにそうだった。ほんの少しの偶然が二人の人生の歯車を噛み合わせた。だがこの10年、ほんの少しで避けられた運命の悪戯が二人のうえに降りかかってきたとしか言えなかった。



人の縁は運命なのか?
運命だとしても与えられるものを黙って享受するだけではないはずだ。
運命とは自分の前に示されたものを選んでいくことだ。
あのときの二人にはそれぞれ示された選択肢があった。その中で選んだのは別れるということだ。あの別れは自らが選んだ別れだった。
だからこそ二人はあの選択は間違いだったと新しい運命を選んだ。
お互いに間違った選択はもうしたくない。
これからたとえどんな困難が待ち受けていたとしても、彼らは自分たちが選んだ道を前へと進むしかなかった。

二人はひとつの橋を渡った。
その橋は渡ると同時に崩れ落ち、もう後戻りは出来なかった。
どちらにしてももう戻るつもりはなかったから構わない。
逆に誰もその橋を渡ってこちらへ来ることが出来ないのだから丁度いいくらいだ。

遠い昔、橋を渡るということがどれだけ大変だということか経験したことがあった。
それは互いが暮らす世界を結ぶ細い橋。その橋は非常に困難な橋で、誰でも渡れるような橋では無かった。橋はたった一本。その橋を渡り切れず落ちるということは、もう二度と向うの世界へは渡れないということだ。

一度は二人で手を取りその橋を渡った。

だからまた渡ればいい。

失っていたものを取り戻した今、心の底に流れていた哀しみはもうなかった。




カーブが続く山道の運転は気が抜けない。
一方は断崖で、もう一方は岩の壁だ。
何度目かのカーブで対向車が来た。
ハンドルを戻すとタイヤがきしんだ。
次のカーブは生い茂る木々が見通しを悪くしていた。
だが対向車は来なかった。



耳許に聞こえるのは、かすかな風の音と低い車のエンジン音以外他にはない。
心を決めるときが近づいていた。感情を無くし生きてきた人生は愛も憎しみも無くしていた。だがこれまでなんの意味も持たなかった人生は、今ここから新しく生まれ変わろうとしていた。

司は隣に座る女性の手を握りしめた。
ぎゅっと力強く握り返された彼の大きな手。

この手を離さないで・・・

この手をとって連れていって・・

不安なんてないから。
離れていたのは体だけだったんだから、これからは心も体もずっと一緒でしょ?
二人はこれからずっと一緒なのよね?
そう語りかけてきた彼女の小さな手。


その瞬間、彼の心の中に湧き上がったのは解放感に満ち溢れた思い。
二度と感じることがないと思っていた感情が甦った瞬間、司は微笑むとつくしの手を強く握り返した。感傷が入り込むことが無かった彼の人生に再び灯された光がその手の中にあった。

二人の心は同じ方向を向いていた。



司は黙ったままアクセルを踏み込んだ。






彼は空を飛んでいる夢を見た。
ずっと昔からそんな夢を見ていた。
すべてを捨てて彼女と一緒に遠くへと飛び立つ夢。
長い間、心に残っていたしこりも今はもう溶けて無くなっていた。
いま、感じられるのは全身の力が抜け、心が解放されたという思いだけ。

目の前に広がるのは何もない空間。

太陽はまだ完全に顔を見せてはいない。
風は遠くアフリカ大陸から吹き寄せる風。

そして切り立った断崖に打ち寄せる波の砕ける音。

二人の耳に届いていたのは、ただそれだけだった。



















「車は・・?司の車が見つかったというのは本当ですか?」
類は尋ねた。

「残念ですがあまりいい状況ではありません。車だけは見つかりましたが、運転していた人間は見つかりませんでした」

二人の友人たちは警官の説明を静かに聞いていた。

「残念ですが、ここから落ちたら助かりませんよ」

見るも無残なほど、ぐしゃぐしゃにつぶれた金属の残骸が、トラックの荷台に乗せられて運ばれていくのが見えた。

「ブレーキをかけた形跡がありませんでしたので、運転を誤ったのか・・それとも・・」
警官は言葉を濁した。
「まあ、事件性はないと思います。ですが一応調べますが・・」
「もし・・・道明寺さんと牧野さんが・・見つかればご連絡いたします」

通訳を介して伝えられた言葉。
警官はそれだけ言うと大股で歩き去った。

現実離れした空間がそこにはあった。
誰もが信じられない。信じたくないという思い。
だが確かめなくてはならない。
それはここにいる誰もがそう考えているはずだ。

「な、なんで・・どうしてなのよっ!つかさ・・」
わっと声を上げて滋は泣き出した。
「先輩・・どうして?道明寺さんも・・どうしてなんですか?二人とも・・どうして・・」
「つ、つくしぃ・・なんで・・・どうしてよっ!あんたたち・・なんで・・どうして・・」

あきらは二人の女性の悲しみに暮れる顔を見ているのが辛かった。
彼も自分の幼い頃からの親友が事故にあったと聞いて信じられない思いがしていた。
ましてや、ここにいる誰もが二人の関係に心を痛めながらも見守ってきただけに、今の状況が信じられないという思いだ。

「なんで・・つ、つくし・・」

総二郎は泣き崩れた優紀の傍にしゃがみこむと優しく肩を抱いた。

「優紀ちゃん、車に戻ろう。あとは警察が・・」
唇を噛み締めると何か言いたそうに類を見た。

「類・・」


類は海を見つめながら、どこか無表情に見えたが蒼ざめたような顔で親友が車ごと落ちたという場所に立ちすくんでいた。

「悪いが先に行ってくれないか?」

類はその場にとどまると、ヘリコプターが海上を捜索している様子を眺めているしかなかった。




司と牧野の乗った車が崖から転落した。
その連絡を受けたのは類だ。


リアス式海岸は切り立った断崖だ。ほぼ垂直な斜面は勾配がきつ過ぎて人が登ることは出来ない。眼下に広がる海の潮流は早くはないが水深は深い。

彼らを最後に見た人間は、最後の目撃者は誰だったのか。

『 彼はお金では買えないのよ 』

誰かがそんな言葉を言っていたのを思い出していた。

類が地元の警察から連絡を受けたのは理由がある。
つくしがイタリアへ移住するにあたって類が彼女の身元引受人となっていたからだ。
彼はフィレンツェにある自分名義のワイナリーを訪れることが多く、この国での事業経験も長い。そんな実績が彼にイタリアでの信用を与えていた。

牧野が司と会うだけのために、この国へ移り住むと聞いたとき、正直驚いた。
でもあの二人は一生離れられない運命にあることはわかっていた。
それは二人が出会ったあの頃に結ばれた縁だから。
司がいつだったか俺に聞いたことがあった。
今度はいつイタリアへ行くんだ?どのくらい滞在するんだ?
あの時は単なる興味半分で聞いたのだとしか思っていなかった。
あの頃の司はアメリカ人の妻と別れようとしていたが、離婚が成立したとは聞いていない。

「俺に立ち会って欲しかったんだね」小さく呟かれた言葉。

司が類に手紙を書き、投函したのがちょうど1週間前。
手紙に書かれていたのは、イタリアで牧野と暮らし始めたという内容だった。
電子メールは使わず、わざわざ手紙を書いていた司。
文章を考えたという手紙ではなかった。
この手紙は司の魂から出た想いだろう。
過去を振り返ることなく、前を向いて歩くとだけ書いてあった。
二人はこの土地で少なくとも幸せだったようだ。
想いのままに綴られた手紙が類の手元に届いたとき、二人の気持ちは決まっていたのだろう。

司と牧野の愛は海の底にあるのかもしれない。
それは海の底でしか得ることが出来ない。
深く、濃い青の暗い海の底でしか。
海はどこまでも広がっていて果てしない。
二人はこれからどこへでも自由にいけるはずだ。
二人で永遠の旅に出よう。
何もかも捨て、もう誰にも邪魔されない二人だけの世界へ。
あの二人はそんな会話を交わしたのかもしれない。

「司、閉じた瞼の裏に見えたのは幸福の情景だったんだろ?」


類は碧い空を見上げた。
この場所は世界で最も美しいと言われる海岸アマルフィ。
空は碧く、高く、海は紺碧で深い。
それはラピスラズリの色と同じ。


つくしの家に残されたラピスラズリのふたつの指輪。
内側に刻まれていたのは

You belong to me forever
『 おまえは永遠に俺のもの 』

I belong to you forever
『 わたしは永遠にあなたのもの 』

「司、牧野。この指輪、忘れてるよ」

類はふたつの指輪を握りしめ、大きく腕を振りかぶると紺碧の海へと投げ込んだ。

決して離れないようにと糸でしっかりと結ばれていた指輪。

「メッセージは確かに受け取ったよ、司」

手紙と一緒に同封されていたのは、フィレンツェにある類のワイナリーの写真。
その写真に写っているのは、四人の男と一人の女。


「もう二度と会うことはないんだね」

「わかってる。二人がどこにいようと幸せなんだってことは・・」

「さようなら。ふたりとも・・」



















空港に一組の男女が降り立った。
一人は小柄な東洋人の女で、もう一人もおそらく東洋人と思われる男だが、それにしては顔の造作が深い。
手に持つ荷物は最小限だが、洋服と持ち物はいい物だということはひと目でわかる。
二人の顔にはうっすらとほほ笑みが浮かんでいた。
その顔を友人が見たらなんと言っただろう。
長い間見ることが無かった彼らのほほ笑み。

それは決してうわべだけのほほ笑みではない。
魂が込められたほほ笑みだ。

迎えの車は二人を乗せるとスピードを上げて行く。
この場所は時がゆっくりと流れて行く場所で、時間の経過は過行くままだ。
二人が新しい人生を歩むことに決めた場所に、他人は必要ない。
一緒に過ごしたかった人生の大半を別々の場所で生きなければならなかった二人。
これからはたとえ名前が慣れ親しんだものと違ったとしても、二度と友人たちに会えなくても、二度と家族に会えなくても、そして二度と祖国の土を踏むことが出来なくても・・

そんなことはこの二人には関係は無い。

これまでの人生はすべて捨て去ってここに来た。

二人で一緒に過ごすことが出来れば、それだけで幸せなのだから。


そんな二人の指には、真新しい指輪が南国の太陽を浴びて輝いていた。








< 完 >  *乾いた風*

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2016
08.14

乾いた風 中編 

Category: 乾いた風 (完)
地中海の香りを運んでくる風は遠くアフリカ大陸からの熱い南風。
この国ではシロッコと呼ばれ、北アフリカでは乾燥した風も海を渡ると高温湿潤の風となって時に運ばれて来た砂が嵐を起こす。

碧い空と碧い海。 
つくしは今この国にひとりで暮らしている。


そこは世界で最も美しいと言われるアマルフィ海岸。
長靴の形をしたイタリア半島西側の丁度足首の部分にあたり、地中海の海域のひとつであるティレニア海とソレント湾を望むことが出来る入り組んだ海岸線は30キロにもおよぶ。
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが生涯にわたって愛した妖精の死を悼み、その亡骸を世界で一番美しいと言われるこの場所へと葬った。
その名を永遠にとどめておくために名づけたと伝説が残るこの場所。

イタリア屈指のリゾートは、美しい街並みが切り立った断崖絶壁に張り付くようにして点在している。
断崖を飾るパステルカラーで彩られた家々は、まるで海に落ちないようにと踏ん張っているようで、温暖な気候にカラフルな街並みは見ているだけで楽しい気持ちにさせてくれる。

だがここは山が海に直接落ち込む典型的なリアス式海岸だ。
風光明媚な景色とは裏腹に道は狭く、急カーブが続く海岸線。運転を誤ると真っ逆さまに海へと転落して行きそうだ。
そんな険しい岩陰の続く地形だが、それでも人々の暮らしは成り立っていた。狭い土地を段々畑として利用し、レモンやオレンジ、ぶどうの栽培や放牧などで生計を立てている。




司のニューヨークから東京への旅はこの街へと行き先を変えていた。
彼は月に一度はイタリアを訪れていた。
それは愛しい女が待っているからだ。

昨夜はひと月ぶりに抱き合った司とつくし。
時計はまだ午前5時を少しだけ回ったところだ。
美しい男は女に髪を触られてもまだ目を覚まさなかった。

つくしは動かない唇に自らそっと唇を押し当てた。
ついさっきまで触れられていた胸の先がちくちくと痛んだ。

司の瞼が薄く開かれた。

「どうした?」

「・・ん・・あんたを見てた」

今までもいつも見ていた。
だが決して傍には近寄れず、遠くから崇めることしか出来ない。
ひと前では赤の他人を見る目でしか見ることが出来ず、返されるのはよそよそしく、冷たい視線。それでもつくしはいつも彼の愛を信じていたから決して心を痛めることはなかった。
今ここで返される言葉は短くても温かみがあり、やさしさが感じられ、慈しみが感じられる。

この国なら司もあたしも人の目を気にせずに自由でいられる。

「つくし、あんなんでよかったのか?」

男の手はつくしの髪を優しく撫でていた。

夜が運んでくるもの・・・

それは男の体と長い指。
その指を飾るのはつい最近まで嵌められていたプラチナのリングではなかった。
偽りの指輪はもうその指には無い。

「うん、あたしはあんたとこうして一緒にいられるだけで・・それだけでいいから」

「そうか・・つくしがいいんなら・・」

司は彼女の人生で一番輝いていた時を奪った。
濡れて重くなった制服を脱ぎ捨て愛し合った南の島のコテージ。
あの時から二人は生涯を共にすることを誓っていた。
だがそれは叶わぬ夢だった。
偽りの結婚生活。
そこに重ねられた道ならぬ二人の関係は誰の目にも触れてはならなかった。
いや、触れられたくなかった。

体はここにいることは出来なくても、心だけはと彼女のために用意したものがあった。
それはつくしの誕生月である12月の誕生石であるラピスラズリの指輪。

指輪の色は二人が目にするアマルフィの海の色と同じ紺碧。

「結婚したかった・・・」

つくしの口から初めて聞かされたその言葉。
今まで決して口にしなかったその言葉に司の胸は刺されたように、激しく痛んだ。
生涯を共にしようと誓ったあの日からもう何年が過ぎ去っていたのだろうか。過ぎ去った日々を思えば、口の中には言葉に出来ない思いが苦い薬のように残っていた。

司がそっと指先で彼女の頬を撫でた。柔らかい頬は触れた指先を優しく包みこんでくれる。
だが頬は濡れていた。
涙をこらえほほ笑んでみせようとしたが、零れ落ちる涙を止めることは出来なかったのか彼女は泣いていた。司はその涙を指先で受け止めた。

「もうしてるじゃねぇか」

花が沢山飾られた教会を一緒に歩くのは彼女と決めていた。
だからこの場所で、古い教会を見つけて二人だけの結婚式を挙げた。
カトリックの教会は二人の愚行を認めはしないが、いまさら神の祝福など必要はなかった。
いかばかりかの金を積んでの善行を神父は不承不承受け入れた。
悪意のある神によって二人は一緒にはなれなかったが、形だけとはいえ結婚式を挙げさせてやりたかった。自分の精神と感情はすべてつくしだけのためにある。それに彼女以外は必要がない。祭壇で彼女を待つ間、もう二度と失いたくないと脚が震えていた。

「俺はもうどこへも行かねぇし、おまえの傍を離れるつもりはねぇ」

その言葉に嘘はないだろう。

花嫁は美しかった。
本当なら大勢の人間に祝福されて式を挙げさせてやりたかった。
だがそれは出来ない。
二人の結婚は法には縛られることはない。
司には既に戸籍上の妻がいる。

「これからはおまえの傍にずっといる」

10年前に結婚し最初の半年で司が邸を出たとはいえ、正式な妻はアメリカ人の女だ。
司は所有欲の強い妻とはあれから顔を合わせることはなかった。単なる法律に縛られただけの関係の女だ。正直どうでもよかった。
だがつくしと再会した今、司は離婚訴訟を起こした。

自分の全てを投げうってでも構わない。
金で全てが解決するならそれで構わない。今までその金を手に入れるために働いて来たようなものなのだから。自分の体以外なら全てをあの女にくれてやる。

アメリカでは州により法律が異なるが、弁護士に言わせれば簡単だと言う。だが女は離婚に応じない。それは自尊心や世間体を気にする以前の問題だろう。
もう10年近く一緒に暮らしていないのだから、世間はとっくの昔に道明寺夫妻の結婚生活が破たんしていることは知っている。
別れない理由はただひとつ。他の女に取られるくらいなら意地でも離婚などするものかと言うことだろう。


「どうしたの?」

「いや。なんでもねぇ」

男の手は優しくつくしの髪の毛を撫で続けていた。
指に絡ませてもするすると零れ落ちる黒い髪は昔から変わらなかった。


義務感に駆られ妻を抱こうとしたこともあった。だが抱けなかった。
司はもはやつくしの体以外には反応することがないのだから。
嘘ではない。
戸籍上の妻を抱けない。半年間で妻と暮らした邸を出たのもそのためだ。
そのことに対して後ろめたいという気は一切なかった。

これは不倫ではない。

刹那的な火遊びでもない。

不倫が背徳というのなら己の生殖器は永遠の愛を誓った相手以外には反応をしないはずだ。
だから司はつくし以外には反応しない。世間の倫理観なんて自分には関係ない。自分の善悪の全てはつくしの中にしかない。永遠の愛はつくしのためだけにある。
倫理に反するというのならあの女の顔を見て言えばいい。妻とは名ばかりの女の顔を。

よくある政略結婚。
司の後ろ盾となった女の父親は司の人生を買ったつもりでいる。
だが司は自分が飼い慣らされているとは思っていなかった。
あの結婚以降すぐ、義理の父親となった男の力を必要としなくていいだけの実力をつけた。
それは自分の人生に口出しをさせないためでもあった。

これからずっとつくしといるためにニューヨークでの仕事はすべて譲渡してきた。
働くことが無意味に思えたからだ。司が出社しなくても会社はきちんと成長を続けている。
司は自分が生きていくためにどれだけつくしが必要で、どれだけ愛しているのかと言うことに今さらながら気づかされた。つくしと再会してもうこれ以上離れていることが耐えられなくなっていた。
そのことに気づいたとき、今までの自分の人生がどれだけ薄っぺらいものかと気づかされた。




もうこれ以上離れていたくない・・

これからはずっとおまえの傍にいるから・・

「つくし、これから先は何があろうとおまえと一緒だからな」
司は断言した。

「いいか、俺を信じてついて来てくれ。なにも心配なんかすることはない」

「心配?」つくしは聞いた。

「あたしは、あんたを信じてるし何も心配なんてしてない」
つくしはさらりと言った。

周りから何を言われても、そんなことに耳を傾けることはとっくに止めていた。
人がなんと言おうがこの恋が二人にとって生涯をかけた恋であることは紛れもない事実。
こうして二人横たわって互いの鼓動を耳にすれば、同じリズムを奏でている。
同じ時を刻んで行きたい・・ただ、それだけの思いしかない。
もしまた二人が離れてしまうことになるのなら、いっそのこと刺し違えればいいという思い。

「俺たちはもう二度と離れねぇからな」

司は確信をこめた声ではっきりと伝えた。

黒い瞳は欲望の色を増すと、つくしの瞳の中にある何かを探した。
それは今の自分の思いと同じ官能の調べと不滅の愛。

多くの偽りの微笑みはもう必要がない。
今この腕の中にいるのは二度と離したくない女。
司が握るつくしの手は長い間失っていた彼の一部。
またいつか必ず自分の腕の中に欲しいと思っていたこの体。
そして何よりも触れ合いたいと思った彼女の心。

二人は一緒に生きるべきで、互いがいないと倒れてしまう。
ひとりの男とひとりの女がこれから生きて行く世界が例え嘘だとしても、二人の足元には同じ世界があるのだからそれで構わない。同じ時を生きていけるなら嘘でもいい。


司は自分の前で開かれた肉体へ自分自身を埋めたとき、はっきりと感じたのは絶望的なほどのこの女を愛している、もう二度と離れることは出来ないという思い。
動くたびに、言葉にしなくても感じられるのは女も同じだと言う思い。

「教えてくれ」

司は二人が結びついた部分に手を這わせた。濡れそぼったそこは司をきつく咥え込んだ。

「ああっ!つ・・つかさ!」

司の指が動き出すと女の頭はのけぞった。
彼の背中にしっかりと回された腕はもう二度と離したくないと、二人でいられるなら、どんなことでもあきらめられる、どんな些細なこともあきらめられるから、わたしを離さないでと伝えてきた。

「どうして欲しいか教えてくれ・・」

司が激しく突き上げるなか、息も絶え絶えに答えようとする愛しい女。

「つ、つかさが・・欲しい・・もう・・二度と・・おねがい・・」

「ああ・・わかってる。どうして欲しいんだ、つくし?」

もう二度と離れたくないという思いと離したくないという思い。

「もっと・・ねぇ・・おねがい・・つかさ・・」

「・・っつ・・くそっ・・」

司は腰を振ってつくしを求めた。
求めずにはいられなかった。
深く激しく愛すれば愛するほど止めることなど出来なかった。

「もっと欲しいか・・なあ・・つくし・・俺が欲しいのか?」

「はぁ・・あぁ・・おねがい・・」

ついて来いと命じる腰の動きは、突くごとに激しさを増していた。
心も体も全てを俺に預けてついて来い。
おまえのすべてが欲しい。
司はつくしの全てを望んでいた。

「なにが・・お願いなんだ?」

「つ・・つかさ・・もっと・・」

つくしは司の体の下で激しく突き上げられながらももっと欲しがった。

「おねがい・・もっと・・あっ・・あっ・・ああ・・」

「そうだ、もっとだ・・もっと俺を欲しがれ・・」

激しいリズムはつくしの体を前後に揺り動かしながら快感を煽った。
つくしの口から溢れ出すのは、愛しい男を二度と離したくはないという思い。
苦悶の表情を浮かべむせび泣くような喘ぎ声。
そんな渇望の叫び声は、やがて司の唇に塞がれていた。



二人の関係は過ちなんかじゃないはずだ。

どこまで行っても終わりが見えなかったトンネルに一筋の光りが見えた。
二人で向かう先はそのトンネルの出口。
どこかに二人だけの場所がある。
二人を待っている場所が・・

「これからはずっとおまえと一緒だ」

一分一秒でも長くこのままでいたい。

この思いだけは二人が初めて愛し合ってから変わることのない気持ち。



優しい男の声は真実だけを伝えてくれていた。







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2016
08.13

イベントのお知らせ~第4弾について~

皆様こんにちは。

先週に引き続きのお知らせとなりますが、是非ご一読下さいませ。
本日0時公開のつかつくのお話はいかがでしたでしょうか?
お楽しみ頂けましたでしょうか?
本日公開となりましたお話はこちらの皆様のお話となっております。

明日咲く花 asuhanaさま
dólcevita オダワラアキ二次小説置き場 オダワラアキさま
君を愛するために~花より男子二次小説 こ茶子さま
gypsophila room Gipskräuterさま
ONE HAPPY O’CLOCK ひーさま
みかんの箱(天使の羽根) みかんさま

さて、第4弾はるいつくの愛人となっております。

日時 : 8月20日 (土) 午前0時公開 
なお、参加サイト様は下記の皆様です。

asuhanaさま(明日咲く花)
Gipskräuterさま(gypsophila room)
こ茶子さま(君を愛するために)
蜜柑一房さま(天使の羽根)
miumiuさま(おとなのおとぎばなし)
オダワラアキさま(dólcevitaオダワラアキの二次小説置き場)


なお、当初ご案内をさせて頂いておりました日向葵様ですが、ご事情により今回は不参加となりました。楽しみにお待ち頂いていた皆様には大変申し訳ございませんでした。



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2016
08.13

乾いた風 前編

Category: 乾いた風 (完)
大人向けのお話です。「愛人イベント」のお話です。
未成年者の方、またそういった設定を受け付けない、
もしくはそのようなお話が苦手な方はお控え下さい。
**************************












あたしは人生における最高の快楽を知った。
それは愛の匂いをあたしに感じさせる。誇り高い肉体を持つ男とはじめて関係を持ったのはいつのことだったのか。もう随分と昔の話しだが決して忘れることはなかった。

眠れぬ夜を幾夜も過ごし、横たわった姿勢で天井だけを見つめて過ごす部屋はいつもひとりぼっちだった。
朝日が東の空へと昇ると安堵するのは何故なのか。月が沈んで日が昇る。毎日繰り返される出来事がなぜこんなにも感情の満ち引きを引き起こすのか。日が昇れば楽しい気持ちにさせてくれるかもしれない。きっと新しい何かを運んで来てくれるはずだ。毎日そればかりを願って過ごしてきたはずだ。

夜の帳は孤独というものを実感させるからなのかもしれない。

そんな孤独な夜をやり過ごすため、どこか自分の心の中に逃げ場を作ることがいつの間にか癖になっていた。


今夜のテラスは夏の名残を色濃く残していた。
間近に海を見渡せるその場所は、空気が熱をもった状態でテラコッタタイルの古い床のうえを漂っている。
風は緩やかに下から吹き上げてくるようで、ときおり女の髪の毛を揺らしていた。
手すり越しに見えるのは漆黒の闇だけで、明かりはひとつもなく、ただのっぺりとした暗闇だけが広がっているだけで手を伸ばしたところで掴めるものなど何もないはずだ。




音はなく、静かな夜。



甘く艶のあるバリトンが耳元で囁いた。



「俺が欲しいか・・」



司はつくしの腰を両手で撫でまわすとその手を乳房まで滑らした。
指を使って女の小ぶりの乳房を揉み上げれば小さくあっと呻く声がした。
夜風にさらされた胸は乳首を硬く尖らせている。
司はその乳首を満足気に口に含むと強く吸った。

「あっ・・つ、つかっ・・さ・・」

熱い唇はぴちゃぴちゃと音を立て女の乳首をむさぼるように吸い続けていた。
つくしは視線を落とすと自分前にひざまずいた司の頭が左右に動いているのを眺めていた。
左右の胸をいとおしそうに吸い続ける司の唇。

「お、おねがい・・つ・・つかさ・・」

まるで赤子が母親の豊な乳房を求めるように乳首をきつく吸われていた。

「欲しいの・・」

「どうした?何が欲しいんだ?」

つくしは身を震わせると司の頭をよりいっそう自分の胸に強く引き寄せた。

つかさが欲しいの・・

「俺が欲しいんだろ?」

「欲しい・・つかさの全てが欲しい・・」

他には何もいらないから・・・

あんただけが・・

あんただけが欲しい・・

あんたの時間も愛情も全てが欲しい。

「ああっ!・・はっぁ・・つ・・つかさ・・・っ・・」

噛み千切られるほどの強さで乳首を咥えられると脳が痺れて立っていられなくなった。
激しい欲望と興奮だけが一気に押し寄せて来るようで、腰から崩れ落ちると四つん這いになってそのままうしろから繋がっていた。
力を込め突き入れられ、体の奥に感じた男の欲望に声を押し殺すことはしなかった。
つくしは自分が自制する心なんてもうとっくに捨てているとわかっていた。

「はっ・・・はあっ、ん・・」

「教えてくれ・・どうして欲しい?」

司は片手を二人が繋がった部分へと這わせると小さな突起を指で押し潰した。

「あぁっ!・・・はっあ・・」

二人が繋がった場所は司が突くたびにぐちゅぐちゅと淫らな水音を立てながら彼の性器を呑み込んでいく。濡れた割れ目に硬いものを突き入れるたびに溢れ出る愛液は床の上へ滴り落ちると小さな水たまりを作るほどだ。

「_つくしっ・・」

「おまえは俺だけのものだ・・」

男の口から囁かれる愛しい女の名前。
遠い昔、感じた思いは今も変わらない。彼の希望であり叶えたい夢でもあったはずだ。
だが叶わない夢は見れば見るだけ虚しさが募る。彼の夢はもう決して叶うことがないのだろうか。

「いっそのことおまえを・・壊して・・」

叶わない夢なら壊してしまおうとでも言うのか。
司は頭をのけぞらせ、目を閉じたままつくしの腰をつかんで連打をあびせていた。
繰り返される律動は力強くつくしの鞘の奥へと突き入れられている。

「クソッ・・」

低いかすれた声が司の口から漏れてはいるが、頭は興奮で何も考えてなどいないはずだ。
奥まで突き入れるたびにもっと奥へと引き込まれていくようで、喰いちぎられるのではないかと言う思い。司の欲望の塊は本来自分のいるべき場所へと戻って来たはずだ。理性も何もなくして、ただひたすら目の前の体を求めて会えずにいた日々の埋め合わせをしたいと望んでいた。細い体に小さな手。その手で自分の全てを掴んで欲しい。掴んで離さないでくれという思い。それは言葉に表すことが出来ない感情。それならと自分の体の全てを使って伝えていた。

人間の欲望というのは限りがない。生きている限り常に何かを求め続ける生き物だ。
ただ、それが一体なんなのか。
それは誰しもが求めて止まない心の渇望。自分をわかってくれる人をひたすら求めることしか出来なかったあの頃の思い。決して物欲では満たされることのない孤独な心。
愛が欲しい。愛して欲しい。愛されたいという思い。どんなに孤独に生きようと決めていても手を伸ばさずにはいられない存在が誰しもあるはずだ。

互いがいなくては生きていくのが辛い。
それならいっそ。という思い。

二人のどちらもが同じ思いでいるはずだ。


愛の姿は決して変わらない。
時は人を成長させるというが、例え何年経とうが二人の間にある愛の姿は変わることがなかったはずだ。






つかさ・・

何度も繰り返し叫んだ名前。
会いたくて、愛されたくて何度も繰り返し呼んだ愛しい人の名前。

壊されてしまってもいい。

この腕の中で永遠に過ごすことが出来るなら形なんてどうでもいい。
互いの肌の温もりを感じ、本能のままに上げる声を聞き、このままずっと繋がっていたい。
夜が始まったばかりのこの場所で、大きなベッドにひとりぼっちで横たわるのはもう嫌なの。もしも眠りにつくのなら、愛している人の腕に抱かれて眠りたい。


あのとき、はじめてあたしを抱いたときのように・・・






人の匂いは表現しにくいと言うがその男の匂いは昔から変わらなかった。二人がはじめて愛し合ったのは南の島のコテージ。人は匂いで思い出すことがある。嗅覚は五感の中では最も原始的な本能と言われ、食欲や性欲などと同じ本能をつかさどる部分へと結びついている。そのためか匂いの記憶は薄れにくく、ましてや匂いが恋愛感情と結びついた記憶なら長期間なかなか忘れることはない。それに匂いで昔の記憶が甦ることもある。
あの南の島のコテージではじめて知った男の匂い。
つくしにとって世界でいちばんの匂いは隣に横たわる男の匂いだ。


深く香るその匂い。


この匂いを嗅ぐと幸せな頃を思い出さずにはいられなかった。普段は自分の胸の奥深くにしまいこんだままだが、それでもこうしてこの男と過ごせば、遠い過去から現在までの懐かしい記憶が思い出された。この男特有の香りは他の誰かと同じものは世界にひとつと無い。
だからどこかでこの香りに出くわすことは決してなかった。それに自分以外の人間がこの香りを纏うだなんてことは無かった。

つかさ・・

この男への思いの深さに自分を抑えることが出来なかった。いつの頃からかこの男を自分のものにしたいという感情が心の中で抑えきれなくなっていたのを感じていた。

誰にも渡したくない・・

つくしは、男の美しい寝顔を見ていた。
硬質な美貌と呼ばれる端正で鋭い顔はあの頃と変わらない。
癖のある黒髪はあの頃と変わらず豊かだ。指に軽く絡んでは離れていく癖のある髪。
この黒髪を指で梳くということがこんなにも愛おしいことだとは昔は気づかなかった。

そう・・・

あの頃は。






16歳と17歳で出会った二人の恋は周囲に祝福されるものではなかったが、それでも互いを思い合う気持ちは強かった。
未成年者だった彼らの恋は司の母親によって一度は引き裂かれた。彼は一般庶民の家庭では想像もつかないような世界で暮らしている。司は財閥の後継者でひとり息子だ。すでに将来は決められていた。それはこの世に生まれ堕ちた瞬間から、いや母親のお腹の中に宿った時から決められていた彼の将来。
自分の意志が届かないところで決められていた未来。見えない掟に強いられて生きなければならない人生。それでも二人は走り抜けていく時を共に過ごしたいと願っていた。


二人は司がアメリカの大学を卒業するとニューヨークで一緒に暮らし始めた。
周囲がなんと言おうが関係なかった。ただ、司は与えられた仕事以上をこなそうとしていた。
それは二人の関係を認めさせるために、つくしがいればこそ仕事にも身が入るのだと母親に分からせるためでもあった。
そんな二人に時はそれほど早くもなく、遅くもなく流れていった。
司の母親は二人に対して何も言ってはこなかった。だがある日、まるで司がアメリカ国外へ出張しているのを見計らったかのように住まいを訪れた。滑稽なほど冷たい態度は昔と変わらなかった。

「こんばんは。お邪魔してもよろしいかしら?」断る理由はない。

「あの子の父親はもう長くはありません」

それは司が高校卒業と同時に渡米をしなければならなくなった理由。
父親の病状が悪化したということだ。

「牧野さん、そろそろあの子を、司を返してもらえないかしら?」

「あなたたちはもう十分恋を楽しんだはずよね?」

十分恋を楽しんだ・・・
つくしはその言葉に違うと言いたかった。
楽しんで恋をしているわけじゃない。
恋じゃなくてあたしは道明寺を心から愛している。

「あの子は道明寺の跡取りです。これ以上あなたと恋を楽しんでいる時間はないの」

「あの子の父親が亡くなれば財閥の中での派閥争いも表立ってくるわ。そうなる前にあの子のために確固たる地盤をつくってやらなければいけないの」

「わかるわよね?あなたも。司には大きな後ろ盾が必要なの」

鉄の女は決して二人を認めていたわけではなかった。
時期がくれば再び二人の仲を裂くつもりでいたのだ。

確固たる地盤と後ろ盾。

まだ若い司が大きな財閥を率いていくためには力が不足しているということか。父親が亡くなればそれまでなんとか保っていた社内のパワーバランスも崩れるということだろう。財閥内の権力争いに勝つために、母親が後ろ盾と見込んだ相手はアメリカ資本の石油メジャーだ。これまでも石油事業に興味を示していた母親は、業務提携先の会社を探していた。
そんな矢先に実にいいタイミングで飛びこんで来たのは石油メジャーのひとり娘と司の結婚話し。
石油メジャーの資本は巨大だ。石油価格が暴落したとしてもオイルマネーはうなるほどある。そんなメジャーと姻戚関係を結べるとは、まさに願ったり叶ったりの好条件だと司の母親は考えた。

今までもビジネス絡みの結婚話しは幾度かあったが上手く行かなかった。

ただ、今回の話しには大きな力が働いた。

ひとり娘は司を気に入り、父親に頼んだ。

彼が欲しいと。

金で買えるものなら何でも手に入れてきた娘は司に対してもまるで物を買うように欲しがった。
金で買えないものはない・・それはまるで司がつくしと出会う前の姿であり、女の姿はまるであの頃の映し鏡のように思えた。人こそ人の鏡。他人は自分の映し鏡というが、目の前に現れた女は過去の自分を映し出しているかのようだった。


司は自分には愛する女性がいて一緒に暮らしている。だから貴女とは結婚は出来ないと断った。まだ若い男は病床に伏す父親が亡くなるまでに、なんとか自分で事業を率いていけるだけの力を身に着けようとしていた。

だがそんなときに発覚したのは道明寺ホールディングスの贈収賄事件。
グループ内のある企業が起こした不祥事。まだ上場する前の会社の株式を複数の政治家や官僚にばら撒くという事態に親会社の道明寺は世間から、いや世界から叩かれることになった。 上場すれば確実に値上がりし、高値で取引をされる株式だ。売却すれば多額の利益が見込まれた。どう考えても賄賂性が高かったのは言う間でもない。

会社としての信用度は日本で最高ランクに格付けされた道明寺ホールディングスが起こした贈収賄事件。
司の父親は経営トップだ。本来なら公衆の面前に立ち企業経営者としての説明責任をになうべきだが、病のためそれも出来なかった。そのことも道明寺ホールディングスの世間に対する印象を悪くした。


政治家に賄賂を贈る・・

昔も今も決して変わらない悪しき習慣だろう。だがどうしてそのことが世間に知られることになったのか・・大きな力が働いたのかもしれなかった。

誰かがマスコミに情報を漏らしたのか?

考えられないこともなかった。


信用失墜は大きい。
早急にグループ内の粛正が求められたが業績が傾いてくるのは目にもわかるほどだった。
株価の下落は止まらず、売りばかりが目立ち、連日のストップ安で道明寺ホールディングスの株式は監理銘柄へ移される寸前まで行った。監理銘柄とは上場廃止基準に該当する恐れがある株式に割り当てられる特別な扱いだ。
監理銘柄に指定されるということは、道明寺ホールディングスが上場廃止になる恐れがあるということを表している。
上場廃止が決定すれば整理銘柄となり、原則1か月を過ぎれば上場廃止となる。

道明寺ほどの大企業が上場廃止となれば、世間への影響は計り知れない。
当然だが上場廃止となれば道明寺の株は価値がなくなる。それならその前にと売り逃げをする投資家が大量の株式を放出した。その結果東京の株式市場は連日全面安が続く展開となっていた。株式市場の低迷は日本経済の低迷を招く。

大きな企業が転ぶと日本経済は転覆してしまう恐れがあった。
売りばかりが先行する東京市場の状況が、東京発の世界的な金融恐慌を招きかねない状況へと変わっていくのは目前だった。
証券マンのメッカ、兜町界隈でまことしやかに囁かれはじめたのは道明寺が倒産するのではないかという噂だ。

大きすぎて潰せないという会社もあるが、道明寺の場合は潰れるかもしれない。
アメリカ政府はリーマンショックのとき、大きすぎて潰せないとして何社か救済に乗り出し助けた会社もあった。だが今回は政治家への贈賄事件だ。日本政府の金は国民の税金だ。その税金を使って贈賄側の会社の救済に乗り出せば、ときの政権は国民からの批判を浴びることは目に見えていた。
どちらにしても上場廃止になれば、資金調達が銀行からの借り入れだけに限られてくる。
ただ、銀行が融資をしてくれればの話しだが。

火のない所に煙は立たぬと言うくらいだ。まさかとは思うが道明寺は潰れるのか?
今の世の中、何が起きてもおかしくはない。

当然ながら経営陣の資質までもが問われる事態となって来ていた。そんな折、司の父親が亡くなった。恐らく病のこともあっただろうが、事業が困窮を究める様に心労が重なったこともあるのだろう。
大企業の経営者が亡くなれば、必ず後継の問題が浮上してくる。
経営の根幹を揺るがす事態にならないうちに財閥をひとつにまとめる必要がある。
だが司が後継者として独り立ちするのにはまだ力不足だった。しかし会社を潰すわけにはいかない。それは経営者の責任で大勢の人を使うなら当然のことだろう。何万という従業員とその家族を守るには自らが犠牲になることを暗に求められていることは十分わかっていた。


大きな後ろ盾が必要だ。


わかっている。


だがどちらかを選ぶなど今の自分に出来るだろうか?


会社のためとはいえ、別れなければならなかったふたり。


たったひとつの言葉だけが交わされた。


すまない・・・と。


二人で過ごした年月が最後はたった5分足らずの会話で終わっていた。
そこから先は断片的な記憶しか存在していなかった。

ただ、司はまっすぐに彼女の目を見ることが出来なかったことだけは覚えていた。





運命の歯車はまたどこかで噛み合うことがあるのだろうか?







あの贈収賄事件から10年経ち、司が東京に帰ってきたときつくしに再会した。ただそのとき、二人の間に交わされた眼差しは無言でゆきちがう以外何もなかった。だが互いの頭に過った思いは同じはずだ。

10年前の二人の別れは苦しみだけを残していた。さよならさえろくに言えずに別れた二人はこの10年を胸の内に哀しみだけを抱えて生きてきたはずだ。
もしその場に二人だけしかいなかったとしたら彼女を抱きしめていたはずだ。
抱きしめて彼女の懐かしい甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら唇を寄せていたはずだ。


忘れられない・・

忘れられるはずがない・・

忘れたことはなかった。

何をしてもひとりの女を忘れることなど出来るはずがない。

吐息とその肌の温もりを今でもこの胸に感じるというのに、忘れ去ることなど出来るはずもなく、小さな両手が司の背中に回されていた感触はいまでも確かに残っていた。


あの別れを思い出すたびに司の心は__あれ以来司の人生は、彼のアメリカ人の妻の存在を、彼のどうにもならなかった結婚を・・・・彼は自分の未来を否定し続けていた。
愛してもいない人間と一緒に暮らすなんてことは、司にとっては地獄だったはずだ。
だから彼は婚姻関係を結んだのち、半年を置いて妻と暮らす邸を出た。
だが空虚な毎日をやり過ごすだけの人生に未来などあるはずもなく、本当なら自分の腕の中にいたはずの女を思うだけの日々。未練は肉体に対してではないにしろ、他の女が欲しいとは思わなかった。

いっそ、時の経過が二人で過ごした全てを忘却の彼方へと持ち去ってしまえばいい。
そうでなければこれ以上の人生は虚しさが募るだけだ。常に冷静で感情に流されない男。世間は司のことをそう言った。


人としての生々しい感情というものは彼の心の中からいつの間にか消え去っていたのだろか。




心淋しかったはじめの短い期間のあとも、司の心は時が過ぎるのを忘れてしまったようにあの頃のままだった。


彼女以外絶対に愛せない。


再会をした二人には止められない思いだけがあったのは確かだ。
二人の逢瀬は司がニューヨークから日本へ帰国してくることで重ねられていく。
春が過ぎ、夏を迎え、秋を感じる。そして過ぎ去る冬。
慎重に立てた計画は東京から離れた人目につかない宿。海辺の別荘。山の上のロッジ。
場所は時をやり過ごすだけの器で二人が共に過ごせるならどこでもよかった。

あの頃と同じ夜を二人で過ごせるなら・・


ふたりの情事はやがて必然的に世間に知られるようになった。

情事・・世間はふたりの仲をそう表現した。

どれほど慎重に行動しても、所詮日本にいては知られてしまうということを二人は思い知らされた。

選択のない状況に追い込まれたわけではなかった。

だが人目を避けるには国外がいいいと決めたのは司だった。








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