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2017
07.20

時の撚り糸 1

<時の撚り糸(よりいと)>





非力でない存在の男には、自分で全てを選択できる自由があるはずだ。

だが若い頃の彼に、そんな自由はなかった。

今では漫然と日々を過ごしているが、あの頃は違った。

17歳の少年は、一人の少女のために生きていた。

彼女がいてくれたから生きている意味があった。

彼女の傍だから生きてこれた。

夜ごと募る思いを抱え過ごしていたあの頃があった。

だが愛というのは無理矢理絞り出せるものではない。

どんなに努力しても、どんなにそれを望んでも。

あの頃のような愛はもう二度この手の中には戻ってこないのかもしれない。

無くした恋を振り返ることは愚かだというが、雨が降るたび思い出してしまう。

だが離れて随分と時間が経てば、その思い出も薄れていく。そう感じていた。










黒い遮光ガラスのおかげで車内は日が差し込むことなく、薄暗い。
それでも背後からの西日が強く感じられるのは、先程まで喧嘩とまではいわなくとも、きつい口調で相手を屈服させようとしていた名残なのかもしれない。
とある企業相手にM&A(merger & acquisition 合併と買収)を仕掛けたが、交渉は最後まで難航した。

どんな仕事にも大なり小なりリスクはあるが、今回の会社は、そのリスクを冒してもやり遂げる価値といったものがあった。
相手が簡単に打ち負かされるとは思えなかったが、最後はあっさりと司の提示した条件に折れ、すべてを道明寺HDの元へと投げ出すように言われれば、勝利したのは司の会社であり、握手をして別れた。

その結果、交渉に向けていた力が、放出されなかったエネルギーが身体の中に溜まってしまったように感じていた。西日が強く感じられるのは、恐らくそのせいだ。
体内の中が熱く感じられるのは、恐らくそのせいだ。

アメとムチを使い分ける。それがビジネスでは必要となるが、今回の最終交渉は、アメの出番は少なかったように思えた。どちらにしても、最終的に勝てばいいのがビジネスの世界。
闘うなら勝たなければ意味がない。それがビジネスの基本。そして交渉といったものは、人間同士の闘い。人と人とのぶつかり合いで、気持ちが強い人間の方が勝利する。
司は負けることが嫌いだ。それは彼が生きる世界では、負けが許されないこともあるが、勝ち続けることが自分自身の生きる意味を表しているように思えるからだ。

今、彼が生きているのは、ただビジネスのため。
誰かの為に生きているといった気は全くしなかった。



「副社長。先ほどの会社は半年かけて取り組みましたが、最後はあっさりとこちらの手に落ちました。しかし当初は、先方が対等合併を望んだ事には驚きましたが、御社と対等など考える方がどうかと思います」

司の隣に座るのは、投資銀行で道明寺HDのM&A戦略を担当するマネージングディレクター。

「契約締結は急がせましょうか。経営会議に諮る必要はもうないとは思いますが、社長だけには話しておいた方がよろしいのではないかと思います」

熱っぽく話すのは、気持ちが高揚しているからだ。
何しろ大型案件が纏まったのだ。それが意味するのは、莫大な成功報酬が男の手に入るということだ。
そんなこともあるが、仕事が成功すれば喜ぶのは当然のことだ。
司とて当然喜ばしいと思っている。だが、今は気分が乗らなかった。

「そうだな。契約締結は急がせてくれ。書類の方は出来次第持ってきてくれ」

と、言うと窓の外へと視線を向けた。


窓から見える景色はいつもと変わらない街並。後方から差す日の光りは、前方の景色を照らしているはずだが、黒いガラス越しでは、見える景色が何色なのか分からなかった。
もともとこの街はグレーの建物が多く、ガラス越しでなくても、目に飛び込んで来るような鮮やかな色はない。もしあるとすればセントラルパークの緑くらいだ。

そして雨が降れば、グレーの建物は、雨で溶けて無くなってしまったように同化してしまうことがある。どこの国に降る雨も色は同じはずだが、この街の雨には、はじめからグレーの色がついているのかもしれない。

何もかも覆い隠してしまうようにグレーの色が。




年相応という言葉があるが、それは司には当てはまらない気がする。
スーツもネクタイも腕時計も、一流のものを身に付けているのは分かるが、その装いが彼に落ち着きを与えているのではない。彼そのものが男としての魅力を年齢以上に見せていた。
そのせいか、交渉相手は司の本当の年齢を知ると驚くことが多い。東洋人は若く見られることが多いが、彼は逆に年齢よりも年上に見られるからだ。

瞳は三白眼の切れ長。睫毛も長く、直線的な鼻梁をしており、端正な顔をしていた。
若い頃からモデルばりの顔だと言われていたが、派手というのではなく、美しいと言った方が正しいだろう。長身で手足も長く、その長いコンパスで歩く姿は、颯爽としていた。
彼の後ろを歩く人間は秘書と警護の人間だが、その速さに付いて行くことが大変なのではないかと思うほどだ。そして仕事の能力にしても秀でた男は、数え上げれば良いところばかりだ。

そんな男からたとえ一瞬でも、目を向けられた人間は、自身が射抜かれてしまったようになり固まってしまう。
だが、その視線を怯むことなく、受け止めた女が、かつていた。





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2017
07.21

時の撚り糸 2

司がNY本社ビルに戻ったとき、待ち構えていたのは、大河原滋だった。
滋が司の元を訪ねて来るのはいつも突然だ。彼女は司にとっては遠い昔、親が勝手に決めた結婚相手だった。だが二人が結婚することはなかった。
司は自分と似たタイプの滋と結婚することは出来ないが、友人の一人としてなら付き合うことが出来た。

まるで男のような名前を持つ女は、その名前が表すように男勝りの性格だ。
自分に正直で曲がったことは嫌い。善人ぶって嘘臭いことを言うこともなく、本音で話しをする女。そんな女だからこそ、司の傍にいても許されるということを、彼女も知っていた。

執務室の前で待ち構えていた女は、司に続いて部屋に入ると、開口一番言った。

「相変らずいい男よね?司は?」

昔からいつもその台詞を司に向かっていう女は、応接セットのソファーに深々と腰を下ろした。そして手にしていた鞄をソファーの上、身体の傍に置く。それからくつろいだ様子で司を見ていた。

その様子に司は呆れたように口を開く。

「滋。なんだよ?おまえは暇かもしれねぇが、俺は忙しいんだ。用があるならさっさと話して帰ってくれ」

滋の視線の先にいる男は、執務デスクにどかっと腰を下ろし、書類に目を通し始めていた。

「えーっ!司ひどい!なによ、その態度!それが友達に向かって言う言葉なの?あ、でも例の会社、司の物になったのよね?おめでとう!」

相変わらずハイテンションな女は嬉しそうに言った。
が、その声は滋とは対照的な司の低い声にかき消された。

「滋。誰からその話を聞いた?」

司は顔を上げ、滋を見た。
つい30分ほど前に纏まったばかりの話をする女は、やはりただの女ではない。
大河原財閥のご令嬢ではあるが、今では石油関連事業会社の役員を務める女は、髪型はショートカットで紺のビジネススーツに身を包み、赤い口紅を塗っていた。

「え?ああ。相手の会社の人から。だってあの会社、うちとも取引があるからさ、興味あったのよ。でも司のところが買ってくれたんだったら安心かも。それにうちの会社、あの会社の株持ってんのよ、だから司の所のグループに入ってくれたんならこの先も安泰でしょ?でも司のことだから、いつまでもそのままの形で持ってるとも思えないけど?いきなりってこともないだろうし、ね?」

冗談めかして言ったが、ビジネスはシビアだ。
滋は司が買収した会社をいつまでも同じ形で持っているとは考えていない。そしてどうするかは、彼の心の中では決まっていた。

「ああ。そうだ。だから忙しいんだ。おまえ、友達なら仕事の邪魔すんな。それからマジで用があるなら早く言ってくれ」

司は再び書類に目を通し始めた。
滋に初めて出会った頃、彼女の声が耳障りでしかなかった。だが、今はそうではないが、それでも仕事中に威勢の良い喋りを聞かされるのは勘弁して欲しいのが本音だ。

「え?ホント?話聞いてくれるの?なんだ司、今日は機嫌がいいんだ。やっぱりビジネスが成功すると嬉しいよね?じゃあ聞いてくれる?あたし今付き合ってる人と別れようと思うの。司も知ってるでしょ?あたしの彼氏。しかし、どうして別れようって言って泣くかな?ホント信じられない」

司は滋の話など聞いていなかった。
自分が男と別れるからといった話しを、わざわざ他の男に聞かせる女がどこにいるかと思っていた。だが、滋という女はそんな女だ。相手が男だろうが友人だと思えば、性別は関係ないといったところは昔からあった。

「あたしも今までパワフルな男ばっかりと付き合ってたでしょう?だから今度は少し違うタイプがいいかと思って選んだけど、やっぱり物足りないっていうの?司みたいなダイナミックさが足りないっていうか。ほらあたしって司のそのダイナミックでパワフルなところに惚れた過去があったじゃない?」

滋の行動の大半は、好奇心から端を発していることが殆どだが、司を好きになったのは、大財閥の跡取りにしては、気骨があったからだ。そして喧嘩上等といったワイルドな態度も彼女が司を好きになった一端。

「ねえ、司?聞いてる?」

滋は反応がない男に聞いた。

「・・滋。おまえ、自分の男の話をしに来たんなら帰れ。俺はおまえの別れる男の話なんぞ聞きたかねぇよ」

司は顔を上げることなく答えた。

「え~。そんなこと言わないでよ?あたしだって別に好き好んで別れようって思ってるわけじゃないの。でもなんだか彼といると、こっちが疲れるって言うの?どっちが女か男か分からなくなるのよ。やっぱり女だから守ってもらいたい事もあるじゃない?それがね、全然あたしの方が強いっていうの?それって男としてどうなのって思うこともあるのよ」

司は一人で喋る女をそのままにしていたが、滋の言葉の中に懐かしいフレーズを耳にしていた。
『女だから守ってもらいたい事がある』
意味は全く正反対で違うが、守ってもらわなきゃいけないような女じゃない。と言った言葉を思い出していた。

「・・それでね。実は司に渡したいものがあって送ろうかと思ったんだけど、やっぱり手渡した方がいいと思って持って来たの」

司は滋が手渡しした方がいいと言ったものに心辺りはなかったが、好奇心から聞いてみた。

「なんだ?書類ならわざわざおまえが持ってくる必要なんてねぇだろ?そういや大河原で中東の石油精製プラントの建設を請け負ったそうだが、大丈夫なのか?また昔みてぇに途中で頓挫したなんてことになったら大損だぞ?」

中東の政治情勢は複雑かつ不透明で、いつなんどき戦争が始まってもおかしくない。
事実、ある国では内戦状態が長く続き、そしてまたある国と国の間では宗教による対立が激しさを増していた。

「あはは。あれは日本企業が持ってた採掘利権を取り上げられたから、頓挫しちゃったわけで、今度は油田自体が相手国の持ち物だから大丈夫。それに日本のエンジニアリング技術は世界一だから、あっちとしてもうちのエンジニアリング会社に頼りたいわけよ。だから大丈夫。・・じゃなくて!司、話はそんなことじゃないのよ」

滋は身体に沿わすように置いていた鞄の中から封筒を取り出した。
それは薄いピンク色をした女らしさを感じさせる小さな封筒。
まさか今更ラブレターではないだろう。だがその小さな封筒の中にビジネス絡みの何かが入っているとは、とても考えられなかった。しかし、滋という女は何を考えているかよく分からない女だ。いったいその封筒の中身は何なのか?

「司。あたしが今日来たのは、仕事の話じゃないの。それに別れる男の話でもないの」

滋は封筒を手に司に近寄ると、デスクの上に置いた。

「はい司。それ開けて?」

執務デスクの真正面に立つ女は、にこやかな笑みを浮かべ言った。
そして開けるまでその場を動かないといった態度が見て取れた。
司は仕方なく手にしていた書類を置き、滋が置いた封筒を取り上げ開けた。


滋は司が封筒の中身を見てどんな表情をするのかと考えていた。
だが中から一枚の写真を取り出した男の表情に、さしたる変化は見られず、がっかりした。

「・・どうしたんだよ。この写真」

「うん。ちょっと整理してたら出てきたのよ。でも懐かしいでしょう?これ二人が高校生の頃の写真よね?ほら・・あんたんちで浴衣パーティーみたいなのしたことがあったじゃない?あの日、つくしがあたし達付き合ってますって堂々カップル宣言したあの日の写真よ?司は写真に撮られるのが嫌いだから、つくししか写ってないけど、ほら、この後姿は司だから。このくるくる頭。間違いなく司だから」

朝顔柄の浴衣を着た少女が何かしら照れ、恥ずかしそうにしているが、それでも笑顔を浮かべている写真。懐かしい彼女の顔がそこにあった。

「あたしとあんたが高3でつくしが高2だから・・もう何年前になる?・・20年前?なんかつくし凄く可愛いいよね?まあ、あたし達みんな若かったけどさ。でもって司は今もいい男だよ?」

滋は司の戸惑いをよそに話を継ぐ。

「それでね。この写真1枚しかなかったから、つくしにあげようと思ったんだけど、司にあげた方がいいかと思って」

「なんで・・俺に今更・・」

と、声に出し、写真を手にした司の指に力が入った。
そして心がざわめき、口腔内の乾きを感じ唾を呑み込んだ。

「司。離婚。成立したんだよね?・・それからつくし、あたしにだけは教えてくれた。司が結婚してからも・・暫く続いてたんでしょ?あんたのことだからそう簡単にはつくしのことを忘れることが出来ないってことは、分かってた。それにつくしも・・」

愛を継続させるための努力はした。
だが出来なかった。

彼女と付き合い始め、自分の人生を今までとは、全く違う角度から見ることをした。
そして、得たものは、彼女に愛されることによって未来といったものを考えるようになったということ。彼女と出会うことでそれまで自分にはなかったものを手にいれた。
それは人を愛する心。それを与えられ、高い望みにも挑戦していくことが出来た。だから4年間を一人、異国の地で過ごすことも出来た。そしてその4年が終わり、3年の付き合いが終る頃結婚するつもりだった。

だが名家と言われる家、もしくは莫大な財産を有する家の人間は、結婚をプライベートなことだとは考えない。結婚とは、名家がその地位を今以上に高めることを目的に、そして莫大な財産を有する家の人間は、今以上に財産を増やすために結婚といった手段をとる。
滋もそんな家に生まれた人間。彼女は一度結婚したが、離婚した。


莫大な道明寺家の財産と事業を相続するため教育されて来た司は、父親の他界と共に大きな船である財閥の舵取りを任されることになったが、一人の男の死は、思いのほか財閥にとってマイナス要素が大きかった。後継者を不安視することもだが、父親の死を契機に巨額損失を簿外債務といった、貸借対照表上に記載されない債務として処理をしていたことが発覚した。それは、損益を長期にわたって隠し続けた末に債務を粉飾決算で処理をしたということだ。
発覚後、株価は急落、上場廃止の瀬戸際に立たされることになったのは、言うまでもない。
そして司にも求められた政略結婚。

人間は好きなように生きるべき、といった言葉が許されなかったのが司の人生。

あの日、静かに頷いて別れを受け入れた彼女が身を引いたのは分かっている。
握りしめていた手をそっと解き、車から降りた彼女は、呼び止める声を振り払うように、地下鉄の階段を駆け下りていく姿があった。
恐らくあの時、泣いていたはずだ。あの時の後ろ姿が目に焼き付いて離れなかった。

「司・・司はまだつくしのことが好き・・よね?そうでしょ?年を重ねたあんたはあの頃と違うかもしれないけど、まだ情熱の欠片っての・・あるんでしょ?まだつくしのこと好きなんでしょう?」


時間が止ればいいと思った頃があった。
形ばかりの結婚をしてからも、彼女と会うことを止めることが出来なかった。
もちろん彼女は躊躇した。そんなことするべきじゃないと。
だが、政略結婚といったものは、名目上の結婚であることが多いのが事実。司の中で彼女は日陰の女などではなかった。

NYと東京の距離を埋めたのは、手の中に収まる小さな機械。
25歳から4年間世間の目を避けながらの交際が続いた。
閉ざされたドアの向うで誰を気にすることなく会えた日。
夜明けが近づくと悲しげな表情を浮かべる彼女を抱きしめたまま離せなかったあの日。
愛して。
愛してる。
その言葉だけを口にして夜を過ごした日があった。
あの頃、身体の中を満たしていたのは彼女だった。
そして別れる時は、いつもその姿を瞳に焼き付けた。
彼女の心が苦しかったのは分かっていた。だがどうしても手放せなかった自分がいた。
だが4年経ったある日、いつまでもこんなことしてちゃダメよ。と言われ彼女は離れていった。






「・・司?・・司?ねえ聞いてる?」

「・・あ、ああ・・」

「思い出は欲しくないでしょう?欲しいのはつくしでしょう?」


思い出は欲しくない。
遠ざかる記憶があっても彼女のことだけは、忘れたくないし、奪い去って欲しくない。

牧野つくしのことは。

司は手にした写真を暫くじっと見つめていた。





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2017
07.22

時の撚り糸 3

もし、あのまま別れずにいたら、どうなっていただろうか。
彼女が去って9年が経っていた。あのとき、たとえ形だけの婚姻関係とはいえ、法律上の妻がいたのだから、司には彼女が去ることを止める権利はなかった。
二人の間にあった4年という付き合いは、恋の波間を漂っていたのだと言われれば、そうなのだろう。そして4年間手放すことが出来なかったのは自分のエゴだと分かっていた。

世間的に言えば非常識な行為と言える二人の関係に、彼女が苦しんでいたことは理解していたつもりだ。
だが司の世界では、世間が非常識だと考えることも、時に常識的なこととして受け入れられる。それは、金持ちの男が愛人を囲っているのが当然の世界だということだ。
けれど、二人の関係に金銭の受け渡しといったものは一切なく、愛人などではなかった。
だからこそ、こうなった以上、二人の関係は対等であって欲しいと。そして、たった一枚の紙で証明される関係ではなく、心が繋がっていればいいと受け入れてくれた4年は、誰かに暴き立てられることもなく終わった。

9年前に終わった二人の愛。
NYと東京を往復する間、考えたこことは、ただひとつ。
行きはこれから会えることへの喜び。帰りは今度いつ会えるかといった思い。
ただその思いだけを胸に抱き過ごした13時間にも及ぶロングフライト。
彼女を愛したいと願いながら別れるのは、今までの人生の中で一番難しく、そして辛かった。
心の一番深い場所に彼女を抱きしめてはいたが、その心が掻きむしられるような思いで過ごしていた。


渡された写真を手にし、懐かしさが甦っていた。
20年前の彼女の姿に、気持ちはあの頃に戻っていた。
彼女はしっかりとした少女だった。どこか頼りない両親の元、彼らに代わって家計を支えていた。そしてそんな両親は、彼女を精神的な支えのようにして生きていた。
未成年の娘を支えに生きる親が、当時の司にしてみれば信じられない想いがしていた。だが家族は共に支えあって生きるものだと知ったとき、なんとなくだが彼らの気持ちを理解していた。

今、彼女はどうしているのか。
別れてから消息を調べることはしなかった。知ればまた会いたいといった思いが募るからだ。
それに別れを選んだのは、彼女だ。彼女が辛いと思ったなら別れてやるのが、男の優しさだと、そして自分が結婚している以上、本当の意味で幸せにしてやることなど出来ないのだからと気持ちを断ち切った。

だが会いたい。
彼女に。
牧野つくしに。
今なら会ってもいいはずだ。
司の中に甦った熱い想い。
もう一度彼女とやり直したい。

だが別れてから9年の時が流れている。
流れた時が二人の状況を変化させているのは仕方がない話しだが、彼女が結婚したといった話しは聞かされていない。お節介な滋がそんなことを告げなかったことが、そのことを確信させていた。

だが滋から思わぬ話を聞き、心が冷たくざわめいた。

「・・あのね、司・・言いにくいんだけどね、つくし、結婚するかもしれないの」

いきなりそう言われ、司は虚をつかれた。
だがすぐに口を開いた。

「誰だ?相手は」

「だ、誰って司の知らない人よ?」

滋が思わず口ごもったのは、司から殺気のこもった眼差しを向けられたからだ。
鋭角的な身体から発せられる研ぎ澄まされた視線と言葉は、ついぞ最近見せたことのないもので、少なくとも友人である滋に対してはなかったが、やはりそうだと思った。
滋は胸に引っかかったことは確認しなければ気が済まない質だ。
先程言ったまだつくしのこと好きなんでしょうの答えを聞いてない。

「あのね、つくしの事、好きだって、付き合ってくれって言って来た人は沢山いたのよ。あの子、年齢の割りにはスレてないし、真面目だから・・」

束の間の沈黙を挟んだのは、どちらだったのか。
それは滋の方だ。司から向けられた視線が、殺気のこもったものから、爬虫類のように、感情のこもらない冷たい視線に変わっていたからだ。
その視線が向けられた意味。それは、つくしに対し風化することなく続く想いを感じさせた。
そして視線に含まれているのは、自分以外の男が彼女に触れることに対する嫉妬。

滋は、今までつくしの近況を司に話したことはない。話せば司が苦しむことは目に見えて分かっていたからだ。そして好きだが、別れを決めてしまった恋人同士といったものは、傍で見ていても苦しいものがあったから。

つくしから司と別れたと連絡が来たとき、電話口で泣いているのが分かった。
大粒の涙をぽたぽたと膝に落としながら、無理矢理笑顔を作ろうとしている姿が想像出来た。昔から我慢強い人間ではあったが、何もこんな時、自分を偽ることなどしなくてもいいのに、と思った。そしてもし自分が好きな男と別れたなら、わんわんと声を上げて泣いていたはずだと思った。

だがつくしのその態度は、二人の関係が世間には公に出来ないことが影響していたのではないかと思った。たとえ、二人がそう思わなくても、世間はそれを不倫というのだから、その言葉がつくしの心にどれだけ重くのしかかっていたのかを考えたとき、秘密にしなければならなかった二人の4年間の重さといったものが、哀しみといった感情を抑制させてしまったのではないかと思った。

滋にとって受け入れ難かった二人の別れ。

そして今の気持ちは、高校生の当時、好き合っている二人の行動に苛立ちを感じたことがあったが、その時の感情とよく似ていた。あのとき滋は、二人の恋を応援すると決め、つくしとずっと友達でいると決めた時から、愛とか友情とか、と人がバカにするようなことにも必死になっていた。


「ねぇ、司。司はまだつくしのことが好きなのよね?そうなんでしょう?だったら・・不良中年になったら?あんた今までいい男過ぎたんだから。昔の司に戻ってもいいんじゃない?」

昔の司。
それは、牧野つくしに対し命がけで向かっていた少年。
一人っ子で兄弟のいない滋は、そんな司の一直線につくしに向かっていく姿に、男といった動物が本気で好きになった女に向ける一途さを感じ感動していた。
そしてそのことが羨ましくもあった。
あれほど本気で好きになれる人がいるということが。

滋の言葉に、男のこめかみに一瞬浮かんだのは青い筋。

「滋、誰が中年だ?俺が中年ならおまえもそうだろうが」

と、司は喉元で笑いながら言ったが、その笑いはすぐに消えた。

「それにしても不良中年ってか?面白れぇこと言うな、おまえも」

38歳の男は、中年と言われるにはまだ早いはずだが、若いとは言えないのも事実。
そして滋もいい年して何を言っているのかと自分自身に問いかけたが、恋は遠い日の花火、といった考えはない。それにまだまだ捨てたもんじゃない。
それに、道明寺司という男の持つ精神の強靭さといったものは、並大抵のものではない。
ビジネスに対してもそうだが、好きになった女に対してのその一途さは。


「・・司。実はね、つくし、明日この街に来るの」





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2017
07.24

時の撚り糸 4

NYの裕福さの象徴と言える5番街。
マンハッタンを南北に縦断するアベニューと呼ばれる通り。
車道を走る車は、日本と違って頻繁にクラクションを鳴らす。それが赤信号を無視して渡る人間に対し、注意の意味で鳴らすなら分かるがそうではない。多人種のこの街では、出身国の運転スタイルをそのまま持ち込む場合も多く、NYのドライバーのマナーは悪いと言われていた。
少し前にも、赤信号で止まっていた先頭車の発進が2秒ほど遅れただけだったが、後方に止った車から幾つものクラクションが鳴らされていた。

つくしは身体に斜め掛けしたショルダーバッグだけの格好でこの街を歩いていた。
ここは大都会NY。以前一度この街を訪れたとき、鞄を盗まれたこともあり、身の回りの物に気を配ることは忘れなかった。あれはまだ高校生の頃。右も左も分からないこの街に1人脚を踏み入れた時のことだった。


好きな人を追いかけて来た真冬の大都会。東京とは違う雑踏があった。
あれから20年。この街の季節はあの時とは違い暑い夏だ。この街の緯度は、青森とほぼ同じで日本ほどはっきりではないが、四季があり、今日は30度を超える真夏日の陽気だと予報されていた。そのせいか、街を行く人々の多くは薄着だが、ビジネスの最前線で働く男たちは、ダークスーツを着こなし、颯爽とした足取りですれ違って行った。

世界の一流店が多く集まる5番街。とてもではないが買えるようなものはなかった。
入口には銃を構えたガードマンが立つのが普通の店も多く、敷居が高く、ましてや冷やかして回るような店もない。つくしにしてみれば、端からそのような店に興味もないのだが、せっかくこの街に来たのだから、何か思い出になるような物が欲しかった。
だが、目に留まる物は何もなく、人も、摩天楼の景色も、全ては目の上を通り過ぎていくだけだった。

そして摩天楼のさらに上、見上げた空は濃い青をしていた。



私がNYへ着いたのは、2日前。
友人である大河原滋から何度も遊びに来てと誘われていたからだ。

『つくし。あたしに会いに来てよ!心配しなくても大丈夫。旅費も宿泊費もいらないから。二人でこの街を楽しもうね!』

豪胆な性格の彼女だが、情に厚く真面目なところがある。そんな友人からの誘い。
だが今日の彼女は「急用が出来たの、ゴメンね」と言って私を置いて出かけて行った。
別にそれは構わなかった。こうして昔を思い出しながら街を歩くことが、いい気分転換になるからだ。
東京にいたなら、決して聞く事のないような多様な言語と文化の多様性を感じるこの街は、刺激に溢れていた。それに、絶えず付き添いが必要な子供ではない。いい年をした大人が、一人で行動出来ないはずがない。


大河原滋とはまだ10代の頃、知り合った。
それはある一人の男性を挟んでの関係から始まった。
彼女の見合い相手が私の好きな人だった。それは彼に用意されていた人生の一端。
そして彼女は、誰に遠慮することがないと思っていたその人に、自分の気持ちをはっきりと伝えた。

あの頃、私も彼のことが好きだった。だが、彼女にそのことを言えなかった。いや。言えなかったというより、彼女には敵わないといった思いに囚われ、自分の思いを伝えることが出来なかった。
そして彼女と彼は一時恋人同士になった。そんなある日、二人が口づけをしている場面を目撃した。その時、私の心の中には嫉妬といえるものが確かにあった。だがそれを心の奥底に沈めた。そして「おめでとう」と彼女を祝福した。

だが、偽りの心はいつか知られてしまう。
そして彼は彼女ではなく、私を選んだ。
あのとき以来、彼女は自分の恋は破れたが、私と彼の恋を応援してくれるようになった。
そしていつの間にか、二人は熱い友情で結ばれていた。

彼女は一つ年上だが、年の差を感じさせない付き合いをしてきた。
あけっぴろげな性格で、物怖じせず、どちらかといえば姉御肌のタイプ。そして優柔不断な友人を見るに見かね、手となり足となり、世話を焼いてくれるところがあった。


『つくし、あんた仕事し過ぎよ。会社の休み、沢山残ってるんでしょ?それ使いなさいよ?!・・ったくあんたって真面目過ぎるのよ!』

仕事は真面目、人間関係も真面目、少しは羽目を外しなさいと言われ、重いと言われる腰を上げた。そして彼女の元を訪ねてみようと思ったのは、この街には何の感傷もないと、自分自身に確認させるためだ。

あれから9年の歳月が経っていた。
あの頃、ただ傍にいたいといった思いから、愛していた人と、世間には公には出来ない関係を続けていた。この先どうなるのかと考えることはしなかった。それは、考えたところでどうなるものでもなかったからだ。


好きになった人は、日本を代表する財閥の御曹司。
財閥の跡取りとして生を受けた時点で、彼の人生は決まっていた。
だが、私と恋に堕ちたことで、彼の人生は変わった。そしてそれは私にも言えたことだった。
愛し方さえろくに知らなかったが、それでも人を愛することが素晴らしいことだと知ったのは、彼に出会えたからだ。

彼は私と一緒にいることが出来るなら、全てを失うことになっても構わないと言った。
だが、現実問題としてそんなことが許されるはずもなく結婚した彼。
そんな彼から自分の瞳に映るただ一人の人間として傍にいて欲しいと言われたのは、結婚して間もなくのことだった。

それから4年の間、待つだけの立場になった。
そんな立場になれば、彼がいない日は哀しいほど自由だったが、別にひとりでいることが、苦になるといったことはなかった。それに朝目覚めるたび、何かに追われるわけでもなかった。だが、いつまでもこの関係を続けて行くわけにはいかないと思った。

夜が明ければ、迎えの車に乗り去って行くことが当たり前となっていた彼。
ある日、黙ってシャツを着る背中に別れを告げた。
いつかは別れなければならないとすれば、あれでよかったはずだ。

愛されているのは分かっていた。それでも、離れることが必要だと思った。
それはひとえに彼の将来の為だ。ああいった家には、跡継ぎが必要になる。正式な妻から生まれた嫡出子が必要だ。だが未だに彼に子供が出来たといった話しは聞かなかった。

あのとき、1人になることを選んだ私は28歳になっていた。

そんな私は、いつまでたっても別れた彼のことが忘れられずにいた。
涙に暮れた日々はもうとっくの昔に過ぎたはずだ。
重ねた時は私を変えはしなかったが、失った恋を悲しむことは止めたはずだ。
それでも、ふと思い出すことがあった。
あの人のことを。

だが、時の流れと共にいつかは彼のことを忘れるはずだと思っていた。
忘れなければならないと思った。

そしてそんな私に、37歳にもなっていつまで一人でいるつもりなの?と、既に両親が他界してしまった姪に縁談を持ってきたのは、叔母夫婦だ。
相手は2歳上の建築設計士。第一印象は、口数の少ない物静かな男性だといった印象を受けた。だが話をしてみれば、口数の少なさといったものは、考え抜いた上の答えであり、相手の感情を読むといったことをしていると思った。
そして、言われたのは、わたしもこの年ですから、相手に多くのことを求めはしません。
パートナーとして共に過ごしてくれる人が欲しいんです。といった言葉だった。

見合いといったものは、結婚を前提としているものだ。相手の男性からは、ぜひまた会いたいと連絡があったと叔母から聞いた。

『つくし、何度か会ってみなきゃわからないでしょ?すぐに断るなんてことをしないで、会うだけ会ってみなさい。何度か会ってからの返事でいいからって先方もおっしゃってるわ』

あれから3度食事をした。
そして、返事を求められた。
だがまだ返事はしていない。この旅が終ってからと相手の男性には伝えてある。

この旅は過去を断ち切るための旅。
この旅でもうこの街に何の感傷もないと、この街に暮らすあの人のことは忘れると、別の人生を歩むべきだと自分自身に言い聞かせるための旅だ。

だがNYに着いた2日前、レストランで食事をしながら思わぬ話を聞かされた。

「あのね、つくし。司の離婚が成立したって。司、ひとりに戻ったって」





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2017
07.25

時の撚り糸 5

道明寺の離婚が成立した。


あのとき、つくしは、自分の思考が宙を彷徨っていた。

2日前、NYに到着した夜。こじんまりとしたイタリアンレストランで、滋は出されたワインをひと口飲んでからつくしに言った。

「つくし、ねえ、聞いてる?司の離婚が成立したの」

9年の歳月を経て、友人の口から再び語られたその名前。
勿論、滋が彼と仕事上の付き合いがあることは知っていた。かつての見合い相手である二人が結婚しなかったからといって、ビジネスの取引がなくなったわけではない。
それでも、滋はつくしの前で道明寺司の名前を口にすることはなかった。
それはもちろん親友であるつくしを気遣ってのことだと分かっていた。

「あいつの・・前の奥さん。なかなか別れてくれなくてね。つくしは知らないと思うけど、あの人の実家、あいつの会社が大変な時に財務支援してくれたんだけどね、義理の父親って人、随分と手の込んだ事をしようとしてたの。まずあいつと自分の娘を結婚させたのは、司の会社を乗っ取ることが目的だったの。始めはそうじゃなかったのよ?経営権はあくまでも道明寺にってことで司の母親も資金援助を受け入れたの。・・それから結婚もね」

会社の経営を立て直すための政略結婚。
滋はそうすることが、あたり前の階級に育ったが、そんな考え方には批判的だ。
NYと東京で離れ離れになっていた恋人同士の4年の約束が果たされることなく、それから3年が過ぎ、ようやく結ばれようとした矢先での司の政略結婚が残念でたまらなかった。

「でもね、暫くして分かったことがあるの。会社が傾いたとき、経営権を失わない程度で母親も司も手持ちの株を幾らか手放したんだけど、それが色んな買い手に渡っていったのは仕方がないことなんだけどね、ある頃から大口の買い手が道明寺HDの株を買い集めているのが分かってね、それがどこかの投資会社の名前だったんだけど、よく調べてみたら司の義理の父親が買い集めてたの。それからが大変だったのよ。義理の父親の会社から役員を送り込んでくるわ、経営に口出ししてくるわ、色々と調べてみれば、結局は司の母親を社長の椅子から引きずり降ろそうとしていたことが分かったの」

世界的な企業である道明寺HDは、たとえ一時経営難に陥ったとしても、他の企業から見れば魅力的な企業だ。その会社が欲しいと思う企業がいてもおかしくはない。
そして、弱っている時だからこそ、買い時だと思ったのは言うまでもない。

「幸いそれが分かった時点で、司のところも会社自体の体力は回復して来たから手放した株の買戻しをして、それから内部にいる義理の父親の息が掛かった人間の一掃とかしたわけ。でも奥さんは自分の父親の命令なんだろうけど、なかなか別れてくれなくてね、大変だったの」

父親の言いなりになり司と結婚した娘は貞淑とは言えず、父親から渡される金で遊び暮らしているような娘だった。結婚したのも、自分の望むライフスタイルを維持するための金が欲しかったからだ。

司と結婚している限り、父親から金が渡される。それが司の妻となることを了承した理由だというのだから、結婚したところで、同じベッドに寝ることもなければ、抱きもしないのだから、子供が生まれるはずもなく、名目だけの結婚だった。

だが、たとえ滋がそのことを知っていたとしても、つくしに伝えることはなかった。
二人は正式な結婚をしている夫婦だ。それに対し、つくしは道徳に反している関係に罪悪感を抱えていたのだから、話したところで、慰めになるとは思えなかったからだ。

「とにかく司がつくしと別れてからの9年間は色んなことがあったのよ?離婚なんて何年かかったことか・・何しろ相手はアメリカでも大企業の娘だもの」

なかなか別れようとしなかったのは、父親の差し金だということは、分かっていた。
そして、司と結婚している限り、父親から金が渡されるのだから、娘にすれば別れるだけ損だ。滋は、何度かパーティーで見かけたことがあったが、いつまでたっても親の脛を齧るバカな女といった印象しかなかった。そんな女とやっと離婚が成立した司には、幸せになって欲しい。そしてつくしに対しても同じことが言えた。

「・・ねぇ、つくし、司が離婚したんだから、会いに行きなさいよ。せっかくこの街まで来たんだからいいチャンスじゃない」



つくしは黙って聞いていた。
滋の口から語られた自分と別れたあとの司の9年間を。
そんな中で思い出されたのは、9年前の光景。
シャツを着る背中に向かって別れを告げたあの日。

「滋さん、あたしと道明寺はもう別れたのよ?もう何も関係ないわ。それに、あたし、お見合いしたって言ったでしょ?その人から結婚して欲しいって言われてるって・・」

叔母から持ち込まれた縁談。
この旅行から戻ったら返事をすることになっていた。

「ちょっとつくし!何言ってるのよ?何も関係ないなんてそんなことないでしょ?あんたがそんなに簡単に割り切れるような女じゃないってこと、あたしに分からないと思ってるの?あたしはつくしが司と別れたって電話くれた時、一緒に泣いたんだよ?いいつくし?その見合い相手からの話だけど、ダメよ!絶対ダメ!受けたらダメ!」

結婚を前提に付き合い始めるということは、婚約したようなものだ。
そうすれば、恐らく周囲から促され結婚へと向かうことになる。
そして、滋から見た今のつくしは、簡単に流されてしまいそうな空気があった。

「滋さん_」

「いい?つくしはね、司っていう運命の人がいるんだからその人結ばれなきゃダメなのよ?そうでしょ?つくしは司と別れてから恋人なんていなかったじゃない?いくら言い寄られても誰も相手になんかしなかったでしょ?」

「あのね、滋さん、確かに恋人はいなかったけど、友達くらいはいた_」

「つくし、あたしが言ってる意味がわかるでしょ?」

つくしが喋ろうとすると、滋の声が遮る。
もうこうなると、つくしが口を挟む余地はないのだから、黙って大人しく聞くしかない。

「つくしは、自分の周りに壁を築いてた。友達がいたなんて言うけど、違うでしょ?つくしが男とふらふら出歩いてるなんて信じないからね!つくしは自分の心に何を抱えているか分かってるはずよ?」



つくしは司と別れてから9年間、いやそれ以前の4年前を振り返った。
彼が結婚することになった頃を。

道明寺が結婚すると知ったとき、身体中の骨が軋んだ。
そしてもう2度と会えないと思ったとき、辛くて涙が出た。
それでも、傍にいて欲しいと、離れたくないと言われ、閉ざされた扉の中だけでも一緒にいることが出来るなら、その中で見せてくれる優しさが本物なら、自分の立場がどうであろうと構わないと思った。あの4年間は、一途で迷いのない4年だった。

「つくし、司のことが忘れられなかったからずっと一人だったんでしょ?恋人だって作ろうと思えば作れたはずよね?だけどそれもしなかった。・・つくし、素直になってよ!自分を・・心を開放しなきゃダメよ!あんたは9年経っても司のことが好きなのよ?つくし、あんたと司が一緒にいられなかったのは、二人とも道に迷ってたのよ?・・そうよ、二人とも迷ってたの。そう思いなさい?あんたたち二人とも同じ寂しさを抱えて生きて来たはずなの」

確かに、一人でいたこの9年間、彼に関する色々な思いに蓋をしていた。心の中に箱を作り、感情を投げ入れ、封印していた。別れて直ぐは、虚脱感といったものに襲われ、何もする気がしなくなった。そして、どんなに感情に蓋をしても、心は揺れ続けていた。
そうだ、ずっと揺れ続けたままでいた。

「つくし、いいから司に会いなさい?会わなきゃダメ。つくしの心は痛いくらいあたしには丸見えなんだから。それに、つくしが、この街に来たのは、司のことなんてもう気にしてないって自分自身に言い聞かせる為でしょ?今まであたしが何度誘っても行くなんて言わなかったけど、お見合いしてから急にその気になるなんておかしわよ。つくしは過去を清算しようとしてるのかもしれないけど、司のことが好きなのに、他の男と結婚して幸せになんかなれないからね?」







つくしは、5番街を南下しながら、2日前滋と交わした会話を思い出し、複雑な心境でいた。

『会いに行きなさいよ。せっかくこの街まで来たんだから』

勇気を持って会ってみるべきだろうか?
もし私が会いたいと言えば、滋は直ぐにでも道明寺に連絡を取るはずだ。




「はぁ・・どうしたらいいのよ、もう!」

「何がどうしたらいいんだ?相変わらずひとり言の癖は抜けてねぇようだな」


アルマーニのスーツにグッチの靴で一分の隙もない姿の男がそこにいたとしても驚くことはない。ここはNYだ。そんな男はいくらでもいるはずだ。だが目の前の男のように、魔力といえるほどのオーラを発散することが出来る男は他にはいないはずだ。





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