fc2ブログ
2017
07.16

真夏の恋 6

*性的な要素が含まれますので、ご注意下さい。
 





この広い世界で、自分だけの、たったひとりの人と出会うことが出来る人間が、いったい世の中にどれくらいいるのか。既にそんな人に出会えているのなら、その幸運を喜ぶことを忘れてはいけないはずだ。

司とつくしもその幸運を掴んだ人間だ。
そんな二人だが、3年も離れていると、何が別れた理由かなど、もうどうでもいい。と司は言ったが、彼女は違った。
いつも簡単に他人を許せる人間が、自分の行いが許せないと反省をする姿はどこか滑稽だが、司は彼女が落ち込んだ姿など見たくはなかった。

二人は許し合ったのだから、司は終わったことに対し口を開くことはない。
そして前を向き突き進み、過去を振り返ることはしない。
これからは、こうして寄り添っている時間だけがある。大切なのは、今の二人の気持ちが同じならそれでいいはずだ。人生には良い時も悪い時もある。そんなもんだろ?二人の間に流れた時間は、若さが引き起こした間違いだったんだろ?と笑っていた。

3年という歳月を感じさせないその態度は、つい先日までごく普通に会っていた男の態度だ。実際には、NYと東京の距離を挟み、簡単に会うことは出来なかったが、つくしの前で屈託のない笑顔を見せる男は、彼女が知っていた3年前の男とは、どこか違っていた。
それは、かつて、我儘で俺様だと言われた男も、自らが選択した道を歩み始め、重責を担う立場になれば、人としての成長は、つくしより司の方が早かったということだ。


だがそんな男は、いつもガッついていたのは自分の方で、彼女はそうでもないと考えていた。
しかし、彼女も司と同じで惨めだった、一人の夜は寂しかったと聞かされ頬が緩んでいた。










静かな場所は、司が都内に所有する高層マンションの最上階。

窓から見えるのは暮れた空。


互いの身体に腕を回し、ベッドの上へ横たわり、視線を絡め、零れかけた言葉を呑み込むように唇を重ねた。

零れかけた言葉は分かってる。
けれど、謝罪の言葉はこれ以上必要ない。
欲しいのは、そんな言葉じゃない。
その口から素直に好きだ、愛してると言ってくれ。
小さな口から零れるのは、司、と愛してる。その言葉だけで充分だ。

ただそれだけで_






男が持つことの出来ないたおやかな身体。
それは、小さく頼りなげではあるが、司の全てを受け止めてくれる存在。
3年ぶりに抱くその身体を前に、力加減が出来るかと自問自答するも、恐らく無理だ。
強欲を示す身体の一部は、自身を包み込む柔らかさを求め、彼女を欲しがっていた。



白いシーツの上で、下から掬い上げるような視線を向けられ、大きな瞳が潤んだ様子を見れば、可愛らしさよりも女の色気が感じられるようになったのは、この3年間の歳月が彼女を大人へと成長させたのかと思う。

けれど、セックスに不慣れな女の3年間のブランクは、首に手を回し、どこか恥ずかしそうにキスを強請るその瞳に、まるではじめての時に戻ったような、たどたどしさが感じられ、心臓がギュッと縮み、こっちまで同じ気持ちにさせられる。

だからと言って、男に3年間のブランクは、相当な我慢を強いられる訳で、彼女が欲しくて行った行為は、容易に想像がつくはずだ。雄の獣の硬く尖った先が向けられるのは、何もない空間ではあったが、口から漏れる名前と、咆哮は彼女への想いで一杯だった。


顏にかかった髪をはらい、額にそっと口づけをし、閉じられた両の瞼にも唇を押し当てた。
黒い大きな瞳は、司が彼女を好きになった一番のチャームポイント。その瞳で見つめられ、恋に堕ちた。堕ちたのは、司の方が先だったが、やがて彼女も司に恋をした。

そんな二人には、たとえ何もしなくても、言葉だけで過ごせた時間があった。
だが抱きしめれば、腕の中にすっぽりと納まる小さな身体が、傍にいるだけでよかったのは、遠い昔の話だ。少年と少女から、男と女になれば、求めて止まないのは、心もだが、その身体も欲しかった。
そんな身体を求め、せつない時間を過ごしたこともあった。

今、司が組み敷いているのは、その求めて止まなかった女の身体。
小さな手を掴み、全ての指を己の指と絡め、シーツの上へと縫い付け、女らしさを象徴する白い喉元の華奢な窪みへ唇を押し付けた。

「・・・んっ・・」

漏れたのは、言葉にならない言葉。
喋る必要はない。
言葉は要らない。
ただ感じればいい。

二人の間に必要なのは、互いの想いと身体だけ。
司が好きになった女は、牧野つくしだけ。他の女は欲しくない。
彼女の小さな手が、掴みたいと望むものは、なんでも与えてやりたいと想う。
だから、今夜はもっと貪欲に求めて欲しい。
おまえの方から_

「・・まきの・・俺が欲しい?」

司はシーツに縫い付けた女の白く細い首に咲く赤い花に舌を這わす。
声にならないほどの小さな声が聞えるが、それは喘いでいるだけなのか。
司の舌は熱く、首筋を下へと這っていくと、小ぶりの乳房を食べた。

「・・っつ・・あっ!」

その甘い唇で、その柔らかい身体で俺を欲しいと言ってくれと望むが、彼女が今でも恥ずかしがり屋なのは知ってる。
それは彼女の性分だから。
だが今は、愛する男を求める女になってくれと願う。

つくしは、司の真っ直ぐな視線を受け止め、素直に口を開いた。

「・・欲しい・・道明寺が・・欲しい・・」

3年前なら同じことを聞いても、言葉にすることはなかった。
意地悪しないで道明寺。お願い道明寺。
その程度が限度で直接的な言葉は、いつも、やんわりとかわすのが殆どだった。
それなのに、今は素直に俺が欲しいと口にした。

司は、縫い付けた彼女の両手を離し、柳腰を掴み、身体を反転し、己の上へとつくしの身体を乗せた。そしてつくしの手を取り、心臓がある場所へ触れさせた。

「牧野。わかるか?ここがどんなに激しく鼓動してるか。おまえに触れられることを喜んでいるのがわかるか?いいか?ここはおまえだけのものだ。他の女なんぞ誰も触ることの出来ない場所だ。俺の魂はおまえの、おまえだけのものだ。この3年間、おまえがどうしてるか、今何をしてるか、いつも頭の中にあった。一日たりとも忘れたことはない」

つくしの気持ちも同じだった。
そして、今は頭が出す答えより、身体が出す答えの方を求められていると感じていた。

道明寺司の愛は、全てを包む愛で、優しくて激しい愛だ。
それは、彼が全身全霊で愛する人だけに向けられる愛。
そんな男から向けられる視線は、熱く身体全体を焦がしそうな程だ。

つくしは、頭で考えることを止めた。そして、これが求めているものかどうか、確かめることにした。今、彼女の手が触れている心臓の上にあるのは、女性の持つものとはまた別のもの。その小さな頂きへと頭を下げ、舌で舐め、口に含み歯を立てた。

「・・っつ・・・・」

思わず漏れた司の声。
もう片方にも同じことをされ、そして、さらに下へと頭が下がり、チュッと臍に吸い付く。
その瞬間、鍛えられた筋肉がピクリと動く。
すでに強欲を示す怒張は、その先の行為に期待をしたのか、熱く脈打ち、これ以上ないほど硬くなっていた。
だが口淫などしたことのない女に、無理をさせたくないが、するなと言えば嘘になる。これまで何度も、彼女の唇が、下半身を包み込む場面を想像したことがある。そして、今まさにその想像したことが起きようとしていた。

司はベッドに頭を押し付け、その行為を待った。
彼女の口に含まれる瞬間を。
ほんの少しの猶予が与えられたが、次の瞬間、小さな手にかろうじて握れるモノに指を巻き付け、その先端を口に含む。
だが大きすぎて全てを受け入れられないことは、分かっていた。
だからなのか。どこで覚えたのか、巻き付けた指を上下に動かし、舌は含んだ部分をぐるりと舐め、吸いついた。舌から生みだされる快感に、漏れそうな声を押さえ、司は腰を突き出すような形になっていた。

いつもなら、司が彼女に対して行う行為であり、彼女の身体から聞こえるはずの水音が、己の身体から聞えることが不思議に思え、やがて、漆黒の髪が下半身で上下に動くことに我慢ができなくなり、彼女の髪に両手をもぐりこませ、頭を両手で包み、今までこの行為を一度もしたことがない女の動きを助け、押さえつけ、気持ちを伝えた。

空調の効いた部屋だが、額に汗が浮かび、司の息遣いだけが聞え、次第に深くなる行為に、これ以上は持ちこたえられそうにない。と、唇が離れた瞬間、司は、つくしの身体を抱え、横にならせると、覆いかぶさった。

「・・まきの・・」

求めて止まない女の名前を、切なげに呟くのは、壮絶な色気を浮かべた男。
3年ぶりに抱き合う女は、彼に思わぬ喜びを与えたが、強欲な怒張は、もっと温かく、しっとりと司の全てを吞み込んでくれる場所を欲しがっていた。

「愛してる・・おまえだけを」

司の唇は、彼女の返事を待つことなく、彼にとって極上の甘さを持つ唇を味わうと、彼女が濡れて滑らかになっていることを確かめた。だが、3年ぶりに受け入れる男の身体は痛いはずだ。挿し入れた指だけでも、グッと締め付けて来たのを感じていた。司は己の身体にされたことと同じ行為を与えようと、頭を下げた。そして、ぴちゃぴちゃと音を立て、甘い蜜を味わった。

「まきの・・すげぇ濡れてきた。おまえ3年もお預けだったんだ。寂しかっただろ?ん?」

「・・やっ・・あっ・・」

舐められるたび、上がる声は、司にとって懐かし声。ベッドの中では、いつも可愛らしい声で啼いていた。やがて、身体が弛緩してくると、脚を大きく開き、抱え上げ、ゆっくりと己のたぎったものを突き入れ、何度も腰を突き上げ、ついさっき上らされそうになった場所へ彼女と共に駆け上がっていた。

そのとき、彼の耳に届いたのは、あたしも愛してる。の言葉と、彼の背中に回された手が、もう二度と離れたくないと、しっかりとしがみついてくる姿。
そして、初めて聞いた「あたしを離さないで」の言葉。

司はもちろんそのつもりだ。
これ以上、牧野つくし無しで過ごすのは、耐えられなかったから。





にほんブログ村

応援有難うございます。
Comment:4
2017
07.18

真夏の恋 最終話

永遠につながる一夜があるとすれば、それは二人が3年ぶりに愛し合った夜だ。
3年間離れていても、互いに心は相手にあり、他の誰とも深い関係にならなかった。
身体を使って想いを伝えることが、重要だということを知った二人は、情熱的に、先のことなど考えず、目の前にある興奮と情熱に身を任せていた。

空想の一端でしかなかった彼女の身体。
何しろ3年も待った。失われていた時間を取り戻すのが当然だと何度も愛し合った。
怖じ気づくことなく、だからといって自信があるはずもない行為も、相手が喜ぶなら、愛して止まない男ためなら迷いなどないと、自らの心を解き放つことが出来るようになった彼女が、3年前よりもずっと愛おしく感じられた。


『久しぶりだから・・ちゃんと出来たかわかんない・・』

その言葉を聞いたとき、細い身体をぎゅっと抱きしめ、首筋に鼻を擦りつけ笑った。
鼻先で相手の匂いを確かめ、身体で己の匂いを擦り付け、自分の存在を他の雄に知らしめようとする行為は、言葉を持たない動物の行為だと言われるが、人間も所詮は動物。
そして時に相手の身体に歯をたて、印を残そうとするのは、所有欲の表れだ。
司という男もやはりそうで、彼のそんな様子に、くすぐったそうに笑う女の笑顔に再び会えたことが嬉しかった。

そして司は、じゃあちゃんと出来たかどうか、もう一度確認してみるか。
と、つくしがその言葉の意味を理解する前に布団を引きはがし、彼女を赤面させた。

司がつくしの抗議をものともせず、再び愛しはじめたとき、かつて猛獣と言われていた男の愛し方は、信じられないくらい優しいものだった。たとえ司の身体が欲求で張り詰めていたとしても、決して自分本位ではなく、惜しみなく愛を与える男だった。

だが、途中で動きを止めた司は、つくしの身体を膝の上に抱いたまま、暫くじっとしていたが、ふいに言葉が出た。

「結婚してくれ」

その言葉は17歳の少年が過去に何度も口にした言葉。
あの頃と同じ一直線の眼差しが、つくしの目をじっと見つめた。

「結婚して俺と一緒にNYへ行ってくれ。言っとくがノーなんて返事を受付けつけるつもりはない」

司が虜になった大きな黒い瞳は、彼の顔をまじまじと見つめていたが、口を開こうとはしない。それもそのはずだ。高校を卒業し4年後の約束が果たされることなく、ここまで来た。
遠い日の約束は、とっくの昔に反故にされたと思われても仕方がない。そしてその言葉が本当なのかと疑う方が正しいはずだ。

「牧野?嫌か?本当ならもっと早くおまえと幸せになるつもりだった。俺はおまえを心から求めてる。この想いははじめて出会った日から変わらない想いだ」

それは、人を愛する感情が欠落していた17歳の少年の熱い想い。
恋に堕ちることなどないと言われていた男の初恋。
彼が惚れる女が世の中にいるのかと言われていたが、そんな男が堕ちた激しい恋。
だがはじめの頃、彼は見下すような態度で彼女を見ていた。それがいつの間にか恋へと変わり、窓越しに彼女を眺めていたこともあった。彼女に出会って激変したと言われる男は、今では、世界経済の中枢を担うまでになっていた。そんな男の原動力となっているのが、つくしだ。

「バカげた喧嘩のせいで3年も棒に振っちまったけど、今からでも遅くないはずだ。それに離れていた間、俺がどれだけおまえのことを思い描いてきたか想像出来るか?俺の人生はおまえがいないと成り立たない。おまえが俺の人生を意味のあるものにする。それにおまえ言ったよな?あたしを離さないでってな」

つくしは小さく頷いたが返事はなく、ただ黙って司の目をじっと見つめていた。
その瞳の中に宿るのは、真摯で誠実な輝き。

「牧野・・。俺と恋人同士として付き合うのはいいが、結婚するのは嫌か?」

司の手は、つくしの頬に添えられ、彼女の顔に移ろう表情を見ていた。
まだ付き合い始めた10代の頃、顔を見れば何を考えているのか分かると言われた女も、今はその感情の隠し方を知っている。それでも目を見ればわかる。その瞳は輝きを増したように感じられた。

「それに俺はこれ以上おまえをこの国に置いたまま、離れるってことを繰り返したくねぇ。最初は4年の約束でおまえを迎えに来るって言ったがその約束は果たせなかった。うちはNYを拠点に仕事をしている関係上、どうしても向うでの生活がメインだ。だから結婚して俺について来て欲しい」

もし心に形があるとすれば、司は自分の心を彼女の目に見える形で差し出したい。
かつて心を持たない男に、魂をくれた女性に差しだせるのは、彼女を愛するようになって形作った心。今その心を占めるのは、彼女を愛する気持ちだけなのだから。

「牧野?何か言ってくれないか?」

視線ひとつで世の中の女性がゾクゾクすると言われる男の懇願。
だがそれは、たったひとりの女性だけに向けられる揺るぎのない眼差しであり、他の人間に向けられることは決してない。彼が唯一許しを請うのは、彼女だけ。牧野つくし以外他にはいなかった。

司は、つくしが何か言うのを待っている。今彼は、彼女にプロポーズをしたのだ。
高校生の頃、結婚しようと口にしたことがあったが、それは親の庇護の下での結婚だ。
今では、結婚するということは、自分ひとりの力で愛する人の人生に責任を持つことだと分かっていた。そして今、彼女に迷いや不安があることは十分承知していた。そんな想いを打ち消すように司は言った。

「ああ、心配するな。きっと上手くいく。道明寺っていう家はおまえにはぴったりだ。もう誰も俺たちを引き離そうなんて考えちゃいねぇよ」

これから先の人生、見て、感じていることが同じでいたいから彼女を迎えに来た。



つくしは、うれしさに笑っていいのか、泣いていいのか分からなかった。
何故なら、もう心は決まっていたから。
それは彼がNYへ旅立った日、ひとり南の島のコテージの桟橋に立った時からずっと変わらず心の中にあった想い。

「牧野、言っとくが俺はおまえを束縛し過ぎるかもしれねぇ。それはこの3年間離れていた分もあるが、NYと東京で離れ離れのつき合いが長かった反動のせいかもしれねぇ。けど俺は必ずおまえを幸せにしてみせる」

幸せにしてみせる。

その言葉に聞き覚えのある女は、司の真剣な眼差しを受け止めた。

「なによ・・それ・・あたしのセリフよ?言ったじゃない?あたしがあんたを幸せにしてあげるって」

それは、一時帰国した司が、再びNYへ向かう前に、つくしが言った言葉。

『4年後いい男になって戻ってきたら、あたしがあんたを幸せにしてあげてもいいよ』

NYへついていかない選択をした女の精一杯の愛の言葉。

「・・そうだったな。それならその約束を守ってくれ。約束した4年はとっくに過ぎたが、人生は長いんだ。俺の人生の中で初めて愛って言葉を使ったのはおまえに会ってからだ。だからおまえは俺の愛を責任もって受け取ってくれ。それが出来ねっていうならおまえを契約不履行で訴えてやる。おまえも知ってると思うが、口約束でも約束は約束だ。それに俺は意思表示をちゃんとした。やってもらおうじゃん、ってな。俺は4年の約束を破っちまったが、今こうしていい男になって戻ってきた。だから4年後じゃねぇけどおまえも約束を守ってくれ。それに一度結ばれた約束は履行されることがビジネスの世界ではあたり前だろ?」

かつてあきらに、会議って似合わな過ぎ、と言われていた男も、今ではその会議を取り仕切る立場だ。そして、自分の力の使い方は十分過ぎるほど知っており、彼に逆らう者などいないと言われていた。だがこの場に於いて、そんな男の口約束でも約束は約束だの言葉は、おかしいと思われるかもしれないが、司は真剣だった。

「俺たちは全てに於いて自分の人生に責任の取れる大人だ。誰に遠慮もいらねぇはずだ。それに今までの人生の過去のあれこれは、この日のためのリハーサルだ」

過去はもういいだろ。関係ない。これからが俺たちの人生の本番だ。
これからが二人の人生のスタートだ。
そんな思いが司の声には滲んでいた。

「牧野。俺に意味のある人生を送らせてくれ」

再び懇願され、つくしはいつの間にか滲んでいた涙を指先でそっと拭い、もうこれ以上いいからと、司の唇に指を触れた。

意味のある人生。

『おまえじゃなきゃダメだ。おまえのいない毎日なんて意味がない』

そんな言葉で彼女の乗ったバスを追いかけて来たことがあった。

司は、唇に触れた指を掴み、チュッと口づけた。
それは彼女の嬉し涙を拭った指先。
そして彼女の髪に手を差し入れ、引き寄せ、深い口づけをした。

「なあ。俺と結婚してくれるだろ?」

低いハスキーな声が耳元で囁かれ、司がつくしに笑いかけ、つくしもそれに応えた。
それが、彼女の答え。
そして、つくしは頷き「いいわ。道明寺を、あんたを幸せにしてあげる」と返した。








昨日、横断歩道で見た恋人同士が、今は自分たちに置き換えることが出来る。
1つの傘を別け合い、互いの身体に腕を回し、慈しみを称えた目で愛する人を見つめていた恋人同士に。

そんな二人の前には、果てしなく続く長い道がある。
それはNYと東京の距離を凌駕するような長い道。
そしてそれは先の見えない道。
これから先、何が待ち受けるか不安もあるはずだ。
だが司はその道を彼女と歩んで行くと決めた。
そしてつくしも彼と共に歩んで行くことを決めた。

共に手を取り歩んで行くと。










『そうですか。3年間大騒ぎした恋は実を結びましたか』

「ああ。あいつ、仕事もそうだがいろいろとあんたに相談したようだが、助かった」

『いえ。わたくしは人生の先輩として、仕事の先輩として牧野さんを見守ってきただけですから。それにしても、彼女の職業意識は高いものがあります。それは要するに真面目だということです。そんな女性は何か深く思うことがあると、内に篭るところがあります。内向的になるというのでしょうか。彼女もあなたのおかげで、部署替えになり、新しいことを覚えることで気分も紛れたようですが、今の仕事は彼女にぴったりです。何しろ細やかな気配りの出来る女性ですので、年配の男性には受けがいいですからね。・・しかしあなたとの幸せを選んだんですね?実にもったいない話です。彼女ならこのまま仕事を続けていけば、部長クラスまでは確実だと思っていたので、本当に残念です』

と言ったのは、月末には退職する参事補。

「それであいつは_」

『はい。ご懸念には及びません。今朝退職願を提出されたようです』


つくしがエレベーターの中で悩んでいたのは、いきなり来月で会社を辞めます。といった言葉をどう伝えればいいかということだ。なにしろ金曜の夜、参事補ってどうして辞めちゃうのかな。と呟いた女が月曜には、自らの退職願いを提出しようとしているのだから、いったいどんな顔をして自分の退職を伝えればいいのか。考えるなという方が無理だ。

「そうか。3年の間、色々と気を使わせて悪かったな」

『いえ。とんでもございません。わたくしのキャリアでお役に立てることがあれば、いつでもおっしゃって下さい』

司は受話器を置き、参事補としてつくしの会社へ送り込んだ山下の話を思い出していた。
山下は、つくしの会社のOBだが、再雇用されるまでは、道明寺系列の旅行会社の顧問として勤務していた人物。豊かな経験と知識を生かし、ビジネスに於いて、的確なアドバイスをすることが出来ると言われていた。司はそんな男を、つくしの傍に送り込んでいた。

3年間、浮いた噂もなく、一度見合いらしきものをしたが、それも山下の懇意の大学医学部教授関連であり、はじめから心配などしていなかった。
そして残業も厭わず、29歳になったが結婚を焦る気持ちもなく、仕事に邁進する女は、傍からみればこれから先、仕事に生きる女と思われたはずだ。
司としては、それでよかったと思っていた。
悪い虫が彼女に近づくことがなかったのだから。






「副社長、牧野様がお見えです」

1時間残業するから、と彼女からメールが届いたのは5時を回ってから。
仕事熱心な彼女が定時で退社することは滅多にない。
司はそんなつくしを執務室で待っていた。

「道明寺。今日退職願いを出して来たの。退職は1ヶ月後になるけど、使わなかった有給休暇があるからもっと早く辞めることが出来ると思うの」

彼女がくれたのは、出会った頃、司の心を掴んだ時と同じ微笑み。
誰も気づかないような些細なことでも、司にとっては幸せと感じることがある。
そして彼女の言葉全てが司を幸せにしてくれた。

己の半身を相手にあずけ、安心しきったような気持ちになれるのは、彼女といる時だけだが、つまらないことで迷うことは、幾つになってもあるだろう。
だが、時計を止め同じ場所で立ち止まることは出来ない。だから、共に時を駆け抜けながら、二人の未来を見つめていけばいい。

人生に雨が降ることがあっても、走っていればそのうち晴れる。
立ち止りさえしなければ、常に前は開けているはずだから。

きっと二人はうまく行く。

司はつくしに向かって手を差しだした。
この手を取って欲しい。
手を伸ばし、自らの手で未来を掴むように。
そして司の大きな手を掴んだ小さな手は、彼女の意志を伝えていた。
これからは、あんたとずっと一緒にいるからと。




二人の未来は、二人だけのもの。
これからは、雨の夜も、夢の中も、移り変わる季節の中も二人は一緒。
かけがえのない人生を、共に歩んでくれる人は、彼女だけ。


真夏の恋は、スコールのように突然降り注ぎ、夏が終ればその恋も終わると言われている。
それは、ひと夏の恋であり、いつかは消えてしまう蜃気楼のような恋。
そんな恋が過ぎ去ってしまえば、後に残るのは、黄昏れた空だけ。
だが二人の間にあるのは、永遠の恋であって決して消えることのない恋。
そして堂々と輝いて見えるのは、彼女の指に嵌められた婚約の印。

二人の気持ちは、今ある場所から上へ上へとのぼり、夏の空である高く青い空と同じくらい晴れ渡っていた。





< 完 >*真夏の恋*

にほんブログ村

応援有難うございます。
Comment:10
back-to-top