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2017
07.01

Obsession 前編

Category: Obsession
こちらのお話しは、黒い坊っちゃんのお話しです。
故に著しくイメージを損なう恐れがあります。
繊細なお心をお持ちの方、またはそういった彼を受け付けない方はお控え下さい。
************************************













彼女のためなら何でもできる。

どんなことでも出来る。

そう、彼女のためなら__

それが罪だとしても。

彼女のためなら暗い闇の中へも堕ちて行ける。

自分が生まれたのは彼女に出会うため。

彼女の代わりに誰かを愛することは出来ない。

金も権力も名誉も必要ない。

彼女が傍にいてくれるなら、ただそれだけで___いい。

運命は生まれたとき、決まっている。

死ぬまでのことが全て。

だから彼女は自分のもの_

もう彼女しか見えない。









雨が降り始めていた。
一気に雨足が強まって、このままではずぶ濡れになる。そんな雨だった。
梅雨前線は、西から北上してきたのだろう。どうやら東京もそろそろ梅雨入りの季節がやってきたようだ。
そんなざあざあと降りしきる雨の向う、窓を黒く塗った黒色の大型車が、水たまりを避けるようにして止った。そして一人の男が肩に降りかかる雨をもろともせず降りて来た。

「牧野さん。乗って行きなさい。」

低い声で話しかけて来たのは道明寺司。
長身の男はどんな局面でも落ち着いていられると言われ、表情を崩さないと言われていた。
実際28歳の男は年齢の割には落ち着いて見えた。
眼光はいつも鋭く、人を突き放すような眼を持ち、その深い眼の奥にある光りは刃物を反射したような煌めきがあった。

それはどこか冷たさを感じさせる美しい瞳。
東洋人で表情を崩さない男は、NYでは黒い眼の怪物と言われ、悪の香りのする美貌を持つと言われていた。

一度も破顔一笑などしたことがないような無表情な男の顔。
それでも時に何か思うことがあるのか、唇を微かに歪め、得体の知れない笑みにも似た表情を浮かべることがあった。
そんなことから、道明寺司という男は何を考えているのか分からない、感情のどこかが欠け落ちているのではないか。そんなことを言われることもあった。

そんな男はビジネスの手腕に長け、道明寺HDの創業家である道明寺家の長男であり後継者だ。彼は最近副社長としてNY本社から帰国してきた。

週刊誌に書かれる男の話に女の噂はなく、書かれるのは感情が動かないビジネスについてばかりだった。実際どんな美女が言い寄ろうが、たとえ素っ裸で彼の前に現れようが、女に興味を示すことはない。どだい彼の前に現れる女は、彼の容姿と権力と金に魅力を感じるだけの女。そんな女をいくら揃えようが情に流されることはなく、男は生業としている世界的企業の経営を楽しんでおり、そんな男の前では誰もが萎縮していた。

ビジネスセンスの良さは親譲りなかのか、それとも天性のものなのか。いつも完璧さを求める男は全てに於いて妥協がなかった。



「牧野さん。どうした?遠慮することはない。乗りなさい。」

司は戸惑っている女性に再び声をかけた。




彼女がビルを出て、少し歩いたところで雨が降り始めた。
突然降り出した雨に慌てた彼女は急ぎ足で、そして走り出そうとしていた。
司はそんな彼女を車の中から見つめていた。そして声をかけた。
ただの社員である彼女は乗って行きなさと言われ、その誘いを断ることは出来なかった。それは、どう抗っても無駄だといった雰囲気を感じさせるからだ。彼のその眼に見つめられ、抵抗する力は奪われていた。

彼女は頷き、運転手がドアを開けて待つ車に近づいた。





司が牧野つくしと初めて口を利いたのは、NYから帰国して間もなくのこと。
彼女が大学を卒業し、道明寺HDに就職したとき、彼は学生重役を経て専務取締役となり、財閥の跡取りとして社内の重職に就いていた。それからNYで勤務し、帰国した後、副社長となり、彼女が働くフロアの一番いいと言われる部屋を執務室としていた。

彼女の仕事は専務秘書。
秘書課は役員室が連なる最上階フロアの一角にあり、副社長である司と顔を合わせることも多かった。

一つ年下の牧野つくしは、ごく平凡な女性。
司は人生の中で一番多感だと言われる高校生の頃、彼女を見初めた。
何かに引き寄せられるように視線が彼女に向かった時があった。
それは誰かに話しかけられた彼女が、はにかんだような微笑みを浮かべた瞬間だった。
その時、恋に堕ちた。彼女の微笑みが彼を虜にした。

司はその微笑みを自分へと向けて欲しいと望んだ。だがその当時彼は彼女に声をかけることはしなかった。それは全てが自分の思い通りに運ぶように、時が来るのを待つことにしたからだ。そして周りの誰にも異議を唱えさせることがないよう己に力をつけるための時間も必要だった。

事実、彼が多弁とは言わないが、ビジネスの世界において、暴力以上に圧倒的な力を発揮する言葉を身に付けた。世界のビジネスシーンで通用するだけの言語を身に付け、それをひとつの武器として操ることが出来る男は、冷酷で非情と言われるが、それが彼の世界だ。


彼は大学を卒業した彼女が自分の会社に就職するように仕向けた。
そしてその通りになった。それまで彼女の傍に男が近づくことはなかった。それは彼が彼女に近づく男を排除していたから。そして彼女も、まるで司の気持ちを知っているかのように男に近づくこともなく、男に対し興味がなかった。

学生時代は勉強に、社会に出て司の会社に就職してからは、仕事に励み、真面目な生活を送っていた。純潔と清楚といった言葉が似合う、黒い髪の女性。ほがらかに笑う姿があの頃と変わらず眩しく見えた。

長い間彼女だけを見つめて来た男は、彼女の性格も生き方も知っていた。
正義感が強く、真面目な性格で曲がったことが嫌い。そして前向きな考え方をする。
平凡な生き方をし、経験を積みながら、自分が本当に求めるものを探していく。芯の強さを持ちながら、人を思いやる心を持ち、自分のことより他人の幸せが大切だといった考え方を持っていた。

親しく話しをしたのは、雨の降る日、待ち伏せして自宅まで送って行ったのが初めてだ。
それまでは専務秘書の彼女が同じフロアにいて、時に廊下で立ち止まり、司に丁寧に挨拶をする姿を見る。それだけでも良かった。やがて時おり執務室に姿を見せるようになった彼女の姿に、司は心に秘めた思いを直ぐにでも伝えたいと望んだ。

同じ部屋にいて、彼の話しを聞き、メモを取る姿に、彼女がいつも自分の傍にいてくれる姿を想像させた。
己の身体に寄り添った彼女のその髪に触れ、大きな黒い瞳で見つめられ、その声で名前を呼んで欲しかった。

司と_。


柔らかな唇に唇を重ね、彼女の甘さを味わいたい。
その小さな身体を抱きしめ愛したい。
そして守ってやりたい。
世の中の全てのものから。


司はいずれ彼女を自分の秘書にするつもりでいた。そして二人は恋に堕ちる。
だが今は穏やかに手にしたこの時間が少しでも長く続いてくれることを望んだ。
そして少しずつ自分を信頼して欲しいと願った。時間は幾らでもある。焦りはしない。



そんな矢先、彼女の前に一人の男が現れた。

それは、同じ会社にいる男。
その男が彼女に興味を抱き、交際を申し込んだ。
しかし賢明な彼女は断った。


だが許せなかった。
その男を。

司は彼女のことをいつも考えていた。
誰にも見せない閉ざした心の中でいつも彼女のことを考えていた。
それは朝起きて眠るまでの間、どんな時でも頭の中に彼女のことがあった。
もし、今ここに彼女がいたらどうするだろうかと。
こんなとき、彼女ならどうするだろうかと。
そして彼女が自分を好きだと言ってくれたらどうするだろうかと。
長い間彼女のことばかり考えていた男にとって彼女は永遠の女性となった。
その心も身体も名前も全てが自分のもの。
頭の中を過る思いは切ないほど苦しく、そして彼女が欲しかった。
そんな彼の思考の中に無理矢理入り込んで来た男が許せなかった。
二人の時間を邪魔しようとする男が。










仄暗い室内にいる黒いスーツを着た男の姿は、闇に溶け込んで見えないかもしれない。
重厚な調度品が影を作り、それがまたこの部屋を暗く見せるのかもしれない。
その闇から聞こえたのは、金属のライターの蓋が閉まる音。
姿は見えないかもしれないが、そこに誰かがいるといった揺るぎない存在感だけは感じられた。

そして暗闇からゆったりと流れる白い煙と強い香りはキューバ産の葉巻。その香りは独特で強烈な大地の香りと呼ばれ、土と樹とその土地に育つ果実すべてが混ざったようで、スパイシーだが甘く、複雑な香りがする。そんな香りのもと、闇にうごめく獣がいるとすれば、彼の足許に伏せているはずだ。そして虎視眈々と獲物を仕留めるのを待っているはずだ。


「高木。悪いな、わざわざ邸まで来てもらって。いつもなら西田がやってくれる仕事だが、今日はあいつが休みだ。」

暗闇から聞こえる声は、まるで深い地の底から聞こえるような低く落ち着いた声。

「西田室長がお休みされるなんて珍しいこともあるものですね?」

「あいつも人間だ。体調が優れないこともある。」

「そうですね?・・でも西田室長はいつも副社長と御一緒ですから、お傍にいないとどこか調子が狂いますね?」

司が見ているのは、牧野つくしに交際を申し込み、断わられた男で彼に仕える秘書の一人。
いつもなら西田が世田谷の邸で行う仕事をその男にさせていた。

「・・高木。おまえ専務秘書に交際を申し込んだそうだな?」

「あ、はい。ご存知でしたか・・。牧野さんに付き合って欲しいとお願いしたんですが、断わられました。」

男は少し照れたように言った。

「そうか。残念だったな。まあ何も女は彼女だけじゃない。うちには大勢の女子社員がいる。おまえのように若く前途有望な男なら喜んで応じてくれる女がいるはずだ。」

司は秘書を慰めながら、彼女の価値がおまえに分かるはずがないと思った。
長い間彼女だけを見つめてきた司は運命を信じていた。いつか彼女が自分のものになるということを。そして機は熟し、まさにこれから行動を起そうとしていたところだ。
邪魔されるわけにはいかなかった。それだけに、彼女が秘書をふったことが当然のことに思え、彼女も自分を待っている。そう感じていた。

だが秘書は少し間を置き嬉しそうに言った。

「でも時間がかかってもいいから、もう少し考えて欲しいとお願いしたんです。」





司より年下の男は、すんなりと引き下がろうとはせず、どうにかして彼女を振り向かせようとしていた。

そういうことはあってはならない。

そんなことが許されるはずがない。

絶対に許されない。

許すわけにはいかない。

いや。絶対に許さない。


司の瞳の底に見えるのは、無言の憎悪と敵意。
決して拭うことのできない闇の感情。
いやそれは、狂気とも情熱とも言える表情なのかもしれない。
好きな女を思う男の狂気を秘めた眼差し。
ただでさえ凄みを感じさせる司のその目は、暗闇から一点を見つめるように男を見つめていた。

そして彼は闇の感情のまま立ち上がり、離れた場所で背を向け立つ男に、ゆっくりと静かに近づいた。






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2017
07.02

Obsession 後編

Category: Obsession
ノックの音がして、一人の女性が扉を開け入って来た。

「おはようございます副社長。本日のスケジュールですが、珍しく午前中のお約束がありませんので少しごゆっくりとなさって下さい。」

振り向いた男は入室して来た女性を見た。そして左手に嵌めた艶消しゴールドの時計に目を落し、一、二秒考えたあと、上着に腕を通しながら言った。

「そうか。それなら少し庭でも散歩するか。今朝は気分がいい。おまえも一緒に来てくれ。」

秘書は軽く頭を下げ、彼の後ろへ従った。







司の秘書の一人がいなくなってから3ヶ月が過ぎた。
高木という名の若い男性だ。
西田が体調を崩し休んだ日、彼は司に付き従い世田谷の邸まで来て仕事をした。
そして邸を最後に行方が分からなくなっていた。
事故にでも遭ったのではないか。事件にでも巻き込まれたのではないか。だがもしかすると自分からいなくなったということも考えられる。
どちらにしても、捜索願が出され、広範囲に渡って捜査していたが、ようとして行方は知れなかった。

そしてその高木に代わりの新しい秘書が司の秘書のひとりとして加わった。
秘書の名前は牧野つくし。高木がいなくなる前までは、専務の秘書をしていた。
今では毎朝西田と彼女が世田谷の邸まで迎えに来ていた。


「あの副社長。高木さんの行方はまだ分からないんですよね?」

「ああ。そうだな。探してはいるがまだ見つからねぇようだ。」

「そうですか・・副社長もご心配ですよね?」

「自分からいなくなった可能性もある。あの頃なんか悩みでもあったのかもしれねぇな。」

二人は建物を出ると広い庭の中央にある池の前まで来ていた。
坪何百万とする高級住宅地にある道明寺邸には、かなりの大きさの池がある。
その池は邸が出来た頃からあり、泳ぐ宝石と言われる最高級の錦鯉が放たれており、その数100匹以上はいるはずだ。いや実際には何匹いるのか定かではない。

鯉は4年から5年で大きくなり、20年から30年は生きると言われており、健康なら50年から70年の寿命があると言われている。そして中には人間以上の年齢を持つものもいた。

この池にいる鯉は、どれも体長が1メートルほどあり、肉付きもいい。身体の色彩も多様で、錦鯉を代表する赤・黒・白の3色がはっきりとしたものから、全身に模様が入らず、身体全体が光り輝く無地一色のものまで色とりどりの鯉が大きな身体をくねらせ泳いでいた。そして時おり水音を立て跳ねていた。

「副社長の足音を聞いただけでわかるんですね?」

「鯉か?ああ。こいつらはエサをくれる人間の足音を聞き分けることが出来るからな。かわいいもんだ。」

鯉たちは、池のほとりの敷石に響く司の靴音を聞き集まり、エサをねだっていた。
そこに現れたのは、司の第一秘書である西田。秘書の鏡と言われ、司の懐刀と呼ばれる人間だ。司はそちらへちらりと視線を向け、何も言わず手渡されたプラスチックの容器を開けた。

「鯉ってのは悪食でどんな物でも食べちまう。・・こいつらは加減なんて言葉は関係ねぇ。食欲旺盛で与えれば与えるだけ食べちまう。」

司はその鯉たちにエサを与えはじめた。
容器の中から取り出されたエサは、彼の手によって池へと撒かれ、水面に現れた多くの鯉は我先にとエサに喰らい付き、瞬間的な速さで食べつくしていた。

「鯉は口に歯がない。その代わり喉に咽頭歯と言った歯があるが、それで硬い物も砕いて飲み込んじまう。それに鯉は人間と違い胃袋がない。食道から直接腸に繋がってる。だから食い溜めが出来ないこいつらはいつも腹を空かせてる。特に秋は食欲旺盛で1日に何度もエサを与えるんだが、エサを変えたせいか鯉たちの色艶がいい。」

鯉は司が撒く大量のエサを奪い合って食べていた。

「西田。高木の仕事ぶりはどうだったんだ?」

司は自分の後ろに控えた男に聞いた。

「はい。わたくしが見たところ、仕事に自信を失っていたようなところがありました。高木は、自分では副社長のご期待に沿えないと分かったのでしょう。彼が姿を消したのは、そのせいではないかと思われます。」

「そうか。残念だったな。もう少し根性があると思ったが、おまえの厳しさについていけなかったと言うことか?」

「いえ。わたくしは決してそのようなことは。」

司と西田の会話はそこで途切れた。
そのとき、池の鯉の一匹が大きく跳ね上がるのが見えた。

「牧野。高木に付き纏われて迷惑してたんだろ?」

「ご存知だったんですか?」

つくしは、交際を申し込まれ断ったが、諦めなかった高木に付き纏われ困っていた。だが邪険にも出来ず誰に相談していいか悩んだ彼女は、秘書室長であり高木の上司である西田にそれとなく相談していた。そしてそのすぐ後に高木がいなくなった。

「牧野。おまえもエサをやってみないか?」

司はエサの入った容器をつくしに向かって差しだした。
中にあるのは何かの肉のようなものが細かく裁断されたものだった。

つくしはその容器の中から少しだけ手に取ると、池に向かって投げ込んだ。
途端、鯉たちはそのエサを奪い合うように食べていた。そして、その様子を彼女は興味深そうに眺めていた。

司はそんなつくしを見つめていた。
そして目を少し細め、微笑みを浮かべると言った。

「西田。例の肥料はどうだ?庭師は何か言っていたか?」

「はい。おかげさまで美しい花が咲いたそうです。やはり肥料も配合具合が肝心だと申しておりましたが、カルシウムの量が増えたせいでしょうか。カルシウムは植物の細胞と細胞を繋ぎ合わせるのに最適だと申しております」

「そうか美しい花が咲いたか。牧野、おまえにもその美しい花を見てもらいたい。」

「花・・ですか?」

つくしの顔は、司の顔を不思議そうに見た。
副社長である司の声が、今まで聞いたことがないほど楽しげだったからだ。

「はい。3ヶ月ほど前にその肥料を追肥したトリカブトという花ですが、その花は猛毒を持ちます。ですが花の形が珍しいので、観賞用に植えております。大変珍しい花ですので、ぜひ御覧になられるとよろしいかと思います。」

西田は静かに、そして丁寧に言葉を添えたが、紫色の小さな花をつけるトリカブトは、50センチから80センチほどの高さに成長する毒を持つ草花だ。花、花粉、葉、茎、根の全てに毒があり、触る時は必ず手袋を用いなければ危険だと言われていた。もし誤って口にでも入れば命を落とすことになるからだ。そんな毒のある花だが、古くから薬草として用いられたこともある草花で、毒性を弱め麻酔薬や胃腸の薬などに用いられていた。


「見ろ。あの鯉たちを。旨そうにエサを食べているあの鯉たちを。余程このエサが気に入っているようだ。」

司は容器の中に手を入れエサを掴み鯉の上に撒き、隣に立つつくしを見た。
薄い化粧をした彼女は朝の陽の光りを浴び、輝いて見えた。
そして透き通るような白い肌から立ち昇る彼女自身の香りを感じ、疼きを感じていた。











彼女を苦しませるものは排除した。
彼女の前から、そして自分の前から。

自分を理解してくれるのは彼女だけ。
愛してくれるのは彼女だけ。

彼女は自分と巡り逢うため生まれてきた。
変わる心が不安なら変わらないようにすればいい。
彼女の前に自分以外の男が現れないようにこれからも排除していけばいい。


隣に立つ、つくしの黒い大きな瞳が司を見上げた。
司には彼女が自分を信頼してくれたのを感じた。
その瞳から戸惑いといったものが消えたからだ。
上司と秘書ではなく、ひとりの男として見た瞬間を見逃さなかった。
恋に堕ちてゆくのが感じられた。
彼女が自分に。

司は今まで誰にも見せたことのない笑みを浮かべた。
その微笑みは、自分の存在を彼女の心の中に刻み込むことが出来る完璧な微笑み。
そして手をそっと彼女の肩に回し、その感触を愛おしんだ。
柔らかいその温もりを。


彼の心象風景にあるのは、彼女と己の愛し合う姿だけ。
胸の内にあるのは長い間満たされなかった欲望。
そんな場面での彼女の息遣いまで聞こえてきそうなほどだ。

ものごとに執念を燃やす性格だと言われたことはない。
だが、彼女に対してたけは別だ。どんなことをしても手に入れたかった。
これまで抑圧してきた欲望はもうすぐ叶えられるはずだ。
夜が満ちるとき、彼女がその身体を預けてくれる日も近い。
その身体の奥深く入り、交わり、みずからの全てを注ぎ込む。
長い間満たされなかった情熱の全てを彼女に与えたい。


司が再び容器の中に手を入れたとき、指先に小さな金属が触れた。
彼は視線を落とし、その金属を見た。
そしてそれを掴むとエサと一緒に池の中に投げ込んだ。
鯉はそれをエサだと思ったのか口に入れたが、すぐに吐き出した。


それは道明寺ホールディングスの社章。


それがゆっくりと池の中に沈んで行くのを眺めていた。





誰よりも近くで彼女を感じていたい。
微笑みを浮かべるその顔をこの腕の中で見つめていたい。
この温もりを、この身体を誰にも渡しはしない。
この髪に触れるのも、この声も、この瞳も、この身体全てを自分のものにするため決して離しはしない。
彼女が抱かれる腕はこの腕の中だけ。
この腕の中で眠りにつく彼女を永遠に見つめていたい。
運命は生まれたとき、死ぬまでのことが決まっている。
彼女が自分のものであることは、この世に生を受けたとき決まった。




だから




彼女は誰にも渡さない。





*Obsession=妄想。妄執。固定観念。 

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