2017
02.14

かそけし香り

春の香りとでもいうのだろうか。
空気が少しだけ柔らかく感じられるようになった。

いつものテーブルに座っていると隣に男性が座るのがわかった。
香りがしたからだ。少しスパイシーで温かみのある香りが。
その香りは人によってはセクシーだというかもしれない。

直接顔を上げ見ることはしない。
それがマナーであることは当然だが、もし目があったら困るからだ。
だが、一度だけそっと見たことがある。
若い男性だった。とてもハンサムな男性。もし道ですれ違うことがあれば、世の中の殆どの女性が振り向いてしまうほどの美貌を持つ男性だ。若いと言っても年の頃は30歳前後といったところだろう。恐らくだが、彼は年を重ねても今のままの美貌を保つはずだ。皺があっても、老人特有のシミが出来たとしても、その顔に人生の全てを表すかのように刻まれる何かがあるはずだ。それほどその男性には何かを感じさせることがあった。内面に深い大切なものを持っている。それが何かは分からないが、もしかするとこれから分かるかもしれない。

その男性はいつも同じ席に座る。
そして私がいつもこの席に座ってするのと同じように黙ってコーヒーを飲んでは帰っていく。それがその男性の日曜の日課なのだ。やはり私がそうしているように、男性はその席をリザーブしていた。

それからその男性を気にするようになった私は隣の男性が現れる時間になると顔を上げ、店の入り口を気にするようになっていた。なぜなら時間はいつも同じだったから。
背が高く、服の上からでもある程度察することが出来るが、身体には無駄な肉はついていないはずだ。幅の広い肩と逆三角形の身体は仕立てのいい服に包まれている。
カジュアルな服装だが、その男性が身に着けているものは一流の物だとわかる。どうしてそう思うか?それは彼が見るからに一流の男性だと思ったからだ。

__あくまでも私の思いだが。

すらりとした手脚は生まれ持ったもので、髪は癖があるが、そのうねりは柔らかそうだ。だがいつかその髪も色を変える日が来るだろう。しかしそうなったとしても、その男性の魅力は損なわれることはないはずだ。

人は年と共に、どんな人生を歩んで来たか顔に現れるものだ。それが人間の成熟度を表すものでもある。だから顔を見ればその人間が人としてどれだけの経験を積んできたかが分かる。

それは私にも言えることだろう。
それなら果たして私はどんな顔をしているのだろうか。






その男性が窓越しに誰かを探していると知ったのは、テーブルの上に置かれていた彼の伝票が床に落ち、私の足元へ来たのでそれを拾い、隣の男性へと視線を向けた時だった。

そのとき突然、隣の男性が立ち上がって窓の外を見た。
男性の視線の先にいたのは、ひとりの小柄な女性。
黒い髪が肩口で切りそろえられていた。
黒い瞳に黒い髪。年はおそらく彼と同じ位だろう。
その女性が私の隣にいる男性と視線を絡ませたのが分かった。

つかの間の視線の交差。ふたりが相手を認めたと私は感じた。
見えない何かで結ばれたふたりの人間。女性は一瞬目を伏せたが、再び開いた。大きな黒い双眸はまるで流す涙を堪えているかのように見えた。そして女性の顔に浮かんだ思慕の念とも言える表情。そのとき男性の顔に浮かんだのはいったいどんな表情だったのか。私には男性の背中越しに見える女性の表情から察するしかなかった。

だが、その男性がさっとこちらを振り向いたとき、見えたのはやはり彼女と同じ表情。
窓から差し込む光りが彼の背中で少しだけ遮られ、男性は一瞬私の顔を見たが、すぐに店を出て行った。

窓の外にいるその女性の所へと。

そしてその男性は窓の外に立つ女性を抱きしめ、唇を重ねていた。







私の胸に、十数年前の、この場所が鮮明に甦った。
戻りたくない、でもどこか懐かしい思い出。


当時の私は海外で生活していた。
生活の拠点はその国で、生まれ故郷であるこの国には仕事で訪れるような感覚だった。
つき合っていた女性がいたが、宙ぶらりんの形と言ってもいいような状況だった。
結婚の約束をしていたが、果たされないままだった。
仕事が忙しいと言ってしまえば、答えは簡単だがそれだけではなかった。
当時まだ若かった私にはどこか踏み切れないものがあった。

あの頃の私は引き継いだ仕事に対しての責任の重大さと、その現実が消化できず、その女性のことが頭の中から離れて行った時間があった。
そんな状況だったから、いっときその女性との関係が切れそうになったことがあった。
だが、努力はした。それはその女性も同じだったがすれ違い始めた気持ちは、そう簡単に元には戻らないような気がした。言い訳としか言えないが、仕事が忙しいことを理由にそのままほっておくしかなかった。そして一度別れた。はっきりとした別れの言葉を告げたわけでも、告げられたわけでもなかった。だが、距離と時間が二人の間を隔てていた。結局、二人の関係は曖昧なままに終わってしまっていた。


あれは別れだった。
私と彼女の二度目の別れ。
一度目は思い出したくないが、激しい雨が降った日だった。


次の年の12月、私は暫くこの国に滞在することになった。
それは仕事の為でもあったが目的は別にあった。彼女に会いたかった。

別れてしまった女性に。

私は彼女に電話をかけた。そして会いたいと言った。
暫くこの国に滞在するから会って欲しいと。だが断られた。
理由は聞かなかったが彼女がそう言ったなら受け入れるしかなかった。電話口から伝わる沈黙は、突然の電話にどう対応したらいいのか困惑しているのだとわかっていたから。

その時の私は彼女の誕生日の贈り物を用意していた。12月が誕生月の彼女に渡したいものがあった。だが無理矢理会いに行くことはしなかった。気後れがあったわけではないが、それは彼女からきつく言われていたからだ。いや。もしかするとどこかそんな気持ちもあったかもしれない。
その代わり彼女の方から会いに行くからと言われた。でも、はっきりとした日は決められないと。それなら毎週日曜の決められた時間、この場所で待つと伝えた。
そのときこの国に滞在する3ヶ月の間、全ての日曜日は彼女のために予定を入れることはしないと決めた。そしていつ会いに行くと連絡がなくても、私は日曜になるとこの場所で待っていた。

先ほどまで若い男性が腰かけていたその席で。



私には見えた。
あの時の、本物の人生の物語が始まる前の若かった二人の姿が。
初めは短かった物語もやがて長くなる。
少し遅れて彼女に渡した誕生日の贈り物を指にはめたとき、彼女の瞳から涙がこぼれていた。
あの日から一度断ち切った二人の絆を取り戻す努力をした。





かすかな香りが近づいて来たのがわかった。
それはこの世で私と同じ香りを纏うことが許されたただ一人の人。
あの日、再会してから永遠を約束した人。
短かった二人の物語をもっと長くしようと約束した。




「つかさ・・。どうしたの?」

「ああ。なんだか昔を思い出してた」

「そうよね。この場所は私たち二人にとって思い出の場所よね。でも、だからって滞在中に通わなくてもいいでしょ?そろそろ出発しなきゃ。そんなに飛行機を待たせることは出来ないでしょ?」

「あの二人だよ」

「・・え?」

「この前から気になってたんだ。男の方を・・。あの席に座りたいって言ったら毎週日曜日は予約席になってるって断られた」

二人は窓の外を見た。
そこにはしっかりと抱き合う男女の姿があった。
もう決して離さないと強く抱きしめる男とそんな男の腕の中に納まる小さな身体。

「・・あの二人、きっと幸せになれるわよ。だって今日は恋人たちの日だもの」

「・・そうだな。今日は2月14日か」

司は遠いあの日を思い出していた。


恋人たちの日と呼ばれるバレンタインデー。
そんな日に再会した二人。
司はその日、つくしにプロポーズをした。
長いあいだ待たせてすまなかったと。
あのとき、わだかまりがあったとしても、それは時が解決してくれる。そう思った。
そして実際そうなった。




窓の外に見える抱き合った二人。
恐らくあの二人も司とつくしと同じはずだ。
どんなに長い時間離れていたとしても、二人の絆は途切れてはいないだろう。



その姿はかつて司とつくしが再会したあの日の二人に見えた。





 < 完 >*かそけし香り*
*かそけし=かすかな

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