低い豊かな声が命令する。
俺を楽しませてくれないか?
ひと晩中。
この邸の使用人たちは、彼のことを恐れながらも、なんとか意に叶うようにと懸命に努力していた。彼は冷酷で驚くほど人間を寄せ付けない男。気に入らないことがあれば、黒い瞳でじっと見つめるだけで、相手はたちまち凍りつく。
残酷で冷たい男と呼ばれていても、女たちは彼の傍に近寄ってくる。
それは真夜中の蛾が一際輝く明かりの周りに集まることに似ていた。その明かりが燃え盛る恋の炎だとすれば、蛾は自らその炎の中に飛び込んで行く。たとえ自らの命がその炎で失うことになっても、身を焦がすような恋に憧れて近づいていた。
自らの体が焦げ、燃え尽きてしまったとしても、最後に彼の美しい微笑みを見ることが出来るなら、死んでもいいと思うのかもしれない。
暗示にかけられた動物は、自らの意思に関係なく行動してしまうが、男の視線はまさにそんな催眠作用があるのかもしれない。
若い女性の憧れの男と言われる男。
そんな男に引き寄せられる女たち。
いつか自分がその男の寵愛を受けて見せる。
そう願う女たち。だが彼の凍った心を溶かす女は誰一人いなかった。
彼は全ての人間を惹きつけるオーラがある。
その存在だけで人を惑わすことが出来る男。
誰も逆らえない、高貴な生まれの人間だけが持つ紛れもないオーラがある男。
漆黒の豊かな黒髪、相手を射抜くような黒い瞳。
いつも固く引き結ばれた唇。
誰もが憧れる男で、神の恩恵の全てを受けたのではないかと思われるほどの美貌を持つ男。
だが、そんな男も本能の部分は原始的な男。
欲しいものは、どんなことをしてでも手に入れたいと思う男だ。
そんな彼が求め、欲した女がいた。
女を欲しいと思ったのは、彼女がはじめて。
彼女の心が欲しい。
自分だけを見つめる優しい瞳が欲しい。
その唇から洩れる自分の名前を聞きたい。
そして自分を愛して欲しい。
いつもそう願っていた。
出会いは17歳の頃。
女はある日突然、凛とした立ち姿で彼の前に現れた。
情に厚く、嘘が嫌い。勇気と思いやりを持った少女。
勉強が好きで自立心が旺盛な少女。
いつの間にかそんな少女に惹きつけられた。
男の唇が緩やかなカーブを描くのは、愛しい女の前だけ。
傲慢だと言われるその態度も彼女の前だけでは格好を崩す。
広い肩幅も、引き締まったその体躯も、長い脚も、その力強さ全ては彼女だけのもの。
そんな男は大勢の人間の中にいても一際目立っていた。
その姿は、夜の暗闇でも自由に狩をすることが出来る黒豹のようだ。
タキシードを着こなす黒豹。
そんな男も今では誰もが知る愛妻家の男。
司の欲しかった女性は今、彼の隣でほほ笑みを絶やすことはない。
互いが互いを必要とし、生きていく上での糧となる愛しい人。
多くの困難を乗り越えて結婚した二人。
決して離れはしないと誓い合ってここにいる。
女性なら誰もが羨む宝石も、世界中から取り寄せる一流品も、女は受け取ろうとしない。
自分自身の価値を高めるのは、宝石ではないという女。
自分の身を飾り立てることに興味がなく、いつも自然体でいたいと思う女。
ただ、指に収まるひとつの指輪があれば十分だと言った女。
それこそが、誰もが羨む最高のステータスを持つ男の妻である印だということを知っているのか。
いや。違う。
あいつが欲しかったのは俺のステータスではない。
そんな女は、妻となった今でこそプレゼントを受け取るが、結婚するまでは決して受け取ろうとはしなかった。
どんな女もプレゼントだと言えば喜ぶはずだが、この女は違う。
未だに受け取ろうとしないこともある。
「俺はおまえに受け取って欲しい」
「受け取れないわ」
静かに答え、手を引っ込め背中に回す女。
「どうしてだ?」
「だって高級すぎるもの」
高級なものは要らないと言い、厳しい表情で彼を見る。
そしてひと言、
「また無駄遣いして!」
この女はわかってない。
夫が妻に買い物するのがどうして無駄遣いになる?
恥じるようなことなど何もない。
金なら唸るほどあるというのに、女は俺に妙な罪悪感を抱かせる。
「言っとくが返品できねぇぞ。ここにある物全てに、おまえの名前が彫ってある」
ジュエリーには全て名前を入れさせている。
あいつの名前のTsukushiと俺のTを。
俺のものである印。
時が果てるまで。
そして永遠に。
どんなに煌びやかな衣装を身に付けようと、本来彼女が持つ輝きを失うことはない。
それが、たとえ俺にしかわからないものだとしても、それでいい。
本来なら、誰の目にも触れさせることなく、大切にしまっておきたいと思える宝だから。
もし、おまえに何かあったらと思うと何も出来ないことがある。
だが、何かあっても世の中こんなものだと言って笑う女。
俺と一緒になって苦労してないか?
そう言えば、
『あんたと結婚してから賢くなった』という女。
一緒にいて、俺の世界を見て、そして学んだという女。
けど、俺もおまえと一緒にいて新しい世界を知った。
俺が感じることと、おまえが感じることが同じだと思える日が来るとは思わなかった。
そんな俺は疑うことなく言えることがある。
おまえがいないと生きられない。
優雅な眉を片方だけあげる仕草で妻を誘う男。
そんな男を甘い香りを漂わせ、誘うのは愛しい女。
互いが互いでいるために必要な人。
はじめて会ったときから、変わらぬ思い。
いや。変えることの出来ない不変の愛。
秘めた思いを胸に苦しみを乗り越えた夜もあった。
一度は別れを経験した男と女。
あの時は完全な愛などないと思ったことがあった。
夜というのは人を狂わせてしまうのか?
人はときどき自分でも訳の分からない行動を取ることがある。
「ドレスを脱げ」
命令口調の男。
女は従うしかない。
「俺を喜ばせてくれるんだろ?」
今、男の前にある大きなベッド。
白一色のシーツの上に広がる黒髪は、目もくらむようなコントラストを描いている。
白い身体に纏うのは、淡いブルーのシルクの下着だけ。
ベッドというフィールドは、抱き合うためだけにあると言ってもいい。
毎晩一夜も欠かすことなく、愛し合いたい思いがある。
なぜ俺がこんなにおまえの全てが好きなのか。
おまえは考えたことがあるか?
おまえの愛に救い上げられたからだ。
一度暗闇に堕ちた者は二度と這い上がれないというが、俺はそこから引き上げられた。
おまえが俺の扉をひらいて解放してくれた。
人を愛するという心を教えてくれた。
そして、何もかもが変わった。
そんな顔しないでくれ。おまえの前では俺はごく普通の男。
誰もそんなふうには考えねぇだろうが、俺はおまえを愛するただの男だ。
おまえが望めばいつでも俺の気を向けさせることが出来る。
いつも俺がどれだけおまえに気を向けてるかわかってねぇ。
そんなおまえが鈍感だなんてことは、わかってる。そんなの今さらだ。
唇は離れた。
だが、この手は決して離さないと誓った。
見つめ合う瞳に嘘はない。
たいていの男は簡単に、そして頻繁に他の女を愛する。
俺はただ一度の恋しか知らない。
一度だけ人を愛し、そしてその愛は永遠に続く。
互いの瞳に映り込むのは愛しい人の姿だけ。
つくし。
愛してるんだ、愛してる。
ずっと…永遠に。
黒い瞳で女の目をとらえ、わずかに頭をさげ、掴んだ手を唇に運ぶ。
手の甲にキスをし、それを裏返して掌の真ん中にキスをした。
これから12時間、寝かせてやることが出来そうにない。
こいつの傍を離れることが出来ない。
そして離してやることが出来ない。
理性の声なんてとっくの昔に何処かへ行った。
残るのは狂気に満ちた声。
10代の狂気が甦る。
どうしようもなく、おまえが欲しかったあの頃が。
もし、そんな俺を殺すなら愛をこめて殺して欲しい。
愛おしさに狂った男。
その名は道明寺司。
唇は永遠に妻の名前だけを囁いていた。

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今年の更新は本日が最後です。
いつもご訪問して下さる皆様、拙いお話しではございますが、お読み頂きありがとうございました。そして、暖かいご声援を有難うございます。皆様の応援が執筆の励みになりました。 年の瀬です。皆様もお忙しいと思いますが、どうぞお体にはお気をつけてお過ごし下さいませ。年明けは5日か6日を予定しておりますので、またお立ち寄り頂けると幸いです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
それでは皆様もよいお年をお迎え下さいませ。 アカシア拝
俺を楽しませてくれないか?
ひと晩中。
この邸の使用人たちは、彼のことを恐れながらも、なんとか意に叶うようにと懸命に努力していた。彼は冷酷で驚くほど人間を寄せ付けない男。気に入らないことがあれば、黒い瞳でじっと見つめるだけで、相手はたちまち凍りつく。
残酷で冷たい男と呼ばれていても、女たちは彼の傍に近寄ってくる。
それは真夜中の蛾が一際輝く明かりの周りに集まることに似ていた。その明かりが燃え盛る恋の炎だとすれば、蛾は自らその炎の中に飛び込んで行く。たとえ自らの命がその炎で失うことになっても、身を焦がすような恋に憧れて近づいていた。
自らの体が焦げ、燃え尽きてしまったとしても、最後に彼の美しい微笑みを見ることが出来るなら、死んでもいいと思うのかもしれない。
暗示にかけられた動物は、自らの意思に関係なく行動してしまうが、男の視線はまさにそんな催眠作用があるのかもしれない。
若い女性の憧れの男と言われる男。
そんな男に引き寄せられる女たち。
いつか自分がその男の寵愛を受けて見せる。
そう願う女たち。だが彼の凍った心を溶かす女は誰一人いなかった。
彼は全ての人間を惹きつけるオーラがある。
その存在だけで人を惑わすことが出来る男。
誰も逆らえない、高貴な生まれの人間だけが持つ紛れもないオーラがある男。
漆黒の豊かな黒髪、相手を射抜くような黒い瞳。
いつも固く引き結ばれた唇。
誰もが憧れる男で、神の恩恵の全てを受けたのではないかと思われるほどの美貌を持つ男。
だが、そんな男も本能の部分は原始的な男。
欲しいものは、どんなことをしてでも手に入れたいと思う男だ。
そんな彼が求め、欲した女がいた。
女を欲しいと思ったのは、彼女がはじめて。
彼女の心が欲しい。
自分だけを見つめる優しい瞳が欲しい。
その唇から洩れる自分の名前を聞きたい。
そして自分を愛して欲しい。
いつもそう願っていた。
出会いは17歳の頃。
女はある日突然、凛とした立ち姿で彼の前に現れた。
情に厚く、嘘が嫌い。勇気と思いやりを持った少女。
勉強が好きで自立心が旺盛な少女。
いつの間にかそんな少女に惹きつけられた。
男の唇が緩やかなカーブを描くのは、愛しい女の前だけ。
傲慢だと言われるその態度も彼女の前だけでは格好を崩す。
広い肩幅も、引き締まったその体躯も、長い脚も、その力強さ全ては彼女だけのもの。
そんな男は大勢の人間の中にいても一際目立っていた。
その姿は、夜の暗闇でも自由に狩をすることが出来る黒豹のようだ。
タキシードを着こなす黒豹。
そんな男も今では誰もが知る愛妻家の男。
司の欲しかった女性は今、彼の隣でほほ笑みを絶やすことはない。
互いが互いを必要とし、生きていく上での糧となる愛しい人。
多くの困難を乗り越えて結婚した二人。
決して離れはしないと誓い合ってここにいる。
女性なら誰もが羨む宝石も、世界中から取り寄せる一流品も、女は受け取ろうとしない。
自分自身の価値を高めるのは、宝石ではないという女。
自分の身を飾り立てることに興味がなく、いつも自然体でいたいと思う女。
ただ、指に収まるひとつの指輪があれば十分だと言った女。
それこそが、誰もが羨む最高のステータスを持つ男の妻である印だということを知っているのか。
いや。違う。
あいつが欲しかったのは俺のステータスではない。
そんな女は、妻となった今でこそプレゼントを受け取るが、結婚するまでは決して受け取ろうとはしなかった。
どんな女もプレゼントだと言えば喜ぶはずだが、この女は違う。
未だに受け取ろうとしないこともある。
「俺はおまえに受け取って欲しい」
「受け取れないわ」
静かに答え、手を引っ込め背中に回す女。
「どうしてだ?」
「だって高級すぎるもの」
高級なものは要らないと言い、厳しい表情で彼を見る。
そしてひと言、
「また無駄遣いして!」
この女はわかってない。
夫が妻に買い物するのがどうして無駄遣いになる?
恥じるようなことなど何もない。
金なら唸るほどあるというのに、女は俺に妙な罪悪感を抱かせる。
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ジュエリーには全て名前を入れさせている。
あいつの名前のTsukushiと俺のTを。
俺のものである印。
時が果てるまで。
そして永遠に。
どんなに煌びやかな衣装を身に付けようと、本来彼女が持つ輝きを失うことはない。
それが、たとえ俺にしかわからないものだとしても、それでいい。
本来なら、誰の目にも触れさせることなく、大切にしまっておきたいと思える宝だから。
もし、おまえに何かあったらと思うと何も出来ないことがある。
だが、何かあっても世の中こんなものだと言って笑う女。
俺と一緒になって苦労してないか?
そう言えば、
『あんたと結婚してから賢くなった』という女。
一緒にいて、俺の世界を見て、そして学んだという女。
けど、俺もおまえと一緒にいて新しい世界を知った。
俺が感じることと、おまえが感じることが同じだと思える日が来るとは思わなかった。
そんな俺は疑うことなく言えることがある。
おまえがいないと生きられない。
優雅な眉を片方だけあげる仕草で妻を誘う男。
そんな男を甘い香りを漂わせ、誘うのは愛しい女。
互いが互いでいるために必要な人。
はじめて会ったときから、変わらぬ思い。
いや。変えることの出来ない不変の愛。
秘めた思いを胸に苦しみを乗り越えた夜もあった。
一度は別れを経験した男と女。
あの時は完全な愛などないと思ったことがあった。
夜というのは人を狂わせてしまうのか?
人はときどき自分でも訳の分からない行動を取ることがある。
「ドレスを脱げ」
命令口調の男。
女は従うしかない。
「俺を喜ばせてくれるんだろ?」
今、男の前にある大きなベッド。
白一色のシーツの上に広がる黒髪は、目もくらむようなコントラストを描いている。
白い身体に纏うのは、淡いブルーのシルクの下着だけ。
ベッドというフィールドは、抱き合うためだけにあると言ってもいい。
毎晩一夜も欠かすことなく、愛し合いたい思いがある。
なぜ俺がこんなにおまえの全てが好きなのか。
おまえは考えたことがあるか?
おまえの愛に救い上げられたからだ。
一度暗闇に堕ちた者は二度と這い上がれないというが、俺はそこから引き上げられた。
おまえが俺の扉をひらいて解放してくれた。
人を愛するという心を教えてくれた。
そして、何もかもが変わった。
そんな顔しないでくれ。おまえの前では俺はごく普通の男。
誰もそんなふうには考えねぇだろうが、俺はおまえを愛するただの男だ。
おまえが望めばいつでも俺の気を向けさせることが出来る。
いつも俺がどれだけおまえに気を向けてるかわかってねぇ。
そんなおまえが鈍感だなんてことは、わかってる。そんなの今さらだ。
唇は離れた。
だが、この手は決して離さないと誓った。
見つめ合う瞳に嘘はない。
たいていの男は簡単に、そして頻繁に他の女を愛する。
俺はただ一度の恋しか知らない。
一度だけ人を愛し、そしてその愛は永遠に続く。
互いの瞳に映り込むのは愛しい人の姿だけ。
つくし。
愛してるんだ、愛してる。
ずっと…永遠に。
黒い瞳で女の目をとらえ、わずかに頭をさげ、掴んだ手を唇に運ぶ。
手の甲にキスをし、それを裏返して掌の真ん中にキスをした。
これから12時間、寝かせてやることが出来そうにない。
こいつの傍を離れることが出来ない。
そして離してやることが出来ない。
理性の声なんてとっくの昔に何処かへ行った。
残るのは狂気に満ちた声。
10代の狂気が甦る。
どうしようもなく、おまえが欲しかったあの頃が。
もし、そんな俺を殺すなら愛をこめて殺して欲しい。
愛おしさに狂った男。
その名は道明寺司。
唇は永遠に妻の名前だけを囁いていた。

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今年の更新は本日が最後です。
いつもご訪問して下さる皆様、拙いお話しではございますが、お読み頂きありがとうございました。そして、暖かいご声援を有難うございます。皆様の応援が執筆の励みになりました。 年の瀬です。皆様もお忙しいと思いますが、どうぞお体にはお気をつけてお過ごし下さいませ。年明けは5日か6日を予定しておりますので、またお立ち寄り頂けると幸いです。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
それでは皆様もよいお年をお迎え下さいませ。 アカシア拝
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