牧野つくし。
その名はもはや司の呪文と化していた。
彼は牧野つくしのことばかり考えてその命を燃やしていた。司が生きていくうえで重要なことは、牧野つくしに必要とされることで、もし必要とされなくなったら絶望的になる。
過去に一度そんな絶望を感じたことがあった。あんな経験はもう二度としたくない。
だが今はそんなことになるとは、ひとかけらの心配もない。今の司は心が浮き立つようなことしかないからだ。
何故なら常に頭の中を巡るのは、その名前の女と愛し合うイメージ。
だからと言って、その思いが頭の中から漏れ出しているというわけではなかった。
いや。彼の傍にいる秘書なら知っているかもしれない。だがそれは実に危険なことだ。
何故なら司は今、大きな任務を背負っているからだ。
疼きと切迫感。
倒錯と官能。
そして危険とアクション。
司の中であるひとつの映像が浮かんでいた。
制服を着た運転手つきの豪華なリムジンから降りてくるタキシード姿の男。
ひと目で上質な生地で仕立てられたとわかる独特の光沢を放つ生地を纏った男。
その出で立ちは彼の生まれを表しているかのようだ。
彼は生まれた時から注目を集める男だった。
癖のある髪。アーチ型の綺麗な眉。切れ長の鋭い瞳。スッと通った鼻筋と薄い唇。そして綺麗に並んだ白い歯。声は年代物のバーボーンのように滑らかで、そしてハスキーで官能的。まさに抗いがたい魅力を持つ男だ。
そんな男が降り立ったのは某国大使館の入口。
彼はこれからその大使館で行われるパーティーに参加するためここに来た。
彼の名前は道明寺司。
道明寺財閥の御曹司で、世界的な大企業、道明寺ホールディングス日本支社の支社長を務めている。
そんな男に向けられるのは、見知らぬ大勢の女たちからの羨望のまなざし。
世界中から理想の男性と言われ、訪れる国によっては国家元首並の扱いを受ける。
彼の物腰と自信は、そこらの成金が身に付けようとしても身に付けられるものではない。
生まれと育ちの良さと教養がそうさせていた。
まさに誰もが知る男で、リッチなプレイボーイだと思われていた。
だが、そんな彼には別の顔もあった。
それは・・・
ある情報機関に所属する諜報員。
つまりスパイ。
コードネームはスネーク。
なぜ彼のコードネームがスネークなのか?
楽園でイブにりんごを食べるようそそのかしたのは蛇だ。
アダムとイブは蛇の勧めたりんごを食べたため、楽園を追われ原罪を受けた。
その神話に基づいたかのように、彼はタキシードを着た誘惑の悪魔と言われている。
女を惑わすことにかけては、彼の右に出る者はいないとまで言われていた。
そんな男に不可能なミッションはなかった。
どこかの映画のように変装することはない。
彼の武器はその美貌。
そしてどこか感じられる危険な炎。
それは暗く怪しく官能的な炎。
そんな炎に引き寄せられるのは女だけではない。
男たちもまた彼の危険な暗部に興味を抱いていた。
誰も彼もが彼と話しをしたいと近寄ろうとする。
だが今夜の司はそんな大勢の人間の相手をしている暇はなかった。
男が今夜このパーティーに参加したのには、ある目的があった。
スラックスを刻一刻とキツクさせる女。
男の体の特定の部分だけを変化させる女。
それは敵対する某国の女スパイ、牧野つくし。
今までも大使館のパーティーでは何度か見かけていた。
だが、本当の名前を知ったのはつい最近のことだ。それまでは謎の女として、いくつかの名前を使い分けていた。
女はその頭脳の良さを使ってコンピーターのシステムから情報を盗んでいた。決して痕跡を残すことはぜず、素早く、鮮やかな手口だ。そんなことから、司も何度かその女に先を越されたことがあった。
だが今回の仕事は情報を盗むことではない。
今夜の任務は女を寝返えらせること。
そして彼の女にすることだ。
招待客でいっぱいの広間の壁際に立つ女。
黒いシンプルなドレスにダイヤモンドのネックレス。黒い髪は頭の上で緩やかに纏められている。そして、大きな黒い瞳がダイヤモンドに負けないくらいの輝きを放っていた。
じっと見つめる視線に気づいたのか、女は司の方を向くと視線を合わせた。
彼はウェイターが捧げ持つトレーからシャンパンを手にすると、女の元へと近づいた。
「こんばんは。おひとりですか?」
「いいえ。連れがいますの。でも今は殿方の集まりに行ってますわ。」
「そうですか。今まで何度かお見かけしましたが、いつもおひとりだったと記憶しておりますが?」
「そう仰るあなたもですね?道明寺さん?」
司は鈴を転がすような声で名前を呼ばれ、そそられた。
大きな黒い瞳はあなたのことは全てお見通しよ、とばかり輝いていた。
司はシャンパンを飲み干すと、女の顔をじっと見つめた。
頭がよく、勇敢でセクシーな女。
まるで俺のために用意されたような女。
「踊らないか?」
生演奏の官能的な調べはタンゴ。
踊りながら互い体をぴったりとくっつけた。腕の中に包み込むように抱いた女は司の肩ほどの高さしかない。ふわりと香ったのは、女の髪から香る洗い立ての香り。
司の太腿と女の太腿が触れ、長い脚を女の脚の間に入れ、背中をのけ反らせた。
顔を近づけると大きな瞳を飾る睫毛の1本1本まで見えた。
二人は踊りながら広い広間を横切ると、鍵のかかっていない薄暗い部屋へとなだれ込んだ。
男と女は危険を冒すことをいとわない人間だ。
もしこれからこの場所で愛し合えと言うのなら、彼は喜んでそのミッションに従う。
だが、この出会いをゲームにはしたくない。
司は牧野つくしが心の底から欲しいと感じていた。
二人の間には何か独特のものがある。
それは決して断ち切ることの出来ない絆のようなもの。
アダムとイブがいたという楽園から追放されたのは、自分たちではないかという想い。
司は牧野つくしの大きく開いた背中に指を這わせた。
ゆっくりと。
焦らすように。
彼の体温が伝わるように。
細い腰に腕を廻したまま、マホガニーのデスクに押し付けていた。
司はつくしに体を重ね、いきなり唇を重ねた。
女の髪を解き、長い指先で丁寧に梳く。指に纏わりつく髪はしなやかで柔らかい。
だが、唇は決して離さない。押し付けた唇で女の唇を開かせ、舌で歯列をなぞる。
やがて男の手は、女のドレスの裾をゆっくりと持ち上げて行く。
そこに現れた太腿は、黒のガーターストッキングに包まれていた。
ガーターストッキングのいいところは、それを脱ぐことなくヤレることだ。
秘部を隠しているのは小さなシルク。
すでにソコは色が変わり、指で触れればはっきりと濡れているのが感じられた。
刺激的で途方もなく淫らなこの状況。
この部屋のドアに鍵はかけなかった。
いつ誰が入ってきても、おかしくはない。
それはこの部屋の主かもしれない。
スラックスの生地の形を変えるほど立ち上がった男の証。
司はその膨らみを女の濡れたソコに押し付けた。
「・・っふ・・ん・・」
悩まし気な声を上げる女は、今のこのスリリングな状況を楽しんでいるかのようだ。
本来ならベッドのある部屋が望ましい。だがこの部屋にはベッドはない。
この女と愛し合うなら堅いデスクではなく、柔らかいベッドの上がいい。
今ならまだ間に合うはずだ。
そう思いながら司は小さな物音に気付くと、後ろを振り返った。するとドアの内側に黒づくめの男がいた。そして男の手にはキラリと光る何かが見えた。
「危ない!」
「わかってる。おまえは心配するな」
司は言うよりも早く彼の右手には銃が握られていた。
左手を添えると、標的に向けて構えた。
狙った獲物は逃さねぇ。
彼の射撃の腕前は超一流。照準は確かだ。
「・・・し・・しゃ・・」
「し・・しゃちょ・・」
「支社長」
「支社長。大変申し訳ございませんが、わたくしに向かってその構えはお止め下さい」
「あ?」
司は指で作った銃の照準を西田に向かって合わせていた。
「ですから、そのように銃を構えるかのような姿勢はお止め下さい」
・・・やべぇ・・
もう少しで西田を射殺するところだったか?
だが西田であろうが誰であろうが、俺の牧野つくしを盗む野郎を生かしておくわけにはいかねぇ。
いや。盗まれたのは俺の方だ。
司が盗まれたものは彼のハート。
それは17歳の時すでに盗まれていた。
牧野はスパイどころか、大泥棒だ。
司はいつも考えていた。
たとえ、大企業のトップにいようと、経済界の頂点にいようと、原点回帰は大切だということを。どんなことがあってもそれだけは忘れてはならない。
それは人生にもビジネスにも言えることで、彼にとっては自分の人生が間違った方向に進まないためにも忘れてはならないことだ。
司の人生の原点。
それはもちろん牧野つくしと出会った日。
欲の塊ばかりの人間に囲まれていた頃、出会った彼の原点だ。
牧野と知り合ってから、俺の人生が変わったのは言うまでもない話しだ。
それまでは誰も彼の傍へは近づこうとは、しなかった。
だが今は違う。
牧野のおかげで、あいつのおかげで俺の周りにも人が集まることがある。
それは彼が大物になってきた証だ。本物の大物には、金や権力以外でもその人柄に惹かれ、人が集まってくるようになるからだ。
そんなことを考えていた司の元に、パソコンを抱えて牧野が飛び込んで来た。
なんだよ?
どうした?
パソコンの調子が悪いのか?
なんならすぐにでも新しいのを用意させるか?
「ちょっと道明寺大丈夫なの?」
「あ?」
「あって・・体調が悪いってメールが来たから心配になって・・」
そう言って昼休みに執務室まで来る女はいとしの牧野。
「ああ。なんかここが痛てぇんだ」
「こ、ここって・・」
司が指示したのは胸。
そこはいつもつくしのことを思って激しく鼓動していた。
先日の一件、つまり卑猥な内容のメールを送った結果、つくしが執務室に飛び込んで来て以来、社内メールが癖になった司。例え返信がなくても溢れる思いを書き綴ること止めようとはしなかった。いつも気の向くまま、思うまま一方的にメールを送り続けていた。
だがそれが司のストレス解消となるなら、と、つくしも認めていた。
読んだのか読んでないかと心配する必要はなかった。
彼の会社のメールのシステムでは、相手が読んだかどうかが瞬時にわかるシステムになっているからだ。既読されているとわかると頬が緩んだ。
それを見る西田も、支社長の業務が円滑に進むならと容認していた。
司は既読されていることで、気持ちを伝えることが出来たといつも満足していた。
だが、たまにはつくしが執務室に飛び込んで来て欲しいと思うこともあった。
そんな司が考えたのがあのメール。実にストレートで分かり易い。究極の文字の並び。
その結果、見事牧野をここへおびき寄せることが出来たんだから大したモンだろ?
「心臓が痛む」
この一行を読んだ牧野はいつもと違う俺からのメールにこうしてやって来た。
勿論、本当に心臓が痛いわけじゃねぇ。ただ、そんなメールを送ればどんな言葉が返されるかと期待したから送った。それなのに、牧野はわざわざ執務室までやって来た。
やっぱりこいつは、俺のことを心から愛していて、心配してるってことだよな?
「で、牧野。他にも送ったメールがあったろ?あれ読んだか?」
「な、なにそれ?あれだけじゃないの?読んでないわよ?いつ送ったのよ?」
「いつってあれからあんまし時間空けねぇで送ったけどな?」
つくしは持ってきたパソコンのメールを確認したが届いていなかった。
「道明寺?届いてないけど?」
「_んなわけねぇだろ?貸してみろよ?」
司はつくしのパソコンのメール受信を確認した。
が、送ったはずのメールは届いていなかった。
「ま、まさか間違えて送ったんじゃ・・」
二人は互いの顔を見合わせたが、言葉はなかった。
あのメールはいったいどこへ送信されたのか?
司は慌ててパソコンのメール送信履歴を見た。
「ねぇ知ってる?うちの会社のメールがハッキングされたんじゃないかって話し」
「うん。聞いた。なんでも支社長の名前で変なメールが届いたんでしょ?」
「そうなのよ。それもいやらしいことが書いてあったそうよ?」
「ええっ!そうなの?」
「なんでもかなり卑猥な内容だったらしくてね?犯人は誰だって話になってるらしいわよ?」
「それで、犯人はわかったの?」
「それがね、わからないそうよ?」
「それで、誰がそのメールを受け取ったの?」
「それがね・・」
送信者名 道明寺ホールディングス 道明寺司。
受信者名 海外事業本部 部長 牧田又蔵。
「ぶ、、部長!!」
「ああ、牧野君どうした?」
「お、おかしな内容のメールが届いてるって聞いたんですが!」
「ああ。そうなんだよ。差出人が支社長のお名前なんだか、内容がどうもおかしいんだ」
「あの、見せて頂いてもいいですか?」
「そんなことより牧野君、息が切れてるよ?走って来たのか?」
つくしは司の執務室から駆け下りて来た。
「み、見せて頂いてもいいですか?だ、誰か他に見た人は・・」
「いや。見せてはいないが、おかしなメールが届いたことだけは話をしたな。流石にあの内容を女性社員に見せるとセクハラになるからな。それに支社長のお名前であんなメールを送るなんて不届き者がいること自体が問題だ。あの内容では支社長の尊厳に関わる。例え偽装メールだとしても、むやみやたらと人の目に晒すものではないと思っている」
「そ、そうですか。そうですよね・・」
「申し訳ないが牧野君にも見せる訳には・・」
「あれ?おかしいな・・確かこのフォルダーに保存したんだが・・」
牧田又蔵は首を傾げメールを確認したが、そこに問題のメールは無かった。
最近は追いかけなくても、あいつから俺の胸に飛び込んで来ることがあったが、あのメール事件以来、俺から牧野への仕事以外での社内メールは厳禁となった。
クソッ!
あの部長。
なんで牧田なんて名前なんだよ!
司は社内のメールアドレス帳から登録されている牧野つくしのアドレスを選択するとき、選択を間違えていた。
『海外事業本部 部長 牧田又蔵 』
『海外事業本部 牧野つくし 』
俺は悪くねぇ。
紛らわしい名前が上下に並んでるのが悪りぃんだ!
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彼は牧野つくしのことばかり考えてその命を燃やしていた。司が生きていくうえで重要なことは、牧野つくしに必要とされることで、もし必要とされなくなったら絶望的になる。
過去に一度そんな絶望を感じたことがあった。あんな経験はもう二度としたくない。
だが今はそんなことになるとは、ひとかけらの心配もない。今の司は心が浮き立つようなことしかないからだ。
何故なら常に頭の中を巡るのは、その名前の女と愛し合うイメージ。
だからと言って、その思いが頭の中から漏れ出しているというわけではなかった。
いや。彼の傍にいる秘書なら知っているかもしれない。だがそれは実に危険なことだ。
何故なら司は今、大きな任務を背負っているからだ。
疼きと切迫感。
倒錯と官能。
そして危険とアクション。
司の中であるひとつの映像が浮かんでいた。
制服を着た運転手つきの豪華なリムジンから降りてくるタキシード姿の男。
ひと目で上質な生地で仕立てられたとわかる独特の光沢を放つ生地を纏った男。
その出で立ちは彼の生まれを表しているかのようだ。
彼は生まれた時から注目を集める男だった。
癖のある髪。アーチ型の綺麗な眉。切れ長の鋭い瞳。スッと通った鼻筋と薄い唇。そして綺麗に並んだ白い歯。声は年代物のバーボーンのように滑らかで、そしてハスキーで官能的。まさに抗いがたい魅力を持つ男だ。
そんな男が降り立ったのは某国大使館の入口。
彼はこれからその大使館で行われるパーティーに参加するためここに来た。
彼の名前は道明寺司。
道明寺財閥の御曹司で、世界的な大企業、道明寺ホールディングス日本支社の支社長を務めている。
そんな男に向けられるのは、見知らぬ大勢の女たちからの羨望のまなざし。
世界中から理想の男性と言われ、訪れる国によっては国家元首並の扱いを受ける。
彼の物腰と自信は、そこらの成金が身に付けようとしても身に付けられるものではない。
生まれと育ちの良さと教養がそうさせていた。
まさに誰もが知る男で、リッチなプレイボーイだと思われていた。
だが、そんな彼には別の顔もあった。
それは・・・
ある情報機関に所属する諜報員。
つまりスパイ。
コードネームはスネーク。
なぜ彼のコードネームがスネークなのか?
楽園でイブにりんごを食べるようそそのかしたのは蛇だ。
アダムとイブは蛇の勧めたりんごを食べたため、楽園を追われ原罪を受けた。
その神話に基づいたかのように、彼はタキシードを着た誘惑の悪魔と言われている。
女を惑わすことにかけては、彼の右に出る者はいないとまで言われていた。
そんな男に不可能なミッションはなかった。
どこかの映画のように変装することはない。
彼の武器はその美貌。
そしてどこか感じられる危険な炎。
それは暗く怪しく官能的な炎。
そんな炎に引き寄せられるのは女だけではない。
男たちもまた彼の危険な暗部に興味を抱いていた。
誰も彼もが彼と話しをしたいと近寄ろうとする。
だが今夜の司はそんな大勢の人間の相手をしている暇はなかった。
男が今夜このパーティーに参加したのには、ある目的があった。
スラックスを刻一刻とキツクさせる女。
男の体の特定の部分だけを変化させる女。
それは敵対する某国の女スパイ、牧野つくし。
今までも大使館のパーティーでは何度か見かけていた。
だが、本当の名前を知ったのはつい最近のことだ。それまでは謎の女として、いくつかの名前を使い分けていた。
女はその頭脳の良さを使ってコンピーターのシステムから情報を盗んでいた。決して痕跡を残すことはぜず、素早く、鮮やかな手口だ。そんなことから、司も何度かその女に先を越されたことがあった。
だが今回の仕事は情報を盗むことではない。
今夜の任務は女を寝返えらせること。
そして彼の女にすることだ。
招待客でいっぱいの広間の壁際に立つ女。
黒いシンプルなドレスにダイヤモンドのネックレス。黒い髪は頭の上で緩やかに纏められている。そして、大きな黒い瞳がダイヤモンドに負けないくらいの輝きを放っていた。
じっと見つめる視線に気づいたのか、女は司の方を向くと視線を合わせた。
彼はウェイターが捧げ持つトレーからシャンパンを手にすると、女の元へと近づいた。
「こんばんは。おひとりですか?」
「いいえ。連れがいますの。でも今は殿方の集まりに行ってますわ。」
「そうですか。今まで何度かお見かけしましたが、いつもおひとりだったと記憶しておりますが?」
「そう仰るあなたもですね?道明寺さん?」
司は鈴を転がすような声で名前を呼ばれ、そそられた。
大きな黒い瞳はあなたのことは全てお見通しよ、とばかり輝いていた。
司はシャンパンを飲み干すと、女の顔をじっと見つめた。
頭がよく、勇敢でセクシーな女。
まるで俺のために用意されたような女。
「踊らないか?」
生演奏の官能的な調べはタンゴ。
踊りながら互い体をぴったりとくっつけた。腕の中に包み込むように抱いた女は司の肩ほどの高さしかない。ふわりと香ったのは、女の髪から香る洗い立ての香り。
司の太腿と女の太腿が触れ、長い脚を女の脚の間に入れ、背中をのけ反らせた。
顔を近づけると大きな瞳を飾る睫毛の1本1本まで見えた。
二人は踊りながら広い広間を横切ると、鍵のかかっていない薄暗い部屋へとなだれ込んだ。
男と女は危険を冒すことをいとわない人間だ。
もしこれからこの場所で愛し合えと言うのなら、彼は喜んでそのミッションに従う。
だが、この出会いをゲームにはしたくない。
司は牧野つくしが心の底から欲しいと感じていた。
二人の間には何か独特のものがある。
それは決して断ち切ることの出来ない絆のようなもの。
アダムとイブがいたという楽園から追放されたのは、自分たちではないかという想い。
司は牧野つくしの大きく開いた背中に指を這わせた。
ゆっくりと。
焦らすように。
彼の体温が伝わるように。
細い腰に腕を廻したまま、マホガニーのデスクに押し付けていた。
司はつくしに体を重ね、いきなり唇を重ねた。
女の髪を解き、長い指先で丁寧に梳く。指に纏わりつく髪はしなやかで柔らかい。
だが、唇は決して離さない。押し付けた唇で女の唇を開かせ、舌で歯列をなぞる。
やがて男の手は、女のドレスの裾をゆっくりと持ち上げて行く。
そこに現れた太腿は、黒のガーターストッキングに包まれていた。
ガーターストッキングのいいところは、それを脱ぐことなくヤレることだ。
秘部を隠しているのは小さなシルク。
すでにソコは色が変わり、指で触れればはっきりと濡れているのが感じられた。
刺激的で途方もなく淫らなこの状況。
この部屋のドアに鍵はかけなかった。
いつ誰が入ってきても、おかしくはない。
それはこの部屋の主かもしれない。
スラックスの生地の形を変えるほど立ち上がった男の証。
司はその膨らみを女の濡れたソコに押し付けた。
「・・っふ・・ん・・」
悩まし気な声を上げる女は、今のこのスリリングな状況を楽しんでいるかのようだ。
本来ならベッドのある部屋が望ましい。だがこの部屋にはベッドはない。
この女と愛し合うなら堅いデスクではなく、柔らかいベッドの上がいい。
今ならまだ間に合うはずだ。
そう思いながら司は小さな物音に気付くと、後ろを振り返った。するとドアの内側に黒づくめの男がいた。そして男の手にはキラリと光る何かが見えた。
「危ない!」
「わかってる。おまえは心配するな」
司は言うよりも早く彼の右手には銃が握られていた。
左手を添えると、標的に向けて構えた。
狙った獲物は逃さねぇ。
彼の射撃の腕前は超一流。照準は確かだ。
「・・・し・・しゃ・・」
「し・・しゃちょ・・」
「支社長」
「支社長。大変申し訳ございませんが、わたくしに向かってその構えはお止め下さい」
「あ?」
司は指で作った銃の照準を西田に向かって合わせていた。
「ですから、そのように銃を構えるかのような姿勢はお止め下さい」
・・・やべぇ・・
もう少しで西田を射殺するところだったか?
だが西田であろうが誰であろうが、俺の牧野つくしを盗む野郎を生かしておくわけにはいかねぇ。
いや。盗まれたのは俺の方だ。
司が盗まれたものは彼のハート。
それは17歳の時すでに盗まれていた。
牧野はスパイどころか、大泥棒だ。
司はいつも考えていた。
たとえ、大企業のトップにいようと、経済界の頂点にいようと、原点回帰は大切だということを。どんなことがあってもそれだけは忘れてはならない。
それは人生にもビジネスにも言えることで、彼にとっては自分の人生が間違った方向に進まないためにも忘れてはならないことだ。
司の人生の原点。
それはもちろん牧野つくしと出会った日。
欲の塊ばかりの人間に囲まれていた頃、出会った彼の原点だ。
牧野と知り合ってから、俺の人生が変わったのは言うまでもない話しだ。
それまでは誰も彼の傍へは近づこうとは、しなかった。
だが今は違う。
牧野のおかげで、あいつのおかげで俺の周りにも人が集まることがある。
それは彼が大物になってきた証だ。本物の大物には、金や権力以外でもその人柄に惹かれ、人が集まってくるようになるからだ。
そんなことを考えていた司の元に、パソコンを抱えて牧野が飛び込んで来た。
なんだよ?
どうした?
パソコンの調子が悪いのか?
なんならすぐにでも新しいのを用意させるか?
「ちょっと道明寺大丈夫なの?」
「あ?」
「あって・・体調が悪いってメールが来たから心配になって・・」
そう言って昼休みに執務室まで来る女はいとしの牧野。
「ああ。なんかここが痛てぇんだ」
「こ、ここって・・」
司が指示したのは胸。
そこはいつもつくしのことを思って激しく鼓動していた。
先日の一件、つまり卑猥な内容のメールを送った結果、つくしが執務室に飛び込んで来て以来、社内メールが癖になった司。例え返信がなくても溢れる思いを書き綴ること止めようとはしなかった。いつも気の向くまま、思うまま一方的にメールを送り続けていた。
だがそれが司のストレス解消となるなら、と、つくしも認めていた。
読んだのか読んでないかと心配する必要はなかった。
彼の会社のメールのシステムでは、相手が読んだかどうかが瞬時にわかるシステムになっているからだ。既読されているとわかると頬が緩んだ。
それを見る西田も、支社長の業務が円滑に進むならと容認していた。
司は既読されていることで、気持ちを伝えることが出来たといつも満足していた。
だが、たまにはつくしが執務室に飛び込んで来て欲しいと思うこともあった。
そんな司が考えたのがあのメール。実にストレートで分かり易い。究極の文字の並び。
その結果、見事牧野をここへおびき寄せることが出来たんだから大したモンだろ?
「心臓が痛む」
この一行を読んだ牧野はいつもと違う俺からのメールにこうしてやって来た。
勿論、本当に心臓が痛いわけじゃねぇ。ただ、そんなメールを送ればどんな言葉が返されるかと期待したから送った。それなのに、牧野はわざわざ執務室までやって来た。
やっぱりこいつは、俺のことを心から愛していて、心配してるってことだよな?
「で、牧野。他にも送ったメールがあったろ?あれ読んだか?」
「な、なにそれ?あれだけじゃないの?読んでないわよ?いつ送ったのよ?」
「いつってあれからあんまし時間空けねぇで送ったけどな?」
つくしは持ってきたパソコンのメールを確認したが届いていなかった。
「道明寺?届いてないけど?」
「_んなわけねぇだろ?貸してみろよ?」
司はつくしのパソコンのメール受信を確認した。
が、送ったはずのメールは届いていなかった。
「ま、まさか間違えて送ったんじゃ・・」
二人は互いの顔を見合わせたが、言葉はなかった。
あのメールはいったいどこへ送信されたのか?
司は慌ててパソコンのメール送信履歴を見た。
「ねぇ知ってる?うちの会社のメールがハッキングされたんじゃないかって話し」
「うん。聞いた。なんでも支社長の名前で変なメールが届いたんでしょ?」
「そうなのよ。それもいやらしいことが書いてあったそうよ?」
「ええっ!そうなの?」
「なんでもかなり卑猥な内容だったらしくてね?犯人は誰だって話になってるらしいわよ?」
「それで、犯人はわかったの?」
「それがね、わからないそうよ?」
「それで、誰がそのメールを受け取ったの?」
「それがね・・」
送信者名 道明寺ホールディングス 道明寺司。
受信者名 海外事業本部 部長 牧田又蔵。
「ぶ、、部長!!」
「ああ、牧野君どうした?」
「お、おかしな内容のメールが届いてるって聞いたんですが!」
「ああ。そうなんだよ。差出人が支社長のお名前なんだか、内容がどうもおかしいんだ」
「あの、見せて頂いてもいいですか?」
「そんなことより牧野君、息が切れてるよ?走って来たのか?」
つくしは司の執務室から駆け下りて来た。
「み、見せて頂いてもいいですか?だ、誰か他に見た人は・・」
「いや。見せてはいないが、おかしなメールが届いたことだけは話をしたな。流石にあの内容を女性社員に見せるとセクハラになるからな。それに支社長のお名前であんなメールを送るなんて不届き者がいること自体が問題だ。あの内容では支社長の尊厳に関わる。例え偽装メールだとしても、むやみやたらと人の目に晒すものではないと思っている」
「そ、そうですか。そうですよね・・」
「申し訳ないが牧野君にも見せる訳には・・」
「あれ?おかしいな・・確かこのフォルダーに保存したんだが・・」
牧田又蔵は首を傾げメールを確認したが、そこに問題のメールは無かった。
最近は追いかけなくても、あいつから俺の胸に飛び込んで来ることがあったが、あのメール事件以来、俺から牧野への仕事以外での社内メールは厳禁となった。
クソッ!
あの部長。
なんで牧田なんて名前なんだよ!
司は社内のメールアドレス帳から登録されている牧野つくしのアドレスを選択するとき、選択を間違えていた。
『海外事業本部 部長 牧田又蔵 』
『海外事業本部 牧野つくし 』
俺は悪くねぇ。
紛らわしい名前が上下に並んでるのが悪りぃんだ!
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