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2018
08.11

出逢いは嵐のように 91

心の中で突っ張っていたものが外れる。
自分の気持を洗いざらい喋った後は、すっきりするもので、何かから解放されたような気になっていた。そして心の奥を覗いてみれば、その人が忘れられない人になることは頭の片隅にあったはずだ。ただ、はじめはそれを認めたくなかったが、自分をここまで必要としてくれる人間がいることに歓びを感じた。
普通の恋人の付き合いをすると言った男のまっしぐらで強引な性分は、知り合って行くうちに理解していたはずだ。
そして今まで恋をしたことがないという男の真摯な言葉と態度は、臥した動物のそれに似ていると思ったが、それは二人の隣にいるドーベルマンが伏せをして頭を抱えた様子に似ていたが、まさか犬が見ている前でキスをするとは思いもしなかった。








「どこまで逃げたのか知りませんけど、捕まることは分かってるのにどうして逃げたんですか?道明寺邸にいて道明寺副社長から逃げることが出来ると思ってるんですか?そんなの無理だって分かってますよね?ほら先輩。髪の毛に芝。付いてますよ?誰も芝の上で犬とじゃれあってたとは思いませんけど、お二人は何をしてたんでしょうね?」

二人が連れ立って戻って来たとき先ず口を開いたのは桜子だった。

「髪に絡まってる芝ってのは色々と掻き立てられるものがあるが、まさか青空の下でってことはないよな。司?」

ニヤッと笑ったあきらに、司はうるせぇ黙ってろ、といった視線を向けた。
そしてそこには、庭の見学に行くと言ってテーブルを離れていた別室の4人も戻って来ていて、ビールやレモネードがそれぞれの手に握られていた。

「ゼウス!久し振り!元気だった?」

と言って美奈は司の後ろに控えていた犬に駆け寄り、頭を掻き混ぜるように撫でていたが、ゼウスは嬉しそうに美奈の匂いを嗅いでいた。そして美奈が「ゼウス、カモン!」と言って走り出すとゼウスは司の顔を仰ぎ見て、主が頷く姿を確認すると美奈の後ろを追いかけ、すぐに追い付いた。そして美奈の周りをくるくると回りながら一人と一頭ははしゃいでいた。

「美奈ったら。いい年をして子供みたいにはしゃいでいるわね。でも美奈も二十歳でゼウスも人間でいえば二十歳過ぎですものね。あの子たち気があうのかしらね?
それにあの子は強気に見えるけど隆信さんとのことがあったからああ見えて傷付いているし離婚のことでストレスが溜まっているはず。こうして気晴らしに動物と触れ合うのもいいのかもしれないわね」

椿は娘が弱音を吐くこともなく過去は過去だと割り切り前を向く姿が自分に似ていると思いながらも、大人になった我が子が心の傷を隠していることを知っていた。
そして美奈が発端になった弟の恋について思いを巡らせたが、椿の前に現れたどこか恥ずかしそうな顔をした女性の姿を見た瞬間、彼女が弟を許したのだと分かった。

「….あの。突然いなくなって申し訳ございませんでした」

頭を下げたつくしに、

「あら。いいのよ。気にしないで。色々と迷惑をかけたのは娘と弟ですもの」

と言った椿は別室のメンバーの手前詳しくは言わなかったが、つくしには十分意味は伝わっていた。
そして司は椿の言葉に表情こそ変えなかったが、感じられる空気はよかったわね。と声をかければきっとこんな表情になるだろうといった顔をしていたが、それは幼い頃よく見せた顔でもあった。

「さあ。皆さん。二人も戻って来たことだし乾杯でもしましょうか」

「姉ちゃん何に乾杯するんだ?司が獲物を捕まえて戻って来たことにか?それに司のことだ。ドーベルマン並に獲物を追ったはずだ」

この場にいる人間は、あきらの言葉に甘やかさが含まれていることに気付いていて、好きな女が逃げれば追う。それが太古から動物のオスが備えた本能であり、狩りをすることが男としての役割であった頃からの愛情の表現の仕方だと分かっている。だからあきらの言葉に誰もが頷いたはずだ。

「そうよ。だって司は_」と椿が言いかけたところで遮ったのは司だ。

「訊いて欲しいことがある。ここにいる人間は俺と牧野つくしの関係を知っていることを前提に話しをする」

司の改まった声色に全員が彼に注目した。

「美奈!戻ってらっしゃい」

椿が言うと美奈はゼウスを連れ戻って来た。
そしてゼウスは美奈の隣で主の方を向きお座りをした。それを見た司は真顔で言葉を継いだ。

「俺と牧野つくしは付き合うことにした。二人の間には少しばかりの問題があった。それは俺が彼女に不信感を与えたことだがそのことについては解決済みだと思ってもらっていい」

司は隣にいた女の肩に手をかけた。
その瞬間つくしの身体は強く引き寄せられよろめき、抱きとめられた。
そしてここにいる人間の視線は、つくしが何か言うのではないかと彼女に集中した。
だが何も言わない彼女の代わりに口を開いた司の方へ視線は戻った。

「それから俺たちの付き合いは結婚を前提だと思ってくれ」

一瞬の間の後、良かったですね!おめでとうございます!と声をかけたのは佐々木純子だ。
そしてその後に、技術の田中と財務の小島も同じように良かったですね。と声を上げた。

「それにしても僕どうなるかと思ったんですよ?お庭から戻ってくればお二人はいないし、どこへ行ったんですかって訊いたら牧野さんが急に駆け出したって言うし、副社長が追いかけて行ったのは分かりましたけど、どうなっちゃうんだろうって本当心配したんですよ?」

沢田は良かったといった顔で二人を見比べる。

「良かった!つくしさんが駆け出して行った時、どうなることかと思ったの。でも叔父様の真剣な顔を見たら絶対につくしさんを逃がさないと分かったわ」

そう言った美奈は椿にホッとした表情を見せたが、それは自分が駄目にしてしまった叔父の恋が叶った嬉しさの表れだ。そしてドーベルマンは美奈が興奮する理由は既に知っているといった様子で小さく尻尾を振った。

「そうか。司は牧野つくしに誠意を見せたってことか。ま、そういうことなら俺たちの出番は無いってことだな?」

と言ったあきらは桜子に視線を向けた。

「そういうことになりますね」

答えた桜子は不満をあらわにはしなかったが、その口振りはどこか残念そうだった。

「お?不満そうだな?その口振りじゃ君は司を苦しめてやりたいと思ってるようだな?」

「いいえ。副社長が先輩に対しきちんと誠意を見せたならそれでいいと思ってますから、苦しめるとか苦しまないとかそんなことは考えてもいません」

「へぇ~。そうか。それならこの二人を祝福してやろうじゃないか。なんだかんだあっても今はいい感じだ。司も色々と考えさせられたことだし、これからは何があっても彼女のことだけを考えるはずだ。そうだろ?司?ま、今回のことは女に対して一定の距離を置くことが当たり前だった男に対して神様が与えた試練だったってことだ」

あきらにしてみれば、本当なら女を弄ぶようなことを考えるからだと言いたかったが、さすがに親睦を深めるといった名目で開かれたバーベキューパーティーに参加している社員たちの前では口にしなかった。

司はそれぞれが思いを述べると、つくしを抱きとめたまま言った。

「あきら。大人の恋愛に必要なのは素直な気持ちと相手を思いやる心だが、俺はそれに鈍感だった。気づくのが遅かった。人間は生きているうちに否応なしに色んなものを身に纏うが、これだと思う女に出会った時は色眼鏡は外した方がいいぞ。つまり先入観に囚われるなってことだ」

と言って口角を上げ笑った男の顔に、「まったくよく言うぜ」とあきらは返し、急に悪戯っぽい目をした男に片眉を上げてみせたが、その瞬間目の前の男は腕の中の女が息も出来ないほどのキスをしていた。





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明日から1週間程お休み致します。
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2018
08.09

出逢いは嵐のように 90

『何か言ってくれ』

それに対しての返事はなかった。
だから司は言葉を継いだが声は引き締まっていた。

「今後の仕事だが私生活が仕事に影響を与えるというなら出向期間を短縮すればいい。滝川産業に戻りたいというならそうしよう」

それは彼女が同じ職場では嫌だというなら本来の職場に戻してやろうと思ったからだが、そもそも出向させた目的は美奈の願いを聞き入れることだったのだから、本人が希望するならそうしなければならなかった。だからその考えを口にしたが、やはり返事はなかった。


「…空」

「空?空がどうかしたのか?」

彼女の口から漏れた言葉は空。

「はい。空が青いですね。それにここが東京だとは信じられないほど静かですね」

突然彼女が語り出したのは東京の空の話。
司に抱かれたままの女は二人の上に広がる空を見上げているが、それは司も同じだ。
そして二人が見上げる晴れた空には薄い筋雲さえ見えず、青が視界の全てを覆いつくしていた。

「ニューヨークの空は東京の空と同じで都会の顔をしていました。でもどこか違うんです。副社長は長年ニューヨークにお住まいでしたから東京の空とニューヨークの空の違いが判ると思います。でも空は繋がっていてひとつです。だからどこの国の空も同じ空のはずです。でも私があの街で見た空は沢山の新しい発見をさせてくれる空だと感じました。それはあの街に住む人の中にはあの街で夢を叶えようと思う人が沢山いたからだと思います。だって昔からニューヨークと言えばチャンスはどこにでも転がっていると言われた街ですから自分が行動さえすればチャンスを掴むことが出来る街だと思います」

司はニューヨークの空など見上げたことがない。
執務室の窓から見える景色に興味はなく、それはジェットに乗り込みどこかの国を訪れるための移動の時も同じだ。そして空がひとつなのは当たり前のことで、空を見上げたからといって新しい何かを発見したことなどない。けれど、牧野つくしはニューヨークの空は新しい発見をさせてくれる空だと言った。

そしてあの街にはチャンスが転がっているというが、そのチャンスを掴むことが出来るのは、努力と幸運に恵まれた一握りの人間だがそれはごく稀なこと。だが彼女はあの街で人生の転機を迎えたといった風に言ったがそうだったのだろう。

「私、言いましたよね。副社長と恋をしようと決めたとき恋を楽しみたいと考えたと。私は副社長と結婚することを望んでいたのではないと」

「ああ。そうだな。確かにそう言った。俺もそう言われた時その方が都合がよかった」

司は当時の思いを正直に言った。
男にとって結婚を求めない女は都合のいい女。
そして女に縛られたくない男にとっては理想的な関係だ。
だが今は全く違う。彼女になら縛られたい。そして彼女が自分の傍にいてくれることを望んでいた。


「ええ。それは勿論私も分かっていました。それでも私は副社長のことを知りたいと思いました。どんな顔を持つ人なのか。謎があるならその謎を知りたいと思いました。世間が知らない副社長の一面を知ることが出来ることが嬉しかったんです。付き合って行く中で新しい発見が出来ると思っていました。それはあの空の下にいたからだと思います。ほら外国にいると何だか自分が変わったようになりませんか?いえ….副社長は住まいとしてあの街に暮らしていたのですからそんな風に感じることはなかったと思います。でも旅って別の自分を発見することが出来ると思うんです。だから私はあの街で新しい自分を発見した。そして副社長のことをもっと知りたいと思いました。朝起きた時は機嫌が悪いのか。新聞はテレビ欄から読むのか。それとも一面から読むのか。でも副社長はテレビ欄を御覧になることはないでしょう。それでも知りたかった。それから何が好きで何が嫌いなのか。
あの日…..あの日曜。私は新しいフライパンで料理をご馳走しようと思いました。そして頭に浮かんだ疑問に答えが出るのを楽しみにしていました。それは副社長が先ほどおっしゃった普通の恋人同士のはじまりを始めように当てはまることです」

彼女は一旦口を閉じた。そして青い空に向かって大きく深呼吸をした。

「…..副社長。本当に私ともう一度付き合いたいと思いますか?私と普通の恋人の付き合いをしたいと思いますか?」

司はつくしの言葉に全身に歓びが広がっていくのを感じ、細胞が目を覚ました。
抱きしめていることで五感のうち聴覚と臭覚と触覚の三つの感覚で彼女の気持を感じ取った。だがあとふたつの感覚がまだだった。
それは味覚。今すぐ唇にキスをしたい。そして彼女の唇を味わいたい。
そして視覚。彼女の顔を見たい。見て言葉を伝えたい。

「ああ。お前と普通の恋人の付き合いがしたい。これからそれをしていかないか。俺はお前が作ってくれるものならどんなものでも食べてみたいと思う。寝起きの機嫌が悪いかはこれから確かめてくれればいい」

司は身体を反転させ、彼女を芝に横たわらせ、手を頭の両脇に着き、向き合い上から見下ろした。
背中に陽射しを浴びた司の身体は、大きな影となって彼女の顔に落ちたが、その姿勢でただ彼女を見つめた。

「牧野。俺はこれからお前にキスをする。もし嫌なら嫌だと言ってくれ」

だが彼女は何も答えなかった。
司も嫌なら嫌だと言って欲しいとは言ったが、嫌だと言われたとしても意識の全ては彼女に向けられていて、思いは避けられない状態だ。だから今のこの状況で止めることなど出来ないと分かっていた。
それからゆっくりと顔を近づけて行ったが、ほんの数センチも離れていないところで止め再び訊いた。

「いいんだな?」

その問いかけに黒く大きな瞳は黙って司を見上げていたが、目を閉じるとキスを受け止めた。





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2018
08.08

出逢いは嵐のように 89

気配を感じ振り返ったそこにいたのは黒いドーベルマン犬。
ドイツ生まれで警備犬、軍用犬として活躍している犬は護衛能力が高い犬で飼い主を守るには最適の犬だと言われているが、そのドーベルマンがつくしの前にしゃがみこんだ姿でいて身動きせずにじっとこちらを見つめていた。

犬が迷い犬ではない事は一目瞭然だ。
強固なセキュリティ対策が施されたこの邸に人であれ動物であれ侵入することは先ず出来ないからだ。それに犬には首輪が嵌められていた。そう考えればその犬が道明寺邸の警備犬であることが分かるが、ここでは警備のため犬が放し飼いにされているのだろうか。
だがそうなら注意を受けるはずだが、そんな話は訊かなかったが、もしかすると入ってはいけない場所に迷い込んでしまったのだろうか。

もしそうだとすれば、早々にこの場から立ち去らなければと思った。
何故ならこのドーベルマンが警備犬なら間違いなく見知らぬ人物を、つまりつくしを侵入者と見なし襲い掛かる可能性があるからだ。
だが犬はうなり声も吠え声もあげることなく、ただその場でじっとつくしを見て動こうとはしなかった。

つくしは犬には慣れている。
隣の岡村恵子の家にチワワのレオンがいるからだ。とは言えドーベルマンとチワワでは同じイヌ科だとしても、あまりにも違い過ぎる。もしチワワのレオンがここにいたとすれば、ドーベルマンを見て何を思うだろう。自分の身体よりも数倍大きな犬と、鼻と鼻をつけるようにして匂いを嗅ぎあったり、お尻を嗅ぎあう犬同士の挨拶をすることが出来るだろうか。
そしてドーベルマンはレオンを見て何を思うだろうか。なんだ。ネズミか?そんなことを思うような気がしたが、そんなことを考えている場合ではないはずだ。とにかくここを立ち去らなければならない。

だがどうやって立ち去ろう。
いきなり走れば追いかけて来ることは分かる。それなら少しずつ遠ざかればいいだろうか。
熊に出会ったら後ろ向きでゆっくりと下がるといいと言われるが、犬の場合はどうすればいいのだろう。それにしも、まさかここでドーベルマンと視線を合わせるとは思いもしなかった。
そして黒い犬は耳をピンと立て、周囲の音を訊いているようだが、つくしが見つめていると口を開け笑っているような顔をした。

「動くなよ。牧野。走って逃げるな。その犬は知らない人間が急な動きをすれば飛びかかるように訓練されている。だからじっとしてろ」

犬と対峙していて気付かなかったが、後ろから男の声がしてびっくりしてしまった。
そして動くなと言われた女は前を向いたまま微動だにしなかった。

「副社長?」

「ゼウス。伏せだ」

男はつくしの隣に並ぶと犬に向かって言った。
すると犬は命令された通り伏せをした。そして司の顔をじっと見ている。

「ゼウス?」

「そうだ。こいつの名前はゼウス。ギリシャの神々の中で一番偉い神の名前がこいつの名前だ。ゼウスはうちの警備犬だ。主人を守る為に訓練されている。とても賢い犬で飼い主の言葉に忠実だ」

ゼウスは自分が褒められたことが分かるのか。短い尻尾を振った。

「こいつは俺が日本へ帰国してから飼い始めた犬だ。多少気難しいところがある犬で面倒を見ている人間と俺以外には懐かない。それにこいつから走って逃げようとしても無駄だ。絶対に逃げることは出来ない」

司は牧野つくしが庭に向かって走り出してから、自分が追いかけると同時に犬の管理小屋に赴き、彼女が椅子に掛けていたカーディガンをゼウスに嗅がせ追わせた。そして命令された犬は建物の角を曲がり、庭木が生い茂っている場所を抜け、彼女が立ち止まっている所を見つけると静かに後ろに付け主が現れるのを待っていた。

「それにしても、お前は足が速いな。まあお前がそんな風に走ってくれるならゼウスが喜んで付き合ってくれるはずだ。こいつは走るのが好きだ。遊んでくれる人間は大歓迎だ。何しろこいつはまだ若い。人間の年齢に置き換えれば二十歳過ぎだ。遊びたい盛りの年頃だ。なあゼウス?」

そう言って手を動かした男の動作にゼウスはお座りの姿勢を取った。
ドーベルマンはその姿勢であがめるように主をじっと見つめ何かを期待している顔をしていたが、男が近づき頭を撫で始めると気持ちよさそうに目を閉じた。それは信頼関係があるから出来る行為で、主がひと言命令すれば鋭い牙を剥き敵とみなした人間を攻撃するはずだ。

つくしは逃げて来た。
道明寺司の傍から。それなのに、直ぐに見つけられた。犬まで使って見つけられた。
まさか犬が追いかけて来ていたとは知らなかったが、せっかく一生懸命走ったのにすぐに見つけられたことが悔しかった。

そして逃げた理由は明らかだ。嘘をついたことを許して欲しいなら結婚して下さいと言ったが、それに対し喜んでお前と結婚しよう。結婚してくれと言った男にレモネードをぶっかけたからだ。
だが何故そんなことをしたのか。桜子の声が自分の言葉に責任を持つのが大人だと言っているのが聞えたが、もしその通りにするならつくしは道明寺司と結婚しなければいけない。
何しろ相手もその意思があるのだから。

だがつくしは今の自分がいったい何がしたいのか分からなかった。
はっきり言って頭が混乱していた。飲んだのはレモネードであってアルコールではないのだから、酔っているはずもないのだが、何故こんな事態に立ち至ってしまったのか。
それにしても、つくしがこんなに思考を巡らせているというのに、目の前の男は優雅に犬の頭を撫でている姿に優越感が感じられ、ムカついてきた。だが道明寺司という男とドーベルマンはいかにも相応しい犬だ。そして犬のしなやかな体躯は黒い矢のように獲物に向かっていくはずだ。

つくしは犬が目を閉じていることと、男が犬の頭に手を乗せている姿を見ながら、静かに足を一歩後ろへと引いた。そしてもう片方の足も引いた。犬の片目が一瞬開いたように見えたが、すぐに閉じた。
つくしは男が犬に気を取られている隙に背を向けると、再び走り出していた。
その途端犬が吠えた。そして男が振り返ったと同時にドーベルマンがすぐにつくしに追いつき隣に並んで走っていたが、同じペースで走る犬は襲うつもりはないらしい。
そして犬の顔を見たが、口を開けて笑っているように見えた。
そんな犬に気を取られ前を見ていなかったせいか。何かに躓き身体が前のめりになり、転びそうになったその瞬間、後ろからウエストに腕を回され、抱きしめられたまま地面に倒れたが、つくしは上を向いていて青い空が見えた。そして彼女の下にいたのは男だ。

「大丈夫か?どこか打ったか?それにしてもお前は走ってどこに行く気だ?邸の中でマラソン大会がしたいならすればいいが、何もこんな暑い中で走る必要があるか?」

つくしは全力疾走で走り、息をあえがせていたが、犬もだが主も走ったという意識がないのか。下から聞こえる息遣いは全く乱れていなかった。
そこで体力の差を感じたが、と同時に頭を過ったのは、いくら芝の上とはいえ、自分の下にいる男は怪我をしたのではないかということだ。それに気づくとその思いをすぐに口にした。

「あの大丈夫ですか?」

つくしは恐る恐る言った。

「ああ。大丈夫だ。俺は普段から鍛える。それに受身の姿勢を取った。しかし突然走り出すのは止めてもらいたい。ゼウスは走ることが出来て楽しそうだがな。あいつは俺以外には懐かないと思ったがお前が走り回るのは好きなようだ」

下から聞こえてくる声は耳元で言われ、くすぐったさを感じたが、すぐ傍に座ったドーベルマンは自分の名前を呼ばれたことで唾液まみれの大きな舌でつくしの顔を舐め始めた。
それはチワワのレオンの小さな舌とは違い大きな赤い舌で、その舌に舐められべちょべちょにされながら抱きしめられたままでいた。

「ゼウス。お座りだ。舐めるのは止めろ。今は俺がこいつと話してるんだ。お前は後にしろ」

司がゼウスに言うとドーベルマンはお座りをした。

「牧野。ゼウスはお前のことが気に入ったようだが、俺もお前が好きだ。俺はお前と結婚したい。本気でお前のことが好きだ。騙したことは悪かった。それからさっきお前が言った結婚してくれは本心だと思ってる」

率直な言葉を口にするのは慣れている男は、何度でも同じことを伝えるつもりだ。
愛してる。好きだ。結婚してくれ。好きになったからには全てを自分のものにしたいと思うのが司だ。だから気持ちを誤魔化すことはしなかった。そして下から抱きしめたこの状態は顔を見ることは出来ず、声だけが己の感情を伝える手段だが、だからこそ誠心誠意自分の思いを伝えるため司は話し続けた。

「もし本当に俺に興味がないなら言ってくれ。
俺は無理だと言われたビジネスに於いてはじっくり責めた。責めて欲しいものを手に入れてきた。だがお前に対してはじっくり時間をかけなかった。俺たちはそういった関係になるのが早かったが、それは美奈のことがあったからじゃない。今思えば俺たちの間には目に見えない引力が働いていたはずだ。二人の間には何かがあったはずだ。だがこれから先もしどうしてもと言うならゆっくり時間をかけてもいい。始めて出会った男と女のようにまず話をすることから始めよう。そこからひとつずつ進めよう。食事をしてドライブに出かけよう。映画を見よう。普通の恋人同士のはじまりを始めよう」

司は息継ぎもせずに言った。
抱きしめた女は何も言わず青空を見上げているが、身体の強張りを感じた。
それはこうしていることへの抵抗なのか。だが離して欲しいなら離してと言うはずだが言葉はなかった。だがそれは無言の抵抗なのか。もしそうなら諦めなければならないのか。

「牧野、頼む何か言ってくれ」





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2018
08.06

出逢いは嵐のように 88

「俺は喜んでお前と結婚しよう。いや結婚してくれ。俺の方が先にそれを言いたかった。俺はお前が好きだ。お前が許してくれるならどんなことでもするつもりでいた。だからお前が結婚を望むならすぐにでも結婚しよう」

司は自分が言った言葉に呆然としている女をじっと見つめていたが、向けられた眼差しは真剣でまっすぐだった。
牧野つくしの口から思ってもみなかったセリフが飛び出した時、自分の気持が伝わったのだと感じた。そして司は、自分が口にした結婚しようの言葉は、彼女を好きだと認識した時から心のどこかにあった思いだったと分かった。だから彼女の口から出た言葉がまだそこにあるうちに早々に同意した。
そして彼女の結婚したいという意志があるこの瞬間、力づくでもこの場に繋ぎ止めておくことを考えていたが、それほど彼女が欲しかった。

「それで?俺たちはいつ結婚する?俺は今直ぐでも構わないがいつ入籍する?なんなら今から区役所に行ってもいい。証人ならここにいる人間になってもらえばいい」

と言うと、あきらと姉の椿を見たが、あきらは頷いた。そして椿も一瞬驚いた顔をしたが、あきらと同じ動作をした。

「じょ、冗談は止めて下さい。どうして私があなたと結婚しなきゃならないんですか?バカバカしいにも程があります」

と言った女は司の目を厳しく睨んだ。

「どうしてってお前が今言っただろ?俺に結婚しろって。だから俺はお前と結婚する」

「そ、そんなの…..無理に決まってるじゃないですか!さ、さっきの言葉は….あれは嘘です!いえ嘘ではなくて、ええっと….」

司は口ごもり必死に言葉を探している女を前に構わず口を開いた。

「俺は自分の心に真っ正直になった。お前と出会った頃はそうじゃなかったが今は違う。今は可能だろうが不可能だろうが、望むことが叶おうが叶うまいが、どちらにしても自分の思いを伝えることに躊躇いはない。それに嘘偽りのない気持ちを伝えることが悪いとは思わない。それに俺はお前の思いを受け止める。心配するな。俺が必ずお前を幸せにしてみせる」

向かいに座った女は、その言葉に押し黙ったが暫くすると立ち上がった。そしてつい先ほどまで自分が飲んでいたグラスを掴み、まだ残っていた中身を司に向かってぶっかけた。

「ま、牧野先輩!?」

桜子はギョッとした表情を浮かべつくしの顔を仰ぎ見た。
と同時に斜め前に座る男の顔を見たが、その顔は平然としていて、顔に滴るレモネードをそのままにしていた。

「おい。司。いいか落ち着け。彼女にレモネードをぶっかけられたとしても怒るな。お前の顔にかけられたそれはただのレモネードだ」

飲み物を顔にぶっかけられる光景は、盛り場ではよくあることだが、あきらは親友が顔に飲み物をぶっかけられた姿を見たことはなかった。
それに、プライドの高い男が姉や姪の前でこうした姿を見られることに腹を立てるのではないかと思った。

「別に怒っちゃいねぇよ。ただえらく甘い物をかけられたと感じてるだけだ」

司の口元に笑みが浮かんですぐに消えた。
そして目の前の女の勇ましい行為を心の中で笑っていた。

「……何が俺が必ずお前を幸せにしてみせるよ。お酒に酔った人の言葉が信じられると思うんですか?」

司が飲み干したグラスにはビールが入っていたが、それは彼にとって酒とは言えない。
それに司の胃袋は酒に酔う感覚を備えてはおらず、どれだけ飲もうとアルコールが身体に残ることはなかった。

「信じていい。信じてくれ。信じて欲しい。これは嘘偽りのない気持ちだ。誠意を見せろというなら結婚してくれ。今まで出会ったどんな女よりも、いや、言い方が悪かった。今まで出会った女は俺にとって本物の女じゃなかった。俺にとって本物の女はお前だけだ」

誰もが息を詰め二人の会話を訊いていたが、立ち上がったままでいた女が今度は突然回れ右をするといきなり庭に向かって歩き出したことに一体何が起こったのかと誰もがあ然とした顔をした。

「ちょっと先輩!?どこに行くんですか?お手洗いですか?」

「つくしさん?化粧室なら向うです。向うから入れば近いですから」

桜子と美奈は声をかけたが、言われた本人はどんどん歩いて行き、やがて駆け出していた。

「牧野先輩?どこに行くんですか?ちょっと待って下さい!やだもう先輩!何考えてるんですか!ちょっと待って下さい!あれ絶対お手洗いじゃないです。もうあの人何考えてるんでしょうね?大人なんですから自分の言葉に責任を持つことくらい分ってるはずなのに、何考えてるんでしょうね?」

桜子はそう言って後を追いかけようとした。
だが俺が行くと言ったのは司だった。

「あいつのレモネード。アルコールが入ってる。これはレモネードじゃなくてウォッカが入ったレモネードカクテルだ。顔にかけられたとき分かった。運んで来たメイドが誰かの注文と間違えたんだろ?」

「あ。それ俺のだ。俺頼んだぞ。そう言えばまだだったが間違って彼女の所へ運ばれたってことか。もしかして彼女、君と違ってアルコールに弱い?」

あきらは真向かいの桜子に訊いたが、ええそうですけど。と怒ったように言った女は、ああもうっ、と呟いた。

「じゃあ、先輩酔ってたってことですか?でも半分しか飲んでませんでしたよね?」

「いや、俺はウォッカ多めにしてくれって頼んだからな。酒に弱い人間なら半分でも酔いも回りやすかったかもしれないな」

あきらのその言葉に桜子は、つくしの言動に合点が行った様子で息を吐いていた。











つくしは自分でも何を言い出したのか分からなくなっていた。
そして何故か急にあの場にいることが怖くなっていた。
何が怖いのか。それは心の奥に押さえ込んでいた気持が、鍵をかけていたはずの扉を勝手に開けて出て来たからだ。

だから副社長に背を向けると思わず走り出していたが、自分でもこの行動は全く理解出来ない行動だった。
ただ、広い庭はどこに何があるのかも分からず建物の角を曲がり、闇雲に走っていたから迷子になった。
だが幸いにもカジュアルな服装は走りに適していたが、それにしても人様の邸の庭を走ってどこに行こうというのか?そして食事をしていた最中に急に走ったからなのか。気持ち悪く感じていた。

「ああもう最悪。なんで副社長に結婚してくれなんて言ったんだろ」

その時だった。
背後に気配を感じ振り返った。





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2018
08.05

出逢いは嵐のように 87

親兄弟というのは、血の繋がりがある分どんなことをしたとしても許せるといった面を持つ。そして姉は男だからと弱いところを見せない弟の気持を年上の余裕をもって理解してやることが長子の務めだと分かっている。それはどの姉弟にも同じはずだ。

つくしにも弟がいる。両親を亡くした今では、たった二人の身内だ。その弟が困っているなら助けてやりたいと思う。
だから椿の気持も理解できる。姉は例え弟が幾つになっても可愛いのだろう。
そんな姉の口から弟のことをどう思うかと訊かれ答えを探していた。

そして美奈の頭の中にある安易な光景を想像することもできた。
美奈は、自分の人生の於いて離婚というある意味でのマイナス要素をプラスに変えるだけの力があるのだろう。離婚については既に考えが纏まっているからか。いい男は他に沢山いますから。と実に前向きな言葉を口にしていた。
そして自分が駄目にしてしまった二人の関係を修復したい。
叔父と叔父が好きになった女性をくっつけて、めでたし、めでたし。という考えが浮かんでいるのだろう。

それにしても、美奈もその母親の椿にしても、道明寺司を理解してもらおうと懸命に言葉を尽くす姿はやはり血の繋がりがあるからなのだろうか。そして、しつこく根気強い様もやはり血筋なのだろうか。そんな二人を前に、再びこうして本人から許してくれないかと言われ、答えに窮したが、自分の気持を直視した上で言える言葉を口にした。

「副社長にお伺いします。嘘をついたことを許して欲しいとおっしゃいますけど何を許せばいいんですか?嘘のどの部分を許せばいいんですか?」

子供じみていることを言ったと思う。
これまでなら、すでに謝った人間に対しそれ以上深く追求することがなかったはずだ。
現に美奈に対しては非を認め謝った時点で許していた。だが副社長に対しては、何故か謝罪を受け入れることが出来ずにいた。

例えばだが、もう一度やり直そう。
男が女にそう言ったとき、女はなんと答えるのか。
それは長い間の付き合いがある男女なら言える言葉だ。
だが二人は関係を再構築するには短すぎる付き合いだ。だから相手のことがどれほど分かっているのかと考えたとき、まだ何も分っていないと言える。
だから仮に許しを請う男を許し、再び付き合うなら何をするのかと問われれば、相手のことをもっとよく知ろうと思うはずだ。

そして頭から離れて行こうとしない男に対し自分は何をどうしたいのか。
その思いは何度も頭を過った。今こうして目の前に座る男との短い付き合いの中での思い出は多くはない。それでも付き合い始めた頃の男の会話が嘘ではなく本当だったとすれば、そして今もその思いは変わらないというなら_。

「牧野_」

「副社長」

つくしは口を開こうとした男の言葉を遮るように言った。

「副社長。私と結婚して下さい。もし許して欲しいというなら、私と結婚して下さい。そうすれば許します。副社長は二人の付き合いは結婚を前提とするものではないとおっしゃいました。そして私も同じ気持ちでした。恋を楽しめばいいと思っていました。でも気が変わりました。許して欲しいと思うなら、本当に私のことが好きなら結婚して下さい」

誰もが息を殺し二人の会話を訊いていたその場所は、更にとでもいうのか水を打ったような静けさが広がった。
そんな中で一番初めに口を開いたのは桜子だ。

「あの…牧野先輩?」

そして次に口を開いたのは美奈だ。

「つくしさん?本当ですか?叔父様と結婚してくれるんですか?そうなると牧野さんはお姉さんから叔母様になるのね!やった嬉しい!」

「牧野さん?あなたその言葉本気なの?そうなら私も嬉しいわ」

美奈と同じタイミングで嬉しそうに言ったのは椿だ。

「おっ!女からの逆プロポーズか?なかなかやるな彼女」

ビールを片手にした男はニヤニヤと笑いながら言った。

「もう!美作さん茶化さないで下さい!それよりも先輩今自分で何を言ったか分かってるんですか?牧野先輩?先輩?ボーッとしないで先輩戻って来て下さい!まさかレモネードで酔ったわけじゃないですよね?牧野先輩ってば!」

桜子の声が聞え続け、何度も名前を呼ばれたつくしはそこでハッとした。

「え?何?」

「何じゃありませんから!今ご自分が何を言ったか分かってますか?先輩は道明寺副社長に結婚して下さいって言ったんですよ!それ本気ですか?」

桜子の言葉が耳から脳に伝わるまで数秒間時間を要したが、伝わった途端に脳が急激な早さで回転を始めたのが分かった。そしてその言葉を頭の中で反芻すると何を言ったのか明確に理解した。

言うつもりなどなかった言葉が口を突いた。
それにそもそも付き合うと決めた時も、結婚を前提に付き合い始めた訳ではなかった。
それは相手から言われたこともあったが、自分自身も言ったことであり、その気などなかった。それなのに結婚すれば許すという言葉が口を突いたのは何故なのか。
そんな女は暑さで頭がどうかしたと思われても可笑しくない。実際もしかするとそうなのかもしれない。暑さで思考能力が落ちた。きっとそうだ。頭の中の回路がショートしたのだ。
つくしは頭の中がパニックに襲われ自問自答を繰り返していたが、目の前の男はそんな様子の女をじっと見つめ言った。

「分かった。俺は喜んでお前と結婚しよう」





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