「つくし!誕生日おめでとう!ねえ乾杯しようよ!ほらほら、グラス持って!」
「もう。滋さん止めてよ。ちっともおめでたくなんてないんだから!」
さらりと否定したつくしは友人達に誕生日を祝ってもらっていた。
落ち着いた雰囲気のあるラウンジの片隅にある広いソファに、なぜかまるで無理矢理詰め込まれたかのように肩を寄せ合って座る女3人。
その真ん中に座る女は、テーブルの上に並べてある皿からチーズをひと切れ手にすると口に入れていた。
「何言ってるんですか先輩!女はこれからですからね!酸いも甘いも嚙分けてこれからいい女目指して一直線じゃないですか!で、幾つになられたんでしたっけ?」
わざとらしく聞く女はつくしより年下の女。
「うわっ!桜子あんた酷いわ。わかってて言わせるんだから。それってセクハラよ?」
「別にわたしは悪意を持って言ってるわけじゃありませんから」
桜子は口の端に笑みを浮かべていた。
彼女得意の不適な笑みは見る者を不安な思いにさせる。何しろ女策士かマタ・ハリ(※)かと言われるほどにその気転と美貌を活用することを怠らない女だ。
「あんたに悪意があるかどうかなんて、あたし達にわかるはずないじゃない?ねえ?つくし?ほら、いいからグラス持ちなさいよ!」
滋はつくしにグラスを握らせると、二人の女性はつくしに向かってグラスを掲げ声を合わせた。
「ほら。いい?せーのっ、かんぱ~い!!」
とりあえずお決まりの乾杯を済ませたつくしは、自分の隣にいる友人に言った。
「33よ。33歳。それが悪い?」
「ええ。もちろん33歳なのはわかってます」
わかっていて言わせるのはこの友人の嫌味なのか?
桜子はさらに口の端を上げてほほ笑んだ。
「先輩はわたしよりひとつ年上なんですから。それよりいいですか?33歳って言ったら女の本厄ですからね?」
桜子はつくしの向う側に座る滋にも視線を向けると言った。
「滋さん!滋さんも先輩と同じなんですからね!いい加減お二人とも早く素敵な殿方を見つけて下さい?優紀さんなんてもうすぐ赤ちゃんが生まれるんですからね?それに厄年に子どもを産むと厄落としになるなんて言われている所もあるくらいですからね!・・と、言ってもお二人とも間に合いそうにありませんよね?」
33歳のうちに子どもを出産しろと言う話ならとてもではないが無理だ。
桜子の言葉にムッとした滋は身を乗り出して言った。
「なによ桜子!あんた自分だってひとつしか年が変わらないくせに!」
「あら、わたしはいつでも結婚出来ます。でも敢えてしないんです。出来ないんじゃなくて、しないんです。しない選択をしたんです。でもお二人はそうじゃありませんよね?」
一瞬言葉に詰まった滋は桜子に対抗するように言い放った。
「桜子、あんたねぇ。女の33なんて女性として最盛期じゃないの!今どきの30そこそこの女を掴まえて売れ残りみたいに言うのやめてよね?」
まるで女は30を境にしてあとは坂を下って行くような言い分に滋はムッとしていた。
だが桜子の口調にどれほど嫌味が含まれていても、それが決して好戦的でないことは知っていた。
「でもそうじゃないですか?まあ滋さんが努力してるのは認めますよ?それに滋さんクラスの人間がそう簡単にお相手を決めることが出来なのもわかります。なにしろ滋さんは大河原財閥のお嬢様で跡取りなんですから。お婿さんを取るんですよね?」
桜子はテーブルに置かれているボトルから新しい水割りを作ると滋に手渡した。
礼を言って受け取った滋はひと口飲むとソファにもたれかかった。
「今どき婿を取るってのもねぇ。そりゃ大河原の名前を残したいから、出来れば婿に来てくれる人がいいんだけどね」
「わかりました。滋さんは努力してるってことですよね?でも・・」
桜子と滋は自分たちの間に挟まれているつくしに視線を向けた。
「牧野先輩は努力とかしてませんよね?」
「そうだよ!つくしは全然してない!」
滋はすぐさま同意を示した。
まるで桜子の執拗な問いかけをかわすことが出来るとばかり、つくしに話しの鉾先を向けた。
そして二人の女の視線は自分たちの間に座ってグラスを煽る友人を見ていた。
「ちょっとつくし?聞いてる?あんたのことよ?」
つくしは親友たちの言葉は耳に入っていたが、答えるつもりはなかった。
恋なんてしなくても生きていける。そう思っていた。
「牧野先輩聞いてますか?いつも言いますけど男の人とつき合いたいとか考えないんですか?」
「そうだよ、つくし。あんた男に興味がないわけじゃないでしょ?ま、まさか女に興味があるなんて言わないでよね!あたしその気はないからね!」
滋は言うと自分の身を守るように胸の前で腕を交差して体を隠す仕草をした。
見た目ボーイッシュな親友の言い分につくしは笑った。
「滋さん!そんなことあるわけないでしょ?」
「それならどうして先輩は殿方とつき合うことを考えないんですか?」
桜子は見た目幼いが年上の親友には昔から親しみを抱いていて先輩と言う呼び名で呼んでいた。
「だ、だって・・男の人とつき合ってなにするのよ?」
「ちょっと、つくし。あんたそれ本気で言ってるの?決まってるじゃない!男と女なんだからすることなんて決まってるでしょ?逆に聞くけど男と女の間で何するのよ?」
滋の言葉に桜子も声を揃えた。
「先輩、いくらそっち方面に疎いからってそこまでカマトトぶると滑稽ですからね?それに先輩だってその年なんですから経験ありますよね?」
桜子の言葉に場が静まり返った。
つくしは手の中のグラスを見つめ、恐らく数秒後には言われる言葉を想像していた。
すると案の定思った通りの言葉を聞かされていた。
「やだ。さまか、あんたまだ処女なの?あの人とどうなったのよ?つき合ってたんでしょ?」
「先輩おつき合いを始めた人がいたんですか?」
つくしは確かにある男性とつき合いを始めた。ところが、そのことを自分で話す前に滋が口を挟んだ。
「桜子、つくしはね、会社の同僚とつき合い始めたのよ、確か・・3ヶ月前だったわよね?」
滋は視線を隣に座るつくしに向けた。
「に、2ヶ月前よ・・でも・・その・・」
つくしは言うと息を吐き、手にしていたグラスをテーブルに置いた。
女同士でいるということは、どうしてこうも明け透けにものを言うことが出来るのか。でもそれは仕方がなかった。お互いの私生活を秘密にしていたというわけでもなかったのだから、知られていても当然だった。
「えっ!もしかして先輩2ヶ月でもう別れたんです?」
年が一つ下の小悪魔女はずばり核心をついてきた。
「そ、そうよ。別れたわよ。悪い?」
つくしにとってはどうでもいい事実だったのでさっさと認めることにした。
「先輩!人は人生の中で出会う人の数ってのは決められているんですよ?もしかしたらその人が先輩の運命の人だったかもしれないのに、どうしてそんなに早く別れたんですか!それにもうこれ以上男性との出会いは見込めないかもしれないのに、どうするんですか!」
「そ、そんなこと言われても、どうしようもない・・」
桜子をやり込められる人間は今までいなかった。
そんな桜子からガミガミと説教をされているつくしは、なかなか口を挟むチャンスがなかったが、なんとか言葉を口にするチャンスを得ると反論したが、見事にやり込められる羽目になっていた。
「何がどうしようもないんですか!別に先輩がイケメン好きだとか、地位も名誉もお金もあるような人が好きだとかって言うなら出会いは限られますけど、大して選り好みもないのにどうしていつまでも彼氏が出来ないんですか!」
「ちょっと・・・桜子。あんた何もそこまで言わなくても。つくしだって一応ね、女なんだし色々あるわけで・・」
チラリとつくしに視線を投げかけた滋は桜子の言葉に押し黙った。
「滋さんはいいですよ?お綺麗ですし、お金もおありです。それに地位も名誉もあるわけですから、一人や二人男性を振ったところで、痛くも痒くもないでしょう。でも牧野先輩はそう言うわけにはいかないんです!御覧のとおり体型も幼いですし、顔は年の割にはまあ可愛いですよ。あたしとは比べものにはなりませんがね。でもこれから先の人生には先立つ物が必要ですからね。いくら先輩が必死で働いて小銭を溜めてマンションを買ったからと言って資産なんかたかが知れてます。この先の老後をどう考えているんです?ちゃんと考えてますか?」
まるで親が子に説教をしているような口ぶりに滋は笑いを堪えながら言った。
「ねえ、桜子。あんたの言い方じゃ、どっかの金持ちの男を掴まえて将来に備えろって言ってるように聞こえるんだけど?」
「別にわたしはそんな意味で言ってるんじゃありません。先輩はそんな小賢しい女じゃないってことはわたしがよく知ってますから。そんなことじゃなくて先輩は周りが言わなかったら男性とつき合うとか考えない人ですからね。そんなんじゃ女として生まれて来た意味がないじゃないですか!」
桜子は自分の熱弁に喉が渇いたのかグラスを煽っていた。
そのタイミングでつくしは口を挟んだ。
「あ、あのね、桜子。あたしは別に経済的余裕が欲しいとかじゃないの。だからそんなに・・」
すると桜子はここぞとばかりに息巻くと言った。
「いいですか?男女の仲なんて水物ですから流れに任せることも大切なんですよ!先輩のことだから、迫られて嫌だなんて言ったんでしょう?いつまでも白馬に乗った王子様が現れるのを待ってるとしたら大間違いですからね。あれはおとぎ話ですからね!王子様を待ってるうちにおばあちゃんになってしまいますからね!」
その通りだ。
わかってる。
つくしの隣にいる小悪魔女はずばり核心をついている。
だからと言って年を気にするあまり恋人探しを焦っているわけでもなかった。
それに2ヶ月とは言えつき合った男性がいたんだし、その人との付き合いが終わったからと言って早々に次の相手というほど、つくしのお尻は軽くなかった。
それに今は彼が欲しいという気持ちもなかった。だからあの男性との付き合いもどこか本気になれなくて、自分から交際するのを止めようと言い出す矢先に相手の男性からやっぱり牧野さんとじゃ恋愛するのは無理だと言われてしまっていた。
そのことを話そうとしたが、そんなつくしよりも先に滋が口を開いた。
「あのね、桜子。ちょっと落ち着いて。つくしは奥手だから男性が間近に迫ってくると緊張しちゃってダメなのよ。この子仕事じゃ男と渡り合うのは全然へっちゃらなのに、なぜかつき合うとなったら変に自分を殻に閉じ込めちゃうって言うのか、女として損してるのよ」
つくしは滋と桜子が自分のことを話している様子を黙って聞いていた。
二人の女性はつくしに男運が無いだの、薄幸だの、このままじゃ牧野つくしの人生はつまらないものに終わってしまうとばかりに言い合っていた。
本人以上に本人のことを心配してくれるのだから、話の内容は別として、親友というのはいいものだ。
すると突然二人は前屈みになり、つくしの膝越しにひそひそと声をひそめたかと思うと唐突に話しを切り、一人はつくしに手を差し伸べて彼女の手を握った。そしてもう一人はつくしの肩に手を置いていた。
「つくし。あたしたち別にあんたに変わって欲しいなんて思ってないからね!あんたにはいいところが沢山あるってことはあたし達が一番よく知ってるからね?それに真面目なところも、男に奥手なところも、それから無頓着なくらい男に興味がないところも。でもそんなつくしが好きだからね?」
「う、うん。ありがとう。それよりも二人ともどうしたの?急に?」
急に真面目なトーンで言葉が返されると、つくしはどうしたのかと訝しがった。
何やらおかしな空気が流れている。そう感じていた。まさかとは思うがこの二人はアルコールが回ってしまっておかしなことを仕出かすのではないかと考えずにはいられなかった。
つくしは滋に握られている手を引き抜こうとしたが無理だった。それに肩に置かれた桜子の手はずっしりと重かった。
逃げることは許さないわよとばかりの行為が意味するものはいったい何なのか?
二人の表情からただならぬ雰囲気が感じられた。
そして滋の口から語られたのは、
「あたしと桜子はそんなあんたに男を紹介することに決めたから安心してよね?つくし!」
だった。
(※)マタ・ハリ=オランダ人の踊り子で第一次世界大戦中に暗躍した女スパイと言われている。また世界で最も有名な女スパイとして知られ、現在でも女スパイの代名詞的存在として使われる。
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その真ん中に座る女は、テーブルの上に並べてある皿からチーズをひと切れ手にすると口に入れていた。
「何言ってるんですか先輩!女はこれからですからね!酸いも甘いも嚙分けてこれからいい女目指して一直線じゃないですか!で、幾つになられたんでしたっけ?」
わざとらしく聞く女はつくしより年下の女。
「うわっ!桜子あんた酷いわ。わかってて言わせるんだから。それってセクハラよ?」
「別にわたしは悪意を持って言ってるわけじゃありませんから」
桜子は口の端に笑みを浮かべていた。
彼女得意の不適な笑みは見る者を不安な思いにさせる。何しろ女策士かマタ・ハリ(※)かと言われるほどにその気転と美貌を活用することを怠らない女だ。
「あんたに悪意があるかどうかなんて、あたし達にわかるはずないじゃない?ねえ?つくし?ほら、いいからグラス持ちなさいよ!」
滋はつくしにグラスを握らせると、二人の女性はつくしに向かってグラスを掲げ声を合わせた。
「ほら。いい?せーのっ、かんぱ~い!!」
とりあえずお決まりの乾杯を済ませたつくしは、自分の隣にいる友人に言った。
「33よ。33歳。それが悪い?」
「ええ。もちろん33歳なのはわかってます」
わかっていて言わせるのはこの友人の嫌味なのか?
桜子はさらに口の端を上げてほほ笑んだ。
「先輩はわたしよりひとつ年上なんですから。それよりいいですか?33歳って言ったら女の本厄ですからね?」
桜子はつくしの向う側に座る滋にも視線を向けると言った。
「滋さん!滋さんも先輩と同じなんですからね!いい加減お二人とも早く素敵な殿方を見つけて下さい?優紀さんなんてもうすぐ赤ちゃんが生まれるんですからね?それに厄年に子どもを産むと厄落としになるなんて言われている所もあるくらいですからね!・・と、言ってもお二人とも間に合いそうにありませんよね?」
33歳のうちに子どもを出産しろと言う話ならとてもではないが無理だ。
桜子の言葉にムッとした滋は身を乗り出して言った。
「なによ桜子!あんた自分だってひとつしか年が変わらないくせに!」
「あら、わたしはいつでも結婚出来ます。でも敢えてしないんです。出来ないんじゃなくて、しないんです。しない選択をしたんです。でもお二人はそうじゃありませんよね?」
一瞬言葉に詰まった滋は桜子に対抗するように言い放った。
「桜子、あんたねぇ。女の33なんて女性として最盛期じゃないの!今どきの30そこそこの女を掴まえて売れ残りみたいに言うのやめてよね?」
まるで女は30を境にしてあとは坂を下って行くような言い分に滋はムッとしていた。
だが桜子の口調にどれほど嫌味が含まれていても、それが決して好戦的でないことは知っていた。
「でもそうじゃないですか?まあ滋さんが努力してるのは認めますよ?それに滋さんクラスの人間がそう簡単にお相手を決めることが出来なのもわかります。なにしろ滋さんは大河原財閥のお嬢様で跡取りなんですから。お婿さんを取るんですよね?」
桜子はテーブルに置かれているボトルから新しい水割りを作ると滋に手渡した。
礼を言って受け取った滋はひと口飲むとソファにもたれかかった。
「今どき婿を取るってのもねぇ。そりゃ大河原の名前を残したいから、出来れば婿に来てくれる人がいいんだけどね」
「わかりました。滋さんは努力してるってことですよね?でも・・」
桜子と滋は自分たちの間に挟まれているつくしに視線を向けた。
「牧野先輩は努力とかしてませんよね?」
「そうだよ!つくしは全然してない!」
滋はすぐさま同意を示した。
まるで桜子の執拗な問いかけをかわすことが出来るとばかり、つくしに話しの鉾先を向けた。
そして二人の女の視線は自分たちの間に座ってグラスを煽る友人を見ていた。
「ちょっとつくし?聞いてる?あんたのことよ?」
つくしは親友たちの言葉は耳に入っていたが、答えるつもりはなかった。
恋なんてしなくても生きていける。そう思っていた。
「牧野先輩聞いてますか?いつも言いますけど男の人とつき合いたいとか考えないんですか?」
「そうだよ、つくし。あんた男に興味がないわけじゃないでしょ?ま、まさか女に興味があるなんて言わないでよね!あたしその気はないからね!」
滋は言うと自分の身を守るように胸の前で腕を交差して体を隠す仕草をした。
見た目ボーイッシュな親友の言い分につくしは笑った。
「滋さん!そんなことあるわけないでしょ?」
「それならどうして先輩は殿方とつき合うことを考えないんですか?」
桜子は見た目幼いが年上の親友には昔から親しみを抱いていて先輩と言う呼び名で呼んでいた。
「だ、だって・・男の人とつき合ってなにするのよ?」
「ちょっと、つくし。あんたそれ本気で言ってるの?決まってるじゃない!男と女なんだからすることなんて決まってるでしょ?逆に聞くけど男と女の間で何するのよ?」
滋の言葉に桜子も声を揃えた。
「先輩、いくらそっち方面に疎いからってそこまでカマトトぶると滑稽ですからね?それに先輩だってその年なんですから経験ありますよね?」
桜子の言葉に場が静まり返った。
つくしは手の中のグラスを見つめ、恐らく数秒後には言われる言葉を想像していた。
すると案の定思った通りの言葉を聞かされていた。
「やだ。さまか、あんたまだ処女なの?あの人とどうなったのよ?つき合ってたんでしょ?」
「先輩おつき合いを始めた人がいたんですか?」
つくしは確かにある男性とつき合いを始めた。ところが、そのことを自分で話す前に滋が口を挟んだ。
「桜子、つくしはね、会社の同僚とつき合い始めたのよ、確か・・3ヶ月前だったわよね?」
滋は視線を隣に座るつくしに向けた。
「に、2ヶ月前よ・・でも・・その・・」
つくしは言うと息を吐き、手にしていたグラスをテーブルに置いた。
女同士でいるということは、どうしてこうも明け透けにものを言うことが出来るのか。でもそれは仕方がなかった。お互いの私生活を秘密にしていたというわけでもなかったのだから、知られていても当然だった。
「えっ!もしかして先輩2ヶ月でもう別れたんです?」
年が一つ下の小悪魔女はずばり核心をついてきた。
「そ、そうよ。別れたわよ。悪い?」
つくしにとってはどうでもいい事実だったのでさっさと認めることにした。
「先輩!人は人生の中で出会う人の数ってのは決められているんですよ?もしかしたらその人が先輩の運命の人だったかもしれないのに、どうしてそんなに早く別れたんですか!それにもうこれ以上男性との出会いは見込めないかもしれないのに、どうするんですか!」
「そ、そんなこと言われても、どうしようもない・・」
桜子をやり込められる人間は今までいなかった。
そんな桜子からガミガミと説教をされているつくしは、なかなか口を挟むチャンスがなかったが、なんとか言葉を口にするチャンスを得ると反論したが、見事にやり込められる羽目になっていた。
「何がどうしようもないんですか!別に先輩がイケメン好きだとか、地位も名誉もお金もあるような人が好きだとかって言うなら出会いは限られますけど、大して選り好みもないのにどうしていつまでも彼氏が出来ないんですか!」
「ちょっと・・・桜子。あんた何もそこまで言わなくても。つくしだって一応ね、女なんだし色々あるわけで・・」
チラリとつくしに視線を投げかけた滋は桜子の言葉に押し黙った。
「滋さんはいいですよ?お綺麗ですし、お金もおありです。それに地位も名誉もあるわけですから、一人や二人男性を振ったところで、痛くも痒くもないでしょう。でも牧野先輩はそう言うわけにはいかないんです!御覧のとおり体型も幼いですし、顔は年の割にはまあ可愛いですよ。あたしとは比べものにはなりませんがね。でもこれから先の人生には先立つ物が必要ですからね。いくら先輩が必死で働いて小銭を溜めてマンションを買ったからと言って資産なんかたかが知れてます。この先の老後をどう考えているんです?ちゃんと考えてますか?」
まるで親が子に説教をしているような口ぶりに滋は笑いを堪えながら言った。
「ねえ、桜子。あんたの言い方じゃ、どっかの金持ちの男を掴まえて将来に備えろって言ってるように聞こえるんだけど?」
「別にわたしはそんな意味で言ってるんじゃありません。先輩はそんな小賢しい女じゃないってことはわたしがよく知ってますから。そんなことじゃなくて先輩は周りが言わなかったら男性とつき合うとか考えない人ですからね。そんなんじゃ女として生まれて来た意味がないじゃないですか!」
桜子は自分の熱弁に喉が渇いたのかグラスを煽っていた。
そのタイミングでつくしは口を挟んだ。
「あ、あのね、桜子。あたしは別に経済的余裕が欲しいとかじゃないの。だからそんなに・・」
すると桜子はここぞとばかりに息巻くと言った。
「いいですか?男女の仲なんて水物ですから流れに任せることも大切なんですよ!先輩のことだから、迫られて嫌だなんて言ったんでしょう?いつまでも白馬に乗った王子様が現れるのを待ってるとしたら大間違いですからね。あれはおとぎ話ですからね!王子様を待ってるうちにおばあちゃんになってしまいますからね!」
その通りだ。
わかってる。
つくしの隣にいる小悪魔女はずばり核心をついている。
だからと言って年を気にするあまり恋人探しを焦っているわけでもなかった。
それに2ヶ月とは言えつき合った男性がいたんだし、その人との付き合いが終わったからと言って早々に次の相手というほど、つくしのお尻は軽くなかった。
それに今は彼が欲しいという気持ちもなかった。だからあの男性との付き合いもどこか本気になれなくて、自分から交際するのを止めようと言い出す矢先に相手の男性からやっぱり牧野さんとじゃ恋愛するのは無理だと言われてしまっていた。
そのことを話そうとしたが、そんなつくしよりも先に滋が口を開いた。
「あのね、桜子。ちょっと落ち着いて。つくしは奥手だから男性が間近に迫ってくると緊張しちゃってダメなのよ。この子仕事じゃ男と渡り合うのは全然へっちゃらなのに、なぜかつき合うとなったら変に自分を殻に閉じ込めちゃうって言うのか、女として損してるのよ」
つくしは滋と桜子が自分のことを話している様子を黙って聞いていた。
二人の女性はつくしに男運が無いだの、薄幸だの、このままじゃ牧野つくしの人生はつまらないものに終わってしまうとばかりに言い合っていた。
本人以上に本人のことを心配してくれるのだから、話の内容は別として、親友というのはいいものだ。
すると突然二人は前屈みになり、つくしの膝越しにひそひそと声をひそめたかと思うと唐突に話しを切り、一人はつくしに手を差し伸べて彼女の手を握った。そしてもう一人はつくしの肩に手を置いていた。
「つくし。あたしたち別にあんたに変わって欲しいなんて思ってないからね!あんたにはいいところが沢山あるってことはあたし達が一番よく知ってるからね?それに真面目なところも、男に奥手なところも、それから無頓着なくらい男に興味がないところも。でもそんなつくしが好きだからね?」
「う、うん。ありがとう。それよりも二人ともどうしたの?急に?」
急に真面目なトーンで言葉が返されると、つくしはどうしたのかと訝しがった。
何やらおかしな空気が流れている。そう感じていた。まさかとは思うがこの二人はアルコールが回ってしまっておかしなことを仕出かすのではないかと考えずにはいられなかった。
つくしは滋に握られている手を引き抜こうとしたが無理だった。それに肩に置かれた桜子の手はずっしりと重かった。
逃げることは許さないわよとばかりの行為が意味するものはいったい何なのか?
二人の表情からただならぬ雰囲気が感じられた。
そして滋の口から語られたのは、
「あたしと桜子はそんなあんたに男を紹介することに決めたから安心してよね?つくし!」
だった。
(※)マタ・ハリ=オランダ人の踊り子で第一次世界大戦中に暗躍した女スパイと言われている。また世界で最も有名な女スパイとして知られ、現在でも女スパイの代名詞的存在として使われる。
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Comment:10
「ねえ、つくし、あたしの知り合いなんだけどね、正直に答えて欲しいの。つくしは相手の職業にこだわりはなかったわよね?昔から職業に貴賤は無いって言うし、あんたは相手のバックグランドで人を見る人間じゃないもんね?」
滋は意味ありげに言うと話しを続けた。
「その男はあたしと同じように会社の役員なんだけどね。これがまたちょっといい男なのよ。あたしとその男は昔馴染っていうのか、仕事上での知り合いなの。長い間ニューヨークで暮らしていたから日本に知り合いの女性もいないし、ちょうどあたし達と年令も同じくらいでね、ひとつ年上だけど、どう?」
どうと言われても困る。
いきなり男を紹介するからと言われてなんと答えればいいのか。ここは素直にありがとうと言うべきなのだろうか。どうやら二人はつくしの恋人探しをすることに決めたらしい。
それもある特定の人物を紹介したいということはわかった。
ただその人物が会社役員という立場から想像出来るのは、権力者で統率力があってどこか傲慢だと言う印象があった。それに滋さんの知り合いだということは、男として間違いなくタフだと言えるはずだ。
何しろ大河原滋は大河原財閥のひとり娘として男顔負けの気の強さがあると言われていた。
だが、つくし達仲間うちではそんなことはなかった。やはりそれは滋が外に向かって求められる己の立場を演じているところがあるのかもしれなかった。
とにかく、そんな滋と渡り合う男ということは、そして滋が認める男ということは、間違いなく一流の男なのだろう。
だが頭を過るのはまた別の思い。
「ねえ、滋さん。その人っておもいっきりいい男で、お金持ちのわがまま坊ちゃんってことでしょ?」
「う~ん・・つくし、それはちょっと違うかもしれない。司って男はお金持ちだけど、わがまま坊ちゃんじゃないわよ?あの男はかなりハードな男だから」
「ハードって何がハードなの?」
「ハードって言ったら言葉が違ったかも。そうねぇ。ワイルド?」
「ワイルド?」
アウトドアが好きな男性?
つくしの中では金持ちの男というのは、鼻持ちならないような自惚れた男が多いというイメージがあった。金にあかせてやりたい放題。エセ紳士とまで言わないが、手あたり次第に女に手を出す。そんなイメージも無きにしも非ずと言った感じだ。
滋がそんなイメージのある金持ちの男性をつくしに紹介しようとするのは何故か?
つくしは贅沢な邸宅や豪勢な暮らしを望んだことはなかった。
もし結婚するなら相手の男性に求めるのは自分を愛してくれるだけで良かった。
それに三条桜子が口にした白馬に乗った王子様を待っているわけではなかったが、それでもどこかに、そして誰にでも必ずふさわしい相手がいるはずだと思っていた。
そして、時が来ればそんな男性が自分の前にも現れる。そう信じていた。だが未だに現れないということは、出会いの神様はつくしの前を素通りしてしまったのだろうか?
つくしは周囲にはバリバリのキャリアウーマンだと思われているが、ビジネススーツの下にはロマンティックな心も持ち合わせていた。ただ、そのことは決して誰にも知られることがないようにと必死に隠していた。だから今どきのつき合いを求められても困るということだ。
今どきのつきあい。それは体だけの手軽な関係ということだ。
愛がないのにそんな関係になれるわけがない。そんな言葉を桜子が聞いたらどう思うだろうか。何しろ三条桜子は男女関係については博愛主義者でいるのだから。
滋がつくしに紹介すると言った男性は道明寺司。
職業は会社役員。道明寺というからにはあの巨大複合企業、道明寺財閥の一員であるということはわかった。同族経営としてはかなりの規模の企業だ。
その男は高校卒業と同時にニューヨークへ渡り、そこで大学を卒業し、そのまま家業の会社の役員として過ごすこと12年。久しぶりに日本へ戻って来たということだった。
つくしはそこまで話しを聞くと、化粧室に行くと言って席を立った。
途端、残された二人はつくしの座っていた場所を詰めると顔を寄せ合った。
「ちょっと、滋さん!いいんですか?滋さんが紹介しようとしてるのは、あの道明寺さんですよね?」
「そうよ?悪い?」
「悪いもなにもないじゃないですか!道明寺さんと言えば昔から女嫌いで有名じゃないですか!」
「えっ?そんなことないわよ?単にあんたが嫌われてたんじゃないの?」
その言葉にムッとした桜子。
桜子は旧華族の血筋で財閥とは異なる特殊な世界の住人の一人だ。
そして年に何度か開かれる旧華族の親睦団体と皇族関係者の集まりにも呼ばれることがある家柄の三条家の出身だ。それなりに名誉だけはあった。そしてその集まりに出たときは、必ず菊のお印の入った饅頭を土産として友人達に渡していた。
「滋さん、相変らず失礼ですね?」
「失礼もなにも司が女嫌いってのは間違いよ。人を選ぶのよ。あの男はね」
それを聞いてますますムッとする桜子。
「でもあの道明寺さんがいくら滋さんの紹介する女性だからって会おうって気になりますか?」
「なるわよ。会わなきゃあの男、おば様に結婚相手を押し付けられるもの」
「そうなんですか!」
桜子の目は驚きに見開かれていた。
その顔はなんならわたしがその押し付けられる結婚相手になりましょうか、と言っていた。
「そうよ。いい加減結婚しろってね!過去にあたしをどうだって勧められそうになって、冗談じゃないって断ったわよ!司とあたしが一緒になんて考えられないわよ。そんなことになったらお互いに殺し合いになるわよ、きっと」
滋は言うと笑っていたが、桜子は神妙な顔つきでいた。
「滋さん。それは言い過ぎです。今の道明寺さんは無駄な血は流しませんから。でもあの道明寺さんですよ?限りなくクールで、世間では徹底的な合理主義者なんて言われてるんですよ?そんな人と先輩が上手く行くと思いますか?それに先輩は道明寺さんの名前を聞いてもピンと来てないようですけど、ご存知なんでしょうか?道明寺さんって方がどんな人か。あの道明寺さんですよ?」
確しかに道明寺司だと言っても、特段に驚いた様子もなく平然と滋の話を聞いていた。
「ああ、それね?つくしが気づいてないって?いいじゃない。それにそんなつくしだから司みたいな男がいいんじゃない?あの子のちょっと鈍感なくらいなところが司には丁度いいのよ。それに見たいじゃない?あの司がつくしに振り回されるところ。あの男が、女に振り回されるなんて信じられないでしょ?」
世界的大富豪。道明寺家の御曹司が名もない女に振り回される。
「確かにそれは言えますね。あの道明寺さんが先輩に振り回されるなんて想像できませんね?」
桜子は同意した。
「でしょ?想像しただけでおかしくない?」
「おかしいという以前に、あの二人が本当に上手く行くと思ってるんですか?」
桜子に大真面目な顔で見つめられ滋は少し表情を変えたが、さして問題にしていなとばかりに言った。
「う~ん。そう言われるとあたしも困るんだけど、とりあえず、ほら、言うじゃない?当たって砕けろって!」
「滋さん何言ってるんですか!ただでさえ細い先輩が砕けちゃったらどうするんですか!」
「えっ?つくしが?」
滋は面白可笑しく驚いた顔をしてみせた。
「そんなことないわよ。つくしは雑草並の根性の持ち主なんだから、踏まれても大丈夫だし、砕けたりしないわよ?」
桜子は人の考えを読むのが得意だったが、滋の考えていることがわからない時があった。滋は親友のつくしのことをからかって遊んでいるのではないかと感じることがあったからだ。だがそれは自分にも言えた。桜子もついつくしの事となるとからかいたくなってしまっていた。
「むしろ司の方が砕けるんじゃないかってあたしは思ってるんだけどね?」
滋は意味ありげなほほ笑みを浮かべていた。
「わたしは滋さんの考えがわかりません」
「でもつくしは仕事柄、人との交渉は得意でしょ?」
「そうは言っても相手は格が違い過ぎますよ?滋さんだってご存知ですよね?道明寺さんは最近アメリカの雑誌で″世界で最も結婚したい独身男性トップ10″に選ばれたんですよ?」
「さずが、司だわ。相変らずのいい男だもんね」
「そうですよ!その道明寺さんと、一般庶民代表選手権で選ばれたような先輩ですよ?そんな二人のどこに共通点があるんです?」
一般庶民代表選手権。
そんな選手権があったのかと滋は真剣に考えていた。
滋と桜子の立場からすれば、つくしは庶民かもしれない。
だが庶民だろうが金持ちだろうが3人の間にはこうして友情が成り立っているではないか。
それにつくしは頭がいい。そして気骨がある。自分の信念を守って、どんな障害にも屈しないという強い意気がある。ただ、そんなつくしに欠けるのは、女としての大胆さだと思っていた。
「共通点なんてなくていいのよ。人と人との出会いなんてサイコロの目と同じで行き当たりばったり、運ひとつなんだから」
「そんなものなんですか?でも本当にいいんですか?あの道明寺さんと牧野先輩ですよ?」
あの二人の気が合うなんてことはあり得ないと桜子は滋に言おうとした。
しかしそのとき、化粧室から戻って来るつくしの姿が見えると、滋は大きく手を振った。
「あっ!つくしお帰り!出すもの出してスッキリした?」
「滋さん、お願いですからその露骨な言い方止めてくれません?」
そう言う桜子は横目で滋を見つめていた。

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滋は意味ありげに言うと話しを続けた。
「その男はあたしと同じように会社の役員なんだけどね。これがまたちょっといい男なのよ。あたしとその男は昔馴染っていうのか、仕事上での知り合いなの。長い間ニューヨークで暮らしていたから日本に知り合いの女性もいないし、ちょうどあたし達と年令も同じくらいでね、ひとつ年上だけど、どう?」
どうと言われても困る。
いきなり男を紹介するからと言われてなんと答えればいいのか。ここは素直にありがとうと言うべきなのだろうか。どうやら二人はつくしの恋人探しをすることに決めたらしい。
それもある特定の人物を紹介したいということはわかった。
ただその人物が会社役員という立場から想像出来るのは、権力者で統率力があってどこか傲慢だと言う印象があった。それに滋さんの知り合いだということは、男として間違いなくタフだと言えるはずだ。
何しろ大河原滋は大河原財閥のひとり娘として男顔負けの気の強さがあると言われていた。
だが、つくし達仲間うちではそんなことはなかった。やはりそれは滋が外に向かって求められる己の立場を演じているところがあるのかもしれなかった。
とにかく、そんな滋と渡り合う男ということは、そして滋が認める男ということは、間違いなく一流の男なのだろう。
だが頭を過るのはまた別の思い。
「ねえ、滋さん。その人っておもいっきりいい男で、お金持ちのわがまま坊ちゃんってことでしょ?」
「う~ん・・つくし、それはちょっと違うかもしれない。司って男はお金持ちだけど、わがまま坊ちゃんじゃないわよ?あの男はかなりハードな男だから」
「ハードって何がハードなの?」
「ハードって言ったら言葉が違ったかも。そうねぇ。ワイルド?」
「ワイルド?」
アウトドアが好きな男性?
つくしの中では金持ちの男というのは、鼻持ちならないような自惚れた男が多いというイメージがあった。金にあかせてやりたい放題。エセ紳士とまで言わないが、手あたり次第に女に手を出す。そんなイメージも無きにしも非ずと言った感じだ。
滋がそんなイメージのある金持ちの男性をつくしに紹介しようとするのは何故か?
つくしは贅沢な邸宅や豪勢な暮らしを望んだことはなかった。
もし結婚するなら相手の男性に求めるのは自分を愛してくれるだけで良かった。
それに三条桜子が口にした白馬に乗った王子様を待っているわけではなかったが、それでもどこかに、そして誰にでも必ずふさわしい相手がいるはずだと思っていた。
そして、時が来ればそんな男性が自分の前にも現れる。そう信じていた。だが未だに現れないということは、出会いの神様はつくしの前を素通りしてしまったのだろうか?
つくしは周囲にはバリバリのキャリアウーマンだと思われているが、ビジネススーツの下にはロマンティックな心も持ち合わせていた。ただ、そのことは決して誰にも知られることがないようにと必死に隠していた。だから今どきのつき合いを求められても困るということだ。
今どきのつきあい。それは体だけの手軽な関係ということだ。
愛がないのにそんな関係になれるわけがない。そんな言葉を桜子が聞いたらどう思うだろうか。何しろ三条桜子は男女関係については博愛主義者でいるのだから。
滋がつくしに紹介すると言った男性は道明寺司。
職業は会社役員。道明寺というからにはあの巨大複合企業、道明寺財閥の一員であるということはわかった。同族経営としてはかなりの規模の企業だ。
その男は高校卒業と同時にニューヨークへ渡り、そこで大学を卒業し、そのまま家業の会社の役員として過ごすこと12年。久しぶりに日本へ戻って来たということだった。
つくしはそこまで話しを聞くと、化粧室に行くと言って席を立った。
途端、残された二人はつくしの座っていた場所を詰めると顔を寄せ合った。
「ちょっと、滋さん!いいんですか?滋さんが紹介しようとしてるのは、あの道明寺さんですよね?」
「そうよ?悪い?」
「悪いもなにもないじゃないですか!道明寺さんと言えば昔から女嫌いで有名じゃないですか!」
「えっ?そんなことないわよ?単にあんたが嫌われてたんじゃないの?」
その言葉にムッとした桜子。
桜子は旧華族の血筋で財閥とは異なる特殊な世界の住人の一人だ。
そして年に何度か開かれる旧華族の親睦団体と皇族関係者の集まりにも呼ばれることがある家柄の三条家の出身だ。それなりに名誉だけはあった。そしてその集まりに出たときは、必ず菊のお印の入った饅頭を土産として友人達に渡していた。
「滋さん、相変らず失礼ですね?」
「失礼もなにも司が女嫌いってのは間違いよ。人を選ぶのよ。あの男はね」
それを聞いてますますムッとする桜子。
「でもあの道明寺さんがいくら滋さんの紹介する女性だからって会おうって気になりますか?」
「なるわよ。会わなきゃあの男、おば様に結婚相手を押し付けられるもの」
「そうなんですか!」
桜子の目は驚きに見開かれていた。
その顔はなんならわたしがその押し付けられる結婚相手になりましょうか、と言っていた。
「そうよ。いい加減結婚しろってね!過去にあたしをどうだって勧められそうになって、冗談じゃないって断ったわよ!司とあたしが一緒になんて考えられないわよ。そんなことになったらお互いに殺し合いになるわよ、きっと」
滋は言うと笑っていたが、桜子は神妙な顔つきでいた。
「滋さん。それは言い過ぎです。今の道明寺さんは無駄な血は流しませんから。でもあの道明寺さんですよ?限りなくクールで、世間では徹底的な合理主義者なんて言われてるんですよ?そんな人と先輩が上手く行くと思いますか?それに先輩は道明寺さんの名前を聞いてもピンと来てないようですけど、ご存知なんでしょうか?道明寺さんって方がどんな人か。あの道明寺さんですよ?」
確しかに道明寺司だと言っても、特段に驚いた様子もなく平然と滋の話を聞いていた。
「ああ、それね?つくしが気づいてないって?いいじゃない。それにそんなつくしだから司みたいな男がいいんじゃない?あの子のちょっと鈍感なくらいなところが司には丁度いいのよ。それに見たいじゃない?あの司がつくしに振り回されるところ。あの男が、女に振り回されるなんて信じられないでしょ?」
世界的大富豪。道明寺家の御曹司が名もない女に振り回される。
「確かにそれは言えますね。あの道明寺さんが先輩に振り回されるなんて想像できませんね?」
桜子は同意した。
「でしょ?想像しただけでおかしくない?」
「おかしいという以前に、あの二人が本当に上手く行くと思ってるんですか?」
桜子に大真面目な顔で見つめられ滋は少し表情を変えたが、さして問題にしていなとばかりに言った。
「う~ん。そう言われるとあたしも困るんだけど、とりあえず、ほら、言うじゃない?当たって砕けろって!」
「滋さん何言ってるんですか!ただでさえ細い先輩が砕けちゃったらどうするんですか!」
「えっ?つくしが?」
滋は面白可笑しく驚いた顔をしてみせた。
「そんなことないわよ。つくしは雑草並の根性の持ち主なんだから、踏まれても大丈夫だし、砕けたりしないわよ?」
桜子は人の考えを読むのが得意だったが、滋の考えていることがわからない時があった。滋は親友のつくしのことをからかって遊んでいるのではないかと感じることがあったからだ。だがそれは自分にも言えた。桜子もついつくしの事となるとからかいたくなってしまっていた。
「むしろ司の方が砕けるんじゃないかってあたしは思ってるんだけどね?」
滋は意味ありげなほほ笑みを浮かべていた。
「わたしは滋さんの考えがわかりません」
「でもつくしは仕事柄、人との交渉は得意でしょ?」
「そうは言っても相手は格が違い過ぎますよ?滋さんだってご存知ですよね?道明寺さんは最近アメリカの雑誌で″世界で最も結婚したい独身男性トップ10″に選ばれたんですよ?」
「さずが、司だわ。相変らずのいい男だもんね」
「そうですよ!その道明寺さんと、一般庶民代表選手権で選ばれたような先輩ですよ?そんな二人のどこに共通点があるんです?」
一般庶民代表選手権。
そんな選手権があったのかと滋は真剣に考えていた。
滋と桜子の立場からすれば、つくしは庶民かもしれない。
だが庶民だろうが金持ちだろうが3人の間にはこうして友情が成り立っているではないか。
それにつくしは頭がいい。そして気骨がある。自分の信念を守って、どんな障害にも屈しないという強い意気がある。ただ、そんなつくしに欠けるのは、女としての大胆さだと思っていた。
「共通点なんてなくていいのよ。人と人との出会いなんてサイコロの目と同じで行き当たりばったり、運ひとつなんだから」
「そんなものなんですか?でも本当にいいんですか?あの道明寺さんと牧野先輩ですよ?」
あの二人の気が合うなんてことはあり得ないと桜子は滋に言おうとした。
しかしそのとき、化粧室から戻って来るつくしの姿が見えると、滋は大きく手を振った。
「あっ!つくしお帰り!出すもの出してスッキリした?」
「滋さん、お願いですからその露骨な言い方止めてくれません?」
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リムジンが高層ビルの前で止まると、ひとりの男が降り立った。
周囲の者から憧れと羨望を持って見つめられることに慣れた男。
彼が踏み出した一歩は、他の人間の二歩に相当するのではないかというほど脚が長かった。
運転手が男の降りたドアを閉めると、その音を合図とばかりに周囲にいた人間たちが一斉に動き出す。そして、いつものことだが彼の後にはまるで大名行列のように大勢の人間が付き従っていた。
ビルのエントランスから専用エレベーターまでの距離はいったいどれくらいあるのか。
その間に交わされる言葉は殆ど無いが、何故か恒例行事となっている朝の支社長お出迎えの光景。そんな中、男の硬質な靴音だけが大理石の床を打ち鳴らしていた。
司がロービーに入って来ると、受付ブースにいた女性達はさっと立ち上がって低頭をした。
そしてたった一歩で彼女たちの傍を通り過ぎた男の後姿を憧れの眼差しで見送っていた。
「いいわよねぇ。道明寺支社長って。憧れるわぁ・・」
「本当よねぇ。あの脚の長さ見た?それにあの横顔ったらクール!」
「でもねぇ。一緒に働きたくはないわよね?」
「そうよね?支社長は全てを完璧に把握しておきたい人だもの」
非の打ち所がないスーツを着た男は仕事に対しては厳しい目を持っていた。
はっきりとした持論を持ち、どんなことでも論議出来るだけの能力を備えているのは当然だが、世界経済と市場の動向には誰よりも敏感だった。
ある国の選挙結果で相場の状況が激しく変わることがある。特に外国為替市場での円は安定通貨として人気があり、有事の時は買われる傾向にあるが、今回の選挙は果たしてどう影響するのか?日本は輸出に頼る国だ。円が多く買われることで円高が進めば輸出企業は大きな影響を受けることに間違いない。昔と違って経済は国家単位ではなく、世界規模で動いている。
以前はどこかの国がくしゃみをすれば、日本が風邪をひくと言われていたが、今では世界同時に風邪をひくと言われていた。
司の頭の中ではいつも理路整然と物事が進んでいた。そしていつもすべてを完璧に把握していた。だから今の状況がどう変化するのか、つねにマーケットの情報は気に留めていた。
道明寺司は合理主義者だと言われていた。
効率よく仕事をするためには合理的にならざるを得ないのが本当のところだが、そんなことから世間は彼を冷たい人間だと言っていた。
そして、そんな彼を取り囲む人間は選りすぐりの人物ばかりで、秘書もその中のひとりだ。
「支社長、今日は朝からスケジュールが立て込んでおります」
秘書からかけられる言葉はいつも決まっていた。
スケジュールが立て込んでいるのはいつものことで、わかり切ったことだった。
秘書は視線を向けられることがなくても、司が聞いていることはわかっていた。長年仕えていれば、上司のビジネススタイルは理解出来ていた。司が秘書に視線を向けることは殆どなく、耳で聞くだけで充分だと言うことだ。
確かに彼の秘書は優秀で司に無駄な行動を取らせることはなかった。そして、司はそんな秘書に全幅の信頼を寄せていた。
司の乗り込むエレベーターが止まるのはただひとつだけ。それは彼の執務室がある最上階のフロアだ。専用エレベーターは静かに、そして一気に彼を目的地まで運び上げていた。
扉が開いてその先にあるのは手前から秘書室、役員室、会議室と司の執務室で、彼はまっすぐに自分の部屋へと向かっていた。
衝動に突き動かされるままに行動をするようなことがない男は、世界を動かせるだけの力がある。だからと言って別に今すぐそうしたいというわけではなかった。
そうすることで何か楽しさがあるというのなら、そうしたかもしれない。
司は人生を楽しむということがなかったが、最近角の生えた女が、いや、現実には生えていないが自分の母親が結婚しろと煩い。
実にいまいましい思いだが、それも仕方がなかった。いつかは結婚して跡継ぎを作らなければならない身なのだから。
だが女性とひとつ屋根の下で暮らすことなど考えたこともなかった。
ましてや結婚などとんでもない話だ。
それなのにどうして滋からの電話に頷いていたのか。
まさに気詰まりとしか言えないような話のはずなのに、何故自分はそんな約束をしたのか。
司にもよくわからなかった。恐らくあの時は母親が余りにも煩かったため、つい返事をしてしまったのだろう。
そうでなければ滋の話に耳を傾けてはいなかったはずだ。
大河原滋とは男女の仲を超越したような関係だ。
男同士のようなつき合とまでは行かないが、ビジネスに於いては対等に話が出来る人間だった。それに滋は司にとって唯一と言っていいほどの女の知り合いだ。名前からして男のような名前で、性格もまさに男勝り。
大河原財閥の女当主となることは間違いがない女だ。そんなこともあり、無碍に断るわけにもいかなかった。あの女はこのまま行けば、まさに楓のような女になるのではないかという感じだ。
とにかく司は滋が紹介する女と会うことになっていた。
まあ会うだけなら、と返事をした手前会わないわけにはいかなかった。
それに逃げた所でどの道、誰かと結婚しなければならない道筋が出来ているのなら、滋が紹介したいという女と会ってみるのもいいかと考えた。滋のようなタイプの女なのか、そうではないのか。どんな女を連れて来たとしても無駄だと思うが、滋ほどずけずけと物を言う女じゃないことを祈っていた。
司は部屋へ入ると自分のデスクへ向かう途中で秘書に声をかけた。
「西田。それで今日の具体的なスケジュールはどうなってる?」
***
つくしは鏡に映った自分の姿を見つめていた。
大枚叩いて買ったビジネススーツは彼女の戦闘服だ。
新しいことにチャレンジするたびに、少しずつだが成長して来たと思っている。
そして仕事を終えたあとの達成感は何物にも代えがたかった。
それに仕事にやりがいを感じていた。
世界を動かすような仕事では無かったが、企画力とマーケティングスキルを高める仕事だ。
それに、コミュニケーション能力と体力も必要とされる仕事だ。
つくしは広告代理店の営業部門の主任だ。
営業の仕事はクライアントとの窓口であり、広告が出来上がるまでのスケジュール管理や企画全体の指揮をすることだ。
営業が広告の依頼を受け、企画部門、もしくはマーケティング部門とも言うが、そこが市場分析をし、リサーチをしてどんな広告を作れば売上向上につながるかの戦略を立てる。
そしてデザイナーやコピーライターやグラフィックアートを担当するクリエイティブ部門によって広告が出来上がる。
企業が出す広告の狙いは売上を伸ばし、消費者層を拡大していくことが目的だ。
テレビ広告などは長くて30秒しかない。だからこそ、その短い時間にどれだけ消費者の心を掴み、かつ商品の魅力をアピール出来る広告なのかが重要だ。
この業界でよく言われるのは、労働時間と仕事量が見合っていないということだ。
そして派手な仕事だと思われているが、実は地味な仕事だ。
そんな地味な仕事でもクライアントからのあるひと言にはいつも怯えていた。
それは『 担当を変えるぞ!』だ。
この言葉は営業にとって一番怖い言葉だ。
恐らくどこの代理店もそうだろうが、長年担当している企業からのこの言葉を聞かされると身が縮む思いがするはずだ。
だから一日のうっぷんが溜まることがあるが、そんな時はひとり映画館で過ごすことにしていた。なぜなら落ち着けるからだ。それに映画に集中出来るからだ。
もちろん映画なんてレンタルで借りて観ることも出来るが、家にいると、どうしても集中することが出来ない。つまり何もせずに見ている時間が勿体ないとばかり、他のことに注意が向いてしまうからだ。
それは例えばアイロンがけであったり、企画書を書くことだったりしていた。
こんなことを言うと滋さんや桜子に怒られてしまうが、映画はひとりで観るに限る。
でも今はそんなことを考えている場合じゃない。
これからクライアントのオリエンテーションに参加することになっていた。
クライアントによるオリエンテーション。
それは企業から広告を出したい商品について説明を受けることだ。
商品のターゲット層やアピールしたいポイント。販売手段や広告の予算。
広告を作るにあたっての条件や目標が具体的に示される。
そしてこのオリエンテーションには競合他社も来る。
今回の広告はマスメディア広告と呼ばれる広告で、マス広告と呼ばれていた。
媒体はテレビ、ラジオ、新聞と雑誌に掲載する広告だ。
そしてクライアントの名前は道明寺ホールディングス日本支社。
滋さんが会わせたいと言っていた男がいる会社だった。

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彼が踏み出した一歩は、他の人間の二歩に相当するのではないかというほど脚が長かった。
運転手が男の降りたドアを閉めると、その音を合図とばかりに周囲にいた人間たちが一斉に動き出す。そして、いつものことだが彼の後にはまるで大名行列のように大勢の人間が付き従っていた。
ビルのエントランスから専用エレベーターまでの距離はいったいどれくらいあるのか。
その間に交わされる言葉は殆ど無いが、何故か恒例行事となっている朝の支社長お出迎えの光景。そんな中、男の硬質な靴音だけが大理石の床を打ち鳴らしていた。
司がロービーに入って来ると、受付ブースにいた女性達はさっと立ち上がって低頭をした。
そしてたった一歩で彼女たちの傍を通り過ぎた男の後姿を憧れの眼差しで見送っていた。
「いいわよねぇ。道明寺支社長って。憧れるわぁ・・」
「本当よねぇ。あの脚の長さ見た?それにあの横顔ったらクール!」
「でもねぇ。一緒に働きたくはないわよね?」
「そうよね?支社長は全てを完璧に把握しておきたい人だもの」
非の打ち所がないスーツを着た男は仕事に対しては厳しい目を持っていた。
はっきりとした持論を持ち、どんなことでも論議出来るだけの能力を備えているのは当然だが、世界経済と市場の動向には誰よりも敏感だった。
ある国の選挙結果で相場の状況が激しく変わることがある。特に外国為替市場での円は安定通貨として人気があり、有事の時は買われる傾向にあるが、今回の選挙は果たしてどう影響するのか?日本は輸出に頼る国だ。円が多く買われることで円高が進めば輸出企業は大きな影響を受けることに間違いない。昔と違って経済は国家単位ではなく、世界規模で動いている。
以前はどこかの国がくしゃみをすれば、日本が風邪をひくと言われていたが、今では世界同時に風邪をひくと言われていた。
司の頭の中ではいつも理路整然と物事が進んでいた。そしていつもすべてを完璧に把握していた。だから今の状況がどう変化するのか、つねにマーケットの情報は気に留めていた。
道明寺司は合理主義者だと言われていた。
効率よく仕事をするためには合理的にならざるを得ないのが本当のところだが、そんなことから世間は彼を冷たい人間だと言っていた。
そして、そんな彼を取り囲む人間は選りすぐりの人物ばかりで、秘書もその中のひとりだ。
「支社長、今日は朝からスケジュールが立て込んでおります」
秘書からかけられる言葉はいつも決まっていた。
スケジュールが立て込んでいるのはいつものことで、わかり切ったことだった。
秘書は視線を向けられることがなくても、司が聞いていることはわかっていた。長年仕えていれば、上司のビジネススタイルは理解出来ていた。司が秘書に視線を向けることは殆どなく、耳で聞くだけで充分だと言うことだ。
確かに彼の秘書は優秀で司に無駄な行動を取らせることはなかった。そして、司はそんな秘書に全幅の信頼を寄せていた。
司の乗り込むエレベーターが止まるのはただひとつだけ。それは彼の執務室がある最上階のフロアだ。専用エレベーターは静かに、そして一気に彼を目的地まで運び上げていた。
扉が開いてその先にあるのは手前から秘書室、役員室、会議室と司の執務室で、彼はまっすぐに自分の部屋へと向かっていた。
衝動に突き動かされるままに行動をするようなことがない男は、世界を動かせるだけの力がある。だからと言って別に今すぐそうしたいというわけではなかった。
そうすることで何か楽しさがあるというのなら、そうしたかもしれない。
司は人生を楽しむということがなかったが、最近角の生えた女が、いや、現実には生えていないが自分の母親が結婚しろと煩い。
実にいまいましい思いだが、それも仕方がなかった。いつかは結婚して跡継ぎを作らなければならない身なのだから。
だが女性とひとつ屋根の下で暮らすことなど考えたこともなかった。
ましてや結婚などとんでもない話だ。
それなのにどうして滋からの電話に頷いていたのか。
まさに気詰まりとしか言えないような話のはずなのに、何故自分はそんな約束をしたのか。
司にもよくわからなかった。恐らくあの時は母親が余りにも煩かったため、つい返事をしてしまったのだろう。
そうでなければ滋の話に耳を傾けてはいなかったはずだ。
大河原滋とは男女の仲を超越したような関係だ。
男同士のようなつき合とまでは行かないが、ビジネスに於いては対等に話が出来る人間だった。それに滋は司にとって唯一と言っていいほどの女の知り合いだ。名前からして男のような名前で、性格もまさに男勝り。
大河原財閥の女当主となることは間違いがない女だ。そんなこともあり、無碍に断るわけにもいかなかった。あの女はこのまま行けば、まさに楓のような女になるのではないかという感じだ。
とにかく司は滋が紹介する女と会うことになっていた。
まあ会うだけなら、と返事をした手前会わないわけにはいかなかった。
それに逃げた所でどの道、誰かと結婚しなければならない道筋が出来ているのなら、滋が紹介したいという女と会ってみるのもいいかと考えた。滋のようなタイプの女なのか、そうではないのか。どんな女を連れて来たとしても無駄だと思うが、滋ほどずけずけと物を言う女じゃないことを祈っていた。
司は部屋へ入ると自分のデスクへ向かう途中で秘書に声をかけた。
「西田。それで今日の具体的なスケジュールはどうなってる?」
***
つくしは鏡に映った自分の姿を見つめていた。
大枚叩いて買ったビジネススーツは彼女の戦闘服だ。
新しいことにチャレンジするたびに、少しずつだが成長して来たと思っている。
そして仕事を終えたあとの達成感は何物にも代えがたかった。
それに仕事にやりがいを感じていた。
世界を動かすような仕事では無かったが、企画力とマーケティングスキルを高める仕事だ。
それに、コミュニケーション能力と体力も必要とされる仕事だ。
つくしは広告代理店の営業部門の主任だ。
営業の仕事はクライアントとの窓口であり、広告が出来上がるまでのスケジュール管理や企画全体の指揮をすることだ。
営業が広告の依頼を受け、企画部門、もしくはマーケティング部門とも言うが、そこが市場分析をし、リサーチをしてどんな広告を作れば売上向上につながるかの戦略を立てる。
そしてデザイナーやコピーライターやグラフィックアートを担当するクリエイティブ部門によって広告が出来上がる。
企業が出す広告の狙いは売上を伸ばし、消費者層を拡大していくことが目的だ。
テレビ広告などは長くて30秒しかない。だからこそ、その短い時間にどれだけ消費者の心を掴み、かつ商品の魅力をアピール出来る広告なのかが重要だ。
この業界でよく言われるのは、労働時間と仕事量が見合っていないということだ。
そして派手な仕事だと思われているが、実は地味な仕事だ。
そんな地味な仕事でもクライアントからのあるひと言にはいつも怯えていた。
それは『 担当を変えるぞ!』だ。
この言葉は営業にとって一番怖い言葉だ。
恐らくどこの代理店もそうだろうが、長年担当している企業からのこの言葉を聞かされると身が縮む思いがするはずだ。
だから一日のうっぷんが溜まることがあるが、そんな時はひとり映画館で過ごすことにしていた。なぜなら落ち着けるからだ。それに映画に集中出来るからだ。
もちろん映画なんてレンタルで借りて観ることも出来るが、家にいると、どうしても集中することが出来ない。つまり何もせずに見ている時間が勿体ないとばかり、他のことに注意が向いてしまうからだ。
それは例えばアイロンがけであったり、企画書を書くことだったりしていた。
こんなことを言うと滋さんや桜子に怒られてしまうが、映画はひとりで観るに限る。
でも今はそんなことを考えている場合じゃない。
これからクライアントのオリエンテーションに参加することになっていた。
クライアントによるオリエンテーション。
それは企業から広告を出したい商品について説明を受けることだ。
商品のターゲット層やアピールしたいポイント。販売手段や広告の予算。
広告を作るにあたっての条件や目標が具体的に示される。
そしてこのオリエンテーションには競合他社も来る。
今回の広告はマスメディア広告と呼ばれる広告で、マス広告と呼ばれていた。
媒体はテレビ、ラジオ、新聞と雑誌に掲載する広告だ。
そしてクライアントの名前は道明寺ホールディングス日本支社。
滋さんが会わせたいと言っていた男がいる会社だった。

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「これは、これは。博創堂さんの牧野さんではありませんか?」
声をかけて来たのはつくしの会社のライバル、業界第一位と言われるシェアを誇る光永企画の営業担当だ。
この男は過去つくしに向かって″歳食ってる女″といい放ったことがあった。
それはつくしがある企業の最終プレゼンでこの男に勝って仕事を手に入れたからだ。
つくしはそれ以来この男を心の中で″マヌケ男″と呼んでいた。
「博創堂さんも牧野さんを送り込んで来るところを見ると、力を入れていらっしゃいますね?だが実績から言えば道明寺さんの仕事はうちが殆どの広告を手掛けてきましたので、今回もそうなると思いますが、お互いに頑張りましょうか」
「ええ。お互いに、いいプレゼンが出来るといいですね。楽しみにしています」
嫌味ったらしい言い方の男に警戒心を見せることがないよう、何気を装った。
「では、プレゼンでお会い出来るのを楽しみにしていますよ」
マヌケ男はそう言うと受付のテーブルへと向かっていた。
確かに光永企画は今までも道明寺ホールディングス日本支社の仕事を数多く手掛けていた。
だからと言って、あの会社が道明寺のハウスエージェンシー(専属の広告代理店)ということではない。だからこうして代理店を集め、オリエンテーションを開き、プレゼンを行ってから選ぶというのだから、チャンスはあるはずだ。
それに今の仕事を続けるなら、道明寺ホールディングスの仕事を取りたいという思いがある。
この会社は今までも決して一社だけに広告を任せるということはなかった。各社を競わせ、その中でベストなものを選ぶということをしてきた。だがつくしの会社は過去のプレゼンで勝ち残ることが出来なかった。
だからそこ、今度こそはという思いがあった。そうすれば自分のキャリアにも自信がつく。
「いやな男」
つくしは隣に立つ若い男性にだけ聞こえるような声で言った。
「牧野主任、あの人は光永企画の浜野さんですよね?」
「知ってるの?」
「ええ。一応。だってあの人の営業力って凄いんですよね?今まで道明寺での仕事の殆どがあの人に持っていかれてるんですよね?でもどうしてうちの会社はあの人に勝てないんでしょうね?」
「それは、うちの企画に魅力がないからでしょ?」
つくしは言うと息を吐いていた。
実際問題どうしてあの会社に勝てないのかといつも思っていた。
「紺野君、悪いけどあなたが受付を済ませてくれる?終わったら中に入っていいからね。わたしはちょっと電話してくるから」
会議室で行われるオリエンテーションにはすでに何社かの代理店が集まっており、今までも何度か顔を合わせたことがある営業の人間もいた。
つくしは会場に背を向けると、上着のポケットから携帯電話を取り出した。
だが、この場所で電話は出来ないと、廊下を端に向かって歩き出していた。
「お疲れ様です。牧野です。あの道明寺さんの件ですが、光永企画は浜野さんが担当のようです」
「_はい」
「_そうですね_はい」
「_ええ・・わかりました」
そのとき、″おいっ″という男性の低い声が聞えた。
下を見ながら歩いていたつくしは何事かと顔を上げた瞬間、何かにぶつかって倒れそうになっていた。だがなんとか踏ん張ったが、ハイヒールを履いた足は踏ん張り切れなかったようで、後ろによろめくと、ドスンと床に尻もちをついていた。その途端、携帯電話は手から離れて床に転がり、反対側の手で持っていた鞄も床に投げ出されていた。
一瞬、何が起きたのかわからなかったが、我に返るのは早かった。そして、慌てて立ち上がろうとしたが立ち上がれなかった。
「痛っ・・・」
足を挫く可能性があるとは思いもしない高さのヒール。それなのにつくしは足首に激痛が走っていた。足を痛めたということは簡単にわかった。
信じられない。一体なんなのよ!
誰よ?人の前にボケっと立たないでくれる?
つくしは心の中で悪態をついていた。
「おい。大丈夫か?」
頭上から低い声がした。
「い、痛っ・・だ、大丈夫じゃないわよ・・一体どこ見て歩いて・・」
顔を上げると、そこには背の高い男がつくしを見下ろす姿があった。
床に座り込んだつくしから見れば、かなり背が高い男性だ。少なくとも180センチはありそうで、すらりとした体は均整がとれていた。そして人を見下ろす態度は何故か堂に入っていた。
特別ハンサムで圧倒的な迫力の男性。
まるで外国人モデルのように彫が深くてきれいな顔立ちだ。
もしかして・・今回の広告のイメージキャラクターとして道明寺ホールディングスが用意したモデル?今度の広告にはこの人物を使えという条件なのだろうか?
だが、そのことは驚くほどのことではなかった。
指定する人物を使っての広告はよくある話しだ。
この男性はもしかしたら道明寺家と近しい間柄の人間なのか、それとも道明寺ホールディングスが後援者となって売り出す俳優とか?
どちらにしても、それにもしそうだとしてもつくしには自信があった。
どんなコンセプトで商品を売り出すのか、ましてやなんの商品かわからなかったが、この男性をイメージキャラクターとして使えというなら、女性に対してのマーケティングを強化すべきだ。対象年齢は10代後半から40代。それから可処分所得が多い独身女性がいいかもしれない。
それから_
「どうされましたか?」
「えっ?」
思わず返事をしたが、呆然と見上げていたつくしに声をかけて来たのは眼鏡をかけた中年の男性。気付けばつくしはその男性からも見下ろされていた。
「ああ。この女がぶつかってきた」
男性の隣のモデル男からの思わぬ言葉につくしはムッとして言い返していた。
「あ、あなたがぶつかって来たんでしょ?」
「おまえが下を向いて電話しながら歩いてたのが悪いんじゃねぇのか?俺がエレベーターから降りたら前を見てないおまえが突進して来たんだろ?」
つくしは黙ってしまった。
非難めいた口調で言われたが、確かにこの男の言う通りだ。
電話に気を取られ、前をよく見ずに歩いていたのはつくしの方だった。
そして気付けばエレベーターの前まで来ていて、この男性にぶつかっていた。
つくしはきまり悪そうに咳をすると、両手を床について立ち上がろうとした。
だが、立ち上がることが出来ず、思わず痛いと口にしていた。
「立てねぇのか?」
見下ろす男からの言葉に体を動かそうとして痛みに顔が歪んだが、何とか返事をすることが出来た。
「ど、どうぞご心配なく」
そうは言ったが、痛みのせいなのか顔が歪んでいた。
「もしかして骨が折れていらっしゃるのではないでしょうか?」
そう言ったのは眼鏡をかけた中年男性の方だ。
「医務室に行きましょう。すぐに人を呼びます」
「だ、大丈夫ですから。ほ、本当に大丈夫ですから・・」
これから仕事だと言うのに医務室なんかに行っている場合じゃないとつくしは断った。
だが痛みを堪えての言葉が伝わったのか、モデル男はつくしの前にしゃがみ込んだ。
「立てねぇんだろ?」
つくしの青ざめた顔を見た男は怪我をしたと思われる足首に目をやると、腫れ上がって来たことを確認した。
すると、足から靴を脱がせると腫れ上がった足首に触れ、骨が折れていないか確かめ始めた。
つくしは男の突然の行動に驚いたが足を動かすことが出来ず、大人しく足首を触られていた。次に大きな手は足の甲を掴むと、くるぶしのあたりに慎重に手を這わせていた。
「いっ・・痛っ・・」
「心配するな。骨は折れてねぇようだ」
自信たっぷりな口調にこの男は医者なのかと訝ったが、こんな横柄な物言いをする男が医者であるはずがないと思った。
「西田。医務室に連絡入れとけ。俺がこれから連れて行く」
「はい。すぐに」
「だ、大丈夫です!大丈夫だから・・た、多分捻挫だから・・・そうよね?あなた今調べてくれたのよね?大丈夫よね?」
「だからなんだよ?立ち上がることも出来ねぇのにどうすんだよ?」
男がそう答えた次の瞬間、つくしの体は浮き上がっていた。

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声をかけて来たのはつくしの会社のライバル、業界第一位と言われるシェアを誇る光永企画の営業担当だ。
この男は過去つくしに向かって″歳食ってる女″といい放ったことがあった。
それはつくしがある企業の最終プレゼンでこの男に勝って仕事を手に入れたからだ。
つくしはそれ以来この男を心の中で″マヌケ男″と呼んでいた。
「博創堂さんも牧野さんを送り込んで来るところを見ると、力を入れていらっしゃいますね?だが実績から言えば道明寺さんの仕事はうちが殆どの広告を手掛けてきましたので、今回もそうなると思いますが、お互いに頑張りましょうか」
「ええ。お互いに、いいプレゼンが出来るといいですね。楽しみにしています」
嫌味ったらしい言い方の男に警戒心を見せることがないよう、何気を装った。
「では、プレゼンでお会い出来るのを楽しみにしていますよ」
マヌケ男はそう言うと受付のテーブルへと向かっていた。
確かに光永企画は今までも道明寺ホールディングス日本支社の仕事を数多く手掛けていた。
だからと言って、あの会社が道明寺のハウスエージェンシー(専属の広告代理店)ということではない。だからこうして代理店を集め、オリエンテーションを開き、プレゼンを行ってから選ぶというのだから、チャンスはあるはずだ。
それに今の仕事を続けるなら、道明寺ホールディングスの仕事を取りたいという思いがある。
この会社は今までも決して一社だけに広告を任せるということはなかった。各社を競わせ、その中でベストなものを選ぶということをしてきた。だがつくしの会社は過去のプレゼンで勝ち残ることが出来なかった。
だからそこ、今度こそはという思いがあった。そうすれば自分のキャリアにも自信がつく。
「いやな男」
つくしは隣に立つ若い男性にだけ聞こえるような声で言った。
「牧野主任、あの人は光永企画の浜野さんですよね?」
「知ってるの?」
「ええ。一応。だってあの人の営業力って凄いんですよね?今まで道明寺での仕事の殆どがあの人に持っていかれてるんですよね?でもどうしてうちの会社はあの人に勝てないんでしょうね?」
「それは、うちの企画に魅力がないからでしょ?」
つくしは言うと息を吐いていた。
実際問題どうしてあの会社に勝てないのかといつも思っていた。
「紺野君、悪いけどあなたが受付を済ませてくれる?終わったら中に入っていいからね。わたしはちょっと電話してくるから」
会議室で行われるオリエンテーションにはすでに何社かの代理店が集まっており、今までも何度か顔を合わせたことがある営業の人間もいた。
つくしは会場に背を向けると、上着のポケットから携帯電話を取り出した。
だが、この場所で電話は出来ないと、廊下を端に向かって歩き出していた。
「お疲れ様です。牧野です。あの道明寺さんの件ですが、光永企画は浜野さんが担当のようです」
「_はい」
「_そうですね_はい」
「_ええ・・わかりました」
そのとき、″おいっ″という男性の低い声が聞えた。
下を見ながら歩いていたつくしは何事かと顔を上げた瞬間、何かにぶつかって倒れそうになっていた。だがなんとか踏ん張ったが、ハイヒールを履いた足は踏ん張り切れなかったようで、後ろによろめくと、ドスンと床に尻もちをついていた。その途端、携帯電話は手から離れて床に転がり、反対側の手で持っていた鞄も床に投げ出されていた。
一瞬、何が起きたのかわからなかったが、我に返るのは早かった。そして、慌てて立ち上がろうとしたが立ち上がれなかった。
「痛っ・・・」
足を挫く可能性があるとは思いもしない高さのヒール。それなのにつくしは足首に激痛が走っていた。足を痛めたということは簡単にわかった。
信じられない。一体なんなのよ!
誰よ?人の前にボケっと立たないでくれる?
つくしは心の中で悪態をついていた。
「おい。大丈夫か?」
頭上から低い声がした。
「い、痛っ・・だ、大丈夫じゃないわよ・・一体どこ見て歩いて・・」
顔を上げると、そこには背の高い男がつくしを見下ろす姿があった。
床に座り込んだつくしから見れば、かなり背が高い男性だ。少なくとも180センチはありそうで、すらりとした体は均整がとれていた。そして人を見下ろす態度は何故か堂に入っていた。
特別ハンサムで圧倒的な迫力の男性。
まるで外国人モデルのように彫が深くてきれいな顔立ちだ。
もしかして・・今回の広告のイメージキャラクターとして道明寺ホールディングスが用意したモデル?今度の広告にはこの人物を使えという条件なのだろうか?
だが、そのことは驚くほどのことではなかった。
指定する人物を使っての広告はよくある話しだ。
この男性はもしかしたら道明寺家と近しい間柄の人間なのか、それとも道明寺ホールディングスが後援者となって売り出す俳優とか?
どちらにしても、それにもしそうだとしてもつくしには自信があった。
どんなコンセプトで商品を売り出すのか、ましてやなんの商品かわからなかったが、この男性をイメージキャラクターとして使えというなら、女性に対してのマーケティングを強化すべきだ。対象年齢は10代後半から40代。それから可処分所得が多い独身女性がいいかもしれない。
それから_
「どうされましたか?」
「えっ?」
思わず返事をしたが、呆然と見上げていたつくしに声をかけて来たのは眼鏡をかけた中年の男性。気付けばつくしはその男性からも見下ろされていた。
「ああ。この女がぶつかってきた」
男性の隣のモデル男からの思わぬ言葉につくしはムッとして言い返していた。
「あ、あなたがぶつかって来たんでしょ?」
「おまえが下を向いて電話しながら歩いてたのが悪いんじゃねぇのか?俺がエレベーターから降りたら前を見てないおまえが突進して来たんだろ?」
つくしは黙ってしまった。
非難めいた口調で言われたが、確かにこの男の言う通りだ。
電話に気を取られ、前をよく見ずに歩いていたのはつくしの方だった。
そして気付けばエレベーターの前まで来ていて、この男性にぶつかっていた。
つくしはきまり悪そうに咳をすると、両手を床について立ち上がろうとした。
だが、立ち上がることが出来ず、思わず痛いと口にしていた。
「立てねぇのか?」
見下ろす男からの言葉に体を動かそうとして痛みに顔が歪んだが、何とか返事をすることが出来た。
「ど、どうぞご心配なく」
そうは言ったが、痛みのせいなのか顔が歪んでいた。
「もしかして骨が折れていらっしゃるのではないでしょうか?」
そう言ったのは眼鏡をかけた中年男性の方だ。
「医務室に行きましょう。すぐに人を呼びます」
「だ、大丈夫ですから。ほ、本当に大丈夫ですから・・」
これから仕事だと言うのに医務室なんかに行っている場合じゃないとつくしは断った。
だが痛みを堪えての言葉が伝わったのか、モデル男はつくしの前にしゃがみ込んだ。
「立てねぇんだろ?」
つくしの青ざめた顔を見た男は怪我をしたと思われる足首に目をやると、腫れ上がって来たことを確認した。
すると、足から靴を脱がせると腫れ上がった足首に触れ、骨が折れていないか確かめ始めた。
つくしは男の突然の行動に驚いたが足を動かすことが出来ず、大人しく足首を触られていた。次に大きな手は足の甲を掴むと、くるぶしのあたりに慎重に手を這わせていた。
「いっ・・痛っ・・」
「心配するな。骨は折れてねぇようだ」
自信たっぷりな口調にこの男は医者なのかと訝ったが、こんな横柄な物言いをする男が医者であるはずがないと思った。
「西田。医務室に連絡入れとけ。俺がこれから連れて行く」
「はい。すぐに」
「だ、大丈夫です!大丈夫だから・・た、多分捻挫だから・・・そうよね?あなた今調べてくれたのよね?大丈夫よね?」
「だからなんだよ?立ち上がることも出来ねぇのにどうすんだよ?」
男がそう答えた次の瞬間、つくしの体は浮き上がっていた。

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つくしを医務室まで運んでくれた男は彼女をベッドの上に降ろすと、後ろへ下がった。
まさか横たわるわけにはいかないつくしは、ベッドの上に足を乗せたまま両腕を後ろにつき、上半身を起こした状態でいた。
「西田。医者はどこだ?」
「はい。社内の別の場所にいるとのことで、只今こちらに向かっております」
男はベッドの側へ椅子を置くと、腰を下ろした。
「看護婦も一緒か?」
「どうやらそのようですね。いかがいたしましょう?医師はすぐこちらに戻るとは言っておりましたが、こちらの方を一人残していくわけにはいかないでしょう」
眼鏡をかけた男は言うとつくしを見やった。
「あの。わたしなら大丈夫です。お、お手数をお掛けしました。ほ、本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございません。あのお医者さんにわざわざ見て頂かなくても大丈夫です。ただの捻挫だと思いますので、本当にあのもう大丈夫ですから」
つくしはここまでされると本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。医務室までこうして運んでくれただけでも、もう十分だというのに医師が戻るまでここにいるということに申し訳なさを感じていた。だがどうしてここまで親切にしてくれるのかが不思議だった。
「そうは仰っても社内での怪我ですから、我社の責任になります。社内での怪我は場合によっては労災の申請にもかかわりますから」
「西田。こんなことで労災申請するのか?」
「はい。ケースバイケースですが、考えられないこともありません。フロアの配線が一部露出していたために、そこに足を取られて転倒したというケースがありますので」
「でもこいつは配線に引っかかったわけじゃねぇぞ?」
二人が交わす会話から、モデルかと思った男はどうやらこの会社の社員だということがわかった。そしてその態度から、眼鏡をかけた中年の男性は、この男の秘書だということが推測される。秘書がつく待遇と言えば、役員クラスということになる。と、なるとつくしの目の前で椅子に腰かけ、こちらを見ている男はまだ30代半ば程だと思われるが、間違いなく上級クラスの役員だ。つくしが前方不注意でぶつかった相手がクライアントになるかもしれない企業の役員だなんてことになると、これからの契約にも影響が出るのではないだろうか。何しろ印象は大切だ。それなのにつくしは、思わずどこ見て歩いているのよ!なんて言ってしまった。
それにまさか訪問先の企業の医務室にお世話になるなんて。とつくしは焦っていた。
簡素な椅子に腰かけ、両肘を膝につき、指先を組み合わせ前屈みになった姿勢で何かを見透かそうとするように、じっとこちらを見る男。
つくしはそんな男に視線を向けることが出来ず、秘書と思われる男性に向かって話をしていた。
「あの。本当に大丈夫ですから。ご心配をいただくようなことにはなりませんし、ご迷惑をおかけするような事態にはなりませんから」
相手がクライアントになる予定の会社の役員なら、これ以上手を煩わせるなんて出来ない。
つくしは必死だった。もうこの場から逃げ出したい思いだった。
それに目を向けることが出来ない男からの強烈な視線だけは感じられていた。いったい何なのよ!あたしに言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!その言葉が出かかったが、グッと呑み込んだ。相手がクライアントじゃなければ、言ってやるのに!
「失礼ですが、こちらのビルにはどういったご用件でお見えになられたのでしょうか?」
秘書の男からの落ち着いた言葉につくしは我に返った。
男二人の視線はつくしの首からぶら下げられた入館証に目が行っていることはわかった。
そうよ!新商品の広告のオリエンテーションに来たのに、こんなところで呑気に話し込んでる場合じゃないわ!
「あ、はい。先ほどのフロアでの会議に参加するためなんです」
「会議?」
「は、はいあの・・」
「おい。西田。今日あのフロアである会議ってなんだ?」
問われた男は手元のタブレット端末を確認すると答えた。
「あちらのフロアである本日の会議は新商品の広告のオリエンテーションですね。各代理店から担当者がお見えになられていると思います」
「そうか。西田、氷とタオルを持って来てくれ」
「氷でございますか?医務室に氷は置いてないと思いますが」
「ならなんか冷やすものでも探してくれ。こいつの足首、腫れてるから冷やしてやんねぇとな」
男が指摘したとおり足首は誰が見ても腫れているとわかるほどで、既に熱をもってジンジンとしていた。
言われた男は医務室の中にあるとすれば、と冷蔵設備から医療用のコールドパック(保冷剤)を取り出して来た。
「こちらでいかがでしょうか」
「ああ。悪いな」
男は受け取るとつくしの足首に視線を向け、上着のポケットからハンカチを出すとコールドパックをつくしの足首に当て、ハンカチで縛っていた。
男の意外な行動につくしは戸惑った。
まさかこの男がどうしてそこまでという思いがあった。
一瞬ひんやりとした感覚に体がぴくりと反応したが、熱を持った足首が徐々に冷やされていくのが感じられ気持ちよかった。そしてその手際の良さに思わず見入っていたつくしは、慌てて礼をいった。
「あ、あの、ありがとうございます」
元はと言えば、つくしが自らぶつかっておいての怪我だと言うのに、この男性にここまでしてもらえるとは思いもしなかったはずだ。
「あの。本当にありがとうございます。ここまでして頂ける理由なんてないのに、どうして・・」
実際、この男は他人にここまでするような男には見えなかった。どちらかといえば、やっかいなことは秘書に任せるのがいいと考えるタイプだと思った。
「さあな・・。西田。時間もねぇことだしそろそろ行くか?」
男は言うと立ち上がり、踵を返してさっさと出て行った。
そしてその後を眼鏡の中年男性がつくしに向かって一礼をし、扉の向うへと姿を消そうとした。瞬間、つくしはその男性を呼び止めていた。
「あの。あの人はこちらの会社の・・その、偉い方なんですよね?に、西田さんとおっしゃいましたよね?西田さん。わたし、ご迷惑をおかけしたと思うんです。あの方はいったい_」
誰なんですか?という言葉は最後まで言えなかった。何故か聞くのが怖くなっていた。
それに何か嫌な予感がしていた。
だが現状からすれば迷惑をかけたことは明らかだ。ここまで親切にしてくれた相手の名前を聞かない失礼な女ではいたくない。
医務室まで運んで来てもらい、自ら足首にコールドパックをあて、それを自分のハンカチで巻いてくれるなんて男性がいるなんてこと自体も驚きだ。それなのに、きちんと礼を言うことも出来ないなんて、いい年をした社会人としては失格だ。
「こちらはわたくしの名刺です」
「ありがとうございます。ではわたしの名刺も・・」
つくしは慌てて上着のポケットから名刺入れを取り出すと、一枚抜いて差し出した。
恭しく受け取ると、すぐに並んだ文字を目で追っていた。
「では、もしお怪我が酷くて何かあれば、わたくしまでご連絡をお願いいたします。十分な対応はさせて頂きます」
ぱっと顔を上げた時には、すでに西田の姿は扉の向うへと消えていた。
そして、入れ替わるように白衣を着た医師と看護婦が戻って来た。
縦書きの名刺に書かれていたのは、道明寺ホールディングス 道明寺株式会社日本支社
秘書課 秘書室 秘書室長の肩書。
と、いうことは、恐らく西田という人物は日本支社長の秘書だということだ。
そしてその結果導き出された答えは_
つくしがぶつかった相手は日本支社長。
名前は・・道明寺・・司・・
この名前は確か、滋さんが言っていた名前。
もしかして滋さんが紹介しようとしてる道明寺の役員って・・
あの男のこと?!

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男はベッドの側へ椅子を置くと、腰を下ろした。
「看護婦も一緒か?」
「どうやらそのようですね。いかがいたしましょう?医師はすぐこちらに戻るとは言っておりましたが、こちらの方を一人残していくわけにはいかないでしょう」
眼鏡をかけた男は言うとつくしを見やった。
「あの。わたしなら大丈夫です。お、お手数をお掛けしました。ほ、本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございません。あのお医者さんにわざわざ見て頂かなくても大丈夫です。ただの捻挫だと思いますので、本当にあのもう大丈夫ですから」
つくしはここまでされると本当に申し訳ない気持ちで一杯だった。医務室までこうして運んでくれただけでも、もう十分だというのに医師が戻るまでここにいるということに申し訳なさを感じていた。だがどうしてここまで親切にしてくれるのかが不思議だった。
「そうは仰っても社内での怪我ですから、我社の責任になります。社内での怪我は場合によっては労災の申請にもかかわりますから」
「西田。こんなことで労災申請するのか?」
「はい。ケースバイケースですが、考えられないこともありません。フロアの配線が一部露出していたために、そこに足を取られて転倒したというケースがありますので」
「でもこいつは配線に引っかかったわけじゃねぇぞ?」
二人が交わす会話から、モデルかと思った男はどうやらこの会社の社員だということがわかった。そしてその態度から、眼鏡をかけた中年の男性は、この男の秘書だということが推測される。秘書がつく待遇と言えば、役員クラスということになる。と、なるとつくしの目の前で椅子に腰かけ、こちらを見ている男はまだ30代半ば程だと思われるが、間違いなく上級クラスの役員だ。つくしが前方不注意でぶつかった相手がクライアントになるかもしれない企業の役員だなんてことになると、これからの契約にも影響が出るのではないだろうか。何しろ印象は大切だ。それなのにつくしは、思わずどこ見て歩いているのよ!なんて言ってしまった。
それにまさか訪問先の企業の医務室にお世話になるなんて。とつくしは焦っていた。
簡素な椅子に腰かけ、両肘を膝につき、指先を組み合わせ前屈みになった姿勢で何かを見透かそうとするように、じっとこちらを見る男。
つくしはそんな男に視線を向けることが出来ず、秘書と思われる男性に向かって話をしていた。
「あの。本当に大丈夫ですから。ご心配をいただくようなことにはなりませんし、ご迷惑をおかけするような事態にはなりませんから」
相手がクライアントになる予定の会社の役員なら、これ以上手を煩わせるなんて出来ない。
つくしは必死だった。もうこの場から逃げ出したい思いだった。
それに目を向けることが出来ない男からの強烈な視線だけは感じられていた。いったい何なのよ!あたしに言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!その言葉が出かかったが、グッと呑み込んだ。相手がクライアントじゃなければ、言ってやるのに!
「失礼ですが、こちらのビルにはどういったご用件でお見えになられたのでしょうか?」
秘書の男からの落ち着いた言葉につくしは我に返った。
男二人の視線はつくしの首からぶら下げられた入館証に目が行っていることはわかった。
そうよ!新商品の広告のオリエンテーションに来たのに、こんなところで呑気に話し込んでる場合じゃないわ!
「あ、はい。先ほどのフロアでの会議に参加するためなんです」
「会議?」
「は、はいあの・・」
「おい。西田。今日あのフロアである会議ってなんだ?」
問われた男は手元のタブレット端末を確認すると答えた。
「あちらのフロアである本日の会議は新商品の広告のオリエンテーションですね。各代理店から担当者がお見えになられていると思います」
「そうか。西田、氷とタオルを持って来てくれ」
「氷でございますか?医務室に氷は置いてないと思いますが」
「ならなんか冷やすものでも探してくれ。こいつの足首、腫れてるから冷やしてやんねぇとな」
男が指摘したとおり足首は誰が見ても腫れているとわかるほどで、既に熱をもってジンジンとしていた。
言われた男は医務室の中にあるとすれば、と冷蔵設備から医療用のコールドパック(保冷剤)を取り出して来た。
「こちらでいかがでしょうか」
「ああ。悪いな」
男は受け取るとつくしの足首に視線を向け、上着のポケットからハンカチを出すとコールドパックをつくしの足首に当て、ハンカチで縛っていた。
男の意外な行動につくしは戸惑った。
まさかこの男がどうしてそこまでという思いがあった。
一瞬ひんやりとした感覚に体がぴくりと反応したが、熱を持った足首が徐々に冷やされていくのが感じられ気持ちよかった。そしてその手際の良さに思わず見入っていたつくしは、慌てて礼をいった。
「あ、あの、ありがとうございます」
元はと言えば、つくしが自らぶつかっておいての怪我だと言うのに、この男性にここまでしてもらえるとは思いもしなかったはずだ。
「あの。本当にありがとうございます。ここまでして頂ける理由なんてないのに、どうして・・」
実際、この男は他人にここまでするような男には見えなかった。どちらかといえば、やっかいなことは秘書に任せるのがいいと考えるタイプだと思った。
「さあな・・。西田。時間もねぇことだしそろそろ行くか?」
男は言うと立ち上がり、踵を返してさっさと出て行った。
そしてその後を眼鏡の中年男性がつくしに向かって一礼をし、扉の向うへと姿を消そうとした。瞬間、つくしはその男性を呼び止めていた。
「あの。あの人はこちらの会社の・・その、偉い方なんですよね?に、西田さんとおっしゃいましたよね?西田さん。わたし、ご迷惑をおかけしたと思うんです。あの方はいったい_」
誰なんですか?という言葉は最後まで言えなかった。何故か聞くのが怖くなっていた。
それに何か嫌な予感がしていた。
だが現状からすれば迷惑をかけたことは明らかだ。ここまで親切にしてくれた相手の名前を聞かない失礼な女ではいたくない。
医務室まで運んで来てもらい、自ら足首にコールドパックをあて、それを自分のハンカチで巻いてくれるなんて男性がいるなんてこと自体も驚きだ。それなのに、きちんと礼を言うことも出来ないなんて、いい年をした社会人としては失格だ。
「こちらはわたくしの名刺です」
「ありがとうございます。ではわたしの名刺も・・」
つくしは慌てて上着のポケットから名刺入れを取り出すと、一枚抜いて差し出した。
恭しく受け取ると、すぐに並んだ文字を目で追っていた。
「では、もしお怪我が酷くて何かあれば、わたくしまでご連絡をお願いいたします。十分な対応はさせて頂きます」
ぱっと顔を上げた時には、すでに西田の姿は扉の向うへと消えていた。
そして、入れ替わるように白衣を着た医師と看護婦が戻って来た。
縦書きの名刺に書かれていたのは、道明寺ホールディングス 道明寺株式会社日本支社
秘書課 秘書室 秘書室長の肩書。
と、いうことは、恐らく西田という人物は日本支社長の秘書だということだ。
そしてその結果導き出された答えは_
つくしがぶつかった相手は日本支社長。
名前は・・道明寺・・司・・
この名前は確か、滋さんが言っていた名前。
もしかして滋さんが紹介しようとしてる道明寺の役員って・・
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