2016
08.02

恋人までのディスタンス 1

道明寺司は大勢の取り巻きに囲まれて歩くことがあたり前なのだろう。
34歳の彼は自分こそがここの主だと言わんばかりの態度でロビーを歩いている。
確かに彼がここの主であるということはまぎれもない事実だ。
何しろ道明寺ホールディングス日本支社長なのだから。
抜きんでて背が高い男が中央に、その周りにはいかにもというような屈強な男達が取り囲んでいた。癖のある黒髪とクールな風貌に切れ長の三白眼。スーツにしても、左手首に光る金の時計にしてもすべてが桁外れに違いないはずだ。

あのクールな顔がほほ笑むことがあるのだろうか?

壁際に下がった女性社員はそんなことを考えていたが、一団がビルの外へと出て行くのを見届けると手にしていた封筒に目を落とし、はっとしたように慌てて駆け出していた。






司はいつもの退屈なパーティーで欠伸を噛み殺していた。
いつも同じような顔ぶれに、同じような会話。
そしていつも変わらないのは、彼の周りに集まって来る女たち。
高価な装いなのは見てわかるが、恐らくもう二度と袖を通すことなどないはずだ。
いかにして自分を司に印象付けようとしているのかが見え見えだ。
面倒だと思いながらも付き合いだから仕方がないと顔を出してはいたが、興味をそそられるような印象的な人物に出会うことは無かった。

ここに来ればあの女に会えると思っていたが・・どうやら今夜はいないようだ。

普段、彼の頭の中は仕事のことでいっぱいだ。

それなのに・・

くそっ!
なんでこの俺がこんな思いをしなきゃなんねぇんだよ!

司はこの半年ほど、パーティーである女を見かけていた。

特段美人だとは思わないが何故かその女から目が離せなかった。
そうだ。その女の方を見ないではいられなかった。黒い髪をうなじのところでまとめ、象牙色の肌はいつも黒いドレスに包まれていた。胸は小ぶりだが形は良さそうだと思っていた。

女はいつもひとりで壁際に立っていた。パーティーならパートナー同伴が普通だが
女の傍にそれらしい人物は見当たらず、気づけばいつの間にかいなくなっていた。女は決して司の方を見ようとせず、近寄りもしなかった。この会場にいる若い女は司目当てで来ていると言うのにまるで彼になど興味がないと言わんばかりの態度だ。
その態度になぜだか挑戦し甲斐を感じ血が沸いた。
美しい女なら大勢見てきた。そのほとんどが司に言い寄ってきていた。そんな女たちを適当にあしらってきたが、最近では相手にすることが鬱陶しく感じられていた。

あの女のせいだ。

謎の女・・司は心の中でそう呼んでいた。
調べれば簡単にわかると思ったが、意外というのか誰もあの女のことを知らなかった。
パーティーだと言うのにまさに壁の花と化していた女。何人かの男が声をかけてはいたが、相手にはしていなかった。そしていつも気づけばいなくなっていた。
だが、決して幻ではないはずだ。あの女は確かにそこにいた。

司に恋人がいたのは随分と前で、ここ最近は仕事のことばかりで正直女のことはどうでもよかった。だがあの女を見つけた時から司の体は急に熱を持ったように熱く感じられていた。
あの女はいったい何者なんだ?

司は手にしていたグラスを煽った。

司は女に声をかけることはない。責任が伴うような関係は極力避けるようにしていたからだ。
だがもしこの次にあの女が現れたら必ず掴まえて何者なのか問いただしてやるつもりだ。
そんな考えが浮かぶこと自体が司にとっては意外なことだったはずだ。女に対して感情むき出しになることなど今までなかったはずだが、あの女が来るかもしれないと思うからこそ、こうしてどうでもいいパーティーに参加している自分が滑稽だと思っていた。
ただ寝るだけの女が欲しいなら、手を伸ばせば彼の周りには幾らでもいるが、あの女は果たしてどうなのか?
司の今までの好みとは違い正統派美人とは言い難い女だが、なぜかあの女が気になって仕方がなかった。
ロマンチックな考えなどこの年になればなくなるのが当然だと思うが、それでも何故かあの女に対しては空想めいたことを考えてしまうのはどうしてなのかと訝っていた。








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2016
08.03

恋人までのディスタンス 2

司は手にしていた二杯目のグラスを飲み干し、今夜はもう引き上げようかと周囲に視線を巡らせた瞬間、会場に入って来た女に目が止まった。飲み干したばかりのグラスを持つ手に力が入っていた。

あの女だ。

半年前から司の脳裏をちらつく女。
謎の女はやはりいつもと同じ黒いドレスを身に纏っていた。そしていつものことだが宝石類は全く身にはつけていなかった。いたってシンプルな装いはかえって目立つものだということをあの女は知っているのだろうか?
どうしてもあの女と近づきになりたい。
だが、ひとつ疑問があった。
どうやら今夜もひとりらしいが、誰でもが簡単に入れるはずのないパーティーにこうして足を運ぶことが出来ると言うことは、誰かの知り合いだということは間違いがないはずだ。
いったい誰の知り合いなのか・・それを確かめたいと思った。

司は女から目が離せなかった。瞳は大きく、視線はまっすぐにどこかを見つめていた。
そうだ、まるで誰かを探しているようだ。
司は手にしていたグラスを近くの男に押し付けると、彼はあっという間に女に手が届く範囲のところまで来ていた。

まるで10代の高校生が好きな女の前での振る舞いのようにだけはなりたくはなかったが、声をかけずにはいられなかった。それにしても司が自ら女に声をかけたことは初めてだ。

「失礼」
司は声かけると女を見据えた。

「どこかでお会いしましたか?」
安いセリフが口をついた。

当然だが司は有名人だ。このパーティーに来るというならまかり間違っても彼が誰だか知らないはずがない。彼が声をかければ何がしかの反応があると思っていたが驚きもしなければ、悦びもしなかった。まるで司のことなど眼中に無いかのような反応。
それに女の瞳は臆することなく司を見返して来た。一点の曇りのも無い瞳というのは、こういう瞳を言うのではないだろうか。大きな黒い瞳は力強かった。
司は相手の出方はこの際どうでもいいとして、女の瞳と唇を交互に見ていた。

それに誘っていい相手なのか、そうでない相手なのか。司は女の手を見た。
左手に指輪はなかった。勿論どの指にも指輪はなかった。だが、この女はいつも黒いドレスを着ているがまさか未亡人ということはあるまいかと訝った。いや、未亡人が足しげくパーティーなんかに顔を出すか?それともやはり後家さんは女郎蜘蛛ごとく男を探しているのか?
男から男へと渡り歩いて金を吸い上げて行くとでもいうのか?
エスコートなしでこの場に来る意味はいったい何なのか?

「いいえ。お会いしたことはないと思います」

決して冷たい口調ではなかったが、だからと言って興味があると言うほどでもなかった。

「そうか・・どっかで会ったことがあるような気がしてるんだが、気のせいか?」

「ええ。お会いしたことはないと思います」

司は女遊びが好きなわけではない。
ごく普通の男性としてごく普通の欲望を持っているに過ぎない。
だが感じていた。この女は気のない素振りをしてはいるが、司の事を意識していることには間違いがないはずだ。
司は目の前の女が他の女とどこが違うのかということを確かめなくてはという声が胸の奥深くに響いているのを感じていた。
近寄ってみれば、背は司の肩に届くか届かないか程しかない。それも踵の高い靴を履いてやっとというところだろうか。

「今までも何度か見かけたことがあるんだが、いつもひとりだったような気がするが?」
「そうですね?」
「誰かと来てるのか?」
「いいえ?」

司より25センチほど低い女の黒い瞳が楽しそうに輝いて見えた。思わず腕の中に抱き寄せたくなったがそんなことをすれば騒ぎになることは明らかだ。

司はこの女を連れてパーティー会場から抜け出したいと思った。今までこんなふうに感じたことはなく、選ぶ基準は常に自分と同じような感覚を持っている女を選んでいた。
自分に似たタイプの女だ。ロマンチックな空想にふけることがない女。つまりつき合ってはいても結婚は望まず体の関係だけで満足するような女だ。それなのに何故か司の頭の中には今までとは全く逆の思いが渦巻いていた。
決して衝動的に行動するわけではないのに、体が勝手に動いてここまで来ていた。
リスクがあるとしても、司はどうしてもこの女が欲しかった。特段体が欲しいというわけではなく、何か別の次元で言葉に出来ない何かを感じていた。

言葉に出来ない魅力とは。
だが理由を自問したところでまったくわからなかった。

恋のかけ引きが始まる時はこんなふうに始まるのではないかとふと思った。
今までの司にとってかけ引きを必要としたような女はいなかった。だがどうやら目の前にいる女は違うようだ。

勝負に負けた事はなかったし、ビジネスのかけ引きなら幾らでも経験があった。
だが他人の関心を引くようなことは望んではいない。関心など向けて欲しくはなかったが司の周りにいる人間は誰もが彼のすることを気にしていた。それは彼を怒らせたくないからなのかそれともまた別の理由だからなのか。
どちらにしても今一番関心を寄せて欲しいのは、司の目の前で彼にさして関心もなさそうに佇んでいる女だった。








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2016
08.04

恋人までのディスタンス 3

陳腐な言葉でしか声をかけることが出来なかったことが司にしてみれば不本意だった。

「ずっとあたしの顔を見ているようだけど、何かついてますか?」

顔を傾け生意気そうに言う仕草が司の意識を戻していた。
司は女の唇ばかり見つめていたことに気づかされた。
キスしたい衝動をかろうじて抑えていた。それこそ司から女にキスがしたいなんてことを思ったことはなかった。キスなんて所詮挨拶で、味わいたいというものではなかったからだ。
だが今の司は目の前の女の唇を味わいたいと思っていた。退屈ないつものパーティーも楽しいものに変わって来たようだ。

「いや。見てたら悪いか?」
「いいえ。見てるだけなら構わないわ。道明寺さん?」
女はくすりと笑った。

司は自分の名前が呼ばれたことが不思議だとは思わなかった。
このパーティーに来る誰もが知っていて当然の名前だからだ。だから今までなら自分の名前を呼んだ相手のことを知りたいとは思わなかった。だが今は目の前にいる女がいったい誰なのか司はなんとしても正体を突き止めたいと思っている。

道明寺財閥の御曹司という立場は生まれたときからのもので、最近ではその妻の座を巡って水面下で繰り広げられる女達の戦いにはいい加減うんざりしていた。
司が仕事に熱心なのが悪いとは言われないが、いい加減結婚しろと家族にせっつかれているのも確かだ。

「それで・・」
司が言いかけたが女が遮るように言った。
「道明寺さんは今夜のパーティーを楽しんでますか?」
それは司が女に対して言おうと思っていたことそのままだ。

このパーティーが退屈極まりないと知っているはずだが探るような言葉に司は思わず気持ちとは裏腹のことを言っていた。

「ああ。いいパーティーだな。あんたは?」

名前を名乗ろうとはしない女に対して苛立ちがあった。いつもなら聞かなくても名乗る女や男が多い。それに女にいたっては自分の連絡先を押し付けてくるような者もいると言うのに名前を名乗りたがらないとは、この女は何者なのか。

「楽しんでるわ」
女はほほ笑んだ。

そんな二人のやりとりを周りの人間は固唾を呑んで見守っていた。
道明寺司に対して堂々とした態度で臨むこの女はいったいどこの誰なのか。
それもわざわざ司自らが近づいて来た女だ。もしかしたら司と親しい間柄なのかもしれない。招待状がない人間が入れるはずがないのだから、調べればわかるはずだ。あの女性はいったい誰なのかと誰もがあからさまに興味を示していた。




つくしは道明寺司がやっと自分に目を留めてくれたことにほっとしていた。
話しかけられ場慣れした女を演じようとしてみたが、下手に喋ればボロが出るような気がしていた。だから必要以上の会話は避けたかった。
今まで道明寺司が出ると言われるパーティーに参加して来たが、そう簡単に接触できるとは考えてもいなかった。
やはり毎回地味な黒いドレスで宝石など一切身に着けることなく壁際に佇んでいるようではこの男の目に止まるはずはないと思っていた。だが今日は何がこの男の関心を惹いたのだろうか?

他の女性達は皆、きらびやかで豪華な装いで参加しているというのに自分でも喪服の未亡人ではないかと思えるほど地味な装いだった。つくしは男性の関心を引くことがいかに難しいかということを改めて知った。それも道明寺司のような男性には正攻法では近づけないことが分かっていたとは言え、こんなに時間がかかるなんてことは思いもしなかった。

何度か参加したパーティーはいつも途中で抜け出していた。例え最後までいてもとてもではないが大勢の人間に取り囲まれている道明寺司には近づくことは不可能だからだ。
俗に言う上流階級が集まる社交場は、つくしが簡単に入れるようなところではない。

パーティーに参加するにあたってつくしは幼なじみの男性から招待状を譲り受けていた。
彼の家はいわゆる土地成金と言われていた。その金を元手に今では不動産管理会社を営んでいるが、いくつかのビルのオーナーでもあり、その管理業務を主な仕事としていた。

そんな仕事の関係なのかパーティーへの招待状が届くことがあるらしい。だが本人はいたって地味な性格で、未だに一部の人間に成金呼ばわりされるような上流の集まりを嫌っていた。
そのパーティーこそつくしが行きたいと望んでいたものだ。
そんな経緯で譲り受けた招待状だった。

「それで、今夜のパーティーはひとりなのか?」
司は落ち着いて言った。

誰かと来ているかと聞いたとき、いいえ、とだけ答えた女だがもしかしたらこの会場で誰かに会うつもりなのかもしれないと考えていた。例えそれが男だったとしても司には関係はなかった。今まで誰かと女を取り合った経験は一度もない。だが今は誰かとこの女を取り合うことになってもいいと思っている自分がいた。

「ええ。ひとりよ」

おまえは誰だ?と司は言いかけたが止めた。
どうして自分の名前を名乗らない?殆どの人間が司に自分の顔と名前を覚えてもらおうと必死なはずだ。
だが女は相変わらず名前を名乗ろうとはしないし必要以上に話しをしようとはしない。
あたしのことが気になるなら聞いてみたらとでもいう態度。
そんな態度は司の気持ちを煽っているかのようだ。
それはどう考えても女が駆け引きを望んでいるように思えて仕方がなかった。

司は自分に対してのあまりにもそっけない態度に気分を害していたのかもしれない。尊大な自分がいることは十分承知しているが、それを見せるのは一部の人間に対してだけのはずだ。
そんな司に対し、いつも周囲が彼に払う態度はこの女には見られなかった。


面白れぇじゃねぇか。

どこの女か知らないが俺にゲームを仕掛けようとしているように感じられてならない。
それとも何かの罠か?
わざと気の無い素振りを見せることで男の気を惹くという戦法か?
司はあらゆる可能性を考えてみたがどれが正しいとは判断がつかなかった。
だが、どんな手を使って来ようが最後は自分が勝つに決まっているはずだ。
それにたとえ今、この女の名前を知らなくても招待客リストを見ればすぐにわかるはずだ。



つくしは司にじっと見つめられて、居心地が悪くなっていた。
寸分の隙もなく仕立てられたタキシード姿の男性が、堂々とした態度でつくしの目の前に立ち彼女を見つめているのだ。パーティー慣れしてないつくしにしてみれば、司の堂に入った態度に圧倒されそうになっていた。









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2016
08.05

恋人までのディスタンス 4

つくしこと牧野つくしはシンデレラストーリーには興味が無かった。
今この会場にいるのは別にお金持ちの夫が欲しいわけではない。
それにハンサムでお金持ちの男性がやって来て自分をさらって行くだなんて考えたこともなかった。何か問題があれば全て自分の力で解決してきた。昔から独立心が旺盛で面倒見がいいと言われていたつくしは親友の姿を見るに見かねてこの場所に来ていた。

つくしは道明寺司について知ってはいたが、それはあくまでも一般的な知識としてで、個人的な興味は全く無かった。
知識と言っても仕事の成功者としての功績とか、どこかの女優とつき合っていて別れたとかそんなものだ。だが新聞や週刊誌に載ることを嫌う男だ。その姿が多くの人の目に触れることは必ずしもあるとは言えなかった。

洗練された優雅さを好む男と言われているだけに醜態を晒すことは好まないはずだ。
だからパーティーのように人が大勢いるところでならつくしの話しにも耳を傾けてくれるのではないかと踏んでいた。そうだ。それに人目が多いから安全だと思っていた。
ただ、どうしたら道明寺司の傍に近寄ることが出来るのか・・それだけが課題だった。
だが今日のパーティーでは道明寺司本人がつくしのところまでやって来たのだからこうして話をするチャンスを得た。

つくしが自分の名前を告げようとしないのは、決してわざとでは無かった。
興味があれば相手の方から聞いてくるだろうと思っていたからだ。
だが聞いてこないところを見るとつくしに対して興味がないのかもしれない。

やっぱりあたしの女としての魅力なんてこんなものなんだ・・
この男がどんな女に惹かれるかなんて興味がないけど今回ばかりは自分に関心を持って欲しいとつくしは望んだ。

つくしのことをじっと見ている男の顔には傲慢さが浮かんでいた。
何も言わないつくしに対し、目の前の男も何も言わなかった。

だけどここで尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
つくしは女としての魅力には欠けるかもしれないがそれは仕方がないと思った。
だが何か言わなくてはと考えた。それに今は自分が女としての魅力に欠けるとかそんなことを考えてる場合ではなかった。

「嘘でしょ?」
つくしは勇気を出して言った。
「このパーティーがいいパーティーだなんてこと全然思ってないくせに。道明寺さん、退屈そうだもの」

退屈なパーティー。

司に向かって放たれた言葉は彼の気持の核心に触れていた。
繰り返されるパーティーは退屈で気づけばいつも他のことを考えていた。

「退屈か?」
「そうよ。道明寺さんはいつも退屈そうだったもの」
つくしは二人を興味深そうに窺う客たちを尻目に会話を続けていた。
「へぇ」司の片眉が上がった。
「いつもか?俺のことそんなに見てたって?」

司の低音の声の響きにつくしの背筋はぞくりとした。
女に見られることなど当然だと思っている男が今さら何を言っているのか。

「ええ。きっとどんなパーティーに出てもいつも退屈な顔をしているはずよ?」
「随分と俺のこと分かったような口を利くけど、そういうおまえはいったい誰なんだ?」
問いただすような口調で視線は鋭かった。

女が言ったことは嘘ではない。まさにそのとおりだ。
だが興味を持った女の口から出て来る言葉はなかなか辛辣で、今まで司の周りにいた女とはどこか違っていた。司がどんな立場の人間か知っていてのこの態度。それに挑戦的な口ぶりで話す様子は余程自分に自信があるのだろうかと思わずにはいられなかった。
それに司に対して生意気な口を利く女だった。


司はこの女がいったい何を言いたいのかわからなかった。

女は司の質問に答えるつもりはないのか名前を言おうとはしない。


「俺に名前を教えたくない理由でもあるのか?それとも俺に名前を思い出して欲しいとでも?」
自分の問いかけを無視する女に司は苛立ちを抑えながらも聞いた。
過去につき合った女の中にこんな女はいなかったはずだと考えた。
チビで真っ黒な髪に大きな瞳。だが髪の毛の色は変えることが出来る。どこかで出会ったことがあるかと考えたが見覚えが無かった。

「おまえ、若く見えるけど30は越えてるな?」
司は外見から言い当てられることをズバリと言った。
「それにパーティーに参加するのは好きじゃない。いつも黒のドレスだが未亡人でもない。
ああ。それから派手な装飾品がないのは、わざと目立つ為か?それとも・・男に貢がせる為か?」

口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
女が押し黙ったことで司は自分の言ったことが正しいと確信していた。

「金持ちの男を見つけるために貧乏な女が潜り込んだってことか?」

挑戦的な態度をとるこの女も所詮金目当ての女かと思った。だが司はそれでもいいと思った。今まで自分の周りには居そうにない毛色の変わった猫が迷い込んで来たくらいに思っていた。
そうだ。まるで背中の毛を逆立てて今にも飛びかかって来そうなくらいの勢いのある猫だ。
その猫を飼い慣らすのも面白いと考えた。

だが女は司の目をまっすぐに見つめてきた。

「道明寺さん。何か勘違いをしているようですね?あたしはお金持ちの男性を探しに来たわけじゃありません。それに男の人から何かを貰おうだなんてことは考えたこともありません。それよりもむしろ差し上げたいくらいですから」
「差し上げたいって?いったい何を差し上げたいって?」
司は好奇心をあらわにしてつくしを見た。
「まさかおまえのその体か?おまえのその貧弱な体で男を釣ろうなんて所詮・・」

司は甘く見ていたのかもしれない。
自分よりもチビの女がボクサーのごとくファイティングポーズを取った瞬間を。
つくしは手にしていた小さなバッグを床に落とすと、体をひねって右腕を突き出していた。
渾身の力を込めての一発は、それは見事なアッパーカットで司は握り拳が自分の顎めがけて突き出されてときにはすでに避ける余裕はなかったはずだ。
その瞬間パーティー会場にいる誰もが息を呑んで固まった。それと同時に女性の甲高い悲鳴が上がっていた。

司は天を仰ぐと、後ろへとよろめいた。バランスを崩した体は後ろにある大きな丸テーブルへぶつかった。テーブルの上に並べられていたグラスや食器は音を立ててテーブルの上に散乱し、床の上へと落ちたものは割れていた。

さすがに司は倒れはしなかったが殴られた顎を右手で撫でていた。
あたりがしんと静まり返ったなか、つくしは我に返っていた。

あたし、道明寺司を殴ったの?

そう思った瞬間、つくしの右手はずきずきと痛みを訴え始めていた。
で、でもそれはこの男が・・道明寺司が・・
だ、だって・・あたしの体が貧弱だなんて、あまりにも失礼なことを言うから・・
そうは言っても日本を代表する、いや世界的に有名な企業の後継者を殴るとは幾らなんでもやり過ぎた。
つくしは自分がしでかしたことにパニックになっていた。

一瞬の後、パーティーの主催者と思われるタキシード姿の男性と司のボディーガードと思われる人間が彼の元へと駆け寄っていた。他にも幾人かの男性が彼を心配して駆け寄って来た。会場は静まり返ったままだが司の周りだけは騒乱状態だ。
つくしは自分がしでかしたことに呆然としていたが、やがて我に返ると足元に落としていたバックを拾い上げようとしゃがみ込んだ。バッグの口は落とした衝撃で勝手に開いていた。つくしは床に転がり出ていた口紅を拾うと立ち上がった。
が、次の瞬間力強い手で腕を掴まれて強引に振り向かされた。

「てめぇ、いったいどういうつもりだ!」
つくしは腕を掴まれたまま司を見上げていた。
「な、なんの・・こと?」

つくしは口を開いたが、言葉はしどろもどろの上、意味をなしてない。目の前の男を殴っておいて何のことだとは司には信じられない発言のはずだ。
すでに殴られた司の顎は腫れの兆候が見えていた。きっと明日には青く変色していることだろう。それに恐らく殴られた衝撃で唇の端が切れたのか、血が滲んでいるのが見えた。
これではクールな風貌が台無しだ。

「おまえ、しらばっくれるつもりか?」

現実逃れも甚だしいとはこのことだろう。
つくしは恐ろしい顔で睨みつける司が怖かった。だが司の顔が怒りに満ちているのは当然だ。
司にしてみれば、意味も分からずいきなり殴り掛かかられたのだから優しい顔で話しかけるなど出来るはずがない。この女はイカレてる女なのかと思い始めていたところだ。

「なにがなんのことだ!おまえはいったいなにが・・っつ・・」

いったい何が起こったと言うのだろう。

「ご、ごめん・・なさい・・」

目の前の女は泣いていた。
自分から人を殴っておいて泣くとはいったいどういう女なのか。

だが司は何故か女の涙が美しいと感じていた。いきなり殴られておいて、殴りつけて来た女の大きな黒い瞳から零れ落ちる涙が美しいと思うとはいったい自分はどうしてしまったんだと自問していた。

司はさっきまでの怒りはどこへ消えてしまったのかというように泣く女を優しく抱きしめていた。司の取った行動に会場全体は水を打ったようになっていた。まるでこの会場の人間すべてが沈黙しているかのようだ。

司が腕の中に抱いている女は小さく柔らかかった。
だが次の瞬間つくしは我に返ると司の胸を押しのけた。

「ほ、本当に・・ご、ごめんなさい・・・」
一瞬だけ交わされた視線。
つくしはそれだけ言うと司に背を向けてパーティー会場から走り去った。

司はそんなつくしの後ろ姿を見送っていた。

「し、支社長っ!追いかけますか?」
黙って成行を見ていた男たちが聞いた。
「いや。いい。放っておけ」
「よろしいんですか?」

ボディーガードの男は司が女を抱きしめていたところを見ている手前、二人の関係性がいったいどんなものかわからなかった為に言葉を選んでいた。もし二人がいわゆる男女の仲で、先ほど見た光景はそんな二人の単なるケンカなのかもしれないと訝っていたからだ。

「ああ。いいんだ」
司は床に転がっていた携帯電話を取り上げた。
これはあの女のバックの中から口紅と一緒に飛び出していたもので、女が拾いそこねたものだ。要するに忘れ物というわけだ。これであの女の素性はすぐにでも分かるはずだ。

司は自分がこれほど生き生きとした気分でいるのは何年ぶりだろうかと考えた。
いや。恐らくこんな思いは今までしたことがないはずだ。
そんなことを考えている司の手には、彼には全く似合わないピンク色の小さな機械が握られていた。







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2016
08.06

恋人までのディスタンス 5

つくしは今日も朝から代わりばえがしなかった。
仕事は好きだ。大学を卒業してから不動産会社で働いている。
責任感が強く、何事にも意欲的に取り組む姿勢は高く評価されていた。
実際つくしが販売した物件もかなり多い。

不動産取引が活発になるのは人の動きが活発になる頃と同じだ。
つまり2月、3月の春先と次に言われるのは9月、10月の秋口だ。
春は転勤や就職など人の動きが多い時期でその傾向は顕著にみられる。また秋口も春先に次いで転勤が多い季節ということもあり動きは多い。逆に売れないのは11月、12月の年末だ。この時期に住宅を取得すると固定資産税が発生するため損をした気分になるからだ。
だがこれは一般的な意見であり、国の政策で消費税が上がるとなればまた違った動きも出て来ることになる。


つくしの生活は仕事以外他には何も無かった。生活はいたって平穏な毎日で目新しいことなど何もない。不動産関連会社の休みは水曜日がお決まりで、つくしの会社は併せて火曜も休みとなっていた。平日が休みのつくしと週末が休みになる友人とはなかなか会える機会がなかった。そのせいか友達付き合いもおろそかになっていた。
だからこそ、つくしは友人の願いを叶えてあげたいと思っていた。だがその願いは残念ならが叶えることが出来なかった。


こんなはずじゃなかったのに!

つくしは椅子に体を沈めた。全てが水の泡だ。

つくしは自分で自分をひっぱたきたいと思った。
どうして道明寺司を殴ってしまったのか。それも大勢の人間がいるパーティー会場でなんてどうかしているとしか思えなかった。大勢の人間に囲まれた場所ならあの男も逃げ隠れも出来ず、話しを聞いてくれるはずだと考えていた。それに女と言い合って醜態をさらすことなんてしたくないはずだと選んだというのに、逆につくし自らが醜態をさらしてしまったのだからどうしようもなかった。
張れるだけの虚勢を張ってはみたものの、あえなく玉砕したと言ってもいいかもしれない。


そうだ。あの時はあの男のことしか目に入っていなかった。
つくしは痛む右手に手を添えた。指を曲げ伸ばしすれば痛みが感じられる。
それに腫れも感じられた。まさか骨折してるなんてことはないわよね?
でもあたしがこれだけ痛いんだからあの男だって痛いはずだ。

つくしは大きく息を吐いた。

あたしのことはもう知られているのだろうか?
あの場所には道明寺司のボディーガードもいた。
でもあの時は誰もあたしの後を追ってはこなかった・・

傷害罪で訴えられたらどうしよう・・
それから名誉棄損、ホテルから器物破損・・
つくしは思わず両手で頭を抱え込んだ。

「イタッ・・」

右手が痛んだ。やはり病院で診てもらう方がいいのだろうか。
利き手である右手が痛むということは生活の全てにおいて支障が出る。
実際昨日はマンションに帰ってからドレスを脱ぐのに苦労した。

どうしてつくしが道明寺司相手にここまでのことをしたのか?

つくしの友人は道明寺司とつき合って捨てられた。
それもあっさりと。ある日を境に連絡が取れなくなったということらしい。
それが今から半年ほど前の話だ。

友人はどちらかと言えば控えめで大人しいタイプの女性だ。
その友人がどうしてあんな男とつき合うことになったのかが不思議だった。
道明寺司と言えばどう見ても支配的な性格で、つくしの友人と上手く行くようなタイプではない。そんな内気な友人がなぜ?いったいどこで出会ったというのか?
聞けばホテル1階のラウンジでコーヒーを飲んでいたところ、声をかけられたらしい。

彼女とは幼い頃からのつき合いで、お互いのことは何でも知っていた。
だから嘘をつくような人間でないことだけはよくわかっている。
優しく穏やかな性格だが時に思いもよらぬ強さを発揮することがある。
いつもつくしのことを気遣ってくれる大切な友人だ。その友人がどうしてもあの男ともう一度会って話をしたいと言うのだから、その願いを叶えてあげるのがつくしの役目だと思っていた。
そこで幼なじみの男性からパーティーの招待状を譲り受けては参加していた。
つくしが道明寺司に会って、あなたに会いたいと言う友人に一度だけでいいから会ってやって欲しいと頼むはずだった。

だがそれも昨日で失敗に終わってしまった。

でもどう考えても道明寺司があの大人しい友人と上手くはずがない。

それはつくしにも言えることで、ただ平凡なつくしは平穏無事な生活を送っていただけに、買ったばかりの携帯電話を無くしたことはショックだった。






***







司はブレックファーストミーティングを終えると執務室まで戻って来た。
革張りの椅子に腰を下ろし、上着の内ポケットから取り出したのは昨日拾ったあの女の携帯電話だ。
彼の顎めがけて見事なまでのアッパーカットを入れて来た女の携帯電話。
いかにもという女性らしい薄いピンク色の電話はおそらく最新機種だろう。
となるとまだ買ったばかりということだ。
女性らしいだと?司は疼く顎に手を当てると思わず笑っていた。
チビな女だと思って油断してたな。
あのパンチだ。下手な男なら後ろへ倒れていたかもしれねぇくらいだ。
なかなか根性が座ってるな、あの女。

携帯の持ち主など調べようと思えばすぐにでも調べられる。
だが、司はひと晩何もせずに放っておいた。もしかしたら持ち主本人から連絡が入るかもしれないかと思っていたが、電話は鳴る事はなかった。

昨日の殴打事件は衆人環視の中での出来事だが司の事業には関係のない、単なるプライベートなこととして決して表面化することがないようにと緘口令が敷かれた。もしマスコミに漏れるような事があればあの会場に来ていた誰かが漏らしたことになるとわかっているだけに、わが身が疑われることを恐れる参加者は決して他言はしないはずだ。なにしろ相手は道明寺財閥だ。だれもが敵には回したくないと思う相手なのだから沈黙するのは当然のことだろう。

司は電話機能の着信履歴を見るとおもむろに一番上にある番号に触れた。番号とその上に表示されているのはおそらく苗字と思われる名前。
誰の名前か知らねぇがあの女に関係があることに間違いはないはずだ。
呼び出し音が流れるなか、司は狩をするような楽しみを覚えていた。

「もしもし?つくしなの?」
女の声が聞えて来た。どうやら相手はこちらの番号を登録しているようだ。
「携帯、見つかったの?」
「こちらはホテルメープルの遺失物係ですが、昨夜こちらの携帯電話がフロントへ落とし物として届けられてきました。大変失礼ですが、着信履歴からおかけしております。最近こちらの携帯電話におかけになられているようですが持ち主の方をご存知ですか?」

相手の女は黙ったまま答えなかった。電話の持ち主からかかってきたと思っていたらいきなり男の声が聞こえてきたことに不審な電話だと思っているのだろう。

「まだ新しいとお見受けいたしましたが、薄いピンク色の電話ですので恐らく女性のものかと思いますが・・」

司が言葉を濁そうとしたところで反応があった。

「あ、あの!そ、それつくしのです!」
「つくし様ですか?どのような漢字をお書きすればよろしいですか?」
「いえ。苗字は牧野です。牧場の牧に野原の野です。牧野つくしです。ああよかった~。助かりました。携帯無くしたって言ってたところだったんです。あの、ホテルメープルですね?ありがとうございます。取りに伺うようにあたしから連絡しておきます」

「そうですか。それでは恐れ入りますがよろしくお願いいたします」
司は満足そうに答えると電話を切った。

あの女の名前は牧野つくし・・か。
やることも面白れぇが名前がつくしとは益々面白れぇ。
それにしてもあの女のパンチの意味はいったい何なんだ?
司は顎をなでていた。名前といいあの腕っぷしといい俺に殴りかかるなんて女はいねぇぞ?
それにもし何か企んでるんなら受けてたってやるよ。挑戦されるのは嫌いじゃねぇからな。
あのパンチがゲーム開始のゴングなら上等だ。

司は笑みを浮かべると、頭のうしろで手を組んでいた。
近いうちに必ず会うことになるはずだ。

待ってろよ。牧野つくし。









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