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2019
12.26

クリスマスの約束 <後編>

つくしは自宅へ帰る途中で、すれ違った若い女性が近くの洋菓子店の名前が入った紙袋を手にしているのを見た。
気付けば街のあちこちに同じような袋を持った人間が大勢いたが、今日はクリスマスイブだ。1年で一番ケーキが売れる日だ。だからその光景は当たり前の光景。そして去年までは、つくしも同じようにケーキが入った紙袋を手にしていた。

普段甘いものを食べない恋人も、この日だけは世間の恋人同士がクリスマスイブを過ごすように過ごしたいと言った。だから毎年ケーキを用意していたが、結局ケーキは何日もかけてつくしが食べる羽目になっていた。
けれど、今年はひとりであの大きさのケーキを食べる勇気はない。
だからと言ってひとりで食べられるサイズのケーキに目をくれることはなかった。
だからエコバッグの中に入っているのはクリスマスの欠片も感じられない食べ物だ。

10分程歩くとマンションに着いた。
郵便ポストの鍵を開けダイレクトメールを取り出し鞄に入れた。
ひとり暮らしを始めるにあたって、このマンションを選んだのは、古い建物でオートロックではないことから家賃が安かったからだ。
だが恋人はこんな古いマンションに住む必要はないと反対した。自分名義のマンションがある。だからそこで生活すればいいと言った。
それなら家賃は幾ら?と訊けば恋人から家賃を取る男がどこにいる?と言われたが、つくしの性分としては、大学に進学する費用を援助してもらった以上に恋人に甘えることは出来なかった。

エレベーターに乗り、そして降りた。
エレベーターホールから廊下を自分の部屋に向かって歩きながら、鍵を出そうとした時だった。スーツに黒いコートを着た男が、ポケットに両手を突っ込んだ状態で扉のすぐ傍の壁に背中をもたせかけた状態でいるのが見え足が止まった。だが、男が誰であるかすぐに分かった。


「え?….道明寺?」

癖のある黒髪と鋭い瞳を持つ恋人の視線はまっすぐつくしを見ていたが、無言のその表情が何を現わしているのかと言えば、どういう訳かそれは怒りであり、背中を壁から離した男は、つくしの前まで歩いて来ると彼女を見下ろしていた。
それにしても何故ニューヨークにいるはずの恋人が東京にいるのか。
一番に思うのはそのこと。だからこの状況に戸惑いながらつくしは訊いた。

「アンタ、どうしたの?なんでここにいるの?」

「おい。アンタじゃねえだろうが。何フラフラしてんだ?仕事はとっくに終わってんだろうが。それに幾ら携帯にかけても出やしねえし、お前俺のことを無視してんのか?」

と、つくしの質問に答えることなく言われたが、携帯電話が鳴った覚えはない。だから慌てて鞄の中から電話を取り出して見たが確かに着信がある。それも沢山。でも鳴らなかった。

「マナーモードにしてんじゃねえのか?」

携帯電話を見つめる女に男は苛立った様子で言った。

「あ….」

会社では鞄を足元に置いていて、マナーモードにしているが退社してもそのままにしていた。

「そんなことだろうと思った」
恋人は呆れたように言ったが、視線は依然として鋭かった。
だから、「ご、ゴメン」と謝ったが、そう言ったところで、頭の中にあるのは今年のクリスマスは会えないと言った恋人が何故ここにいるのかということだ。
だからその疑問を晴らそうと「なんで__」と、言いかけたところで目の前に立つ男は、つくしの手からエコバッグを奪い取ると「寒いから中に入れてくれ」と言った。













つくしは食器棚の扉を開けてコーヒーカップを取り出した。
いくら建物の中だとは言え、壁で囲われていない廊下は寒い。きっと身体が冷えているはずだ。だから恋人には温かい飲み物が必要だ。

「寒かったでしょ?コーヒー淹れるから適当に座って待ってて。それでいつ着いたの?」

つくしは、恋人のために普段飲むインスタントではなく、ドリップされたコーヒーを淹れる準備をしながら背後から聞こえる声を待った。
だが返事はなく、ただ感じられるのは恋人の機嫌は悪いということ。
そして怒っているということ。
だがマナーモードにしたままの携帯に出なかったからといって、機嫌を悪くされたのではたまらなかった。
だから、もう一度訊こうとしたが、その時声が聞こえた。

「いつ着いたか?それは東京にか?それともここにか?東京には2時間前に着いた。ここには1時間前だ」

と、答えた声はやはり怒っていたが、それは1時間も待たせたからなのか。
それとも恋人が言うところのフラフラしていたことに対してなのか。
携帯に出なかったことは悪かったと思っているが、何もそんなに怒らなくてもいいはずだ。
第一、つくしは恋人が日本に、東京に、自分の部屋の前にいるなど思いもしなかった。
だから故意に待たせたのではない。それにフラフラしていた訳でもない。
だから負けじと「ねえ。何そんなに怒ってるのよ?あたしの帰りが遅いって言うけど買い物してたんだから仕方がないでしょ?それにアンタが急にここに現れるなんて思いもしないんだもの。来るなら来るって連絡してくれてもいいでしょ?」と言って返事を待った。
だが返事はない。
だが携帯にあれだけ沢山の着信があるということは、連絡をしていたということだ。
だから今の言い方は悪かったと反省した。
そしてコーヒーメーカーをセットすると恋人と対峙するため振り返えろうとしたところで首筋に息を感じ後ろからそっと抱きしめられた。

「わかってる。俺はお前がフラフラしてたなんて思ってねえよ」

その声は、柔らかく世の中の女性を陶然とさせると言われる低い声。
だが愛を囁く時の恋人の声はもっと柔らかい。
そして抱きしめる腕は今よりも力強かった。
だがつくしは、そんな思いを頭の中から振り払った。

今思うのは、何故日本に来れないと言った恋人がここにいるのかということ。
それに今のつくしはふたりの関係に悩んでいた。長い交際期間を経て湧き上がる思いは、もしかすると自分は彼に似合わないのではないかという思い。
それは、これまでもあった思いだが、これまで以上に恋人が広い世界で活躍する姿に自分が置き去りにされたように感じていた。
だがそれは、恋人とは対等でいたいと言った自分の言葉に囚われすぎなのかもしれない。
だがそのことを別としても、当の本人の突然の訪問に何故という思いを抱いているのに、帰りが遅い。電話に出なかったと怒られているという理不尽さにムッとしたのも事実だ。
だがそれと相反するように背後から抱きしめてきた恋人の身体の大きさに、その腕の温もりに自分の身体を預けてしまいたい気持ちになっていた。
だから背中に恋人の温もりを感じながら、「それなら何で怒ってるのよ?」と思いをぶつけた。

「怒ってねえよ」

「嘘。怒ってるわよ!来るそうそう怒ったじゃない。人のことを糸が切れた凧みたいに言ったじゃない!」

「わかってる」

「何がわかってるのよ?」

「どうしようもねえんだよ」

「何がどうしようもないのよ?」

ふたりは久し振りに会ったというのに甘い言葉を交わすことが出来なかった。
だが司は彼女を責めるためにここにいるのではない。
言いたいことは別にあった。だから意を決すると口を開いた。

「それはお前と離れていることに俺は耐えられなくなったってことだ。今日だって日本に帰って来て何をおいてもお前に会いたくてここに来た。それなのにお前はいない。
それに今年は仕事の都合で日本に帰って来ることが出来ないと思った。だからお前にニューヨークに来て欲しいと言った。だがお前の態度はそっけなかった。それが俺の心の中に苛立ちを感じさせた。けどそれはお前に対してじゃない。いつまでもお前を待たせている俺自身に対して苛立った。約束だけで実行に移せない結婚にだ。俺が今日ここに来たのは、お前に結婚してくれと言うためだ」

司は背後から抱きしめた恋人の表情を見ることは出来なかった。
だが、結婚という言葉に彼女の身体が微かにだが震えたのを感じていた。
だから抱きしめた腕に力を込めた。

「長い間待たせた。不安にさせて悪かった。傍にいて欲しいこともあったはずだ。守って欲しいと思ったこともあったはずだ。だが俺はお前の傍にいることが出来なかった。けどこれから先はお前がうんざりするほど傍にいてやる。だから今すぐにでも俺と結婚してくれ」

恋人と出会うまでの司は、何をするにも相手の意思確認なんぞ時間の無駄だと考えていた。
だから初対面の人間をいきなり殴ることもあったが、彼女に出会って変わった。
だが金にものを言わせたことがあった。けれど迫って力づくで落とすことが出来ない女は、優柔不断で恥ずかしがりやの女だった。
そして今この腕に抱きしめているのは、結婚に対して何らかの迷いがある女だ。
意地っ張りの女は時に心が揺れる。揺れて自信を無くして落ち込むことがある。
だが意地っ張り故にそのことを司に伝えることは無かった。

「牧野つくし。お前は自分に自信を持て。お前は世界中で唯一俺が認めた女だ。俺に似合う女はお前以外いねえんだよ。だから何か悩んでいるとしても、その悩みはすぐに悩みじゃなくなる。何しろお前は明日には牧野つくしから道明寺つくしになる。これは決定事項だ。考えてる時間はお前にはない。それに俺はもうこれ以上俺の目の届かない場所にお前を置いとけねえんだ」

司はそこまで言うと、後ろから抱きしめていた恋人の身体を自分の方へ向けた。
そして自分を見つめる女に言った。

「牧野つくし。道明寺つくしになってくれるよな?」

司は恋人の返事を待ちながら遠い昔のことを思い出していた。
それは恋人が司に嘘をついて去った日のこと。
あれは激しい雨が降る日だった。傘をさすことなく道端に佇んでいた女は寒さで震えていた。そして司は女の嘘を見破ることが出来ずに非難した。
だが今の司はあの頃とは違う。
何があっても彼女を離さないと決めていた。自分が彼女を守ると決めている。
それにもし今外が雨で、びしょ濡れになるなら二人して全力で雨を楽しめばいい。
傘がなくても手を繋いで歩ければそれでいいと思っている。
だから黙ったままの恋人に、自分に付いて来て欲しいという思いを込めて言った。

「イエスの生まれた日にノーの返事を受け入れることは出来ねえ。だから返事はイエスだ。以上が俺からお前に言いたかったことだ」

つくしの恋人はいつも率直な言葉で彼女の疑問に答えてきた。
つまりその言葉は心の中にある嘘偽りのない言葉だということは分かる。
それに言い出したら訊かない男だということも知っている。
だからつくしは恋人の一方的なその言葉に微笑んだが、その微笑みの意味はイエス。
それを見た恋人は、唇の両端を上げた。そして親指で恋人の顎を優しく押し上げると唇を重ねた。
















「ねえ。どこに行くの?」

「どこだと思う?」

「さあ….」

司は恋人を車に乗せると運転手に指示をしたが、これから二人が向かうのは初めてのデートで待ち合わせに指定した場所。
恵比寿ガーデンプレイス。時計広場。
あの日。司は初めてのデートに遅れるわけにはいかないと随分と早くあの場所にいた。
そして彼女を待ったが、彼女は指定した時間に現れることがなかった。
やがて現れた彼女は、本当は来たくなかったといった態度だった。

車が停車して降りた場所には大勢の人間がいて、思い思いにクリスマスイルミネーションを楽しんでいるが、こうしてふたりで思い出の場所で手を繋いでいることが司にとっての幸せだ。

それに今日は年に一度この日だけは必ず会おうと決めたイエス・キリストの誕生を祝うクリスマス。
だが来年のクリスマスは、いや。これから先のクリスマスは司がどこにいたとしても、彼の傍には妻となった女性がいてくれる。
それに来年のクリスマスは、もしかすると二人だけのクリスマスではないかもしれない。
いや。もしかするとではない。何しろ司に人生の辞書に仮定の文字はないのだから。
だから来年のクリスマスに司が妻から受け取る贈り物は、司の人生で最高のクリスマスプレゼントになるはずだ。




< 完 > *クリスマスの約束*
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2019
12.25

クリスマスの約束 <中編>

つくしはスーパーで買い物を終えると店を出たが雨は上がっていた。
だが店の前に置かれたプラスチック製のジンジャーブレッドマンとサンタクロースの頭上には傘が差しかけられていた。

仕事を終えた後の買い物はいつもと同じ。クリスマスだからといって特別な料理を作る予定はなく、冷蔵庫の中の足らない物を揃えるだけで、並べられていたケーキに手を伸ばすことはなかった。
それに今日は一日中忙しく働いて疲れていた。だから早く帰って休みたかった。

店内で流れていた音楽は恋人がサンタクロースという歌。
歌の主人公は、幼い頃隣に住んでいた女性との会話を振り返っていたが、大人になって女性が言った言葉の意味を理解するようになった。
そしてその歌には、背の高いサンタクロースは夜8時になればやって来ると言うが、つくしの恋人はニューヨークにいて今夜彼女の元を訪れることはない。
それにあれからいくつ冬が巡り来たか。ある日隣に住んでいた女性はサンタが遠い街へ連れて行ったきりで会うことはないと歌っていたが、つくしが恋人との間に巡った冬は12回。
そして恋を始めた頃、ふたりは何があっても必ず会う日を決めた。

それはクリスマスだが、その日が来るまでの間に会えるのは、恋人が仕事で東京を訪れるとき。それは慌ただしさの中であり、まともに会える時間はあまりなかった。真夜中の電話に慌てて飛び起きた回数は数知れなかった。
だが、学生だった頃のつくしは学生としての本分である勉強に力を入れていた。
だから駆け付けるような再会だったとしても寂しさというものを感じることはなかった。
やがて恋人の援助で大学に進学し就職したが、仕事を覚えることに懸命だった1年間と、そこから先の2年間は良い仕事をしたいという気負いがあり働きづめになった。
だが、それは相手も同じだったが、滅多に会えない恋人だとしても、いずれ結婚する。
そう思えばすぐに会えないニューヨークと東京の距離も気にならなかった。

だが今思えば、それは強がりだった自分がそう思おうとしていただけ。
決して自分では無理をしていた訳ではないが、甘えることが下手で意地っ張りな性格が両肩に力を入れていた。

そしてこの4年。互いに仕事は忙しかったが、以前に比べれば会える回数も増えた。
だがそれでも普通の恋人同士よりも少ないはずだ。だから会えばこれから先に過ごすであろう会えない時間を埋めるように愛しあった。
だが迷いではないが、今、心の中にあるのは、ふたりは結婚して上手くいくだろうかという思いだ。

社会に出て経験を積めば、それまで見えなかったものが鮮明に見えてくる。
社会人として、企業人としての意識を持てば、つくしはただの会社員で相手は日本を代表する企業の後継者であり世間から一目も二目も置かれる人間だ。
恋人である男の凄さは、つくしが働く会社の社内で言われるエリートのそれとは違い、超が付く一流という言葉で表される人物であることを改めて知った。

そしてつい最近もそれを実感させられたことがあった。
若くして副社長になった恋人は世界を相手に仕事をしているが、その中でも大きなプロジェクトを立て続けに成功させた。
そんな恋人に用意されている椅子は、努力すれば手に入れることが出来る椅子ではなく、恋人のためだけに用意されている特別な椅子。
その椅子に座る男性は世の中にある全ての物も、それにもしもだが望めばどんな女性も手に入ることが出来る。
それは仕事だと分かっていても、恋人の傍に立つ女性たちの彼を見つめる視線が男を見る目をしているから。
そしてつくしは、そんな女性たちに太刀打ちできるとは思わなかった。と、同時に今更ながら感じる立場の違い。
そして思うのは、そんな恋人に自分は似合う女になっているのだろうかということ。

だから、今年のクリスマス。東京に来ることが出来ない恋人からニューヨークに来て欲しいと言われたとき、無理をすれば行くことも出来たが、平日で仕事だし、突然休むと迷惑がかかるからと言った。
付き合い始めてから会わないクリスマスは初めてだったが、心に湧き上がった何かが時間を求めていた。



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2019
12.24

クリスマスの約束 <前編>

Christmas Story 2019






そこは大きな通りから一本裏道に入った場所にある小さな和菓子屋。
普段は饅頭や羊羹を販売しているが、何故かクリスマスになるとケーキを販売していた。
そして今もあの頃と同じようにクリスマスイブだというのに店先にはまだ『クリスマスケーキの予約受付中』という紙が貼られていて、飾られたクリスマスツリーは雨上がりの後で濡れて光っていた。

そこは恋人が高校生の頃アルバイトをしていた店。
そんな店の前を司が乗った車はスピードを落とし走っていたが、やがて大通りへ出た。
すると車は加速して車窓から見える景色が変わったが、そこには美しい光景があった。

それは1年のうちで街が一番華やかに見える風景。
街路樹はイルミネーションの飾り付けがされ、ショーウィンドーは赤や緑や金色といったクリスマスカラーで飾られ煌めきを放っているが、雨上がりの歩道に反射したイルミネーションの光が、より一層街の風景を輝かせて見せた。

そんな街並みの中、買い物を楽しむ家族連れや寄り添って歩く恋人たち。
きっとそこに流れるのは定番と呼ばれるクリスマスソング。
まさにそこにあるのは愛という言葉が似合う光景だったが、東京とニューヨークの遠距離恋愛中に何度も迎えた東京のクリスマスの景色は今年も変わらなかった。

だが地球温暖化の影響なのか。気温が高いと言わる昨今の冬。
濡れたガラス越しに見える人並みは、コートの襟を立てて歩くほどでもなく、襟元に巻かれたマフラーは冬の必需品であっても、こう暖かければ防寒の為というよりもファッションアイテムといった感じだった。
そして司の手元には12月に入って日本から送られて来た手編みのマフラーがあった。

それは今年のクリスマスは戻ることが出来ないと言ったから。
その瞬間、司は自分自身に向かって悪態をついた。だが今年ばかりはどうにもならない事情があった。
だから司は恋人に今年は自分の傍に来て欲しいと言った。
けれど彼女は、平日だし、仕事だし、突然休むと迷惑がかかるからと言った。
そして彼女は、今年は会えなくても仕方がないわね。と言った。
けれど、ふたりは1万キロ離れた場所で恋人同士でいることを始めた時に決めたことがあった。
それは、どんなことがあっても年に一度は必ず会うということ。
その日がどんな日でも構わなかったが、司の方から言い出したのはクリスマスの日。
この日だけは何があっても彼女に会うためこの街に戻って来ることを決めていた。

そんなクリスマス。
今年は日本に戻ることが出来ないと思われていた。だが予定は変わった。
司はこうして日本に戻るってくることが出来た。
だから今こうして恋人の元へ向かっていたが、そうあるべきなのにそうなっていない事態について考えていた。

それは約束だけで実行に移せない恋人との結婚について。
司が生まれた国を離れたのが18歳の時。
ニューヨークでの暮らしも11年が経ち、英語も母国語と同じくらい流暢に喋れるようになった。
容易ではなかったが仕事も大きなプロジェクトを立て続けに成功させた。
かつて母親はまだ早いと反対していたが今は違う。あなたの判断に任せると言った。
姉にいたっては、もう何年も前から何人かの世界的なデザイナーにウエディングドレスのデザインを依頼していると言った。
そして29歳になった男は自分の家族を持ちたいと望んでいた。
司は男で彼女を求めている。それは17歳で出会ってからずっと。
1万キロの距離と12年という長い時を経て、この瞬間彼女を傍に感じたかった。
会えない時は想像力を働かせ、片手で自分自身を包み込んだ夜が幾つもあったが、目覚めたとき隣にいて欲しかった。
彼女の温もりを感じたかった。
限られた時間の中で抱き合うのではなく、朝も昼も夜もずっと一緒にいたかった。
この先の人生を彼女と分かち合いたかった。
だから今年のクリスマスはただのクリスマスでは終わらせたくない。
そう。司にとって今年のクリスマスは、ただのクリスマスで終わらせるつもりはなかった。

それに世の中の男達は恋人と最高のクリスマスを過ごすためなら、どんなに遠い場所に住んでいたとしても、なんとかして恋人の元へ行こうとする。
それは、恋人が男を待っていてくれるからだが、司は恋人にこれから行くとは伝えていない。
けれどオートロックではない古いマンションに住む恋人は、この時間になれば仕事を終え部屋に戻っているはずだ。
だから司は何の疑問も持たずマンションを訪れると、彼女の部屋のチャイムを鳴らした。
だが中から応答はなかった。



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2019
10.27

魔女のハロウィン

「どきなさい」

そう言ったのは見るからに高級だと分かる黒い服を着た女性。
真っ黒な髪はきっちりと結われ、化粧は非の打ちどころがないといえるほど完璧に仕上げられ、その雰囲気は、まさに優雅という言葉が相応しいと言えた。
そしてその言葉にもう一言付け加えるなら冷たいという言葉。
それが道明寺楓を形容する鉄の女と同じ意味を持つことは誰もが知っているが、そんな女性も二人の子供の母親で、結婚してロサンゼルスで暮らす娘と高校生の息子がいた。

気丈な性格で夫が病に倒れた後に事業を継ぎ、後継者である息子が一人前になるまでは彼女が財閥の舵を取ると言われていたが、肝心な息子は気性が激しく手に負えないことは誰もが知るところであり、財閥の未来は不透明だと言われていた。

だからその不透明さを透明に変えるため、財閥にただひとつたりなかった石油事業を必要だと考えた母親は、息子を政略結婚させることで財閥の未来を変えようとしていた。
だがそんなことを思う楓の前に現れたのはひとりの少女。
息子はその少女を愛しているといって結婚したいと言った。しかし、その娘は息子の結婚相手に相応しいとは言えなかった。だから楓は息子の前から少女を排除しようとした。
少女のことを薄汚いドブネズミと卑下した。
だが少女は生意気にも言った。「あなたは最低です。世の中にはお金よりも大切なものがある」と____


だが人生とは不思議なもので、まさか自分がその少女を息子の伴侶として認める日が来るとは思わなかった。
そしてある日、結婚した二人は楓の前でこう言った。

「赤ちゃんが出来ました」















「おばあ様!早く!」

楓はあの時、息子の妻のお腹の中にいた赤ん坊の祖母になった。
生まれたのは髪の毛がクルクルと巻いる我が子によく似た活発な男の子。
4歳の孫が楓の手をひっぱり連れて行こうとしているのは、家族が過ごすリビングルーム。
楓は普段ニューヨークで暮らしていて世田谷の邸を訪れたのは久し振りだった。

「ほら!おばあ様見て!これ凄いよね?ハロウィンだからママが作ってくれたんだよ!
これヘンゼルとグレーテルに出てくる家だよ!ヘンゼルとグレーテルは森で悪い魔女に捕まっちゃうんだ。でも悪い魔女は最後にパンを焼く釜で焼かれて死んじゃうんだ」

楓はそこにあるヘクセンハウスを見た。
ヘクセンハウスとはドイツ語で直訳すると魔女の家という意味。
元々グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』に登場するお菓子の家を指す言葉だが、それがいつの間にかお菓子で作ったミニチュアの家のこともヘクセンハウスと呼ぶようになったが、楓の前にあるのは文字通りテーブルの上に乗ったお菓子の家だ。

そして楓は孫が悪い魔女という言葉を口にしたとき思わず笑った。
何故なら楓は孫の母親がかつて彼女のことを魔女と呼んでいたことを知っているからだが、それは懐かしい昔話であり、あの当時手を焼いていた息子も今では自慢の息子だ。
だがもしかするとこのお菓子の家は嫁の楓に対する嫌味かと思った。

「ねえ、おばあ様。これ全部食べれるんだって!ママこんなの作れるなんて凄いよね?」

「そうね。ママはお菓子作りが上手ね?」

「うん!ママはクッキーが一番得意だって言ってた。だからこの家の壁も屋根もママが焼いたクッキーで出来てるよ。それに屋根が茶色いのはチョコレートがかかってるからだよ。
それから白いのは雪なんだ。その雪もとっても甘い雪でアイシングってやつなんだって!」

楓の前でお菓子の家について説明をしてくれる孫は、ハロウィンのお菓子を貰うことを楽しみにしているが、道明寺家の子供が近所の家を訪ねてお菓子を貰うことなど出来るはずもなく、父親の友人達の家を訪ね用意されている菓子を貰っていた。

「ねえおばあ様。明日は僕と一緒にお菓子を貰いに行ってくれるんだよね?僕がお菓子をくれないと悪戯するぞって言うから、今までママがしてくれたようにおばあ様も僕の後ろに立って見てて欲しいんだ!」

楓は息子から二番目の子供がお腹にいて、つわりが酷い息子の嫁の代わりにお菓子を貰う孫に付き添ってくれないかと言われていた。
だからいいわよと答えた。
そして海賊の衣装を着た孫と一緒に車に乗り込むと目的の場所へ向かった。










「総二郎おじさん!お菓子を頂戴!くれないと悪戯するぞ!」

楓は孫を連れ茶道家元の息子にして無類の女好きだが、我が子の幼馴染みである西門総二郎の邸を訪れた。すると楓の付き添いに総二郎の笑顔は引きつっていたが、「今年はおばあ様と一緒か?よかったな」と言った。


「あきらおじさん!お菓子を頂戴!くれないと悪戯するぞ!」

次に訪れた美作商事の専務、美作あきらの邸でも、あきらの顔は笑いながらもやはり引きつっていたが、「お母さんの具合はどうだ?まだ具合が悪そうか?」と言って母親のことを心配していた。


「類おじさん!お菓子を頂戴!くれないと悪戯するぞ!」

最後に訪れた花沢物産の後継者であり副社長の類は、表情を変えることなく暫く楓をじっと見つめると言った。

「おばさん。その恰好、お似合いです」

「そうかしら?」

楓は片眉を上げながら言ったが、楓のことをおばさんと呼ぶのは類だけだ。
そして楓は3人のうち誰が楓の装いを口にするだろうと思っていたが、それが息子の幼馴染みの中でも一番考えていることが分かりにくいと言われる類だとは思いもしなかったが、マイペースを貫きながらも着実に仕事の成果を挙げる花沢類が嫌いではない。
そして類から似合うと言われた楓の格好は、これを巧のために着て欲しいと息子が用意していた黒いドレス。そしてドレスと一緒に用意されていたのは、てっぺんが尖った黒い帽子と老木で出来た長い杖。
それは誰が見ても魔女の姿で、楓は黒い帽子を被り手に杖を持ち立っていた。

「はい。おばさんによくお似合いです。それにしてもおばさんのように息子には厳しかった人も孫には違うんですね?」

孫は可愛い。
目の中に入れても痛くないとはよく言ったもので、楓も孫を持って初めて知った。
そして孫という存在は、楓の心に安らぎを与え、孫になら何をされても何を言われても受け入れることが出来る。
もし孫がニューヨークのビルが欲しいと言えば買ってやるし、孫のためなら楓の持つ権力の全てを使ってどんなことでも叶えてやるつもりだ。

「ええ。司は厳しく育てたわ。その結果はあなたも知っての通り。あの子はつくしさんに会わなければ今頃どうなっていたかしらね?考えるのも恐ろしいわ」

楓はそこで自分の傍に立つ男の子が、類から貰った大きな袋の中を覗いて、「やったー!類おじさんのお菓子の中にはフランスのチョコレートが入ってるよ!」とはしゃいでいる様子を見ていた。

「孫は、巧は司とは全く違う存在よ。この子はわたくしの血を受け継いでいるけどわたくしには似てないわ。それに外見は司が子供の頃にそっくりとだけど性格は全く違うわ。
見てちょうだい。この子のコロコロ変わる豊かな表情。司がこの子と同じ年頃の頃にはいつもムスッとしてたわ。それにこの子はつくしさんの慎重さと司の大胆さを併せ持つ性格ね。
あなたは知っていると思うけど、つくしさんは考え始めるとこれでいいのか。彼女はうじうじと考えることが多かったでしょ?だから最終的な結論に辿り着くまでが長いのよ。そしてこの子もそういった所があるわ」

実際楓が二人の結婚を認めてから、尻込みしたとは言わないが色々と悩んだのは彼女の方だ。

「でも司は何かに向かって進む時は一生懸命で脇目も振らないわ。あの子はつくしさんと結婚するため課されたことを確実にこなしていった。ビジネスには真摯に取り組んだわ。
巧はそんな父親と母親のものの考え方を受け継いでいるわ。つまりこの子は時々後ろを振り返るような子。今日だってわたくしがちゃんと付いて来ているかを振り返って確認する子よ。司と違って独りよがりではないわ。周りのことを気遣う子。でも司は我儘で周りのことなんてお構いなしだった。そうでしょ?」

楓はそう言って孫が被っている海賊の帽子の傾きを直した。

「そうですね。司は独善的なところがありましたから。でも牧野に出会ってから変わりましたけどね。それにしても、おばさん。その恰好本当によくお似合いですよ」

「そう?まさかこの年になってこんな恰好をするとは思いもしなかったけど、似合うと言ってくれたのはあなたが初めてよ」

「ええ。とても。それに巧くんの後ろに控えているあなたの姿は威圧感があり過ぎですよ。
それに鉄の女と呼ばれたおばさんが持つ杖は世の中の全てを変えてしまいそうな気がします。そして僕はその杖でカエルに変えられてしまうでしょう」

楓はそう言われ少し気取った様子で帽子に手をやった。
類の言葉には嫌味とも取れる言葉が含まれていたが気にはならなかった。
むしろ魔女のコスチュームが似合うと言われ何故か嬉しかった。

「花沢物産の副社長をカエルに変えるのも面白そうね?それで?もしわたくしがあなたをカエルに変えたとして誰があなたを人間に戻してくれるのかしらね?」

楓はかつて類が牧野つくしのことが好きだったという話を訊いていた。
だから口調こそやさしいが、もし類が息子の妻であり孫の母親を奪おうというなら絶対に解けない魔法で永遠にカエルのままにしておくつもりだ。

「おばさん。心配しないで下さい。僕が牧野の事を好きだったのは随分と昔の話で今は司の奥さんとしか見ていませんから。それに僕の牧野に恋をしていると思ったのは長い人生の中の一瞬でおばさんが気にすることではありませんから」

類はそう言って微笑んだが、花沢類は策士であり油断が出来ない男だ。
だから楓は類の微笑みを受け入れながらも、その目は類をじっと見つめた。

「おばあ様!類おじさんをカエルに変えちゃダメだよ!だっておじさんはカエルが苦手なんだから!」

楓は、祖母を見上げて言った巧に目を落とすと今度は類を見た。

「あらそう。あなたカエルが苦手なの?」

「ええ。実はそうなんです。だから僕をカエルに変えるのは止めて下さい。それに僕をカエルから人間に戻してくれる人が現れるかどうか分かりませんから。となると僕は一生をカエルで終えることになる。だから僕に魔法をかけるのは止めて下さい」

と、言った類は真面目な顏をしていた。











「ねえ、おばあ様」

「なあに?」

「さっき類おじさんと話していたおばあ様って本物の魔女みたいに見えたよ!」

「本当?」

「うん……ちょっと怖い顔してたから。でもおばあ様は悪い魔女じゃないよ。いい魔女だよ!」

「いい魔女?」

「そうだよ。シンデレラがお城の舞踏会に行くことが出来るようにカボチャの馬車を用意してくれるやさしい魔女だよ」

楓は車の中で貰ったお菓子を大事そうに膝に抱えた孫の姿に頬がゆるみ、自分のことをいい魔女だという孫を微笑みを浮かべて見た。
そして巧の笑顔に幼かった頃の我が子の姿を見たような気がした。
それは我が子幼かった頃に一緒に過ごすことがなかったとしても、その笑顔を直接見ることがなかったとしても、いつも心の中には、今、目の前で見ている笑顔があった。
だがそれは我が子の成長を見ることが出来なかった自分が生み出した幻だったとしても、今ここでこうして孫が浮かべる微笑と、我が子が浮かべていた微笑みは同じだったはずだと思った。

「巧。おばあ様はあなたのためなら、悪い魔女にもなれるわ。それに魔女はどんな願いでも叶えてあげることが出来るのよ。でもその代わり悪い子にはその子を懲らしめる魔法をかけるわ。だから悪い事をしちゃダメ。ママの言うことをちゃんと聞いていい子でいなきゃダメよ。今のママは巧の弟か妹がお腹の中にいて大変なんですもの」

「うん。分かってるよ。だってパパも凄く心配してるよ。朝だって起きて来なくていいっていつも言ってるから。でもママは頑張って起きてくるんだ。僕はひとりで服も着れるし歯も磨けるし、ちゃんとハンカチを持って出かけることも出来るから大丈夫だって言うんだけどママは心配性なんだって!」

ママは心配性。
だが親なら誰でもそうだ。
我が子を想い心配するのは当たり前だ。
楓も我が子が命を失うかもしれないというとき、仕事を放り出してニューヨークから駆け付けたが、太平洋の上を飛行する機内で一秒でもいいから早く息子の傍に行きたいと望んだ。

「そうね。ママは心配性ね?でも巧は自分のことは自分で出来るのね?偉いわね?さあ、お家に帰ったら頂いたお菓子を開けて食べましょうね?」

「うん!おばあ様も一緒に食べようよ!」

「あら。おばあ様にも分けてくれるの?巧は優しいわね?」

楓は愛情表現が苦手だった。
自分は子供を褒めることも可愛がることも出来ない性格だと思っていた。
だがそれは孫が生まれるまでの話で、孫が生まれてからの彼女は変わった。
それに自分をおばあ様と慕ってくれる孫は本当に可愛い。
その存在を愛おしく思えば思うほど顏には自然に笑みが広がる。
そしてこの瞬間は、かけがえのない大切な時間であり、こんなに愛らしい孫を生んでくれた息子の妻に対しての今の気持ちは感謝しかなかった。

「でもね、巧。ご夕食の前にお菓子を食べたらママに怒られるから、おばあ様のお部屋でこっそりいただきましょうね?」

そう言った楓は孫の柔らかな頬に触れたが、かつて孫の母親からは魔女と言われ、世間からは日本経済を牛耳る鉄の女と言われた女の顔にも、今は優しい祖母の微笑みが浮かんでいた。




< 完 >*魔女のハロウィン*
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2019
09.02

風の手枕 最終話

自分を殺し続けた20年。
社長業は自分に課せられた運命だと思って受け入れて来た。
だがそんな男にも忘れられないことがある。
長い間記憶の彼方に放りっぱなしにしていた女性との付き合いは短いものだったが、その中で思い出される事のひとつに雨の日の夜があった。

今でも鮮明に思い出すことが出来るそれは今と同じ土砂降りの雨の中、司に背を向け去っていく彼女の後ろ姿。
あの時の彼女の姿は強がりであり、真実は濡れた瞳の奥に隠されていた。
そして、あの時彼女の嘘を見破ることが出来なかった男の姿がそこにあった。

あの頃の司は、彼女の気の強さを理解していたつもりでも理解していなかった。
それは、彼女の心が振子のように揺れ、自分の周りの人間のことを考え司に別れを告げたこと。彼女は正義感が強く自分のことよりも人のことを考える女性だった。
まだ若かった二人にとってあの日のことは、後で笑い話に変わったが、司が彼女に関する全てを忘れた事によって彼女にとっては苦い思いだけを残す話になったはずだ。

だからあの日の雨は今も司の胸に痛みだけを残していた。
そんな遠い昔のことが流れて来る曲に合わせて思い出されたが、対向車のハイビームが目に入りハッとして思考をハンドルの操作に戻した。

それにしてもよく降る雨だ。
そんな思いから司は静かに音楽を流し続けるナビに訊いた。

「おい。雨はまだ降るのか?」

『はい。上空に大きな雨雲がかかっていますのでもう暫くは降るでしょう』

とナビは答えたが少し間を置いて、

『ですがこの雲は東に向かって移動しています。いつまでも降り続く雨ではありません』
と言った。

司は時間からして、もうそろそろ別荘に着くはずだと思いながら注意深く運転を続けたが、ナビが言った通りフロントガラスに叩きつけるように降っていた雨は、やがて小雨に変わり止んだ。
そして雨雲が去り太陽が顏を覗かせると、アスファルトに吸い込まれていた水が蒸気となってゆらゆらと立ち昇る光景が目の前に現れた。
だが立ち昇る蒸気が霧に変わると、雨よりも視界が悪くなったその道を進みながら、本当にもう別荘に着いてもおかしくないはずだと思った。
だがここに来たのは随分と昔のことであり、はっきりとここが別荘の場所だという確信は持てなかった。

その時だった。

『目的地周辺です。案内を終了します。運転お疲れさまでした』

とナビは言ったが、司の前に見えるのはヘッドライトに照らされた霧で、それ以上先は見えなかったが、やはりこの場所は違うような気がした。
それに、どんなに性能がいい機械でも間違えることがあるという思いから司は言った。

「おい。違うんじゃないか?目的地はここじゃないはずだ」

だがナビは、『いいえ。間違っていません。ここがあなたの訪れたかった場所です』と言ったが、その口調はどこか楽しそうに聞こえた。

司はからかわれているのだろうかと思った。
だが相手は機械だ。機械に人をからかうという機能はないはずだと思った。
するとヘッドライトに照らされたゆとっていた霧が渦を巻くようにして消えた。
そしてそこに現れたのは、揺らめく木漏れ日の向こうにある広い草原。

『目的地に到着しました』

ナビは再びそう言うと少し間を置いて言葉を継いだ。

『道明寺。ここに来たかったんでしょ?』

その言葉に司はブレーキを踏みナビに目をやったが、そこには何も表示されない真っ暗なディスプレイがあった。












何も表示されていないディスプレイ。
その状況に気付いたのは、ナビが喋るのを止め聞き覚えのある音楽を流し始めてからだが、機能を停止したような画面に故障かと思った。だが過去を振り返っていた男はただ静かに流れる音楽に耳を傾けていて、画面が映らなくともさして気に留めなかった。
だが今ナビは道明寺と彼の名を呼んだ。
そして音の流れが途絶えた車の中は静かな空気だけがあった。
その時、司の口を突いたのは、

「牧野…..お前か?」

するとナビは『そうよ』と言った。

司は目を閉じると暫くそのままじっとしていたが、目を開くとダッシュボードで光る数字に目をやった。
時計は午後4時を過ぎたところで、傾いて来ていた陽射しは山の影に隠れようとしていたが、司は助手席に置いてあった花束を手に車を下りた。
それはあらかじめ花屋に頼んであった花で、西田と運転手を背後に残し高速に乗るまでの間に立ち寄り受け取っていた。









「牧野。お前の誕生花ってなんだ?」

「え?」

「だから生まれた日の花だよ。知らねえのかよ?女ってのはそういったものに興味があるんだろ?」

「言いたくない」

「なんでだよ?」

「だってあんたはその花のこと知らないと思うから」

「知らなくてもいいから教えろよ?」

「うん…..あたしの誕生花はストロベリーキャンドルって花。訊いたことないでしょ?
花言葉は善良って言うんだけど、それは花じゃなくてただの草なの。だから雑草のあたしにはぴったりかもしれない」

「へえ。そうか。お前やっぱ雑草なんだな?」

「うるさいわね!雑草で悪かったわね!そんなこと言うけどあんたの誕生花って何か知ってるの?」

「ああ。知ってるぜ。俺は赤いバラだ。情熱的で美しい俺にぴったりだろ?」

そんな会話が交わされたことがあった。
だが後で調べた司の誕生花は白い梅で花言葉は澄んだ心だった。







『道明寺。ここに来たかったんでしょ?』

ナビの言う通りだ。
ナビは彼女で彼女は司の心を読んだ。だからこの場所に連れてきた。
そして司の心に遠い昔の光景が甦った。
それは30年以上前の話であり二人が交際を始めた夏の終わりの光景。
二人っきりになりたいと彼女を無理矢理別荘に誘った男は、彼女の手に指を絡め草原に座らせると隣に横たわった。
そして彼女の膝に頭を乗せたが、それは後にも先にも一度だけの行為でそれ以上のことはなかったが、あの時の事は今も心の中にあって忘れることが出来なかった。
そして彼女を思う気持ちが強くなったのは彼女の死を知ってから。
彼女のことを思い出してから10年たったある日。類から彼女の死を知らせる手紙が届いた。

『牧野。乳癌で亡くなったよ。あいつお前と一緒で一度結婚したけど別れてひとり暮らしだった。多分お前のことを忘れられなかったんだと思う。だってあいつお前が結婚するまではひとりだったんだぞ』

そう書かれていた手紙を読んだ時、涙が頬を伝った。



明日は彼女の命日。
今年は休暇を取ることが出来た。
だから東京を出る前に花屋に立ち寄り花束を受け取ると右側の座席に置いていた。
それは誕生花ではなく彼女が好きだった赤いチューリップの花束。それを二人が横たわって風を感じた場所に供えようと思った。

そんな司の想いを感じ取った彼女は会いに来てくれた。そして傍にいてくれた。
ナビの声にどこか聞き覚えがあると思った。彼女の声に似ていると思った。だが気のせいだと思ったが、話をしていくうちまさかという思いがあった。
そして愛しい人の声は少し大人びていたが間違いなく彼女だった。

だからナビが選んだ曲は二人が一緒に訊いたことがある曲であり、司にとっては思い出の曲。そして恐らく東京を出た時から隣に座っていた彼女は、しっかりとシートベルトが掛けられたチューリップの花束を見て笑ったはずだ。
だがそのチューリップは彼女なのだからベルトで守るのは当然のこと。
そして司はここまで彼女を隣に乗せて来たことになるが、これまで一度も叶えられなかった彼女とのドライブが出来たことに満足していた。


司は草原の中央まで来ると花束を置いた。

「牧野。世界に訪れる闇を一緒に見つめることは出来なかったが、いずれ俺もそっちに行く。だからもう少しだけ待っててくれ」

すると高原の風はビジネスの世界で錆びかけていた司の心に言った。

『うん。待ってるから』

その声が空耳だとしても構わなかった。
彼女の声が胸に満ち溢れた。
そして、雨上がりで潤んだような黄昏を迎えたこの瞬間に永遠を感じていた。




< 完 > *風の手枕*
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