2017
11.05

冬の樹 最終話

Category: 冬の樹(完)
一番下にある引き出しは、他の引き出しに比べ大きい。
その中にはやはり分類箱が収められており、椅子に腰かけた司は、その箱を引き出しから取り出した。
蓋を開けてみれば、その中には小さな箱、指輪を収めるケースのような大きさの箱がいくつかあった。そして、その小さな箱のひとつひとつに紙が貼られており、その中のひとつは、
『司様 5歳6か月』
そしてまた別の箱には、
『司様 6歳1ヶ月』
と書かれていた。

数えてみれば6つの小さな箱すべてにそういった紙が貼れており、箱の中身はいったい何かといった気にさせられ、司はその中のひとつの箱を開けた。
そして中から出て来たのは、人の歯。それは乳歯と呼ばれる5歳ほどから生え代わる歯。
その抜け落ちた小さな歯が真綿に包まれその箱の中に収められていた。

親となった司は、我が子の抜けた歯の行方は妻から聞いていた。
抜けた歯のうち、下の歯は屋根に投げ、上の歯を縁の下に投げるのよ、と。
それはまじないの一種で、そうすることで下の歯は上に向かって丈夫に生え、上の歯は下に向かって丈夫に生えてくるという。
だがNYのペントハウス暮らしでそんなことが出来るはずもなく、それに世田谷の邸の屋根は高すぎ、そして縁の下に投げ込むことなど出来ない。
だから子供達の歯はアメリカから帰省するたび、今では田舎暮らしをする妻の実家でその行為が行われていた。


「ネズミのような丈夫な歯になりますように!」

と言って屋根の上と縁の下に投げる妻と子供達。
それははじめて見る光景だったが、聞けばネズミのような丈夫な歯になるようにと願いを込め、その言葉を言うらしい。
だがアメリカに暮らしているのだから、アメリカ式に抜けた歯を枕の下に置き、眠っている間に歯の妖精に歯を持ち帰ってもらい、代わりにコインを置く話の方が余程子供達が喜ぶと思うのだが、妻はあくまでも日本式に拘った。

司は、自分の歯の行方を気に留めたことなどなかった。
だが当時、やはり抜けた歯は老婆がまじないだと言い、形だけでもと上へ下へと投げたような気もしたが、はっきりとは覚えていない。
それでも、ここに司の投げたはずの歯があるということは、老婆が投げなかったのか。
それとも投げた後、拾っていたのか。
どちらにしても、30年も前の自分の歯が変色せず綺麗な状態で保存されているのは、気味が悪いと言えば気味が悪い。だがそれは、所謂ひとつの感傷にひたる為の物なのかもしれない。
だが、あの母親が?といった意外な思いだけがあった。


楓は、司が幼い頃は感情的なところを見せたことが無かった。
終始冷静な母。
子供が熱を出しても傍にいなかった母。
老婆にウサギの縫いぐるみを預け、それを我が子に与えて欲しいといった母。
我が子に愛してるといった言葉をかけることもなく、子供の前に立つのは、経営者の顔でしかなかった母。
そして司は、自分を顧みなかった母を、我が子が一番母親を必要としているとき傍にいなかった母親を徹底して憎んでいた。
だが少しずつ変わっていった母。
年を取れば、まるで身体中にあった全ての棘が一度に抜け落ちてしまったようになった母がいた。


そして、今なら分かる。
どんなことがあったとしても歩き続けなければならなかった母親。
それは、家族が亡くなったとしても哀しみに沈むことは許されなかった。
事実、司の父親が亡くなったときも事業は待ってはくれない。
むしろ、その時をチャンスと捉えるライバル企業もいた。果たしてあの頃の楓には味方はいたのか。当時の司はまだ若く、その役が出来るほどの力はなかった。

だが母親は心の支えとしていたものがあったから強かった。
今思えばそれが何であったのか分かる。それは我が子という未来だ。
我が子がいたから前を向いて歩くことが出来た。そして大勢の従業員のため、強くなければならなかった。
そんな女性に幸福な夢を見る時間はあったのだろうか。
いや、無かったはずだ。母は、自分の役割を理解し、それをやり切った。

そして傍からは哀しんではいないように見えたとしても、母は哀しんでいた。
口に出すことはなかったが、彼女は移ろう時の中で夫の冥福を祈っていたはずだ。
現に社長を退任し、NYから東京へと住まいを移してからは、鎌倉にある道明寺の菩提寺へ参ることが多かったと聞く。

今はその墓に眠る母、楓。
墓の近くには大きな楓の木があり、秋になるときれいな赤色に紅葉し、晩秋になればハラハラと葉を落とし降り積もる。だが今の季節、冬の樹となってしまった楓の木は全ての葉を落とし枝だけを張り巡らしていた。





司は手にしていた小さな箱に蓋をし、机の上に置いた。

この机は聖域だ。
普通の主婦ではいられなかった母にとって子供を思うための場所だ。
だがもし、突然亡くなるといったことがなかった場合、ここにあったものは、果たしてどうなっていたのか。子供たちに分からないように処分されていただろうか。それとも自分が亡くなるまでこのままであっただろうか。

そして分類箱の底から出て来たのは、白が少し黄ばんだ封筒の表に『かあさんへ』と書かれた手紙。
それは、つたない字で司が母親に宛て書いたものだ。



『おかあさん、おげんきですか?ぼくはげんきです。
 はやくあいたいです。はやくかえってきてね。 つかさ』

字が書けるようになったのは4歳前だと言われていたが、これはいつ書かれたものなのか。
そしてその手紙に添えられていたもうひとつの手紙がある。
封筒の表には『つかさへ』と書かれているが、それは投函されなかった手紙。
いったい何が書かれているのかといった思いが封を開ける手を急がせた。
そして中から出て来たのは、四つ折りにされた何の変哲もない白い便箋。
開いた途端、司は動きを止めた。



『つかさ。かあさんは、げんきです。かあさんも、はやくつかさにあいたいです。
かあさんは、いつもつかさのことを、かんがえています。
でも、おしごとがいそがしいので、すぐにはかえれません。
おみやげは、たくさんかいました。 だから、たのしみにまっていてね。
それから、さむくなってきたので、かぜをひかないようにね。
かあさんは、まいにち、うがいをしています。
だからつかさも、うがいをわすれないでね。』



それは子供にも読めるようにと、すべて平仮名で書かれていた。


どうしてこの手紙は出されなかったのか。
母親は出すことが出来なかったのか。
それとも出す事を止めたのか。
今となってはその理由は分からないが、必要以上に人を自分の心に踏み込ませなかった人だった。そしてそれは息子の司に対してもそうだった。
だが生前、老いることは成長の始まりと言った母。
母親にとっては会社の経営を息子に譲ってからが、本当の自分の人生のスタートだったのか。孫と会えることを楽しみにし、時に思い出を振り返ることを楽しんでいたのか。
その思い出の中に、出されることが無かった手紙があった。


この手紙が出されていたら何かが違っていたはずだと思う。
しかし事実として出されることがなかった手紙。
その文字は仕事上で目にした書類に書かれていた文字と同じだ。
文字にはその人の性格が表れるというが、しっかりとした筆跡の文字は、紛れもなく母の文字。そして、これが母親からの初めての手紙であり最後の手紙。
ビジネスではない親から子へのたった一通の手紙。

だが手紙よりももっと話をしたかった。
最期に会いたかった。
声を聞きたかった。
語られなかった人生の話を聞きたかった。
けれど、親は自らの苦労を我が子に語ることはない。胸の内にしまっておくことが殆どだ。
司も自らの苦労を子供たちに聞かせたいとは思わない。だがこの年になれば、聞きたいと思う。


もう一度手紙を読み、文字を眺めた。
瞼の奥が熱くなるのが感じられた。
生温い液体が頬を伝うのが分る。
姉がいたら涙は見せなかったはずだ。
だが、今は流れる涙をそのままに、手紙を見つめていた。
自分が幼い頃、母に宛て書いたその手紙を。
そしてその返事を書いたが出されなかった手紙を。

それでも残してくれた手紙があって良かったと思う。
写真は色褪せ、思い出は薄れていくが、文字は、言葉は一生の宝だ。
言葉は心の中にずっとある。



「母さん」と声に出してみる。

もう二度と呼ぶことが出来ない人へ。

「母さん」と。

結婚してからはお袋といった呼び名で呼ぶことしか出来なかった。
だが、本当は母さんと呼びたかった。

そして思考を止め、回想する。
親を親とも思わない態度を取っていた己の姿を。
そして母親はそれを表面上では受け流しながらも、心の中では痛みを堪えていたはずだ。
母はいつも子供たちを見ていた。それは近くからではなかったが、確かに見ていた。
たとえ己の瞳に映ることはなくても見えていた。

自分が親になってから分かることがある。
そして亡くなってから気付く絆といったものもある。
それを思い心が針で刺されたように痛む。

楓という女性の性格は、紛れもなく自分に受け継がれている。
親子であるが故、素直に話をすることが出来なかったことがあった。
そこにあったのは、親子とはいえプライドといったものが邪魔をした。
そしてそれが親であり子である二人の性格であることは、母も知っていた。
結局二人はよく似た親子だったのだ。








弱々しい冬の光りが遮られ、ふと見た窓の外は東京にしては早い雪が降り出していた。
雪雲に消え入りそうな太陽の光。だが決して降りやまぬ雪ではない。
肌寒い季節だが、凍えるような寒さになる雪ではない。

母のいない初めての冬。だが、窓から見える景色は変わらない。
38年前も同じ景色だったはずだ。そしてこれからもこの窓から見える景色が変わることはないだろう。主のいなくなった部屋も、このままずっと残るはずだ。



時代を諦観する力を持っていた道明寺楓。
厳しさが目立つことがあった母。
だがそれが母らしさだったのだ。

胸の奥で音がした。
それは母に対し、心の片隅でわだかまっていた思いが消えた音。









母さん。


母さん。


貴方は母です。


たったひとりの私の母です。

私はこの先もずっと貴方の息子であり続けます。
生死の境を彷徨う事もなく突然訪れた別れでしたが、これから人生の節目節目で貴方のことを感じるでしょう。そして思うでしょう。

母であった貴方のことを。
そしてこの手紙は私の一生の宝です。




母さん。

また貴方に会いに行きます。

そしてありがとう。

私を貴方の息子として産んでくれて。




< 完 > *冬の樹*

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2017
11.04

冬の樹 4

Category: 冬の樹(完)
誰にでも心の支えがある。
あの母親でもあの当時口元を綻ばせることがあった。
雪像のような女でも我が子が背中に抱きついたとき笑っていた。
それは無理に笑ったといった笑みではない心からの微笑み。

だがあれから後、司が知っている母親はいつも正面を向き、きつく唇を引き結んだ姿だった。
横顔はまるで彫像のようであり、その輪郭は一ミリたりとも動じないといった能面のような顔。それは、人のとしての感情が全くないといった顔をしていた。
そして笑った顔を見ることになるのは、つくしと結婚し孫が生まれてからだ。





椿と司は黙ったまま箱の中から取り出した写真を眺めていた。
姉と弟がそれぞれ写った写真は、裏にいつどこで撮られたものか書かれていた。
何も動揺することはないのだが、二人は母親がこんなにも沢山の写真を手元に置いていたことに驚いていた。
そして写真を取る指先を休めることはなく、次から次へと自分達の幼い頃の姿を見ていた。
しかし、4歳年上の椿の写真は司ほど多くはなく、幼い頃の写真が多いのは、圧倒的な数で弟の司だ。


「・・・こんなに沢山・・本当に信じられないわ。お母様タマさんに頼んでいたのね」

優しい口調で椿が言う。


老婆が撮影したのか。
それとも誰かに頼んで撮らせていたのか。
どちらにしても、幼い子供の屈託のない笑顔は見ていて心が和む。
それは、司が親になり、執務デスクの上へ飾っている我が子の写真に心が和むからだ。
そして自分の幼い頃の姿は、我が子に似ていた。だがその意味は、孫は祖母に似ているという意味にもなる。

視線を巡らせた先にある母のベッド。
その脇にあるナイトテーブルに置かれているのは、孫達の写真。
家族の写真が癒しになる。司がそれを知ったのはやはり家族を持ったからだ。
母親も同じ気持ちでいたのだろう。
毎晩その写真を眺めては眠りについていたことが推測される。



司は、手許の写真の中に泣いている己の姿を見つけた。

「・・姉ちゃんこれ・・」

司は掠れた声で呟いた。

「あら。あんた泣いてるわね?これいつの写真?」

椿が写真の裏を見たとき、書かれていたのは、
『司様 4歳 鼻の中に輪ゴムが入る』

「ああ、これね。覚えてるわ。あんた、ずっと泣いててね。どうしてそんなに泣いてるのかって聞いてもずっと泣いてるの。熱でもあるのかと思って測ったけど熱は無いし、どこか怪我をしたわけでもないし。それでも延々と泣いてるじゃない?本当に不思議でね。主治医に見てもらったら、鼻の中に輪ゴムが入っていたの。もう可笑しくってね。あんたいつの間にそんなもの鼻の中に入れたのか知らないけど、子供って訳のわからないことをするのよね?」

椿は当時を思い出し笑っていたが、子供は親の見ていない隙に何をするか分からないことがある。だから4歳の司がいったい何のために鼻の穴に輪ゴムを入れたのか。
勿論、何の意味もあるはずもなく入れたのだろう。
司には記憶として残ってはいなかったが、写真はその時のことを伝えている。
鼻を真っ赤にし、泣いている小さな少年の姿を。
そして延々と涙を流す弟を心配した姉の姿があった。

母親はこの写真を見て、我が子が泣いている理由を知り、笑ったのだろうか。
それとも心配したのだろうか。それを考えれば恐らく心配したはずだ。
そして、写真でしか知ることがなかった我が子の成長だが、こうして沢山の写真があるということは、気には留めていたということだ。


二人は、暫く写真を眺めていたが、メイドがLAから電話だと椿を呼びに来た。
少しして戻って来た椿は、夫の仕事の関係者に会うことになったと言い、出かけて来ると言った。そして写真はそれぞれが持ち帰るということにした。
椿は、どうする?このままひとりで続ける?それともまた明日にする?と言ったが、司は続けると言った。
そして、ひとり母親の寝室にいた。


昼間だが、どこかぼんやりとした陽射しの冬。
かつての司の部屋が東の角にあったのとは、真逆の方角である西の角にあるこの部屋。
窓を開ければ冷たい冬の空気が流れ込み、部屋の中の匂いといったものを変えてしまう。
そして、日の入りが早い冬はすぐに西日が差し込んで来るはずだ。

そんな部屋の中をゆっくりと見る。
ここは自分の部屋ではないが、司が生まれ育った家だ。
だが姉がいなくなり、男の自分がひとりこの部屋にいることが、母親の人生を覗き見ているといった感じがしていた。そして不似合いな場所にいると感じていた。

だがここには、あの当時感じなかった母親の子供達に対する想いを示す証拠がいくつもあった。
長い間考えた事もなかったが、母はいつも自分達のことを気にかけていた。子供達には無関心だと思われていたが、複雑な感情といったものを抱えた母親の姿が見え隠れしていた。

記憶の中にはないが、夜遅くに帰宅して寝ている我が子の姿を見るため、そっと近づき、肌けた布団をかけ直す姿があったのだろう。そしてそこに見えたのは、本物の母の姿だったはずだ。
道明寺という巨大企業の代表という立場を通したがために、捨てたと言われた母性が残っていた母親としての姿が。

だが少年時代の司は、虚無感だけを抱えた数年間があり、人の生も死もどうでもいいとさえ考えていた。それは、己の人生についても同じであり、母に愛されることなく、道明寺という家のためだけに生かされた男は、他人を愛することを知る由もなかった。
全てに対し無感覚でいた男だが、それを解き放ったのが妻だ。
そして母親が亡くなった今、そんな過去ばかりが思い出されていた。


普段なら物事を合理的に考える司だが、今はそんな気になれずにいた。
初めは気にならなかった母親の持ち物。
だが、次々と現れる思いもしなかったもの。
母親の若い頃の写真、自分の通知表、落書きのように書かれた絵。そして幼い頃の写真。

そして今は、母親が自分の知らない自分自身に関わる何かを残してくれている気がしていた。
それは、金を出して買えるものではなく、どこかを探せば出て来るものでもない。
過去の思い出といったものは、ただひっそりと隠されるようにあるはずだ。

それなら次に出て来るのはいったい何か?
だがそれには、切なさと共に苦さといったものを含んでいるはずだ。
何故なら司の少年時代は、決して世間に自慢出来るものではなかったからだ。


ひとりになった司は、次の引き出しに手をかけた。




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2017
11.03

冬の樹 3

Category: 冬の樹(完)
司と楓の親子関係は、今は妻であるつくしと結婚したことによって変わった。

かつてあんなに憎んでいた少女に対しての態度が一変したのは何故か。
妻と母親との間に何があったのか。司は聞かなかった。
そしてつくしと母親の間に新たな絆が生まれたのは、息子が生まれてからだ。
母親という立場から祖母になった楓は、あの頃とは違い無情ではなくなっていた。
孫は可愛いといった話は、世間ではよく聞く話だが、まさにその通りだった。
司には3人の男の子がいるが、全てに別け隔てることなく優しく接する楓はいい祖母だった。孫たちからすれば、そんな祖母がかつて鉄の女と呼ばれ、一切の感情を排した女性だったとは思いもしなかったはずだ。

将来自分によく似た孫のうち、誰かひとりが道明寺の家を継いでくれればいいといった思いを持っていただろうが、司が幼かった頃の態度のように孫と接することはなく、孫達にとっては愛情のこもった笑みを浮かべる東京のお婆様といった存在だった。
夏休みを過ごすため世田谷の邸を訪れる孫たちを楽しみにしていた楓。
そんな楓に孫の航が言った。

「・・おばあ様、僕NYの友達に怪我をさせてしまったんだ・・」

それはよくある子供同士の喧嘩であり、司のようにただ相手が気に入らないからといって叩きのめすようなものではなく、理由やきっかけといったものがあったが、楓はその言葉にどう答えたのか。

「いいじゃない。航くんも傷ついたのよね?お友達に怪我をさせたのは悪いことだけど、あなたのお父様のようには酷くなかったはずよ。あなたのお父様は、それはもう酷かったのよ?そのせいでおばあ様はいつも大変な思いをさせられたの」

もしその場に司が居れば、間違いなく苦い顔をしていたはずだ。
楓はそんな司の顔が浮かんだのか少し笑い、それから航の顔をじっと見つめ話を継いだ。

「わざと人を傷つけようとするならそれは罰を受けるべき事よ?理由もなく人を傷つける人間は心がない人間。でも航くんは違うでしょ?それにあなたは怪我をさせたお友達には謝ったのよね?それならお友達も分ってくれるわ。仲良しのお友達でしょ?」

「・・うん。今までずっと一緒に遊んできた友達なんだ」

「そう・・。それなら大丈夫よ。きっとNYへ戻ったらまた一緒に遊んでくれるはずよ?」

「・・そうかなぁ・・」

「航くん。わざと相手を傷つけることをすれば、相手も許してくれないわ。
相手に怪我を負わそう。酷い目に合わせてやろう。そういった行為は相手も分るものなの。
でもあなたはそんなつもりではなかったのでしょ?」

「・・うん。全然違うよ。ただ、おもちゃの取り合いをしただけだよ。そこから喧嘩になったんだ。それで・・」

「それで怪我をさせてしまったのね?」

「うん。でもそんなに大きな怪我じゃないよ。転んで膝を擦りむいただけだよ?」

「・・そう。分かったわ。心配しなくても大丈夫。お友達は許してくれるわ。でもね、闘わなければならない時、相手に許されることを必要としない闘いを求められることもあるわ。そうなったときは、迷わず闘いなさい。特にそれが自分にとって大切なことなら迷っては駄目よ?」





あの日、息子は祖母の言葉の中にあった自分にとって大切なことの意味を考えたようだ。
まだ子供だと思っていても、我が子はいつの間にか成長する。
大切なものの定義も成長と共に変わるはずだが、今の航にとって大切なものは、友達と母親のようだ。そして、楓おばあ様から大切なものを守るためには、闘わなければならないと言われた、と言った航は感じることがあったのか、パパがママを守れなくなったら僕がママを守るからと口にするようになっていた。

しかし、かつて鋼のようだと言われた母親は、ドルと円を基準に物事を考える女だった。
だがある日、妻が言った。
お義母様はそうしなければならなかったのよ、と。
まさか、かつて母親をクソババアと呼んだ少女の口からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。
だが、彼女は言った。
お義母様は鬼子母神のような方なのよ、と。


今では子供の守り神、安産の神としての信仰を集める鬼子母神は、鬼神である夜叉の子供であり生まれた時から容姿端麗だった。
彼女は嫁ぎ先で、五百人とも千人とも万人とも言われる子供を産み、その我が子を養うため、栄養をつけるため、人間の子供を食べるようになれば、人々から恐れられ鬼子母と呼ばれるようになった。
楓も社員という大勢の子供とその家族を養うため、鬼にならなければならなかったのではないかと。
だからすべての感情を捨てたのではないかと。

しかし、人間の子供を食べるようになり、鬼子母と呼ばれた女は、やがて人々からの訴えにより彼女の悪行を知った釈迦に、大勢いる子の中で一番かわいがっていた末の子を隠されてしまった。

我が子がいなくなった鬼子母は、7日間かけて世界中を探し回ったが見つからず、最終的に釈迦の許を訪れ行方を尋ねた。
そこで釈迦は、沢山いる我が子の中のたったひとりがいなくなったからといって、何故そのように嘆くのか。人はただ一人の子だけであるにも関わらず、お前はこれを殺し食べたではないかと答え、鬼子母が己の非を認めたとき、末の子の行方を教えたという。
そして、我が子を取り戻すため、釈迦へと帰依したことから神となった鬼子母。

そして妻は言った。
司は、楓にとって大勢いる子の中でまさに末の子であり、その子のためなら何でもしたはずだと。
だが、司は誰かによって隠されることはなかった。
しかし彼の人生は、妻となった女性に出会うまで生きている意味を見出すことなど無かった。人としての心などなく、未来など必要がないといった子供だった。
そんな我が子は、姿はあるが心は無く、ある意味鬼子母の隠されてしまった末の子と同じだ。見失ってしまった我が子と。

そんな我が子司が楓の元に戻って来たのは、牧野つくしという女性の存在があったからだが、お人好しと呼ばれた女は、それこそ釈迦のように慈愛に満ちた人間だった。
何故なら、楓が過去、彼女に対し行ったことを気にしてなどいないからだ。
むしろ、自分が放った言葉に罪深さを感じるほどであり、罪を憎んで人を憎まずといった精神とお人好しっぷりは、楓も呆れるほどだった。
そして仏教では、悪い神が改心して善い神になることはあるが、キリスト教では悪魔は絶対悪であり、改心して人間を守ってくれることはない。だがつくしという女性を知り、改心とは言わないが、考え方が変わった楓がいた。

そして、楓にとって孫にあたる子供たちは、目の中に入れても痛くはない存在。
そんな孫の誕生により、彼女は鬼と言われていた女から子供を守る神へと変わっていった。

だが今の司は、鬼子母神が大勢の子供たちを養うことが我が身の役割と考えたように、大勢いる社員とその家族を守るために、厳しいこの世の中で大企業と呼ばれる道明寺の舵取りをするなら鬼にならざるを得なかったということが分かる。
企業は利益を上げ続けなければ、社員を養うことは出来ない。その為には、たとえ鬼だと言われたとしても、それが道明寺という家に嫁いだ意味だとでもいうように、自分がしなければならないことをしたということだ。





「・・司。見て・・この絵、あんたが小さい頃描いた絵よ?・・これお母様の顔を描いているのよ?ほら、裏に書いてあるわ。・・・これタマさんの字ね?」

ぼんやりとしていた弟に椿が声をかけた。
そこに書かれている文字は、『お母様の絵 司様 3歳』
だがお母様の絵と書かれてはいても、ただ方向が定まらない線が書かれているだけで、人の顔らしきものは存在しない。
それでも、我が子が描いた自分の顔と呼ばれるものを、大切に保管してあったことが信じられない思いでいた。

「本当にお母様ったら・・・」

椿が手にしていたのは、また別の絵。
裏に書かれている文字はやはり『お母様の絵 司様 4歳』
3歳の時描かれたものより線は力強くなったが、それが顔と言えるのかといった絵だ。
それでも母親にとっては、これが母と言われればそれでいいと思えるのだ。
どんな下手な絵であっても、人の形をしていなくても、それが我が子から見た母の姿ならそれで。

椿は、それから次の引き出しから取り出した分類箱を重いわね、と言い開けていた。
そこには、椿と司が幼かった頃の写真が数えきれないほど収められていた。

命名『司』と名前が書かれた紙と共に写る両親と赤子。
生後一ケ月ほどで行われた宮参りの写真。
それは着物を着た両親に抱かれた幼子。
やがて100日ほど経った頃行われたお食い初めの写真。
母親に抱かれ箸が口元へ運ばれているが、頑固に結ばれていた。
そして初節句の祝いとして飾られた豪華な兜と共に写る我が子。
これらの写真は、アルバムに貼られているものもあるが、これは貼り切れなかったものなのか。それをこうして保管し、時に取り出して見ていたのだろうか。

やがて小学生の頃になれば、司は写真を撮られることが嫌いになった。
だから、そこから先の写真は数えるほどしかない。
それでも、初等部の制服を着た写真が何枚かあった。

あの頃、母親は殆どといっていいほど日本にいることはなく、海外にいた。
だから時間がなかったのだろうか。
それとも初めから貼るつもりはなく、こういった保管をするつもりだったのか。
そして、宛先が世界各地にある道明寺の別邸になっている青と赤に縁どられたエアメールの封筒がそこにあるのは、タマがこっそりと撮影しては楓に送っていたからなのだろう。

長ければその地に数ヶ月に渡り滞在することもあった母親。
当時は携帯電話もパソコンも今ほど発達していなかった。だからこそ、写真のやり取りは、エアメールがごく当たり前の世の中だった。
アメリカなら1週間、早ければ5日で届くこともあった。ヨーロッパへも1週間ほど。地球の裏側にある南米なら10日間ほどかかった。そして時に相手国の郵便事情により配達が大幅に遅れることもあった。

そんな時代。
母親は東京から送られて来る写真を楽しみに待ち、部屋に飾っていたのだろうか。
それとも持ち歩いていたのだろうか。
どちらも想像しにくいことだった。

そして今まで見たことがなかった写真がそこにあった。
その写真だけは革のパスケースに入れられていた。
それは初等部の入学式当日に撮られた写真。
今となれば貴重なワンショットと言えるはずだ。

何かを落したのだろうか。母親がしゃがんだ姿があった。
そしてその母の背に抱きつくランドセルを背負った小さな男の子の姿。
母は笑っていた。
血の通わぬ雪像のような女だと思われていた女が笑っていた。
そして男の子も笑っていた。
どちらも満面の笑みを浮かべて。
だがそれから暫く経つと、二人とも笑みを浮かべることは無くなった。


「お母様。この写真を持ち歩いていたと聞いたことがあるわ。心の支えにしていたそうよ」





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2017
11.02

冬の樹 2

Category: 冬の樹(完)
人の死は、金があろうが無かろうが関係なく訪れる。
そして亡くなった人間には、それぞれに人生の物語がある。
司は、姉である椿と亡くなった母親の遺品の整理をすることになった。
それはどこの家族にでもある故人の思い出の整理だが、もしそこが賃貸物件ならそういったことも急がなければならないはずだ。だが広大な世田谷の邸の中にある楓の部屋の整理を急ぐ必要はない。

けれど、LAに住む椿は母親の思い出となる物が欲しいと言う。司は、それなら姉が欲しい物を好きなだけ持ち帰ればいいと言った。だが姉は、たったひとりの弟である司と一緒に遺品の整理をしたいと言い断った。それは、母であった女性の思い出を共に分かち合いたいといった思いがそうさせていた。
それならば、と四十九日を終わらせてからということになり、LAとNYからそれぞれ東京に戻った姉と弟は、母親が暮らしていた部屋の扉を開けた。


まさか死ぬまで隠し通した秘密があるとは思えないが、それでも残された家族は、自分達が知らない何かがあるのではないかと、遺品を整理しながら考えるはずだ。
だが、それを知ったところで何も出来ないのだが、知ってしまったが為、心が苛まれることがあるかもしれない。だから、知らなければよかったと思う事もあるかもしれない。

司は、今まで母親の寝室に足を踏み入れたことがない。
親子とはいえ、寝室という場所は個人のごくプライベートな空間であり、神聖な場所ではないが、入ろうといった気にはなれなかった。そして若い頃の司は、どこか潔癖なところがあり、自分の母親だとしても、姉以外の女は汚らわしいといった意識があった。

それに、母親の所持品といったものに興味がなかった。
それは母親に限らず、周囲の人間がどんなものを持とうが興味がないのだが、それが数億と言われる宝石だとしても同じだ。
司にとって価値があるのは、妻となった女性と子供たち。つまり家族が彼の宝石であり、宝物だ。それ以外のものは必要としていなかった。

だから、洋服や宝石にしてもだが、親子が、ましてや男である司がそういった物に興味を抱くはずもなく、まずどこから手を付けるのか、といった話になるのだが、椿はライティングデスクから始めましょうと言った。



部屋の隅に置かれている自らの名前と同じメープル材で作られた机。
それは、突然亡くなったにもかかわらず、生前の姿をそのまま映し出すようにきちんと整理されていた。

椿は引き出しの一番上を開けたが大したものは入ってなかった。
既に経営の第一線から退いた楓の机に重要書類と呼ばれるものはなく、便箋や封筒、愛用の眼鏡、万年筆、ボールペンといった筆記用具やハサミや糊といったものが収められていた。

そして二番目の引き出しを開けた。
そこにあったのは、個人的な物が収められているのだが、司にとっては初めて目にする物ばかりだ。


「・・これ。お母様が一番大切にしていたブローチなのよ。最近は見たことがなかったけどあたしが小さい頃はよく身に付けていたわ。これね、お父様と結婚してから直ぐにプレゼントされたと聞いたわ。真珠は一番日本人に似合う宝石だからと言ってね。それにデザインはお父様ご自身がされたそうよ」

椿が懐かしそうに言って手にしているのは、プラチナで出来た楓の葉がお椀型のような形を作り、その中に大粒の真珠が収められているといったデザインのブローチだが、その色からして派手な物ではない。そして楓が結婚した当時に贈られたというなら、司が38歳であることからすれば40年以上昔の話であり、どこかデザインに古さを感じるのは、時代の流れといったものがあるからだろう。

椿と司の父親は、身体が大きく、がっしりとした体格だったが、司が高等部を卒業する頃体調を崩し、それから療養生活を経て亡くなった。
それは司がNYで大学を卒業し、母親と約束した4年間を終えた時だった。
あの頃、妻とは結婚の約束をしていたが、そういった事情もあり、当初彼が望んだように大学を卒業し直ぐに結婚をするといったことは出来なかった。だがそれから4年後、二人の結婚は認められた。

夫である司の父親が病に臥せてからの楓は、病気などしたことがなかった。
それはそれだけ健康管理がなされていたということだろう。何しろ財閥の運命を左右する人物となった楓に何かあれば、日本経済を揺るがしかねない事態になるからだ。


「・・司、見て・・お母様の若い頃の写真。まるで女優みたいね」

椿が次に取り出したのは、古ぼけた1冊の薄いアルバム。
開いて見れば、それは楓の娘時代の写真が収められていた。
元華族の家柄に相応しく、きちんとした身なりで写る姿は、往年の大女優と言われた女性の若い頃の姿に似ていた。

「・・ああ。そうだな」

母親の若い頃の写真といったものは見たことがなかった。
そして、勿論当の本人も子供達に見せるといったことはなかった。
だが、目に飛び込んで来た写真は、着物を着たものもあれば、ドレスを着たものもあり、まだ女学生だがその姿は既に大人の女性のような凛とした美しさがあった。
そしてその中には、ピアノを演奏する姿や、ヴァイオリンを抱えた姿もあった。

「やっぱり男の子の方が母親に似るって言うけど、あんたは母親似ね?」

楓の若い頃の写真を見れば、人並み以上の美貌に恵まれていたことは分かるが、眼元も口元も司によく似ていた。いや、違う。楓が似たのではない。司が似たのだ。
そして亡くなったとき、年齢を物語る皺といったものが目の下にあったが、同世代の女性と比べたとき、その美貌を損なうものではなかった。



雰囲気とオーラは司の比ではないと言われた道明寺楓。
司も経営者の立場になれば、楓の厳しさの裏には多くのものを抱えていたことを理解することが出来た。
そして己がその立場になり、初めて知る孤独感といったものがあった。

若かった頃と今では、母親を見る目は違う。
常に前を向き、過去は切り捨て、草原に佇む一頭の雌ライオンは、狙いを定めた獲物は絶対に逃がさなかった。喰らい付けば、死んでも離さないといった姿勢でいた。
ビジネスとはそういったものであり、全ての責任は自分にあるという立場が、母親をああいった人間にしてしまったことも今なら理解出来る。
ビジネスに私情を挟むべきではないといった姿勢が徹底していたのも、女である自分が舐められないためであったのではないかと思う。


「・・それにしてもまさかお母様がこんなものをお持ちだとは思いもしなかったわ」

椿は、三番目の引き出しから紙の束を取り出していた。

「何十年も前のものなのにね?」

そこにあったのは、椿と司の初等部時代の通知表。
学期終了と共に保護者宛に送られてくるのだが、それぞれの1年生から6年生までの6年間の通知表が順番に並べられリボンで束ねられていた。

「・・お母様。時々見ていらしたのかしら・・」

所々薄茶色いシミが浮き出たようになり、黄ばんだ紙。
椿は自分の名前が書かれた通知表を懐かしそうに眺め、束を捲っていた。
司は、自分の束の中から一枚だけを抜き、中を開いた。
それは初等部4年生の頃のものだ。あの当時、成績はよかった。
それを英才教育の賜物かと言われれば、そのはずだ。何しろ数学年上のことを学んでいたのだから当たり前だ。そして学業は勿論のこと、教養と名の付くものは一通り習わされていた。
成績は5を最高とする5段階評価で示されるが、司の通知表に並ぶのは、圧倒的に5が多く、最低評価である1がないのは当然だが、最低でも3といった成績だった。

やがてその中にある担任の所見に目がいった。

『司くんは人の意見に左右されず、しっかりとした自分の意見を持っています。未来のリーダーとしての素質があります』

と書かれていた。
司はそれを見て苦笑した。当時の担任が書いた所見は、親を喜ばせるために書かれたことは確かだ。そして初等部当時を思い返せば、その言葉の意味は、他人の言うことに耳を貸さない俺様だということだ。

何故、司が初等部4年生の時の通知表を見たか。それは我が子が丁度4年生だからだ。
だが、我が子について書かれている言葉は司のそれとは違う。

『航くんは人のために力を尽くすことが出来る優しい子です。人の意見をきちんと聞き、クラスを纏める力があります』

クラス委員を務める我が子。
その性格は妻に似たのだろう。
その言葉に裏はなく、言葉通りの子供だと司は思っている。

あの当時、母親が考えていたのは、我が子が道明寺という家を立派に継いでくれること。
だから、教師も親が求めているであろう言葉をそのまま並べたに過ぎないはずだ。

司は、我が子である航には自由に生きて欲しいと思っている。
そして運命に負けない子供に育って欲しいと願っている。
人生は一度だけ。たとえどんな人生だろうとその人生に負けることなく立ち向かてくれる子供に育って欲しい。それが親としての望みであり他に望むことはない。

司は、出来る限り子供と過ごし、子育てに関わる時間を持つようにしているが、時間は自ら作ろうとしなければ作ることは出来ないと知っている。
だが世界各国を飛び回ることが多かった楓は、子育てに関わってこなかった。
しかしそのことを後悔していたと亡くなった老婆から聞かされていた。
そしてそんな母親は、行く先々で司に土産を買っては送って来たというが、司は覚えてはいなかった。

だがもし覚えていたとしても、どんな珍しい物よりも、どんな高価なものよりも、母親に傍にいて欲しかった。
しかし母は、楓はあの頃それが出来なかった。
そして傷つけた我が子の心に何を与えればいいのか分からなかった親だった。
だがそんな母親が我が子の通知表を大切に保管していた。

司は、取り出した通知表を束の中に戻し、暫くそのままじっとしていた。





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2017
11.01

冬の樹 1

Category: 冬の樹(完)
母が倒れたと知らせを受けNYから駆け付けたが間に合わなかった。
享年67歳。死因は心不全。いわゆる突然死と呼ばれるものだった。
邸に住む主治医が手を尽くしたが命を救うことは出来なかった。
そしてそれは、天が彼女に与えた時が終った瞬間だった。

普段、健康には気を使っていた。
食事もだが、血圧や運動にも気を配っていた。つい最近受けた健康診断でも、何も問題がないと言われたばかりだった。


母の名前は楓と言い、夫亡き後、道明寺財閥の当主として、息子である司にその座を譲るまで采配を振るっていた。
だが少年時代の司は、母親とは反りが合わなかった。
親子だと言うのに、一切の感情を排除したような女は、司のことを財閥繁栄の為の駒だとしか考えていなかったからだ。
そんな女は、会社の利益を第一とし、我が子が熱を出し苦しい思いをしていたとしても、子供の傍に寄り添うこともなく海外にいた。

息子の養育は使用人の老婆に一任されており、司は子供の頃から親の存在を身近に感じたことがなかった。だから、母という存在がどのような存在なのか。老婆に教えられなければ、知ることはなかった。

母親は我が子が泣いていれば抱きしめ慰めてくれる。
母親は我が子が喜べば共に喜んでくれる。
母親は我が子が眠りにつくまで傍にいてくれる。

だが、老婆から教えられた母親という存在と、自分を生んだと言われる女が同じ人間だと感じることは無かった。そしていつの頃からか、母である女のことを「母」と思ったことはなく、本人を前に「母さん」と呼んだことがあったのかと思い返してみるも、無かったはずだ。


世間は彼女のことを「鉄の女」と呼び恐れた。
それは、身体の中に赤い血が流れていないから。
何を言われても眉ひとつ動かす事がないから。
まさに、感情がないと言われる女につけられた名前は、名は体を表すに相応し名前だった。
そして、そんな女だから母性といったものを感じることもなく、彼女が本当に二人の子供を産んだことを疑うほどだった。
まさに私生活を感じさせることがない仕事だけの人間。
卓越した仕事ぶり以外、その名前を耳にしたことがないと言われる人間だった。

そんな人間から母親としての愛情を感じることがなく、育つ子供がどのようになるのか。と問われれば、邸にいる人間は皆おしなべて小さな声で言うはずだ。

司坊ちゃんのような子供になります、と。

そして老婆は司を見て言った。

「お可哀想に・・」





可哀想にと言われた少年時代、司は底知れぬ暗闇の中にいた。
それは自らが望んだ世界であり、そこが彼の世界だった。
誰も寄せ付けず、誰にも心を開かず、彼の傍にいたのは同じような境遇にいた幼馴染みの男たちだけだ。

そして彼の周りにあったのは、暴力に明け暮れる日々。
誰もが媚びへつらうことが当たり前の男となった司に逆らう者は誰一人としておらず、どんなことをしても許される男が道明寺司という男だった。

喧嘩をしても、自分の身体に傷が付くことはないが、相手の人間は瀕死の重傷を負うことも多かった。そしてそんな時、問題にならないようにと金で解決していた母親。
だが、それは我が子が可愛いのではない。そんな理由で金が払われたのではない。
道明寺という名前のため、財閥の後継者を守るためであり、司という個人は意味をなさなかった。
逃げる事が許されなかった司の人生。
生まれた時から全てが決められていた人生。
巨大な財閥を引き継ぎ、繁栄させ、次の世代へと引き継ぐことを求められる人生。
司にとってそんな人生はどうでもよかった。
だから虚無の世界に堕ちていくことを自ら望んでいた。


だが、底知れぬ暗闇にいた司が微かな光りを掴んだ。
その光りが牧野つくしという少女だった。司の初恋だった。
けれど、彼女の存在は母親にとって目障りでしかなく、どんなことをしてでも排除したいと思っていた。実際とても高校生を相手にすることではないと思われるようなことも、平気でした。だがそれは、彼女の世界では当たり前のことであり、不思議になど思わなかった。
金で解決できるなら金を使う。利用できる権力があるなら利用する。事実その両方が使われ、若い二人は一度離れることになった。

あの日、土砂降りの雨の中、目の前にいる女性から別れを告げられた男が見たのは、彼女の髪を伝って落ちる雨だった。


あの頃、母親が取った行動を許せなかったことも、今はただ懐かしいと思う。
司は紆余曲折を経て、初恋の女性と結婚した。
それは母親が、息子の初恋の女性の価値を認めたからだが、母親の人生に変化が生じたこともあったのだろう。
他人行儀だった親子関係も、凪いだ海のように穏やかさが感じられるようになったのは、妻と結婚してからだ。

そして我が子を授かり、親となってはじめて分ることもある。
命を削る危険を冒し産んだ我が子の存在が、どれだけ大切な存在かということを。
それは、男である自分が産んでいないとしても思いは同じだ。
底知れぬ暗闇の中に沈んだとしても我が子は我が子だ。
どんな親も心の中ではいつも我が子のことを案じている。
今になればそんな親の気持ちも理解出来る。
決して母親は母性が無かった訳ではない。
母親はビジネスには秀でていたが、幼い子供を相手にすることが苦手だったのだ。

それは子供に対し、どう接すればいいのか分からない親だったのだろう。
何故なら、上流階級と言われる家は、親が子供を育てることはなく、楓も親に育てられてはいないからだ。

旧華族の家柄を持つ楓は、おとなしく、口数も少ない娘だったと聞いた。
だが道明寺という家に嫁ぐことが決まったとき、彼女は自らに課された役割といったものを理解した。それは大財閥の家ならあたり前とされている跡継ぎの誕生。
最初の子供は女の子だった。そして二人目は待望の男の子だった。
苦しい思いをして産んだ我が子をその手で育てたかったはずだ。
だが、それからの楓は子育てよりビジネスが優先され、子供の傍にいたくても、いることが出来ない状況だったのだろう。

そして母親であることを捨て、女を捨て、全てを財閥のために生きようと決めたとき、自分の中にあった母性といったものが失われて行くのと感じていたとしても、課された道を進むため、敢えて振り払った。
楓という女は、自分自身を若いうちに葬り去り道明寺という家のため生きてきた。
それが楓の選んだ道であり人生だった。





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