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2016
06.23

橋からの眺め 前編


司は女にも、その場所にもうんざりしていた。
流行りの場所で、その場所に似合うような女を連れていた。

女に自分の初恋の相手の話しなんてするんじゃなかった。
道明寺さんも若い頃は恋をしたことがあるんでしょ?
何気なく問われた言葉に何の気なしに答えた自分がいた。

「ふられたよ」









『 ふられたよ 』

そう言ったが別れを選んだのは司の方だった。
それは彼女がいる場所から引き離すべきではないという思い。
二人が育った環境はあまりにも違い過ぎた。だから自分と一緒にいれば不幸になる。
あの時はそんなことが頭の中にあったのかもしれない。
だから司は別れを選んだ。


そんな別れから暫くのち、司はひとりこの街へと住まいを変えた。
父親が病に倒れ経営の第一線から退くと、司が跡をついで社長に就任した。
一時は景気低迷のあおりを受け、会社の経営も危ぶまれた時もあったが事業を継続するため、自分を犠牲にして働いた。大勢の従業員を雇用する人間には大きな責任がある。
司の肩には何万人という従業員とその家族の生活がかかっている。そのために冒険するに値するリスクじゃないと言われるような新事業の展開にも目を向けた。

そこからは多忙な日々が続いていく。司の前に見える道は長く険しい山道のようで、山は見えるのに頂が見えない、雲に隠されているかのように姿を見せてはくれない長い道。
平坦な道ではないその道には手を着く場所もなく、ただ転ばないようにと前を向いて歩いて行くことしかできなかった。転べば自分の後に続くものが道を見失うだろう。決してそんなことがあってはならなかった。そんな道もいつか先を見通せる場所に出るはずだ。例え今が五里霧中の現状だとしても、引き返すことは出来ない自分の道。

そんな事業拡張のために費やしたのは10年という長い年月で、気付けば随分と時間が経ってしまっていた。


病に伏していた父親が亡くなり、葬儀のあと優しくも感傷的でもなかった母親が、今までになかったような優しい一面を見せるようになった。鉄の女と呼ばれ恐れられていた母親も年を取ったということなのだろうか?

司は自分の両親の仲がどうなのかということに気を留めたことはなかった。
それでも自分の夫が亡くなった母親はひと回り小さく見えたような気がしていた。
人生の中で何度か訪れる身近な人の死。それは決して避けて通ることができない。
どんな人間にも平等に訪れる死という別れ。彼の母親も今までにも何度か経験はあったはずだ。

「わたしも、いつかあなたと別れる時がくるわ。その覚悟は出来ているとは思うけど、心から愛した人と別れるのは本当に辛いことなのよ」

その言葉は今まで司が知らなかった母親の寂しい一面だった。
結婚して何年たっても夫を心から尊敬していたと初めて聞かされた。
愛について語りはしなかったが、尊敬という言葉に全てが込められているような気がした。
自分の両親の結婚生活はどのようにして成り立っていたのか、気にも留めたことはなかったが、ふたりが長きに渡って生涯を共にしたわけを今にして初めて納得できたような気がしていた。

「振り返れば人生は短いわ。あなたも、そろそろ本当に好きな人と生涯を添い遂げることを考えなさい」

それは遠い昔には決して聞く事が出来なかった母親からの言葉。
まるであの頃、彼が愛した少女との仲を引き裂こうとした事実など忘れてしまったかのような言葉だった。



母親の言葉。
本当に好きな人と生涯を添い遂げる・・・
それは若気の至りだと一蹴された彼女のことを言っているのだということは安易に想像できた。
母親の言葉は彼がこの10年、わき目もふらず、すべてのエネルギーを会社に注ぎ込んできたことに対する労いと償いの気持ちだったのかもしれない。
あの少女と別れなければならないと、仕向けたことに対しての後悔と言うものが母親の気持ちのどこかにあったということなのだろうか?
それとも自分の夫が亡くなった今、母親の心の中に過るなにかがあったのだろうか?

だが、もう随分と時は過ぎ去ってしまっている。
今さら何が出来るというのだろう。
そんな思いを巡らせながら時は過ぎて行った。










司の東洋人らしくない背の高さはしなやかな肢体をより美しく見せ、女たちの注目を浴びた。
もっとも今では青年期を過ぎより男らしく、精悍な顔立ちが人を惹きつけるようだが所詮、面の皮一枚だけの話しであって司にとって外見は持って生まれたというだけのことだった。

そう言えば、自分はいつも仕事ばかりしてきたように思えた。
若い男は情熱を傾けるすべを知っているはずだが、そんなことにもたいして興味はなく、ただ、おざなりのように女を連れていただけなのかもしれなかった。
女との付き合いは失った恋人との代償行為だったのかもしれない。
人は一生のうちに何度恋をするのだろうか?
失ってしまった恋人、それは自らが手を離してしまった女性。
司はその女性に激しい情熱を燃やしていたのにもかかわらず、自ら手放すことが彼女の幸せな未来のためだと信じていた。



そう・・・あのときは・・


そうすることが正しいと思っていた。


司の情熱は昔の恋人と別れたときに消え去ってしまったのだろうか?
他の男達が競って美しい女を手に入れようとしても、司は興味を示さなかった。
そんな彼が情熱を傾けたのは自分の事業のことだけだった。
今の司の人生の中、ただ唯一の悦びはそんな事業に初恋の女性の名前を見つけたときだ。
脳裏に甦ったのは父親が亡くなったとき、母親が言った言葉だった。

『 振り返れば人生は短いわ。あなたも、そろそろ本当に好きな人と生涯を添い遂げることを考えなさい 』



久しぶりに目にした彼女の名前。




その女性の名前を見つけたのはある夏の日の午後だった。






彼女が自分の会社で働いている。
知りたいと思った。
彼女は今どんな暮らしをしているのだろうか?
調べようと思えばすぐにでも調べることが出来たが、何故か躊躇われた。
苗字は変わらないが誰かと結婚しているのだろうか?
もしかしたら子供がいるのかもしれない。
そう考えれば調べることが怖かった。


「いまさら、何を・・・」 司は小さく呟いていた。









そんなとき、遠い異国の空の下にいる自分に届けられたのは親友からの手紙だった。
今の世の中で手紙を書くとは、なんとノスタルジックなことをとは思ったが、電子メールは機械的でそっけないと言う親友。メールのようにタイピングされた文字には書いた人物を想像させるような文字の癖もなく、推敲を重ねたような迷いも見られない。だが手書きの手紙なら書いた人物を想像することが出来る。

右肩あがりの文字の並びだったり、小さな文字を便箋一杯にぎっちりと埋め尽くすように書かれた文字だったり、ときにはそっけない言葉がぽつんと置き去りにされたように書かれた手紙もある。司のもとに届いた手紙は幼い頃過ごした親友からの馴染みのある文字が並んだ手紙。

手紙は空と海を渡り大勢の人間の手を経て司の元へと届けられていた。
自分の手元に届くまでの間に、いったい何人の人間がこの封筒に触れたことだろう。もし差出人の名前が親友の名前ではく、他の人間の名前なら司の手元に届くことはなく処分されていたかもしれない。
執務室のデスクの上に数通の手紙とともに置かれていた親友からの手紙を読んだとき、驚きの声をあげていたかもしれない。
その時の自分の顔はどんな顔だったのだろう。

それは初恋の女性の近況が綴られた手紙だった。
震える手で読み進めた手紙。
手書きの文字にこれほどまでに暖かみを感じたことはなかったはずだ。


何度彼女の夢を見ただろうか?


司の思いは遠いあの日へと帰っていった。




愛は永遠に続くものだと信じて疑わなかったあの頃。
狂おしいまでに愛した女性。
そんな彼女に自分をわかって欲しいと大胆な行動をとったこともあった。
彼女にも自分と同じ気持ちになって欲しいと望んでやまなかった日々。
その願いもいつか必ず叶うと信じていた。

それなのに・・
自分が傷つけばよかったのに、彼女を傷つけてしまった。
ただそれだけが、今でも司の心の中には大きなしこりとなって残っていた。

どこかへ連れ去ってしまいという思いもあったが、自分に対して素直に心を開かない彼女に失望を隠せずにいた自分がいたのも事実だった。

素直に心を開かない。
それが司をもどかしくさせていた。
言葉は気持ちとは裏腹な思いを伝えることもあると言うことを知ったのは、司がもう少し年を重ねてからのこと。若い頃は自分の思いをそのまま伝えるということを当然だと考えていた。その思いはどこから来たのか?それは司の周りには常に彼に付き従う人間しかいなかったからだろう。そして自分が口にした思いは常に叶えられていたからだ。


素直じゃない・・

今思えば、それは彼女らしい意地っぱりな部分だったのかもしれない。


司は親友からの手紙にこの街が東京から一万キロ以上離れていようとも、
彼女が自分のことを忘れていたとしても、いつまでたっても彼女のことが忘れられない自分に嘘をつくことを止めた。
司が自分の心にこれ以上嘘をつくのを止めたとき、
自分がこれからどうすればいいのか、わかったような気がした。
もし、過去など気にせずにいてくれるなら、自分を許してくれるなら、自分の居場所がそこにあるなら・・

彼女がまだ自分を愛していてくれるなら・・

「 会いたい・・ 」

司は今まで何度となく思っていたことを、はじめて口にしていた。
こうして口にしてみれば、彼女に会いに行くことに躊躇いは無くなっていた。
言葉は口をつくことで、魂を持つ。
彼の口から放たれた言葉は、魂からの言葉だったはずだ。


「牧野に会いたい」


迷いは無くなった。
もう一度彼女をこの腕の中に抱きしめたい。
自分の人生には彼女が必要だ。これから先も自分が生きていくためには。
眠れない夜を過ごした長い年月を・・・終わりにしたい。
その日から司は、時間を指折り数えはじめた。それまでは時間の経過などどうでもよかった。
どうせ自分の人生は会社に囚われて終わるだけだと思っていたから。
だが、今は彼女に会える日を夢に見て時間を数えていた。




心に語り切れない思いを抱えた司の乗った航空機は、あの頃愛した女性が待つ街へと翼を向けている。
司は腕の時計を見た。あと2時間。もうすぐ彼女に会える。
座席にもたれ、目を閉じた。
今さら会いに来た理由をどう説明しようかと考えていた。





航空機が東京の空にさしかかったとき、それまで街を覆っていた雨雲は早い速度で移動して行った。
雨足は弱くなり、雲の隙間から夕暮れの太陽が垣間見えた。
彼の前に開けた視界はそれまで自分の心を閉ざすように垂れこめていた、わだかまりという名の雲も一緒に持ち去ってくれたような気がした。
過ぎた思いかもしれないが、心のどこかで彼女が自分のことを待ってくれているのではないか。そう考える自分がいた。それは自分勝手な思いではあるが、それでも、もしそうであるのなら、彼女に伝えたい思いがある。

今でもあの頃と変わらない思いでいる。

それは今でも愛しているという思い。

忘れようとしたが忘れることが出来なかった彼女は、今この空の下にいるはずだ。

早く会いたい・・・心の中に語り切れない思いがある。

ただそれだけを抱えた13時間のフライトは、間もなく終わりを迎えようとしていた。


航空機が到着する頃には、東京の雨はすっかりあがっていた。








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2016
06.24

橋からの眺め 中編

「社長、そろそろ・・」

「ああ。わかった」

司は秘書の声に顔を上げた。
ここは眠らない街。東京。
すでに日が暮れていた。

遠い昔、この場所から好きな女性にプレゼントをしたネックレスを投げ捨てたことがあった。
あの日からもう何年が過ぎたのだろうか。失われた時が戻ることは決してないが過去を振り返らずにはいられなかった。
あの時の彼女はどんな格好で、どんな表情をしていた?冬の夜の空気はどんなだった?
遠い日の二人の姿が見える気がした。




『 正直いって、がっかりしたわ 』

『 あたしは、道明寺を・・・ 』

『 泣くな 』

『 泣いても、もう俺は何もしてやれねえ 』





制服姿だった。歯を食いしばり、大きな黒い瞳いっぱいに涙を浮かべ静かに泣いている。
記憶の中の情景は決して消えることなく、司の頭の中に存在していた。
あのとき、彼女の言いかけた言葉の続きはなんだったのか。
二人の心のやり取りは、されないままで終わってしまったのだろうか。
もしかしたらあのとき、彼女の心からの言葉を聞くことが出来たのかもしれないのに遮ってしまったのだろうか?


あたしは、道明寺を・・

その先の言葉はなんだったのか・・



ここから見える風景は都会の街明かりだけで、人の日常が感じられるだけだった。
司がいま立ちつくしているのは街の中を流れる川に架かる細い橋。
今思えばこの橋は二人の人生を繋ぐために架けられた橋のようだった。
人生には渡らなければならない橋がいくつも現れる。長い橋もあれば、短い橋もある。
叩き壊したい橋もある。それでも毎日必ず自分の前に現れるいくつもの橋。
自分を信じてその橋を渡る日々。だがいつか渡る橋もなくなるのだろうか?
人生にはいくつのもの選択肢が用意されている。渡る橋が違えば、自分の人生は今とは違ったものになっていたのだろうか。だが自分の選んだ人生だ。自分で選んでここまで来た。
だからこうしてこの場所に戻って来たのではないか?

都会の喧騒の中、思い出すのは意地やプライドなど捨てても彼女と一緒にいたかったという思い。
あのとき、言うべき言葉は別にあったはずだ。
雨の別れを乗り越えたはずだった。
だが、互いを求め合うことが全てだったあの頃には見えなかったこともある。
間違いを間違いだと認めることが難しかったあの頃。

あの時は少しだけ時間をおくつもりだった。
本当は誰よりもそばにいて欲しい人だったはずだ。
それなのに、あの頃は全てが自分のためだけに動いている。
そんなふうに考える子供だった。
だから少しだけ時間をおくつもりが、いつの間にかこんなに長い時間が二人の間に流れてしまったのかもしれない。



あの日を機に二人は離れてしまった。
彼女は自分のたったひとつの夢だった。世の中の全てを捨ててもいいと思えるほど好きだったはずだった。それまで自分の中に存在しなかった人を愛するという気持ちを教えてくれた人だった。
あのとき、彼女の瞳に写った自分はいったいどんなふうに見えたのだろうか?
恐らく冷たい炎を浮かべ、彼女を見据えていたはずだ。

「社長・・」

秘書の呼びかけに欄干から手を離すと振り返った。

「わかった」

司はゆっくりとした足どりで車の方へと戻っていく。

この橋の上での別れを永遠の別れにはしたくない。
あの時はこの橋の上で泣かせてしまったが、彼女の活気に満ちた明るさは今も昔のままなのだろうか?あの頃の彼女の姿が甦った。笑顔の中に輝く大きな黒い瞳と軽やかな笑い声。
考えるのは彼女のことばかりだ。
なくしたものは何だったのか?彼女と手にできたはずの時間を思うと寂しかった。


川を渡る一陣の風は、彼の癖のある髪の毛を優しく撫でただけで、去っていった。






***






「この仕事を希望したのはどうしてですか?」
「はい。一度海外で働いてみたいと思っていましたので」
「そうですか。ご家族はあなたが海外で働くことに反対はされませんか?」
「反対する家族はいません」


仕事は楽しい。やりがいもある。
キャリアを積むために一度海外で仕事をしてみたいと考えていた。
出来ればニューヨークで働いてみたい。そんな思いが頭の中を過った。

つくしの勤める会社が道明寺ホールディングスの系列となったのはつい最近のことだった。
自分でも滑稽だと思うほど、未だにあいつのことが忘れられなかった。
今でも名前を耳にすると気持ちがざわついてしまう。
あれからもう何年になるんだろう。年を数えることはとっくに止めたはずだが、それでもどこかで歳月を巡っている自分がいた。

仕事をバリバリこなす頭のいい女性として社内では信頼も厚い。
そんな女性が独身で男もいないと必要のない噂が立つ。最近囁かれているのは誰かの愛人ではないか。離婚経験者で男が嫌いになったのではないか。
そんな人々の連想に笑いを禁じえないが、他人が自分のことをどう言っているかなんてどうでもよかった。だが女性が仕事に純粋だと、どうしてそんな目で見られるのか。
女として夢を見ることも大切だけど、現実の方がもっと大切だ。だから仕事に手を抜くなんてことは考えたこともなかった。
女性がひとりで生きていくということは、世間から見れば脛に傷があるように思われるのは仕方がないことなのだろうか?

雨が激しく窓ガラスを叩きつける音がしていた。
そんな音は遠いあの日を思い出させる。
つくしは持ち帰った資料を読もうとしていたが、何故かこんな夜は読む気がしなかった。


あの日の記憶はいつまでたっても薄れることはなかった。


あたしの感情はあの日、時間を止めてしまったのかもしれない。
雨が降るたびに思い出されるあの日の記憶と好きだった男性。


今でも大切にしている思い出はいつもあの日で終わりを迎えてしまう。
冷たい川の中に投げ捨てられてしまったものを、這いつくばって、泥だらけになりながら探して拾い上げた。若かったあたしとあいつ。そして、あのとき突然終わってしまったあたしの恋。
泣いても何もしてやれない、と言われ言葉を返すことが出来なかった。

雨の日の別れは乗り越えたはずだったのに・・

冷たい川の中から拾い上げたものは、命を持たないネックレス。
今は寝室のクローゼットの奥深くに四角い箱に入れられたまま収められている。
ネックレスは一度あいつに返したものだから、本当は宅配便を使ってでも返そうかと思った。でも、出来なかった。そんなことをすれば、あのとき、きちんと終わらせることができなかった恋はあたしの中で永遠に宙ぶらりんになるはずだ。
返すならあいつの目をみて、自分の気持ちを伝えて返したい。
だからこそ、自分の手でもう一度返そうと思った。だが校内で顔を合わせることがないまま道明寺はニューヨークへと旅立った。



ニューヨークは刺激的な街だ。
一度だけ訪れたことがある。大学を卒業する年にアルバイトをして貯めたお金で訪れたことがあった。あいつが暮らす街。高層ビルが乱立する世界で一番刺激的と言われる街。
ネックレスを携えて行ったが会えなかった。
そのとき、いつまでも夢を見ていてはいけないと思った。もうあいつは本当にあたしのことなんて、どうでもいいんだとわかったから。あの日に言われた言葉は本当だったんだと改めて思い知った。

もう何もしてやれない。

あの時やっと・・あいつの言葉を理解した。
それまではどこか甘えていたんだと思う。あいつがあたしを思う気持ちにおごっていたのかもしれない。放っておいても、いつもあたしのことを気にかけてくれる人だったから。
でも気まずい思いをかかえて別れた。だからあの街でもう一度会いたいと思ったが、あいつはあたしの手が届かないところへいた。


醒めない夢を見ることは、あのときにきっぱりと止めた。

だけど、もしこの仕事がニューヨークへの足掛かりになるなら・・
あいつに会いたい。
あの時返しそびれたネックレスを手渡すことが出来れば、きっとあたしはあいつのことを忘れることが出来るはずだ。
一度だけでいいから会いたい。


つくしは自分の住まいが好きだった。小さいけれど住みやすいマンションは就職してからコツコツと貯めたお金を頭金にして購入した自分の城だった。
大きなソファの上で横になると、読む気がしないとテーブルの上に投げてしまった資料を手に取っていた。








運転手が車を降り、後部座席のドアを開けた。

司はすぐには降りることが出来なかった。
外は雨だけでなく、風も出ていた。
東京の空の下に到着したときには雨は上がっていたが、いつの間にかまた降り始めていた。
息づかいまでかき消してしまうほどの激しい雨。
まるであの時の雨みたいだな。と司は口に出して呟いていた。

乗り越えたはずの別れと同じ雨。


いつか、またどこかで会えることが出来るならと思わなかったわけではない。
だが、もしも出会えたとしても、もう遠い昔のことだと一蹴されたらと考えれば一歩が踏み出せずにいた。
言いたいことがありすぎて、何から話せばいいのかと言葉を探してみるが、また後悔するようなことを口にするのではないかと怖れていた。
もしかしたら、彼女に言うべき言葉を持っていないのかもしれない。
泣いてもなにもしてやれないと橋の上で突き放してしまったあの日。
あの場所で彼女から返されたネックレスを川へと投げ込んだ。
あの頃の二人の愛はまだ成長途中で、乗り越えて行かなければならないことが沢山あったはずだ。あのとき、自分がもっと大人だったらと何度思ったことか。


彼女は俺のことを覚えているだろうか。
あんな別れをしてしまった俺を許してくれるだろうか?

それとももう、すでに手遅れなのだろうか・・

司は車を降りると、斜めに降り注いでいる雨の中を歩き出していた。









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2016
06.25

橋からの眺め 後編

結婚しない女でいくと決めたわけではない。
だが、周りがそう見ているのはわかっている。

OLを長くやっているとそれなりにお金も貯まり、ひとりで暮らしていくことに困りはしなくなっていた。

弟が結婚したとき、両親はあたしに結婚することを求めなくなった。
それまでは帰省するたびに、早く結婚しろと見合いをすすめて来ていたが、それもいつの頃からか言わなくなっていた。あれは確か弟に子供が誕生した頃だったはずだ。
いつまでもかわいい弟だと思っていたが、人生のパートナーを得て子供も生まれれば、もう弟とは思えないほど立派なひとりの男性だった。


ひとりで生きていくことを孤独と思わなくなったのは、いつの頃からだったのだろう。
つくしは自分の人生が流れていく様を淡々とした思いで見つめていた。
ひとりの時間は自分の中の感情と対話ができる時間で、自分の中での大切なものが何であるかを見つけることが出来る時間でもある。
ひとりは頼るものがいない。だから自分の中の自立心が育つ。あたしは昔からそんな人生を送っていた。それは家庭環境や周囲の環境もあったのかもしれない。
頼る人がいなければ、自分で解決をしなければならない。だから、変な意地を張ることを覚えてしまったのかもしれない。

高校生の頃もそうだった。
頼るべき人が出来ても、頼らず意地を張ってしまった。いつも意地っ張りだと言われたていたが、それもまた自分の個性のひとつだからと自ら口にしたこともあった。

本当はなにもかもを犠牲にしてでも守りたいと思ったあいつへの思いがあった。
つまらない意地なんて捨ててしまえばよかった。
だがそのことに気づいた時には・・・もう遅かった。


あたしは道明寺がすき・・

本当はそう伝えたかった。

もし、またいつか会えるときが来たら、あの時の思いを伝えてネックレスを返そう。

そうだ、そのためにも任された事業を軌道に乗せることが必要だ。そうすればニューヨークであいつに会える日が来るかもしれない。
たとえそれが自分の思いに永遠の別れを告げる日になるとしても・・・
最初から二人の恋なんて無理だったのかもしれない。惨めだと言われた暮らしをしていたあたしと、大邸宅に暮らす彼とは違い過ぎていた。垣間見た世界はあたしが暮らす世界とはあまりにも違い過ぎた。だから、あんな結末を迎えてしまったのだろうか?

どちらにしても、今となっては現実をどれだけ変えたいと願っても無理なことはわかっている。人生が逆転することは、きっとないはずだから。






玄関のインターフォンが鳴ったとき、その音は、止まない雨の音に重なったように思えた。
時計の針は9時を回っていて、こんな時間に訪ねてくる人に心当たりはない。
だがこんな時間だからこそ、訪問者には急な用があるのだろうかという思いもある。
つくしは、インターフォンの画面を確認するためソファから起き上がった。
手にしていた資料をテーブルの上へ置くと、壁にはめ込まれた小さな画面をじっと見つめた。そこには思いもかけない人物が映し出されていた。


雨が、雨の音が大きくなったような気がする。


20年経っても変わらない人が、そこにいた。











室内に沈黙が流れている。普段はあまり気にしたことがないような些細な音でも耳についた。壁にかかる掛時計の秒針を刻む音。部屋の中を漂う目に見えないなにか。
それはいつもと違う空気の流れ。

「これ使って」

つくしはタオルを差し出した。
雨に濡れた髪の毛からぽたりぽたりと雫が落ちていた。
差し出した右手の先が少しだけ司の指に触れた。
一瞬、絡み合った二人の視線に指先が疼いた。


司はつくしを眺める。
今彼女が立っているのはリビングのテーブルの近く。
テーブルの上には先ほどまで広げていたのだろう。仕事の資料と思われるものが無造作に置かれていた。

二人は互いの顔を見つめたまま、押し黙っていた。
この場所までは歩いて来たのに、ふいに足が動かなくなっていた。
20年近くも会うことがなかった女性が今、目の前にいる。手を伸ばせば触れられる場所にいるというのに、まるで足が固まってしまったかのように一歩も踏み出せなくなっていた。初恋の女性はパジャマ姿で、青色のカーディガンをはおっている。
司は部屋を見まわす。飾り気のない部屋だ。親友からの手紙にはひとりで暮らしていると書いてあったが確かめずにはいられなかった。だが他の人間の気配はなかった。


牧野がすぐ目の前にいる。

何か言わなくてはと思いながらも何も言えず、黙り込んでしまっていた。
口に出して言わなければ何も伝わることはないとわかってはいても、何故か言葉が出なかった。何か言ってはねつけられることが怖くて言葉が出ない。
持っているもの全てを捨ててまで一緒にいたい。そう願った女性がすぐそこいると言うのに何もできない自分がもどかしく思える。あの頃のほろ苦い思い出が一気に頭の中に甦った。
初めて会ったときは、まさか自分が恋に落ちるなんて思いもしなかったあの頃。
今の自分は初めてこいつに会ったときの17歳の自分に戻ったようにおどおどとしているようだ。そうだ。あの時、心の中ではこいつの太陽のような明るさに戸惑っていた自分がいた。
それは暗闇にいた自分には決して届くことのない陽の光で、こいつの笑顔が眩しかったということ。

怖かった。
そんな牧野が自分のそばからいなくなることが。だが、あのとき司は自ら彼女の手を離すことを選択してしまっていた。

離れてしまってから気付いたのは、心の奥ではずっと忘れられずにいたということ。
その思いは長い間心の奥底にあったが、自らその思いに蓋をして生きてきた。

何か言ってくれないか?
そう問いかけたい思いはあるが、自分から訪ねておいて余りにも身勝手だと気づいた。
言うべきは、話すべきは自分なのだから。


あの日のことを許して欲しい。
もし、今も心のどこかにあの頃の思いがあるならば・・・
俺を受け要れて欲しい。






つくしは目の前にいる長身の男を見つめていた。
20年前に別れたときと変わらないハンサムな男性を。
10代の頃と違い、大人になった道明寺がいる。
癖のある黒い髪に切れ長の三白眼。あの頃は思わなかったがこの時間になるとうっすらと髭が伸びているのが感じられる。テレビや雑誌で見かけるより精悍で大人になった道明寺。
彼の瞳は20年前に出会った頃と同じような表情はしていない。あの頃はどこか冷たい目をした男だった。それでも時折あたしに見せる表情は、優しく語りかけてくれていた。

「お茶・・飲む?」
不意にかけられた言葉。
「あ、ああ」



この人は自分から人に近づくことが下手だった。
どうすれば他人に優しくできるかということを学ぶことがなかったあの頃。
言葉を探しているのはわかっていた。
だから自ら声をかけた。お茶を飲むということが二人の間に流れる空気を和ませてくれるなら、何かのきっかけになるのなら、そう思った。

「どうぞ、座って。安いお茶の葉で申し訳ないけど」
「わるいな」
育ちがいい男はただお茶を淹れただけなのに礼を言う。
リビングのテーブルの上に出された湯呑。
その傍には先ほどまでつくしが目を通していた新規事業の資料が置かれている。

「牧野・・この資料・・」
「ああ。それ?今度うちの会社で立ち上げることになったのよ?うちね、あんたの所に買収されちゃってね。だからこのプロジェクトはあんたのところの下請けみたいな感じなんだけど、あたしが担当することになったの。あたし、こう見えても仕事だけは出来るって言われてて・・」
つくしは話しを途中で止めた。この男がなんのためにここへ来たかを聞かなくてはと思った。
「あ、なにか用があったの?」
まるで昨日の話しの続きでもしているようで、二人の間に20年という歳月など無かったようだ。だが、時は確実に流れていた。
「あ・・・ああ。近くまで来たから、顔が見たくて」
「そう・・」
つくしはゆっくりとほほ笑んで見せた。

二人でお茶を飲んだのは、あの日が最後だった。
10分だけ話しがあると言われ入ったのはファーストフードの店。
そこのコーヒーを口にしてまずいと言って機嫌が悪かったのを覚えている。
まるで昨日のことのように思い出されるあの日の別れ。
道明寺は覚えているだろうか?あの時のことを。


「こうやって・・」
「おまえと何か飲むのは・・あの日以来だな」
「覚えていてくれたんだ・・」
「ああ・・」
忘れたことはなかった。
「あんたあの時、コーヒーが薄くてまずいなんて言って不機嫌だったよね?」
「そう・・だったか?」
司はゆっくり湯呑を口に運ぶ。

コーヒーはブルマン100パーセントじゃないと飲まないと言っていた男だったが今でもそうなのだろうか?
「道明寺は・・」と呼び捨てにしていいものかと考えたつくしは言い直した。
「ど、道明寺さんは今でもブルマンしか飲まないの?」
「あ?ああ・・」
「なんだよ、その道明寺さんっての?」
「だ、だっていい年で呼び捨てなんてね・・おかしいでしょ?」
司と目を合わせ、柔らかな微笑みを浮かべた。
「おまえに道明寺さんなんて呼ばれたら気持ちわりぃ」
「あはは。そっか・・」
笑い声はあの頃と変わらない軽やかな声だ。

そうだ。知り合ったときからお互いにずっと呼び捨てだった。
今思えば、共に幼かったあの頃。
名前を呼ぶことが恥ずかしかったのかもしれない。

「牧野・・あのネックレスは・・・」唐突に切り出された話し。

司は自分が橋の上から川に投げ捨てたネックレスの行方が気にならなかったと言ったら嘘になる。あの時はどうしてあんなことをしたのか・・と後でそのことばかり考えていた。
だがもう20年も前の話しだ。あのときも、流されてしまったと思っていたから探しはしなかった。

「ああ。あれね。返そうと思って大切に保管してたの。ちょっと待っててすぐ取ってくるから」
つくしから返された思いもしなかった言葉。

保管していたということは、まさかとは思うがあの川の中に入って探したのだろうか?
あの日は肌寒かったのを覚えている。
それなのに、お世辞にも綺麗だとは言えないあの川に入って探したのだろうか?
こいつはプレゼントしたネックレスを返すために保管していたと言ったが、20年も処分することなくただ保管しているなんてことがあるのだろうか?

大切に・・保管してた。


どんな言葉を返されるよりも重かったその言葉。
もし、司が思っていることに間違いがないとしたら・・
聞くことが怖かったが、何度か唾を飲み込んだのち、声をかけた。
「まきの・・」
「はい。これ」
差し出された小さな四角い箱はあの当時のままだ。
「あのとき、ちゃんと言えなかったけど・・本当はあんたのことが好きだった」
つくしの口調は確信が込められていた。
「すごく大好きだった・・」

あの頃の、まだ少女だったこいつの面影がちらりと見えたような気がした。
強い意思を持つまっすぐな瞳が、あの頃司を見返してきた時と同じ瞳が、いま目の前にある。

「だけど、言えなくて・・ごめん、あんたのこといっぱい傷つけちゃって・・」
そこから先は言葉を探すようにしていたが、やがてゆっくりと話を継いだ。

「いつか・・あんたに会える日が来たら返そうと思ってた。自分の手で。さよならは・・・
嫌だけど・・もう20年も経ってて今さらだけどね・・あんたのこと、忘れたことは無かった・・」

つくしの口から語られる言葉は司が望んでいた、聞きたいと思っていた言葉。
好きだったと、大好きだったと聞かされ、ふいに希望が湧いてきた。
なぜもっと早く、会いに来ることをしなかったのだろう。
きっかけはあったはずだ。父親が亡くなったとき、母親から言われたことがあった。

『 本当に好きな人と生涯を添い遂げることを考えなさい 』と。

あの日からすでに何年だ?過去とは縁を切ろうとしていた。
過去を振り返ってもどうなるものではないという思いからなのか、親友からの手紙をもらうまでは会おうなど考えもしなかった。
だが、あの頃こいつに変えられた価値観はずっと心の奥にあった。あの恋は間違っていなかったと思っていたはずだ。今までの人生でこみ上げる感情などなかった。こいつを手放してしまってからは、感情を捨て去って来たから、ひとりでも生きてこれた。


だが、一度だけでいい。過去に戻りたい。

いますぐに・・


もしかしたら、今でもこいつは俺のことを好きでいてくれるのではないだろうか?
そんな自分の思いを確かめるには勇気が必要だった。
だがどうしても確かめたい。

「まきの・・もう一度あの橋の上から・・俺とやり直してくれないか?」

胸の奥底から沸いてきた言葉。
否定されることも覚悟の上だった。だが、もしここで言わなければ一生後悔するはずだ。
何かを切望するという気持ちは今まで感じたことがなかった。
そうだ。あの頃、こいつに思いを募らせていたとき以来だ。

「あの橋の上であったことは・・・あの日のことは・・」

その言葉は最後まで言えずにいた。





つくしはただ黙って聞いていた。
無言のまま、大きな瞳から頬をひと筋光るものが流れた。
頬を涙で濡らし、口元は震えている。それはかつて見たことがないほど、美しい顔だった。
決して造形のことを言っているのではない。昔から表面を飾ることなどしなかった女だった。こいつの美しさは心根の美しさだと言うことだ。その心が表情に現れたような気がしていた。
ずっと自分を待っていてくれたのではないか・・・司はそう思わずにはいられなかった。

「あ、あたしも、あの日のことは忘れたことはなかった。どんなに忘れようとしても、道明寺のことを思い出さない日はなかった。いつかまた・・ううん・・」つくしは首を振った。
「一度でいいから、また会いたいと思ってた。だって・・い、今でも道明寺のことが好きだから・・」


司が心の中に描いていた光景は、今、目の前にある。
それは両手を差し出して彼の体を迎え入れようとしてくれる小さな体。
誰にも動かされることのなかった心は、こいつだから動かすことが出来る。
そう。彼女だから・・牧野つくしだから出来ること。
忘れられなかったあの頃の思い。心の中ではずっとわかっていた。
いつかあの頃とは違う最高の自分で会いたいという思いがあったはずだ。何年経っても変わらない思いは決して色褪せることなく、心の中にあった。すべてがまだ新鮮で幼かったあの頃と変わらない思い。それは何年たってもこいつを愛しているという気持ち。今すぐあの頃に戻りたい。聞き間違いでなければ、今でも好きだと言ってくれた。
目の前に差し出された両手は失ってしまったと思っていた愛がまだこいつの中にあるということだろうか?

遠い昔のことは忘れて受け入れようとしているかのように広げられた牧野の腕。
もうこいつと離れることはないし、二度と離すつもりもなかった。


「愛してる」 つくしは心から言った。
あれから何年経とうが思いは昔のままだった。
長い間、愛することを止めることは出来なかった。心の中にはいつも道明寺のことがあったから他の誰かとつき合いたいなど考えたこともなかった。ひとりで生きていくことを孤独だとは考えてはいなかったが、それでも愛する人がそばにいてくれればと考えない日はなかったはずだ。

司は手を差し出すとつくしをしっかりと抱きしめた。

「俺もおまえを愛してる。これから死ぬまでずっと一緒にいたい」

つくしは彼のキスに応じて唇を開いた。


牧野を愛してる。

抱きしめ合えるということがこんなにも素晴らしいことだと、司は初めて気が付いた。
あれから随分と時は過ぎてしまったが、二人で人生をスタートするのは今からでも遅くはないはずだ。20年も手元に置いて大切に保管されていたネックレス。
あのとき、俺が投げ捨てたネックレスはこいつの宝物だったと気づかされた。
今はそのネックレスと一緒に俺の宝がこの腕の中に戻って来てくれた。

もう二度と離したくない。
離れたくない。



今、司の心の中にあるのは、ただそれだけだった。







< 完 > * 橋からの眺め

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