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2016
03.11

あの日に想いを寄せて

このお話は、2011年3月11日、東日本大震災の二人の物語です。
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真夜中に鳴る電話にいい話はないと聞くがそれは本当だろうか。
眠りについて数分もしないうちに司は目が覚めていた。

司は、自分の携帯電話が鳴る音を聞いたような気がしていた。
確かに聞いた気がした。
ワンコールだけだったのかもしれない。
彼はベッドから起き上がると、充電器につながれている小さな機械を手に取った。


だがそこに着信記録は無かった。
さっき鳴ったと思ったのは気のせいだったのだろうか。
その音は確かにしたと思っていた。

司はなぜか気になって仕方がなかった。
だが手の中に収まる小さな機械が鳴る気配はない。

誰かが自分に連絡をしようとしている気がしてならなかった。

もう少しだけ待ってみようか。
待つ?いったい何を待つんだ?

鳴った形跡もない機械がまた鳴るのを待つというのか?
わけがわからない。
どうしてそんなことを思ったのか自分でもわからなかった。



「 牧野か? 」

司は呟いていた。


彼はなぜかそう思った。
だがもし仮に牧野だとしても、こんな真夜中に電話をしてくる非常識な女では無かった。
しかしどうしても気になって仕方がなかった。

司はじっとしてはおられずに服を着ると、大きなソファへどかっと腰を降ろし
自分の手の中にある機械が鳴るのを待っていた。
やがて5分が過ぎたがやはり鳴ることはなかった。

部屋はカーテンが閉じられて常夜灯の明かりだけがぼんやりと周囲を照らしていた。
司はカーテンを開くと目の前に広がる美しい庭を眺めた。
そこは防犯上の理由から暗闇になることはなく、長い夜の間も明かりが灯されていた。
彼は何か動くものでもないかと目を凝らしてみた。
だが目の前に広がる芝は見えない何かの影を映すようなことはなかった。
司は真夜中にいったい自分は何をしているのかと訝った。


「俺は気が狂いかけているのか?」


鳴らなかった電話を待つなんてと司は自問していた。

だがそのとき、自分の部屋のドアを激しく叩く音がした。



「大変です!司様、起きて下さい!」



そのとき時計の針は午前1時を少しだけ回っていた。




それからの時間は彼にとって生きた心地がしなかった。
震える両手で椅子のひじ掛けを掴んで思わず目を閉じた。
彼女が、牧野のことが心配だった。
心と身体を牧野の傍へと届けることが出来るなら、すぐにでもそうしたかった。
だが、暗闇と長い時間が苛立ちだけを彼に与えていた。




午前0時46分

ただし、それはアメリカ東部時間。

日本では午後2時46分。

あの瞬間を東京で迎えたはずの牧野はどんな思いで俺に電話をかけて来たのだろうか。
揺れが収まり、それでも何かに掴まりながら自分に電話をかけて来たのだろか。

牧野は電話を掛けたはずだ。
だが繋がらなかったのだろう。


ニューヨークから東京までのフライトは許可が下りなかったがいつでも飛び立てる準備だけはしていた。
今はどうすることも出来ずここにいるしか手立てが無かった。



あの日は一度に沢山の事がありすぎて誰もどうすることも出来ないでいた。



会社のこと、社員とその家族のこと、そして牧野のことを考えるとここにいる自分が、あいつの傍にいてやれない自分が情けなかった。
だが、それは自分を責めても仕方がないことだと分かっていた。


時計は真夜中から時を刻むことを止めなかった。
司もただ手をこまねいているだけではなかった。
だが冷たい沈黙が流れる時間だけが自分の傍を通り過ぎて行ったような気がしていた。
やがて徐々にだが東京、そして日本の状況が目に、耳に入るようになって来た。

どこにいるんだ牧野?
連絡をくれ!



あのときあいつは東京にはいなかった。


突き上げてくる思いは言葉に表すことが出来なかった。


どうか神様お願いだ!



気がつけば・・・彼は小さな声で呟いていた。
それは普段の彼なら決して口にしない言葉だった。


これまで多くの罪を繰り返して来た自分に神様は情けをかけてくれるだろうか。
こんな情けない姿の自分の願いを聞き入れてくれるだろうか。
司はそんなことを考えていた。
今の自分には祈るしか出来なかった。
東京から、日本から遠く離れた場所でただひたすら神に祈ること以外出来ずにいた。


そこにいたのは冷静さと鋭敏さが際立つと言われた男ではなく、頭を垂れ、愛する女の無事を祈るただの男の姿だった。

不安に苛まれた一夜を過ごし、それでも時間が来れば仕事に出かけなければならなかった。

見る者が見れば、彼の姿がいつもと違うことは分かっただろう。

「司様、牧野様はきっとご無事ですよ」

誰かにそう話しかけられた。
だが、それに対しての答えは返しようもなかった。
なんと答えていいのかがわからなかった。





車が教会の前を通りかかったとき、司は運転手にその場で止めるようにと指示をしていた。
ニューヨークにあるそれほど大きくない教会の正面の扉は大きく開け放たれていた。
たたずまいは古く決して外観が美しいと言えるような建物ではなかった。
もしかしたらそこはニューヨークの教会の中でも古い教会なのかもしれなかった。


今までこの地に住んではいても教会には足を向けたことなど無かった。
自分はキリスト教徒ではない。
だが、そこは祈りを捧げたい者がいれば誰でも受け入れてくれる場所ではあった。
司には信仰心はないが今の自分を受け入れてくれる場所が欲しかった。


教会の内部は薄暗く、人影もまばらで石の床はニューヨークの寒さを伝えてきていた。
司は靴音を響かせながら中央の通路を進むと礼拝席の一番後ろに座っていた。
そこから正面に見えるのは十字架にかけられた男の姿だった。


司は思った。
もし今俺がこの場所で過去の罪を悔い改めれば、神は牧野の居場所を自分に教えてくれるのではないだろうかと。
縋れるものがあるのなら、どんなことにでも縋りたい思いだった。
自分を見つめる大きな瞳が思い出されて心を締めつけていた。
最後にあいつと会ったのはクリスマスシーズンだった。
あれから三ヶ月。電話で話をした回数も限られていた。

ああ、神様。
どうかあいつが、牧野が無事でいてくれますように。


無事なはずだ。



そうだろ?


こんな俺が生きているのに、牧野がいなくなるはずがない。




司は自分の頬を何かが流れていくのを感じていた。





気がつけば声を押して、泣いていた。






ごめんな、牧野。
傍にいてやれなくて。



今の彼の顔を見れば、涙がとめどなく流れているのを見ることが出来ただろう。

司の足は告解室へと向いていた。
カトリック教会にある告解室。
小部屋が壁で仕切られ、片方に司祭が入りもう片方に告解する信者が入り
互いに顔を合わすこともなく壁にもうけられた小窓から告白の内容が伝えられる。
そこは洗礼を受けた者が自分の犯した大罪を聖職者への告白を通して神から許しを得るための信仰儀式の場だった。
ゆるしの秘跡と呼ばれ、洗礼を受けた者にだけ許された儀式だ。


俺はキリスト教徒でもカトリックでもないから洗礼も受けていない。
それでも聞いてくれるか?

だが自分が罪を告白する?
見ず知らずの人間に自分の弱さを露呈するなんてこと俺が出来るのか?
罪を犯したと言う認識は今までなかったが、思えば若い頃はそういうこともあった。
人は自分が調子のいい時は些細なことなど気にならないものだが、気持ちが弱っている時ほど心のどこか片隅にある何かが自分を苛むものだ。

気弱になる。

その言葉がまさか自分に使われるとは司は考えたことなどなかった。
だが、あいつのこととなるといつもの自分ではいられなくなっていた。

あいつは俺の心の支えだ。
失いたくない。
もしかしたらそんな思いが彼にそのような行動を取らせようとしたのかもしれない。


告解室の扉は開かれていた。
その奥に人の気配を感じた。
中では神父が信者の懺悔を聞くために待っているのだろうか?
司は思い切って中を覗いてみた。


「神父様、俺はカトリックでもキリスト教徒でもない。それでも聞いてくれるか?」

告解室に足を踏み入れた司は、小さなその部屋の中央を仕切られた向うにいる人物に言った。


「どうぞ。主はお許しになります」

仕切られた格子窓の向う側の人物は言った。
その声から老齢の人物だと感じられた。

「息子よ。話しなさい」

「並べあげれば・・・きりが無いかもしれないが・・」

「続けなさい」

「昔の俺は・・」

司は話はじめていた。自らが過去に犯した罪を。
それは彼女を知ってから罪だと気づかされたことだった。
それまでは、自分のしてきた行いがいとも簡単に許されてきていたので罪だとは思わなかった。罪を罪と思わない人間にいくら道理を説いたところでどうにもならなかったはずだ。
あの当時の自分は暴力が罪だとは思っていなかったし、その事を悔やんだこともなかった。
なぜなら悔やむ理由などなかったから。
だが気の趣ままの暴力を受けた人間はそのことを一生忘れないかもしれない。
そして、そのことを証明するかのように彼の罪が彼女に押し付けられたこともあった。

仕切りの向う側の人物は彼の話を聞きながら頷いていた。




司の話がそろそろ終わろうかという頃になると、沈黙だけが返されるようになっていた。

「神父様?」司は問いかけた。

「どうしましたか?」返事があった。

「こんな俺は許してもらえるだろうか」

誰に許してもらいたいと言うのだろうか。
司が犯した罪の相手は今ではどこで何をしているかさえ分からないと言うのに。

「あなたがそれを罪だと認めるなら、主はそれを許してくれます。
 お帰りになる前に、ロウソクを一本灯していきなさい。
 ロウソクくの灯りは我々の喜びの印ですから」

ロウソクに火を灯す。

そう言われて気づいたが今の自分に喜びがあるとは思えなかった。
牧野がどこにいるのか、連絡が取れないままでいた。


司が告解室を出た、その時だった。

「司様!東京からお電話です!」

教会の中を走って来た運転手は司に携帯電話を手渡した。




自分の願いは聞き入れられた。

今の司に言えるのはその思いだけだった。

その電話を受け終えたとき、司は告解室の方を振り向いた。

「神父?」

小さな告解室は中央で仕切られていて、その向うにはまだ神父が座っているはずだ。
だが返事は無かった。
カトリック教徒でもない自分の話を聞いてくれた神父はどんな人物だったのだろうか。
司は自分がこんな申し出をしたらどう思うだろうかと訝しく思いながらも話してみることにした。
信者でもない自分の為に時間を割いてくれ、話を聞いてくれた礼をしたいと。
こんな古い教会を維持管理していくのは大変だろう。
援助させてもらえないだろうかと。

「神父、失礼だが・・」

司は仕切りの向うの人物に会いたいと思い、その人物がまだいるはずの小部屋のドアをノックした。
本来なら互いの顔を見ることはしないのが決まりだった。
彼は自分からドアを開くのはおこがましいと言う思いからドアが開かれるのを暫く待った。
だが、中からはなんの気配も感じ取ることが出来なかった。

司は失礼、と言うと思い切ってドアを開けてみたが告解室の中には誰もいなかった。





そしてそこにある椅子は埃をかぶった状態で、誰かが座った形跡はなかった。











司はロウソクを手に取ると、灯りをともした。
喜びの灯りと言われるともしびを。



彼は流れる涙をぬぐうと教会をあとにした。


神は、司が自分の過去の罪を悔い改めようと決めたとき、彼の願いを聞き入れたのかもしれない。






あの日は流れ星が多い夜だったと後から聞いた。
それは人間の魂が空へと駆け上っていく姿だったと誰かから聞いた。

自分の話を聞いてくれた神父は誰だったのか。
あの人は沢山の魂を迎え入れるのに忙しいはずだったのに俺の話を聞きに来てくれたのだろうか。








自分にはこれからの日本の為にやるべきことがある。

その日が司の今後の人生にとって運命の日だったのかもしれない。








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