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2022
11.10

言葉のちから

Category: 言葉のちから
「司!頑張って! 」

「司!頑張れ!お前なら出来る!」

「そうよ司!司なら出来るわ!」

「そうだぞ司!頑張れ司!あとひとり抜いたらお前が一番だ!」

若い男女は目の前の直線コースを駆けて行った男の子にそう声をかけた。
そして、最初にゴールテープを切った男の子の姿に歓喜の声を上げて抱き合っていた。





「ねえ。さっきのご夫婦の息子さん。あんたと同じ名前みたいね」

妻は隣にいた男女が立ち去ると、そう言って司の顏を見た。
そして微笑ながら「それで?どう?」と言った。
だから司は「何がどうだって?」と答えた。
すると妻は「だから熱い声援を受けた感想は?」と訊いた。
司は「どうもこうもねえ。司、司って人の名前を連呼しやがって今日は司の大安売りか?」と答えたが、妻は「何言ってるのよ。大安売りもなにも今日は運動会だもの。運動会に我が子の名前を叫ばない親はいないわ」と笑った。


秋晴れの空の下で行われている運動会。
子供の活躍する姿を見ようと集まった家族の中には、ビデオカメラを回している姿もあれば、声を限りに応援する姿もあった。
そしてその中でもひときわ司の目をひいたのは、祖父と思われる高齢の男性。
男性は、『ガンバレ海斗!』と書かれたハチマキを巻き、同じ言葉が書かれた小旗を手に「海斗!ガンバレ海斗!おじいちゃんは海斗が箱根駅伝に出るのを楽しみにしているぞ!それまでおじいちゃんは絶対に死なん!だからガンバレ海斗!」と叫んでいた。

そんな男性の姿に妻は「あのおじいちゃん凄いわね。それに孫が大学生になって箱根を走ることを楽しみにしてるって、もしかしておじいちゃん駅伝の選手だったのかもね?」と笑い、それから司を見て「ま、あんたが呆れるのも無理はないわね。でもあんたもすぐにあのおじいちゃんの行動が理解出来るから」と言った。
そして「あ、あの子。次に走る男の子。駿の友達よ!渉くん、ガンバレ―!」と声をかけた。

司は息子の交友関係を知らない。
それに息子が初等部に進学してから運動会に来たことがない。
それは日本とアメリカを行き来する仕事の関係で帰国することが出来なかったから。
だが息子が3年生に進級した今年。なんとか帰国することができた司は徒競走に出場する息子の走る姿を初めて見るチャンスを得た。

学年別の徒競走は低学年から順番に行われている。
『司』を連呼していた夫婦の息子は1年生。
小旗を手に叫んでいた高齢の男性の孫は2年生。
だから次は3年生で息子の番だ。

そして妻は「低学年の1年生と2年生は距離が短いから、かけっこレベルだけど、中学年の3年生と4年生は少し距離が長い80メートルなの。それから学年が上がってくると低学年の頃と違ってみんな勝ち負けにこだわるようになるの。だからみんな本気。真剣勝負よ」と言った。
するとこれまでとは違う音楽が流れ始めたが、その曲に「懐かしいわねえ。この曲を聴くと走り出したくなるわ」と言い、「あのね、この曲はカバレフスキーの『道化師のギャロップ』って言うの。運動会の徒競走で流れる曲の定番のひとつよ」と言ったが、司の記憶の中にそのメロディーはなかった。
だがそれもそのはずだ。司が運動会と呼ばれる行事に参加したのは初等部の2年生まで。
3年生になると、走ることに何の意味があるのか。玉入れや綱引きのどこが楽しいのか。
そんな思いを持つようになり運動会に出るのを止めた。そして丁度その頃の司は、自分は何のために息をしているのかを考えるようになっていた。

「もうそろそろだわ!3年生が始まるわ!」

嬉しそうな妻の声が耳に届いた。
まず走ったのは女子の組。
女の子たちが走る姿に妻は、「あたしも走るのが好きでね。運動会ではいつも一番だったわ」と言った。
そんな妻に司は「つまりお前の逃げ足の速さは運動会で鍛えられたってわけか」と言った。
すると妻は「あはは。そうねえ。そうかもしれない。だって一番になると景品がもらえたから。あ、でも景品って言ってもノートや鉛筆の類なんだけど、あたしにとってノートも鉛筆も大切なものだったから頑張った」と言って自分の言葉に、「うん。そうよ、そう。あたしの足が早くなったのは景品のおかげかもしれないわね」と笑って頷いていた。
そして妻は少し間を置いてから、「人間って何かのために必死になる力があると思うの」と静かに言った。「その何かは人によって違うけど、今日の駿は司のために頑張るそうよ。駿は父さんがやっと運動会に来てくれる。僕の走るところを見てくれる。だから絶対に一番になるって言ってたわ」

その言葉を訊いたとき、司はハッとした。
司は子供の頃から身体を動かすことが好きでスポーツが好きだった。
それに運動神経は抜群にいいと言われていた。
そんな司が運動会に興味を失った本当の理由は、他の生徒の親は我が子の溌剌とした姿を見るためグラウンドに足を運んでいるが、司の家族の姿は観客席になかったからだ。
他の生徒は家族から声援を受け、たとえ転んでビリになっても、家族はよくやったと我が子を褒める。だが自分にはそんな家族はいない。自分を見てくれる人がいないのに頑張ってどうするのだ。転ぶことなく一番にゴールしても、一体誰が自分の頑張った姿を褒めてくれるというのだ。だから司は一番にゴールしても負けたように感じた。
そしてその時に感じた思いから、運動会は自分には関係の無いつまらない物なのだと思うようになったのだ。

司の両親は子供をべたべたと可愛がるタイプの親ではなかった。
だから両親は学校行事に参加したことがない。それは運動会然り、参観日然り、彼らは司に興味がないとでもいうように学園に多大な寄付をするだけで足を運んだことがない。そんな両親だから、司に何かあっても対応は使用人任せだった。
そして、4年生になった司は同級生を殴って大怪我をさせた。それでも両親が司の前に姿を見せることはなく、怪我をさせた同級生の親に多額の見舞金という名の示談金を支払い終わりにした。





「ねえ、そろそろ駿の順番よ!」

女子の組が終り次は男子の組だとアナウンスがあった。
そして最初の組の6人が走り終えると、次の組の6人の中に司の息子の駿がいた。
スタートラインの我が子はクラウチングスタートの体勢でピストルが鳴らされるのを待っていたが、その姿は妻が言った通り真剣で他の5人も同じだ。

スターターの手がピストルを高々と掲げ「位置について」の声がかかった。
そして「用意」の後すぐにパン!と音が鳴った。
6人の男の子は誰一人遅れることなく同時に駆け出していた。
『学年が上がってくると低学年の頃と違ってみんな勝ち負けにこだわるようになる』と妻は言ったが、全ての力を出して走っている子供たちの中で誰が一番になるか。競争は僅差の勝負となっていた。
司は初めて見る我が子が全力を出して走る姿に「駿!頑張れ!」と大きな声を上げた。
両手をメガホンのようにして「駿!行け!頑張れ駿!お前なら行ける!駿!最後まで気を抜くな!父さんはここにいるぞ!」と叫んだ。
そして先頭でゴールした我が子の姿に「よし!」と両手を突き上げたが、走り終えた駿は苦しそうに息をしながら声が聞えた方に視線を向け司の姿を探していた。
だから司は「駿!父さんはここにいるぞ!父さんは見たぞ!お前が一番でゴールしたのを見た!父さんはお前を誇りに思うぞ!」と叫んでいた。




***




帰りの車の中で司は我が子の走る姿を思い出していた。
そして妻に言った。

「それにしても駿の足は速い。まるでお前が俺の前から逃げた時と同じくらい速い」

「ふふふ……そうよ。駿の足の速さはあたし譲りって言われてるわ」

「そうか?」

「そうよ」

「それなら駿の顏の良さは間違いなく俺譲りだ」

妻はそれを否定しなかった。その代わり「じゃあ頭の良さはあたし譲りね」と言った。
そして「それにしても、司を連発していた夫婦やハチマキ姿で小旗を手にしたおじいちゃんに呆れてたあんたが、あんなに一生懸命応援するとは思わなかったわ。それに、あそこまで熱くなるとは思わなかった」と言った。

熱くなる___
その言葉には意味があった。
司は息子が走り終わった後も同じ3年生の次の組の男の子の徒競走を見ていた。
すると、スタートしたばかりの状況でひとりの男の子が転んだ。
観客席からは「あ!」と声が上がった。
男の子は転んだまま立ち上ることが出来なかった。
もしかしたら怪我をしたのか。だから先生が慌てて駆け寄って手をかそうとしていた。
そんな男の子に大きな声が飛んだ。

「大丈夫だ!走れる!だから立て!立って走れ!」

それは司から発せられた声。

「みんながお前を応援しているぞ!だから頑張れ!」

すると他からも「ガンバレ!ガンバレ!」と声が飛んだ。
そして男の子を応援する沢山の声が飛び交うなか、男の子は立ち上がり、ゆっくりとだが走りだした。
だから司は「よし!いいぞ!頑張れ!ゆっくりでもいいんだ。諦めるな!最後まで走れ!」と声をかけ続けたが、今の司には分かる。応援されることがどんなに力になるかを。
そして自分がそうだったように、我が子にも複雑で厄介な年頃が来ることを。
だから子供には沢山言葉をかけてやることが大切なのだ。
それは親でなくてもいい。周りにいる大人が何かに気付いたとき言葉をかけるべきなのだ。
その言葉は特別な言葉でなくていい。どうかしたか?何かあったのか?と軽く話しかける。
そんな言葉でいいのだ。そして言葉をかけられた子は、自分のことを気にかけている大人がいることで、自分はひとりじゃないことに安心する。そして言葉をかけられ、励まされ応援された子は、他の誰かに言葉をかけ、励まし応援することができるようになる。
つまり子供の成長には沢山の愛と沢山の言葉が必要なのだ。
だから司は転んだ男の子の親が来ているのか。来ていないのか。分からなかったが男の子に言葉をかけ続けた。
しかし、声援の中に男の子の名前を聞くことは無かった。



「よーし!今夜の夕食は駿の好きなハンバーグにするわ。一番にゴールしたからスペシャルハンバーグよ!」

妻はそう言って司に文句ないわよね?と言った。
だから司は「俺がお前の料理に文句を言ったことがあるか?」と答えた。
すると妻は「ないわ」と言った。そして「今日は楽しかったね」と言い司の手を握って「忙しいのにありがとうね」と言った。





< 完 > *言葉のちから*
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