私は毎日非常に神経を使っています。
それは私が人に仕える仕事をしているからにほかなりません。
そんな私は石頭と言われることがあります。学級委員長を務めた優等生がそのまま大人になったと言われる私に冗談は通じないと思われているようです。
しかし、私自身は自分のことをユーモアのある人間だと思っています。
何故なら銀縁眼鏡の奥にある瞳から感情を読み取ることは不可能だと言われてはいても、私が仕える方と、その方の奥様の会話に笑いを堪えることが多々あるからです。
私はいつも白いワイシャツに紺色の背広を着ています。
それは私にとってユニフォームのようなもので、その組み合わせがベストだと思っているからです。ですから、クールビズという言葉が当たり前のように使われるようになっても、ネクタイを外すことはございません。つまりそれは亜熱帯といわれる場所へ行っても同じであり、私にとって長袖シャツとネクタイは第二の皮膚と言ってもいいほど肌に馴染んでいるからです。
そして私は見映えのする外見ではありませんが、中肉という表現でおさまる体型で背の高さはそれなりにあります。
それに長年アメリカで暮らしていたこともあり英語は達者で、海外出張にも慣れております。酒は少々飲みますがタバコは吸いません。血圧は少々高めではありますが、コレステロールも中性脂肪も正常値の範囲内であり健康に不安はございません。
そして、世界各国を渡り歩く私に食べ物の好き嫌いはございません。
申し遅れましたが、私の属性は道明寺ホールディングスの社長である道明寺司の秘書でございます。
そんな私ですが、本日定年退職を迎えることになりました。
この日が必ず来ることは分かっていました。ですから私の社長秘書としての余命はあと僅かということになります。そして私はデスクで私物の整理をしております。
在職中は精一杯働きました。
入社すると営業本部に配属されました。そこで数年間過ごした後、秘書室に異動になりました。そこで2年の役付きを経て社長の第二秘書となったのですが、そこから三十代半ばで社長付になり秘書室長に抜擢されたのは、前例のないことだと人事課から訊かされました。
そして前社長、道明寺楓の秘書を務めた私は同期の中では一目置かれる存在になりました。
何しろ道明寺楓は、英国の首相であったマーガレット・サッチャーと同じ鉄の女の異名を持つ女性。その女性の秘書を務めた私は、世界の名だたる政治家は勿論のこと、世界経済を動かす企業経営者とも顏を合わせることが出来たのですから、それは豪雪地帯と呼ばれる田舎町で育った人間にしてみれば夢のような経験でした。
そして世間は次期社長の秘書も務めた私のことを社長の懐刀と呼びました。
右腕だと呼びました。
ですが秘書の仕事は仕える人間の仕事が円滑に進むように万全を期すことであって会社の経営判断に係わることはございません。それでも私はその呼び名を名誉に思いました。
栄光の中に身を置くことができたことを感謝しています。
そんな私ですが、過去に一度だけ仕事を辞めようと考えたことがあります。
それは50歳を前にした頃、田舎の母が倒れた時です。父は10年前に亡くなり、母ひとりが田舎の家で暮らしていました。
私はひとり息子です。東京の大学に出てきたのは18歳でしたので、およそ30年の歳月が過ぎていました。今でこそ道路が整備され、山を越えれば新幹線の駅もあるような町ですが高齢の母をひとりにしておくことは出来ないと思いました。
ですから独身の私は母を東京に呼び一緒に暮らそうと思い、そのことを母に伝えました。
すると母は言ったのです。
__田舎者の母ちゃんは山があって田んぼがある場所がいい。とてもじゃないが東京のようなビルばっかりの都会では暮らせないよ。
私は母のその言葉に里心がついたのかもしれません。
それならと仕事を辞め田舎に戻ろうと思いました。田舎で仕事を見つけようと考えました。それに道明寺は大企業です。定年まで勤めあげなくても退職金はそれなりにあります。だから暫く母の世話に専念しても金銭面の問題はないと考えました。
するとそんな考えを持つ私に母は再び言いました。
__母ちゃんのことは心配しなくてもいい。あんたが働いている会社の偉い人が全部手配してくれた。だから母ちゃんはひとりでも大丈夫だ。
それに母ちゃんは東京みたいにゴミゴミした場所より、イノシシやシカが出る田舎でのんびり暮らす方がいい。それにしてもあんたの会社の人は凄いねえ。大学病院の先生が母ちゃんの担当になってくれるって言ったよ。それから何かあったらこのボタンを押せばすぐに警備会社の人が来るって小さな箱を置いてったよ。
母が言った会社の偉い人。
それが今の社長であることは直ぐに分かりました。
それは母の前に現れた男性の髪が特徴的な髪型だったと言ったからです。
あの時は前社長から今の社長に変わったばかりでしたが、社長のことは若い頃から存じ上げておりました。道明寺司という少年は破天荒___いえ、手の付けられない少年でした。
鉄の女と呼ばれた母親である前社長も反抗期の少年に手を焼いていたのです。
そして少年の周りにいたのは、彼の顔色を伺う人間ばかりで、誰も少年の素行の悪さを咎めることはありませんでした。
しかし、そんな少年もひとりの少女と出会い自分の進むべき道を決めたようでした。
17歳だった少年は少女に見合う男になるため生き方を変えたのです。
一人前の男になるため、ひとりの少女を幸せにするために自分を変えることをしたのです。
いえ、違います。正しくはそうではありません。少年は世界中でその少女だけが自分に幸福を授けてくれるのだと気付いたのです。つまり少年が少女を幸せにするのではなく、少女によって自分は幸せになることができる。だから少年は自分自身が幸せになるためには自分を変えなければならないことに気付いたのです。
そして私は少年が変わっていく様子を間近で見ていたのです。
やがてアメリカの大学を卒業した少年は、いえ青年は家業を継ぐため道明寺に入社しましたが、そこに私が知っているかつての少年の姿はありませんでした。
前社長の引き際は見事でした。
社内には社長の息子が跡を継ぐことを反対する勢力がありました。
しかし、100年以上の歴史を持つ会社を若返らせる必要があると感じていた社長は、反対勢力の先頭に立つ常務とその一派を一掃するため、彼らが行っていた不正の証拠を掴み突きつけたのです。
その不正は常務の名誉にかかわる問題でした。ですからそのことを表沙汰にしない代わりに、自分の退任と同時に彼らを辞任させたのです。
そして私は前社長の秘書から新社長の秘書になりました。それは新社長から自分に仕えて欲しいと言われたからです。
17歳の時に出会った少女と結婚し父親になっていた新社長は、精力的に仕事をこなしました。道明寺を前社長の頃よりもさらに大きく発展させました。
そして私は自分が成すべき仕事をして社長をお支えしてきました。
外は嬉しくなるような春の陽射しが降り注いでいます。
私はそんな日に、後任の秘書室長からセロファンとリボンでラッピングされた花束を受け取り会社を去ります。花束には言い尽くせない思いが託されていると言いますが、果たして私が受け取る花束には何か思いが託されているのでしょうか。
「西田、来てくれ」
私はインターコムで社長に呼ばれ席を立ちました。
そしてすぐに社長室に向かうと扉をノックしました。
「入れ」
その声に私は扉を開け「失礼いたします」と言って中に入りましたが、恐らくこれから言われることが私の秘書としての最後の仕事になるのでしょう。
そう思う私は社長の言葉を待ちました。
「バッジはどうした?」
道明寺ほどの有名企業になると社章を悪用されることがあります。
ですから、まもなく会社を去る私は返納しようと、すでに背広の襟にある社章を外していました。
「こちらにございます」
私はポケットの中からバッジを取り出すと手のひらに乗せました。
すると社長は言いました。
「西田。悪いが外すのはもう少し先にしてくれ」
「は?」
私は社長の言った言葉の意味が分かりませんでした。
「新しい秘書室長、つまり俺の新しい秘書だが、自分は若輩者で俺の秘書を務める自信がないと言い出した」
確かに道明寺司という男は非常に癖のある男です。それは誰もが良く知ること。
だから私がバトンを渡すはずだった人間も知っていたはずです。
そして彼は私が認める優秀な人間です。自信を持って私の後任に勧めました。
しかし、道明寺司の秘書は自分に自信がない人間が務めることは出来ません。どうやら私の人選は間違っていたようです。
「だからお前を俺の秘書として留め置くことにした。俺が社長としての責務を全うするためにはお前の存在が必要だ。だから悪く思うな」
社長は悪く思うなと言いましたが、それは本心ではございません。
悪いなど思ってはおりません。
何故ならその顏には少年の頃によく見た、いたずらっぽさが浮かんでいたからです。
私は外していたバッジを元あった場所に戻しました。
そして背筋を伸ばして言いました。
「社長。さっそくですが今夜は佐藤電産の会長と会食の予定がございます。佐藤会長におかれましては、先日お孫さんがお生まれになられました。つきましてはお祝いのお品物をお持ちになられてはいかがでしょう?」
すると社長は、にやっと笑い「お前に任せる」と言ったのです。
だから私は無表情で答えました。
「かしこまりました」
< 完 > *バトンを渡す日*

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それは私が人に仕える仕事をしているからにほかなりません。
そんな私は石頭と言われることがあります。学級委員長を務めた優等生がそのまま大人になったと言われる私に冗談は通じないと思われているようです。
しかし、私自身は自分のことをユーモアのある人間だと思っています。
何故なら銀縁眼鏡の奥にある瞳から感情を読み取ることは不可能だと言われてはいても、私が仕える方と、その方の奥様の会話に笑いを堪えることが多々あるからです。
私はいつも白いワイシャツに紺色の背広を着ています。
それは私にとってユニフォームのようなもので、その組み合わせがベストだと思っているからです。ですから、クールビズという言葉が当たり前のように使われるようになっても、ネクタイを外すことはございません。つまりそれは亜熱帯といわれる場所へ行っても同じであり、私にとって長袖シャツとネクタイは第二の皮膚と言ってもいいほど肌に馴染んでいるからです。
そして私は見映えのする外見ではありませんが、中肉という表現でおさまる体型で背の高さはそれなりにあります。
それに長年アメリカで暮らしていたこともあり英語は達者で、海外出張にも慣れております。酒は少々飲みますがタバコは吸いません。血圧は少々高めではありますが、コレステロールも中性脂肪も正常値の範囲内であり健康に不安はございません。
そして、世界各国を渡り歩く私に食べ物の好き嫌いはございません。
申し遅れましたが、私の属性は道明寺ホールディングスの社長である道明寺司の秘書でございます。
そんな私ですが、本日定年退職を迎えることになりました。
この日が必ず来ることは分かっていました。ですから私の社長秘書としての余命はあと僅かということになります。そして私はデスクで私物の整理をしております。
在職中は精一杯働きました。
入社すると営業本部に配属されました。そこで数年間過ごした後、秘書室に異動になりました。そこで2年の役付きを経て社長の第二秘書となったのですが、そこから三十代半ばで社長付になり秘書室長に抜擢されたのは、前例のないことだと人事課から訊かされました。
そして前社長、道明寺楓の秘書を務めた私は同期の中では一目置かれる存在になりました。
何しろ道明寺楓は、英国の首相であったマーガレット・サッチャーと同じ鉄の女の異名を持つ女性。その女性の秘書を務めた私は、世界の名だたる政治家は勿論のこと、世界経済を動かす企業経営者とも顏を合わせることが出来たのですから、それは豪雪地帯と呼ばれる田舎町で育った人間にしてみれば夢のような経験でした。
そして世間は次期社長の秘書も務めた私のことを社長の懐刀と呼びました。
右腕だと呼びました。
ですが秘書の仕事は仕える人間の仕事が円滑に進むように万全を期すことであって会社の経営判断に係わることはございません。それでも私はその呼び名を名誉に思いました。
栄光の中に身を置くことができたことを感謝しています。
そんな私ですが、過去に一度だけ仕事を辞めようと考えたことがあります。
それは50歳を前にした頃、田舎の母が倒れた時です。父は10年前に亡くなり、母ひとりが田舎の家で暮らしていました。
私はひとり息子です。東京の大学に出てきたのは18歳でしたので、およそ30年の歳月が過ぎていました。今でこそ道路が整備され、山を越えれば新幹線の駅もあるような町ですが高齢の母をひとりにしておくことは出来ないと思いました。
ですから独身の私は母を東京に呼び一緒に暮らそうと思い、そのことを母に伝えました。
すると母は言ったのです。
__田舎者の母ちゃんは山があって田んぼがある場所がいい。とてもじゃないが東京のようなビルばっかりの都会では暮らせないよ。
私は母のその言葉に里心がついたのかもしれません。
それならと仕事を辞め田舎に戻ろうと思いました。田舎で仕事を見つけようと考えました。それに道明寺は大企業です。定年まで勤めあげなくても退職金はそれなりにあります。だから暫く母の世話に専念しても金銭面の問題はないと考えました。
するとそんな考えを持つ私に母は再び言いました。
__母ちゃんのことは心配しなくてもいい。あんたが働いている会社の偉い人が全部手配してくれた。だから母ちゃんはひとりでも大丈夫だ。
それに母ちゃんは東京みたいにゴミゴミした場所より、イノシシやシカが出る田舎でのんびり暮らす方がいい。それにしてもあんたの会社の人は凄いねえ。大学病院の先生が母ちゃんの担当になってくれるって言ったよ。それから何かあったらこのボタンを押せばすぐに警備会社の人が来るって小さな箱を置いてったよ。
母が言った会社の偉い人。
それが今の社長であることは直ぐに分かりました。
それは母の前に現れた男性の髪が特徴的な髪型だったと言ったからです。
あの時は前社長から今の社長に変わったばかりでしたが、社長のことは若い頃から存じ上げておりました。道明寺司という少年は破天荒___いえ、手の付けられない少年でした。
鉄の女と呼ばれた母親である前社長も反抗期の少年に手を焼いていたのです。
そして少年の周りにいたのは、彼の顔色を伺う人間ばかりで、誰も少年の素行の悪さを咎めることはありませんでした。
しかし、そんな少年もひとりの少女と出会い自分の進むべき道を決めたようでした。
17歳だった少年は少女に見合う男になるため生き方を変えたのです。
一人前の男になるため、ひとりの少女を幸せにするために自分を変えることをしたのです。
いえ、違います。正しくはそうではありません。少年は世界中でその少女だけが自分に幸福を授けてくれるのだと気付いたのです。つまり少年が少女を幸せにするのではなく、少女によって自分は幸せになることができる。だから少年は自分自身が幸せになるためには自分を変えなければならないことに気付いたのです。
そして私は少年が変わっていく様子を間近で見ていたのです。
やがてアメリカの大学を卒業した少年は、いえ青年は家業を継ぐため道明寺に入社しましたが、そこに私が知っているかつての少年の姿はありませんでした。
前社長の引き際は見事でした。
社内には社長の息子が跡を継ぐことを反対する勢力がありました。
しかし、100年以上の歴史を持つ会社を若返らせる必要があると感じていた社長は、反対勢力の先頭に立つ常務とその一派を一掃するため、彼らが行っていた不正の証拠を掴み突きつけたのです。
その不正は常務の名誉にかかわる問題でした。ですからそのことを表沙汰にしない代わりに、自分の退任と同時に彼らを辞任させたのです。
そして私は前社長の秘書から新社長の秘書になりました。それは新社長から自分に仕えて欲しいと言われたからです。
17歳の時に出会った少女と結婚し父親になっていた新社長は、精力的に仕事をこなしました。道明寺を前社長の頃よりもさらに大きく発展させました。
そして私は自分が成すべき仕事をして社長をお支えしてきました。
外は嬉しくなるような春の陽射しが降り注いでいます。
私はそんな日に、後任の秘書室長からセロファンとリボンでラッピングされた花束を受け取り会社を去ります。花束には言い尽くせない思いが託されていると言いますが、果たして私が受け取る花束には何か思いが託されているのでしょうか。
「西田、来てくれ」
私はインターコムで社長に呼ばれ席を立ちました。
そしてすぐに社長室に向かうと扉をノックしました。
「入れ」
その声に私は扉を開け「失礼いたします」と言って中に入りましたが、恐らくこれから言われることが私の秘書としての最後の仕事になるのでしょう。
そう思う私は社長の言葉を待ちました。
「バッジはどうした?」
道明寺ほどの有名企業になると社章を悪用されることがあります。
ですから、まもなく会社を去る私は返納しようと、すでに背広の襟にある社章を外していました。
「こちらにございます」
私はポケットの中からバッジを取り出すと手のひらに乗せました。
すると社長は言いました。
「西田。悪いが外すのはもう少し先にしてくれ」
「は?」
私は社長の言った言葉の意味が分かりませんでした。
「新しい秘書室長、つまり俺の新しい秘書だが、自分は若輩者で俺の秘書を務める自信がないと言い出した」
確かに道明寺司という男は非常に癖のある男です。それは誰もが良く知ること。
だから私がバトンを渡すはずだった人間も知っていたはずです。
そして彼は私が認める優秀な人間です。自信を持って私の後任に勧めました。
しかし、道明寺司の秘書は自分に自信がない人間が務めることは出来ません。どうやら私の人選は間違っていたようです。
「だからお前を俺の秘書として留め置くことにした。俺が社長としての責務を全うするためにはお前の存在が必要だ。だから悪く思うな」
社長は悪く思うなと言いましたが、それは本心ではございません。
悪いなど思ってはおりません。
何故ならその顏には少年の頃によく見た、いたずらっぽさが浮かんでいたからです。
私は外していたバッジを元あった場所に戻しました。
そして背筋を伸ばして言いました。
「社長。さっそくですが今夜は佐藤電産の会長と会食の予定がございます。佐藤会長におかれましては、先日お孫さんがお生まれになられました。つきましてはお祝いのお品物をお持ちになられてはいかがでしょう?」
すると社長は、にやっと笑い「お前に任せる」と言ったのです。
だから私は無表情で答えました。
「かしこまりました」
< 完 > *バトンを渡す日*

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