テーブルの上には手のひらに収まる小さな箱が置かれていた。
「宮本。どうしてわたくしがこの箱を届けなければならないの?」
「楓様。わたくしはおじい様から、楓様にそちらの箱を先方に届けるように伝えろと申し付けられましたので、そのことをお伝えしたまでです」
「おじい様が?」
「はい」
「でも何故わたくしが?」
「わたくしは、ただの執事でございますので理由は存じません。ただ、おじい様はこちらの箱を楓様の手で元の持ち主に返して欲しいとおっしいました」
楓の家は旧華族の家柄であり、都内の一等地に広い邸を構えている。
戦後没落する華族も多いなか、楓の家が今でもこうして広い邸を構えているのは、祖父が商才に長けていたから。先見の明があったからだ。
楓の祖父は、かつての武家屋敷や江戸藩邸があった土地を手に入れると開発を進め不動産業に進出した。そして都内中心部に数多くのビルを所有すると、宅地造成やリゾート開発、マンション分譲といった分野にも手を広げ、ディベロッパーとして地位を確立した。
そんな祖父は一族の中興の祖だと言われていた。
だが今は後継者である楓の父に全てを譲りビジネスの第一線から退いていた。
そして宮本は楓が物心ついた頃からいる家令、執事だ。
その執事は楓の祖父の信頼が厚く、この家で起こること全てを知っている。
それに祖父の言うことは絶対という執事は楓の反論を許さない。だから「お届け先はこちらでございます」とだけ言うと一礼して部屋から出て行った。
楓は箱の横に置かれた紙を手に取った。
届け先だと言ったが書かれているのは住所だけ。
だが楓はその場所を知らない。
けれど知らなくてもいい。
運転手にこの住所を伝えればいいだけの話だ。
だが何故、住所だけで名前が書かれていないのか。
それに相手は祖父とはどういった関係にあるのか。
友人なのか。
それともビジネスの相手なのか。
だが「元の持ち主に返して欲しい」とう言葉から友人のような気がするが、それでも楓は相手が誰で、どんな関係にある人物なのかを知っておきたかった。
こちらのお話は短編です。

にほんブログ村
「宮本。どうしてわたくしがこの箱を届けなければならないの?」
「楓様。わたくしはおじい様から、楓様にそちらの箱を先方に届けるように伝えろと申し付けられましたので、そのことをお伝えしたまでです」
「おじい様が?」
「はい」
「でも何故わたくしが?」
「わたくしは、ただの執事でございますので理由は存じません。ただ、おじい様はこちらの箱を楓様の手で元の持ち主に返して欲しいとおっしいました」
楓の家は旧華族の家柄であり、都内の一等地に広い邸を構えている。
戦後没落する華族も多いなか、楓の家が今でもこうして広い邸を構えているのは、祖父が商才に長けていたから。先見の明があったからだ。
楓の祖父は、かつての武家屋敷や江戸藩邸があった土地を手に入れると開発を進め不動産業に進出した。そして都内中心部に数多くのビルを所有すると、宅地造成やリゾート開発、マンション分譲といった分野にも手を広げ、ディベロッパーとして地位を確立した。
そんな祖父は一族の中興の祖だと言われていた。
だが今は後継者である楓の父に全てを譲りビジネスの第一線から退いていた。
そして宮本は楓が物心ついた頃からいる家令、執事だ。
その執事は楓の祖父の信頼が厚く、この家で起こること全てを知っている。
それに祖父の言うことは絶対という執事は楓の反論を許さない。だから「お届け先はこちらでございます」とだけ言うと一礼して部屋から出て行った。
楓は箱の横に置かれた紙を手に取った。
届け先だと言ったが書かれているのは住所だけ。
だが楓はその場所を知らない。
けれど知らなくてもいい。
運転手にこの住所を伝えればいいだけの話だ。
だが何故、住所だけで名前が書かれていないのか。
それに相手は祖父とはどういった関係にあるのか。
友人なのか。
それともビジネスの相手なのか。
だが「元の持ち主に返して欲しい」とう言葉から友人のような気がするが、それでも楓は相手が誰で、どんな関係にある人物なのかを知っておきたかった。
こちらのお話は短編です。

にほんブログ村
スポンサーサイト
Comment:0
車が向かった先は日本の三大財閥のひとつである道明寺財閥当主の一族が暮らす邸。
道明寺家は江戸時代の豪商だが元は武士。その武士を廃業して始めたのが両替商。
そして今は商社、金融、不動産、鉱業、エネルギーなど多岐にわたる事業を展開する経済界の名門。そんな家を約束もなくいきなり訪ねて行ったが、楓が名前を名乗ると閉じられていた大きな鉄の門は音もなく開いた。
車は広大な敷地の中をゆっくりと進んだ。
暫く走ると洋風建築の大きな建物の前に止まった。
楓はそこで白髪の男性の出迎えを受けた。
そして男性は道明寺亘(わたる)と名乗り、自分が道明寺財閥の当主だと言った。
「あなたが敦子さんのお孫さんですか。葬儀には参列させていただいたのですが、おばあ様のこと。お悔やみ申し上げます」
敦子とは三ヶ月前に亡くなった楓の祖母の名前。
つい先日四十九日を終えた。
「それにしても、あなたはあの頃の敦子さんにそっくりだ。どうやら彼女の飾らない喋り方と美貌はあなたに受け継がれたようだ」
道明寺亘はあの頃の敦子さんと言った。
飾らない喋り方と美貌と言った。
つまり男性は楓の祖母の若い頃を知っているようだが、祖母と男性はどういった関係なのか。
楓は祖母の交友関係を知らない。
それに祖父の口から道明寺亘という名前を訊いたことがない。
だが祖父も道明寺亘も財界人だったことから、互いの存在は知っているはずだ。
一緒に何らかのビジネスをしたことがあってもおかしくはない。
しかし、感じられるのはビジネスではなく個人的な何か。
だが祖父が道明寺亘と個人的な付き合いがあるなら、「元の持ち主に返して欲しい」と言って箱を楓に預けることなく自分で返すはずだ。
「それで楓さん。今日はどのようなご用件でこちらに?」
道明寺亘は楓を歓待したが、何故楓が来たのかは分からないようだ。
だから楓は、「私が今日こちらにお邪魔したのは、祖父からこちらを元の持ち主に返して欲しいと言われたからです」と言って鞄から小さな箱を取り出した。

にほんブログ村
道明寺家は江戸時代の豪商だが元は武士。その武士を廃業して始めたのが両替商。
そして今は商社、金融、不動産、鉱業、エネルギーなど多岐にわたる事業を展開する経済界の名門。そんな家を約束もなくいきなり訪ねて行ったが、楓が名前を名乗ると閉じられていた大きな鉄の門は音もなく開いた。
車は広大な敷地の中をゆっくりと進んだ。
暫く走ると洋風建築の大きな建物の前に止まった。
楓はそこで白髪の男性の出迎えを受けた。
そして男性は道明寺亘(わたる)と名乗り、自分が道明寺財閥の当主だと言った。
「あなたが敦子さんのお孫さんですか。葬儀には参列させていただいたのですが、おばあ様のこと。お悔やみ申し上げます」
敦子とは三ヶ月前に亡くなった楓の祖母の名前。
つい先日四十九日を終えた。
「それにしても、あなたはあの頃の敦子さんにそっくりだ。どうやら彼女の飾らない喋り方と美貌はあなたに受け継がれたようだ」
道明寺亘はあの頃の敦子さんと言った。
飾らない喋り方と美貌と言った。
つまり男性は楓の祖母の若い頃を知っているようだが、祖母と男性はどういった関係なのか。
楓は祖母の交友関係を知らない。
それに祖父の口から道明寺亘という名前を訊いたことがない。
だが祖父も道明寺亘も財界人だったことから、互いの存在は知っているはずだ。
一緒に何らかのビジネスをしたことがあってもおかしくはない。
しかし、感じられるのはビジネスではなく個人的な何か。
だが祖父が道明寺亘と個人的な付き合いがあるなら、「元の持ち主に返して欲しい」と言って箱を楓に預けることなく自分で返すはずだ。
「それで楓さん。今日はどのようなご用件でこちらに?」
道明寺亘は楓を歓待したが、何故楓が来たのかは分からないようだ。
だから楓は、「私が今日こちらにお邪魔したのは、祖父からこちらを元の持ち主に返して欲しいと言われたからです」と言って鞄から小さな箱を取り出した。

にほんブログ村
Comment:1
「これは…..」
男性はその箱に見覚えがあるようだ。
手に取ると懐かしそうに眺めてから楓に視線を向けた。
「楓さん。あなたはおじい様から、この箱を元の持ち主届けるように言われたそうですが、理由は教えられましたか?それから中を見ましたか?」
「いいえ。祖父は何も言いませんでした。それに祖父から直接言われたのではなく、執事から言われたのです。それに中は見ていません」
箱の中が何であるか興味はあった。
好奇心から開けて中を見たいという気になった。
だが、預かった以上、勝手に中を見ることはしなかった。
「そうですか。中を見ていない。それにおじい様はこの箱について何もおっしゃらなかった….」
「はい。執事から届け先の住所が書かれた紙を渡されただけで祖父からは何も。
ですからこちらにお伺いするまで誰に届けるのか私は知らなかったのです。
でも突然訪ねてきた私を、あなたがこうして快く迎え入れてくれたのは、祖父が私のことを話しているからだと思いました。つまりあなたと祖父の関係は友人かなにかではないかと思いました。でも思ったのです。友人なら祖父は私に託るのではなく直接あなたに箱を届けているはずだと」
楓は、そこまで言うと言葉を切った。
「楓さん。失礼ですがあなたは今お幾つですか?」
「二十歳になりました。女子大に通っています」
「そうですか。二十歳ですか」
道明寺亘は微かな笑みを浮べると、「二十歳と言えば大人だ。それにこうして話をしていて分かりましたが、あなたは聡明なお嬢さんだ。だからあなたに私の小さな思い出を話しましょう」と言った。
そして、「楓さん。あなたがお持ちになられた箱の中身は、私が敦子さんのためにパリの宝石商に作らせたものが入っています」と言って箱を開けた。
すると中からブローチが出てきたが、男性の手のひらに乗せられた小さな鳥は、ブルーやイエローのサファイアを身にまとっていた。
男性の小さな思い出というのは、楓の祖母敦子が今の楓と同じ二十歳の頃の話。
道明寺亘と楓の祖母敦子は許嫁関係にあった。
結婚が決まっていた。
そして道明寺亘は楓の祖父とは友人関係にあった。
だから道明寺亘は友人である祖父に許嫁である敦子を紹介した。
三人で会うことも度々あったと言う。
すると、ふたりは____祖父と敦子は恋におちた。
静かな声で淀みなく語られる祖父母と道明寺亘の関係。
楓は初めて訊く話に驚いた眼で男性を見た。
楓の知る祖母敦子は穏やかで優しい女性だった。そんな祖母の敦子が祖父と結婚したということは、祖母は婚約者だった道明寺亘を裏切ったということになるが、祖母はそういったことをする人間には思えなかった。だが、男性の話が本当にそうなら祖母には意外な過去があったということになる。と、なると祖父と道明寺亘の友人関係は終わりを迎えたのではないか。交友を絶ったのではないか。それに両家の間に不和が生じたのではないか。
だが楓の家と道明寺家の関係が悪いといった話は、これまで聞えてこなかった。
しかしそれは楓が知らないだけなのかもしれない。
何しろビジネスの世界は魑魅魍魎がうごめく世界だ。そんな世界の住人たちは世間に見せる顏とは別の顏を持つと言われている。だから楓が知らない世界があっても不思議ではない。
それにしても何故祖父は亡くなった妻の持ち物の中から、かつての婚約者から贈られたブローチを元の持ち主である道明寺亘に返すことにしたのか。
長い年月を経た今、亡き妻の持ち物をわざわざ返す必要があるとは思えないが、ふたりの男の間には楓が知らない何かがあるのかもしれなかった。

にほんブログ村
男性はその箱に見覚えがあるようだ。
手に取ると懐かしそうに眺めてから楓に視線を向けた。
「楓さん。あなたはおじい様から、この箱を元の持ち主届けるように言われたそうですが、理由は教えられましたか?それから中を見ましたか?」
「いいえ。祖父は何も言いませんでした。それに祖父から直接言われたのではなく、執事から言われたのです。それに中は見ていません」
箱の中が何であるか興味はあった。
好奇心から開けて中を見たいという気になった。
だが、預かった以上、勝手に中を見ることはしなかった。
「そうですか。中を見ていない。それにおじい様はこの箱について何もおっしゃらなかった….」
「はい。執事から届け先の住所が書かれた紙を渡されただけで祖父からは何も。
ですからこちらにお伺いするまで誰に届けるのか私は知らなかったのです。
でも突然訪ねてきた私を、あなたがこうして快く迎え入れてくれたのは、祖父が私のことを話しているからだと思いました。つまりあなたと祖父の関係は友人かなにかではないかと思いました。でも思ったのです。友人なら祖父は私に託るのではなく直接あなたに箱を届けているはずだと」
楓は、そこまで言うと言葉を切った。
「楓さん。失礼ですがあなたは今お幾つですか?」
「二十歳になりました。女子大に通っています」
「そうですか。二十歳ですか」
道明寺亘は微かな笑みを浮べると、「二十歳と言えば大人だ。それにこうして話をしていて分かりましたが、あなたは聡明なお嬢さんだ。だからあなたに私の小さな思い出を話しましょう」と言った。
そして、「楓さん。あなたがお持ちになられた箱の中身は、私が敦子さんのためにパリの宝石商に作らせたものが入っています」と言って箱を開けた。
すると中からブローチが出てきたが、男性の手のひらに乗せられた小さな鳥は、ブルーやイエローのサファイアを身にまとっていた。
男性の小さな思い出というのは、楓の祖母敦子が今の楓と同じ二十歳の頃の話。
道明寺亘と楓の祖母敦子は許嫁関係にあった。
結婚が決まっていた。
そして道明寺亘は楓の祖父とは友人関係にあった。
だから道明寺亘は友人である祖父に許嫁である敦子を紹介した。
三人で会うことも度々あったと言う。
すると、ふたりは____祖父と敦子は恋におちた。
静かな声で淀みなく語られる祖父母と道明寺亘の関係。
楓は初めて訊く話に驚いた眼で男性を見た。
楓の知る祖母敦子は穏やかで優しい女性だった。そんな祖母の敦子が祖父と結婚したということは、祖母は婚約者だった道明寺亘を裏切ったということになるが、祖母はそういったことをする人間には思えなかった。だが、男性の話が本当にそうなら祖母には意外な過去があったということになる。と、なると祖父と道明寺亘の友人関係は終わりを迎えたのではないか。交友を絶ったのではないか。それに両家の間に不和が生じたのではないか。
だが楓の家と道明寺家の関係が悪いといった話は、これまで聞えてこなかった。
しかしそれは楓が知らないだけなのかもしれない。
何しろビジネスの世界は魑魅魍魎がうごめく世界だ。そんな世界の住人たちは世間に見せる顏とは別の顏を持つと言われている。だから楓が知らない世界があっても不思議ではない。
それにしても何故祖父は亡くなった妻の持ち物の中から、かつての婚約者から贈られたブローチを元の持ち主である道明寺亘に返すことにしたのか。
長い年月を経た今、亡き妻の持ち物をわざわざ返す必要があるとは思えないが、ふたりの男の間には楓が知らない何かがあるのかもしれなかった。

にほんブログ村
Comment:1
「楓さん」
「はい」
「あなたは勘違いをされている。私の話を聞いて物事を悪い方へと考えているのでは?」
「え、ええ……」
道明寺亘の言う通りで楓の脳裏に浮かぶのは、祖母が目の前の男性を裏切り楓の祖父に走る姿。だから裏切られた道明寺亘は祖母を恨んでいたのではないかということ。
「楓さん、それは違う。私とあなたのお祖父さんは仲が悪いということはありません。それに私は敦子さんを恨んではいません」
そう言った男性の目元には皺が寄っていた。
「私たちの時代は親が結婚するに相応しい相手を見つけてくる。それは家同士の繋がりを意味する結婚だからです。だから相手が好きか嫌いか分からないまま結婚をする。いや。好きも嫌いもない。決められた相手と結婚して子供を作り育てることが普通だった。
だが私には好きな人がいた。私は敦子さんではなく別の女性と結婚することを望んだ。
それに敦子さんも父親に命じられて私と結婚することを決めたに過ぎない。
それが分かっていたから私は敦子さんをあなたのお祖父さんに紹介した。それはもしかするとお祖父さんが敦子さんを好きになるのではないかと思ったからだ。すると思った通り、お祖父さんは敦子さんに好意を抱いた。それに敦子さんも私と話しをするより、あなたのお祖父さんと話しをする方が楽しそうだった」
遠い昔を思い出しながら話す男性の声は穏やかで言っていることに嘘はないように思えた。
「楓さん。あなたは恋におちたことがありますか?もしそうなら分かるはずです。恋におちるのはあっと言う間です。あなたのお祖父さんは敦子さんと恋におちた。だから敦子さんは私とではなく、あなたのお祖父さんと結婚した。それは私にとって非常に喜ばしいことだった。何故なら二人が結婚したおかげで私は好きな人と結婚出来たのですから」
男性はそう言って、手のひらに乗せていた小さな鳥のブローチを箱に戻した。
だが楓には疑問があった。訊きたいことがあった。だからその思いを口にした。
「それなら何故祖父はこのブローチをあなたに返すのでしょう。あなたと祖父と祖母の関係が良好だったのなら、祖父は祖母の形見となったブローチをあなたに返すようなことはしないと思います」
楓は箱の中に戻された小鳥に視線を落とした後、再び男性を見た。
「その通りだ。それに私はふたりが結婚する時、このブローチは敦子さんに差し上げたもので返す必要はないと言った。それでもお祖父さんがあなたにこのブローチを持たせたのは、お祖父さんにとっての可愛い小鳥、つまりそれはあなたのことですが、お祖父さんはそんなあなたを私に合わせたかったからだと私は思っています」

にほんブログ村
「はい」
「あなたは勘違いをされている。私の話を聞いて物事を悪い方へと考えているのでは?」
「え、ええ……」
道明寺亘の言う通りで楓の脳裏に浮かぶのは、祖母が目の前の男性を裏切り楓の祖父に走る姿。だから裏切られた道明寺亘は祖母を恨んでいたのではないかということ。
「楓さん、それは違う。私とあなたのお祖父さんは仲が悪いということはありません。それに私は敦子さんを恨んではいません」
そう言った男性の目元には皺が寄っていた。
「私たちの時代は親が結婚するに相応しい相手を見つけてくる。それは家同士の繋がりを意味する結婚だからです。だから相手が好きか嫌いか分からないまま結婚をする。いや。好きも嫌いもない。決められた相手と結婚して子供を作り育てることが普通だった。
だが私には好きな人がいた。私は敦子さんではなく別の女性と結婚することを望んだ。
それに敦子さんも父親に命じられて私と結婚することを決めたに過ぎない。
それが分かっていたから私は敦子さんをあなたのお祖父さんに紹介した。それはもしかするとお祖父さんが敦子さんを好きになるのではないかと思ったからだ。すると思った通り、お祖父さんは敦子さんに好意を抱いた。それに敦子さんも私と話しをするより、あなたのお祖父さんと話しをする方が楽しそうだった」
遠い昔を思い出しながら話す男性の声は穏やかで言っていることに嘘はないように思えた。
「楓さん。あなたは恋におちたことがありますか?もしそうなら分かるはずです。恋におちるのはあっと言う間です。あなたのお祖父さんは敦子さんと恋におちた。だから敦子さんは私とではなく、あなたのお祖父さんと結婚した。それは私にとって非常に喜ばしいことだった。何故なら二人が結婚したおかげで私は好きな人と結婚出来たのですから」
男性はそう言って、手のひらに乗せていた小さな鳥のブローチを箱に戻した。
だが楓には疑問があった。訊きたいことがあった。だからその思いを口にした。
「それなら何故祖父はこのブローチをあなたに返すのでしょう。あなたと祖父と祖母の関係が良好だったのなら、祖父は祖母の形見となったブローチをあなたに返すようなことはしないと思います」
楓は箱の中に戻された小鳥に視線を落とした後、再び男性を見た。
「その通りだ。それに私はふたりが結婚する時、このブローチは敦子さんに差し上げたもので返す必要はないと言った。それでもお祖父さんがあなたにこのブローチを持たせたのは、お祖父さんにとっての可愛い小鳥、つまりそれはあなたのことですが、お祖父さんはそんなあなたを私に合わせたかったからだと私は思っています」

にほんブログ村
Comment:0
「楓さん。我が家にも鳥がいるんだが、放し飼いが過ぎてほとんど戻ってこない。だがその鳥が三日前に戻って来た。外国から羽根を休めに戻ってきたようだが、楓さん。会っていただけないだろうか?」
放し飼いをしている鳥に会う?
楓は道明寺亘が言っている意味が分からなかった。
すると男性は楓の胸の内を読み取ったかのように言った。
「いや。分かりにくいたとえで申し訳ない。我が家の放し飼いになっている鳥とは孫です。
その孫は男の子でして、いや。あなたより7歳上だから男の子という年齢ではないな」
男性は深い皺が刻まれた目尻を綻ばせた。
楓はそこで察した。
これは祖父と道明寺亘が仕組んだ見合いの場なのだと。
だとすれば祖父と祖母の敦子と道明寺亘との話は本当なのかと疑いたくなるが、果たして__?
すると道明寺亘は再び楓の胸の内を読んで言った。
「楓さん。私とお祖父さんと敦子さんの話は本当です。このブローチは紛れもなく私が敦子さんに贈ったものだ。それから私たちは話し合ったことがある。将来自分達の孫が結婚することをね」
二十歳になった楓は、これまでも両親から見合いを勧められたことがある。
それは華族の家柄であり資産家の家に生まれた娘に用意される人生の道筋。
けれどまだ大学生の楓は結婚話に乗り気になれない。だから見合いの話を受けることはなかった。それに相手のことが全て分かった上での結婚は、安全ではあるが退屈なはずだ。
だがそう思う楓の人生は恋というものとは無縁だ。
それは用意された人生を歩むなら、恋愛の真似事すらできないまま、勧められた相手と結婚しなければならないと分かっているからだ。けれど、友人の中には親の決めた結婚には従わない。自由に恋をして好きな人と結婚するという者もいる。そして恋は行き着く果てが分からないから面白いと言う。だが楓は好きだ、とか、愛してる、といった感情が分からなかった。
それは祖父や道明寺亘のように恋におちたことがないからだが、それにしても二人の老人は本当に孫同士の結婚を望んでいるのか。
「楓さん。会うだけ会っていただけないだろうか」

にほんブログ村
放し飼いをしている鳥に会う?
楓は道明寺亘が言っている意味が分からなかった。
すると男性は楓の胸の内を読み取ったかのように言った。
「いや。分かりにくいたとえで申し訳ない。我が家の放し飼いになっている鳥とは孫です。
その孫は男の子でして、いや。あなたより7歳上だから男の子という年齢ではないな」
男性は深い皺が刻まれた目尻を綻ばせた。
楓はそこで察した。
これは祖父と道明寺亘が仕組んだ見合いの場なのだと。
だとすれば祖父と祖母の敦子と道明寺亘との話は本当なのかと疑いたくなるが、果たして__?
すると道明寺亘は再び楓の胸の内を読んで言った。
「楓さん。私とお祖父さんと敦子さんの話は本当です。このブローチは紛れもなく私が敦子さんに贈ったものだ。それから私たちは話し合ったことがある。将来自分達の孫が結婚することをね」
二十歳になった楓は、これまでも両親から見合いを勧められたことがある。
それは華族の家柄であり資産家の家に生まれた娘に用意される人生の道筋。
けれどまだ大学生の楓は結婚話に乗り気になれない。だから見合いの話を受けることはなかった。それに相手のことが全て分かった上での結婚は、安全ではあるが退屈なはずだ。
だがそう思う楓の人生は恋というものとは無縁だ。
それは用意された人生を歩むなら、恋愛の真似事すらできないまま、勧められた相手と結婚しなければならないと分かっているからだ。けれど、友人の中には親の決めた結婚には従わない。自由に恋をして好きな人と結婚するという者もいる。そして恋は行き着く果てが分からないから面白いと言う。だが楓は好きだ、とか、愛してる、といった感情が分からなかった。
それは祖父や道明寺亘のように恋におちたことがないからだが、それにしても二人の老人は本当に孫同士の結婚を望んでいるのか。
「楓さん。会うだけ会っていただけないだろうか」

にほんブログ村
Comment:2