fc2ブログ
2021
03.29

Just a Man in Love~恋に落ちた、ただの男の物語~

私が恋に落ちた相手は強敵だった。
彼女は世の中の誰もが羨む立場にいる私に興味がなかった。
私立の名門と言われる学園の中で形成されたヒエラルキーの頂点にいた私に見向きもしなかった。それどころか私に刃向かってきた。

初めて会った彼女は、これまで自分の周りにいた女とは違い冴えない外見で地味だった。
だが地味だと思われていた彼女の大きな瞳は黒曜石と同じ色をしていて空の色と同じ輝きを持っていた。今になって思えば、そのとき私は彼女の瞳に囚われてしまったのだと思う。

だがあのとき親の庇護の下にいるに過ぎない男が偉そうにするな。
自分で金を稼いだことがないのにたいそうなことを言うなと言われた。
私はそれが事実であることは頭の片隅で理解していた。
だから真実を言われた私は腹が立った。そしてこれまで誰も口にしなかったことを言った彼女が憎らしかった。
だが私に対して愛想もなければ、おもねることもしない彼女の態度は新鮮だった。

ある日、彼女が私めがけて走ってきたことがあった。
私はその勢いを止めることが出来なかった。だから黒髪をなびかせて走って来た彼女に頭を足蹴りされた。あれはそれまで生きてきた人生の中で最も衝撃的な出来事。
今までだれにも手を挙げられたことがなかった私にとって屈辱とも言える場面だったが、あのとき例えきれない思いが心の中に湧き上がった。だが、その思いが何であるか気付くことがなかった。何しろ私は女という生き物が嫌いだった。私の中では女という生き物はすぐ泣く薄汚い生き物に過ぎなかった。
だから私は自分に刃向かって来た彼女を馬鹿げた苛めの対象にした。それは実に子供じみた行動。そうだ。今なら分かるが、それはまるで小学生が好きになった女の子に構って欲しいと苛めるのと同じ屈折した愛情表現だ。

やがて私は自分が徐々に彼女に惹かれていくことに気付いた。
学園の中で刃向かう者がいないと言われる私を無視する彼女が気になって仕方がなかった。
彼女の空の色と同じ輝きを持つ黒い瞳の中に映る自分の姿を見たいと思うようになった。
だから私は彼女の気を引くために自分の優越性を示した。それは金があることや権力があることだが、彼女はそれらに興味はないと言った。しかし私はその時点で完全に彼女に恋をしていた。

だがそれまで恋をしたことがない私は、どうすればその恋を実らせることが出来るのかが分からなかった。
だからただひたすら彼女に纏わりついた。だが彼女は嫌がった。そして私から逃げた。
だから追いかけた。追いかけて抱きしめて好きだと言った。
だが自分本位で他人を理解しようとしない私に彼女は厳しかった。

そんな彼女は貧乏な家庭で育ったがそれを苦にしたことはない。むしろ隠すものなどないとばかりあっけらかんとしていた。つまり後ろは振り向かない。生きることに前向きな人間だ。それに大股で歩いて大きな口でゲラゲラと笑う天性の明るさというものがある。
そして人一倍、情に厚い。だから困っている人間を見ると放っておくことが出来ずトラブルに巻き込まれることがあった。だがそのトラブルの殆どは私を起因としていた。

そんな彼女は肉付きの悪いほっそりとした身体をしていて、私が知る女たちの中で一番貧弱な胸の持ち主でもある。だが彼女はそんなことを気にすることなくベランダに立って胸をはる。
そして彼女が私の傍から逃げる時の足の速さは褒めるに値する。
だから私は逃げる彼女をひたすら追いかけた。
まさに地獄の果てまで付いていく勢いで追いかけ続けた。
だが、私は簡単には彼女を捕まえることが出来なかった。
しかし時が経ち彼女が私との交際をイエスと言ってくれたとき、二度とこの小さな身体を離すまいと思った。

だが私たちの交際に反対する人間がいた。
それは私の母親。母親は彼女が自分達の水準に合わないと言った。だが彼女は、それならと母親に言った。
「私に教えて下さい。私は彼と一緒にいたいんです。だから彼の、いえ、この家に見合うように私を鍛えて下さい。私のことで彼がうしろ指をさされないように私を鍛えて下さい」

そして迎えた離れ離れの4年間。私は高校を卒業するとアメリカの大学に進学したが、そこでは学ばなければならないことは山ほどあった。だが私は彼女と一緒になるためにありとあらゆることを学ぶつもりでいた。だから覚悟はあった。それにどんなに辛くても我慢できる自信があった。それは彼女との未来があるから。
だから私は自分に要求される以上のことを成し遂げようと努力した。
そして実際、求められた要求以上の成果を挙げると、会えない寂しさよりも夢で彼女に逢えることを願い枕に頭を横たえた。

そして私の前に現れた光へと続く道。
それはふたりが結婚した日。
運命はふたりの人生を重ね合わることに同意した。
結婚式の日。教会の中央を歩いて来る彼女の美しさに招待されていた人々は息を呑んだ。
だが私は彼女のその美しさを出会った時から知っていた。
何故なら私は彼女と出会った日に瞳の中に空の色と同じ輝きを見たから。それに彼女が努力家であることを知っている。だからその美しさは彼女の内面から滲み出たものだ。
そして私は結婚披露宴の最中、互いにケーキを食べさせ合うときケーキを運ぶより先に彼女の唇にキスをしていた。





彼女の制服を泥だらけにした。
ローファーの中を水浸にした。
それは懐かしい青春時代の思い出。
だがあの頃の思いは決して消えることはない。
だから私は彼女が妻となり母親となり、子供たちが成人し独立した今でも彼女に恋をし続けている。

それに経営者は孤独な職業だ。
何しろ周りが気遣って何も言わなくなる。だから妻である自分が言わなければと、手厳しい言葉が返ってくることがある。
そして今も、こうして私の隣にいる妻は真面目な顏をして言った。

「ねえ。こっちの方がいいと思うんだけど?」

「そうか?」

「うん。だってこっちの方が疲れにくいんでしょ?」

「ああ。確かにこっちの方が疲れにくいだろう。だがもう少し派手な方がいい。これは俺には地味過ぎる」

「地味過ぎるって….ねえ、私たちが選んでいるのはウォーキングを目的としているスニーカーでしょ?それなのに派手な方がいいって….もう….」

私は昔、妻が口にした話を思い出すと、健康のためウォーキングをしないかと妻を誘った。
だからスニーカーを選ぶために一緒に店に来たが、妻が選んだのは、ブランドのロゴがさり気なく入った白いスニーカー。
そして私も自分の個性に合ったスニーカーを選ぼうとしていた。だが妻は機能を重視しろと言った。けれど本当はスニーカーの種類などどうでもいい。私が叶えなければならないのは妻と手を繋いで街中を歩くことだ。
そう。結婚した頃、妻は言った。

「子供の頃。テレビのコマーシャルでおじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いで音楽に合わせてステップを踏んで笑っている姿を見て、私も年をとったらあんな風になりたいって思ったの」

私はそのコマーシャルを知らない。
だから秘書に調べさせた。するとそれは食器洗い用洗剤のコマーシャルであることが分かった。

キャッチコピーは、その洗剤を使うと手を繋ぎたくなるというもの。
コマーシャルのコンセプトは、この洗剤を使えば幸せになれると言っているのだが、まず若い夫婦のうちの妻がその洗剤を使う。すると夫は妻の手を取り、ふたりはキャッチコピーが流れる中を軽いステップで楽しそうに踊りながら去って行く。
そしてその様子を見ていた白髪の年老いた夫婦も、じゃあ私たちもとばかり手を繋ぎスキップをするといった微笑ましいコマーシャルなのだが、そんな老夫婦の姿は妻にとって憧れだったそうだ。

だから私は、これから妻の憧れを叶えるつもりでいる。
そう、私は彼女の前では恋に落ちた、ただの男で彼女の夫だ。だからこそ妻の夢はどんな些細なことでも叶えてやるのが私の務めだ。
それに年を重ね今は互いの笑顔の意味が理解できる年齢になった。
だから妻は派手なスニーカーを選んだ還暦を前にした私に機能がどうのと言ってはいるが、決してヒョウ柄のスニーカーを履くことを反対しているのではない。
ただ、子供たちに笑われるわよと言っているのだ。

今日は天気がいい。
それに気温も高い。
だから私はスニーカーに履き替え、妻と手を繋いで桜色の景色を見に行こうと思う。
何しろの私の右手は彼女と手を繋ぐためにあるのだから、あのコマーシャルのように手を繋ぎ軽くスキップをするのもいいと思っている。

「よし。決めた。やっぱり俺はこのスニーカーにする」

私は靴を履き替えた。
そして、いつもの年より早く咲いた桜を見るため隣に立つ妻の左手をしっかりと握ると歩きだした。





< 完 > *Just a Man in Love~恋に落ちた、ただの男の物語~*
にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



Comment:7
back-to-top