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2020
12.12

グランパ <前編>

クールでジェントルでミステリアス。
エレガントでソフィスティケートされているが力強い存在。
そう言い表されるのは道明寺財閥の総帥である道明寺祐(たすく)。
彼は生粋のニューヨーカーに見えるが実は典型的な日本男児で昭和の男だ。
そしてふたりの子供の父親だが、子供たちが幼かった頃デレデレと愛情を示したことがない。だからそんな男が子供たちと一緒にいる時の姿は、子供が苦手な父親が頑張ってあやしている。周りからはそう思われていた。

だがそんな祐が孫に誕生日プレゼントを買った。
そしてそれをリビングのテーブルの上に置き眺めていたが、問題はそれをどうやって渡すかだ。何しろ彼はニューヨークに住んでいて孫は東京。だが何を悩む必要があるのか。渡したければプレゼントを抱えてジェットに乗り会いに行けばいいだけの話だ。

「あなた。そのプレゼントですけど、ご自分でお持ちになればいいじゃないですか?」

お茶を飲みながら妻の楓にそう言われた男は、まさにそうしようとしていたところだと言いたかった。
だが何故か口をついたのは、「忙しい。送ることにする」

「あなた…..忙しいと言っても週末の予定はキャンセルしたと秘書から訊きました。
わたくしは今年あの子の誕生会に行くことが出来ませんからプレゼントはつくしさんに預けてきました。だけどあなたは東京に行くために予定をキャンセルされたのではないのですか?」

実はそうだ。今週末の予定は妻が知るよりもずっと早くキャンセルしていた。
そして妻の言う誕生会とは息子の時のように盛大なパーティーではなく家族だけで祝う小さな催し。そして息子の妻であり孫の母親からは、時間が許せばぜひ来て下さいと言われていた。

「それに巧も大きくなりました。もう5歳です。七五三用の紋付き袴を用意しなければ。
それにしても子供の成長は本当に早いわ。ほらこの写真を見て下さい。司の小さい頃によく似てるでしょう?」

そう言った妻の楓は何かと理由をつけて東京に足を運び孫に会い、その成長をつぶさに見て来た。
そして妻が見せてくれた写真の男の子は、少し前まで、ふっくらとした頬をした幼子だったが今は息子の幼い頃に似ていた。

「それに巧は、おじいちゃんは元気って訊くんですよ?あの子も祖母のわたくしばかりが会いに来て祖父のあなたが会いにこないことを不思議思っています。だからプレゼントを持って東京に行かれてはいかがですか?」

孫が生まれたとき東京にいたのは妻の楓。
祐はビジネスでどうしてもニューヨークを離れることが出来なかった。
そして祐が孫に会うのは年に二度ほど。
そんな祐は5歳になる孫に会いたいが息子との間に距離を感じていた。
だからプレゼントは送ると言い「仕事をする。執務室に行く」と言って立ち上った。




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2020
12.13

グランパ <中編>

昭和の父親は子供に対して厳しいのが当たり前だった。
それは道明寺の家に生まれた自分の父親も同じ。だから自分が子供を授かったときも同じように接してしまった。だが今ではそれを深く後悔していた。

息子の司は幼い頃こそ可愛らしい子供だった。しかし祐と楓が揃ってニューヨークで暮らし始めると、日本に残された息子の世話は娘の椿と使用人の手に託された。
やがて反抗期を迎えた息子は冷え冷えとした表情を浮かべるようになり、平気で他人に暴力を振るようになった。
そんなときは父親の祐が息子の頬を張るべきだった。だが祐は仕事を理由に息子を顧みることはなかった。
それは子供の教育は母親任せになり、本来なら父親である自分の責任になることも全てが母親の責任になったということ。
だから母親は自分の責任を果たすため、息子に対して厳しく接した。
そして息子は母親を憎むようになったが、それは息子の教育に係わろうとしなかった祐のせいだ。
だがそんな息子にも守りたい人が出来ると、荒れていた少年時代は終わりを迎えたが、丁度その頃、祐は病を患い生死の境を彷徨った。

やがて息子は病に伏した父親のために道明寺を継ぐことを決め、心に決めた少女を東京に残しニューヨークに渡り、自分がなすべきことをやり遂げ結果を残した。
後で知ったことだが、毅然とした態度で道明寺の跡取りとして家を継ぐことをテレビで宣言した息子は、少女を迎えに行くと言った。
息子の母親は、その時の我が子は未来を見据えていた。息子の瞳には、それまでとは違い強い意思が感じられたと言った。
祐はそんな息子を誇らしく思った。だが家族という言葉から遠すぎる場所で暮らしてきた男は、病から回復しても父親として何をすればいいかが分からなかった。

祐は執務室の書棚の中から一冊の本を手にすると腰を下ろした。
それは『お父さんとお母さんとボク』という絵本。孫に会い行った楓から、巧が気に入っている絵本なのよと言って渡されだが、開くとそこには父親と母親の姿が描かれていて、その間に彼らと手を繋いだ男の子の姿があった。
家族は遊園地にいた。そして父親は男の子に何に乗りたいのかと訊いているが、男の子は考えた後、全部に乗りたいと答えた。すると父親は分かったと言って男の子の目を見て笑った。
それから父親と男の子は、母親が「怖いから無理!」といったジェットコースターに乗った。
だが母親はメリーゴーラウンドなら大丈夫と言った。だから男の子は母親と木馬に乗ってカメラを構えている父親に手を振った。
男の子の顏は笑顔。父親と母親の顏も笑顔。三人は遊園地の中で持参した弁当を食べ、アイスクリームを食べポップコーンを食べると再び様々なアトラクションを楽しんだ。

祐は息子と遊園地へ行くどころか、そういった時間を持ったことがない。
だから彼らの笑顔がどこから来るのか分からなかった。
そして祐が息子と遊園地へ行ったとしても、かつて子供が苦手な父親が頑張ってあやしていると思われていたように、無理をしているようにしか見えないはずだ。
それに小学生の息子との会話は、祐が「元気にしているのか」「学校には行っているのか」と訊けば、息子から返されたのは「うん」でありそれだけで終わっていた。
だが親なのだからもっと会話をするべきだった。しかし祐は滅多に会わない我が子に何を言えばいいのかが分からなかった。
やがて、ふたりの間に沈黙が流れると、姉の椿と一緒に息子の世話をしていたタマが話しを引き取って始めた。

「坊ちゃんは元気にしていらっしゃいます。学校も真面目に行っていらっしゃいます。背の高さは4年生の中で一番高いんですよ」

決して自らのことを自分の口から話そうとはしなかった息子。
だが息子は父親と会って何かを感じ、何かを思っていたはずだ。
だが親の祐が滅多に会わない我が子に何を言えばいいのか分からなかったのと同じで、息子にすれば、同じように年に数回しか会わない親に向かって何を話せばいいのか分からなかったのだろう。
だから、この絵本の中の子供とは違い、あの時の息子の顏に笑顔が浮かぶことも無ければ、口から笑い声が漏れることも無かった。




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2020
12.15

グランパ <後編>

ノックの音がした。
いつもなら祐の返事を待ってから開けられる扉だが、待つことなく開かれた扉の向こうにいたのは妻の楓だ。

「あなた!大変です。今、東京のつくしさんから電話があって巧が、あの子が交通事故に遭って怪我をしたそうです!」

祐が短い沈黙を破って声を出したのと、妻が続けようとしていた言葉は重なったが、「怪我はどの程度なんだ?どこで事故に遭った?」と訊いた祐の張り上げた声が妻の言葉を遮った。

「横断歩道で信号が変わるのを待っていたとき持っていた風船が手から離れたの。その風船を追いかけて道路に出たところに車が来て跳ねられたそうよ。怪我の様子は詳しくは分からないけど命に係わるものではないって言ってるわ。あなた、つくしさんを責めないで下さい。つくしさんはちゃんとあの子の手を握っていたんですから。それにあの年頃の男の子は目の前の事に夢中になると周りのことが目に入らなくなるわ」

妻の話を訊いた祐は立ち上った。
そして、「東京に行く。出発の準備をするようパイロットに伝えてくれ」と言って部屋を出た。




どの国へ行こうと旅仕度を必要としない男はジェットに乗ると歯を噛みしめていた。
そして動転している自分を感じていた。だから目を閉じたが気持ちは落ち着かなかった。
そして頭の中に浮かんだのは、息子が刺され生死の境を彷徨った時のこと。あの時アメリカを離れることが出来なかった祐は妻に全てを任せたが、気丈でしっかり者の妻は、取り乱すことなく東京へ向かった。
だが果たして機内ではどうだったのか。自分の息子が重体で集中治療室にいることに平常心ではいられなかったはずだ。それにあの頃の妻はビジネスに徹していたとはいえ、その感情は母親としての方が大きかったはずだ。
そして祐は、我が子によく似た孫が事故に遭ったとの知らせに、居ても立っても居られなくなり東京に行くと言ったが、命に別状がないなら慌てることはないのだが、この思いは息子が重体になったとき駆けつけることが出来なかったことに対しての贖罪の気持ちなのかもしれない。
そうだ。あのとき、息子のことを母親だけに任せた自分は孫に息子の姿を重ねている。
そう思う祐は孫の命に別状がないとしても、ジェットが一分一秒でも早く東京に着く事を願った。







明け方の東京の空は鉛色の雲に覆われていたが、その雲の切れ間から機内に陽が差し込んで来た。
東京に着いた祐は迎えの車に乗った。
運転手は長年道明寺家に仕える木下という男で祐もよく知る男だ。
その男が運転する車で病院に向かうと思った。ところが車は世田谷の邸に行くという。

「木下。巧は邸にいるのか?」

「はい。巧坊ちゃまはお邸にいらっしゃいます」

「事故に遭ったんだぞ?病院にいなくても大丈夫なのか?入院は必要ないのか?」

「はい。わたくしは詳しくは存じませんが司様もつくし奥様もお邸にいらっしゃいます」

祐は孫の両親が共に子供の傍にいることにホッとした。
それはかつて息子が入院したとき、自分が息子のことを母親任せにして父親としての役割を果たさなかったのとは違うからだ。
つまりそれは息子が自分の親を反面教師にしているということ。息子は自分の両親がビジネスを優先して我が子を顧みなかったのとは違い、我が子に何かあれば全てを投げ打って傍にいる男なのだ。

子供は親がいなくても育つというが、それは身体だけだ。
心を育てるには親が傍にいてやる必要がある。それは優しさや自立心を養い、社会性を身に付けるには親が傍にいて身を持って教える必要があるということ。
だが親子の距離は1万キロ以上離れていることが当たり前となり、祐も楓もそれをすることはなかった。しかし、息子はそれを身に付けた。
それは好きな女性が出来たから。大切な人を守って生きていくために自分を変え、そして変わった。
だから祐はそんな息子を自慢に思うも、今の息子にとって父親とは一体どういった存在なのか。ほとんど傍にいることがなかった男は同じ血が流れているだけの存在とでも思っているのではないか。

だが遠い昔。
あれは夏だ。
息子が4歳の頃。
鎌倉にある道明寺の菩提寺からの帰り、家族四人で鎌倉の別荘へ行った。
広い庭を持つ別荘からは海が一望できる。姉の椿はまぶしい陽射しを浴びて、日に焼けるからと言って中に入ったが、司は外がいい。庭がいいと言った。だから祐は付き添って隣に立っていた。
そんな祐の隣で海を行く船を見ていた息子は、「大きいね!あれに乗ったらどこに行くんだろう?父さん、あんなに大きな船に乗ったことがある?」と言った。

息子が言った言葉は覚えている。
だが祐は自分がどんな言葉を返したかは思い出せずにいた。もしかすると、うちにも大きな船があるぞ。とでも言ったかもしれない。
けれど、日が沈むまでそこにいたのは覚えている。そして息子は海と船が好きだと言った。
あの時の息子は水平線の向こう、海に沈みゆく太陽に魅せられたのか、「あんな大きな太陽初めて見た!父さん。あの太陽が次に昇って来るまでここにいるんだよね?」と嬉しそう言ったが、あれが家族4人で出掛けた最初で最後の家族旅行だ。
いや、あれは墓参りであり旅行ではなかった。だが何故鎌倉の別荘に泊まったのか。記憶を巡らせていた時、車は交差点の赤信号で止まった。その交差点を曲がればすぐに邸だ。
その時だった。

『司。あの船の行先は地球の裏側だ。それに父さんは昔、船で遠い国に行ったことがある。いつかお前も世界中を旅する時が来るぞ』という声が聞こえた。

それは若い頃の自分の声。思い出せなかった我が子の問いかけに対する返事が頭の中に聞こえ、息子が幼少期の頃の風景が頭に浮かぶ。
そして何故鎌倉の別荘に泊まったのかを思い出した。
あの日は、祐と楓が子供たちを日本に残しニューヨークへ移る前日だったのだ。だから暫く訪れることが出来ない墓に参るため鎌倉を訪れ別荘に泊まることにしたのだ。
それは息子と過ごした数少ない思い出。
思い出したのだからもう二度と忘れることはない。
だが息子の心にはあの時の風景が今でもあるだろうか。
もしあるなら、あの風景の中には父親である祐がいる。だがあの日から幼い息子に抱えさせたものは期待ではなく義務。そして今なら分かるが背負わせたものの大きさに潰れてしまってもおかしくはなかったのだ。だから息子は潰れる代わりに荒れたのだ。
だがそんな息子も、いつの間にか人生を背負った男の顏になった。










車が邸の車寄せに着くと、すぐに後部座席のドアが開かれた。

「お帰りなさいませ。大旦那様」と言ったのは、今は亡きタマと同年代の執事。

そして聞こえて来たのは、バタバタと走る小さな足音と「おじいちゃん!来てくれたんだね!」の声。祐の目の前に現れたのは交通事故で怪我をしたはずの孫の巧。
その孫が「やったぁ!」と声を弾ませ祐の前でぴょんぴょん跳ねていた。
そして次に現れたのは孫の母親であり息子の妻。

「お父様、おはようございます。いらっしゃいませ!」

社交辞令ではなく心からの歓迎の言葉の後で申し訳なさそうな顏をして言ったのは謝罪の言葉。

「すみません。嘘をついて。ご覧のように巧は交通事故には遭ってません。すごく元気です」

「おじいちゃん!ママ謝ってるけど嘘ついたの?嘘つきはダメなんだよね?ママは僕には嘘ついたらダメだって言うけど自分は嘘ついてるんだね!」

祐は孫の顏と孫の母親の顏を見ながら全てを理解したが、まさか妻の楓が芝居をするとは思わなかった。

「親父。やっと来る気になったか」

「司…..」

祐の前に現れた息子は休みなのか。ラフな服装でそこにいた。

「おふくろは親父は忙しいから巧の誕生会には来れないって言ったが、何わだかまってんだ?俺はガキの頃のことをいつまでも引きずって生きる男じゃねえぞ。大体親父はいい年して昔のこと気にし過ぎなんだよ。おふくろを見てみろよ。あの変わり身の早さ。親父も知ってるだろうが、おふくろは反省とか後悔とかって言葉は絶対に言わない女だ。そんなおふくろは昔のことなんてとっくに忘れて今じゃつくしさん、つくしさんだ。なあつくし」

その言葉から分かるのは、祐が息子との間に距離を感じていたのと同じように、息子も父親との間に距離を感じていたということ。だが息子はそれを解消しようとしていた。
そしてニコニコと笑っている息子の妻は孫から「ママ、わだかまりって何?」と訊かれたが、5歳の子供に、わだかまりの意味が、こだわりだと説明しても分からない。
だから別の言い方をしていた。

「わだかまりっていうのはね、巧のおじいちゃんがパパとの思い出を大切にしてるってことなの。おじいちゃんとパパは親子だから考えてることは大体分かるんだけど、男の人はそれを伝えることが下手なの。それにパパもおじいちゃんのことをとても大切に思ってるの。
だからおじいちゃんとパパは今まで以上に沢山の思い出を作ることに決めたの。その思い出の中で一番大切なのは巧のことなのよ?だから巧。おじいちゃんとパパが楽しい思い出を沢山作るために助けて欲しいの」

巧は分かったような、分かっていないような顏をしたが、母親の言ったそれが幼稚舎のお遊戯会で桃太郎の役をやった時と同じくらい大切なことだと言われれば、すぐに理解出来た。

「親父。誕生会にはおふくろも来る。それからつくしの両親もな。だから巧のためにも楽しんでくれ」










人生の最後は死で終る。
それは誰もが平等に迎える最後。
そして人生というロウソクの長さは生まれた時に決まっている。
だから、したいことがあるならその炎が燃え尽きる前にしなければならない。
祐が今したいこと。それは孫に誕生日プレゼントを渡すこと。
だがその前に孫に頼みたいことがあった。
だからそれを口にした。

「巧、今日からおじいちゃんのことはグランパと呼んでくれないか?」

「グランパ?」

「そうだ。英語でおじいちゃんって意味だ」

「分かったよ。僕英語習ってるけど、その言葉はまだ習ってない。だけど覚えたよ、おじいちゃん!じゃなくてグランパ!」




< 完 > * グランパ *
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2020
12.20

宝物 ~続・グランパ~

木枯らし1号が吹いた翌日だったが晩秋の東京は暖かかった。
祐は孫の巧が庭で遊んでいるところを眺めていた。
最近の巧は昆虫に興味があるらしく草むらの中を探していたが、見つからないのか、諦めて立ち上がると祐の方へ戻ってきた。そして言った。

「ねえグランパ?」

「なんだい?」

「グランパのポケットの中。何か入ってるの?」

「ポケット?」

「うん。だってグランパ。ポケットから手を出さないよね?ママが言ってた。ひと前でポケットの中に手を入れているのは失礼だって」

孫は祐の右ポケットを見ていた。いや。孫は祐の行動を見ていた。
そして母親に言われたことを気にしていて祐がポケットの中に手を入れている理由を考えていた。それは中に何か入っているのではないかということだ。

「そうか。ママにそう言われたか」

「うん。言われたよ」

「実はグランパのポケットの中には宝物が入ってるんだ。だから今それを握ってる」

「宝物?」

「そうだよ。グランパにとっては大切な宝物だ」

「わあ!グランパの宝物って何?見たいよ!見せて!」

「わかった。じゃあ見せてあげよう」

と言った祐がポケットの中から出したのは息子が英徳学園の初等部で着ていた制服のボタン。英徳の校章が入ったそれをタマが制服から外して祐に送って来たのは息子が中等部に入学した時だ。

「これは巧のパパが英徳の初等部の時の制服のボタンだよ。グランパはパパと離れていた時間が長かったからこのボタンをパパだと思って持っていたんだよ。その癖が今でも抜けなくて持ち歩いている。グランパにとってこのボタンはお守りみたいなものだよ」

「ふう~ん。じゃあ僕も初等部に入学したらパパにボタンをあげなきゃね!」

と言われた祐は慌てた。
孫は来年の春に初等部に入学する。
その孫が真新しい制服から早々にボタンをちぎって父親にあげてしまうと思ったからだ。
そしてそんなことをすれば巧は母親に叱られるだろう。

「巧。巧はそんなことしなくてもいいんだよ。巧のパパはいつもお家に帰って来るだろ?だからボタンをあげなくても大丈夫だ。さっきも言ったようにグランパはパパと離れて暮らしていたからパパの代わりになるものが必要だったんだよ」

「そっか。グランパはパパと離れて外国に住んでたからボタンが欲しかったんだね?でもパパは僕と一緒に住んでるから必要ないんだね?」

「そうだよ。巧のパパはグランパとは違う。巧と離れて暮らすことは絶対にしないからボタンは必要ないんだよ」


祐は去年の孫の誕生日以来、孫に会いに来ることが増えた。
祐にとって孫はビタミンで会えば元気を貰える。
自分を見つめる瞳はキラキラと輝き好奇心が旺盛だ。
そして年を取り人生の終わりが近づいてきた男は孫と息子を重ねて見ることが増え、孫の言葉を息子に置き換えることもあった。

息子というのは若い頃は父親に冷たい。だが年を取ると変わる。それは男として父親の気持ちというものが理解できるようになるからだと言われている。
けれど祐は親として大したことをしてこなかったが、親になった息子には、あの頃の祐とは全く違う親としての姿があった。

そしてニューヨークと東京を行き来するうちに、息子の口から語られたのは、数少ない祐と一緒に過ごした時のこと。
それは祐が東京での短い滞在を終えニューヨークに戻る日。当初関西方面に向かうと思われていた台風が進路を変え関東地方を直撃した。台風は思いのほか速度が遅く、予定時刻になってもジェットを飛ばすことが出来なかった。
そして東京が台風の暴風圏を抜けるのは明日で、勢力を増した台風によって邸は停電して暗闇に包まれた。だがすぐに自家発電で灯りは灯った。しかしそれは幼い息子にとって初めて経験する停電だった。
その話が出たとき、息子は言った。

「あのとき親父はこの邸は台風なんぞで吹き飛ぶことはないと言ったが、まだ小さかった俺はあのとき本気で心配した。けど台風のせいでジェットが飛ばなかったことが嬉しかったんだぜ」

子供は不安なとき真っ先に見るのは親の顏だ。
ろくに子育てをしてこなかった祐がそれを理解出来るようになったのは、孫とこうして一緒に過ごす時間が増えたからだ。
巧が祖父の祐と父親の息子と一緒にいるとき、どうしたらいいのか分からない時どちらを見るかと言えば、やはり父親である息子なのだ。だから親は傍にいて子供が向ける視線を受け止めてやるべきなのだ。だから台風で不安なとき、珍しく傍にいた父親の顏を見て安心したのだ。

そして息子は我が子を叱っても褒める。だから巧は父親を好きで尊敬している。
そんな息子の口癖は、「巧。大丈夫だ。俺がついてる。だから心配するな」
それは祐が一度も口にしたことがない言葉だが、息子は自然とその言葉を口にしていた。
そしてその言葉の前には、「どんな時も」という言葉が付く。そんな息子から感じられるのは、我が子をひとりにすることはしないという強い思い。
巧が大きくなって怖いものの種類が変わっても息子は我が子の傍にいるだろう。
そしてそれが本来の父親の姿なのだ。








「巧。昆虫はいたのか?」

「あ!パパ!ダメだよ。全然いないよ。やっぱり寒くなるとダメだね?」

「そうだな。昆虫も暖かい場所の方が好きだからな」

庭に出て来た息子はそう言って我が子の頭を撫でた。
そして巧はそんな父親を見上げ嬉しそうにしていた。

「巧。ママが呼んでるぞ。シェフが巧の好きなケーキを焼いてくれたそうだ」

「わあ!本当?やった!フロッケン…ザー……ええっと……ケーキの名前忘れちゃった」

「名前はいいから行きなさい。パパはおじいちゃんと話して行くから」

「うん!分かった!」

巧はそう言って邸の方へ駈け出そうとした。
だが振り向いて父親に言った。

「あ、そうだ。パパ知ってる?グランパはポケットの中に宝物を持ってるんだって!僕見せてもらったんだよ。パパの制服のボタンなんだって!」

ふたりは自分達親子の遺伝子を確実に受け継いでいる巧が邸の方へ駆けて行く姿を見つめていた。だがその足の速さは父親の司よりも母親に似ていた。

「巧はフロッケンザーネトルテが好きなのか?」

祐が言うと息子は「ああ。もともとシュークリームが好きだったが、今はシェフが作ったドイツのシュー菓子が気に入ってる。巧は俺と違って甘い物が好きだ」

「そうか。つくしさんに似て甘いものには目がないか。それで?話があるそうだが仕事のことか?」

「いいや。仕事の話じゃない。クローゼットの奥から懐かしい物が出て来たから親父に見せようと思ってな」

と言った息子がポケットの中から取り出し手のひらに乗せて祐に見せたのは、見覚えのある時計。タマから制服のボタンを貰うよりも前に、「タマ。これを卒業祝いに司に渡してくれないか」と言って渡したものだ。

「….まだ持っていたのか」

「ああ。それで?親父は俺の制服のボタンを持ってるそうだな?」

「これはわたしの宝物だ」

と言って祐はポケットの中からボタンを取り出すと息子と同じように手のひらに乗せると見せた。

「親父はこの時計をタマに渡したとき、時の船に流されるなと伝えてくれと言ったそうだな?」

「ああ。言った」

祐は確かにそう言った。
船は何も無くてもゆらゆらと揺れながら少しずつ前へ進んでいる。
だが何かがあれば、その船はあっという間に流され気が付けば知らない場所に運ばれている。そして何故自分はここにいるのかと思考を巡らせ、元の場所へ戻りたいと望む。だが時の船は前へ進むことは出来ても後ろへ下がることは出来ない。それは人生と同じ。
祐は既にあの頃の息子が荒れた思春期の真っただ中にいることは知っていた。
だが傍にいない父親は、そんな息子に対して何も出来なかった。
そんな祐は一度しかない青春時代を無駄にするなという意味を込め時計を贈った。
けれど、その時計が息子の腕に嵌められたかどうかを知ることはなかった。
だが今ふたりの男が見ているのは、互いがそれを受け取った時の情景。
ひとりは我が子の成長を喜びながらも、手のひらに乗せた小さなボタンに自分が一緒に過ごすことのなかった時を感じていた。
そしてもうひとりは、そっけない態度で箱から時計を取り出し一瞥したたけで、箱に放り込んだ。だが東の角部屋に戻ると再び箱を開け時計を取り出すと手首に嵌めていた。
そんなふたりだったが、あの頃は互いに気に掛けながらも歩み寄ることはなかった。



「親父。今夜一杯やらないか?」

「いいな。そうしよう」

親子の時間と孫との時間は、どちらも祐にとっては大切な時間。
それは息子にとっても同じ。
だから、ふたりはそれぞれの宝物をポケットの中に入れると肩を並べ邸へ向かったが、祐は小さな声で息子に言われた。

「長生きしてくれよ。親父」

だから祐は「ああ」と頷いた。




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