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2020
08.23

金持ちの御曹司~私の輝かしい履歴書 My Brilliant Resume~

世界の均衡が壊れる顏を持つ男は、スウェットの上下を着ていても大勢の人間の視線を集める。
だが男はスウェットなど着たことがない。それに今日、男が着ているのは男前が2割増になると言われる黒のスーツ。そして眩しい真夏の陽射しから目を守るためアビエーターサングラスをかけているが、その姿は道明寺ホールディングスの日本支社長というよりも、とてつもない報酬を要求する凄腕の殺し屋といった感じだ。

だが司は殺しに興味はない。それにもしどうしても殺したい相手がいれば、その時は西田に言えばなんとかなるはずだが、冗談はさておき、司は外出先から社に戻るとサングラスを外した。
そしてスーツの上着を脱ぎ執務デスクに腰を下ろし明け方に見た夢を思い出していた。
それはこれまでの司の人生で経験したことのないことが夢。高校生の自分がアルバイトをしたいという夢だが、働くことを望んだのはかつて恋人がアルバイトをしていた和菓子屋。
だが何故自分がアルバイトを希望したのか分からなかったが、夢というのは得てして突拍子もないものだ。

アルバイト募集の張り紙を見た司は店主に働きたいと言った。
すると「じゃあ履歴書持ってきて」と言われたが司は履歴書というものを書いたことがない。
だから書き方が分からなかった。
だから西田に「おい。履歴書には何を書けばいい?」と訊いたが、夢の中に出てきた西田は「履歴書とは学業や職歴を記す書類です。資格があればそれを書きます。雇う側はそれらを採用や給与を決めるために役立てます」と言った。
だから司は西田に指示されるままに書いたが、それを見た店主は「あら。あなた制服を着てなかったから分からなかったけど英徳の学生さんだったのね?うちには英徳の女の子がアルバイトとして働いているのよ。でも彼女今週で辞めちゃうから新しいバイトさんを募集したの。ちょうどいいわ。あなた….道明寺くんね?じゃあ来週から働いてちょうだい」
と言った。だから夢の中の司は恋人と会うことがなく和菓子屋で働き始めたところで目が覚めた。

そこで司は思った。
もし今の自分が履歴書を書くとすれば何を書くだろうか。
英徳学園高等部を卒業し、ニューヨークのコロンビア大学を卒業した。
ビジネススクールでMBAを取得した。道明寺ホールディングスに入社した。日本支社の支社長になった。
だがそれは書いたとしても誰に見せる必要もない履歴書だ。何しろ司は将来道明寺の社長になる男だ。だから司は履歴書を一生書くことはない。
それでも司は書きたいことがあった。それは恋人の牧野つくしとのアレコレだ。
だからふたりが出会った頃のことを思い出すと、パソコンの電源を入れファイルを開き入力を始めた。

××年×月 英徳の階段で牧野つくしと出会う。
××年×月 熱海のクルーザーの中で初めてのキスをした。
××年×月 カナダの別荘で遭難した彼女を助け抱きしめて一夜を過ごす。
××年×月 誕生日パーティーで母親に紹介したら交際を反対され妨害を受けた。
××年×月 道明寺家のメイドになった牧野つくしに土星のネックレスを贈る。
××年×月 付き合い始めるが雨の降る夜に別れて欲しいと言われた。
××年×月 無人島に拉致された帰りに刺され彼女の記憶を失う。
××年×月 彼女のことを思い出す。
××年×月 ニューヨークに行く前に宣戦布告される。

細かなことを書けばきりがない。
だから大まかに言えば大体こういった感じだが、改めて書き出して見れば、ふたりが知り合ってから司がニューヨークに行くまでの間に起きたことは怒涛という言葉がぴったりだと思えた。
だが過去はどうでもいい。終わったことをどうこう言ったところで過去は変えられない。
それよりもこれから先、つまり未来の話の方が重要だ。

司がニューヨークから帰国して数年が経つ。
ふたりの交際は順調で邪魔する人間はいない。ふたりは結婚する意思がある。だがまだふたりは結婚していない。
それなら何がふたりの間を邪魔しているのか。
それは会えない時間だ。
誰かの歌の歌詞に、会えない時間が愛を育てるといった詞があるが、それは嘘だ。
それに司は愛情源泉かけ流しの男だ。だから最愛の人には常に愛を浴びせたい。愛を注ぎたい。だから傍にいて欲しいと思う。だが今年の夏はいつもの夏とは違う。だから会える時間が少ない。それにどこかへ出かけるにしても遠出することは出来なかった。

そんなとき、恋人からかかってきた電話は外出の誘い。

『ねえ。今度の日曜日。梨狩りの予約したんだけど行かない?』

そう言われ二つ返事で誘いに応じたが向かった先は松戸。
松戸は千葉だが東京に接したその街は梨の産地だと言った。そう言えば千葉にはおかしな梨の妖精がいたことを思い出した。
そして恋人と向かった梨園で初めて梨狩りをしたが、セミの鳴き声をバックコーラスに収穫した梨は香りも良く、みずみずしく甘かった。
司と恋人はふたりでは食べきれないほど梨を狩ったが、恋人はその梨を西田にあげてと言った。そして秘書課で食べて欲しいと言ったが、アドバンテージはいつも彼女にある。だから恋人の言う通りにした。
それに自らを地味な雑草だと言っていた彼女は、彼女に恋をした男の心の全てを持って行ったのだから、司はそれでいいと思っている。







今年は夏空の下でも求められるディスタンス。 
司はその立場から密になることを避けてはいるが、恋人とは密でいたい。だから昨日はペントハウスのテラスで輝く天の川を見上げ愛を語った。そして愛し合った。一緒に夢を見た。だから今日は白昼夢に浸ることはない。

そのとき、扉をノックする音がした。

「失礼いたします」

そう言った秘書はトレーを手に入ってきたが、いつもならそこにあるのはコーヒーだけ。
だが今日は違った。コーヒーの隣にあるのは切り分けられた梨が乗った皿だ。
司は片眉を上げた。

「こちらは牧野様が支社長に食べさせて欲しいと言ってご用意された梨です。ご安心下さい。わたくしが剥いたのではありません。牧野様自ら給湯室にお越しになり切り分けられました」

西田はそう言ってデスクにコーヒーカップと白い皿を置き出て行った。
司はフォークに手を伸ばすと梨に挿した。だが抜いた。そして躊躇なく手で梨を掴むと口に運んだが、そうしたのは昨日の夜、互いの手で梨を食べさせあったことを思い出していたからだ。

梨を持った恋人の指が司の口元に運ばれると、その指を梨と共に食べたが苦情が出ることはなかった。
そして司も彼女の口元に梨を運んだ。だが彼女は梨だけを食べようとした。だから司は梨の汁がついた唇を指でなぞった。すると彼女はその指を唇で噛んだ。

司はパソコンの画面を見た。
そこにあるのは言うなれば司の恋の履歴書。
それは誰に見せることがない履歴書だとしても、いつかそこに彼女との結婚を書き加えたいと思っている。何しろそれが司の人生の履歴の中で一番輝く履歴なのだから。




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