皆様こんにちは。
今年の夏はこれまでとは違う夏となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、当ブログ本日で5周年を迎えましたが、お忙しい中いつも拙宅にお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
本日は日頃の御礼として連載中のお話とは別の短いお話をご用意しましたので、よろしければお読み下さいませ。
< 天色の空(あまいろのそら) >
私は父の言葉を信じることが出来なかった。
「母さんは好きな人がいる。そして私は母さんが好きなその人のことを知っている。
私たちは古い知り合いだ。長い間会ってなかったが数年前に偶然再会した。私がこうなる前にも会ったが、話してみれば彼もまだ母さんのことが好きだということが分かった。だから私が死んだら母さんとその人のことを認めて欲しい。いや違う。母さんとその人が一緒になることを許してやって欲しい」
病室でそう言った父は私の顔を見るとフッと笑ったが、その顔は本当に笑っていたのかと言えば、そうではないことが娘の私には分かる。
何故なら父のそんな顏を今までも見てきたが、それは父の癖である唇の端に無理矢理皺を作る笑いだったからだ。
そしてクールと言われた父の造形は整っていたが、果たして心から笑ったことがあったのか。思い返せばそう思えることが沢山あった。
「お前はもう大人だ。それに賢い子だ。きっと二人のことが理解できるはずだ」
そう言った父の言葉に込められているのは、自分が亡くなった後の母のことを頼むと言っているのだと理解したが、それが父と私が交わした最後の会話になった。
それにしても母に好きな人がいる。
それはにわかには信じがたい話だが、父は嘘をつく人ではない。
そして人は死に際だからこそ真実を語りたがる。罪があるならその罪を懺悔するのは今際の際だからだ。だからこそ死期を悟った父が言ったことは本当だということになり、長年父の傍にいたはずの母の心は別の場所にあったということになる。
それでも、母が父以外の人のことを愛しているということを信じたくはなかった。
何故なら私が知っている二人は仲の良い夫婦に見えたからだ。とは言え、父は仕事の関係で日本にいることは殆どなかった。
つまり夫婦の時間は少なかったということだが、それでも二人はどちらかが死ぬまでずっと夫婦でいると思っていた。そして実際父が亡くなるまで二人が夫婦でいたことだけは確かだ。
けれど母に好きな人がいるなら、これまで私の前にいた二人の姿は偽物だったということになる。
そして、父の言葉に不意に母が見知らぬ人に変わってしまったように思えた。
私はひとり娘で18歳の誕生日を迎え大学に通い始めたばかりだが十分大人だ。
だから私は父の言葉が本当なのか。それとも嘘なのかを確かめる必要がある。
それに父は自分が亡くなったら必ずその人に連絡をして欲しいと言って名前と住所が書かれた紙を差し出した。
だから私は父の四十九日を終えると、その人に手紙を書いた。

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今年の夏はこれまでとは違う夏となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、当ブログ本日で5周年を迎えましたが、お忙しい中いつも拙宅にお立ち寄り下さいましてありがとうございます。
本日は日頃の御礼として連載中のお話とは別の短いお話をご用意しましたので、よろしければお読み下さいませ。
< 天色の空(あまいろのそら) >
私は父の言葉を信じることが出来なかった。
「母さんは好きな人がいる。そして私は母さんが好きなその人のことを知っている。
私たちは古い知り合いだ。長い間会ってなかったが数年前に偶然再会した。私がこうなる前にも会ったが、話してみれば彼もまだ母さんのことが好きだということが分かった。だから私が死んだら母さんとその人のことを認めて欲しい。いや違う。母さんとその人が一緒になることを許してやって欲しい」
病室でそう言った父は私の顔を見るとフッと笑ったが、その顔は本当に笑っていたのかと言えば、そうではないことが娘の私には分かる。
何故なら父のそんな顏を今までも見てきたが、それは父の癖である唇の端に無理矢理皺を作る笑いだったからだ。
そしてクールと言われた父の造形は整っていたが、果たして心から笑ったことがあったのか。思い返せばそう思えることが沢山あった。
「お前はもう大人だ。それに賢い子だ。きっと二人のことが理解できるはずだ」
そう言った父の言葉に込められているのは、自分が亡くなった後の母のことを頼むと言っているのだと理解したが、それが父と私が交わした最後の会話になった。
それにしても母に好きな人がいる。
それはにわかには信じがたい話だが、父は嘘をつく人ではない。
そして人は死に際だからこそ真実を語りたがる。罪があるならその罪を懺悔するのは今際の際だからだ。だからこそ死期を悟った父が言ったことは本当だということになり、長年父の傍にいたはずの母の心は別の場所にあったということになる。
それでも、母が父以外の人のことを愛しているということを信じたくはなかった。
何故なら私が知っている二人は仲の良い夫婦に見えたからだ。とは言え、父は仕事の関係で日本にいることは殆どなかった。
つまり夫婦の時間は少なかったということだが、それでも二人はどちらかが死ぬまでずっと夫婦でいると思っていた。そして実際父が亡くなるまで二人が夫婦でいたことだけは確かだ。
けれど母に好きな人がいるなら、これまで私の前にいた二人の姿は偽物だったということになる。
そして、父の言葉に不意に母が見知らぬ人に変わってしまったように思えた。
私はひとり娘で18歳の誕生日を迎え大学に通い始めたばかりだが十分大人だ。
だから私は父の言葉が本当なのか。それとも嘘なのかを確かめる必要がある。
それに父は自分が亡くなったら必ずその人に連絡をして欲しいと言って名前と住所が書かれた紙を差し出した。
だから私は父の四十九日を終えると、その人に手紙を書いた。

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夕暮れと一緒に雨が降り出した日。
ビルが建ち並ぶオフィス街にある喫茶店で手紙を出した男性を待っていた。
私はその男性の顏を知っている。でも相手の男性は私の顏を知らない。
そんなふたりの待ち合わせの方法として、昔なら目印として胸に何かの花を挿すことをしたかもしれない。でも私がその人に伝えたのは長い黒髪という外見だけ。だがその人は店に入ると真っ直ぐに私に向かって来た。
つまりそれは、店内を見回してすぐに私が手紙を出した人間だと気付いたということになる。
でも何故私が手紙の差出人だと思ったのか。
それは母が私のことを話していたからなのか。
それとも男性は好きな女性の子供のことを知っていたのか。
どちらにしても私は腰を降ろした男性に「お忙しいところ、ありがとうございます。父が亡くなったことは手紙でお伝えした通りです」と言ってから訊いた。
「単刀直入にお伺いします。あなたは私の母とはどういった関係ですか?
父はあなたのことを母の好きな人だと言いました。でも母は父の妻です。いえ。父はもう亡くなりましたから父の妻だったと言った方が正しいのかもしれません。とにかく父は母がずっとあなたのことが好きだったと言いました。そして自分が死んだら母とあなたが一緒になることを許してやって欲しいと言いました。でも私は二人の関係を認めることは出来ません」
そう言ったのは、二人が互いの伴侶に背いた時間があったのではないかと思ったからだ。
相手の男性は道明寺司。かつて結婚していたが今は離婚してひとりだ。
それにしても、父から渡された紙に書かれていた道明寺という名前を見たとき、まさかと思った。
それは道明寺ホールディングスという社名があまりにも有名だからだが、男性がその会社の社長だとは思いもしなかった。
そして道明寺と言えば日本を代表する企業で世界的な企業でもある。だからそこの社長と母が何故という思いが湧き上がった。
母は道明寺という大企業で働いたことはない。
それに母が育ったのは、ごく普通の家庭であり、どちらかと言えばお金に不自由していた。
そんな家庭に育った母から自分がアルバイトで稼いでくるお金が日常の生活には欠かせなかったと訊いた。
つまり、どう考えても道明寺司と母とでは住む世界が違うのだ。
けれど、そんな二人にひとつだけ接点があった。
それは同じ学園に通っていたということ。
だが二人は学年が違い同級生ではない。そしてその学園は格差社会の象徴と言えるような場所であり、幼稚舎から大学までエスカレーター式に進学できる裕福な家庭の子供が通う学園だ。母が育った家庭は金銭的に余裕がない。それなのに何故母親がそんな学園に通っていたのかが不思議だったが、そうすることが祖母の希望だったと訊かされた。
「君はお母さんによく似ているね」
二人の関係について問いただした私に、男性はそう言うと目を細めて笑ったが、『母によく似ている』それは今まで言われたことがない言葉だ。
だからと言って父に似ていると言われたこともない。
そんな私がこれまでよく言われたのは、父に似て頭がいいということだが、父は通信社の特派員で、いくつもの言語を話すことが出来た。
そして私と母は父の転勤に伴い海外を転々としていた。だから家には世界各国の民芸品が沢山置かれている。
それはエジプトのスフィンクスを真似た置物や、リモージュ焼のブルーのエッフェル塔。
マリア・テレジアが愛した窯で焼かれたヴィンテージのユニコーン。紙粘土に色が塗られただけのコロンビアの乗り合いバスやメキシコの色鮮やかな皿。
高級なものから雑貨まで赴任先が変わるたびに増えるそれらは家族の歴史と言えた。
だが私が中学に上がる頃、母と私は日本に戻ることになり、保育士の資格を持つ母は働き始めた。
「私は母に似ていると言われたことはありません。それよりも質問に答えて下さい」
そう言った私に男性は「そうだな。申し訳ない」と謝ると、「私とお母さんとは昔付き合っていた。恋人関係にあった」と言った。

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ビルが建ち並ぶオフィス街にある喫茶店で手紙を出した男性を待っていた。
私はその男性の顏を知っている。でも相手の男性は私の顏を知らない。
そんなふたりの待ち合わせの方法として、昔なら目印として胸に何かの花を挿すことをしたかもしれない。でも私がその人に伝えたのは長い黒髪という外見だけ。だがその人は店に入ると真っ直ぐに私に向かって来た。
つまりそれは、店内を見回してすぐに私が手紙を出した人間だと気付いたということになる。
でも何故私が手紙の差出人だと思ったのか。
それは母が私のことを話していたからなのか。
それとも男性は好きな女性の子供のことを知っていたのか。
どちらにしても私は腰を降ろした男性に「お忙しいところ、ありがとうございます。父が亡くなったことは手紙でお伝えした通りです」と言ってから訊いた。
「単刀直入にお伺いします。あなたは私の母とはどういった関係ですか?
父はあなたのことを母の好きな人だと言いました。でも母は父の妻です。いえ。父はもう亡くなりましたから父の妻だったと言った方が正しいのかもしれません。とにかく父は母がずっとあなたのことが好きだったと言いました。そして自分が死んだら母とあなたが一緒になることを許してやって欲しいと言いました。でも私は二人の関係を認めることは出来ません」
そう言ったのは、二人が互いの伴侶に背いた時間があったのではないかと思ったからだ。
相手の男性は道明寺司。かつて結婚していたが今は離婚してひとりだ。
それにしても、父から渡された紙に書かれていた道明寺という名前を見たとき、まさかと思った。
それは道明寺ホールディングスという社名があまりにも有名だからだが、男性がその会社の社長だとは思いもしなかった。
そして道明寺と言えば日本を代表する企業で世界的な企業でもある。だからそこの社長と母が何故という思いが湧き上がった。
母は道明寺という大企業で働いたことはない。
それに母が育ったのは、ごく普通の家庭であり、どちらかと言えばお金に不自由していた。
そんな家庭に育った母から自分がアルバイトで稼いでくるお金が日常の生活には欠かせなかったと訊いた。
つまり、どう考えても道明寺司と母とでは住む世界が違うのだ。
けれど、そんな二人にひとつだけ接点があった。
それは同じ学園に通っていたということ。
だが二人は学年が違い同級生ではない。そしてその学園は格差社会の象徴と言えるような場所であり、幼稚舎から大学までエスカレーター式に進学できる裕福な家庭の子供が通う学園だ。母が育った家庭は金銭的に余裕がない。それなのに何故母親がそんな学園に通っていたのかが不思議だったが、そうすることが祖母の希望だったと訊かされた。
「君はお母さんによく似ているね」
二人の関係について問いただした私に、男性はそう言うと目を細めて笑ったが、『母によく似ている』それは今まで言われたことがない言葉だ。
だからと言って父に似ていると言われたこともない。
そんな私がこれまでよく言われたのは、父に似て頭がいいということだが、父は通信社の特派員で、いくつもの言語を話すことが出来た。
そして私と母は父の転勤に伴い海外を転々としていた。だから家には世界各国の民芸品が沢山置かれている。
それはエジプトのスフィンクスを真似た置物や、リモージュ焼のブルーのエッフェル塔。
マリア・テレジアが愛した窯で焼かれたヴィンテージのユニコーン。紙粘土に色が塗られただけのコロンビアの乗り合いバスやメキシコの色鮮やかな皿。
高級なものから雑貨まで赴任先が変わるたびに増えるそれらは家族の歴史と言えた。
だが私が中学に上がる頃、母と私は日本に戻ることになり、保育士の資格を持つ母は働き始めた。
「私は母に似ていると言われたことはありません。それよりも質問に答えて下さい」
そう言った私に男性は「そうだな。申し訳ない」と謝ると、「私とお母さんとは昔付き合っていた。恋人関係にあった」と言った。

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『私とお母さんは昔付き合っていた。恋人関係にあった』
それは予測していた答え。
「君のお母さんと私は同じ学園の卒業生だ。そのことは知っているね?」
問い掛けではあったが私は答えなかった。
それは男性が私の言葉を待っているようには思えなかったからだ。
「私たちはそこで知り合った。そして恋におちた。だがその恋はよくある若者の恋愛とはほど遠い波瀾に満ちた恋だった。今思えば高校生には考えられないことが起こったのが二人の恋だったが、アメリカの大学に進学した私は君のお母さんと結婚の約束をした。お母さんが大学を卒業したら私たちは結婚するつもりでいた。だが私たちは別々の人生を歩むことになった。それは私が別の女性と結婚することになったからだ。こういう言い方をすれば逃げているように思われるかもしれないが、それは仕方がない選択だった。だが私はどうしてもお母さんのことが忘れられなくてね。数年後その女性とは別れた。しかし、その頃にはお母さんは結婚していた。そして子供が、君がいた」
道明寺司が母と付き合っていたのは、母が高校生の頃から大学を卒業するまでの間で、二人は結婚の約束をしていたと言った。
男性は話の中で仕方がない選択をしたと言ったが、どんなに愛し合うふたりでも結ばれないことはあることは知っている。
政略結婚など今のこの世の中には無いと思われるかもしれないが、私が暮らした国の中には、はっきりとした身分の違いが存在した国があった。実際クラスメートの中には、生まれた時から結婚相手が決められている子もいた。
それは、結婚が家同士の結びつきを強めるため利用されるということ。
つまり資産家の家に生まれた者には、その家を守ることが求められるということ。恐らくだが道明寺司は、そのために母と結婚することが出来なかったのだろう。
そしてそれは母と男性の間に起きた恋愛事件だったはずだが、もし母がこの男性と結婚していたら、私は男性の娘として生まれていたのかもしれない。
「君たち家族は特派員だったお父さんの転勤に伴い引っ越しが多かった。だが君が中学に上がる頃、お父さんだけが残りお母さんと君は日本に帰国した」
12歳で帰国した私と母のことを知っているということは、二人はその頃から連絡を取るようになったのか。それはどちらからだったのか。
そして互いの状況を知った二人は逢瀬を繰り返していたのか。
男性は父の不在をいいことに母に交際を迫り、母はそれを受け入れたのか。
母は海外で何も知らずにひとり暮らす父を裏切っていたのか。
「私とお母さんは君が考えているような関係ではない」
男性は私の思考を読んだかのような発言をしたが、真実かどうかは分からない。
「それならどういう関係ですか!?……あなたは父が日本にいないことをいいことに母に交際を迫ったんじゃないんですか!?」
私の口から出た言葉は怒気を含んでいた。そして男性を睨みつけていた。
けれど、そんな私とは違い継がれた男性の言葉は静かで落ち着いたものだった。
「違う。彼女の名誉のためにも言うが、私たちは会ってはいたが君が思っているような関係ではない。お母さんは決してお父さんを裏切ったりはしなかった」
それならどういった関係だったと言うのか。
私は苛立つ気持を抑えることが出来なかった。
「私たちはお茶を飲みながら話をするだけの関係だ。二人で何処かへ行くことはなかった。
二人の間には何もなかった。君のお母さんはお父さんを裏切るようなことをする人ではない。彼女は…..君のお母さんはそんな人ではない」
男性は、母は父を裏切ったりしなかった。そう繰り返し言ったが、それが本当かどうか確かめることは出来ない。だが男性の目は本心からそう言っているように思えた。
そして、本来なら母にも訊くべきことを男性だけに訊いていることに気付いていたが、18歳の私は母を母親ではなく女として見ることが怖かった。

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それは予測していた答え。
「君のお母さんと私は同じ学園の卒業生だ。そのことは知っているね?」
問い掛けではあったが私は答えなかった。
それは男性が私の言葉を待っているようには思えなかったからだ。
「私たちはそこで知り合った。そして恋におちた。だがその恋はよくある若者の恋愛とはほど遠い波瀾に満ちた恋だった。今思えば高校生には考えられないことが起こったのが二人の恋だったが、アメリカの大学に進学した私は君のお母さんと結婚の約束をした。お母さんが大学を卒業したら私たちは結婚するつもりでいた。だが私たちは別々の人生を歩むことになった。それは私が別の女性と結婚することになったからだ。こういう言い方をすれば逃げているように思われるかもしれないが、それは仕方がない選択だった。だが私はどうしてもお母さんのことが忘れられなくてね。数年後その女性とは別れた。しかし、その頃にはお母さんは結婚していた。そして子供が、君がいた」
道明寺司が母と付き合っていたのは、母が高校生の頃から大学を卒業するまでの間で、二人は結婚の約束をしていたと言った。
男性は話の中で仕方がない選択をしたと言ったが、どんなに愛し合うふたりでも結ばれないことはあることは知っている。
政略結婚など今のこの世の中には無いと思われるかもしれないが、私が暮らした国の中には、はっきりとした身分の違いが存在した国があった。実際クラスメートの中には、生まれた時から結婚相手が決められている子もいた。
それは、結婚が家同士の結びつきを強めるため利用されるということ。
つまり資産家の家に生まれた者には、その家を守ることが求められるということ。恐らくだが道明寺司は、そのために母と結婚することが出来なかったのだろう。
そしてそれは母と男性の間に起きた恋愛事件だったはずだが、もし母がこの男性と結婚していたら、私は男性の娘として生まれていたのかもしれない。
「君たち家族は特派員だったお父さんの転勤に伴い引っ越しが多かった。だが君が中学に上がる頃、お父さんだけが残りお母さんと君は日本に帰国した」
12歳で帰国した私と母のことを知っているということは、二人はその頃から連絡を取るようになったのか。それはどちらからだったのか。
そして互いの状況を知った二人は逢瀬を繰り返していたのか。
男性は父の不在をいいことに母に交際を迫り、母はそれを受け入れたのか。
母は海外で何も知らずにひとり暮らす父を裏切っていたのか。
「私とお母さんは君が考えているような関係ではない」
男性は私の思考を読んだかのような発言をしたが、真実かどうかは分からない。
「それならどういう関係ですか!?……あなたは父が日本にいないことをいいことに母に交際を迫ったんじゃないんですか!?」
私の口から出た言葉は怒気を含んでいた。そして男性を睨みつけていた。
けれど、そんな私とは違い継がれた男性の言葉は静かで落ち着いたものだった。
「違う。彼女の名誉のためにも言うが、私たちは会ってはいたが君が思っているような関係ではない。お母さんは決してお父さんを裏切ったりはしなかった」
それならどういった関係だったと言うのか。
私は苛立つ気持を抑えることが出来なかった。
「私たちはお茶を飲みながら話をするだけの関係だ。二人で何処かへ行くことはなかった。
二人の間には何もなかった。君のお母さんはお父さんを裏切るようなことをする人ではない。彼女は…..君のお母さんはそんな人ではない」
男性は、母は父を裏切ったりしなかった。そう繰り返し言ったが、それが本当かどうか確かめることは出来ない。だが男性の目は本心からそう言っているように思えた。
そして、本来なら母にも訊くべきことを男性だけに訊いていることに気付いていたが、18歳の私は母を母親ではなく女として見ることが怖かった。

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道明寺司と会ってから1ヶ月が経った。
あの日。私は男性の話を訊きながら、母が話をしていただけとはいえ父以外の男性と一緒に過ごしていたことに嫌悪感を抱き、冷静な態度を取ることが出来ず早々に席を立つという失礼な態度を取った。
そしてあれから母を見る目が変わった。
それは父が亡くなった今、母はどうするつもりなのかということ。
かつての恋人同士は父に言われなくても一緒になるつもりなのか。
男性はあれから母と会ったのか。
もし母と道明寺司が会っているとすれば、男性は私と会ったことを母に言うはずだ。そしてそれを訊いた母の態度にも変化が現れるはずだ。
だが母が私に見せる態度は変わることはなかった。
そして私は未だに母に道明寺司との関係を訊くことが出来ずにいた。
それにしても、父は道明寺司と古い知り合いだと言ったが、どういった知り合いだったのか。
父は英徳学園の出身ではないが道明寺司と同じ年齢だ。
もしかすると、学生時代に会ったことがあるのではないか。
父は自分のこと事を娘の私に語ることは、ほとんどなかったが名門と言われる政治家一族の生まれだ。
その家の長男として生まれた父は、将来政治家になることを期待されていた。
だが寿司屋になることを選び、家を飛び出した。だから自分は生まれた家から勘当された人間だと言った。そんな父は何らかの理由で寿司屋になることを諦め、大学を卒業して通信社に勤めることになった。
そして父が母と結婚したのは母が大学を卒業してからだが、道明寺司の口から語られた母と男性との交際は、高校生の頃から大学を卒業するまで。
もしかすると同じ年の二人は高校生の頃、共に母の心を掴もうとしたのではないか。
だが父は母の心を掴むことが出来なかった。それは母が道明寺司を選んだから。
しかし父は道明寺司と別れた母と再会し結婚をした。それは二人が別れたすぐ後だが、一度諦めた人を手に入れた父は幸せだったはずだ。
けれど、大人になるにつれ気付いた父の癖とも言える唇の端に無理矢理皺を作る笑い方。
その笑い方は、自分と結婚した女性の心の中には昔の恋人がいて、その人のことを今でも思っていること知った悲しみの表れだったのではないか。
だとすれば、母を愛していた父が可哀想だ。
それに海外赴任中だった父が、母が昔の恋人と会っていたことを知っていて黙って見過ごしていたとすれば、それは母を愛するが故だったはずだ。
だから私は父が最後に言った『二人が一緒になることを許してやって欲しい』という言葉は父の母への愛情がそう言わせたのだと思えた。
つまり、それほど父は母を思っていたということだが、果たして父のそんな思いは母に伝わっていたのだろうか。
それにしても何故母は道明寺司と別れて直ぐとも言えるタイミングで父と結婚したのか。
それに、愛していた人のことをそんなにも早く忘れられるものなのか。
だがまだ恋をしたことがない私は、それを理解することが出来なかった。
だから私は、母が何故父と結婚をしたのか。
そして道明寺司が言ったことが本当なのか。母に訊かなければならなかった。

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あの日。私は男性の話を訊きながら、母が話をしていただけとはいえ父以外の男性と一緒に過ごしていたことに嫌悪感を抱き、冷静な態度を取ることが出来ず早々に席を立つという失礼な態度を取った。
そしてあれから母を見る目が変わった。
それは父が亡くなった今、母はどうするつもりなのかということ。
かつての恋人同士は父に言われなくても一緒になるつもりなのか。
男性はあれから母と会ったのか。
もし母と道明寺司が会っているとすれば、男性は私と会ったことを母に言うはずだ。そしてそれを訊いた母の態度にも変化が現れるはずだ。
だが母が私に見せる態度は変わることはなかった。
そして私は未だに母に道明寺司との関係を訊くことが出来ずにいた。
それにしても、父は道明寺司と古い知り合いだと言ったが、どういった知り合いだったのか。
父は英徳学園の出身ではないが道明寺司と同じ年齢だ。
もしかすると、学生時代に会ったことがあるのではないか。
父は自分のこと事を娘の私に語ることは、ほとんどなかったが名門と言われる政治家一族の生まれだ。
その家の長男として生まれた父は、将来政治家になることを期待されていた。
だが寿司屋になることを選び、家を飛び出した。だから自分は生まれた家から勘当された人間だと言った。そんな父は何らかの理由で寿司屋になることを諦め、大学を卒業して通信社に勤めることになった。
そして父が母と結婚したのは母が大学を卒業してからだが、道明寺司の口から語られた母と男性との交際は、高校生の頃から大学を卒業するまで。
もしかすると同じ年の二人は高校生の頃、共に母の心を掴もうとしたのではないか。
だが父は母の心を掴むことが出来なかった。それは母が道明寺司を選んだから。
しかし父は道明寺司と別れた母と再会し結婚をした。それは二人が別れたすぐ後だが、一度諦めた人を手に入れた父は幸せだったはずだ。
けれど、大人になるにつれ気付いた父の癖とも言える唇の端に無理矢理皺を作る笑い方。
その笑い方は、自分と結婚した女性の心の中には昔の恋人がいて、その人のことを今でも思っていること知った悲しみの表れだったのではないか。
だとすれば、母を愛していた父が可哀想だ。
それに海外赴任中だった父が、母が昔の恋人と会っていたことを知っていて黙って見過ごしていたとすれば、それは母を愛するが故だったはずだ。
だから私は父が最後に言った『二人が一緒になることを許してやって欲しい』という言葉は父の母への愛情がそう言わせたのだと思えた。
つまり、それほど父は母を思っていたということだが、果たして父のそんな思いは母に伝わっていたのだろうか。
それにしても何故母は道明寺司と別れて直ぐとも言えるタイミングで父と結婚したのか。
それに、愛していた人のことをそんなにも早く忘れられるものなのか。
だがまだ恋をしたことがない私は、それを理解することが出来なかった。
だから私は、母が何故父と結婚をしたのか。
そして道明寺司が言ったことが本当なのか。母に訊かなければならなかった。

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私は大学から戻ると母の姿を探した。
すると母は父の部屋にいた。だが母は自分の背後で開け放たれた扉の傍にいる私に気付いてはいなかった。
四十九日を終えたとはいえ父が亡くなってからさほど時間は経っていない。それなのに母は父の部屋で片付けをしていた。
通信社の特派員として長年外国で働いてきた父は、病を罹っていることが分かると赴任先から日本に帰国した。そんな父の部屋には沢山の本やCDや古いレコードが残されているが、語学に堪能だった父は特にスペイン語で歌われた曲が好きだった。
それは日本の伝統的な料理を提供する寿司屋を目指した父からは想像できない歌の選択だったが、メキシコにいた頃の父は、マリアッチ(楽団)がいるレストランに家族で出掛けると、いつもお気に入りの曲をリクエストしていた。
そして母の前にあるのは真新しい段ボール箱。
その中に父が気に入っていると言っていたセーターやマフラー。愛用していた万年筆や櫛といった身の周りの物が収められようとしていた。
私は、それらを手に取った母がひとつひとつ箱に詰めていく様子を見つめていたが、その背中に哀しみの姿を見つけることは出来なかった。つまり母の心は、もうとっくに父から離れてしまっているように思えた。そして父との思い出を箱に詰めると捨ててしまうのではないかとさえ思われた。
だがそれが私の思い過ごしだとしても、表面上何も変わらないように見える母の心はすでに道明寺司に向いていて、父には向けられてはいないと思えた。
私はわざと大きな音を出して自分の存在を母に伝えた。
そして母に訊かなければならない言葉を口にすることにした。
「ただいま!」
「澪(みお)?何?どうしたの?大きな声でびっくりするじゃない。お帰り。早かったのね?」
母は私の声に片付けをする手を止め振り向いた。
「うん。最後の講義は先生が病気で休講になったの。だから今日はこんな時間に帰れたの」
「そう….じゃあ今日の夕食は少し早めにする?ちなみに今夜は煮込みハンバーグの予定なんだけど、それでいい?」
母は、娘がいつもよりも早い時間に帰ったことを驚かなかった。
そして夕食の時間について少し考えていたが、母の態度はいつもと変わらない。
そんな母の作る煮込みハンバーグは私の好物だが、今は夕食の献立よりも母に訊きたいことがある。
「ねえお母さん。訊きたいことがあるの」
「何?」
「それお父さんの持ち物よね?箱に詰めてどうするの?ここお父さんの部屋だし、お父さんが亡くなったからって片付ける必要ないんじゃない?」
私の口を突いたのは、訊きたいと思っていた道明寺司と母の関係ではなく、母が父の身の周りの物を箱に詰めていることで、今は目の前のその光景の方が気になっていた。
「ん?これは送ってあげようと思って箱に詰めてたの」
「送る?送るってどこに?」
父は生家から勘当されたと言ったが、それでも葬儀に参列した年老いた父の両親に形見として送るのか。
「お父さんが最後に住んでいた国よ」
私は母が言っていることの意味が分からなかった。
父が最後に住んでいた国はメキシコだが、何故メキシコに送るのか。
それにメキシコの誰に送るというのか。
「ねえ、お母さん。お父さんが最後に住んでいた国ってメキシコでしょ?そのメキシコに送るっていったいどういうこと?」
と、私は怪訝な態度で訊いたが、それに対し母は落ち着いた様子で答えた。
「お父さんから頼まれていたの。自分が死んだらここにあるものを元の持ち主に返して欲しいってね」
「元の持ち主?」
やはり私には意味が分からなかった。
すると母は「そうよ。元の持ち主のこの人にね。この人が元の持ち主。いいえ。そうじゃないわ。お父さんは持ち主だなんて言い方をしたけど、この箱の中にあるものはこの人がお父さんに贈ったものなの」
と言って母は既に箱の中に収められていた写真立てを私に見せたが、そこには父が母以外の女性の腰に腕を回し笑っている姿があった。

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すると母は父の部屋にいた。だが母は自分の背後で開け放たれた扉の傍にいる私に気付いてはいなかった。
四十九日を終えたとはいえ父が亡くなってからさほど時間は経っていない。それなのに母は父の部屋で片付けをしていた。
通信社の特派員として長年外国で働いてきた父は、病を罹っていることが分かると赴任先から日本に帰国した。そんな父の部屋には沢山の本やCDや古いレコードが残されているが、語学に堪能だった父は特にスペイン語で歌われた曲が好きだった。
それは日本の伝統的な料理を提供する寿司屋を目指した父からは想像できない歌の選択だったが、メキシコにいた頃の父は、マリアッチ(楽団)がいるレストランに家族で出掛けると、いつもお気に入りの曲をリクエストしていた。
そして母の前にあるのは真新しい段ボール箱。
その中に父が気に入っていると言っていたセーターやマフラー。愛用していた万年筆や櫛といった身の周りの物が収められようとしていた。
私は、それらを手に取った母がひとつひとつ箱に詰めていく様子を見つめていたが、その背中に哀しみの姿を見つけることは出来なかった。つまり母の心は、もうとっくに父から離れてしまっているように思えた。そして父との思い出を箱に詰めると捨ててしまうのではないかとさえ思われた。
だがそれが私の思い過ごしだとしても、表面上何も変わらないように見える母の心はすでに道明寺司に向いていて、父には向けられてはいないと思えた。
私はわざと大きな音を出して自分の存在を母に伝えた。
そして母に訊かなければならない言葉を口にすることにした。
「ただいま!」
「澪(みお)?何?どうしたの?大きな声でびっくりするじゃない。お帰り。早かったのね?」
母は私の声に片付けをする手を止め振り向いた。
「うん。最後の講義は先生が病気で休講になったの。だから今日はこんな時間に帰れたの」
「そう….じゃあ今日の夕食は少し早めにする?ちなみに今夜は煮込みハンバーグの予定なんだけど、それでいい?」
母は、娘がいつもよりも早い時間に帰ったことを驚かなかった。
そして夕食の時間について少し考えていたが、母の態度はいつもと変わらない。
そんな母の作る煮込みハンバーグは私の好物だが、今は夕食の献立よりも母に訊きたいことがある。
「ねえお母さん。訊きたいことがあるの」
「何?」
「それお父さんの持ち物よね?箱に詰めてどうするの?ここお父さんの部屋だし、お父さんが亡くなったからって片付ける必要ないんじゃない?」
私の口を突いたのは、訊きたいと思っていた道明寺司と母の関係ではなく、母が父の身の周りの物を箱に詰めていることで、今は目の前のその光景の方が気になっていた。
「ん?これは送ってあげようと思って箱に詰めてたの」
「送る?送るってどこに?」
父は生家から勘当されたと言ったが、それでも葬儀に参列した年老いた父の両親に形見として送るのか。
「お父さんが最後に住んでいた国よ」
私は母が言っていることの意味が分からなかった。
父が最後に住んでいた国はメキシコだが、何故メキシコに送るのか。
それにメキシコの誰に送るというのか。
「ねえ、お母さん。お父さんが最後に住んでいた国ってメキシコでしょ?そのメキシコに送るっていったいどういうこと?」
と、私は怪訝な態度で訊いたが、それに対し母は落ち着いた様子で答えた。
「お父さんから頼まれていたの。自分が死んだらここにあるものを元の持ち主に返して欲しいってね」
「元の持ち主?」
やはり私には意味が分からなかった。
すると母は「そうよ。元の持ち主のこの人にね。この人が元の持ち主。いいえ。そうじゃないわ。お父さんは持ち主だなんて言い方をしたけど、この箱の中にあるものはこの人がお父さんに贈ったものなの」
と言って母は既に箱の中に収められていた写真立てを私に見せたが、そこには父が母以外の女性の腰に腕を回し笑っている姿があった。

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